
第弐拾話 龍脈 3
そこはいつもの見慣れた光景、見慣れた場所である筈だった。
桜舞い散る中、妖刀を持った殺人鬼と戦ったのもここだ。鬼道五人衆の一人岩角が率いる鬼道衆忍軍と戦ったのもここだ。修学旅行の前日、龍麻が寝袋に突っ込まれて吊るされたのもここである。
だが、全てが見慣れた光景であるにも関わらず、そこは彼らの知らない中央公園であった。
空には赤い暗雲が渦を巻いているし、噴水やベンチ、街灯を朧に霞ませているのは、禍々しい赤い霧であった。一息吸い込む度に身体の中から血色に染められて行くような、耐え難い不快感が込み上げてくる。
「…ヤバいで、これは…」
周囲に鋭く【気】の触手を飛ばしつつ、劉が呟いた。
「…どういう事だよ、劉?」
御門たち三名プラス高見沢を除くフルメンバーが揃っているので、全方位警戒に隙はない。そう思いつつも気力の萎えが激しい事を感じ取り、京一の声にはふざけた調子は一切ない。
「【あの時】と同じや…。――この霧は【蚩尤旗】言うてな、これは今でこそ天の魔星の別名やねんけど、その昔、中国の始祖黄帝が命懸けで倒した怪物、蚩尤が出現する時に纏っていたと言われるんがこの霧や。――恐らくこれから出て来る敵は、皆がこれまで戦ったどんな敵よりも強い筈やで」
「――油断は禁物。そういう事ね。――それじゃ今の内に…雛乃さん、さやかちゃん」
劉の言う【あの時】とやらに興味が湧かぬでもないが、今はその時ではない。総合支援班長である葵が防御術の発動を支援班に促す。対物理攻撃術に昂精神術、攻撃力アップの術を、近接戦闘班から順に掛けて行く。
そしてそれは、空間そのものから染み出すように出現した。
「――オイオイ。今更、タチ悪いんじゃねェか」
軽口と共に、木刀を正眼に構える京一。――鬼道衆との戦いを経験している者は、一様に彼と同じ感想を抱いていた。青黒い、筋骨隆々たる肉体に、鋭い牙と爪、そして――角。既に縁遠くなって久しい、鬼がそこに現れたのである。しかし――
「――総員、デルタ・フォーメーション。アタック・コンビネーション・F(ファランクス)。遠距離攻撃班、攻撃準備」
龍麻が命令を下し、即座に反応する京一と醍醐。後方支援の小蒔、葵も同様だ。それを訝しく思った雨紋たちも身体だけは素早く反応し、守りの形であるデルタ・フォーメーションを形作る。
「――手強いかい、醍醐サン?」
そいつらが姿を現した瞬間から、京一の木刀には【気】が漲り、醍醐の顔や拳に【白虎変】の兆候が現れている。【真神愚連隊】でもトップクラスにいる者たちを、戦う前からこのような状態にさせたのだ。雨紋たちに僅かな緊張と、生き延びる為に持っていた方が良いレベルの恐怖、そして多大な闘志が湧き起こる。
「ああ、恐らくな。この気配…京都で戦った奴らと似ている。――どうだ? 龍麻」
次々に産み落とされる鬼を見据えながら醍醐が聞く。数は…見える範囲で既に三〇を越えてなお増殖中。龍麻は肯き、ハードボーラーを抜いた。
――ドゴォン!
「ッッ!」
誰もが目を見張る。身長二三〇から二五〇センチ、体重二〇〇キロはあろうかという鬼が、龍麻の銃撃をかわしたのである。それも、訓練された兵士のような身のこなしで。
――ドゴォン! ドゴォン! ドゴォン! ドゴォン!
追撃の45ACPを四連射! かわす方向も見越して放たれた【牛殺し】が全て一体の鬼の眉間に集中し――
「…グモォォォォッッ!」
着弾のショックでぐらつき、頭骨が爆ぜ割れたものの、脳味噌らしきものを露出させながら鬼が唸り声を上げた。生物にとって絶対の急所である頭部――それがこの鬼には当て嵌まらない!?
「――今までの奴らとは、別物だ」
龍麻の手がショットガンを抜く。弾丸は道路封鎖用、一二ゲージ・スラッグ弾!
――ドッゴォン!! ドッゴォン!!
ベンツのドアすら一発で撃ち抜くスラッグ弾を二発! 鬼の頭部は爆発四散し、誰もが【今度こそ】と思った。しかし鬼は頭部を完全に失いながらも、その傷口から汚らしい極彩色の触手を生やして出鱈目に振り回し、並木や街灯の支柱をへし折り、アスファルトをえぐるなど、尋常でない暴れっぷりを見せる。しかしもう一発、剥き出しになった触手の根元にある球根のような肉腫のようなものに弾丸を撃ち込むと、たっぷり三十秒は暴れてからその場に崩れ落ちた。
「――単純物理攻撃は見ての通りだ。近接戦闘員は絶対に一人で対処するな。接敵を避け、発剄、気術を中心に中距離戦闘を心がけ、同時加重攻撃で一体づつ確実に仕留めろ。――醍醐! 敵のフォーメーションを崩せ!」
「――遠距離攻撃班! 攻撃用意!」
醍醐の号令で弓に矢を番える小蒔に雛乃、M16A2をH&K・G3ライフルに持ち替えて初弾を装填するアラン。その後列では術を行使する為の【気】を高め始める裏密、マリィ、さやか。そして…【敵】との【実戦】には初参加となるコスモレンジャーが彼らの更に後方に展開する。
「第一射、コスモレンジャー! 敵中央部に雷撃風撃! 撃て(――ッ!」
「イエッサー!」
攻撃の先手を勤めるコスモレンジャー! 本郷桃香ことコスモピンクが雷神風神の【力】を込めた珠をトスし、高校野球界期待の豪スラッガー紅井猛ことコスモレッドのフルスイングと、高校サッカー界の麒麟児黒崎隼人ことコスモブラックのキックが、それらを敵陣の奥深くまで叩き込む。群れではなく、平原におけるV字型進撃隊形を成して迫る鬼どもの布陣の中央で、雷撃と衝撃波が吹き荒れ、直撃を受けた者はその場に叩き伏せられ、後方にいた者は進撃を止められる。しかし、思ったより効果は薄い。――想定内だ。
「第二射! 魔術戦闘班! 撃て(――ッ!」
「一番ミサちゃ〜ん。行くよ〜」
「二番マリィ! 行っくヨー!」
「三番さやか! 撃ちます!」
いささか気の抜けそうな掛け声と共に、裏密、マリィ、さやかの術が発動し、動きの鈍ったところを地表から生えた黒い亡者に抱き付かれた鬼どもを、猛々しい爆炎が押し包む。炎の精霊サラマンダーと純生の【火気】が招いた炎の嵐は、直撃を受けた鬼を爆散させ、更に醍醐の指示でコスモレンジャーが叩き込んだ風神の珠が発した風に乗り、鬼の群れを嘗め尽くさんと荒れ狂った。
そして小蒔も、矢を番える。その目は、炎の壁を突き破って突進してくる鬼どもを映していた。
「コスモ! 弾幕を広角展開! 狙撃班! 任意に敵を狙撃開始!」
「了解! 雛乃は九時から十一時を! アランクンは一時から三時を!」
「心得ました!」
「OK! Rock‘n Rool!」
炎で身を焦がしながら走る鬼どもに突き刺さる矢と銃弾。統率の取れたラガーマンのような突進を危険と判断した小蒔たちは、【気】を纏わせた矢やライフル弾を、鬼どもの足や腿に撃ち込んだ。ダメージは大きくないが、転倒してスピードが鈍り、後続の進撃を邪魔する障害物ともなる。
遠距離戦闘班は必殺を期さず、面制圧で敵軍団の戦力を削ぎ落とす事に集中する――IFAFエージェント【ストライダー】の基本戦法を、【真神愚連隊】は完璧に習得していた。異形との戦いに於いては、まず負けない事。その為には仲間との連携を重視し、自分と仲間の安全を同時に守りつつ戦う事。無論、討罰数のカウントは後の戦術研究資料であり、それを競うなど言語道断である。
従って、中距離戦闘班長である雨紋も、体力を殺ぎ落とされた鬼どもが射程距離に達しても慌てはしなかった。それでもなお、不敵な笑みと冷や汗が顔に共存する。
「へっ。なるほどね。これだけ食らってもほとんど脱落なしってか」
パリパリと、雨紋の槍と雪乃の薙刀に【雷気】が満ちていく。その後ろでは亜里沙の鞭がヒュンと風を切り、二匹の蛇のように大地にうねった。
「出番だぜ、姐さんたち。――アウトコース高めだ」
頭部が爆ぜ割れ、手足を欠損していても、その奥で蠢く触手が鬼を動かしている。雨紋の狙いは、鬼の首筋から背骨にかけて寄生している【何か】であった。
「OK! あたしから行くよ!」
宣言と同時に、轟く炸裂音。亜里沙の鞭がサウンドバリアを突き破り、寄生体を激しく打ち据えた。思った以上に軟質な寄生体は容易く弾け、耐え難い悪臭を放つ膿汁を振り撒き、しかし大したダメージとなっていない印象を与える。それでも構わず亜里沙は鞭を振り回し、唸り飛ぶ鞭は次々に寄生体を捉え――
「――物理はイマイチ! 麻痺も目くらましもアウト! 毒は効くよ!」
「了解! だったら、焼き潰すまでさ!」
雨紋が槍を高々と掲げ、その穂先に【雷気】を集中させる。同時に雪乃も薙刀を掲げ、同じく【雷気】を収束させた。二つの得物の間に強力なスパークが生じ――
「オレから行くぜ! 【落雷閃】!」
猪突猛進と言われがちの雪乃は、様子見や小手調べなどせず、常に全力で攻撃を叩き込もうとする。しかし今回は、連携の為に出力を絞った【落雷閃】を叩き込んだ。三条の雷光が寄生体を捉え、炸裂音と共に火を噴く。
「浅いかっ!? ――雷人!」
「応ッ! 【落雷閃】!」
雪乃よりも戦闘経験が多い雨紋ゆえに、更に出力を絞った【落雷閃】が直撃すると同時に、寄生体が焼け焦げた躯と化し、鬼がばったりと倒れ伏す。更に同程度の【落雷閃】を打ち放つと、そこまで耐えてきた鬼たちがバタバタと倒れ、消滅して行った。
「――龍麻サン!」
雨紋の声に応え、龍麻が命令を下した。
「近接戦闘班! 迎撃開始! 中距離戦闘班は支援位置に! 醍醐! 遠距離戦闘班の護衛と総合指揮! 葵! 劉! 醍醐をサポート! 背面にも注意を払え!」
背後には広場がある為、攻め手に有利と見えてこちらも大技を使いやすい。その為か鬼の軍勢は立木のある散歩道側からのみ攻める構えだ。それに対してのフォーメーションF、横一列隊形だ。
「舞園と雛乃は後退して遠距離班の支援に回れ! コスモは攻撃そのまま! 裏密とマリィは任意に面制圧! 双方、飛ばし過ぎるな! 桜井とアランは遊撃隊を狙撃しろ!」
各自、【了解】の声と共にフォーメーションの変更を行い、さやかと雛乃は遠距離班に攻撃力アップと体力アップ、昂精神術をかけ直す。遠距離班の打撃力は若干落ちるが、持久力を増して効果的に面制圧を行い、そこから抜けてきたものを近接戦闘班が二人組で迎撃するスタイル。横一列隊形により、二対一の状況を四対一にも、あるいは二人同時に囮となって別の二人組が背面を攻撃する、同時荷重攻撃隊形だ。敵一体の殲滅速度を上げて確実に先頭から潰し、もし撃ち漏らしが出ても雨紋ら中距離戦闘班のサポート攻撃が撃破、牽制し、戦線を維持する。仮にそれを突破したとしても、そこに待ち受けるのは最大の防御力と一撃の重さを有する男の壁だ。これを【完全】と呼ぶ事はないが、【定石】の一つとして訓練を積んだフォーメーションである。
いかに異様な寄生体を宿し、攻撃力も耐久力も油断ならぬ鬼とは言え、この陣形に正面から挑むなど浅はかすぎた。
「破ッ! ――せいっ!」
炎や爆風に耐え、突進してきた鬼のパンチを【掌底・発頸】で撃墜、その体勢を崩し、リーチに優れる紫暮の前蹴りが突き刺さる。正確に水月をえぐった一撃は理想的なカウンターとなり、更に鬼の突進力を上方へと逃がすように蹴った為、鬼の巨体がくの字になって垂直に弾け飛ぶ。そこに狙い澄ました壬生の――
「【龍落踵】!」
この鬼の急所は寄生体そのものか、それが潜む頸椎と脊椎の境目。ただでさえ紫暮の前蹴りが生んだ衝撃波が体内を駆け巡っているところに、二段構えのカウンターとなる超絶の打撃を受けてはたまらない。寄生体がその正体を現すまでもなく、鬼が爆散する。
「――ひとつ!」
紫暮の声を受け、京一の目が光る。
「合わせろ! 諸羽!」
「はいっ! 京一先輩!」
京一の木刀の切っ先に【気】の光輝が宿り、風が渦巻く。放たれるのは――
「【剣掌・旋】!」
立ち昇る竜巻が鬼二体を呑み込み、通常ならば切り刻んで弾き飛ばすところを、二体とも磁石に引かれ合うように激突する。そこに待ち受けていたのは、光り輝く【獅子心王の剣】!
「【螺旋斬り】ィッ!」
中心へと引きずり込む渦を引き裂き、外側へと弾き出す剣尖の舞踏。鬼の猪首が切断され、その上半身までが削り取られるように消失し――
「はっ!?」
即死させたと見えながら、宙に舞った首の一つ…その目と鼻と耳から触手が伸び、クモヒトデのように触手をいっぱいに開いて霧島に飛び掛かった。霧島は咄嗟に剣を担ぎ、逆に触手の包囲網へと頭から突っ込む。触手を掻い潜ると同時に剣先で寄生体を切り裂き、前回り受け身を取った霧島の目に映ったのは、尊敬する先輩の一閃によって分断され、消滅する寄生体であった。
「みっつ! ――減点1、加点1のプラマイゼロだ」
「はいっ! ――急所は移動するようです! 気を付けて!」
霧島の発見は風のように伝達され、鬼二体を眼前にした如月も頷く。
「狙いは上半身全体か。――ならば!」
如月の手から飛んだ手裏剣が地面に突き刺さり、鬼が動きを急停止させる。――【飛水影縫】。そこに龍麻がするすると接近し、拳を引く。その時!
「!」
鬼の脇腹から飛び出す、片側五本で二列、計二十本の牙! 自在に伸縮する触手を硬化させ、不用意に接近した獲物をトラバサミのごとく噛み砕くのだ。
しかし、相手は緋勇龍麻であった。
死の顎が閉じ合わされた時、龍麻の身は空中にあった。トトッ、トンッ、と鬼の胸板を打つ、龍麻の爪先。【龍星脚】。子供でも殺せないかに見える軽い打撃は、しかし鬼の背中を爆発させ、絶大な耐久力を誇る寄生体もこれにはたまらず消し飛んだ。如月もまた、水の膜に投影した自身の影を砕かせ、無防備を晒した寄生体を十文字に切り裂いて絶命させる。
「近接用の固定武装ありだ。――醍醐! 押し切るぞ!」
「了解! コスモは炎撃用意! 舞園はマリィと、雛乃は桜井と組め! 先制は裏密! 次いで舞園、コスモ、マリィの順で炎撃開始!」
醍醐の号令で再びフォーメーションが変わり、裏密の持つ杖が高々と挙げられた。
「第一波〜。行くよ〜」
気の抜けるような声ではあっても、空間に魔方陣を描き出す魔力の強大さよ。さやかの口からも祝詞のようなハミングが紡ぎ出され、マリィの両手に炎の精霊サラマンダーが絡み付く。炎の三連撃による面制圧だ。
事件は、その時に起こった。
「ううっ…! うぐぅっ…! ウオオオォォォァァァッッ!」
「なっ!? 劉ッ!?」
【気】の扱いに優れるゆえ、背面からの攻撃を警戒させていた劉が、狂ったような声を上げて前線に飛び出して行ったのである。常に気の良い笑いを湛えている顔は怒りに満たされ、全身を包むオーラも赤紫に変色していた。
「貴様らァァァッ! ぶち殺したるわァァッッ!」
燃え盛る炎のような【気】をまとった青竜刀が振り上げられ――
―― ピタ―――ンッッッ!
突如、劉は急停止し、漫画的擬音を発して顔面から地面に張り付いた。
「遠距離攻撃班! 攻撃開始!」
何事もなかったかのように鋭く響く、龍麻の号令。一瞬遅れて裏密の術が発動し、広場を炎が包んだところにさやか、マリィが更に炎の術を重ね、とどめにコスモが炎神の珠を叩き込む。この重爆を前に残っていた鬼の大半が消し飛び、残っている鬼もサラマンダーに食い付かれて炎を噴きながらのた打ち回る。そこに小蒔と雛乃の放った矢が鬼どもを縫い止め、満を持して襲い掛かった近接班の同時加重攻撃がとどめを刺して、戦闘は終了した。
「――何すんねん! アニキ!」
数秒間、何が起こったのか解らないような顔をしていた劉であったが、自分の足に絡み付いたワイヤーを見て猛然と龍麻に噛み付いた。
「いや、先ほどのお前の様子から、恐らくこうなるであろうと思ってな」
予想的中、とばかりにぱっと日の丸扇子を広げてパタパタと振る龍麻。
「そないな事、口で言えば済む事やないか!」
「口で言っても止まらんであろうからこうした。何か問題か?」
「ッッ!」
――常に先を読み、問答無用のこのやり口。正しくこれが、緋勇龍麻という男だ。
「やめとけやめとけ。命令無視して飛び出しやがったお前が悪いんだよ、劉。それよりも今は、こいつらの事だ」
足元に転がっていた寄生体の残骸を踏み潰す京一。それは容易く潰れ、僅かな塵となって消滅した。
「そうだよッ。今更鬼なんてタチ悪いったらないよ。まさか、まだ鬼道衆が残っているのかな?」
鬼と戦った経験のある者ならば、まずそれを疑うところである。しかしそれを否定したのは、鬼道衆との激戦を生き抜いた古参メンバーではなかった。
「いや、それはないで」
怒りが空振りに終わった上、龍麻にまではぐらかされてしまった劉は、やや気難しい顔をして言った。
「皆が倒した鬼道衆ちゅう奴らは、鬼道ちゅう呪法を使って人間を鬼に変えたんや。人間の魂魄…いわゆる陰陽のバランスを保っとる部分を壊して、怨念の塊になっとる悪霊を憑かせて変異させるんやな。人の心を失ってもうたら人も肉の塊やから、あとは怨霊に相応しい、化け物の姿になるしかない」
「それが、今まで私たちが戦ってきた鬼の正体という訳ね」
「まあ、解らんでもないな。池袋の事件では、龍麻も危ないところだったしな」
龍麻自身はあの事件の事を多く語らないが、確かにあの異常な世界で龍麻は変身しかけたのだ。無数の怨霊たちが抱えていた、恨みや憎しみを糧に、魂を汚染されて。裏密と舞子、象のトンキーらの助けがなかったならば、大変な怪物となっていたかも知れない。
「そうや。せやけど、アニキらは五色不動を封印したやろ? あの結界がある限り、鬼道に使える怨霊はもう呼び込めへん。池袋の事件もあって、この東京にはそないな物騒な怨霊はほとんど残っておらんしな」
「ふ〜ん。で、お前はどうしてその事を知ってるんだ?」
さりげない口調だが、鋭い質問を浴びせる京一。
「考えてみりゃ、お前ってにぎやかで懐っこい割に、いつも俺達と距離を置いてるよな。別に無理に聞くつもりはねェんだが、さっきのアレはマジでヤベェぞ。ひーちゃんがお前にあんな真似をしたのは、お前を守る為だぜ? ――って、お前らっ、そういう目で俺を見るんじゃねェ」
いつもいつも、龍麻に【あんな真似】をされている男が言う事じゃないよな〜、という雰囲気の仲間を睨み付ける京一。しかし劉はと言えば、図星を突かれたのか、深刻な顔つきが更に昏く沈む。辛く、苦しそうに。
「黙っとった事は…済まんと思うとる。せやけど…せやけどわいは、私怨で闘うてるだけなんや。皆とは…違うんや。せやから…せやから…」
「ふむ。だから、助けて欲しいと言うのだな?」
ぎょっとして龍麻を見る劉。既に日の丸扇子は仕舞われており、ふざけている様子は一切ない。それは隣の葵や醍醐、京一たちを始め、誰もが同じであった。
「俺は、お前の事情には関知しない。一人で悩み苦しんだ末に自分の進むべき道を決めるのも、一つの生き様というものだ。しかし俺にとってお前は仲間であり、友であり、師でもある。お前に悩みがあるならば、力になりたいとも思う。願わくば、それを要らぬ節介などとは言わないでもらいたい」
「あ、アニキ…!」
別段、口調に変化はなく、表情もほとんど変わらない。しかし劉は、その大きな温もりに圧倒された。祖父に虐待されていたと聞く。軍隊で殺人マシンとして鍛えられていたと聞く。世界各地で数多の殺戮に手を染めていたと聞く。それら全てを度外視してしまえるほど――否、それがあるからこそ、より深く生命を理解し、真の優しさを知り、決して驕らぬ、自制と自戒を忘れぬ漢…。
「そやな…。元はと言えば、わいの方から振った話やもんなあ。――今からわいが話すんは、決して愉快な話やない。これを聞いてアニキ達がどんな風に思うか、わいかて怖いわ…。それでも…聞いてくれるか?」
「俺が話すに値する相手であると信頼してくれるならば、全力で応えよう」
この言葉を聞いた途端、劉は緊張なのか感動なのか、飛び跳ねる勢いで【気をつけ】をしてしまい、次いでぶわっと溢れさせてしまった涙をグシグシと擦った。
「な、なんやアニキ! そないに言われたら、わい、ホンマに泣けてまうわ! その言葉…じいちゃんに聞いた、弦麻殿の言葉そのままやないか!」
エエッ!? と一同の声が唱和する。弦麻…昨夜聞いたばかりの、龍麻の父親の名。それを、この劉の口から聞く事になろうとは。
ぐいと涙を拭い、劉は顔を上げた。
「なあ、アニキ。以前に、わいとアニキは会うてるって言ったやろ? それは十七年前の、客家の村での事なんや。アニキが日本に帰るまでの、ほんのちょっとの間やったけんど、同じゆりかごに納まってた間柄なんやで…」
十七年前の客家の村…。そこは、戦いの終焉の地、緋勇弦麻が最期を迎えた土地だ。そこに劉がいたという事は…
「するとお前も、十七年前の戦いに関わった者の関係者…子供か、孫なのか?」
醍醐の指摘に、劉はこくんと頷いた。
「ちと長うなるけど、最初から話すわ。――客家ちゅうんは、今でこそ各地にその血筋が広まっとるんやが、わいはその中でも客家封龍(の一族ちゅう、生活の全てが風水を基盤としている氏族や。大陸の【黄龍の穴】を護るちゅう、重大な使命を帯びててな。そらもう、数多の戦乱を潜り抜けてきた、剛健弘毅で誇り高い一族やで」
「…聞いた事があるわ。確か発祥が春秋戦国時代まで遡れて、村の形が八卦碑を象った集合住宅になっているのよね。それは円楼(と呼ばれていて、厳しい自然環境下で、外敵の侵入を阻み村人を団結させる村の形態だって」
「大体合っとる。その様式は一般の客家のもんにも広まっとるから各地で作られたんやけど、もともと円楼は龍脈の護りをより堅固にする為の仕組みでな。そこに生きる客家封龍の一族が、その一生を捧げる為に住宅部分を加えたものなんや」
一生を、その生涯を、龍穴の守護に捧げる…。龍麻は極端な例外として、現代日本の高校生である京一たちは、劉の一族の生き様に驚きを禁じ得ない。つい先ほど、風水がどれほど重宝され、その【力】が絶大なものであるか説明された後でもだ。
「一生を捧げるって…それじゃ劉クンも…?」
「そや。それが一族の使命、しきたりやからな。――わいのじいちゃんも、龍脈を護る者の一人として、弦麻殿や道心のじいちゃん、龍山老師らと共に、十七年前の戦いに加わったんや」
劉の声に誇りと張りがあったのは、そこまでであった。
「せやけどなあ…今残っとるんは、わい一人だけや」
酷く陰鬱で、暗い表情。重い話は…非常に重い話は誰でもこうなるだろう。
「現代ではな、一族のモンも外の世界を知るようにと積極的に旅に出とった。便利な生活に慣れて、そのまま都会に住み着いてしまったモンも多いわ。わいの姉ちゃんも学校に行って、街で医者をやっとるわ。おかげで一族の使命やしきたりを守るちゅう意識も一気に薄くなってしまったんやが…それはみんな、わいのじいちゃんが指示した事なんや。弦麻殿やその仲間たちと出会うて、外の世界の素晴らしさを悟ったじいちゃんは、これからの世代は古いしきたりを守るだけではなく、より広く見聞や知識を高めるべきやと。そして一人でも二人でもええから、今一度自分たちの使命が尊いもんやと誇れる、良き変革を成して行くべきや言うてな。だから村の子供たちは外の学校で、外の世界で使う読み書きを覚えたり、今まで知らんかったうまい料理や菓子なんかも覚えた。テレビを初めて見た時はそら驚いたわ。あんな小さな箱の中でちっちゃな人が動いとるってな」
じわり、と劉の身体から陰気が零れ出す。ここからが、最も辛い話になるのだろう。
「あの時わいは、じいちゃんに使いを頼まれて隣村に行っとった。その帰り道、村が見える峠に差し掛かった時、夜空に蚩尤旗の出現を予兆する、紅い彗星が空を渡ったんや。その直後、村が真っ赤に…!」
劉は片手を上げ、目の上に走る傷を押さえた。ぶるぶると全身を震わせ、焦点の定まらぬ眼を血走らせながら。先ほど見せた。狂気じみた顔だ。
「村に辿り着く寸前で、じいちゃんに何度も何度も聞いていた、弦麻殿が命がけで【凶星の者】を封じたという三山国王の岩戸が開いているのを見て、わいは悟ったんや。話でしか聞いておらんけんど、それはそれは恐ろしい剣鬼が復活したんやと。村の中は…酷い有様やった。村人の死体があちこちに散らばって、別の村人がそれを喰らってたんや。そして…隣に住んでいたおじさんおばさんが、わいに襲い掛かってきた。背中に…さっきの気色悪い化け物を張り付けてな…」
「……」
そんな経験を持つ劉が、その時と同じ寄生体を目にしたら、あんな風になるのも無理はないだろう。下手な同情や慰めなどができる余地はない。ここは彼の話を最後まで聞いてやるのが【仲間】というものだ。
「そこに、あいつがいた」
歯を軋らせながら、劉は一語一語、区切るように言った。
「あの真っ赤な髪…。真っ赤な服…。赤く燃える日本刀…。赤く光る目…。なんもかんもが血の色を帯びた男が、村人たちが殺し合い、食らい合う中で、静かに立っとった。あれが地獄なら、あいつは正に地獄の鬼やった。そしてあいつが刀を振り上げて…」
劉の額が血を噴く。押さえた手指が、皮膚を破ってしまったのだ。怒りと、悲しみのあまりに。
「たったの一振りやった。わいの育った村も、顔見知りの村人も、何もかもが塵と化してもうた。爆発も音もなんもない、夢を見とるようやったけど、目に見えるもの、手にとれるもんはなんもかんも、塵になって消えてしまったんや」
ポツ、ポツ、と地面に赤い滴が落ちる。額の傷からだけではなく、目尻から流れる、本物の血涙であった。
「わいは怒った。チンケな餓鬼やったけど、我を忘れてあいつに斬りかかった。わいは他の子供と違うて、じいちゃんや弦麻殿の話を仰山聞いて育っとったからな。じいちゃんや弦麻殿に憧れて、子供だてらに剣術でも巫術でも、そこらの大人には負けへん位に鍛えとった。それでもなあ…あいつには全く届かへんかった。あいつの纏ってる気配…殺気やのうて、あいつがそこにおるっていう気配だけで、わいは吹っ飛ばされて体中を切り刻まれてもうた。そしてあいつは…わいを一度も見る事なく、去って行ったんや。わいに殺す価値がなかった訳やのうて、アリンコ踏み潰した時みたいに、気付きもせんかったんや…」
「……ッッ」
一同、絶句する。龍が仲間に加わったのはごく最近だが、既に何度か一緒に訓練し、その多彩な技や洗練された【気】の扱いなど、古参メンバーでさえ唸らせる実力の持ち主であると解っている。しかも一生を龍穴の守護に捧げる一族の一人として、幼少から鍛えられていたであろう事は想像に難くないし、そこに本人の先人への憧れも加わっていたとなれば、約一年前の彼であっても相当な実力者であったろう。その彼が、存在すら認識されぬまま撃退されたとは…!
「あいつが自由を取り戻したとなれば、狙うのは必ず龍脈の【力】や。そして次に活性化する龍脈がこの日本にあると知ったわいは、言葉もろくに知らんまま、この日本に来たんや。それもこれも…復讐の為に…! あいつを…ぶっ殺す為だけに…!」
もはや抑えようもなく、劉の全身から赤紫のオーラが放出される。完全に堕ち切ってはいないものの、今にも堕ちかねないほど危ういオーラの揺らぎ。怒りに震える劉は、無防備に泣いている子供のようにも見えた。
「せやから…もう駄目や…! これ以上はアカン…! 皆と出会うて、ホンマに楽しかったわ…。でもわいは…こんなわいは皆とはおれん…! 一緒におってはならんのやっ!」
劉が龍麻らと共に一連の事件に関わったのは、池袋の事件だけである。あの時とて極めて重大な事件ではあったが、その時以来、劉は正式に【真神愚連隊】の一員に迎えられ、訓練や食事などで皆と交流を重ねてきた。しかし京一が先ほど指摘した通り、彼は常に疑問を持ち続けていたのだろう。曰く――【ここにいてもいいのか】と。
醍醐失踪の折に京一たちが目黄不動で彼と会ったように、霧島が帯脇に重傷を負わされた時に彼を桜ヶ丘に運んだように、劉はかなり早い段階で怪異に向かい合っていたのだろう。ただ個人ゆえに、龍麻ほどの情報網を持っていなかった為、その解決や宿敵の情報を得るまでには至らなかった。そんな折、怪異に揺れる池袋で、劉は龍麻たちと文字通り宿命的な出会いを果たしたのである。
一人で戦っていた劉にとっては、【真神愚連隊】は未知の領域であっただろう。【力】を持ち、【宿星】を宿す身でありながら、それこそ自由奔放に日々を楽しみ、しかし事あらば即座に結集する、不思議な集団。怪異と向かい合い、これと戦うという目的で集いながら、居心地の良い集団。劉にとっては、ささくれ立った心を癒す、貴重な場でもあった。
しかし先ほど、劉は気付いたのだ。自分はここにいるべきではないと。戦う理由が私怨である以上、自分はどうあっても危険な存在となると。現に自分は我を忘れ、皆が織り成すフォーメーションを崩すところであった。全員の力が結集していればこその完全勝利であったが、もしあの場でフォーメーションが崩れた場合、敵の戦闘力から察するに極めて危険な事態になっていただろう。
それ以上はいたたまれず、劉はぱっと身を翻した。誰にも止めようがないタイミング。涙と共に、仲間も、友も振り切って駆け出し――
―― ピタ―――ンッッッ!
再び、劉は急停止し、漫画的擬音を発して顔面から地面に張り付いた。
「――何すんねん! アニキ!」
一度ならず二度までも…。再び顔面を地面に打ち付けた劉は、猛然と龍麻に噛み付いた。
「いや、話の流れ的に、必ずお前がそのような行動に出ると思ったのでな」
予想的中とばかりに、両手にぱっと日の丸扇子を広げてパタパタと振る龍麻。これには京一たちも苦笑するしかない。
「遊んどるんか、アニキは! 敵は半端やない! あいつはアニキに取っても仇なんやで!」
「その通りだ。つまり俺は、お前と同じ立場なのだ。逃げ出す必要はあるまい?」
「ッッ!」
あっさりと切り返され、劉は言葉を失った。【一人で戦いに挑む】ではなく、【逃げ出す】と断じられ、それが真実であると思い知らされたのである。
「よせよせ、劉。ひーちゃん相手に悲壮な覚悟見せたって、漫才にしかならねェぞ」
苦笑半分、呆れ半分ながら、涼風のような京一の声が劉の耳を打つ。
「まあ、俺達も薄々、お前が重てェモンを背負ってそうだってのは気付いていたさ。そんな辛ェ事を、よく俺達にも話してくれたな。だったらもう一歩、私怨で戦う奴は仲間外れ――なんて事ァしねェってところまで信頼して欲しいモンだな」
「きょ、京一はん…!」
ニヤ、と笑う京一に並ぶように、小蒔も前に進み出てくる。
「そうだよっ。劉クンのような体験をしたら、ボクだって復讐を誓うよ。それに劉クンをそんな辛い目を遭わせた奴は、ボクも許せない」
「恨みも憎しみもあまり歓迎されたものではないが、俺達はそれを絶対的な悪だとは言っていない。むしろ、人間なら当然持っていると認識しているんだ。お前は自分が私怨で先走り、皆を危険に晒すと考えているのだろうが、お前の目的が復讐であると理解した上で、俺達も相応に動けば良いだけの事だ。――下手な同情や慰めなんか言わんが、フォローはするぞ。仲間だからな」
「劉君。復讐は何も生まないわ。でも私たちは、それが一つの節目になる事も理解している。だから、恨みや憎しみを忘れろとも、復讐を諦めろとも言わない。私たちがするお節介は、その先の事よ。復讐を果たしたとしても、その先も劉君の人生は続くでしょ? 私たちは、劉君の笑顔を無くしたくはないわ」
決して強制的ではなく、積極的に引き止めるものでもなく、劉の自由意思を尊重した、温かい言葉。物事を世間的な善悪で切り捨てるのではなく、人として、仲間として、どのような選択をも尊重しようという、一同の言葉であった。
そして龍麻が一歩横にずれ、そこに大柄な少年が入った。アランである。
「僕と弦月(はよっく似てますネ。僕も、皆と一緒に戦う切っ掛けは私怨でしたヨ。家族を奪われ、故郷を奪われて、復讐に燃えて、子供の身で戦う技術を習い覚えて…。目の前に仇が現れた時、僕も弦月と同じコトをしたよ。でもその時、タツマが言ったネ。【Everyone fights. no one fight. You don’t do your job. I’ll shoot you.】〜「全員で戦う。一人で闘うな。それが出来なきゃ撃ち殺す」ってね。――この戦いは皆のものだ。誰もが皆、自分なりの理由を胸に戦ってる。それを知った時、僕は自分の為にも、皆の為にも戦えた。皆の力を借りて復讐を果たして、それからは皆をヘルプする事が僕の戦いになったんだよ。だから僕は、弦月をヘルプさせて欲しいな」
そう。アランは、今の劉とそっくりな人生を歩んでいたのだ。そして彼の仇は次元を越えた妖魔、【盲目の者】。並の者では軍隊であろうとも御しえぬ相手である。
しかし、アランは復讐を果たした。仲間という存在を受け入れ、仲間を信じて。笑顔を失わずに想いを成就し、新たな目標を、明るい未来を目指す意思をもって、今、龍麻たちと共に戦っているのだ。
「君の事情には立ち入らないが、僕からも言わせてもらおう。君に客家封龍の一族としての使命があるように、僕にも飛水家としての使命がある。だから、一人で戦おうとする気持ちはよく解るよ。しかし強大な敵に立ち向かうには、往々にして一人では手に余る。もし僕がダゴン事件の時に意固地になっていたら、東京は今頃、僕のせいで海の底だったかも知れないね。だけど龍麻君たちは、使命優先の僕を許容し、助けてくれた。皆が手伝ってくれたからこそ、僕も使命を果たせたんだ。たとえ君の目的が復讐であったとしても、そう考えるに至った君の心を理解できるよ、龍麻君たちはね」
「あー、あー、あー、耳が痛いっ」
「俺は耳も、胸も痛い」
「当時を考えると、穴があったら入りたいわね」
小蒔が耳を押さえ、醍醐も葵も苦虫を噛み潰したような顔で頭を押さえたので、劉は茫然と彼らを見上げた。
「今、如月はこう言ってくれたがな。当時の俺たちは雨紋たちと違って、まだまだ信念や覚悟に欠けた甘ちゃんだったのでな。その戦いには状況に流されて、【仕方がない】から加わってしまった。そんな考えのまま巨大な敵に勝利したものだから、真に大事なものは何か、見落としてしまったんだ。それが後に、取り返しの付かない事態を招いてしまったよ。だから今でもここが痛い。この先ずっと、俺が背負っていかねばならない、忘れてはならない痛みだ」
分厚い胸板を叩いて見せる醍醐。かつて目を掛けていた男は、もはや取り戻せない。彼の胸には見えない楔が打ち込まれているのだ。
「劉君。私たちは、あなたが考えているほど立派でもないし、強くもないわ。こんな【力】を持っていても、その為に心配や不安が一杯。いつだって龍麻におんぶしてもらって、最近ようやくヨチヨチ歩きができるようになった程度でしょうね。だから、劉君みたいに自分の足で歩いている人は尊敬するし、羨ましいわ。ここに集まっている、皆がそう。だから、一人で戦うなんて、寂しい事は言わないで」
ヨチヨチ歩きの者がおんぶしてくれる者を折檻してるのか…とか、危険なツッコミは呑み込んで、京一は劉の肩を叩いた。
「そうそう。お前だって、きちんと名乗りあったら友達だって言ってたじゃねェか。俺の場合は、差し向かいでラーメンを食ったらもうダチだって決めてんだ。水臭ェこと言わずに、手伝わせろよ」
劉は、先ほどとは違う震えに身を任せながら、一同をぐるりと見回した。
発言をしなかった者たちも、何か一言あるような顔である。説教や叱責ではなく、自らの体験を語りたい、というような。そしてどの目も、温かい目をしていた。劉がこの場に留まるならば、いつものように受け入れる。出ていく事を選んだとしても、責めたりはしない。――そういう目だ。
「オレは御免だぜ。私怨で動くヤツなんざ」
まだ迷い、うまく言葉が出ない劉に、いきなり乱暴な声がかけられる。――雪乃であった。一瞬、劉の顔が歪んだのだが…
「でもお前、池袋の事件できっちりやる事やったじゃん。それに一緒にいられないっつーのも、オレたちに迷惑がかかるからってんだろ? 本当に復讐に凝り固まってたら、そんな言葉は出やしねえよ。それこそ誰だって、何だって利用して、どんな外道な真似をしてでも復讐を果たすさ。――良いじゃねえか、深く考えなくたってさ」
「そうですよ。僕だって、劉さんに助けてもらったからこそここにいるんですよ。それにあの時だって…!」
あの時…尊敬する先輩の情けない姿、【ネコ耳京一】を思い出し、泣き出してしまった霧島にうろたえる劉。一部女子(男子含むかも)には萌えかも知れぬ姿も、霧島にとっては悪夢の権化であるらしい。
「劉様。わたくしたちには共通の敵がいて、わたくしたちは手を取り合える間柄。それで良いではありませんか」
誰一人、自分を否定する者はいない。要するに、彼らとの間にある溝は自分が勝手に作り出していた幻影だったのだ。それは心のどこかで、彼らの事を素人だと、甘ちゃんだと見下していたからかも知れない。この胸の内に秘めた傷を、復讐心を、彼らには理解できないと勝手に断じて…
「あ、アニキ…。わい…わいは…ここにいてもええんか…?」
「それは、お前が決める事だ」
きっぱりと、力強く言う龍麻。仲間たちには、いつもそう接してきた彼だ。
「戦う動機が復讐であれ私怨であれ、その【力】を高めたのが憎しみであれ恨みであれ、今のお前には他者をも救う【力】もある。その技能は我々にとって貴重であり、尊敬に値するものだ。しかし、それ以前に、友の手助けに理屈など無用だ」
「あ、アニキ…!」
ヨロヨロっと、二、三歩よろける劉。ついでその目がぶわっと涙を、澄んだ涙を溢れさせ、顔に張り付いた血を洗い流し始めた。
「アニキは…アニキはわいを泣かすのが上手やな…! その言葉も…弦麻殿がじいちゃんに言った事やないか…!」
グシグシと拳で涙を拭った後には、迷いや怖れを捨て去った晴れやかな顔があった。
「じいちゃんが言った事は、なんもかんもホンマやった。アニキ…皆も、おおきに、謝謝(、さんきゅーべりまっち、めるしい、おぶりがーど、ぐらしあす、だんけ…ホンマ、ありがとな…」
自分が知る限りの言葉で感謝を述べた劉は、酷く苦労して涙を全て拭い去った。
「わいはアニキと、共に戦う為に出会うと聞いとった。わいの名前…弦月とは、弦麻殿の名前を一字もろうたもんで、月はその影となり、共にある事の意や。この名は、わいの誇りや。そして今、わいが共にあるべきはアニキ…あんたや。こればっかりは、じいちゃんの言葉に従うだけやのうて、自分で決めたいわ」
そして劉は、その場に膝を突き、きりっと背筋を伸ばして正座した。両手を揃え…三つ指ついて、深々と頭を下げる。
「アニキ。それから皆はん。こんなわいやけど、これからも皆はんと共に戦わせて頂きたい思います。どうか、よろしゅう頼んます」
土下座ではない。日本式の作法に則った、座礼であった。これまでは【ただの私怨】であった戦いから、【皆の為に義務も責務も負う】戦いに臨むという、劉の決意表明だ。
龍麻は手を腰の後ろで組み、胸を張った。
「よろしい。承認する。――歓迎するぞ、劉弦月」
力強く頷き、手を差し出す龍麻。劉は満面の…またしても涙を浮かべた笑みを浮かべてその手を握った。
「ヘヘッ。一件落着、ってとこだな」
「エヘヘッ。これからもよろしくね、劉クンッ」
しっかりと立ち上がった劉に、先刻の危うさはどこにもない。そんな彼に仲間たちの温かい眼差しが向けられる。
「では早速だが、君の持っている情報を全て開示してもらいたいね」
皆とは少し距離を取り、周囲を警戒していた壬生がクールな声で言った。
「たった一体でも、僕たちが単独で挑むには危険な相手だ。今はたまたま、自然発生的に僕たちが集まっていたからこそ被害ゼロで済んだけど、龍麻たちだけだったらどうだっただろうね。十中八九、今の僕たちは敵の掌の上だ。劉君。君がここにいた事も、敵の作戦だと思うよ」
現実直視の暗殺者は、既に次の戦闘に備えている。その言葉は一見辛辣だが、劉が残留を決意していればこその態度だ。劉もその意を解ったのか、深く頷いた。
「せやな。刻が動き始めた今、アニキが道心のじいちゃんに話を聞きに来るんは必然や。罠がないと考える方が不自然やな。アニキがわいを止めなんだら、わいがその片棒を担ぐところやった。ホンマ、堪忍な」
きりっと真面目な顔つきになり、劉はぐるりと仲間を見回した。
「わいが関わった限りでは、鬼は大まかに三種類おる。一つはさっき話した鬼道由来の鬼や。これに似とるのが、龍脈の乱れから生まれる鬼やな。客家に伝わる話やと、龍脈が活性化した時に地相に乱れがあると、そこから零れ出した【力】がええ事悪い事ひっくるめて影響を及ぼす。それが悪いモンだった場合、草木や石ころだって妖になるんや。そんな所に長くおったらええ人でもおかしくなるし、まして【負】の感情を持つモンがおったら大変や。欲望やら破壊衝動を刺激されて、たちまち人を逸脱した怪物になってまう。日本で語られてる【鬼】は、大体がこれやろな」
「という事は、ボクたちが今まで戦ってきた【力】を持った敵は、厳密には鬼とは呼べないんだね」
「せやな。鬼のタマゴとでも呼べばええかも知れん。人を欲望や破壊衝動で操るんは簡単やし、陰の気は澱みとなって更なる【鬼】や邪霊を呼んで合体を繰り返す。どっちも危険やろうけど、鬼道由来の鬼の方が、悪意がはっきりしとって凶悪やろな」
そこまで言ったところで、劉は一息ついた。深呼吸をして、自分が怒りで暴走しないように気を落ち着かせる。
「で、さっきの奴らやが、あいつらは龍脈とも鬼道とも別次元の、万物を陰に変えてしまう化物によって変化した鬼や。あないな袋みたいな形をしとるけど、元々固有の形はないらしくて、憑りついた身体を養分として絞り尽くして、どんな形にでも化けるんや。一応、鬼と呼んどるけど、その凶悪さは鬼の比やない。生きとるもんはなんもかんも憎んでおって、強力や」
龍麻を始め、真神の一同は顔を見合わせる。亜里沙も、紫暮を振り返った。
「勘は正しかった訳か。つまり――今の奴らは【鬼】の皮を被った【使徒】なんだな」
「私たちの敵は、響さんたちの敵にも通じるって事なのね…」
「ううっ。それって結構キッツイね。京都の時なんて、響クンたちがいなかったら絶対ヤバかったよ。あんな連中とまた戦うなんて」
口々にそう言いはするものの、葵や小蒔の口調でさえ脅えはない。IFAFのストライダー、【ザ・パンサー】こと響豹馬も、魂魄をバラバラにされ、奪われた魂魄の代わりに異次元の妖魔が宿り、もはや冗談のような奇跡によって彼らの力が拮抗し、人間としての自我が保てているのだと聞いている。彼の戦いも、それらを取り返し、【人間】として死ぬ為であるとも。そんな彼や、彼を支えて戦う者たちとの交流を持った一同なればこそ、敵の強大さに怯む事なく、むしろ闘志が湧く。
「そんなモンじゃ済まねェな。鬼でさえも餌にしちまう、鬼以上の鬼って事じゃねェか。それならこの事件の黒幕って奴ァ、そんな連中まで手駒に使える、化け物以上の化け物って事になるぜ」
「その通りだ。【黒蠅王(】以上の敵だと推察できる」
既に【黒蠅王】の計略をいくつか潰している龍麻である。その全てが対【ザ・パンサー】を目的として実行されていた事も、その下準備には莫大な時間と経費を必要とする事も解っている。しかし【黒蠅王】が利用したのはあくまで【人間】であり、いわゆる妖魔妖獣をベースにした【使徒】を見た事はなかった。極めて単純な見方をするならば、元が人間ならば【話が分かる】からであろう。人間は恨みや憎しみ、苦しみによるコントロールが容易だが、自己保存と種族保存の本能を持つ獣はそうは行かない。人間ベースの【使徒】でさえ、必ずしも【黒蠅王】の命令に従うとは限らないのだから、尚更である。
つまり今回の【敵】は、【黒蠅王】ですら扱っていない、鬼を【使徒】化した存在をけしかけてきたのだ。それもかなり統率の取れた、軍隊のような連中を。壬生の指摘通り、龍麻たちだけであったら苦戦は免れなかったであろう。
「それにしても、謎ばかり増えるものだな」
龍麻の発言に注目が集まる。
「敵の目的に俺の抹殺があると仮定した場合、作戦が雑だと言わざるを得ん。今の鬼をもっと早い段階で投入されていたら、我々とて苦戦は必至だろうに、昨日の件では阿師谷親子を、その前は拳武館と【シグマ】をけしかけている。彼らは確かに【凶星の者】と接触があり、更には【黒蠅王】との繋がりが示唆されているにも関わらずだ。組織における足の引っ張り合いの結果であれば良いのだが、何やら試されている感じがしてならない。さもなくば、遊んでいるのだろうか。この【凶星の者】とやらは」
それは、九角の復活以来、ずっと感じていた事だ。九角にも幾度か黒幕の名を問い質した事があったが、彼は「まだ早い」「自分で見付けろ」と取り合わなかった。ようやく昨夜、龍山の口から【凶星の者】という単語が出たものの、具体的な人物像は出ていない。一応【紅い髪】、【深紅の学生服】、【目付きが鋭い】、【頬に傷】、【朱塗りの日本刀を持っている】などの情報と、今までの事件の性質から、龍麻得意のプロファイリングを駆使すると、【自己主張が激しい】、【ストレスを抱えている】、【男兄弟がいる】、【冷徹そうに見えて激情家】、【器用貧乏】、【勤勉で几帳面】などの性格も見えてくるのだが、これでは余りにも人間的だ。そこに人外の感覚が介在しているので、余計にややこしいのである。
そこでふと、龍麻はある事に気付いた。京一も同時に気付いたのか、彼と目を合わせる。そして、二人ともそれぞれ腕を組み、顎に手をやった。
「――なんなのよ、アンタたち。そのキックオフ状態は」
「何か分かったのなら私たちにも話して。それだけだとホモ疑惑が再燃するわよ?」
「…頼むから藤咲も美里も、解りにくいネタ振りと一部の人向けの燃料投入はやめてくれ。――それで、二人とも、何か気付いたのか?」
目を爛々と輝かせるのと、頬を染めて視線を宙に彷徨わせるのと、二通りの反応を示す女性陣から二歩ほど引き、龍麻は咳払いを一つした。
「劉。今から俺がする質問に注意深く答えろ。そして質問に答える時は、肯定は首を縦に、否定は首を横に振る事。良いか?」
「? ええけど、どんな質問やのん?」
その途端、こつんと京一の拳骨が劉の頭に当たった。
「だから! 首を縦か横に振れって言っただろうが。――良いか? こいつはマジで、命に関わるかも知れねェ事なんだ。ひーちゃんの言う事を絶対に守れ」
劉は思わず「判った」と言おうとして、慌ててうんうんと頷いた。
「よろしい。では最初の質問だ。お前は、【凶星の者】の名を知っているのか?」
こくん、と劉は頷いた。
「客家での出来事以来、そいつと遭遇した事はあるか?」
劉の首は横に振られた。
「そいつの仲間、もしくは部下と戦った事はあるか?」
頷く。即答ではあったが、龍麻の方が少し考える。
「質問を訂正する。先日の火怒呂と、奴の操った連中は除外する」
ぴく、と震える劉。そして…首は横に振られた。
「先日の事件以前には、【凶星の者】との直接遭遇や、直属の部下との接触はなかったのだな?」
劉の眉が苦渋に歪み、首は縦に振られた。ずっと【凶星の者】を追っていながら、その足跡に明確に触れられたのは、池袋の事件が初めてだったのである。
「…ひーちゃん」
神妙な顔をして、京一。龍麻も頷いて見せる。
「――妙なツッコミが入る前に聞くよ。君たちは、何の話をしているんだい? 僕たちにも解るように説明してくれ」
どうにも様子のおかしい二人に、如月が聞く。他の者も今度は真剣だ。
「もう少し待て。――劉。これからする質問には、より注意して答えろ。答えは急がなくて良い。しっかりと思い出せ」
さすがに、劉の頬に一筋の汗が流れる。彼は頷いた。
「客家の事件以来、お前は【凶星の者】の名前を口にした事があるか?」
これを聞いて、幾人かがさっと顔を緊張させた。醍醐、葵、小蒔、亜里沙、壬生である。
果たして、劉の首は縦に振られた。
「最近もか?」
肯定。
「一回や二回ではないな? 幾度となく、そいつの名を言ったな?」
拳を固く握りしめて、劉は力を込めて頷いた。――恨みのある相手だ。当然、何度も恨みの言葉を吐き付けたであろう。
「では、最後の質問だ。――【凶星の者】は始めに【や】の字が付く名前か?」
この時点で、さすがに醍醐たちも、龍麻たちが危惧している事が理解できた。あの八剣も、阿師谷導麻も、【凶星の者】の名を口にしようとしただけで殺されたのである。【鬼剄】を応用し、自分の名を唱えた瞬間に起爆する、恐るべき魔技によって。
劉は歯軋りせんばかりの顔で、深く頷いた。
「…どうやら大丈夫…だと思うけどな」
「かなり微妙なところだが、劉は問題あるまい。【発剄】に関してはこの場の誰よりも詳しいからな。【殺念】由来の【鬼剄】とは言え、何も気付かぬという事はあるまい。――劉、質問はここまでだ。しかし俺が許可するまで、【凶星の者】の名は口にするな」
「わ、わかったわ。奴の名前を言わなきゃええんやな」
頷く劉から視線を移し、二度に渡って【その場面】を目撃している壬生も腕を組んだ。
「君たちの危惧が解ったよ。――この事件の当事者達は、劉君を除いて【凶星の者】と呼ばれる者の本名を語る事を避けている。まるで、それを口にした瞬間に殺されるかのように。そして実際に、それが行使されるところを見ているからね。警戒するに越した事はない」
「それってつまり…【凶星の者】に会った事がある人間は、その本名を言ったら死ぬかも知れないって事?」
今までも不思議な能力を持った相手と戦ってきた一同だ。今し方【言霊】なる【力】の説明を受けたばかりであるし、名前を口にしただけでも危険だという考えを一笑に伏す事はできない。
「【言霊】に代表されるように、言葉の持つ【力】は時として予想外な影響を及ぼすからね。今でもどこかの地方では【鬼】のことを【あれ】と称するそうだよ。それを口にする事で、悪いものを呼ばないようにね」
その如月の言葉に、龍麻は再び顎に手をやった。
「悪いものを呼ぶ…か」
龍麻の呟きに、真っ先に反応したのは、やはり京一であった。
「おいおい、ひーちゃん。妙な事考えるなよ?」
「うむ…。しかし、一考の余地はある」
再び、二人だけの会話となった龍麻と京一ではあったが、今度は醍醐や如月、壬生ら男性陣は戦闘モードだ。このやり取りの意味を理解する。
「俺は反対だ。いくらなんでも危険すぎる」
「僕も醍醐君と同意見だ。敵の本拠地が判っている以上、いたずらに危険に踏み込むべきではないと思う」
まず醍醐と如月が口を開いたが、更に声がかぶせられる。
「僕は、やってみる価値はあると思う。敵の本拠地は判ってはいるけど、【凶星の者】本人についてはほとんど情報がないからね」
「俺サマも賛成だ。これまでの戦いも情報を集めて作戦をきっちり立ててから挑んだから勝てたんだし、敵の親玉の正体を知るチャンスがあるなら活用するべきだと思うぜ」
賛成二、反対二となったところで、アランが口を挟んだ。
「どちらの意見も正論デース。でも、どちらにしても事態の進展には貢献しないと思いますヨ。確かに今は僕たちのほとんどが揃っていますガ、もし【凶星の者】がここに出てきたら対処できますカ? もっとも、何も起きないとも考えられますガ」
「僕もそう思います。今日もそれなりに重武装して来ましたけど、先ほどの戦闘で道具類をかなり消費してしまいました。もし二段構えの作戦があるならとっくに敵の方から仕掛けているでしょうし、こちらから危険に踏み込むのは日を改めた方が良いと思います」
ふむ、と龍麻は腕を組んだ。
「ここは、全員の意見を求めるべきだな。紅井、黒崎、お前たちはどう思う?」
「う〜ん…。俺っちなら、悩んだ時は進むが勝ち! かな」
「俺も同じだな。今、一つの罠を破って先取点を取ったところだし、間を置かずに攻めるのは常道だと思う」
このような場面で意見を求められ、嬉しさを隠さず、しかし真剣に答える紅井と黒崎。龍麻はうむと頷き、紫暮を見た。彼は腕を組み、重々しく頷く。
「俺は、龍麻が思うように決めて良いと思うぞ。いずれ避け得ぬ決戦でも、同じ局面を迎えるのだ。情報を得る為に踏み込む危険と、情報不足のまま挑む決戦と、どちらが危険と判断するかだな。そして同時に、どれほど強大な敵であっても、俺達は勝たねばならんのだ」
自分を真剣に見つめる顔を一つ一つ眺めやる龍麻。仮にどのような判断を下しても、龍麻の指示には従う。――そういう顔つきだ。
「さて、どうしたもんかな、ひーちゃん?」
京一が木刀を肩に担いで言うと、当然というか、女性陣から文句が出た。
「ちょっとお、女子は無視?」
「ボク達だって意見があるよっ」
「何でえ、龍麻君らしくねえなあ」
「わたくしたちをのけ者になさるのですか、龍麻様?」
「ヒーローっぽくないわよっ、そういうの」
ずずい、と龍麻に詰め寄っていく亜里沙たちであったが、こういう時に一番龍麻を圧倒できる葵は、なぜかその場を動かなかった。さやかも、マリィ、裏密もである。
「――ンなこと言ったってなァ。ぶっちゃけお前ら、ひーちゃんが決めた事に賛成ってクチだろ?」
『う…』
「その辺は俺らも同じだけどよ、どうもこいつばっかりは軽々しく決められねェ【何か】を感じるのさ。どうにも首筋がピリピリしやがる」
見れば男性陣は、しきりに身を揺すったり、首筋や背中などを掻いている。先ほどの戦闘の余韻ではなく、今の話題がそうさせているのだ。
「…やはり、ここは打って出るか」
二分ほど考え込み、龍麻はそう口にした。
「本気か、龍麻?」
重々しい醍醐の問いに、龍麻は頷いた。
「俺の考え過ぎであるならばそれに越した事はない。しかし、俺は既に敵の策に嵌っていると見る。――迂闊だった。本日のミッションは最初から、可能な限りの重装備で臨むべきだったのだ」
ショルダーホルスターからコンバット・パイソンを抜き、弾丸を通常の三五七マグナム弾からダムダム弾に交換する龍麻。
「敵の目的は不明だが、単純に俺を殺すのではなく、このように事件に介入し、戦い、情報を集めるなどの、諸々のアクションを起こさせるように誘導している。本拠地の情報を餌にここまで呼び寄せた以上、このまま帰投するという選択を敵は許すまい」
「……」
束の間、仲間達の視線が龍麻に集中し、それから京一達は揃って己の得物を再点検し始めた。
「まっ、ここは考えるより、行動する場面だよな」
「既に敵の掌の上にいるならば、いっそ敵の予測以上に大暴れしてやるという事か」
誰一人として、「こう」と決めた龍麻の決断に反対する者はいなかった。疑り深いと、考え過ぎだと、異を唱えるのは容易いが、警戒し過ぎて生じた無駄な労力よりも、警戒を怠った事で生じる損失の方が遥かに大きい事を知っている一同である。
「龍麻。何をする気なの?」
このあたりは男と女の思考形態の違い。女性陣代表として葵が聞く。
「うむ。これから我々は、敵との前哨戦に臨むかも知れない。――総員、デルタ・フォーメーション。警戒範囲は、周り中だ」
「…どういう事?」
「【凶星の者】との遭遇は極めて危険な意味を持つ。これから俺は、劉に【凶星の者】の本名を問う」
「ええっ!?」
即座に驚きの声が上がり、その声が意外な人物であったので、龍麻は声の主を見た。
「――さやか?」
「あっ、あのっ、そのっ…何でも…ありません…」
葵や小蒔、亜里沙ならば、黒幕の正体を告げようとした者の末路を知っているからこそ驚いても不思議ではないが、さやかは導摩の身に起こった現象は見ていても、その結果は伝聞でしか知らない。従って、この反応の速さは異常とも言えた。しかしさやか本人にも、何に驚いたのか判っていないらしい。
「――危険は承知している」
さやかの様子を訝しみながらも、龍麻は話を進めた。
「敵は恐らく、俺が打って出てくる事まで予測済みなのだ。しかしこれほどの大人数で情報収集を行う事までは予想外の筈。そこに付け入る隙はあろう」
葵は口元に手をやり、考えをまとめてから口を開いた。
「つまり、龍麻たちは【凶星の者】の本名を呼ぶ事で、何かが起こる事を確信しているのね」
「う〜ん…劉クンが無事だったなら、大丈夫じゃないかな」
「劉様がいかに龍麻様と関わりある者であったと言えど、そこまで仕組めるとは到底思えません。もしそれが可能ならば、先程の鬼たちをもっとたくさん用意できる筈ですから」
女性陣からの発言はそこまでであった。雪乃、亜里沙、桃香は男性陣にならって武器を再点検し、裏密はしきりにタロットカードを切っている。マリィは、不安げな様子を隠せずにいるさやかを気遣って手を繋いでいた。
「…判ったわ。やりましょう」
葵は片手を天に向かって掲げた。
「【敵の予想を常に裏切れ】が戦術の基本ですものね。そして完璧と思われる作戦でも、リスクをゼロにはできない。罠と知りつつ敢えて踏み込んで、完璧な予定調和をほんの少し乱す事に活路を見出すのね」
「その通りだ」
葵の防御術の光が身体を覆うのを感じながら、龍麻は首肯した。雛乃も納得し、弓の弦を打ち鳴らす【鳴弦】で昂精神力など、身体強化の術を掛けていく。しかし、さやかだけはますます不安の相を濃くした。今にも嘔吐してしまいそうなほど、顔色が悪い。
「さやかちゃん、大丈夫? 無理しなくても良いのよ?」
「わ、私は大丈夫です。でも、凄く嫌な予感がするんです。例えば…明日地震があるって分かってて、色々準備していても、それが全部無駄になるような大きな地震だったというような…」
度胸がものを言う芸能界育ちのさやかの言い回しに、さすがに京一たちの眉が寄った。
「オイオイ、さやかちゃん。そんな大地震とか、穏やかじゃねェな」
「いや、さっきの敵を考えれば、そのくらいの警戒心は持って当然だね」
「大丈夫だって。これだけのメンツが揃ってりゃあね。なんなら――ほれ、京一も紫暮も、大好きなアイドルを守ってやんな。ただし! さやかのナイト役は霧島の坊やに限定っつーことで」
あからさまに盾役を指名された二人がしかめっ面をしたので、一同に笑いが過る。そのお蔭でさやかもほんの少し、ぎこちない笑顔を浮かべた。その一方で、霧島の表情は硬い。さやかの護衛ポジションに付かされると、顔色まで悪くなる。
「オイオイ、諸羽までどうした?」
「…すみません、京一先輩。僕もやっぱり嫌な予感がします。勿論、戦力の心配ではなくてですね…龍麻先輩でも、無理な事があるでしょう? 例えば、目でおせんべいを噛むとか…」
これには誰もが眉根を寄せ、龍麻を振り返る。しかし――
「…そんな誰にでもできるような事が不安なのか?」
次の瞬間、葵のハリセンが龍麻の頭頂部を打ち、彼を地面に沈めた。
「あまりふざけていると、本当に殺されるわよ?」
「――先にお前に殺されそうだ」
ハリセンをパンパン鳴らしながら仁王立ちになっている葵に踏み付けられながら、龍麻。実は葵が【凶星の者】であったならば、確実に龍麻を殺せるだろうな〜とは、京一を始め男性陣全員の感想であった。
「まあ、確かに龍麻なら目でおせんべいくらい噛めるでしょうけど、つまり霧島君は、私たちの戦力や知識だけではどうにもならない事態が起きるような予感がするのね」
「う〜ん…。そういう言い方をされると何とも…なあ…」
龍麻の強さは解っているが、同時に救いようのない粗忽者の部分も知っている者として、難しい顔をして腕を組む醍醐。他の者も、おおむね同じような感想を持ったらしい。確かに龍麻とて万能ではなく、意外な弱点も多いのだ。
「霧島君や〜さやかちゃ〜んの危惧も解るわ〜。きっとそれは〜須佐乃男命や〜櫛名田比売命の【力】が感じ取っているもの〜。これを見て〜」
裏密が両手に広げて見せたのは、真っ白なカードであった。先ほどからいじっていたタロットカードである。そこに本来あるべき図柄が、全て消えてしまっているのだ。
「ひーちゃ〜んの事〜、これからの事〜を調べようとすると〜こうなるの〜。これは未来が〜めまぐるしく変わっているか〜、未来が【ない】事の表れなの〜」
「未来がないって…」
小蒔の声を最後に、一同はしばし絶句する。占いとは可能性のある未来の断片を読み取るだけであると、他ならぬ裏密自身が言っているが、タロットカードの絵が消えてしまうなど、本来あり得ないレベルの超常現象だ。
「…未来とは、自分の手で切り開くものだ」
すっくと立ち上がり、龍麻が言った。
「あらゆる創作物で良く使われる言葉だが、敢えて引用しよう。確定的な未来は存在せず、人は自分の理想に向かって努力し続けるものだとな。――【君子危うきに近寄らず】とは言うものの、それはこの戦い全てから逃げ出す事も意味する。俺は、ここで止まる訳にはいかん」
「まっ、そうだよな」
やはり、それが緋勇龍麻という男だ。そしてその相棒も首肯する。
「むしろ吹っ切れたって事だぜ。文字通り、鬼が出るか蛇が出るかって奴だ。――こっちの準備は良いぜ、ひーちゃん」
応ッ、と男性陣が応え、女性陣も表情を引き締める。龍麻が号令を出さずとも、デルタ・フォーメーションを組み、全周囲警戒態勢を作る。
「うむ。頼りにしているぞ」
一人一人の顔を眺めやり、それから龍麻は劉を振り返った。
「こういう次第だ、劉。お前にとっては口にする事とて忌まわしい名前だろうが、俺はそれを聞かねばならない。聞いても良いか?」
「…ホンマ、皆はんは強いお人らやな。改めて、わいを仲間と認めてくれて、おおきに。そしてこれが罠であろうとも、奴の名をアニキに伝えるのが、わいのもう一つの天命なんやろな。――ええか? 道心のじいちゃんの台詞やないけど、アニキ、心して聞いてや」
「うむ。――今こそ問おう。【凶星の者】の本名は何という?」
誰かの喉がゴクリ、と鳴る。京一達も表情を引き締め、武器を握る手に力を込めた。
「奴の名は…柳生宗崇」
抑揚のない、感情を押し殺した声で、劉は告げた。
柳生宗崇…誰かが上げた呟きが漂うように響く。龍麻の、あるいは全員の呟きであったかも知れない。その余韻が消えぬ内に全員が周囲を見回し、【気】の触手を飛ばし、しかし何ら空気の変化を感じぬ事で、順次そっと息を付く。
「とりあえず…罠はなかったって事か?」
「警戒し過ぎたとは言わないよ。むしろこれからは、このくらいの緊張感を維持していないとね」
誰一人として拍子抜けせず、しかし緊張の汗を拭う。誰かが本格的にふうと息を吐き、張り詰めていた【気】を緩めた。
鋭い悲鳴が上がったのは、その時であった。
「龍麻さんッ!? 龍麻さんはどこッ!?」
声を上げたのはさやかであった。
「何ッ!?」
「そんな!」
慌てて周囲を見回し、【気】を飛ばし、龍麻の姿を求める一同。【凶星の者】の名を告げる瞬間、誰の目も劉に注目していた。しかし僅か数秒、さやかに至っては彼を振り返るまでの二秒足らずの間に、龍麻は忽然とその場から消え失せていたのである。
「龍麻! 龍麻――ッ!」
「悪質な冗談はやめて出てこい! お父さんとお母さんが泣いているぞ!」
「ひーちゃん! 歌丸師匠が歩いてるよ!」
「龍麻さん済まねェ! 借りてたスパイ○ーマンのDVD割っちまった!」
「アミーゴ! すぐに出てこないとあの事バラすネ!」
誰一人、それが龍麻の場をわきまえない冗談だと信じて疑わず、なんとなく彼に対して抱いている印象が理解できるような仲間たちの呼びかけではあったが、それも裏密がいつかも使った水晶の髑髏を両手に乗せて掲げるまでであった。対象物の存在を探知し、その方向へと案内する水晶髑髏は、裏密の手の中でぐるぐると回り続けるだけだったのである。
「これは…ひーちゃ〜んが…消えた…!?」
「き、消えたって、どういう事だよッ!?」
「この水晶髑髏は、たとえ探し人が地球の裏側に隠れていても見つけ出すわ。この子が見つけ出せないとすれば、ひーちゃ〜んはこの世界に、この世にいない事になるわ」
それを聞いて、愕然とする一同。本当に緊迫した場面でもなければ出ない裏密のシリアスモードだけに、その言葉を否定する事もできない。
「こ、この世にいないって…そんなっ!?」
掴み掛らん勢いで、一同が更に裏密を問い詰めようとした時、霧の向こうから切迫した男の声が響いてきた。
声は、その主の他、二つの人影を引き連れていた。
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