
第壱拾七話 魔獣行 後編 3
なるべく人目に付かないところ…とは考えたものの、結局一同は南池袋公園に戻ってきてしまった。
天野をベンチに横たわらせ、京一たちはまず龍麻に謝った。
「悪ィ、ひーちゃん。散々警告されてたってのに、相手を甘く見過ぎてたぜ」
「ああ。鬼道衆との決戦からそれほど時間が経っている訳でもないのに、これほど緊張感が緩んでいるとは思わなかった。反省…してもしきれん。――済まん」
「ゴメンね。ひーちゃん…」
「いつのまにか平和に浸りきって…本当にごめんなさい」
「申し訳ありませんッ、龍麻先輩!」
さやかはあの時命令を守ったので、その輪の中に入っていない。龍麻の危機に際して京一たちを解放した件についてはもう懲罰を受けている事であるし。しかし彼らが心底申し訳なさそうなので、さやかもちょっと胸が痛む。――新参者の自分が命令を忠実に守った事が、余計に彼らの心に負担をかけているのではないかと思ったのだ。
「もう良い」
龍麻は言った。いつもの声で。思わずほっとする一同であったが、次の言葉にはさすがに驚かされた。
「むしろ、安心した」
「あ、安心って…なんで?」
龍麻は深くベンチに腰掛け、大きく息を吐き出した。
「…俺が初めて人を殺したのは、七歳の時だ」
「――ッッ!」
龍麻を酷く冷たい雰囲気が覆っていた。時々、彼が壮絶な体験談を語る時、こんな雰囲気を放っていたなと、付き合いの長い京一たちは思い当たった。
「その男は顔に袋をかけられ、処刑台の棒に括り付けられてもがいていた。階級章も部隊章も剥ぎ取られていたが、まだ若い、海兵隊員だと判った」
「……」
「少佐が言った。【この者はアメリカ軍人である誇りを忘れ、規律を乱し、同盟国の一般市民を暴行した。これはこの者の個人的な犯罪に留まらず、我々海兵隊全員の名誉と、ひいては祖国アメリカをも汚す重大な犯罪である。よって我々は、我々自身の手を以ってこの者を処刑する】と。――握ったルガーは冷たく、重かった。訓練で散々撃ち慣らした銃だ。威力も知っている。だが、本当に人を殺せる事を、その時までは知らなかった」
それはそうだろう。自身も銃撃を受けた経験者とは言え、七歳の子供が銃の恐ろしさを理解しているなど。
「酷く気分が悪かった。吐いた奴もいたが、教官に殴られた。――全員がだ。それを皮切りに、俺たちは次々と暗殺任務をこなして行った。一〇人も殺す頃になると、もはや何も感じなくなった。不安も、恐れも、怒りも…。だが、たった一つだけ消えないものがあった」
不意に龍麻が顔を上げたので、一同は緊張する。彼は何か、恐ろしい事を言おうとしている。
「――それは、【面白い】という感情だった」
「――ッッ!!」
龍麻の壮絶な体験談に驚くのはいつもの事だ。どれ一つ取っても現代日本の高校生には計り知れない世界の出来事なのだから。だが、今回のは極め付けであった。
「感情抑制処置を受ける前の事だ。その頃には既に俺達は訓練の一環として小規模なゲリラやテロ組織を襲った。――俺達の訓練では全て実弾が使用されたが、明確に殺意を向けてくる相手と戦うのは俺達にとっても恐怖だった。正規部隊の内三二名が、標的部隊の内八七名がその【訓練】で命を落とした。絶え間ない、腸がよじれるような緊張。どこから飛んでくるか解らぬ弾丸の恐怖。そして殺意の塊となって襲い掛かってくるナイフが急所を掠めていく戦慄。――そして次第に…誰もが覚え始めた。相手を殺し、そこから解放される瞬間に走る、たまらない快感を」
それは殺しという美酒。殺戮という麻薬。
「俺は酔い痴れた。身に付けた技術と力を思う様使える歓喜に。絶え間ない恐怖と緊張、そして敵を殺し自分が生き残る事への快感に。遂には…誰もが我先に【敵】のもとに突入するほどにな」
半年以上も一緒に死線を潜り抜けてきた京一たちでも、その時の龍麻の感情を推し量る事はできなかった。佐久間を殺し、酷い自己嫌悪に陥った事もある醍醐にしても。さやかと霧島には、龍麻が何を言っているのかさえ理解できない。
「【上】の連中は、それを待っていた。大方の連中が殺しの美酒を覚えた時、俺達には感情抑制処置が施された。――獲物のもとに放たれた時、忠実に獲物を狩り殺す殺戮妖精として目覚めるように。そして…」
束の間、龍麻は口ごもった。それを口にする事への恐れ、怯えによる逡巡だと、葵達には解かった。彼が口にする前に、彼が言おうとしている事も。
「…最後の仕上げに俺達は、仲間同士で殺し合った」
「〜〜〜〜ッッ!」
クラッとよろめいたのは、霧島であった。京一の猛特訓を受けた身として、霧島には龍麻の所属する世界がおぼろげながら理解できている。だからこそ、意識が跳びそうになるほどの戦慄を覚えたのだ。幸いと言うべきか、さやかは言葉として理解できただけで、その世界を想い描く事が出来なかった。そして真神の一同は、衝撃をしっかりと受け止める。歯を食いしばり、拳をしっかりと固めて。
「とてつもない、恐怖と恍惚の時間だった。命令は武装した特定目標の【索敵し、殲滅せよ】。プロジェクト内部の裏切り者を全力を以って殲滅せよと言うものだった。実際には、既に選出されていた正規メンバーを交えた部隊との紅白戦だ。誰もが己と同等の能力を持つ者たちとの戦いに酔い痴れ、歓喜の中で死んでいった。俺の所属部隊は作戦開始後一三〇時間で全滅し、正規メンバーの部隊も彼等のみ残して壊滅した。そして俺は――腕に仕込まれていた探知機を抉り出し、それに引かれて終結した正規メンバーを襲い、ナンバー9を殺した。しかし残りのメンバーのナイフが突き付けられ、歓喜に満たされたまま死ねるところで、作戦終了が告げられた。その日から、俺がナンバー9だと」
「……」
「――今日、その時の記憶が蘇った。無感動で無関心な人々と、獣になりたがる人間…。そしてあの【憑き物】を見た時、俺は殺したくてウズウズしていた。平穏を望みながら、闘いを、殺戮の愉悦を求めている事に気が付いた。人々を護るべき価値のないものと断じ、【憑き物】を俺が愉しむに値するものとして。もしお前たちが逆らわなければ、俺は【その時の俺】に戻っていただろう。…お陰で、助かった」
「そんな事…ねェよ…」
京一がポツリ、と呟くように応えたが、皆、龍麻の背負ったものの重さを知って押し黙るしかなかった。葵と小蒔に至っては、あの京都での夜、深夜の露天風呂で聞いた言葉を思い出し、身を貫く戦慄にぶるっと震えた。
――完全な機械でなければ押さえ込めないような、修羅のような自分と出会うかも知れません――
龍麻の心を読んだ如月舞の言葉は、正にこの事を指していたのだろう。殺戮機械として育てられた彼には、もう一つ、殺人者として育てられた顔があった。彼の人間部分が成長する事で、殺戮機械・ナンバー9のプログラムは人間・緋勇龍麻を自己に必須の存在として認め、表面上は姿を消した。だがそのプログラムは同時に、殺人者としての顔を制御するものでもあったのだ。プログラムがその存在を秘せば、当然のように殺戮の愉悦を覚えた殺人者が顔を出す。それに立ち向かうのは、この一年ほどの間に育てた【今】の人間部分しかない。
「同時にお前たちに関しても、闘いを求めるような人間になっていないと知って安心した」
ふと、龍麻の口調が元に戻る。しかし京一も醍醐も耳が痛い。この数ヶ月の鬼道衆との激戦を潜り抜けてきた彼らは、少なからず平穏を退屈だと感じる気持ちがあったのだ。だから修行を欠かさなかったし、旧校舎通いも止めなかったのである。そして新たな【敵】が現れた事で、闘志が奮い立ってしまった事は否めない。
「大変…なんですね。闘うという事は…」
「そうだ。大変且つ困難な事だ。しかし、誰かがやらなければならない事であるし、我々にはそれを実行するだけの【力】もある。せめて、【力】絡みで悪事を働くものは止めねばなるまい」
「ああ…。そうだなッ」
京一が肯くと同時に、彼らの雰囲気が一変する。かつて鬼道衆と戦っていた時の、凛とした顔つきになる。胸を張って、【守るべき闘い】に身を投じていた時の。人類を護るべくして散っていった戦士たちの想いを受け継いだ者としての。それを目にしたさやかと霧島は、その姿に不思議な感動を覚えた。
「うう…ん…」
折り良く、目覚めを待ちわびていた人物が呻き声を発した。
「う…ん…! はあはあ…ここ…は…?」
嫌な夢から覚めた気分だろう。天野は身を起こし、生温い汗を拭ってから、初めて龍麻たちの存在に気が付いた。
「龍麻君…みんな…!? どうして…」
「天野殿。【どうしてウチにいるの?】と言ったら京一が伝染したと見なします」
「エエッ!? ちょっと待ってよ!」
たった今、この瞬間までの重厚な雰囲気は何だったのか、彼ら一同の知る【普段】の龍麻に戻った途端、これである。全員が盛大にコケた。
「ひーちゃん! 誰もが忘れてるようなネタを使うんじゃねェ!」
木刀にすがりながら声を張り上げる京一。天野はと言えば、今となっては懐かしい当時の小蒔と同じく、必死に記憶を辿っている。やはり【京一と同じ】なのは嫌らしい。
「ええと…私…池袋の事件を追っていて…!」
「天野殿。落ち着いてください。貴方は正常です。貴方に憑いていた事件の黒幕は離れています」
「黒幕…? そう…そうよ! 私、あの男に会って…あの男、私を利用してやるって言ったのよ!」
それから天野は、改めて龍麻の無残な姿を見て息を呑んだ。傷は既に塞がっているが、さすがに服まではそうは行かないのだ。彼の制服もコートも所々が切り裂かれ、焼け焦げている。彼が手酷くやられたところなど見た事のない天野だ。驚くと同時に、酷い後悔の念に苛まされるのも無理はない。
「その傷…ひょっとして私のせいで…?」
「油断から来たちょっとした戦闘負傷です」
龍麻はこういう時、誰もが見抜けるような嘘を付く。他の人間にこれをやられると露骨に庇われているようで却って罪悪感が増しそうだが、彼の場合は本気で言っているので、救われた気分になれる。彼が【気にするな】と言ったら、素直に甘えた方が良いのである。
それでもそれなりに付き合いの長い天野の事である。
「御免なさいね。また迷惑かけちゃったみたいで」
「それはもう結構。――ところで【あの男】とおっしゃいましたが、憑依師と接触したのですか?」
龍麻の口調に、改めて【フリールポライター・天野絵梨】から【情報将校殿】に変わる天野。彼にとって事件を調査し、記事を書く事はビジネスだが、龍麻たちに情報を提供する事は、この東京を護りたいという彼女なりの闘いなのである。
「そう…もうそこまで知っているのね。本当に貴方には驚かされるわ」
「頼りになる仲間が多いものでして。――それなりの代価を求められますが」
「アン子ちゃんね。ホント、あの子の情報収集力には私も舌を巻くわ。助手に欲しいくらいよ」
確かに、どこから情報を得るのか知らないが、アン子が龍麻のところに持ち込むのは必ず裏の取れた情報である。天野の感心ぶりは龍麻にも良く解る。
「うわあ、アン子が聞いたら泣いて喜びそう」
「…泣くとは思えんな。――こう、拳を振り上げてガッツポーズをするだろう。それはさて置き、その憑依師の正体はご存知ですか?」
ちょっと待ってと言い、慌ててハンドバッグの中身を探る天野。その中には彼女愛用の手帳の他、龍麻から渡されたクロスマン・ガスピストルが入っているのだ。見た目は安物のエア・ガンだが、炭酸ガスをパワーソースに金属の弾丸を使用する【本物】の銃である。ただ彼女のそれに込められているのは、【裏・如月骨董店】特製の麻痺弾だ。【麻沸散】使用の弾丸は生体へのダメージゼロでいながら、人間も猛獣も魔物も一時的に無力化しうる。これなら護身用として申し分ないのだが、今回はこれを使う暇もなかった。
幸い、バッグの中身は無事だ。そして彼女自身にも、やつれている以外は特に身体の異常はない。手帳を開き、読み上げる。
「ええと…。豊島区、狗狸沼(高校三年、火怒呂(丑光(」
「「「「「「「………………」」」」」」」
誰からともなく、龍麻たちは顔を見合わせた。
「なんかさ…高校もその人も、怪しさ満点の名前だね」
「何か…ぐれてくださいと言っているような感じだわ」
「なんつーか、悪役にしか許されない名前だよな」
「うむ。親の顔が見てみたい」
「こういう人、現実にいたら恐いですよねッ。――って、現実にいるのかな…」
「なんだか、刺激的な単語を並べただけみたいですよね」
「うむ。恐らく煮詰まっていたのだろう」
最後の龍麻の台詞には全員「誰が?」と突っ込みたかったのだが、敢えて触れるまいと皆黙っていた。
「憑依師というのは、陰陽道や呪禁道から霊を操る術を切り取り、特化したものよ。そして憑依師はそれらの霊を使ってあらゆる非合法活動…破壊工作や暗殺などに従事したと言うわ。そして火怒呂というのは、特に一部の憑依師が好んで名乗った姓。それが歴史の陰で受け継がれ、いつしか一族の名として定着したものよ。そしてそこまで調べが付いた時、彼の方から接触してきたのよ」
その時の事を思い出したのか、天野はぶるっと身を震わせた。龍麻たちと関わるようになってから様々な猟奇事件を見てきた彼女だが、そんな彼女に寒気を抱かせるような相手だったという事か。
「何というか…酷い妄想狂も良いところね。この世の全ての人間に獣の霊を取り憑かせて、その獣の王国の王として君臨してやるんだって言っていたわ」
「なんだそりゃあ? そんなに動物好きなら、ムツ○ロウさんのトコにでも就職しろってんだ」
「あそこに就職するには獣医師免許が必要よ。――そんな非現実的な話は置いておくとして、人に霊を憑かせる事で何が起こるか…それが重要なんじゃないかしら?」
葵の言葉に、神妙に頷く龍麻たちと天野。獣の霊に憑依された人々が世に溢れれば、それは深刻な社会不安をもたらす。つまり、東京が混乱に陥るという事だ。それはかつて、鬼道衆が【菩薩眼】覚醒の為に事件を起こしていたのと似ている。
九角は【菩薩眼】を覚醒させ、それを手中に収める事で何か強大な【敵】に立ち向かおうとしていた。計画は微妙に修正され、龍麻たちをも鍛える事になったが、今ならば鬼道衆の暗躍の目的も分かっている。だが今回、火怒呂なる憑依師を唆して再び東京を混乱に陥れようとするものの目的は?
自然に、一同の目が龍麻に集まる。そのような推理を働かせるのは彼の得意とするところだ。
「…まだ情報が足りんな。現時点ではっきりしているのは、火怒呂を殲滅すればこの事件は解決するという事だ」
「ま、それしかねェだろうな」
京一も同意する。
「まずは火怒呂をぶちのめす! そうすりゃ、陰でコソコソしてる奴も出て来るって寸法…――ッッ!?」
そこまで言ったところで、何かがカラン、と地上で硬い音を立てた。
「きょ、京一先輩ッ!? どうしたんですかッ!?」
地上に落ちたのは、日頃京一が【命の次に大事】と言っている木刀であった。本庄正宗の【言魂】を施した彼の愛刀。それを、京一が落としたのである。
「わからねェ…が…なんか…変…だぜ…!」
全身をガクガクと揺らし、遂に地面に膝を付く京一。脂汗が大量に浮き出し、地面に滴り落ちる。
そして異変は、京一だけに起こったのではなかった。
「むう! …グッ! 頭が…頭が割れそうだ…ッッ!!」
「ぼ…ボクも…身体がヘン…! 熱い…熱いよォ!」
突然の三人の狂態に、葵たちが目を見張り、表情を強張らせる。特に葵には衝撃的な光景が目に飛び込んできた。彼ら三人の身体から、血色のオーラ…【陰気】が立ち上り始めたのである。
「小蒔! 京一君…醍醐君も! どうしたの!? しっかりして!」
「京一先輩! しっかりしてください!」
「これは…同じだわ! 私が…彼に身体を乗っ取られた時と…!」
混乱する葵や霧島の耳に、ひどく冷徹な声が届いた。
「――やはり、憑かれていたか」
もはや【仲間】を見るものではない、龍麻の目。彼はずい、と前に出て、葵たちを背後に庇う。
「龍麻…ひょっとしてこれが【逃げられない】って意味なのッ!?」
龍麻は軽く肯いた。
「裏密の警告を忘れたか? 【闘う時は平常心を保て】――だからこそさやかに止めさせたのだが、却って感情を高ぶらせてしまったようだ。――俺のミスだな」
それは違う、とさやかは思った。先程の戦いが終った時、既に龍麻は三人の異常に気が付いていた。そして三人が闘いに参加したのは、さやかが龍麻の言い付けを守らず三分で彼らを解放したからだ。つまり――私のせい…!
「で、でも! 僕は何ともありませんよ!? 平常心どころじゃなかったのに!?」
「平常心とは、何も考えぬという状態を指すのではない。お前は己の務めを果たすべく必死になり、それは本能的な闘争心や破壊衝動とは無縁だった為に無事だった。加えてお前の剣――【獅子心王の剣】はイングランド王リチャード一世のみならず、魔物に堕ちようとも誇りを貫き通した騎士ジル・ド・レエ伯爵と、勇猛にして高潔な【テンプル騎士団】の意志をも受け継いでいる。獣の付け入る隙はない」
さすがに驚き、己の手にした剣を見る霧島。数十を数える剣の中から、吸い寄せられるようにこれを手にした時、京一が少し驚くような顔をし、龍麻も微笑を刻んだのは、そんな謂れがあったからなのか。しかし今、師匠たる京一が…
「さやか、何もするな。霧島、絶対に目を逸らすな。葵、天野殿と二人を頼む」
「――龍麻! まさか小蒔たちと闘うつもりッ!?」
龍麻なら、やるだろう。【敵】に廻れば、味方であったものでも容赦しない男だ。そして龍麻は事前に警告していた。その警告を忘れていたのは、京一たちに責任がある。
既に京一たちには【変身】の兆候が現れ始めている。先程闘った【憑き物】の中にも体の一部が【変身】していたものがいたが、どうやらそれは憑かれた人間の【気】の資質に反映されるらしい。帯脇が大蛇に【変身】したように、【気】のキャパシティが高い者に取り憑いた霊は、生体を自らの姿に合わせて変身させる事ができるのだ。――あの【深きものども】と同じように。
「グググ…ミギギィィィィッ!」
「ギギ…ミギャォォォッ!」
「グルル…ギオォォォ…!」
醍醐の【変身】は【白虎変】の事もあるから見慣れているが、京一や小蒔にまで、似たような現象が現れる。耳が変形し、顔に虎縞が走る。手の甲に毛が生え始め、爪と肉球が迫り出してくる。そして腰からは、猫の尻尾…。
「【猫憑き】か。蛙や鼠ならば手に負えなかったが。――下がっていろ」
「た、龍麻さん! 本気で京一先輩たちと闘うんですかッ!?」
「霧島君…!」
先程と同じ轍を踏ませる訳には行かない。さやかは霧島の腕を強く引いた。
「で、でも! それじゃ京一先輩たちが!」
霧島にも解っている。【真神愚連隊】の中で、彼らがどのような位置にいるか。
蓬莱寺京一、醍醐雄矢、桜井小蒔。ここに葵を加えた五人で、龍麻はこれまでの激闘の核を為してきたのだ。他の仲間たちでさえ、一筋縄では行かない【神威】たちだが、やはり三強を上げろと言えば龍麻、京一、醍醐となる。そして支援攻撃が主体となるとは言え、小蒔も【気】を大量に消費する技を連発する技量の持ち主だ。支援攻撃班長の名は伊達ではない。
その三人が敵に廻った状態で、龍麻は一人闘おうと言うのである。まだ彼らとの付き合いが浅い霧島でさえ、それがどれほど困難な事か解る。どちらも無傷で済むとは思えない。
だが、龍麻は一言だけ言った。力強く。
「任せろ」
「――ッッ!」
フゥゥゥゥッッ! と猫族の唸りを上げ始めた京一たちに対し、龍麻がふらりと前に出た。
「龍麻さん!」
たまりかねて霧島は叫んだが、その前に白い手が差し伸べられる。葵だ。
「美里先輩…!」
「――大丈夫。龍麻がああ言った時は、本当に大丈夫」
静謐に告げる葵の声音に、霧島は押し黙る。さやかは彼女の声音に絶対の信頼を感じた。そして自分だって、龍麻に寄せている信頼は負けていないと思い返す。
「…まだまだ未熟だな。俺も、お前たちも」
静かな挑発が闘争の合図――京一たちが地を蹴った。次の瞬間龍麻の手がコートの内側に飛び込み――!!
「装――着! ――おいでおいで〜」
「――――ッッ!!」
葵たちが盛大にコケてヘッドスライディングしたのも構わず、龍麻はコートから取り出したモノを己の頭に装着し、もう片方のモノをパタパタと振ってみせた。
『にゃ〜んッ!』
小蒔が嬉しそうな声を上げて、両手で【それ】を捕まえようとする。
「た、た、龍麻さん…ッッ!」
顔のディティールをくしゃくしゃに壊しつつ、脱力した声を上げるさやかに霧島。葵と天野はそこまで壊れないものの、顔筋が笑いの形に引き攣ってしまう。
龍麻の頭に装着されているのは【ネコミミカチューシャ】、そして手にしているのは【猫じゃらし】であった。同族と見た小蒔、京一、醍醐は安心して【猫じゃらし】にじゃれ付き、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「お〜、良い子だ良い子だ。どれ、良いものをやろう」
ひょい、と龍麻の手が動き、なぜか懐から取り出されたソーセージが宙を飛ぶ。京一も醍醐も両手で【はっし!】とキャッチし、ソーセージを食べ始めた。
「ん? 小蒔も欲しいのか? ではやろう」
『にゃ〜ん♥』
ソーセージを貰ってご機嫌な小蒔。やはり行儀良く龍麻の傍らに座ってソーセージを食べ始める。
神速の木刀使い、蓬莱寺京一。【真神愚連隊】のお父さん、醍醐雄矢。【真神愚連隊】のムードメーカー、桜井小蒔。――いずれも、他人サマには見せられない姿であった。
「た、龍麻…これって一体…?」
「うむ。先程の戦闘で、動物霊はこちらの殺気に反応して攻撃を仕掛けてきた節があったのでな。それが取り憑かれた人間の持っている負の感情とシンクロし、あのような状態に陥らせたのだ。こちらが殺気を放てば京一たちも動物の本能に従って攻撃してきただろうが、友好的に接すれば、この通りだ」
「そ、そういうものなのかしら…?」
天野も、龍麻の推理力と行動の奇抜さは知っているつもりだったが、さすがにこれには呆れ返った。――と言うか、付いていけない。
「ふむ。もっと欲しいのだな。まだあるぞ」
手品のように龍麻の手の中に現れるソーセージ。それを貰ってますますご機嫌な三人は嬉しそうに龍麻の足に擦り寄る。小蒔はいいとして、赤毛の男と一九〇センチの巨大猫というのは…。
「ふうむ。ネコミミの小蒔はなかなか可愛いが、こいつらはひたすら鬱陶しいな。闘わずに済んだのはいいが、霊を祓わんといつまでもこのままだ」
「そんなァ…。それじゃどうすればいいんでしょう?」
霧島は、こんな姿の京一を見たくないのだろう。すっかり泣きべそをかいている。
「思い当たるのは裏密か龍山老師、後は織部姉妹の祖父か。しかし呼び出している時間もなさそうだ。かといっていつまでも手なづけておけるものでもなし…」
擦り寄ってくる小蒔の喉に手をやる龍麻。小蒔は気持ち良さそうにゴロゴロ喉を鳴らしながら彼の手に頬を擦り付ける。それを見て葵とさやかの目がちょっとばかりジト目になった。
「…………別に、このままでも構わんか」
「「却下!」」
思わず声をハモらせ、互いに顔を見合わせる葵とさやか。この瞬間、互いに何を考えているのか悟り、ピーンと緊張の糸が張られた。
と、その時である。
「ふわぁぁぁ…。なんやなんやァ、うるさいなァ。人の枕元でそないに騒がんといてやあ」
緊張感皆無の、眠そうな顔が想像できる声が降ってきた。
「誰――!?」
逸早く、声のした方に顔を向ける葵。見れば木の枝が密集しているところから、白いバンダナを頭に巻いた少年が逆さまになってこちらを見下ろしていた。浅黒い、どこか日本人とは異なる顔立ち。左眼の上には龍麻のような刀傷が走っている。ただ、少年の目は健在だ。人懐こそうな黒瞳が一同を映している。
よっという掛け声と共に、少年は空中でくるりと一回転して地上に降り立つ。猫のように軽やかな着地は音を立てなかった。
「ほんま、池袋ちゅうところは騒がしいところやなァ。一晩中走り回って眠いよって昼寝してたちゅうに、台無しやん」
「あなた…一体何者?」
天野がやや警戒の素振りを見せながら問う。龍麻も葵も、たった今まで少年の存在に気付いていなかった事を悟ったのだ。
「あん? なんや、物騒な聞き方やなあ。見ての通り、熟睡中を叩き起こされた、気の毒な中国人留学生やねん。――と、さすがにそこまではわからへんか、ははは」
目の上の刀傷が恐い印象を与えるが、笑うとこれがなかなか魅力的。人懐こそうな好印象を与える。しかも赤いTシャツ一枚の身体はしなやかな筋肉で覆われていて、相当鍛え込まれていると解った。
「あん? なんや、少年。わいの顔になんぞ付いてるか?」
「あぁ〜〜〜〜〜ッ!」
少年が学生服を引っ掛けたところで、霧島が大声を上げた。
「な、なんや!?」
「あなたは…あの時僕を助けてくれた人じゃないですか!」
大声を上げる霧島を、少年はまじまじと見詰め直した。
「おお〜っ、あん時死にかけてた少年やんか! なんや、すっかり元気そうで、良かったなァ。成り行きとは言え、心配しとったんやで。そこらの医者やったら当分なおりゃせん傷やったんやけど、岩山センセっちゅうのは凄いお人やなァ」
そこで、龍麻たちも少年の容姿に付いて覚えがある事を思い出した。
霧島が帯脇に襲われた際、彼を真っ直ぐ桜ヶ丘に運んだという少年。高見沢の説明であまり要領は得なかったが、大陸系の顔立ちで、目元に刀傷、学生服で、背中には袋に入れた剣を持っている…と、全ての条件が合致している。剣は、今は彼の足元にあった。
そして葵は、もう一つ思い出した。
「そう言えば…以前目青不動でお会いしましたよね?」
それは、醍醐の【白虎事件】の時の事だ。あの時は龍麻も佐久間の手下に自爆テロをされ、重傷を負っていた。小蒔は醍醐失踪のショックで同行せず、葵と京一だけで【五色の摩尼】を封印しに行った。そして目青不動で【鬼】の噂を聞いてやってきたという少年と出会ったのである。
「おお〜〜っ、あんさんも覚えてるで! いや、相変わらず別嬪さんやなァ。あん時デートしてはった赤毛のお兄さんはどないしたん? ――って、そっちにおるんかいな…――ッ!」
【京一とデート】という少年の誤解丸出しの言葉に葵が赤くなった時、そんなほのぼのした空気を打ち破るような緊張感が少年の身体から発せられた。
「少年…この池袋で何してはったんや?」
「え…!?」
その鋭い眼光! 霧島は初めて龍麻に睨まれた時のような戦慄を覚えて硬直した。その高圧的な【気】に反応したのか、京一たちが『フゥゥ――ッ!』と威嚇の声を上げる。
「あんたら…一体何を知っとるんや? 隠さんと…正直に言うてみィ!」
先程の陽気さなど一欠けらも残っていない、鞭打つような声音。霧島に続いてさやかも、葵も、天野まで硬直してしまう。
ただ一人、このような高圧的な【気】に対抗できる男が口を開いた。
「…我々は、この池袋を中心に発生している事件を調査している者だ」
少年の目が、ネコミミの京一たちをあやしながら言う龍麻に向けられた。
「【敵】の正体も目的も突き止めたのだが、先程の戦闘でこのような被害を蒙った。目下のところ対策がなく、難儀している」
「……」
少年は射るような視線を龍麻に送る。殺気ではないが、相手を威圧し、呑み込むような【気】。それを向けられていながら、龍麻の【気】にはいささかの乱れもない。少年の【気】に対抗しようとすれば京一たちが暴れ出す可能性もあるのだが、それ以上に、龍麻は見事に少年の【気】を受け流しているのだ。
十数秒ほどで、少年は【気】の照射を止めた。
「なんや、面と向かうと気ィ抜けそうやけど、嘘言うとるとも思えへんな。…よっしゃ! そのお人らは、わいに任しとき」
元の陽気な雰囲気を取り戻すと、少年は袋の中から刀を取り出した。――刀と言っても、日本刀とは造りが異なる。緩やかな反りは【斬る】という行為に理想的な日本刀のそれではなく、【手の延長】を重視したものであり、刀身の幅は広く、厚みもある。いわゆる中国刀…青龍刀というやつだ。
「…何をするつもりだ?」
「なんもおかしな事はせぇへん。安心せぇ。わいは多分…あんたらの敵やない。それにこういうのんは、わいの領分や」
笑顔を浮かべながら京一たちに近付く少年。無造作だが、緊張も敵意もまったく見せていないので、野性の本能は刺激されていない。少年が青龍刀を抜いてさえ、それは変わらなかった。ニコニコと京一たちに愛想を振り撒きながら、青龍刀を逆向き…峰を彼らに向ける。
「我救助、九天応元雷声普化天尊、我需、無上雷公、威名雷母、雷威振動便滅邪――!」
少年の口から洩れる呪文を、北京語だと見抜いたのは龍麻一人だけであった。しかしそれはさしたる問題ではない。呪文に合わせて少年の身体から青い光が発せられたのである。それは間違いなく【陽気】であったが、龍麻たちのそれとは微妙に異なり、より深い蒼である。
「な、何ですか、この光? 私たちのとは違うみたいですけど…!?」
「解らないわ…。でも…とても神聖な輝き…。強くて…優しい意志を感じるわ」
葵とさやかがそんな言葉を交す中、少年の【力】は青龍刀の先端にまで漲った。
「…このお人らはともかく、なんや、こっちの嬢ちゃんはもったいないような気がせぇへんか?」
「同意だ。……いや! 治せるものならば早く願いたい」
龍麻の頬に汗が一筋流れる。背中に突き刺さる三対の視線が針のように痛い。
「ほなら、しゃあないな。――【活剄】!」
パンパンパン!
極めて軽く、リズミカルに青龍刀を躍らせる少年。その峰で打たれた京一たちは一瞬、うっと呻いて…
「うっ…ああっ!? 何してんだ…オレ…?」
「ううっ…くうっ…! なんだ…今のは…?」
「あ、あれ? ボク…どうしてたの…?」
少年の青い光に全身を包まれた瞬間、確かに何かが三人の身体から抜け出ていくのが感じられた。その途端、彼らの耳や尻尾は消え去り、何の異常もない人間に戻る。
「なんと…。人体に活力を与えつつ、憑いた霊だけを祓ったのか。――見事だ」
「へへっ、おおきに」
今度こそ、少年は屈託なく笑って見せた。
「小蒔! みんな!」
「京一先輩! 大丈夫ですか!」
葵と霧島が真っ先に駆け寄る。三人ともどこか呆けたように周囲を見回した。自分に何が起こったのか良く解っていないのだろう。
「良かった…。ちゃんと憑き物が離れたのね」
抱き合う葵と小蒔、霧島に抱き付かれて慌てる京一を見て、天野もほっとしたように胸を撫で下ろす。龍麻の機転(?)とこの少年の存在がなければ、最悪の事態を招くところだったのだ。
「そうか…今のが獣の霊…」
「おいおい、醍醐。顔が真っ青だぜェ」
少年の技が消耗を押さえたとは言え、霊に取り憑かれていた三人の顔色は悪い。
「…何を言うか、京一。お前の顔も悪いぞ」
「――顔って言うな! 悪いのは顔色だろうが!」
すっかりいつもの調子でやり込められ、怒鳴る京一。どうやら本当に大丈夫だ。一同に笑顔が戻る。
「良かった…本当に良かった…! 京一せんぱぁい…!」
「わあ! 泣くな! 抱き付くな!」
「でもっ…でもっ…!」
【弟子】の前でみっともない姿を見せたというばつの悪さと、とにかく抱き付いてくるのは勘弁してくれと困り顔の京一。しかし、ほっとしているのは間違いない。
「小蒔、大丈夫ね?」
「うん…。でも、なんか凄く変な感じだったよ。自分の中に知らない自分がいて、そっちに吸い込まれるような感じだった…」
その感触がどれほど気持ち悪かったのか、小蒔はぶるっと震える。醍醐も、まるで自分の身体が意志通りに動くか確認するように、手を握ったり開いたりする。
「ああ。とてつもなく奇妙な感じだった。俺のものだと思っていたこの身体に、俺とは違うもう一人の俺がいる…。【白虎】の時と違って、ひどく嫌な感じだ…」
その時ふと、醍醐は龍麻を見た。
(龍麻も似たようなものだったのか…。自分と、ナンバー9と…それに、殺戮者と…)
龍麻は【ナンバー9】こそコントロール可能としているようだが、一つの身体に二つ…いや、三つの人格というのは、やはり嫌なものではなかろうか? かつての龍麻も、深刻な生命危機に陥ると【ナンバー9】が勝手に出てきて、周囲の敵を皆殺しにする。――それがどれほど恐ろしいものか、醍醐は自ら体験する事でたっぷりと味わった。
しかし、その男はと言えば――
「……なんの真似だ、それは?」
ぱたぱたと目の前で振られる【猫じゃらし】を見やる三人。それ以上の反応がない事を見ると、龍麻はふうっとため息を付いた。
「なんなんだァ! その、心底残念そうなツラァ!!?」
再び京一が怒鳴るが、龍麻はそれを無視して少年に向き直った。
「貴殿のお陰で救われた。感謝する。――俺は、真神学園三年、緋勇龍麻だ」
「緋勇…龍麻…!? ――あんた、緋勇いうんか!?」
明らかに、少年の表情が動揺を示す。その動揺は警戒や緊張ではなく、むしろ喜び…と取れるものであった。
「…妙な噂が広がっているのは認めるが…」
「あっ、いやっ、なんでもあらへん! ――そうかあ、あんたが緋勇龍麻かァ…。思ってた通り、見事な男っぷりや」
「…あいにく、そちらの趣味はないが…」
傍で二人の会話を聞いていた葵たちが腰砕けになる。だが少年は感激したように拳を固めて唸った。
「くう〜〜〜〜ッ! ナイスボケや! わい、あんたとはエライ気が合うわ! ――わいは台東区の華月高校二年の劉弦月(や。この春に知り合いを頼って中国から留学しに来たねん。あんじょうよろしゅう頼むでッ!」
さっと差し出される劉の手。龍麻は躊躇なくそれを握り返した。そして、何か不思議な感覚を覚えた。
(――何だ? 会った事が――ある!?)
しかしそこに、やや絡むような京一の声が割り込んだ。
「ちょっと待てよ。――どうやらお前が助けてくれたみてェでなんなんだが…なんで中国人の癖に関西弁なんだよッ!?」
すると劉は、再び拳を固めて、今度は天を仰いだ。
「おっ、おっ? おっ!? ええわぁええなぁ、ええツッコミやわぁ」
警戒心丸出しの京一の態度など意にも介さず、劉は非常に嬉しそうだ。
「わいはなァ、ほんまは中国人やのうて、関西人なんやッ。そやろ? こないに関西弁ペラペラの中国人がおったら、メチャクチャ変やんか」
「エエ〜ッ!? その割には、変な関西弁…」
すると今度は、なぜか泣き出す劉。
「くうぅ〜〜〜〜〜〜ッ! なんやなんやっ、あんたら、ボーッとしとるようで、ちゃんとツッコめるやないか! わい、めっちゃ嬉しいわッ!」
「「「「「「「「…………」」」」」」」」
「よっしゃ! わいもほんまの事教えたるっ。わいは生まれは中国、育ちも中国の正真正銘、ほんまもんの中国人やっ。ほんでもって、日本で最初に世話んなったお人が、ほんまもんの関西人やったさかい。そん時のわいは日本語が喋れへんやったんけんど、真似して喋っとったらいつの間にやらこの有り様やっ。今更標準語覚えるんはエライこっちゃし、テレビでも【ひありんぐ】しておったら、こんなん怪しい関西弁になってしもうてん」
勝手に喋らせておくと出るわ出るわ。アン子やアランとタメ張るマシンガントークである。しかも関西系…。このテのタイプが苦手な京一は頭を抱えている。
「何か…無茶苦茶テンション高いね。ちょっと…付いてけない…」
「なに言うてんねん、嬢ちゃん!」
コソッと入れたつもりのツッコミを聞かれてしまい、迫られる小蒔。
「会話っちゅうもんはこう、ポンポンポ〜ンと、弾むように進めなあかんのやっ」
このパターン…アランの時と似ている。いつのまにかこの劉のペースに巻き込まれ始めている事に一同は気付いた。見れば、龍麻がウズウズしている。
「あ、そや! さっきからわい一人で喋っとるけんど、あんたらの名前を聞いておらへんなぁ。良かったら、聞かせてくれへんか?」
「うむ。そちらは既に名乗ったのだ。こちらも名乗るのが礼儀。――各自、名乗れ」
やっと話が戻ってきたので、各自が名乗る。
「俺は、同じく真神の醍醐雄矢だ。そして、こっちで馬鹿口を開けて固まっているのが蓬莱寺京一だ」
アランのラテンのノリにもそうだったが、劉の関西系のノリにも京一は付いていけなかったらしい。顎をカクン、と落とし、そのまま放心している。彼の現実逃避法だ。
「あはは…。京一が劉クンのノリに付いていくのは無理だったかも…。――ボクは桜井小蒔! 皆と同級だよ。ほんでもって、こっちが美里葵」
「よろしくね、劉君」
「おおきに」
頭に手をやり、ぺこりとする劉。愛想の良さは折り紙付きだ――と思った時である。
「私は天野絵梨。フリーのルポライターよ。色々あって皆とは友達なの」
「さ、さよか…。よ、よろしく頼んます…」
近寄ってきた天野からちょっと引き、どもる劉。
「あら? わたし、なにか?」
「あっ、いやっ、え、えろうすんまへん! わ、わいはちょっと年上のお人いうんは…はははっ、気にせんといて!」
笑ってはいるが、頬の一部が引き攣っている。この反応から察するに、天野くらいの年齢差のある女性が苦手らしい。【発剄】の中でも特に高難度な【活剄】を使いこなすほどの技量の持ち主であっても、人それぞれというところか。
「僕もまだ名乗っていませんでしたねッ。それどころかまだお礼も…。僕は霧島諸羽といいますッ! 文京、鳳銘高校の一年ですッ。劉さん、あの時はどうもありがとうございましたッ!」
「いやはや、ほんま、礼儀正しい少年やなぁ。けんど、そんな昔のコト気にせんでええて。あんさんが元気で、わいもめっちゃ嬉しいねん」
「霧島君を助けてくださって、私からもお礼を言わせてください。私も同じく鳳銘高校の…」
しかし、さやかは最後まで自己紹介させてもらえなかった。
「ああ〜〜っ! あんさんのお顔、テレビで見た事あるでッ! まさか、本物の舞園さやかはんやろかッ!?」
「え…ええ…」
劉、またしても感激の涙を流す。
「さよか…。さよかぁ…! ううっ…長生きはするもんやなあ。まさかほんまもんの舞園さやかはんに会えるなんてなあ…。わい、感激やァ!」
劉の関西系ハイテンションには、芸能界で慣れている筈のさやかでも引いた。とは言え【お仕事】の時と違い、今は【真神愚連隊】の一員としてここにいるさやかであるから、引くのはむしろ当然か?
しかし、劉はそれ以上突っ込んだ姿勢は取らなかった。国民的アイドルを前にして、それはむしろ不自然とさえ言えたのだが、舞園さやかと【普通】に付き合っている一同は気付かなかった。唯一天野だけが、アイドルを前にした一般人らしからぬ劉の態度に気付いたのみである。
それを指摘する前に、劉はさらりと爆弾発言をしてのけた。
「ほな、そろそろ行きましょか!」
「行くって…どこへだよ?」
やっと魂が帰ってきた京一が、不機嫌そうなのを隠しもせずに言う。劉の次の言葉が彼にも予想できたのだ。
「決まっとるやないか。この池袋で悪さしとる奴のところやッ。あんさんら、そいつと闘う為に来たんやなかったんかいな?」
「おいテメエ…まさか俺達に付いてくるつもりじゃねェだろうな!?」
「当たり前やないか。困っとる友達見捨てるほど、わいは冷血漢やあらへんで?」
あっけらかんと言ってのける劉に、さすがの醍醐もやれやれと腕を組む。
「確かに凄い技を持っているし、【神威】のようだし、付いてきてくれればこれほど心強い事はないんだが…いつのまに友達になったんだ?」
「なに言うてんのや、でっかい兄さん――って、醍醐はんやったな。名前をきちんと名乗り合うたら、みんな友達やないかッ」
これが他の人間の台詞だったら「調子が良い…」と反発するだろうが、それを思わせないところに、劉の人間的魅力があった。それに仲間の中にも、そっくりなのが一人いる。
「うふふ。こんな展開、以前にもあったわね」
「アランクンだねッ。あの時も随分振りまわされたけど…頼りになりそうってところも同じだねッ」
「ええ。本当に」
「僕もそう思います! 劉さんが一緒に来てくれるなら、凄く心強いですッ!」
口々に賞賛されて、劉はまたも感涙にむせぶ。何というか…アランとコスモレンジャーを足したかのようだ。
「くぅぅぅぅ――ッ! みんな、ええお人やなァ。わいとは初対面っちゅうに、そないに信用してくれるなんて、感激やァ!」
「いちいち泣かんでも…。まぁ、俺も異存はない。その刀も相当使い込んでいるようだしな」
さすがは醍醐。劉のオーバーアクションに呆れつつも、見るべきところはちゃんと見ている。
「…そうは言ってもよ…胡散臭さ大爆発じゃねェか?」
「京一先輩! 劉さんは僕の命の恩人ですッ。それに、京一先輩も劉さんがいなかったらいつまでもあのままだったかも…うっうっ…!」
先程の【ネコミミ京一】の情けない姿を思い出し、霧島はまたも半泣きになる。
「な、何も泣く事ねェじゃねェか! 別に反対してる訳じゃねェよ。好きにしなッ」
京一はなぜ霧島が半泣きになるのか理解できず、結局すがるような視線に負けて折れた。龍麻は彼のそんな姿を見て、「写真を撮っておけば良かった」などと考えた。――結構意地悪になっている龍麻である。
「で、どうやろか? わいも一緒に行ってええやろか?」
そこで初めて、能動的に【聞く】劉。龍麻がリーダーである事を知った上での質問であった。他の者が何を言おうと、判断を下すのが彼であると認識した上での。
「敵に対して有効な攻撃手段を持ち合わせない我々にとっては願ってもない事だ。しかしながら、我々はチームで動く。我々と行動を共にするならば、俺の指揮下に入ってもらいたいのだが?」
「わいは構わへんで。わいは、頭張るようなタマやないし」
「良かろう。――歓迎するぞ、劉弦月」
「ははは、わい、堅苦しいのは苦手やねん。みんなと同じように呼び捨ててくれへんか? わいは年下やし、あんさんをアニキ呼ばせてもらいますわ」
劉にしてみれば何気ない言葉であったろうが、龍麻は少し黙り込んだ。
「な、なんや? わい、何か悪いコト言ったやろか?」
「いや…問題ない」
またしても龍麻の誤解癖が炸裂するところであったが、先程の【ナイスボケ】発言が彼を押し留めたようだ。
「エヘヘッ、よろしくね、劉クン。それじゃ、そろそろ出発――」
「――って、どこへやねんッ」
元気一杯に宣言した小蒔に、絶妙な劉のツッコミが入る。
「さ、さすがは本場のツッコミ…」
「うむ。見事」
龍麻までがそんな事を言う。しかし劉のツッコミ通り、また漠然と探しても【憑き物】をけしかけられるだけである。何しろこの街は人が無尽蔵にいる。つまり敵の兵力も無尽蔵という事だ。劉という新戦力が加わっても、波状攻撃をかけられてはひとたまりもない。
「まずは、火怒呂の居場所を特定するのが先だな。しかし池袋と言っても広い。奴の家や学校というのも単純すぎると思うが…」
「なあ、ちょっと待ってえな。その、火怒呂いうんが今回の事件の黒幕なんやな? どんな奴やのん?」
問われて、天野が先程の説明を繰り返す。
「ふんふんふん…なるほどなァ。――その憑依師っちゅうのは、台湾の怪婆(にそっくりやで。元々この国の呪法は中国由来のもんやし、やり方もそっくりやないやろか?」
「何か思い当たる事があるのか?」
「その通りや。――なァ、天野はん。この事件を追ってる言うてはったけど、この近所に、何か凄い怨念を生む場所があるやろか?」
「凄い怨念?」
唐突に言われ、少し考える天野。
「そや。――この街、わいみたいなもんにとっては【鬼】の棲み家やで。あ、【鬼】ちゅうのはこの国で言う幽霊の事や。とにかく、この街はごっつ凄い怨念が溢れて渦巻いとる。わいもその中心がどこか見えへんよって、困ってたんや」
「怨念…ねえ。確かにこの辺りには護国寺や本立寺、雑司ヶ谷霊園といった墓地も多いけど…強い怨念というと……あ!」
【それ】に思い当たり、次いで天野はひどく嫌なものを思い出したかのように我が身を抱き締めた。
「強い怨念…確かに思い当たるところがあるわ…。この豊島区でも…ひょっとしたら東京でもトップクラスの怨念の集積地が…」
「…どこです?」
天野は、それこそ絞り出すように言った。この日本の過去の汚点。いや、世界の汚点を。
「東京拘置所。通称、スガモプリズン。――第二次大戦後、あの【東京裁判】で有罪となった戦犯が裁かれ、処刑されたところよ」
龍麻の顔が、かつてジル・ローゼスと向かい合った時と同じように険しくなった。
「戦犯と言えば、現代では悪の権化のように聞こえるかもしれないけど、処刑されたほとんどの人間が当時の法律に従い、徴兵され、戦場に駆り出され、お国の為に、上官の命令に従っただけの忠実な軍人たち…。信じ続けた【国】に裏切られた無念の想いはいかばかりか…」
信じるものに裏切られた無念――それが解るのは、恐らく龍麻だけだろう。だが、京一たちにも多少想像できる。そして、天野の気持ちが解った。ひどく――嫌な気分だ。
「それが…深い怨念となってその地に留まった…。そういう事ですね? そんな風に裏切られたら、激しい恨みを抱いて死んでいった人も、少なくないでしょうね…」
葵はそう言って、そっと目を伏せた。この辺りの事は、辛うじて教科書の片隅に乗せられているのだ。ほんの…二、三行ほど。
しかし――
「――厄介だな」
龍麻の一言が、一同の背に氷の槍を突き通した。【厄介】――龍麻がそれを口にする事の意味は、先程嫌というほど味わったのだ。
「その地に留まった深い怨念…か。――そんなものでは済むまい。五十年以上かけ、【育てられてきた】怨念が俺達の相手だ」
龍麻は何を言おうとしている!? それを果たして聞いて良いものかどうか、天野でさえ迷った。対テロリスト部隊として最前線で闘ってきた龍麻は、【戦争】の現実を知っている。教科書では知らされない歴史を。【正義】を声高に唱えるものがしでかしてきた、【人類】そのものの罪を。
龍麻は、口を開いた。
「【東京裁判】とは、かつて歴史に類を見ない出来事であった。敗戦国の指導者を、戦勝国が軍事裁判にかけて処刑するなど。第一次大戦ではドイツ皇帝ウィルヘルム二世を裁判にかけて処断せよという声も上がったが、これは未遂に終った。だが【ニュンベルク国際軍事裁判】においては、従来の戦時国際法にはなかった【平和に対する罪】と【人道に対する罪】という二項目が追記され、ナチス・ドイツの戦犯が将来の世界に対する見せしめの為に処刑された。そして、それを踏襲した【東京裁判】が行われたのだ」
龍麻は語る。恐るべき事実を。人目に触れぬよう、少しづつ隠されてきた事実を。それは「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉のままに行われた、【国】そのものが行ったリンチだ。日本という国の【歴史】を断絶する為に当時の日本が行った行為全てを【悪】として決め付け、日本国民に【罪の意識】を植え付け、愛国心を抹消、日本の伝統と文化を自ら否定させる為に行われたプロパガンダ。その為に矛盾だらけの捏造事件を【真実】として伝え、その反面、原爆の投下も、中立条約を無視した大虐殺も【正当な行為】として押し通した。その結果、日本国民は自国の行為を【犯罪】だと思い込むまでになった。
「およそ今日、権威ある世界法学者で、【東京裁判】の合法性を認め、これを支持するような学者は皆無と言っても過言ではない。だが現実はどうだ? GHQ最高指導者であるマッカーサー自らがこれを【儀式化された復讐裁判】として阻止できなかった事を悔い、第三一代大統領ハーバート・フーバーも日米開戦の陰謀を言及し、第三二代大統領ルーズベルトを非難しているというのに、日本の政治家、マスコミ、歴史学者、教育者までが【東京裁判】が正当であると強弁し、戦争を知らぬ世代にまで自虐意識を植え付けている。首相が靖国神社を参拝すれば非難し、暴力反対を唱えて軍隊を批判する。自衛隊を増強すれば、その成立要因を作った国から侵略戦争の準備だと言われ、加えて教科書に【日本は犯罪者だ】と書けとあからさまな内政干渉を強要され、僅かでも自国賛美を行えば右傾化だの軍国主義の復活だのと喚かれる。――【国の為】に闘って散った数十万の兵士を【犯罪者】と決め付けてきた急先鋒が、あろう事か日本国民だ。不当な裁判で命を落とした者たち、戦争に参加した者たちは永久に浮かばれまい。それどころかこの瞬間も死者を鞭打ち、負の感情を叩き付けている。――三百年来続いてきたという九角家の怨念と、大戦で死に、不当な裁判で死に、誤解から生まれた憎悪と差別を溜め込み、いわれなき怨みを五十年もの間向けられてきたものの怨念…。果たしてどちらが強い?」
龍麻の口調が、感情をまったく込めていないものであった事がせめてもの救いだ。だが、誰もが全身を小刻みに震わせていた。その、戦争がもたらしたもののおぞましさ、現代まで続く怨念の恐ろしさに。ただ、裁判の内容と数字を挙げられただけで招かれた悪寒が、悪性の腫瘍のように全身に広がり、それに耐え切れなかった葵と小蒔、さやかと霧島がへなへなとその場にしゃがみこんだ。
だが、耐え難い沈黙を生んだのが龍麻なら、それを打ち破ったのも龍麻であった。現実の最前線で自ら血を流して戦ってきた者は、大国の思惑も下衆のでっち上げも意に介さない。自ら信じ、突き進んできた道だけが現実だ。
「天野殿、その場所はどこに?」
耐え難いほどの真実の重みに打ちひしがれていた天野は、彼の言葉に現実世界に引っ張り戻された。
「東京拘置所は、今では小さな公園になっているわ。東池袋中央公園…サンシャイン60のすぐ隣だから、すぐに解る筈よ。…そう言えば、一九七八年の公園建設の際に、作業員が原因不明の怪我をしたり、高熱を出したり、精神に異状を来すという事件があったわ。翌七九年には隣の【サンシャイン広場】に五個の人魂が出現して大騒ぎになった事もあったわね。公園建設までは…厚いコンクリートで封印されていたのだけど」
「…そこに間違いないやろな。その火怒呂いうんは、その強力な怨念を利用して街中に【憑き物】を放っとるんや」
うむ、と肯き、龍麻は宣言した。
「作戦変更。――動ける者は全て招集しろ。可能な限りの重武装だ。特に裏密、高見沢、織部姉妹、如月を最優先。三〇分で来いと言え」
「待った! 龍麻」
醍醐がその宣言に割って入る。
「極めて厳しい闘いになる事は承知している。だが、敵の危険性も俺達は身を持って知った。この場は、俺達だけでやれまいか?」
「…本気で言っているのか?」
普段の龍麻ならば即座に【却下】と告げる。そう告げないのは、やはり彼にも弱冠の迷いがあるからだ。それを見抜けるのは、京一や醍醐くらいだが。
「銃が効き難いのも良く解っている。敵の兵力が無尽蔵だという事も。だが、無闇に仲間を集めて、その数だけ操られたのでは手に負えなくなるだろう?」
龍麻はぱたぱたと【猫じゃらし】を振る。ある意味、凄い嫌味である。
「…そこでだ。――今回はとことん搦め手に徹するというのはどうだろうか?」
「!?」
搦め手…卑怯な事を最も嫌う醍醐が、こんな事を口にするとは!?
「そうだぜ、ひーちゃん。敵は俺達に攻撃させる事が目的だったんだろ? だったらさっさと降参したふりをして、射程距離に近付いたらさっくりやっちまおう。――それなら雑魚を相手にする必要はねェだろ? 俺が言うのもなんだが…火怒呂って奴は【力】以外はただのチンピラだ。卑屈に媚びてみせれば絶対付け上がって隙だらけになるぜ」
揃いも揃ってよくもまあ…。龍麻は苦笑せざるを得ない。
龍麻とて、それを考えていたのだ。火怒呂は京一たち三人を無力化したと思っているから、自分一人が先行し、許しを乞うか忠誠を誓う等の行為をすれば、必ず火怒呂は勝ち誇るだろう。その隙に【秘拳・鳳凰】を一発――これで終わりだ。…そのプランを、京一と醍醐が進言してきたのである。
「まさか、お前たちがそれを口にするとはな」
「【戦争】には卑怯もクソもねェ――ひーちゃんがいつも言っている事だろ?」
「そうだな。では、フェイント・オペレーションを敢行する。――行くぞ」
応ッ! と応える【真神愚連隊】の面々。そして、龍麻は天野を見た。
その意は彼女にもちゃんと伝わる。
「判っているわ。またあなたたちの足を引っ張るような事になったら、誰よりも自分が自分を許せない。――月並みな事しか言えないのが悔しいわ。みんな、頑張ってね。私はタクシーを使ってすぐにこの街から離れるわ」
「恐縮です。――お気を付けて」
天野はクスッと笑い、親指を立てて見せた。
「――こうでしょ? ――グッドラック」
「Thanks. Good luck.」
全員が親指を立てて再会を誓い、天野はそれに見送られて足早に駅の方へと向かっていった。彼女としてはまたしても辛いところだろうが、これ以上の迷惑はかけられないと考えているのだろう。彼女の苦悩を思いやり、新たに闘志を燃やす一同であった。
「ほな、そろそろ行きましょか、アニキ」
「うむ。――【真神愚連隊】、状況開始だ」
再びサンシャイン通りを辿る一同。更に時間が経過し、辺りは暗くなってきているのだが、人込みは相変わらず…どころか、閃光弾の一件が広まったものか、ますます増えていた。
「ええい! どいつもこいつも呑気に出歩きやがって!」
「ホント、自分たちが危ないってコト、解ってないよね。仕方ないけど…」
人込みを掻き分け掻き分け進むと、無意味に人目を引く。さやかはサングラスをかけ、髪を後ろで結んで形ばかりの変装をする。その手を引いているのは霧島だ。
「クソ! 信号が変わっちまう! 急げ――ッ!」
「お――ッ!」
点滅する信号を見て駆け出す京一たち。後方警戒していた龍麻と劉は対応し切れず――
「馬鹿たれ! 待たんか!」
「しもた――! 置いてかれたやん」
分散するのは危険だというのに、信号という文明の利器に邪魔される二人。車は既にごうごうと唸りを上げて走り出している。これではおとなしく待つしかない。
「なあ…アニキ」
信号が変わるまでは何もできない。そんな時、劉が龍麻に話し掛けた。
「ひょっとして、わい、迷惑やったんとちゃうやろか?」
「む? なぜそう思うのだ?」
劉は、先程のハイテンションぶりからは想像もできないような神妙な顔をして言った。
「なんちゅうか…あないな事があったちゅうのに、あんさんは京一はんらを心底信頼してはる。せやから、一度敵の術中に嵌まった京一はんらを連れていくのも抵抗ないんやろ? わいなら…一度でもあないな状態になった奴は連れて行かへん。それなのにアニキは……。わい、なんや人としてめっちゃ恥ずかしいねん」
「それは、人として普通の事だ」
龍麻は簡潔に言った。
「だが、人は変わる。良くも悪くも。悟れん者は百年生きても何も変われんが、向上心を持つ者は十分で十年分の成長をするものだ。信頼し、信頼される事で人は磨かれる。――俺は彼らを信頼している。劉、お前もだ」
劉の表情が変わった。驚きと、不思議な感動と。それで龍麻は理解した。劉は陽気な性格の陰に、何か重大な使命感のようなものを秘めている。この池袋の事件にかなり早い段階から介入していたところや、憑かれた京一たちと【憑き物】によって重傷を負った霧島が一緒にいたという事実に厳しい目を向けた事からも明らかだ。――何から何まで、アランの時とそっくりだ。
「アニキ…あんさんはほんま、めっちゃ大きいお人や。わい…わいなァ、あんな出方しよったもんだから、正直なトコ、疑われてもしゃあない思っていたんやで。それなのにあんさんは…わい、めっちゃ嬉しいねん」
それから劉は、きりっと表情を引き締めた。引き締めたというより、唇を噛み締めたようだった。
「わい…わいには、この東京でやらにゃならん事がある。せやけど…占い師やったじいちゃんからはこうも言われておったんや。――日本におる、緋勇龍麻ちゅう男と、共に戦うのが宿命やて…」
「……!?」
「せやけど…せやけどなぁ…わい、じいちゃんが言ったからだけやのうて、あんさんにも会ってみたかったんや」
「俺にか?」
「そや。――わいとあんさんは昔、一度会ってるんやで」
「――ッッ!?」
それは、どういう事だ!? 龍麻が心中で動揺する。
龍麻は自由を奪われて幼年期を過ごした。九角家の座敷牢で。その直後には、アメリカ軍で。もし劉の言う事が本当ならば、更にその以前、九角家に引き取られる前という事になる。つまりそれは、生後一年にも満たない頃…。
だが、それに付いて彼に問い質そうとした時、道路の向こうから京一の声が届いた。
「オイッ! 何やってんだよ! 信号はもう変わってるだろうが! 早く来ねェと置いて行くぞ!」
「――って、もう置いてってるやん!」
こればかりは素の彼のものだろう。絶妙なツッコミを入れると、劉は龍麻に向き直った。
「わいの方からフッといてなんやけど…この話はまた後にしとこか。今は、やらなきゃあかん事もあるさかいにな」
「そうだな」
龍麻も同意する。――葵の言葉を思い出したのだ。
――私たちの出会いを偶然で片付けるのはやめましょう
人は出会い、別れ、そして再び巡り会う。――時には、死んだと思っていた者にさえ。
考える事は後でもできる。――生きてさえいれば。
豊島区、東池袋中央公園 一七五〇時
サンシャインシティの威容を間近に見るその場所で、龍麻たちは足を止めた。敵の本拠地が解ったらまず偵察――いつも通りである。
「どうだ? ひーちゃん」
「…噴水を中心に、ざっと一〇〇名ほどが集結しているな。中央に陣取って帝王気取りだ。あのように開けた場所であの有り様では、戦術的な事は何一つ知るまい」
龍麻の差し出したライフルスコープを覗く京一。他の者は、街の案内板を写したデジタルカメラの画面を見て、火怒呂の陣形を確認する。
「あのヤロウか…。赤髪の禿にくたびれたダサイ格好――ひーちゃんの言った通りだぜ」
寝小便ってのも本当だろうな、と京一は笑う。
「それで、どうする? やはり囮には俺と京一辺りがいいと思うが?」
「いや…少数での囮作戦は却下だ。より効果的な奇襲をかける」
「奇襲って…どんな?」
龍麻は地図の一点を示す。
「第一に【憑き物】の数が多すぎる。第二に公園内…奴を中心に半径五〇メートル圏内は奴の探知能力の範囲内だと思われる。なまじ少人数で行けば警戒される上、バックアップが駆けつけるまでの数秒が命取りだ。しかし奴自身はそれほどの【力】は持っていない。この距離でこれだけプレッシャーを感じるほどの怨念を、あの程度の奴が制御できるとは思えん。そこでだ。俺を除く全員で奴の前に姿を見せろ」
地図を示しながら、龍麻は簡潔に作戦を説明する。それを頭に叩き込みつつも、一同は龍麻がどんな攻撃を仕掛けるか言わないのを不思議がっていた。勿論、彼には彼なりの考えがあるのだろうが。
「私たちはビルの中に退避して、別の玄関から出るのね? でも龍麻は、どういう奇襲を仕掛けるの?」
「――それを言ったら奇襲にならない」
龍麻は悪戯っぽく言った。勿論、ポーズである。
「動物にはある程度の精神感応力がある。作戦内容を詳しく知っていると、悟られる危険があるからな。お前たちは今、説明したルートを辿って【憑き物】を誘導。再び公園内に突入して残りを掃討すれば良い。――俺を信じろ」
「…それは勿論だが…なあ龍麻。なぜお前はここの地形にそんなに詳しいんだ?」
周囲の地形は予想以上に入り組んでいる。階段も広いのと狭いのと、通路も立体的に繋がっており、初めて来た者は迷う事請け合いだ。しかし龍麻は下見もしていないルートを正確に指示し、【憑き物】の群れを狭い通路に誘い込み、閉じ込めるような作戦を指示したのである。
「…一度、来た事があるのでな。――その階段通りに列を作った。そのような場所を戦場にするのは気が引ける」
「…………」
またぞろ、何かのイベントがあったのだろう。醍醐は余計な事をふってしまったと後悔した。なぜならば――
「残念ながらコスプレは禁止、あらゆる危険物は持ち込み不可、徹夜待ちは言語道断、スタッフは規律に極めて厳しいという、いささか制約の多いイベントであったが、やはり盛況であった。さすがはコミケと並び立つ…」
「――作戦時間はどうする?」
【このアホ!】と醍醐を肘で小突き、京一が口を挟む。すると妙に懐かしそうだった龍麻の顔が素に戻った。
「――うむ。一八〇〇時をもって作戦発動とする」
さすがに作戦中に余計な事を言ったと彼なりに反省したのだろう。咳払いを一つして、龍麻は宣言した。
各自時計合わせ。そして龍麻は、【作戦】の下準備の為、一同から離れて行った。
「龍麻さん…一人で大丈夫でしょうか?」
彼の姿がなくなった事で、さやかは僅かに不安を覚える。京一たちが強いのは知っているが、先ほど火怒呂の術中に嵌まってしまったのだ。こういう言い方は失礼だが、龍麻ほどには信頼できない。
「大丈夫だ。龍麻ならば」
醍醐が重々しく言う。
「さっきは俺達もヤキが廻ってた。だが今度はそうはいかねェ。小難しい理屈をこねず、無心で戦う。だが今はひーちゃんの作戦通りに動く事だ。――ひーちゃんなら心配には及ばねェ。あいつはいつだって、俺達全員が見えるところにいる。いや…今はちゃんと【そう】していると言うべきかな」
「そうだね。もしひーちゃんがボクたちの事を見限ってたら、【帰れ】って言ってるトコだもん」
「こういう時にこそ、龍麻の信頼に応えないとね」
初めて行動を共にする劉は勿論、さやかも霧島も、先程とは雰囲気がまったく異なる京一たちに驚きを隠せなかった。
【鬼道衆】との闘いを、さやかも霧島も話でしか知らない。自分たちが【神威】でなければ、それこそ壮大な創り話にさえ聞こえるところだ。しかし、彼ら【真神愚連隊】の誰に聞いても、鬼道衆との闘いは命懸けだったと言う。それこそ、何度も死に掛けたと。
今の京一たちは、鬼道衆と戦っていた時の、五人衆や九角と戦った時の緊張感を持って闘いに臨んでいた。さやかも霧島も、その姿に圧倒されると共に、ほんの言葉一つ、行動一つで彼らをそんな風にできる龍麻の凄さを改めて思い知った。
そして、劉は…
(緋勇龍麻…。こないに信頼されとるなんて、ほんま、凄いお人やなァ。…とても…わいには真似できへんて…)
劉の思考は、醍醐の声によって遮られた。
「一八〇〇時ジャスト。作戦開始だ」
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