第壱拾伍話 胎動 2





「わぁ…提灯がこんなに一杯…」

「あァ、それに結構な人出だな。明るいからって迷子にならんようにせんと」

「何だよ醍醐ォ、ガキじゃあるまいし」

「うふふ、醍醐君ったらまるでお父さんね」

 四者四様の言葉を聞きつつ、龍麻はなるほどこれが縁日と言うものかと、一人納得していた。

 参道の両脇をびっしりと埋める様々な屋台。そして、暗闇を暖かい光で退ける無数の提灯。やきそば、たこ焼、お好み焼きなどに代表される定番料理の匂いと、威勢のいい掛け声。行き交う人々の顔は皆、華やいでおり、日々のストレスや不満、不機嫌を持ち込んでいる者など一人もいないかのようであった。

 これならば、仲間たちが来たがったのも分かる。龍麻もこういう雰囲気は嫌いではなかった。人々が活気に満ち、笑顔の方が確実に多い光景はこちらの気分まで和やかにさせてくれる。

「オッ、前方十時方向にやきそばの匂いを捕捉!」

「あっ、前方十三時でくじ引きやってるっ」

 京一と小蒔がはしゃいだ声を上げるのに、醍醐が苦笑して、

「やれやれ。とても高校三年とは思えんな。しかしこれだけ屋台があると目移りして困る。――龍麻ならこんな時どうする?」

「考えるまでもなかろう。このような場合は手前からローラー作戦に限る」

 つまり、手当たり次第に見て回ると…? 龍麻がそんな、一見無計画にも思える事を言ったので、醍醐も葵も微笑を零した。

「それじゃ、まずはやきそばからだねっ。レッツゴー!」

「よっしゃ! じゃ、行くぜ!」

 方針さえ定まれば、行動はあっという間である。早速人波を泳ぐようにしてやきそばの屋台に辿り着いた二人は、【早く早く】と残る三人を手招く。

「うふふ、二人ともはしゃいじゃって。さ、私たちも行きましょう」

 葵に促されて龍麻たちが屋台に辿り着くと、丁度鉄板の上に新たな具が投入され、ジュージューと耳に心地よい音と、鼻につんと抜けるソースの香ばしい匂いがぶわっと膨れ上がるところだった。

「いいにほひ〜っ」

 待ちに待ったこの瞬間に、半ばトリップしている小蒔。

「このソースの匂いが何とも…。今なら丁度出来立てだぜッ」

 と、そんな二人を現実に引き戻す無粋な数字が目に入る。

「一皿五百円…。う゛〜〜〜〜〜〜〜ん、どうしようかな…?」

 ここに、日本の資本主義的暴利を貪る習慣が窺える。縁日や祭りの屋台の品は、相場というものを考えた場合、かなりの高額である。発展途上国の闇市ならばいざ知らず、遊園地やテーマパーク、ボウリング場などでも、ありふれたジャンクフードが相場の五割増しなど当たり前。休前日のホテル代の変動や、果ては駅売店のビニール傘の値段(雨が降ると高くなるのだ)に至るまで、言語道断の値が付けられるのだ。しかし多くの日本人は、その場の空気に呑まれてしまい、高いと知りつつ手を出してしまうものなのだ。

「案ずるな、小蒔。悩まずとも【基金】から出せば良い」

 【基金】とは、例の旧校舎探索において入手できる金の事である。勿論これは龍麻によって厳重に管理されているが、ちゃんと個人の取り分に付いて計算されている上、一介の高校生の貯金としてはもはや論外、一般人なら新築のマイホームを考える金額に達している。

「――とは言え、それも無粋だな。この場は俺が出しておこう」

「エッ!? いいのッ!? やったァ! ありがと! ひーちゃん!」

 さすがは高校生にあるまじき財力を誇る男、太っ腹である。しかし小蒔が飛び跳ねて喜んでいる一方で、京一が「それなら俺も!」と言うと、即座に「却下」と告げる。

「な、何だよひーちゃん! 男女差別だぞッ!」

「何を言うか。月々のバイト代(隠語である)を尽く食い潰すのはどこの誰だ? そして小蒔はバイト代から弟達の菓子なども買ってやっているのだ。少しは見習うが良い」

 それから龍麻は、さりげなく醍醐の背を叩いた。

(次はお前が出せ)

 龍麻の手指がそう言っている。醍醐は一瞬、難しい顔を赤くしたが、小さく肯いてみせた。

「貴様には二千円の資金を与えよう。他人をあてにする前に、自分でやりくりしてみせるがいい」

 なんだかんだ言っても、イベント好きな龍麻である。口ではきつい事を言いながら、彼の財布の紐は緩んでいるようだ。

「オオッ! やっぱりひーちゃんは話が分かるぜ! ――オッサン! 一皿くれ!」

 喜色満面で注文を出す京一に、醍醐も葵も苦笑する。

「龍麻…甘やかし過ぎは良くないんじゃないか?」

「龍麻、優しいから」

 二人の意見に【激しく同意】しつつも、奢ってもらえる嬉しさの方が優先している小蒔は「ボクにも一皿!」と注文する。

「どうでもいいけどよォ。小蒔、お前って冗談抜きで、餌につられて誘拐されるタイプだな」

「なんだよォ。――京一みたいな甲斐性無しに、そんなコト言われたくないよーだっ!」

「俺が甲斐性無しなら、お前は穀潰しだっつーの!」

 言葉だけならいつもの言い合いだが、二人とも相手の顔など見ていない。屋台の主人の手によって華麗に舞うやきそばが白いトレーにこんもりと盛り付けられ、ぱっと青海苔が散らされるのに注目している。

「へいお待ちっ!」

 二人の休戦協定は、その一言で決着が付いてしまった。「「いっただっきまーすっ!」」と声をハモらせ、熱いところを頬張る。

「うーん、ほいひい…」(うーん、おいしい)

「ほのひょっほひーふはほおふはははんへえ…」(このちょっとチープなソースがたまんねえ)

 グルメ番組で、料理を口に放り込んだ瞬間に「美味しいですか?」と聞かれたリポーターでもあるまいし、やきそばを頬張ったまま感想を述べる二人。

「うふふ。二人も、ちゃんと呑み込んでから喋った方がいいわよ」

「まったく行儀の悪い…」

 呆れて苦笑する葵と醍醐であったが、その光景を見ている龍麻の雰囲気がとても優しいものになっている事に気付き、ちょっと驚いた。旧校舎での訓練が終った時、皆で彼の作ったスタミナ食などを摂る時などでも、なるべく規律を守るのが彼流なのだ。

 龍麻は思い出していたのだ。ある作戦の時、感情凍結処置を施されぬ状態で、作戦を共にした部隊の軍曹からチョコレートを貰った時の事を。あの時、レッドキャップスとして訓練を受け始めてから、初めて【口から】食物を摂った。仲間たちに至っては、【製造】されて初めて【ものを食べる】という行為を行った者すらいた為、直径五ミリの鉄線を噛み千切る歯で包装紙ごと齧り付く者、握り締めた手の体温で溶けたチョコを嘗める者、そして一人の例外もなく口の周りをチョコまみれにした、酷く行儀の悪いものとなったのだ。今の京一と小蒔にその時の光景が重なり、胸に熱いものを感じる龍麻であった。

 しかし、珍しく感傷的な龍麻の雰囲気をぶち壊す声が響いてきた。

「ホントホントッ。同じ真神の人間として恥ずかしいったらありゃしないわよッ」

「あら? アン子ちゃん」

 いつのまにか忍び寄っているのはどちらかと言うと裏密なのだが、この新聞部部長も【仕事】の時にはストーキングを得手にしているようだ。なぜ【仕事】だと解るかと言うと、彼女のトレードマークであるカメラにストロボの他、小型の三脚が付けられていたからである。

「なんでお前がこんなトコいるんだよッ?」

「なんでとはご挨拶ねェ。この真神の恥ッ! あたしはアンタと違って遊びに来てる訳じゃないのよッ!」

 こんな姿を撮られちゃかなわんと、慌てて残りのやきそばを呑み込んだ小蒔がぽんと手を打つ。

「あ、そーか。今度のPTAの広報に使う縁日の写真がどうとかって、アン子言ってたもんね」

「そうそう、その通り。ま、その件はチャッチャと片付けちゃったからいいんだけど、あたしが今追っかけてるのは別のものなのよ」

 とりあえずその前に――と、葵の浴衣姿をカメラに納めるアン子。

「別のもの…? まさか、また事件でも起こったのか?」

 裏密の予言を思い出し、少し表情を固める醍醐であったが、アン子はあっさりと首を横に振った。

「事件と言えば事件なんだけど…なんなら、やきそば一皿で情報提供するけど、どう? 龍麻」

「うん? 構わんぞ」

 頭の中がイベントモード(新モード発見)になっている龍麻は、良く考えもせずにそんな事を言った。

「さすがッ! やっぱり龍麻は話が分かるわねェ。でもなんか機嫌良さそうだし、もう少しふっかけられたかしら? 今なら八百…千円くらいは行けたかも…」

 さすがはジャーナリストの卵。今の龍麻の状態を見抜いたらしい。しかし、そうは問屋が卸さない。

「…聞こえてるよ、アン子」

「遠野…お前なァ…」

「まったくがめつい奴だぜ」

「うふふ、あまり人の弱みに付け込んではいけないわ」

 龍麻を除く一同の、ちょっぴり恐い顔と呆れ顔に囲まれ、アン子もあははと愛想笑いを作った。

「やあねえ、冗談よ、冗談。やきそば一皿だけでいいわよ」

「「「「…………」」」」

「う…解ったわよ。ただで教えてあげるわよ」

 そこでやっと、にいっと笑う一同。

「さっすがアン子、そう来なくっちゃ!」

「無言の圧力かけといて、今更お世辞言っても遅いわよっ! ――まあいいわ。撮影に成功した暁には、一枚五百円で売っても行けるもんね」

「一枚五百円? ひーちゃんの写真とタメ張るじゃねェか。一体、何があるってんだよ」

 写真を売って儲けるのは、アン子の数少ない収入源なのだから、今更騒ぐほどの事はない。ちなみに今一番の売れ筋が龍麻の生写真(!)である。出掛ける度に様々な偽装(コスプレ(笑))をする彼の姿が女生徒の間で話題になり、現在では他校にまでファンがいるらしい。

 その龍麻とタメを張る…そんな被写体がこの縁日にいるのか? 京一の疑問ももっともであった。

「ふふん。あたしが掴んだ情報によると、どうも今日、ここにマリア先生が来ているらしいのよね」

「ふうん。でも、マリア先生だって縁日くらい覗くでしょ? どこが事件なのさ」

 小蒔の言葉に、龍麻も頷く。職員室でのやり取りから推察するに、恐らく天野と一緒にいるものと思われる。

「ふっふっふ…。それがねぇ…どうやらマリア先生、浴衣を着ているらしいのよ」

「なんですとッ!? マリア先生が浴衣ァァァァァッ!!?」

「ははあ…それを隠し撮りして、売りさばこうって訳だね」

 深く納得する一同。さすが守銭奴のアン子。目の付け所が違う。

「おほほほほ! マリア先生には根強いファンが多いから、これが良い商売になるのよ。あ! 今のはマリア先生には内緒よ。代わりにこれ上げるから」

 そう言ってアン子が差し出したのは真神新聞最新号である。五人分の口止め料としては、いくらなんでも安すぎる。

「でもさあ、この前の一件があるから、マリア先生だって警戒してるんじゃない?」

 小蒔の言う【この前の一件】とは、先日真神新聞紙上を賑わせた、犬神のアパートで布団を干すマリアの姿の事である。学校新聞にあるまじきスクープに、マリアと犬神は校長に何やら言われたらしい。

「ふっふっふ。その点も抜かりはないわ。ちょっとこれをご覧なさいな」

 ひょいと木陰に入り込み、持っていた紙袋の中身をゴソゴソとやるアン子。そして一分としない内に再び一同の前に戻ってくる。

「見なさい! この完璧な偽装をッ!」

「「「「………」」」」

 龍麻を除く四人が、ふらふらっとよろめく。そこに現れたのは、タキシードを着たピンクのウサギであった。ご丁寧に、風船まで持っている。

「な、何でウサギなんだよ…」

「あ、アン子…それ、自分で作ったの?」

 言い知れぬ脱力を覚えながらも、律義に聞く京一に小蒔。

「おーほほほほ! このアタシがそんな面倒臭いコトする訳ないじゃない。演劇部の部長にお願い(脅迫)して借りたのよ。これなら絶対ばれっこないわ」

「いや…その方が目立つんじゃないか…?」

 客観的常識的意見を述べる醍醐を、アン子はあっさりと切り捨てた。

「平気よ。今日はこの方が目立たないイベントがあるんだから。ふっふっふ。大儲けしてやるわ。――それじゃ、あたし、急ぐからっ」

 鼻歌混じりにスキップしながら去っていくアン子を、呆然と見送る京一たち。あんなものと親しげに話していた事により、自分達にも奇異の視線が向けられている事に気付き、四人ははっと我に返った。

「と、とりあえずさ! ボクたちも先に進もうよ!」

「そ、そうね。それじゃ龍麻………どうしたの?」

 見れば龍麻は、何かに耐えるように体を小刻みに震わせている。そのただならぬ様子に、葵も小蒔も、醍醐も心配そうに彼の顔を覗き込んだ。

 しかし、そこは【相棒】の出番であった。

「ウズウズしてんじゃねェ! 先いくぞ! 先!」

 と、コスプレ少尉の背中を蹴飛ばした京一であった。









「さて、次はどれを見ようか?」

 ローラー作戦とは言っても、食べ物の連発は縁日の楽しみを減らすらしい。匂いに誘われ少しづつ…が食べ歩きの基本だ。

「ふむ…あれはなんだ?」

 龍麻が指差したのは、これだけの賑わいの中、今一つ人気のない屋台である。

「ああ、ありゃくじ引きだ」

「くじ引き? ああ、あの、紐を引く奴か」

 醍醐が納得したように肯く。しかし、龍麻には解らない。そこで京一が説明する。

「ありゃあな、紐の先に高価なモンが付いているように見えるんだが、紐が束になってるせいで、どれがどの紐に繋がってるか解らねェんだ。そン中からこれぞって一本を引いて、その先に付いているモンがもらえるって遊びさ。大抵、安物だけどな」

「うふふ。でも、ひょっとしたら…って、ドキドキするのよね」

「どうする? ひーちゃんもやってみる?」

 どうやら龍麻以外は全員経験者らしい。そして、大当たりが少ない事も彼らは知っている。だが、しかし、彼らはもう一つの事も知っていた。龍麻が――ギャンブラーである事も。

「よし。挑戦しよう」

「へっへーっ、それじゃ皆でやってみようぜ。ひーちゃんはメインイベンターって事で…誰から行く?」

「それじゃボクから!」

 暇を持て余していたらしい屋台のアンちゃんに金を払い、五本づつ組まれた紐の束を見つめる小蒔。他の四人は見物と偵察を兼ね、商品の方を眺める。

「…お菓子に玩具、ぬいぐるみ。時計に…指輪。定番ね」

「ああ。いかにも高そうに見えるが――ん? 龍麻、あれは見た事あるよな?」

 醍醐が指差した指輪。それは――

「ほほう。天金石に、ラピスラズリではないか」

 戦場仕込みの鑑定眼には定評のある龍麻である。五百円でそんなものが当たれば、正に大儲けだ。

「ああ〜、外れちゃった」

 小蒔が獲得したのはポテトチップスである。これは、はっきり言って大損だ。

「さくさく行くぜ。次は俺ッ」

「それじゃ、その次は私ね」

 それぞれ紐とにらめっこをして、これぞと思う一本を引く京一と葵。

「何だ? えらく軽いな…って、焼き鳥か。まァ、大ハズレって訳でもねェな」

 隣の屋台で焼き鳥一皿と交換できる手製の引き換え券を貰う京一。

「私は…缶ビール? ちょっと、困るわ、これ」

 葵がそう言うと、屋台のアンちゃんがラムネと交換してくれる。サービスのつもりか、二本である。

「では、次は俺か…」

 軽い気持ちであっさりと紐を選び出す醍醐。しかし、妙に手応えが軽いようだ。

「俺も焼き鳥か? いや…これは…」

 わあっと小蒔が声を上げ、一気に場が盛り上がった。

「凄い! 醍醐クン!」

「まあ、指輪だわ」

「何だよタイショー、やるじゃねェか」

 これぞ無欲の勝利か、醍醐が引き当てたのは天金石の嵌まった指輪であった。いわゆるパワー・ストーンの為、彼ら【魔人】が持つと、その石の持つ特性を最大限に引き出す事ができるのだ。

「確か天金石は、集中力を高める効果があるのよね」

「しかし物が指輪では俺が持っていても…」

 仕方ない、と言いかけたところで、京一と葵が結託して醍醐を小蒔の方に向かせる。その意を悟ると醍醐は真っ赤になった。

「そ…その…桜井…。これは俺が持っていても仕方ないから…」

「エッ!? ボクにくれるの…? わあッ、アリガト、醍醐クン!」

 早速頬張っていたポテトチップスを慌ててしまい、なかなか奇麗なケースに入れてもらった指輪を受け取る小蒔。京一はにやにやと、葵はにこにこと微笑みながらその光景を見ていたのだが…。

 タタタターン、タタタターン、タンタタタンタンタンタンタンッ…! 

 音と一緒にピンクのスポットライトが点りそうなリズムが聞こえてきたので、その音の元凶をギン! と睨む京一と葵。炎のような殺気と氷のような殺気を受け、玩具屋の屋台で子供用の太鼓を叩いていた龍麻がうろたえる。

「…何してるんだァ…ひーちゃん」

「龍麻ったら…」

 じりじりっ! と迫る二人から、こちらもじりじりと後ずさりする龍麻。

「いや、結婚行進曲で雰囲気を盛り上げようと…」

「ほう…そうかい。で、最後は裸になって躍れってか…?」

 龍麻が深く考えもせず刻んでいたリズムは、出だしこそメンデルスゾーンの結婚行進曲ではあったが、後半はいわゆるスト○ップで使用されるBGMであった。かのドリフターズ、加藤茶の十八番でかかる、アレである。(註・ラテン音楽のタブーという曲です。本当はもっと真面目な曲ですよ)

「うふふ…。龍麻の冗談が寒いのはいつもの事だけど、音ゲーのBGMなんて楽屋オチもいいところよ。ピンクのしおりまで行った【弟切草】のセーブデータをあぼーんされるのと、寝袋に詰められるのとどっちが良いかしら…?」

 一般人には理解しがたい葵の脅し文句。しかし意味が解らなくてもこの場合はどうでも良かった。龍麻は蛇に睨まれたカエルの如く顔中を脂汗で埋めて固まり、とりあえずターゲットになっていない筈の京一までが総毛立った。当然、葵の説明的言動もまた楽屋オチだろうなどとは突っ込めない。

 しかし――

「エヘヘッ、似合う?」

「良かった。ぴったりだな。似合うよ、桜井」

「エヘヘ…こういうの、ボクには似合わないかなって思ってたけど…ねえ、皆はどう思う?」

 小蒔の言葉に、ぱっと花が咲くような笑顔を見せる葵と、少しだけ引き攣った笑顔を見せる京一。

「うん。素敵よ。小蒔」

「ああ、なかなか似合うと思うぜ」

 そして、龍麻は――

「うむ。見事だ、醍醐。良く小蒔に似合うものを引き当てた」

 一瞬で立ち直り、醍醐と小蒔を赤面させる殺し文句を吐く。相変わらず、変わり身の早い男である。京一の「命拾いしたな」は、とりあえず聞いていないふりを決め込んだようだ。

「さて…残るは龍麻だけね」

「ひーちゃん、頑張って」

 自分が良いものを貰った分、龍麻にも良いものが来ますようにと祈る小蒔であった。勿論、親友の為でもある。

「おいおい、頑張ってってのはちょっとナンセンスだろ、小蒔。こいつは完全に運試しなんだからよ。まあ、誰かさんが奇跡を起こしたばっかりだけどな」

 自分がからかわれている事に気付き、こめかみに青筋の浮かぶ醍醐であったが、真っ赤な顔をしていては迫力不足である。

「大丈夫だよ。ひーちゃんはギャンブラーなんだから」

 褒め言葉としては微妙な小蒔の声援を背に、龍麻は紐を引っ張った。

 果たして、付いてきたものは――

「……ネコミミの…カチューシャ!?」

「ぶわはははッ! よりにもよって一番キャラに合わねェモンが当たっちまったな、オイ!」

「京一ィ、そんな言い方ないじゃん。まあ、ちょっと使い道ないけど」

「そうだな。普通に高校生が持ち歩くには抵抗があるな」

 正にコスプレ専用イベント専用の、黒の大きなネコミミ。龍麻がいかにコスプレイヤーであったとしても、使いどころのないアイテムだ。

「あん? こんなのは持ち歩くモンじゃねェだろが。――こうすりゃ良いんだよ」

 そう言って京一は龍麻の手からネコミミを取り上げ、彼の頭に填めた。セットになっている尻尾もコートの背に取り付ける。

「わはははははッ! 似合うぜ、ひーちゃん!」

「ちょ、ちょっと京一ィ、ふざけ過ぎ!」

「うふふ、さすがにそこまではちょっとね」

「た、龍麻。取ってもいいんだぞ?」

 【あの】真神の少尉殿、緋勇龍麻の頭にネコミミ。その絶妙な組み合わせに思わず笑ってしまう四人であったが、龍麻の反応は彼らの想像を上回っていた。

「…気に入った」

「え…?」

「さて、次に行くぞ」

 手鏡に映った己の姿に真剣に肯き、歩き出す龍麻。ひょっとして怒らせたか? とちょっぴり恐くなった一同であったが、威風堂々且つ足取り軽く、どうやら彼は本気でこのスタイルが気に入ったらしい。

「た、龍麻…。やはりそれは外しておいた方がイイのでは…」

「問題ない」

 この年齢の高校生ならば恥ずかしくてたまらないであろう格好の龍麻は、恐る恐る切り出した醍醐の意見をあっさりさっぱり切り捨てた。

 【コスプレイヤー、断じて侮るべからず】

 今更そんな事に気付いても、後の祭りであった。









 人込みの中でさえ、その存在感が際立っている真神の一同は、ネコミミ付きの色モノ男がいるせいで更に目立ちながら、雑踏の中を進む。しかし縁日での、お祭りでの、非日常での事なのだからと、無理矢理自分を納得させる一同であった。

「あら…りんご飴…」

「む…? どうしたのだ、葵」

 葵が急に立ち止まったので、龍麻たちの足も止まる。

「あ! りんご飴だ。――縁日って言ったら、定番だよねッ」

 ささっと屋台の前に進み出て、様々な色合いのりんご飴を物色し始める小蒔。彼女の言う通り、これは縁日などでしか食べられないものであろう。ひょっとしたら何処かで普通に売っているのかも知れないが、その店を探し出すのは大変に違いない。

「おじさん! これちょうだい」

 さすがは小蒔! と言わんばかりに、彼女の握り拳くらいある大きなりんご飴を選び出す。値段はどれも一個三百円なので、大きな物が良いと言うのは実に小蒔らしい。

「ははは、ちょっと大きすぎないか? ――うん? どうした、美里」

「――金が足りんのならば俺が出すぞ」

 醍醐は【お父さん】風に気遣い、京一に木刀を突き付けられ(彼なりの気の使い方だ)た龍麻が口添えする。すると葵は――

「う、ううん。そうじゃなくて、私…りんご飴って食べた事なかったから…」

「エッ、そうなの?」

「…やっぱりおかしいかしら? 縁日には毎年来ているのに、なぜか今までチャンスがなくて…」

 それは【なぜか】ではなく、葵が幼い頃からしっかり者だったせいである。縁日や祭りともなれば、子供が親におねだりをして、あるいは我が侭を言って泣いているのは当たり前の光景である。そして葵は、我が侭を言って両親に迷惑をかけるような子供ではなかったのだ。本当はりんご飴を食べたかったのだが、遂に言い出せず、現在に至るのが真相である。

「ならば今食べれば良い。――好きなものを選べ。俺も一本貰おう」

「え? いいの?」

「遠慮は無用だ。京一、醍醐。お前たちはどうする?」

 しかし、男二人は首を横に振る。

「餓鬼の頃にゃあ良かったが、今はちょっとな…」

「うむ。味の好みもあの頃とは変わっているからな」

「そうか。――俺は初挑戦だ。葵も良く吟味して選ぶと良いぞ」

 相変わらずの口調だが、葵は淡く頬を染めて肯いた。

「それなら…これ下さい」

 葵が選んだのは、大きさは小蒔の手にしているものの半分ほどだが、一番真っ赤に色づいているりんご飴だった。龍麻のは、やや青みが強いものである。そして小蒔たちが注目する中、二人は初めて口にするりんご飴をひと噛りする。

「どうだ? 美里。良いものだろう」

「ええ…甘酸っぱくて…とっても美味しい…」

「ひーちゃんはどうよ? 旨いか?」

「…すっぱい。だが、旨い」

 ジャンクフードを摂らぬ龍麻がそう言った事で、一同は相好を崩す。

「浴衣にりんご飴か…ホント、風流だねェ〜」

 風流…これも風流というものか。りんご飴のすっぱさにも、【風流】を理解しつつある龍麻であった。









「さて…縁日といえば定番のおみくじだが…」

「縁日の定番とはいくつあるのだ?」

 既にやきそば、くじ引き、りんご飴、綿飴、お好み焼き、たこ焼、イカ焼き、焼きもろこし、ステーキ串、風船釣りに、金魚すくいとクリアーしてきた一同である。更に射的などがあったものだから、京一たちが龍麻を煽て上げ、割と高そうな景品を軽く人数分ゲットしてしまっていた。ものがコルク銃であっても狙った的は外さない龍麻である。しかも一回五発で取った景品は八つ(コルク弾を跳弾させて二つも取ったのだ)。屋台のおじさんはこっそりと悔し涙にくれていた。唯一龍麻が徹底的に駄目だったのは金魚すくいで、五回挑戦して遂に一匹も取れずじまいであった。人間、妙な所に欠点があるものである。(ちなみに頭に来たらしい彼は「南米ではこういう【漁】をする」などと言って水槽に手榴弾を放り込もうとしたが、これは一同が全力で止めている)

「ははは、改めて言われると、全部ひっくるめて定番という気もするな。まあ、せっかく神社に来たのだから、おみくじを引くのも良いじゃないか」

「あっ、そう言えば雛乃がここの手伝いに来るようなコト言ってたっけ」

「オオッ! すると雛乃ちゃんは巫女さんルック! 今行こう! すぐ行こう! さあ行くぞ!」

 などと、小蒔からの情報に京一が小躍りしながら歩きかけた時である。

「葵お姉ちゃん! 龍麻お兄ちゃん!」

 赤いワンピースを着た金髪の女の子、マリィが人垣を掻き分けて走り寄ってくる。

「おお、マリィも来ていたのか」

 マリィと向かい合う時、龍麻は片膝を付いて彼女と視線を合わせる。今回もそうだった。

「ウンッ。――HI、ミンナ」

 初めて出会った時とは打って変わった、表情豊かに笑うマリィに一同は自然に頬を緩ませる。

「こんばんは、マリィ。――あれ? ひょっとして一人で来たの?」

「ウウン。友達と来たヨ」

 小蒔の問いに、参道からちょっと外れた所を指差すマリィ。見ればそこには中学生らしい少女が数名いて、こちらに会釈してきた。

「そっか。この前から中学校に通っているんだよね。もう友達ができたんだ。良かったね、マリィ」

「ウンッ!」

「そうか。それは良かったなぁ」

「ヘヘッ。それならマリィ、縁日が倍も楽しいだろ?」

 このむさ苦しい男どもをして、この態度である。マリィは今や【真神愚連隊】のマスコットだ。それでいながら【朱雀】という四聖獣の一角を担う戦士でもある。しかし、遊びの場面では【愚連隊】皆の妹のようなものなのだ。

「ウンッ! とっても楽しいヨ! 龍麻お兄ちゃんも、エンニチ、楽しい?」

「うむ。実に楽しいイベントだ。――しかしなぜ、メフィストは不機嫌なのだ?」

 いつもは龍麻の肩に飛び乗って甘えるメフィストが、今日はマリィの頭の上で龍麻を威嚇している。

「龍麻お兄ちゃんが猫さんになってるから、ドキドキしてるんだヨ」

「なるほど、そうか。しかしメフィスト、同性愛はいかんぞ。非生産的な」

 そこまで言ったところで、先程と同様、龍麻の頭を醍醐の手が掴み、首筋に京一の木刀が付き付けられ、葵と小蒔が方陣技(!)の構えを取る。

「うふふ。龍麻…マリィに変な事を教えてはいけないとあれほど…」

「葵お姉ちゃんも、エンニチ、楽しい?」

 絶体絶命(笑)の龍麻を、絶妙なタイミングでマリィがフォローする。

「え、ええ。勿論よ。――そう言えば、お小遣いは貰ったの?」

「パパ…に貰った」

 現在の父親…葵の父親をそう呼ぶ瞬間だけ、僅かにぎこちなさが出る。だが、そう呼べる事の嬉しさが口調に現れている。

「デモ欲しいもの一杯。マリィ、すっごく悩んじゃう…」

 すると龍麻が、彼女の両肩にぽんと手を置く。

「おお、そうか。ではマリィ、お父さんから頂いたお小遣いは貯金しておきなさい。このイベントの分は俺が出しておこう。………おおッ!?」

 傍から見れば優しいお兄さんが妹にお小遣いを上げるというほほえましい光景だが、そこに満面の笑顔のまま葵の鉄拳が龍麻の頭に飛んだ。龍麻がマリィに握らせようとしたのは、実に福沢諭吉が十名様(!)であったのだ。

「龍麻、ちょっと来なさい。――マリィ、ちょっと待っててね」

「――? …ウンッ」

 耳を掴まれ、参道から外れた木陰に引っ張り込まれる龍麻。二人とも姿が見えなくなったところで二言三言のやり取りがあった後、【スパーンッ!】という音が聞こえ、笑顔のまま葵が戻ってきた。

「はい、マリィ。これは龍麻からよ」

「エッ…? こんなに…?」

 葵がマリィに握らせたのは、新渡戸稲造が一名様である。

「ちょっと多すぎると思うけど、せっかくの縁日ですものね。でも、無駄遣いは駄目よ」

「はあい。――あ、龍麻お兄ちゃん、アリガト! ――それじゃミンナ、Bye!」

「…う、うむ。楽しんできなさい」

 胸を張って言う龍麻であったが、心なしか足が震えている気がするのはなぜだろう。京一、醍醐、小蒔はなんとなく互いに顔を見合わせ、それから、まだ笑顔のままの葵を見た。

 真神学園の聖女。【菩薩眼】の娘。美里葵――実は、彼女こそ最強の存在かもしれない。









「さて…と、雛乃はどこにいるかな…って、いたいた! おーい、雛乃!」

「まあ、皆様」

 社のおみくじ売り場の中から、巫女装束に身を固めた織部雛乃が微笑みかけてくる。その隣であからさまに「ゲゲッ」とうろたえたのは彼女の姉、織部雪乃であった。

「お待ちしておりましたわ。龍麻様」

 ピーン、と華やいだ空気の中に何かが張り詰める。考えるよりも先に身体が反応して、一歩後ずさりする京一、醍醐、小蒔、雪乃であった。

「うむ。このようなイベントの時だというのに大変だな。――余り物で悪いが、これは差し入れだ」

 射的で取った綿飴を差し出す龍麻。

「まあ、ありがとうございます」

「あはは…。悪いな、龍麻君よッ」

 たれ○ンダとピ○チューのプリントの入った袋入りの綿飴を受け取った(雛乃がたれ○ンダ、雪乃がピ○チューだ。妙に納得できる)二人は、ふと怪訝な表情を龍麻に向ける。

「…龍麻様、何か、変わられましたか?」

「うん? なぜだ?」

「い、いえ…なんと言いますか…」

 雛乃にしては珍しく、言葉が旨く見つからないようである。雪乃も龍麻の変化を感じ取っているようだが、やはりうまく表現できないようだ。そもそもなぜ頭にネコミミを付けているのか、彼女たちならずとも理解に苦しむだろう。

「俺は何も変わらん。敢えて言うならば…うむ。【To ○ea○t】と【同○生2】を完全攻略したくらいか」

 ああ! この男! またしても! ――京一、醍醐、雪乃が二メートルほど引く。【思い込んだら一途】プラス【超潔癖症】の雛乃にまたしても美少女ゲームの話題を振るか!? 

 案の定、周囲の気温が下がる。雛乃の顔は笑っているが、目が笑っていない。

「龍麻様…まだそのようなものを?」

 しかし、今回の龍麻は微笑を浮かべながら切り返した。対女性(一部男性にも)においては絶大な破壊力を持つ彼の微笑である。――意識して使っている訳ではないのだろうが。

「雛乃。そのような事を言うものではない。世の男というものは、実は意外と純情なものなのだ。現在の自分を否定せずとも、胸躍る冒険に、スリルある闘いに、そして甘酸っぱい恋愛に、常に憧れを抱いている。一人の人間がそれら全てを体験する事は不可能だが、たとえ画面の中だけであっても、その一部を体験する事ができる。――素晴らしい事だとは思わんか?」

「え!? その…ええ…まあ…」

 なんと言うか、美少女ゲームに対する哲学的考察である。まあ、ゲームというのは現実には起こり得ない冒険や体験を、物語を読むような感覚で味わえる娯楽である。恋愛シミュレーションにしても、二人の男女が普通に巡り合って…などという現実的なシナリオなどあるまい。それこそ二人が結ばれる為に飛び越えるハードルがいくつもあり、様々な人間関係が更に波乱を呼び、互いに愛を確かめ合って行く――。今までの龍麻は、人間的洞察力は優れていても、恋愛感情が絡む人間のイレギュラーな動きを理解できなかった。だからこそこれまで美少女ゲームをコンプリートさせる事ができなかったのである。しかし今の龍麻はどうやら、そういった人間関係というものを理解する事ができるようになったらしいのだ。

 ――少しづつ変わってきますよ。

 龍麻に【愛】というものの一端を見せた少女の保証通り、確実に彼は成長したのである。

「…うへえ。あの状態の雛を黙らせるなんて…。なあ小蒔、本当に龍麻君に何があったんだ?」

「うー、なんて言えばいいのか良く判らないんだけど、ちょっと修学旅行で色々とね…」

 キレた妹の怖さを知っている雪乃は興味津々で小蒔に尋ねたのだが、【臨機応変】が骨の髄まで染み付いている龍麻の柔軟性は、真神の一同にとっても未だに謎の宝庫であった。

「青春なんだよ――って、俺が言ってりゃ世話ねェぜ。ま、そんな事よりおみくじ引かせてくれ。で、雛乃ちゃん。俺には是非大吉を…」

 できれば女運も…と続けたところで、醍醐と小蒔にガンと後頭部を叩かれる京一。

「お前という奴はどこまでも図々しい奴だな」

「大体雛乃がそんなコトする訳ないだろっ! それに、女運ってなんなのさっ!」

「うるせーな。お前らに一人モンの気持ちが解るかっ」

 普段は【真神一の良い男】とか言っている割に、遂に神頼みである。修学旅行の一件は彼にとってもほろりと苦い青春のヒトコマであったようだ。

「ふふふっ…皆様の運勢を私が変えるなど、到底できる事ではありませんわ。――それでは皆様、どうかこちらの箱を良くお振りくださいませ」

 龍麻の変化っぷりに呆然としていた雛乃であったが、それはそれで歓迎すべき事態である。それなら私にもチャンスが――という考えはとりあえず胸の内にしまい込み、上辺に穴が空いた木箱を指し示す雛乃。中には番号の振られた木の棒が入っているタイプだ。そして出てきた番号の棚からおみくじを出してもらうシステムである。

「それじゃ、行ってみようかっ」

 シャカシャカシャカシャカ…ッ! 

「オイオイ、ひーちゃん。バーテンダーじゃねェんだからよ」

「何事も経験だ。気にするな」

「………」

 京一はあっさりと、葵が二〇回ほど念入りに箱を振り、最後にカクテルでも作っているような勢いで何回箱を振ったか解らぬ龍麻が棒を取り出す。

「美里様は四十六番ですね。龍麻様は…」

「七番だ」

 龍麻がおみくじを受け取るより先に、小蒔が声を上げる。

「あ、ボクのは中吉だ。これから良い事あるかな。――葵は?」

「私は吉だったわ。これから上昇するか悪くなるかは努力次第って書いてあるわ」

 ふむ…と醍醐も顎に手をやる。

「俺も吉だ。やはり、同じような事が書かれているな。ところで、京一に龍麻。お前たちはどうだ?」

 その瞬間、さっとおみくじを隠す京一。

「…ま、まあ良いじゃねェかっ。所詮おみくじなんて、運試しみたいなモンだろっ」

 あからさまに笑顔が引き攣っている京一。小蒔は裏密のようにニヤ〜ッと笑い、

「あ、美人」

「エッ!?」

 指差した方向を京一が条件反射で見た隙に、彼のおみくじを奪い取る小蒔。

「わっ! 小蒔! 何しやがる!」

「へへーんだっ! どれどれ…――ってえっ! だ、だ、だ、大凶ォォ――ッッ!!」

「バッ、バカヤロウッ! そんなでかい声で――うおっ!?」

 しかし、抗議の声を上げようとした京一を押しのけ、小蒔の元に殺到する醍醐と葵。

「な、何と! 本当にあるのかッ!!?」

「わ、私も初めて見るわ…! 噂じゃもう存在しないって聞いてたし…!」

 京一が思いきり不機嫌になっているのも構わず、好き勝手な事を言う三人。

「どれどれ…【多大な困難が降りかかる恐れあり。絶望の淵より一条の光明見出し、新たなる境地、拓くべし】――か。何やら不吉な文句だな、京一」

「ホント大丈夫かな…。御払いしてった方が良いんじゃないの?」

「御払いなら、ウチの神社でもじいちゃんがやってるぜっ」

 言うに事欠いて、なにげに酷い仲間たちである。

「けっ、冗談じゃねェぜ。やっとのんびりできそうだってのに、これ以上くだらねェ事に巻き込まれてたまるかっての。大体俺は、占いの類は信じねェ事にしてるからなッ」

 半ばやけくそである。しかも期待すべき異性運は、【災厄多し、時を待て】だ。金運に至っては【実りなし、堪えよ。賭け事は凶】と来たものだ。

「ふふふ。蓬莱寺様は豪気なお方ですのね」

 雛乃も滅多に出ない【大凶】に驚き、笑っていたが、ふと真面目な顔つきになり、

「ですが蓬莱寺様、神社で起こる事には、必ず何らかの啓示が含まれているものです。念のため、御用心なさってください。――龍麻様も、くれぐれもお気を付けて…」

 その龍麻は、何やら難しい顔をしている。

「ところでひーちゃんはどうだったの? まさか…ひーちゃんまで凶ってコトないよね…?」

 思ったよりも深刻な龍麻の様子に、小蒔が恐る恐る尋ねる。しかし龍麻は――

「うむ。案ずるな、小蒔」

 いつものように胸を張る龍麻。一同はその様子にほっとしたのだが、龍麻はなぜか、京一の肩を叩いた。

「京一…」

「ん? なんだ、ひーちゃん」

「メム! 我々はメム!」

 突然、訳の解らない事を言い出す龍麻。

「メムぅ…? なにそれ…?」

 誰もその意味が解らず、問い返す小蒔。

「何を言うか小蒔。偉大なる四コマ漫画家、大○ツトム氏も言っている。一九九八年の我々はメム!」

 更に訳の解らぬ事を力説する龍麻。京一の次に龍麻の思考パターンを理解している葵は「あ…」と声を上げる。

「凶という字を分解すればカタカナのメム…。うふふ…龍麻、注釈が必要なギャグはいけないわ」

 相変わらず彼の寒いギャグを切り捨てる葵に対し、雪乃がフォローを入れる。

「ま、まあ、龍麻君よ。おみくじはああやって枝に結んでおくと厄が祓えるってコトだから――」

 そこまで言ったところで、背筋にゾクリ! と冷水が突っ走る雪乃。

「――って、雛が言ってたぜっ。なっ? 雛っ」

「…姉様の言う通りですわ。龍麻様」

 いかにもおとなしそうな声でありながら、地獄の底からでも響いてくるようだ。しかし龍麻はうむと肯いた。

「なるほど。ならば早速…」

 いそいそとおみくじを固く枝に結び付ける龍麻。えらく気合いの入った縛りように、一同は唖然とするばかりである。

「さて、もう少し見て回りたいところもあるのでな。我々はそろそろ失礼する」

「そうですか…。龍麻様、くれぐれもお気を付けて…」

 旅行前と大きく変わったように感じる龍麻の雰囲気と、彼には珍しいと思える行動の数々に、弱冠の不安と予兆めいたものを感じたのだろう。雛乃は【御守】だと言って、見事な蒔絵の施された印篭を彼に手渡した。

「うむ。お前たちも風邪など引かぬように。――それで、貴様は何をしておるか!」

 龍麻の縛ったおみくじをコソコソと解こうとしている京一の後頭部で、ガシャンとガラスの割れる音がする。玩具の屋台で手に入れた【悪戯ボール】である。

「醍醐。この馬鹿から目を離すな。――では、良い夜をグッドナイト

 それぞれ手を振り、龍麻を先頭に去っていく真神の五人。その背を見送りながら、なお龍麻の背を見つめ続けている雛乃に、雪乃が神妙な面持ちで話し掛けた。

「なあ…雛。やっぱり…言えなかったんだな…」

「はい…。姉様…。でも龍麻様は、既に気付いておられるのではないでしょうか…? この東京で目覚めようとしている、何か恐ろしいものの【胎動】を…」

 雪乃も雛乃も、東京を護り続けてきた織部神社の家系である。そして雛乃は、巫女としての能力が高い。龍脈を乱した鬼道衆。龍脈を乱した事により現出した菩薩眼。そして、小波のようでありながら大きなうねりをも孕んでいるような、いまだ収まらぬ龍脈の乱れ。

 ――闘いは終っていない。その結論に行き着いているのは、何も織部姉妹だけではあるまい。

 その時ふと、二人は龍麻が結び付けていったおみくじに目をやった。

「「――ッッ!」」

 次の瞬間、信じられぬ事が起こった。おみくじがぱっと燃え上がり、瞬時に燃え尽きたのだ。

「――雛ッ!」

「……!」

 雪乃も雛乃も、龍麻たちが消えていった方角に目をやったが、既に彼らの姿は雑踏に呑まれて見えなくなっていた。

 この時、二人が龍麻のおみくじの内容を知っていたならば、果たしてどのような行動を取っていた事か。

 龍麻のおみくじは――大凶。その内容は…



 ――地獄に生きし修羅とまみえん。退くべし。さもなくば黄泉路を辿らん――



 龍麻は決して退かない。それは、死の宣告であった。









「さて…と。縁日屋台ローラー作戦も終った事だし、そろそろ撤収しようぜ」

 人込みは相変わらずだが、子供の姿が目に見えて少なくなっている。そろそろ大人の時間というところだろう。屋台などでもジュースなどよりアルコールを冷やしている様子が目立ってきた。健全な高校生としては、引き上げ時だろう。

「うむ。それでは帰るとするか」

 ラーメン屋に寄ってからね、と小蒔が可愛らしく舌を出した時である。

「ん? なんだこの曲は…?」

 縁日らしからぬ、やけに勇壮かつ、子供心に訴えかけるような曲調。

「何か、聞き馴染みのある曲調だよな…。ゲ…なんだ? 鳥肌が立ったぞ」

 どこからともなく聞こえてくるテーマに、何かの説明のような声が混じる。途切れ途切れに聞こえる単語は、【本日の最終公演】とか、【応援ヨロシク!】などと聞こえる。

「あっ、そう言えば弟が言ってたっけ。何とかレンジャーっていうのがヒーローショーをやるんだって。三人組の戦隊物だって言ってたなァ…」

 なるほど。言われてみればそのテーマは、戦隊物もしくは宇宙刑事物で流れる曲にそっくりだ。しかしオタクの龍麻に聞き覚えがないという事は、新番組か、それともオリジナルか…。

「はははッ、縁日でヒーローショーかよっ。そりゃあ案外、良いアイデアかもしれねェな。何ならひーちゃん、俺達も見に――って、早ッ」

 単なる興味か対抗意識か、真神のスパイ○ーマンこと緋勇龍麻は既に子供たちの歓声の聞こえる方に歩き出していた。

「お、おい。どうするよ?」

「どうするったって…京一、あの状態の龍麻に逆らえるか?」

「んーっ、止めておいた方が良いよね」

「うふふ。仕方ないわね。皆で見に行きましょう」

「よしっ、そうと決まれば早く行こ――」









「う゛〜〜〜〜〜〜ん…。子供がいっぱいで…見えない…」

 神社でヒーローショーとは珍妙な組み合わせだが、ステージは中々本格的なものだった。しかしその前は既に子供たちとその保護者で埋め尽くされており、小蒔では必死に背伸びしてもステージが見えない。

「しょうがねェなァ。タイショー、肩車でもしてやれよ」

「京一…!」

「――冗談だ。俺が悪かった。…小蒔、こっちに隙間があるぜ」

「わあっ! 見えた見えた」

 と、子供たちの中にいる怪しい高校生の一団は、さて、どんなショーが始まる事やらと、少々の期待と苦笑いを込めてステージを眺めやった。

 ストーリーは単純明解。悪い怪人が現われ、司会役の女の子を攫っていく。怪人は「ぬはは」と高笑いして、観客の子供たちの声援と共にヒーロー達が現れる、というものだ。

「さって…どんなヒーローが出てくるのかな?」

 ワクワクしながら小蒔が言った時、色とりどりのスポットライトを浴びて、ヒーロー達が登場してきた。

『――この世に悪がある限りッ!』

 京一の手から、ポップコーンが落ちた。

『――正義の祈りが我を呼ぶッ!』

 醍醐の手から、缶コーヒーの中身がジョボジョボと零れていった。

『――練馬と、そして新宿の平和を護る為ッ!』

 葵と小蒔は、呆然となった。

「な…なんであいつらがここにいるんだよッ! …ああッ! 鳥肌がァ〜ッ!!」

 レッドが野球のバット、ブラックがサッカーボール、ピンクが新体操のリボンを武器とする――彼らには見覚えがある。思い出すのもおぞましい(笑)記憶とともに。あれは残暑厳しい夏の日。龍麻の【命令】で駆り出された後楽園で…。

 しかし、頭の中がシャットダウンしてしまいそうな記憶がまざまざと蘇る直前、龍麻たちだけに解る、ある感覚が彼らから発せられた。

『愛と正義と友情と――三つの心を一つに合わせ――今、必殺の――』

 ビシッとポーズを決めた三人組が、演出用のスポットライトの明滅の中で青白いオーラを放つ。龍麻たちとは比べ物にならないほど弱いが、それは確かに――

「オイッ! あいつら――!」

「これって…方陣技ァ!?」

 小蒔の声にかぶさるように、強烈な閃光が弾け――

『ビッグバン・アタ――ック!!』

 閃光の強烈さと大音響に反してまったく威力のない、しかし波動だけはしっかりと感じられる方陣技の炸裂に、子供たちが大歓声を上げた。









「「「「「………………」」」」」

 三人組の必殺技で怪人が倒され、新宿の平和を守ったと司会が告げてショーはお開きとなり、溢れるほどにいた子供たちも三々五々帰り始める。驚いた事にこのイベントは出演者からスタッフに至るまで、全て学生が行っているようであった。ステージの解体を指揮しているスタッフも、当然のように学生である。

 しかし龍麻たちには、それよりも注目…と言うよりは困惑している事があった。

「ひーちゃん…今のってやっぱり…」

「小蒔、その先は言うんじゃねェ。鳥肌がぶり返す」

 目の前で見た現象を京一は敢えて否定したいらしい。

「しかしあの【力】は、どう見ても俺達と同じ…」

「同じとか言うなッ! ああッ! また鳥肌がァァッ!!」

 体中をかきむしる京一。どうやら彼らの存在は忌まわしい記憶と直結してしまったらしい。

「でもあれは本当に方陣技なのかしら? 威力は全然なかったけど…。龍麻はどう思う?」

「間違いない…とは言いたくないが、事実は事実だ」

 放っておけば京一が悶え死にそうな勢いなのに、薄情にも目の前の事実を肯定する一同。

「ねえ、やっぱり確認だけはした方が良くないかな?」

「こ、小蒔! お前、修学旅行の時も同じようなコト言ってたじゃねェか!」

「だってさァ…もしあの人たちが【神威】だったりしたら、後楽園の時みたいな事になるかも知れないし…」

 そうだな、と醍醐も腕を組む。

「はっきり言って弱いとは言え、世間の目を引くには充分すぎるか…。迂闊な事をやらかされると、俺達までとばっちりが来るかも知れんな」

「うむ…気は進まんが、確認だけはせねばなるまい」

 ショーを見に来た時とは打って変わって、なんだか嫌そうな龍麻であった。









 色々と酷い事を言っていた割に、スタッフにコスモレンジャーの居場所を教わった小蒔は楽しそうであった。

「エヘヘ、コスモレンジャーの素顔か…なんだかワクワクするなァ」

「俺は一秒でも早く帰りてェ」

 赤いブレザーの学生服を着たスタッフが動き回る中を縫って、ステージの裏手に回ると、そこにはまだコスチュームを着たままで何やら押し問答をしているレッドとブラック、それを諌めているピンクの姿が見えた。

「だから! 締めの台詞はレッドで決まりだろッ!」

「フッ、今時汗臭い熱血漢なんて受けないぜ」

 どうやら先ほどの舞台のおさらいをしているようだ。

「あの〜、すいませ〜ん」

 遠慮がちに小蒔が話し掛けると、二人ともぴたっと言い争いを止める。

「んんっ? なんだい、アンタ達、俺ッちに、なんか用かい?」

「お前に用がある訳ないだろう。――フッ、お嬢さん、俺のファンかい?」

 今回は特に男性陣が嫌な顔をしているので、いきなり険悪な事にならぬように小蒔が声を掛けたのだが、それはかえって逆効果であったようだ。

「違うよなッ!? 俺ッちのファンだよな!」

「フッ、そんな訳ないだろう。家に帰って鏡を見直せ」

「どういう意味だよ、それ!」

「言葉通りの意味さ」

 ブラックの売り言葉にレッドの買い言葉で、そのまま舌戦に雪崩れ込む二人。龍麻たちはおろか、目の前の小蒔の事すら忘れてしまったらしい。

 龍麻たちは顔を見合わせ、やがて渋々と醍醐が前に進み出る。小蒔のフォローは醍醐の役目――既にこれは決定事項のようだ。

「取り込み中済まないが…」

「あーッ、もうッ! いい加減にしなさいよ!」

 なるべく穏便な声をかけようとした醍醐にかぶさるように、ピンク役の少女の怒声が響いた。

「どうしてアンタ達ってばそう喧嘩ばっかりなのッ!? そんな事だと、いつまでたっても【あの技】は完成しないのよッ!」

 【あの技】というところで、ピク、と反応する真神の一同。やはり彼らは気付いているのだろう。自分達の持つ【力】に。

「あ…と! ごめんね。それで、何? サインだったらすぐ書くけど…」

「それじゃこれにお願いします」

 ささっとばかりにサイン帳を差し出す小蒔。いつのまにそんなものを…と醍醐は思ったが、とりあえず目的を思い出す。

「違うだろう、桜井。えーと、そうじゃなくでだな…アンタ達はその…何者なんだ?」

 出番を取られて浮いてしまった上、小蒔にまでボケられて、自分が何を言うべきだったのか忘れてしまった醍醐。そして彼は事もあろうに、【彼ら】が一番喜ぶような聞き方をしてしまった。

「馬鹿…!」

 京一が天を仰いだが、レッドは全身を震わせながら声を絞り出す。

「…良くぞ聞いてくれた」

「フッ、その台詞、待ってたぜ」

 この時点で、ようやく醍醐も自分の過ちに気付く。しかし、もう遅い。なにやら周囲で後片付けをしていたスタッフ達がどやどやっと近付き――

「俺ッちは大宇宙おおぞら高校三年、紅井猛。そして、勇気と正義の使者、コスモレッドだッ!」

 ババーン! と赤い花火が上がった。それに驚くよりも呆れるよりも早く――

「俺は大宇宙高校三年、黒崎隼人。そして、友情と正義の使者、コスモブラックだッ!」

 ババーン! と、やっぱり上がる花火。しかしさすがに黒はないので青っぽい花火であった。

「同じく、大宇宙学園三年、本郷桃香ほんごうももか。そして、愛と正義の使者、コスモピンクよッ!」

 今度はピンクの花火と共に、ピンクの紙ふぶきも舞う。

「そして、俺っちたちは――」

 ババババッパパンッパンッ!! ――と、派手に鳴り響く爆竹。その中で三位一体のポーズを決め――

『愛と勇気と友情と、三つの心、正義のために――大宇宙戦隊、コスモレンジャーッ!!』

 締めは、赤と青とピンクのスモークが爆発さながら吹き上がり、絢爛たるドラゴン花火の噴き上げる火花。――当然のことながら、以上の演出は全て舞台スタッフの手によるものである。

「あははははッ! 凄いすごーい!」

 拍手を浴びせたのは手すきのスタッフ他、小蒔一名。当然というかなんというか、龍麻たち四人の反応はない。しかし彼らは非常に満足そうであった。

「…一分二十秒…。予想通り長い自己紹介だったな。俺たちが敵だったらとっくにやられてる…って言うか退くな。間違いなく」

 律義に時間まで測って、たっぷりと皮肉のこもった感想を洩らす京一に、マスクを取った紅井が拳を天に突き上げ力説する。

「何言ってんだッ! 正義の味方は、正々堂々名乗りを上げると、昔から決まってるぜッ!」

 それは、テレビの中の話ではそうである。そしてなんと言っても彼らは…

「前にそれをやって酷い目に遭ったろうが…」

 京一がぼそっと呟くと、三人はあからさまに動揺した。

「なななな…なんでそんな事を知っているんだッ!?」

 それぞれマスクを取った黒崎、本郷も呆然と、真神の一同を見回す。思った通りの反応であった。本物の強盗相手に正々堂々名乗りを上げたら、その途中で銃撃された彼らである。それを不名誉と言うべきかどうかは別として、彼らの中に苦い記憶となっている事は間違いない。

「あれ? でもひーちゃんはあの時、なんか色々言ってたよね?」

「う、うむ…。あの時は強盗が呆気に取られていたからな…」

 小蒔と醍醐の会話が、【あの】スパイ○ーマンを指すものだと、彼らはすぐに気付いたようだ。

「あ、あなた達、あの人を知ってるのッ!?」

「エッ、な、何ッ!?」

 いきなり本郷に詰め寄られ、うろたえる小蒔。その後ろに紅井も黒埼も迫り、小柄な小蒔はそれだけで圧倒されてしまう。

「頼む! 俺っちにもあの人を紹介してくれッ!」

「あの人こそ、俺達の理想像なんだッ! どうか、教えてくれ!」

「えっと…その…あの…!」

 ずずずい、と迫られ、後退する小蒔の背中に醍醐の胸が当たる。

「…残念ながら、それは教えられない。何と言うか…俺達も口止めされているのでな…」

 さすがにこんなところでスパイ○ーマンの正体を暴露する訳にも行くまい。例の後楽園騒動に始まり、新宿界隈でヤクザの事務所を壊滅させたり、麻薬の売人を叩きのめしたり、果ては新幹線に仕掛けられた核爆弾を処理したのも【スパイ○ーマン】であると、まことしやかに囁かれているのだ。噂だけなら良くある都市伝説で済むが、新幹線爆破テロの際には目撃者多数、ネット上では新幹線内のライブ映像が流され、挙句は今をときめくアイドル舞園さやかを救助するという快挙を成し遂げ、今やその存在は世間の注目の的になってしまっているのだ。もし正体が知れたら、やはり法律的にただでは済まない。

「そ、そうか…。そうだよなッ。ヒーローは正体を隠すもんだしな…!」

 お世辞にもうまい言い訳ではなかったが、醍醐の言葉にあっさりと納得してしまう三人。ある意味、これも凄い思考形態だろう。

「そ、それじゃアンタ達は…いや、そもそもアンタ達こそ何者なんだ? あの人の知り合いって事は…もしかして、コスモレンジャーに入隊したいのかい?」

「ぬわぬィィッ!!?」

 何をどう解釈すればこのような結論に至るのかッ!? そんな答はまったくの予想外であった醍醐は驚愕語を張り上げただけで、とっさの反論ができなかった。

「そうかッ! そうだよな! あんな凄い人を知っていれば、ヒーローに憧れるのは当然だもんな!」

「何だァ、それならそうと早く言ってくれればいいのに! これからよろしくねッ!」

「一挙に八人の戦隊か…。ポーズとか考えなくちゃいけないな…」

 手の付けようがないとはこの事だろう。真神の五人をほったらかしにして、やれカラーはどうの、コスチュームがどうの、決め台詞を言うのは誰のと、勝手な言い合い(?)で盛り上がっている。その様子に、醍醐も小蒔も口を挟めない。

「テメエら! なに自分達だけで盛り上がってやがんだ!」

 遂に、キレた京一が声を張り上げた。

「俺たちゃそんな事に興味はねェんだよ! ――なあ、もういいだろッ!? 帰ろうぜッ」

「で、でも押しかけたのはこっちなんだし、名前くらい教えておくのが礼儀ってものだろッ」

 それは正論である。今日に限って、礼儀にうるさい龍麻が後方にいるので、一同はすっかり名乗るのを忘れてしまっていたのだ。

「そ、そうよね。そう言えばあなた達の名前もまだ聞いてなかったわ」

 名前も知らんとカラーだのなんだの勝手に決めてたのか…。龍麻はともかくとして、京一たちはとてもその思考形態には付いていけなかった。

「ま、いいよねっ? え〜と、それじゃボクがこっちのメンバーの紹介を…」

 そう言いかける小蒔の肩に、醍醐の手が置かれた。

「待て桜井。俺が代わる」

 こういう言い方は失礼だが、小蒔にはうっかり癖がある。油断していると余計な事も喋りかねないので、醍醐が代わりを申し出た。

「――まず、俺は醍醐雄矢だ。こちらが桜井小蒔。浴衣を着ているのが美里葵。木刀を持っているのが蓬莱寺。そしてコートを着ているのが、緋勇龍麻だ。全員、真神学園の三年だ」

 必要事項のみを簡潔に告げる醍醐の紹介に、しかし三人はさっと表情を引き締めた。

「真神…魔人学園かッ!?」

 めいめいの名前では反応がなかったが、彼らは真神の名に反応したようだ。多少、過剰反応気味なのは、彼らがオーバーなリアクションに慣れているからだろう。

「ほう…知っているのか?」

 腕を組み、顎に手をやる醍醐。やはり新宿真神の総番殿としては、知られていて悪い気はしないのだろう。もっとも今は、龍麻とセットの方が有名になっているが。

「ど、どうも噂とは随分違うようだがな」

 明らかな緊張の中でも、眼鏡のブリッジをつい、と上げる気障な仕種をする黒崎。どうも眼鏡を掛けている人間はこのような仕種が癖になっているようだ。

「噂って…ナニ?」

 三人の緊張ぶりから「ろくなモンじゃないだろうな〜」とか思いつつも、ついつい聞いてしまう小蒔であった。

「あら、大宇宙ウチじゃ有名よ。新宿の魔人学園は、学校の皮を被った悪の秘密結社だって…」

「あ、悪の秘密結社ァ〜ッ!?」

 さすがにこれは聞き捨てならない。それではまるで、ローゼンクロイツみたいではないか。

「お前らッ、名前だけで決めてるだろッ!?」

「そんなあらぬ噂が蔓延しているなど、捨ておけんな」

 真神にその人ありといわれる三強の内二人の放った威圧感に、勝ち気そうな中にもほんわかした【隣のお姉さん】的雰囲気を放っている本郷の顔が引き攣る。

「で、でもッ、あなた達も真神の人間なら知ってるでしょッ!? なんだか凄いグループが一つあるらしいじゃないッ」

「そ、そうだッ! 確かクリネックスとか、スコッティーとか言う…」

「それはティッシュだ。――確かラブラドールとか…。とにかくそのグループのリーダーがとにかく凶悪無比で、銃は使うわ爆弾は使うわ…美女の生き血を啜るとか、ビルからビルへと飛び移るとか、尻尾が生えているとか…凄い怪人がいるんだろう?」

「それで、その怪人が生徒達に軍事訓練を課し、様々な怪人を増やし続けているって…」

「「「「…………」」」」

 知らぬは本人ばかり…とは良く言うが、一体他所の学校で、自分達はどんな噂になっているのだろう? 彼らに勝手に喋らせておくと、いつのまにか自分達が人の道を逸脱したエイリアンかなにかにされてしまうではないか。それに、噂に上るだけならまだしも、【悪の秘密結社】と既に決め付けられているとは…。

(…大事なものを護るって、本当に大変なのね…)

 胸の内でそんな事を洩らす葵。良かれと思ってした事でも、世界の半分はそれに反対する勢力――それが現実だ。ただ、それを【こんな】連中に思い知らされるとは。

「でも、やっぱり違うのかしら? そうよねえ。悪の戦闘員がヒーローショーを見に来るなんてことある訳ないし…。あ、でもひょっとして、偵察かしら?」

 ケラケラと笑いながら言う本郷に、どうやらこいつらも噂の半分ほどは冗談だと思っているのだと納得する京一たちであった。

「そんな筈ないだろう、ピンク! 【あの人】と知り合いならば、彼らも正義の使者に決まっている! ――こうして知り合えたのも何かの縁だ! 改めてヨロシクなッ!」

「う、うあ!?」

 真神の一同との間に吹いている気まずい雰囲気などものともせず、紅井は小蒔の手を取り、ぶんぶんと振った。一応、握手のつもりらしい。武器がバットで短髪に刈り込んだ――いわゆるスポーツ刈りという奴だ――頭から恐らく…と思っていたが、このやたらと暑苦しいスキンシップを取るのは、やはり野球部員である(思いっきり偏見である)からだろう。そして、訳が解らず発した小蒔の意味不明な声さえも、友好の証と受け取ってしまう強引さである。

「おうッ! これからは【あの人】だけじゃなく、俺っちも付いているからなッ!」

「ああ、何かあったら、すぐに相談に乗るぜッ」

「私たちは、困っている人の味方よッ。遠慮せずに頼ってきてねッ」

 口々に言う三人ではあったが、真神一同にとってそれは一種、迷惑千万であった。

「ンなコト言われてもな…」

「かえって面倒な事になりそうな気がするな…」

 こっそりと、京一と醍醐がそんな事を話す。なぜこっそりなのかは、それを彼らに聞かれたが最後、また訳の解らないヒーロー理論を振りかざされると解っているからだ。しかし――

「でも君たちってまだ高校生だよね? どうしてヒーローのバイトしてるの?」

 馬鹿! と京一がうっかり小蒔(新ニックネーム誕生)の口を塞いだが、僅かに遅かった。

「「「ひ、ヒーローがバイトだってェ〜〜〜ッ!!」」」

 そりゃもう見事なくらい、声をハモらせる三人組。どうやら小蒔は地雷を踏んでしまったようだ。しかも二連続で。

「…違うの?」

「違うわよッ! もうッ、失礼ねェ〜ッ! バイトなんかじゃないわよ! ショーは子供たちに愛と勇気と友情――正義を教える為にやっているのッ! 私たちは、本物のヒーローなのッ!」

「…本物って…オイオイ」

「そうだぞ! 新宿じゃあ、まだまだ知名度は低いけど、俺っちたちは、本物の正義の使者なんだッ!」

「…正義って言葉の意味…解っているのか…?」

「そう、人々の笑顔は、この俺達が護るんだ。世の為人の為、命を賭けて闘う! それが俺達、コスモレンジャー! ――――――くう〜っ、やっぱ、格好良いよな、俺って」

 ヒーロー(もどきとしか思えないが)の所信表明演説に律義に突っ込んでいた京一と醍醐だが、自己陶酔モードに入ってしまった彼らは聞いちゃいなかった。

「リーダーの俺っちを差し置いてなんて言い草だッ!」

「俺はお前をリーダーなんて認めてねーんだよッ!」

「戦隊物のリーダーはレッドと昔から決まってんだッ!」

「いまどき熱血のレッドなんかダサイぜ。クールなブラックこそ真の実力者さ」

 再び、小学生どころか幼稚園レベルにまで落ち込む紅井に黒崎。確かに言う事全てが間違っているとは言わないが…なんと言うか、子供っぽい。有り体に言うならば、ただのコスプレイヤーである。

(なあ…もう限界だぜ。これ以上関わり合いにゃなりたくねェぞ…)

(うむ…そうだな)

 こちらから話し掛けた手前もあって、「ハイ、サヨナラ」と言うには気が引けるが、京一の言う通り、真神の一同は彼らに対する興味を失ってしまっていた。確かに微弱な【力】はあるようだが、どうやら彼らのそれは多少なりと反射神経や運動能力を向上させるだけのものであって、周りからは【努力家】もしくは【天才だ】と言われる程度のものだ。三人揃って発する【方陣技】も、まったく威力はなさそうだし、放っておいても害はなさそうだとの判断からである。――少なくとも、【正義の使者】と名乗っている以上、馬鹿な犯罪に走る事はあるまい。

「もうッ! 何度言わせるのよッ! 三人の心がバラバラだと、いつまでたっても【あの技】は完成しないって言ってるでしょ!」

 そこで、龍麻と共にずっと沈黙を保っていた葵がふと、声を上げた。

「【あの技】って…完成してないの?」

 ピクピクッと本郷がその言に反応し、葵に向き直る。

「そうよッ! あれこそが私たちが正義の使者である証! 三人の心が一つになった時、初めて使う事ができる正義の力なのよッ!」

「エッ…? それじゃ完成した時は…」

 やっぱり威力が出るものになるんじゃないだろうか…と小蒔は続けたかったようだが、それを醍醐が止めた。

「よせ、桜井。彼らには何を言っても無駄だ」

「すっかり自分の世界に入ってやがるからなァ。それによ…」

 そこで言葉を切る京一。その先を言わずとも、真神の一同にはその意味が汲み取れる。

 【そのまま】なら、恐らく方陣技として完成は見ない。一つにするのは【心】ではなく【気】だからだ。そして、仮に【それ】が完成して、彼らが【正義】と称してそれを使用した場合、自分達は彼らの敵に回る。あらゆる争いは、【正義】を主張する者同士の間に発生するのだから。

 しかし、真神の一同の雰囲気を、本郷は何か勘違いしたようだ。

「あッ、何よッ! 何か馬鹿にしてるでしょ?」

 と、本郷は今まで一言も発していない龍麻に舌鋒を向けた。

「そこのアナタ! ――って、確か緋勇君ッ! あなたはどう? アナタなら、私たちの理念の崇高さが解るわよねッ!?」

 そういう話をあえてこの男に振るか、この娘は…と、京一たちは天を仰いだ。

 龍麻の口が、開いた。滑り出した声は、【あの】声であった。

「…悪しきものを責める者は、自ら傷を受ける」

「え?」

「正義を名乗るなら、覚えておけ。正義を行えば、世界の半分を敵に廻す」

 それから龍麻は、肩で風を切ってコートを翻した。

「夜も更けた。引き上げるぞ」

 言葉少なく告げ、歩き出す龍麻。京一が慌ててその背を追う。

「こちらから押しかけておいて済まないが、こういう次第だ。俺達はこれで失礼させてもらうよ」

「それじゃ…。あ、サインアリガト!」

「えーと…これからも、頑張ってくださいね」

 さっさと行ってしまった男二人を追って、それでもあたふたと別れを告げて去る三人を、紅井も黒埼も本郷も、何やら思案顔をしながら見送っていた。

「何か…変わった連中だったな…」

「うむ…。俺もそう思った。特に最後の、あのコートの男…。ネコミミなんか付けてるから何事かと思ったけどな」

「【悪しきものを責める者は自ら傷を受ける】…。【正義を行えば、世界の半分を敵に廻す】…ですって。何か私、胸の辺りにズンって来たわ」

「ああ…俺っちも…。ネコミミはともかく、雰囲気はダースベーダーみたいだったな…」

「気に入らないが、俺も同意見だ。帝国軍のテーマが聞こえたような気がするぜ」

「ちょっと尾行しつけてみる? ――それに私、思い出したんだけど、確か真神ライラックスって、リーダーが夏でもコートを着ているって…」

「そう言えば…男三人女が二人…だったよな?」

「コートと木刀とでっかいのと…美少女が二人…? ――まさか、今の連中がッ!?」

 三人は顔を見合わせ、一瞬で決断した。

「「「追いかけようッ!」」」

 真神の一同は明確には名乗らなかった。それはコスモレンジャーが、彼らの噂を正確に知らなかったからだ。しかし彼らは、どうやら今の五人組こそ噂の真神某だと思い当たり、イベントスタッフの仲間たちに「後は任せるッ」と言い置いて走り出した。









「ふへぇ…なんだかキミョー奇天烈な人たちだったね」

 弟たちのためにサインまで貰っておきながら、あっさりとコスモレンジャーを酷評する小蒔。何しろ我らがリーダーであるコスプレイヤーの場合は【入り方】が尋常ではなく、彼の当たりコスプレ【スパイ○ーマン】の場合は、それこそ【本物】と非公式認定されているほどなので、どうしても安っぽく見えるのは無理のない事である。

「正義感は本物かも知れないが、ちょっと付いていけんな」

「俺は思い出すのも嫌だぜ」

 それぞれ率直な感想を述べる京一たち。確かに彼らコスモレンジャーは悪い人間ではないだろうが、正義云々はともかくとして、何かを護ろうとするには、時に大きな代償を払わねばならないという事をまだ知らない。闘うという事は、奇麗事だけでは済まないのだ。

「まっ、あの人たちなら悪い事なんかしないよねッ。…って、葵、どうしたの?」

 それまで、視線を宙に据えつつ、頬に人差し指を立てていた葵が、ふと我に返る。この仕種の時は、深刻な悩みや問題を考えている訳ではない。

「ええ。今思い出したんだけど、練馬の大宇宙学園って、ちょっと特殊な学校だったわね」

「特殊? そりゃ、あいつらみたいなのがいる学校だからなァ」

 京一が混ぜっ返すと、一同は吹き出した。

「はははっ、確かに言えてるな。――俺も高校進学の時にちらっと聞いた事があった。なんでも、世の為人の為になる人間を育てる…とかいうのが理念で、試験は論文と面接だけなんだそうだ」

「ほう。大学や企業ならともかく、高校でそのような試験を…」

 要するに、自己PRに優れたものが入学できるシステムという事か。いわゆる一芸入試にも似ているが、敢えて言うならば【自己】推薦入学だろう。自分の学力に合わせて学校を選ぶ――現代日本の試験制度を考えると、かなり特殊な例と言えるだろう。

「するってェと、なにか? あいつら、「僕は正義の味方になります!」とか言って入学したのかよ!? ――学校中があんな奴らだったら、俺なら初日で登校拒否だなっ」

「あはははっ、それは言えるかもねッ」

 ひとしきり笑った後、時計を見ると二〇三〇時を指している。今日の締めとしてラーメンを食べる予定だから、いい加減、引き上げ時だろう。

「さて、充分楽しんだ事だし、後はラーメンを食って帰ろうぜ」

「そうだねッ。それじゃ、ちょっと待ってて。葵――」

「ええ、そうね」

 肯き合う小蒔と葵に醍醐がハテナマークを浮かべたが、すぐに疑問は氷解した。

「そうか。少し冷えてきたし、浴衣では寒いか」

「そうそう。それに浴衣のままじゃラーメンを食べにくいしね。それじゃボクたち、雛乃達のところで着替えてくるから」

「後はラーメン食って帰るだけなんだからよォ、あんまり待たせねェでくれよ」

 それから京一は、またしても余計な一言を付け加えた。

「それから小蒔、美里を相手に時代劇ごっこなんかするなよ」

「なんだよォ、それ?」

 何を言われたのか理解できない葵と小蒔。しかし、龍麻と京一は――

「ふぉっふぉっふぉっ、良いではないか」

「あ〜れ〜、ゴムタイヤ〜っ」

「「…………」」

 ささっと醍醐が避難を完了した瞬間、葵のハリセンが龍麻に、小蒔のグーパンチが京一にヒットした。あっけなく石畳に沈む、アホが二人。

「それじゃ醍醐クン、ちょっと待っててね」

「うむ。俺達は入り口のところで待ってるとしよう」

 二人が小走りに社務所の方に歩み去るのを見届け、醍醐は龍麻と京一の襟首を掴んで歩き出した。

「本日の格言。――【自業自得】だな、二人とも」









 来た時とは違い、人の流れが表通りのみ賑やかな中を、風が吹きぬけていく。祭りが終焉を迎えつつある一抹の寂しさのようなものが、頬に当たる風を少しばかり冷たく感じさせるようだ。

「風が――冷たくなってきたな。花園の祭りが終れば、冬はもうすぐ…か」

「ああ…そうだな。なんだか、月日が飛ぶように過ぎていくな」

 珍しく感傷的な台詞を吐く京一と醍醐を、龍麻は例によって無表情だが穏やかな雰囲気で眺めていた。

 龍麻がこの新宿にやって来て、既に半年が経っているのだ。思えば、普通の高校生にあるまじき闘いの日々であった。自分の全存在を賭けた闘いすら経て、今、こうしてのんびりと祭りを楽しんできた。マシンソルジャーであった自分が今、こうして平和の中にいる事が、奇妙なほど自然に感じられる。――己の内にあるプログラムに従ってきただけらしいとは言え、結果的にこれは自分の、否、自分達の手で勝ち取った平和だ。そう認識できたからこそ、そう思えるのかも知れない。

 だが――まだ終っていない。

 龍麻の中で、何かがそれを告げている。身に付けた銃器も騒いでいる。【俺達を使え】、【闘え】、【勝利を勝ち取れ】と。

 そんな物思いに耽っていた龍麻であったが、ふと、彼の索敵範囲に見知った者の、しかしやや警戒を要する者の気配が触れた。

「フフフ、こんな処でぼんやりしていると、風邪をひいてしまうわよ」

「え――!?」

「おっ――ああ〜〜〜〜っ! マリアセンセーの浴衣ァァッ!」

 そこにいたのは龍麻たちの担任、マリアであった。アン子の事前情報に誤りなく、瑠璃色の地に大輪の花模様という、見目艶やかな浴衣姿である。

「実に良くお似合いです。マリア先生」

 いつもと違い、ラフな敬礼をしてみせる龍麻に、マリアは艶然と微笑みかける。

「アラ、ありがとう。――緋勇君も、言うようになったわね」

「そりゃそうだぜッ。今のセンセーを見てなんとも思わねェ奴は男じゃねェ!」

「フフフ、ありがとう、蓬莱寺君も。どう、ミンナ。縁日は楽しかったかしら?」

 はっきり言ってそれは愚問だろう。京一と醍醐はともかく、ネコミミ付きの龍麻の両手には縁日ならではの品がてんこ盛りである。

「肯定です。存分に楽しませていただきました。――よろしければ、どうぞ」

 そう言って龍麻は、軽いのにかさばる綿飴をマリアに差し出した。袋の絵柄は偉大なる漫画家、手塚治虫氏の【ドン・ドラキュラ】である。

「アラ、いいの? フフフ、ありがとう、緋勇君。ミンナ楽しめたようで先生も嬉しいわ。受験生だって、息抜きが必要だものね」

 にこやかなマリアの発言に、しかしやや渋い顔をする者が約二名。

「センセー…現実に引っ張り戻さないでくれよォ…」

「こら、京一。マリア先生に失礼だろう。俺達だって部活動も終ったのだから、いい加減将来の事を真剣に考えんと」

「アラ、いやだ。ワタシったらつい癖で…。せっかくのお祭りなのに、興ざめなコト言っちゃったわね。まあ、今日一日くらいはそういうしがらみを忘れても良いでしょう。でも、あまり制服のままで遅くまで遊び歩いては駄目よ」

 最後に教師らしい注意をして、マリアは綿飴を片手に帰っていった。

「う〜〜〜ん。さすがマリアセンセー。あれくらい美人だと、なに着ても似合うよな〜っ」

「う、うむ…」

 歯切れは悪いが、同意する醍醐。そして、龍麻はと言えば――



【ふぉっふぉっふぉっ、良いではないか】

【なになさるんです!】

 マリアの平手打ちで吹っ飛ぶ悪代官。その顔は実に嬉しそうである。

【ああっ、もっとぶって!】

【近寄らないで、この変態!】

 再び吹っ飛ぶ悪代官。歯が折れているが、やはり嬉しそうである。



 ――妄想終了。

(ふむ…。マニア向けだな)

 ローゼンクロイツ事件の時、拳銃を持っている暴漢を平手打ちしたというマリアである。時代劇ごっこにおいても【萌え】の要素は薄そうだ。

 ――などと、龍麻が馬鹿な事を考えている内に、葵と小蒔が戻ってきた。

「――ごめんなさい。遅くなって」

「そんなコトないよね? さっ、あったかいラーメンを食べに行こうっ!」

 例によって例の如く小蒔が宣言し、誰一人異論はないまま、一同は新宿の雑踏の中を歩き出した。

 祭囃子はいつのまにか、新宿という街が放つ雑音に紛れて聞こえなくなっていた。

















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