
第拾九話 陰陽師 4
『オ――ホホホホホホッ! やあねえ、偽善者同士の馴れ合いって。予言しか能のないマサキちゃんみたいな秋月の落ちこぼれに感謝ですってェ〜!? お馬鹿な真似して星神の呪いを受けて、二度とその足を動かせないようにされたお間抜けさんなのにねェ〜。でもその【力】は、陰陽司る者には魅力的よォ〜ッ。』
まさしく奇怪至極! どう聞いても男の声なのに、その口調と来たら――
「この話し方って――」
「オカマかッ!?」
真っ先に声を上げたのは、ある意味非常に正直者である小蒔と京一であった。
『――オカマって言うんじゃないわよッ!!』
次の瞬間、やはり奇怪な声音で怒声が響く。しかし、どことも知れぬ虚空から響く声は、なにやら咳払いを一つした。
『――あらいやだ。あたしったらお茶目さん。――それにしても驚きだわァ。【黄龍の器】がこ〜んな所に隠れてるなんてねェ〜ッ』
「【黄龍の器】…?」
ねっとりと絡みつくような声で紡ぎ出された単語が、何の呼び水となったか、龍麻の体内でごおごおと【気】が荒れ狂い始めた。
「――龍麻君!」
龍麻の変化に逸早く気付いた如月は、そこで奇妙な事をした。明らかに龍麻を気にかけながら、彼の右後方へと付いたのである。
「醍醐君! 龍麻君の背後に付くんだ!」
「ン――!? お、応ッ!」
その意味は解らず、如月の言う通り龍麻の背後に付く醍醐。すると、龍麻の中で荒れ狂っていた【気】の奔流が、彼自身の制御を受けて落ち着きを取り戻した。
「チィッ! なんであのヤローがここに…! どこかに式でも潜り込ませてやがったのかッ!?」
村雨は舌打ちし、懐から花札を取り出した。どうやらその花札が、彼の【力】を発揮するための媒介物のようだ。
しかし、御門は口元を扇子で覆い、例の口調で虚空に声を投げかける。
「わたしの結界が、阿師谷の者ごときに破られるとお思いですか、村雨。何か強大なものの【力】を借りたか、それとも人海戦術か、いずれそんなところでしょう、伊周? ――姿を現したらどうです? ああ、そうですか。あなた程度の術者には、酷な注文でしたね」
小蒔が思わず「うわあ…」と引くほど、毒の詰まった嫌味な言葉。さすがにこれには、謎の声の主も黙っていられなかったようだ。
『余計なお世話よッ! 相変わらず、なんて嫌味な男なのかしらッ! そんなにあたしが見たけりゃ、たっぷり拝ませてあげるわよぉん』
ゾワワ〜と背筋を走った悪寒に京一らが身体をかきむしった直後、何もない空間に歪みが生じ、一人の赤い人影を産み落とした。ただ、それが幻影である証拠か、水面に立っても鏡のような水面には波紋一つ立たない。
「はぁい、うふん――これでど〜お?」
上から下まで真っ赤ッか。趣味の悪い赤のスーツに身を包み、長髪も根元から毛先まで真っ赤に染め抜かれている。顔立ちはやや目が細いくらいの十人並みだが、アイシャドーに付け睫毛で流し目に仕上げ、ばっちり口紅まで付けている。頬がややこけて見えるのは、いわゆる小顔メイクを施してあるからだ。化粧の腕はなかなかのもの。しかし――
「うわっ! モノホンのオカマじゃねェか…!」
新宿が地元の龍麻たちでも、いわゆる【オカマ】と遭遇した事はなかった。歌舞伎町の界隈には【それ】系の店も多々あるが、かつて差別的な響きをもって唱えられた【オカマ】は随分様変わりして、ニューハーフという新語とともに新たな性風俗産業の一つとして認知(?)されるほどになっており、整形技術やメイクアップ技術が進歩した今、本物の女性でさえ霞むほどの美女(?)が生まれている。
しかし、目の前にいる男(?)は、いわゆる【オカマ】の領域から脱していなかった。それこそ、京一が後ずさりするほどに。
「うるさいわねッ! ――っと、ちょっと良い男だけれども、それ以上言うとただじゃ置かないわよッ!」
どこでどう道を間違ったものか、しっかり男顔なのにキンキンした金切り声で京一に脅し(?)をかけるや、一同をそれこそ舐めるように見回した。
「ふっふ〜ん。今まで亀みたいに閉じこもっていたと思ったら、【シグマ】が引っ込んだと同時にこんなにお友達を集めちゃって。ホント、あんた達ってお気楽の坊ちゃん達ねェ」
オカマの言葉に含まれた嫌味に、秋月の唇がギュッと噛み締められる。
「これはこれは。【シグマ】のような半端者の寄せ集めにそのような事を言われるとは心外ですね」
「――なによッ! 黙っていれば良い男なのに、つくづくムカ付く男ねッ!」
舌戦は早くも御門の勝利か? オカマは懐に手を突っ込み、長方形の呪符をトランプのように広げた。そしてその全身からは、赤いオーラが…。
「今日こそ、その高慢ちきな鼻を明かしてやるわッ。あたしの【力】、ご覧あそばせ!」
ばさばさと空中に撒き散らされる呪符。それは裏密がアン子から預かったものとまったく同じ呪符――【ドーマン】であった。つまり、このオカマこそ【転校生狩り】の犯人――
「――臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前! ――陰陽に使役されし、三十六の猛禽よ! 蘆屋の名の下に我が符に宿り、その力を示しなさいッ!」
空中に撒き散らされながら落ちても来ない呪符がみるみる形を変えて折り鶴に。そしてそれは、黒い禍鳥へと変貌した。三十六羽の――鴉。
「紙が――鴉にッ!?」
「これが――奴の式神ッ!?」
驚く京一達を尻目に、御門が扇子を口元に当てたまま一歩前に進み出る。陰陽師を相手にするのは陰陽師――。村雨もそれが解っているのか、動こうとはしない。
「オーホホホホッ! 覚悟してね!」
オカマのけたたましい笑い。だが、そこから次の行動を予測する事は困難であった。
「――マサキちゃん!」
「な――ッ!?」
「しまっ――マサキ!!」
一直線に御門に向かっていた鴉は突如方向を変え、自由に動けぬ秋月にその全てが襲い掛かったのである。御門には印を結ぶ暇も、村雨には花札の役で術を発揮する暇もなかった。しかし――
――ドガガガガッガガッガッガッガガガァァァァァン…!!
自動拳銃(特有の乾いた銃声の乱打! 目を見開く秋月の眼前で黒いコートが翻り、その周囲に黒い禍鳥の羽と、そのなれの果てである紙切れ、空中に飛び散っていた空薬莢がばらばらと降ってきた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
その光景に愕然としたのはオカマだけではない。御門も村雨も身震いするほどの戦慄を覚えた。龍麻の両手に握られているのはグロック19――九ミリ自動拳銃。ただし、二〇連マガジンを装備して装弾数は合わせて四二発。ファイアパワーこそ充分かも知れないが、秋月を中心に三六〇度全方位から、角度も軌道もスピードも変えて襲い掛かってきた式神を尽く撃墜してのけたのである。
「なななな、なによアンタッ! 銃なんてずるいじゃないッ!」
顔を引きつらせ、金切り声を上げるオカマ。しかし、龍麻は――
「黙れ、カマ野郎」
彼の口から、およそ彼らしくない伝法な悪罵が飛び出した。
「貴様のようなXXXのXXXXが図に乗りおって。さっさと消えんと貴様のXXXXにXXXをXXXXって、XXXXをXXXでXXXXXXXXXXってやるぞ。このXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX風情がッ!」
でた! 久々【鬼軍曹モード】! 【うわぁい】と、小蒔が、葵が、さやかが、そして秋月が引く。如月や壬生、裏密までもがちょっと引いた。
「なによっ! XXXXがXXXXXXでXXXXXXXXXですってえ〜〜〜ッ! アンタこそXXXXがXXXXXでXXXXXじゃないのッ!? ちょっと良い男だからってXXXXXがXXXXXでXXXXXとは限らないわよッ!」
ようやく、京一が割って入った。
「エエイ! テメエら、伏字だらけの口喧嘩をするんじゃねェ!!」
それこそ木刀を振り回して怒鳴る京一に、ようやく龍麻もオカマも我に返った。
「龍麻って…オカマさんが苦手だったかしら?」
「エ〜ッ!? でも京一相手に冗談飛ばしてた事もあったよね? 醍醐クン、何か知ってる?」
「いや…さすがにそこまでは知らんが…」
「でも龍麻さん…物凄く毛嫌いしているみたいですけど…?」
「僕もそう思います。なんだか、いつもの龍麻さんと違いますよ?」
「うふふふふふ〜〜〜。ひーちゃ〜んの弱点発見〜」
「君たちの知らないところで、何かあったんじゃないのかい?」
知らず、醍醐たちの視線が、ただ一人発言しなかった壬生に向けられる。
「な、なんだい?」
「壬生――お前は何か知っているのか?」
「ど、どうしてそう思うんだい?」
「壬生クン…ナニどもってるのさ?」
「――いや、別に」
全身に突き刺さる好奇の視線から目を逸らす壬生。
(――言えない! 僕はまだ、死ぬ訳にはいかないんだ…!)
龍麻のオカマ嫌い――それは先週、拳武館の【仕事】に絡み、龍麻の手を借りた事に起因する。配下に武闘派の政治結社を抱え、二四時間態勢で機関銃を持ったボディーガードに護られている、とある政治家を始末する際、潜入したボーイズカフェの中で、龍麻と壬生は【政界の暴れん坊】と呼ばれて恥じない鬼瓦のような顔と肥満体を有する政治家がいわゆる【ゴスロリ】な女装をして自らストリップ・ショーを演じているところに鉢合わせてしまったのだ。しかもなまじ龍麻も壬生も美形なうえに変装までしていたものだから、その政治家は二人を店の男の子と勘違いし、「素敵よォ、お客さん!」と黄色い声(!)を上げて抱き付いて来たのである。その青々と髭剃り跡の残る分厚い口付けを満面に浴びそうになった時、龍麻は悲鳴(!)を上げて発剄を乱射したのだ。結局任務は成功したのかしないのか。龍麻と壬生に狙われて無傷で生還するという奇跡を成し遂げた政治家は、しかし妙な趣味が露呈した為に政界から勇退し、それでも自宅において龍麻に熱烈なラブコールを送っているという。
思いがけず、龍麻に妙な精神外傷(を与えてしまい、反省しているところに持ってきて、敵としてオカマが出現してきたのである。壬生としては頭を抱えたくなる事態であった。
「――ンな事より! テメエ! 車椅子の人間を襲うたァ、ツラも含めて根性の捻じ曲がった奴だぜ! この俺がぶちのめしてやるッ!」
「なによッ! ちょっといい男だからと思っていれば、アンタもうるさいわね!」
オカマは素早く印を組み替えた。そして――
「おくたばりあそばせッ!」
「チッ! 舐めんじゃねェッ!!」
一枚の符が再び鴉に化けて京一を襲った時――
「――ッ秋月様!!」
突如、まったく予期しない方向――土中から無数の――蛇のような百足のような、先端部が上下左右に開く触手状の【何か】が秋月に襲い掛かった。龍麻の銃が火を噴き、如月の短刀が、壬生の蹴りが唸ったが、それでも何本かが秋月に向かって飛んだ。その瞬間、身を呈して秋月の盾となったのは芙蓉であった。
「芙蓉――ッ!!」
天女のごとき肢体に喰らい付く四匹の蛇! その牙は彼女の胸を貫き、背中まで抜けた。間髪入れず龍麻の銃がその胴を撃ち飛ばしたが、芙蓉はゴボリと鮮血を吐いた。
「あ…秋月様…ご無事で…なにより…です…!」
「芙蓉さァんッッ!!」
小蒔の絶叫が響き渡る――と同時に、芙蓉はぱっと白い光を散らし、一枚の呪符と化してひらひらと舞った。
「――破ッッ!!」
たった今までそこにいた女性が一枚の紙切れに変わる――芙蓉が本当に人間でなかったと認識するに充分な現象だが、構っていられなかった。龍麻が地面に発剄――浸透剄を叩きつける。その直後、発剄を浴びて体半分ほどを崩れさせた地虫が土中から飛び出した。
「――【疾風撃ち】ッ!!」
瞬時に叩き込まれる五本の矢! そして――宙に舞う黒い猛禽!
「――【昇龍脚】ッッ!!」
壬生の空中連続蹴りを浴び、地虫はバラバラに砕け散り、そこから更に小さな虫の死骸となって地に落ちた。
「オ、オイッ! 芙蓉ちゃんが! 芙蓉ちゃんが――ッ!!」
「――落ち着いてください。式神に打たれたために、肉体の素である符が傷付き、一時的に異界へ戻っただけです。――ご苦労でしたね、芙蓉。すぐに再生してあげましょう」
芙蓉の消滅に取り乱す京一や小蒔を静かに制し、しかし御門は、表情こそ殆ど変えず、その目にのみ凄まじい怒りをまとってオカマを睨み付けた。
「伊周…。あなたはわたしに対する最大の禁忌を犯してしまったようですね…」
ふわ、と一同の面貌を打つ、青白いオーラの放つ圧力。風もないままに御門の長髪がゆらゆらとなびく。
奇襲の失敗に舌打ちしていたオカマ――伊周は、今度こそ顔を恐怖に引きつらせた。
「なッ、なによッ! ちょっとした冗談じゃないッ! たかが式神を消されたくらいで、やあね。そんなに怒らないでよッ」
「…たかが…式神…?」
ずい、と一歩踏み出す御門。どうやら伊周は御門の逆鱗に触れた上、地雷まで踏んだらしい。
「だーかーらー、そんな顔したって無駄よおん。ここにいるのはあたしの影だって知ってるでしょ? つまりアンタは何をやってもあたしに攻撃できないし、どんなに悔しくったって、マサキちゃんをほっぽって来る訳には行かないんでしょう〜? ――オーホホホホホッ、お尻ペンペン」
「うわッ、にくったらしい〜〜〜〜ッ」
この瞬間、居並ぶ者全員の気持ちを代弁して小蒔が悪態をつく。すると…
「お黙りッ! 桜井小蒔!」
一喝されて、怯む小蒔。
「お、オカマに名前呼ばれたッ!?」
「なによッ! そっちの方が問題なのッ!? ――ふっふ〜ん。みんな知ってるわよ〜ん。蓬莱寺京一に美里葵、醍醐雄矢…。そっちにいるのはキャピキャピアイドルの舞園さやか!? ああ、いやだ! ――で、あ〜ら、そこにいるのは拳武館の壬生クンじゃな〜い。そっちのビン底眼鏡とハンサム君とかわいい坊ちゃんは知らない顔ね。ほんでもって――」
伊周の視線が龍麻に向いた。ハードボーラーに持ち替えた彼の手がピク! と跳ねる。
「緋勇龍麻…ウフッ、捜したわよぉん。もうッ、ホントに苦労したんだからァ。何しろパパの占いじゃ【高校三年生】と【転校生】の二つしか分からなかったから、片っ端から式神をけしかけるしかなかったのよぉ。面倒臭いし疲れるし、その上みんなカスばっか。呆気なく死んじゃって、つまらないったらありゃしない。ホント、同情して欲しいくらいよォ。あの方がいなかったら、もっともっと無駄足踏んじゃうとこだったのよッ、まったく!」
つまりそれは、人殺しをしたという事実であるのに、それをさも得意そうに語る伊周。殺した人間の数を誇る輩は、龍麻にとって不倶戴天の敵だ。
「うっふ〜ん。口は悪いけど、アンタもよくよく見ると良い男ねェ。その危険な香りがたまらないわぁ。――あたし、江東区綱護高校三年の阿師谷伊周よぉん。――ね、ねっ、ものは相談だけどォ、こんな奴ら放っといて、あたしと組まない? この前、そこの壬生クンにあたしの好きな男を殺されちゃって、あたし寂しいの。でもあなたみたいな人が来てくれれば、相川みたいな筋肉馬鹿なんかさっさと忘れちゃうわァ。ウフッ、後悔はさせないわよォ?」
「……」
龍麻の答えは――沈黙。別にオカマに恐れをなした訳ではない。この沈黙は、何かを考えている時のものだ。
「あらまあ、なんてクールなの。あたし本気で惚れちゃいそうよ。だってその顔すっごくセクシーなんだものぉ。ウッフフゥ〜〜〜〜ン」
先程の悪口雑言の嵐は、既に伊周の頭からは綺麗さっぱり忘れられているらしい。恐るべきはオカマの記憶力。自分への悪口は即座に忘れる事ができるようだ。
しかし、くねくねと腰を振りながら迫るオカマは、一同にとって恐怖(?)の対象でしかない。
「きぼぢわるい…」
「――同意。――なんつーか、深きものどもとかゾンビーとかの方がよっぽどまともな相手に思えてきた」
なるべく関わり合いになりたくないため、小声でこそっと突っ込まれたそれは、しっかりと伊周の耳に届いていたようだ。再び恐るべきはオカマの聴力。自分への悪口は聞き逃さないようだ。
「うるさいわねっ! あたしをあんな化け物なんかと一緒にしないで頂戴! ――って、まあいいわ。アンタたちを始末するのもあの方との約束ですものぉ。ついでに拳武館の壬生クンまで始末できるなんて、あたしってばラッキー。これ以上【シグマ】をガタガタにされたんじゃたまらないもの。きっちり始末してあげちゃうから。――オホホホホッ、御門も悔しかったらこの連中と一緒にあたしの所に来てみる? それともしーちゃんと一緒じゃなきゃイヤ? オホホホホッ、それはできない相談よねェ。あんた達がいなくなっちゃったらマサキちゃんがどうなるか判ったモンじゃないものねェ」
ギリリッ! と御門の歯が鳴った。――その事で、御門の嫌味な態度に反感を覚えていた者は、少しだけ彼に対する認識を改めた。
御門は自由には動けない。式神を操る能力からも、相当な【力】を持っていると推察できるが、秋月を護るためにはこの場を離れる訳には行かないのだ。それが――嫌味という形に出る。常に攻められる立場にあり、打って出られない者が唯一可能とする有効な戦術――挑発だ。昔の攻城戦に例えるならば、攻め手一に対し護り手三で対等だという。そして陰陽師である御門に対する者も陰陽師。圧倒的有利な戦いなどありえない。そのため、御門は相手を挑発する。涼しい態度で相手を小馬鹿にし、プライドを傷付けるような嫌味を言う。良くも悪くもプライドの高い陰陽師は、それを完全に無視する事ができない。それは術の乱れに現れ、御門はそこを突く事で闘ってきたのだ。
だが、伊周が結界を抜けてきた事で、その戦術は破られたも同然になった。秋月の事がある限り、伊周に何を言われても、御門は打って出る事ができないのである。
しかし――
「…戯言はそこまでにしておけ」
しん…と冷える空気。伊周の高笑いがぴたりと止まった。
「へへ…ひーちゃん…本気モードだぜ…!」
頬に一筋冷や汗を垂らしつつも、京一がにやりと笑う。
これでこのオカマの運命は決まった――【真神愚連隊】の面々は等しくそう思った。龍麻の前で人殺しを誇るという愚行。殺人予告による挑発。それはテロリズムだ。龍麻の中で伊周は既に抹殺のターゲットと化したであろう。
「な、なによ…! そんな怖い声を出したって無駄よッ。言っとくけど、ここにいるのはあたしの影なんですからねッ。あんたの銃なんて効きゃしないのよッ」
「肯定だ。――ただの銃ならな」
ズルリ! とコートの中から抜き出される、クロームメッキが鈍く光を跳ね返す巨大な回転式拳銃(。
「ちょ…っと、なんなのよ! それェ!?」
伊周の目にも、それがただ巨大なだけの拳銃ではないと解ったのだろう。熱を発している訳でもないのに、銃の周囲が陽炎に彩られ、闇を詰め込んだような銃口が伊周をポイントすると、銃全体が淡い金色の炎を噴き上げたのである。
「こいつはコルト・アナコンダ・44マグナム――IFAF対妖魔戦略特殊工作員【ストライダー】カスタムだ。殺せるものは神でも悪魔でも殺す。例えそれが、幻であろうと、影であろうとな」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
自分に被害はないと解っていながら、否、そう信じ込んでいてなお、全身が凍り付くような戦慄! 黄金の炎のようなオーラに包まれたアナコンダの周囲で、空間がグニャグニャと歪んでいく。
「【シグマ】なぞ、所詮は寄せ集めのチンピラテロリスト。そして俺は――元テロリスト殲滅機関の一員。――温水育ちの蚊トンボ風情が、大鷲を前に幸運(とは笑わせる」
ガチン! と音を立てて撃鉄が起こされる。
「――自分の胸に聞いてみろ。明日の朝日が拝めるか。――ぶち殺すぞ、両生類(ッ!!」
「ヒッ――!!」
――ドゴオォォォォンンッッ…!!
伊周の放った悲鳴は、落雷よりも激しい銃声にかき消された。
膨大な【気】を圧縮した弾丸の衝撃波が結界内の空気をあまねく揺るがせ、池の水面がザワザワと波打ち、桜の花びらが一気に舞い散る。だがそれも束の間の事で、銃声の余韻が絶える頃には、元の静けさを取り戻した。
「ひーちゃん…やったか?」
耳から手を離し、京一が問い掛ける。銃声に気死しているのは秋月、御門、村雨のみで、【真神愚連隊】のメンバーは全員一致でちゃんと耳を押さえていたのだ。
「いや…」
アナコンダのシリンダーをスイングアウト。空のカートリッジを抜き出し、新たなマグナム弾を装填する龍麻。
「所詮は影だからな。しかし【気】は繋がっている。何人がかりの術か知らんが、一人や二人は巻き添えを食ったろうな」
淡々と語る龍麻に、畏怖の眼差しを送る御門。彼の【常識】に照らし合わせれば、あの状態の伊周はどんな攻撃をもってしても傷付けられない筈なのだ。それなのに龍麻は、伊周が自分の影を投影した【気】そのものに弾丸を撃ち込み、伊周の本体に攻撃を加えたのである。
(そのような事を可能にするとは…! さすがは…!)
「――秋月さん、大丈夫ですか?」
葵の問いかけが、御門の思考を中断させる。秋月も我に返ったようだ。
「あ、は、はい…。遅ればせながら…緋勇さん、ありがとうございます」
「いや、無用に騒がせた事、謝罪する」
アナコンダが龍麻の手の中でくるりと回転し、コートの中に消える。勿論、外見からはまったく解らない。
「なんつーか、とんでもねェのが出てきやがったな」
しみじみ京一がごちると、如月と霧島がコクコクと頷いた。
「あんた、あんなのに狙われてるのかよ。俺たちもいろんな奴と戦ってきたけどよォ、あんなオカマに狙われるよりはずっとマシだぜ。なんて言ったらいいのか…大変だな」
車椅子の身でありながら、あのような得体の知れない術者に狙われている秋月。京一自身も彼に対する下手な同情は失礼だと判っているのだが、口にせずにはいられなかった。小蒔も深く頷いている。
「僕は…慣れていますから」
「そんな…。それではこんな事がよくあるんですか?」
葵の問いかけに答えたのは御門だった。秋月が寂しそうな笑みを浮かべたからである。
「残念ながら、その通りです。秋月家に受け継がれる星見の【力】は、陰陽道を生業とするものにとって垂涎の【力】。何ものにも代えがたい貴重な宝なのです。当然、それを悪用しようと企む輩にとっても」
「…なるほど。そして秋月の者を護るのが、東の棟梁たる者の務めという訳だね」
御門が護るのは秋月の者。そして如月が護るのは、この東京という地。【護る】事が【使命】であるという点で、如月は少し御門に親近感を覚えたようだ。
「ん!? ――ちょっといいか?」
何事か気付いたのか、京一が珍しく思案顔で秋月に尋ねた。
「あんたが狙われる理由は解ったけどよ、未来が見えるって事は、自分が狙われるタイミングってのも解るんじゃねェのか? それに備えときゃ、何も芙蓉ちゃんがあんな真似しなくても――」
「――きょう〜い〜ちく〜ん…」
秋月が目を伏せ、御門と村雨が唇を歪めたが、彼の言葉を遮ったのはなんと裏密であった。
「未来が見えると言っても〜、それは〜あくまで可能性の高い未来の事〜。何もかも〜正確に見通せるものではないわ〜。そして〜確定的な未来であるほど〜実は見え難くなっているの〜。未来への影響を〜少なくするために〜運命を司る神が施したプロテクト〜」
「運命を司る神? ――さっきのオカマが言ってた星神ってヤツの事か? ――ン!? じゃあ、その呪いってなんなんだよ?」
京一の何気ない言葉は、秋月たちの雰囲気に激しい動揺を与えた。御門はぞっとするほど無表情になり、村雨などは小さくではあるが舌打ちする。別に京一を責めるものではなく、余計な事を喋った伊周に対する怒りであったようだが、それでも場の雰囲気が非常に気まずいものになった事は否めない。
「…別に無理に聞きたい訳じゃねェ。妙なコト言って悪かった」
「…いいえ」
顔を上げた秋月は寂しそうな笑顔であったが、目には温かい光が宿っていた。それは、何事か決心を固めた者の目だ。御門も村雨もやや表情を顰める。怒っているような、気遣っているような、なんとなくこの二人には不似合いに思える微妙な表情だ。
「この東京の運命に纏わる重大事を押し付けながら、その張本人たる僕に秘密があるのは良い事ではありません。――緋勇さん、よろしければ、僕自身の昔話を聞いていただけますか…?」
「…俺は、話したくない事は無理に聞かぬ。だが、話したいのならば聞こう」
御門や村雨の態度、秋月自身の態度から、それが軽々しく他人に話すような、決して愉快な話でない事がたやすく想像できる。しかし、そんな話でも、誰かに聞いてもらいたいと思う事がある。秋月にとっては今がその時であり、聞いてもらいたい相手が龍麻だったのだ。そして龍麻は、いつでも人の話を真剣に聞く。
「…ありがとうございます。なんとなくあなたには…皆さんには聞いてもらいたいと思ったんです…」
どれほど傷付き、苦しんでも、自ら道を切り開くあなた方になら…秋月はその言葉を胸の内でそっと付け加えた。
「――先程も申し上げたように、僕には星と人の運命を視る【力】があります。ただしそれは…本来それ以上のものであってはいけなかったのです。来るべき未来を覗き、己の望む結果を導くように備える――この行為は、言わば静かな水面に石を投げ込むようなもの。投じた石は小さくとも、波紋はどこまで広がる事か。未来とは、ほんの小さな変化を受けても影響されるものなのです」
龍麻を始め、一同は黙って秋月の話に耳を傾ける。京一は自分が話を振ってしまった手前、普段よりも真剣な顔だ。
「しかし、一口に未来と言っても、変化を受け入れやすい、可能性に満ちた未来と、容易に変化を受け入れない、確定的な未来というものも存在するのです。あらかじめ歴史に刻まれた予定調和…シナリオのようなものが…」
秋月の言葉が意味するものを悟り、裏密が驚きを露にする。しかし、口は挟まない。ここからが話の重要な所なのだ。
「数年前、僕の大切な人が死に至るという啓示が天に現れました。これは確定的な未来…その人の宿命として受け入れざるを得ないものでした。しかし僕は…【力】によってその宿命を無理矢理捻じ曲げたのです。そのため僕は…凶星に宿る荒神の呪いを受けてしまったのです」
訳知りの裏密を始め、一同は、龍麻でさえも息を飲んだ。未来を視る――使いようによっては世界さえ変えかねない【力】だ。しかしそれによって、自分の大切な人が早死にするなどという未来が視えたら…。しかもそれが、抗いようのない確定的な宿命だとしたら…。
それは、恐ろしい事だ。絶対に回避できぬ破滅の未来を知りつつ、ただそれを待つことしかできないという現実。己の無力を噛み締めつつ、破滅を受け入れる事しかできぬとは…。だが秋月はそれを由とせず、破滅の未来を捻じ曲げたというのだ。
「その代償が…その足か」
いつもより神妙な龍麻の声。現実を直視し、自らの生きる道を切り開いてきた彼ならばこそ、秋月の苦悩が判る。龍麻は望むべき未来に向かって最大限の努力をするのみで、結果がどうあろうと彼に後悔はない。しかし秋月は結果のみ知っていて、努力もなにも、自分にできる事全てが否定されてしまったのだ。
「はい。ですが医学的には何の異常もないこの足が動かないのは、僕にとってはその人が生きているという証でもあります。ですから…本当は何ら不自由はないんです」
そう言って、秋月は静かに微笑む。寂しさや哀しみとは無縁の微笑。秋月は自分の行為を後悔していないのだ。他人がどう思おうとも、自分は最良の選択をしたのだと。
「…天の星々の位置を差し替えるなど、いくら秋月家の者でも、やすやすとこなせる所業ではありません。むしろ、足を奪われただけで済むとは…それこそ奇跡と称しても良いほどの幸運ですよ」
御門はそう言って、口元を扇子で隠す。口調の中に呆れと、苛立ちを含ませてしまった事に気付いたのだ。陰陽道に携わる身として、秋月の行動には思う所が多いに違いない。
「…本当に〜。アカシックレコードを書き換えて無事だった者は〜歴史上においても〜三人といないわ〜」
彼女にしては珍しく、身の震えを押さえるように自身を抱き締めて告げる。裏密の占いは西洋魔術に属するが、根本原理は東洋も西洋も同じようなものだ。言葉は変われど、星の配置(を書き換えるという行為に求められる代償の大きさは心得ているのだろう。
だが、秋月はやったのだ。大切な、その人のために。――命を賭けて。
「龍麻…。私たちに、何かできる事はないのかしら…?」
言ってしまってから、自分の馬鹿さ加減に気付いて激しく後悔する葵。龍麻にこんな事を言えば、返ってくる答えは一つしかない。
「…現時点において、我々にできる事はない」
きっぱりと言い切る龍麻。下手な同情や慰めは言わぬ男だ。時としてそれは非情に響くが、龍麻はこれでもあらゆる分析をした上で言っている。――村雨はともかく、陰陽師の東の棟梁を務めるという大陰陽師、御門が付いていて、今まで手をこまねいていた筈がないのだ。政府筋に働きかける事もできる彼らの力をもってすれば、桜ヶ丘を始め、それこそ世界中の霊的治療機関とコンタクトを取った事だろう。その上でなお秋月の足が動かないとなれば、それは【人】の手に負えるものではないという事だ。更に、自分達に治療の可能性があるならば、もっと早く接触してきて良い筈だ。それ以前に、自分の足が治っている未来を見る事さえ…。
「――だが、諦めてはいない。そうだな?」
「――はい。勿論です」
もとより後悔など感じさせなかった秋月の声に、覇気まで加わった。
できる事はない――確かにそうだが、龍麻の言葉は秋月に勇気と自信、誇りを与えた。――【間違いではない】。こう言って貰える事で、これまで仲間達がどれほど助けられてきた事か。秋月の足を治す【力】はなくとも、龍麻はほんの一言で、逆境と絶望に立ち向かう【力】を手助けしてのけたのである。
「ならば良い。貴君の足を治す事はできんが、当面の敵は我々が排除する」
それから龍麻は、秋月の肩に手を置き、彼にだけ聞こえる声で言った。
(しかし、辛い時には無理し過ぎるな。ストレスの溜め過ぎは、特に女性は良くない)
(――どうして解ったんですかッ!?)
(人が緊張状態にある時、男女では体温変化に差異が生じ――いや、なんでもない)
それを口にした途端、秋月――【彼女】が顔を赤くしたので、龍麻は慌てて言葉を濁した。しかし他の者には聞こえないやり取りに、要らんところに目ざとい男が口を挟む。
「――なんだよひーちゃん。いくら美少年だからって男に走ったら泣く女と喜ぶ女が――!」
次の瞬間、小蒔のボディーブローよりも、葵の寝袋よりも、さやかの歌声よりも速く、壬生の踵落しが京一の脳天を直撃し、彼を沈めた。
「――失敬。蚊が留まっていたものだから」
「――ンな訳あるかッッ!!」
直後に復活した京一が、自らの保身を最優先にした壬生に食って掛かる。お蔭で龍麻はトラウマを刺激されず、秋月も【女】である事を看破されて動揺した瞬間を気付かれずに済んだ。
「…アレは放っておいて、先程の両生類について情報をもらいたい」
「両生類…ですか。うまい事を仰る。――あれが先程お話した阿師谷家の者です。現当主は阿師谷導摩(、その息子の伊周。あれが我が先祖安陪晴明様と双璧をなした蘆屋道満殿の血筋とは嘆かわしい限りですが。――古典にも語られている通り、蘆屋道満殿は時の権力者藤原道長の呪殺依頼を受け、その呪(を晴明様に返され、播磨の国に流される事になりました。その子孫である阿師谷家は、いまだ晴明様を恨んでいるのですよ。当時、お二人の間にあった、世の理を知った者同士の共感も知らずに」
京一や小蒔などは、晴明も道満も龍麻の説明でしか知らぬので「おや?」と思ったが、御門は嫌味な口調の中でも、蘆屋道満に対しては敬称を正しく使っていた。つまり、子孫がどんなに落ちぶれていようと、蘆屋道満自身には敬意を払っているのであろう。
「ですが、彼らとて一応は陰陽の理を知る者。星の動きの一つくらいは読めるでしょうから、偶然に偶然が重なれば、この東京の命運に関わるあなた方の事を見つける事もできるでしょう」
「…おいおい。私情を交えるなよ。今重要なのは、何であいつが先生を始め、全員の名前まで知ってたかって事だろ? それにあいつ…例の事まで…」
最後の部分で言葉を濁す村雨。如月や壬生、裏密は何の事か意味も含めて解ったのだが、葵は単語の意味を計りかねていた。【例の事】とは【黄龍の器】。その単語を聞いた時、身体の深奥が熱くなったのは、葵も同じだったのだ。
「阿師谷を始めとする【シグマ】の面々が独力でそこまで辿り着いたとは到底思えません。恐らくは彼らの背後にいるものの入れ知恵でしょう。どうやら事は、わたしが思っているより深刻なようですね…」
御門にしてみれば、東京の命運に関わる情報を龍麻に伝えこそすればいいと考えていたのだろう。しかし、絶対の自信をもって張ってある結界内に侵入され、あまつさえ秋月を襲われ、芙蓉を消された。彼の口調に苛立ちが感じられるのも無理らしからぬ事であった。
「――それを考えるのはあの両生類を始末してからで良い。今は、他にやるべき事がある筈だ」
「――そうです、御門。早く芙蓉を元に戻してあげてください」
御意、と一礼し、御門は一同を下がらせた。ただし、如月と裏密は興味津々である。壬生も少し興味あるのか、御門の一挙手一投足に視線を注いでいる。
御門は懐から新しい人形(を取り出し、それを宙に掲げて印を結んだ。
「バン・ウン・タラク・キリク・アク・ウン! ――陰陽に使役されし十二の神将よ、わが符に宿りて護法を成せ――天后招魂、急急如律令――!」
御門の手から離れた符が宙に踊り、ぱっと白い光に包まれたかと思うや、そこには先程と寸分変わらぬ芙蓉が立っていた。当然、傷もまったくない。
「晴明様…かたじけのうございます…」
「いいえ。ご苦労でしたね、芙蓉」
低頭する芙蓉に対し、御門は人に対するものよりずっと優しい目で頷く。どうやら先程彼が怒りを見せたのは、秋月を襲われた事も含め、芙蓉を傷付けられた事もあったのだろう。
「わあっ! 良かった〜っ」
「芙蓉さんっ、無事で良かったですっ」
改めて芙蓉が【人ではない】事を目の前で見せられながら、小蒔たちの態度にはなんら変化がない。入れ替わり立ち代り芙蓉の手を取って彼女の無事を喜ぶ。そんな彼女達の様子に、芙蓉も少しぎこちない笑顔を見せた。
「陰陽道の秘術。本当に凄いものだね」
「さすがは東の棟梁。その若さで、これほどの実力とは」
如月や壬生でさえ、感嘆の言葉を口にする中、京一一人が少し疑問顔をする。
「芙蓉ちゃんが無事で良かったけどよ…。なぁ、あのオカマも、その、なんだ、鬼神ってヤツを使えるのかよ?」
魔法のごとき光景を目にし、しかしそれ故に次なる戦いのための質問を口に乗せる。今度の敵は陰陽師。既に戦いが決定している以上、敵の能力は可能な限り正確に把握しておきたい。
「十二神将は、安倍様の御名によりわたしの下にある鬼神ですから、阿師谷ごときが自由に扱うことは出来ません。ですが彼らは蘆屋道満殿の御名の下、三十六の猛禽を符に宿らせて使役することが出来ます。先程緋勇さんが撃ち落して見せたあれですが…他にも用意があったようですね」
伊周だけならば、あの鴉程度を相手にすればいいという事か。しかし伊周の父親もいるし、【シグマ】と関係のある陰陽師も何人いるか解らない。
「――構わん。こちらもそれなりの準備をして行く。奴はどこにいる?」
今は平安の世ではない。いかに陰陽師と言えど、伝説の大陰陽師のように斬られても射られても死なぬという訳には行くまい。式神を使役するなど驚嘆の技に思えるが、龍麻にしてみれば一風変わった生物兵器が投入された程度の事だ。しかも術者…指揮官を倒せば全部潰せるならば、むしろ戦いやすいとさえ考えている。しかし…
「御門、村雨。案内して差し上げなさい」
芙蓉の再生を共に喜んでいた秋月が、振り返って告げる。突然といえば突然の命に、当然のように御門も村雨も困惑顔を作った。
「わたし達が…ですか?」
「――オイオイ。俺だけならまだしも、二人揃ってここを離れるのはまずいだろうぜ」
「先程の一件もあります。敵はむしろ、わたし達をこの場から引き離す事も考慮しているでしょう」
御門の意見には、龍麻も同意だ。伊周がどの程度の戦力を揃えているのか知らないが、向こうは当然、陰陽師で構成されている筈だ。ならば陰陽師に対するは陰陽師――この構図で、御門をこの場から引き離すことが出来る。勿論、秋月よりも龍麻を優先すればの話だが。
「――ですが、敵もまた陰陽師。結界を張られていた場合、やはり専門家である貴方が付いているべきでしょう」
「秋月様…」
「――僕の事は心配しないように。僕も…戦う事に決めたのですから」
そう告げる秋月の目に宿るのは、不退転の意思。龍麻と出逢った者の多くは、闘う事の意味を知り、これを身に付ける。闘いとは奇麗事ではないのだ。自らの意思で戦おうとするならば、敵対するもののありとあらゆる悪意を受け止めるだけの精神力が求められる。自分で戦いもしない、単なる傍観者を気取る第三者の誹謗、中傷さえも。
御門も村雨も、秋月のこのような姿など見た事はなかった。自分たちが護るべき、そして、護られているべき存在。それが秋月マサキであった筈なのだ。
「俺たちゃ別に、場所さえ教えてくれればいいぜ。一応そっち関係の専門家もいることだし、あんなカマ野郎とその仲間なんざ、軽く捻ってやるさ」
「――蓬莱寺さんは剛毅な方でいらっしゃいますね。ですが、敢えて申し上げます。僕のあの絵は未完成なのです。つまりあれは、可能性の未来。大筋は変わらずとも、細部では様々な修正が加えられていくことでしょう。その修正が、あなた方にとって不利な形になる事は避けねばならない。――そのようにお考えになってください」
龍麻を真っ直ぐに見て秋月は言う。全てを決定するのは龍麻だ。そして彼とて、味方の損耗を最小限に押さえるためには、御門にいてもらった方が良いと考えている。しかしながら、御門は秋月の護衛だ。こちらの都合を押し付けるのも得策とは思えない。
「了解した。しかし、二点ほど確認しておく。まず、我々と行動するというならば、俺の指揮下に入ってもらいたい。二点目は、あくまで本人の意思を尊重する。つまり、俺が指名したとて、本人には拒否権があるという事だ。それを承知してもらえるならば、増援を歓迎する」
「承知しました。それでは緋勇さんは御門と村雨、どちらの力を必要とされますか?」
こう聞かれれば、答えは一つしかない。龍麻は迷うことなく御門を指名した。村雨も【術】系の【神威】だが、陰陽師の結界や術に対しては、やはり専門家がいた方が心強い。結界内に留まる限り、短時間ならば村雨一人でも護衛は務まる筈だ。
「――心得ました。余り気は進みませんが、一時的な共同戦線という事でご助力いたしましょう。勿論、手を抜いたりなどしませんから、ご心配なく」
相変わらずの口調だが、しかし龍麻は…
「よろしく頼む。――歓迎するぞ、御門晴明」
そう言って差し出される龍麻の手。御門は束の間その手を見つめ、やがて扇子を左手に持ち替えて彼の手を握ったのであった。
この時間帯で都内を移動するには、やはり電車の方が早いし確実である。目的地は江東区、富岡八幡宮。御門によれば、阿師谷の者が本拠地とするならそこしかないと言う。そこで最寄駅である門前仲町駅に仲間達全員を招集したのだが…。
「…紫暮。お前がいるのは心強いが、他の者は? それになぜ、マリィがここにいる?」
「う、うむ…」
謹厳実直質実剛健な紫暮をして、歯切れの悪い返事である。龍麻に見据えられ、ちょっぴり額に汗まで浮かんでいた。
「マリィを除き、全員を召集と言った筈だが?」
「う、うむ…。勿論承知しているが、何分、今度の相手がオカマだと聞いて皆尻込みしてな…。一応、言い訳なりとあるのだが…」
携帯のメッセージを流す紫暮。
――お、オカマッ!? お、オレはナンパな男は嫌いだけど、オカマはもっと嫌いなんだッ!
――オカマだってェ!? 龍麻サン、勘弁してくれよ〜ッ。
――わたくし、そのような特殊な方との闘いはちょっと…。申し訳ありません…。
――あたしパス。良い男なら歓迎するけど、オカマじゃねェ〜ッ。
――ゴメンね〜ダーリン。今凄く忙しいの〜。
――HA−HA−HA。アミーゴ、冗談はやめてくださ〜い。
――オカマは別に悪じゃないだろッ! 俺ッちが出るほどじゃないぜッ。
――この疾風のブラック、オカマだけは、駄目なんだッ!
――ええ〜ッ、オカマくらい、龍麻なら簡単にやっつけられるでしょ!?
――堪忍してや、アニキ。わい、そういうの苦手やねん。
「………」
仲間達の言い訳を聞くに連れ、みるみる不機嫌ゲージが高まって行く龍麻。しかし今回は、この場にマリィがいた。
「ノープロブレム! マリィに任せておけば安心ネ!」
「うむう…。しかし俺は、マリィにあのような怪物を見せたくはないのだ」
例によって、マリィの前に膝を付き、彼女と視線を合わせて話す龍麻。彼女とは【兄妹】でもあるし、彼はマリィに対しては少々過保護な所があるのだ。
「BU〜ッ。龍麻お兄ちゃん、マリィを仲間外れにするのッ。そういうコト言うお兄ちゃん、キライッ」
「う、うむう…」
あの龍麻をして逆らえないマリィの「キライ!」攻撃。マリィとて潜在能力は頗る高く、立派な戦力であり、戦闘中の指示をきちんと聞くのだが、例えば今回のように危険(?)な敵と戦う場合、彼女は戦闘から外される場合が多い。そんな時、マリィはいつもこうして怒って見せるのだ。おまけに、彼女の頭の上でメフィストも怒っている。
「――差し出がましいようですが、そちらのマリィさんは【朱雀】を宿していらっしゃる。我々の使役する式神は種類こそ千差万別とは言え、依代はあくまで呪符――紙に過ぎません。【火】属性の能力は重宝すると考えます」
御門が助言するが、何しろ今回は相手が相手。理屈ではなく感情が先に立っているようだ。
「俺もマリィにゃ、あんなヤツを見せたくねェけどよォ…」
「うむ…。社会勉強というにも当たらんが…ここはマリィが頼りになるだろう」
「うふふ。マリィは強いから大丈夫よ」
結局、仲間達の助言の方が勝り、マリィの同行を許可する龍麻。「エッヘン!」と胸を張るマリィを裏密、さやかと組ませ、十四名に膨れ上がった【真神愚連隊】は程なく、見事な大鳥居を有し、休前日な事もあって多くの参拝客で賑わっている富岡八幡宮に辿り着いた。
「活気に満ちているが、見たところ、特に異常はないようだね」
月に二回の骨董市に欠かさず通っているという如月が斥候に立ち、周囲を走査する。壬生も出たが、結果は同じだった。あんなオカマ陰陽師が本拠地にしていると言う割りに、実に健全且つ活気に満ちた賑わいを見せている神社に、「本当にここ?」という小蒔らの疑問の視線を受け、御門が説明を始める。
「ここは江戸の始めまで、阿師谷家十二代当主の本家があった所なのですよ。ですが幕府転覆に荷担した結果、お家取り潰し、逃げ延びた数名以外は尽く討ち取られ、当時まだ永代島と呼ばれていた湿地だったこの辺りに打ち捨てられたと聞き及んでおります。この富岡八幡宮は一六二七年に菅原道真殿の末裔、長盛法印が夢で啓示を受けて建立されたものですが、この社のご利益の根本である白羽の矢が【凶事はらい矢】とも呼ばれるように、それらの怨念を供養するという意味もあったのでしょう。その創始以来、深川八幡として愛され、江戸勧進相撲の発祥の地となり、江戸三大祭に数えられる深川八幡祭りが執り行われる立派な神社ですが、伊周がわざわざ喧嘩を売りに来たくらいですから、やはりこの地は彼らにとってもっとも有利な地相なのでしょう」
「なるほど。こんな良い所でも、阿師谷にとっては怨念の源、【力】の素であるという事か…」
醍醐は嫌そうに顔を歪める。彼の霊嫌いは相変わらずだが、それ以上に、龍麻への干渉を懸念しているのだ。東池袋中央公園――東京拘置所跡地での戦い以来、龍麻は強力な霊媒体質になっている。彼の場合は感情表現が豊かになり、時にはそれを利用したりする事もあるようだが、同時に攻撃性や残虐性が刺激されているようで、少し危なっかしく感じる事が増えた。それを止めてやるのも、自分達の役目だ。
「湿地帯か。両生類は水を好むからな」
「――誰が両生類よッ」
突然、一同の背後で響く声。言うまでもなく、阿師谷伊周の声であった。
「貴様! いつの間に――!?」
慌てて振り返った醍醐が吠える。そんな彼を見て伊周はけらけらと笑った。
「あ〜ら、あたしはここにいたわよぉん。もっとも、ここであって、ここではない所だけどね。――って、なにヒソヒソやってんのよッ」
見れば男性陣一同、龍麻と京一を筆頭に、如月や紫暮、壬生に霧島まで加わってヒソヒソやっている。
「オカマにバックを取られた…」
「危ないところだったね」
「うむ。油断大敵だ」
「こういうケースは初めてだよ」
「ちょっと、僕もビビりました」
「やはり殲滅すべきだ。この世から」
「余り過激なコト言うな。全国のオカマさんを敵に回すぞ」
女性陣プラス醍醐、御門が呆れて見ているそれは別に作戦でも戦術でもなかったのだが、伊周にとってはこの上ない挑発となったようだ。
「どうしてあたしの周りの良い男ってこうも口が悪いのかしらッ!? ――まァいいわ。つべこべ言わずについてらっしゃいな。それとも、ここで暴れて、関係のない参拝客を巻き込んでもいいのかしら? ウフッ、あたしは構わないわよ〜ん」
伊周の言葉にむっとする京一たち。――無関係の人間を巻き添えにするテロ行為は、彼らがもっとも嫌うところだ。ところが――
「――そうか。それは助かる」
あっさり言ってのけたのは、我らが真神の少尉殿である。彼は携帯電話を取り出した。
「ちょっと…どういう意味よ、それ?」
さすがに龍麻の真意を測りかねたのだろう。少し表情を引き締める伊周。この緋勇龍麻がとんでもない行動を取るのは、浜離宮で経験済みだ。
龍麻は空を指差した。そこに見えるのは、一機のジェット戦闘機…。
「――あの機体が見えるか? あれは米軍横田基地(所属のF−16だ」
「それが…なによ?」
「あれは俺が呼んだ。現在五〇〇ポンド爆弾を二基搭載して上空を旋回している。――お前がここで戦うと言うのであれば、神社ごと爆撃する」
「ななな…なんですってェッ!?」
オカマの悲鳴に、周囲の参拝客が何事かと振り返る。彼らは本当に何も知らぬ一般人だ。そんな彼らを平然と巻き込むと言う龍麻に、御門もさすがに絶句した。
「――いずれ、参拝客の中にも貴様の仲間を紛れ込ませてあるのだろう? 人の命をなんとも思わぬテロリストは、その癖他人を盾にする。――哀しむべき事だな。テロリストを殲滅するためには、犠牲もやむを得ないとは」
「〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
「だが、日本の将来のためにも【シグマ】は滅ぼさねばならぬ。数多くの神輿が担ぎ出される深川祭り…貴重な下町文化を是非この目で見たかったものだが、なんと尊く、甚大な犠牲か。我々は決して彼らの名を忘れない。――さて、五〇〇ポンド爆弾二基をどうやって防ぐか、陰陽道の秘術――見せてもらおうか」
「ちょぉぉぉッッと待ちなさいよッッ!!」
オカマの絶叫に押され、上体がピサの斜塔になる龍麻。
「誰もここでやるなんて言ってないでしょ! お、オホホホホッ! それじゃ、十四名様、ごあんな〜いッ!」
それこそ恐怖に引きつりまくりながら、無理に明るい声を絞り出す伊周。ところがそこに声がかけられる。
「――おっと、もう一名追加だぜ。伊周(ちゃんよ」
やけに老けた口調――村雨であった。しかし彼は秋月の護衛のために残った筈ではなかったか?
「や、やっぱり来たわね、祇孔(ちゃん。そ、その方が好都合よッ」
龍麻によって完璧に気圧されている伊周は、村雨相手でも覇気を取り戻せなかった。そんな彼を無視し、村雨は龍麻に手を上げる。
「村雨。護衛はどうした?」
「ん――。御門が置いていった十一の神将がいるから、俺は別にいらねェんだと。と、なればこっちの方が興味あるさ。――いいだろ? 俺も混ぜてくれよ」
これは、半分本音、もう半分は嘘である。数十分前、村雨と秋月の間に、こんな会話が交わされていた。
『祇孔…。あなたも本当は、一緒に行きたかったんじゃありませんか?』
『俺は、別にアイツらにゃ興味ねェよ』
『――また、無理してますね。僕の目には、そうは見えませんよ』
『ヘッ。何もかもお見通し――って言いてェのかも知れねェが、そうでもねェぜ。――男一匹、惚れた女のためなら命も張るが、生憎その女は、俺みてェに薄汚れた男にゃ手が届かねェ高嶺の花ときてる。だったらせめて――そいつが生きる場所を…世界を護るのが俺の戦いってヤツだ。そのくれェなら、俺にだってできるだろうさ』
『――ならば…お行きなさい。心のままに…思うままに…。それがあなたの、もう一つの天命なのですから…』
「――短時間でケリをつける。――歓迎するぞ。村雨祇孔」
「――ヘッ。何だか喜んでもらってるみてェだな。と、なりゃ、俺も手抜きはなしだ。遺書書いとけよ、伊周ちゃんよ」
トレードマークの帽子をかぶりなおす村雨に憎々しげな視線を叩きつけ、伊周は顔中を口にして喚いた。
「の、のぼせ上がらないで頂戴! 手間が省けてちょうど良いのはあたしの方なのよッ!」
既に負け惜しみに聞こえる台詞を吐き、伊周は一同に背を向けた。その姿が鳥居を潜ると同時に消え去る。そこが結界の入り口だろう。
「――準備は?」
『いつでもOK!』
龍麻の言葉に威勢良く答えたのは【真神愚連隊】の面々。新参の御門は渋い顔をしている。
「…緋勇さん。今更こんな事を言うのは気が引けますが、先程の言葉、賛同できかねます。――確かに無関係ではありますが、悪戯に犠牲者を出すべきでは――」
「あン!? 御門、さっきひーちゃんが言った事、本気にしてんのか?」
京一が御門の言を遮り、残る一同は顔を見合わせ、笑い声を立てる。御門は、なぜ皆が笑うのか理解できない。
「――ハッタリだよね、龍麻」
「うふふ、ちょっとタチが悪いと思うけど」
「相手がオカマさんだったからねェ〜ッ」
「うふふふふふふふふ〜っ」
「俺も一瞬だけ本当かと思ってしまったけどなァ」
「何しろ、龍麻君だからね」
「アカデミー賞ものの演技でしたよねッ」
「凄いですよね! あの人、本気で怯えてましたよ!」
「オカマさんて、弱虫?」
龍麻が何も言わぬのに、誰もが龍麻の言葉をハッタリだと見抜いていたと言うのか? この緋勇龍麻という男を考えるに、余りにもリアルなあの脅しを、ハッタリだと?
「御門。俺たちは正義の味方ではないが、人殺しが好きな訳じゃない。龍麻のハッタリで巻き添えは防いだが、俺たちは奴の待ち構える罠に自ら飛び込むことになる。降りるなら今しかないが、どうする?」
腕組みして重々しく聞く醍醐。少々意地悪な質問に聞こえるが、【真神愚連隊】において龍麻への疑念は絶対の禁忌である。それが許されるのは作戦会議中までであり、戦場へと持ち込む事は厳禁なのだ。
「――いえ、共に参りますよ」
御門は初めて嫌味のない笑みを浮かべ、それを扇子で隠した。
「通りすがりのジェット機さえも有利に事を運ぶために利用する…。フッ、感服いたしましたよ。あの方は、わたしごときが推し量れるような方ではないようですね」
ところが当の龍麻は、携帯電話でなにやら話している。
「――手間をかけたな。こちらは片付いた。感謝する。オーバー」
『了解(。なにやってんのか知らねェが、頑張りな。――グッドラック!』
雑音のある返事が返ってくると、上空を旋回したF−16は翼を二度ほど振り、甲高い金属音を残して去って行った。
一同、しばし絶句。
「た、龍麻…? 今のって…?」
「うむ。横田基地にいる知り合いだ」
「…ちょっと待て、ひーちゃん。すると今のはハッタリじゃなかったと…?」
「ムッ!? 心外な事を言うな。俺とて好き好んで日米関係にひびを入れるつもりはない。横須賀基地に向かうコースを少々変えてもらっただけだ」
「ヘェ…すると、五〇〇ポンド爆弾ってのは?」
「――あれは嘘だ」
「…まァ…そうだろうな」
「うむ。サービスのつもりか一〇〇〇ポンド爆弾を持ってきおった。あの両生類を殲滅するには申し分ないが、あれでは我々も吹き飛んでしまうのでな」
「…ッッ!!」
事も無げに言い放つ龍麻に、仲間達一同、目が点になる。
「フ、フフフ…。やはり、わたしではあの方を推し量る事は無理ですね」
「――心配すんな、御門。俺たちも時々そう思う」
ポン、と御門の肩に手をやる京一と醍醐。どうやら彼らの間に妙な連帯感が生まれたようであった。
しかし、そんなやり取りも、龍麻がこう宣言するまでであった。
「【真神愚連隊(】、戦闘開始(! 幸運を(!」
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