第弐拾話 龍脈 2





 先日の予定通り、龍麻は〇九〇〇時に新宿中央公園に姿を現した。

「…随分集まったな」

 少々呆れたように言う龍麻。戦闘ならばいざ知らず、単なる情報収集にこれだけの人数が集まるとは思っていなかったのだ。いつものメンバーである真神の五人に、裏密。雨紋、亜里沙、紫暮、如月、アラン、マリィ、織部姉妹、壬生、コスモレンジャー三人組、更にさやかと霧島も姿を見せていた。欠けているのは病院のある高見沢と、連絡の取れない劉だけである。御門、村雨、芙蓉に付いては秋月を守るという使命があるから、こちらからの呼び出しがあり、なおかつ彼ら自身の時間も空いていなければ来る事はない。

「それだけ、楢先道心という人の話に関心があるという事だよ」

「これはもはや、私たち皆の問題ですわ。龍麻様、どうか私たちもお連れ下さいませ」

 総勢二〇名。これだけ個性派が揃うと目立つ事請け合いである。中には現役の国民的アイドルまで混じっているのだ。

「それほど肩肘張る事でもないと思うが、まあ良かろう」

 今日のところは単なる情報収集――そう考えている龍麻はごく軽く頷き、リーダーらしく先頭切って歩き始めた。

「それにしても、中央公園とはな。やはり特に変わった所はないが…」

「そうだね。でもおじいちゃんが言ったんだから間違いないと思うけど…」

 とりあえず公園の入り口から噴水広場へ、そして森の散歩道へと入っていく一同。どこをどう見回してもいつもの中央公園である。休日なので家族連れの姿もあれば、ランニングしている若者も、鳩に餌をやっている老人もいる。――何の変哲もない、休日の公園である。ただし夕べの雨で泥が流れ出し、散歩道の上まで泥だらけだ。

「うへえ、靴がもう泥だらけだぜ。――にしても、それっぽいジジイなんかどこにも――あン?」

「――どうかしましたか、京一先輩?」

 愚痴っぽい事を垂れていた京一が不意に空を振り仰いだので、霧島が気になって声をかける。だが、その前に龍麻の手が動いた。内容は――周囲を警戒。

「…なにこれ? 霧…?」

「…ただの霧じゃないね。遠近感が狂ってる」

 軽く手を振ってみる小蒔。ふわっと風に煽られたのは確かに霧のようであった。しかし紅葉が鋭く周囲に視線を走らせる。如月も同様だ。

「そう言えば…風景が歪んでいるわ。道がこんなに長く続いている筈ないのに…」

 中央公園はビル街の谷間に存在する公園としてはかなり大きい。だが、風景が霞んでしまう事などあり得ない。

「お兄ちゃん…」

「龍麻さん…!」

 これだけの仲間と一緒にいるとは言え、少し不安になったのだろう。マリィとさやかが龍麻の傍に寄る。タイミングを逸した雛乃がむっとした表情を浮かべたので雪乃が引いた。

「これが、龍山先生の言っていた方陣という奴かな?」

「――だろうな。空気も違うし、【気】もよく読めねェ。なあ、ジジイに言われた事なんだが、あれ、どうするよ?」

 結界に関してそれなりに詳しい裏密や如月、雛乃までいて、気付かぬ内に方陣に誘い込まれた。それだけでも楢崎道心という人物の力量が窺える。と、なると龍山の忠告は忠実に守っておいた方が良さそうだ。

「うむ。何者かに名を問われた時は、全て俺に任せておけ」

「――その方が良いだろうね。名前を言うなという事は、恐らく楢崎道心という人物は【言霊ことだま使い】だ」

 龍麻と裏密、雛乃と紅葉だけは頷いたが、それ以外の者はあまり馴染みのない言葉にやや戸惑う。

「【言霊】っつーと、俺の木刀にかかっているやつだよな?」

 京一愛用の木刀には現在、【クトネシリカ】という【名】が与えられている。本来【クトネシリカ】とはアイヌの宝刀だが、京一の木刀はその【名】を与えられた瞬間から【クトネシリカ】としての切れ味と魔力を備えた。――【名前】そのものに込められた魔力を操る術…それが【言霊】だ。

「その通り。しかし【言霊使い】が何か仕掛けてくるとなると厄介だね。何しろ、口にした事を現実化できるのだから」

「エッ!? それってどういう…」

 如月の突拍子もない説明に疑問の声を上げた小蒔であったが、それは霧の向こうから響いてきた呼び声に遮られた。

「お〜い」

 誰もが沈黙し、もう一度響いてきた声に耳をそばだてる。そして――

「コイツはきっと、中央公園名物【パーク氏の声】ですヨ。H・K先生のファンにはたまりませんネ」

 面白そうに言いつつ、ジャケットの内側に手を突っ込み、愛用のコルトSAAのグリップに触れるアラン。声はすれども姿は見えず、しかも声の出所が前後左右上下と、全く判別できないのである。そんな声を出せる以上、ただの人間の筈はない。

「さて、どうだろうね。――二十代半ばの男。身長は一七〇から一七五センチ。体重は――ゼロ」

 声の質と足音から割り出した相手の像を口にする紅葉。しかし「体重ゼロ」に小蒔やさやか、コスモレンジャーが驚きの声を上げる。

「油断は禁物だな」

「へっ、そうこなくちゃな」

 醍醐が腕組みし、雨紋が槍を握り締める。他の者もそれぞれ戦闘態勢を取るが、その場で待機する。龍麻の手指が【待機】と指示しているからだ。

 果たして声の位置が固定され、霧の向こうからやって来たのは、紺のリクルートスーツ(偏見である)に身を包んだ若いサラリーマン風の男だった。いまいち冴えない、どこにでもいくらでもいる顔立ちだ。雑踏に紛れれば、たちまち見失ってしまうであろう事は間違いない。

「よかったぁ、僕の他にも人がいて。助かったよ」

 開口一番、男はそう言ったが、全員が一斉に不審の目を向ける。

「…まあ、ジジイじゃねェ事は解っていたけどな」

「そんなに簡単に出て来る訳ないよ。ねえ、ひー…っ!?」

 【うっかり小蒔】の口を塞ぐは夫(笑)の大きな手。

「――ん? なに? どうしたんだい?」

 にこやかに話し掛けてくる男。しかし醍醐はにこりともせず聞き返した。

「別にどうもしない。ところで、あなたはどうしてここに?」

「いやぁ、徹夜徹夜でさすがにダウン寸前だったから、コンビニ行くついでに仮眠を取ってたんだけど…目を覚ましたらこの霧じゃない? これ、一体どうなっているんだろう? もう戻らないとやばいのに、道をどこまで行っても公園から出られないんだよね」

「――さてな。俺たちもたった今来たばっかりで訳解らねェんだ」

 さりげない口調にも、警戒が滲んでいる。今の京一は戦闘モードだ。微塵の油断もしていない。

「そっか…。でも良かったよ。どうも一人だけだと心細くてさァ。――あっ、僕は田中。田中一郎って言うんだ。この先のちっぽけな会社でプログラマーをやっているんだ」

 来たな、と目配せしあう一同。こんな怪奇現象を前に、こうも落ち着いていられる人間など滅多にいるものではない。そして…

「良かったら、一緒に出口を探してくれないかな? と、その前に、良かったら君たちの名前を教えてくれないかな」

 これで決まった。こいつは【敵】だ。この、【名前を言ってはいけない】空間の中で名前を聞いてくる者がいれば、そいつが【底意地の悪い仕掛け】という事になる。そして、この時点で誰もが気付いていた。紅葉が言った【体重ゼロ】の意味。このぬかるんだ散歩道。一同の靴は泥だらけなのに、この田中という男の靴は磨きたてのようにピカピカである。

「休日なきはプログラマーの宿命(泣)か。――名乗られたからには、こちらも名乗るのが礼儀だ」

 え!? と我が耳を疑う一同。一瞬後、ヤバイ! と誰もが感じた。止めねば! と真っ先に動いたのは京一であったが、その時既に、龍麻の口は動いていた。

「俺の名は――寿解無寿解無後光の擦り切れ海舎利水魚水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所やぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンのグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助、だ」

 ああああ…と顔が笑いの形に引き攣ったまま身悶えする一同。龍麻が「交渉は俺がする」と宣言した時点で、この事態を想定しなかったのは致命的なミスであった。

「寿解無寿解無後光の擦り切れ海舎利水魚水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所やぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンのグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助くんだね?」

「ところで貴君も、首は着脱可能か?」

 返事をしない代わりに、妙な事を聞く龍麻。

「え? どういう事だい? 寿解無寿解無後光の擦り切れ海舎利水魚水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所やぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンのグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助くん?」

「轟天号はどこに置いてあるのだ? 物理的限界を超えて巨大ロボットに変形する自転車とは、是非この目で見たいものだ」

「なんだい、それは? 寿解無寿解無後光の擦り切れ海舎利水魚水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所やぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンのグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助くん?」

「この――」

 愛用の木刀の代わりに、葵から渡されたハリセンを振りかぶる京一! 

「――たわけがっ!」

「あうっ」

 緊張感のかけらもない声を上げて地面に沈み――かけて危うく踏み止まる龍麻。田中一郎の方は泥に顔から突っ込んでしまった。

「もう少し緊張感ってものがねーのかッ! テメエは! ――なんだ紫暮! その残念そうなツラァ!」

「――いや、オチまで引っ張れるかとつい期待してしまってなぁ」

 怒鳴られた紫暮が頭を掻く。そう言えばこの男も落語好きであった。

「な、何をするんだいッ!? 君はッ!?」

「テメエは〜〜〜〜ッ! この期に及んでまだとぼける気か〜〜〜〜ッッ!」

 ゴゴゴゴゴ…! と書き文字が京一の周囲を躍る。他の者はもはや呆れて、警戒することも忘れていた。

「な、何のことだい!? 僕は――」

「そのいい加減なネーミングセンス! 大体寿解無以下略なんて名前の人間が本当にいる訳ねェだろッ! それ以前に! 泥の中に顔突っ込んだ奴がどうしてそんなに綺麗なんだよッ!」

 そうなのだ。龍麻は根性で耐え抜いたが、田中一郎は泥に顔を突っ込んだ筈である。それなのに彼の顔は勿論、背広も少しも汚れていないのだ。明らかに「しまった!」という顔をする田中に対し、「何を今更…」と脱力する醍醐たちと、「実在したんだけどな」と呟く紫暮。そして龍麻は日の丸センスを取り出し――

「やあ、これは間抜けであった」

 呆れたように笑ったのは葵とさやかのみで、一同はどっと疲れる。昨夜聞いた龍麻の「今の自分が好き」――こういう自分が好きなのか? 本当に? 

「お、おのれ貴様ら! 生きてここを出られると思うな! ――その場を動くな! 寿解無寿解無後光の擦り切れ海舎利水魚水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所やぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンのグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの…ってぇッ!?」

「…やっこらせっと…うりゃっ」

 正体を見抜かれ、術をかけようとした田中一郎であったが、長い名前を読み上げている間にペットボトルの茶を一服喫してほっと一息までついた龍麻によってコブラツイスト〜凶津流【大蛇絡み】をかけられていた。その病的な肌の色と赤く輝く目、両手の長い爪に、口から覗く鋭い犬歯――からして恐らく吸血鬼だったのだろうが、手加減を知らない龍麻の【大蛇絡み】によってあっという間に全身の骨が砕かれ、文字通り畳まれてしまった。

「あ! 必殺するめ固め! ――って言うか、ハーケンクロイツダイビングかしら?」

「いいえ。あれならキングアラジンですね。ほら、ちゃんと転がってますから」

 なぜか嬉しそうにケラケラと笑う桃香とさやか。かつてないほどに緊張感のない、そして結末も間抜け極まりない戦闘。哀れ田中一郎なる吸血鬼は手足を知恵の輪のように畳まれ、体重ゼロを証明するかのように風に吹かれてカサカサと転がっていった。

「キングアラジンがなんだか知っているのか…。――今のは見なかった事にして、さて、どうしたものかな?」

 何か浸っている龍麻に背を向け、一同に問う醍醐。

「どうするって言っても、でたらめに歩き回っても仕方ないようだね。今の変なのも、迷い込んで出られなくなった魔物だろうし」

「いっそ、大声で呼んでみよっか?」

 そんな事を話し合っていると、またもや一同とは違う声が響いてきた。

「ちょっと待ってやぁッ! ――って、な、なんやっ!?」

 目の前をカサカサと転がっていく吸血鬼を見て驚きの声を上げたのは、幅広の刀を背負った学生服の少年――劉弦月であった。

「あれッ!? 劉クン、何してんの?」

 彼の名を呼んでしまってから「あわわわ!」と小蒔は口を押さえる。

「どうしたんだコスモイエロー! もう戦闘は終わっているぞ!」

 今のを【戦闘】と言ってしまえる紅井に、ある意味一同敬服してしまう。しかし当面は、突然現れた劉の事だ。

「あ、あはは。いや、わいは単なる通りすがりッちゅうことで…」

「何をうろたえているんだ? そうか! 出番がなかったからだな!」

 なぜかこっそり逃げ出そうとしていた劉の前に、高校サッカー期待のストライカー、黒崎が立ち塞がる。――逃げられない! 

「いや、その、わいは…なんちゅうか…さッ、さいなら〜〜〜っ」

「まあ待て」

「あん!? ――って、おわァァ――――ッッッ!?」

 肩に手を置かれ、しかし声がしたのは背後五メートル以上先! 思わず振り返った劉の目に映ったのは、確かにその空間を繋いでいる龍麻の右腕であった。

「はっはっは。驚いたようだな」

「あ、アニキ、あんじょう見逃したってや…!」

 何事もなかったように、元の長さに戻った右手を撫でる龍麻を前に、腰が抜けた上にだ―っと目の幅涙を流しながら哀願する劉。まあ、無理もあるまい。

「ひーちゃんの手、伸びたよね?」

「お、オレも確かに見たッ!」

「うふふ。気にしたら負けよ」

「ですよねー」

 もはや裏密並に怪しくなってきている龍麻だ。手が伸びようが顔が巨大化しようが、同じクラスにいる京一らはいちいち驚くのにも飽きてしまったが、まだ付き合いの浅い劉には理解しがたい現象である。

「うん? 何を見逃すというのだ?」

 龍麻にも一同にも、劉が逃げ出す理由が見つからない。しかし答えたのは、ビビリまくって硬直している劉ではなかった。

「俺がほっとけって言ったのに、おめェらに加勢しようとすっからよ」

 霧が口を利く。それほど離れている訳でもなさそうだが、姿が見えない。ただし声の感じからすると老人のようだ。確信を持てないのは、声の張りと力強さが並ではないからである。

「じ、じいちゃん…!」

 助けを求めるように、劉。しかし霧の奥から響く声は冷たい。

「まったく。だから余計なコトすんなっつったろうが。おかげでそのザマだ」

「わ、わいかてこないな事になるとは思ってなかったさかいに…」

 どうやら劉と霧の向こうにいる人物は知り合いらしい。そしてこの方陣の中をさも当然のように動き回れるとなれば…。

「失礼ですが、楢崎道心先生でいらっしゃいますか?」

 皆を守る【壁】の役割を果たすのは醍醐だ。彼は霧に向かって問い掛けた。

「ふん。俺を捜しに来たなら、分かり切った事を聞くんじゃねェよ。これだけの方陣の中を動き回れるとなりゃ、張った本人に決まってんだろうが」

 【言霊使い】――その言葉からイメージされる神秘性のかけらもない、伝法な口調で返事があり、霧が急速に薄くなるや、色彩の塊を一つ産み落とした。

 一同、絶句。そして…

「エエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!?」

 声を上げたのはやはり小蒔。続いて京一が、

「こ、この胡散臭さ大爆発の酒臭ェサイケなジジイが道心だとォッッ!?」

 本人を目の前に、言いたい放題である。

 しかし、誰も京一らを咎めない。他の者もおおむね、似たような感想を持っていたのだ。

 胡散臭さ大爆発…京一にしてはなんと的を射た表現か。パグ犬のように丸っこくまとまった顔に、禿げ上がった頭…と、ここまでは良いとしよう。しかし白くて長い顎鬚にはリボンだか呪符だか解らない装飾が結ばれ、元は白かったであろうランニングシャツの上に、既に元の形がどうであったか判別不能の、水色の縞模様が入っていると思われる布切れを巻き付け、東南アジアの僧侶のように片方の肩を剥き出しにしている。そして腕には水晶やら、やはり得体の知れない金属の腕輪やらミサンガやら、訳の解らない装飾品を鈴なりにし、極めつけはそこらのコンビニで一個四八〇円なりのサングラスである。

「…破戒僧って、こんなん?」

 意見を求めるように仲間達を振り返る京一であったが、その方面には詳しい筈の如月や雛乃、裏密までもが「さ、さあ…?」と首を傾げてしまった。

「ケッ、餓鬼が知った風な口を利くんじゃねェ。――ンな事より、おめェらはこの俺を捜しに来たんだろう? だったらさっさと付いて来な」

 厳しい目で一同をぐるりと見回し、とりわけ龍麻には厳しい視線を向けてから、道心はさっさと背を向けて歩き出してしまった。

「ちょ、ちょっと待って…って、行っちゃったよ…」

 あれで腰でも曲がっていれば、まだ【それっぽい】のだろうが、背筋はピンと伸びていて年齢を感じさせない。そのせいでより胡散臭さが倍化されてしまう。

「…あんな胡散臭ェジジイ、信用できんのか?」

「う、うむ…。想像していたのと大分違う事は確かだが…」

 尊敬する龍山の言う事とは言え、醍醐はあまり自信なさそうに答える。

「…ここで議論してても始まらないわ。行きましょう、龍麻。――って、何プルプルしているの?」

 珍しく行動的な意見を述べる葵であるが、なにやら考え込んでいる龍麻を見て、心配そうな顔をするよりもまず、カバンの中のハリセンに手が伸びる。

「うむ。顔も知らぬ父の事とは言え、その仲間に会えて感動しているのだ」

「…へえ。そうかい。ひーちゃんも言うようになったじゃねェか…」

 京一も口では賞賛しつつ、手は勝手に木刀を握り締めている。

「まさか、亀○人が仲間にいたとは…おおッ!?」

 次の瞬間、京一の木刀が後頭部に、葵のハリセンが顔面に同時激突。醍醐と小蒔による夫婦アタック(笑)並みのコンビネーションに、龍麻は泥の海に沈み――かけて辛うじて踏み止まった。

「――何をする?」

「テメエは! もう少し緊張感を持てっての!」

 昨夜、自分の出生の秘密を知り、これから【敵】に関する重大事を聞こうという時に、龍麻には全く緊張感も緊迫感もない。本当にいつも通りである。――頼もしいと言えば言えるし、この戦いとてこれまで続いてきた戦いの一部なのだから、今更気合を入れ直す必要もないのだが…。

「まあ、ひーちゃんだからねッ」

「そうですね。龍麻さんですから」

 無責任に同意する小蒔にさやか。そして、その背後でうんうんと頷く一同。

 なんだかんだと振り回されようと、この自然体こそが龍麻の強さである事を理解しているのだった。









 とりあえず霧の中を進む事数分。やがて霧が晴れ、視界が開けた。噴水広場に散歩道、そびえ立つビル――どこから見ても中央公園だが、空気は清浄で、温みがある。一見寒そうな道心の格好が気にならない訳である。浜離宮と同じ結界…方陣とは確かに便利なものであった。

「ふうん。おじいちゃんは本当にここに住んでるんだ…」

 一同が招かれた先にあったのは、立ち木を利用して造られた小さな小屋…昔風に言うならバラックであった。壁はベニヤ板とダンボール。見てくれは悪いが、これでなかなか洒落た造りである。鍋ややかんなども一通り揃っており、干してある布団も若干の染み以外は傷んでいない。

「まァな。家や仕事なんて、新宿じゃあさして重要なもんじゃあるめェよ。この街にはありとあらゆるものが溢れてやがるし、この街の人間はものを捨てるのが大好きだ。まだ使えるものを捨て、まだ食えるものを捨て…へッ、こっちはおかげで大助かりよ」

 さもおかしそうにゲラゲラと笑いつつ、ふと、遠い目をする道心。龍麻の姿を視界の隅に捉えた時のことである。

「…こんなものが…あいつが命を賭けて護ったもんとはな…」

 【こんなもの】、【あいつ】…。この二つが何を指すのか推察するに、想像力は必要ない。少なくとも道心には、この街の実情は【あいつ】こと緋勇弦麻の護りたかった世界とは見えないのだろう。――彼もまた、弦麻の死を悔いている。それが一同には解った。

「まァ、今はそんなこたァどうでも良い」

 道心は肩をすくめ、二〇名近くいる若者の顔をぐるりと見回した。

「ふん…どいつもこいつもいい面構えしてやがるじゃねェか。で、おめェらが中心になっている真神の連中か」

 まずは視線を葵に向ける道心。京一の「さすが破戒僧」という呟きは無視する。

「は、はい。私は美里葵といいます」

「おう、知っとるよ。――他の連中もな」

 一人一人に面識こそないが、見知った者の面影は見ているのだろう。道心はいくつかの顔には懐かしむような視線を送った。そして最後に、龍麻に視線を向けた。

「…龍麻…。まさかおめェまで真神にいるとはな。星の巡りとはつくづく恐ろしいもんだと実感させられるぜ」

「…恐れながら、自分は…」

「あぁ、冬吾に言われて来たって言いてェんだろう? ――肝心なのは切っ掛けじゃねェ。今のおめェなら判るだろ?」

 確かに、龍麻が真神に来たのは鳴滝の指示によるものだ。しかし鳴滝は、それ以上の情報は龍麻に与えなかった。旧校舎の秘密に気付いたのも、そこを訓練場としたのも、その後の戦いも、全て龍麻の意思である。道心はその事を言っているのである。

 ただし、気になる事もある。

「あの〜、それってどういうコト? ひーちゃんが真神に来てくれたのは嬉しいけど、なんだかその言い方だと、他にも真神みたいな所があるみたい…」

 星の巡り――【宿星】。龍山はそれを【運命】とし、龍麻がこの東京へ来たのは【宿星】の導きだと言った。道心もそう認識しているであろうに、龍麻が真神にいることに驚きを感じている。――なかなか鋭い小蒔の質問であった。

「――そいつはいずれ放っといても解るだろうさ。――で、龍山のジジイが俺を訪ねろと言ったのかよ?」

「肯定です」

 リーダーは龍麻。それを承知の上で、道心は龍麻を真っ向から見据えて言った。即答する龍麻。小蒔の質問は、とりあえず今は押さえておく。

「それで、俺に助けてもらえってか? ククク…ハーハッハッハッハッハッ。こりゃあ良い! こいつは気分が良いな!」

 そっくり返って笑い出す道心を、ただ龍麻は黙って眺めているだけだ。京一達にしても、道心がなぜ笑っているのか理解できない。ただし、無礼とも言える彼の態度に雛乃やさやかが少しムっとする。

「――で、おめェはどうなんだ? 助けて欲しいか?」

「………………………何をでしょう?」

 少し考え込んだ末に、この返答。道心はガクッとなった。京一達は何ともない。全員一致で、龍麻と同意見だったからだ。

「…ははあ、なるほどな。考えてみりゃ、おめェはあの弦麻の息子だ。自分の喧嘩に手助けを頼むような真似はしねェよな」

 道心のそれは龍麻への賞賛であったが、京一達は少し言ってやりたいと思う。今、ここにいるのは緋勇弦麻ではなく、緋勇龍麻であるという事を。

「…まあ、俺たちが気を回しすぎた挙句の果てに馬鹿やっちまって、それを許してくれるってんなら、こんなにありがてェ事はねェだろうよ。と、なると、俺にはおめェを手助けする義務があるってこった。今までほったらかしにしたツケも含めて、な」

 弦麻も迦代も、龍麻の【宿星】には気付いていた。当時の仲間は、皆、そうであったろう。だからこそ、龍麻が両親を失った時、少なくとも彼だけは平穏な暮らしを送って欲しいと願った。それが叶わぬ願いである事を知りつつも、ただただ【宿星】のままに修羅の世界を歩ませるには忍びなかった。――それが結果的に弦麻の遺志を踏みにじり、並の者にはありえぬ更なる修羅の世界への扉となってしまったのだ。しかもそこには一同の手が届かず、結果的に放置同然になってしまった。それは道心らにとって二重三重の悔恨であったろう。

 だが、それら全てを許せるほどの器を見せられれば、その片鱗を自らも味わってみたいと思うのが人間の本能だろう。

「だがよ、龍麻。もしも俺が協力しねェと言ったらどうするつもりだったんだ?」

「そいつァ困る」

 龍山は【道心に会え】と言ったのだ。つまり道心は、これからの龍麻の行動の指標となる情報を持っているという事だ。それを教えてもらえないとすると、本当に今まで通り、【敵】の行動に関して後手後手に廻ってしまう。そう考えての京一の言であったが――

「――春風亭小丸」

 恐らくはこの後に卓越した推理能力が必要とされるからこそ発現してしまう、場を弁えない龍麻のボケ。普段ならここで京一の木刀か醍醐の鉄槌か小蒔のボディーブローか葵のハリセンもしくは寝袋か…というところであったが…

「日本の国旗は?」

「――日の丸」

「お金が?」

「――溜まる」

「ドブに?」

「――嵌まる」

「ポリ公に?」

「――捕まる」

「【白鶴】」

「――まる」

「戦国〜」

「――卍丸」(註・PSゲーム)

「うちの富士子が〜ッ」

「――歌丸」

「熱感知」

「――サーマル」

「子供のトイレッ」

「――オマル」

「京一先輩の前の刀」

「――髭切丸」

「巻上げが強い」

「――【電動丸】」(註・ダイワの釣具)

「【ルル亀】!」

「――【おらが丸】」(註・魔夜峰雄氏の漫画)

「怪傑!」

「――ライオン丸」

「雨降って」

「――地固まる」

「空港反対」

「――革マル」

「自民党の幹事長」

「――金丸。惜しい人を亡くした」

「怪しい探検隊」

「――東ケト丸」

「京都の天狗様」

「――門天丸。――誰か止めろ」

 最初にボケ、更にノッてしまった自分が悪いくせに、醍醐、さやか、小蒔、雨紋、亜里沙、裏密、雪乃、アラン、マリィ、霧島、紫暮、桃香、紅井、黒崎、如月、雛乃、紅葉、最後に葵を睨む龍麻。

「…おめェら、仲良いな」

 真面目とボケと、釣り合いを取らねばならぬ龍麻の性癖を理解している一同なればこそであるが、道心は呆れてそれしか言えなかった。とっさにネタを思いつかなかった劉は本領発揮の場面を逃した悔しさで身悶えしている。

 しかし、道心には別の事も解った。龍麻は、弦麻よりも更に多くの仲間に恵まれている。

「まあ良い。それにしても愉快なこった。困る…困るか。俺にそう言ったのは、おめェで二人目だぜ、坊主」

「俺は坊主じゃねェ! ――って、ジジイ、まさか会う奴会う奴そんな事を聞いてるんじゃねェだろうな?」

 龍麻と一同のボケではなく、【困る】という部分が笑いの対象なのだと悟り、京一はあることに気付いた。

「ン――!? って、事は、俺たち以外にも誰かアンタを訪ねて来たって事じゃねェか?」

 この道心の存在を知っている人物…龍麻たちは龍山を通して彼の存在を知ったが、ではその人物は誰だろう? 十七年前の事件に関わった【神威】という事はあるまい。道心の知っている事を、彼らが知らぬ筈はないのだから。

「おうよ。――たまに見かける顔だったが、面と向かうと、ありゃあイイ女だったな。確か、るぽないたあ…とか何とか言ってたな」

「じいちゃんじいちゃん、そら、ルポライターでんがな」

 今度は本領発揮。大阪仕込みのツッコミを入れる劉。

「ああ、そういやあ、そうだったっけか」

「ルポライターで美人? で、事件の事を知ってるとしたら…エリちゃんじゃねェか?」

 この東京にルポライターは多けれど、一連の事件の真相に迫っている者など数えるほどしかいないだろう。そして道心曰く美人で、龍麻たちの周辺に現れる人物と言えば彼女しかいない。

「ウンッ、きっとそうだよッ。――おじいちゃん、その人、天野絵莉って名前でしょ? その人、ボクたちに協力してくれてる人なんだよッ」

「ああ、確かにそんな名前だったな。――なるほど。道理で物騒なモンを持ってる訳だ」

 これも星の巡りか、と道心は愉快そうに笑った。互いに手探りで事件の調査を進める内、同じ場所でぶつかる――確かに偶然と言うには、彼女と関わる場面は多い。

「物騒なモンって…何か、あったんですか?」

 天野絡みで物騒と言えば、龍麻が渡したガンの事だろう。まさか彼女が、いくら胡散臭いからと言ってこの道心に銃を向けるとは思わないが…。

「おうよ。――三日ほど前の事だ。俺がちょいと夜の散歩に出かけたら、とっくに深夜を回ったってのに、ぐーなぼでーの若い女が一人、そこの木陰に突っ立ってやがったのさ。で、後はこの界隈じゃよくある話さ。洟垂れのチンピラが二〜三人寄って来て、さあ手込めにしてやるってところで、いきなりペストルなんぞ抜いてぶっ放しやがったのよ。――「次は当てるわよ」――ククク、久々に驚かされたぜ」

 道心は声を上げて笑ったが、京一や葵などは互いに顔を見合わせ、うんうんと頷いてなどいる龍麻を見る。天野も相当、龍麻に毒(笑)されてるなあ…というのが彼らの正直な感想であった。

「――で、チンピラどもが慌てふためいて逃げていったかと思うと、またその場に突っ立ってるじゃねェか。それで気になって、こっちから声をかけたのよ。ちょっとばかりヒヤヒヤしたけどな。するとどうだ? その女、どこで何を聞きつけてきたのか知らねェが、俺を見るなりこう言いやがった。「東京を護っているのはなんですか」ってな」

「東京を護っているもの…?」

 思い当たるのは江戸五色不動だが、それなら天野も知っている筈である。その彼女が聞きたい事というのは…? 

「おうよ。そしてこうも言った。「江戸時代から続いている、東京を守護する【力】は、今もその効力を保っているのですか?」ってな。――どうだ? おめェらが聞きたいのもこれじゃあねェのかい?」

 顔を見合わせる一同。龍麻もその中に加わっている。

『…そうなのか?』

「…なんでェ、ハモりやがって。おめェら、テメェが何しに来たのかも分からねェのか?」

 きりっと姿勢を正し、顔を道心に向ける龍麻。

「肯定です。――自分達は龍山老師に、道心老師に会うよう言われただけであります」

 龍山には龍麻の出生と、十七年前の事件の顛末を聞いただけである。そしてこれからの事に関して具体的な事は聞かされていない。【刻は近い】――ただ、それだけである。

「チッ、龍山のジジイ…一番面倒臭ェところを押し付けやがって…」

 悪態を一つ付き、道心はやれやれとかぶりを振る。龍山が今、この時を待って龍麻に真実を話したように、道心には、この時に【これ】を話す宿命があるのだろう。

「まあいい。おめェらが知っとかなきゃならねェのは、この東京を守護する【力】の事だ。おめェらには信じられねェ事ばかりだろうが、俺が調べた事を最初から話してやる。――この数百年、東京が五色不動を始めとする超自然的な守護下に置かれていたってのは紛れもねェ事実だ。どれも人々の安全や街の繁栄を祈願する重要なものだが、その中で一つ、特別な目的の下に施されている結界がある。そして、その結界を維持しこの東京を護っているものの正体――そいつは【言霊】ってやつだ」

「【言霊】…ですか」

 なるほど、そういう繋がりか。醍醐は納得したように呟き、他の者もそれに倣う。龍麻の雑学の知識は凄まじいし、仲間にもいろいろな呪法に詳しい者もいるのだから、専門家からの詳しい説明にも耐えられる――そう踏んで、龍山は道心を紹介したのだろう。

「何だ、おめェら、【言霊】も知らねェのか?」

「名前がそのまま呪いになってるってコトだろ? 一応、知ってるぜ」

「――だったらそう言いやがれ。…この東京を護っているもの、それこそが【言霊】による呪法よ。だが、簡単そうに見えて、こいつは誰もがかけられるって訳じゃねェ。それ相応に修行を積んだ者じゃなけりゃかけられねェ、強力な呪だ。――おめェら、天海という名を知っているか?」

 ささっと後退する京一と小蒔。そして――

『はいッ、ひーちゃん!』

「…天海大僧正。比叡山延暦寺の天台宗僧侶。徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた人物。政治、経済、天文、治水各方面に明るく、江戸幕府の根幹を築き上げた。――こんなところです」

「――と、いう訳だぜ」

 龍麻に説明させておいて胸を張る京一を、小蒔が盛大に小突く。それを横目に、しかし道心は軽く頷いた。

「そこまで知っているなら話は早ェ。――天海は己の持つ古今東西のあらゆる呪法を駆使して徳川家を守護した。そして徳川の拠点となる江戸の街造りにおいて、天海は最強の風水都市である京都に目を付けたってェ訳だ」

 京都…僅か三日の滞在であったが、いろいろと思い出深い土地である。そして京都…平安京が当時最高の呪術都市として建立されたのは、昨今の風水ブームで周知の事実となりつつある。まだ首都が平城京にあった頃、権力争いに敗れた早良親王が怨霊となって暴れたので、当時の天皇は遷都を決行、長岡京を建設するのだが、早良親王の怨霊はここでも祟りをなし、僅か十年で長岡京は見捨てられた。そして早良親王の怨霊を鎮め、また、あらゆる怨霊、鬼、呪法に対する完璧な護りを有する都市を目指し、平安京が造られた。その建設には当時最高の知識、呪力を持つ陰陽師や風水師が招聘され、風水の本場中国の長安にも劣らぬ見事な風水都市を造り上げるに至ったのである。

「天海は、江戸も京都並みの呪術都市に仕上げたかった。ところが江戸は水浸しの土地と小山程度の台地しかない、それも数々の戦乱で多くの血が流された、地相的には最悪と言っていい場所だった。だが天海はそこで諦めるようなタマじゃねェ。なければ、造るまでと考えたのよ。それが――【言霊】って訳だ」

 そこまで聞いたところで、一同の頭に疑問が浮かぶ。

「ちょっと待ってくんない? 何でわざわざそんな面倒臭い事すんのさ?」

「そうよねェ。昔の戦国ブショーって、みんな京都を目指したって聞いてるわよ? ――って、その、珍獣でも見るような目はやめてよッ」

 こういう難しい話の時は逃避モード組の亜里沙と桃香の発言に、一同が目を丸くする。

「それはおいおい説明してやる。とりあえずこの天海だが…そうまでして天海が護ろうとしたものは果たして何であったか…。龍麻、おめェはどう思う? 徳川家か、それとも江戸の町か」

「…食物がなければ人は生きていけないが、纏め役が必要なのも事実。――体制側の人間ならば、まず徳川家でしょう」

 龍麻は世界の現実を見てきた男だ。そしてその現実は、今も昔も特に変わっていない。

「ま、そう考えるのが普通だろうよ。そして実際、天海が【言霊】を使ってこの地に敷いた方陣は、全て徳川の権威と繁栄を護るためのもんだった。だがよ、結果的にはこの長き時代に渡ってこの東京…ひいては日本というちっぽけな島国を護る事になったのもまた事実さ。案外、そこまで計算していたのかも知れねェぜ」

「結果論ですが、確かに良かった事でしょう。日本は列強の完全な植民地支配を免れ、現代まで一国家として残っています」

 他の者から見れば、可愛げのかけらもない言葉である。理想や願望は、結局の所それ以上のものではないと解っている男の言葉だ。

「くくく…本当におめェは親父殿に似てやがる。口先よりも行動で、理想よりも現実を――か。おめェの親父殿も、あとのもんの言う事なんざ関係ねェ、その場その時、テメエが一番良いと思った事をやってのける男だったぜ」

「恐縮です」

「唯一似てねェと思うのは、その礼儀の固まりみてェなところだな。その辺は迦代さんそっくりだが、俺の前じゃ構わねェからもっと楽にしやがれ。ところで――そっちの連中はちゃんと理解してっか?」

「え! ぼ、ボク!? え〜と…」

 うろたえた声を上げたのは小蒔だけではない。霧島や紅井、黒埼も逃避モード組である。

「きょ、京一! キミはどうッ!? ちゃんと解ってるッ!?」

 小蒔としてはいい生贄を見つけたと思ったに違いない。しかし…

「…あのなあ、別に難しいこと言ってねェじゃねェか」

 意外と言えば意外すぎる人物からそんな事を言われ、ドツボに嵌まる小蒔。

「HA−HA。難しく考えるから解りにくいんですヨ。基本的な基地構築手順と考える事ですネ」

 要するに、徳川家の拠点となる江戸を護る手段として、従来の堀や城壁だけではなく、京都にならって【風水】や【言霊】などの手段も行使したというだけの事だ。

「…まあ、その程度の認識でも十分だ。だが呪法によって繁栄を促し、あらゆる災厄を退けるためには、必ず厳重に封じねばならぬ場所がある。――言うまでもなく、鬼門よ」

「あ! それなら知ってるよッ。え〜と…北東の方角で、昔風に言うとうしとらの方角のコトッ」

 どうだ! エッヘン! と胸を張る小蒔に、道心は苦笑半分に笑って見せた。

「そうよ。大は国から小は個室まで、この方角からは邪気やら災い、鬼や死霊が出入りすると信じられ、はるか昔から忌み嫌われ、厳重に封じるべき方角なのさ。さっきも言った天台宗の総本山、比叡山も京都の鬼門封じとして建てられているんだ。まあ、他にも裏鬼門やらなんやらあるが、それは脇に置いといて、天海が江戸の鬼門を封じた方法だが…」

 道心は一旦言葉を切り、注意を促した。ここからが重要な所だと悟り、逃避モード組も真剣に耳を傾ける。

「まず、鬼門たる場所に、東叡山と名付けた。こいつは、東の比叡山という意味だ」

「それが【言霊】…ですね?」

「ビンゴ――」

 ちゃんと話を理解していると証明した醍醐に、道心はにやりと笑って見せる。

「それまでは名もねェただの小山が、そう名付けられた瞬間から東の比叡山としての【力】を持ち始めた。この要領で、弁財天の祀られているちっぽけな池は琵琶湖となり、桜の植えられた小山は吉野山となり、輪王寺って小寺は京都御所になり――遂には京都最強の方陣をそっくり再現してのけたって訳だ。その場所こそ江戸の鬼門、上野寛永寺だ」

「上野…寛永寺…」

 珍しく、龍麻はポツリと呟く。ごく最近、彼はその近くを通り過ぎた事がある。――池袋での戦いの翌日、あの象たちに礼を告げに上野動物園に行った時だ。あの時には特に異常は感じなかったが…。

「――この東京に散らばっているお寺に、土地の信仰を集める以上の意味がある事はこれまでに学びました。でも、道心さん。江戸の…この東京の鬼門はそれほどまでに堅固に封じねばならなかったものなのですか? 京都を再現してまで…」

「勿論…と言いてェところだが…」

 ここでもう一度、道心は言葉を切った。――誰かが唾を飲み込む音がやけに大きく響く。

「実はこの話には、とんでもねェ事実が隠されている。いいか? ここからが、俺が今、この瞬間に語るように定められた真実ってやつだ。この十七年、中国とこの日本を渡り歩いて、やっと辿り着いた答えだ。――龍麻、心して聞けよ」

「了解です」

 龍麻に緊張はなく、しかし聞く姿勢は真剣そのものだ。道心は大きく頷いた。

「まだおめェが乳飲み子だったあの時にゃ、こんな重てえ話を俺の口から伝える事になるとは夢にも思わなかったぜ」

 それから、鋭い視線を一同に向ける道心。その迫力、威厳。確かに、龍脈を護る【神威】の一人として戦った男の姿だった。

「いいか、おめェら。こいつは常に歴史の影で密かに語り継がれ、長らく守られてきた秘密だ。そして現代でこの事を知り得たのは俺と龍山、あとは関東一の陰陽師である御門の若棟梁くれェのもんだろう。――俺はさっき、上野寛永寺が江戸の鬼門だと言った。だが当時の江戸城本丸から正確に北東を測ると、寛永寺は鬼門じゃあねェのよ」

「えッ――!?」

「ちょ…っと…。何それッ――!?」

 その場の全員の気持ちを代弁し、葵と小蒔が声を上げる。江戸の鬼門を封じるためにわざわざ天海が京都の方陣を再現したと言うのに、寛永寺は実は鬼門ではないという。――訳が判らない。如月や雛乃でさえ絶句している。

「江戸の鬼門を封じていたのは、浅草の浅草寺なのよ。この事実は幕府、明治政府、戦後の民主政府と、国家ぐるみで隠蔽され、江戸城の正確な見取り図も厳重に封印されていたんでな。御門の若棟梁の口利きがあるまで、手掛かり一つなかったぜ。では――鬼門を封じるためだと偽ってまで、京都最強の方陣を再現して建立された寛永寺は、果たして何を封じるためであったのか。――そう。それこそが、この江戸にあり、日本で最大の【力】を有する最強の【龍穴】。――真にこの島国の【黄龍】のおわす穴よ――」



 ――ドクン! 



 ここでも、だった。【黄龍】――その単語を耳にした途端に、龍麻の中で血が騒ぎ始める。【力】が際限なく膨れ上がり、身体が内側から吹き飛んでしまいそうな感覚すら覚える。まるで何かが、肉体という殻を破って飛び出そうとするかのように。

 だが、今は【四神】の全てが揃っている。醍醐、マリィ、如月、アランが龍麻の周囲に位置を定めているので、先日のような暴走状態には陥らない。

「もとよりこの島国ははるかな太古から大地の龍の住処だった。その長たる龍こそ【黄龍】と呼ばれる。そしてその【黄龍】が棲みたる穴より噴き出す、大地を統べる大いなる【力】は、いつの時代にも、それを受ける資格を有するたった一人のためだけにあるのよ」

 道心の目は鋭く龍麻を射抜いた。その意味するところは、誰にとっても想像に難くない。現に、この秘密に近いところにいた御門は言ったではないか。龍麻を――【黄龍の器】だと。そして、IFAF最強の妖魔ハンター【ザ・パンサー】も、謎の女騎士ピセルも、心ある人々の供養によって神域に達した象のトンキーも、龍麻を【大地の力を受け継ぎし者】と。

「――その資格とは、卓越した【力】を持つ者と、【菩薩眼】の天女との間に生を受けた者に与えられる。その者の名こそ【黄龍の器】。――そう。おめェの事だ。緋勇――龍麻」



 ――ドクン! ドクンッ! ドクンッ!! ドクンッッッ!! 



「――ひーちゃん! ――大丈夫か?」

「――肯定だ」

 確かに血は震え、【力】が湧き上がってくるが、【四神】のおかげで制御可能範囲内である。それよりも問題は――

「お、おいッ!? 美里もかよッ!?」

 我が身を抱くようにした葵の全身からも、青い光が発せられている。いつものように均整の取れた円形ではなく、炎のように激しいオーラ。しかし、恐れを抱かせるようなものではない。

「【黄龍の器】…それが龍麻の宿命…」

「葵!? 大丈夫ッ!?」

 熱にうかされたような葵の声に、小蒔が叫ぶように言う。

「解らない…。体が凄く熱くて…でも大丈夫…不快じゃないわ…」

 不快じゃない…。そう言われてほっとする小蒔。

「心配するな、嬢ちゃん。【菩薩眼】が器たる者の覚醒に共鳴しているだけだ」

 道心は労わるように葵に言い、龍麻を示した。今、龍麻の全身から発せられているのは、皆のものとは異なる金色のオーラである。

「自覚が覚醒を早め、【力】を高める。――【菩薩眼】と【黄龍の器】の間には、人の歴史以上に、深い関わりがあるのよ。俺たちなどには計り知れぬ太古の記憶が共鳴しているんだ。ここまで強くなくても、おめェらにも心当たりの一つや二つあるだろう?」

「ああ…解るぜ…」

 最初に口を開いたのは京一であった。

「ひーちゃんを見た瞬間に、妙に気にかかったのを覚えてるぜ。自分で言うのもなんだが、この俺がヤローのために校舎を案内するなんてよ。それもこんな――能面ヅラで軍事オタクでやる事なす事クソ真面目で、ちょっと油断すると全国の女性を敵に回しそうなとんでもねー事を口走るハシビロコウみてェな朴念仁相手になァ」

「ウン…ボクも…解るよ…」

 小蒔も、京一に教育的制裁を加える龍麻と、その襟首を掴んで止める葵を交互に眺めて言う。

「最初は、葵が男の子に話し掛けるなんて珍しいなって思ったけど、ひーちゃんと話した時、なんだか凄く懐かしいような気がしたんだ」

「今考えると、俺もそうだ。闘争心が触発されただけじゃない…なにか、俺があるべき場所を見つけたような気がした」

 醍醐が重々しく頷くのに合わせて、仲間たちはそれぞれに、龍麻に感じた第一印象を語り合う。亜里沙は銃撃までされたのに、如月は散弾銃を突きつけられたのに、雪乃と雛乃に至ってはレジャープールでSEALSの潜水装備に身を固めていた(大笑)のに、とどめにコスモレンジャーは、顔すら見せていないスパイ○ーマン(爆笑)であった龍麻に不思議な懐かしさを覚えたという。他の者もおおむね似たようなものだ。世間一般の常識を明らかに逸脱している龍麻に、親しみや懐かしさを覚え、彼を恐れたり忌避したりしなかったのだ。

「でも、私たちは、私たちの意志で龍麻に付いて行く事を決めました」

 決して【宿星】や宿命に従った訳ではない――葵はきっぱりと言い切る。彼女も本当に強くなったと京一は思う。――龍麻をハリセン一発で沈めた事も含めて。

「おう。それもまた、【黄龍の器】たる者の資質よ。龍脈の【力】を得、時代の覇者となり、新しい歴史を開く棟梁――そいつは独立独歩で何でもこなせるスーパーマンだの救世主だのの事じゃねェ。おめェらが自分の意志でここにいる事こそ、龍麻が【黄龍の器】たる証。すなわち、龍麻こそが時代に選ばれしもの――その筈だった」

「――なんだよ、それ?」

 龍山の言っていた複雑な因果の輪――そこに道心の言葉が加わり、さすがの京一も【宿星】というものの重さを実感し始めていた時の事である。これまでの人生は自分の選択によるもの――これは譲れないが、今、道心の発した言葉は、なぜか京一の背に悪寒を走らせた。

「【黄龍の器】は、一つの時代に一人。これが鉄則だった。ところが、この時代に限って二人存在しているのよ」

「二人…ですって!?」

 如月が口を挟み、それきり絶句する。

 【四神】の一人として、そして最もその宿命に忠実であった如月だ。自分が【四神】の一人である以上、【黄龍】に従うのは必定――自分の選択をとりあえず脇に置くと、そういう事になるのである。だが、【黄龍の器】が二人存在するとなると、【四神】はどうなる? 

「森羅万象二極一対――この世の理を考えてみれば、むしろ【器】が一つしかねェなんて考える方が間違っていたんだろうよ。喩えるなら、龍麻、おめェは【陽の器】だ。そしてもう一人は【陰の器】。――正体は解らねェが、この大地の乱れっぷりを視るに、【陰の器】は既に【黄龍】を受け入れる為に必要な覚醒の最終段階に入っていると考えられるぜ。あの男…【凶星の者】は俺たちより遥かに知識を貯えてやがるからな」

 【凶星の者】――十七年前の闘いの元凶。龍脈を狙う者。鬼道衆を操り、常に陰で暗躍していた者。九角を復活させたのも、池袋の事件で大量の怨霊をけしかけたのも、拳武館に龍麻の暗殺依頼をしたのも、阿師谷親子を唆したのもそいつだろう。

「十七年前の事件でも、奴は逸早く中国は客家にある黄龍の穴の活性化を察知し、【黄龍の器】たる者を探し出して、己の傀儡として大陸の龍脈の【力】を得ようとしていた。だが【器】自体の弱さと、奴の施した覚醒の法が未完成であった事、そして弦麻の犠牲によって、全ては歴史の影に葬られたって訳だ。――天海が上野の地を鬼門だと偽ってまで【黄龍】の穴を封じたのも、人間如きにゃ決して制する事のできない【力】と、いつか現れるであろう【器】の存在を恐れての事だろうよ。あるいは――ほんの爪の先ほど、龍脈の【力】を利用しうる可能性にも期待していたかも知れねェがな」

 全ては本人しか知らぬ事だろうが、その【凶星の者】にしろ天海にしろ、それぞれ思うところがあったに違いない。少なくとも天海に関しては、徳川を護るために方陣を敷いた。そして徳川は九角家から【菩薩眼】を奪い、その【力】を我が物として発展した。――少なくとも三百年ほどは天海の、徳川の思い通りの天下になったのである。

「…整理します。徳川幕府は滅びたけれど、天海大僧正がそれほどまでに厳重な封印を施したおかげで、この地そのものは無事だったのですね。それが先ほど仰っていた、この日本を守る事にも繋がったと」

「――そういうこった。こいつは推測に過ぎねェが、幕府が滅びた時にも【器】が出現していたんじゃねェかな。そいつに【力】が流れた為に徳川家は、トップの座から退く事になったってェ訳だ」

 そこでふと、葵は頬に指を当てた。

「でも、徳川家自体は滅びていませんよね? 大政奉還の後にも、徳川家は明治政府の重鎮を勤めています。そして江戸城は、今では皇居になってますよね」

「おうよ。――そいつは良いところに目を付けたぜ、お嬢ちゃん。【器】さえ現れなければ徳川の世は続いてたんだろうが、トップの座から降りる破目になったって事は、そこに【器】がいたって事になる。そいつがどういう人間だったかは判らねェが、最終的に【龍穴】の【力】を天皇家が受け継ぐ形になったって事は、そいつはテメエの欲望やら野望なんかねェ、それこそ弦麻か龍麻みてェな奴だったのかも知れねェな。結構な動乱や混乱はあったにせよ、おおよそ現代まで続く、無難な形に収まったんだからよ」

 すると今度は如月が【そういう事か…】と呟いたので、彼に視線が集まる。

「如月。何か判ったのか?」

 醍醐が問うと、如月はアラン、マリィに視線を向けてから頷いた。

「この一件に直接の関係はないだろうけどね。――徳川幕府が【龍穴】の【力】を得るに当たっては僕の家…飛水家が継承する【四神】の一つである【玄武】の守護もあったという事だろう。しかし幕府の解体と共に飛水忍群は公儀隠密としての役目を終え、当時の飛水忍群当主、涼浬は江戸の町の守護を使命として市井の身となった。つまり天皇が江戸城に居を移したとしても、かつてほどの【力】は受けられなくなったんじゃないかな。独立国家としての体裁は守りつつも、後の歴史で何度も戦争を経験し、遂には敗戦し、東京は一度、焼け野原になった訳だしね」

「成る程な。【四神】の【力】が野に下ったとなりゃ、守りを失った【龍穴】も衰えるだろうよ。はっきりした事は判らねェが、大正の頃と大戦中にも、【龍脈】をめぐる戦があったってェ話も、その辺に由来するのかもな。【器】にしろ何にしろ、潜在的な有資格者は世界中にいるだろうしよ。突飛な話だが、古くは周の武王、アレキサンダー大王、ユリウス・カエサル皇帝、曹操猛徳、チンギス・ハーン、ナポレオン・ボナパルト…日本に限っても平将門、織田信長なんてえ連中も【器】だったかも知れねェって、昔の仲間…マックスってェ弦麻のダチが言ってたぜ。少なくともアドルフ・ヒットラーに関しちゃ間違いねェとよ」

「あのヒットラーが【器】ですって!?」

 醍醐が驚き、そんな馬鹿なと頭を振るが、龍麻は深く頷いた。

「その可能性は大いにあります。俺を造った科学者…ドクター・スカルはナチ親衛隊の一人として【龍脈】研究に従事していましたし、イタリア戦線におけるモンテ・カッシーノの陥落がナチス・ドイツの明暗を分けたと、陰で囁かれています。モンテ・カッシーノが【レイ・ポイント】である事は古代ローマ帝国期から知られていましたから。もしヒットラーが【器】であったならば、一般兵上がりの平凡な伍長で、しかもナチス党の熱心な信奉者でもない彼が一国の総統に祭り上げられたのも理解できます。更に、そこに【凶星の者】の介入があったとすると、詩や絵画を好んだ若き日の彼と、総統就任後の彼の性格が異常なほど異なるのも説明が付きます」

「ほう。そいつは俺も初耳だ。するってェと、【器】が二つあるなんて話も説明できるぜ。仮に【器】が【龍脈】の【力】を手中に収めたとしても、もう一つの【器】がその暴走を押さえる役を務めるとな。それなら今しがた挙げた連中が野望半ばで果てたのも無理はねェ。自分の対となる存在を、この世界から見つけ出して始末するなんてこたァ至難の業だ。そして今までの推測が全部当たっているとなりゃあ…」

 そこで道心は言葉を切り、全員の顔を一つ一つ眺めやった。そして最後に、鋭い視線を龍麻に向ける。

「――真に【器】たる者は【四神】に護られているって事だ。そして本物の【器】が現れた以上、【龍穴】がその者を拒む事はあるめェ」

 自然に、全員の視線が龍麻に集まった。常に自分達の中心にあり、自分たちを強力に牽引し、困難な事件を解決していくリーダー。【四神】に限らず、一癖も二癖もある連中が自らの意思で付いていくと決めた男。【黄龍の器】【時代の棟梁】…別にそんな枕詞など要らないが、確かに彼ならばそう名乗っても賛同できる。

 そして彼は、その信頼の基となっている思考力と推理力で、なにやら考え込んでいる。

「…ひーちゃん。どうだ?」

 どうした? ではなく、どうだ? と聞いたところがいかにも京一らしい。

「…うむ。ますます謎が増えたな」

 久し振りに発揮される龍麻の推理能力に、全員の期待が集まる。

 龍麻は指を折った。

「まず一点――【黄龍の器】は卓越した【気】の持ち主と【菩薩眼】の間に生まれる。この場合は俺の両親だが、【器】が二つ存在するのはなぜか?」

「そうだね。潜在的な有資格者が世界中にいると仮定しても、【器】として顕現し【龍脈】の【力】を欲するならば、それに相応しい能力を備えていなければならない。現代において龍麻君に匹敵するほどの【器】が世に知られぬまま存在するとは考えにくいね」

 如月も同意する。そこですかさず小蒔が、恐ろしく的を射た事を聞いた。

「おじいちゃん。ひょっとして…ひーちゃんに兄弟がいたって事はない?」

 一同、ドキリ! とするが、道心は首を横に振った。

「いや、それは絶対にありえねェ。迦代さんはとんでもねェ箱入り娘だったし、龍麻を取り上げたのは桜ヶ丘の先代院長とたか子だ。弦麻と迦代さんの間にゃ龍麻一人しか子はいねェ」

 道心の力強い断言は、しかし謎を確定的にしただけであった。

 龍麻は更に指を折る。

「二点目――【敵】の目的が皆目不明だ。――これまでの情報からするとこの世を地獄に変えるとか言っているが、具体的にどのような状態を望んでいるのか解らない」

「――【腹が減っては戦はできぬ】――食べ物を作る人がいなければ人は生きていけない。本気でそんな事を考えているとしたら、救いようがないわね」

 口調は穏やかだが、辛辣な事を言う葵。【菩薩眼】を巡る九角家と徳川家の争いも、水岐と【深きものども】も、ジル・ローゼス率いるネオナチも、そして【Z−GRAT】も…いずれも、自分が誰のおかげで生きていられるのか解っていない者たちと、そんな彼らが引き起こした戦争だ。

 奪う側の人間は、奪われる側の人間の事を考えない。しかし、奪われる側の人間が死に絶えれば、奪う側の人間もまた、死に絶えるのだ。自然界ではそれを避けるために生態系というシステムがあるが、人間だけがそのシステムから外れて勝手な事ばかりしている。それが自分の首を締めている事に気付きながら、それをやめようとしない。もっと解り易い例を挙げるなら、蛇口を捻ると水が出るのも、スイッチを入れれば明かりが点くのも、どこかで誰かが、その為の仕事に従事していてくれるからだ。

「三点目――【敵】は一体なんなのか? 全ての事件を陰で操っていたと仮定して、【敵】は恐ろしく知識を貯え、行動力も並ではない。しかし行動パターンは明らかに人間のそれだ。――ありえない」

「…解りますわ。龍脈の活性化は早くても数十年単位で起きるもの。人間の寿命ではチャンスを窺う期間が長すぎます。ヒットラーの一件もその者の策ならば約六〇年。中国客家の事件からでさえ、十七年――。寿命を持たない人外ならばともかく、人間では…」

 人間は基本的に生き急ぐ。人間には寿命が――人生の締め切りがあるからだ。しかしこの【敵】は、そんな人間の特性を持ちながら、同時に人外の時間感覚をも有しているようだ。

「ああ、なるほど。時間が有り余っているなら、別にムキになって事を急ぐ必要はねェし、逆に時間がねェなら、もっと必死になってもいいって事か。――なんだか作家と締め切りの関係みてェだな。――てェッ!?」

 突然、何者かに頭を殴られて昏倒する京一。何者か、とは、この場にいる誰かではない。

「…天罰だな、きっと」

 腕組みして言う醍醐に激しく同意する一同。龍麻は咳払いを一つして、

「四点目――これが俺にとって最大の疑問だ。――俺は少なくとも【敵】の能力の一端を見た。それがあまりに異質で強大である事もある程度承知している。――そんな【敵】を相手に緋勇弦麻はどうやって戦い、封印する事に成功したのか?」

 これは、誰もが頭に浮かびながら、口にする事ができなかった疑問であった。

 龍山の話では、緋勇弦麻は病床の迦代、生後間もない龍麻と共に【凶星の者】を待ち受け、決戦を挑んだのだ。そして、封印に成功した。己と妻の命を引き換えにして。だが、その為に弦麻が取った手段は、自らを囮にして自分たちごと生き埋めにさせたとしか明かされていない。

「おめェ…親父殿を疑うのか?」

 さすがに道心の目が鋭くなる。弦麻の死は当時の【神威】たちの胸に忘れ得ぬ後悔として突き刺さっていたのだ。それを息子である龍麻は許したが、あろう事かその龍麻がもう一度傷口をえぐるような発言をしたのである。

「極めて単純な疑問です」

 龍麻はきっぱりと言う。

「自分と家族を囮にして【凶星の者】を誘い出し、己の命と引き換えに封印――ただそれだけでは、何が勝利の鍵であったのか見当も付きません。未だ自分は父、緋勇弦麻の顔すら知りませんが、親交のあった方々の話を聞く限り、破天荒で傲岸不遜と見えながら人一倍の仲間想いで意地っ張り、試合的勝利には貪欲でも殺し合いには興味なし、勝算がない戦いを挑むような真似はせず、【敵】との和解こそが勝利であると認識するタイプであると推察できます。――そんな彼が家族を囮に使うか? みすみす妻まで犠牲にするか? その程度の作戦で、仲間たちまで欺く必要があったのか? そして何よりも、なぜ【凶星の者】がのこのこ岩戸に足を踏み入れるなどと思えたのか? これらの行動全てに、合理的な説明が付きません。敢えて強弁するならば、緋勇弦麻はこの結果〜夫婦揃っての死を条件に、【凶星の者】に封印される事を受け入れさせたとも考えられます」

「龍麻! おめェ…!!」

 自分の父親の死を、客観的に、冷徹に分析する龍麻に、道心は激昂した。言うに事欠いて、緋勇夫婦の死を条件に、【凶星の者】と取引したのかも知れぬなどとは…! 

 龍麻は静かに続ける。

「自分の感覚で言えば、それは敗北と同義です。自分と妻の命を投げ出して、稼げた時間がたった十七年でしかなかったと。しかしこの件に関しては、理屈を抜きにしてこれこそが【勝利】と確信できる【何か】を感じます。だからこそ当時のあなた方は【決着】と判断した。――違いますか?」

 今にも龍麻の胸倉でも掴みかねない道心であったが、その言葉を受けて腰を落ち着かせた。

「そうかも…そうかも知れねェ…。あの男…あの修羅の瞳をした男が望むものを知りうる事ができたのは弦麻の奴だけだった。あの男と直接拳を交えたのは弦麻の奴だけだったし、最後の頃じゃ敵意すら見せなくなってたからな…。だがな、龍麻! 例えそれが何であれ、止めなきゃならねェ事だってのは解るだろッ!? たった一人が支配する世界になんぞ、真の平穏はあり得ねェんだからよ。少なくとも弦麻は…弦麻と迦代さんはおめェを、おめェが生きるこれからの世界を護ろうとしたのは間違いねェ。――おめェにだってある筈だぜ。テメェの命に換えても、護りてェもんがよ…」

「肯定です」

 龍麻の言葉に重みはない。使命感とか、そういうものに縛られ、あるいは望んでその生き方を選んだ者と違い、龍麻はそうする事が当然という生き方を強要され、自由を得た今でも、そこに自分の存在意義を見出している。既に【護る事】が【生き方】になっている彼に、改めて使命の重さを訴える必要はない。

「そうか…。それなら…テメェの手で護るっきゃねェだろ。おめェにゃ、その【力】があるんだからよ」

「いつもと同じであります。そして自分は、一人ではありません」

 それは、龍山にも言った事だ。陽でも陰でもなく、ただ、人を不幸にしないための【力】。――龍麻にとっては【神威】の【力】も銃やナイフ、あるいは核兵器と同じ【道具】に過ぎない。だが、それを持つが故に自分を厳しく律し、巨大な人災、不幸を招かぬために正義にあらぬ【力】を行使する。

 彼ら【真神愚連隊】はそうやってこれまで戦ってきた。自分達の【使命】が明確になり、真の【敵】が見えてきたからといって、それが変わる筈もない。

 いつしか、龍麻の両肩に、京一と醍醐の手が置かれていた。彼の近くにいれば、誰もがそうしたい行為だった。

「…その通りだぜ、ひーちゃん。何が目的かは解らねェが、とりあえず【敵】は見えたって訳だな」

「ああ。何があろうと俺たちがやる事は一つ。【索敵と撃滅サーチ・アンド・デストロイ】だ」

 全員の視線が龍麻一人に注がれる。強い意志を秘めた目、目、目…。いつでも動ける。すぐにでも闘える。そう、目が語っている。

「敵の本拠地は上野、寛永寺。それで良いのですね?」

 それさえ解れば、やる事は本当にいつもと同じだ。敵の戦力を見極め、万全の準備を整え、攻略する。【凶星の者】がどれほどの戦闘力を有しているのか不明だが、龍麻ならば、いざ必要となれば戦車だろうが戦闘機だろうが動員しかねない。――必ず勝てる。希望でも自信でもなく、それは全員に共通してある、確信であった。

「――ああ、間違いねェ。――だがよ、龍麻。おめェの事だから心配いらねェとは思うが、決して無理はするな。あの男は謎が多すぎる。何しろ――」

 何事か、道心が言いかけた時の事である。天地が鳴動し、道心のバラックがミシミシと物騒な音を立てた。

「何だッ!? 地震かッ!?」

 紅井が叫ぶが、如月が、紅葉がその問いを背中で断ち切る。京一も、醍醐も、その場に居合わせる全ての者が龍麻を中心に全方位警戒態勢を作った。

 どこかから、薄氷が砕け散るような音。――同時に、大地の鳴動が収まる。

「…方陣が破られたな。龍麻よォ、どうやら客が来たようだぜ」

 不敵な台詞とは裏腹に、道心の心中は戦慄で満たされていた。

(この俺の方陣をいとも容易く破りやがった…! こんな真似ができるのは――!?)

「――【真神愚連隊ラフネックス】、状況開始」

 凛とした声が道心の黙考を破った。既にこの場の全員が全開戦闘を可能とする態勢にある。方陣が破れた影響か、周囲には【陰気】が篭り始めており、その濃密さを誰もが感じ取り、何も言わずとも備えているのだ。

「道心先生、下がっていてください。この場は俺たちに任せてください」

 既に索敵行動に入っている龍麻に代わり、醍醐が道心に告げる。十七年前よりも更に若い連中にこのような事を言われるのは業腹だが――道心は静かに頷いた。

「そうだな…。今、この地を背負っているのはおめェらだ。年寄りは引っ込ませてもらうとするか。――相手は恐らく人間じゃねェ。油断するんじゃねェぞ」

「はは、大丈夫やって、じいちゃん。ここはわいらに任せて、酒でも飲みながらのんびり観戦しててやッ。【老兵は死なず】やッ」

 周囲に漲る【陰気】の濃さを実感しているだろうに、楽観的な劉の声。道心が苦笑する。

「その後に【ただ消え去るのみ】って続く事を知らねェのか、おめェは。――まあ良い、死ぬんじゃねェぞ、餓鬼ども」

















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