第拾九話 陰陽師 3





 翌日、例によって電車を乗り継ぎ、【真神愚連隊】の姿は千代田区、日比谷公園にあった。

 メンバー構成は真神在籍の六人に、弾丸の不発に興味を引かれた如月、同行を申し出ていた壬生、あとは、声をかけたら二つ返事でやって来た霧島とさやかである。劉は連絡が付かず、雛乃は時間的に難ありという事で今回は参加を見合わせている。――悔しそうではあったが。

「村雨のヤツ…まだ来てねェみてえだな」

「現在一二五〇時。まあ、あれだけの事を言ったからには約束は守るだろうさ」

 ややそっけない醍醐。彼はまだ警戒を解いていない。龍麻も村雨を信用するとは言ったものの、待ち合わせ時間より早く来て、周囲の地形その他のチェックを済ませてある。今回は裏密、如月、壬生もいるので、チェックの時間は思ったよりも少なく済んだ。そのため、少し時間を潰す必要があったのだ。

「そうだよね。これで遅刻したら懲罰ものだよッ。――って、遅刻と言えば…村雨クン、自分のコト千代田皇神の生徒だって言ってたけど…」

「そう言えば…改めて考えてみると凄く違和感があるな。確か私立皇神高校と言えば、全国でもトップクラスの難関校じゃなかったか?」

 確認を取るように、醍醐は葵を見る。頬に人差し指を当てて記憶を探った葵はええと頷いた。

「確かにそうね。学力もさることながら、土地柄もあって、かつて貴族や華族、爵位のあった家系の子供たちが多く通っている学園よ。幼稚舎から小中高と一貫性教育で、親子二代三代で同じ学園に通っているという家もあると聞くわ」

「え…エエッ!? そ、それじゃ村雨クンって、貴族の家柄ってコトッ!?」

「ぬわぬィィィッッ!? そりゃ、何かの間違いだろッ!?」

 貴族イコール偉い人、という図式しか頭にない京一と小蒔が揃って素っ頓狂な声を上げる。

「うふふ。私もそう思ったけど、人は見掛けによらないものでしょ?」

「う〜む…。無意味に自信ありげなところとか見るとなんとなく納得できそうな…。なにしろなあ…」

 なんとなく、視線を話の輪から外れている仲間たちに向ける醍醐。

 この歳にして、アメリカ陸軍特殊部隊上がりの男、緋勇龍麻。

 現代にまで連なる飛水流忍術の継承者にして、骨董屋の若主人、如月翡翠。

 現役高校生にして、社会悪を抹殺する組織の一員である、壬生紅葉。

 ――いずれも、外見だけではそれと判らぬ…どころか、絶対に想像の及ばない連中である。村雨が実は宇宙人――とかだったら驚いても良さそうな気もするが、たかが貴族程度では驚くに値しないような気もする。むしろ驚くとすれば…

「――はい、できたよ」

「わあっ、ありがとうございます、壬生さん」

 壬生からイニシャル入りの手編み手袋をもらって喜ぶさやか。手の甲の部分にはリスのアップリケまで付いている。

「壬生さんて凄く器用なんですねッ。僕にはちょっと真似できません」

「そんな事はないよ。何事も練習が大事だ。編物や刺繍は集中力を養うのにも役に立つしね」

「なるほど。今度、僕にも教えていただけませんか?」

「良いとも。でも結構大変だから、やるからには真剣にね」

「はいっ」

 そんなやり取りを眺めている内に、腕を組んだままだんだんとピサの斜塔状態になる醍醐。不本意ながら何度か身に纏ったコスチュームが実は彼の手作りであったなど驚くばかりであったが、孤高の暗殺者のイメージがちょっと…。

「…何か言いたそうだな?」

「い、いや…」

 龍麻の問いに、難しい顔のまま視線を宙に泳がせる醍醐。

「けどよォ、貴族云々はともかく、あれだ! 皇神ってのは偏差値だって滅茶苦茶高ェ筈だろッ!? あんな髭生やしたヤツが頭良さそうに見えるかッ!?」

「…髭は関係ねェだろう、蓬莱寺? 悪いが、アンタほど馬鹿面はしてねェと思うぜ」

 龍麻、如月、壬生はとうに彼の接近に気付いていたようだが、村雨をけなす事に夢中だった京一は血相変えて飛び退きざま、木刀に手をかけてしまう。

「誰が馬鹿面だ! テメエ、本当に皇神の生徒なのかよッ!?」

「そっちの方が問題なのか? ――へッ、似合わねェッてのは自覚してらァな」

 龍麻たちには片手を上げて挨拶し、次いで村雨は両肩をすくめ、天を仰いだ。

「そもそも俺は貴族でもなんでもねェ。ある人の後ろ盾をもらって高校から編入したクチさ。あいつがいなけりゃ、あんなつまらねェ学校、とっくに自主退学してるぜ」

「エッ!? でも皇神って一貫性なんでしょ? それで高校からの編入ってコトは…ひょっとして、いわゆる裏口入学?」

 と、これにはさすがに村雨もコケた。

「あ、あのなあ、言うに事欠いてそれはねェだろ? なんつーか…俺は頭が良いんじゃねェ。異常に運が良いのさ」

「運が良いって…それで試験に受かったと言うの?」

 なんとなく、葵菩薩様のご機嫌が斜めに傾き始める。誰もが忘れていそうだが、龍麻たちは一応、受験生である。大学進学を志望している葵は勿論、小蒔もいよいよ進路を定め、そのための勉強に取り組んでいるのだ。本当はこのような事件に構っている暇などない筈の彼女達にしてみれば、運が良いだけで試験に受かったという村雨は不倶戴天の敵だろう(その気になれば百科事典丸暗記のできる龍麻も似たようなものだが)。

「そんな目で睨むなよ。まぁ、これが俺の【力】と言えば納得してもらえるかい、緋勇?」

「さて…な」

 意味ありげに言葉を濁す龍麻。本当に運が良いならば、昨日やったロシアン・ルーレットでも勝利を納めていてもおかしくはない。しかし、村雨は敗北しながらも、奇跡としか思えない偶然によって生きている。それを見極めるまでは迂闊な判断は下せない。

「ヘェ。さすがに慎重だな。まあ、俺がまだ味方と決まった訳じゃねェ。その方がこっちも呼んだ甲斐があるってモンさ」

「――そんな事はどうでも良い。村雨、俺たちはお前の目的を聞きに来た筈だぞ?」

 やはり警戒を緩めず、醍醐がずい、と前に出る。村雨も高身長だが、横の厚みは醍醐の方が倍近くあるように見える。

「そう慌てなさんな。俺は大丈夫だって言ったんだが、【案内役】が周囲のチェックをしてからだって譲らねェ。そいつが来ない事にゃ、俺もアンタらを連れて行けねェのさ」

「【案内役】? ――するとお前も、会見の場所を知らされていないと言うのか?」

 醍醐が不機嫌そうに鼻を鳴らすが、龍麻は当然のごとくそれを受け入れる。重要な人物がいる所に人を招く際、目隠し等で場所を悟られないようにするのは基本的な処置である。龍麻を待っているのはよほどの重要人物で、常に命を狙われるなどの危険もあるのだろう。アメリカ軍でも、ある将校が暗殺の危険を減らすためにホテルのスイート並みの装備を整えたトレーラーで暮らしているのを見た事がある彼だ。

「いや、場所は知ってるぜ。ただ、そこには【案内役】なしには辿り着けねェ」

 そんな謎めいた言葉を発し、【経験あるだろ?】とでも言わんばかりの目を龍麻たちに向けた。

「なるほど。陰陽師と来れば、結界はお手の物だからね」

「逆に言えば、互いに信用第一という事だね。僕たちがいる事は気にならないのかい?」

 如月の言葉を受け、壬生が刃物のような視線を村雨に向ける。龍麻を正面から殺す事は難しい。しかし自分の結界に誘い込む事ができれば、何も正面気って戦う必要はなくなる。いや、闘う必要すらない。永久に閉じ込めておけばいいのだから。――壬生はそう言っているのだ。

「さぁて? 少なくとも俺はちゃんとここにいるぜ。つまり、アンタらを騙したとしたら俺が真っ先にぶっ殺されるのは間違いなさそうだ。違うかい?」

「――その時はその時だ。…案内役が来たようだな」

 龍麻が注意を促す。公園の入り口から、いかにも高級そうな黒のスーツに身を包んだ女性が姿を現したのだ。長い黒髪に白い肌。葵とも張り合える理知的な美人だが、能面のように表情がまったくない。冷たい仮面をかぶせた人形のようだった。

「龍麻…」

 如月と壬生、そして裏密が龍麻を見る。龍麻は問題ないと言うように首を横に振った。

 黒スーツの美女は龍麻の二メートル手前で静止し、優雅に礼をした。

「――お待たせ致しました。私は御門家が秘書、芙蓉ふようにございます。以後、お見知り置きを」

「――緋勇龍麻だ」

 礼を尽くす者にはこちらも――付け焼刃でない挙措で深々とお辞儀をする芙蓉に、龍麻は敬礼で応える。だが、変化はその時起こった。芙蓉が、顔を上げた時に。

「――あン? どうしたんだ、芙蓉?」

 優雅ではあるもののどこか事務的な――そんな芙蓉の挙措がそこで乱れたのだ。彼女は龍麻を見つめていた。能面のような印象は消え去り、驚いているような、懐かしんでいるような、そんな表情で龍麻を見つめている。京一や醍醐は「ああ、まただ…」と頭を抱え、さやかなどは「ムム…!」と絶対に【表】では見せない表情…眉間にしわを寄せて芙蓉を睨む。

「おい! 芙蓉!」

 村雨が怒鳴ると、芙蓉ははっとしたように、元の表情を取り戻した。

「ご主じ…いえ、緋勇龍麻様他、四名様。そちらの方々も加えて十名様でいらっしゃいますね」

 最初こそどもったものの、たちまち表情も態度も事務的なものに変化する芙蓉。やはり、どこかおかしい。まるでロボットでも相手にしているような、妙な気分である。

「おい、芙蓉。俺、俺」

「…居たのですか、村雨」

 親指で自分を示す村雨に対し、芙蓉は龍麻たちに向けるもの以上に感情のない視線を向ける。だが村雨は肩をすくめたきりであった。

「では、ご案内いたします」

「うむ」

 鷹揚に頷き、歩き出す龍麻。如月と壬生、それから裏密、さやかと霧島はすぐに後に続いたのだが、醍醐たちは少し遅れた。

「ちょーっと待った。案内するって、一体どこへだよ?」

「そうだよッ。行き先も言わないなんて、ちょっと強引だぞッ」

 京一と小蒔が揃って声を上げる。すると芙蓉が振り返り、相変わらず無表情なまま告げた。

「余り時間がございません。納得していただけないようであれば、多少強引な手段を取らせて頂きますが」

「な、なんだとゥ!?」

 口調には抑揚がなく、言葉使いそのものは丁寧だが、要するに「ガタガタ言わずに付いて来い」と言っているのである。しかもその目の鋭さ。ここで否とでも言おうものなら、彼女は何がしか有言実行するだろう。

「――何も問題はない。要人との会見には付き物の事だ。――そうだな?」

「御意にございます。緋勇龍麻様」

 芙蓉は素直に頭を下げる。心なしか、龍麻に対する時だけ事務的な感じが抜けている事に気付き、村雨は首を傾げた。

「――そういう次第だ。ここで帰っても何も意味はない。行くぞ」

「…仕方ないな」

 村雨は龍麻に接触した理由を説明するとしてここを指定し、約束通りに現れたのだ。今更渋ったところで、転校生狩りの手がかりが得られる訳ではないし、龍麻が狙われる理由も不明のままだ。既に彼らは、村雨の手のひらの上に乗っているのである。

「まァ、そんなに心配しなくても良いって。悪いようにはならねェよ。――それより、アンタ、芙蓉と逢った事でもあんのかい、先生?」

「…先生?」

「――はは、気にすんなって。真っ当な勝負で俺を負かしたのは先生が最初だからな。ところで、どうよ?」

「彼女と面識はない」

 先を行く芙蓉の背中を見やりながら、龍麻は断言する。

「しかしながら、百五十年前云々と言う人外には何人か心当たりがあるな」

 はっきりと【人外】と言い切った龍麻に、村雨の頬がピク! と引きつる。その顔は驚愕と感心と、畏怖の一刷毛を滲ませた。ただし【百五十年前】という単語が何を意味するのか、そこまでは判らなかったが。









 黒スーツの女性を先導に、ぞろぞろと歩く怪しくも美形揃いの学生集団は、日比谷公園からさほど離れていないもう一つの公園…中央区、浜離宮恩寵庭園にその姿を現した。

「…潮の匂いだ」

「うん。もう少し行けば東京湾だからね」

 東京育ちの者が多くとも、基本的には地元とプレイスポットの行き来だけで生活する者が殆どであるから、東京を隅々まで知っているという事はありえない。このメンバーの中でここを訪れた事のある者は皆無であった。

「すっごく良い所だねッ。緑もたくさんあるし、東京にもまだまだこんな所が一杯あるんだなァ」

「うふふ。ここは昔、徳川家の鷹狩場だったのよ。明治の頃、天皇家の離宮になって、昭和に入ってから一般公開されるようになったの。開発の波に呑まれずに済んだから、自然も多いし、野鳥の数も多いと聞くわ」

 ヒュウ、と口笛が上がる。感心したような響き。村雨だ。

「随分と博識な姉さんだな。確かにここは良い所だぜ。管理が行き届いているから馬鹿な餓鬼どもも滅多に来ねェしな」

「テメエは別だろ」

 らしくない事を言う村雨に、京一が突っ込む。

「はははッ、ま、そう言うな。――で、これから俺たちが行くのは、浜離宮であって浜離宮ではない所。【案内役】なしには通り抜けられない、空間の歪みの向こう側だ」

「空間の歪み? 何だ、それは? ――って、龍麻、何をしている?」

 懐から取り出したメモ帳に何事か記入している龍麻。久々登場の【謎のメモ帳】である。

「【記憶力向上訓練】? なんですか、それ?」

 龍麻の手元を覗き込んでいたさやかの言葉に、京一、醍醐、小蒔の顔色が青くなる。そう言えばこのメンバーの中で、元祖【鬼軍曹】殿の訓練を受けた者は京一達しかいないのだ。

「裏密。説明」

「うふふふふふ〜。陰陽道には〜三次元空間を自在に制御する術があるわ〜。等々力不動に施されていた結界も同系列のもの〜。だからこそ【案内役】もしくは〜【鍵】となるものがなければ通り抜ける事はできないの〜」

 そう言えば…と、京一達は必死で記憶を探る。確か九角との最終決戦に赴く際にも、天野が熊野神社で授かった【指南車】なる道具のお蔭で正しい道を知ることができたのだったと、ようやく思い当たる。

「つ、つまりそこの芙蓉ちゃんが正しい道を知っているって事でいいんだなッ!?」

 必死の京一。醍醐も小蒔もぶんぶんと首肯する。

「…まあ良かろう」

 メモ帳を懐にしまう龍麻。そこに、話し掛けるタイミングを計っていた芙蓉が一枚の紙を差し出した。

「緋勇様。これをお持ちになってください。皆様方も」

「なんだい、こりゃ?」

 受け取った紙をひねくりまわす京一。先日、裏密に見せられた物と同じような長方形の紙に、朱墨で【宿】【霊】の二文字と、五芒星が描かれている。何の知識もないものにとっては怪しさ満点の代物であった。

「この符が、わたくしとあなた方を繋ぐ命綱となります。決して紛失なさいませぬように」

「い、命綱ァ!? おいおい、物騒な事言うなよォ」

 やはり、声を上げたのは京一である。同意を求めるように龍麻を見た彼であったのだが…。

「【スパイ○ーネット】ッ!」

 龍麻の袖口から発射されたネットによって雁字搦めにされる京一。

「いちいちうるさい奴だ。ちゃんと引きずって行ってやるから安心しろ」

 問答無用のそのやり口に、如月や壬生は苦笑しつつため息をつく。これで最も優れたコンビネーションを発揮できる二人だと言うのだから、世の中判らない。

「まあいろいろと疑問はあるだろうが、空間の歪みって奴はそれこそあらゆる場所、あらゆる時代に通じているからな。迷い込んだら最後、どこに出るか判りゃしねェんだ。どんなに怪しかろうと、しっかり持ってるがいいぜ」

「でもさ…転校生狩りの現場に落ちていた奴とそっくりなんだもん。良い気分はしないよッ」

 小蒔が声を上げると、これは聞き捨てならなかったのか、芙蓉が振り返って彼女を見た。

「それは晴明桔梗と呼ばれる、大陰陽師、安陪晴明様の守護印であらせられます。我が主によってしたためられたその符は、皆様方を安全にかの地に導くためのもの。ゆめゆめ、お忘れなきよう」

「わ…わかったよ…」

 無表情な上、口調の変化もないが、芙蓉が少し怒っているのがわかった小蒔は渋々ながら頷く。京一にしろ小蒔にしろ、単なる反発心から文句を言っている訳ではない。彼らはただ、龍麻以外の人間が主導権を握っているのが気に入らないだけなのだ。

「問題ない。――どうしても不安だと言うのならば、このロープを使って全員を繋ぐと言う手もあるが…」

 その光景を全員が思い描き、如月や壬生、裏密に至るまでブンブンと首を横に振った。

「さあ! 元気出していこうか!」

「うむ! 何も問題はない!」

「芙蓉さん、案内ヨロシクねッ!」

 急に手のひらを返す一同を不思議そうに見る龍麻を、村雨はクックと笑いを噛み殺しながら見やる。そして…

「…お見事でございます、緋勇様」

 僅かに表情を和らげ、深く頭を下げる芙蓉。しかし龍麻には、何が見事なのか理解できなかった。

「それでは皆様方。わたくしから余り離れられませぬように」

「…総員縦列隊形。前進する」

 歩き出す芙蓉の背後に、龍麻の命令通り一列になって続く一同。この歳で【電車ごっこ】をやらされるよりは遥かにマシである。

 そして一同は、【この世であってこの世でないところ】へと足を踏み入れた。









 芙蓉に置いて行かれたら一大事、と足早に歩いていた一同は、ふと気付くと、自分達の周囲が霧に包まれている事に気付いた。

「なにコレ…さっきまで霧なんてなかったのに…」

「龍麻さん…!」

 小蒔は霧と称したが、それに触れても冷たくないし、水滴も付かない。敢えて言うならば、白い闇であろうか? 得体の知れない現象を前に、さやかが龍麻のコートをつまむ。勿論、左袖である。それを見る葵の顔は…怖いので誰も見ていなかった。

「モテるねェ、先生。――俺たちは今、空間と空間の間を歩いているんだ。この霧は、確か、宇宙を形成する原理であり、万物を貫く普遍的な記号を、ある秘式によって組み替え、新たな天地の理を何とやら…って、俺にもよく解らねェ。とにかく、ここを通らねェと、向こう側に行った時に重大な障害が生じるんだそうだ」

「…なるほど。温泉に浸かる前のかぶり湯と同じ原理だな」

 平安時代から続く一大呪術体系による秘術を眼前にしながら、それを温泉の作法と同レベルで見る龍麻。村雨がガクッとなる。

「龍麻…。せめて減圧室くらいに言っても良いんじゃないかな?」

「ふむ、サンオイルのようなものかとも思うが」

 そんな緊張感皆無な会話の聞こえる前方から、クスリ、と誰かが吹き出す声が聞こえた。しかし一同の前方にいるのは芙蓉一人である。まさか、今の笑い声は彼女が…? 

「間もなく着きます故、ご準備を」

 先程と変わらぬ、感情のこもらぬ声。多分…勘違いだろう。そして、それよりも注意を向けねばならぬ光景は、次の瞬間に訪れた。周り中を覆っていた白い闇が急激に薄れ、一同が我知らず身構えた時、そこは見知った空間へと変貌を遂げたのである。

「――何だこりゃ!? 元に戻っちまったじゃねェか」

 白い闇に包まれていたのはせいぜい二分弱だから、それも当然か、そこは浜離宮恩寵公園であった。しかし――

「ちょっと待って…! コレって…桜ァ!?」

 心地良い温みを含んだ風が吹き、その中をひらひらと舞い散る薄桃色の花弁。それは紛れもなく、桜の花弁であった。

「おい! 見ろ!」

 風が吹いて来る方向を指差し、醍醐が声を上げる。その指先を目で追った一同の視界を、桃色の霞が覆った。それは、今まさに満開の桜並木であった。

「ウソ…! もう冬なんだよッ!? なんで桜が…!」

 今までの事件で怪奇なものを散々目にしてきた一同だが、真冬に咲く桜というのはまた違った意味で驚かされるらしい。

「場所は同じだが、これが異空間というものか」

「うん。空気も澄んでいるね。さすがは陰陽師。【壷中の天地】とはまさにこのような事を言うのだろうね」

 龍麻と如月はそんな事を話し合い、裏密もそれに頷きつつ、周囲を面白そうに眺めている。

「…向こうにいるのが、待ち人のようだね」

 この辺りはさすがに現実直視の暗殺者。壬生は空間の分析よりも、真冬に咲く桜よりも、周囲を索敵する事に注意を払っていた。そして周囲に観光客の姿がまったくない事に気付き、ならば自分達以外の気配があれば、それが待ち人だろうと踏んだのである。

「――まァ、いろいろ疑問はあるだろうが、それは全部脇に置いといて、とりあえず奴のところへ行こうや」

 そう言って村雨が歩き出す。全員の視線が彼に向き――その隣にいる女性に注がれた。

「――何か?」

 口をパクパクさせている京一らに対し、やはり無表情なままに問い掛ける芙蓉。しかし、無理もない。先程までのきりっとした黒スーツは消え、今の彼女は桃色の着物を纏っていたのだ。平安中期のものと思しい着物は、大きく肩から胸元までを露出し、しかし芙蓉自身の美しさのために淫らさとは無縁であった。

「…それが、貴君の本来の姿という訳か」

 龍麻が種明かしをして、如月が大きく頷く。

「式神だね。実際に拝見するのは初めてだが、ここまで見事な術とはね」

 式神…先日、裏密に説明された、符呪に仮初めの命を与える秘術。芙蓉が【それ】であると説明されても、醍醐たちは容易には信じられぬようであった。確かに無表情無感情に感じられるが、存在感は人と変わらぬのだから。

「――恐れ入ります。先程までの姿は、我が主より戴いた符による幻影にございます」

「そうか。――先程の姿には戻れるか?」

「――は?」

 龍麻の物言いに、困惑したような顔を向ける芙蓉。それを見た村雨が絶句する。

「戻れない事はございませんが、これがわたくし本来の姿ですので」

「…了解した。――醍醐、小蒔、葵」

 仲間の名を呼び、ピタ、とある一点を指差す龍麻。

「――殲滅」

「――応ッ」

 龍麻の指差した先にいたのは、だらしなく眦を下げ涎でも垂らしそうなほどやに下がっている京一。龍麻の「殲滅」を合図に小蒔のボディーブローが彼の鳩尾に突き刺さり、葵が彼に頭から寝袋をかぶせ、醍醐が彼をロープでぐるぐる巻きにする。

「おわあッ! テメエら! なにしやがる!」

「うわあッ! 京一先輩ィッ!」

 敬愛する先輩をあっという間に簀巻きにされてしまった霧島が子犬のような悲鳴を上げるが、龍麻は黙殺する。芙蓉がこの姿でいる以上、ドスケベ魔人が場の雰囲気を壊す事請け合いだからだ。

 そんな彼らを、村雨は目を点にして眺めている。そして芙蓉は、再び何かを懐かしむような目。

「――見苦しいところを見せたな。案内を頼む」

「――畏まりましてございます。ご主じ…緋勇様」

 優雅に一礼し、芙蓉は皆を先導して歩き出す。その姿を見て、村雨はどうも納得が行かないというようにしきりに首を捻っていた。









 待ち人が立っていたのは、本来の浜離宮恩寵公園にあるものとは確実に異なる、清水を満々とたたえた池のほとりであった。村雨と同じ純白の学生服に、腰まで掛かるストレートの黒髪を垂らした、やや中性的な感じのする端正な顔立ちの男である。

 ただでさえ龍麻、如月、壬生という、【真神愚連隊】でもトップクラスの美形が揃っている所に、新たな美形が一人追加である。醍醐という夫(!)がいても、小蒔が「ヘエ…」と声を上げる。しかし…

「――晴明はるあき様。緋勇龍麻様他、九名様を、只今、お連れいたしました」

「ご苦労でしたね、芙蓉、村雨」

 頭を下げる芙蓉に、口元に涼しげな笑みを乗せてねぎらいの言葉をかけ、晴明と呼ばれた男は龍麻に向き直った。

「わざわざお呼びたてして申し訳ありませんでしたね。わたしは村雨と同じく、皇神高校三年、御門みかど晴明はるあきと申します。よろしく、お見知り置きを」

「【真神愚連隊ラフネックス隊長コマンダー、緋勇龍麻だ」

 よろしくとは言いながら、御門は芙蓉のように頭を下げる事もなければ、村雨のように片手を上げる事もなかったのだ。やっと、僅かな目礼のみである。村雨が通っているという事から皇神に対するイメージが揺らいでいた一同だが、御門の偉そうというか尊大というか、そういう態度に不快感を覚えてしまう。龍麻が敬礼を抜きにしたのも、御門が礼を欠いているからであった。

 しかし、当の御門はまるで気にしていないようだ。口元の穏やかな微笑は消さぬまま、しかし妙に冷たい眼差しを龍麻に注いでいる。

「――で、一体全体、どういう魂胆で俺たちを呼び出したんだよ?」

 簀巻き状態から解放された京一が、やや険のある声で問う。龍麻もよく尊大な態度を取るが、彼の場合は壮絶な人生経験に裏打ちされたものであるので、信頼感を覚える事はあっても不快に感じる事はないのだ。ところが御門のそれは、気品こそ溢れているが、はっきり言って嫌味に感じるのである。

「ああ。何しろ龍麻を狙う者は多いのでな。こっちとしては、やすやすと信用する訳にもいかない」

 醍醐もずい、と前に出る。その隣で小蒔が渋い顔をしているのも、醍醐が威圧するような声を出した原因だろう。小蒔は特に、相手を馬鹿にしたような態度を取る人間が嫌いなのだ。

「――やれやれ。そんな風に凄まれては、こちらとしても困るのですが。――村雨、あなたのせいですよ」

 鼻先でため息を一つ付き、真っ白な扇子で口元を隠して、御門はそっぽを向いて口笛を吹いている村雨に水を向けた。

「チェッ、ちょっとした運試しをさせてもらっただけだろうが。東京の命運を握る男の【力】…興味が湧いて当然だろう?」

「それが元で命を落としかけたのでは、いつもの悪い癖では済まされませんよ。わたしとしては厄介払いができると思ったのですがね」

 なんとも酷い言い草だが、村雨は「へっ」と笑って肩をすくめたきりであった。怒ったのでも呆れたのでもなく、むしろ楽しんでいる。

 だが、御門の言葉に反応した者が別にいた。

「うふふふふふふふふふふ〜。それじゃ〜あなたが〜、ひーちゃ〜んの銃に細工したのね〜」

 急速に膨れ上がる不穏な空気。裏密はいつもの笑いの中に静かな怒りをたたえ、御門の前に進み出た。ギョッとして京一と醍醐はスザッと道を開け、それを見ていた霧島が半泣きになる。

「ああ、あれの事ですか」

御門は扇子を口元に当てたまま、薄く笑った。

「わたしとしては銃などという無粋なものに関わるのは不本意極まりない事でしたが、なにぶん、村雨が傷付くと哀しむ人もおられるもので」

 次の瞬間、矢のように動いた人影があった。それも――二つ。

「き、如月クンッ! 壬生クンッ!?」

「な――ッ!? お前らッ!?」

 あのクールな如月と壬生が、御門に襲い掛かったのである。如月は御門の首筋に短刀を突き付け、壬生は必殺の蹴りを叩き込むもっとも理想的な位置を確保する。

「これは…何の真似ですか?」

 首筋に当たる冷たい金属の感触にも、御門の声には些かの動揺も見られなかった。尊大な口調にも変化はない。それこそ、骨の髄までこんな感じなのであろう。

「龍麻君の銃に細工をするという行為…。それがどういう事なのか、君は解っていないようだ」

 不発弾を売った…という疑いを掛けられたどころではない、如月の氷点下の声。座右の銘が【無】である彼らしからぬ、怒りに満ちた声である。

「龍麻にとっては銃も【力】も、ただの道具に過ぎない。だが同時にそれは、如法暗夜の道行きを照らす道標みちしるべ。――己の武器に対する信頼には、一点の染みも許されない。たとえ友の命を救う為とは言え、君の行為は容認できないね」

 何事か動きかけた村雨と芙蓉に対し、牽制の殺気を放つ壬生。あくまで牽制の為とは言え、龍麻と表裏をなす【陰】の龍の殺気。それは京一達でさえ骨がらみ縛り付けるほどに強かった。

「――落ち着け、三人とも」

 龍麻が静かに口を開いた。

不発ミスファイア装填不良ジャムも、戦場ではいくらでも起こり得る事だ。気にするな」

 今は、龍麻が狙われているという話を聞きに来たのだ。ここで御門を殺してしまっては何の意味もない。

「…ひーちゃ〜んがそう言うなら〜、別にいいけど〜。でもね〜…」

「――もう一つ、気に入らない事があるよ」

 ふと、壬生が殺気を緩めたので、京一がやっと口を開く。

「なんだよ? 気に入らねェコトって?」

「――こういう事さ。――如月さんッ」

 如月がすっと身を引いた瞬間、壬生の足が掻き消えた。

「ああッ!!」

 触れなば切り裂く壬生の【空牙】! 御門の首が切断されて宙を飛び――次の瞬間、胴体ごと、小さな紙切れとなって宙に舞った。

「なッ、なにッ!? ナニが起こったのッ!?」

 確かにそこに存在していた人間が紙切れと化す…そんな現象を目の当たりにして、小蒔は少々パニックに陥ったようだ。京一も醍醐も、事態の急変に頭が付いて行っていない。霧島とさやかに至っては、何がなにやら解らないようだ。

「今の御門君も…式神なの…?」

 葵だけは、驚愕しながらも答に辿り着いたようだ。ここで待っていた御門は、始めから身代わりの式神だったのである。

「――人を呼び出しておいて、会見の場に身代わりをよこすなんて、無礼にも程があると思うけどね」

 身代わりに作られた式神とて、決してただの紙切れという訳ではない。古典にある宇治拾遺物語によれば、大陰陽師安陪晴明は常に前鬼、後鬼という式神を従え、悪霊や【鬼】の調伏に使ったという。当然、術者の力量によって式神の力は計り知れないものがあるのだ。

 それをただ一撃で消滅させながら、壬生の声には得意げな調子の一欠けらもない。冷たく冴えた殺気は、村雨と芙蓉に向けられていた。

「――チッ、あの野郎。人には悪い癖とか何とか言ってやがった癖に、貧乏くじまで引かせやがる」

 拳武館ナンバーワンの暗殺者の殺気を浴び、村雨の頬に一筋の汗が流れる。

 その時――

「晴明! 祇孔! その方たちに手を出してはいけないと言ったでしょうッ!」

「マサキ…!」

 突然割り込んできた声に、一同がそちらを見やる。見れば車椅子に腰掛けた少年が必死の表情でこちらに向かってくる。すると芙蓉がさっと動いて車椅子を押しに行った。

 車椅子の身の上で、息せき切って駆けつけてきた少年は、龍麻の前に進み出た。

「このような格好のままで失礼します。僕は中央区、清蓮学院三年の秋月マサキと申します。御門と村雨の非礼は、彼らに代わって僕がお詫びいたします。どうか、拳をお納めいただけないでしょうか?」

「――紅葉」

 龍麻に声をかけられ、すっと殺気を打ち消す壬生。如月も村雨への関心は失ったようだ。しかし、裏密も含めて、警戒を解いてはいない。

「――緋勇龍麻だ。――そこのシャイな男は、無理に呼ばなくていい」

 秋月という少年に敬礼を返し、視線のみ傍らの桜の大木に向ける龍麻。するとそこから、先ほどの御門晴明が滲み出るように出現した。

「――別に私は、シャイな訳ではありませんが?」

「晴明!」

 龍麻にからかわれたと思ったのだろう、御門はやはり嫌味っぽい声で返したのだが、秋月の一喝で口を閉じた。

「秋月マサキ…。――あなたはひょっとして、あの、高校生画家の秋月マサキさん!?」

 葵が驚いたような声を上げ、さやかと霧島もあっと口を押さえた。

「…思い出した。アン子が言っていた天才画家とは、貴殿の事か」

「エエッ、この人がそうなの!?」

 葵以外に反応のあったさやかたちを振り返る小蒔。

「ええ。以前、一度だけお会いした事があります」

「僕も…驚きました…」

 へええ…と、京一も醍醐もまじまじと彼を見やる。

「アン子が騒ぐのも解る気がするな。こいつはとんだ色男だぜッ」

 美形揃いの【真神愚連隊】ではあるが、やや中性的な顔立ちの如月にしろ壬生にしろ、女性と間違われる事はない。だが秋月マサキの顔立ちは柔らかく細い線で整い、体付きも細いので女性と間違われても無理のない美少年であった。――アン子が【壊れた】のも理解できる。

「そんな事は…ありませんよ」

 照れると言うよりは、どこか寂しそうな笑みを浮かべる秋月。美形には美形なりの悩みがあるのだろう。

「それよりも、今回の一件は全て僕が言い出した事…。祇孔…村雨と御門が大変ご迷惑をおかけしました。重ねてお詫びいたします。本当に、申し訳ありません」

「貴殿は何もしていない。だが、詫びは受け入れよう。もう、気にすることはない」

 きっぱりと宣言する龍麻。すると裏密、如月、壬生も彼の後方に下がった。龍麻が彼の謝罪を受け入れたのならば、自分達が口出しする必要はないのだと。

「ありがとうございます。緋勇さんにそう言っていただけて、僕もほっとしました」

 本当にそうなのだろう。秋月が肩の力を抜くのが京一達にも解った。しかし…

「秋月様。村雨ごときのために、貴方が詫びる必要はありません。悪いのは全て、この男ですから」

 そう言って扇子の先で村雨を示す御門。どうやらこの男の尊大さは、仲間内でも変わらないらしい。

「へっ、シャイな晴明クンに言われたかないねェ」

「フフフ…」

「クックック…」

 まるっきり異なるタイプのため、それこそ取っ組み合いの喧嘩を始めてもおかしくない雰囲気なのに、二人ともこのやり取りを楽しんでいるとしか思えない。しかし、意外にも先に矛を納めたのは村雨であった。

「まあ良い。いろいろあったがこれで面子が揃ったんだ。そろそろ話を始めようじゃねェか」

「そうですね」

 実にあっさり、御門も同意する。そんな二人の様子に目を白黒させながら、小蒔が手を上げた。

「――その前に質問。村雨クンと御門クンは学校が同じだから百歩譲って顔見知りで良いけど、秋月クンとはどう関わってくるの? あと、芙蓉サンが式神だってひーちゃんたちが言ってたけど、その辺のトコ、教えて欲しいな」

「ああ、俺も知りてェな。芙蓉ちゃんだけじゃねェ。さっきの御門も紙切れになったって事は、あれも式神ってやつなんだろ? ――で、裏密みてェな登場したって事は、御門、お前が陰陽師って事だよな。イカサマヤローと陰陽師と画家――説明してくれなきゃ訳解らねェぜ」

 龍麻を始め、醍醐や葵、如月たちは、珍獣でも見るような目を京一と小蒔に向けた。この場でもっとも適切かつまともな質問をしたのがこの二人とは…と、まあ、失礼極まりない考えが浮かんでいたのだ。

「――イカサマヤローってところが気に入らねェが…芙蓉ちゃん!? 芙蓉ちゃんねェ。くくくっ、いいねぇ。俺もこれからそう呼ばせてもらうとするか」

 なにがおかしいのか、爆笑を必死で堪える村雨を、芙蓉は相変わらずの無表情で見ている。何を考えているのか、龍麻並に思考が読めない。

「村雨…程々にしておきなさい。お前がちゃんと説明しなかったために、要らぬ疑念を与えてしまったのですから」

 村雨が肩をすくめて黙るのを確認して、御門は一同に向き直った。

「では、改めまして順を追って説明いたしましょう。まず芙蓉は、いかにも緋勇さんたちが仰るように、人間ではありません。わたしが西の御棟梁、安陪様よりお預かりしている式神。鬼神、十二神将の一人です」

「鬼神…」

 京一達は改めて芙蓉を見やる。簡単に説明されてはいたものの、やはり見た目だけは人間の女性である。

「十二神将が一人、天后芙蓉にございます」

 主人たる御門の紹介に応え、優雅に頭を下げる芙蓉。態度は事務的だが、挙措は実に優雅だ。そこらの人間より、人間らしい。

「そして、申し遅れましたが、我が御門家は、代々、東方に散る陰陽師を束ねる東の頭領。わたしは八十八代当主に当たります」

「本物の陰陽師…という訳か」

 醍醐が顎に手をやる。他の者の反応もおおむね「ふ〜ん」という程度のものだ。

「…余り驚かれませんね。大抵の方は疑いの目を向けるものですが」

「生憎、俺たちゃ【大抵】の中にゃ含まれねェからなァ。仲間にこれだけ【濃い】のが揃ってると、ウル○ラ○ンに変身するとか、目からビームを出すとか、それくらいじゃなきゃインパクト薄いぜ」

「目からビーム…ですか。さすがにそれは無理ですね」

 言葉遣いは丁寧だが、その根底には「なにを下らぬ事を…」という言葉が見え隠れしている。それを感じたのか、小蒔とさやかが顔をしかめた。しかし――

「貴殿が芙蓉殿を使役している陰陽師であると言うならば、俺にも質問がある」

「ほう、なんでしょう?」

 あ…! と京一達の目が期待に輝いた。

「――彼女の服装は、貴殿の趣味か?」

「なっ…!?」

 御門が絶句する。クールで尊大な態度がガラガラと音を立てて崩れ去り、歳相応の表情が覗いた。それを見た村雨も秋月も目が点になる。――そのくらい場違いな質問であり、それによって引き起こされた現象であった。

「彼女には見覚えがある。芙蓉殿の額に宝石を付けさせて【晴明さん♥】と呼ばせたり、呼び出した時の返事は「きゃる〜〜〜ん」と言わせたりしているのではないか?」

「わ、わたしはそのような事などっ!」

 白い顔を紅潮させ、声を荒らげる御門。しかも、何か図星を刺されたようで【照れ】が入っているので、村雨と秋月の顔のディティールが壊れる。彼らにしても、こんな御門を見るのは初めてだったのだろう。

「では芙蓉殿に聞くとしよう。――貴殿とは夏コミで出会ったと記憶しているが、やはりかのコスプレも彼の趣味か?」

「――はい。かの服装も我が主より頂いた衣装にございます」

「なっ――!?」

 村雨と秋月に続き、遂に御門まで顔のディティールが崩れる。――無理もない。主に絶対服従が当然の式神が、陰陽師ですらない者の質問に勝手に応じたのだから。

「うむ。あの後で元ネタである漫画を拝見したが、貴殿とあの衣装は見事に調和していた。大変良いものを見せてもらったものだ」

「お褒めの言葉、かたじけのうございます」

 そして自分が奇跡を起こしたとは露知らぬ龍麻は、うろたえまくっている御門の手を取った。

「――同志」

「さ、触らないで下さいッ!」

 龍麻の手を払いのける御門であったが、一度崩れた態度は簡単には戻らない。龍麻の背後では京一と小蒔が「よっしゃ!」とガッツポーズをし、如月や壬生は苦笑している。これでこの場の主導権は龍麻に握られたようなものだ。

「――だが、どうやら龍麻を狙っている陰陽師というのは、あんたではないようだな」

 苦笑しつつ、醍醐がさりげなく話を戻す。主導権がこちらに移ってしまえば、御門がどれだけ嫌味な態度を取ろうと滑稽なだけだ。

「…もちろんですよ。あのような私怨でしか動けぬ者と一緒にされたのではたまりません」

「あれ? それじゃ、御門クンは犯人が誰だか知ってるんだ?」

 どうやら御門の中で、矛先は一連の事件の犯人に向いたようだ。そしてその言い回しは、明らかに犯人を知っている。

「関東以北に点在する陰陽師の動きは把握済みです。まして、ドーマンを好んで使うのは蘆屋道満殿の直系に当たる、阿師谷家の陰陽師親子とその一派でしょう。恐らく、全ては彼らの仕業」

「――なんでェ。だったら話は簡単じゃねェか。こっちから出向いてさくっとブチのめせば、それで一件落着だろ?」

 うんうんと頷く京一の隣で、霧島も同じようにコクコクと頷く。そんな様子を見て御門も少しは自分を取り戻したようだ。

「せっかちな人ですね。勿論それは事実ですし、そう気負わずとも、彼らごときにあなた方の相手が務まるとは到底思えません。そうではないですか、緋勇さん?」

「問題ない」

 即答する龍麻。葵たちは「おや?」と首を傾げる。自分の目で見て、確認したものだけが真実という彼らしくない発言だからだ。

「フッ。さすがに御自分の力量を弁えておられる。そう答えて頂ければ、訊いた私も気分が良い」

 満足げに笑う御門。しかし――

「当然だ。時代は【泣きゲー】とやらに移りつつあり、リ○フ系の作品も既に全攻略した俺だ。ただフラグだけ立ててシナリオを進めても味気ないものだからな、同志御門」

「――ッッ!!」

 多少の嫌味を言葉に込めた途端に、これである。少しでも優位に立とうとすると、たちまち煙に巻かれて引きずり落とされてしまう。陰陽師を束ねる当主だか棟梁だか知らないが、龍麻の前では御門もただの学生であったようだ。

「するとあなた方は、私たちにその事を忠告するために招いて下さった…そういう事ですね?」

 御門は龍麻に任せて、話を進める葵。応えたのは、先に我に返った村雨であった。秋月はまだ魂が抜けている。

「ま、まあ、そんなトコだな。俺は面倒臭かったんだが、マサキの奴が、早く教えに行ってやれってうるせェのなんの。前の騒ぎが解決したばっかりで俺もゆっくりしたかったし、第一こういう仕事は御門の役目だとばっかり思ってたんだがなァ」

「――おやおや、ではあれはわたしの見間違いでしたか。運試しに力試しの大勝負が楽しめると、勇んで飛び出していったのは、果たしてどこのどなたでしょうね?」

 再び、矛先を今度は村雨に向ける御門。小蒔などは「なんとなくヤダな―」という顔をしている。さやかは…芸能界にはこういう輩はいくらでもいるので気にしていない。とは言え、村雨も御門も笑っているので、険悪な仲でない事は解る。敢えて言うなら「○ムとジェ○―」のような関係なのだろう。

「――で、結局の所、ボクたちを呼んだのは秋月クンだったって事で良いんだね?」

「え!? ええ。そうですわ…って、いや! その通りです!」

 何か酷くうろたえた挙句、女の子のような口調になった秋月は慌てて咳払いをする。

「――そのために、この場所を御門に用意してもらいました。あなた方に迫る危機をお伝えする事が一つ。そしてもう一つは…この東京に迫る危機についてお話するために…」

 主導権争い等はここで終了。龍麻以下、表情を改める。ここからがいよいよ本題だ。龍麻が狙われる理由、そして、この東京に迫る危機…ふざけている場合ではない。

「こんな所まで呼び出して、無礼な事は承知しています。そして、これから話す事は決して愉快な話ではありません。ですが…どうか僕の話を聞いて下さい」

「――我々はそのためにここにいる」

 深々と頭を下げる秋月に対し、龍麻の態度は尊大とも言えた。しかし、包容力があり、信頼感溢れる声音だ。

「ありがとうございます。快く受け入れてくれた事、感謝します」

 もう一度頭を下げ、秋月は「こちらに」と、茶会でもたしなむような東屋の元へと一同を誘った。大きな池に張り出した東屋には、桜の代わりに睡蓮の香りが満ちている。

「まずは、僕の描いた絵を見ていただけますか? 未完成ではありますが、僕たちがあなた方を捜し当てられた理由、そしてこれからの事も、口で多くを語るよりも解って頂けるかと思います」

 秋月が目配せすると、いつの間にかどこかに行っていた芙蓉が、白い布のかぶった大きなキャンバスを持って来た。恭しく一同に頭を下げ、キャンバスを東屋の柱に立てかける。そして、布を取り去った。

『――ッッ!?』

 それを見て、息を呑まない者はいなかった。龍麻や如月、壬生でさえ例外ではなかった。

「こ、これは…!」

 なんという不思議な、しかし真に迫った絵であろうか。まず目に付くのは、暗雲に閉ざされた空一杯に広がる黄金の龍。そしてその背後には、どことなく都庁を思わせる二つの塔。シルエットのみの墓標に見えるのは、この東京のビル群か。

 しかし、今にも動き出しそうな龍の迫力以上に、驚くべきものが描かれていた。――黄金の龍に対峙する、龍麻以下、仲間達の姿であった。

「これ…ボクたち…!」

 絵とは思えないほど、リアルに描かれた自分達の姿。写真と言われても過言ではない…どころか、これほどの生気に溢れた像を、カメラごときで写せる筈もない。

「黄龍…だね」

 如月がかすれたような声を出す。彼は【四神】の一翼を担う者だ。それが従うべきものの名、それが――黄龍。だが、それと自分達が対峙する絵とは。

「これが、僕に芽生えた【力】なのでしょう」

「まさか…未来を描く【力】…?」

 半ば呆然と、葵は秋月に視線を移す。彼女は龍山に風水を習っている。そのため如月と同様、この絵の暗示しているものがわかるのだ。

「…その通りです。僕は…と言うより、秋月家は代々、生まれながらにして、星の軌道とそれに纏わる人の【宿星】を視る【力】があります。【宿星】とは、人がそれぞれに生まれ持った星の定め…【天命】とも呼べるものです。――僕は、ずっと探していました。この東京を護る宿命を背負ったあなた方を。そして、待っていました。僕の宿命…あなた方に、未来を伝えるという使命を果たすこの時を…」

 皆、一様に声が出ない。確かに鬼やらなんやら、異形の者と戦ってきた龍麻たち【真神愚連隊】だが、絵の縮尺を考えるならば、黄龍の全長は何百メートルか? 今まで闘ってきた中で最大のものは、京都の山中で戦った大百足――ジル・ド・レエ伯爵の第一次形態でも五〇メートルほどしかなかった。

「――待ってください。すると私たちが、黄龍と対峙するという事ですか? そもそも黄龍とは、大地の力そのものなのではないですか?」

「ほう――これはこれは…」

 感心したような声に嫌味な口調が混じる。――御門だ。

「少しは万物の理というものをご存知のようですね。――緋勇さんはいかがですか? このような話にご興味がおありですか?」

「基本知識だ」

 やはり、たった一言で切り返す龍麻。広げた扇子の陰で、御門は少し唇を尖らせた。

「それは結構。わたしも余計な労力を使わずに済みそうですよ」

 どうしても主導権を握らせてもらえない事に、御門は不満そうである。ただ、その不満や嫌味な態度には、どこか裏があるように感じられた。それに気付いたのは龍麻と葵、あとはさやかくらいである。

「御門。ここから先は陰陽道と風水に関わる話。僕よりも、あなたから説明してもらった方が良いでしょう」

「御意」

 秋月に一礼し、御門は一同に…と言うより、龍麻に向き直った。

「これからの話はやや専門的な事で理解しがたいかも知れませんが、それでもお話しなければならないでしょう。まず一点――この東京のどこかに隠された【龍命の塔】の話から――」

 その時ふと、裏密が空を振り仰いだのだが、当の彼女にしても、何を感じたのか解らずじまいであった。









「【龍命の塔】…その名が示す通り、龍の命が宿る塔という意味です。龍とはすなわち、龍脈の【力】が吹き出る龍穴。そして塔とは、風水では木性の性質を備え、木が土中から養分を吸い上げるという理のごとく、龍脈の【力】を吸い上げる水竜器ポンプとも言える装置です。二つの塔が強力な音叉効果を生み、増幅させた龍脈の【力】を強制的にある一点に向けて照射する…。その意味はを収めた者が永劫の富と栄誉を手にするという、風水の一般的解釈からも推察できるでしょう」

 そこで一旦、御門は言葉を切った。京一や小蒔、霧島やさやかには難解極まりない話だったらしい。

「二つの塔…都庁が何か関係あるのか?」

 龍麻が問う。すると、初めて御門が感嘆を目の色に乗せた。

「いかにも。――新宿に立てられた新東京都庁舎。かのデザインが決定したのは昭和六十一年の事ですが、その前年、とある古い設計図が発見、解読されました。それこそが大正時代、当時の軍幹部達が中国、台湾などから高名な風水師を招聘し、極秘の内に研究された、【龍命の塔】の設計図だったのです」

 なるほど…と、龍麻の中で謎のピースが一つ、組み合わさった。それはかつて、織部神社で聞かされた当時の陸軍大将、乃木希典の言葉だ。



 ――もうすぐ【塔】が完成する。その【塔】が地上に姿を見せた時、わが帝の国は変わるであろう――



 それを思い出した途端、ゾクリ! と悪寒めいたものが龍麻の背筋を走りぬけた。

 ――身体が熱い。血が震える。【それ】を認めた瞬間、何かが自分の身体の中で蠢き出す。V−MAXを起動した時のような、とてつもない高揚館が腹の底から湧き上がり――

「…すると、都庁がその【龍命の塔】という事なのか?」

 醍醐の声で我に返る龍麻。彼の前髪に隠された目が、金色の光を噴いていた事に気付いた者はいなかった。

「いえ、都庁そのものはあくまで【龍命の塔】を模倣したものに過ぎません。しかしながら都庁のデザインには現代の風水師も関わりましたから、現在の都庁も国の更なる繁栄と発展を願って設計された事に間違いはありません」

「そうですか…。確かに台湾や香港には、風水を基にデザインされた建物がたくさんありますものね」

「その通りです」

 心なしか、御門の態度が柔らかいものになっている。自分の説明がきちんと理解されている事で気を良くしたのだろう。

「しっかし…妙な話になってきやがったなァ。鬼が片付いたと思ったら、今度は龍かよ…」

 京一が話の腰を折る形となったが、御門は気にしていないようだ。むしろ、同意しているようですらある。

「う〜ん…難しい事は良くわかんないけど、ねえ、秋月クン。都庁は違うって言ったけど、それじゃ本物の【龍命の塔】って、今もこの東京のどこかに眠ってるの?」

 解らないと言いつつ、ズバリと話の核心を突く小蒔。秋月は深く頷いた。

「そうです。そして僕の描いた黄龍の顕現は、何者かの手により龍脈の【力】が開放される事を示しているのです。勿論、そのような事をする理由はただ一つ…」

 秋月の言葉を、御門が引き継ぐ。

「龍脈の【力】を手中に収めること。そのために、陰で暗躍している者は世を乱し、人心を乱し、龍脈を刺激し、この東京に眠る【龍命の塔】の起動を画策しているのでしょう。そして、龍脈の力を手中に収めた暁には…」

 その先は、陰陽師の御門をして言い難い事であろう。それは、恐るべき未来だ。

「絶大な力を、一人の人間が掌握する…これが何を意味するのか、先生なら嫌過ぎるほど解るだろ?」

 秋月、御門、村雨、芙蓉の目が龍麻一人に注がれる。  龍麻の口が動いた。いつものように、簡潔に。

「…愚行の極みだな」

 たった一言。秋月家の【力】によって予言された未来、突きつけられた現実を、緋勇龍麻はその一言のみで切り捨てた。

「まったく…その通りです」

 ややあって発せられた御門の声には、先程までとは違って真摯さが込められていた。

「この地上に…いいえ。地球という一個の巨大な生命圏の未来を左右しかねないほどの【力】を、ただ一人の人間が掌握するなどあってはならぬことです。それがたとえ、人類という【種】のみに限定されていたとしても、一人の人間が歴史を造り変える等、許される筈もない禁忌。――本来歴史の変革は【魔星】の出現と、龍脈に選ばれし時代の棟梁のみが行える神の所業です」

 パチリ、と扇子を閉じる御門。もはや余計な腹の探り合いなど無用な段階に入ったのだ。恐るべき秘密、悪夢のような未来を知る者同士として。

「【魔星】…またの名を【蚩尤旗しゅうき】と呼ばれる、謎の彗星。陰陽道においては、これを天変を起こす魔星と見ます。その魔星が争乱を象徴する【いぬい】の方角に出現したのが一九九七年十二月。一九九八年は暗黒を意味する【かん】の方角に留まるでしょう。そして一九九九年――魔星は最悪の方角――【ごん】の方角に入ると思われます。そう…これらは全て、今こそが時代の変革の時、龍脈の活性化を告げる現象。そもそも【蚩尤旗】は、その地に生を受けた万物の栄枯盛衰と渦巻く欲望を受け、その呼び声に応えて出現するという伝承があります。人心乱れ、欲望のみ増長させてしまったこの東京。そこに更なる混乱を招き、昇華する龍脈の【力】を得ようと暗躍を続けている者がいます。あなた方のこれまでの戦いにも、恐らくその者の影があったのでしょう」

 龍麻には、いや、【真神愚連隊】の面々には、思い出にしまいこむには早すぎる名前が浮かんでいる。九角天童…鬼道衆…そして、菩薩眼…。

「すると…九角が言い残した【真の恐怖】って…」

「ああ。まさにこの事を指すのだろうな。あの男は、俺たちに忠告を残して逝ったのだから」

 逝ってはいない。彼は、再びこの世に甦っている。全ての事件の背後に、何者かが暗躍している事も龍麻は既に知っている。だが、その何者かの情報を、九角は話そうとはしない。あの縁日の晩以来、何度か極秘裏に彼のもとを訪れた龍麻だが、九角はいつも【まだ早い】と言って【敵】の正体を告げようとはしなかった。龍麻自身も、積極的に聞いた訳ではないが。

「でも…鬼道衆は壊滅したのだから、以前のような手は使えない訳よね? すると九角さんを甦らせたのも、帯脇君や火怒呂君を唆したのも、拳武館に龍麻の暗殺を依頼したのも…全てその【誰か】っていう事になるのかしら…?」

「そうなるな。――で、俺たちはいずれそいつと戦う事になる…と。それが、あんたの描いた未来って訳か」

 無言の龍麻をチラ、と見て、京一は言った。彼には、龍麻が言うべき言葉が既に解っていた。

「はい…。その何者かの陰謀を阻止し、龍脈の暴走を止める事…。緋勇さん、これはあなた方、龍脈の【力】を受けた者にしかできない事なのです。時代の変革という動乱を乗り越え、再び調和を取り戻すべく選ばれし者。それが【神威】の使命。解って…いただけましたか?」

 再び、龍麻一人に集中する視線。

「…いつもと同じだ。何も変わらん」

 またしても、たった一言で済ませる龍麻。唖然とする秋月たちを尻目に、彼ならそう言うと解っていた京一も醍醐もにやりと笑う。

「…そんなにあっさり返されると、我々としては簡単に信頼できないのですが?」

 御門が言うと、京一が手をひらひらさせながら応えた。

「そいつはこっちだって同じさ。【お前らなら世界を救える、一丁頼むよ】――これで、はいそうですかって答える奴がどこにいるよ? だが少なくとも、俺たちはこの戦いを自分で選んだ。俺たちは、俺たちの住むこの街が好きだからさ。そこに住んでいる連中、嫌味な教師も、行きつけのラーメン屋の親父さんも、声をかけてもなびかないオネーチャンたちも、全部ひっくるめて、俺たちが好きな街の一部だ。だから護る。だから、闘う。【神威】の使命がどうとか、【宿星】がどうとか、俺たちにははっきり言って関係ねェ。【そこ】で役立つ【力】があるから、【そこ】で戦う事を選んだだけなのさ。――誰だって同じだろうが。ラーメン一杯食えるんだって、それを作ってくれる親父さんがいて、小麦粉だの卵だのを作ってくれる人がいて、それを運ぶ人がいて、蛇口を捻れば水が出るように、スイッチ入れりゃ電気が点くように、ガス台に火が点くように、どこかで誰かが大勢で、その為の仕事をしてくれてるからだろ。そういうのも全部ひっくるめて、街を護ってるって言わねェか? 街が丸ごと停電したら大事だ。それを直すのは電気屋さんに、壊した奴がただの人間だったら警察に任せるが、それをやったのが変な【力】を持っていたり化け物だったりした時は俺達の出番だ。だから――いつもと同じさ」

「……!」

 【これ】を語るのに、自分達はどれほどの覚悟を必要としただろうか? しかし、緋勇龍麻、【真神愚連隊】の面々は、この恐るべき事態を、来るべき戦乱の予兆を、まったく重いものとは捉えていない。仕掛けられたら、仕掛けようとするならば、闘う。そして勝つ――彼らはそれを【いつもと同じ】と言い切れるのだ。他人に命令されるのでも、宿命に従うのでもなく、全てを自分の意志で決定してきたと言い切れるからこその、この言葉だ。

 世界の理を研究する陰陽師である御門にとって、こんな言葉は幻想だ。人は、自分達の知覚できない、何か巨大な意思によって動かされている傀儡に過ぎない。自由意志こそ幻想で、それを自分の意志だと【錯覚】させているに過ぎない。

 だが、今の御門には、彼らの言葉を否定できなかった。たとえこの場で世の真理を語ろうとも「ヘェ〜ッ」と軽く返されてしまいそうな気がするのだ。人の一生とは、あらかじめ決められたレールの上を行くようなもの――それを言ったら、彼らは怒るよりも呆れるよりも、笑い出しそうな気がする。「そんな事言ったら、人生つまらないよ」と。

「やはりあなたは…僕が思っていた通りの人だ…。緋勇さん…あなたになら…安心してこの地を任せられる…!」

 秋月は感動したように、声を震わせながら言った。龍麻は【過度の期待は困る】とでも言いたげだったが、その前に秋月は柔らかな笑みを浮かべた。

「それから、皆さんをお呼び立てしたのには、もう一つ理由があります。御門、あれをここへ」

「御意…」

 優雅に一礼し、御門は一旦、屋敷へと消えた。しばらくして、大分古めかしい桐箱を携えて戻ってくる。

「これは、我が秋月家に代々伝わるものです。こんな時にこそ役立つでしょうから、どうかお持ちになってください」

 差し出された桐箱を受け取り、蓋を開ける龍麻。その瞬間、ふわっと清浄な【気】が箱を覗き込んだ者たちの面頬を打った。

 それは、光り輝く衣装であった。金糸銀糸をふんだんに使い、布地そのものにも光沢が波打つような、豪華絢爛な衣装である。しかし、それは単なる着物ではない。明らかに【力】を有する遺物だ。

「【八卦紫綬仙衣はっけしじゅせんい】…だね。これは」

 如月には、衣装の正体がすぐに解ったようだ。かの中国の古典【封神演義】において、元始天尊の弟子である赤精子せきせいしが身に付けていたとされる衣装である。それは着用者を襲うあらゆる障害を跳ね除けるという。

 だが、龍麻は――

「…沢田○二のステージ衣装のようだ」

 そのものの価値の高さを知っている如月がガクッとコケる。御門も、村雨もだ。秋月は楽しそうに笑い、次の瞬間、笑い声が自分のものだけではないと気付いて愕然と振り返った。

「…失礼しました」

 少々ばつが悪そうに、芙蓉が口元を押さえる。既に彼女は無感情、無表情に戻っていたが、しかし、京一達は見た。龍麻がボケた瞬間、芙蓉がこの上なく良い顔でにこりと笑うのを。

「ヘェ〜ッ。思った通り、芙蓉サンの笑顔って凄く綺麗だな〜ッ」

「…お目汚しを」

 無表情に言う芙蓉であったが、小蒔はニコニコしながら彼女を見ている。式神とか何とか言われても彼女には芙蓉が普通の女性に見えているのだ。京一達にしても同様である。

「なあ、御門。芙蓉は先生に会った事があるのか?」

「…なぜわたしに聞くのです? そんな事、わたしに判る筈がありませんよ」

 芙蓉が笑顔を見せた事に驚いているのは、むしろ御門たちである。別に差別意識を持っている訳ではないが、基本的に無感情なのが式神という存在なのだから。

「…せっかくの厚意だが、これは受け取れん。何分、戦いに際して目立ちすぎる」

「え!? ええ、そのままでは確かに目立ちすぎますね。ですがサイズさえ合わせていただければ、当方で改良を加えさせていただきます。どうぞ、お役立て下さい」

 うむ…と、龍麻は少し考え、

「ならば、ありがたく使わせていただく。しかし、一つ疑問があるのだが、よろしいか?」

「――なんなりと」

 龍麻の雰囲気が少し固くなった事に気付き、一同は態度を改める。ボケの後は真面目な話――龍麻のいまだ謎多き性癖だ。

「この東京には、いまだ我々と接触していない【神威】もいると予測できる。もっと単純に、我々より強い者も世界を見渡せばいくらでもいる筈だ。IFAFのストライダー、バチカンの第一三局、この日本にも高野聖の対妖魔殲滅機関がある中で、なぜ基本的にはボランティアである我々にこの事実を伝えたのだろうか?」

「それは…」

 秋月が言いよどむ。それは極めて重要な事のようであった。

 御門が代わって、前に進み出た。

「それは、あなたこそが最強の存在だからです」

「最強の存在?」

 最強の【男】ではなく、【存在】と言った。その微妙な言い回しに、龍麻の心臓がドクン! と鳴る。またしても、血が滾り始める。

「わたしたちはまだ、それを口にする事ができません。しかし、あなたは気付いておられるでしょう。そう…あなたがV―MAXと呼称している【力】の事です」

「……!」

 やはり、【そう】なのか。やはり、あの【力】なのか。

「どうかお怒りにならず聞いて下さい。かつて沖縄嘉手納基地を消滅させたのは燃料気化爆弾にあらず、あなたに秘められし【力】。あれは、【神威】の【力】などではありません。もっと異質で、強大なものの【力】なのです」

 一つ一つ、慎重に言葉を選んでいるかのような御門。【それ】を口にした瞬間、何もかもが破壊されるとでも言うような、独特の緊張感がある。

「先程絵を見ていただいた通り、僕には、その人が背負っている【天命】が視えます。緋勇さん…あなたの中に流れる血――血脈の真に意味するところも。全ての事象が…あなたを中心としている事も…」

「……」

 龍麻は無言である。相変わらず、表情から思考が読めない。しかし真剣に耳を傾けている。

「刻は満ちつつあります。しかし、【それ】を語るのは僕の役目ではありません。白蛾翁――龍山老師の元に行かれると良いでしょう」

「龍山先生?」

 突然、知った名前が出てきた事に、つい口を挟んでしまう醍醐。しかし、衝撃的な発言はそのすぐ後に続いた。

「そうです…。今から十数年前、あのお方は、今のあなた方と同様、龍脈を巡る戦いの渦中におられたのです」

「せッ、先生が――ッ!?」

 龍麻自身は、薄々感づいていた事なので驚かない。今まで何かと助言し、宿敵であった九角を匿い、いまだ何も語らぬが、何かを知っている素振り。そして、かなり前の事になるが、彼はこうも言っていた。



 ――お主に話しておきたいことがある――



 鬼道衆との戦いが激化し、それ以来、龍山はその一件に触れる事はなく、龍麻自身も自分の出生に興味はなかったので、今まで聞かないでいた。だが、秋月はそれがさも重要な事であるかのように言う。

「だから…だからおじいちゃんは、ボクたちの事をあんなに気遣ってくれてたんだね」

「――でもよォ、なんでジジイはその事を黙っていたんだろうな? ――あン? どうしたんだァ、ひーちゃん?」

 龍麻は無意識の内に自分の手を見つめ、拳を作ったり開いたりしていた。まるで自分の身体が、自分の思い通り動くかどうか確かめるように。

「いや、問題ない」

 いつもの口調で、龍麻は言った。そんな龍麻を、葵とさやかが少し心配そうに見つめる。彼は自分の不安や恐れを口に出さない。それは仲間達を信頼していないのではなく、まず自己処理してしまうためなのだが…。

「龍麻君…」

 なぜこの場で【その事】を秋月たちが告げられないのか知っている如月は、少々心配そうに眉をひそめたが、龍麻は「大丈夫だ」と言うように手を軽く上げた。

「――今後の我々は、龍脈の【力】を奪おうとする者と矛を交える事になる。それで良いのだな? ならばまず、龍山老師に会わねばなるまい」

 それがどれほど辛い戦いになるか、予測できぬ彼ではないだろうに、龍麻の口調には些かの緊張もない。鬼道衆との戦いこそ前哨戦――そう考えたのは最近の事ではない。龍麻はかなり以前から、鬼道衆の背後にいるものの影を察知していたのだ。そいつがいよいよ表舞台へと引きずり出されてきただけの事である。

 それが解っているからこそ、【真神愚連隊】の面々には、気負いも焦りも生じなかった。

「それじゃ早速、おじいちゃんの所に行ってみようか」

「そうだな。情報は多いに越した事はない」

 仲間達がそんな事を話し合っている内に、龍麻は芙蓉によって【八卦紫綬仙衣】の寸法合わせを行った。

 それを眺めながら、秋月は少し寂しげに言う。

「わざわざお呼び立てしておきながら、最も肝心な事は伝えられずじまい。可能なら、僕も皆さんのお手伝いをしたいのですが、この足では文字通り足手まといになってしまいます。僕はこの結界の中で、皆さんの健闘を祈る事しかできない…。なんとも…歯痒いです」

「気に病むことはない。貴殿の情報は今後の我々の指標ともなる非常に重要なものだ。感謝する」

 そう言って龍麻はきりっと敬礼する。

 奇怪な笑い声が聞こえてきたのは、まさにその時であった。

















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