第四話閑話 イリーガル・スチューデント 2





 
「ふむ…」

 二人の刑事が龍麻らを連れて行こうとしていたのは、とある企業の管理している倉庫であった。周辺には民家がなく、いわゆるアンダーグラウンドの人間が集うにはなかなか都合が良い環境である。

「こんな所を利用できるとは、黒幕はかなりの大物らしいな?」

 ありがちな廃虚や、普段人気のない倉庫街とは違う、きちんと管理運営されている倉庫だ。こんな所を利用できるという事は、かなりの社会的地位がある人間がバックにいるという事だ。刑事がその仲間に加わっている事からも、それが推察できる。

「まあ良い。貴様らにはここにいてもらおう」

 龍麻は二人の刑事を手錠で繋ぎ、更に車のハンドルに繋いだ。キーを外した上、タイヤもパンクさせてしまったので、二人ともこの場から逃げる事は出来ない。警察無線や携帯電話も無論、取り上げて破壊してある。

 龍麻は芝生の植えられた広場を横切り、倉庫のドアへと走り寄った。

 道すがら刑事の口から聞き出した情報によると、月に一度の割合でこの倉庫に人が集められ、児童ポルノやスナッフ・ムービーの撮影会が行われるのだそうだ。今はそのための生け贄を集めている段階であるが、既に何人かがこの倉庫に運ばれているとの事である。

 ――話の半分ほどは嘘だろう。この倉庫がその連中の集会に使われている事は本当かも知れないが、普段の警備が手薄すぎる。警察内部にスパイがいるので、誰も踏み込まないと油断しているのかも知れないが、最低限の警備は怠らない筈なのだ。

 周囲に人がいない事を確かめ、龍麻は素早く倉庫の中に入り込んだ。

「……!」

 即座に身体が反応し、コンテナの陰に身を寄せる。

 鼻を衝く濃密な血と硝煙の匂い。――警備が手薄なのも道理。倉庫の中には、警備をしていたと思しい連中の死体が無数に転がっていた。既にここは何者かの手によって襲撃されていたのである。

 死体の数はざっと三十。しかし、この重装備は何だ? 日本ではSAT(警視庁特別急襲部隊)くらいしか装備していない筈のH&K・MP5シリーズのサブマシンガン。拳銃もコルトの四五口径やSIGの九ミリ。――ヤクザやマフィアにしては装備が本格的すぎる。

 だが、そんな装備を固めた連中を、どこの誰が一方的に殲滅したものか?

 そう。一方的だ。同士討ちしたらしい死体もいくつか混じっているが、それ以外は尽く額を撃ち抜かれ、あるいはナイフで喉を抉られている。――恐らく最初の銃撃で数人を始末した後、電気を消してナイフによる無音殺人サイレント・キリングを仕掛けたものと思われる。龍麻の脳裏には渋谷のビデオ店の光景が浮かんでいた。

(血はまだ乾いていない。恐らく犯人は近くに――)



 ――カチリ



「――動くな」

「――ッッ!」

 その一言が龍麻に不用意な動きを停止させた。

 金属音は安全装置を外す音だ。確認は出来ないが、撃鉄は既に起きている事だろう。

「そのままゆっくりと両手を上げろ」

 低く錆びた、落ち着いた声。――こいつはプロだ。殺人に対する禁忌も歓喜も口調に現れていない。今になってようやく解った気配もまるで尋常だ。――つまり、それを可能にするほど年季の入ったプロだ。

 龍麻は大人しく背後の声に従った。

「今日だけで三回見た顔だ。――何者だ?」

「…ただの学生だ」

 タイミングを計りつつ、龍麻は答える。しかし背後の男は元の位置を動いていない。不用意に相手に近付かないのも、プロの世界では常識だ。

「半分は嘘だな。どこの世界にガンを持った学生がいる? そんなのは映画と漫画の中だけだぜ」

「事実は小説よりも奇なりと言うぞ?」

 その瞬間、龍麻は上半身を傾がせつつ、背後の気配に向かって後ろ蹴りを跳ね上げた。

 しかし背後の影は一歩飛び下がって蹴りをかわし、龍麻の腹に狙いを付けようとする。その動きを読んでいた龍麻は、コンテナに食い込んだ蹴り足を支点に身体を宙に跳ね上げた。――《龍星脚》の応用だ。これは予想外であったか引き金は引かれず、龍麻は三メートルからの高さがある大型コンテナの上へと逃れた。そしてウッズマンを抜き撃ちに――

(――消えたッ!?)

 既に男の姿はない。あの位置から移動するとすれば――



 ――BANG! BANG!



 龍麻が横っ飛びするのと、銃声が二度響くのと、殆ど同時であった。火花の飛び散るコンテナの天板を転がって木箱の陰に隠れる。そしてそこから、木箱の上にいる男に向かって二連射! 男も木箱の陰に隠れる。銃弾は男のコートを捉えるのみに留まった。

(瞬時に射線を取り、無駄弾を撃ってこない。――対テロかゲリラ戦の経験ありか)

 男が使用しているのは九ミリ弾――世界でもっとも普及している九ミリ軍用弾パラベラムだ。そして現代では九ミリ軍用拳銃の殆どが二列弾倉ダブルカーラムを採用し、装弾数は一〇発以上。それだけのファイア・パワーがあればもっと撃ってきて良い筈なのに、龍麻の姿を確認した時に二発だけ発砲。その後牽制弾も撃ってこない。――単独で任務をこなすプロか!?

 龍麻は素早く木箱の陰を移動した。彼はまだこの倉庫内の障害物の配置を把握しきれていない。このままでは良い様に銃撃される。



 ――BABANG! ――BABANG!



 CQS(近接射撃)の基本である二連射…ダブル・タップを二連続! 殺気を感じた瞬間、龍麻は前回り受け身の要領で床を転がり、男のいる方に向かってこちらもダブル・タップを二回! 共に木箱の破片を飛び散らせる。――手応えなし。銃撃した直後に移動したのだ。

 右肩を軽く押さえる龍麻。――久しく出会った事のない強敵だ。避け切ったつもりが、掠り傷を負わされている。一発目は龍麻を狙い、二発目は龍麻の未来位置を狙い…その射撃間隔が恐ろしく早い為だ。

 どんな銃にも必ず存在する引き金トリガーの遊び…引き金を引く事で撃鉄ハンマーが落ち、戻った引き金が次弾発射用の撃鉄をコックし、更に数ミリ戻ってノーマルポジションに戻る…この、二発目を発射する際に引き金を全部戻してから、遊びの分も含めて引き金を引く事を《ガク引き》といい、各国軍隊、特殊部隊、自衛隊を問わず絶対の禁忌とされている。僅か二ミリ程度の引きが生み出すゼロコンマ以下の発砲遅延、銃口のブレは、実戦の場ではたやすく死を招くのだ。

 この相手は《ガク引き》を抜きにダブル・タップを仕掛け、異なるポイントを狙う事が可能なのだ。それも、反動が強めの九ミリ弾で。――コートの裏地にケプラーとアラミド繊維を挟み込んでいなかったら、致命傷とは行かないまでも肉を少し持って行かれていた。

(――時間を掛ける訳にはいかんな)

 既にコートが防弾仕様である事は気付かれただろう。次は頭を狙ってくる。――残弾五発だが、ウッズマンの弾倉を交換し、龍麻は閃光手榴弾スタングレネードを取り出した。一気に勝負を付ける!

 次の瞬間、強烈な殺気が首筋を刺し、龍麻は木箱とドラム缶の陰にいるにも関わらず身を伏せた。



 ――ドオンッ!!



 衝撃波が鼓膜をひっぱたき、腹に堪える銃声! 木箱とドラム缶がまとめてぶち抜かれる――マグナム弾だ! 鼓膜の痺れを堪え、二射目を許す前に龍麻は閃光手榴弾を狙撃地点に向かって投げた。



 ――バシン!!



 薄闇を圧する白い閃光! 龍麻は目を閉じたまま木箱の陰を飛び出した。そして視覚を封じられた筈の相手に向かって四連射! ――手応えあり!

 しかし――

「――ッッ!!」

 着弾をものともせず走る影! 龍麻は先回りするべくコンテナを回り込み、ウッズマンを突き出す。龍麻のウッズマンはそこに走り込んできた男の眉間を捉え、しかし男の右手に握られたリボルバーもまた、龍麻の眉間に不動の直線を描いていた。しかもその左手には先程まで使用していた九ミリ自動拳銃…ブローニング・HP(ハイパワー)が握られ、こちらは龍麻の腹をポイントしていた。

 弾丸が効果を上げなかったのも道理。男のコートもまた、ケプラーを編み込んだ防弾仕様だったのだ。しかも弾頭のひしゃげ方を見るに、繊維の隙間には恐らくチタン・メッシュが挟み込まれている。龍麻のウッズマンなど豆鉄砲も同然だ。

「――何者だ、お前?」

「それはこちらの台詞だ」

 共に、声に脅えはない。龍麻は命のやり取りを日常茶飯事としている身だ。恐らくこの男もそうなのだ。龍麻が銃を持っている事にも驚かず、閃光手榴弾を使用した時も見事に対応してみせたのである。

「俺はここにいる変態どもを始末しに来た。お前のような餓鬼が関わっているとは思えないがな」

「自分は、日比谷公園で発見された白骨死体に関して調査中に、幼女を誘拐した犯人に拉致されてここまで来た」

 男の鋭い目が僅かに細まる。――背は龍麻ほど高くはないが、がっしりとした体つき。髪は短い。歳の頃は三十代か。男としても兵士としてももっとも脂の乗った年齢だ。上辺だけではない、本物の醸し出す迫力に、龍麻は真実を告げていた。この男相手に下手な作り話など通じないだろう。そして男の方も真実を言っている。そんな確信があった。

「本当か?」

「疑うのは自由だ」

 互いに銃口を微動だにさせず、相手の腹を探り合う。このような睨み合いの時、龍麻の長い前髪は障害となるものだが、この男には関係ない様であった。しかし――

「――ッッ!!」

 カッと二人を四方から照らし出す、強力なサーチライトの光! そして、天窓を破って突入してくる迷彩服姿の男たちと、どかどかと足音を響かせてキャットウォークに飛び出してくるダークスーツの男たち。――共に自動小銃とサブマシンガンで武装している。

「――貴殿の客か?」

「――お前が尾行つけられたんだ」

 二人の身体に絡み付く赤い光点…レーザー・サイトの光だ。四方から、二人合わせて二〇近い光点が這い回っている。

「武器を捨てたまえ。HIRO君」

 最後に、白いスーツを着た初老の男が、大陸系の顔立ちをしたデブとノッポを伴って姿を現わした。

「超一流のスイーパーと聞いていたが、我々の流した情報にこうもあっさり引っ掛かってくれるとは思ってもみなかったよ。ただ、この人数をこれほど簡単に片付けたのは賞賛に値する」

「――そいつはどうも」

 男…HIROの口調に焦りはない。そして龍麻も、また――

「HIRO…聞いた名だ」

 記憶の片隅から拾い出した名を、龍麻は口に乗せた。

「この東京で非合法の仕事を請け負うアンダーグラウンドのスイーパー。《一匹狼ローンウルフ》HIRO。主な仕事は護衛と暗殺だったな。腕は――超一流とか。――会えて光栄だ」

「ほう。良く知ってるな。――お前の名も聞かせてもらいたいな」

 この状況でなお余裕ある二人の会話に、白いスーツの男が鋭い声で割り込んだ。

「何を勝手な事を喋っている!? ――まあ良い。HIRO君、いつから相棒を持ったのかね?」

「――人聞きの悪い事を言うんじゃねえ。こいつとはさっき会ったばかりだ」

「ふふん。信じられると思うかね? 刑事を二人も倒してここに乗り込んでくるような学生などいる訳がない。――二人とも、武器を捨てろ」

 ピク、とHIROのブローニングが揺れる。彼の身体に絡み付いていた光点が眉間と心臓の位置に集中した。

「――警告はこれっきりだよ。君がどこの誰に依頼を受けて動いているのか興味は尽きないが、君を無理に生かしておく理由もないのだからね。そちらのボウヤ。君もだよ」

「……」

 龍麻の眉間と心臓にも、レーザー・サイトの光点が集中する。四方から二〇もの銃口に狙われては、いくら龍麻でも生き残る自信はない。せめて、半分ならば…。

「判った。降参だ」

 HIROは銃把から手を放し、両手を上げた。人差し指だけがトリガーガードに掛けられ、ブローニングとリボルバー…コルト・パイソン・357マグナムが揺れる。心なしか、ブローニングのグリップに象嵌された狼の目が笑ったかのように見えた。

 同時に龍麻も、ウッズマンのグリップを放して両手を上げる。

「――賢明な判断だよ。銃を床に捨てたまえ」

 勝ち誇ったような嫌味な口調。しかし、二人は従った。黒い鉄の塊が二人の手を離れ、床に向かって落ちて行く。その瞬間、この場にいる全ての者の目が床に落ちて行く銃に注がれた。

 次の瞬間、二つの影がぶれた。

 床に落ちる筈だった銃が宙に跳ね上がり、ブローニングが龍麻の手に、ウッズマンがHIROの手に納まった。――上体を捻りながら大きく傾がせつつ、爪先で自分の銃を相手の正面に蹴り上げたのである。そして――



 ――BANG! BANG! BANG! BANG! BANG!

 ――TAN! TAN! TAN! TAN! TAN! TAN!



 背後の敵を意にも介さず、龍麻とHIROは背中合わせに、自分の前方にいる敵に向けて発砲し、瞬時に十人からの敵を射殺してのけた。

「う、撃てェッッ!!」

 白スーツが泡を食って叫ぶが、その時既に龍麻もHIROもコンテナから飛び降り、身を伏せていた。

 ――なんの事はない。レーザー・サイトの欠点である。真っ直ぐに伸びるレーザー光は狙いを付けるのに便利な道具だが、銃撃戦に慣れたプロには逆に位置を悟られ、射線を見切られてしまう事がしばしばある。昨今では狙いを付けるだけのレーザー・サイトよりも、相手の目を眩ませる効果を持つタクティカル・ライトの方がプロの現場では主流になっているのだ。

「――何人殺った?」

「八人」

 ブローニングを返し、ウッズマンを受け取る龍麻。これだけ切迫した状況下、どちらの銃も薬室に一発だけ弾丸が残っている。龍麻が一三発、HIROが六発撃ったという事だ。

「こっちは三人だ。――良い銃だが、弾が小さすぎる」

「調整は完璧だが、火薬が多すぎだ」

 率直に、相手の銃に文句を付ける二人。HIROは六人の敵を正確に撃ったが、即死させられたのは三人だけだった。22LRの非力さゆえ、骨に当たった弾丸が逸れて急所を外してしまったのである。

 龍麻は一三発の内、五発は急所を外してしまった。龍麻は片目ゆえ、自分用に調整した銃でなければ精密射撃が出来ない。その上ブローニングには、龍麻の防弾コートに対抗するべく、火薬をぎりぎりまで増量した強装弾ホット・ロードが装填されていた。九ミリのつもりでいた龍麻の射撃感覚は微妙に狂ってしまったのである。しかも、銃そのものが左利き用だ。

 新たな弾倉を叩き込まれた銃が互いに向けられる。



 ――BANG!

 ――TAN!



 二人の背後で倒れるダークスーツ。

「――話は後だ」

「肯定だ」

「――援護しろ」

 HIROがコンテナの陰から飛び出す。途端に集中する銃撃! しかし彼らは不用意に過ぎた。後から上半身だけ覗かせた龍麻が援護射撃を行い、あっと言う間にダークスーツを三人まで撃ち倒す。

 敵が二人だと判っているのに、目の前の目標に気を取られる――装備はともかく、中身はアマチュアだ。初対面と言うのを――事実だが――信じたらしい。

「ぬううッ! 早く殺せッ!」

 口で言うだけなら簡単なものだ。確かにファイア・パワーはダークスーツの方が上だが、射手の腕前に大きな差があった。

 足元で弾ける火花の中を走り抜けつつ、HIROのブローニングが立て続けに吠えた。

「ぐわッ!」

「ギャッッ!」

 龍麻のウッズマンと違い、命中の瞬間に仰け反って吹っ飛ぶダークスーツ。火薬を増量人ホット・ローディングした九ミリ・シルバーチップの威力だ。鉛の弾頭にニッケル・亜鉛合金のカバーをかぶせた弾丸は、目標衝突時に鉛が変形するタイミングが僅かに遅れるため、目標の体内で弾丸のパワーを解放する。マン・ストッピング・パワーにおいて四五口径に一歩譲ると言われる九ミリ弾の欠点を補う為に作られた、小さな野獣たちの一種である。そこにホット・ロードが加われば、威力は四五口径並でありながら手首に来る反動は一〇ミリ口径弱。――完璧ではないが、ほぼ理想に近い弾丸だ。

 だが、ダークスーツよりも数の少ない迷彩服姿の練度はかなり高かった。龍麻とHIROが反撃に転じた時、彼らだけは素早く身を隠してみせたのだ。そして今はダット・サイト付きのMP5を三点射で連射し、龍麻とHIROを木箱の陰に釘付けにする。

「――チッ。奴らは結構やる口だな」

「――傭兵だな。動きに統一性がない。だが、装備が大袈裟すぎる」

 龍麻の言に、HIROは肩を竦めた。

「臆病者はハリネズミみてェに武装するもんさ」

「――肯定だ」

「即答かよ。近頃の餓鬼は油断ならねェな。――っと!」

 ふっと首を竦めたHIROの頭の上に跳弾が突き刺さる。――五人ほど牽制に残し、残りが距離を詰めてきているのだ。とは言え、サブマシンガンで九ミリ弾を固め撃ちされては、さすがに身を潜めている事しか出来ない。下手に顔を出せば、その瞬間に頭を吹き飛ばされる。

「――おい、ボウヤ。閃光弾はあるのか?」

「――龍麻だ」

「あン!?」

「――緋勇龍麻だ」

「――オーライ。緋勇、閃光弾を奴らの足元に投げ込め。最低二人は仕留める」

 牽制の傭兵はキャットウォークの柱の陰にいる為、ここからでは射線が取れない。狙い撃てるのは二人。良くて三人だ。

「了解。――残りは自分がやる」

「――言っておくが、柱の陰だぜ?」

「――任せろ。――行くぞ」

 龍麻は閃光弾のピンを外し、手のスナップだけで閃光弾を傭兵たちのいるキャットウォークまで放った。

「――手榴弾!? 拾って投げ返…っ!」

 ここが日本という認識が、彼らの五感を鈍らせていたのだろう。次の瞬間、世界は白い光に包まれた。

「ギャッッ!!」

 サングラスごときでは到底防げない白光の爆発! 訓練された人間でも不意打ちで使用される閃光弾には容易に対処できるものではない。傭兵たちは音響に鼓膜を叩かれ、体を丸める事しか出来なかった。――基本的にどんな人間でもこうなるのだ。

 だが白い光の爆発の最中、轟いた銃声が傭兵を三人まで撃ち倒した。

 HIROは閃光弾を使用する段階で視覚情報は捨て、記憶しておいた敵の配置と距離、傭兵の苦鳴を頼りに発砲したのである。―― 一流の射手ならば、この程度の事は出来て当然だ。

 そして、龍麻は――



 ――PAN! PAN! PAN!



 敵の姿は見えないながら、こちら向きに平面を見せている鉄骨に向かって、刑事から奪ったニューナンブを発砲した。すると二発目と三発目で、柱の陰から「ギャッッ!」と悲鳴が上がり、傭兵がよろめきながら出て来る。すかさずHIROのブローニングが吠え、傭兵に止めを刺した。

「――やるじゃねェか」

 HIROが少しばかり口調に感嘆を込める。――先の射撃と合わせて、龍麻の実力を認めたのだ。

 龍麻が刑事から奪ったニューナンブの使用弾は三八スペシャル・ラウンドノーズ。これは龍麻が刑事たちに言ったように、マン・ストッピング・パワーには欠けるものの、殺傷能力は高く、犯人を射殺してしまい易い。犯人の身体を貫通した弾丸が周囲に被害を与え易い。そして、先端が丸い弾頭ラウンドノーズ故に犯人を貫通あるいは外れた弾丸が鉄やコンクリートで跳ね返り易く、周囲に被害を与える――これらの特徴から、三八スペシャルは徹底的に警官向きではない。

 龍麻はそれらの特性を逆手に取り、柱の陰に隠れていた敵をワン・クッションで銃撃してみせたのだ。しかも一度跳ね返った弾はスピードが殺され弾頭部がひしゃげ、殺傷力が増している。頭部、胸部、腹部は勿論、手足であっても破壊面積が大きい為に大量の出血を招く――どこに当たっても致命的なのだ。

 牽制役が全員殺られたのを見て、残る傭兵が素早くコンテナや木箱を盾に銃撃を開始する。――物量と火力で押す気だ。

「こちらは種切れだ。――任せる」

 この期に及んで表情一つ変えない龍麻に、HIROはやれやれと頭を振ってから、コートのポケットに手を突っ込み、M72A1対人手榴弾を二個取り出し、一個は龍麻に放った。

「使い方は分かっているな?」

「――無論だ」

 使い方云々ではない――戦術的用法の事だ。

 龍麻とHIROは同時に手榴弾の安全リングを抜いた。レバーが弾け飛び、延期薬に点火。そして――

「ワン…ツー…スリー!」

 HIROの合図で、二個の手榴弾が宙を飛んだ。飛来してくる物体を感知した瞬間、傭兵たちは目と耳を庇う。――先程の閃光弾の一件で相手の武器を読み違えたのだ。

 二つの手榴弾は、共に空中で起爆した。

「グワァァァッッ!!」

「ギャアァァァッッ!!」

 爆発の衝撃波そのものよりも、それに乗って高速で飛来した鉄片に肉を抉られ、傭兵たちは全身を血だるまに変えてのた打ち回った。

 対人手榴弾は硬くも飛散し易い外殻の内部に火薬の他、鉄片やコイル、ベアリングなどを抱え込んでいる。龍麻たちがやったように空中で爆発させた場合、それら危険物が高速で四散し、周囲にいる人体を引き裂くのだ。

 傭兵たちも当然、その知識はあった筈だが、恐らく日本での任務が本来の技量を錆付かせていたのだろう。どれほど鋭い牙を持つ狼も、御し易い家畜ばかりを襲っていては牙が摩耗する。――実力的に大差なかったであろう彼らにも、常に実戦の場に身を置き続けてきた二人の相手はきつすぎた。

 敵の攻撃が沈黙したのを確認し、しかし龍麻は警戒を解かずに言った。

「残り三人だが、どこへ行った?」

 見れば白スーツと、護衛二人の姿がない。

「――逃げた…って事はねェな。――すると、証拠隠滅を図るか」

 ブローニングの弾倉を交換し、大股で倉庫の奥に向かうHIRO。龍麻を警戒する様子は――見せない。その背中の鷹揚さに、龍麻は少なからず驚いた。

(超一流の評判は伊達ではないという事か)

 プロは基本的に《仕事》への介入者を許さないものだが、HIROはそれを問題にしないらしい。龍麻の存在は確かに予定外であったろうが、《仕事》をやり遂げる上では問題なしと判断したのだろう。

 しかしながら龍麻も、この一件を見過ごす訳には行かない。既に充分、関わってしまっているのだ。龍麻はHIROの後に付いて歩き出したが、彼は何も言わなかった。







 倉庫の奥にあった鋼鉄製のシャッターは電子ロックされていたが、さすがはスイーパー。HIROがカードスロットにモバイルコンピュータの端末を差し込むと、ものの数秒でパスナンバーを割り出してシャッターを開いた。

 ゴオゴオと音を立てて上がって行くシャッター。その先はコンクリートで封じられているが、シャッターの唸りが遠くまで残響して行く。コンクリートの向こう側に空洞がある証拠である。

「…思ったより広そうだな」

「そりゃそうだ。ここは元々帝都大本営の一部だったのを、冷戦時代に政治家どもが核シェルターに改造したもんだからな。――核戦争後の世界でも自分たちだけで豪遊する為に、遊びの道具にゃ事欠かねェようになっている。それが今じゃ、変態どもの社交場って訳だ」

「…俄かには理解できん。スナッフ・ムービーの一件を聞いた時には、これほど大掛かりなものだとは思わなかった」

 切っ掛けは雨紋の要請であったが、成り行きで傭兵たちと一戦交える事にまでなってしまい、さすがの龍麻も少々面食らっている。本来、このような犯罪に手を染める連中は闇に潜み、万が一の摘発に備えて本拠地など置かぬものなのだ。

「どうやら本気でこの一件の事を知らねェようだな。――四ヶ月ほど前、首都圏を除くあちこちの高校から、女生徒がごっそり消えるって事件が発生した。総勢百二十名。国際的誘拐組織の仕業とも言われて報道管制が敷かれたが、身の代金の要求無し、外国に売り飛ばされた形跡もねェって状態で、初めて出た手がかりがスナッフ・ムービーって訳だ」

 その事件ならば龍麻も知っている。明日香学園における失踪事件がそれほど話題にならなかったのも、その一件に関わりがあるものと考えられ、報道がかなり押さえられたせいであったのだ。

 トラップの有無を確かめシャッターの中を覗き込むと、コンクリートの壁沿いに地下に降りる鉄製の螺旋階段が備わっていて、そこを二〇メートルほど下ると更に分厚いコンクリートと鋼鉄製の扉がある事が確認できた。

「それが金持ちの変態どもの間に出回っている《本物》のスナッフ・ムービーと来た。あとは定番のポルノビデオだな。――その出演者の中に誘拐された連中と、現職の大臣やら財界人やらが混じっていると言えば、色々と納得できるだろう?」

「――納得した」

実にあっさりと首肯する龍麻。どこの国でも、政治家や財界人というものは権力を持った途端に思い上がり、自分は法律に左右されない特権階級だと思い込む。それこそ、通りすがりの女性を乱暴しようが、気に入らない人間を抹殺しようが、自分だけは裁かれないというように。――普通の一般市民が電車賃を十円誤魔化しても立派な詐欺罪だが、政治家が国民の血税を百億円着服しても罪には問われないのが今の日本だ。政治も司法も、あらゆる場面でチェックが甘く、権力を有する者が結託すれば、どんな重大事件でも揉み消しかねないだろう。――完全武装の傭兵を雇っていたのも、それで納得できる。

 龍麻の即答に、HIROは肩を竦めてからシャッターを潜った。

「その乱痴気騒ぎの温床がここだ。情報通りだとすると、この奥には変態どもがゾロゾロいるぜ。それとももぬけの空か。――どうする? 弾丸だって残り少ない筈だ。引き返すなら今の内だぜ」

「――気遣いは無用だ」

 傭兵から奪ったMP5からダット・サイトを外して捨てる龍麻。元々、精密射撃には縁のない男である。三〇連マガジンをクリップで並列に繋ぎ、素早いマガジン・チェンジに備える。

「――行くぜ」

 セキュリティに介入して開けたドアに素早く侵入するHIRO。龍麻はバックアップ位置に就く。急ごしらえのコンビネーションにしては、舌を巻くほどの連携である。

 白い壁で構成されたシェルターの内部は地震に強いハニカム構造になっていた。――日本のシェルターらしい壁の案内図によると、上階の空洞は小型機の格納庫らしい。他にも居住スペースや遊戯スペースやらがあるようだが、居住スペースと食料関係の備蓄庫は外から鍵が掛かっていたので、無数にある部屋をいちいち調べる必要はなかった。一番解り易いのは――

「――ッッ!」

 小さな金属音が響くと同時に、HIROの、龍麻の手が閃く。そして、銃声――

 反撃してくる奴がいるならば、その部屋を調べれば良い。HIROは肩を撃ち抜いた男にポイントしながら、その部屋の中を見回した。

 やたらと電子機器の密度の高い、モニターとVTRの編集機器に埋められた部屋である。――元はシェルター内の放送設備のようだが、今はスナッフ・ムービーの編集室に使われているらしい。壁一面を埋め尽くすモニターには、並の人間ならば吐き気を催すか、涎を流さんばかりの光景が広がっていた。

「変態どもの作品って訳か。――悪趣味な」

 モニターの中で繰り広げられる、殺人と性の饗宴のおぞましさ。泣き喚く犠牲者をありとあらゆる道具で切り刻み、押し潰し…それを行う、どこかで見た事のあるような人間たちの顔に貼り付く歪んだ歓喜。自らを《エリート》と称する者たちの本性が思う様露呈した映像の数々であった。自分たちの雇い主、あるいは投票した相手のこのような姿を見て、人は何を思うだろうか?

「担当刑事には宝の山だな。――オイ、ここの親玉はどこに行った?」

 両肩を撃ち抜かれた男は傷を押さえる事も出来ず、涙ながらに訴えた。

「し、知らない! 僕は雇われの映像技師だ! 僕は…ここより奥には入った事がないんだ!」

 必死の形相。嘘ではなさそうだが、それではここに残っていた説明が付かない。

「親玉はここに来たのか? 白いスーツを着た青ビョウタンだ」

「き、来た! 証拠を隠滅しろと言って…!」

 そこまで言って口をつぐむ技師。

「…なるほど。それでテメエは証拠隠滅よりも先に映像をダビングして持ち出そうとしたって事か。――調べは付いているんだぜ。テメエが渋谷のビデオ屋にスナッフ・ムービーを横流ししていたってのはな」

「そ、それは…勘弁してください! か、金が必要だったんです! 実は妹が…!」

「テメエに兄弟なんかいねェだろ。――調べは付いているって言った筈だぜ。テメエが渋谷のチンピラグループの一員で、強姦ビデオの撮影担当していたって事も、そのビデオで被害者の家族まで恐喝していたなんてこともな。――それが元で捕まった挙げ句、ここに雇われたんだろうが!」

 わざと声を荒らげ、靴底で銃創を踏み付けるHIRO。技師は悲鳴を上げた。

「マスターテープはどこだ?」

「……!」

「――言いたくなきゃ、テメエをぶち殺してから家捜ししても良いぜ?」

 ブローニングの代りに中型のサバイバル・ナイフを突き付ける。機能性重視のスタイルだが、却って脅しに凄味が出る。たちまち技師は陥落した。

「そ、そこにディスクの原盤が…!」

 技師が視線で示したのはDVDのディスク装置だ。業務用なので一度に三〇枚のディスクをダビングできる。ただし原盤の保護装置が働いている為、ダビングの最中では取り出す事が出来ない。コンソールからダビングの中止を指示する操作が必要だ。

「チッ、面倒な真似をさせやがる。――って、どうした?」

 龍麻がモニターの一つを凝視しているのを見て、HIROが声を掛ける。

 モニターの半分は児童ポルノやら何やらの映像である。三つほどは東南アジア辺りから売られてきたと思しい五、六歳の子供の映像だが、残りは全部、同一の女子高生が輪姦されている場面を映したモニターであった。どうやら薬を打たれているらしく表情が虚ろだが、赤いリボンで留めた亜麻色のストレートロングの髪にぱっちりとした目…アイドルそこのけの美貌とスタイルの持ち主である。しかしそれがかえって変態どもに目を付けられる事となってしまったのか、少女に群がる、マスクを付けた男どもの数は一〇や二〇では利かなかった。よくよく気に入られたものか、モニターの一つ一つがそれぞれ別の場所、別の時間に撮られたものらしい。男どもの顔触れも変わっている。その中には、先程の白スーツも混じっていた。

「誘拐者リストにあった顔だ。――好みのタイプか?」

 揶揄するように言うHIROに、龍麻は答えた。彼は、少女を見ていたのではなかった。モニターの中の、一人の男を指差す。

「この男…武器商人のアブドゥラ・ハッシームだ」

「なに? 羽田で暗殺された奴か?」

 それはまだ記憶に新しい事件。――龍麻がこの東京に来る時、羽田空港で繰り広げられた銃撃戦の渦中にいたのがその男だった。どんなトラブルがあったものか不明だが、ヤクザの鉄砲弾十数名に襲われた果てに、車で空港から脱出したところを狙撃されて死亡した。

「妙な格好をしているが間違いない。――莫大な資産を有する武器商人がこんな所で何をしていたのだ?」

 一部上流階級(と信じ込んでいる連中)の火遊びにしては、武器商人が介在する理由が解らない。ただでさえ、彼ほどの資産家ならば専用のハーレムも持っているし、自国の豪邸に戻れば、人殺しだろうがなんだろうがやりたい放題の筈であった。わざわざ日本まで来て、映像に顔を残すリスクを犯す必要があるとは思えない。

「…言われてみりゃ、政治家以外にも何人か知ってるツラがいるな。例えば…コイツ、XX大学の相馬有朋――遺伝子研究で人間のクローンを造ろうとした奴だ。それにこいつは…田茂沢以蔵。臓器売買で不法入国者を三〇人以上解体して逮捕されたが、証拠不充分で無罪になった」

「大企業の会長、社長クラスも混じっているようだ。鉄鋼、重工業関係の会社役員が多いな。む…こいつらは葦下兄弟か。証券界の癌までいるとは…」

 他にも何人か、政界財界で悪い噂を持つ者や、アンダーグラウンドで囁かれる名を持つ者が混じっているようだ。だが――

「…妙だな」

「同意だ」

「…理由は?」

「恐らく、貴殿と同じだ」

「…だろうな。こいつらの半分以上が、ここ二〜三ヶ月以内に殺されている」

 それもまた、《表》には流れない情報。政界財界、官僚に至るまで、陰で悪どい事をやっている有力者たちが何者かの手で次々に殺されているという事実。――正式な発表が差し控えられているのは、陰で悪事を働く者たちが殺されているという事件の性質から、この犯人を英雄視する風潮が生まれるのを司法が怖れた為だ。

「この顔触れを見るに、この一件は極めて大掛かりなものだ。そしてそこに挑んでいる者が他にもいる。――どうするつもりなのだ?」

「――そいつは依頼人が決める事さ。俺の仕事は、ここをぶっ潰す事だ」

 ふむ、と肯く龍麻。それがプロの仕事というものだ。それは問題なく納得できるものであったが、龍麻は少々不快感を覚え、そんな自分に戸惑った。しかしそれは一瞬で消える。目の隅に映った光景が龍麻の視線をモニターの一つ…否、二つに戻させたのである。

「……」

 一つは、見覚えのある光景。空を埋め尽くす無数の鴉に襲われ、全身をついばまれていく女性の姿。

 もう一つは、赤いリボンの少女を輪姦している男たちが、何やら全身から剛毛を生えさせたり、背骨や肋骨を肉の外に突き破らせて変形していく姿。その脇で、漆黒のローブを纏った人物が何やら呪文らしきものを唱えている。顔は、判らない。

「――なんだそりゃ? ヒッチコックか、ジョン・カーペンターか?」

 周囲のモニターと見比べると、その二つだけが異彩を放っている。何も知らぬ者が見れば、まずアルフレッド・ヒッチコック監督のパニック・ムービー、《The Bird》、邦題《鳥》か、ジョン・カーペンター監督のSFホラー《遊星からの物体X》の一場面を思い出すであろう。つまり、その二つのモニターだけ、やけに現実味が乏しいのである。しかしながら、映像に手が加えられた様子はない。明らかに異常な光景。

 しかし龍麻には、片方の光景に思い当たるものがあった。

 ささやかな抵抗空しく、目を潰され肉をついばまれ、遂に息絶える女性。その向こうにいるのは、黒のトレンチコートを纏った少年…唐栖亮一であった。ただし、日比谷公園で戦った時のような嫌な笑いはなく、歳相応の少年らしい脅えが顔全体を覆っている。

『気分はどうです? 少年よ』

 カメラから見えぬ位置にいる者が告げる。

『その女は確実に死にました。やがて、土になる事でしょう。何も、気にしなくて良いのですよ』

 人を殺して気にならない者は、基本的に存在しない。一部の、特殊な人間を除いては。

『あなたは今、混乱し、怖れている事でしょう。しかし、案ずる事はないのです。今の君は、己の中にある獣を目覚めさせ、忌まわしき輪廻の輪を止める《力》を認識するに至ったのです。その恐れは、愚にも付かぬ命を断ち切る《力》の行使を許された神の座に就いた事による歓喜と恍惚がもたらすもの。何も悩まなくて良いのです。君の中の獣は何者にも縛られず、何者も君を縛る事は出来ない。その魔性の笛を持ち、後は――駆け抜けるのみです。思う侭に、一気に駆け抜けるのみなのですよ。それこそが、《力》を持ち得た者の権利なのです』

 男の言葉が耳に染み込んでいくに連れて、唐栖の表情が歪んでいく。いや、顔筋による変化はないのだが、その目の光と全体の雰囲気が禍々しいものに彩られていくのだ。殺人の恐れを否定され、殺人を行使した《力》を賞賛され――こうして、唐栖亮一は《堕ちた》のだ。

「――まるで宗教だな。口先だけで人殺しを一人作っちまいやがった」

 HIROがふんと鼻先で笑う。口調は平然たるものだが、その心中では怒りが込み上げているのが、龍麻には判った。判ったが――理解できない。なぜ、HIROが他人の死に怒りを感じているのか。  龍麻が判るのは一つだけだ。画面に映っていない男が告げたのは、テロリストが仲間を作る時の常套句だ。――お前は強い。強い者は法律に支配されない。我々は神の代行者なのだ。だから、殺して良い――。下らない単語の羅列だ。《人間》がなぜそんな言葉に惑わされるのか、未だに理解できぬ龍麻であった。

 ただし、対テロリスト部隊の一員であった彼としては見過ごせない。HIROの脇を通り過ぎ、技師に近付く龍麻。

「このテープに映っていない男を知っているか?」

「し、知らない…!」

「…呼吸の乱れ。眼紋の変化。不自然な発汗。――貴様の発言は虚偽と判断する」

 そう言うなり、龍麻はMP5の銃身で技師の銃創を叩いた。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」

「――二度は言わん。答えろ」

「ほ、本当に知らないんだ! ただ…あの芝倉さんもその男と《司教ビショップ》にだけは逆らわなかった…!」

 ヒュッと口笛を吹くHIRO。どうやら彼の情報では、先程の白スーツ…芝倉がトップだと聞かされていたらしい。

「《司教》とは何だ?」

「こ、ここで殺人ビデオを作る時にセットを組む人だ! 悪魔がどうとか、いつも訳の解らない事を言っていた…!」

 恐らく、ビデオに映っていたローブを纏った人物だろう。

「…その連中はいつ来る?」

「わ、解らない! いつも…いつも突然やって来るんだ! 宗教紛いの格好をして、変な仮面を付けているから…顔も解らない! ただ…ただ、《それ》は…」

 技師の震える指が、モニターの中で《変身》した人間たちを指差した。

「《それ》は、本物なんだ…!」

 そこまで言ったところで、技師は遂に泡を吹いて失神した。――元々、九ミリ弾を二発も食らっているのである。出血量はかなりのものだ。

 それ以上の情報を引き出す事は出来ないと判断した龍麻は、技師をそのままに立ち上がった。

「芝倉とかいう男が貴殿のターゲットなのだな? このスナッフ・ムービーを扱っている組織のトップという訳か」

「表の身分はXX省のキャリア官僚さ。――俺は奴がトップだと思っていたんだが、うまくすればもう一回り上の奴まで引きずり出せそうだな。――俺は先に進むぜ。どうする?」

 HIROも、技師の最後の言葉を黙殺したようだ。当然だ。人間が怪物に変わる――戯言にも程がある。

「このような組織が存在してはならん。貴殿の目的がこの組織の殲滅ならば、協力する」

「協力…ね。まあ、お前なら俺の足を引っ張る事もなさそうだな。――報酬は?」

「――無用だ。自分にとってこれは、渋谷の事件の延長に過ぎん」

 ここで少しHIROが首を傾げた。

「そう言えば、日比谷公園の鴉が急に大人しくなったらしいが、あれはお前の仕業か。鴉の飼い主を始末したのか?」

「肯定だ。先程の少年が犯人だ」

「…なるほど。余計な仕事を背負い込まずに済んだか。――行くぜ」

 多少の勘違い――無理もないが――があるようだが、既に始末したのであれば関係ないと、HIROは唐栖の事を黙殺したようだ。《常識》に照らし合わせれば、一人の人間が数百羽の鴉を操るなど有り得ないのだ。だが、唐栖の殺人を止めたという事実を認め、HIROは龍麻との共闘を承諾した。

 龍麻にしてみても、唐栖を《こちら側》に引き込んだ者の存在は許し難いものであった。怒りも憎しみもないが――殲滅する。その意思だけは彼の中に芽生えていた。その為には事情に詳しいHIROとの共闘が望ましい。

 スナッフ・ムービーを始めとする、数々の悪事の証拠となるディスクを取り出し終え、龍麻とHIROは室内戦闘における二人編成ツーマンセルのスタイルで更に奥へと廊下を辿り始めた。

 共に、技師の命は眼中にない。――二人とも、正義の味方でもなければ、医者でもないからだ。









 第四話外伝 イリーガル・スチューデント 2 







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