第壱拾四話  京洛奇譚 4





「おーおー、絶景かな、絶景かな」

「…ちょっと勘違いしているようだが、確かに見事だな」

「ホントホントッ。紅葉もきれいだったけど、すっごい星空…」

「うふふ、皆、そんな風に空ばかり見ていると、転んでしまうわよ」

 実際、それは見事な星空であった。京都も整備が進み、現代では近代都市の一つであるが、昔ながらの町並みを保存する活動も精力的で、公害もかなりのレベルで押さえられている。街中では街の明かりに遮られてしまうだろうが、こうして少し街中を外れれば、そこには澄んだ空気と自然が待っている。それが、京都という街だ。

「京都という街は、極めて理想的な風水都市だ。この結界が空気の自浄作用を促進させているのかも知れんな。かつて平安時代の陰陽師たちは星から運命や吉兆を占ったそうだが、それも肯ける。実に見事な星空だ」

「へえ、ひーちゃんも言うようになったじゃねェか」

 こういう話を振ると、いつも壮絶な体験談か哲学方面に話が行ってしまう事が良くある龍麻だが、今回ばかりは別らしい。

「何を言うか。星を見て美しいと感じるのも、宇宙に思いを馳せるのも、人間にしかできない事であろう。単なる配置でしかない筈の星に形を与えて星座とし、古代から旅人や船乗りはその恩恵に預かってもいる。そして星を題材に優れた文学作品も生み出されている。例えば、宮沢賢治の【銀河鉄道の夜】は有名だ」

「ああ、スリーナインだな。でもあのメー○ルって、後ろから見たら睫毛が横に飛び出していそうだよな」

 京一がそう言った途端、放たれる発剄! 京一は吹っ飛んだ。

「アホが。場の空気を読めん奴だ。――ムッ?」

 龍麻が唸ったのは、京一が叩き付けられた木の上から、何か人間大のものが落ちてきたからであった。

「「「…………」」」

 それを見て、一同、顔を見合わせる。

「ううむ…。京都の歌舞伎役者はこんな所で修行しているのか?」

「いや…多分、違うと思うが…」

 自信なさげに言う醍醐。

「しかしこの格好、舞妓には見えまい。そうか、【見上げ入道】だな。【見上げ入道、見越した!】」

「だからそーじゃなくてッ」

「【はくぞうす】、【べとべとさん】、【びしゃがつく】、【さんせい】、【やまわらわ】、【ひよりぼう】、【ぬりかべ】…ではなさそうだが、この内のどれかだろう」

「ええい! いい加減にどきやがれ!」

 【山に出てくる妖怪】シリーズをずらずら並べながら、一向に【それ】の名が出てこない龍麻に苛々した京一が【それ】を脇に蹴り転がした。どうやら【それ】は京一が叩き付けられた木の上にいたらしい。衝撃でカブトムシのごとく落ちてきてしまったという訳だ。

「龍麻…彼は彼なりに【天狗】であると主張しているようだわ」

「これでか? 俺の知っている天狗は空手着を着ていたぞ」

「空手着?」

「うむ。体力ゲージが点滅すると、必殺の【竜虎○舞】が飛び出すのだ」

「…ッ貴様ら! 何者だ!」

 いい加減、訳の解らぬ問答をされて苛々したのは【天狗】の方も同じだったのだろう。木から落ちてどこか怪我でもしたものか、痛みを堪えて怒鳴る。

「この山は我、鞍馬天狗の御山ぞッ! これを汚す者は即刻去ねいッ!」

「なにッ!? クラマとなッ!? すると貴様は女であったか。最初に接吻を交した男と一夜の契りを結ぶ…ムガガ! 何をする!」

 毎度お馴染みのパターンで大脱線(大がポイント)を続けられてはかなわんと、問答無用で龍麻の口を塞ぐ醍醐。

「ググっても解り難い極端なボケを連発するな! ――あ〜、その、なんだ。とりあえず、君が天狗だという事は解ったから、君の主義主張、所信表明なりとを聞かせてもらいたい。我々は別に、君やこの山に対して危害を加えようという者ではない」

 とりあえず精一杯穏やかに言ったつもりの醍醐であるが、何しろこの巨体で、本性は【白虎】である。自然の豊富な山の【気】に触れている為、押さえてはいても、その場にいるだけで圧倒的な威圧感を醸し出し、穏やかな口調も意味なしであった。

「う、うるさい! お前らもあいつらの回し者だろう! これ以上、俺たちの山を汚させてなるものか!」

「…コスプレーヤー一人でどうするという…ムググッ!」

 断じて喋らせるものかと、力を込める醍醐。

「あのー、天狗サン。本当にボクたち、キミの敵っていう訳じゃなくてね、今のままだと取り返しの付かない事態になりそうだからって教えに来たんだよ」

「うるさいと言っているだろう! お前らはそうやって皆を騙してきたんだ! さっさと帰れ!」

 取りつく島もないとは、正にこの事だろう。早くもウンザリしたのか、京一が声を荒らげる。

「なあ、天狗の正体はトーシロの兄ちゃんだって解ったんだから、もう帰ろうぜ。せっかく風呂に入ったってのに、見ろ、この泥だらけッ」

「うーむ、しかしだなあ」

「しかしもかかしもキンカクシもねェだろ。当初の目的は達成。任務完了。そうだろ、ひーちゃん?」

 しかし答えるべき龍麻はプラ、と醍醐の手からぶら下がっている。

「おい、タイショー! ひーちゃん舌吐いてんぞ!」

「しまった! うっかりしてた! 大丈夫か、龍麻!?」

 天狗(?)は完全に無視して、いつものようなドツキ漫才に走る三人。本人たちにその気がなくても、緊張感が失われるとこうなってしまう今日この頃である。

「お前ら、俺を無視するな!」

 もはや天狗という神秘性のかけらもない声で喚く。――無理もない。本当は脅かすつもりがいきなり木から叩き落とされ、名前も呼んでもらえず、挙げ句に本人(?)を前にドツキ漫才である。恐がるどころか、その存在をまともに認識すらしていないのだ。復活した龍麻が醍醐の頭を一発ドツいて話を戻しても、天狗は加われなかったのだ。

「…うむ。とりあえず工事現場に向かおう。天狗とやらは必ずそこにいる」

「天狗って…ひーちゃん、こいつは?」

「無視だ。彼はただの地元民だ。我々の懸念している相手は、別にいるようだ」

「別…ねえ。そりゃあ確かに、変な気配は感じられるけどよ」

 京一が頭を掻き掻き肯く。

 それは、夜の山道を辿り始めてから、全員一致で気付いた事である。ホテルまでの道すがらに感じていた【気】が、夜気の中ではより明確にして巨大なものの気配として感覚に触れてくる。それが危険なものかどうかは皆目見当が付かず、従って最低限の警戒を残したまま黙殺していたのだが、こうして天狗の【偽者】と遭遇すると、さて、こっちの正体も見てみたくなるのも人情というものだ。

「俺としては、そっとしておいた方が良い気もするんだがな。桜井、美里、お前達はどう思う?」

「ウン…この人の気配じゃないっていうのは分かるけど、敵か味方かも分からないよね」

「私には…なんだか懐かしい【気】が感じられるわ」

 最後の葵の言葉が決定的だった。葵は【菩薩眼】を有している。彼女が【懐かしい】と感じたならば、恐らくそれは敵にはならない筈だ。あの九角ですら、厳密には【敵】ではなかったのだから。

「お前ら…!」

 こうまで徹底的に無視されて、さすがに頭に来たのだろう。天狗が葉団扇を捨てて背負っていたアーチェリーを握り締める。

 しかし、闇の中から飛んできた女性の声が天狗を制止した。

「やめて、隆! その人たちはウチのおばあちゃんを助けてくれた人たちよ!」

 この暗闇の山奥で女性の声を聞く事になろうとは露ほどにも思っていなかった一同は驚いた。明かり一つ持たないながら、危なげのない足取りで闇の中から出てきたその少女は名を朋子と名乗り、村の青年団の一人だと自己紹介した。天狗の方は隆といい、青年団のリーダー的存在だという。

「昼間はおばあちゃんが大変お世話になりました。うふふ、あんなに楽しそうにしているおばあちゃんを見るのは久しぶりです。今日は何度も何度も、東京から来た学生さんに親切にしてもらったって話を聞きました。本当に、ありがとうございました」

「良いって良いって。困った時はお互い様、人生の先輩は大事にしようってな。それより、詳しい事情を教えてくれねェかな」

 真神の一同にしてみれば、もはや天狗云々よりも、山全体を覆っている妙な【気】がなんなのか、という事に興味が移っているのだが、情報があるに越した事はない。

「よそ者に話す事など何もない! さっさと帰れ!」

 朋子は友好的だが、隆の方はそうではない。それも予想範囲内なので、京一はじろっと彼を見ただけである。

「そうだな…たとえばこの山の天狗伝説とか、なぜここにレジャー施設なんか建てようとしたのか、とか、その辺りを知りたいのだが」

「話す事はないと言っているだろう!」

 さっきから喧嘩腰の隆を、まったく無視する醍醐。実際、【白虎】にチワワが吠え掛かっているようなものだ。聞こえていないのかもしれない。

「この山の風水は見事なものだ。しかしそのエネルギー状態を乱すとしたら、下手をすれば京都全体の危機になるやも知れん」

「……!」

 龍麻が口を開くと、さすがに隆も黙り込んだ。いきなり話が巨大化したので、面食らったのである。【こいつら馬鹿か?】…そんな感情がありありと伝わってくる。

「確かに、私たちはこの土地にとってはよそ者でしょう。でも、東京も京都もこの日本という国の一部です。ひいては世界の、地球の一部と言っても良いでしょう。現在、この土地で行われている事は、世界的規模で見れば何十何百と行われているんです。私たちはその全てを止める力はないけれど、目の届く範囲でなら、何か手伝える事があるかも知れません」

 例によって例のごとく、理想論のごり押しによる葵のスペシャルアビリティ【説得】(龍麻主観)であるが、どうやら自然保護に関する知識を持ちあわせているらしい隆は、渋々ながら胸襟を開いた。とりあえず現地に案内してもらう道すがら、事情を聞く事にする一行である。

 話そのものは、それこそ日本全国、どこにでも転がっていそうな話だった。二か月前に山の先代の地主が亡くなった時、都会育ちの今の地主が先祖代々の土地をあっさり売り払ってしまい、この土地を買い取った建設会社が村人に立ち退きを要求してきたのである。村の青年団、役所、開発業者間で未だに話し合いが続いているものの、話し合いは平行線を辿る一方。業を煮やした開発業者は現地調査を理由に山を切り開き始め、更に反対住民に対する露骨な買収や嫌がらせなども始めるようになったという事であった。

 隆は大学で環境保全に関して勉強しており、故郷の山がいかに貴重なものか知っていた。だから開発を止めさせようとしたのだが、のらりくらりと返事をごまかす役所からの帰りにヤクザと思しき連中に暴行を受けた事を切っ掛けに、直接的手段で開発の妨害をしようと決意したのだという。

「極めて危険な状況だな」

 一通りの話を聞き終え、龍麻はおもむろに言った。龍麻得意のプロファイリング発揮である。

「その強引な開発の進め方からすると、バックにいるのは開発業者やヤクザでなどではない。いわゆる箱物建設における公共事業費搾取を狙う政治家か官僚だろう。志を捨てたそのような輩は自らの望む結果のみを求め、時間や経費をかける事を極端に嫌い、己に逆らう者は本人のみか一族郎党潰さずにはいられん。金のみが神の、天狗伝説を最初から信じる筈もない連中だ。これ以上はただでは済まんぞ。山中ならば死体を埋める場所にも事欠かんし、建屋の基礎にコンクリート詰めにすればまず数十年は発見されん」

 見た目は高校生の恐ろしくリアルな言葉に、隆は露骨にうろたえた。しかし…

「わ、解っている! でも、目の前で自然が壊されていくのをただ黙って見ている訳には行かないんだ! しかも奴等は…俺たち村のもんが大切に奉ってきた天狗様の祠を真っ先に壊しやがったんだ!」

「…精神的な拠り所をまず破壊したか。しかし…」

 【祠】という単語を聞き、真神の一同がなんとなく表情を固くする。一年前までならば笑い飛ばしていたかもしれない話だが、今となっては、何か重要な意味を持っているのでは? という見方の方が強くなっているのだ。第一、あの老婆はここに天狗がいたことを保証していたではないか。たとえ昔話でも、祠が設けられたという事は人々の信仰を集めていたという事で、それを破壊したとなると…危険だ。

 果たしてそれは、工事現場に付いた時に確信に変わった。

「ヒドイ…ここだけぽっかりと更地になっちゃってる…!」

 実際、風水に知識がない人間でも、これは酷いと思うであろう有り様であった。豊かな森林が突如として切り開かれ、ならされ、ぽっかりと穴が空いているのである。空から見れば、さながら爆撃の痕にでも見えた事であろう。

「…どうだ、葵?」

「…とても酷いわ。鬼門封じであるこの場所を壊した上に、【龍】の尾と足まで分断されて、そこから【気】が散ってしまっている。でもこの流れは異常よ。単に【気】が散ってしまうだけじゃなくて、どこか別の所へ吸い込まれていくみたい。それに…何かしら? ここを壊そうとする執念と言うか、物凄い悪意を感じるわ」

 【菩薩眼】である自分を受け入れた葵は、龍山のもとで風水の勉強もしている。本来ならば【羅盤】という道具が必要なのだが、彼女には必要がない。僅か数日のレクチャーではあるが、勉強熱心な彼女は既に風水師としてやっていけるだけの実力はある。そしてここで言う【龍】とは山並みの事であり、風水師は山の形、尾根の連なり、川の流れを龍の姿になぞらえるのだ。

「それで、どうするんだ、龍麻。建設機械を壊した所で時間稼ぎにしかならんと思うが、何もしないよりは…」

「天狗も六人となりゃ、工事の中断は間違いねェと思うぜ」

「エヘヘッ、それじゃボクたちも天狗サマって事だね」

 しかし、龍麻の口からは別の言葉が洩れた。

「…総員撤退。すぐにこの場を立ち去る。あなた方もすぐに村に戻り、村人を避難させろ」

「な、なんだって!?」

「詳しく説明している暇はない」

 断ち切るように言うと、龍麻はそのまま工事現場の中央に歩いていった。しばらく進むと、目の前にパワーショベルが鎮座している場所に辿り着く。

「お、おい! ひーちゃ…!」

 どうした? とその肩に手をかけようとした瞬間、京一の手に静電気にも似た【気】のスパークが飛び散った。

「ここで何者かが【危険】を告げている」

 龍麻の全身から、青白いオーラが吹き出し始める。それを見て、隆と朋子が驚愕の眼差しを龍麻に向けた。そして龍麻が立ったその位置こそ、天狗の祠があった場所なのだ。

「破ッ!」

 龍麻の発剄! 三〇トンを越えるパワーショベルがズズッと二メートルも地を滑る。京一たちには今更驚く事もない現象だが、隆も朋子も唖然として、声も出ない。

「…ここだな」

 一体何を見付けたのか、龍麻が地面に膝を突く。つるはしが必要なほど固くならされた土くれを力技で掘る事十秒、木材の破片に混じって薄汚れた紫色の御守袋が現れた。それを拾い上げた龍麻は、地中に埋まっていたとは思えぬ熱に眉をひそめる。袋の破れ目から転がり落ちた熱源は、貴石と飾り紐で作られた二つの小さなアクセサリー〜根付であった。材質は蛍石フローライト紅水晶ローズクォーツか? しかし…飾り紐などから推して古い物であるのは確かなのに、デザインは現代のそれ…例えば携帯電話に付けるアクセサリーのようだ。

「何らかの【力】を感じる。常人は触らん方が良かろう。――由来は解るか?」

「あ、ああ。それが祠のご神体だよ。蛍石のが天狗様の形見で、天狗様が大切な友達からもらった物だったって…。紅水晶のは祠を建てた、天狗様の友達だっていう女の人が自分の分も一緒に祭るように頼んだんだって聞いてる。天狗様と同じ友達ともう一度会えるようにとか…」

 その時である。隆が呻くように言うのに重なり、街中でもあまり聞きたくないタイプの声が響いた。

「まったく…近頃のガキはタチが悪いな」

「誰だッ!」

 龍麻の異常と、この場所全体に充満している異様な気の流れの為に、京一や醍醐さえもその存在に気付かなかったが、真っ暗なプレハブ小屋の中から黒尽くめのスーツを着た男と、いかにも【それ】系の格好をしたチンピラが姿を現わした。

「お、お前らだな! 開発業者に雇われた連中は!」

 隆がやや気圧されながら叫ぶと、下品な笑いが起こった。

「あれで懲りなかったとは、馬鹿な奴だぜ」

 そう言ったのは、前に隆を襲った奴だろう。隆は怒りに拳を震わせた。

「フン…。先に言っておくが、いくら偉そうな事を言った所で、今じゃお前らのやってる事の方が犯罪だぜ。山を護る天狗だと? 笑わせてくれるぜ」

 黒スーツがチンピラの笑いを手の一振りで静めさせたのを見て、京一たちは「ヘエ…」と感心する。龍麻や九角クラスの人間を見ているので、残念ながら京一たちには迫力不足だが、これでなかなか、黒スーツには重厚な貫禄がある。

「いいか、ここにレジャー施設が建設されれば、村も潤う。利便も良くなり、街も発展する。邪魔する理由なんかねェだろうが」

「それは取らぬタヌキの皮算用ではないか? そもそもあんた方を雇っている建設会社だって、どこまで本気でレジャー施設を造るつもりなのか分かったものではない。せいぜい、悪徳政治家の裏金造りに利用されているだけではないか?」

 こういう台詞は龍麻の方が得意の筈だが、彼がなぜか黙っているので代わりに醍醐が口を開く。

「フンッ…餓鬼が利いた風なこと抜かしやがる。――たとえそうだとしても、よそ者には関係ない話だ。それにここは私有地だ。さっさと帰らないと、馬鹿を見るのはお前らの方だぜ」

「そんな脅しに乗るものか!」

 若頭がなかなかの人物であるらしい事を見抜いた一同は、うまく持ち掛ければ話し合いで何とかなるかも――と淡い期待を抱いたのだが、隆が猛然と食って掛かったので天を仰ぐしかなかった。

「これ以上この山をお前らに踏み荒されてたまるものか! 俺たちは先祖代々、この山と一緒に生きてきたんだ! それを政治家の小遣い稼ぎで潰されてたまるか!」

「うるせえんだよ! このクソ餓鬼が!」

 売り言葉に買い言葉で、チンピラ達が騒ぎ始める。交渉役が穏やかに話しておきながら、周りを固める者が暴力を匂わせる――脅しの常道テクニックである。しかし若頭は無闇に吠えるチンピラ達に少々呆れているようだ。納めるつもりはないらしいが。

「兄貴が見逃してやると言って下さるんだ! それをテメエ、うるせえだとお!?」

「今度は痣くらいじゃ済まさないぜ。手足の二、三本は覚悟しやがれッ」

 私有地だろうが何だろうが、これだけの事を言ってしまえばそれも犯罪行為だ。一応、暴力団対策法にも引っかかるであろう。

「どうするんだ、ひーちゃん。向こうはすっかりその気になっちまってるぜ」

 しかし、龍麻の返事はない。そして、京一が再度声を掛けようとした時であった。

「ッ散れ!」

「――ッッ!!」

 突然響く、龍麻の【命令】。その内容を確認するまでもなく、京一と醍醐はその場を飛び退いた。何事が起こったのかとチンピラ達が呆気に取られた時、【それ】は天空から落ちてきた。

 ズドオッ!! 

 凄まじい土煙を上げて着地する人影。一体どこの誰が、どこから!? そんな疑問を差し挟む余地もなく、人影が素っ頓狂な声を上げた。

「なんだなんだなんだァ!? お前ら、ここでなにやってるんだよッ!?」

「か、風見ッ!? お、お前こそ何をやって――!」

 こんな所で出くわすには、意外と言えば意外な人物。人影は彩雲学園の風見拳士郎であった。

 しかし、この格好はなんの冗談か? それこそ変身ヒーローもかくやと言うような、赤を基調としたライダースーツで包み、その上にはアニメの世界から抜け出してきたかのような近未来的なデザインの鎧を纏っているのだ。そんな非日常的な恰好でありながら血と汗と――硝煙の香りが漂い、酷く生々しい現実感が彼を包んでいる。

「いやあ、弥生たちに解剖される寸前で【狩り】に出る事が決まって――って、そんな事はどうでもいいな。早くこの場を離れな。ここはすぐに戦場になるぜ」

「なにィ!?」

 拳士郎の言葉が多少なりと理解できるのは、真神の面々だけだ。若頭を始め、地元のヤクザ達はとんでもない方法で出現した少年の台詞に、呆れを通り越して怒り始めた。

「なんだこのガキャアッ! 突然降ってきやがって、なに馬鹿言ってやがる!」

 口元をひん曲げて突っかかるチンピラが数人。すると拳士郎はそちらを見ようともせず裏拳を放った。やはり当てなかったものの、拳の迫力と風圧だけでチンピラ三人が尻餅を付く。

「ガタガタうるせェんだよ! テメエらみてえなのがあちこち突つきまわすから、俺たちがこんな所まで出張る羽目になるんじゃねェか! 命が惜しけりゃとっとと失せろ! いつまでも親不孝やってんじゃねェッ!」

 龍麻たちもヤクザごとき怖れるタマではないが、それは拳士郎も同じだ。微妙に虚勢を漂わせていたヤクザ達も、これには逆上した。

「こ、この餓鬼ィ…!」

 この、意外すぎる闖入者のお陰で、どうやら穏便な解決などどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。

「こっちは正当な権利を主張したぜ。それを無視したのはお前らの方だ。少しは痛い目を見て、反省するんだな」

 若頭がそう宣言すると、チンピラ達も木刀を引っ張り出す。

「へッ、どうも喧嘩自慢って感じがしねェが、俺たちに凄むなら最低でもマシンガンくらい持ってきやがれ!」

 木刀を一振りし、京一が啖呵を切る。その時、京一は違和感を覚えた。【普通】の言い方をしたのに、チンピラたちはビクッと身を震わせたのである。しかし――

 ゴウッ! ――シュウゥゥゥゥゥ――ッッ!! 

 拳士郎が吹っ飛んできたのと同じ方向から、何か巨大な鉄の塊が飛んできて、土煙を吹き上げながら広場に軟着陸する。重量にして数トンは有りそうなのに、思いの外静かに着地したのは、圧縮空気を噴出するシステムが作動した為と知れた。

「な、なんだこりゃ!!?」

 京一の叫びは、この場にいる全員――拳士郎を除いて――の気持ちを代弁した。

「あれえ? なんでここに人がいるのォ?」

 中型トラックほどの【戦車】のような物体からひょいと顔を上げたのは、小柄で童顔の少女、一文字唯である。

「ちょっと、何でアンタ達がここにいるのよ!?」

「山道は封鎖したつもりでしたが…これは、まずいですね」

 続いて【戦車】から降り立ったのは、やはり拳士郎と同系列のデザイン〜近未来的なプロテクターを身に付けた暁弥生に、小早川貴之だ。最後に、如月舞までが顔を出す。

「お前達…どうしてここに?」

 拳士郎の言葉だけでは、彼らがここに来た理由がまったく理解できない。全員がプロテクターを付け、武器を帯び、どう見ても【戦車】に乗っているのも理解不能だ。――龍麻以外は。

「状況を分析させていただくと、どうやら真神の皆さんは恐らく天狗に扮していたであろうそちらの地元住民の方達に案内されて裏道からここに来たようですね。そしてそこのちょっと特殊な自由業らしき皆さんは天狗騒動を警戒して早くから待ち伏せしていた――っといった所ですか」

 一目でそこまで見抜くとは、この貴之もただ者ではない。しかもヤクザを【特殊な自由業】と称してまったく悪びれていない。この優等生も、見た目以上に強いのだろうか? 

「詰まるところ僕の凡ミスという事ですが、ま、良いでしょう。――皆さんに勧告します。今から二分以内にここから避難してください。間もなくここで戦闘行動が行われます」

「な、なに!?」

「戦闘開始後、皆さんの命は保証いたしかねます。保護義務もありませんので」

「――ッッ!」

 どう聞いてもふざけているのに、冗談事ではない響きを持つ貴之の言葉を裏付けるかのように、拳士郎、弥生、唯、そして、舞の四人が広場に散った。色は拳士郎が赤、弥生が青、貴之が若草色、唯がピンク、舞は白銀と、龍麻風に言うならば識別が容易になっている。

(まるで戦隊ヒーローだぜ…!)

 京一でさえそう思ってしまうほどである。

 しかし、龍麻は――

「何が【出てくる】のだ? 【ストライダー】」

 確信をこめて放たれた龍麻の質問に、拳士郎が口元を歪めて笑った。

「なあに、ちょっとばかり厄介な、化け物どもさ。そう、たとえば――」

 その時、何かが森の中から空中に飛び出してきた。

「こういう奴らさ!」

 両足のホルスターからトンファーを引き抜き、ブウン! と一振りする拳士郎。しかしその【何か】を追って、もう一つ、闇から分離した魔鳥のごとき影が空中を駆けた。

「――ッッ!」

 京一たちも、思わず見蕩れる。そのあまりに優美な飛翔に。ロングコートを翼のように広げ、地を蹴る足は音を立てず、風の妖精のごとく空を駆けるのは【ザ・パンサー】こと、響豹馬であった。そして、着地と同時に彼の左手が最初の影に伸びる。月明かりを反射してきらめいたのは、コルト・アナコンダ、四四マグナム――

 ――ズドォォォンッッ!! 

 【本職】のヤクザでさえも度肝を抜かれる四四マグナムの咆哮! 最初の人影――らしきものは胸の中央部をぶち抜かれ、地面に叩き付けられる前にスチールウールのように全身を燃焼させて消滅した。

 豹馬の右手がもう一丁のアナコンダを抜き出す。

 コートをひらめかせ、振り返る様まで絵になる男だった。二丁のアナコンダは彼が跳んできた虚空に向けられる。瞬き一つほど遅れて、翼を持つなにものかの影がいくつも飛び出してきた。

 鼓膜をハンマーでぶっ叩かれるような轟音が立て続けに響く。飛び出してきたなにものかはほとんどが空中にいる間に燃え尽きて塵になったが、羽を消し飛ばされただけの奴が地表に墜落し、一同の前でバウンドした。

「な、なんだこいつ!」

「ウソッ! 本物の…天狗!?」

 服装こそ山伏のそれだが、身体は徹底的に人間とは異なっていた。手足は猛禽類の特徴を備え、顔は羽毛に覆われている上、嘴が付いている。全体の印象として最も近いのは――鴉。

「これは、鴉天狗という奴か!?」

 驚愕の呻きを発する一同に向けて、【ゲオオオォォォッッ!】と悪声を発する鴉天狗。そこに、地面を引き裂きつつ拳士郎のトンファーが唸り、鴉天狗の頭を縦に両断してのけた。間を置かず、渦巻く黒い灰と成り果てる鴉天狗。

「済まねェ。――良く拝んでおきな。最近じゃ馴染みが薄くなったが、こいつらも【こっち側】のお友達だぜ」

 龍麻たちも旧校舎で魔物を見慣れているから、今更鴉天狗が現れたからといって、それだけでは驚かない。真神の一同を驚かせたのは、舞の言葉であった。

「彼らはこの地を護る【守護者ガーディアン】の一族です。彼らは一族を挙げて【奴ら】を封印し、長らく京都近隣の地を護ってきました。でも天狗たちの呪力を維持していた祠が壊された為に【奴ら】が活動を始め、封印の核たる彼らの亡骸は【奴ら】に侵食されてこのような魔物に成り果ててしまいました」

 バサバサッ! ガサガサッ! 

 舞の言葉に重なるようにして、森の中から無数の羽ばたきと葉擦れの音が近付いてくる。良く見れば、翼のある生き物特有の力強い飛翔ではなく、どこかよたよたと頼りない飛行。そして、ギクシャクと地を歩いてくる姿。まさかこれは、鴉天狗のゾンビーなのか!? 

「て、天狗サマの祠を壊したから、こんな怪物が出てきたって言うのか!?」

「…そんな馬鹿な事があるか」

 いつのまにか、隆と若頭が隣り合ってそんな事を言う。無理もない。これが正常な人間の反応である。さっきまでの威勢は何処へやら、チンピラ達の中には腰を抜かしている奴らまでいる始末だ。

「古来の伝説を全て迷信だと断じるのは、最も愚かなものの考え方です。友好的な知的生命体を、姿形が自分と異なるというだけで【怪物】と称するのも。――もう逃げられませんね。せめて邪魔はしないでください」

 貴之が呟き、弥生が腰に下げていた金属の輪…圏を取って手の中で回す。唯はどこかから棍を取り出して一振りし、舞が清麿を背に居合いの構えを取った。そして拳士郎がトンファーを構えると、そこに青白い光が生じてブン…と高周波の唸りを立てた。

「It has come funny night」

 響豹馬――ザ・パンサーがアナコンダに新たな弾丸を装填する。

「Let’s  Rock  baby」

 不敵な台詞が、戦闘開始の合図となった。









 光と闇。昼と夜。決して交わらぬ、しかし互いなくしては存在し得ぬもの同士の戦い。太古の昔より繰り返されてきた、夜の世界の物語。

 それはまさしく現実世界に具現した、夜の世界の申し子たちであった。

「ざっと二〇〇ってところかしらね。――行くわよッ!」

「行っきま――す!」

 青とピンクの色彩が真っ先に跳び出し、恐れ気もなく鴉天狗の群れの中に突入する。地を駆けるのではなく、地表を飛んでいる!? 形状こそ近未来的だが、それは正しく中国の古典【封神演義】に語られる宝貝パオペエ風火輪ふうかりんであった。

「破ァァァァ――ッッ!!」

 月明かりに銀孤が閃いた瞬間、鴉天狗の首が胴を離れて飛んだ。その惨劇を生み出す剛の技に似合わず、レオタードのような軽装鎧姿の弥生は自身が演じる十三妹シーサンメイか三国志の【弓腰姫きゅうようき】孫尚香のごとく華麗に舞う。圏の描く銀の軌跡は月光を受け、水面に跳ねる若鮎のごとく閃いた。その輝きが一つ、また一つと閃くたびに、確実に一体、もしくは二体の鴉天狗が呪われた生から解放され、灰に還る。

 地を蹴るものと、空を飛ぶもの。上と下から同時攻撃をかける鴉天狗! 

 弥生の両手から圏が離れた。

「あッ――!」

 思わず口元を覆う葵と小蒔。しかし弥生の手から飛んだ圏は彼女を中心に高速で周回し、鴉天狗の群れを縦横無尽に切り裂く制空圏を生み出す。マッハを超える速度で超高速回転する圏の生む衝撃波ソニックブームと、空気を電離させるほどの高電流が触れた瞬間、異次元の生物によって無理やり生かされている鴉天狗たちは瞬時に消滅、浄化された。

 切り裂かれた包囲網に、ピンクの色彩が走り込む。

「【四天王流・広目拳こうもくけん】天の壱! ――【山吹】!」

 棍のリーチを生かして先制の一撃を加えた唯の掌から黄金の…山吹色の光輝が発せられ、怯んだ鴉天狗の胸板に吸い込まれる。次の瞬間、鴉天狗は金色の炎に包まれながら宙を弾け飛び、後続の仲間を玉突きのごとく巻き込んだ後で、仲間ごと光の粒子と化して消滅した。

 空中から飛び掛ってくる鴉天狗の蹴爪! 同時に前後左右から滑り込む鉤爪! くるりと転身しつつ唯は棍を地に突き立て、それのみを支点に倒立姿勢の旋風脚を繰り出した。空中から襲った鴉天狗には理想的なカウンターとなり、地より襲った鴉天狗には目標を失った瞬間の無防備状態に蹴りを叩き込む事となり、その瞬間にやはり山吹色のエネルギーを注ぎ込んで呪われた肉体を消滅させる。小柄な上、変則的でありながら合理的な体捌きの唯を、鴉天狗は誰一人として追い切れなかった。

「――凄い!」

「で、でもあれじゃ多勢に無勢じゃ…!」

 あっという間に十体以上の鴉天狗を倒した二人だが、敵の数はあまりにも多い。なまじ深く切り込んでいけば、数に呑み込まれるのは必至だ。

「いや、あれが彼らの戦術だ」

 うろたえる葵達の言葉を断ち切る龍麻の宣言通り、そこに援護と言うより、本命の攻撃が加わった。両腕に光の風車を唸らせつつ、風見拳士郎が鴉天狗に挑みかかったのである。

「でェりゃあァァァァッッ!!」

 武器を禁じられた琉球の空手家達が農具から考案した攻防一体の武器、本来は打撃を目的に作られたトンファーがゴウッ!! と唸るや、するりと身を引いた弥生たちによって一塊にされた鴉天狗が十体まとめて胴を輪切りにされた。青白い光は高周波の放つ輝きであり、全長五〇センチ、太さ四センチのトンファーが超高速回転する妖刀と化す。そこに心道流空手で培った体術とスピードが融合された時、拳士朗の前に敵はいなかった。彼の制空権に飛び込んだもの全てが、得意の武器も妖術も駆使する間もなく殲滅される。

 見えるだけで百体。弥生の言葉を信じるならばその倍にも達する鴉天狗が、たった三人を相手に圧倒される。まともに戦えば鴉天狗とて相当な脅威であろうが、突撃していった三人の動きが速過ぎ、攻撃力が強過ぎ、追い付けない。

 ぱっと何体かの鴉天狗が宙へと飛んだ。

 叩き付けるように振った翼から、レーザーのような光が三人に襲い掛かる。羽を手裏剣のように飛ばし、その尋常でないスピードが生む空気との摩擦で燃え上がったのだ。

「うおっとォッ!」

 拳士郎が身体の前面でトンファーの回転を加速させると、光の輪がさらに大きく広がり、羽手裏剣が瞬時に蒸発した。弥生を襲ったものは十字受けの形を取った瞬間に生じた青白い光を伴う盾のようなものに弾かれ、唯を襲ったものは…鋭く振った棍に吸い付くように絡め取られ、襲撃者自身に投げ返された。

 攻撃も防御も――隙だらけのようでいながら付け入る隙がない。弥生と唯が縦横無尽に敵陣で暴れまわり、算を乱したところを拳士郎のトンファーが振るわれる―― 一見乱雑に見えながら、対集団戦を良く心得た戦法であった。弥生の圏の間合いは思ったより広く、パワーよりもスピードで斬るので迂闊に近づけない。そして唯はただでさえ小柄な上に敏捷性が並ではないので、鴉天狗の孤を描く攻撃は簡単に見切られ、懐深く潜り込まれてしまう。その上二人とも切り伏せ、あるいは拳を打ち込んだ敵を時に武器として、あるいは死角を護る盾として利用するので、既に戦術を考える能力のない鴉天狗のゾンビーでは彼女達には敵わなかった。そして彼女達自身、己の戦闘力を過信せず、常に拳士郎のカバーが届く位置を維持しているので、鴉天狗は雑草のように刈り取られていくばかりであった。

「…見事だ」

 もはや傍観者と成り果てている真神の五人。龍麻とて、例外ではない。

 だが、残る鴉天狗は軽く百体以上。そうなれば後衛の三人に目を向ける奴もいた。

 す、と前に出ようとする豹馬の胸前に、舞が手を差し出す。

「ここは私が」

 更地とは言え、ただの土くれの地面である。アスファルトの路面でもなければ、ましてや道場の床でもないのに、舞は極めて理想的な運足でするすると前に進み出た。背の清麿に、右手が軽く触れている。――林崎夢想流抜刀術。

 ゲオオオオオッッ!! 

 生の輝きに満ちた美少女を絶好の獲物と見たか、鴉天狗が悪声を上げて飛び掛る。

 舞の白いプロテクターが朱に染まるかに見えた瞬間、鴉天狗の爪は白い残像のみを貫いた。

「ッッ!!?」

 龍麻が、そして京一が眼を見張る。彼らの目にも、舞がその場を一歩たりとも動いていないように見えたのだ。しかし舞の虚像を突き抜けた鴉天狗は勢いのままに数メートル進み、振り返ってから初めて自分が斬られていた事に気付いたかのように、上半身と下半身が分断され、地に落ちる前に灰と化した。

「み、見えたか、ひーちゃん!?」

「否定だ…!」

 こうなった以上自分達も援護を…と考えていた龍麻たちにしても、目の前でこれほど凄まじい戦いを見せ付けられるとは思わなかった。対魔物戦闘を主任務とするIFAFのエージェント【ストライダー】、【ザ・パンサー】とその仲間達。彼らは龍麻たち以上に【専門家】であった。

 しかし龍麻は、妙な事に気付いた。

(…なぜ動かぬ?)

 指揮があった訳でもないのに弥生と唯が飛び出した時から妙だと思ったのだが、彼らのリーダーであろう響豹馬は最初の鴉天狗を倒して以来、戦闘に全く加わっていない。彼だけは銃を持っているのだから援護射撃というのもありだろう。それなのに、彼は目の前の戦闘に、これといって注目していなかった。貴之は【戦車】とリンクしているらしい腕のコンピュータを凄いスピードで操作しているところから、恐らく仲間や敵の戦闘記録をデータ収集しているのだろう。しかし、響豹馬一人だけ、何もしていない。

「なんか…気に入らねェ…!」

「…ああ、そうだな…」

 押し殺したような声を上げる京一と醍醐。彼らも気付いたのだ。

「どうしたの? 二人とも…」

「――気付かねェか? あの響豹馬――仲間だけに戦わせて、自分は高みの見物してやがる」

「えッ…!?」

 ただただ、彩雲学園の面々が繰り広げる戦いに圧倒されていた葵たちも、改めて戦況に注目する。見れば最初こそ勢いのついていた弥生たちだが、やはり鴉天狗の数に押されてやや不利になってきている。勿論、まだ誰も怪我をしていないが、このままではそれも時間の問題と思われた。

「ひーちゃん! 俺はやるぜ! いいよなッ!?」

「龍麻! 俺もこれ以上は黙って見ていられん!」

 なぜか動かぬ豹馬を護るように戦っているのは舞である。弥生たちは三人で死角をカバーできるが、舞は援護なしなので、次第に危ない場面も出始めていた。それなのに、豹馬は銃口を上げる事すらしなかった。昼間の舞の世話焼きぶり、そして風呂場での彼女のノロケが嘘のような冷淡さである。

「うむ…。豹馬! 我々は貴殿らを援護する! よろしいか!?」

「…無用だ。俺の獲物を取るな」

 こちらを見ようともしないその返答に、遂に京一が切れた。

「っざけんじゃねェ! テメエだけ高みの見物しといて、なに抜かしやがる! ――行くぜ、ひーちゃん!!」

 豹馬の真意を測りかね、一瞬躊躇した龍麻であったが、目の前の危険を見過ごす訳には行かない。龍麻は決断した。

「各自任意に展開! 彼らを援護しろ!」

 ぱっと散りかけた京一に醍醐であったが――

「いけません!」

 舞が振り返りざま、京一が切り伏せようとした鴉天狗を斬り捨てる。その瞬間、がら空きになった彼女の背に別の鴉天狗の爪が走った。その瞬間、鋼の打ち合う音が響き、鴉天狗が跳ね飛ばされる。

「豹馬ッ!?」

 舞を救ったのは、その寸前まで傍観者に徹していた豹馬である。背中に差していた長剣を引き抜くのに要した時間はゼロコンマいくつか!? いや、そもそも時間など必要としたのかと思わせるほどの超スピードの居合いであった。

「駄目です! 皆さんは手を出してはいけません! ――豹馬君も、もう少し我慢してください!」

「…解った」

 危機を救ったにも関わらず、一喝されたのはなんと豹馬の方であった。いきり立っていた京一も醍醐も彼女の制止に思わず足を止める。

「このものたちは、まだあなた方が見えていません! でも一度手を出せば、あなた達も闇の脅威に晒されます! いいですか!? 絶対に手出しはいけません!」

「なんだって!? そりゃ、どういう事だよッ!?」

 目の前で命の危険に晒されている人間がいるというのに、その本人達が手出し無用と言う。それも、部外者である自分たちの身を案じているように。並の【人】にあらぬ真神の一同にしてはもどかしいにも程がある状況であった。

「ぶっちゃけた話、見物してろって事だよッ! ――いいから俺たちに任せときな!!」

 トンファーの一振りでまたも五、六体の鴉天狗を無へと帰し、行く手を遮るものを蹴りで吹き飛ばす拳士郎。彼は言わば、分隊長らしい。

「二人とも下がれ! あとは一気に片ァ付けるぜ!!」

「OK!」

「は〜い!」

 あっさりと敵に背を向け、走り出す弥生と唯。拳士郎一人が敵陣に取り残される形になるが、彼らは誰一人として慌てもしない。

 弥生と唯が舞たちと合流を果たしたのを確認し、拳士郎はトンファーをホルスターに納めた。それをチャンスとも観念したとも取ることなく、不気味に迫り来る鴉天狗たち。

「あいつ…何をするつもりだ!?」

 手を出すな、と言うからには、こんな状況をも覆す自信があるからだ。それを理解した上で、龍麻は彼らの戦いを徹底的に【見る】ことに専念した。レッドキャップスの手本ともなった【ドラグーン】の生き残りの戦い。自分以上に異形のものとの戦闘に慣れた者たち〜【ストライダー】の戦術を、己のものとするために。

「――なあ、お前達。たったこれだけの数で良く頑張ったよなあ。尊敬するぜ、ホントに」

 しみじみと、深みのある漢の声で呟く拳士朗。その両腕に装着されている籠手全体が白く輝き始める。――アランの霊銃と同様の【気】の増幅機構が搭載されているのか!? 生身一つで【百歩神拳】を使いこなす男がそれを使用する時、何が起こる!?

「――後は俺たちに任せてくれ。――成仏しろ!」

 そして、拳士郎は拳撃を繰り出した。――絶技【百歩神拳】!

「――ッッ!!」

 夜景がぶれる、空間そのものを圧する衝撃波! 空気を媒介にタイムラグなしに目標物を破壊せしめる【百歩神拳】を、【点】ではなく【面】を捉えるように放つ、言わば【百歩神拳】の散弾! 瀑布のごとく広がった衝撃波は広場をあまねく席巻し――

「…ッッ!」

 衝撃波の残響が納まった時、更地に立っているのは基本姿勢に戻った拳士郎のみで、周囲を埋め尽くすほどに群れていた鴉天狗の群れはことごとく、空中にいたものさえも消滅していた。百を越える鴉天狗を、ただの一撃で…

「これが…IFAFエージェントの実力なのか…!」

 龍麻をして、声が固い。籠手そのものも超技術の産物であろうが、それを操る拳士朗の実力も恐るべし。いかに強化スーツの支援があろうとも、今の衝撃波を生んだ【気】は紛れもなく、彼自身の【気】であった。単純比較に意味はなかろうが、龍麻の【螺旋掌】の軽く十倍を超えるエネルギーを収束、開放させたのだ。

 だが、堆く盛り上がった土の中から、一体の鴉天狗が飛び出した。

「やべッ! 一人撃ち洩らした! ――豹馬!」

 とっさに拳を構えながら、しかし射程外を悟った拳士郎の声に応え、豹馬がアナコンダを向けたが、鴉天狗は思いがけないほど素早い動きで森の中へと逃げ込んでしまった。これでは彼も射線が取れない――筈なのだが、彼のアナコンダがボウ、と光を放った。

(あの銃…霊銃レイガンか!?)

 しかし、そっとアナコンダを下ろさせたのは、舞の手であった。

 彼女が仕留めると言うのか!? どうやって!? 

 深い黒瞳が、木々の隙間に見え隠れする鴉天狗を静かに射抜く。

「――ごめんなさい。逃がす訳には――」

 左手に填めたバングルに象嵌された宝石の一つを軽く打ち鳴らす彼女。するとそこに、昆虫か甲殻類の外骨格を素材にしたような弓が出現した。これには特に、小蒔が眼を見張る。彼女も矢を【気】から物質化させることができるが、これはいかなる技術の産物なのか!? 

「――行かないの!」

 舞の右手剣印から発する光の【矢】。それはレーザー・ビームのように闇を切り裂き、複雑に折り重なって生えている木々の間を巧みにすり抜け、最後の鴉天狗を貫いた。

「…Rest in Peace」

 豹馬が呟き、アナコンダをホルスターに納める。

「これでワンラウンドクリア。――さァて、お次は何だ?」

「次ィ!? ――って、まだ何か出てくるのかよッ!?」

 すると、その声に呼応した訳でもあるまいが、突如として地面がぐらぐら揺れ始めた。

「な、なんだ!? 地震かッ!?」

 言わずもながの事を言ってしまうのは人間の性である。しかし一般人よりはこういう事態に慣れている【神威】たちと、【ザ・パンサー】一行は、すぐにその地震が、この山のみを襲っている事に気付いた。

 と、その時である。



【あかん! 逃げるんや!】



「――ッッ!?」

 どこかから響いた声に、はっとする龍麻。しかし、この場の誰一人として、今の声に気付いた者はいなかった。声はどうやら、龍麻の頭の中でのみ響いたらしい。

 しかし、謎の声に耳を傾けている暇はなかった。

「一二時の方向に妖魔反応! 距離二〇〇メートル! 大きいよ! 全長…約五〇メートル!」

「五〇メートルゥッ!!?」

 【戦車】のコンソールを覗いていた貴之が声を上げ、初めて拳士郎たちから緊張の気配が立ち昇った。

「大物だな。――評議会め。つくづく気が利く連中だ」

 仲間達の緊張をよそに、恐ろしく物騒な笑い声を立てた豹馬は、アナコンダのシリンダーを振り出し、弾丸を四四マグナム・ホローポイントからKTW弾に詰め替えた。

「――龍麻。仲間を連れてホテルに帰れ」

「どういう事だ?」

「消灯時間が迫ってる。ここから先は【俺】の【仕事】さ」

「…ッッ!」

 その口調、その言葉。かつて真神の一同は聞いた事がある。あれは港区で、【ダゴン】に挑んだ時であったか…。

「この場は【私達】が護ります」

 豹馬の背後から響く、凛とした声。如月舞であった。

「悪いな、ひーちゃん、京一も。こいつは【俺達】の戦争だ。気取った事を言うなら、こいつは影と陰、闇と闇の戦争だ。まだ【奴ら】の臭いがこびり付いてねェお前達が介入する事ァねェよ。この瞬間、夜に眠れる事を感謝して、帰りな。お前達の――現実世界へ」

 その間にも地面の鳴動は続き、森がざわざわと耳障りな音を立てる。それに連れて山頂付近に、月明かりを受けてキラキラと光るものが現れ始める。まるでそれは、数百数千の刀を振りかざした軍勢が隊列を組んで行進しているかのようであった。

「なに…あれ…!?」

 視力のよい小蒔が【それ】を見て、しかし自分の知識の範疇にあるものとの決定的な違いに呻き声を上げる。

「あれは…百足…!?」

 その姿、形。スケールこそ笑ってしまうほどに桁外れだが、それはどう見ても百足であった。ぎらぎらと輝く銀光の隊列は、そいつの足であった。

「【ウォーロック】専用データベースとリンク完了。カテゴリB(ビースト)。ランクB+。大物だよ。記録では平安時代に一度、江戸時代末期に一度出現している。一回目は俵藤太秀郷が、二回目は未確認情報だけど【們天丸】という天狗が倒したとされている」

「三度目は、俺たちってことだな」

 不敵に笑い、トンファーを一振りする拳士郎。だが敵は、あまりにも巨大だ。龍麻たちが真神学園旧校舎の深層部で遭遇した【竜】は最大で体長一五メートル。よく知られるT−REXほどもあった。龍麻の【秘拳・鳳凰】や、敵の肉体内を斬る京一の【秘剣・朧残月】、あるいは【白虎変】した醍醐の【虎爪】が急所にヒットすれば決して倒せない相手ではなかったが、それでも単純に体が大きいというだけで絶対的な脅威だ。相手に攻撃の意思がなくとも、軽い手足の一振りで人間など軽く跳ね飛ばされてしまうし、踏み潰されれば即死は間違いない。何よりも、よほど正確に急所を突かぬと、致命傷には程遠いのだ。

「…勝算はあるのか?」

 さすがに龍麻も固い声で聞く。すると、驚くべき答えが返ってきた。

「そんなものはない」

「…ッッ!?」

 まるで気のない返事。自分の【仕事】と称しても、本気であるかどうかも判らない。むしろ、億劫そうにさえ見える。

 代わりに、貴之が言葉を引き継ぐ。

「【奴ら】相手に、勝算のある闘いなどありえません。あえて勝率を弾き出すならば、常に百万分の一パーセントです」

 百万分の一…〇.〇〇〇〇〇一パーセント!? それが判っていて、なお立ち向かうというのか、この男たちは!? 

 だが龍麻は、なぜ【ザ・パンサー】と、彼の所属していた【ドラグーン】が地上最強と呼ばれていたのか、彼の次の一言でおぼろげながら理解した。

「――ゼロではないさ」

 ロングコートの裾を翻し、響豹馬が前に進み出る。既に巨大な百足はこちらに気付いたものか、木々を薙ぎ倒しながら一直線にこちらに向かってきた。その巨体が尺取虫のようにぐうッとたわみ――

「――跳んだ!?」

 直径五メートル強、体長五〇メートルの巨体が宙を飛ぶ。これほどの巨体でありながら生物学的均衡を崩さぬ優美な飛翔。空中を泳ぐ圧倒的なまでの巨体は、思ったよりも小さな地響きを上げて更地へと降り立った。

【Wooohhhuuuuu! ――HA−HA−HA。 I Know you. You are the younger brother. Did you come to die earlier than Randebeer?】(ハッハッハ。お前を知っているぞ。ランデベールの弟だな。兄より先に、わざわざ死にに来たか?)

 巨大百足の上げた哄笑に、真神の一同は目を見張る。

「しゃ、喋った――ッッ!?」

 巨大百足の口は、その構造から見ても人間の言葉を発する事はできない。しかし酷い雑音のようではあるものの、確かに百足は英語を喋ったのである。

「Wow…. Are you an acquaintance of the Randebeer? Nice to meet you」(兄貴の知り合いかい? そいつはどうも)

 おどけて挨拶などする豹馬。小春日和に溶けた美貌はそのままで緊張感は皆無、億劫そうな視線もそのままだ。ただ…口元で月明かりにきらめいたのは…牙であったろうか。

「By the way. Are you in debit to  Randebeer?」(ところでお前、兄貴に借金はあるかい?)

『No. It was murdered a lot of friends by your brother』(いいや。同胞を山ほど殺されただけだ)

「It‘s too bad. If you is a message. T tell an him」(そいつは気の毒に。メッセージがあれば伝えるぜ)

『No. T send your neck which T cut off to  Randebeer』(必要ない。お前の首を送ってやる)

「OK. I tell him to choose the friend carefully」(解った。友達は選べと言っておく)

 ギャン! と空気を唸らせてクレーンのフックのような百足の前足が踊りかかった。

 巨大でありながら妖刀の鋭さを持つ爪が立て続けに豹馬を襲い、しかしコート姿は影の如く斬撃をすり抜け、次の瞬間には大百足の頭上高くに舞っていた。

 空中で抜き放たれた二丁の巨大なリボルバー、アナコンダが立て続けに吠えた。



 ギンッ! ギャギャンッ! ギャンッ!! 



「Wow!」

 豹馬が口笛を吹く。

 大百足の顔前に美しい虹色の波紋が広がり、鉄の塊にハンマーを叩き付けたような重い音と共に弾丸が跳ね返された。――障壁バリアー!? 対象物の破壊を目的とするダムダム弾と双璧を成す、装甲の貫通を目的に作られた鉄鋼弾アーマーピアッシング系の最高峰、テフロン加工済み真鍮ブラス弾頭を、この大百足は表皮にすら届かせず弾き返したのだ。MBT注力戦車はともかく、軽戦車の装甲板を貫くKTWを! 

『C’mon!  C’mon!  C’mon!』(甘い甘い甘いッ!)

 ゴオッ! と空気を唸らせて噛み付きに行く大百足。いつシリンダーを振り出し、いつ弾丸を込めたのかも解らぬ早業で、全弾を一点集中で叩き込む豹馬。虹色の障壁が弾丸の圧力で大きく歪み、しかし跳ね返ってきた障壁が彼を倍するパワーで弾き飛ばした。パワーショベルに人型を刻むほどの勢いで叩き付けられた豹馬は、しかし――

「HA−HA! T’m so glad! T was able to meet a real apostle after a long absence!」(ハッハッ! こいつは嬉しい! 久しぶりに本物の【使徒】か!)

 パワーショベルのドアを捻じ曲げて立ち上がり、にい、と豹馬が笑った。――錯覚ではない。月明かりにきらめいた歯は、その全てが鋭く尖った牙となっていた。

「C’mon big baby. Let’s play together」(かかって来い。遊ぼうぜ)

 不遜極りない言葉が消えきらぬ内に、豹馬の足元から火柱が噴き上がった。

 何をどうすればこんな現象が!? 地面から次々に噴き出したのは煮えたぎるマグマであった。たちまち灼熱の坩堝と化した更地を、優美そのもののステップで黒いコート姿が駆け抜ける。そして吠える、四四マグナム――

『――ムウッッ!』

 彼には【無駄】という言葉はないのか、KTWが虹色の障壁に弾かれても尚、アナコンダは轟然と火線を吐き散らす。その非力さを嘲笑うかのように身をたわませた大百足であったが、そこに突然、プレハブ小屋が倒れ掛かってきた。それだけなら大百足には大したダメージにはならなかっただろうが、小屋の中に積み上げられていた鉄骨がワイヤーを撃ち切られて滑り出し、大百足の足元に突き刺さって大百足の動きを封じた。バランスと高速移動における多足類の有利が一瞬にして障害となる。

「いただき!」

「おうッ!」

 ギュンッ!! と拳士郎と弥生の戦闘服が作動し、弥生はその場で炎を纏った圏を投げ、拳士朗は一〇メートル以上の距離を一瞬にして詰め、土煙を蹴立てながら身体ごと斬撃を繰り出す。宙を走った炎のギロチンと、触れたもの全てを破壊する高周波を纏った拳士郎のトンファーが虹色の障壁を激突して火花を散らし――

「ぶち抜けェ――ッ!」

「オオオオォォォォ――ッッ!!」

 本体が固定化された為に障壁の変形が限界を越えて千切れ飛ぶ。――もう一撃! しかし飛び散った光の残滓が一瞬にして何十枚もの障壁と化して弥生の圏と拳士郎のトンファーを絡め取った。

「ああッ!?」

「ちッ! ただのバリアーじゃねェぞッ!」

 トンファーの高周波を最大出力にして障壁を引きちぎり、頭上から叩き落されてきた大百足の足をかわして後退する拳士郎。たちまち彼の前に障壁が何重にも折り重なって展開する。まるで障壁そのものが独立した生き物であるかのようだ。

「【思念障壁PPS】だ! ケン! 下がって! ――【ガンボーイ】スタンディングモード! 目標の脚部にAD弾砲撃開始!」

 ガシャン! と【戦車】の下面から【足】が伸びる。【歩行】を目的とした場合、最も理に叶っていると言われる四脚構造。先ほど貴之たちが足場にしていた部分が【腕】を模した【砲塔】と化す。四本指のマニピュレーターの中央部にセットされているのは、【右腕】が 二〇ミリ・チェーンガン。【左腕】が四〇ミリ・フルオート・グレネードだ。



 【READY GUN = AD Bullet】



 コンソールに赤く表示が出る。

 四四マグナムなど比べ物にならぬ、二〇ミリ・チェーンガンの絶叫が迸った。

『グロロロォォォッッ!!!』

 一分間に四千発の速射性能を持つ二〇ミリ弾の固め撃ち! 最初の数百発は思念障壁に受け止められ――残るAnti Damdthing弾頭が障壁を貫いて大百足に襲い掛かった。黒光りする装甲は僅かに傷付いたのみで弾頭を跳ね返したが、足は吹き飛ばされ、さすがにこれは効いたか大百足が苦鳴を発する。バランスが崩れ、着弾のショックで五〇メートルの巨体も傾ぐ。そこに――

「鋭ッッ!」

「ッッ!?」

 明らかに間合いにはない位置での、舞の居合! 京一は神経を尖らせたが【気】や真空把の形成は見えなかった。二閃、三閃! 流麗且つ精妙な太刀筋は息を呑むほどに鋭く美しかったが、それだけではただの剣舞と変わらないのでは――

「――エエッ!?」

 ズル、と接合部位がずれる大百足。いかなる剣のなせる技か、大百足の第四節がそのまま横にずれ、紫色の血を噴き上げたのである。――殺ったか!? 誰もがそう思った。

「――あら!?」

 大して驚いた様子もなく、小首を傾げる舞。確かに三つに分断された大百足の胴が、フィルムの逆再生の如く切断面が復元する。足に絡み付く鉄骨を跳ね飛ばし、自由を取り戻す大百足。取るに足らない存在に傷を負わされた為か、大百足は怒りの咆哮を上げ、全身の棘を逆立てた。

 ふっ、と鼻で笑う豹馬。

「――やはり、俺と同類か」

「え? 豹馬君!?」

「俺が殺る」

 鴉天狗の時とは逆――豹馬のみが前に進み出る。弥生だけがそれに続こうと一歩踏み出したが、舞に止められた。

 上半身を反り、立ち上がる大百足。装甲の隙間では筋肉なのか流動体なのか判断が付かぬものが赤く脈動し、一本一本が妖刀のごとき切れ味を誇る足がせわしなく動く。

『T can’t forgive you. T smash your body and make soil!』(許さぬぞ、人間。その身を叩き刻んで腐土と化してくれる)

「OK. ――Bring it. T’ll kill you」(OK.――かかって来い。殺してやる)

 ボウ、と燐光に包まれる豹馬。――龍麻たちは目を見張った。その燐光は【陰】に堕ちた者の証、血色のオーラであり、空間が歪むほどの強さは九角すら凌いでいた。それがまるで鎧のように…否、翼を持つある種の生き物の形を成して彼を包んでいる。

 ――何が起こる!?

 大百足が口を開いた。

「ッッ!」

 ゴウ、と吐き出される炎。いや、煮えたぎるマグマ! 一瞬にして更地が炎に包まれ、熱気が一同の頬を容赦なく炙った。しかしその中で龍麻は見た。満身に炎を浴びながら豹馬が突進し、背の長剣を抜き放つのを。光を吸い込む漆黒の剣が、柄に象嵌された宝玉と同じ真紅のオーラに包まれ、豹馬は地を蹴った。

『ッッ!!』

 たった一蹴りで十メートルを跳び、叩き付ける剣撃の凄まじさ! あらゆる攻撃を跳ねのけた思念障壁が一撃で数十枚以上切り裂かれ、大百足の頭部が縦に、第四節の胴部に至るまで両断された。悲鳴すらなく紫色の血潮を噴き出して大百足は地に倒れ――



【あかん! それは駄目やッ!】



「――ッッ!?」

 再び、龍麻の頭の中でのみ響く声。次の瞬間、二つに裂けた大百足の胴がそれぞれ独立した頭部として再生し、二つの口からタイミングを微妙にずらして白光と影を放った。決して油断していなかった豹馬も、奇怪な曲線を描いた光を剣で受け止めた瞬間、激しく地面を二転三転しながら吹き飛ばされた。

「豹馬君ッッ!!」

「豹馬ッ!!」

 立ち木を薙ぎ倒し、軽く百メートルは吹き飛ばされた先で呻く豹馬を高みから見下ろし、大百足が二つの口で耳障りな唸り…笑い声を上げる。

「野郎! 【闇】属性と【光】属性の同時攻撃だとッ!?」

「まさかッ!? B+にできる技じゃないよ!」

 拳士朗と貴之の切迫した声が、彼ら一行の危機を悟らせた。

 この世の全ての存在には生物無生物を問わず、必ず何らかの【属性】を有する。龍麻の仲間でもっともわかりやすいのは醍醐ら【四聖】の四人だ。彼らはそれぞれ地、水、火、風の四元素の属性を持っている。更に風水では土、木、火、水、金の属性があるといい、それぞれの組み合わせによっては相乗効果を起こしたり、あるいは相殺したりするとされる。

 今、豹馬が大百足に叩き付けたのは、強力な【闇】属性の【気】であった。多くの魔物は【闇】に属しているが、強力過ぎればやはり害となる。しかし大百足は己の急所を裂かれながらも【闇】を中和、吸収し、本来魔物が持ち得ぬ【光】に変換して豹馬に送り返したのである。

「グッ…ガアァァァッッ!!」

 【光】もまた、強力すぎれば人間にも害があるが、本来は人間に活力を与えるものだ。しかし豹馬は、大百足の放った【光】属性の【気】を浴びて咆哮を上げ、全身から黒血を噴いた。

「豹馬君ッ!!」

 悲鳴のような声を上げて飛び出す舞であったが――!

「舞ッ! 危ない!」

「ッッ!!」

 大百足の背中がざわざわと蠢いていると確認した次の瞬間、そそけ立つ棘が無数の槍と化して天空に撒き散らされた。

「ちいィィィッ!」

「【ガンボーイ】ッ! フォースフィールド展開ッ! 跳ね返せッ!」

 天空から降り注ぐ、炎を纏った槍の豪雨! それが地表に到達する寸前に拳士朗のトンファーが真神の一行を、【ガンボーイ】の展開したアンテナから発せられたエネルギー・シールドが貴之、弥生、唯と共に真神の一同、隆らをもカバーする。大百足の刺はシールドに命中した瞬間に爆発し、更地は爆発の渦に飲み込まれた。

「――彼らはッ!?」

 爆発光が収まった時に龍麻らが見たのは、刺を脇腹に食らった拳士郎と、舞をかばう形で背中一面に刺の突き立った豹馬の姿であった。豹馬にかばわれた舞も、肩と腿のプロテクターが撃ち飛ばされている。――彼らの実力をもってしても、完全に防ぐ事は出来なかったのだ。なぜならば、棘の降り注いだ周囲一面がマグマに覆われ、所によっては凍結し、放電し、泥沼となり、光り輝いていたのである。この大百足は、己の棘に複数の属性の【気】を纏わせて放ったのであった。

「拳士郎ッ! ――ヤロウッ!! 調子に乗りやがって!!」

 自らを庇って傷付いた【心の友】と、舞の頬に血が張り付いたのを見た京一がキレた。木刀を振り上げ、【気】を集束する。

「【剣掌ォ! 旋】ィィ――ッッ!!」

 今まさに止めを刺さんと再び棘を生やしていた大百足に、京一の巻き起こした竜巻が襲い掛かった。それは全く予期していなかったものか、竜巻中に無数に発生した真空把が立て続けに叩き付けられ、大百足の足が三本ほど斬り飛ばされた。効いたのか!? 

「こいつもくらえッッ! 【地摺り青眼】――ッッ!!」

 地面を引き裂いて走る剣風! だがそれは大百足に到達した瞬間、虹色の障壁によって跳ね返されてきた。

「何ィッ!!?」

「――【螺旋掌】ォ!!」

「【体持たぬ精霊の燃える盾よッ、私達に守護をッ】!!」

 とっさに放たれた龍麻の【螺旋掌】と葵の防御術が、跳ね返されてきた【地摺り青眼】のパワーを弾き飛ばす。なぜか、その存在に初めて気付いたかのように、大百足が京一の攻撃に反応したのである。そして、叩き付けられるような殺気の奔流!

「――やる気か! この野郎ォッ!」

「――望むところだ!」

 大百足の目が自分たちを捉えたのを知り、闘志を剥き出しに気を発して身構える京一と醍醐。龍麻も拳に気のスパークを走らせて前に進み出る。

「駄目よ! アンタ達は…!」

「承服できん! 【真神愚連隊ラフネックス戦闘開始コンバットオープン!! アタックフォーメーションバニッシュ!! 攻撃せよアタック!!」

 弥生の制止を振り切り、龍麻を先頭にトライアングル隊形で飛び出す真神の三強。

「葵! 防御術展開! 小蒔! あの二人を! ――【螺旋掌】ッッ!!」

 接近すると、相手の巨大さがよく判る。単なる手足の技もしくは【掌底・発剄】では、針を突くようなものだろう。射程は短くなるが、広範囲に広がる【螺旋掌】を叩き込む。だが、装甲の表面には傷一つ付かない! ――先ほどより硬くなっている!? 

 ぐわ、と大百足の口が龍麻に向く。

「ッッ!!」

 ゴウッ! と吐き出されるマグマ! 既に見切った能力ゆえに難なくトンボを切ってかわした龍麻であったが、跳ね飛んだマグマの飛沫をいくつか浴び、龍麻のコートがブスブスと煙を噴いた。

「弁償して貰うぞ。――【雪蓮掌】ッ!!」

 吹っ飛んできた足をかわしざま、【凍気】を込めた掌を叩き込む龍麻。大百足の足は瞬時に凍り付き――そこまでだった。

「クッ! 敵が大きすぎる!」

「ひーちゃん! 下がれェッ! ――【剣掌奥義・円――空――旋】――ッッ!!」

「むん! 【破岩掌】!」

 現時点における京一の最大奥義が、マグマを吐こうとした大百足の口を直撃し、爆発した。同時に醍醐の【破岩掌】が大百足の胴に打ち込まれ、その巨体を揺らがせる。しかしやはり相手が大きすぎるため、決定的なダメージとはならない。

 その隙に小蒔が豹馬と舞のもとに走り寄る。

「大丈夫、二人とも――ッ!」

 舞を手伝おうと豹馬の腕を取りかけ、小蒔はひッと呻いて手を引っ込めた。豹馬に触れた瞬間、骨まで染み込みそうな冷気が全身を突っ走り、小蒔の手はみるみる重度の凍傷にかかったかのように黒ずんでいったのである。

 その手に、白くたおやかな手が重ねられた。――舞の手だ。そこから今度は春の日差しのような暖かいものが流れ込むや、小蒔の手は元の健康的な色を取り戻した。

「ごめんなさい。豹馬君に触らないで下さい。危険です」

「…な、なんなの? これって…!?」

 今の急激な変化は、圧倒的な陰の【気】によるものだ。それもあらゆる【気】を吸収して【陰】に変えてしまうような。ほんの一瞬触れただけで、小蒔は身体を半分ほども持って行かれたかのような悪寒を覚えた。

「気遣いは無用だ」

 鮮血に塗れていながら、否、それ故に尚青く冴えるような豹馬の美貌に、小蒔はブルッと身を震わせた。彼は舞を見ていたのだ。大百足の刺に傷付けられた舞を。その目は僅かに動いただけで残像が尾を引くほど、強く赤い輝きを帯びていた。――龍麻とは異なる、邪悪な輝き。風の流れとは別に、彼の金髪とコートがざわざわと揺らぎ始める。

「――落ち着いて、豹馬君…!」

 舞が「大丈夫」と言うように彼の手を握る。

「桜井さん…どうして逃げなかったんですか?」

「え!? で、でも…!」

 舞の目は責めているのではなかったが、小蒔は自分がとんでもない間違いを犯したのではないかと酷く不安になった。舞の目があまりにも哀しみに満ちていたからであった。

「よせ。彼らも、君と同じだ」

「……」

 軽く息を付いて静謐な無表情を取り戻し、コートの襟を掴んで軽く引く豹馬。大百足の刺は実にあっさりと地面に落ちたばかりか、ボロボロと崩れて消滅した。この男に触れた瞬間、刺は【死んで】しまっていたのだ。あらゆるエネルギーを【殺す】力…この男は一体何者なのか!? 

「――ッたく! 痛ェじゃねェかよ!」

 拳士郎が悪態を付きながら刺を引き抜く。装甲の上からだったので、それほど深くは刺さらなかったようだが、出血が酷い。――と、見る間に、拳士郎の頭上から金色の光が差し、傷口がみるみる塞がって行った。

「――大丈夫ですか?」

 葵が声をかけたことで、拳士郎はそれが葵の術である事に気付いたようだ。常人なら驚くのが先だろうが、少しも普通ではない拳士郎はこんな事を言った。

「サンキュー、葵ちゃん! 後で熱いベーゼをプレゼントしちゃう!」

「え゛ッッ!?」

 葵にこんな声を出させたのは拳士郎が初めてではなかろうか? ズザザッと引く葵。そして拳士郎の頭にズパ――ンッッ!! とハリセンが叩き付けられた。

「ケンちゃん! こんな時に何馬鹿言ってんじゃないのッ!!」

「いってえ――ッッ! ――って、お前、何でそんなもの持ってんだよッ!?」

 どこか、何かが【真神愚連隊】と似ている…。こんな緊迫した戦闘中に、つい、そんなことを考えてしまう小蒔であった。 

「説明不要! ――貴之君!」

「了解! ――【ガンボーイ】! 結界端子射出! ――エネルギー・チャージまで百十秒だけ保たせて!」

 【ガンボーイ】の砲塔から飛び出した円筒が地面に突き刺さるや、脚を固定し、アンテナを展開する。その数は五基。丁度、更地にされた土地を囲むように配置される。

「百十秒ォ!? そいつはきついぜ!」

「男が泣きごと言わないのッ! ――全力で行くわよ唯ちゃん! ――! ッ! 【乾坤圏】ッ!」

 弥生は両手の圏を交差させ、短い呪文…口訣を唱えた。すると圏に付されていた機能が発動され、圏が青白いオーラを燃え立たせる。その正体は封神演義に描かれる伝説の武具、【乾坤圏】だったのだ。

「一文字唯! 突貫しま〜すッッ!!」

 駆け出した弥生に寄り添うように、唯も走り出す。これほど巨大な敵を相手に、恐れも迷いも見られない。

「仕方ねェなァ、もう! ――豹馬! もう少し我慢しろよ! 舞ちゃんに世話かけんな!」

「――解った」

 豹馬に一瞬の逡巡。その理由はわからず、しかし舞が代わりに力強く頷いた。

「よっしゃあ! ――変化を見逃すな! 行くぜッッ!!」

「OK!」

 拳士郎の拳から発する衝撃波…【百歩神拳】が唸り飛ぶ。

「ウオオオォォォォッッッ!」

 百メートルを越える射程を誇る【百歩神拳】のつるべ打ち! 大百足は思念障壁で迎え撃ち、しかし怒涛の如く打ち込まれる衝撃波が障壁を圧倒する。これを中和するために属性変換を使用した大百足であったが、そこにすかさず属性を持たぬ弥生の【乾坤圏】が放った衝撃波ソニックブームが撃ち込まれた為に蹈鞴を踏む。さすがに複数同時に属性を中和する事はできず、単純な破壊エネルギーは抑止できないようだ。その隙を突いて弥生が更に【乾坤圏】を振り上げ、【炎】気と共に放つと、大百足の体表を炎が舐め上げ、その装甲に亀裂を走らせた。そこに再度【百歩神拳】を打ち込まれると、装甲板が割れてどす黒く吐き気を催すような蠕動をする筋繊維が露わになった。そして、恐らく初めて味わうであろう激痛にもう一本の首が怒りの咆哮を発してマグマを吐こうと口を開いた瞬間、まるで重力を無視するかのように、直立した大百足の腹部を唯が駆け上がってきた。

「四天王流・広目拳、天の四! 【天駆け】ッッ!!」

 体重五〇キロにもみたぬ少女の蹴りがどれほどのパワーを生んだというのか、顎を蹴り上げられた大百足の頭部が大きく仰け反る。後は落ちるだけに見えた唯は、しかし――

「伸びろ! 【如意棒】!」

 まさか本当にかの孫悟空の如意棒であったとは!? 物理常識を覆すいかなる超技術の産物か、如意棒が一気に三〇メートル以上もの長さに伸びて大地を捉え、唯は大車輪のように身体ごと両足蹴りを大百足の横面に叩き込んだ。吐き出す寸前だったマグマが口の中で逆流し、先ほど京一の【円空旋】で刻まれた傷の真上で爆発する。

 なんと凄まじい、幻想的な戦いか。体長五〇メートルにも達する怪物を相手に、人間がほぼ互角に渡り合っている。

「ひーちゃん! 俺たちも合わせて行こうぜ!」

「うむ! 京一は右翼! 醍醐は左翼から行け!」

 龍麻たちにとってはいつもの陣形ではあるが、図らずも京一は弥生のサポートに、醍醐は唯のサポートに廻れる位置となる。京一は舞や弥生の前で格好良いところを見せられると大張り切りであった。

「【剣掌ォ・旋】ィ!! ――【秘剣・朧残月】ッ!! ――【剣掌奥義・円――空――旋――】ッッ!!」

「オオオオォォ―――ッッ!!」

 後先考えず、しかし敵の変化を見越した奥技を連発する京一に続き、龍麻の【雪蓮掌】で凍らされた部分に【破岩掌】を放つ醍醐。魔物専門ではないといえ、異形との戦いは初めてではない【神威】である。京一の斬撃は大百足の思念障壁と装甲板をまとめて切り裂き、すかさずその傷口を弥生の【乾坤圏】が焼き潰した。そして醍醐の【虎咆】が大百足の足を十数本まとめて分子振動波に晒すと、唯が如意棒を振るって粉々に打ち砕く。

「ワーオッ! キミたち、やるじゃない!」

「凄い凄い!」

 手放しで彼らを誉め、即座に属性を合わせた攻撃を繰り出す弥生に唯。醍醐は彼女達の戦闘センスに感嘆したものだが、単純な京一は弥生に誉められた事で有頂天になった。

「はっはっは! 京一様に任せなさい!」

 ところがそこに、炎の塊と【気】の衝撃波が掠めて飛んだ。

「おわあッッ!!」

【ギシャアァァァァ――ッッ!!】

 拳士朗の【百歩神拳】と龍麻の【巫炎】が大百足を直撃する。多彩な属性技を持つ龍麻の特技にして、拳士郎の【百歩神拳】による加速をも得た一撃! 大百足の右頭部が第三節にかけて表皮の装甲が爆炎で吹き飛び、その下の呪われた筋繊維が焼き潰される。

「あらら、龍麻クンの方が凄いわね。キミ、負けてるじゃん」

「そ、そんな事はねェよ! ――って、ひーちゃんにケン! 俺まで殺す気かッ!?」

「――人の射線に入ってくるからだ」

「油断大敵、火がボーボー」

 珍しく、戦闘中に余計な事を言う龍麻と拳士朗。途端に鳴り響いた二〇ミリ・チェーンガンの絶叫が装甲の剥がれた部分に弾丸を叩き込む。異次元生物の証、紫色の血が奔騰し、大百足の絶叫が闇を圧して響く。

 【神威】たちと、それに劣らぬ超戦士たちの同時加重攻撃に、全員が「これならいける!」と思った時であった。

【あかんで! 龍々! それだけじゃ駄目なんや!】

(――またか!? 誰なのだ、貴様は!?)

【わいの事忘れてしもたんか? くう〜ッ、そらないで、龍々。わいはこんな惨めな姿になってしもたけんど、龍々と会える日を――って、そんな事は今はどうでもええねん!】

 まるで関西系漫才師のような怪しい関西弁に、龍麻は遂に自分も妙な電波を受けるようになってしまったかと馬鹿馬鹿しくも戦慄した。

【ん? なんや今、失礼な事考えたやろ? ――まあええねん。龍々、あいつは力押しじゃ勝たれへん! ああやって攻撃させて、前よりも強く変身するんがあいつの特技や! わいらもそれでやられてしもうたんや!】

「何だと!?」

 謎の声を信じる訳ではないが、龍麻は改めて戦況を見る。確かに各自の的確な攻撃を受けて大百足は劣勢に立たされているようだが、どこかおかしい。一度は効いた技が、二度目には威力を落としている!? 

【あいつは一度受けた技を中和できる能力を持っとる! 闇雲に攻撃したら何やっても効かなくなるで!】

 恐らく、いや、確かに謎の声の言う通りだろう。龍麻は叫んだ。

「総員攻撃中止! 一旦下がれッ!」

 龍麻の命令はいつも唐突だが、それでもちゃんと反応する京一と醍醐である。

「なんだそりゃ!? どういう事だよッ!?」

「ここで押し切れば倒せるだろうッ?」

 そう言いつつも攻撃を中止する二人。龍麻の命令は絶対だ。

「ケンも仲間を下がらせろ! こいつは我々の技を分析しているだけだ!」

「――だろうなっ。下がるぜ!」

 声を上げたのは拳士郎だ。豹馬も薄々感づいていたものか、すぐに手を振って舞たちに下がるよう指示する。

「エネルギー・チャージ完了! 結界を展開!!」

 五基のアンテナから発した電光が五芒星を形成し、天空にまで届く青白い光のカーテンが大百足を包み込む。通常ならばこれで身動きできなくなり、必ず属性を一点集中して破りにかかる筈――と説明した貴之の顔が強張った。普通に突き進んでくる大百足を前に、結界のデータを映しているコンソールに、次々と【OVER RODE】の文字が並び始めたのだ。

「馬鹿な! Aクラスでも手こずる旧神の護法印だぞ!」

 悲鳴のような貴之の叫びは、アンテナが吹き飛ぶ轟音にかき消された。その直後、大百足の背から飛んだ棘が驟雨のごとく一同に降り注いだ。

「ウオオオォォッ!」

 トンファーから気を発し、空手道に言う【廻し受け】を敢行する拳士郎。百を越える棘が拳士郎の作り出した障壁に弾かれたが、残りが急速に軌道を変えて彼の背後、弥生たちに襲い掛かった。そこに魔鳥の翼の如き影が広がり――棘を一身に受けて吹っ飛んだのはザ・パンサーであった。

「豹馬君!」

 舞の悲鳴を切り裂く、新たな棘の雨! それは豹馬の全身を刺し貫き、彼を槍衾と変えて地面に縫い付けた。しかも…胸板は無論、左目から入った棘が後頭部まで貫いていた。

「豹馬!」

 龍麻も前に出ようとし、しかし、目の前に差し出された二本の腕に遮られた。一本は拳士郎、もう一本は…舞であった。

「…やっ…べえ………ッ!」

 あの拳士郎が表情を消し、どっと沸き出した冷や汗を顎から滴らせる。舞もまた唇を噛み締め、悲痛な眼差しを豹馬に注いでいる。まるで…触れてはならぬものに触れてしまったかのような、不穏極まりない緊張感。そして――吐く息が白く染まる一同。一気に気温が十度以上も低下し、空気にどんな微粒子が混ざり込んだものか、天空にかかる月が真っ赤に染まったのである。

『…ムウ…!?』

 何を察知したものか、大百足も動きを止める。その為、耳が痛いほどの静寂が訪れた。激しく吹き付けていた風さえもが、その沈黙を破るまいと身を潜めたかに思えた。

 そこに、地の底から湧き出すような哄笑が重なった。

「くくく…グハハハ! ハァーハッハッハッハッハ! ――Yes Yes。 Excelent。Smashing. The difference is real Apostles firmness」(楽しい。楽しすぎるぞ。さすが…本物の使徒は歯応えが違う)

 なぜ口が利ける!? そもそも、なぜ生きている!? そしてなんという倣岸、なんという不遜! 常人ならば、否、【神威】であっても即死必至の傷を負いながら、それを達成した大百足を褒めてやると言わんばかりの態度に口調。いや、言わんばかり、ではない。彼は棘に貫かれたまま立ち上がり、血まみれの顔で大百足に笑いかけた。

「Rage…Hatred…Grief…Fear…and...HA−HA. Fuck guy have to smell as I take.  You say what name? Please」(憤怒…憎悪…哀惜…恐怖…そして…ハハッ、俺と同じ臭いを持つクソッタレ野郎。――お前の名は? ぜひ聞きたいね)

 大百足にしてみれば、吹けば飛ぶようなちっぽけな存在からの質問。それもこんな不遜にして傲慢、しかもおどけた口調で。

『Huh. Do you even have the strength to stand up? You can die if you just fall down without suffering』(ほう、まだ立ち上がる力があるか。そのまま倒れていれば楽に死ねたものを)

「Ti――Ti――Ti. Do not try to be cool. Brother」「気取るなよ、【兄弟】」

 唯一無事な豹馬の右手に細葉巻が出現し、そこに大百足の吐いたマグマから飛んだ火の粉が飛び、正確に葉巻に着火する。そして彼は、その凄まじい惨状の最中、ちょっと一服といった風情で葉巻をくゆらせた。

「You made my body full of holes. T’ve dealt with your sorry ass」(人の身体を穴だらけにしてくれやがったんだ。お前のXXXにはXXXXをXXXXXXXXXXXでやるよ)

『Is this a joke? ――Time for the final attack!』(笑わせてくれる。――今とどめを刺してくれるわ!)

 ヴン! と唸りを上げて、新たな棘が豹馬に襲い掛かった。

「――ッッ!」

 次の瞬間に起こった事を、龍麻でさえ理解するのに数秒以上を要した。

『――グオオオッッ!!』

 いきなり、大百足の甲殻から闇色の棘が無数にそそけ立ち、紫色の血飛沫が天高く吹きあがったのである。――豹馬が棘の一本を手刀で弾くや、全ての棘が連鎖的に空中激突し、まったく同じ軌道を辿って弾き返されたのだ。狙ってできる事では当然なく、常識も物理法則も狂ったかのように。それをやった張本人は、棘に縫い付けられた事も冗談であったかのように、軽く肩を揺すって全ての棘をふるい落とした後には、服にすら傷一つなかった。先程の、大百足と同じく。

「There is the word in japan Carelessness is our greatest enemy. ――T saw through the trick. The warm−up will make the end each other」(日本には油断大敵って言葉がある。――手品のタネが解ったぜ。お互い、ウォーミングアップはここまでにしよう)

『グヌヌ…!』

 腹に響く唸りを上げ、棘をふるい落とす大百足。しかし紫色の血潮はなお吹き出し、傷口が塞がる兆候すら見せない。たとえ魔獣と言えども命の源であろうそれが垂れ流される様を見て、大百足は笑った。――笑ったのである。そして――

『――なるほど。油断大敵だな』

 豹馬たちと龍麻はともかく、京一たちは驚愕した。金属質な部分はそのまま、しかし大百足ははっきりと日本語を喋ったのである。

『無限の時を無為に過ごしていたと思ったか? 中国の古き書でも学んだ。【敵を知り、己を知れば百戦危うからず】。なるほど、そうか。貴様も【そう】なのか。人の皮を被ろうとも、素手で我が棘を弾く魔技が貴様の正体を告げている。生なき生を送り、死してなお死ねぬ呪われしモノ。――あの島で、貴様も【成った】のだな。憤怒、憎悪、哀惜、恐怖…全てを吐き出して』

 にい、と豹馬の唇が吊り上がる。はたしてそれは笑いであったか? 笑いという表情が持つ陽性の一切合財、あらゆる感情が欠如したそれが!? 紅い月明かりを受けてきらめいた牙の中で、生赤い舌がちろりと唇を舐める。本気の――舌なめずりだった。

『ならば、名乗ろう。そして死に行く記憶に刻め。時代の闇に葬られし我が名を。ただ恐怖と侮蔑を以ってのみ伝えられし忌み名を。――我が名はジル…フランス元帥、ブルターニュ領主、ジル・ド・レエ伯爵』

「なんだと…!」

 大百足の語る名に、龍麻、葵、そして舞たちが驚愕する。――その筋ではあまりにも有名すぎる名に。

『一四〇四年、フランス王国ブルターニュに生を受け、ジャンヌ・ダルクと共にオルレアン戦線を戦い、一四四〇年に悪魔崇拝の咎で絞首刑にて没し、遺体を火刑にて滅せられる。翌一四四一年、悪魔と取り交わした契約に基づき、【使徒】として復活。今に至る』

 魔獣の姿でありながら、その瞬間だけは威風堂々たる宣言。魔物の妄言と一蹴できぬ重みと迫力、そして気品は、確かに【救国の英雄】と讃えられた貴族のそれであった。同時に――沸き起こる数々の疑問。なぜ五百年以上も前にフランスで処刑された男が、魔獣となってこの京都の山中にいるというのか!?

「――ありがとうメルシィ。ジル・ド・レエ伯爵。相も変らぬ狂った時代にようこそ」

 疑問疑惑は無粋なものでしかないのか、豹馬はその名を上等な酒を楽しむかのように舌の上で転がし、片足を引き片手を胸に当てる、騎士式の礼をした。

「伯爵。お前は素晴らしい騎士だ。――頑強で――力強く――素早く――そして美しい」

 この男は何を言い出すのか? 絶体絶命の窮地にあってなお、龍麻には彼こそが大百足を圧倒しているようにしか見えず、ジルもまた、それを認めているかのようであった。そして――

「正に――俺の餌に相応しい」

「〜〜〜〜ッッ!」

 豹馬がそれを口にした時、龍麻の背筋を氷の槍が刺し貫いた。恐るべき不遜、忌むべき傲慢。そして酷く剣呑な――悲哀。そう――何故か龍麻は彼の言葉に、恐ろしく根の深い悲しみを感じ、鳥肌が立ったのである。

 それはジルも同じであったか、装甲がギチギチと耳障りな音を立て、全身の棘がそそり立つ。ジルもまた、このちっぽけな存在に恐怖したのだ。否――かつてない強敵と認識し、戦慄的な歓喜に打ち震えたのであった。

『既に我らの餌にあらずか。――その意気やよし。名乗るが良い。我が記憶に刻むに相応しき戦士よ』

「【ザ・パンサー】」

 胸をそびやかし、親指で自分を示す豹馬。

「お前ら専門の、しがないハンターさ」

 大百足がカッと口を開いた。全身の棘という棘が燐光を放ち、大百足の巨大な牙へと電光を収束していく。激しく脈打つ稲光はプラズマ化し、溢れ出した電光が空気をひきつらせ、周囲の重機や草木に至るまで帯電させる。

「豹馬君!」

「まずい! 【ガンボーイ】! フォースフィールド出力最大!」

 【ガンボーイ】を中心にして青白い紗幕が一同を押し包む。その直後、大百足の口から吐き出されたプラズマ光球が豹馬を呑み込み、シールドの表面をビリビリと激しくきしませた。【ガンボーイ】のコンソールに表示された表面温度は実に三万度〜岩をも瞬時に蒸発させる数値を叩き出していた。 

「豹馬は!?」

 これほどの超エネルギーの直撃を受けたのだ。もはや躯さえ原子に還元されたであろう友の姿を求め――龍麻は驚愕した。暴風よりも激流よりもなお激しい超高熱の奔流の中、彼が立っているのを見たのである。あらゆるものを焼き尽くす業火の奔流をさりげなく差し出した左手の魔剣ノートウィングで切り裂き、葉巻すら手放さずに!?

「HA−HA! 最高の夜だ。――愉しめよ」

 不遜な言葉を許さず、豹馬の周囲に出現するプラズマ光球! いかなる方向にも退避を許さず、渦を描いて全方位から彼に襲いかかる。――爆発と閃光。黒コートが宙へと跳ね飛ばされ、血が飛び散る中で豹馬の右手が上がり、アナコンダが火を――闇色の火を噴いた。その直撃は、龍麻たちのあらゆる技を撥ね退け、吸収してきた大百足の外骨格を撃ち抜き、紫色の血を奔騰させる。そして――

「うわ…ッ!」

「あいつら――避けねえッ!?」

 小蒔がうろたえ、京一の頬もひきつる。

 【それ】は一体何なのか!? 戦術も何もない、ただただ真正面から膨大なエネルギーをぶつけ合うだけの蕪雑な戦い。豹馬のアナコンダが吠えた回数だけ大百足の装甲が弾け飛び、大百足の発するプラズマ光が奔る度に豹馬の手足が砕け散る。その癖両者とも苦痛の片鱗もなく、むしろ笑いを深めていくかのようであった。しかし隠しようのない体格差とエネルギー総量に豹馬が地に崩れ、それでもなお右手から延びるアナコンダが大百足を捉える。それを見て大百足も月夜を覆い尽くすかのように巨大な翼を広げ、その表面に真紅の放電を無数に走らせた。空気中の【雷気】をかき集めて【奴ら】の次元に属するエネルギーと変えているのだ。それは実測値で数百万ボルトに達するエネルギーを有する球体と化し、なお巨大に成長する。あんなものが激突したら、人間どころかこの山そのものが吹き飛ぶ!

「――全員! ガンボーイの陰に入れ!」

 拳士郎が怒鳴り、弥生、唯が即座に従う。龍麻もその意を察し、葵、小蒔を彼らの下に走らせる。京一、醍醐も隆ややくざ達をどやしつけて隠れさせた。

「お、おい! 舞ちゃんッ!?」

 ただ一人、その場を動かず、豹馬から目を逸らさぬ少女。――恐怖に硬直したのではない。ただ静かに、魔人と魔獣の激突を見詰める。

「Yah――! Cmon big guy!」

『オオォォォォォッ!!』

 そして深紅の雷光球が、にい、と笑った豹馬を直撃した。

「ウワアァァァッッ!!」

「キャアアァァッッ!」

 ガンボーイの電磁シールドをも圧して響く轟音と震動! ――を感じたのは一瞬で、後はいかなる余波も感じられない事に驚愕する一同。しかし――何が起こったものか、コートを閃かせて長剣を背に納めた豹馬の前には、全身を焼き尽くされた大百足が仰臥していたのである。

「何が…起こった…ッ!?」

 龍麻をして思わず滑り出した疑問は、大百足の外皮から飛び出した槍によって遮られた。

『――フハハハハッ。見事なり、ハンター』

 焼け焦げた外皮を押し破り、紫の血液を振りまきながら何かが大百足から這い出してくる。外皮を押しのけた仕草こそ人に似ていたが、足音は蹄鉄の響きであった。

 騎士道華やかなりし時代の、芸術的意匠を凝らした漆黒のプレートアーマーを纏い、自らの肉体よりも遥かに長い長槍を携えたケンタウロス。背には黒き禍鳥の翼を広げ、肘や膝…関節となる鎧の隙間から煮えたぎりながら流動するマグマが覗き、絶え間なく炎を噴き上げている。それが今の、ジル・ド・レエ伯爵であった。身長こそ五〇メートルから五メートルに、体重は二〇〇トンから三トン強にと大幅にスケールダウンしていながら、先に倍する妖気の凄まじさよ。そこに立っているだけで空間が歪み、ねじれ、大気が腐り果てて行く。正に異次元にのみ存在しうる妖魔、地獄の住人であった。ただし――【青ひげ】のモデルともなった殺人鬼のイメージとは程遠い、太い眉が印象的な威風堂々たる偉丈夫だ。

「――やっと本性を見せてくれたな。フッ、今の方が格好良いぜ」

 おどけた調子の中にも真摯な響きがあるという事は、本心からの言葉なのだろう。その賞賛を立てたランスで受け、ジルも太い笑みを見せる。

『褒め言葉と受け取ろう。そして我も、貴様を甘く見ていた事を詫びよう。闇を操り、我が雷をそっくり送り返すとは恐ろしき奴。ククク…。久しく忘れていた闘争の風よ。この身が喜びに打ち震えよるわ』

「光栄だね、伯爵」

『【ザ・パンサー】。ランデベールの弟にして、【黒い島】唯一の生き残り。我の背なを震わせし、素晴らしき好敵手よ。このジル・ド・レエ伯爵。今こそ騎士の礼にて相手になろう。――イイイイイエエエエエェェェヤァァァァッッッ!』

 かつて在りし日、戦場の隅々まで轟いたであろう裂帛の気合! その勇壮さは確かに、聖女ジャンヌ・ダルクと共に百年戦争で先陣を切った騎士のそれであった。高々と振り上げられたランスが空を切り裂き――その穂先がまっすぐに豹馬に向いた。



 ――ヒュゴッ…!



 ランスが白い輝きを発するや、大気がビリビリと震動する。同時に豹馬の両掌にも闇色の渦が生まれ、空間そのものを捻じ曲げていく。それが――先程の大百足のエネルギーを跳ね返した魔力だと知り、ジルの顔に挑戦的な笑みが浮かんだ。――両者とも手加減無用を暗黙の了解とし、魔力を際限なく放出する。たちまち大気が嵐のごとく荒れ始め、稲光が地表を激しく打った。

「空間歪曲率増大…ッ! ――ガンボーイ! タンクモード! 結界子発射! スパイラルフィールド形成!」

 貴之が叫び、空中に放たれた四基のメカが【ガンボーイ】を中心に猛烈な回転運動を始め、周囲に強力な電磁シールドを形成した時、二体の…【使徒】が収束させていた魔力を解き放った。

『オオオオオッッッ!!!』

「破ァァァッ!」

 先程に倍する、強力無比な【光】の奔流! それが豹馬を捉えた瞬間、一瞬ではあるが空間に歪みが生じ、異次元からのエネルギーが逆流した事による爆発――らしきものが起こった。らしきもの――というのは、龍麻たちにはそのような感覚として受け止められただけで、実際に何が起こったのか理解不能であるからだ。光が凍り、闇が燃え、炎が振動したのだ。その余波だけで大地がぐらぐら揺れ、龍麻たちは必死でガンボーイにしがみつかねばならなかった。

『ヌグウッ!』

 溶け崩れたシールドを捨てて唸るジル。相対する豹馬は数百メートル以上も弾き飛ばされていたが、全身の裂傷はたちまち塞がる。ダン! と大地を踏みしめ、取った構えは中国拳法の――

 次の瞬間、大気に炸裂音を響かせ、豹馬はジルに突っかけた。本体ごと音速を超える【箭疾歩せんしっぽ】! 馬の胴をくの字に変形させつつもジルはランスを横薙ぎに払い、思念の刃で大地に深く斬線を刻む。だが豹馬は再び旋風と化しており――密着間合いを保ったままジルの死角、シールドを失った左手側に廻り込んだ。そして両掌による突き――【双撞掌】!

『グヌウウウウッッ!』

 【魔物】に対して【人間技】を!? しかし五メートルの巨体は衝撃波すら伴って宙を飛び、山肌に叩き付けられた。即座に抜かれる二丁のアナコンダ。雷鳴も子守唄に思えるような轟音と共に実態なき赤い光弾がジルを直撃し、光輝く爆炎が大きく膨れ上がった。

「ッッ!」

 突如、爆炎を貫いて走る白いビーム! 前後左右上方全てに回避が間に合わぬ豹馬の眼前〜突き出した掌を中心に虹色の波紋が空間に火花を散らす。――彼も思念障壁PPSを使えるのか!?

『オオオオォォォ――ッッ!』

 爆炎を押しのけ、大地を蹴立てて突進してくるジル。騎士道華やかなりし時代の馬上槍試合。今この場では、長大なランスと飛び道具が交錯し――!

「ッッッッッッッ!!」

 アナコンダの光弾が全て弾かれ、豹馬は横に跳ぶ。だが、僅かに遅かった。慣性の法則を無視して急角度に向きを変えたランスが思念障壁を貫き、豹馬の腹を直撃した。

「豹馬!」

「GOF!!」

 背中まで貫き通したランスに初めて豹馬が苦鳴を上げ、鮮血を吐いた。ジルは豹馬を天に突き上げ、今一度長槍をしごいた。串刺しになっている豹馬は更に深く刺し貫かれて鮮血を噴き零れさせ――

「――王手チェック

『ッッ!』



 ――ドゴォォン!!



 己の肉体を的にかけてゼロ距離を得たアナコンダから迸る閃光! 頭を半分吹き飛ばされたジルが長槍を振り、しかし豹馬は弾き捨てられるまでに五発の魔弾をジルに叩き込んでいた。ジルの左肩から先と右脚が吹き飛ばされ、しかし豹馬の両足も地面との激突で砕け散る。――が、ジルは飛び散った血が宙で渦を巻いて瞬時に元の肉体を再生させ、豹馬は噴き出した闇色の血がビクビクと脈打つ肉とも鎧とも判らぬものへと変化し、傷の数だけ彼を人間離れさせていく。

 余りにも現実離れした、不死者アンデッド不死者ノスフェラトゥの魔戦に、誰もが魂を抜かれたように目を吸い付けられる。まるで自分達が、激しくぶつかり合う巨象の足元にいるアリにでもなったかのようだ。【神威】たる龍麻たちをしてそう感じられる程に、理解を越えたパワーとパワーの激突であった。

『フハハハハッ。楽しませてくれるものだな、ハンター。だがよもやその半端な肉体のままで我を倒し切れるなどと思ってはいまいな?』

「好きにさせろよ。ポリシーなんだ」

『フフフ…それは御免蒙る。【使徒】と成り果てた身でも…我が誇りが許さぬ! 人たる身には人たる身で! 化け物に対するは化け物で! どこまでも対等フェアに! 心行くまで!』

「――最高だ、伯爵。化物にしておくのは勿体無い」

 互いに血を振り撒きながら、凄絶な笑いと共に立ち上がる。――【使徒】は互いに喰い合うのが宿命――命果てるまで…否! 既に命果てた身でさえ喰らい合い、相手を喰らい尽くすまで闘争を止められないのだ。恨みも憎しみも愛惜もなく、ただ闘争の愉悦のみを求めて。

 しかし――

『――まだ、愚行を続けるおつもりですかな、伯爵様?』

 突然、どこからともなく、何者かの声が割り込んだ。

『邪魔をするな! お前を呼んだ覚えはないッ! この男は、この【使徒】は、この俺が討ち果たす! 引っ込んでいろ、大馬鹿野郎ッ!』

『――是非もなし。その男は我らが宿敵、我らの怨敵。伯爵様お一人の獲物ではございませぬ』

『ムオッ!?』

 ぐらり、とジルの身体が揺れる。ケンタウロスの胴――即ち馬の部分の装甲板が花のように開き、内側に詰まっていた粘つく血潮を天空に吹き上げる。それは天にかかる雲を渦巻かせ――

『――今一度、絶望の淵に還れ。【ザ・パンサー】』

「――ッッ!」

 逆落としに降ってくる血の竜巻! ――天が、堕ちるッ!? いや、竜巻を纏ったそれは途方もなく巨大な、透明な蛇!? 竜!? 穿孔虫!? の口であった。天を埋めるほどに開かれた口はジルを中心に山そのものをすっぽりと覆い、凄まじい吸引で一同をあっという間に暗黒の彼方へとかっさらった。













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