
第壱拾伍話 胎動 3
「マリア先生は別として、あの連中に会ったお陰ですっかり遅くなったな」
「そうだね。でも【王華】は二三〇〇時まで開いているし、いいんじゃない?」
時計は間もなく二一〇〇時を回ろうとしている。【王華】は問題なく店を開けているだろうが、学生が制服でうろつく時間ではないだろう。そこで少しでも時間を稼ぐ為、花園神社から住宅街を抜ける、近道を辿っている一同であった。
しかし――
「ところでさァ…この辺って、こんなに静かだったっけ?」
魔界都市、新宿。その魔性は、表通りから一本裏手の路地に入ればすぐに気付く。路地に入った瞬間から、表通りの雑多な賑わいから隔絶される、夜の領域。
だが、真神の一同にとってそれは、現実の感覚として捉えられるものであった。
「――いつもこんなもんじゃねェか? ここを抜ければ歌舞伎町だしな」
「――さっきまで賑わってた所にいたから、余計にそんな風に感じるんだろうな」
そんな事を言いつつ、しかし京一も醍醐も目配せが、歩運びが変化している。
「――あまり気分が良くないわ。こんな風に見られているのって」
葵までがそんな事を言い出し、肩を竦める一同。
皆、気付いていたのだ。この周囲に立ち込めつつある【陰気】に。それがなくとも、薄々と感じられていた、新たなる闘いの予兆。まだ自分達の戦いは――終らない。
龍麻の手が動き、京一と醍醐は左右に展開する。
「ふむ…。いるな」
「ああ。…それもこいつは、タダの人間の【気】じゃねェ。――ったく、もう少しのんびりしたかったってのになァ」
愚痴っぽく零しながらも、布袋から木刀を引き抜いた瞬間、京一の身体から凛! とした【気】が発せられる。
「良いぜ、コソコソしてるこたァねェ。とっとと出てきな」
ヒュッと一振りした木刀の切っ先を、前方に垂れ込める闇の一角に向ける京一。その宣言に誘われたか、歌舞伎町界隈ではさして珍しくもない顔ぶれのチンピラ達がまろび出て来る。
だが、彼らの放つ雰囲気は――
「チッ、どいつもこいつも人間のフリしやがって。ちょいとばかり痛い目に――」
と、京一がそこまで言った時であった。
「ぐるる…ごるる…グルルルルゥゥゥゥゥッ!!」
「うがが…ぐおお…グオオオァァァァァッッ!!」
突如としてチンピラたちは苦しみ出し、全身を痙攣させながら路上に吐瀉物を撒き散らす。やがて不気味にびくびくと脈打つ筋肉が膨張し、服どころか皮膚まで引き裂いて更に盛り上がる。この現象は――!
「――って、オイオイ、マジかよッ!?」
「ウソでしょ!?」
「こ、こんな事ができるのって――!」
『グオオオオオオァァァ――ッッ!!』
骨にまでびりびりと響く吠え声。そこに立っていたのは、五人にとって見紛う事なき異形のもの、彼らの宿敵、【鬼】であった。
「ふっざけやがって…どこの馬鹿の仕業だッ!」
人が鬼に変わる――鬼を実体化させる――【鬼道】。それを操る者は、既にこの世にいない筈であった。だが、現実に、目の前に鬼がいる。ガチガチと牙を鳴らし、大地を踏み鳴らして――!
「だが…今はやるしかないなッ!」
――だろう、筈だ・・・仮定の話など、戦いの場には不要だ。京一が木刀を青眼に構え、醍醐が拳を打ち鳴らした。それが、戦闘開始の合図――の筈であった。
「「「ちょおぉぉっと待ったァッ!!」」」
プシュウゥゥゥゥ…ッッ!
せっかく溜めた気合が一気に気抜けし、へなへなと腰砕けになる京一と醍醐。
「あっちゃ〜っ、なんでこんな所に…!」
龍麻を含めた全員の気持ちを代弁し、小蒔が天を仰ぐ。この状況下、派手に炸裂する爆竹の音と光の中、颯爽と登場してきたのは、既に変身したコスモレンジャーであった。
「この世に悪がある限りッ!」
「正義の祈りが我を呼ぶッ!」
「三つの心を一つに合わせ――」
と、先程と同じ名乗りを上げる彼らを、京一が一喝した。
「テメエら! 何しに来やがった!」
「ちょっとぉ〜、大事な決め台詞なんだから、邪魔しないでよッ!」
「それは判っているが(「判っているんかいッ!?」…龍麻以外の真神陣)、夜更けの住宅街で爆竹を鳴らすのは迷惑だ(「――って、そういう問題かッ!?」…やっぱり真神陣)」
まさかそういう切り返しが来るとは思わなかったのか、ちょっとうろたえるコスモレンジャー。
「ゴホン――と、とにかく、この場はコスモレンジャーが引き受けた!」
「一般市民は、おとなしく避難するんだッ!」
いつもはそれを言う側であった京一は、木刀を肩に担いで肩を竦める。
「別にいいけどよォ…お前ら、アレを相手にする気か?」
クイクイ、と親指で変生したての【鬼】を指し示す京一。一度緊張が破られてしまうと、それを取り戻すのは結構大変なのだ。特に今回のような場合は――
「キャーッ! なにアレ!? 化け物ッ!?」
「な、何だってェ!?」
「どわァッ! 何だありゃ! ――よ、よくできた着ぐるみだな…!」
とまあ、状況認識のできない輩がそばにいると、真面目にやっているのが馬鹿らしく思えてしまうのである。
しかし、それも【鬼】たちが完全に変生し、一斉に吠えるまでだった。
「ガンは使えん。小蒔、先制攻撃を任せる。京一、右翼に付け。醍醐は葵と小蒔のガードを。あの連中は――任せる」
「やれやれ、やむを得んな」
龍麻と京一が前に出るトライアングル・フォーメーション。殲滅隊形。
「【真神愚連隊】! 戦闘開始(! フォーメーションD(デストロイ)! 突撃(!」
「了解ッ、ひーちゃん!」
そうは言っても、小蒔の手に弓はない。しかし、小蒔が両手首のブレスレットを二回打ち合わせ、左手を前に突き出すと、そこに彼女愛用の弓と防具が光と共に出現した。そして――
「行っくぞーッ!!」
ザッ、と左右に散る龍麻と京一。そこに、雨あられとばかりに矢が撃ち込まれた。
和弓を武器とする小蒔は、移動の際に武器がかさばるのと、準備に弱冠の時間を必要とする事、そして、矢が尽きると何もできなくなってしまう事が欠点であった。だがこの二つのブレスレットは使用者の意志に応じて亜空間内に保管した武器や道具類を呼び出す事ができる。これにより小蒔は一見無手に見えながら、瞬時に弓を取り出し、また、実に百本からの矢を持ち運べるようになったのだ。――IFAFエージェントの如月舞や暁弥生が虚空から日本刀やハリセン(!)や巨大信楽焼の狸(!!)を取り出すのを見て、その秘密を教えてくれと懇願した結果、彼女たちがこのブレスレットを譲ってくれたのであった。
そして今や、小蒔は矢を番える動作をするだけで、矢が手の中に出現する。矢筒から矢を抜くアクションが消えた分、小蒔の速射はマシンガンのようであった。
『グガアッッ!!』
『ゴワァァッッ!!』
たちまちの内に掃討されていく異形の【鬼】。これまで闘った【鬼】より耐久性は高いようだが、矢の残数を気にしなくなった小蒔によって二、三本づつ矢を叩き込まれてはたまらない。急所である頭部に直撃したものはその瞬間に炸裂して消滅する。その他の部位に命中して、それでも向かってきたものは――
「【掌底・発剄】ッ!」
「【剣掌・発剄】ッ!!」
態勢充分に待ち構えていた龍麻の掌底と、京一の木刀から発せられる剄が、ただでさえ小蒔の矢で生命力をもぎ取られていた【鬼】に止めを刺していく。彼我の距離を弁えた上で、敵の攻撃が届かぬ位置から遠距離攻撃で体力を削ぎ落とし、攻撃力と敏捷性に優れた前衛が止めを刺す――卑怯と言う者もいるかも知れないが、絶対的に正しい戦術であった。まず、負けない事――異形との闘いにおいて一番大事な事を、龍麻たちはIFAFエージェント達から改めて学んだのだ。
だが、狭い路地なので、【鬼】の何体かが一同の背後に回り込んできた。
「やっ、ヤダッ! ちょっと、こっちに来たわよッ!」
「わわわッ! ちょっと待てよ!」
「く、くっそオーッ! 俺っちの力を見せてやるッ!」
はっきり言って邪魔なコスモレンジャーが声を上げるのに、【鬼】の咆哮よりももっと凄い【白虎】の一喝が飛んだ。
「お前らァ!! じっとしてろッッ!!」
落雷のような怒声にビクウッ! と身を竦ませる三人。その頭上を軽々と飛び越え、醍醐は両手に【気】を集中する。
「【円空破】ッッ!!」
地面に叩き付けられた【気】が広がり飛ぶ波動となり、【鬼】どもを吹き飛ばす。その一撃で瀕死になる【鬼】どもであったが、醍醐は更に念を入れた。真正面で辛うじて立っている【鬼】に向けて、豪快な廻し蹴り――【稲妻レッグラリアート】!
『ギシャアァァ――ッッ!!』
珊瑚の触手のような電撃のスパークを閃かせつつ、後ろにいた仲間をも巻き込んで吹き飛ぶ【鬼】。挟み撃ち? ――愚策の極みであった。
「これで――終わりッ!」
小蒔の【通し矢】が、最後に残っていた鬼の首を二体まとめて刺し貫き、戦闘は終った。
だが、その時である。【鬼】が消滅する際に発する【陰気】に紛れ、塀の裏に隠れていた鬼が三体、龍麻たちの陣形のど真ん中に飛び込んだ。
「――ッッ!!」
そこにいるのは、近接戦闘力のない葵と小蒔、そして、基本的には一般人と変わらぬコスモレンジャー!
「――行くぞッ!」
「――よっしゃッ!」
龍麻、京一、醍醐の考えが一致――と言うより、考える前に身体がそのように動いた。正三角形のポジショニングから発動する【方陣技】、【サハスラーラ】!
『破ァァァァッッ!!』
暗い路地に恒星が出現したかのような光が満ち――光が収まった時、今度こそ完全に戦闘は終了していた。
「全員、無事か?」
本気で心配してはいないが、そう確認するのは指揮官の務めである。龍麻の問いかけに、京一があっさりと応える。
「問題なし。もっとも、俺達だけだが…な」
【サハスラーラ】は【陰気】の強いものだけを選択的に消滅させる技だ。従って、その力場内にいた葵や小蒔は勿論、コスモレンジャーの三人にもまったく影響は出ていない。しかし、それを知悉しているかいないかで、彼らの反応は大きく異なっていた。葵と小蒔が平然と周囲を見回し、戦闘終了を確認したのに対し、コスモレンジャー三人組は、茫然自失といった体でその場にへたり込んでしまったのだ。
「三人とも、大丈夫…?」
小蒔が心配して彼らの顔を覗き込んだが、彼らは曖昧に肯くだけである。
「ショックがでか過ぎたんだろうな。――それより桜井、矢を回収した方が良い」
「ウンッ、そうだね」
唯一、自分達にサインを求めてきた少女を目で追った三人は、またしても信じられない光景を目にする事になった。小蒔が両手首のブレスレットを三回打ち鳴らすと、彼女の弓も、辺り一面に転がっていた矢までも、ぱっと光を発して消えてしまったのである。
「便利だなァ〜、それ」
「エヘヘッ、暁さん達に感謝だねッ」
最初の頃は全員で矢を拾い集めていたので、百本近い矢を一瞬で回収できるなど、便利な事この上ない。龍麻はその機能に非常に興味を示し、【彼ら】のリーダーである豹馬に仲間たちの分も何とかならないかと相談を持ち掛け、如月骨董店に卸すように約束を取り付けている。これを全員が装備すれば、弓のみならず槍や薙刀、果ては銃なども、誰にも気付かれる事なく持ち歩けるようになり、移動の際に常に気になる【凶器準備集合罪】の心配をしなくて済む事だろう。薬品や道具類に関してもまた然りである。
それはさて置き、当面の問題は新たに現れた【鬼】である。
「…どう思う、龍麻?」
「こいつらが【外法】によって作られた【鬼】である事は間違いなかろう。問題は、誰が【外法】を行使したかという事だ」
九角が死に、鬼道衆は壊滅。軍産複合体もIFAFの介入によって【日本軍事大国化計画】は頓挫した。その残党が残っている可能性はあるが、実質的に【外法】を駆使できたのは九角以下、鬼道五人衆だけだ。事実上、【外法】を使えるものは存在しないと言って良い…筈だ。ある…一つの可能性を除いては。
「ヤツラの狙いは間違いなく俺達だろうぜ。クソッ、ふざけた真似しやがるぜッ」
「ああ。こんな街中で襲ってくるとはな」
祭りで楽しんできた後だけに、一気に闘いの場に引きずり戻された苛立ちは大きい。京一は吐き捨てるように言い、醍醐も難しい顔で肯いた。そして一同の話す内容は解らずとも、そのやり取りで、コスモレンジャー達は龍麻たちがそのような戦闘に慣れている事を悟った。
「アンタ達…ただモンじゃないような気はしてたけど、まさか、いつもあんなのを相手に闘ってんのか?」
真神の一同は、この時些細なミスを犯した。紅井が恐る恐る尋ねた時、龍麻はこの事態に対する推理で頭を働かせており、京一たちにしても「何で鬼が…」という疑問があった為、彼ら三人の事をすっかり失念してしまっていたのだ。
「ん――、ああ。今回のはまだマシな方だな」
「鬼には違いないけど、ただの妖気の塊だもんね」
「五人衆はシャレにならなかったよな。九角にゃ十四人がかりだったし」
「でも、今日の敵も決して弱くはなかったわ。小蒔の援護がなかったら危なかったかも」
「そうだな。小蒔、偉いエライ」
「なんだよォ。馬鹿にしてるみたいじゃん」
「ちゃんと誉めてるじゃねェかよ」
「そうとも。桜井のお陰で俺達は止めだけ刺せば良かったしな」
一応、深刻なつもりであるが、傍から見れば、それは呑気な会話であった。内容は恐ろしく物騒だが。
「妖気の塊とか…今日のはまだマシとか…なんだよ、それ…」
やはり恐る恐る、黒埼が突っ込むと、
「あ? だから、やばい【気】を固めたり、人間を鬼に変えちまえる奴がいるって事だよ。――にしても、本当に誰だろうな?」
「やはり俺達のような【力】を持っている【神威】だろうか?」
「うーん、そうかも知れないね。この三人だってそうなんだし、もっといる可能性もあるよ」
「まだ、私たちの戦いは終らないのね」
更に、やっぱり恐る恐る聞く本郷。
「【力】って…私たちのと似てる…あの必殺技の事…?」
「似てるって言われるとムカつくな。まァ、三人揃った時に使える【力】なんだから、同じように見えるのも無理はねェ」
「でも【方陣技】だけ使えるのって、ちょっと変わってるよね?」
「そうだな。本来なら個人個人にももっと【力】があって良いと思うが」
「でも、私たちも最初は弱かったんだし…」
呆然と彼ら一同の話に聞き入るコスモレンジャー。しかし、そこに沈思黙考していた男の声が掛けられた。
「……………(充填率一〇〇パーセント)…アホ」
「イテッ!」
「うおッ!」
「わッ!」
「キャアッ!」
溜めに溜めた龍麻の一言に次いで、コン! カン! クワン! カポン! という音が四つ鳴り、地面にカラカラ〜っと音を立ててアルミボウルが転がり、次の瞬間、消滅した。
「み、見たか、今のッ!?」
「み、見た! 確かに今…!」
「ボウルが…カラカラ〜って…」
虚空から出現したボウルがドリフのコントよろしく、真神の四人の頭に落ちてきたのを目撃してしまい、更に呆然とする三人組。
しかし、遂にイメージのみならず物質化し始めたドリフ的ツッコミを、あっさりさっぱりすっきり無視して話を進める龍麻であった。
「状況も弁えず機密事項をべらべらと。お前たち全員、霊研で一週間の超過勤務だ」
「なッ、ひーちゃん! 俺達を殺す気かッ!?」
「…文句があるか?」
「「「「…ありません…」」」」
久々発動の【鬼軍曹モード】! 加えて一瞬、龍麻の顔だけが十倍加する。その迫力に逆らう度胸は京一や醍醐ですら持ち合わせていない。
だが、龍麻の【鬼軍曹モード】の恐ろしさを知らない者がここには三人もいた。
「ひょっとしてあなた達も…正義の味方なの…?」
あまりにも場違いな問いに、思わずずっこける京一たち。しかし、龍麻は表情一つ動かさず、彼らを振り返った。
「…ッッ!」
この世のものとも思えない【鬼】と闘い、勝ってしまった四人さえも竦ませた男の視線を向けられ、コスモレンジャー三人組は身が凍り付くのを感じた。
「今見た事は誰にも喋るな。全て忘れろ。――死にたくなくば」
「し…死ィ…ッ!?」
それ以上は、【勇気】がどうとか言っていた紅井も、声帯が凍り付いて声にならない。龍麻の声はそれほど冷え切っていた。
「ここが、最後の一線だ」
かつて、青山墓地で仲間たちに告げた事とそっくりな台詞を、龍麻は口にした。
「今の【鬼】達も、元を辿ればただの人間だ。恨みや憎しみを溜め込み、それを利用されたと言っても、何も知らねば、社会の片隅でありふれた一生を送っていた、ただの人間だ」
「……!」
「俺は殺せる。一瞬の躊躇も、一片の後悔もなく、奴らを殲滅できる。なぜならそれは正義などではなく、俺の存在理由であるからだ。だが、お前たちはどうだ――学生さん?」
今なら、京一たちにも、かつて龍麻がそれを口にした時の心境が理解できる。甘っちょろいヒューマニズムの介入する余地のない戦い。それに挑むという事がどのような事なのか。真の【闘い】がどのようなものであるのかを。
「――ここまでにしておけ。これは、子供向けヒーロー番組とは違う。殺るか殺られるか――この唯一絶対の真理の下に行われる、血みどろの戦争だ。真の平穏を望むが故に、虚構の平和を乱し、正義にあらぬ力も振るう。――次は死ぬぞ。確実に。――俺が手を下すまでもなく」
バサッとコートを翻し、肩で風を断ち切る龍麻。
その姿を見ながら京一は【やるもんだな】と胸の内で唸った。
龍麻は基本的に、好奇心の果てに自滅するような輩は相手にしない。警告をした後、それを無視した者がどうなろうと知った事ではないという姿勢を取るのだ。龍麻を始めとする【魔人】達の闘いに関わる事は【死】と直結する。だからこそ、一般人の介入を防ぐ為に彼はこのような脅しを口にするのだ。そして彼がそれを口にした時、無視できる者はほとんどいない。
――ほとんど、であった。
「…カッコイイ…」
もはやこの場に用はない。三人組に背を向けて歩き出した龍麻に付き従い、踝を返した京一たちの耳に、そんな言葉が届いてきた。
「凄いな…胸にこう…ジ〜ンと来た…!」
「お、俺っちは今、猛烈に感動しているッ!」
物凄く嫌な予感と共に振り返る京一たち。龍麻は背を向けているが、背筋に悪寒が走ったのは皆と同じようだ。
「俺達は…俺達はなんて未熟だったんだッ! この平和な街の陰で、志を共にする仲間たちが闘っていたというのに、それに気付かなかったなんて…!」
(気付かんで良い。気付かんで)
「ああ…! これほど巨大な敵が間近に迫っていたとは…! 今こそ俺っちたちコスモレンジャーの力が求められる時だッ!」
(いや、求めてないって)
「そうよ! これから私たちの本当の戦いが始まるのよ!」
(あなた方じゃなくて、私たちのだと思うんですけど…)
三人組は、既に脅えてなどいなかった。本物のヒーローに出会った(ある意味そうだが)子供のような、恋する少女のようなキラキラうるうるする目を龍麻たち一同に向けていた。当然、醍醐、小蒔、葵がこっそり入れたツッコミなど、耳に届いていない。
「よし! 今日からコスモレンジャーは、アンタたち【真神愚連隊】の味方だッ!!」
「護るものは虚構の平和でも、虚飾の正義でもなく、平穏なる世界…! 俺達コスモレンジャーも、真の世界平和の為に力を貸すぜッ!」
「そうよ! 敵は巨大で凶悪だわ! それに立ち向かう為にも、愛と勇気と友情で団結するのよッ!!」
本日二度目。【コスプレイヤー、断じて侮るべからず】。
彼らの壮絶なまでの思い込みは、龍麻の脅しすら自分たちが都合の良いように解釈してしまったのである。しかも極めて上昇志向の強いヒーロー願望は、【本物】に求められる【覚悟】をとことん肯定してしまったのである。
「――という訳で! 緋勇龍麻に【真神愚連隊】! これからは師匠と呼ばせてもらうぜッ!!」
「ああ! 未熟な俺達だが、すぐにパワーアップしたコスモを見せてやるからなッ!!」
「龍麻君! コスモピンクをよろしくねッ!!」
口々に叫ぶ彼らに、ああ…と脱力する京一たち。
「…どーすんだよ、ひーちゃん? 火ィ点けちまったみたいだぜ…」
「【鬼】を現実に見たというのに、どうしてコスプレイヤー(龍麻含む)というのはこんなに頭の切り替えが早いんだ?」
「まさか、ひーちゃんの脅しが通用しないなんてね…思ってもみなかったよ」
「脅す口調は凄かったけど、やっぱりネコミミと綿飴とその他諸々のファンシーグッズがいけなかったのね…」
「むう…」
【あの】龍麻をして意外極まった三人組の反応に加え、仲間たちにまでこき下ろされ、さすがにへなへなと腰砕けになった龍麻であった。【鬼軍曹モード】初の強制解除である。
「どうしたんだ、師匠!? 遠慮は要らないぜ! アンタたちがピンチの時にはすぐ駆けつけるぜ!!」
「そンときゃマジで死ぬ時だぜ…」
「俺達に任せておけば万事OKさ! なっ、ひーちゃん?」
「あ、いきなり馴れ馴れしい発言ッ。いくらひーちゃんの同類(笑)だからって」
「そうと決まれば、早速特訓よッ! 愛の力があれば、倒せない敵なんかいないわッ!」
「同意しても良いのかしら…?」
今度は京一、小蒔、葵が突っ込むが、気勢を上げる三人組はやっぱりさっぱり聞いていない。
何やら深刻な精神的ダメージを蒙ったらしい龍麻の肩に、醍醐がそっと手を置いた。彼は、イイ奴である。
「気にするな、龍麻…。彼らには何を言っても無駄だろう…」
「……次善の策があるにはあるが…」
ちょっぴり震える手をコートの内側に滑り込ませようとする龍麻。
「やめんか! ――この際適当な事を言って、うまく言いくるめた方が良いだろう」
「うむ…。かなり難しい気もするが…」
珍しく醍醐が悪巧みを、そして更に珍しく龍麻が気弱な発言をした時である。
「――ッッ!」
ふわ、と湧き起こった【陰気】に、瞬時に戦闘体制に入る【真神愚連隊】。コスモの三人は、やはり何事が起こったのか解っていない。
「チッ! まだ生き残りがいやがったか!」
「待て、京一! 様子がおかしい! 迂闊に近寄るな!」
路地に色濃く残っていた【陰気】が、それこそ綿飴のように収束し、鬼の首だけを形作る。しかしそれは出来の悪い粘土細工のようなもので、表面はぶよぶよと波打っていた。
だが――
『竹林に――底深き怨念の花ぞ咲く――我――竹林に――龍を捕らえて待つ――』
【竹】に【龍】、そして【鬼】。そこから導き出された答は――
それだけを伝えるのが役目だったのか、警告とも挑戦状とも取れるそれを語り終えたと同時に、鬼の首は消滅した。そして、その意味を理解できぬ者は、【真神愚連隊】には存在しなかった。
「竹に…龍って…まさかッ! おじいちゃんがッ!!?」
京一たちが一斉に龍麻を振り返る。
「――ッ全員、龍山邸に向かう! ――俺は先行する!」
龍麻は道路を蹴り、たったそれだけで建売住宅の屋根まで飛び上がった。
まさか、また一人でッ!? ――そう思った一同であったが、それは杞憂に終わった。
「京一、来い!」
「オッ、応ッ!」
腰のベルトに木刀を挟み、京一も地面を蹴った。さすがに一蹴りで、とは行かないものの、壁を二回蹴って龍麻と同じ屋根まで飛び上がる。これには醍醐たちも目を見張った。
「お前達はなるべく急げ!」
二人揃って走り出し、龍麻が左腕を鋭く振ると、例のワイヤーが飛び出して雑居ビルの配管を捉える。空中に飛び出した龍麻と手を繋ぎ、大きく振り子運動をして次の屋根に跳ぶ京一。龍麻は更にワイヤーを射出し、次々と家の屋根を飛び越えていく。
「ひええ。京一ってばいつのまに…! あれが特訓の成果なのッ!?」
「ああ、二、三度死ぬほどの無茶もやったしな。俺達も急ぐぞ! 美里、桜井!」
龍麻の身体能力に付いて行けるのはせいぜい如月くらいだが、京一もスピードにかけてはこの二人に迫る。京都で受けた【ストライダー】達の特訓で、更に敏捷性を磨いたのだろう。
(独走はしない…か。龍麻なら大丈夫だ)
龍山邸への最短距離を行くべく龍麻と京一が屋根の向こうに消えるのを見やり、醍醐は葵と小蒔を先導して走り始めた。
ところが、何を思ったのかコスモレンジャー三人も彼らにくっついて走り出したではないか。
「お前ら! 何で付いて来るんだ!?」
さすがに醍醐が怒鳴ったが、再びマスクを被って【変身】している彼らの顔を見るとどうしても笑ってしまう。
「そりゃないだろッ!? 俺っち達コスモレンジャーはアンタたちに手を貸すと決めたんだッ!」
「――冗談事じゃないんだよッ! 悪くすれば死んじゃうんだよッ!」
「それは、アンタたちだって同じだろッ!? 水臭いぜッ!!」
醍醐たちは息を切らせて走るが、コスモレンジャー三人組はそんな事もなかった。真神の一同は知らぬ事だが、この三人は武器にしているものを使うスポーツ…野球とサッカーと新体操の分野で、それぞれ華々しい活躍をしているのだ。つまり、肉体の潜在能力を解放しない状態においては、三人組の方が身体能力に優れていて、醍醐たちでは彼らを振り切る事などできないのであった。しかもこの三人は、既に知ってしまったのだ。龍麻が――【スパイ○ーマン】である事を。
「…判るか、京一?」
「ああ…。今なら判る。だがよ…なんであいつが…!」
龍山邸へと続く竹林の奥から吹きつけてくる、圧倒的なまでの妖気。ただ、そこにいると判っただけで、全身を生ぬるい汗が伝っていく。思わず身体中をかきむしりたくなるような蟻走感。この気配は、かつて鬼道衆との決戦の場となった等々力渓谷に通じるものがあった。
かつてここに出向いた時は不平たらたら洩らしたものだが、竹林自体は清涼な風を渡らせる心地よい場所であった。それが今ではどうだ? まるで濃霧の中にいるかのように、五メートル先が見えないと来ている。濃密な妖気が周囲の空間を歪ませ、そこにあるべき風景を呑み込んでしまうのだ。そして、それを具現するほどの妖気を放つものを、龍麻たちは一人しか知らなかった。
「――いかんな。電波が飛ばん」
この先に待つ【敵】の正体が判明した以上、このまま二人で突っ込むのは無謀だ。そう判断して支援要請を出そうとしたのだが、携帯電話は沈黙したきりであった。しかし今更戻ろうにも、龍山が仕掛けたものとは違う結界が作用したものか、帰り道が消滅している。先に進むしかなかった。
「ジジイが心配だが…この際仕方ねェ。醍醐たちを待とうぜ。ひょっとしたら援軍を連れて来るかも知れねェしな」
「うむ…。俺とした事が、痛恨のミスだ」
「――気にすンなよ。あんな連中と一緒にいたんじゃこっちのペースが狂うのも無理ねェさ。――それよりひーちゃん。まさかとは思うが――あの【ザ・パンサー】に妙な対抗意識を持ってねェだろうな?」
「…?」
問われた意味が解らず、不思議そうな顔をする龍麻に、こりゃ愚問だったかと頭を掻く京一。
「――いや、解らなけりゃいいんだ。別に…な」
そう言葉を濁す京一であったが、この数日、龍麻と共に旧校舎に潜っている彼としては、その辺が気になる所であった。鬼道衆との戦いは終ったというのに旧校舎に潜ったのは、更なる高みを目指す為である。修学旅行先で見たIFAFエージェントの戦い振りは京一の闘志を奮い立たせるに充分であったし、彼らから学んだ技術や戦術は必ずや己の為になる素晴らしいものであった。そして何より、あの響豹馬こと【ザ・パンサー】。剣士としては勿論、如月舞の事も絡み、京一は彼に強い対抗意識を持っていたのである。まあ、失恋の痛手を修行で晴らしていたとも言えるのだが。
ところが、よくよく見てみると、龍麻もそんな感じなのである。以前は相手を確実に、迅速に制圧する作戦を立て、確実に仕留めていくのに、近頃の彼は主に個人戦闘能力向上に重点を置くようになり、彼をしてもやや無茶と思えるような闘い方をするようになっている。勿論それは全体の戦闘力の底上げにも繋がるから良いのだが、それはあの深夜の露天風呂で、豹馬や舞に言われた事〜己の限界への挑戦を実践しているかのようであった。そして、【型】によるシャドーファイトをする時の仮想敵は、どうやら響豹馬であるらしいのだ。
【お前の指揮は、仲間を殺す】
龍麻は彼にそう言われている。京一には断固否定したい言葉であるが、龍麻はそれを真摯に受け止めている。しかし、やはり豹馬自身が言ったように、龍麻も如月舞に魅かれているようなので、それが彼に対する対抗意識になって、本当に戦闘中のミスに繋がりはしないか――京一の危惧はそこにあった。
「彼は強い。だが、俺達とは違う道を行くものだ。対抗意識は無用だ」
龍麻がそう言った時、後方の霧の中から、醍醐たちの声が響いてきた。
「――龍麻ッ!!」
「意外と早かったじゃねェか――って、何でこいつらまで連れて来るんだよッ!」
ひょっとして援軍を連れてくるかも…と、淡い期待を抱いていた京一は激発した。そりゃそうだろう。これからとんでもない強敵と闘り合う可能性大なのに、援軍は一人もおらず、コスプレイヤー(笑)が三人もおまけに付いてきたのである。
「仕方ないじゃないかッ! 勝手に付いてきちゃったんだよッ!」
「俺もてっきりここの結界で引き離せるかと思ったんだが…甘かった」
「途中で説得したんだけど…聞きいれてもらえなかったわ…って言うか、とてもこの人たちを言い負かす自信もなかったし…」
三者三様、言い訳がましいが、恐らく自分たちがいても結果は同じだったろうと、返す言葉もない龍麻に京一であった。ただ龍麻なら、必要ならば腕ずくででも彼らを止めていたかも知れないが。
「お前たち…ここまで来たら、もう帰れんぞ」
言っても無駄だと解っているが、それでも何も知らずにいるよりはと、龍麻はコスモの三人組に向かって言った。
「う…! ああっ!? こ、ここは何処なんだ!?」
「な、なにコレ!? 何にも見えなくなってる!」
「な、何がどうなっているんだ!?」
ここまで来て、今更そんな事を言うか。京一たちは盛大にため息を吐いた。
「ここはお前たちの知っている【新宿】ではない。言わば別次元だ。正確な帰り道を知っているか、この空間を維持しているものを倒さぬ限り帰れん。――生きて帰りたければ、俺の命令に従え」
「お、おい! ひーちゃん!」
京一が抗議の声を上げたが、すぐに押し黙る。いくら気に入らないとは言っても、はいそうですかと見捨てるほど彼は薄情ではない。
「も、勿論だ! 連れていってくれるんだなッ!?」
(勝手に付いてきたんだろうに…)
「解っている! アンタたちの言う事に従うさ!」
(だったら素直に帰ってくれれば良かったんだよ…)
「私たちなら大丈夫よッ! 気にしないで存分に闘って!」
(…いるだけで邪魔なんだけど…)
途中で彼らを振り切る事ができなかった三人がコソッと突っ込むが、当然、誰も聞いちゃいない。
「ならば今の内に命令しておくぞ。絶対に出て来るな。たとえ俺達が死のうとも、お前たちは絶対に隠れていろ。顔を出せば、その瞬間に死ぬ。ここは――そういう世界だ」
有無を言わせず言い切り、龍麻は肩で風を切り、竹林の奥――未だ見えぬ龍山邸に視線を据えた。そして、いつものように告げた。
「【真神愚連隊(】、戦闘開始(。――幸運を(!」
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