第拾九話 陰陽師 5





 陰陽道で作り出される結界は、やはり同じような空間を形成するらしい。浜離宮の時と同じ霧に包まれた一同は、霧が晴れた時、【表】の富岡八幡宮とは似ても似つかない場所に立っていた。

「……ッッ!」

 一同は、特に女性陣が顔を顰めて口元を押さえる。

 そこは、かつて不毛の地であった頃の再現か? 土台から傾いている破れ障子の小さな神社を中心に、どろりとした水溜りが各所に点在する湿地帯であった。枯れススキや葦が頼りなく風に吹かれると、時折地面からゴボリ、モゴリと泡が立ち、なにやら不気味なガスが立ち昇る。そして何より嫌悪感を掻き立てられるのは、無残に打ち捨てられたままになって泥に埋もれている屍。ドブ色に染まった骸骨であった。時の権力者に逆らった反逆者の屍らしく、手足の骨は散乱し、まともな形を残しているものは殆どない。深々と刀傷を刻まれた髑髏の虚ろな眼窩は、無限の恨みを込めてこちらをねめつけているようだ。死臭と血臭も酷く強く、息をするのも嫌になるほどであった。

 そこに、例のオカマが立っていた。その隣には、かなりの高齢と見える老人。

「…よく来たの。御門の小倅…そして、緋勇龍麻」

 老人が口を開く。陰々滅々とした声。頭頂部が禿げ上がり、後頭部と側頭部に残る髪もざんばら、汚らしく白髪が入り混じり、ただでさえ狒々のような凶相を更に悪相に変えている。服装も最悪。昔の仙人のような、大きなコブの付いた木の杖を持ち、焦げ茶の作務衣に狸の皮と思しきちゃんちゃんこ…。息子(?)のセンスも常識を疑うが、カエルの子はやはりカエルであった。

「なんでェ。大層な肩書きだからどんなヤツかと思ってたら、よぼよぼのジジイじゃねェか。それに一応、【普通ノーマル】だし」

「うむ。オカマは分裂して増えると聞いていたが」

 ――誰に聞いたんだ、そんな事!? ――は、さて置き、見た目より危険な老人の【力】を感じ取り、警戒する一同であった。この結界内…どこに罠があってもおかしくない。

「ふんッ、小生意気な餓鬼どもよ。このわしにそんな口を利いて、ただで済むと思うでないぞッ」

 杖をドスン! と地面に突き立てる老人。湿地帯ゆえ、杖の先端がずぶりと泥に突き立ち、そこからガスが立ち昇る。だが老人はそんな悪臭さえもかぐわしく吸っているかのようであった。

「ふふん…。まァ良い。この阿師谷家第九十二代当主、阿師谷導摩。今ここに、始祖道満様の無念より、連綿と連なる我が一族の怨恨を晴らしてくれん。――ひひ、これも全ては蚩尤旗の出現と、あのお方のご助力のお蔭。このわしの代で、このような機会に恵まれるとはのう…」

 龍麻は状況走査に忙しく、導摩の妄想など聞いてはいない。ただ、陰陽師の作り出した異常な空間のため、陣形をデルタ・フォーメーションに取る。敵が陰陽師と言うならば、必ず式神をけしかけてくる筈。だが、未だにそれらしいものは姿を見せていない。そして、目の前に姿を見せているこの二人も、ただの影という可能性がある以上、狙撃して終わり――という訳には行かない。

「――なるほど。もはや【器】を手中に収め、この地の覇権を握る事は、もはやあなた方【シグマ】の目的ではなくなったという訳ですか。それどころか更に落ちぶれ果て、今ではどこぞの誰かの使い走りとは。一体、あのお方とやらに何を吹き込まれたのですか?」

 出た! 御門の嫌味攻撃! ――が、既に妄想の世界にはまり込んでいる導摩は、そんな嫌味さえ甘美な歌声に聞こえているらしい。

「ひひ、もはや【シグマ】も形骸に過ぎぬ。わしが望むのはこの地を陰に染める混沌と争乱よ。それこそが、この地に倒れし我が一族の悲願――御門も安陪も、全てがこの阿師谷の足元に跪く。この日本が再び、我ら呪術者の支配する世となるのじゃ。あのお方が天下を取られればのォ…」

「天下を取るだァ? ――そりゃまた随分時代錯誤な事を言い出しやがったなァ」

 確かに、京一の言う通りだ。全員がこれには首肯した。現代において天下を取る――現政権を倒して成り代わる――など、もはや夢物語に過ぎない。それも国連加盟の独立国家で…となると、超大国の介入やら国連そのものの干渉、周辺各国の侵攻など、一国家内で片付く問題ではなくなるのだ。事実上、日本において革命など夢のまた夢である。政治中枢に深く関わっている御門としては、笑いを堪えるのに必死だったろう。

「やれやれ。言うに事欠いてそれですか。仮にあなた方のような輩が強大な力を手にしたとて、扱いきれるとは到底思えませんね。正に――」

「…豚に新宿歌舞伎町。猫にコン○トラーV」

「「「「「「…………」」」」」」

 センスを口元に当てたまま固まる御門。真神の一同はおろか、如月や紫暮、壬生、霧島もさやかも、伊周までがポカン、と口を開けている。

「――あのなァ」

 京一がそろりと木刀を抜いた。

「意味は大体合ってるみてェだが…緊張感を削ぐなってのッ!」

「――おおッ!?」

 決まった…とばかりに胸を張っていた龍麻は京一の木刀をまともに後頭部に受け、頭を押さえてその場に蹲った。

「京一君のツッコミ、完璧に入るようになったわね」

「別に良い事でもないだろうがな」

 さらっと葵が酷い事を言い、醍醐が深く頷いていると、クックと喉が鳴る声が聞こえた。

「み、御門ッ!?」

「な、何ですか? ――プッ…ククッ…」

 顔を引きつらせ、京一らの【珍獣でも見るような目】を一身に受ける御門。だが、口元が微妙に歪み、身体が震えているのは、どう見ても笑いを堪えているそれだ。

「ひ、ひ、ひーちゃんのギャグで笑った奴…初めて見た…ッッ!」

 極め付けに失礼な、しかし全員の気持ちを代弁して京一が御門を指差す。

「わ、わたしは笑ってなどおりませんよ。――ええ、そうですとも」

「いや、笑った」

「笑っていませんってば」

 ある意味不毛な押し問答は、すっくと立ち上がった龍麻によって遮られた。彼は御門の両手を握り――

「――同志」

「さ、触らないで下さいッ!」

 それは先程も見た光景。御門は龍麻の手を払いのけたが、時既に遅し。一同は敵地にも関わらず爆笑してしまった。

 一方、何がどうなっているのか判らぬのは阿師谷親子である。彼らにしてみれば、千年以上も続く因縁の決着を付けようというのに、乗り込んできた敵はなにやら漫才じみたやり取りの果てに、勝手に盛り上がり、腹を抱えて爆笑しているのである。しかし、ここで呆然とする辺り、龍麻に言わせれば彼らも【一般人】であったという事か。 

「まァ、それはこっちに置いといて、――で、そんなお馬鹿なコトを言ったのは、もしかして妙な学ランを着たヤローじゃねェのか?」

 しっかり阿師谷親子を煙に撒いた上で、話を戻す京一。阿師谷親子ははっと我に返った。

「お馬鹿とはなによッ! それに、妙だなんて失礼ねッ! ――燃えるような赤い髪に、真紅の学生服…朱塗りの日本刀…もうセンスバッチリッ! なんと言っても、あの苦みばしったお顔に鋭い目…頬に走る傷がなぁんてセクシー…。ああ…今思い出しても疼いちゃうっ。もう、あの人になら殺されてもいいくらい良い男だったわぁ〜ッ」

 まるで先日のアン子のように、胸の前で手を組み合わせ、うっとりと目を細める伊周。はっきり言って、これは気持ち悪い。

「あらいやだ、あたしったら。――うふん。アンタたちみたいな良い男を殺しちゃうなんてもったいないけど、あたしとあの方のバラ色の未来のために、とりあえず死んでもらうわよッ。いいわよねッ、パパ?」

「ふふん。もとよりそのつもりよ。我ら一族の怨念が宿りしこの地で、我らに敵はおらぬ。さあ伊周よ。大地に宿りし怨恨に耳を傾けるのだ」

「わかってるわよん、パ・パ」

 父親に習い、伊周も杖を地面に突き立てようとする。

「――遅ェッ! 【剣掌ォ・鬼剄】ッッ!!」

「――行っけーッ! 【火龍】ッッ!!」

 【敵】が自己陶酔の演説をしている間に【気】を練り上げておくのは、【真神愚連隊】にとっては基礎中の基礎だ。そして敵を前に漫才じみたやり取りは、【真神愚連隊】にとっては既に【お約束】の戦術。――先制攻撃を任された京一と小蒔は充分に高めた【気】で、攻撃態勢を整える直前の阿師谷親子に奥技を放った。



 ドゴォォォォォォォン…ッッ! 



 大きく膨れ上がる爆煙と炎。もし彼らが本物なら間違いなく、この一撃で決着が付いていた。それほどの威力だ。しかし――

「チッ! やっぱり偽者かよッ!」

 炎の向こうに見えたのは、傷一つない阿師谷親子。彼らは最初から、龍麻たちの前にはいなかったのである。

「ふふん。不意打ちとはやってくれる。しかしここは我らの聖地ぞッ。地の利は我にあり!」

 今度こそ、導摩が杖を地面に突き立てた。

 落ちぶれたとは言え、かつて安陪晴明すら凌駕していたという大陰陽師の末裔! 枯れ果てたような肉体からは想像できぬほど膨大な【陰気】が膨れ上がり、杖を通して地面に吸い込まれていく。それに連れて何十にも折り重なる呻き声が上がり、地面が不気味に鳴動し始める。

「――ひーちゃ〜ん」

「――出るぞッ!」

 裏密と如月の警告が発せられた直後、泥を跳ね飛ばして何者かが空中に踊り上がった。――人間に近いフォルムを有しながら、更に筋骨隆々、獣じみた剛毛まみれの巨体に、頭部から伸びる角――鬼。呪符より生じる式鬼。

「また鬼か…!」

 拳を鳴らしながら、醍醐が隊列の最前衛に立つ。【壁】のポジション。銃声が響いても動じぬ彼の体の脇を弾丸が走り抜け、式鬼の眉間を貫く。九ミリ軍用弾パラの直撃を受けたそこにゴルフボール大の穴が空き――それだけだった。

「――効かんか?」

 頭に風穴を開けたまま吠え声を上げる式鬼。ダメージがあるようには見えない。

「いいえ。式神もまた【気】の集合体。決してダメージがない訳ではありません。しかし依代である呪符を破壊しない限り、倒したとは言えません」

「そうか。ならば――」

 ズルリ、とコートから抜き出されるショットガン――レミントンM1100。弾丸は――OOBダブルオーバッグ! 



 ――ズドォォォンッッ! 



 分厚い胸板に九個のタブレット弾頭とバラ弾を受け、仰け反り吹っ飛ぶ式鬼。鬼の身体ごと呪符を破壊され、式鬼は一塊の煙となって消え去った。後に残ったのは、ちぎれた呪符――。

「――それなら、いけるようだな」

 村雨が口笛を吹く。だが、式鬼は次々と地面から這い出してくる上、伊周の操る式鴉も上空を飛び交い始めた。数の上では、敵の方が圧倒的に有利――

「――フォーメーション・デルタそのまま! ツーマンセルで鬼を迎撃! 小蒔、マリィは上空の敵を迎撃! 裏密、さやかは遠距離攻撃開始! 葵、物理・精神攻撃防御! 村雨、御門、芙蓉は近接戦闘員を支援! 各自攻撃開始!」

 ザッ――と陣形を広げる【真神愚連隊】。これまでどんな強敵も、どれほど数の多い敵も倒してきた陣形。各自が完璧に一個の軍団の一部として動く時、向かう所に敵は――



 ――ブゥン…ッッ! 



「――危ない!」

「えっ!? ――キャアァァァァッッ!!」

 空間の歪みを逸早く察知した御門の警告! 突如として陣形の中央に出現した式鬼がさやかの足首を掴み、彼女を空中に吊り上げた。

「――!? さやかッ!!」

 左手でパイソンを抜き撃ちにする龍麻。胸板の中央部に大穴を空けられ、式鬼は瞬時に煙と化したが、反射的に捲れ上がったスカートを押さえてしまったさやかは受身も取れず地面に落ちた。下が泥だからまだ良かったが、頭から落ちたために一瞬、意識が混濁する。

「さやかちゃん!」

「――葵! 危ないッ!!」

 思わずさやかに気を取られた葵を、直上から三羽の式鴉が襲い掛かった。

「――【疾風撃ち】ッッ!!」

 龍麻の銃口が旋回するよりも早く、小蒔の速射が放たれる。しかし、矢は尽く式鴉を素通りした。

「――エエッ!?」

 さすがに驚く小蒔。だが次の瞬間――! 

「ああっ!」

 一羽の式鴉が葵の肩口を掠め、その瞬間にぱっと鮮血が飛び散った。式鴉は急速旋回し、更に葵を襲おうとして――

「臨ッ!!」

 葵の顔面を鋭い嘴がえぐる寸前、式鴉は一塊の淡い炎となって瞬時に燃え尽きた。御門が式神返しの術を行使したのである。

 だが、陣形の真中に踊り出してきたのはそいつらだけではなかった。

「こいつら、影の中から――!」

 最初の式鬼が地面を突き破ったのに対し、こちらの式鬼は後衛の者たちの影から音もなく出現する。大きく一歩飛び下がり、花札に【気】を込める村雨。花札の役は――

「【赤短・舞炎】ッ!」

 虚空に突如として炎が生じ、式鬼を火達磨にする。しかし――

「コイツも幻影かッ!」

 炎の中を平然と突き進む式鬼。しかし――

「裏密さんッ! 伏せて!!」

 とっさにしゃがんだ裏密の頭上を走る獅子心王の剣ソードオブライオンハート! ガキン! と重厚な金属音を立てて噛み合ったのは裏密目掛けて振り下ろされた鬼の鉤爪であった。霧島は渾身の力を込めて式鬼を押し返し、その脳天を唐竹割りに断ち割る。

「晴明様!」

 【気】を集中して呪を唱えている御門の無防備な背に、式鬼のパンチが放たれた。手にした扇でパンチを受け止める芙蓉であったが、パワーの違いのため跳ね飛ばされ、泥に叩き付けられる。

「クッ! 【如影斬】ッッ!!」

「――破ッ!!」

 瞬時にとって返した如月が短刀を走らせ、壬生が【水月蹴】を放つ。だが如月の短刀が式鬼の首を切断したのに対し、壬生の蹴りは式鬼の胴を突き抜けるに留まった。 

「幻影と実体を重ねて――龍麻ッ!」

「総員後退! 各自背中合わせッ!!」

 龍麻をして予測できなかった式鬼のゲリラ戦術。龍麻の鋭い叱咤が飛ぶ。

「京一! 醍醐!」

「応ッ! ――旋ィッ!!」

「オオオオオオオォォォォォォッッ!!」

 龍麻の【螺旋掌】に京一の【剣掌・旋】、醍醐の【虎咆】で、津波のように押し寄せていた式鬼と式鴉の群れが一時的に消し飛ばされ、阿師谷側の攻撃に間が生まれた。その隙に仲間の元に戻る前衛三人。

「――全員、無事か?」

 普段と変わらぬように響きつつも、焦りを感じ取れる龍麻の声。阿師谷を警戒するため、仲間達を振り返る事ができないせいもあるのだろう。

「――私は大丈夫です。でも葵さんと芙蓉さんが…」

 そう言うさやかも、全身泥まみれである。頭を打たなかったのは幸いだが、彼女のこれまでの人生では、こんな目に遭った事などなかったに違いない。

「私も…傷は深くないわ。でも芙蓉さんは…?」

「わたくしも問題ありませぬ」

 こちらも艶やかな衣装を泥まみれにされた芙蓉が応え、肩の傷に手を当てる葵の身体を支える。彼女も式神ゆえ、同じ式鬼の力の流れを見切り、ダメージを最小限に留める事ができたようだ。

「クソッ! あのミスターカマーにエロガッパ! 女ばかり狙い撃ちしやがって!」

「変態の精神を考慮すべきだったな。まさかデ○ラー戦法を使うとは。――痛恨のミスだ」

 龍麻はそう言ったが、今度の相手はまたしても初見の術を使う者である。その場その場で臨機応変に対抗して行く龍麻の戦術能力は凄まじい限りだが、守りの陣形をいきなり破られてはいかに彼でも即反撃が効かない。ちなみにデ○ラー戦法とは、敵の間近に瞬間移動してヒット・アンド・アウェイを繰り返す戦法を言う。某宇宙戦艦もこの戦法で撃沈寸前まで追い込まれたのだ。

「ふはははははッ、愚かな餓鬼どもめッ。そんな拙い【力】ごときが我らに通じると思ったかッ」

 そんな導摩の声が響いてきて、京一は舌打ちする。

「あれもどうせ偽者なんだろ? ケッ、影でコソコソ隠れているヤツが遠くから勝ち誇りやがってッ! ――旋ッ!」

「【剣掌・旋】ッッ!!」

 京一とタイミングを合わせ、霧島も同じ技を放つ。竜巻を生む彼らの剣術は式鴉に対しても効果的に働くのだが、目に見えている敵の内半分は幻影だ。実体を持つ敵は吹き飛ぶが、幻影はそのまま突き進んでくる。そしていつの間にか、幻影に実体が重なっているのである。

「これは彼らだけの【力】ではありませんね。本人達の資質に地相も加わっているとは言え、式を打ちながらこれほど大量の幻影を同時に動かすなど不可能です。恐らく最低五人はバックアップがいる筈です」

「――あとは、そこら中に呪符が仕込んであるという事だね。まるで地雷原だ。――【水流尖】ッ!」

 飛水流の奥義が炸裂し、また何体かの式鬼が呪符に返る。だが目標とした八体の内五体までが幻影だ。ただでさえ数に呑まれそうなプレッシャーを味わっているのに、幻影にはこちらの技も術も効かないのだ。精神的なダメージは大きい。焦って突出すれば、それこそ敵の思う壺だ。

 しかし、こうまで防戦一方となるのは厳しい。

「Fire! Ha――ッ!」

「uh〜〜〜〜ッ!」

 マリィの呼び出したサラマンダーが宙を駆け、さやかの歌声が招く【力】が弾けて再び式鬼、式鴉の陣形を崩すが、焼け石に水だ。おまけにどこに呪符が仕掛けられているのか解らぬため、スピードと攻撃力に優れる壬生は彼女たち後衛の護衛にも付かねばならない。

「戦闘は数だと誰かが言っていたが、まさにそんな感じだな」

 背後に湧いて出た式鬼の胴体にハードブローを叩き込む醍醐。拳にガツンと来る確かな手応え。本物だ! 

「まったくだ。――せやっ!」

 廻し蹴りが幻影を突き抜けて空振りし、バランスを崩しかける紫暮に、こちらは実体である式鬼のパンチが唸り飛ぶ。紫暮はそのまま地面に倒れ込み、勢い余る式鬼の足を払って転倒させ、【力】抜きでも瓦三〇枚を砕く下段の下突きでとどめを刺す。

「――このままじゃジリ貧だぜッ! ――打って出るか!? ひーちゃん!」

「――駄目だ。奴らがどこにいるか判らん」

 無尽蔵に湧いて出る式神を相手にするより、阿師谷親子を片付けた方が早い。当然、龍麻はライフルで阿師谷親子を狙撃したのだが、こちらもただの幻影であった。これだけ式鬼の統率が取れているのは、やはり戦況を正確に目視しているからだろうが、どこにいるのかさっぱり判らない。【気】を探ろうにも、式神の攻撃が激しいのと、この空間自体の異常性から【気】の探知など無理な相談であった。

「御門! お前、専門家だろッ!? 何か手はねェのか!?」

「――何分、これほど大規模な戦闘は初めてなもので」

「落ち着いてる場合かッ!? 俺たちゃ良いが、小蒔やお前はそうはいかねェだろ!」

 小蒔も亜空間内に大量の矢を保管しているが、限りがない訳ではない。そして御門も攻撃手段は呪符である。地相の良い浜離宮の結界内で戦うのならまだしも、敵地で闘うには呪符の用意が少なすぎた。勿論彼ほどの陰陽師になれば呪符を使わずとも術を行使できるが、呪文の詠唱は長く、術理に則った身振り手振りも大きなものとなってしまう。

「――緋勇さん。私に二分いただけますか?」

「どういう事だ?」

「阿師谷の者は式を打つ事に、バックアップの者は幻影を操る事に集中しています。幻影を封じれば皆さんの消耗を押さえ、阿師谷の者を直接攻撃する事もできましょう。――いかがです?」

 龍麻は素早く思考を巡らせる。

 幻影さえ封じる事ができれば、戦闘は目の前の敵に集中できるようになる。勿論理想的ではあるが、式神によるデ○ラー戦法にもっとも早く対抗できるのも専門家である御門なのだ。その御門が二分間、術の行使のために攻撃も防御もできなくなるのはかなりの危険が伴う。怒涛のごとく押し寄せる式神の群れを押しとどめるには龍麻、京一、醍醐の三強に紫暮を加え、更に小蒔、マリィ、さやかの支援攻撃が不可欠だ。御門に次いで専門家である裏密を対デ○ラー戦法に廻したとしても、彼女の術は発動までに一瞬のタイムラグがある。村雨も同様。芙蓉は、攻撃力にやや難ありだ。如月、霧島、壬生が護衛に廻っても、二分となるとかなりきつくなる。阿師谷側が無防備になった御門に集中攻撃をかけてくる事は確実だからだ。

「二分で良いのだな?」

「はい」

「――良かろう。防衛ラインを五メートル前進! 如月、壬生は御門をバックアップ! 霧島! 下がって後衛の護衛! ――霧島! お前がオフェンスだ!」

「――は、ハイッ!」

 緊張に顔を強張らせながら、それでも気合を入れて返事をする霧島。敵の攻撃は御門に集中するだろうが、彼は葵、小蒔、裏密、マリィ、さやかと、後衛の四人を護らねばならない。村雨と芙蓉もいるが、コンビネーションを取る事は無理だから、実質一人で戦う事になる。

 だが、龍麻は霧島に任せた。彼ならできると信頼して。

「村雨と芙蓉は霧島をバックアップ! ――京一! 醍醐!」

「応ッ!」

「よっしゃ!」

 醍醐は紫暮と共に壁のポジションに残り、龍麻と京一は左右に分かれて突出。狙いは方陣技、【サハスラーラ】! 

「「「破ァァァァァァァァァァッッ!!」」」

 真神の三強が織り成す正三角形の結界内に取り込まれた式神の混成軍は、幻影も含めて十数体がまとめて消し飛ばされた。阿師谷側の陣形に大きな穴が開く。

「小蒔! マリィ! さやか!」

 式鬼は殆ど消し飛ばしたものの、空中の式鴉はまだ多数残っている。その群れに囲まれる前に、龍麻も京一も大きく跳び下がった。当然、式鴉もそのあとを追いすがる。

「奥義! 【九龍ゥッ・烈火】――ッッ!!」

「【デュミナス・レ――イ】ッッ!!」

「Ah〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」

 【火龍】の十倍以上の火力を誇る小蒔の現時点最強奥義【九龍烈火】と、【朱雀変】により潜在能力を開放したマリィの【デュミナス・レイ】、そしてさやかの歌声で活性化した【火気】が巻き起こす炎の嵐ファイアストームが、一瞬にして泥も水溜りも蒸発させ、湿地帯を文字通りの炎の海と変えた。まるでナパーム弾の直撃である。当然、その周辺にいた式鬼も式鴉も瞬時に燃え尽き、恐らくは地中に埋めてあったであろう呪符も焼き尽くす。幻影は消えないが、実体とは入れ替わらない。

「――戦闘は火力!」

 景気良く叫びざま、【剣掌・旋】で更に炎を煽る京一。前線の切り崩しには成功したが、これからが正念場――

「キイィィィィィィッッ! 生意気な奴らねッ! ――って、チャンスよパパ! 御門を狙って! アイツらはあたしが殺るわッ!」

「御門の小倅――覚悟せいッ!」

 一気に大量の式神を失ったとは言え、さすがは阿師谷の本拠地。伊周が印を組むとたちまち三十六の式鴉が召喚され、前衛の龍麻たちに襲い掛かる。が、龍麻たちはその場で応戦。前線を後退させない。

 一方、後衛では御門の詠唱が始まっていた。

「――ナム・サツバ・ボツダ・ダルマ…」

 それは、本来の陰陽道とは微妙に異なる、密教系の呪文――真言タントラであった。伝承によれば安陪晴明は真言密教の総本山高野山との親交も深く、時に密教僧と術談義に華を咲かせたという。当然、気に入った術もしくは真言を自分の陰陽道に取り入れ、彼の術体系は更なる飛躍を遂げたとされる。

 その系譜に連なる御門が、密教系の術を使えるのも自然な事であった。彼の足元では地を走る光が五芒結界を描き、高圧的な【気】が満ちていく。恐ろしく強い【気】なのに、とても優しい感じのする【気】。――千手観音菩薩の真言だ。

 しかし、術の完成までは無防備だ。彼の周囲の影という影から、式鬼が沸いて出る。

「【如影斬】ッ! ――【飛水八相】ッ!」

「フン! ――破ァァァッッ!!」

 御門に向かう式鬼の間を駆け抜ける影が二つ。如月と壬生だ。彼らのスピーディーな動きに式鬼は撹乱され、御門を襲えない。どこかでそれを見ているであろう導摩が獣じみた唸り声を上げる。

「おのれ! ちょろちょろと――ッ!」

 ふと脇に目をやれば、そこには憎き御門の使役する式神と、その相棒の姿。

「ええい! あやつらから先に片付けてくれるわ!」

 導摩が念を込めると、葵たちを護る村雨らの前にも式鬼が沸いて出てきた。

「チッ! 陰険ジジイが! ――おい、坊や。本当に頼りにして良いんだろうな?」

「村雨、口が過ぎます」

 口の悪い村雨に、それをたしなめる芙蓉。ただこの二人も御門と同じで、大規模戦闘と直接戦闘の経験が少ない。

「大丈夫です! やれますッ!」

 ギュッと剣を握り直す霧島。その前に迫るのは、式鬼が三体。いずれも実体だ。

「霧島君、無理しないでね」

 そう言いながら【力天使の緑】で霧島の防御力をアップする葵。

「霧島クン、ファイトーッ!」

「霧島君、頑張って」

「うふふふふふ〜。死んだら反魂の術を試しちゃうぞ〜」

 口々に声援を受け、裏密の声援にはちょっぴり引く霧島。

「ハイッ! 頑張ります! ――けど、僕一人ではちょっときついんで――よろしくね、マリィちゃん」

「OK! 行くよ、お兄ちゃん――!」

 霧島の剣が彼自身の【気】を受けて白色光を放ち始め、そこにマリィが【朱雀】の【力】を注ぎ込む。刹那、相乗効果を起こした二人の【気】が炎となって燃え上がる。

 これも一種の方陣技、武器魔力付与エンチャンテッド・ウェポン。その名も【フレイミング・ソード】! 

「――たあァァァ――ッッ!!」

 京一とは異なる西洋剣術――フェンシングの飛び込み斬りフレッシュ。霧島はその一撃で式鬼を袈裟懸けに両断し、更に身を捻って【水平斬り】を放つ。獅子心王の剣の凄まじい切れ味を完璧に引き出す霧島の剣術に加え、マリィの【朱雀】の【力】を受けて、二体の式鬼は炎に包まれながら二つになって地に転がった。

 その眼前にぬうっと立ち上がる、新たなる式鬼! 

「【螺旋斬り】ィ――!!」

 中心から渦を描いて繰り出される剣先! 式鬼は両腕両足を半分ほど切り裂かれ、どっと地に打ち伏した。そこに――

「【赤短・舞炎】ッッ!!」

「――【神威薙ぎ】」

 手足をばたつかせて暴れる式鬼がボッと火達磨になり、芙蓉の扇が一閃すると凶風が生じて式鬼を乾いた泥人形のごとくボロボロに分解した。

「――ヒュウッ! 見直したぜ、坊や!」

「お見事です。――スサノオ」

 村雨が感嘆の口笛を吹き、芙蓉が微笑む。

「ハイ! ありがとうございます! ――次行きます!」

 次の標的を青眼に捉えながら、霧島は剣を構え直した。芙蓉の言葉は、今は黙殺する。

 そのとき、ジャスト二分! 御門の術が発動した。









「――ナム・バサラ・ハニ・ハラニソワカ!」

 御門を中心にして、眩い光の柱が立ち上る。否、それは柱ではなかった。四十本の手を持つ慈顔の仏――千手観音。一本の手につき二五の救いの道を示すという仏の放つ御光は、阿師谷によって造られた荒野をあまねく照らし、幻影を形作っていた亡者の尽くを浄化せしめた。

 幻影が全て消え去り、その陰に潜んでいた式神が全て姿を現す。巧妙に地形に溶け込んでいた阿師谷親子もカムフラージュを引き剥がされ、実体を晒す事となった。

「――アタックフォーメーション! ――バニッシュ!」

「応ッ!!」

 幻影が消えたと同時に、両手にイングラムM10を構えて阿師谷親子に突進する龍麻。その背後に付き従う京一、醍醐、紫暮。

 ――ガガガッ! バラララララララララララッッ!! 

 進行方向に45ACPをばら撒きつつ、式鬼、式鴉の陣形を一直線に切り裂く龍麻たち。式鴉は弾丸一発で消滅し、式鬼も巨弾の直撃に怯んだところを京一らにとどめを刺されて消滅する。慌てた伊周、導摩らが他の式神で防ごうとすると、フォーメーションB…全員攻撃に従って前進を開始した支援班による遠距離攻撃が襲い掛かり、式神を尽く消し飛ばした。

 幻影による撹乱がなければ、【真神愚連隊】は実戦で叩き上げてきた猛者揃い。高い命中精度で技を、術を繰り出し、確実に式神を屠る。あっという間に阿師谷親子は追い込まれた。その眼前に迫る、ハードボーラーを構えた龍麻! 

「キイィィィィィィッッッ! ――なんて奴らなのッ! こうなったらあたしたちも、とっておきを見せちゃうわよォォォッッ!! ――パパ!!」

「むん! 七難即滅! 怨敵退散! 獣神招来――急急如律令!」

 これはまさか――方陣技!? 伊周と導摩の放つ真紅の【気】が絡み合い、爆発的に膨れ上がり、二人の姿を朧に霞ませる。それは真紅に燃え盛る巨人の姿を取り――



 ――ズザザ――ッッ! 



 龍麻が急制動をかけ、しかし足元の泥のためにスライディングする――と言えば聞こえは良いが、要するにコケた。龍麻をしてそんな無様な姿を晒すほど、【それ】はとんでもないモノであった。

『巨大〜〜〜〜〜トモちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜んッッ!』

 これほどおぞましい敵がかつていたか!? 真紅の炎をまとっている身長一〇メートルの巨人――までは良いとしよう。だがその顔は、あのオカマのそれであったのだ。

「ンぎゃあァァァァッッ! 巨大オカマァァァ――ッッ!!」

 京一が魂切るような悲鳴を上げ、醍醐も紫暮も顔を引きつらせて急ブレーキをかける。後衛の者は頭の中がシャットダウンした。

「伊周…なんと醜悪な姿に…!」

「まァ、らしいっちゃらしいが…!」

 彼とは付き合いの長い御門と村雨がそんな事を言う。怯えているというより、呆れ果てているというところが彼ららしい。

 だが、見た目の間抜けさはともかく、攻撃力は尋常ではなかった。

『オカマって言うんじゃないわよッッ!!』

 一〇メートルの巨人に相応しい、刃渡り八メートルにも及ぶ三鈷剣の一撃! とっさに身を捻って斬撃をかわした龍麻と京一であったが、その衝撃波だけで吹き飛ばされる。

「――クッ!!」

 ハードボーラーを乱射する龍麻! しかし――

『なによッ! ちくちくするじゃないッ!!』

 【牛殺し】45ACPが「ちくちくする」…。巨体を有するという事は、ただそれだけで強力無比な力となる。銃弾ごときでは蚊ほどにも効かない! 

『オーホホホホッ! ――おくたばりあそばせ!』

 龍麻の頭上に降りあがる、巨大な革靴! いくら龍麻でも、あれではぺしゃんこだ。

「【九龍・烈火】――ッッ!!」

「Ah〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」

 小蒔の最大奥義とさやかのファイアストーム! 伊周の赤髪に火が付く。

『わっちゃっちゃっちゃちゃ!!』

 悲鳴を上げて飛び跳ねながら、髪の炎を叩き消す伊周。ユーモラスなのか危険極まりないのか判断に苦しむ。一足毎に一同の身体が跳ね上がるほどの地響きがする上、踏み潰されたら一巻の終わりなのだ。

『テメエらなにさらしやがる!! ――って、顔はやめて! あたしにとって顔は命なのよッ!』

「――ならばさっさと死ねッ!!」

 凶暴凶悪な笑いの形に口元を引きつらせ、RPG−7――対戦車ロケットランチャーの引き金を引く龍麻! 弾頭は対重装甲用HEAT弾だ。世界最強の戦車レオパルドUも狙いどころ次第で破壊しうる――! 



 ――ズガァァァァァァァァァァァンンッッ!! 



 火球と共に膨れ上がった爆炎に顔を飲み込まれる伊周。殺ったか――誰もがそう思った。しかし――

『ゲホゴホッ! ――なんてコトすんのよッ!』

 そこにいたのは、剣でHEAT弾を防ぎ、無傷の伊周。起死回生の一撃となる筈であったHEAT弾の成果は、伊周の頬に張り付いた煤と縮れた髪だけであった。

「クソッ! 効いてねェ! ド○フ大爆笑の森○子(敬称略)になっただけだ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろう!! 龍麻! 鳳凰は!?」

 醍醐は怒鳴り、しかし一瞬、恐ろしい想像が過ぎる。

 ――龍麻はどうやらオカマが苦手らしい。そのオカマに最大奥義の【秘拳・鳳凰】が効かなかったとしたら!? ただでさえ巨大オカマを前に普段の彼でなくなっている龍麻だ。下手をすると立ち直れなくなる可能性が…! 

「方陣技…」

「なに!? 何だって!?」

 口元は笑いの形にしたまま、しかし歯を食いしばりながら龍麻は声を絞り出した。これはちょっと…いや、本気で怖い。あの龍麻が、キレている…! 

「醍醐…紫暮…! お前達の方陣技の使用を許可する…!」

「な、何ィィィィィィッッッ!?」

 思い切り嫌そうに叫んだのは京一だけではなかった。葵も、小蒔も、如月も叫んでいた。

 醍醐と紫暮の方陣技…それは禁断の【不動禁仁宮陣】! 

 【あの】九角にすら大ダメージを与えた、言わば【真神愚連隊】の最終兵器! しかしあれは敵のみならず味方にもダメージを与えるという事で、永久に封印技となった筈であった。【あの時】の記憶を強制削除した龍麻でさえ【何か恐ろしい技】として覚えていたくらいなのである。

 その技を今、この場で使えと…? 京一たちは顔面蒼白になった。

 それとは対象的に、醍醐、紫暮の目は、これ以上はないほどにキラキラと輝いた。

「おおッ! そうかッ! いいんだなッ! 龍麻ッ!!」

「遂に…あの技が復活するのだなッ!!」

 ガシイッ! と組み合わされる、漢(おとこ)二人の手! そして――



『――唸れッ! 嵐の上腕筋ッッ!!』

『――燃えろッ! 炎の後背筋ッッ!!』

『――しなれッ! 疾風の大腿筋ッッ!!』

『――叫べッ! いかづちの三角筋ッッ!!』



「……ッッ!?」

 龍麻、京一を始め、かつて【それ】を目撃した者たちは、裏密以外全員が【雷を怖がる子供】のように目を閉じ耳を塞いでしゃがみこんだ。一方、事情を知らぬ壬生や御門らは、そんな彼らと、喜色満面の醍醐たちを唖然として見比べている。さやかと霧島に至っては【尊敬すべき先輩】と【憧れの人】が自分達の中で少々格下げになったのを感じた。

 【それ】に気付いた京一が、葵が叫ぶ。本来ならば、龍麻が叫ぶべき台詞を。

「――総員! 対精神ショック、対閃光防御!!」

 ――要約…ビビるな、見るんじゃねェ。

「さやかちゃん! 見ちゃ駄目!!」

「えっ――!?」

 何の事やら判らぬさやかの両目を、裏密が「うふふ〜」と笑いながら目隠しする。その、次の瞬間――



『『――荒ぶる肉体に全てを賭けたッ! 【不動ォ! 禁――仁宮――陣】ッッ!!』』



 遂に、封印が解かれた。

 醍醐と紫暮、二人の【気】が合わさって出現した光の柱から、約三ヶ月の沈黙を経て、今、再びあの【魔神】が降臨してきた。

「なッ! なんだァありゃァァッッ!?」

 案の定(笑)、村雨が絶叫にも等しい声を上げる。

 あの時と変わらぬ、オイルに艶光る筋骨たくましい肉体! おおらかさが滲み出ている微笑み! バーコード頭を風になぶらせ、黒縁眼鏡を光らせつつ【弓引き】のポージング! そして、もっとも理解に苦しみ、ごく一部の人間を除いた全人類を素の意味で【悩殺】せしめる、グ○ゼのブリーフ! 

『はぁぁぁふぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!』

『キャアァァァァァァァッッッ!! いやァァァァァァァァァァァァッッッ!!』

 巨大な剣を取り落とし、顔中を恐怖に引きつらせて絶叫する巨大オカマ! オカマに対抗するのは筋肉男――という龍麻の作戦(?)は見事に的中したようだ。

『はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!』

 両手を頭の後ろで組み、大胸筋をピクピクと踊らせ、悩ましげに腰を振りながら伊周に迫っていく【魔神】! 伊周は悲鳴を上げるばかりで身構えてすらいない。そこでパンチを叩き込めば一撃で決まる――

「ッッッ!!」

 だが、パンチは繰り出されなかった。光り輝く【オッサン】は伊周をがっちりと【抱擁】し――



 ――ブチュウッッッッ♥!! 



 恐ろしい音と共に、時が止まった。

 誰も何も言わない。ただただ、恐ろしい沈黙だけが世界を支配した。

「…………あの、一体なんなんです?」

 何も知らず、ただ目隠しをされていたさやかが沈黙を破ると、時が動き始めた。

 ゴゴゴゴ…! と天地が鳴動し始めたのを知り、龍麻はすっくと立ち上がる。

「――終わったな」

 冷徹な声を阿師谷親子に向ける龍麻。既に【魔神】は去り、伊周も元の大きさを取り戻している。しかしその顔といい髪の色といい、隣で胸を押さえて喘いでいる父親と変わらぬほどに年取って見えた。そして、共に戦意を完全喪失。結界すら揺らぎ始めている。

「さぁて、聞かせてもらおうじゃねェか。俺たち…つーか、ひーちゃんを付け狙ってる奴の正体をよォ。――って、醍醐! それに紫暮も! なにいつまで浸ってやがる! それにそっちの四人! ――なにへたり込んでやがんだッ!?」

 四人、とは、霧島、壬生、村雨、御門の事である。

「す、すいません京一先輩! ぼ、僕…その…腰が抜けて…! ――み、壬生さんも、大丈夫ですかッ!?」

「――ぼ、僕は、ちょっと足が滑っただけだ」

 言い訳がましく、壬生。ただし、立てない。

「――オイオイ、こんなところで格好付けたってしょうがねェだろ? 俺もさすがにビビッたぜ」

 冷や汗を流しながら、村雨。彼は意外と素直なようだ。

「――わたしは小休止をしているだけです。ええ、そうですとも」

 素直じゃないのは御門。腰が抜けたまま気取って見せても滑稽なだけである。

「芙蓉さん…大丈夫?」

 こちらは静かに前方を見つめて立っている芙蓉に話し掛ける小蒔。しかし、反応がない。そこで目の前で手をひらひらと振ってみるのだが…。

「芙蓉さん…気絶してるみたい」

 感情を持たぬという式神さえ気絶させるとは、恐るべし【不動禁仁宮陣】(笑)。

「あーッ、もうッ! 根性なしはほっとけ! ――ンな事より! テメエら、さっさと吐け!」

 【根性なし】と言われたことで、壬生と御門から【本気】の殺気が立ち昇ったが、腰が抜けている状態では何もできない。黙殺される。

「じょ…冗談じゃ…ないわよ! 誰が…誰があんた達なんかに!」

 ふた昔は前の純情乙女のように、白いハンカチを食いしばって「キィィ!」と唸る伊周。しかし逆にそれが、まだまだ余裕ありそうに見えてしまう。導摩は負ける筈のない戦争に負けた敗残兵のようにうなだれ、ぶつぶつと訳の解らぬ事を呟いているだけだというのに、伊周はどうも、戦いに負けた事よりも【魔神】に唇を奪われた事がショックのようだ。

「――喋る気がないならば、即刻殲滅してくれる…」

 アナコンダからマグナム弾を抜き取り、一発二万ドルもする【対妖魔専用弾】をセットする龍麻。――どうやら彼にとってオカマは【旧支配者】の使役する妖魔にも相当するらしい。

「わ―ッ! 待て待て! 今殺しちまったら情報源がなくなっちまうだろうがッ!」

「ええい! 知った事か! この両生類を殲滅する事こそ急務だ!」

 などなど、本来の目的を忘れて暴れる龍麻を全員がかりで押さえていた時である。

「――ッッ!?」

 【それ】に最初に気付いたのは壬生であった。

「…なぜなのじゃ…なぜわしらが負けねばならぬ…あのお方の【力】を借り、わしらは御門をも凌ぐ【力】を手に入れたのではなかったのか…? あのお方…稀代の剣士や…がッ! ググッ! ――グフゥッッ!!」

 余りにも突発的な、導摩の狂態。――漫才をやっている場合ではない。導摩は口から大量に吐血し、泥水の中をのた打ち回り始めたのだ。

「な、なんだよっ!? ――オイッ!」

 訳も解らず一歩下がる京一。導摩の苦悶の声に重なって、ゴボリ! モゴリ! という音が導摩の腹中から響く。――この音は、まさか――! 

「パパ――ッ! パパ、パパ! しっかりしてッ! ――あの方ならきっと助けてくれるから! ――死なないでッ!!」

 さすがの龍麻も、これは止めるに至らなかった。伊周は父親にすがりつくや、ただ一言で発動する呪符をかざし、父親もろともその場から空間転移したのである。

「裏密ッ!? ――御門ッ!?」

 とっさに印を組んだ二人を振り返る龍麻。しかし二人とも意識を集中し、すぐに印を解いた。

「駄目〜、逃げられちゃったわ〜」

「絶対勝てるという自信を持っていながら、いざという時のための脱出路は用意していたのですね。追跡も間に合いませんでした」

 御門の涼しくも若干の悔しさが混じる返事に、京一は拳を打ち鳴らす。

「クソッ! 結局何も解らずじまいかよッ! ――ってえッ!」

 いきなり龍麻に殴り倒される京一。

「だから即刻殲滅だと言ったのだ! 見ろ! 逃げられてしまったではないか! ――おおッ!?」

 いきなり、頭のてっぺんから膝まで寝袋に突っ込まれる龍麻。――葵の仕業である。ついでに京一も、醍醐に羽交い絞めにされた上に小蒔のボディーブローを食って沈まされる。

 そんな光景はあえて無視し、村雨が少し青い顔で口を開いた。

「しかし、なんだっていきなり…? あれだけ出血したら、あのジジイ、助からねェぜ」

「それどころか――今の音、八剣の時と同じだった。今頃は…」

 ぎゅっと結んだ拳をぱっと開く壬生。さすがに、あの現象を間近で見た真神の五人は、寝袋中の龍麻や羽交い絞めにされた京一も沈黙する。――黒幕の正体を明かそうとした瞬間、時限爆弾のように作動する【殺念】…【鬼剄】の応用…。

「…どうやら僕たち…と言うより、龍麻君。君を狙っているのは、尋常ではない【力】の持ち主のようだね」

 神妙な如月の声が、場の雰囲気を真剣なものに戻す。

「…これから、厳しくなりそうだな…」

 醍醐が呻くように言った時、周囲の景色が本格的に揺らぎ始めた。荒涼たる荒れ野が、まるで水に溶ける絵の具のように形を失い、白い闇に溶けていく。しかし同時に、白い闇の中に無数の呪符が舞い、ぐるぐると一同の周囲を巡りだす。

「ほう。――緋勇さん。どうやらこの結界を造った者たちが我々を閉じ込めようとしているようですね」

 呪符はますます数を増し、やがて彼らをすっぽりと覆い尽くすほどになった。ミミズがのたくったような文字が踊る呪符の表面では【気】のスパークが飛び交い、触れる事すらはばかられる。その向こうには、朱塗りの巨大な石門が全部で八つ、一同を取り囲むように出現する。

「なんとかできるか?」

 寝袋から顔だけ出す龍麻。間抜けな光景だが、いつものように彼の顔は真剣だ。

「多少の時間は掛かりますが、大丈夫です。むしろこの程度の結界でわたしを閉じ込めようなどとは、思い上がりもいいところですよ」

「――ならば、急げ。――秋月が危険だ」

 さりげない言葉で爆弾を放り込むのは、龍麻の特技だ。御門の、そして村雨の顔色が変わる。

「――どういう事です?」

「あのオカマは【シグマ】の一員であった。その目的は――気分が悪いが――俺にあったらしい。しかし奴は作戦に失敗し、敵陣営は我々を封じ込める作戦に出た。しかしお前がここにいる以上、結界を破られるのは目に見えている。そんな無駄な事を敢えて行うのは、時間稼ぎ以外にありえない」

「――!」

 御門とて、それを考えない訳ではなかった。だからこそ最初は出動を渋ったし、本当ならば龍麻たちにも関わりたくなかった。しかし秋月はこれを【宿星の導き】によるものだと明言し、自らも陰陽師であることからこれを受け入れ、動いた。しかし、その結果がこれでは…! 

「――俺を恨みたいのならば後にしろ。今、自分にできる事に全力を尽くせ」

「クッ――!」

 とりあえず、今は龍麻の言う事が絶対的に正しい。御門は懐から呪符を取り出し、【気】を高めて呪を唱え始めた。

「――何とかなりそうか?」

「少し〜難しそうね〜。これは〜鬼門遁甲八陣結界〜。全ての呪符が〜陰陽五行の理に則って結び付けられた〜高レベルの結界よ〜。ミサちゃんの魔術でも〜破るには時間が必要だわ〜。何とか〜正しい道を調べるしかないわ〜」

「――どのくらい?」

「そうね〜。早くても〜一時間くらい〜」

 一時間…決して長くはないが、かと言って短くもない。もし龍麻襲撃と秋月襲撃が一つの作戦に組まれていたとすれば、御門が、そして村雨が結界を出た瞬間から敵の陰陽師たちが攻撃をかけている公算は高い。

「――よろしければ、わたくしが結界を破りましょうか?」

「――!?」

 突然芙蓉がそんな事を言い出したので、村雨が目を剥いた。御門も、思わず呪を止めてしまうほどに驚愕する。

「この結界を破るのは容易な事ではありません。ですがわたくしの身をもって正しい道を見つけ出す事は可能です」

「身をもって…って、それ、どういうコト!? それって…危険じゃないの!?」

 無感情な芙蓉の言葉の中にも、不穏な響きを感じ取った小蒔が言う。すると御門が何とも苦渋に満ちた顔をしたので、【危険】が肯定された。

「――どういう事だ?」

 龍麻が問うと、御門は珍しく表情を調えぬままに口を開いた。

「…あの八つの門は八門と呼ばれ、それぞれが生、傷、杜、景、死、驚、開、休の象意を持っています。正しい道である【生門】を潜れば結界を抜けられますが、それ以外の門…例えば【傷門】を潜れば全身に傷を刻まれ、【驚門】を潜れば発狂します。当然【死門】を潜れば、たちどころに死に至ります」

「……!」

 つまり、脱出できる可能性は八分の一という事ではないか!? 

「そんな! それじゃ芙蓉さんが死んじゃうかも知れないって事じゃないッ!」

「――そうですね」

「そうですねって…! 冗談ごとじゃないんだよッ!?」

 しかし芙蓉は静かに首を横に振った。

「――お忘れですか? わたくしは、人間ではありません。ここで倒れても、それは死を意味するものではありません。秋月様のため、皆様のため、この天后芙蓉――この身に換えて結界を破り…――ッッ!?」

 パン、と柔らかい音がして、芙蓉の言葉は遮られた。そして、芙蓉の美しい顔が、両頬を押されて変な顔に…。

「おお、アッチョンブリケ」

 京一が笑い、醍醐たちが苦笑する。壬生は…渋い顔だ。以前、似たような状況の時、壬生は龍麻にぶん投げられているのだ。

「…自分は貴君を、単なる擬似生命体などとは見ていない。他の者も、そうだ」

 龍麻はきっぱりと言った。

「貴君が何者であれ、命を自ら捨てるような真似を俺は許さん。素が紙切れでもロボットでも、意思を持ち、自立行動し、共に戦う者を俺は等しく見ている。猫のメフィストも、ここにはいないがエルという犬も、我々には大事な仲間なのだ。そして貴君は今、この瞬間、我々と共に戦う仲間だ。その貴君が自らと引き換えにこの結界を破るなど許可できん。いや、もしそのような事をすると言うならば、俺がこの場で貴君を殺す」

「で、ですが…!」

「――この件に関して、口応えは許さん。さもなくば――額に【肉】と書くぞ」

 凄い殺気とは裏腹に、気の抜けるような脅し文句。しかし芙蓉は、にっこりと微笑んだ。まるで懐かしい台詞を聞いたかのように。

「…承知いたしました。この天后芙蓉、誓ってこの身を無駄に散らしは致しませぬ」

 手を離してもらい、芙蓉は深々と一礼する。そんな芙蓉の様子に、御門も村雨も戸惑うばかりだ。龍麻を前にすると、芙蓉がまるで人間の少女のように振舞うのだ。

「良かろう。――しかし、具体的にはどのように結界を破るつもりだった?」

「――はい。この身を門に投じ、無事であればそここそが【生門】。晴明様は呪符を残り六枚お持ちですから、なんとかなるかと」

 うむ、と頷き、龍麻は御門を振り返った。

「――御門、先程、あの両生類が言っていた【黄龍の器】とは何の事だ?」

「――!?」

 唐突な龍麻の質問。これには京一達も戸惑う。一刻を争うこの時にする質問でもあるまいに…。

「それは…今話すべき事ではないでしょう。今するべきは…」

「――結界の破壊だ。その為に聞いている」

 龍麻はぐっと拳を固め、【気】を集中させた。途端に燃え上がる、黄金のオーラ! それがどれほど凄まじいものであったか、光の圧力に押されて京一や醍醐さえ一歩下がる。

「奴が俺を【そう】呼んだ時からこの有様だ。そしてある程度は制御可能――と、なれば芙蓉に命を捨てさせるよりも確実に結界を破壊できるのではないか?」

「それは…可能かも知れません。しかし、あなたがそれを知るにはまだ時が――」

 龍麻は手のひらを彼に向け、言葉を遮る。

「未来の百万人のために、目の前の一人を見捨てるような事を言うな。戦力を出し惜しみして敗れたのでは、これまでに果てた者たちも浮かばれまい。そして、今ある命も救えん」

 龍麻は真っ直ぐに御門を見た。

 長い前髪の奥から、射るほどに鋭く、強い意思の光が飛んでくる。御門は真っ向からそれを受けた。圧倒的でいて、威圧するのみではない、温かい眼差し。自分が何をしても、静かに笑って見ていてくれる、大きな父親のような光。――万物の父たるものの名――それは…。

「――おいッ! 御門!」

 村雨が焦って声を上げるが、御門の口は動いてしまっていた。

「そうです。あなたこそ――時代に選ばれし【黄龍の器】――」

 突如、一同の面頬を強烈な風が叩いた。

「――ッッ!!」

 龍麻の【気】だ。御門が【それ】を告げた瞬間、龍麻の意思とは無関係に【気】が暴走を始めたのである。

 これは――浜離宮庭園の時と同じだ。あのオカマ――伊周に【そう】呼ばれた時も、彼の【気】が反応したのだ。少し遡れば、ジル・ド・レエ伯爵を送った時も、帯脇が霧島に憑かせた大蛇の念が襲い掛かってきた時も、スガモプリズン跡地で精神世界に捕まった時も、彼の中でこのような反応を示した。――龍麻の中に眠る、V―MAXと呼称される【力】…それが【黄龍の器】…。

「いかん! 醍醐君! マリィ!」

 浜離宮の時と同じく、如月が配置を叫ぶ。龍麻を中心に南、北、西にそれぞれ三人が付くと、龍麻の【気】が、強さだけはそのまま、バランスをやや取り戻す。だが――制御しきれるものではない。

「クッ! アランさえいれば――!」

 彼さえいれば、この荒れ狂う【気】に調和を与え、形だけでも鎮めることが可能だ。しかし彼はこの場にはおらず、四神の結界には穴が開いている。

「問題…ない…! 総員…対ショック…対閃光防御…!」

 正面にある【門】に向け、ぶるぶると震える体で無理矢理奥義の構えを取る龍麻。【秘拳・鳳凰】。現時点で龍麻最強の奥義――の筈だった。しかしこの状況下で、果たして本当に制御できるのか――

「――ふんばれよッ! ひーちゃん!」

 京一が声を上げた。

「そうだ! お前ならできるぞ、龍麻!」

「やっちゃえ! ひーちゃん!」

「頑張って。龍麻」

「お兄ちゃんは強いんだもん! 負けないよ!」

「ウム! そうだとも!」

「また僕を驚かせてくれよ、龍麻」

「そうですよ! 龍麻さんは強いんです!」

「龍麻さんは勝ちます。絶対に――」

 仲間達から次々に上がる激励。龍麻の口元に、無理矢理作った笑みが浮かぶ。

「――任せろ」

 きっぱりと言い切る龍麻。そして、繰り出される拳――! 



 カッ――――――!! 



 地上に恒星が出現したかのような、猛烈な光量。実際にはナノセコンドのレベルで放たれた光は、手で押さえた筈の網膜にさえハレーションを起こし、光の爆発を何時間も続いたようにさえ錯覚させる。しかも、音も熱も感じない! あるものはただ光、光である。

「…終わりましたか?」

 周囲に現実感漂う音…雨音が満ちた時、御門は恐る恐る目を開けた。

 他の仲間達も、次々に目を開ける。そこにあるのは、雨に煙る富岡八幡宮。雨を避けるためか、参拝客の姿もなく、一同は静けさの中にいた。

 破ったのだ。陰陽道でも最高レベルに属する結界を。それも【気砲】の全力放射という、力技で。

(こ、これが…【黄龍】の【力】…!)

 そこに、【隊長殿】の檄が飛んだ。

「ATTENSION!」

 彼の無事を喜ぶより何より、まず背筋が伸びる【真神愚連隊】の面々。

「我々はこれよりフェーズ2に移行する。目的は秋月マサキの救出! 各自装備を再確認後、直ちに行動開始!」

『イエッサーッ!!』

 【気砲】の全力放射でかなり消耗しているようだが、この調子の龍麻なら、まったく問題はない。京一達は今の出来事を黙殺する。【黄龍の器】だかなんだか知らないが、やはり龍麻は龍麻だ。何も変わらない。

 たった今まで死闘を繰り広げていたというのに、もう次の戦いに目を向ける一同を、御門も村雨もまぶしそうに目を細めて見た。

「――よォ、御門。お前も、こんなのも悪くねェって思ってるだろ?」

「――さて、どうでしょうね」

「こんな時まで気取るこたァねェだろうに…」

 だが、そんな二人の掛け合いも、小蒔の怒声によって遮られた。

「なにやってんのさ! 二人とも! 秋月クンを助けに行くんだろッ!!」

「――おっといけねェ。支援班長殿がお怒りだぜ」

 御門の肩をぽんと軽く叩き、村雨も一同を追って走り出した。

(――仲間…ですか。良いもの…かも知れませんね)

 村雨と並走しつつ、御門は我知らず笑みを浮かべる。そんな彼の横顔を、芙蓉が優しい笑みを浮かべて眺めていたが、残念な事に、貴重な彼女の笑顔を見た人間はいなかった。

















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