第壱拾四話  京洛奇譚 3





「…なんか…凄い人たちだったね」

 仁和寺での一戦の後、予定の観光コースを廻った彼らは、とにかく観光という行為自体が初めての龍麻を堪能させた為、計画より遅く宿への道のりを辿っていた。新宿には縁の薄い、豊かな森林を備えた山の道である。要するに山登りだ。高校生にあるまじき大名旅行〜タクシーを貸し切りにして捻出した時間で豪勢なすっぽん料理を味わった上、更に峠の茶屋で団子を頬張っていた京一と小蒔は、腹の皮が突っ張っているのでいささか苦しいようだが、それでもこの数ヶ月、訓練に明け暮れていたお陰で、山登りそのものは苦ではない。しかし散々はしゃいだ後に少々の疲れが出てきた事で僅かなりと気分がナーバスになったのか、今日の強烈な出会いが思い出される。

「ああ。実に気持ちの良い連中だったが、あの実力には寒気がするな。よくよく思い出してみると、笑っている時さえも誰一人として隙がなかった。自然体であそこまでできるとはな。龍麻、あの響豹馬という男は本当に病気なのか?」

「俺とて詳しい事は知らん。一つはっきりしているのは、公式にはかの【ドラグーン】は全滅し、彼も死んだ事になっているのだ」

「それじゃ…」

 葵は言葉を詰まらせたが、龍麻は軽く頷いた。

「あの男も、俺と同じだ。何か巨大な謀略の中に組み込まれ、仲間を全滅させられている。【ドラグーン】はその戦歴から見ても、世界最強の部隊だ。俺たちレッドキャップスの手本でもあった。しかしその強さゆえに相当疎まれ、任務の多くが汚れ仕事であり、対外アピールが大きな事件を解決した時は手柄が横取りされる事も多々あったという。何しろ各国の特殊部隊から爪弾きにされた、技能こそ優秀だが問題だらけの兵士で構成されていたそうだからな。ならず者が英雄扱いされる事を、どこの政府も軍隊も嫌ったという訳だ」

 【出る杭は打たれる】とは良く言ったものだ。そして強さもまた然り。類希な強さを持った者は英雄と祭り上げられるが、同時にそれを良く思わぬ者が必ず出現する。【三国志】にも登場する呂布奉先、アーサー王に仕えた円卓の騎士ランスロット、旧ドイツ軍の【砂漠の狐】ことロンメル将軍など。【政治】世界においては多くの場合、【死んだ英雄だけが良い英雄】なのである。

「しかし、会ってみて判った事がある。彼に纏わる様々な噂のいくつかは紛れもなく真実だ。――殺気など微塵もなくあれほど多彩な技を繰り出し、そのどれもが一撃必殺の威力を秘めている。しかもあれで、最低のコンデションとは…。敵として向かい合えば、まず命はないな」

「何だよ、らしくねェな、ひーちゃん」

「冷静に分析した上で言っているのだ。――例の、【ファイルXYZ】の件を覚えているか?」

 京一らは顔を見合わせる。【ファイルXYZ】…全世界を相手に龍麻が脅しに使った極秘情報だ。

「あの中には、世界に知られてはならぬ情報が詰められている。しかしアポロ計画もロズウェル事件も、果ては真珠湾やアウシュビッツの真実に至るまで、実はさして重要ではないのだ。世界中の政府、諜報組織を震撼させる情報はただ一つ、【黒い島作戦オペレーション・ブラックアイランズ】に関する事だけだ」

「【黒い島作戦】!? …何なの、それは?」

 珍しく、龍麻が深く考え込むような仕草をする。その表情は口元だけでも苦渋に満ち――震えている!? 

「いや…その内容を知る必要はない。否、知ってはならない。俺も各国政府に対する切り札としてその名を出したが、俺自身、知らなければ良かったと思っているのだ。ただ、あの響豹馬――ザ・パンサーの所属する【ドラグーン】が参加し、全滅した作戦名が【黒い島作戦】だ。そしてその作戦において、ベトナム戦争もしくはアフガニスタン紛争にも匹敵する兵力…多国籍軍の艦船と航空機、五〇万に及ぶ地上軍が僅か九〇分で全滅した」

「なんだって…!?」

 五〇万…かつてベトナム戦争において、本気になったアメリカが小国ベトナムに対して送り込んだ地上軍と同数である。あの戦争ではただ一回の【北爆】で第二次世界大戦にて使用された爆弾の総数を上回る爆撃が行われた。各々の爆弾の着弾距離は実に五〇センチ以下。僅か一平方メートルに四発の爆弾が落とされたという狂気。それに匹敵する兵力を投入して、それが九〇分…一時間半で全滅した!? どこで!? 何と戦って!? 

「その戦いの、たった一人の生き残りが、あの男だ。これも未確認情報だが、作戦から一ヵ月後、グリーンランドの地下千二百メートルの石炭層…二万年前の地層で氷漬けになっているところを救助されたらしい」

「……………………マジ?」

 スケールの大きい話はいつもの事だが、今回のはいくら龍麻でもでかすぎる。確かに響豹馬は強かったが、ではそんな戦争を切り抜けてきたと言われると、いくらなんでも大法螺に〜幼児化した姿を見たとしても〜聞こえる。第一、二万年前の地層から救助されたとはどういう事だ!? 

「…あくまで未確認情報だ。信じるかどうかはお前達次第だ。――可能なら、忘れろ。俺も喋りすぎた」

 自分達も相当危ない橋を渡ってきたつもりの彼らであるから、世の中には自分達の想像を遥かに越える生き様を持つ男、例えばこの緋勇龍麻がいるように、上には上がいるという事も判っている。しかし今回のは強烈過ぎだ。龍麻も言っているのだから、忘れた方が良いのかも知れない。

 そんな時に重宝するのは、やはりこの男であった。

「オッ! みんな、見てみろよ」

 京一が小走りに駆け、一同を招いて木々の切れ目を指差す。そちらに目を向けた一同は、思わず感嘆の声を上げた。

「わああ…キレイ…」

「おお…これは、見事だな…」

「本当…素敵ね…」

 色合いを変え始めた山稜に包まれた、新旧の建物が入り混じりつつも整然とした町並み。あそこに見えるのは、響豹馬が寝ていたという仁和寺の五重塔か? それらが勢いの衰えた、しかし優しい夕日に照らされ、神秘的な赤と黒のコントラストを生み出し、幻想的な一幅の絵画と化している。しかし絵画と決定的に違うのは、それらは刻一刻と変化し、今まさに生きている世界であるという事だ。どこかで打った鐘の音が、茜色の空をどこまでも渡っていく。

「いつまでも…このままであって欲しいわね。…そう思わない、龍麻?」

 ふと葵は、龍麻の雰囲気が戦士のそれに変化している事に気が付いた。しかし戦闘的、攻撃的なそれではなく、彼が人間的な深みを垣間見せる時のそれである。

「…平和の色だな。美しい夕日だ」

 ぽつり、と呟くように言う龍麻。それは葵たちに聞かせるというより、自分に言い聞かせているようだった。

「アフガンでも、コンゴでも、アマゾンでも、夕日は血の色だった。――だが、綺麗だった。あの夕日が最後の一片すら没する時、【俺たち】の時間が始まると、殺し合いの時間が始まると判っていても、そんな時の夕日こそ綺麗だと思わずにはいられん。たとえこの夜に命を散らそうとも、最後に美しい夕日を見た事は大いなる幸福だ」

「…龍麻?」

 彼には似合わぬ、否、今だからこそ似合う感傷的な言葉に、京一達は何も言えなくなってしまう。ただ一人、葵だけは彼が黙り込んでからしばらくたって、声をかけた。

「――俺の言葉ではない。アマゾンで作戦を共にした、イギリスSASのキース・シュミット少佐の言葉だ。当時の俺には判らなかったが、今なら…判る気がする」

 他の、同世代の若者が言えば、たとえ葵でも吹き出していただろう。しかし、わずか十八年の人生の大半を血と硝煙にまみれ、人としての生を否定された龍麻の口から出ると、それは酷く重く、しかし美しい詩のようであった。

 彼はしばらくその美しい風景を眺めていたが、やがて一同を振り返った。

「さて、宿まではまだ距離がある。そろそろ行くとしよう」

「――そうだな。いいモン見て心も和んだ事だし――」

「――もう少し頑張って山登り――だねッ」

 今日は龍麻の意外な一面を立て続けに見る日だ。しかしどれもが人間的成長の現われなので気分が良い。小蒔が宣言し、一同は足取りも軽く再び山道を辿り始めた。

 程なく、無人ではあるものの古めかしくも懐かしさを覚える民家が点在する集落に差し掛かる。どこかから夕餉の香りも漂ってくるから、全く人がいないという訳ではあるまい。ホテルへのルートはこの集落を目印に、二股の道を左に行くとあった。しかし――

「――む!?」

 龍麻が声を上げる。

「大変! 誰か、倒れているわ!」

 葵もそれに気付き、一同は誰一人躊躇することなく、ホテルに行くのとは反対側の道を走った。

 倒れている――というより、蹲っているのは、和服姿の老婆であった。かなりの高齢らしいが、人生の年輪を経た者が持つ品格が伺える。しかし今は、顔色が良くない。

「大丈夫ですか、どうされましたッ?」

 醍醐が率先して老婆を助け起こす。老婆は意識こそあるのだが、胸を押さえているばかりで声が出ないようだ。しかし龍麻が唇を読むと、どうやら【持病の発作が…】と読み取れた。

「そいつァいけねェ、さすって差し上げやしょう」

 突然べらんめい口調になり、言ったがごとく老婆の背中をさする龍麻。どうやら今回の出展は【木枯らし紋次郎】らしい。

「ひーちゃん! 冗談やってる場合じゃないよ!」

「…冗談など言っていない。――今しばらく辛抱を。むんッ」

 龍麻は老婆の背中をさすりつつ気の状態を読み、どうやら心肺機能に【気】が滞っていると察知し、極小の【発剄】を超低速で放った。武術の世界ではかの奥義【三年殺し】や【十年殺し】を実行するための技だが、打ち方次第で人体の回復機能を向上させる事ができる。徒手空拳【陽】の回復術、【結跏趺座】の原理だ。葵も、自分の回復術では老婆に負担がかかると診て、老婆自身の気を安定させる程度に【癒しの光】を放射する。

「…どうだいばあさん、大丈夫か?」

 この場では彼の出番はないが、老婆の顔色が良くなってきたのを見て、京一が声をかける。

「へえ、おかげさんで、ずいぶん楽になりました」

「まだ無理はしちゃあなんねェ。身体は大事にしなせェ。――小蒔、この方に水を。葵、どうだ?」

 小蒔は水筒のコップに水を注いで「ハイ、おばあちゃん」と差し出し、葵は老婆の手を取って【気】の状態を診る。

「うん。とりあえず大丈夫そうですね。起きられますか?」

「へえ、おおきに」

 龍麻が手を差し出すと、老婆はその手を借りて立ち上がった。どうやら龍麻と葵の【気】がうまく老婆を回復させたようだ。しかし、それを見て一同がほっと息を付いた時である。

「はて…あんた様とはどこかで…ああッ!」

 龍麻の顔を、目を細めて確認――恐らく片目である事も知られた――した瞬間、老婆は大層驚いた様子で、「ありがたや、ありがたや」と龍麻を拝み始めた。

「ど、どうなされたのですか? 龍麻が…何か…?」

 まるで仏様にでも出くわしたかのような老婆の敬虔な態度に、さすがに一同は驚いた。

「恐れながら、自分は御老婆殿に拝まれる心当たりはないのでありますが?」

 さすがに【木枯らし紋次郎】がどこかに行ってしまった龍麻である。

「へ、へえ、これは大変失礼を。あんた様のお顔と雰囲気が、天狗様とよう似てはりますさかいに、つい嬉しゅうなってしまいましたわ」

「天狗?」

 場違い、というには当たるまい。ここは京都である。しかしいくらなんでも龍麻が【天狗】に似ているとは…。

「ひーちゃんって鼻筋通ってるけど、天狗様って程鼻高くないよね…?」

「いえいえ、その、鼻の高い天狗やおまへん。ここら一帯に住んでいなはった天狗様の事ですわ。これがえろう男前で、ハイカラな天狗様で…」

 そこまで言ったところで、老婆はついおしゃべりに夢中になってしまったことに気付いたのだろう。品の良い笑顔のまま口元を押さえた。

「いややわ、うちったらお礼も申し上げんと。――ほんに、おかげさんで…なんとお礼を言うたら良いか…」

「へへッ、ひーちゃんが天狗様だってよ。――いいっていいって、困った時はお互い様――ってな。ところでばあさん、本当に大丈夫か? 苦しいところとかないか?」

「へえ、おかげさんで。…なんだか、えろう気分が良くなりましたわ」

 少し腰が曲がっているものの、元は矍鑠かくしゃくとした老婆なのだろう。すっかり元気になったとひょこひょこ歩いて見せる。この分ならまず心配あるまいが…。

「それは重畳。ところで、御老婆殿は近くにお住まいですか?」

「へえ、この山ん中の村どす」

「――まだ日は落ちていませんが、足元は暗くなっています。よろしければ、我々がお送りいたしましょう」

 龍麻は一同を振り返り、「良いな?」と聞くような素振りをする。勿論、京一も含めて一同に否やはなかった。

「いえいえ、通い慣れた道ですさかい。これ以上お世話になっては申し訳ありゃしまへん。それに、あんた様方はこの先のホテルに行くんじゃありゃしまへんか? こちらに来なはると、大回りになってしまいますさかいに」

「我々は常日頃、自己を鍛え他に奉仕する事を信条としております。どうかお気になさらぬように。勿論、無理強いするつもりはありませんが」

 海外では、時にこのような申し出は失礼に当たる場合がある。無論、龍麻はそれを知っているが、ここは日本である。親切の押し売りをするつもりは毛頭ないが、暗くなりつつある山道はやはり危険だろう。

「ほなら、よろしくたのんます」

「はっ。では醍醐、この方を頼む。京一は先導しろ。荷物は俺が預かろう」

「うむ。――ではお婆さん、行きましょう」

 この方が良かろうと醍醐が老婆を背負い、龍麻と京一が先導、葵と小蒔が両脇から老婆を気遣う形で、一同は村落への道を辿り始めた。森はますます馥郁たる香りを漂わせ、山の精気が身体に染み込んでくるようで、一同の足取りはますます軽くなってくる。

「あんた様方は、東京の学生さんどすか?」

「――名乗るほどのものじゃあござんせ――おおッ!?」

 再び【木枯らし紋次郎】に戻った龍麻に、葵と小蒔の教育的鉄拳が飛ぶ。

「はい。京都へは修学旅行で来ているんです。それにしても、京都にはまだ自然が一杯あるんですね」 

「へえ、山に囲まれた盆地ですから。ここいらには、狸もぎょうさんおりますえ。けんど――」

 龍麻のボケと一同の突っ込みの軽妙な掛け合いに、すっかり打ち解けていた老婆の表情が曇る。

「数ヵ月後には、どうなってるかわかりまへん。――村の地主はんが山の半分を売ってしもうて、なんや、レジャー施設やらが建つそうですさかい」

「ええッ!? こんなに良い所なのに!?」

 小蒔の言葉に、老婆は苦笑とも哀しみともつかない表情を浮かべた。

「時代の流れには逆らえまへん。うちの孫娘や、青年団の若いもんが、反対運動や言うて頑張っとりますけど、うちの家にも立ち退きの話が来てはりますえ。ご先祖様の家を壊すのは忍びないもんがありますけんど…」

「村の人を追い出してレジャー施設だなんて…酷い話だわ。こんなに美しい山なのに…」

「利便を取るか自然を取るか。自然の開拓における人類の命題だな。だが、これほど美しい山を破壊してレジャーとは笑えぬ冗談だ」

 やや沈んだ葵の言葉に同調する龍麻。

「この山も緑も、みんな神さんがうちら生きもん全てに与えてくださはったものですさかい。人のわがままで壊していい訳あらしまへん。それに、ここいらの山はみんな、天狗はんのもんですさかいになあ」

「天狗…ですか」

 また【天狗】である。

「へえ、うちらはみんな、昔から天狗はんに護られて暮らしておりますのえ。それを建設会社のお人はまるで聞きよりゃしまへん。そんで、天狗様のお怒りにあってしまはりましたわ」

 何か、老婆の話に不穏な空気を感じた一同が更に話を聞くと、どうやら建設会社の関係者が山で襲われたり、工事の機械が壊されたりしているらしい。

「…それが、天狗の仕業だという事ですか?」

「へえ、村のもんは大方、そう信じとります」

 その老婆の言葉の中に、微妙な変化を読み取り、龍麻は尋ねた。

「御老婆殿は、信じておられないのでありますか?」

 老婆はふと驚いたように顔を上げた。どうやら龍麻が言葉に込めた意味を悟ったらしい。曰く、天狗の存在を信じないのではなく、【それ】をやったのが天狗だと信じていない、という事に。

「へえ。あの天狗様は、人様を襲ったりするようなお方やおまへん。――村のもんも、誰も信じとりゃしまへんが、うちはこの山の天狗様に会った事がありますさかいなあ」

「エエッ!? それってどういう――」

 思わず上げた小蒔の声は、龍麻の手によって遮られた。

「あれは、うちがまだ五つの春の事ですわ。山でツクシ摘みに夢中になって、気が付いたら迷ってしもうて…日もとっぷり暮れて、一人で泣いてはりましたら、あの天狗様が現れはったんどす。そんで、「なんや、ワラシが日暮れの山にいたらいかん」言うて、うちをひとっとびで村まで連れて帰ってくれはったんどす。――今でもよっく覚えておりますえ。背は六尺よりあって、黒地に紅葉柄の綺麗な着物を着てはりましたわ。お顔はこれがまた長い黒髪のえろう男前で、刀傷のある左眼に刀の鍔で眼帯をしとったんですわ」

「……」

 左眼に刀傷…。それで、龍麻なのか。

「そん時に、名前も聞いとります。【もんちゃん】言うてはりましたなあ」

「も、【もんちゃん】!?」

 天狗の名で【もんちゃん】…。あまりにもミスマッチな名称に、しかし一同は、龍麻を除いて妙に納得してしまう。

 【ひーちゃん】に【もんちゃん】…。どこか、似ていなくもない。

「村のもんは誰も信じてくれはりませんけんど、うちの祖母だけは信じてくれはりましてなあ。本当の名前は【們天丸】と言わはったそうで。何でも…今から百五十年ほど昔、海を渡ってきた妖怪を退治した時に亡くなりはったそうですが、天狗様は神さんの一人でいらっしゃいますからなあ」

 なんとも信じがたい話ではあるが、ここで世間の一般常識を持ち出しても仕方あるまい。それに彼ら一同にしても、世間の常識から逸脱した身だ。現に【鬼】と戦った身であるし。

 そんなことを話し合っている内に、やさしい光が障子から漏れている村落が見えてきた。老婆の家は、その村の外れで、龍麻たちはそこまで老婆を送って行った。

「――ほんにお世話になりまして。たいしたものやおまへんけど、みんなで飲んでくださいな」

 そう言って老婆は丁重に礼を述べ、皆に地元で栽培したという果物のジュースを分けてくれた。そして一同はジュースの礼を言い、元の道を辿り始めたのだが、老婆は彼らの姿が見えなくなるまで見送っていた。

「――なあ、あのばあさんの話、やけにリアルだったけど、本当かな?」

「あの御老婆殿は真実を語っている。これほど良い山なら、天狗くらいいてもおかしくはなかろう。――それに、皆も気付いているだろう?」

 京一を始め、全員がなんとなく周囲を見回す。

 この山に入ってから、周囲に溢れている大地の精気の中に含まれる【何か】の気配。敵意も悪意もなく、ただそこにあるだけの、しかし何か巨大な存在。それを【天狗】と称するならば、それも合っているかも知れない。そもそも【龍】や【麒麟】などの霊獣は単なる空想上の生き物ではなく、天地に満ちた膨大な【気】が形を成したものだという説が、風水の世界では常識なのである。

「ま、今更本物の天狗が出てきたって驚きゃしねェけどな」

「ん――そうだねッ。すると、今出現しているのは偽者って事か。山を護ろうとしてるのは確かみたいだけど…」

 良い所なのに、もったいないよね、と小蒔が言うと、葵も大きく頷いた。

「確かにな…。だがこの山が個人の持ち物である以上、何に使おうと最終的には持ち主の自由だからな。地元の環境問題に、よそ者の俺たちが口出しする訳にも行くまい」

 そう言って醍醐は話を締めくくった。

 その頃には、目的地であるホテルの灯が前方に見えていた。









 今年、真神学園が宿泊先に決めたホテル【天狗屋】は、江戸時代に山越えする旅人を迎えた宿場に由来し、造りこそ古風ではあったが、自然木をふんだんに用いた、日本人の情緒に訴えかける素晴らしい所であった。食事は山菜が豊富で味の方も見事なものであったし、浴場も広く、湯は本物の温泉であった。少なくとも都立の高校が修学旅行で使用できる宿泊施設としてはほぼ最高のレベルに属するであろう。ただ、このホテル全てが真神の専属になったという訳ではなく、隣の別館には別の高校がやはり修学旅行で入っているとの話であった。それでも、龍麻たちがあてがわれた部屋は六人部屋であり、マリアの工作もあって特別に三人だけで部屋を占拠できるようになるほどである。

 その部屋の中央に大の字にひっくり返りながら、蓬莱寺京一は一人これからの計画を頭に思い描いて邪悪な笑いを浮かべていた。

「さァて…腹ごしらえは万全だし、風呂にも入った…」

「ああ。いい風呂だった。すっかり疲れが取れたな。――龍麻は、深夜に改めて入ると聞いたが?」

「肯定だ。マリア先生に特別許可を頂いている。――温泉に入るなど初めての体験だ。今から楽しみだ。この浴衣というものも、風情があってよろしい」

 そう言って龍麻は井桁模様の浴衣を広げて眺める。京一や龍麻がまだ制服なのに対して、醍醐は早くも備え付けの浴衣に身を包んでいた。しかし巨漢の醍醐に合う浴衣がある筈もなく、彼のたくましい胸板と膝から下は露出している。それをまるでバ○ボンのようだと称した龍麻はその瞬間に【円空破】でツッコミを入れられていた。

「あとは消灯まで自由時間な訳だが…そう言えば入り口近くに土産物屋があったな。行ってみるか?」

「土産物屋か…行く」

 この旅行というものを心底堪能しているのは、やはりこの男だ。龍麻は即座に立ち上がった。とは言え、既に龍麻の荷物は土産物で一杯である。観光地にありがちな提灯やTシャツ、京都だということで新撰組のハッピ、ひょっとこのお面、土地柄は無関係のマニアグッズ専門店で漁ったエトセトラ、エトセトラ…。その上でまだ何か買おうというのである。修学旅行なのだから当然、所持金の上限は定められている筈なのだが、そんなもの、高校生にあるまじき財力を誇り、買い物をカードで済ませている龍麻が守る筈はない。

「まあ待て待て。土産物屋だ? フッフッフ、何を言っているんだい、醍醐君?」

 京一はひょいと立ち上がった。

「今こそ、この数ヶ月間暖め続けた作戦を実行に移す時じゃないか…」

「…何の話だ?」

「醍醐君。今は何の時間かね?」

「今…? 一応自由時間だが、女子は風呂…。――まさか、京一!」

 龍麻は何だ? という顔をしたが、醍醐は京一の考えが判ったらしい。

「フッフッフ…どうするかね、醍醐君?」

 ニヤ〜ッと笑いつつ京一は馴れ馴れしく醍醐の肩に手を置く。詩的な表現をするなら賢者を惑わすメフィストフェレスか。いや、どう見ても駅前辺りで通行人にエロ写真を売りつけているオヤジに見える

「…ば、ば、ば、馬鹿なことを!!」

「…どうしたのだ、醍醐? 顔が赤いぞ。湯当たりでもしたか?」

 急に顔を、それも耳まで赤くした醍醐を気遣う龍麻。朴念仁もここまで来れば天然記念物級である。

「な、なんでもない! 龍麻! 本当に何でもないんだ!」

「ふうん。そうかねェ? ――湯を纏い上気した膨らみかけの小蒔の胸…夏の日差しにも負けぬ白く艶やかな肌…鍛え抜かれしなやかに引き締まった太腿…健康的に躍動するきゅっと締まったヒップ…その生まれたままの姿が温泉という開放空間で惜しげもなく披露される様を、タイショーは見たくないのかなァ。んん〜〜〜〜ッ!?」

 醍醐はこういう事に本当に弱い。京一のフラ○ス書院風描写に対して意識的に厳しい顔を作っているが、意外と想像力豊かな彼だからこそ迫力負けしている。

「フッ…負け犬か。…ひーちゃんはどうする?」

「どうする…とは? 俺は土産物屋を見に行くつもりだが」

「カーッ! そんなモン、後でだっていいんだよッ! いいか、ひーちゃん! 修学旅行の楽しみ方ってのは、そんな型に填まったモンじゃねェ! 真に楽しいイベントは、まさに今から始まるんだぜ!」

「なに…?」

 それが単なる【覗き】であるなどとは露ほども判らぬ龍麻は、京一の話に興味を示した。

「た、龍麻! 京一の口車に乗るな! ロクな事にならんぞ!」

「うるせェな。負け犬は黙ってろ」

「な、何をッ!」

 この言い草に、本気でこめかみに青筋を浮かべて京一の胸倉を掴む醍醐。しかし京一は不○家のペコちゃんのようなとぼけ顔で…

「――そう言や美里のは一度見たっけなァ、醍醐よォ。ありゃ良かったよなァ、こう――ボンッ、キュッ、ボンッ、ってなァ、オイ」

「ッッッッッ!」

 青筋の浮かんだ顔が一瞬で真っ赤になり、そのままぶっ倒れる醍醐。ローゼンクロイツの一件を思い出しただけでこの有様とは、この醍醐もまた天然記念物級であろう。

「醍醐、大丈夫か?」

「平気だ、へーきッ。ささ、俺たちは出撃しようぜッ」









 しかし、入念な下調べをしていたと言う割に、京一と龍麻はあっさりと犬神に捕まってしまった。

 京一の【作戦】は単純明快。露天風呂の目隠しが裏庭に面しているという理由だけで、馬鹿正直に裏庭に侵入したのである。当然、教師陣はその事を知っていて、なおかつ最初の見回りに出ていたのが犬神だったのだ。

「蓬莱寺はともかく、緋勇…お前までとはな…」

 珍しく手で顔を覆い、天を仰ぐ犬神。どうやら心底呆れ返ったようだ。

「はっ、恐縮です」

 龍麻は直立不動で胸を張って答える。

「…正直であれば良いというものじゃない。普通の学生生活を送りたければ周囲の…特にこいつの言葉を鵜呑みにするな。世間的常識と社会的道徳というものにも少しは目を向けろ」

「はっ、ご忠告、ありがとうございます」

「…もう行け。蓬莱寺、緋勇に妙な事を吹き込むな。次に見付けたら東京に強制送還するからな」

 と、あえなく二人は裏庭から追い払われてしまった。

「クッ、まずったぜ。まさか犬神がいやがるとは」

「根本的な作戦ミスだ。そもそもなぜこの旅行中に我々が女生徒間の親密度をチェックせねばならん? 隠密裏にというのも理解できんし、いっそマリア先生など、女性教師に頼めば良いのではないか?」

 たった今忠告を受けたばかりなのに、この常識知らずの朴念仁は実にあっさりとそんな事を言ってのけた。彼は【覗き】という行為を【女生徒間の親密度を調査する】【親密度の判明は今後の作戦展開の参考になる】【裸の付き合いの中にこそ本音が出る】という、小学生でも付かないような京一の嘘を真に受けているのだ。――どこに出しても恥ずかしい、立派な馬鹿である。

「あー、もう! 解ってねェな! こういうのは絶対秘密にしなきゃ意味がねェし、教師の前じゃ本音は出ねェモンなんだよ! ――とにかくこのままじゃ、俺も、俺のムスコも眠れねェ! 再チャレンジあるのみだ!」

「ふうむ…。やはり今一つ理解できんが…」

 そう言って腕組みする龍麻の襟首を掴み、京一は歩き出した。

「とにかく次だ、次! もう一個所、調査ポイントがある!」

 こうなったら意地でも見てやる! と決意も新たに、龍麻を引きずっていく京一であった。そんな二人の向かう廊下には、【ボイラー室】との表示があった。









 周囲に人がいない事を確認し、【従業員区画】に入り込む二人。当然、一般人は立ち入り禁止なのだが、使命感(笑)に駆られている二人がそんな事を気にする筈もない。しかし、先の犬神の一件もあって充分に注意していた二人の前に、突然、人影が現れた。ところが、向こうも驚いたような顔をする。

「「なぜ、お前がここにいる?」」

 二人は異口同音に言った。

 二人、には龍麻は含まれていない。今の台詞を放ったのは、一人は真神の蓬莱寺京一だが、もう一人は彩雲学園の風見拳士郎だったのだ。奇しくも別館に泊まっている他校とは、私立彩雲学園だったのである。

「テメェ…この先に何があるのか知ってやがるな…」

「そう言うお前こそ、狙いはアレだな…」

「真神の女子を覗こうとはふてェヤロウだ…」

「情報は正しかったか。風呂が壊れてうちの女子が真神の女子と親睦を図るという話は…」

「「………」」

 二人はしばらく睨みあっていたが、どちらからともなくガシッと固い握手を交わした。

「初めて出会った時から、お前には何か共通のものを感じた」

「何を隠そう、俺もだ」

「よし! 俺たちはこれから運命共同体だ。生きるも死ぬも共にあることを忘れるなよ、拳士郎」

「言わずもがなだ。同士京一」

 まるで愛の告白のようなやり取りに、二人は一体何を話しているだろうと首を捻る龍麻。しかしその背を、京一と拳士郎がどやしつける。

「さあ! 何ぼさっとしてるんだよ少尉殿! 行くぜ!」

「いざ行かん! 桃源郷へ!」

 二人の色魔に両腕を掴まれ、まるで連行されるように引きずられながら、龍麻は自分は何をしているのだろうかと自問した。

 数分後、龍麻が引きずり込まれたのは、露天風呂の温度を一定に保つために設置されているボイラー室であった。

「思った通りだ。ここには見張りがいねェ」

「当然だ。教師だって立ち入り禁止なんだからな」

 ほとんど特殊部隊の突入のようなノリで壁に張り付きながら、京一と拳士郎は頷き合う。とても今日出会ったばかりとは思えないコンビネーションだ。

「お! あったぞ。あれが問題の窓だ」

 見れば壁の一角に、小さな窓が付いている。恐らくは湯加減等の確認用だろうが、【問題】とは、それが素通しであるという事だ。こちらから見えるという事は、向こうからも見えるという事である。

「先に言っておくが、索敵と目視サーチアンドサイティング両面において、視点の固定ロックオンは厳禁だ。常に視点を移動させ、標的の直視を七秒以内に留めないと、弥生にしろ舞ちゃんにしろ絶対に気付かれて殺される。また、索敵中の視線も時間をかけると探知される。――いいか、京一。事実上の一発勝負だ」

「大丈夫だ、拳士郎。こっちにはひーちゃんがいる。――おい、ひーちゃん。美里と小蒔の【気】は読めるだろ? どの辺にいる?」

 問われて【気】を探知しようとする龍麻であったが、ふと、腕組みをして二人を見た。

「…調査だと言われてここまで来た訳だが、お前達二人の言動からすると、何かやましい事をしているように思えるのだが…?」

 二人揃って引き攣り笑いを浮かべる色魔ども。その頬にたら〜りと冷や汗が伝う。

「なんだよひーちゃん! そんな事はねェよ!」

「そうだぜひーちゃんよ。俺たちはただ迸る青春の欲求に従っているだけだ。これは人間として、男として自然な事なんだぜ!」

 人間として…。九角天童や不破弾正ら多くの人生の先達たちに言われた、龍麻の人生の指標でもある言葉だが、果たしてこんな場面で使用するものだろうか? 

「さあひーちゃん。どの辺だ?」

「…聞くまでもなかろう。声が聞こえるではないか」

「なに!?」

 思わず耳をそばだてる京一と拳士郎。すると確かにかなりはっきりと、楽しそうに話す葵や小蒔、舞や弥生の声が聞こえてくる。

「――ヘェ、それじゃ風見クンって、暁さんの幼馴染だったんだ」

「そう。ずっと昔からあたしの家来よ。ホッホッホ」

「そんなに幼い頃から、それほど高い目的意識で武道を学んできたんですか。皆さんが強いのも納得できますね」

「ありがとうございます。良い先生にもライバルにも恵まれてますし、毎日とっても充実してますわ」

 どうやらターゲットは全員、壁を隔てたすぐそこにいるらしい。京一と拳士郎は生唾を飲み込んだ。

(いる…! この向こうに…!)

(落ち着け京一! 気配を消すのを忘れるな!)

(わ、判ってるよッ)

 そろそろと壁にへばりつきつつある二人の色魔の存在にはまったく気付かず、女の子同士の会話は続く。

「風見君が仲良いのは解ったとして、如月さんは響クンと凄く仲良さそうだけど、やっぱり彼氏なの?」

「えっ…!?」

(ナヌッ…!?)

 顔が赤くなったのが判るほどうろたえたような声。京一の耳がぴく、と跳ねた。すわ、修学旅行中のイベントの一つであるヒミツの告白アンド暴露大会か!? 

「あ! やっぱりそうなんだ」

「こ、小蒔! そんな単刀直入な聞き方って…」

「ああ、良いのよ美里さん。この子とパンサーの仲って、ウチのガッコで知らない人なんていないんだから」

「え!? そ、そうなんですか」

「も、もう…弥生…!」

「ふっふーんだ。今更ナニ言ってんのよ。――時は夏、あの嵐の夜に彼と一体ナニがあったのかしらね〜ッ?」

「そ、それは…!」

「エ!? エッ!? ナニ、ナニがあったの!?」

「こ、小蒔…!」

「突然の結婚話に動揺し、嵐の夜に飛び出したお嬢様。さ迷う果てにいつしか向かうは、想いを寄せる男の部屋…。――ふっふっふ。あの時以来、人前でイチャイチャするのも平気になりよってからに、前から興味あったのよねェ。これを機会にきりきり白状してもらいましょうか? ンン〜ッ、舞ちゃん?」

「うんうん。ボクもそれ聞きた〜い」

 どうやら舞と豹馬の間には、何か抜き差しならない体験があったらしい。浪曲のような語りの後に、なにやら悶々と興味と好奇の【気】が漂ってくるのを龍麻は感じた。

「い、イチャイチャって…だ、だって、あの時は家にも帰るに帰れなかったから…」

「うんうん。それで?」

 舞が迫られているのが目に見えるような声である。

「そ、それでって…そんな事言える訳ないです…」

「な〜に勿体ぶってるのよ。――まあねえ、あの女ジャイアントロボの舞ちゃんがオトコの部屋にお泊りしたって、まず色っぽい話になるわきゃないか。なにしろ相手は戦慄の朴念仁、無双の甲斐性なし、禁欲のメカゴジラと謳われた響豹馬だもんね。その実態は澄ました顔してシスコンのちょーフェミニストだし、スーパーモデル真っ青のお姉さま方に比べたら深窓のヤマトナデシコだってもやし同然。出会い頭に花も恥らう乙女の意外と大きい尻で顔面を潰されたギャルゲー的出会いもきれいさっぱり忘れてやがるし、命懸けの報酬十万ドルと引き換えの一日奴隷の時ですらキヨクタダシクお蕎麦屋さんでデートとか来た日にゃ、裸で襲い掛かったってネコみたいにあやされて終わりよね〜」

「そ、そんな事ないですっ!」

 これでもかとばかりに豹馬を悪く言われてか、ちょっと怒ったような舞の声。念入りな暴言の主、弥生はそれを余裕でかわす。

「へえ〜っ、それじゃドコまで行ったのよ? オネーサンに聞かせて御覧なさい。言っとくけどほっぺにチュ、くらいじゃ誤魔化されないわよん」

「そんなのとっくです! あの時は寒くて震えてた私を、自分が濡れちゃうのも構わずにコートの中に抱き締めて温めてくれたし…」

(ぬわにぃ〜ッ!)

「ほうほう。でも育ちが育ちなだけにハグ慣れしてるし、そんなのあたし達だって何回も経験あるわよねえ、唯ちゃん? 細く見えるけど中身がっしりしてて、これがまた気持ち良いんだ。す〜ぐ尻撫でやがるけど、そのくらいサービスしちゃるわってくらいよぉ」

「うん。パンサー君の胸って鉄みたいに硬いけどあったかいよね。ボクの時にはいっぱい頭撫でてくれるから安心しちゃって、つい寝ちゃうんだよね〜」

(くッ…! そんな無節操な…!)

「そ、それだけじゃないです! 私が泣き止むまでギューッて抱き締めてくれて、髪を撫でて慰めてくれて、抱っこで部屋まで連れてってくれたんですっ」

(ぬッ、ぬわんだとうッ!)

 あの耽美系少女漫画の妄想的主人公(京一主観)男と如月舞が…! 想像した瞬間に、恐ろしいほどに似合う美男美女のカップルが誕生し、必死でそれを頭から振り払う京一であった。しかし…

「ほっほ〜う、確かにパンサーの部屋まで入ったのって舞だけよね。でもまだまだ。あたしなんかホレ、冬の飛騨山脈で沢に落とされた時は文明の利器皆無、敵陣のど真ん中だってんで焚き火もできない雪を掘っただけのシェルターで、パンツ一枚で膝抱っこされたわよん。あんにゃろってば普段は澄ましたハードボイルドしてて格好良いけど、ちょっと砕けるとちょー弟系女殺しになるわよねー。凍死するよりはマシだって諸肌晒したあたしを、役得とか眼福とかエロオヤジっぽいコトほざきながらしっかり抱き締めてあっためてくれて、ドキドキするほど格好良かったのに、あたしより先に寝ちゃった挙句に、寝ぼけてあたしのコトをお姉様のつもりで甘えて来やがんの。それがも〜あのツラのままショタモード全開なもんだから母性本能直撃しまくり。あんまり可愛いもんだからつい抱き締めちゃったんだけど、途端にもうヤバいのなんの。お姉様方ったらあんにゃろをそーとー仕込んだらしくて、オタオタしてる間にちょーえっちぃコトされまくっちゃって、これがまた聞きしに勝るテクニシャンでさ〜。敵の襲撃で正気に戻って平謝りされたけど、こちとらとっくに頭ン中がピンクに染まっちゃうわ、どーしょもないくらい身体が疼いちゃってるわで、責任取って何とかしろーっておねだりしちゃったわよ」

(な、なんだってーっ!)

「エッ、エエッ!? そ、それって、その…あの…まさかそのまま…!」

「うん…心では抗っても身体が反応しちゃって、女って弱いものなのね…な〜んて冗談こく余裕はなかったんだけどね、そこは良くも悪くも【ザ・パンサー】という男だから、安心して身を任せちゃったわ。中国仙道房中術、六千年の秘術を受け継ぐ男のちょーぜつテクを、きゃあきゃあ言いながら楽しんじゃったわよん」

(ヌググゥッ…ッ! 弥生ちゃんにそんな事まで…!(血涙))

「え、えと、その、あの…す、すいませんっ。ちょっと刺激が強過ぎて付いていけません…」

「あ、ごめんね。ちょっと自分視点でばっかり喋り過ぎたわ。ま〜色々と常識外れではあるけど、その実態はちょーぜつお姉ちゃん子の激フェミニストでね。成り行き行きずり気分任せでマグナム抜くような男じゃないの。それこそちょーダンディにリードしてくれるし、すっごく大事にしてくれるし、怖いなんてこれっぽっちも思わなかったわ。そりゃあ思い出しただけでも顔から火ィ出そうなくらいえっちぃ真似をされまくられて、求められたらまず受け入れちゃっただろうな〜ってくらい気持ち良くされちゃったのは確かだけど、あんにゃろってば惜しい惜しいと言いながら、顔へのキスはおでこに軽く一回きり。最後はちょー弟モード発動して大甘えに甘えまくってきて、こっちも気持ち良過ぎて気絶しちゃったんだけど、目が覚めたら大事に膝抱っこされて寝かされてたのよ。ちゃんと服着てね」

「え…。そ、それなら別に最後までって訳では…」

「うん。甲斐性なしとか禁欲のメカゴジラってのは、あんにゃろの場合は褒め言葉でね。閨房の道士たる者、世の女性をすべからく幸せにするのが使命だっつって、女を楽しく喜ばせる事ならいくらでもするけど、一線越える事にはえらくシビアなのよ。確かにあたしらみたいな小娘じゃ、本人が許しても世間体やら何やら問題山積みの現代だもんね」

「そ、それはそうですよね。そ、そういう分別のある方なんですねっ」

「あら、ヨイショまではいらないわよ? 一線越えないってだけで、誘いさえすればホイホイ乗っかる無節操男なのは確かだし。で、あのシスコン男ったらま〜、その日以来すっかり懐いちゃって、あたしにもお姉さま方と同じ感覚で甘えてくるようになったのよ。挨拶代わりに尻撫でるわ、膝枕してやりゃスカートの中覗くわ、ちっともハードボイルドを維持しなくなっちゃったわ」

「エエ〜ッ、そんな事するんですか? それは困っちゃいますね」

「アハハッ。でも悪い気なんてしないわよ。確かに馴れ馴れしくなったけど、毒気なんかなくていつもニコニコしてるし、鉄拳制裁喰らわしても避けない上に一秒で復活しやがるし。アタシとしてもやんちゃでえっちぃ弟を持ったみたいで楽しいわ。予告付きだから避けるのは簡単な筈なんだけど、いっつもあの弟系の甘え顔にノックアウトされてついつい許しちゃうのよ」

「予告付き…ですか?」

「うん。皆はあのハード系お澄まし顔しか見てないから想像できないと思うけど、あんにゃろってば気ィ許した相手には全く気取らなくてね。これがま〜あのツラで乙女の夢を壊すなってくらいの甘えん坊っぷりなんだけど、えっちぃ真似するぞって時には必ず「や〜よいちゃんっ」って呼びやがるのよ。まったく、ル○ン三世とかシティ○ンターの見過ぎだっつの」

「は、はあ…」

「ま〜アタシが本気で嫌がるような事は絶対にしないし、調子に乗り過ぎだと思ったらガツンと一発かましゃ良いってのもあるけど、あんにゃろがTPOを弁えているっつーか、こっちがうんと機嫌の良い時か、ちょっと精神的に参っている時しかそういう事しないから許しちゃうのよ。他愛ない冗談とか下手な慰めよりよっぽど気分が軽くなるし、本気で参っている時には、ちょーハードボイルドに抱き締めてくれるしね。――やっぱりあんにゃろって格好良いし、あんな素敵なお姉さま方のいる男に、ちゃんと女として見られているんだな〜って嬉しくなっちゃうわよ」

(ギリギリギリギリッ…!) ←歯軋りしてる By 京一

「だからね、この鋼鉄ジーグかキングジョーかってお堅い舞の彼氏の座に、そーゆー良性好色一代男が納まったのって、正に彩雲学園の七不思議よ。舞が遂に男に興味持ったのか、それともパンサーが何か弱みでも握って脅迫してるのかって、変に希望持った奴とか勘違いした野郎どもがパンサーに無意味に噛み付く騒ぎにもなったし。でも相変わらずあたしらにちょっかいかけてくるって事は、暑苦しいほどイチャイチャしていると見えて実はオクテなお付き合いとか? 清く正しく明るい交際も良いけど、あんまり勿体付けてるとちょっとした弾みで鞍替えされるわよ〜」

「そ、そんな事ないですっ! 豹馬君だって男の子ですから普通にえっちなだけですっ。わ、私なんか、膝枕くらい毎日してあげてますし、その時にお尻触るのもスカートの中を覗くのも許しちゃってますっ。そ、それ以上の悪戯したって、私はぶったりなんかしませんものっ」

(ガジガジガジガジ…ッ!) ←爪を噛んでるBy 京一

「ほっほ〜う。それはそれはご馳走様。あのアーマード・ヴァルキリーな舞ちゃんがそんな【新婚さんいらっしゃい】レベルまで行ってたとは意外だったけど、あたしの体験を越えるインパクトはないわねえ。これでも一時期、本気でパンサーにコクろうか考えてた身としては、そんなモンじゃ納得いかんわ」

「で、でもっ、弥生のは豹馬君が寝ぼけたからじゃないですかっ。私はまだ豹馬君が転校したての、彼の事を何も知らない頃にも危ないところを助けてもらって、私が目を逸らしていた事を教えてもらって、その時からずっと好きなんですっ。あ、あの嵐の夜だって、彼なら優しくしてくれるからって、シャワーを借りた後そのまま彼の前に出て…思い出だけでもいいからって彼の腕に飛び込んだら、私の事強く抱き締めてくれて…。あ、あんな風になったの初めてだったけど、全部豹馬君の言う通りにしたからあまり痛くなかったし、そっと撫でてくれる手が凄く優しくってあったかくって、気持ち良くって、頭の中が真っ白になっちゃって…私ったらそのまま一緒に…。――って、やだ…もう…恥ずかしい…!」

(ぬわぬぃぃぃぃぃ〜〜〜ッ!(滝血涙))

「…舞。ヨダレ出てるぞ」

「え?」

「――えいぎる・へぶりんぐッ(註・ワールドヒーローズ2ってゲームをググってみてね)!」

 突然、バッシャーッ! とお湯を叩き付けられる音と、咳き込む舞の声。

「わぷッ。なッ、何するのォ!?」

「えーい! うるさい! この耳年増!」

 再び、バッシャ―ッ! とお湯の音。

「誘導尋問に引っかかってよっしゃと思ってれば、肝心な所をはしょってなに一人でクネクネ幸せそうにノロけとんじゃこの娘は! ――アンタの事だからオチは読めてるのよ! あんな風とか優しくしてもらったとかって、どーせあ奴の殺し文句にのぼせて初っ端から蹴っ躓いて顔面強打でもしたんでしょっ! 頭の中真っ白になったっつーのも、ぶつけた所を撫でられただけで鼻血出してひっくり返ったんだろうしっ。それであのフェミニストが添い寝してやったらやったで、寝ぼけて卍固めでもかましたんでしょーがッ!」

「な、何で知ってるのっ!」

 ガクッとコケる京一と拳士郎。そして、壁の向こうでもドボーン! と誰かがコケて湯船に落ちる音。弥生の危険(笑)な猥談の直後に、今時そんなベッタベタなラブコメ落ちとは…

「ふーふっふっふ! この隠れドジっ子属性めが! こうしてくれる!」

「きゃあ! やだ! なにするのぉ!」

「ふぉっふぉっふぉっ〜! この弥生姐さんがそんなギャルゲーコントでごまかせるとお思いか! ――そう〜れ、ホントのトコロを白状せいっ!」

「きゃはは! やめてったら! くすぐったーいっ!」

「むむっ!? いつの間にやらけしからん乳になりおって! そう〜れ、うりゃうりゃうりゃあ!」

「きゃあっ! そ、そこは駄目ェ! やん! きゃぁぁぁん!」

「オーホッホッホッホッ! さあ、親も認めた未来の婿殿とホントはドコまでいったんじゃい! きりきり白状せんともっとイイ声で鳴かしちゃるぞ〜ッ!」

「ああん! やだやだっ! それは内緒だから――だっ、駄目ぇ! そこ弱いのぉ!」

「お〜お〜、早くも色っぽい声だしよってからに。――そう〜れ必殺! 【ぬらりひょんの舞い】〜っ!」

「きゃぁぁぁぁぁん!」

((……ッッ!!))

 一体この壁の向こうで、どんな凄い光景が繰り広げられているのだろう? 女の子同士の時にのみ許される際どく赤裸々な会話が妄想を爆発させ、だくだくと鼻血を垂れ流しにしてしまう京一であった。

(け、拳士郎…! 俺はもうやばい…! 弥生ちゃん達ってそんなに進んでる上にレズとか百合とか、あっちの趣味まであったのか…!?)

(ふ、青いな、京一君)

 余裕あり、という口調とは裏腹に、振り返った拳士郎もまた、放っておけば失血死しそうな勢いで鼻血を噴いていた。

(男女七歳にして同衾せず、という言葉もあるように、本来生物学的には我らの年代は既に子孫繁栄に貢献すべき時期であり、あれこそ人間の自然な姿なのだ。そして真に仲良き女子同士とは、必ずあの境地に至るものなのだよ京一君。これぞ宝塚系の典型的黄金パターンと言っても過言ではない(偏見を通り越して行き過ぎた妄想である――By キー○ン山田))

(そうか…! そういうものなのか…! いかん…血が止まらん…ッ!)

(落ち着け友よ! この程度で興奮してたら肝心なところを見逃すぞ。こんな時には上がった血を下げるべくXXをXXってXXれば良い。XXX過ぎてXXさせたら台無しだから程々になっ)

 かくしていかがわしい妄想のベクトルを下半身に集中させて鼻血を止めた京一と拳士郎は、決意も新たに力強く頷き合った。

(油断するなよ。チャンスは一度だ)

(判ってる…いざ、桃源郷ッ!)

 コソコソコソ…

((お、おおおおっ!!))

 最初に目に飛び込んできたのは大量の湯気であったが、その向こうには間違いなく、ライトアップされた紅葉をバックに露天風呂を楽しみつつ歓談する真神と彩雲学園の女子生徒たちが溢れていた。

(ま、まさしく桃源郷…おお! あれはっ…!)

(き、金髪美人――ッ!!)

 ゴク! と途中まで飲みかけた唾が喉に絡まる。湯気越しでもひときわ映える金髪の持ち主は、龍麻たちの担任、マリア・アルカードであった。

(ま、まさにいンたあナしょなる――! 彼女は最高よ…ッ!!)

(我が青春に栄光の二文字あり〜ッ!)

 オトナの金髪美人まで加わったこの世の桃源郷に見入ってしまった京一アンド拳士郎は、だがしかし! 【お肌に良い】という効能を信じて誰もが肩までしっかり漬かり、湯気と乳白色の湯が水面下の光景をギリギリで隠してしまっているという現実に気付き、涙を呑んだ。しかしここまで来て諦めるものかと、目的の人物を探すべく目を凝らす。すると意外なほどすぐ近くに、バシャバシャと湯を跳ねさせる二人の少女と、それを笑って見ている少女たちが湯気の中に浮かび上がった。

((おおっ! これは…ッ!))

 真っ先に目に飛び込んできたのは、飛んでくる飛沫をきゃあきゃあ笑いながらかわす葵と小蒔、唯の笑顔。いずれもタオル一つ持っておらず、しかも湯船の縁に腰掛けているだけ。そしてキャットファイトよろしく膝丈しかない湯船でくすぐりっこに興じる舞と弥生。湯気さえ何とかなってしまえば、正に目的達成、任務完了(笑)間違いなしという場面である。

 その瞬間、京一と拳士郎の意思はまさしく一点に集中した。

(吹けよ風! 呼べよ嵐!)

(吹けーッ! 力の限り吹けーッ! 根性見せてみろーッ!!)

 果たしてそれは、神の慈悲か悪魔の茶目っ気か。はたまた色魔の【方陣技】か。一陣の旋風が露天風呂を駆け抜け、見事に色づいた紅葉を繚乱と吹き散らした。夢の如く幻想的な光景。しかし色魔どもの視力はその瞬間、最新鋭のスパイ衛星にも匹敵した。湯気が吹き払われ、紅葉の舞い散る中、美少女達の美しく健康的なボディラインがその全貌を露にしたのである。

((いやっっっっっったあぁぁぁぁっっっっ!!))

 京一と拳士郎は胸中で魂から歓喜の雄叫びを上げ、ガッツポーズと共に絡み合う裸身に眼力集中! 武術の腕は勝ってもこのテの攻撃には弱いのか、舞はちょっぴりアブない【お姉さま】風の笑いを浮かべた弥生に組み敷かれて、ほっぺと首筋にキスの雨を降らされていた。それを笑って見ている葵たちも無防備状態で――

((我が生涯…一片の悔いな――し!))

 ――と、その時である。

「なるほど。暁殿と如月殿にはそのような趣味があるのか」

「「〜〜〜〜ッッ!!」」

 背後からの声にギシッと石化する京一と拳士郎。たった今まで存在を忘れ去られていた第三の男は二人の頭越しに風呂場の光景を観察しつつ、生真面目な顔でなにやらメモを取っていた。そして――

「思春期の少女が時に仲の良い同姓に対して性的興味を覚える事は決して珍しい事ではなく、むしろ女性同士の方が肉体構造を熟知している分、性的快楽を得やすい為にそのような性癖に目覚める事も少なくないと聞くが、葵も小蒔も特に相手を意識していないところを見ると、その関係は健全な友情の範疇に留まっているようだな。しかしながらこのような光景を目の当たりにしては思わぬ影響が出ぬとも限ら――おおっ!?」

((ひーちゃん! この馬鹿ッ!!))

 究極朴念仁龍麻が【本気】で【調査】を始めるのを、大慌てで止める京一と拳士郎。しかし――その時既に、舞と弥生がじゃれ合う声は途絶えていた。

「――ッヤバい!!」

 拳士郎は龍麻と京一を突き飛ばし、自らも横に跳んだ。次の瞬間――!

「曲者――ッ!!」

 ザンッッ!! と音がして窓のすぐ下、正に龍麻がいた地点に、コンクリートの壁を貫いて銀色の刀身が五〇センチもの長さで生えた。

 こんな事、誰が信じられる? 見た目おっとりタイプの少女が手裏剣打ちに投じた刀がコンクリートを貫いてしまったのである。――柳生新陰流【浮船】!

「な、何だァ!?」

「逃げるぞ! 京一! ひーちゃんッ!!」

 にわかに騒がしくなる女湯。雄々しく上がった気勢は彩雲学園の女性陣か? ――次の瞬間、唸りを上げて飛んで来たのは、桶やシャンプーやタオル――のような月並みなものではなく、棒手裏剣に十字手裏剣、チャクラムに鎖分銅、少林寺拳法で使用する鉄球などが窓を突き破り、壁と言わず床と言わず突き立った。拳士郎は半ば腰を抜かした京一と、なにが起こったのか判らずに突っ立っている龍麻の襟首を掴み、転がるようにしてボイラー室を飛び出す。そのゼロコンマ二秒後――! 

「【天覇青龍掌】ォ――ッッ!!」

 美声による気勢と共に、コンクリートの壁を破壊することなく通過した【気】の衝撃が瀑布のごとく広がり、とっさに地面に伏せた三人の頭上をくの字にひしゃげたスチール・ドアが吹っ飛んでいった。その威力たるや、龍麻の【螺旋掌】や醍醐の【破岩掌】にすら匹敵し、直撃を受ければ彼ら【神威】たちでさえただでは済まなかったろう。常人なら…たぶん即死だ。

「弥生の奴…マジ殺す気だ!」

 弥生の過激な性格を知っている拳士郎は、素早く二人の首根っこを掴み直して走り出し、ホテルの敷地と外とを隔てている三メートル余りのフェンスを【神威】に劣らぬ跳躍力で一気に飛び越えた。

 女湯での騒ぎがここまで聞こえては来るが、さすがにこちらに気付く者はいないだろう。拳士郎と京一は背中合わせにふうとため息を付き、ずるずると地面に崩れ落ちた。

「…何が調査だ。やはり貴様ら、不埒な事を考えておったな。なぜたかが婦女子の裸体を覗き見るなどという行為に命を賭けねばならんのだ? 危うく殺されるところだったぞ」

 ここまで付き合った龍麻も救いがたいアホだが、完璧にとばっちりを受けた彼はさすがに憤慨した。しかしこの二人の色魔といえば、窮地を脱した途端に目にしたばかりの光景が甦ったか、「デヘヘ…」とだらしなく、そして不気味に笑うのであった。

「なァ…拳士郎よォ…いいモン見たなァ…。弥生ちゃんってばマジ天使…もう膝付いて拝んじゃうぜ…」

「おお…。弥生の奴、ますます成長して、幼馴染としては嬉しい限り…」

「舞ちゃんって実はグラマーだったんだな…。ああ、弥生ちゃんの手になりてェ…」

「葵ちゃんだっけ…? あの子も実に見事な…お嬢様なところがぐっどだよ、ぐっど…」

「うむうむ。唯ちゃんも…ちっこいのに小蒔と違って出るトコ出てたな…。そうか…コンパクトグラマーって唯ちゃんみたいな子を言うんだな…」

「何を言うんだ京一…貧乳はステータスだ。希少価値だ。青い果実の誘惑だ…」

「そうか…そうだな…激しく同意だ…。拳士郎…俺はもう…一生瞬きしねェ!」

「解るぞ京一…! やはりお前は心の友だ!」

 再び「デヘヘ…」と不気味に笑う色魔が二人。

「…何が楽しいのか知らんが、俺はもう引き上げるぞ」

 京一がもう一人増えたみたいで頭が痛くなってきた龍麻は、なんだか自分が非常に情けなくなり、一人とぼとぼとホテルの中に戻っていった。









「うむう…」

 無事にホテル内に戻ったとは言え、さすがにすぐには不機嫌覚めやらず、龍麻は土産物屋やゲームコーナーのあるロビーのソファーで唸っていた。

「…だから言っただろう。京一の口車に乗るとロクな事にならないと」

「返す言葉もない。贈る言葉は海援隊――何が楽しいのか知らんが、真剣に命を落とすところだった」

「…ギャグも古い上に解りにくいな。まあ龍麻は騙されたも同然――と言うかもはや騙される方が救いようのない馬鹿としか言えんのだが、もう気にするな。それにしても、風呂場にまで刀を持ち込んでいるとは、本当に人は見かけによらぬものだな。…と言うか、彩雲学園ではそういうのこそ普通なのか…」

 醍醐にしても、あのおっとりお嬢様タイプの舞が風呂場にまで持ち込んでいた刀でコンクリートを貫いたり、弥生が自分にはまだできない、壁を透過させて【気】を放ったりするなど、俄かには信じられぬ事ばかりである。ひょっとすると【魔人学園】の名は彩雲学園の方が似合っているのかも知れないのでは? とか考える醍醐であった。

 それはさて置き、この男は…! 

 ちらりとやった視線の先には、全ての元凶である赤毛の男。いまだに「デヘヘ…」とか「ウハハ…」とか、不気味な笑いを浮かべつつ桃源郷をさ迷っている【戦友】の姿に、醍醐は頭を抱えたくなった。

 するとその時、醍醐の背筋をひやりとした気配が打った。

「――ッッ!?」

 京一の顔からも笑いが消える。見ればそこには、金髪で長髪の青年(同い年だが)が、旅館指定の浴衣を見事に着こなして歩いていた。その粋さ加減に、通りすがりの真神、彩雲両校の女子生徒は言うに及ばず、ホテルの仲居までがぽうっとなって彼を見送っている。

「奇遇だね」

「同じホテルだとは知らなかった。偶然とは恐ろしいものだ」

 どうやら今は、外見も含めて【普通】であるらしい。トンボ眼鏡抜きながら相変わらず表情は小春日和に溶けているし、別に敵対している訳でもないのだが、真神の一同の背には冷たい緊張が走った。この男、響豹馬は、改めて【気】を探ってみると、どこか魔物を思わせる【気】を放っている。龍麻にしてもはっきりと判らないのだが、どうもいくつもの異なる性質を持った【気】が入り混じっているようなのだ。しかしながら、そんなもの全てを抜きにしても、舞のノロケや弥生の猥談(笑)を聞いた直後の京一にとってはもはや宿命の【怨敵】である。

 しかし、そんな印象を天から地へと叩き落すようなものを、響豹馬は手にしていた。正確には、両手一杯に紙袋を下げた上で、手首に一際目立つブレスレットを填めていた。

「――む、まさかそれは!?」

 龍麻が表情を険しくする。

「これかい? ――良いだろ? 東映スパイ○ーマンのブレスレットだ」

 この返答に、京一と醍醐は顔のディティールをぐしゃぐしゃに壊した上、あんぐりと口を開けて固まった。

「ぬう…なぜ貴殿がそれを…! 都内の【まん○らげ】全店舗に通い詰めている自分ですら、現物を目にした事さえないというのに…!」

「ここの売店には古くからある近所の玩具屋さんも入っているそうでね、UFOキャッチャーもレア物の宝庫だったので総ざらいしてしまったが、その中でも別格の収穫物だ。兄さんですら現存を疑っていただけに、喜ばしい限りだな」

 見れば彼の持つ紙袋の中は、その筋のマニア垂涎の仮面○イダー・シリーズのソフトビニール人形やG・I・JOEの可動人形他、昔懐かしいオモチャ、人形の類が山ほど詰まっている。大人が真剣に子供に【夢】を与えていた時代の遺物だ。――京一の覗きなどに付き合わなければ…と後悔しても始まらない。だが――京一は後でシメる。絶対に。

「…それは自分が求めてやまない品なのだ…。どうか譲ってはもらえまいか?」

「――断る」

 ロビーの空気がピシリ! と緊張する。龍麻と豹馬の殺気がぶつかり合ったのだ。

 こいつら、本気か!? ほとんど涙目になりながら、しかし京一と醍醐は身動きも叶わずその光景を見ている事しかできない。

「…そうばっさりと交渉を打ち切るものではない。戦争になるぞ、響豹馬殿。当方は金に糸目を付けぬ所存だ」

 押し殺したような声でかなり物騒なことを言う龍麻。

「無意味な忠告と提案だな、緋勇龍麻君。人間とは、時にこのような物にさえ命を賭けるものだ。当然、その価値観は金ごときで容易に左右されん」

「むう…。正論だ…!」

 本当か!? 本当にかッ!? 京一と醍醐の心の叫びは、やはりこの二人には届かなかった。正に一触即発! まさかこの二人、こんな所で昼間の再現をするつもりか!? それも、いかにオタク垂涎のコレクターズ・アイテムとは言え、たかが子供向けキャラクター商品ごときの為に!?

「…ならば、仕方あるまい…!」

「…どうする気だ?」

 ぐんぐんと高まっていく殺気! しかし見ている者は指一本さえ動かせない! この時京一と醍醐には、龍麻の脳裏に明滅しているであろう選択肢が見えていた。



 検索中…答えの例



1:そう、かんけいないね

2:ころしてでも、うばいとる

3:ゆずってくれ たのむ!



 龍麻は学生服の前を開いた。そして手を掛けたものは――

「…無理を言って売ってもらった本日最高の収穫物だが…、これと交換ならばいかがか?! 傷物偽物にあらぬ仮面○イダーV3変身ベルト、ダブルハリケーン完動品! 祇園でただ一つ残っていた外箱付きの逸品だ!」

『付けていたんかい! ンなモン!!』

平和的交渉(?)ではあっても予想の斜め上を行った龍麻に京一と醍醐が顔面積を四倍拡大してツッコミを入れる間もあらばこそ、響豹馬は――

「そ、それは…ッ!? む…むう…交渉に応じよう」

 ――ガタガタガタッ! 

 交渉成立の証に固い握手を交わす二人を尻目に、ソファーをひっくり返しながらコケる京一と醍醐。

「――二人とも、何を楽しく転げまわっているのだ?」

「愉快な友人達だな」

 昼間の死闘はなんだったのか、東映スパイ○ーマンのブレスレットと仮面○イダーV3の変身ベルトを交換した彼らに、もはや殺気の片鱗すらなかった。

 この二人は【類友】だ。【同志】だ。龍麻といいアランといい、そしてこの響豹馬といい、元軍人にはオタクしかいないのかッ!? 【オタクは世界を救う】――かつて龍麻が言っていたことが真実であると、極限の脱力と共に実感する京一と醍醐であった。

「あーっもうっ! 何イモ虫みたいに転がってんのよッ! この男どもはッ!」

 そこにばたばたと足音を立てながらやって来たのは、まだ制服姿で額に汗を光らせているアン子であった。

「…なんだ遠野、そんなに息せき切って。今は風呂の時間だろう?」

(醍醐ッ! この馬鹿!)

 今この場で、風呂の話はタブーである。この場には風呂覗きの犯人が二人もいるのだ。龍麻は騙されたクチだが、一般常識的見地から言って許される筈もない。

「うう――むむむむむッ!? 怪しいわ。やっぱり怪しい」

 ギラリと眼鏡を光らせて見据えるは、床に転がる赤毛の男。

「なッ、何がッ!?」

「これまでの統計からすると、やっぱりアンタが一番臭いのよッ!」

「な、なに言ってんだ! 風呂ならちゃんと入ったぜ」

 場を取り繕おうとして、かえってドツボに填まる京一。しかし普段が普段だけに、馬鹿の延長に見えるというのがかえって有利に働いている。

「ついでに入らなくていい風呂にまで入ったんじゃないの? ンン〜〜〜ッッ?」

 眼鏡の奥からジト目の横目で見るアン子に、妙なブロックポーズを取る京一。本気でピンチなのだが、ここで何か言おうものなら龍麻も巻き添え必至なので、醍醐もフォローが入れられない。

「――そういう訳で俺はモグラ獣人が好きなんだ。――ところで龍麻、君の仲間が責められているようだが、彼女は何を騒いでいる?」

「うむ。彼こそ英雄だ。自分もモグラ獣人の最期には敬礼を送り、アマゾンの怒りと哀しみに共感したものだ。――気にするな、彼女はいつもああなのだ」

 交換したアイテムを手にコアなオタク談義に花を咲かせ、すっかり打ち解けた【同志】。と、その会話が聞こえたものか、アン子の顔が龍麻たちに向く。

「ちょっと龍麻! なによその言い草――って、こちら、彩雲学園の響豹馬君ッ!?」

「アン子、彼を知っているのか?」

「知ってるも何も…彩雲学園一の美男子じゃないのよォーッ! ちょっと龍麻! あたしにも紹介しなさいよ!」

「アン子…とりあえずその手を放せ…息が詰まるわ…ッ!」

 油断し切った龍麻の胸倉を掴むのを通り越して、つい龍麻仕込みの襟締めまでかますアン子の手。鬼道衆との最終決戦からこっち、【力】を持たずとも【仲間】意識が高まっているアン子であった。

「コホン…我が同士豹馬。こちらは我が真神の新聞部部長にして戦慄の守銭奴、無双の業突く張り、真神のJ・E・フーバーこと遠野杏子、通称アン子だ」

「ちょっと! なによその説明はァ!」

 しかし、豹馬はそのいい加減な紹介にも優雅な礼をした。

「――はじめまして。遠野杏子さん。噂はかねがね、うちの三谷から伺っている」

「ハルちゃんから!? え、えーと、こちらこそよろしくッ! 真神の遠野杏子、通称アン子ですッ! あ、あのッ、一枚撮らせて貰ってもいいですかッ?」

 確かに【女殺し】かも知れない。薄い笑み一つで、あのアン子の声を裏返らせた事に驚く真神の一同。どうやらアン子は豹馬のようなタイプが好みらしい。ちなみに【ハルちゃん】とは本名を三谷晴美。彩雲学園の新聞部部長で、やはり好奇心の塊かつ守銭奴。彩雲学園におけるアン子らしい。

 しかし、軽く頷いた豹馬に感激しつつ、アン子がカメラを彼に向けた時だった。



 ――カサカサカサカサッ!!



 異様な足音と共に何かの質量体がロビーに飛び込み、豹馬の前で急ブレーキをかけた。

「ひょ、豹馬! 足止め頼む!」

 風呂覗きの犯人、最後の一人、風見拳士郎であった。彼は両手を床に付いた低い姿勢〜【秘技・チャバネゴキブリの型】〜のままロビーを抜けて別館に逃げ込もうとしたのだが、その手前で京一に気付く。

(京一! 逃げるなら今の内だぞ! 弥生と舞ちゃん…その他女子軍団が来る!)

(な、なにィッ!?)

(俺は逃げる! 無事を祈る!)

(お、おい! 待てって――!)

 まさしくゴキブリのごとくロビーを走り抜けていく拳士郎。――およそ人間には不可能としか思えぬ動きとカサカサという足音に、さすがのアン子も呆気に取られる。

「なに…? あれ…?」

「あー、いたいた、ひーちゃん」

 丁度拳士郎と入れ替わりに、葵と小蒔がやって来る。

「うふふ。みんなお揃いね。――こ、こんばんは。響さん」

 さっと頬を紅潮させた葵と小蒔に、そんな反応も慣れているのか黙礼を返す豹馬。ただし彼が猥談のネタにされていた事を知っている龍麻にはかなり気まずい。

「葵、それに小蒔も。なぜこの風情ある浴衣に着替えておらんのだ?」

 この場の男性陣は、龍麻と京一を除き、ロビーにいる男子生徒も含めて全員が浴衣である。それに対して女性陣は、ロビーにいる女生徒も含めて皆、制服であった。

「そ、そう! それそれ! 浴衣着てる場合じゃなくなっちゃって…参っちゃったよ。まさかお風呂に覗きが出るなんてさァ」

 ギク! とする京一と、半共犯の龍麻、ついでに醍醐。無難な話を振るつもりが、かえって薮蛇となってしまった龍麻である。そこに、さらに間の悪いことに、彩雲学園の女傑トリオの内二人が姿を現した。

「あら、龍麻クンたちじゃない。みんなして集まって、何してるの?」

 一同はそれぞれ顔を見合わせ、最終的に視線の集まった龍麻が口を開いた。

「…つかぬ事を尋ねたいのだが、暁殿、それは一体なんであろうか?」

 葵たちと同様に制服姿ながら、彼女の腰にはガンベルトのようなものが巻かれ、特殊警棒が四本も下がっている。そして何やら、左腕にメカニカルな籠手のようなものまで…。

「ああ、これ? ん〜、ちょっと覗き犯を成敗にねッ」

 パチッとウインクする弥生。ロビーをうろついていた真神の男子生徒達が「モエエ…」と奇妙なため息を付いてポウッとなる。しかし龍麻の背筋には冷水の一滴が流れ落ちた。先程の、壁を透過する【気】の猛打を思い出したのだ。

「そ、そうか。それでは、如月殿も…?」

「はい。――今宵の清麿きよまろはちょっと血に飢えておりますの。おホホホホホ」

 言葉の内容と手に持つ本身の日本刀はともかく、ころころと笑う舞のなんという愛くるしさ。再び真神の男子生徒達が、【ダメな人】になってしまい、ロビーのあちこちでタコ踊りをする。しかし龍麻の中で今度はザーッと血の気が滝のように引いていく音がした。普段おとなしい少女がキレると何をしでかすか解らないのは葵や雛乃で実証済み(龍麻主観)だが、この少女も同じなのだろう。

「清麿…って、如月さん。覗きの犯人を見付けたらどうするつもりなんですか?」

 なぜそこで余計な事を聞く! と心の中で突っ込む京一。しかし葵の質問に、舞はにこにこと笑いながら答えた。

「それはもう、懇切丁寧になます斬りにして差し上げますわ。三人いましたから一人はいちょう切りかかつら剥きに。もう一人は…うふふ。縦横無尽に八つ裂きにして差し上げましょう。――でも八つ裂きって難しいですよね。首と手足を切り落として、胴を半分にしたとしても七つですし。それ以上はどこを斬ってもバランス悪いですよね?」

 あどけない顔をして、龍麻よりも凄まじい事を言う舞。これには真神の面々も唖然とするしかない。しかも壁越しであったにも関わらず覗き犯は三人だと、正確に見抜いているとは!? 

「舞…そういう事は嬉しそうに言っちゃ駄目だよ」

 目が点になっている龍麻たちを考慮して豹馬がフォローを入れるが、舞はつんと拗ねて見せ、再びロビーを徘徊中の男子生徒たちが腰砕けになる。彼らに舞の言葉が届いていないのは大いなる幸運だ。

「だって、お風呂を覗くような破廉恥漢なんて、そのくらいしないと気が済みません」

「それは手厳しいな。――俺と彼が犯人だが」

 ビシイッ! と空気が殺気に氷結する。舞と弥生の殺気であった。まさかこの状況下でそこまで大胆な嘘を吐くか、この響豹馬は!? しかも豹馬が指差したのは真犯人(笑)の一人、龍麻であった。

 だが、一瞬後、殺気が嘘のように晴れ渡った。

「あははははッ! ないない! その気になりゃおねだりモードの流し目一発でイソップ童話のお日様より確実に女を脱がせるパンサーと、スーパースペクタクルモーストデンジャラスアルティメットビンテージ朴念仁の龍麻クンじゃ、天地がひっくり返っても有り得ないわよ」

「もう…豹馬君たら、悪質な冗談は止めてください。思わず斬っちゃうところだったじゃないですか。――緋勇さんも、そう思われますよね?」

「う…うむう…」

 いきなり豹馬に犯人扱いされたのは驚いたが、それが事実である為に龍麻は返答に詰まる。しかしこの連中は龍麻の予想を上回っていた。

「何をおっしゃるウサギさん。君たち皆がお風呂に集合なんてまたとないチャンスを、この俺が見逃す筈ないじゃないか。なあ、龍麻?」

「い、いや、自分は…」

 珍しくどもる龍麻を悪戯っぽく見やり、弥生はしれっと言う。

「あら、そうだったの? なによぉ、パンサーなら覗きなんて遠慮してないで、一緒に入れば良かったじゃない。意外っちゃ意外だけど、興味あるなら龍麻クンも来る? 皆で歓迎してあげるわよん」

「ッッ!?」

 さすがに返答に詰まったばかりか、一歩下がった龍麻の肩を、すかさず掴む手があった。言うまでもなく豹馬である。

「一緒に入ったら皆を湯冷めさせちゃうから覗きだけにしたんだよ。勿論お詫びに誠心誠意、風呂場の三助でも夜伽でも勤めるよ。消灯まで時間あるし、今からどうかな? あ、彼は初心者だからお手柔らかにね」

「う〜ん、それはそれで楽しそうだけど、今はちょっとねえ」

「駄目かな? せっかく一つ屋根の下なのに男女別に部屋を分けるとか、俺には寂しいんだけど」

「キミの常識は世間の非常識だっつの。――とは言え、今夜はあたしがピンチだわ。キミはもう舞の寝相の悪さには慣れただろうけどね」

「ちょ、ちょっと弥生…!」

 どこまでも果てしなく聞き捨てならない言葉の連発に色めき立つ京一であったが、この二人の放言は止まらなかった。

「いや、絶賛連敗中だよ。夕べは早く寝たせいで二回戦でね。最初はアルゼンチン・バックブリーカーでベッドから放り出されたところにギロチンドロップが来て、そこから三角締めで落とされた。復活したらまだ夜中だったからベッドに戻してあげたら、途端にヘッドバットから縦四方固めをされて朝までそのままだったよ」

 かくん、と顎が落ちて固まる真神の一同であったが、この連中にはごく当たり前の事なのか、

「あらら。でもそのくらいなら逃げられるでしょ? ――はは〜ん。さてはわざと逃げなかったな」

「逃げられなかったと言って欲しいな。浴衣で三角締めに縦四方固めだからね。可愛いネコさんパンツを目の前にほっぺを太腿で挟まれてちょー気持ち良かったし、ポロリ直前の胸の谷間でパフパフ状態だったし、嬉し恥ずかし必殺技(笑)で天国のお花畑を見てきたよ」

「こらこら、爽やかな顔して全国の純情な乙女の夢と純情じゃない女子の妄想をぶち壊すなっつの、この不死身の若エロオヤジめが。――ははあ、徹夜明けだったんでショタモードだった訳ね。それなら今夜はあたしらの部屋に来る? 共闘すれば舞の寝技(笑)も返せるかもよ」

「それは嬉しいね。でもたった二人で勝てるかな?」

「唯ちゃんもいるからま〜なんとかなるでしょ。今度こそこのデンジャラスネボスケ娘を手篭めにして、あたしの子ネコちゃんにしてやるわよ」

「な・ん・の・話ですかッ!」

 葵や醍醐の頭から湯気が上がり、龍麻ですら目が点になるとんでもない台詞の応酬の後、ふと豹馬は顔を真っ赤にした舞にぎゅーっとばかりに頬をつねられながらロビーの裏手に視線を巡らせ、「ひっはいは(失敗か)」と呟いた。龍麻が彼の視線を追うと、そちらから元気が零れ出しそうな声が響いてきた。

「風見クン見――つけッ! 【四天王流してんのうりゅう竜神楼りゅうじんろう】――ッ!!」

「どわあ――ッッ!!」

 開かれっぱなしのドアから、拳士郎の巨体が吹っ飛んでくる。「なんのッ!」とばかりに受け身を取って立ち上がった拳士郎! しかしその瞬間、小柄な女の子がプロレスのウエスタン・ラリアットのような形で拳士郎の首を刈った。そして――

「【首切り投げ】ッ! アーンド…」

 グエッと呻きながら床に叩き付けられ、空中に跳ねる拳士郎。彼が空中にいる間に跳びついて組んだのは一文字唯であった。

「【四天王流・落葉らくよう】――ッ!」

 空中にある拳士郎の腕を【腕がらみ】で封じたまま、ロビーの床に頭から叩き落とす受身不能の投げ技【飯綱落とし】! 拳士郎はまともに、自身の体重+唯の体重×加速度で、頭から床に叩き付けられた。

「――これは訓練されたプロの技です。素人は絶対に再現してはいけません」

「――良い子のみんなは絶対に真似してはいけないよ。あとモニターを見る時は部屋を明るくして、離れて見ようね」

「誰に向かってナレーションしてるんだっつの」

 目の前の光景が凄まじ過ぎて、もはやボケる事しかできなかった龍麻であった。間髪入れず同調する豹馬と、律義に突っ込む弥生。

「ものスゲェいってェ――ッッッ!!」

 常人なら絶対にそんなもので済む筈ないのだが、拳士郎は涙目になりながら頭を押さえ、床を転げまわる。――が、信じられぬ事に、すぐに復活した。

「――な、なんのこれしきっ! チャバネゴキブリの――てえッッ!?」

 再び、凄く間抜けでありながら最高レベルの運足で逃げにかかる拳士郎。しかしその直前、彼の身体に網が襲い掛かり、彼を床に縫い付けた。

「な、なんだコリャッ!?」

「ひーちゃんの【スパイダーネット】ッ!?」

 暴れられたのも数秒の事。網に取り付けられた錘が網の弛みを巻き取り、拳士郎を袋売りのたまねぎ状態にしてしまう。さすがにこんな物を使用されては、拳士郎の心道流空手も超人的運足も通用しない。

 そんな物を射出して拳士郎を捕まえた弥生は、小蒔ににっと笑って見せた。

「小蒔ちゃんってば意外と古いの知ってるのね。でも時代は【プレデター】よ。――ふっふっふ。もう逃がさないわよ、ケンちゃん…!」

「唯ちゃん、お手柄ね」

 にっこりと、これ以上はない素敵な笑顔で拳士郎を包囲する弥生と舞。弥生の手の中で踊る特殊警棒…と思われていた物がパリパリと電光を放ち、舞が清麿の鯉口を切る。

「チャバネゴキブリ対プレデターでは、勝負は見えているな。――南無な〜む〜

 先の猥談と数々のエロオヤジ的発言に引き続き、世の女性諸氏が泣くであろう、美形にあるまじき振る舞い〜何でそんな物を持っているのか、剣玉のような携帯用の木魚とりんのセットを取り出し、チーンとやる豹馬。【足止め】に失敗しておきながら、見捨てるようだ。

「こ、コラ! 豹馬ッ! 愛する友人を見捨てるのかッ! おい! タカ!」

「…自業自得だよ、ケン」

 いつのまにか、浴衣姿まで子供っぽい小早川貴之が豹馬の傍らにいた。何か分厚い本を持っているかと思ったら、A・ビアーズの【悪魔の辞典】である。どうやら彼も、ただの優等生ではないらしい。

「何でこう毎回毎回同じ事を繰り返すかな。目的よりも手段が最優先というのも納得いかないし、結果が解り切っているのもどうもねえ。そもそもここの天狗は覗きで済むほどおとなしくないでしょ。って言うか、このタイミングで愛とか言ったら一部の人が喜んじゃうじゃないか」

「同性愛はいかんぞ。非生産的な。――女性同士の場合は目に麗しいから許す」

「やめんかっ。――美形に生まれたからには純情じゃない女子の妄想のおかずになるのは義務よ、義務っ」

「いや、その理屈はおかしいでしょ。まあお仕置きも妄想も程ほどにしてくださいね。――という訳で、どうぞ、お三方」

「ふっふっふ、ありがと、貴之君」

「…参ります」

「エヘッ、楽しみだなァ」

 一体この連中の神経はどうなっているのだろうか? どの顔もニコニコと笑っているのに、事情を知っている龍麻、京一、醍醐の背ではブリザードが荒れ狂っている。超規格外の【ザ・パンサー】の仲間は、男女を問わず規格外であるらしい。

「あ、あの…如月さん? まさか本当に八つ裂きに…?」

 だからなんで余計な事を聞くッ!? 京一は心の中で泣く泣く突っ込む。できれば聞きたくないが、ここで耳を押さえたりすれば共犯と発覚する可能性大だ。

「ノンノン。そんなもったいない事しないわよ。うっふっふ…。あたし達の裸を見たんだから、あたし達だってお披露目してもらわなくちゃね〜」

「そ、それってまさか…!」

「とーぜん、【解剖】♥」

 【解剖】…いわゆる外科手術の類ではない、修学旅行の必須(笑)イベントの一つである。しかしそれを、こんな女の子たちが!? 

「か、【解剖】って…暁さん…!」

「あ、小蒔ちゃんも美里さんも、えーと…遠野さんも一緒に来る? ケンちゃんのアレって凄いのよぉん」

「あ、アレって…何…?」

「勿論、アレよ、アレ♥。でも今日は舞がキレちゃってるから、今度ばかりはねじ切られちゃうかも♥」

 ザザザーッ! っと、龍麻たち三人の背後に血の気が引く書き文字と冷気が走った。

(ね、ね、ね、ねじ切るって、ナニを…!?)

 顔面蒼白になる京一。そこで舞がポンと手を打ち、とどめの言葉を発した。

「あ、なるほど。殿方でしたら八つ裂きもでき…ぎゃんッ!」

「全国の純朴な青少年の夢をぶち壊すなっつの、このカマトト娘が」

 清純無垢な外見にあるまじき事を口走りかけた舞に、これまた清楚可憐な美少女に対してあるまじき行い――容赦ないグーパンチをドタマにかまして床に沈める弥生。京一や醍醐などは固まるのみであったが、拳士郎の【仲間】である貴之は合掌などし、豹馬に至っては木魚を叩きながらお経まで唱えている。拳士郎の【男】の危機を、本気で見捨てるつもりらしい。

「――ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー…さらばだ友よ。お前なら立派なお嫁さんになれる」

「お達者で〜ッ」

「う、裏切り者ォ! ――いやだァーッ! 【解剖】はいやだァ――ッッ!」

 何とかネットから逃れようと足掻きながら、しかしそれは果たせず、哀れ拳士郎は弥生の連絡を受けて集まってきた彩雲学園の少女達――全員武装している――に祭の神輿よろしくわっしょいわっしょい担がれて連行されていってしまった。

「皆はどうする? ケンちゃんのってバット折りもできちゃうけど、亀甲縛りにして鞭でピシピシとかネコジャラシでコチョコチョとかすると可愛くて楽しいわよん♥」

「い、いいえ! その、あの、私はちょっと…」

「ぼ、ボクも遠慮します…」

 さすがにそこまで露骨な【お仕置き】に立ち会うなど、葵や小蒔には無理だろう。アン子でさえもプルプルと首を横に振った。

「そう? 楽しいんだけどなァ…ま、良いわ。それじゃ、またね」

「いたた…おやすみなさい」

「じゃーね!」

 口々に言い、彩雲学園の少女たちは去っていき、豹馬の手の中で輪がチーンと鳴った。これから【彼】がどんな目に遭うのか、恐ろしくて想像もできない龍麻たちである。

「俺…マジで真神で良かった…。たかが覗きであの騒ぎになるなんてなァ…。拳士郎…成仏しろよ…」

 そんなことを言いつつ、京一はほっとすると同時に、自分の事を口にしなかった拳士郎に感謝していた。偉大にして気高い【同志】に心の中で敬礼する。

「…何よ、あんた、やけにあの風見君に同情的じゃない。…やっぱりアンタ、共犯ね!」

「な、何言ってんだ! 犯人はあいつらだって…!」

「直感よ! 龍麻にそんな高級な回路が付いてるわきゃないし、豹馬様がそんな事する筈ないでしょ! となると残るはあの風見って子と類友のアンタのみ! サイテー! サイテー!! サイテー!!!」

 はっきり言って非の打ち所がない、ただの言いがかりである。ただしそれが真実である京一は迂闊に反論できず、そしてアン子は強欲な商売人であった。しかし小声で叫ぶという器用な脅し文句に圧倒されて押し切られる寸前の京一に、脇から助け船が入った。

「――ン子、アン子ってば」

「え? なに!?」

 小蒔の呼びかけに、アン子が振り返る。

「今の小早川クンの話、聞いてなかったの? ボクたちがおばあさんから聞いた通り、この山には本当に天狗が出るらしいよ」

 貴之の話の中に【天狗】という単語が出てきたので、自分たちの聞いた話と照らし合わせてみたのだ。すると、彩雲学園の一行が上がってきた道すがら、破壊された起重機などが転がっていたというのである。

「ふうん」

 思いがけず、アン子の反応は鈍かった。この手の話なら真っ先に乗ってきそうなのだが。

「珍しいな。遠野なら飛び付くかと思ったが」

「だって、ここは京都よ? 天狗伝説なんてそこら中に転がってるわよ」

「その通りです」

 それが癖なのか、貴之は眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

「伝説では、ここの天狗は女好きではあっても陽気な守護神的存在のようです。実際にレジャー開発に携わる人間が襲われたからと言って、それを天狗伝説と結びつけるのはナンセンスです。まあ、真実は天狗の面を被った人間による犯行でしょうね」

 一番常識的な意見を述べる貴之。どこをどう突ついても、これ以外の解答はなさそうだ。しかし、何とかこの場を逃げたい京一が口を挟んだ。

「け、けどよっ、その面ってのは、ちょいと気になるよなっ。少なくとも、面なんか被った奴にろくな知り合いはいねェからなっ」

 あ…! と声を上げる葵と小蒔。

「鬼道衆…か。その残党か、もしくはこの京都に新たなる敵が…やめよう。そこまで言ったら子供向け特撮ヒーロー番組か火曜サスペンス劇場のご都合シナリオだぞ」

「肯定だ」

 醍醐の言葉に頷く龍麻。自分たちの戦いは【一応】終わったのである。それなのにこの京都で、しかも修学旅行中に自分たちが動かねばならぬ理由は何一つない…筈だ。

「ねえ…でもやっぱり、天狗の正体を確かめに行こうよッ」

「お、おいおい本気かよ? 冗談じゃないぜ。今から山登りするつもりかよッ」

 案の定、と言うか、京一が反対する。そこまでするつもりはなかったのだ。

「我々が口出しする事ではないが、止めておけと勧める。土地勘もない夜の山道は危険だよ。たとえ隊長が元特殊部隊でもね」

「そうですよ。学校側がこの宿を選んだのは、夜に抜け出す生徒をなくす為でもあるんですよ」

 よその学校――ぶっちゃけた話、部外者であるが、龍麻と同じような人間の言う事である。見事なくらいの正論だ。しかし、今まで、そう言いつつも事件に首を突っ込んできた真神の面々である。

「だって…すごく気になるよッ。あのお婆ちゃんは天狗様の仕業じゃないって言ってたのに、実際に怪我人まで出てるっていうのは…。お婆ちゃんがかわいそうだよっ」

 大家族の一員である小蒔には、あの老婆が自分の祖母と被って見えるのだろう。そう言われると、一同もあの老婆を単なる通りすがりと割り切るのは難しい。

「…そう…だな。確かに、怪我人まで出てるというのは見過ごせないか…」

「私もそう思うわ…。宿を抜け出すなんて良くない事とは思うけど…」

 自然に、真神の面々の目は龍麻に向けられた。言うべき事は言った。後は、龍麻の判断一つである。

「…確かに、怪奇現象を騙っての犯罪であれば、我々の出番かも知れんな」

 と、龍麻。貴之が目を丸くし、豹馬は僅かに秀麗な眉をひそめる。

「…本気で言っているのか?」

「真実は九九・九パーセント土地問題であろうが、真に怪奇現象である可能性はゼロではなく、怪我人もいつ死人に変わるかも知れん。それを知ってしまった以上、【何か】やれない事はないかと考える事こそ【人間】の証だと認識している。――そんな理屈以前に、幼少の頃に天狗と出会ったという、あの御老婆殿の思い出を傷付けさせたくない」

 その時龍麻は、豹馬が口元に微笑を刻むのを見た。

 自分でもたまに【それ】が出る事を、龍麻自身は意識していない。それ故、他人がこのような笑みを浮かべるのを初めて見た。自分の言葉が地上最強の竜騎士ドラグナー【ザ・パンサー】に笑みを浮かばせたのだと、龍麻は不思議な感動を味わった。

「好奇心は猫を殺すとも言うが、まあ良いだろう。就寝点呼まではこちらでごまかしておくから、好きにすると良い。早く戻れたらカラオケにでも行こう」

「了解した。――【真神愚連隊ラフネックス】、準備でき次第、出撃する」

 まさか、修学旅行先でこの言葉を聞く事になろうとは!? しかし、この言葉にどれほどの力が込められている事か。覗きがバレかけ、加えて夜の山歩きという事に辟易していた京一までがきりっと背筋を正した。

「まあ、アンタたちの事だから大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」

 そう言うアン子に見送られ、龍麻たちがこっそりと【出撃】していくのを見て、貴之が豹馬にだけ聞こえる声で言った。

「ふうん。元レッドキャップス・ナンバー9…噂通りの好人物だね。――でもどうする? この山には【あれ】がいるんだよね」

「放っておく訳にもいかんな。少し早いが、弥生たちのお楽しみは中止させて俺たちも狩りハントに行くか」

 そう言って、豹馬たちもアン子に別れを告げ、自分たちの部屋に戻っていった。



 







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