第弐拾話 龍脈 4





 龍麻にとっても、それは正に一瞬の出来事であった。

 瞬き一つ分以下、周囲が闇に閉ざされたと思った瞬間、龍麻は別の所に立っていた。東京、新宿はおろか、日本ですらありえない、見渡す限り赤く荒涼とした大地。もはや地球ですらないのか、空には異様に小さな太陽がぼうと輝き、氷点下の大気が荒々しく吹き荒れている。良く目を凝らして見ると、小高い丘陵の連なりの中に何らかの建物の瓦礫が顔を覗かせ、そこがかつて巨大な街であった事を窺わせた。

「…結界か、空間転移か? 厄介な」

 誰もが全方位警戒をしている最中に、誰にも気付かせず自分だけをピックアップしてのけたのだ。それだけで相手の力量が知れる。いずれにせよ、敵の土俵だ。周囲の異常な状況に目を向けている場合ではない。それでも即座に周囲の状況を走査しようとしたのは龍麻ならではだが、【気】を飛ばそうとした瞬間、【それ】は来た。いや、いつの間にか、そこにいた。

「ッッ!!」

 背筋に氷の槍が突き立ち…否、全身を瞬時に槍衾にでもされたかのように、龍麻は体機能から思考に至るまで、完全に硬直した。

 恐怖を感じぬマシンソルジャーである龍麻に何が起こったのか? 現象としては、ごくありふれたものであった。赤い服を纏い、左手に一振りの刀を携えた偉丈夫が、目の前に立っていただけである。しかしその瞬間、龍麻の全身は凍り付いた。背筋を伸ばし、踵を揃え…初めて大将に接見した新兵のごとき、直立不動に。

 男が、口を開いた。

「遂に、我が名を手繰り寄せたか。【黄龍の器】。気高き武道家、緋勇弦麻の息子、緋勇龍麻よ」

 【凶星の者】という忌まわしい名に反し、何という深みのある、豊かな声音か。決して大声ではないのに良く通り、威厳に溢れ、包容力がある。しかも――温かい。大切な我が子にかける、父親のような声――

「お前が…貴殿が柳生宗崇か?」

 問う龍麻の声は硬い。しかも、敬語だ。そして彼の緊張は、死の恐怖や戦いの予兆からのものではなく、彼をして偉大な人物と遭遇した時のそれであった。偉大な武道家、渋川剛三や松田勇次郎と出会った時のような。

「いかにも。――それを知り、貴様は何とする?」

 まるで、無邪気な子供の質問に答える教師のような声。龍麻は束の間逡巡し、やや搾り出すように詰問した。

「貴殿の目的は何だ? なぜこのような殺戮を繰り返し、世を乱し、人々に恐怖を与える?」

「――きたるべき時代への備えの為」

「来るべき時代? 混沌と争乱の世か? それとも【獣の王国】か? それが本当ならば、稀代の妄想狂と笑うところだ」

 返事があった事に驚きつつ、わざと挑発的に言ってみる龍麻。身体の硬直はややほぐれ、腹腔に【陽気】を収束させ始める。

「あのような者たちが、言葉に表せばそうなる。しかしそれは、俺が成すのではない。ヒトが、己自身の手で成す」

「何…!?」

 【神威】をそそのかし、【鬼道衆】を操り、恐らくは軍産複合体の陰でも暗躍していたであろう者が、このような言い訳を?

 否、言い訳ではない。この男は真実を語っている。他の者ならばいざ知らず、世界中で犯罪者やテロリストと戦ってきた龍麻には、この男の語る真実が判る。

「この世を、人自身が地獄に変えると言うのか? それが真実だとしても、今までの事件が全て貴殿の策略ならば、貴殿はそれを煽る側として動いていると判断する」

「いかにも、全ては俺の策略。されど、俺が成せる事など微々たるもの。大局を変えるには至らぬ。ただ、座視する事などできぬ故、地獄でもなお戦い抜ける修羅を育てる為に足掻いている」

「…ッッ」

 最終的な【敵】と目される男の、不可解な言動。この男〜柳生の言い方では、世界が【ヒト】の手によって地獄に変わるという事が必然で、それを止める事ができぬが故に、敢えて闘争を煽る事で強い【修羅】を鍛え上げようとしている事になる。【敵】の言う事に惑わされない龍麻ではあるが、この言い回しは違和感があり過ぎた。そして――似ている。【力】に悩みつつ、前に進もうとしている自分達と。

 鯉口の切れる音が、龍麻の思考を中断させた。すらりと引き抜かれた刀が頼りない太陽の光を跳ね返し、龍麻の顔を照らす。

「さあ、構えるが良い。我が闘争における最大の障壁、【黄龍の器】、時代の棟梁となるべき者よ。本来ならば貴様をこそ修羅の頭目に据えるつもりであったが、貴様の柔弱な思想は強き者にさえ弱きを護るという枷を課し、全てを滅ぼす故に打ち倒さねばならぬ。そして俺は貴様にとって、全ての闘争の黒幕にして、親の仇。戦う理由も、退けぬ理由も共にある。これは、必然だ」

 静謐な表情のまま、緩やかに正眼に構えられる刀。――その恐ろしいまでの迫力! 恐ろしいのは刃そのものではなく、死の予感、苦痛の恐怖すら度外視させ、自らその刃に斬られてみたいと思わせる、圧倒的な死の誘惑であった。この男――真の達人だ。

 刃を見ていては殺られる! 一瞬たりとも相手から目を離してはならぬ状況だが、龍麻は敢えて視覚を捨てた。目を閉じてなお、巨大な存在の姿形、構えが手に取るように判るが、自ら生み出していた恐怖は消え去り、この男に向かい合う気力が充実する。――殺るか殺られるか、ではない。乾坤一擲――最上にして最良の一撃を、確実にこの男に打ち込む。外した後の事など考えない。勝利への意志、死の恐怖、怒り、憎しみ、憂い…それらに類似しあるいは付随するありとあらゆる感情は邪念。そうでなければ、そうしなければ、この男には――

「…未熟」

 静かな侮蔑――否、無条件で受け入れてしまえるような声音での指摘。それが聞こえた瞬間、龍麻は最大出力の【秘拳・鳳凰】を放っていた。かつて最強の攻撃ヘリ【アパッチ】を撃墜し、先日は陰陽師の造り出した結界を力技で打ち破った、龍麻最大の奥技。光り輝く鳳凰が男を直撃し――

「ッッ!」

 予想はしていた。いや、そうなる事が必然であった。だからこそ龍麻も地を蹴っていたのだ。最大の奥技を見せ技にして、渾身の前空転踵落としを叩き込む為に。計算外だったのは、柳生が軽く差し出した切っ先のみで鳳凰を切り裂き、充分すぎる態勢で龍麻の攻撃を待ち構えた事であった。



 ――ピッ…!



 胸板に走る朱線! ケプラー・アラミド繊維の複合素材から成る戦闘服も、チタンプレートの追加装甲も一撃で切り裂かれ、正確に深さ一ミリの斬線を刻まれる。

「破ッ!」

 空を切った踵が地を叩くと同時に、バックハンドの孤拳! 剣道の太刀筋にも似た対角線の攻撃! 龍麻のそれならば直接打撃をかわそうとも、拳の延長線上を真空把が襲う!



 ――ピッ…!



 手首から飛ぶ、少量の血潮。構わず龍麻は踏み込み、左右の【掌打】から下段、中断の前蹴り、【円空破】、【掌底・発剄】、【螺旋掌】――更には【八雲】へと繋ぐ。空を裂き大地を割り、人型の暴風とでも呼ぶべき全ての攻撃がことごとく空を切り――繰り出した攻撃の数だけ、龍麻の肉体には斬線が刻まれた。それも取るに足らない、舐めておけば治る程度の傷。

「――遊んでいるのかッ!?」

 一旦間合いを取り、唸るように問う龍麻。全身を冷えた汗が覆い、気力が萎えて行くのを止められない。得体の知れぬ相手ゆえに手数こそ控えたものの、攻撃には一切の手加減を捨てていたのだ。相手が九角天童や響豹馬であろうとも倒しきる――殺しきるつもりで。それが全部かわされ、逆に手加減までされたのである。柳生がその気であれば、龍麻の胴は分断され、手足は全て失われているところだ。

「その言葉はお前に返そう。――それが全力であるなら、今のお前は弦麻の足元にも及ばん。己の力となるならば毒でも喰らい、怒りや憎しみに身を浸す事も厭わぬ弦麻には」

「ッッ!」

「見込みがない訳ではない。しかし、刻が満ちるまであと僅か。お前は、間に合わなかったのだな」

「…何の話だ?」

 束の間見せた逡巡は、龍麻の質問に答えるか否か決めかねたのであろう。柳生は軽く左手を上げ、横薙ぎに払った。

「――ッッ!?」

 周囲の光景が正に一変する。寒風吹き荒れる荒涼とした大地が、世界中を飛び回ってきた龍麻でさえ見た事のない、未来的なビル群が構成する巨大な街に変化したのだ。空には小さな太陽が輝き、しかしそれが僅かに歪んで見えるのは、ビルそのものが柱となって支えている透明なドームの為であり、それが太陽の光と熱を増幅して空気に温みをもたらしているのだと知れた。行き交う人々は男女共に非常に整った顔立ちで、例外なく身体にフィットするツナギのような服を纏い、その上に思い思いのジャケットやシャツ、ジャンバーなどを羽織っている。向かう方角によって左右に分かれた歩道を整然と歩きながらも表情は柔和で、時々談笑する声も上がる事から、自由な気風と保たれた秩序の同居する、極めて高い文化水準を持つ街だと解る。明らかに公園と解る場所では老人が鮮やかな金属光沢のある赤い鳩に餌をやり、子供たちがボール遊びをし、地上から数センチ浮いている乳母車を押した若い女性〜母親たちだろう〜が井戸端会議をしていた。

「…何だ、これは? なぜこんなものを見せる?」

 歩行者が自分を無視し、更に突き抜けた事で、これが立体映像的なものだと理解する龍麻。そしてここの人間はどこか、何かが違っている。肉体そのものは人間と酷似しているが、自分たちとは違うという印象が拭えない。そう思っていたら、来た。正面から歩いてきたスキンヘッドの少年が謎を解いた。彼の額には小さな突起…角が生えていたのであった。

「鬼!?」

 角のある人間…それは日本で【鬼】と呼称されるものの姿だ。良く見れば男性には一本、女性には二本の角が、形状、長さ、生えている位置もそれぞれにある。ここは――【鬼】の住む街なのか!?

 その光景は、突如として切り替わった。

 破壊された街並みと、吹き上がる炎。【鬼】…人々が逃げ惑い。それを追って黒い…ナメクジのようなナマコのような、蛭のような生き物が無数に跳ね回っている。そして空には、馬のような顔をした、鳥のような生き物…。

「【シャンタク・バード】!? それにあれはショ…!」

 龍麻の言葉を遮ったのは、悲痛な女性の悲鳴だった。火が付いたように泣きじゃくる赤子を抱えた、若い母親の悲鳴であった。そのすぐ背後に迫る【シャンタク・バード】!

「ぬうっ!」

 これが夢か幻か――そんな事はどうでも良かった。龍麻はロングレンジの【掌底・発剄】を放った。【気】の光弾が【シャンタク・バード】を捉え――爆発四散する。

「なっ…!?」

 さすがに驚愕する龍麻。しかし謎はすぐに解けた。龍麻のすぐ脇に戦車のようなものが降り立ち、その砲口が【シャンタク・バード】を照準していたのである。そしてハッチから顔を出す、装甲服に身を固めた戦士たち――

「【ガンボーイ】!? それにあれは、ストライダーのMFFS!?」

 細部のデザインや武装は遥かに進んでいても、それは龍麻が京都で遭遇した、IFAFの妖魔ハンター、【ザ・パンサー】のチームが使っていた戦車や、その装備と酷似していた。姿を見せたのは六人だが、それぞれ分担が決まっているらしく、前衛隊員二人と衛生兵一人が母親に駆け寄り、指揮官は戦車の上で戦況を見、その脇で重装甲の隊員と、スナイパー・ライフルを持った後方支援隊員がサポートしている。

『大丈夫かい?』

 前衛隊員の一人がそう言った。――言葉そのものは解らなかったのだが、龍麻にはそのように聞こえた。知らない筈の言語が、理解できる!?

『応急処置を急げ。この辺りはこの人たちで最後だ』

『確かか?』

『残っているのは、奴らの反応だけだ』

 その【奴ら】が、彼ら一同を見つけたのか、大挙して押し寄せてくる。

『へっ。だったら、遠慮なく大暴れしてやるぜ』

 赤子の頭を優しく撫でてから立ち上がった戦士は、背中の剣を抜いて一振りした。すると剣が青白い輝きを纏い、SF映画に出てくるような光の剣となった。更に彼の装甲服が電磁波の触手を空中に飛ばすと、虚空から追加装甲が出現して装着され、進んだ科学で未来的にアレンジした中世騎士のような姿に変わる。

『――そんな暇はない。先頭の一群を片付けたら離脱する』

 もう一人の前衛隊員がずい、と前に出て、両腕をクロスさせる。空手の【息吹】!? 否、そうではなかった。その男だけやけに武装が薄いと見えたのは、正にこれが理由であったのだ。男の全身が青白いオーラに包まれるや巨大化し――

「これは…【変生】ッ!?」

 この現象、そして変身した姿には見覚えがあった。使う【気】の性質こそ【陰気】と【陽気】の違いこそあれ、この変身は九角が使った【変生】であり、変身後の姿は龍山邸で戦った、復活後の九角が【変生】した武者姿の【鬼】に似ていた。ただしこちらの方がより未来的なデザインと洗練された武装をし、ある意味特撮の巨人型ヒーローに近い印象がある。何しろ――左拳を腰に添え、右開掌を胸前に据える構えを取るや、額の角から光線が発せられ、その一薙ぎで【シャンタク・バード】とナメクジ型妖魔の群れがまとめて消し飛んだのである。

 龍麻が訳も解らず呆然としていると、またもや光景が切り替わった。――広大な滑走路と、そこに居並ぶ巨大な航空機…否、宇宙船。それらが次々に飛び立ち、天を覆う影…左右を見渡しても果てが見えぬほど巨大な船へと吸い込まれていく。

『これが最後の便だ! 急げ! 【イレイザー】が起動するぞ!』

 シャトルからの怒鳴り声が聞こえ、辛うじて列を作っていた人々ももはや待ち切れず、シャトルの入り口に殺到する。

『荷物は全部捨てろ! 子供と女は中へ! タマァ付いてる奴はノーマル・ギアを着用して外殻に張り付け!』

 撤退…と言うより、この惑星の放棄を遂行中なのだと、龍麻は理解した。我知らず足が震え、握った拳に力が込もる。

 ――知らない筈の光景なのに、なぜか知っていると思えるのだ。こんな光景を見た事が、体験した事があると。

 やがて全員がシャトルに搭乗…男たちは船外に鈴なりにして、シャトルが宙に浮き上がる。船体を反重力で包む推進装置を使用しているので、船外にしがみ付いている者達は風圧の影響を受けずに済むのだ。

「来るな…! やめろ…!」

 龍麻は歯を軋らせて唸った。この後の光景が解ったのだ。そう…自分が、知っている光景として。

「来るなァァ――ッッ!!」

 龍麻が怒鳴った途端、滑走路を突き破って巨大な…超巨大な触手が出現した。

 地中から這い出した妖魔の、巨大と言うにも程があるスケール! 不快なほどに濁った黄色の壁にしか見えぬそれを【触手】と理解したのは、【それ】の全体像を資料として見た事があった為だ。細いものでも直径一キロはあろうかという触手はそれぞれが大地をしっかりと捉え、【頭】と【胴】と思しき部分を立ち上がらせる。龍麻にとって幸運な事に、そいつの【顔】は雲の彼方に埋没してしまい、見る事は叶わなかった。

 膨大な質量体の出現により大気が乱れ、反重力場の中にいてもシャトルが大きく揺れる。船外に張り付いている者たちも振り落とされ、命綱であるワイヤーに必死でしがみ付かねばならなかった。

『クソッ! 化け物め!』

『まずいぞ! 奴め! XXXXを墜とすつもりだ!』

 既に天高くにあるシャトルの会話と情景が、龍麻には手に取るように解る。船名は理解できなかったが、妖魔の狙いは上空にある【超小型移民船】だ。龍麻のいる地上から見えている部分〜数十本もの触手が天に向けられ、次の瞬間には音の壁を破って伸びた。退避中だったシャトルが何隻か巻き込まれて空中爆発し、【移民船】にも数十に及ぶ爆発が起こる。しかし――反撃できない。元は遊撃戦用コルベット級駆逐艦に、急襲揚陸艦二隻を突貫工事で合体させた【移民船】である。避難民の居住スペース確保の為にミサイルその他実包系弾薬は大部分を投棄せざるを得ず、主砲や副砲は勿論、エネルギー兵器系列の固定武装も、この後の航海の為に温存せねばならず、無駄撃ちはできない。

 この後だ…龍麻はそう思った。この後、一人の男が――

 一人の男が、シャトルの窓にヘルメットを押し付けた。その向こうには【仲間】の女性の顔がある。何を悟ったものか、必死の表情。

 龍麻の口が動いた。――後は頼んだぞ。

『後は頼んだぞ。その子を、強い子に育ててくれ』

 それは、テレパシーと呼ばれる能力。その言葉は確かに伝わった。女性は半狂乱で窓を叩いたが、男は笑みを浮かべて敬礼し――命綱であるワイヤーをカットした。

『なっ、何しやがる!』

 【仲間】が叫ぶ。荷物を捨てろと命令されながら、【命の次に大事】と称するサイコセイバーを背負ったままだった、男の【相棒】であった。

『――後は任せたぞ! 俺達の一族を! 未来を頼む!』

『ば、馬鹿ヤロウ! テメエ一人で行かせるか!』

 【相棒】もまた、ワイヤーを切ろうとしたのだが、それを止める豪腕。それも左右から一本づつ。動けない!

『畜生! 放せXXX! 行かせてくれ! 隊長ォッ!』

『駄目だXXX! お前まで死なせる訳にはいかん!』

『頼むXXX! 聞き分けてくれ!』

 既に男は豆粒よりも更に小さくなり――突如、雲を吹き飛ばして光り輝く巨竜…ドラゴンが出現した。男はこの惑星の守護精霊…惑星そのものが持つ霊的要素の具現者であった。即ち――【大地の力を受け継ぎし者】。この惑星で最も尊敬され、憧れを集め、賞賛され…この戦いが始まってからは最も憎まれ、蔑まれ、疎まれた存在…。

 シャトルの高度が上がり、惑星の全景が見渡せるほどになる。しかし雲の下で激しい戦いが行われている事は、この高度からでさえ確認できた。小さな光の瞬き…数千万単位の住人がいる街でさえ消し飛ばす熱量を持つ爆発がいくつも同時発生し、地表に恐ろしいキノコ雲を生やしていく。――【敵】の援軍が到着したのだ。たった一人で残った【彼】を倒すために、地表に降りた全ての【敵】が集結している。否、元々、【敵】の標的は彼一人で、他の人々は現地調達可能な餌に過ぎなかったのだ。

 シャトルが【移民船】に吸い込まれるなり、地上に残った【彼】の【相棒】は真っ先に窓に駆け寄った。【彼】を知る【仲間】達も窓辺に群がり、悲痛な視線を故郷たる惑星と、その表面できらめく戦いの閃光に送る。しかし…残酷に響く艦内放送は…

『【イレイザー】起動まで残りXX。再度、遮光フィルターの作動を確認せよ。総員、対ショック、対閃光防御を徹底せよ』

「――畜生! 畜生! 畜生ォッ!」

 シャッターが下ろされてしまった窓を殴り、絶叫する【相棒】。しかし館内のモニターが惑星の様子を映し出したので顔を上げる。限界まで遮光度を上げている為に解り難いが、小さな光の点滅が、まだ【彼】が戦っている事を告げている。

 ――最後まで戦うつもりだ。可能な限り、多くの敵を引き付けるべく。

 それも、艦内放送がこう告げるまでだった。

『【イレイザー】起動。XXX後に衝撃波到達。総員、衝撃に備えよ』

 直後、惑星が七色の色彩に包まれた。

 美しくとも、【死】以外の意味を持たない光。次元を隔てた妖魔の生命力さえも削り取る、生命原理を否定する悪魔の作り出した最終兵器。極点から発した光は惑星表面を嘗め尽くし、全てを混沌とした色彩の渦へと変えて行った。そこに巨大な…惑星の五分の一ほどにも到達する妖魔が立ち上がり、明らかに【苦痛】と解る吠え声を上げ、無数の触手を振り回しながら倒れて行った。更に、その正面では…

「XXXッ!」

 【彼】の【妻】が叫ぶ。妖魔のスケールには遥かに及ばないが、無数の触手によって串刺しにされた光のドラゴンが、妖魔の首筋に喰らい付いている様が見えたのであった。そして妖魔も、光のドラゴンも、全てが細かい塵と化して混沌の渦に飲み込まれ、なお一層激しく渦巻いた後、唐突に宇宙的スケールで静寂が訪れた。光が収まった後に残った故郷たる星は、生命の全てを失った、赤く荒れ果てた岩の塊と成り果てていた。

「あああ…」

 【仲間】のスナイパーがヘルメットを取り落とし、その場にへたり込む。【仲間】内では男呼ばわりされているが、【彼女】は無防備に泣いた。それに触発され、泣き声、怒号、嗚咽、咆哮、絶叫…ありとあらゆる感情が爆発し、シャトルの発着場を埋め尽くした。掛け替えのない多くの同胞を、故郷を、【仲間】を失った慟哭が響き渡り…

『敵残存勢力接近中! XXX後に射程圏内に突入! 戦闘員は戦闘配置に付け! 繰り返す! 戦闘可能な戦闘員は戦闘配置に付け!』

 【相棒】がバン! と床を殴って立ち上がった。

「ヤロウだけ先に逝かせるかよ! ――ブリッジ! 【ヴァリアブル・ギア】はあるか!?」

『――先程の攻撃で格納庫に損傷を受けました。現在被害状況を確認中です。――XXX隊長以下XXX中隊各員は至急、ブリッジにお越しください!』

「そんな暇あるか! 使える【ヴァリアブル・ギア】をカタパルトに廻せ! 俺が出撃…!」

 血気逸る【相棒】の肩に、【隊長】の手が置かれる。【相棒】は【隊長】を睨み付けたが、その深い眼差しに反抗する気力を消されてしまう。

「我々はブリッジに向かう。――XXX中隊集合! 他の者は使用可能な砲台にて敵の迎撃準備!」

 素早く命令を下し、部下を引き連れてブリッジに赴く【隊長】。【超小型】と言えども、生身で普通に歩けば半日はかかる距離だが、重力レベラー使用のエレベータは一同をあっと言う間にブリッジまで導いた。

「うっ…!」

「ああ…!」

 途端に、【相棒】とスナイパーが呻き声を上げる。バトルアーマー・フォーメーションを取っている為に隔壁で閉ざされているが、ブリッジにも生々しい破壊の痕が刻まれていたのだ。ブリッジ・オペレータの大半が重傷を負い、【艦長】もまた、腹部に致命傷を受け、右目と左腕をも失っていた。

「…来たか、XXX。――見ての通り、戦況は芳しくない」

 気骨の老将軍は、常と変わらぬゆったりとした口調で言った。衛生兵が駆け寄ったが、片手を上げて治癒術の使用を制する。もはや、無駄なのだ。

「通常航行に支障はないが、ディメイジョン・ドライブ・システムを損傷し、艦隊に付いて行けん…と言うより、既に艦隊はこの宙域より離脱した。主砲は射撃管制システムを破壊されて使用不可。副砲は使用可能だが、自動照準装置を破損している。そして私自身もこのザマだ」

「……」

「――XXX。貴君を、XXX艦長として全権を委譲する」

「ッッ!」

 スナイパーと衛生兵が息を呑む。【相棒】と重装甲兵は固く拳を握り締めた。

「私の自慢の兵士…息子たちよ。戦うか、退くか、全てを若きお前たちに託す。――無責任と笑われような。しかし私に、もはや飛び立つ翼はない」

「いいえ。――全権委譲、受諾します。ただ今よりXXXはXXX艦長として着任いたします」

「よろしい。承認する」

 ふう、と息を吐き、敬礼する【元】艦長。しかしその手は…ぱたりと落ちた。衛生兵が素早くその手を取り…肩を震わせて俯く。

「…偉大なる戦士、我らがXXX【元】艦長に、敬礼!」

 【新】艦長の言葉を受け、【相棒】その他、XXX中隊の面々が涙を流しながら敬礼する。ここでまた一人、掛け替えのない者を失ったのだ。

 その時通信機が鳴り、ブリッジのメインモニターに、青白い顔をした男が映し出された。健康を害しているのではなく、血液の色が青い為にそのように見えるのだ。

『…歴戦の戦士の死に弔辞を。新たなる艦長の誕生に祝辞を述べる。――久しぶりだな、我が宿敵にして、我が最大の友、XXXよ』

「ああ、久しいな、XXX将軍。しかし、思い出話に花を咲かせる時間はないようだ。貴艦も早急に退避せねば艦隊より脱落するぞ」

『やはり、ディメイジョン・ドライブ・システムを破損していたか。――貴様がどうするつもりなのか、手に取るように解るぞ』

「ならば話は早い。――こちらの一般市民を助けてもらいたい」

『そして貴様は残り、彼奴らの残存部隊を引き付ける囮となるか? ――愚かな事をと笑わせろ。貴様らを見捨てた卑怯者どもの為に、そこまでする価値などあるものか。そして私は、友と肩を並べて戦う為に来た。同盟を語りながら、同胞を見捨てた者たちとは違う』

「それこそナンセンスだ。貴様の双肩には、貴様自身と部下たちのみならず、XXX帝国全ての人々の未来が掛かっているのだ。ここで貴様を死なせては、俺は帝国の人々に向ける顔がない」

『我が帝国の民は、戦士の心を理解しているぞ』

「では、友として頼みを聞いて欲しい。一般市民と、負傷者の救助だ。この艦の戦士たちにも退避を勧告するが、それは敵前逃亡ではない。それを理解できる貴様に、我が部下を預けたい」

『…貴様の部下が、それを素直に聞くとは思えんが?』

「聞かせるさ。――我々を未来に繋ぐ、栄えある任務だ。誇りを持って臨ませるさ」

 僅かな沈黙の時間。将軍は、薄く笑みを浮かべた。

『やはり、貴様こそは我が宿敵、我が最大の友だ。他ならぬ友の頼み、引き受けよう。しかし、援護をするなとは言わせん』

「ああ。解っている。――感謝するぞ、XXX」

 そして、モニターが切れた。【新】艦長はマイクを取り、全艦に向けて発信した。

『こちらXXX中隊隊長、XXX。たった今、XXX艦長が亡くなられ、私が全権を委譲された。そして本艦はディメイジョン・ドライブ・システムを破損し、脱落艦となる事が決定した。――新艦長より最初の命令を下す。総員、退艦せよ。繰り返す。総員、一般市民を避難誘導、そのまま護衛任務に付き、退艦せよ。退避先は同盟軍、XXX将軍の旗艦、XXXだ。到着後、XXX将軍の指揮下に入れ』

 総員退艦のサイレンが鳴り響き、艦内が喧騒に包まれる。まだ市民を下ろしていないシャトルはそのまま発進して行くが、戦闘員には困惑と動揺が広がっているのがモニター越しでも解った。

「お前たちも行け。こんな所で死ぬ事は許さん」

 【相棒】は肩をすくめ、重装甲兵は腕を組んだ。

「そういう命令をされて、はいそうですかと従う俺達ですか? 水臭いこと言わないでくださいよ、隊長。いいえ、艦長殿」

「我々も、ただで死ぬつもりはありませんよ。しかし、犬死するつもりもない。隊長…艦長殿は御自身の命だけならばいかようにも使いましょうが、我々の命まで預けられたならばどうするか? ぜひ、驚かされたいものです」

 その言葉を受け、スナイパーも涙を拭き、笑顔を見せる。

「そうですよ。私たち、隊長に付いて来たから、ここまで生き延びてこられたんです。また、隊長におんぶさせてください」

「お前たち…」

 苦虫を噛み潰したような顔で、新艦長。しかし衛生兵が、モニターからの音声をスピーカーに繋いだ。

『XXX小隊。全員、お供します!』

『XXX中隊、残留志願者五七名! 承認願います!』

『XXX大隊所属、XXX! 女房と子供は逃がしました。俺は残ります!』

『XXX分隊、XXXです! もうとっくに捨てた命だ! 今更惜しみませんよ!』

 口々に飛び交う、残留志願の宣言。モニターには志願者数のカウンターが表示され、既に三千人を突破している。新艦長が戸惑っている間にもカウンターは回り続け、遂に四千を越えたところで停止した。

「残留志願人員、四〇九六人です。その他市民、戦闘員は全員退避完了。――さあ、艦長殿。ご命令を」

「…XXX。お前が残るのは許さん。直ちにこの艦より退去…」

「その命令は拒否します」

「…あっさり切り返してくれるな、お前は」

「はい。――あの人も同じだと思いますわ。XXX将軍は歴戦の勇士。あの方に付いて行けば命は助かるでしょう。しかし、その後は? 同盟軍が私たちを温かく迎え入れるでしょうか? 故郷を灰塵と化して【奴ら】を阻止したと賞賛するでしょうか? 私はそうは思いません。XXX将軍やXXX中将ならばいかなる誹謗中傷からも守ってくださるでしょうが、私たちも戦士です。己の生き様と死に場所は自分で決めたいと思います。そして今は、生き残る為に、艦長に付いて行く事を決断します。さあ、ご命令を」

 新艦長は天を仰ぎ、片手で顔を覆った。本気で呆れた時の、彼の癖だ。

「まったくお前という奴は…。いつの間にそれほど強くなった? やはり、その子の為か? もはや一人身ではないのだぞ?」

 衛生兵は、片手をお腹に当てた。まだ見た目は何の変化もないが、その奥には新たな命が宿っているのだ。

「承知していますわ。だからこそ申し上げているのです。――よろしくお願いします。艦長殿」

「……ああ! 解った解った! この反抗期の餓鬼みたいな親不孝者どもが! そんなに死に場所が欲しければ、勝手に付いて来い!」

 わあっと上がる歓声。――覚悟を決めた戦士たちの、歓喜の雄叫びだ。

「XXX【元】艦長のご遺体を丁重にお送りしろ! 総員、各ブロックに分散し、艦隊打撃戦用意! XXX中隊! ブリッジにて戦闘配置! XXX! お前が射撃管制に就け!」

 XXX中隊はオールマイティーに作戦遂行が出来るように訓練された精鋭部隊だ。各々、これと決めた部署に身を置く。しかし、【相棒】他、近接戦闘員十人ほどがあぶれる。

「隊長…艦長、俺達は!?」

「【ヴァリアブル・ギア】は全機破損して修復中だ。お前たちの出番はない。その辺に座っていろ」

「チェッ、そりゃないぜ、艦長」

「文句があるなら、後部砲塔で射撃手を務めろ。人手は多いほど良い」

「後部砲塔で? ――了解! 直ちに向かいます! オイッ、行こうぜ!」

 早くも艦長の策ありを見抜き、【相棒】は仲間たちを伴ってブリッジから走り出て行った。そして艦長は全艦に聞こえるようにマイクに向かって怒鳴った。

「本艦はただ今より敵残存勢力との戦闘に入る! 各員奮闘せよ!」

 その時、モニターに再びXXX将軍の顔が映った。

『一般市民と戦士たちの収容が完了した。援護射撃をXXX行った後、この宙域より離脱する。――参考までに聞いておこう。この後、どうするつもりだ?』

「ああ。これより本艦は、第三惑星へと進路を取る」

 これにはモニター内のXXX将軍はおろか、ブリッジ内のXXX隊員の顔にも驚きが現れる。

『第三惑星…彼奴の幽閉されている、言わば本拠地だぞ』

「ならばこそだ。我々を滅ぼそうとすれば、第三惑星にも手を出さねばならなくなる。彼奴とてそれは望むまい。――我々にとっても流刑地ではあるが、我々が生存可能な惑星は他にない。まずは第三惑星を目指し、後はどうとでもするさ」

『…解った。全くお前には驚かされる。――死ぬなよ、我が友。そして、その部下たちよ。いつの日か再び、お前たちと肩を並べる事を願う』

 XXX将軍の艦が離れ、攻撃態勢を取る。一方のXXXは艦首を一二〇度回頭し、エンジンに点火した。

「XXX全艦に告ぐ! XXXの援護射撃後、最大戦速にて撤退戦を行う!」

 XXXから、援護射撃としては多過ぎるであろう、二万四千発のミサイルが発射される。直後に発光信号のきらめき。内容は『貴艦の幸運を祈る』。そしてXXXは光に包まれ、超空間航行に移った。瞬時に視界から消え去る。

「XXX! 全速前進! 進路! XXX星系第三惑星!」

 過激なまでの援護射撃をかいくぐった【敵】の追撃機が、XXXに喰らいつかんと肉迫する。飛翔を目的とするには不合理と見え、宇宙と言う大海を【泳ぐ】には理想的な形状を備えた【敵】。XXXの砲が闇色の宇宙空間に青いレーザー光を走らせ、爆発光が闇を圧する。壮絶な逃避行の始まりであった。

 そしてブリッジのメインモニターには、遠く、龍麻の知識にもある惑星に良く似た、青い星が映っていた。

















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