第拾九話 陰陽師 6





 龍麻が八陣結界を破った頃、【裏】浜離宮恩賜庭園では、未曾有の大虐殺が行われていた。



 ――ドドドドドンッ!! ――パララッ! パララララララララララッッ!! 



 平和そのものの筈の結界内を切り裂く、銃火の響き。時折起こる爆発は対人手榴弾によるものであった。豊かな自然…芝生も桜も弾丸に引き裂かれ、炎に炙られ、見るも無残な姿を晒していく。

 しかし、濃密な硝煙とゲル化油の燃える臭いはあるものの、戦場に付き物の血臭も死臭も、ここにはまったく存在していなかった。芝生に飛び散っているのは焼け焦げた無数の紙片に過ぎず、累々と横たわる筈の死体は一つとしてなかった。全身を黒のコンバットスーツとフェイスマスクで覆った、明らかに訓練を受けた特殊部隊と思しき一群が前進を開始する。装備はレーザー・サイト付きのFA−MASにUS・SOCOM。平原における銃撃戦にも掃討戦にも慣れている者の動きだ。

 仲間達に手信号で指示を出していた男の一人が無線マイクのスイッチを入れた。

『こちらBチーム。――屋外の掃討は完了。これより建物内を制圧する』

『油断するな。御門の手下はあと二匹残っている』

『Bチーム了解』

 ここが、余人の侵入を許さぬ結界内であるためか、車椅子の主のためにほぼ完全なバリアフリーを実現した屋敷は江戸時代の武家屋敷のように縁側を開放している。罠などあろう筈もないので、武装集団は無作法に豪華な襖を蹴倒し、障子を引き裂いて、屋敷内部にこもっている主の姿を求めた。

 十数枚の襖を蹴倒し、広大な居間に至った所で、コンバットスーツたちは目指す目標を捉えた。車椅子に腰掛けた、線の細い美少年。その両隣には、執事と思しきスーツ姿の男と女。ただし――



 ――パララッ! パララッ! パララッ! 



 FA−MASが三度吠え、しかし男の手からばら撒かれた紙片が弾丸をことごとく受け止める。更に女の手から舞った紙片が無数の折鶴へと変じ、コンバットスーツ達に嘴を突き立てて薙ぎ倒した。不可思議にして鮮やかな逆転劇に車椅子の主がほっと息を付き――

「――ッッ!」

 突然、足元をさらわれて転倒する男女。空中を漂う折鶴が一斉に床に落ち、四五口径特有の重い轟きが男女を吹き飛ばす。しかし男女共に血煙を上げるような事はなく、一瞬後には焼け焦げた紙片と化して床に舞い散った。――SOCOMに装填されていた【シグマ】お抱えの陰陽師の手になる対式神用の特殊弾の成果である。そして二人の足をひっさらったものは、五メートル以上も巻き戻されて、コンバットスーツの一人の口に納まった。

「――秋月マサキだな」

 妖々と起き上がり、車椅子を取り囲んだ隊員は六人。いや、六匹か? 折鶴のナイフを払い落としたコンバットスーツは、既に人の形を留めていなかった。顔面こそ人の名残はあるものの、二本の足で立ち、しかし腕が四本あるその身体は、甲虫のごとき鎧で覆われていた。

「その姿…【シグマ】の構成員ですね。――この秋月に対するテロ行為――よほどの覚悟があってのことでしょうね?」

「――お前の知った事ではない。それに――」

 男はいきなり、秋月の乗っている車椅子を蹴飛ばした。車椅子は倒れ、秋月は受身も取れず床に転がる。そして男は、秋月の顔を巨大な棘のある足で踏みつけた。

「長生きしたければ、身の程を弁える事だ。今後は口を開くにも我々の許可を取れ。貴様にはもはや自由はない。息をするなと言ったらするな。瞬きをするなと言ったらするな。我々はお前個人に興味はない。必要なのは秋月の能力のみよ」

 しかし、顔をぐいぐいと踏みにじられながら、秋月は気丈に言い放った。

「秋月の【力】…こんなものが本当に欲しいのですか? 知りたくもない未来さえ見てしまう、こんな【力】が?」

「まだ自分の立場が解っていないようだな」

 男は触角を震わせ、部下に秋月を起こさせた。そしてろくに鍛えられてもいない彼の腹部に腕を叩き込んだ。手加減した様子はなく、しかも鎧は鋼鉄並みの硬度である。その一撃で秋月は胃の内容物を血と共に床に吐き散らした。

「今度生意気な口を利いたら指を切り落とす。指を全部落とした後は、その役立たずの足だ。天の星を見るには、首だけあれば充分だからな。死なない程度に何度でも身体に覚えこませてやるぞ。手始めに、その奇麗な顔をすだれにしてやろうか?」

 【人】である事を捨てた証か、口にした残虐行為を理由なしでもやってのけそうな、剣呑な愉悦が笑い声となって漏れ出す。

「――それは無理ですよ」

 頬の腫れた顔を上げ、秋月は笑みを浮かべて見せた。

「貴様…!」

「怒っても無駄です。あなたは、これ以上僕を殴れない。僕の目には、あなたの数秒後の未来が見えているから…」

「――良い度胸だ。褒めてやろう」

 期待の一撃――その顔を切り刻もうとした男の手は空を切った。秋月を支えている部下たちが急に手を放したので、彼の身体が床に落ちたのである。

「お前達! 何をしてい――ッッ!?」

 声もなく、男たちは大口を開けて笑った。大きく裂けた、三日月型の口。――そう見えたのは、彼らの喉に走った傷であった。そっくり返って笑っているように見えたのは、首が重さに耐えかねて後ろに落ちていったためだ。そして、遅ればせながら吹き上がる緑色の血潮。 

「――敵襲!」

 男は両手の棘を逆立たせ、周囲に視線を巡らせた。しかし部下は――反応しない!? 

「どうした!? 敵襲だ! 周囲を警戒――ッ!!」

 男の怒鳴り声が、その絶妙なバランスに乱れを生じさせたか、彫像のように突っ立っていた【シグマ】隊員達は尽く床に崩れ落ち、あろう事か鎧ごと切断された手足が散らばって鮮血をぶちまけた。

「な、なにが!? ――Cチーム! 敵襲だ! 応援を請う! ――どうしたCチーム! 応答しろ!」

 しかし、無線機はしんと静まっているきりで、誰の声も返ってこなかった。触角を震わせて周囲を走査してみるが、敵らしき熱源、音源、空気の揺らぎも感じられない。

「――クッ! ――来い!」

 何か、とてつもない異常事態が生じている。そう悟った男はとにかく任務を果たそうと、秋月の襟首を掴み上げた。その時――

「…地獄の扉が開いたぞヘルズ・ゲート・オープン…」

 真後ろから、耳に忍び込んでくるような囁き! 身体を反転させる手間を惜しみ、ヤマアラシの如く全身から棘を飛び出させた男であったが、声の位置に手応えはなく、代わりに首筋を叩く風の感触が―― 

「ッッッッッッ!!」

 急速に横に流れ、弾む視界。倒れたのかと思ったが、違った。急速に光を失う彼の目に映ったのは、秋月を掴み上げたままたたずむ自分の首なし胴体と、天井から逆さまにぶら下がっている、何か黒い塊だけであった。









「…なんなんだよ…こりゃあ…!」

 通りすがりのトラックの運ちゃんに万札を押し付け、思い切りスピード違反をさせて浜離宮恩賜庭園まで戻って来た一同は、【裏】の浜離宮に足を踏み入れた瞬間、その凄まじい惨状に息を呑んだ。

「――芙蓉、彼女達を頼む」

 いつものように先頭を切っていた龍麻は、濃密な血の臭いを感じた瞬間、葵たち女性陣に目を閉じて下がれと命令していた。――これまでも相当酷いものを見てきた一同ではあるが、たった今流されたばかりの夥しい血と、それが放つ腐臭の中に女性陣を置くのは酷と思えたからだ。

「こいつら…【シグマ】…だよな…?」

「…間違いありません。何度か、式を通じて見た顔があります…。ですが…」

 敵対しているとは言え見知った陰陽師たちの死体を前に、さすがに蒼白な御門の言を継いだのは、冷静に死体の様子を観察していた壬生であった。

「陰陽師はただの人間だけど、護衛の連中は【使徒】だね…。それが一方的に、多分、相手を見付けられないままに斬殺されている」

 周囲の芝生、立ち木などには、【使徒】が思う様その能力を振るった跡がある。しかしそれらが標的を捉えた様子はなく、四方八方に出鱈目に刻まれた痕跡と、天を睨んでいる【使徒】の生首にはとてつもない恐怖がこびり付いていた。

「――こんな開けた場所で…? ――龍麻君!?」

 見れば龍麻は既にイングラムを両手に歩き出していた。

「お、おい! ひーちゃん!」

「――全員、この場で待機しろ。葵は対物理攻撃防御。御門は結界を張れ。残りの者は全周囲を警戒」

「な、なんだよそれ!?」

 訳も解らず京一が付いて行こうとすると、その肩を壬生が掴んで止めた。

「お、おい!? お前までなんだよ!?」

「――今は、龍麻の言う通りにした方が良い。この手口…僕は一度見たことがある」

「――まさか…!」

 如月も【それ】に気付いて蒼白になる。

 裏の世界に通じた彼らにしても、飛躍し過ぎではないかと思える推理。それは、レッドキャップスの生き残りがまだいるという可能性。――龍麻は、天童から聞かされたレッドキャップスの生存情報を仲間達には伝えていない。龍麻にしても恐ろしいのだ。元【仲間】たちと出会った時、自分が、相手がどのような行動に出るか。

 見た目こそ冷静だが、胸の内は焦燥感に焼け焦がされながら、龍麻は屋敷へと走り寄った。

 超感覚の触手を伸ばす龍麻。屋敷の中に人の気配はない。いや、一つだけある。この体温分布は女性だ。まず間違いなく――本名は知らないが――秋月マサキ。【彼女】の周囲に転がっている熱源は、始末されたばかりの【シグマ】隊員だろう。――ほんの少し前ならば、同じ事をしてもこれほど細かい情報を得る事はなかっただろう。御門に【黄龍の器】と呼ばれた時から、身体能力からなにから、一気に百倍化したかのような感覚に翻弄されている龍麻であった。

「――無事か! 秋月!」

 柱の陰に身を寄せ、大声で秋月を呼ぶ龍麻。返事はすぐにあった。

「龍麻さん!? どうしてここに…!」

「話は後だ! ――動けるか?」

「――はい! ですが…」

 龍麻が聞いたのは、ここまでであった。

「――――――――ッッ!!」

 突然――まったく突然に、龍麻は床を蹴って屋敷の外まで跳び下がっていた。

(何だ!? 今のは!?)

 まるで天童か、響豹馬を相手にした時のような戦慄! 【それ】が敵の攻撃ならば最小限の動きでぎりぎりかわし、即反撃をする龍麻をしてそこまで逃げさせたのは、そうせねば死んでいたという、純粋な肉体の逃避行動であった。しかし――

「――緋勇さん! 大丈夫ですか!?」

「――来るな!」

 鞭打つように言い置き、周囲に視線を走らせる龍麻。周囲は開けていて、ネズミ一匹身を潜めるような場所などない。それなのに、真の暗闇の中でナイフを全身に突き付けられているような感覚がある。

 龍麻は目を閉じた。聴覚も嗅覚も無視する。己を無とし、――否、世界と一体化し、己でないものを無くす――あの如月舞から伝えられた奥技。本来は【不闘不殺】の境地に至る究極奥技は、その手前ではありとあらゆる攻撃を先読みする完全な防御術に――

「――ッッ!!」

 龍麻の左肩口で弾ける火花! 同時に横っ飛びした龍麻の両手が銃火を散らす。――が、常に目標を貫いてきた龍麻の弾丸は空しく虚空に散った。――かわされたのである。

「な、何だあいつは!?」

 【それ】は、真っ黒な塊であった。

 よくよく見てみると、それが頭からすっぽりと黒い布をかぶった人間だと判る。目深にかぶったフードとマスクのために、顔はまったく窺えない。身長は龍麻よりやや高いが、全身を覆う布のために体格は判別できなかった。

「…何者だ?」

 黒尽くめから視線を外さず、しかし龍麻は背筋にぬるい汗を感じる。今の一撃…あれは間違いなくナイフによるものだ。左肩口、鎖骨の隙間を抜いて心臓を一撃――無音殺人サイレントキリングの基本の一手だ。それをこんな開けた場所で、龍麻はおろか、仲間達の目にも触れずに龍麻の背後を取ったのである。そして、コートに仕込んだ厚さ五ミリのチタン・プレートが貫かれ、ナイフの切っ先は五ミリほど龍麻の肉体に食い込んでいたのだ。

 黒尽くめは答える代わりに、軽く両手を広げた。手そのものは布に隠れて見えないが、そこから顔を覗かせたのは光を反射しないサンドブラストのかけられたナイフであった。

(両手のナイフ…やはり――!)

 いきなり、黒尽くめが宙に跳んだ。

「ッッ!!」

 思い切り後方に跳躍しながら、両手のイングラムをフルオートで発砲する龍麻。地上ならば弾丸をかわせるスピードを発揮できても、空中では避けようもない。黒い布はたちまち無数の弾丸を叩き込まれ、その摩擦熱で炎を噴き上げた。しかし――

「――布だけッ!?」

 ばさりと地上に落ちたのは、中身のない布きれだけであった。次の瞬間――

「ッッ!!」

 純粋に勘だけでイングラムを掲げる。鋭い金属音がして火花を散らし、イングラムの機関部が切断される。だが攻撃の失敗を悟ったそいつは大きく跳び下がって間合いを取った。

「が、餓鬼ィ!?」

 京一が素っ頓狂な声を上げる。

 しかしその男を【餓鬼】と呼ぶには難があろう。男は一同と同年代の少年であった。視界を妨げぬよう龍麻と同等の長髪をヘッドギアで押さえ、浅黒いやや甘めのマスクを晒しているが、強い意思の光を宿す目は猛禽の鋭さを有し、年齢に相応しい未熟さなど微塵も感じられない。全身を包むマットブラックのレザースーツは鍛え上げられた肉体にフィットし、さながら黒豹のよう。ナイフ以外の装備を持たぬのも、己の戦闘力に絶対の自信を持っているからと知れる。

 そして、この言葉――

「――さすがだな、緋勇龍麻。いや――レッドキャップス・ナンバー9」

 殆ど抑揚のない、低く錆びた【少年】の言葉に、京一達の間に動揺が走った。

「やはりお前か、結城飛鳥。いや――レッドキャップス・ナンバー4」

 呻くような龍麻の声音。――予測はしていても、現実に目の前にすると、彼とて動揺は免れなかった。――これまで何度となく夜の街ですれ違った凄腕のナイフ使い、結城飛鳥。目の前のこの男こそ、かつてレッドキャップス最強と呼ばれた【黒き鷹爪ブラック・タロン】・ナンバー4であった。

 幾度か刃を交え、共に死線を越えながら、互いに気付かなかったのも道理。骨相から瞳の色、果ては思考パターンに至るまで、彼らは変わり過ぎていたのだ。あのクーデターの際、【生き残るおまじない】と称してナンバー13が全員に投与した薬物が、見事に彼らを別人に変えたのである。――薄々気付いてはいたが、確証はなかったのだ。

 しかし――生き残った者同士が向かい合った時は――

 次の瞬間、ナンバー4の身体が霞んだ。

「――ッッ!!」

 間一髪! 首筋に走った刃をダッキングでかわす龍麻。その位置からアッパー気味に【掌打】を――

「――ああッ!?」

 完全に入り身になった状態から放った【掌打】がかわされ、その瞬間に龍麻の右手首が血を噴いた。間を置かず踊るナイフの光条! 龍麻の首筋、脇腹、二の腕が同時に鮮血を飛ばした。

 ――速い…なんてものではない! ――見えない! 

 まさに紙一重で致命傷だけはかわしているが、ナンバー4のスピードは尋常ではなかった。二本のナイフは完全にナンバー4と融合し、斬撃に途切れがない。龍麻もスピードだけならば何とか付いていけるが、技の継ぎ目が存在せず、全身の筋肉が完璧に連動しつつしかも初動を感知させぬので、攻撃が恐ろしく速く感じられるのだ。今の龍麻をもってしても、反撃に転じる事ができない! 一方的に追い込まれる! 

「あいつ――強ェ!」

 改めて口にする事でもないのに、京一は思わず呻き、醍醐も拳を硬く握り締めた。

 ――彼ら二人は、かつて龍麻が戦ったレッドキャップス隊員を知っている。――ナンバー14。サイコキネシスを使う殺戮妖精。――あの男のナイフ捌きも凄まじかったが、今、あの頃とは比べものにならないほど強くなった京一や醍醐の目から見ても、ナンバー4のナイフ捌きは異常なほど速い。しかもナンバー4は、【気】によって身体能力を強化しているようには見えないのだ。

「クッ――!」

 思い切り地面を蹴り、強引に間合いを取る龍麻。瞬時に練り上げた【気】を掌に乗せて放つ――【螺旋掌】! 

「――ぐッ!?」

 突然、ナンバー4が蹴りを放つ。狙いは、龍麻の踏み込んだ足。しかしそれは足を砕くほどの力がこもっていない、スピードだけの蹴りだった。ところが――【螺旋掌】が不発する。その瞬間に走ったナイフが龍麻の首筋を浅く裂いた。頚動脈まであと五ミリとない位置。――危なかった。

 間を置かず、【掌底・発剄】! この距離なら外さない――

 ――ドスッ! 

 【気】が放射される寸前、またしてもナンバー4の拳が、今度は龍麻の肩に打ち込まれた。体内を螺旋状に駆け上がった【気】がその位置で止められ、技が不発に終わる。そして、龍麻の左肩にナンバー4のナイフが突き立った。跳ね飛ばされ、芝生に叩き付けられる龍麻。

「――あの男、発剄の弱点を知り尽くしている…!」

 龍麻の発剄を二度に渡って不発させた技――ナンバー4は特別な技を振るった訳ではない。一つの技を繰り出す際、必ず肉体の連動が発生する。それは発剄のような技でも同様だ。そしてその一連の流れをどこかで止めれば、技そのものが成立しなくなる。むしろ【発剄】には必ず一瞬の【溜め】が存在するので、普通のパンチやキックよりも止め易いとさえ言える。――そのタイミングを見抜く能力があれば。

 だが、龍麻は――

「…なぜ外した? ナンバー4」

 肩に生えたナイフを引き抜く龍麻。そのナイフは、本来なら鎖骨の隙間から心臓を直撃する筈だったのだ。そうならなかったのは、まさにナイフが龍麻を貫く寸前、ナンバー4の腕から力が抜けたからであった。

「……」

 答える代わりに、ナンバー4は予備のナイフを抜いた。指の間に挟まれたナイフは三本。――スローイングナイフ!? いや、これは――

 ナンバー4の手が霞む。



 ――(アクセス! ナンバー9!)



 瞬時に潜在能力を開放した龍麻が感知したのは、孤を描いて襲い掛かってくる凶器だった。超小型のブーメラン!? 

「――ッッ!!」

 真横に空側転――香港スピンでブーメランをかわす龍麻。だが、ナンバー4がたったそれだけで済ます筈がない。第二撃! 第三撃! ――スピードも軌道も全て異なる無数のブーメランが襲い掛かってくる。二発――三発喰らうのを覚悟でナンバー4に突進する龍麻。そして、ロングレンジから放つ【螺旋掌】を――



 ――ザシュッ…!! 



「――ッッ!?」

 まさに【螺旋掌】を放つ寸前、地面に両膝と両手を付く龍麻。見れば、彼の両肩と両膝裏にブーメランが突き刺さっていた。次の瞬間、空中に放たれていたブーメランは全て龍麻の背中に突き刺さった。

 ――こんな事、誰が信じられる!? 龍麻に膝を付かせたブーメランは、ナンバー4が最初に放ったブーメランであった。通常、戦闘用ブーメランは手元まで戻ってくるようには作られていない。しかしナンバー4のブーメランは獲物を捉え損ねた時は戻ってくるように作られており、彼は龍麻がかわすのを承知の上でそれを投げた。そして、二撃目、三撃目の攻撃で、龍麻が【その位置】に来るように追い込んだのである。潜在能力を開放した龍麻の超感覚すら欺いて――

 間髪入れず突っかけるナンバー4! 特殊鋼のナイフが龍麻の首筋を襲い――二人の動きが止まった。

「…遊びのつもりか?」

 首筋…頚動脈の真上に金属の冷たさを感じながら問う龍麻。彼の右拳はナンバー4の心臓の真上に当てられていた。――ナンバー4のブーメランは僅かに狙いを外し、龍麻の両腕を殺す事に失敗したのである。そして、龍麻の拳に宿る【気】は【秘拳・鳳凰】のそれだ。この位置ではいくらナンバー4でも、【秘拳・鳳凰】を不発させる事はできない。

 だが――



 ――アクセス・ナンバー4



 ナンバー4の目が爛! と輝く。その瞬間、龍麻の首筋が鮮血を噴き上げ、ナンバー4の脇腹が消し飛ば――なかった!? 絶体絶命距離を取られながら、潜在能力を開放したナンバー4は大出力の【気砲】を、体表面を焼け焦がさせるのみに留めてかわしてのけたのである。

「――ガハッ!」

「――グ…ハァッッ!」

 この二人ならばこそ即死を免れても、どちらもたまらず、龍麻は首を押さえて仰け反り、ナンバー4も地面に転がって傷を押さえた。龍麻の指の間からは鮮血が、ナンバー4の指の間からは炭化した皮膚が零れ落ちる。しかし――どちらも闘争を捨てていない! 龍麻の右手はアナコンダを抜き、ナンバー4も腕に仕込まれた高周波ブレードを出現させた。その時――! 

「やめて! お兄ちゃん!!」

 二人の間に、赤いワンピースが両手を広げて立ちはだかった。

「――ッッ!」

「ッッ!!」

 マリィだった。ブルーの目に一杯の涙を溜めて、マリィは交互に【兄】たちを睨んだ。

「もうやめて! 何でお兄ちゃんたちは殺し合うのッ!」

 あまりに凄まじい戦いに気を呑まれていた京一達も、マリィの言葉ではっと我に返る。

 マリィ・クレア。――かつて彼女が呼ばれていた名は【ナンバー20トゥウェンティ】…。

「どくのだ…マリィ…!」

「どけ…20トゥウェンティ…!」

「イヤッ!」

 二人のレッドキャップスの声に、マリィは髪を振り乱して叫ぶ。

「私がどいたら、お兄ちゃんたちは殺しあうものッ! こんな事、もうしちゃいけないんだもの!」

「「……ッッ!!」」

 マリィの言葉は、【その状態】であれば龍麻にもナンバー4にも届かぬ筈であった。しかし、二人は明らかに動揺する。アナコンダが、ナイフがピクリと震えたのだ。龍麻の、そしてナンバー4の目からも、赤い輝きが薄らいでいた。

 しかし――

「――貴様! 秋月様に何を…!」

 こちらに向かって必死に車椅子を走らせる秋月の、無残に腫れた顔を見て、御門がキレた。完全な誤解であったのだが、今の彼らにはナンバー4こそこの現状を作り出した犯人としか見えなかったのだ。

「怨敵退散! ――滅ッ!!」

 御門の手から跳んだ呪符が白い隼となり、ナンバー4に――と、次の瞬間! 



 ――ボシュッ!! 



「な――ッ!?」

 御門の式神は数メートルと飛ばぬ内に、ぱっと白い炎と化して消え去った。そして――

「――ッうおッッ!!」

「――ックッッ!!」

 京一が、壬生が跳び下がった足元で、白い炎がぱっと飛び散った。――銃撃にそっくりでありながら、そこに弾痕はなく、ただ超高熱の一閃を浴びて融解した土が白い蒸気を噴く。

「ッッ!!」

 思わず、【それ】が飛んで来た(?)方角に視線を走らせる龍麻。その彼の前にも、白い炎が弾ける。

「――動くんじゃねェ、ナンバー9」

 声は、何もない虚空から聞こえた。いや、銃身らしき物が浮いている空間から。

 ジジジッ…! と、空間に乱れが生じるや、そこに巨大なライフルを持った、マントを付けた少年が出現した。

「…ナンバー11イレブン…!」

「――何だってェ!?」

 新たなレッドキャップスの出現に、京一達は愕然とする。――無理もない。レッドキャップスは龍麻と九角を残して全滅したと聞いていたのだ。それなのに、二人も…。

「――お前らも動くなよ。【神威】だかなんだか知らねェが、妙な真似するとこいつがピカッと光って蒸発しちまうぜ」

 本当にこれが、あのマシンソルジャーの一人なのかと思わせるほど軽い脅し文句。しかし、口調はともかく、脅しの内容は本物であった。彼の抱えているライフルは形こそキャリコM100に似ているが、大きく後部に張り出し、ストックと一体化した弾倉は、実は強力なバッテリー。銃口は穴が開いておらず、代わりにルビーのようなガラスが填められている。――自由電子レーザー砲。現代の科学力では未だに架空兵器と言われていたレーザー・ライフルであった。そして、彼が身に付けているマント。あれは…熱光学迷彩システム…。電子的にも光学的にも透明化できるという最新兵装だ。

 だが、ナンバー4が腕のナイフを振り上げた瞬間、ナンバー11の銃口は彼に向いた。――発砲。ナンバー4の足元でも白い蒸気が吹き上がる。

「テメーもだよ、飛鳥。――まったく、揃いも揃ってテメーら馬鹿か? 何でテメーらがここで下らねェ喧嘩をしなくちゃならねェんだよ? それもかわいい妹の前で。――なあ、ナンバー20…いや、今はマリィだったな」

 そう言うと、ナンバー11は盲人が架けるようなサングラスを上げ、マリィにウインクして見せた。明るい茶髪の長髪で、割とハンサムだが少々タレ目気味なので、凄く人懐こく見える。

「お兄ちゃんは…【鷹の目】のお兄ちゃん?」

「ああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜良いッ! 良いねェ! その響き! もうお兄ちゃん、妹萌え〜〜〜〜〜〜ってなっちゃうぜっ。――って、動くんじゃねェ! 飛鳥! ナンバー9!」

 今の一瞬、奇妙なタコ踊りをしたナンバー11は、再び自由電子レーザー砲を肩付けした。

「飛鳥、【シグマ】の連中は片付けた。ここでの作戦は終了だぜ。――それにナンバー9。テメエには俺たちと敵対する理由がねェ。違うか?」

 どうやら、このナンバー11はこの場を治めるつもりらしい。しかしナンバー4…飛鳥はすっくと立ち上がった。炭化した皮膚がボロボロと剥がれ落ちると、そこにはなんと、新たな筋肉組織が出来上がっているではないか。――常人にあらぬ耐久力とスピードを生み、【秘拳・鳳凰】でも消滅するには至らぬ肉体――高分子筋肉。以前よりも確実にパワーアップした、真のスーパーマンがそこにいた。

一樹かずき…そこの陰陽師は、俺の仕事を邪魔した。それ以前に、あの馬鹿どものサバトを知っていて止めなかった」

 サバト…【シグマ】による、自分たちを特権階級だと勘違いした連中が【使徒】へと変じるという、最悪の儀式だ。――ナンバー4の恋人…長瀬瑞穂は【使徒】を生む母体として今なお利用され、彼は彼女の奪還と復讐の為に動いているのだ。そして事情を知りながら静観していた御門をも殺そうとしている。

「――なるほど。あの時大臣たちを襲った暴漢はあなたでしたか」

 一樹…速水一樹がナンバー11の名前だ。しかし彼の忠告も脅しも、この二人には通用しなかった。飛鳥は自分を狙うレーザーも構わずナイフを構え、御門も、さすがにキレた表情は消したものの、静かな怒りをたたえたまま例の嫌味な口調で言い放つ。

「知らぬ存ぜぬを決め込んだつもりはありませんよ。しかし、いかに異形のものに変じたとは言え、生き馬の目を抜くような世界情勢の中、無闇矢鱈に大臣クラスの者を殺されてはたまりませんよ。――あなた方、たった一人の女性のために、この日本を滅ぼすつもりですか?」

 ピク! とナンバー4――飛鳥の頬が跳ね、次いで能面のような無表情になる。再び、彼の両眼に滲み出す赤い光。

「――よせ」

 龍麻が立ち上がる。御門を庇うように。右手のアナコンダはナンバー4に、左手のハードボーラーはナンバー11に向ける。首筋の傷から噴き出る血は…【巫炎】の応用で肉ごと焼き潰して止血している。――出鱈目だ。

「…俺たちと闘るつもりか? ナンバー9。――勝てッこないぜ」

「――そうだろうな」

 ナンバー11の言葉に頷く龍麻。

「レッドキャップス最強の突入隊員デトネイター、【黒き鷹爪ブラック・タロン】ナンバー4と、レッドキャップスの守護神、【鷹の目イーグルアイ】ナンバー11を同時に相手にするなど愚行の極みだ」

「それが解っているなら、なんでだよ?」

「この男は、俺の【仲間】だからだ」

 きっぱりと、龍麻は言い放った。【一時的な共同戦線】と言い切った御門を【仲間】だと。これにはむしろ、御門自身が驚いた。だが龍麻にとっては当然の事である。一度でも死線を共にしたものは仲間であり、戦友だ。同時に指揮官は、部下を護るためにも存在する。

「この男を殺すと言うならば、まず俺を殺す事だ。――今の俺は、この程度の損傷率で退く事はない。付け加えるが、無傷で俺を殺せるなどとは思わぬ事だ」

 龍麻の全身が金色のオーラに縁取られ、アナコンダが、ハードボーラーが黄金の炎に包まれる。

「……」

 互いに無表情のまま、束の間の時が流れる。【気】を操る龍麻が、その能力を最大限に引き出す銃を手にし、飛鳥は【秘拳・鳳凰】でも焼き潰せぬ高分子筋肉の持ち主、そして、一度放たれれば絶対にかわせぬ自由電子レーザー砲を構えた一樹…。この三人が矛を交えれば、誰一人として無事に済むとは思えない。

 ゴクリ…と誰かが唾を飲み込む音が、やけに大きく響く。誰にも手出しできぬと思いつつ、京一は木刀を握り締め、醍醐も拳に【気】を集束していた。【真神愚連隊】の全てが、戦端が開かれた瞬間に自らの最大奥義を放つべく身構える。しかし…

「――フン」

 何時間も続くかに思われた沈黙を破ったのは、腕の刃を収納した飛鳥であった。

「お前には借りがある。返すまでは殺せん」

「――取立てには行かんから、ずっと借りておけ」

 生真面目な顔のまま、この言葉。それは苦笑であったろうが、初めて飛鳥の口元に薄い笑みが浮かぶ。龍麻の口元にも。

 どうして、マシンソルジャーとして【人間】たる事を否定された者ほど、笑顔が美しいのか? ――理屈など関係なかった。京一達は彼らの間に立ち入る事はできなかったものの、彼らの笑顔には不思議な感動を覚えた。

「お―お―お―、やだねェ、バトルマニアは。一度はぶん殴り合わねェと気が済まねェんだから。――なっ? マリィ」

「ウン! お兄ちゃん」

 マリィがやっと笑顔を見せ、ナンバー11も銃を下ろして相好を崩す。どうやら、和解とまではいかなくても、ここで決着を付けるつもりはなくなったらしい。――と、言うより、本当は最初から殺し合うつもりなどなかったのではないか? 自らの任務に関わる脅威を優先的に排除するのがレッドキャップスのスタイルだけに、異なる目的を持つ者として向かい合えば、闘ってしまうのは自然な成り行きと言えたが、お互いの立場さえ確認できれば…

「――やれやれ、一件落着だな。――美里、ひーちゃんの治療だ。――御門、余計な事言うなよ。秋月の怪我はこいつらの仕業じゃねェ。もう解ってんだろ?」

「…ですが、陰陽師としての務めは…」

 御門とて、これほどの男たちが車椅子の人間に対して暴力をふるうなどないと、遅ればせながら悟っている。しかしナンバー4は、現職の議員や大臣を暗殺している犯人なのだ。そしてこれからも国のVIPを殺すと公言してはばからない。

「――御門さん。【シグマ】と例の事件に関わった者は、拳武館のリストにも載っている。多少時期が早まったとは言え、結果はそれほど変わらない。ここで敵対しても、僕たちには何一つ利する所はないんだ」

「御門、お前にも譲れないものはあるだろうが、彼らにもそれがあるんだ。確かに…人殺しはいけない事だと思うが…」

 醍醐は言葉を濁す。ここでこの二人を肯定すると、人殺しをも肯定する事になる。しかしうまく言葉が出てこない。御門自身もナンバー4が殺そうとした人間に対して【魔物に変じた】と言っていたのだ。だがその罪を裁くのは法律であり、法律の網を潜り抜けたならば拳武館がいる。人殺しをするのはいけないことだが、その当人たちが外道に堕ちた身で、多くの命を貪っているとなれば…。

「今の俺たちには、敵対する理由はねェ。無理にでもそう思え。――お前だって、今は死ねないだろうが」

 ナンバー4をまだ冷たく睨みながら、御門が口を開くまでかなりの時間が経過した。

「そう…ですね。緋勇さんが和解したならば、わたしも退くべきでしょう。少なくとも、今は」

 陰陽師としての【仕事】と、東の棟梁たる自分の【使命】を秤に掛ければ、可能な限り秋月を護る【使命】を優先させたいというのが御門の本音だ。確かにここで意地を張って命懸けの戦いを挑む理由はない。

 しかし――

『あ〜あ。子供のじゃれ合いって、見てられないわねェ』

 金鈴を震わせるような、それでいて毒気もたっぷりと含んだ声が虚空より響いた。

 ――また陰陽師!? 全員が瞬時に戦闘態勢を取る。声は女のものだが、その持つ響きが彼ら【真神愚連隊】にも、二人のレッドキャップス隊員にも【敵】と認識させたのだ。

 ジジジ…! と空間に電磁波の触手が散り、一人の女を産み落とす。艶のある黒髪に薄いブルーの瞳を持つ女性…モデル並みの高身長に、高級そのものの赤いスーツを纏ったグラマーな肢体。一見マリアと似て、しかしマリアの持つ優しい印象とは程遠い、寒気を覚えさせる美貌の持ち主であった。切れ長の目は悪戯っぽい光をたたえながら、しかし一同をまともな人間として見ていない、蔑みと嘲りのこもった視線で一同を睥睨した。

「だけど、秋月の坊やを餌にしたのは正解ね。【シグマ】の残党が群がってきたおかげで、やっとあんた達を引きずり出せたわ」

「――ッテメエ! 【Z−GRATジグラット】の!!」

 秋月を【餌にした】という言葉に怒りの【気】を発する御門。しかしその女を見るなり、一樹は自由電子レーザー砲の引き金を引いた。目に映らぬ電子パルスの奔流が秒速三〇万キロで女の眉間を襲い――

「――ッッ!!」

 この超兵器を以ってして、このような事が起きるとは!? あらゆる物質を焼き潰す電子パルスは、女の一メートル手前で虹色の火花を散らし、その白く冷たい美貌の細胞一つたりとも焼く事ができなかった。

「――無駄よ。【Z―GRAT】特製強化戦闘服の絶対領域フォースフィールド――現代の技術では五〇年先まで再現する事は不可能よ。当然、IFAF製のレーザー砲も玩具同然ね」

 冷たく言い放つや、女は余裕たっぷりに近くにあった庭石に腰を下ろし、足を高く組み替えた。男には、特に京一のようなタイプには生唾ものの行為であったが、なぜか京一は嫌悪感をそそられただけである。――この女、何もかもが気に入らない。口調も、言い回しも、存在そのものも。

「それにしても――本当につまらない子達だこと。せっかく楽しく戦争を始めたのに、チャチな友情なんかでやめられる訳? ああ、下らない。本当に下らないわ」

「…貴様ッ!」

 飛鳥が腕の高周波ブレードを出現させるが、自由電子レーザー砲すら効かぬ相手に、それがどれほどの意味を持つ? しかし、変化はその時起こった。飛鳥は低く呻き、治癒した筈の脇腹を押さえたのである。

「おまけにだらしない。――それでも最強の戦闘マシン? それともあの子に骨抜きにされちゃったのかしら?」

 彼に何が起こったのか!? 答えより先にギリリッ! と飛鳥の歯が鳴り、口の端から血が流れ出す。――かつての彼には考えられない現象であった。先程龍麻の言った【レッドキャップス最強】は単なる賞賛ではない。彼――ナンバー4は最初から【最強の兵士】となるべく造り出された強化人間ブーステッド・マンのプロトタイプだ。遺伝子レベルで合成され、試験管と人工子宮から生まれた彼には事実上、親と呼べる存在はなく、感情抑制処置を受けるまでもなく彼は無感情であった。そしてその戦闘能力はレッドキャップス内でも突出し、ナンバー0、ナンバー2、前ナンバー9の三人がかりでようやく対等というレベルだったのだ。

 そのナンバー4が、怒りに燃えている。もっとも完璧なマシンソルジャーであった彼が。

「まあねえ、あの子には随分役に立ってもらってるわよ。【シグマ】でも【Z−GRAT】でも大人気だものねェ。毒河原とか蔵前とか、そうそう、この前死んだ相川なんか、おこぼれに預かっただけなのにやっと自分の順番だって泣いて喜んでたわ。そんなカス共も含めれば、そろそろ五桁に届くかしら。ふふ、物持ち良いって【司教ビショップ】も喜んでいたわよ。おかげで【使徒】も結構な数が揃ったわ」

 ゴオッ! と風が唸ったのは、飛鳥が女に刃を叩きつけた後であった。――強化筋肉に流れる生体電流をエネルギーに、刃に刻まれた微細な鋸が超振動する事により、戦車の複合装甲すら切り裂く高周波ブレードが、やはり女の眼前で止められてしまう。空間に波紋状のスパークが走るのみで、それ以上は一ミリたりとも進まぬのだ。

「無駄だって言ってるでしょ? ――あなたも相当なもの好きよねェ。いくらかわいい彼女だからって、とっくに頭も身体もあっち側の生き物になった子の為に国のVIPを殺してまで探してまわるなんて、ちょっと泣かせる話よォ。――言っとくけど、あの子は【司教】と【四騎士】が直々に処置…解り易く言うなら輪姦した身だからAX−127の解毒剤はあの子には無意味だし、もう調教も完璧よ。他の娘を庇って大勢の男どもを相手にしているなんて思われているようだけど、実際にはもう救いようのない、アレの事しか頭にない淫乱な雌犬に成り下がっているワケ。あなたの事なんてとっくに忘れてるわよ」

「黙れ…ッ! ――クソ女…ッッ!」

「――やれやれ、聞き分けのない坊やだこと。あなた達だって、もうすぐ死んじゃう身体の癖に」

 女の手が伸び、飛鳥の脇腹に触れた。

「――――――ッッ!!」

 くの字になって吹っ飛ぶ飛鳥! 皮膚が弾け、彼の脇腹から勢い良く血が流れ出す。発剄…ではない。障壁として使っているエネルギーを攻撃手段として放出したのだ。

「――テメエッ!!」

 一樹が再びレーザーを立て続けに照射する。しかし、どうあがいても女の絶対領域を破れない。空間そのものを変成してありとあらゆる攻撃…物理エネルギーをプラスマイナスゼロにしてしまう絶対領域。――高レベルの【使徒】が駆使する【思念障壁】を、個人兵装レベルで再現していると言うのか!? 

「男って不便ね。理由がなきゃ戦う事もできない。――結局あなたたち、戦う理由が欲しかっただけじゃない。愛情とか友情とか、そんなつまらないものを取って付けて、現実を見ようとしない。自分の本心を誤魔化す。その上、絶対敵わない相手と解っても無駄な攻撃を繰り返す馬鹿さ加減。余命僅かと知りながら無駄に命を捨てるような真似をする…。それが、何? 男の誇りってヤツ? まったくもって、下らない、子供の発想よね」

 ギュン! と女の右手に強力なプラズマ光が集束された。

「――せいぜい感謝なさい。そんなくだらないあんた達でも、まだ利用価値があるそうよ。寿命間近だからって急かされるのも今日で最後。ついでに、あんた達みたいな子供に潰されるような【シグマ】ともこれで縁が切れるわ。――さよなら、できそこないの妖精ちゃんたち。手足を落として、宅配してやるわ」

 カ――ッ! 

 プラズマ光が爆発的に広がり――そして、爆発もせずに消滅した。狙われた飛鳥にも一樹にも怪我はない。

「――あらあら、陰陽師の東の棟梁ともあろう坊やが、どういう風の吹き回しかしら?」

 エネルギー総量から行けば、ひょっとしたら【秘拳・鳳凰】にも匹敵しかねないプラズマ光を消し去ったのは、表情に冷たい仮面を貼り付けた御門であった。

「何分、これも私の役目でして」

 表情は極寒、口調も氷点下。伊周に秋月を襲われ、芙蓉を消滅させられた時の御門がそこにいた。

「そこの方々が口にした【Z−GRAT】…。近頃良く耳にします。確か三ヶ月ほど前に、事もあろうにこの東京を戦場にした一味がそのような名を騙っていましたね」

「――ッッ!?」

 それはひょっとして、あの鬼道衆との最終決戦の事か!? あの時、あの戦争に介入した軍産複合体…。CIAを中心に、日本を軍事大国に変えようとした死の商人達の寄り合い世帯。それが――【Z−GRAT】…!? 

「あらあら、言われてみれば、そこにいるのは【真神愚連隊】とか言う軍隊気取りの子供達と、そこの隊長さんじゃない」

「……」

「四人目の、レッドキャップスの生き残り…。それも、今まで散々私たちの邪魔をしてきた悪餓鬼…。こんな所で会えるなんて、手間が省けて助かるわ。これまでのお返しも含めて、たっぷりと思い知らせてあげなくちゃね」

 御門から龍麻に流れた女の目が、殺戮の愉悦と憎悪の光を放つ。京一達にしてみれば、全く知らない乱入者なのだが、向こうはそう思っていないという事だ。

 そして龍麻は――薄く笑った。

「――誰かと思えば、あの頭の弱い尻軽女か」

 あ、やるぞ、と京一が思った時である。案の定、龍麻はその毒舌を発動し、最初の一言で女の表情が動いた。

「金の亡者どもを惑わす美貌を永遠のものとする為に悪魔に魂を売り、しかし手に入れた不死身の肉体が不感症だったので男に捨てられたワイドショー女が、要らんところにしゃしゃり出てきた挙句に脳味噌の足りぬ妄言をべらべらと。そういう事は昼過ぎにタマネギ頭の婦人に語るが良い。あの方なら、お前のような痴女の戯言にも耳を傾けてくれるだろう」

「――なんですって…ぼうや?」

 御門ですら唖然とする程の毒舌に、すう、と目つきが鋭くなる女。妙な戦闘服を着込んでいる上に得体の知れない【気】をまとっている事から、戦闘力は彼らと同等か、それ以上。油断のできる相手ではない筈だが、しかし…

「我々若者は忙しいのだ。自分が不感症ゆえに他の少女に八つ当たりをする、愚かで嫉妬深い上にそのいかれた服装が男性を惑わすなどと本気で信じ込んでいる、色々と勘違いしたお前のような年増痴女に関わっている暇はない。どうしても構って欲しいならば、暇な時に二十秒ほど時間を割いてやるから、悔いの残らぬようにとっとと帰ってお小遣いをくれるパトロンかお小遣い欲しさにご奉仕してくれる餓鬼相手に、その古くなった蛇口のような尻を振ってこい。この葦下の肉便――むぐぐッ!?」

「はいはい。この辺で一旦自主規制だぜ、ひーちゃん」

 絶妙なタイミングで龍麻の口を塞ぐ京一と醍醐。あのオカマくらいならいいが、女性に対する【不適切な表現】を並べ立てられたら、後で仲間の女性陣に何をされるか解らない。

「で、尻が少し垂れてるねーちゃんよ。テメエも一体なにモンよ? いきなり現れて胸糞悪い事を並べ立てやがって。それにあの戦争にも関わっていたって? そいつはちょっと聞き捨てならねェぜ?」

 龍麻の言葉に噴き出してしまい、周囲からの奇異の視線に慌てて取り繕う御門をはったと睨み付けてから、女は京一に向き直った。

「ふふ、近頃の子供は、本当に口のきき方がなってないわね」

「あなたほどではないと思うけどね、ミス・サディスティック・ローズこと、神楽坂真純」

 つい、と前に出たのは壬生だ。既にその目は、獲物を前にした狼のそれである。

「AX−127…人間を魔物に変える最悪の麻薬…。それを使用した者は大臣であれ街のチンピラであれ即刻処分せよと指令が出ている」

「――香港の組織でさえ危険すぎて商売にならないと忌避し、回収と処分を命じた薬。使いようによっては、人類根絶の最終兵器リーサル・ウェポンともなりうる――それを使用したのが日本の組織とは…同じ日本人として恥ずかしいよ」

「うふふふふふふふふふふふふふふ〜。主成分は異界の妖魔の血〜。それは〜こちら側と向こう側の領域を侵す〜重大な侵犯行為〜」

 ずいと女を半周上に取り囲む如月に、裏密。そして、【真神愚連隊】の面々。

「――詳しい事情は知らんし、どうやら聞きたくもないような事だろうが、お前があの軍産複合体とやらに関わっていると言うなら、見過ごす訳にはいかんな」

「難しい事は解らないけど…相当酷いコトしてるのは確かみたいだね…」

 醍醐がボキボキと拳を鳴らし、小蒔も弓矢を出現させる。――絶対領域? それがどうした。この世に【絶対】などあり得ない事を、【真神愚連隊】の面々は良く知っている。

「揃いも揃って、お馬鹿な子達だこと。私たちはこの国の為、人類の未来の為にこそ働いているのよ。幼稚なエゴイズムで大人に口答えするような子には、お仕置きが必要ね」

「同感だ。――低脳の大言壮語は耳が腐る」

 醍醐から解放された男の、その口調に危険なものはあったろうか? 龍麻はアナコンダを抜き、発砲した。

「――ッッ!!」

 巨大な銃口を向けられても余裕の表情であった真純であったが、雷鳴と共に走った火線が肩口を掠め、弾丸の生んだ衝撃波にきりきり舞いして吹っ飛んだ。頼みの【絶対領域】があっさりと貫かれた事に、驚愕も露わに身を起こした真純は、次いではっと顔に手をやり、頬肉が消し飛んでいるのを知って見るもおぞましい鬼女の形相になった。

「ここ、この餓鬼…! わ、私の顔をこんなに…!」

「――そうだ。それがお前の本性だ」

 酷薄無比な言葉で硝煙を吹く龍麻。

「未来技術のバリアーでも、ブランド物の厚化粧でも、その醜い本性までは隠せない。――お前では長瀬瑞穂嬢には勝てんぞ。小悪党を何千人けしかけようとも穢し尽くす事はできず、真性の悪党であればこそ良心に目覚めさせてしまう彼女には」

 淡々と、しかしきっぱりと告げる龍麻。嫌味でも皮肉でもなく、単に事実だけを告げる口調に対して、真純の目が憤怒の炎を吹き、【使徒】たる証――剥き出しの頬骨がみるみる再生したばかりか、背中から純白の翼が伸びて広がる。――端的に表現するならば、天使だ。頭の上に光の輪はなく、造作は悪くないのに酷く醜い表情であろうとも。

「言わせておけば! ――楽になど死なせない! この――」

「――【この神の力で】か? 以前にも聞いたな、そんな台詞を」

 あっさりとそんな事を言われ、ぐ、と詰まる真純。一同の後方では紫暮も頷いている。かつて見た、若い武道家気取りの【使徒】もどきが変身した姿と同じなのだ。

「そして、そんな姿を晒した餓鬼も、俺が始末した。お前とならば外面だけ良い腹黒同士、似合いのカップルだったろうに」

「無礼者!」

 顔中を口にして喚き、翼を揺らめかせた真純は、しかし豪腕に顔面を掴まれてぐえ、と舌を吐いた。――何者をも退ける筈の絶対領域が、龍麻がただ手を伸ばしただけで突き破られたのである。【使徒】に変じたというのに、否、それ故に、今の真純は猛獣に対して玩具の刀を振り上げている子供にすら等しかった。

「【シグマ】など、誇りも信念も自尊心プライドも持たぬ働きアリに過ぎんが、その上部組織は金欲と性欲しか持たぬメカニカルアニマルどもか。そんな連中が国民の為だの人類の未来がどうのと戯言を。――Well come to this cragy time. このイカレた時代へようこそ。――るか? ナンバー4」

 くるり、と巨大なリボルバーが回転し、グリップが飛鳥に向けられる。しかし――

「――無用か」

 口の端を上げて笑い、龍麻はひょいとばかりに真純を放り出した。【使徒】たる反射神経で体勢を立て直す真純であったが、ホルスターに戻されるマグナムを目にして唖然とした瞬間――



 シュ…! 



 飛鳥の手が閃き、何をしたのか解らぬまま真純の背が十文字に裂け、自慢の翼が斬り飛ばされた。――【思念斬りサイコブレード】。生体強化戦士としての能力のみに頼らずして身に付けた絶技を前に、五〇年先の技術の産物とやらがただの防弾チョッキに成り下がったのである。しかし――血は飛ばない! 傷口から迸ったのは、何か乳白色の液体であった。それでも身は仰け反り、手が空中をかきむしる。単なる物理ダメージでは済まされぬその効果は――

「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!」

「――おめでとう。痛みを取り戻せたな。これからはマゾ役も務めると喜ばれるぞ」

「お、おのれ…!」

 火を噴くような視線を龍麻に向け、しかし真純は歯を噛み鳴らした。それ以上の攻撃意志がない事を示すように、龍麻は腕を組み、飛鳥もナイフを下ろしたのである。殺すつもりはない。殺す価値もないと。――否、殺すのは最後にしてやると。

「垂れた尻を見せてお家に帰れ。【司教】によろしく」

 親指で喉を掻っ切る仕草を見せた龍麻に醜い形相を向け、ただそれだけを精一杯の反抗として、真純は義歯に仕込んだスイッチを押した。

「あっ! 逃げる!」

 真純の周囲の空間がぐにゃりと歪んだので、小蒔や裏密、御門に村雨が攻撃を仕掛けようとしたが、龍麻が手を上げてそれを制したのでタイミングを失い、真純はそのまま姿を消した。

「ひーちゃん! どうして…?」

 事情は解らずとも、真純がそれなりの幹部である事を誰もが悟っていた。ならば捕まえて情報を得るべきではと小蒔は言いたかったのだが、龍麻は「待て」と言うように手を上げる。

「今のお前には無用の長物だろうが、ガン嫌いは相変わらずか。ナンバー4」

 酷く消耗しながらも銃を受け取らなかった飛鳥に、龍麻は過去を振り返りつつ言った。ナンバー4――飛鳥はレッドキャップス最強と言われながら、指揮官になった事はない。それは、彼が銃に対して強い忌避感を持ち、それを消す事ができなかったからだ。彼は現代医学の粋を結集して作られた完全人工生命体でありながら、【危険】回避能力を高めるとして何回となく弾丸を撃ち込まれた為、逆に戦闘機械にあってはならないトラウマを背負う事になってしまったのだ。それで戦闘力が落ちる事はなかったのだが、自分がそれを身に付けることは極端に嫌った。その事が彼に【欠陥品】の烙印を押させる事にもなったのだ。

 それには答えず、彼は龍麻に向き直った。

「俺の名は、結城飛鳥だ」

「……」

「お前ならそう呼んでも許すが、結城飛鳥が、俺の名前だ」

 名前…レッドキャップスには、特に彼には最初からなかったもの…。

「了解した。結城飛鳥」

 龍麻は、その名を噛み締める。ナンバーでしか知らなかった、仲間の名前。それが、勝手に名乗っているものでも、偽名でも構わない。それが、【人間】としての彼の名だ。

「俺は一樹。速水…一樹だよ」

 名乗る相手がいる事が嬉しくてたまらないような…一樹の声である。しかし、彼はこうも言った。

「…緋勇龍麻。俺たちはもう行くぜ。――今度の獲物はでかい。次の準備をしなけりゃならねェ」

 レーザー砲を肩に担ぎ、一樹はごく軽い口調で言う。再会を喜ぶ暇も、旧交を暖める暇も彼らにはないのだ。飛鳥が、わざと浅く付けた十字の傷…あれは殺戮の誓いとされる逆さ十字だ。――真純の登場は、手駒が尽きた軍産複合体【Z−GRAT】が自ら動き始めた事を示している。その影に潜んでいるであろう【司教】に対する、これ以上はない明確な宣戦布告であった。そして、より過酷な戦いの始まり…。

「結城飛鳥…。速水一樹…」

「…緋勇龍麻。俺たちはお前の事情には関知しない。そしてお前も、自分の戦争をやっている筈だ。俺たちに関わる余裕はない」

 断ち切るような飛鳥の言葉。しかし、龍麻は――

「肯定だ。だが、聞かせて欲しい。あの女の言葉は真実なのか?」

「……」

 飛鳥は押し黙る。龍麻よりも徹底している、能面のごとき無表情。その重い口は、誰にも開かせる事はできぬかに思えた。

 【それ】に気付いたのは、かつて飛鳥と同じような男を見たことのある葵であった。

「まさか…あなたも九角さんと同じ…!?」

 九角…レッドキャップス・ナンバー0、九角天童。彼はあの最終決戦の折、既に全身を癌細胞に侵されていた。そして今、葵の目には飛鳥の全身が、天童と同じような黒の領域に塗り潰されていく様が見えている。

「…寿命が設定されてたんだよ、バイオニック・セルにはよ」

 飛鳥の代わりに、感情の篭らぬ声で一樹が言った。

「一樹…」

「【仲間】に隠したって仕方ねェだろ? バイオニック・セルの寿命は十二年。期間内ならほぼ無限の再生回数を誇るが、それが過ぎちまえば自殺因子が生じて癌細胞を発生させるんだと。――ケッ、所詮、あのマッドサイエンティストが造ったモンだからな。手に負えなくなった時の保険を掛けていたって訳さ。しかも実際には再生回数の上限があった欠陥品だ」

「……お前もか、一樹?」

 ふう、と溜息を付き、一樹はシャツのボタンを外し、黒ずんだ斑紋を散らしている胸板を晒した。

「【あの時】に死に損なってな。バイオニック・セルの割合が増えちまったのさ。――【少佐】にはしてやられたなァ。ミサイルを撃ち落すなんて馬鹿やるんじゃなかったよ」

「そのおかげで俺達は助かった。――レミトンM七〇〇カスタムで二秒五射。標的は五発のトマホーク。全くお前は、昔も今も俺達の守護神だな」

 それがどれほど凄い事なのか、京一達にはピンと来なかったが、一樹は薄く笑って見せた。

「ありがとよ。これで先に逝った連中にも、胸を張って会いに行けるぜ」

「……リミットはどのくらいだ?」

「俺は戦闘なしならあと六ヶ月。飛鳥は――」

「――二ヶ月弱だ」

「………そうか」

 彼らならではの恐ろしいやり取りに、やはり龍麻は静かに頷いた。龍麻や天童、そして一樹は成長段階でバイオニック・セルを移植された後天的バイオニック・ソルジャーだが、飛鳥は合成卵子の段階からバイオニック・セルを培養して作られた先天的バイオニック・ソルジャーだ。均一な細胞しか持たない彼に自殺因子アポートシスが発現してしまえば、いかなる延命治療も無駄になる。生命の原理そのものが彼の死を望み、その進行は誰よりも早いのだ。

「そうかって…龍麻…!」

 せっかく逢えた仲間が、余命幾ばくもない身…それに対する龍麻の言葉は余りにも簡潔過ぎ、葵は抗議の声を上げようとしたが、京一に止められた。

 京一を始め、醍醐や如月、壬生らには解ったのだ。一見酷薄に見えても、これが彼らレッドキャップスの絆なのだと。例え仲間が死しても、自らの任務のみ遂行する事を求められた彼らだからこそ、今、自分の意志で生き、自分の意志で選んだ道を行く者を止めたりはしないのだと。

「しかし、お前達も見つけたのだな。【人として】生きる意味を」

「…どうかな? あの女の言う通り、戦場に戻ってきただけかも知れない」

 表情も口調も変えぬ飛鳥。だが、以前の彼ならばこんな事は口にしなかった。与えられた任務こそが全てであった彼らレッドキャップス。そんな彼らだからこそ、【生きる】には確固たる【理由】が必要であった。【自分】という存在を肯定する理由が。

「――桜ヶ丘中央病院――」

 飛鳥の言葉を否定も肯定もせず、龍麻は別の事を言った。

「この名を覚えておけ。長瀬瑞穂嬢奪還の暁には、必ず役に立つ。そして、早急に【九頭竜】の聖須華セスカに会え。俺の名を出せば通る。――お前達の事情には関知せんが、俺も長瀬瑞穂嬢の幸福を願う者の一人だ。今は亡き、俺の師匠もな」

 それから龍麻は、踵を揃えて敬礼して見せた。それが、別れの挨拶。彼らには時間がない。

「――貴殿らの勝利を祈るアイ・ウィッシュ・ユアーズ・ラック

 す、と動く飛鳥と一樹。踵を揃え、胸を張って立つ仕草は、付け焼刃ではない本物のみが持つ挙措。そして――敬礼。

「「サンクス。――グッドラック、戦友フレンド」」

 それから三人は申し合わせたように、敬礼をラフな、二本指を額の前で弾くものに変えた。

「――地獄で逢おうぜ」

 飛鳥は目礼を、にいっと笑いを刻んで一樹はマリィにも片目を瞑って見せ、二人のレッドキャップスは浜離宮の結界から姿を消した。

 二人の姿が完全に消え去ったのを確認し、龍麻は敬礼を解いた。

「…なあ、ひーちゃん。あの二人、本当に行かせちまって良かったのか?」

「…問題ない」

「いや…そうじゃなくてよ…。本当は一緒に戦いたかったんじゃないかってな…」

 しかし、京一はそこで口をつぐむ。

 龍麻にとって、レッドキャップスはもっとも大きな傷、そしてもっとも大きな誇り。失ったと思っていたものが、実は生きていた。当然、並みの人間ならばそれを喜ぶ。しかし彼らの間には確実な【仲間】同士の【絆】はあるのに、根底に流れるべき感情がない。いや、ちゃんとあるのだろうが、まだ彼らには時間が足りないのだ。

「俺も、彼らも、この空の下で戦っている。今は、それだけで充分だ」

「そっか…。そうだな…」

 それが龍麻の出した答えならば、自分達が何も言う事はあるまい。マリィだけは龍麻の手をぎゅっと握り締めたが、特に何も言わなかった。彼女も今は一人ではない。そして今日、【兄】と呼んで良い人間が二人も増えたのだから。

「彼らの闘いは、彼らのものだ。我々は、我々の戦いに全力を尽くす。――行くか。龍山老師の所へ」

「………応ッ!」

 京一達は龍麻の周囲に集まり、力強く頷いた。









 今日一日で色々な事があった彼らだが、【これ】なくして解散する気にはなれない。一同が龍山邸に辿り着いた時には既に夜も更け、阿師谷との戦いが終わった頃に降り出した雨は嵐と変わっていた。

「わざわざ送らせて済まなかった。――感謝する」

「いいえ。乗りかかった船です。途中で投げ出すのは、私の性分ではありませんから。――と、変な事を言うのは止めて下さい」

 龍麻が妙なボケを発動する前に制する御門。そして、少し表情を改めた。

「それにしても、重要な事は何も解らずじまいでしたね」

「――矢無を得ん。敵は狡猾で用心深い。しかしそろそろ手駒も尽きているようだ。間もなく、我々の前に現れるだろう」

 龍麻の声には気負いが感じられない。最初、御門はそれが信用ならなかったのだが、今は実に頼もしく聞こえる。

「ま、龍山のジジイに話を聞けば少しは進展があるかもな。――だがよ、ホントに話してくれっかな?」

「ウン…今までだってチャンスはあったもんね…。何か解るといいけど…」

 龍山が龍脈を巡る戦いに関与していたと言うならば、当然、龍麻の事も知っていた筈である。しかし、龍山はそれに付いて何も話さなかった。いや、「話す事がある」とは言ったが、いつ話すかまでは口にしなかったのだ。

「――刻は満ちつつあります。龍山老師も、もはや秘密を守り続ける理由はありません」

「そうか…」

 彼ら陰陽道に、あるいは風水に関わる者は、物事の秘密を解き明かすにも時期を選ぶ。龍山もそうしていただけに過ぎないのだと醍醐は納得した。――無理にでも納得しないと、師匠にあらぬ疑念を覚えそうだからだ。

「――それでは、わたくしはこれで。龍山老師にも、よろしくお伝えください」

「御門クン…もう帰っちゃうの?」

 いつかも見た光景に、この言葉。小蒔が寂しそうな声を上げる。

「ええ。いかに拳武の護衛があるとは言え、棟梁たるわたしが秋月様のお傍にいねば示しが付かないでしょうから」

 初めての印象からは少し遠い、柔らかな口調で言う御門。普段からこうしていればさぞモテるだろうが、彼には陰陽師をまとめる棟梁としての務めがあり、彼がその好意を向ける相手はこの世に一人しかいない。

「――よせよ、小蒔」

 小蒔の言いたい事は解るが、やはり色々な事がありすぎた。京一が口を挟む。

「お前にも判ってるだろ? 御門にゃ御門の事情があって、命に換えても護りてェものがあるんだからよ」

 今日、出会った者たちは、皆、そんな連中であった。この御門、村雨、結城飛鳥、速水一樹…全員が譲れぬ一歩のために戦い、反発し、そして理解し合った。中でも結城飛鳥と速水一樹に関しては和解したとは言えない。ただ、お互いの立場を尊重しただけだ。次に敵として向かい合えば、また戦う事になるやも知れない。

「…そうですね。わたしは、例えこの東京が、日本がどうなろうと、あの方が無事であればそれで良いのです。わたしの目的はただ、それだけです。そして、あなた方の目的とは相反するものでしかない。…そうは思いませんか、緋勇さん?」

「俺の目的は、【力】に押されて泣く者を少なくしたいだけだ」

 御門の言葉を否定も肯定もせず、龍麻は静かに言った。

「【闘うための理由が欲しいだけ】――あの女の言う事もあながち的外れではないが、これは俺自身が始めた戦争だ。そしてここに俺の居場所がある。俺が俺として戦える場所がある限り、俺は戦う。――だから、闘える。闘う理由は必要だが、深刻な理由は要らぬ。【護りたい】――それだけで良い。お前も同じだろう。それを傲慢だと言いたい奴には言わせておけ。そう言う連中は、転んだ子供に手を差し出す事も、励ます事もせぬ輩だ」

 【護りたい】――それだけで良い。なんと簡潔で、力強く、この男らしい言葉だろうか。戦争の道具として作られながら、人を恨む事すら知らぬ為、人間の偉大さも愚かさも受け止められる【人間】…。

「…よほど器が大きいのか、それともただの考えなしか…。いや、あなたはわたし如きに測れる人ではありませんね。しかし志は同じくとも目的が異なる以上、足引き合うのが関の山でしょう。わたしは、わたしの道を行くことにします」

 龍麻は最初に、己の意思を尊重すると言っている。例え指名しても、それを拒否するのは自由だと。

 御門とて、龍麻の、【真神愚連隊】の実力を目の当たりにした。自分だけでは、村雨や芙蓉がいたとしても今回の事件は対応し切れなかっただろうと、御門は正当に評価している。

 しかし、自分の使命は秋月のものを守ること。そして【真神愚連隊】は、緋勇龍麻という男は――

「――ですが、晴明様…」

 御門が自ら自分の道を決め、龍麻がそれを認めたのであれば、それは絶対であった。しかし【真神愚連隊】の面々が異議を唱えないのは当然として、声を上げたのは芙蓉であった。

「差し出がましい事とは存じますが、申し上げます。緋勇龍麻様と、この皆様方は幾度となく破滅と絶望の運命と向かい合い、勝利してまいりました。この方々ならば、蚩尤旗の位置を変えることすらできるやも知れませぬ。ひいては秋月様の御足の呪いをも打ち破る事も…」

 彼の常識に照らし合わせれば、異常とさえ言える芙蓉の言葉。確かに十二神将は始祖安陪晴明の代より受け継がれてきた式神であり、現存する式神の中では最も古く、力も強大である。しかし式神の常として、感情が育つ事は殆どなかった筈なのだ。それが――緋勇龍麻に逢う事によってこれほど変わるとは…。

「芙蓉…よもやそのような事をお前に言われるとは思いませんでしたよ…」

「申し訳ありません」

 やはりすぐに頭を下げる芙蓉。それはいつもと変わらぬ態度であった筈なのだが、御門はふと、この芙蓉に自分の度量を試されているような気分になった。――いつまで、自分だけが高みにいるつもりだと。世界はこれほど広いというのに、いつまで狭隘な自分だけの世界に閉じこもっているつもりだと。

 御門は龍麻以下、【真神愚連隊】の一同を見やった。

 いずれ劣らぬ、一癖も二癖もある連中である。本来ならばえんゆかりもない…仮にあったとしてもすれ違っていくだけの間柄であるのに、一人一人が自主的に集まり、一つの意思で統率されているという奇跡のような集団。宿星や運命などという言葉だけでは片付けられない、不思議な関係。

「…大きを知って小さきを知る。小さきを知って大きを知る…ですか。――あの方は、あなた方を信じて全てを託しました。ならばわたしも、信じてみるべきなのかも知れませんね。自らの運命を手繰り寄せる、人の――可能性を」

「…御門?」

 一度たりとも、例え秋月に対してさえ軽い会釈以上に首を垂れなかった御門は、今、龍麻に対して優雅に、しかし深く頭を下げた。

「――この御門晴明、今まで一度も前言を撤回した事などありませんが、今、初めて自らに課した禁を破りましょう。――今後、緋勇さんがたまたまわたしの力を必要とする時、たまたまわたしの手が空いていたならば、わたしも芙蓉と共に参りましょう」

 いかにも御門らしい、素直じゃない言い回し。それを聞いて京一らは龍麻の背後で忍び笑いを洩らす。――嫌味ではない。歓迎の笑いだった。

「――基本的に無報酬だ。御門晴明、天后芙蓉」

 馴染みの台詞に、馴染みの態度。龍麻は手袋を外した右手を…利き手を差し出した。

「歓迎するぞ。二人とも」

「ええ。よろしくどうぞ」

 御門はふっと口元を緩め、龍麻の手を握り返した。一時的に協力すると言った時と異なり、力強く。そして芙蓉が、その手に自らの手を重ねた。

「よろしくお願いします。――【ご主人様】」

 【それ】を口にした時、芙蓉がこの上なく嬉しそうな顔をしたので、さやかがまた「ムム…!」と難しい顔をして、裏密が怖い笑みを深くする。そして葵の方は…例によって誰も見ていなかった。

「ところで――村雨、お前はどうするんだ?」

 場の雰囲気が危険なものに変わる前に、醍醐が強引に話を変えた。

「ん――そうだなァ…アンタらとつるむのも面白そうなんだが…」

 村雨は意味ありげに龍麻を見、ポケットから一枚のコインを取り出した。

「俺と勝負しねェか? 先生――」

「勝負?」

「ああ。賭けるものは俺自身だ。表か裏か――先生が勝てば俺も手を貸す。負けりゃここでサヨナラだ」

 龍麻の返事を待たず、村雨はコインを空中に弾いた。しかし、龍麻は――

「――表だ」

 村雨がコインをキャッチする前に告げる。京一達は目を白黒させ、コインを手の甲で伏せた村雨は苦笑した。

「――先賭けとは恐れ入ったぜ、先生ェ。――アンタの勝ちだ」

 手をどけると、そこにあるコインの目は――表。

「…今のって、ホント? ボクの目には両方とも表みたいに見え――ッ!?」

 馬鹿正直に疑問を口にする小蒔の口をそっと塞ぐ葵。そして、京一や醍醐、如月や壬生ら、動体視力に優れる者の苦笑…。

「――まァ良いじゃねェの。俺様の強運、先生に預けるぜ」

「――良かろう。歓迎するぞ、村雨祇孔」

 託された選択権――両表のコインの事は敢えて口にせず、龍麻は村雨の手を握った。

 そこに、声がかけられた。

「――どうやら、そっちの話は付いたようじゃの」

「――龍山先生…!」

 そこにはいつの間にか、作務衣に唐傘の龍山が立っていた。敬礼をする龍麻と、会釈する一同。

「先生――夜分に済みませんが…」

「――構わぬよ。この時が来るのを、わしも待っていたのじゃからの」

 深く頭を下げる御門に頷く龍山。真に重要な事を告げるべき役目は龍山に託された。

「――それでは龍山老師。自分達が聞きたい事も?」

 深く、本当に深く頷く龍山。決意、覚悟…ありとあらゆる想いが込められた頷き方。

「龍麻よ…緋勇弦麻の血を継ぎし緋勇のものよ。遂に…お主に真実を告げるべき時が来てしまった様じゃ。――十七年前、中国は福建省、客家の村で繰り広げられた、人の世の存続を懸けた闘いの事を…。そしてお主の――因果の輪から決して抜け出る事のできぬ、出生の秘密を――」

 龍山は天を振り仰いだ。

 天空に稲光が走り、老人の顔を照らし出した。









 第十九話 陰陽師   完







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