第壱拾四話  京洛奇譚 2





「おっはよーッ、ひーちゃん」

 関東圏におけるあらゆる旅の出発点とも、終着点とも言える東京駅。新たな旅立ちに向かわんとする若者たちが集うホームの一角に、元気の良い挨拶が響き渡った。

「Good  morning。体調は万全なようだな、小蒔」

 両手を後に組み、胸を張って立っているコート姿の怪しい男…緋勇龍麻は朝っぱらからテンションの高い桜井小蒔に偉そうに肯いた。

「ひーちゃん…やっぱりそれ着て行くの? こんな絶好の修学旅行日和なのに」

「うむ。しかしながら京都は四方を山に囲まれた盆地だ。寒暖の差がかなり激しいとも聞いている。用心に越した事はない」

「う〜ん…そういうものかなァ?」

 確かに学校側からは冬服着用でとお達しが出ているが、何もコートまで着なくても…と思う小蒔であった。

「うふふ、龍麻の服装が変なのは今に始まった事じゃないでしょ」

 直立不動の姿勢がへなへなと崩れる龍麻。やって来たのは真神の菩薩様、美里葵である。

「葵…何か怒っているのか?」

「うふふ、まさか。でも、もしそうだとしたらこれを受け取る勇気があるかしら?」

 そう言って葵が差し出したのは、ずしりと重たい紙包みであった。そしてそこから、何やらいい匂いが漂っている。

「ちょっと早起きして作ったの。爆発はしないから、良かったら後で食べて」

「弁当か。これはありがたい」

 昨日の恐怖はどこへやら。素直に礼を言って弁当の包みをアリスパックに詰め込む龍麻。どうでもいいが、三泊四日の修学旅行にしてはどえらい大荷物である。丁度そこに現れた醍醐も、龍麻の大荷物を見るなりそれを指摘する。

「見たところ体調は万全のようだし、楽しみにしているのも解るんだが…なんだ、その大荷物は?」

「む? この程度は標準装備ではないか。着替えに水筒、現地地図、筆記用具、パンフレット、雨具、応急キット、デジタルカメラ…」

 所持品を確認しつつ指折り数える龍麻。しかし、そこからが本領発揮だった。

「衛星通信機、ナイフ、九ミリ軍用弾、三五七マグナム、ショットシェル三種類、対人手榴弾、フラッシュグレネード、ワイヤーアンカー、簡易テント、Cレーション一週間分…」

「ちょっと待て」

 何やら不穏当な単語がずらずら並び始めたところで醍醐が口を挟む。

「龍麻、真剣に聞きたいんだが、お前は一体ドコに行くつもりだ?」

「む? 京都に決まっておろう。ガス弾三種類、照明弾、クレイモア対人地雷に、赤外線警報装置と、概ねベターな装備だ」

「もうちょっと待て。お前は、京都がどういう所か知っているのか?」

「もちろん知っているとも」

 胸を張って言う龍麻。

「おじゃるごじゃるにおいでやすという雅なる京都弁を吟じつつ十二単のゲイシャガールが街を闊歩し、揃いのハッピに身を固めた超右派集団新選組が思想ゲリラと血で血を洗う抗争を繰り広げ、陰陽師という魔術師達が日夜魔術実験を行い、夜な夜な百鬼夜行なる魑魅魍魎が往来を徘徊するという事だな。だが案ずるな。高速機動を得意とする【朧車おぼろぐるま】にはこのオートマチックショットガンSPAS12で対処し、現時点で考え得る最大級の妖魔【がしゃどくろ】に対してはこのM七二グレネーダーで…おおッ!?」

 延々と馬鹿丸出しの説明を行う龍麻の後頭部を、葵と小蒔の拳骨が盛大につついた。

「もうッ! ひーちゃんってば、どこのいつの話をしてるんだよッ!」

「ち、違うのか? しかし京一はそう言っていたが…」

(あの男の入れ知恵か…!)

 醍醐、葵、小蒔は三人揃って盛大にため息を付く。

 確かに腕は達つ。龍麻が戦闘時に背中を預けるほどに。しかし【それ】以外では、【アホ】の一言しか浮かばない男だ。そして時に常識的一般教養に疎い龍麻に妙な事を吹き込むのも、あの男だ。

「龍麻…京一の言う事を鵜呑みにするな…」

「あのアホの言う事を真に受けていたら、本当に馬鹿になっちゃうよ…」

「うふふ、名コンビね、龍麻」

 やはり、最後の葵の言葉が妙に寒い。龍麻は無意識の内に一歩下がっていた。

「ところで、そのアホがまだ来ないね」

「うむ…そろそろ列車に乗る時間だが…」

 ホームの時計を確認すると、既に集合時間を過ぎている。マリアが三ーCの生徒たちの間を忙しく立ち回って整列を呼びかけ、各班の班長たちを中心に集合が始まっている。しかし、龍麻の班は待てど暮らせど赤毛の木刀男が現れない。

「あらら、うるさい奴がいないと思ったら、あの馬鹿はまだ来てない訳?」

 メガネをきらっと光らせて、「これはまずいわね」と呟くアン子。

「アン子、まずいって、どういうコト?」

「ズバリ、置いてけぼりになるってことよ」

 その言葉を受け、どこからか出現させたセンスをピシリと鳴らす龍麻。

「…与の助が魚で一杯のびくを持って帰ろうとすると、後ろの暗〜い堀の中から不気味な声が、陰にこもって物凄く。――お〜い〜て〜け〜ッッ!

「た、龍麻ッ! 悪質な冗談はやめろ!」

 こんな朝っぱらから超有名な怪談にそこまで血相を変えることもなかろうが、醍醐は必死の形相で耳を押さえた。

「ふふふ。喜べ醍醐。修学旅行における必須イベントは把握済みだ。就寝前には血も凍る講壇を演じてやろう」

「……ッッ!!」

 それはある意味、醍醐にとって死刑宣言にも等しい。九角に【見せかけだ】と言われた事への反発か、龍麻はますます芸道にのめり込んでいたのだ。しかも敬愛する立川談志師匠の講演会に通い詰めた成果か、これが妙にレベルアップして、昼休みの教室で独演会をやる始末である。そんな龍麻に怪談などやられた日は…。

 それは脇にほっぽりだしておいて、小蒔たちの話は進む。

「具体的には〜学校で一人自習するってこと〜。うふふふふふふ〜誰もいない教室で一人で自習っていうのも〜なかなかいいかも〜。ワタシ〜の契約者デーモンたちと〜仲良くなれるかも〜」

 その時アナウンスが入り、いよいよ一同が乗り込む新幹線がホームに滑り込んできた。

「こ、これは由々しき事態ね。ねえ龍麻、ここは友達代表として残ってあげるってのはどう?」

 心配しているようだが、実はかなり無責任なことを言うアン子。しかし、龍麻の返事はそれに輪をかけていた。

「うむ。それが最善策だな」

 エエッ!? とカタカナで絶句する一同。

「た、龍麻ってば親友の鑑ね。あたし、感動しちゃったわ…」

「龍麻…。お前がそこまで付き合う必要はないぞ…」

 そこにマリアがやってきて、アン子と裏密に犬神が捜していると告げる。

「やっばーッ、ごめんね、あたしたちももう行かないとッ。行こ、ミサちゃん!」

「じゃ〜ね〜」

 かくして二人が消える。待ち人は、まだ来ない。

「さて…残り一人だけど…」

 いささか神妙な顔のマリアに、互いに顔を見合わせるしかない龍麻たち。しかし――

「…来たな」

 龍麻の宣言と同時に、階段の下の方からアホの叫びが聞こえてくる。

「おーいッ! 待ってくれェ! 俺を置いていくなァー!!」

 しかし無情にも鳴り響く発車ベル。

「大変! あなたたちは早く電車に乗って!」

 マリアに急かされ、新幹線に乗り込む一同。京一の叫びが近くなり、これなら間に合うか!? と誰もが思った次の瞬間、一同の目は、マリアの目に至るまで点になった。確かに京一はホームに飛び出してきたのだが、線路を挟んで一本向こうのホームだったのである。

「きょッ、京一ィ! このアホ―ッ!!」

「ああ…もう駄目だわ…!」

 脱力し、よよと泣き伏すマリア。京一は階段を駆け下り、こちらのホームに駆け上がってきたのだが、当然、間に合う筈もない。彼の目の前で、新幹線が動き出す。

「ああ…。京一ったら本当にアホなんだから…って、エ!? ええええエエエエッッ!!?」

 そこにとんでもないものを見付け、列車中に響くほどの驚愕の叫びを上げる小蒔。

「小蒔、叫んでないで笑え」

 のんびりとカメラなぞ構えて言ったのは、我らが真神の少尉殿。しかし、彼がいるのは窓の向こう側、駅のホームだったのだ。

「ひ、ひ、ひ、ひーちゃんッ!!」

「な! ぬわぬいいいいィッッ!!」

 小蒔につられて驚愕語を張り上げる醍醐。葵は、頭の中がシャットダウンして菩薩の笑みを浮かべたまま石化した。

 そして、様々な困惑を乗せて走り出す新幹線。ホームに取り残される、アホが二人。

「ひーちゃん! 何やってんだよッ!?」

「何を言うか京一。我が真神愚連隊が修学旅行に向かう記念すべき新幹線を、指揮官たる俺が写真に納めんで誰が写真を撮ると言うのだ」

 龍麻、拳を固めて力説。

「さあ、ぐずぐずしている場合ではない。行くぞ京一!」

「グエッ!」

 たった今息せき切って走ってきたばかりだというのに、襟首を掴まれて引きずられていく京一であった。

 一方、新幹線の車内では右へ左への大騒ぎであった。

 一度は新幹線に乗った龍麻が自ら降りて写真を撮っていたというとんでもない行為に、やっと醍醐たちがあたふたと行動を開始できたのは約五分後の事であった。

「エエッ!? それじゃ龍麻、本当に残っちゃったの!?」

「…稀に見る人の良さだな。単なる馬鹿かも知れんが」

 何気に酷いコメントは犬神のものである。

「と、とにかく学校に連絡しますわ。あの子達のコトだから、絶対自力で何とかしようとするに決まっていますし…」

 さすが担任、龍麻と京一の性格も判っていらっしゃる。しかし、マリアが葵たちをぞろぞろと引き連れて車内電話を取った時の事である。新幹線【ひかり】は第一の停車駅、新横浜に滑り込んだ。そこでドアが開き――

「――うむ。計画通りだ」

 そこにいる筈のない男の声を聞き、マリアと犬神まで含め、全員が盛大にコケた。

「なっ、なっ、なっ…!」

 そこにいたのは紛れもない緋勇龍麻。そして、赤毛を豪快にオールバックにした京一を引きずっている。まず醍醐が彼を指差して何か言おうとしたのだが、驚きの余り声にならない。

 龍麻、応えて曰く。

「【なんでお前がここにいるんだ?】」

「どっ、どっ、どっ…!」

 続いて小蒔。

「【どうやって追い付いたのさ、ひーちゃん】」

「わ、わ、わ…!」

 最後に葵。

「【判っているならさっさと説明せんかい。このボケたわけ】――と、なにやら酷い言い様だな、葵」

「「「アホか――ッッ!!」」」

 自分たちの言いたいことをことごとく言い当てた龍麻に怒声の雷を飛ばす三人。しかし龍麻は平然と胸を張って言った。

「何をそんなに騒いでいるのだ。この京一が時間に間に合うように来る筈はないと、事前にバイクを用意していただけだぞ。指揮官とは常に先を予見して行動するものだ」

「そ、そうか。そういう事か。そういう事なら判らなくもないが…」

 言い知れぬ脱力感に打ちひしがれながら、近くの座席にすがる一同。

「そ、それならそれで、なんで京一は寝てるのさ。おまけに変な髪型。一昔前のパンク小僧みたい」

「――気絶してんだよッ!!」

 小蒔の暴言に根性で復活する京一。

「龍麻の後ろに乗ってみろ! 誰だって気絶するぞ! この馬鹿、一般道を時速二四〇キロで飛ばしやがって!」

「にひゃく…よんじゅっきろ…?」

 東京駅から新横浜までは約四〇キロ。新幹線ならば約十五分であるが、一般道で車が追い付ける道理はない。しかし龍麻の改造バイクなら…。

「うむ。実は今日、某警視庁幹部より交通機動隊の新型白バイ試験に協力して欲しいとの打診を受けていたのでな。このコース設定を条件に依頼を受けたのだ。それにしても今回試験運用した交通管制プログラムのインターラプト・システムは実に秀逸な出来であり、新規設立された高速機動警察隊の面々も優秀な隊員が揃っているものだ。今後警視庁は首都圏における迅速な移動が約束され、事件への即応力が高まるであろうと、某警視も満足しておられた。――おかげで弁当を買い込む時間もあったぞ。横浜名物、崎○軒のシューマイ弁当だ」

 「タ・ツ・マ・クンッッ!!!」

「おおおッッ!!?」

 いかにも龍麻らしいボケと非常識の掛け合い漫才は、怒り心頭に達して角を生やしたマリアの怒声によって中断された。

 京都に着くまで約二時間。龍麻と京一がたっぷりとお説教を喰らったのは言うまでもない。









「それではここからは、班別の自由行動とします。――いいですね? 各自が真神の生徒として相応しい、【責任】をもって行動して下さい」

「具体的には――他人に迷惑をかけない、事故を起こさない、みっともない真似をしない、文化財を傷付けない、他校とトラブルを起こさない、土産物屋で値切らない、ナンパしない、されない、いかがわしい店に出入りしない、不必要に目立たない、所構わず変身しない、無闇に悪と闘わない、安易に世界を救わない――以上だ」

 有名な八坂神社の駐車場で、行儀良くとは言い難くも整列した生徒達に、お約束プラスアルファの注意をする教師達。特にマリアと犬神の声にはちくちく痛い刺が含まれている。マリアが【責任】を強調したり、犬神の注意事項が無闇に多い上に一般人向けでないものが多々混じったのは、やはり強烈無比な非常識男の存在あっての事だ。つまり、刺と言うよりは釘なのだ。

「各班とも夕食の時間までには宿に到着するように。では――解散」

 マリアの言葉を最後に、他のクラスと同様、三−Cの面々が動き出す。当然、三−C第七班、通称【真神愚連隊ラフネックス】(既に定着)も、現指揮官である美里葵班長の下に集結し、今後の行動計画を再確認する。

Attentionn注目。――本日のミッションは京都市内の観光地を散策、鑑賞し、一七〇〇時までに最終目的地であるホテル【天狗屋】に到達する事です。現在、最終目的地までには二本のルートが計画されています。Aコースは鹿苑寺をメインに、有名な金閣寺がルートに含まれます。Bコースはメインが仁和寺、こちらは五重塔が有名です。いずれのコースも最終目的地到達まで五時間を見込んでいます」

「…葵、なんだか喋り方がひーちゃんみたい」

「うふふ。この方が私達らしいでしょ? ところで、みんなはどちらがいいかしら?」

 京都に観光名所は数あれど――というより、京都そのものが巨大な観光地である。理想を言えばその全てを廻りたいところだが、修学旅行レベルの日程ではまず不可能である。

「ボクはお寺の事は良く判らないから、どっちでもいいなあ…」

「俺も同じ」

「うむ…金閣寺なら、中学の時に見た事はあるが…」

 京一、醍醐、小蒔は、要するにどっちも似たようなものだと思っているようだ。そこで葵は、国内旅行は初めてだという龍麻に選択を任せた。

「Bコース、仁和寺だな」

 龍麻の出した選択に、小蒔が「ヘエ…」と声を上げる。

「ひーちゃんって、渋いのが好みなんだねー。ボクはてっきり金閣寺の方を選ぶかと思ってた」

「私も…。京都と言えば真っ先に出るのが金閣寺ですものね」

「そういうものなのか?」

 龍麻が首を傾げると、【真神愚連隊】と関係が深い人物がやって来てその疑問に応えた。

「京都の修学旅行といえば、金閣寺は定番よ。そんな訳だから、あたしも金閣寺に取材に行くの。でもあたし、金閣寺ってどうも好きになれないのよ。キラキラ派手過ぎてねえ」

 アン子の言葉に、小蒔が大きく頷く。

「うん…ボクもそんな気がする。なんだか見栄っ張りしてるみたいでさあ」

「権力者ってのはいつだってそうだろうが。派手好きで見栄っ張り。ごてごて飾り立てて、中身がないのを誤魔化すんだろ。今時のオネエチャンと一緒だぜ」

 と、京一までがそんな事を言い出し、醍醐が呆れると、龍麻が口を挟んだ。

「金閣寺が派手だという感想も理解できるが、現代人の感覚と見た目のみの印象でそれを作った者達の心意気まで否定してはいかん。――オリジナルの金閣寺は戦後間もない一九五〇年に放火されて焼失してしまい、現在の金閣寺はその後再建されたものだが、当事の住職…寺の最高権力者自ら、再建資金を集めるために托鉢して廻ったという。そして多くの職人が金閣寺再建に向けて立ち上がり、その技術の限りを尽くしたと聞くぞ」

 いつもなら壮絶な体験談が入るようなタイミングだが、珍しく軍事関係ですらない龍麻の話に思わず聞き入ってしまう一同であった。

「ところがこの再建にも多くの問題があった。人々の努力によって金閣寺は甦ったが、オリジナルの金閣寺は【失われた技術ロスト・テクノロジー】によって作られていたのだ。創建当時の古材には金箔の痕跡が認められたというのに、現代の技術では僅か十年で金箔が無残にも剥がれ落ち、材木にはシロアリが巣食ってしまった」

「ヘエ…」

「オリジナルの金閣寺を作り、自らが治めた世の栄華を後世に伝えようとした時の最高権力者の想いと、当時の職人達の情熱と技術力の高さがそこからも窺える。更に五百年もの長きに渡り、修繕と改修を重ねて維持し続けてきた人々の想いも。金閣寺とは決して、単なる権力者の見栄や虚栄心だけで造り上げられてはいないのだ。――そこで現代の職人達は血の滲むような研究と試行錯誤を繰り返し、遂に一九八六年に現在再現しうる限りの技術と努力で完全なる再建を目指す【昭和大修復】を実施した。国産の最高品質の漆を何重にも塗り重ね、通常よりも厚い金箔を数十万枚も貼り重ねたのだ。それとて口で言えば簡単だが、例えば天井に金箔を貼る際には、金閣寺を再現しうるだけの技術者が三人しかおらず、はしごに昇り、上を見上げたままという不安定な姿勢で、実に二万五千枚に及ぶ金箔を僅か一日で貼り終えるという極めて困難な作業をやり遂げたのだ」

「エッ!? なんで一日で…?」

「うむ。金箔を貼るには湿度が重要らしい。湿度の異なる日に貼った金箔はどうしても仕上がりにムラが生じ、そこからほころびが始まってしまうそうだ。そのため六月の最中に全ての窓を閉め切り、汗を垂らさぬ為に全身に、勿論顔に至るまで布を巻きつけて作業したとの事だ。体感温度は実に四〇度以上。不安定な姿勢に、集中力を要求される繊細な作業。二万五千枚の金箔を僅か三人で、たった一日で貼らねばならぬのだ。――その苦労と困難、それに挑む職人の気迫と集中力…俺ごときには到底想像できん。無論、釘を使わぬ建築工法にも宮大工の技術の粋が尽くされている。そして良き材料を揃えた者、それを調達する為の資金を提供した人々、職人達が心置きなく作業に集中できるように環境を整えた人々――金閣寺とは言わば、日本人の心意気と職人魂の結晶の一つなのだ。派手という言葉一つで切り捨ててはいかん」

 相変わらず、雑学の豊富な男である――と言うか、これも作戦地域の情報を綿密に収集する特殊部隊上がり故か。毎度の事ながら、龍麻は一体そんな知識をどこで吸収するのだろう? 

「それじゃ…どうして仁和寺?」

「うむ。金閣寺の資料は思ったより多く閲覧できたのでな。実物を見て職人魂を肌で感じるのは、いずれ個人旅行で時間的余裕がある時にしたいと思うのだ」

(ヘエ…)

 思わず、胸の内で唸る四人プラス一人。【あの】龍麻が未来の展望を述べるとは、これは実に良い傾向だ。

「仁和寺とて重要な文化財だが、こちらはユネスコの世界遺産にも指定されていると聞く。そしてそこには一風変わった桜の林があるそうだ。春に来るチャンスがあるやも知れんし、まずはこちらの秋の装いを見ておきたいと思うのだ。それにだな…」

 なにやら意味ありげに京一と小蒔を見やる龍麻。

「どちらのコースもここから祇園を抜けていく訳だが、Bコースのルート設定ならば、かの文豪志賀直哉も贔屓にしたというすっぽん料理の老舗に立ち寄れるぞ」

「わおッ! ひーちゃんってば目の付け所が違う! それじゃ、レッツゴ―!」

 と、いう訳で、かの【真神愚連隊】は最後に行動を開始した。









 龍麻が祇園で語るも恥ずかしいちょっとした騒ぎを起こしたものの、電車と路線バスで時間を稼ぐ事十数分。一向は重厚感溢れる仁王門をくぐり、広々とした仁和寺の境内に足を踏み入れた。

「ヘエ、これが噂の桜か。でもよォ、ちょっと低くねェか?」

「うふふ、京一君。ここの桜は土壌の関係から、樹高が二、三メートルほどにしか成長しないそうなの。そこでここの桜は特に【御室おむろの桜】と呼ぶらしいわ。別名【お多福桜】」

「へええ、お多福って、これだよね」

 ぷうっと頬を膨らませて見せる小蒔、葵が笑う。

「そうね。古い言い回しに【わたしゃお多福、御室の桜。鼻低くても、人が好く】とあって、この辺りの人が誰かを【御室の桜】と表現すると、その人は【鼻が低い】という事になるの。――こういう表現は、龍麻なら詳しいかしら?」

 敢えてそんな話を振るか、葵菩薩。落語好きな少尉殿は、しかし――

「うむ…。新井白石が江戸時代の人体医学書【ターヘルアナトミア】を翻訳して、後に【解体新書】を完成させる際、オランダ語の中に【フルヘッヘンド】という単語があり、これがどうやら鼻を指すようなのだが意味が良く判らない。そこで辞書を引いてみると【うずたかい】という意味である事が判明し、なるほど、人の顔の中で鼻は堆くなっているからと…」

「――俺は中央公園の桜が一番だと思うぜ」

 またしても一般的でない上に見事に的外れな雑学を披露する龍麻。京一はそんな彼の話の腰を見事に叩き折った。そうなれば当然一悶着あるかに思われたのだが、今日はそこにフォローが入る。

「そういうのを井の中の蛙、とも言うが…まあ、自分の故郷に誇れるものがあるというのは良い事だな」

 形としては割り込んできたようなものだが、龍麻はきりっと敬礼した。

「見回りご苦労様であります」

 現れたのは真神の生物教師、犬神である。落ち着いて考えてみると、この教師はなぜ、修学旅行にまで白衣を着用してくるのだろうか? これは龍麻のコートに匹敵するくらい目立つ。できれば…知り合いと思われたくない。

「ああ。これから竜安寺と鹿苑寺――金閣寺を廻る。…お前らもこれ以上下らん騒動を起こして手間を増やしてくれるなよ」

「…なんで俺を見て言うんだよ。大体、くだらねェ騒ぎってのは何なんだよ」

「他校の修学旅行生が大勢いる。喧嘩、ナンパ、その他、色々だ」

 複数形で言ってはいるが、要するに京一に釘を刺しているのだ。結構図星だったりするので京一も言い返せない。

「大丈夫だよ、センセー。もう事件は全部終わったんだし…って、やばッ!」

 うっかり口を滑らせてしまい、慌てて口を塞ぐ小蒔。しかし、覆水盆に返らず。犬神はしっかりそれを聞いてしまっている。

 しかし犬神はそれを追求しようとせず、龍麻に向き直った。

「全て終わった…か。緋勇、お前もそう思うか?」

「なにをおっしゃるウサギさん」

 龍麻はペシ、と祇園で購入したばかりの扇子で自分の額を叩いた。

「この京都には現代に続く怪異が詰まっています。一条戻橋、祇園精舎、そして清水の舞台からのバンジージャンプ…これらに挑まずして、何の修学旅行でありましょうか。挑戦し、勝利を納める事が我々学生の使命であります」

 訳の判らん事を力説する龍麻に、犬神は――

「…【勝って来るぞと板橋区】――」

「【清く正しく葛飾区】――はッ!?」

 一同、唖然とする。【あの】犬神が【あの】龍麻をノセた!? 

「ふん、慎重だな。…いい心がけだ。まあ、お前達も、修学旅行中くらいはおとなしくしていろ」

 撃沈した龍麻と、目を白黒させる葵たちを残し、犬神は白衣を翻しつつ去っていった。

「犬神先生…どうしてあんな事を…」

「うむ…。やはり先生は何か知っているのだろうか? なあ、龍麻」

 やや難しい顔を龍麻に向けた醍醐であったが、彼は事もあろうに犬神にノセられた事がよほどショックだったのか、敷き詰められた砂利に【の】の字を書いている。

「エエイ! こんな所で沈むんじゃねェ! 厄払いにお参り行くぞ! お参り!」

 そう言って京一が龍麻の襟首を掴んで引きずって行ったので、慌てて後を追った葵たちは、今の意味ありげな犬神の言葉を忘れた。それを、龍麻が誤魔化そうとした事も。

 数分後、【真神愚連隊】は金堂前の賽銭箱の前に整列した。

「さて、ひーちゃんはいくらお賽銭を入れるつもりなんだ?」

「…本当にいるかどうかもわからぬ存在に金を払うというのは…むぐぐ!」

 不穏当な発言をする龍麻を実力で黙らせる醍醐。

「…こういうのは日本人としてごく普通の習慣なんだ。解ったか、龍麻?」

「う…うむ…」

 思い切りドスの効いた声で言われ、取り敢えず頷く龍麻。脅しに屈した訳ではないが、さりとてしつこく反発する価値がある訳でもない。学生にあるまじき蛇革の財布を振ると、果たして転がり出てきた小銭は僅かに五〇円玉が一枚。しかし京一は、

「おっ、ご縁がたくさんありますようにってか?」

「…そういうものなのか?」

「そんなもんさ。――俺は五円で充分」

「…せこくないか?」

 すると葵が話に加わる。

「うふふ。龍麻、お賽銭には四(死)を越える五円と、九(苦)を越える十円が基本だという説もあるのよ」

「そうか。仏とは寛大なのだな。地獄の沙汰も金次第というのに、その程度の賄賂でも良いという…おおッ!?」

 とっさに伏せた頭のすぐ上を駆け抜ける木刀の唸り声。かなり本気の【八双斬り】である。

「いきなり何をする?」

「いいからさっさとお賽銭を入れろ! お前と話していると頭がおかしくなる!」

 そんな事を京一に言われるのはいかにも不本意であったが、龍麻の非常識っぷりに【ガルルルルルルッ!】と唸る京一に、おとなしく賽銭を投げ入れる龍麻であった。しかし――



 チャリリリリ――――ンッ! 



「……」

 なぜか賽銭箱の蓋に弾かれ、龍麻の足元に落ちる五〇円玉。

「…これは、どう解釈すればよいのだ?」

「…ホトケ様が突っ返してきたみたいに見えるね」

「桜井…!」

「龍麻…とりあえずもう一度投げなさい」

 妙に冷たい葵の言葉に従い、再び五〇円玉を投じる龍麻。



 キン! カン! チャリリリリ―――ンッ! 



「…なぜこうなる?」

「やはり、不信心者の賽銭は受け取れんのかな」

 再々トライする龍麻。



 カイン! キン! チャリリリリ―――ンッ! 



「龍麻…わざとやってない?」

「むう…!」

 いきなりコンバット・パイソンを賽銭箱に向ける龍麻。一瞬も躊躇わずに引き金を引こうとして――ガン! と今度は彼の後頭部が鳴った。

「アホかお前は! 仏様に銃を向けンじゃねェッ!!」

「ぬう…! しかしこうまで俺の賽銭を拒否するという事は、ここの仏には何か後ろ暗いところがあるに違いない。恐らくテロリストと繋がっているために、俺の賽銭を受け取れば内ゲバ(註・内部抗争のコト)が発生して粛清されると…おおッ!?」

 もう一発、小蒔の蹴りが龍麻の背中に入る。

「もうッ! ひーちゃんってば、そんな事ある訳ないじゃん!」

「龍麻…修学旅行を楽しみにしていたのならば少し戦争から離れないか?」

「龍麻の場合、既に日常生活が落語のようね」

 やはり、最後の葵の台詞が一番堪えたが、龍麻は辛うじて踏みとどまった。

「むう…。――いかん。このままでは人生の落ちこぼれになってしま…」

落伍らくご者」

 葵の即ツッコミに、珍しく龍麻の頭上に金だらいが落ちてくるイメージがフラッシュバックする。オチまで先に言われてしまい、今度こそへこむ龍麻。

 しかし再び龍麻が砂利に【の】の字を書いている時であった。

「ちょっと――早く行こ――」

「惜しいけど相手が悪いや――」

「可愛い子だったけど、かわいそうに」

 いささか好ましくない言葉を吐きながら、観光客が足早に通り過ぎていく。最近の日本人に増えてしまった【事なかれ主義】。どうやらトラブル発生らしい。

 龍麻は顔を上げ、仲間たちを見る。すると案の定、京一と醍醐は顔を見合わせて頷き合い、小蒔は肩をすくめ、葵は困ったような笑いを浮かべる。

 龍麻は嘆息した。この土地は地元ですらないが、こんなトラブルを見逃すような彼らではないのだ。

 しかしながら、龍麻も彼らのリーダーである。そして処理可能なトラブルを見て見ぬふりをするのは、今の彼にとっても【良くない事】となっている。

 龍麻は仲間たちを率いて、トラブルの中心に向かって歩いていった。既に周囲にいたであろう人々は去り、その集団だけが陽光に照らされているのですぐに判る。

「――よおよおよお、ねーちゃん。悪いこたァ言わねェ。おとなしゅうワシらと茶ァしばきに行こか」

 日本全国どこへ行っても、その筋の人間というものは似たような言葉を使うものらしい。そしてそういう人間に絡まれる以上、絡まれた女の子はそれなりの容姿を備えているようだ。こちらからは背中しか見えないが、艶光る長い黒髪、空色のミニスカートからすらりと伸びる長くて白い足。絡んでいる男たちがよほど悪趣味でない限り、美少女であることは決定事項――と、なれば、隣にいる木刀馬鹿が放っておく筈がない。彼は龍麻よりも先にぱっと走り出した。

「おい! テメェら! 女の子一人になに凄んでやがんだ?」

 地元新宿では知らぬ者などいない真神の蓬莱寺。しかしその風評は真神の少尉殿とセットになっていて、むしろ悪名の方が目立つものとなっている。そのため、休日に繰り出すナンパの成果が上がらぬ京一は、名誉回復も兼ねてこういう揉め事に対して条件反射的に身体が動くようになっていた。ある意味、平和の証である。

 しかし、今回は修学旅行中である。旅の恥はかき捨てとはよく言うが、こんなところで暴力事件など起こされては旅行そのものに影響が出兼ねないので、龍麻たちも急ぎ現場に駆けつけた。もちろん、京一のやり過ぎを止める為である。

「あァ!? 何じゃあワレェ!?」

「ワシらのすいーとたいむを邪魔しよってからに。はよにさらへんと血ィ見るど、おんどりゃあ!」

 今時珍しいを通り越して天然記念物並みの、ハイカラ―の長ランにペッタンコの学帽。ご丁寧にも学帽の鍔には切れ込みを入れ、シャツは着用せずに白のさらしを腹に巻いているという、ふた昔前の硬派応援団のようなスタイル。そしていかにも地方色豊かな脅し文句に、京一がにやりと笑った。

「へっへー、そういう態度なら遠慮はいらねェだろうが、その前に一つ――今時そんな服装で漢弁おとこべん(註・その筋の硬派系不良が好んで使う、関西弁をベースにしたと思われる怪しい特殊言語。そこはかとなく男らしい――By 鈴○史朗)なんか使いやがるたァ、テメエらどこの県民(偏見である)だ!」

『県民ッ!?』

「まあどこの絶滅危惧種でも構わねェ。ちょっと待ってなお嬢さん。この神速の木刀使い、真神の蓬莱寺京一様がこの馬鹿どもをちょちょいと…ッッ!!」

 いつもの、人を呆れさせる京一の口上が途中で止まった。

「!?」

 一斉に敵意を剥き出しにした五人組は完璧に無視して、口をパクパクさせている京一を見る龍麻たち。龍麻は京一から、こちらを振り返った少女に視線を移し、【なるほど】と納得した。

 そこにいたのは、芸能界でも滅多にお目にかかれないほどの美少女であった。

(マジか! さやかちゃん以外にもこんなかわいい子がいるなんて…!!)

 身近に葵や小蒔を始め、様々な個性、タイプを有する美少女たちがいる京一ならばこそ、美少女に対する目は肥えている。その彼をして改めて息を呑むほどの美少女がそこにいた。腰までかかる、匂い立つような黒髪に、純白のヘアバンド。すっきりと伸びた鼻梁に、小さくまとまった桜色の唇。そして何よりも、見るものをほっとさせるようなおっとりした印象を与えるぱっちりした目。その少女と目を合わせた瞬間、京一は底知れぬ深さを持つ神秘的な瞳に吸い込まれるかのような感覚を味わった。

「京一、鼻の下伸びてる」

 脇から覗き込む声で、京一が我に返る。

「ば、馬鹿言うな! お、おい! テメエら! 俺が相手になってやるぜ!」

 照れ隠しに木刀をビュッと振る京一。多少なりと相手の実力が判る不良なら、この木刀の風切り音だけで闘志を剥き出すか、慄くかする。しかし今回は違った。【県民】呼ばわりがそれほどショックだったものか、不良たち全員が硬直している。

「あの…」

 イメージ通りの、金鈴を震わせるかのような声で少女がおずおずと切り出した。それも、五人の不良は無視して、京一に向かってだ。

「お気遣いいただいてありがとうございます。おかげ様で片付きました」

「へッ…!?」

 木刀を構えたまま、間抜けな声で問い返す京一を差し置き、龍麻は前に進み出て不良たちを見た。そして、とんでもないことを口にした。

「…全員昏倒している」

「え!? ええッッ!?」

「なんだって!?」

 思わず大声を張り上げ、京一も醍醐も不良たちの顔を覗き込んだ。するとどうだ。五人の不良は、【県民】呼ばわりに振り返った姿勢のまま、白目を剥いて失神していたのである。

「ウソ…! だ、だってこっちの一人は京一に突っかかってたよね。何かしたようには見えなかったけど…!? 葵、何か見た?」

「いいえ…全然…!」

 京一たちは全員が驚愕の眼差しで少女を見た。数々の怪事件を解決し、鬼道衆の野望をも打ち砕いた【神威】たちにしても、こんな少女が五人もの不良を、それも立ったまま失神させるなどとは俄かには信じられなかったのである。

 ――まさかこの少女も【神威】か!? そう思ってしまうのも無理はなかった。

「実に見事な居合いだ。一瞬の隙を逃さず、太刀の一閃だけで五人も昏倒させるとは」

「まあ、お分かりになられましたか?」

 少女はおっとりと、それこそ花が咲くような微笑を見せた。その時初めて、龍麻を除く一同は少女が細長い紫色の太刀袋を手にしていることに気付いた。

「む…」

 なぜか、ドキリとする龍麻。そんな珍しい反応を真神の四人が、特に葵が見逃す筈はなかった。【あの】龍麻が――朴念仁で、鬼軍曹で、葵や小蒔、藤咲や舞園さやかの水着姿どころか、ローゼンクロイツ学院で実験されていた葵の全裸にさえも特に反応しなかった女性不感症(京一主観)の龍麻が、この少女に対してはまるで普通の少年のような反応を示したのである。

「いや…はっきり見えた訳ではない。どうやらいらぬ気遣いでかえって騒がせてしまったようだ。この通り、謝罪する」

「とんでもございません。こちらこそ皆様のおかげで大きな騒ぎにならずに済みましたもの。特にそちらの、木刀をお持ちの方、ありがとうございます」

「え!? お、俺ッ!? い、いやっ、俺も大した事をした訳じゃ…!」

 京一のこの反応に、醍醐、小蒔、葵も目を見張る。京一までがこの初対面の少女にこんな高音の声を出すとは…! 

 呆然とする醍醐たちに、少女は少し慌てたように付け加えた。

「あ、申し遅れました。私、私立彩雲学園の三年、如月舞と申します」

「私立…彩雲学園…!?」

 今度は醍醐が、驚愕したような声を出す。聞き覚えのある学園名に、龍麻も「お?」と声を上げる。

「な、何だよ醍醐! き、如月さんの学校を知ってるのかよッ!?」

「く、首を締めるな! お前も武道家の端くれなら日本有数の武道校、彩雲学園の名を知らぬ訳じゃあるまい? それ以前に、お前が大騒ぎしていた京劇女優がいる学園じゃないか」

 ああっ、と小蒔も声を上げた。

「そうだった! 暁さんの学校って、確か日本でも珍しい専門の武術課があるってトコで、日本の武術文化を維持するエリートを養成する所だったっけ!」

「私も聞いた事があるわ。武術をあくまで精神修養の文化としてとらえ、一切の大会にも参加せず、他校との交流試合も滅多に行わないとか…」

「噂には聞いていたが、まさかこれほど強いとは…」

 それもこんな少女が――という言葉を、醍醐は辛うじて飲み込んだ。少女が微笑を自分にも向けたからであった。

「光栄ですわ。実のところ、試合を受けぬ為に口先ばかりの偽物とおっしゃる方も多いものですから」

「とんでもない。決してそんな事はないと拝見した。実に見事…と言っても、俺には何も見えなかった訳だが、この結果だけでもあなたが本物の技を持っている事はよく判ります。どのような鍛錬を積んでいるのか、教えを乞いたいほどですよ」

「なんか…醍醐君までおかしくなっちゃったよ…」

 なんとなく不穏な気を発する小蒔。それはそうだろう。ほとんど小学生レベル(京一&亜里沙主観)の付き合いとは言え、小蒔と醍醐は公認の仲である。しかも対女性免疫の少ない醍醐がこれほどしっかり、しかも親しみ深く応答するなど、今までなかった事だ。小蒔が多少なりと嫉妬の念を抱いたとしても当然の事かも知れない。

 それが判った訳でもあるまいが、彼女は葵と小蒔にも話し掛けてきた。

「あの…お世話になったついでと言っては申し訳ございませんが、少々お尋ねしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」

「え!? な、なにかな?」

 まさか胸中を見抜かれたかと、焦る小蒔。葵もおおむね、同じような反応であった。特に葵は【菩薩眼】を有している。この如月舞がただの少女でない事は既に感じ取っていたのだ。

「私、修学旅行の班行動中の身なのですが、はぐれてしまった連れを探しておりますの。もしかして皆さんは、金髪の長髪で、黒いコートを着ている男性を見ていらっしゃらないでしょうか?」

「コートォ? この季節に?」

 そこまで言った京一は、なんとなく龍麻を見てしまう。秋の紅葉シーズンとは言え、まだまだコートを着るような気温ではない。当然、龍麻にも、彼と行動する京一たちにも、周囲の奇異の視線が向けられている。それなのに彼女が言うには、龍麻と似たような男がもう一人いるらしい。

「ええ。多分、こちらで飼われている猫にくっついていってしまったと思うのですけど…」

「はぁ!?」

 思わず、異口同音に聞き返してしまう一同。猫にくっついていったって…高校生にもなって? 

「この季節にコートを着てるなんて、このひーちゃんくらいだと思ってたけどなあ」

「ひーちゃん? まあ、素敵なお名前ですね」

 普通の人間なら、龍麻と渾名のギャップにまず呆然とし、次いで吹き出すのが常識だ。しかしこの少女は極めて自然にそれを受け入れたようだ。

「感謝する。本名は緋勇龍麻、東京都立、真神学園の三年だ」

「え…? 真神の緋勇龍麻さん…? すると皆さんが…」

 と、如月舞が何か言いかけた時であった。

「コラー! なにやってンのよォ!」

 凄い剣幕で、大柄な少女が駆けて来る。彩雲学園の制服を着た、ポニーテールが跳ねる、これも目を剥くような美少女だ。深窓の令嬢という言葉が相応しい如月舞とは対照的に、快活さが溢れ出しそうな、かわいいと言うよりは凛々しさに満ちた美人である。そして何よりも京一の目を引き付けたのは、その少女のマリアにも匹敵するようなスタイルの良さであった。

 しかし―――!! 

「たあ――ッ!」

 走り込みざまに少女の握っていた伸縮式の特殊警棒が唸りを上げ、京一は反射的に自分の木刀でその打ち込みを受けた。その瞬間、いくら少女の弾む胸元に気を取られていたとは言え、京一は五メートルも弾き飛ばされた。

「ウオオオッ!!」

 京一が飛ばされたことに驚く真神の四人。【彼女】を知る龍麻とて例外ではなかった。しかし一番衝撃を受けたのは、やはり少女の一撃を受けた京一自身であった。

(今のは――発剄ッ!?)

 少女の一撃は、ただの剣道のそれではなかった。打ち込みの瞬間、特殊警棒に剄を込めている。もしこの木刀が本庄正宗の言霊を施した木刀でなかったら、そして受けたのが京一でなかったら、少女の特殊警棒を受けた瞬間にへし折られていたであろう。

「次!」

「おい! 俺たちは――!」

「うるさい! 問答無用――!!」

 五人もの不良が突っ立ったままだから、仲間だと間違われたのだろう。醍醐は手を振って抗弁しようとしたのだが、少女は聞く耳を持たなかった。特殊警棒の切っ先がつい、と地面を指し、その位置から凄絶な刺突が醍醐の水月を襲った。醍醐では、かわせない――! 

「ッッ!!」

 その瞬間、龍麻は醍醐の正面に飛び込み、少女の特殊警棒を白刃取りに挟み止めた。しかし、なんという衝撃か、少女の突きを受け止めた瞬間、龍麻の足元で砂利が弾け飛んだ。

「落ち着け、確か君は――」

「ッッシャアァァッッ!」

 特殊警棒が受けられた瞬間、居合いのごとく伸びる前蹴り――否! 軸足の捻りと膝先の変化が前蹴りを回し蹴りに変えさせ、爪先に乗った重心が後回し蹴りまで誘発させる。――【龍旋脚】! 辛うじて側空転でそれをかわす龍麻であったが、少女は三連撃目の足払いから、ミニスカートをものともせず後ろ回し蹴りを高く跳ね上げ、変形の踵落としに繋いだ。間合いを取れずに頭上で十字受けを間に合わせた龍麻だが、衝撃による硬直中に喉元を貫く日本刀のごとき殺気に戦慄する。踵落としと連動して吹っ飛んでくる足尖蹴り――【タイガーファング】!

「――フン!」

「ッッ!」

 龍麻の足元で砂利が弾け、一本背負いに投げ飛ばされた少女が地面に叩き付けられる――寸前で猫のように身体をしなやかに捻って足から着地する。美脚の形作った凶悪な虎の顎に自ら飛び込んで技を不発させた龍麻も龍麻なら、自らの技を真っ向から跳ね返されながら足から着地できる少女の三次元把握能力と身体能力も尋常ではない。

「チッ! やるわねッ!」

「待て。俺は――」

 二度に渡って龍麻の言葉を無視し、一分の隙もない正拳構えを取る少女。だが――両拳は貫手のままで、ややスタンスの広い足の配置は――!

 ふわ、と一陣の風が、龍麻と少女の間に割り込んだ。

「そこまで! ――こちらは私を助けてくれた方達よ」

「え…?」

 ポニーテールの少女が呆気に取られたような表情を作る。

「痴漢じゃないの? あんないかにもナンパそうな赤毛に、そのギャルゲーの主人公みたいな男が!?」

「……ッッ!」

 どこかで何かが、ガーンと鳴った。

 軟派そうな赤毛…までは良く言われることだからいいとしよう。しかし、真神の少尉殿こと、緋勇龍麻に対してこれほど率直な暴言を吐いた女性はいまだかつていなかった。徹底した軍人気質で堅物で鉄面皮の朴念仁だが、ルックスに関してはジャニーズ系アイドルそこのけの龍麻である。大抵の女性は初対面でハンサムな顔立ちに、次いでそのどこか危険な香りに惹きつけられる。しかしこの少女はそれをあっさりと無視し、目元の隠れる長い前髪を【ギャルゲーの主人公】と称したのである。

「うむう…!」

 なぜか、酷いショックを受けたらしく、龍麻がへなへなと二、三歩よろめく。ひょっとしたら気にしていたのかもしれない。

「弥生、失礼よ」

 弥生は慌てて構えを解き、愛想笑いを浮かべた。

「あはは…。さっきからナンパヤローがしつこかったもんだからつい同類かと思って…。ご、ごめんね! 怪我してない?」

「…問題ない」

 辛うじて踏みとどまった龍麻はそう告げたのだが、かつてかけられたことのない言葉に動揺している。それよりも驚いていたのは醍醐や小蒔、葵の方だ。いくらその名の知れた武道校、彩雲学園の生徒だからといって、真神の魔人ナンバー1と2を圧倒し、しかも「大丈夫?」と声をかけたのだ。龍麻はともかくとして、京一などはさぞプライドが傷付いただろう。それは醍醐も同じだ。龍麻がいなかったら彼女の突きをまともに受け、どうなっていたか判らないのだ。

「ね、ねえ、君は大丈夫?」

 事もあろうに剣で吹っ飛ばされたのがよほどショックだったのか、京一は驚愕の表情で固まったまま少女を見つめていたのだが、急に彼女を指差して「あーッ!」と大声を上げた。

「な、何だよ京一! 大声出して、失礼だろッ!」

「ンなこと言ってる場合か! このお方をどなたと心得る! このお方こそ京劇アイドルの美少女拳士、暁弥生ちゃん!」

「えええええッ!?」

 京一の驚愕が伝染する小蒔。目の前の美少女――暁弥生は、もとは新体操の国体の優勝者で、女性の身ながら心道流空手道を基盤に少林寺拳法、太極拳、少林拳、華拳を習得し、京劇で伝説の女傑、十三妹シーサンメイを張る現役高校生女優である。そのルックスとスタイルから自然な成り行きで芸能界にも鳴り物入りでスカウトされたのだが、デビュー直後に、人気者ながら裏で新人女性タレントを食い物にしていたお笑い芸人コンビを叩きのめしてあっさり芸能界と決別したいう女傑だ。ただし芸能界からは追放されても、その凛々しさと面倒見の良い性格から、むしろ同世代の少女たちに大層人気がある。【強い女性】に憧れる小蒔にとって彼女は憧れであり目標でもあった。国体の後で行われる筈だった握手会が、降って湧いた誘拐騒動でお流れになってしまったのがどれほど悔しかった事か。それがまさかこんな所で、本人に出会えるなんて…。いつも見ていたのが男装の女剣士だったからと言って、彼女に気が付かなかったとは小蒔にとって一生の不覚であった。

「あら、ありがとう。あたしの事、知っててくれたんだ」

「そ、そりゃあもう! …うおッ!」

「もちろんです! 暁弥生さん! こんな所で会えるなんて、感激です! あ、あのッ、握手していただけますかっ!?」

 今度は小蒔が京一をドカッと蹴り飛ばし、まるっきり恋する少女の視線で暁弥生を見つめる。葵はそんな親友の様子にちょっと困ったような微笑を浮かべ、醍醐はなにやら複雑な表情を浮かべた。

「やだなあ、そんなに畏まらなくてもいいのに。ええと…」

「ぼッ、ボク、桜井小蒔です! 花の桜に井戸の井、小さいに種蒔きの蒔で小蒔って書くんです! ええと…これでも弓道部の部長をやってるんです!」

「へええ。それじゃすごい腕前でしょ?」

 さらっとした口調で言う弥生だが、どうやら小蒔の実力を見抜いたようである。小蒔が見惚れるのも無理はない柔らかな微笑の中にも、武道家特有の冴えた輝きがある。

「そ、それほどでもありません!」

「あら、謙遜しなくてもいいのに。手を見れば判るわよ。女の子らしいほっそりした手なのに、芯がすごく力強いもの」

「え!? えッ!? そ、そうかなあ」

 憧れの人に誉められて照れまくる小蒔。地面に蹴り転がされていた京一がやっと顔を上げる。

「いってェな、小蒔! いきなり何しやがる!」

「ふーんだ! 京一なんかと喋ったら暁さんが汚染されるだろッ。いつだってオネーチャンの事しか頭にない癖して」

「ば、馬鹿ヤロウ! そんな事を弥生ちゃんの前で言うんじゃねェ!」

「ちゃんなんて付けるな! ボクの憧れの人なんだぞ!」

 それを聞いて、京一はニヤリ、と笑った。

「ほっほーう、小蒔。やっぱりお前は美少年だったんだな。だから弥生ちゃんみたいな大きな胸のお姉様に憧れて…」

 最後まで言わせず、小蒔の拳が京一の顔面にヒットした。再び沈む京一。弥生が笑う。

「あはは! だらしないのねえ。この子って、小蒔ちゃんの彼氏?」

 どうやら素のままでも姉御肌の彼女にとって、京一は【この子】であるらしい。

「ち、違います! ボクの彼氏は醍醐クン…!!」

 憧れの人に【小蒔ちゃん】と呼ばれたのが嬉しいのと、思わず大声でそんな事を口走ってしまった恥ずかしさで、小蒔は顔中を真っ赤にした。ひょいと弥生が視線を移すと、そこには同じく顔を真っ赤にした醍醐が立っていた。

「あはは! そんなに照れなくてもいいじゃない。でっかくて頼りがいのありそうなお兄さんだし。――コラ! 彼氏だったら彼女の悪口なんか言わせちゃ駄目じゃない!」

「う…うむ…」

 弥生に睨まれ、タジタジになる醍醐。すると弥生は一転、相好を崩した。

「あはは! 照れちゃって、カーワイイ!」

 どうやら彼女は、真神の五人にとっての小蒔以上にムードメーカーであるらしい。会ってから数分だというのに、もう空気に馴染んでいる。全身から発散される陽気が周囲の者をも楽しくさせる、天性のムードメーカーだ。

「…取り込み中、失礼だが。暁殿。誰か、探しているのではなかったか?」

 そろそろと切り出した龍麻の言葉に、弥生は、あ! と口に手をやる。

「もう…弥生ったら…!」

「あはは…。ゴメンゴメン。うるさいナンパ男たちを叩きのめしてたらつい夢中になっちゃって」

 どうやら弥生が暴走タイプ。舞はそれを納める役回りらしい。

「残念ながら、我々はコート姿の金髪の少年を見かけてはいない。役に立てなくて済まないが」

「いいえ、そんな事はございませんわ。こちらこそ助けていただいて、感謝しております」

 如月舞は優雅に、深々とお辞儀する。彩雲学園のセーラー服は結構大胆なミニスカートなのだが、彼女が着ているとまるで和服のようなたたずまいである。本当に和服を着せたら、さぞ似合う事であろう。

「ねえ、ひーちゃん。暁さんたちが困っているなら、ボクたちも一緒に探してあげようよ」

「む? しかし…」

「そうね。困ったときはお互いさまだもの」

 葵は小蒔が暁弥生の大ファンである事を知っているので、ここは彼女に賛成した。ただ彼女自身、それはかなり度胸が必要な事であったのだが。

「しかし我々はその男性の顔も知らん。それにこの境内から出ていたとしたら、土地勘のない我々では役に立てん。何より我々は、女性にとって危険人物を抱えている事を忘れたか?」

「テメェ! ひーちゃん! そりゃ俺の事かッ!?」

「他に誰がいると言うのだ。それに俺は、お前の身を案じているのだ。こちらの女性方に不埒な行いに及んだとて、彼女たちは指一本触れさせまいが、代わりに今日がお前の命日になるぞ」

「ぐ…ひーちゃん! 今俺は全力でお前をぶちのめしたくなってきたぜ…!」

 ゴゴゴゴ、と書き文字が見えるのではないかという勢いで京一の攻撃的な気が膨れ上がった。そこで舞と弥生が感心したような顔になる。

「あの、お気遣いは大変ありがたく存じますけど、皆様も修学旅行中の身なのですから、どうかお気になさらずに観光を続けてください。この街は見るべきものがたくさんありますから」

「大丈夫だよッ。その人って金髪でコートまで着ているんでしょ? ひーちゃん以外にそういう人がいれば一発で見つかるって」

「でも…」

 あくまで物腰静かに舞が断ろうとした時、遠くの方から元気な声が響いてきた。

「おーい! 舞ちゃん! 弥生ちゃん!」

「あら、唯ちゃんだわ」

 どうやら彼女たちの連れの一人らしい、小柄な少女が駆けてきた。その後ろから、男にしてはやや小柄な優等生タイプの少年がついてくる。

「ヤッホー! パンサー君、見つかったよ―ッ!」

「いや、参りました。あれでは容易に見つからないのも当然ですね。ところで、こちらの方々は知り合いでいらっしゃいますか?」

 今時珍しい黒縁メガネの少年が、ついとメガネを押し上げて尋ねる。いかにも優等生然としているが、童顔の上に口調も柔らかいので、不快な印象はない。

「ええ。貴之君、こちらの方々に助けていただいたの」

「如月さんが…ですか? ははあ、あそこで気絶している輩が如月さんに絡んでいるのを見て救助に来てくれたのですね。それはありがとうございます」

「いや、我々は何もしていない。我々の出る幕ではなかった」

「そうでしょうね。でも、お心遣いに感謝します」

 あっさりと、貴之という少年は認めた。どうやら舞や弥生の実力はよく心得ているようだ。

 そこに、少し遅れて大柄な少年がやってきた。短めに刈り込んだ髪をつんつんと尖らせた、どちらかというと不良っぽい顔立ちとスタイル。オリーブドラブのタンクトップの上に袖をまくった詰襟学生服を引っ掛け、かなり気取った、龍の彫刻された水晶ペンダントを下げている。

「いやあ、参った参った隣の神社。こんな所で壁上りするとは思わんかった。…って、こいつら、なに?」

「こ、こいつらって、いきなり何だよ!」

 突然、こんなお嬢様な舞や、京劇アイドルの弥生には、とことんそぐわない男の出現に、京一は妙な対抗意識を燃やして睨みつけた。醍醐と同程度の身長がある為、目線が上目遣いになり、かなり険悪な表情になってしまう。

「こら! ケンちゃん! いきなり失礼でしょーが。この人たち、舞を助けてくれたのよ」

「舞ちゃんを? そいつはねえだろう? そこの連中程度、舞ちゃんなら指一本で…って、そこのお前は!」

 先程の【ギャルゲーの主人公】発言が尾を引いていたらしい龍麻も、同時に気付いた。

「思い出そうとするまでもなく忘れられないその顔は! ――風見志郎!」

「――仮面ライダー、ブイ、スリャァァ――ッ(巻き舌がポイント)!」

「――ではなくて、伝説の暗殺拳、北斗神拳伝承者!」

「――あ〜たたたたたたっ! 貴様は既に死んでいる。墓に刻む名前を聞こう」

「私の正体? ――それは言えない。あしからず! 足柄山の金太郎!」

「金太郎となッ! ――ほらポッキン、金太郎」

「なるほどポッキン、金太郎」

 奇妙奇天烈なハイテンションで復活した龍麻と巨漢の少年は、古過ぎる上にコア過ぎてもはやキ印レベルの掛け合い(知りたい人は全力でググろう)に周囲の者の目が点になっているのも構わず、親しみ深くガシッと握手した。

「うーむ。その馬鹿馬鹿しい程に清々しいノリの良さは、正しく我が友、風見拳士郎!」

「おーっ、レトロなネタで強引にノせまくる手腕は、正しく我が同志、緋勇龍麻!」

 旅行先という意外な所で、意外な人物との再会。そして京一たちにとっては意外な龍麻の類友の出現。

「あらケンちゃん、この人たちを知ってるの?」

「知ってるって、お前なァ………♪むっすめさん、よっく聞〜けよ」

「♪雪男ゆっきおっとこにゃ惚〜れるなよ」

 【あの】龍麻が無防備に肩なぞ組んで馬鹿な替え歌を披露する様に驚愕する真神の一同。そして暁弥生は――

「アァ、大体わかったわ。ケンちゃんの同類ね」

 良いのかそれで!? 今度は彩雲学園の一同もやや腰砕けになる。

「もう、風見君たら…。弥生、この方は高校空手道選手権大会で団体優勝した真神学園の緋勇龍麻さん…」

「タンマ! 舞ちゃん!」

 拳士郎が止める間もなく――

「えーっ!?」

 信じられない、とばかりに頓狂な声を上げる弥生。むしろ名前を連呼されていた龍麻の方が、ここまで気付かれなかった事に驚いているのであるが…

「すると、覇王館の本部を潰したあのゾンビ君がキミ? 亜里沙が言ってた微妙な男の子ってのも、空手の高校選手権大会で優勝をさらった白帯の男の子ってのも…。って事は――」

 す、と龍麻に近付く弥生。実際には、ずい、と詰め寄ったと言う方が正しい。

「あたしを小荷物扱いしてお尻触りまくったのも、服の中に手ェ突っ込んで乳揉み倒してくれやがったのもキミって事よね?」

 小声ながらドスの効いた声に、そう言えばと記憶を辿り、今更ながらに血の気を失う龍麻。色々と言い訳はあるにせよ、確かに女性の扱いとしては最低ランクの行いをした龍麻である。弥生はジト目で、しかし興味津々に龍麻の顔を覗き込む。その熱っぽい眼差しに、龍麻はやや身を引いた。彼女も拳士郎と同じく空手道【心道流】の遣い手。その目の光は【どこから食ってやろう】とでも言っているようだ。しかし傍から見ると弥生のような美少女に迫られてうろたえている龍麻の図。大いなる誤解ではあるが、少し葵が「ムム…」という顔をする。

「いや〜、ひーちゃんのダチで同じ制服という事は、君らが噂の真神五人衆か。知らん事とは言え失言だった。申し訳ない」

 顔中を脂汗で埋める龍麻を救うは、平和第一主義男の朗らかな声。――強引に話を変えようとしているのは見え見えであるが…

「いや、こちらもケンカッ早いのがいるものだからな。お互い様だ」

 直感で龍麻(と自分達)の危機を察したのと、何より人好きのする笑みとともにあっさりすっきりと頭を下げる拳士郎に好感を覚え、執り成すように言う醍醐。しかしやはり彼も武道家だ。醍醐の目は拳士郎に油断なく注がれていた。風見拳士郎と言えば、かつて紫暮に聞いた、彼のライバルにして龍麻にすら影響を与えた、超音速の拳を持つ男の名だ。鬼道衆との戦いが終わってほっとしているのも事実だが、醍醐は血がザワザワと沸き立つのを感じる。――こういう気持ちの良い漢とは、是非心行くまで試合ってみたい。

「――風見君、豹馬君はどこにいたの?」

 こちらも話を逸らそうと言うのか、やや困った顔で聞く舞。醍醐の視線には気付いていただろうに、拳士郎はひょいと舞の方を向き直った。

「ああ、五重塔のてっぺんで猫に囲まれて寝てやがったよ」

「はあ!?」

 訳も判らず間抜けな応えを返したのは真神の一同で、舞も弥生も大して驚きもせず――

「もう…」

 少し眉をひそめ〜それがすごく可愛い〜舞は拳士郎に首根っこを掴まれている豹馬という男に近付いた。弥生もやれやれと肩をすくめ、とりあえず龍麻を解放して向き直る。

 高校生にもなって猫にくっついていって迷子になったり、五重塔のてっぺんで昼寝(どういう意味だ?)をする男とはどんな男だろうか? なんとなく興味を引かれ、真神の五人は少し首を傾けてみる。そしてその顔が見えた瞬間――

(…はあ!?)

(…子供!?)

 思わず小蒔が口をもごもごとさせ、葵も少しだけ息を呑む。名は体を表すというが、その少年は名前の持つイメージとはまるで正反対であった。身長は小学生並の一二〇センチ前後。輝くばかりの長い金髪を首の後ろで結び、愛らしい丸顔ながら鼻筋は鋭く通っている。しかしその顔の大部分は、今時冗談でも掛けないような水色のトンボ眼鏡に覆われており、そこまでは子供っぽい愛らしさと納得したとしても、着ている物から何からダブダブのオーバーサイズ。コートなど地面に長く引き摺っているとなると、親や周囲の常識を疑わずにはいられない。――外人…にしては名前が日本名だし、顔立ちも東洋的である。ハーフだろうか? そもそも、これで本当に高校生なのか?

 しかも――

「駄目でしょ。ちゃんと皆と一緒にいないと」

「あ――。う――」



 ――――――! 



 今のは、確かにこの豹馬が発したものだ。とっさに何事か理解できなかった一同であったが、とりあえず黙り込む。

「はい、そこに座って」

「あう…」

 トンボ眼鏡の間抜けさばかりが目に付いていた豹馬だが、正面から見るとそれが更に水増しされた。トンボ眼鏡から覗く顔筋の大部分がまるっきり春に溶けている。その人畜無害さにかわいいと言う女性はいるかも知れないが、行動は幼児そのもので、今は舞に顔の汚れを拭いてもらっている。事情を知らねば仲の良い姉弟を見ているようで微笑ましいのだが…

「…とりあえず、連れが見つかって良かった」

 ここは、一番常識人である醍醐が口を開いた。この豹馬がどういう少年にせよ、自分たちが関与すべき事ではないとの判断である。善意を向けるのもタイミングがあるのだと、身をもって知った醍醐だからこその判断だ。

 しかし、思った事がつい口に出てしまう小蒔であった。

「暁さん…この人は…?」

「ああ、この子ってば、ちょっと訳ありなのよ」

 だから察して、と言うように、弥生は小蒔にウインクする。小蒔は自分が軽はずみな発言をしたと気付いて押し黙った。そして、拳士郎は、

「前にちらっと話したと思うが…こいつが俺の老師だ。――ま、今はちょっとこんな調子なんでな。また改めて紹介するぜ」

 今はこんな調子…。何やら謎めいた言葉である。しかも、風見拳士郎の老師…師匠とは? 拳士郎の強さは龍麻も知っている。本気で戦えば、今の自分でも結果は判らぬと。その彼がかつて【俺の百倍は強い】と言った男が、この少年だとは…。

 しかし、今はそれを話題にすべきではあるまい。

「了解した。――では、名残惜しいが我々はこれで失礼する。良い旅行を」

龍麻の気遣いを察したのだろう。弥生が笑顔を零す。

「ええ。また会いましょう」

 互いに握手し、龍麻が皆を促して歩き始めた時だった。龍麻は何気なく、まだ何かあうあう言っている豹馬とすれ違った。

「――ッッ!!」

 その瞬間に背筋に走った、かつて感じた事のない戦慄! 龍麻の足が反射的に振り上がった。【気】さえこもった蹴り。【龍星脚】!

 ギンッ!! と、鉄棒でも打ち合ったような音…【気】が相殺する炸裂音が響く。果たしてどちらが先に放ったものか、それは龍麻と豹馬の蹴りが噛み合った音であった。一八〇センチ対一二〇センチで、全く互角に!

「龍麻ッ!?」

「豹馬君ッ!?」

 葵と舞が同時に叫ぶ。

(この男は…ッッ!)

 龍麻にしても豹馬にしても、意識しての行動ではなかったのだ。しかし、すれ違った瞬間に、二人は相手の身体からある匂いを嗅ぎつけた。――血と硝煙の匂い、戦場の空気を。表面上は平静を保ちながら、内に張り詰めている氷のような殺戮本能キリング・インシデントを。

「破ッ!!」

 間髪入れず掌打を飛ばす龍麻。豹馬はそれを手刀の廻し受けで弾くや、龍麻の腕に絡み付くように入り身になって凄絶な肘打ちを見舞ってきた。ショートレンジの掌打で受ける龍麻。肘打ちの衝撃をも利用して龍麻は後方に飛ぶ。豹馬が肘打ちを受けられた瞬間、技をショルダータックルに変化させたためだ。それもただのショルダータックルではない。豹馬の踏み込みが凄まじい轟きを生む。これは――

(八極拳――鉄山靠てつざんこう!!)

 間一髪で間合いを外した龍麻だが、踏み込んだ足がそのまま地を滑り、凄絶な掌底突きが追撃してくる。靴底にローラースケートでも付いているかのような運足――【活歩かっぽ】。そして掌底突き――【川掌せんしょう】。辛うじて横っ飛びした龍麻はそのまま全身を捻り、後ろ回し蹴りを放つ。それが受けられると同時に、そこを支点に飛び回し蹴り――【龍星脚】! しかし、急角度に降って来る二の足を、転進しつつ手刀で弾く豹馬! そのまま豹馬は震脚を轟かせ、龍麻の着地点に向けて右縦拳の突きを繰り出す。対する龍麻は着地と同時に【踊り足】――古武道の歩法を使って踏み込みざま、【掌打】を飛ばす。拳と掌、二つの激突点で爆発のような衝撃波が生じ、龍麻も豹馬も弾き飛ばされた。

「クッ!」

 弾き飛ばされる身体にブレーキをかける動作をそのまま、足底から駆け上がってくる剄を掌から放つ龍麻。接触せずにロング・レンジで放つ【掌底・発剄】だ。この距離なら外さない! しかし――! 

(何ッ!?)

 かなり強力な魔物でさえ原子に分解する気の塊を、豹馬は身体ごと捻って繰り出した手刀で切断してのけた。地面の砂利が左右に散った【気】の衝撃で吹き飛ぶ。間違いない! この男も気を操る! 

「シッ!!」

 先手に勝機! 自分から間合いに踏み込む龍麻。接敵し、突きと掌、蹴りの連撃を繰り出す。至近距離からの超絶の連撃、【八雲】! 拳と脚から百のオーダーで繰り出す超高速の連撃は相手に反撃の機会すら掴ませず完全抹殺するまで止まらない。しかし――!!

(ぬう! 当たらん!!)

 あの九角さえ凌ぎ切れなかった超絶の連撃を、豹馬は超高速で空をかき回す廻し受けで全て撃墜してのけた。龍麻を中心とする円周上を、地を滑っているとしか思えないような足捌きで移動し、間合いを巧みに外している。のみならず、打ち落とされる龍麻の手首が切り裂かれて血を噴く。体格で勝っている事が、逆に龍麻の不利になっている。

「クッ!!」

 このままでは殺られる! 龍麻は一歩だけ下がる。案の定、豹馬は密着間合いを保ったまま追撃してきた。なんという反応力! 

 だが、それこそが龍麻の狙いだった。

「【巫炎】ッッ!!」

 ゴオ! と膨れ上がる紅蓮の炎が豹馬を包み込む。生身の人間相手に…とは思わなかった。この男の戦闘力は、あの九角にすら匹敵、あるいは凌駕している。手加減するような余裕は――

(何ッ!?)

 豹馬が炎に包まれたのは一瞬のこと。なんと彼はコートの一振りで、【気】が生じさせた炎を消し飛ばしてしまったのだ。

 一瞬、二人の間を膠着の風が過ぎる。

 それを先に破ったのは豹馬だった。コートを翻し、初めて構えらしい構えを取る。全身を大きく捻りつつ両掌でゆるゆると空中に螺旋を描く【柔】の動きから、右手刀を前に、左掌を胸前に据え、体は半身、運足を摺足に変える。どう見ても緩やかな動きなのに、掌の回転で風まで生じた。

(なんだこの動きは!? ――太極拳!? いや…八卦掌はっけしょう!?)

 最速で最短距離を刺すことを前提にした龍麻の徒手空拳【陽】とは対極に位置する【柔】の拳、八卦掌――。代表的な中国拳法内家拳三門の内の一派だ。最初に使ったのが八極拳であり、形意拳の技法も駆使していたから自分と同タイプかと思ったが、どうやらこの響豹馬は【剛】【柔】双方の技を使えるらしい。そして太極拳も八卦掌も、龍麻にとっては遂に【本物】を見る事が叶わなかった未知の拳法であった。

「豹馬君! やめて!」

 舞が叫ぶが、豹馬は反応なし。トンボ眼鏡の奥に視線は感じられず、殺気さえ放っていなかった。龍麻は一瞬、過去の自分自身と向かい合っているような錯覚に駆られる。闘う為だけに創られた、殺人人形であった自分と。

「やばい…!」

 頬に一筋冷や汗を伝わらせ、拳士郎が呻く。しかし、どちらが【やばい】のか? 

 つい、と豹馬が左足を前に出した。

 次の瞬間、轟く震脚! 五メートル以上の間合いがゼロコンマレベルで消失し、凄絶極まりない手刀が龍麻の胸前で弧を描く。なす術もなく飛び退く龍麻。しかしコートが刃物で切られたかのような切り口を見せる。――ケプラーとアラミド繊維の複合体をこのような目に遭わせる、素手にあり得ぬ切れ味。中国拳法・劈掛掌ひかしょうだ。その前の運足は【箭疾歩せんしっぽ】。この男、一体いくつ技を持っているのか!? 

「シッ!」

 ストロークを短くした【掌打】を五連発! 今度は受けようとせず、豹馬は八卦掌の運足で龍麻の死角に回り込んでくる。掌の裏拳による発剄を辛うじて受け止める龍麻であったが、豹馬は受けられた掌をそのまま肘打ちに変化させ、それも受けられるとその場で足を踏み鳴らし、十センチと動かぬ肩と背中による体当たり――【心意把しんいは】を見舞ってきた。これは龍麻にとっても初体験で、全力で【気】のガードを固めて全身で受ける。まるで車に刎ねられるかのような衝撃! 飛ばされた衝撃に逆らわず地面に転がってダメージを最小限に留めた龍麻であったが、彼でさえ筋肉が硬直し、息が詰まった。

 それだけでは倒せぬと解っているのか、豹馬は更に箭疾歩で畳み掛けに来る。正に戦闘マシンモードの龍麻だ。目前敵を完全殲滅するまで止まらない! 

 長引けば不利になる一方だ。一気に勝負を決めるべく、龍麻は【螺旋掌】を放った。放射状に広がり飛ぶ【気】の奔流をかわすべく、豹馬は一蹴りで五メートルも宙に跳ぶ。

った!!)

 龍麻も跳ぶ。空中戦では後から跳んだ方が圧倒的に有利――

「なッ――!!」

 空中の豹馬に【龍星脚】を叩き込もうとした龍麻の目に、縦回転して振り下ろされる豹馬の踵が映った。次の瞬間、龍麻は撃墜されて石畳に突っ込む。

「グウッ!!」

 必死で身を捻り、倒立姿勢のままパラシュート降下技術で言う所の【五点接地着地法】で受け身を取る龍麻。足、膝、腰、肩、背中を効率よく接地させて落下の衝撃を五等分にするテクニックを用いなかったら、今ので即死は必至だった。

 しかし、今こそ勝機! 

 瞬時に【秘拳・鳳凰】の構えを取る龍麻。豹馬は落下中――避ける態勢にない! 

「【秘拳・鳳凰】――ッッ!!」

 生物無生物を問わず、この世に存在するあらゆる物質を原子に還元する超高出力の【気】。アメリカ軍最強の攻撃ヘリ、アパッチをも撃墜した黄金の鳳凰が豹馬を直撃し――

「――ッッッ!?」

 黒コートが地面に舞い落ちる。豹馬はすぐに立ち上がり、振り返った。――龍麻と同じ目線で!

「えええっ!? で、でっかくなった!?」

 そこにいたのは、先程までの童顔の子供ではなかった。それが龍麻最大の奥技の与えた唯一の成果か、トンボ眼鏡のブリッジが切れ、彼の素顔が露わになる。――柳葉のような眉とやや長い睫毛。意志の強さを現しつつ引き締められていながら、およそ女性であれば高確率で吸い付きたいと望む唇。切れ長の、吸い込まれそうなほどに深いブルーの瞳。先程までは無意味の極致と思えたダブダブの服がぴたりとフィットし、その名のごとく猫科の猛獣のようなしなやかな筋肉を誇示している。そして――その場にいるだけでひしひしと迫ってくる、圧倒的な存在感…

(鳳凰を…吸収しただと…ッ!?)

 絶対に身をかわせぬ空中で、鳳凰のエネルギー波は確かに豹馬を捉えていた。しかしその直後、鳳凰の膨大なエネルギーが一瞬にして吸収されてしまったのだ。彼のエネルギー源として!

 タン! ――豹馬が地を蹴る。【箭疾歩せんしっぽ】! 

 一瞬で防御の構えを取った龍麻だが、豹馬の踏み込みの方が圧倒的に速い! 間合いに入った瞬間に迸る、妖刀の連撃! 殺られる! 

「龍麻ァッ!!」

 豹馬の手刀が龍麻の首筋を切り裂く寸前、京一の木刀が疾った。「馬鹿!」と叫んで拳士郎が止めに入るが、遅い! 光輝を散らしながら京一の木刀が唸る。同時に飛び出していた醍醐も【破岩掌】を放った。

「な――ッッ!!?」

 法神流の斬撃と掌法の奥義が、それぞれ豹馬の片手であっけなく受け止められた。手加減抜きに練り上げた筈の剄はどこかへと消え去り、次の瞬間、京一も醍醐も急激な脱力感と共につんのめるようにして地面に転がされた。そして―― 

 ガチャリ! と重い金属音が同時に四つ響いた。

 修学旅行中ですら銃を手放さない龍麻。豹馬の眉間に突きつけているのはグロック18C。そして心臓に突きつけているのはコンバット・パイソンであった。だが同時に龍麻の眉間と心臓にも、白銀に輝く巨大なリボルバーが突きつけられていたのである。コルト・アナコンダ四四マグナム。それも狩猟以外ではまず非実用的な八インチモデルを、抜き撃ちを重視した龍麻のガンと対等の速度で抜いたのであった。

「ウソ…ひーちゃんたちが…!!?」

 真神の魔人が三人がかりであしらわれた!? 龍麻に至っては、最大奥義すら無効化されて! 龍麻たち三人の強さを一番近くで見続けていた葵と小蒔には正に悪夢の光景であった。

「…噂に聞いた事がある」

 ややあって、龍麻が歯を食いしばりながら言った。

「アメリカの全兵力を以ってしても御し得ぬ、超規格外の戦闘力を有するティーンエイジャーのソルジャーがいると。元IFAF第七機動海兵中隊【竜騎兵ドラグーン】の切り込み隊長デトネイター・ヘッドにして、現IFAF対妖魔戦略特殊工作員アンチダムドシングタクティカルスペシャルエージェント【ストライダー】。コードネーム【ザ・パンサー】…会えて光栄だ」

 龍麻の声には、九角相手にも見せなかった畏怖が込められていた。しかもIFAF第七機動海兵中隊【ドラグーン】――イハウエラ公国を核攻撃した、最凶最悪と名高い部隊の名である。そこの、切り込み隊長!? まさか、こんな少年が――!? 

「…そちらの噂も聞いている」

 豹馬は静かに応じた。先ほどとは打って変わった、理知的で冷たい、男のものとは思えぬほど澄んだ声――

「元アメリカ陸軍対テロ攻性特殊実験部隊レッドキャップス…。その生き残りが東京の学園に潜伏し、【ガイアの戦士】達と共に尋常ならざる事件を解決していると聞く。その名を緋勇龍麻。コードナンバーは…」

「――俺を番号で呼ぶな」

 瞬き一つさえ生死を分ける状況で、龍麻は凄絶な殺気を解放した。だが、豹馬の【気】は今や不気味なほど静謐だ。龍麻の殺気は彼の皮膚を炙らんばかりなのに、まったく無反応である。まるで殺気が、彼に触れた途端に死んでしまっているかのように。

「良かろう。――ところで、なぜガンを抜く?」

「それはこちらの台詞だ」

「殺気を放ったのは君だ」

「いや、お前が先だった」

「ンなモンどっちだって――」

 二人の不毛な言い合いに、少女の声が割り込む。

「――いいでしょうが!!」



 ズバ――――ンッッ!!



 龍麻と豹馬。この二人の超戦士の後頭部で景気よく鳴り響くハリセンの音。拳銃を構えたまま龍麻も豹馬も【ビッターン!】と漫画的擬音を発して石畳に顔面激突し、それを見ていた葵たちの目が点になった。

「フッ! 制圧完了!」

 両手のハリセンをブン! と振り、ポーズを決めたのは、美少女拳士暁弥生であった。

「きゃあああっ! 豹馬君!」

「た、龍麻! 大丈夫!?」

 舞が取り乱して豹馬に飛び付き、葵もまた龍麻に駆け寄った。二人とも完全に目を回して気絶してしまっている。なまじどちらも美形だけに、他人サマには見せられないほど珍妙な顔で。

「一体…なんだったんだ…?」

 いきなり緩んだ場の空気に、醍醐は頭を振り振り立ち上がった。しかし急激なめまいに襲われ、思わず膝を付きそうになるところを拳士郎が片手で支える。

「大丈夫かい? ――済まねえな。豹馬の奴、ショタモードだと一定レベル以上の殺気を持つ奴に自動的に反応しちまうんだよ。――それにしてもさすがひーちゃんだな。そんなモンで済むあんたらもスゲェけど」

「ショタモード…!? いや、俺たちの事も知ってるのか?」

「ああ。ひーちゃんから良く聞いてるからな。君がプロレス好きの頼れるタフガイ醍醐君で、赤毛の木刀君が陽気な鬱クラッシャーの蓬莱寺君。ショートカットのボクッ娘が元気なスナイパー桜井さんで、黒髪ロングのお嬢様が生徒会長の美里さん――と。で、ちょっとやばい筋の話じゃ、東京で暴れてたテロ組織を叩き潰した【真神愚連隊】の中核メンバーだってな。豹馬をその気にさせて生き残ってる理由も判るぜ」

 自分達がいつの間にか世に知れている事には衝撃が少なかった醍醐だが、拳士郎がごく軽い調子で付け加えた言葉には、背筋に戦慄が走り抜けていった。

 あれで【その気にさせた】というのも勿論、こちらは自分と龍麻、京一の三人がかりだったのだ。それでなお有効打の一撃どころか、繰り出した技はことごとく外され、逆に痛烈な一撃を食ったのである。龍麻が銃を抜いた事で良くて相討ち――それすら保証の限りではないが――に持ち込んだからこそ、殺されずに済んだようなものだ。暁弥生が介入しなかったら、どうなっていたか判らない。

「そっちの京一君は大丈夫かい?」

 拳士郎が問い掛けても、京一はまだ地面にひっくり返っていた。しかし、様子がおかしい。目はぱっちり開いていて、頭を打ったとか、そういうダメージで動けない訳ではなさそうだ。いや、むしろ目が爛々と輝いている。

「ちょっと、大丈夫――って、どこ見てんのよッ!」

「どわあっっ!」

 これこそ怪我の功名(笑?)――京一の視線が向いていたのは、豹馬を抱き起こした如月舞と、龍麻を抱き起こした葵の無防備なスカートの中。次いで、京一を覗き込むように近付いた暁弥生まで下から見上げられた――っと、来れば、小蒔以上に過激な姉御の制裁が飛ぶのは自明の理であった。

「まったく! これだから男の子ってのは…パンサー! アンタにも言ってるのよ!」

「あう…」

 これでは美形も何もあったものではない。叱られている犬のようにシュン、と項垂れる豹馬。どうやら今のショックで精神的な部分が元に戻ってしまったらしい。いや、そもそもどちらの【彼】が本来の姿なのか!? 

「そっちの龍麻君も! なんで修学旅行にまで鉄砲なんか持ってきてるの! 危ないでしょ!」

「う…うむ…」

 どこか論点がずれているような気がするのだが、なぜか一緒に説教を食らう龍麻。龍麻のこんな姿を見たら、他の仲間たちはなんと言うだろうか? いや、むしろ龍麻やこの豹馬さえも【制圧】してのけた彼女こそ最強だと、諸手を上げて讃えるに違いない。

「あ…あの…弥生、もう二人とも反省していると思うから…」

「甘い!」

 弥生に一喝され、ぴょんと跳ねる舞。

「任務だったらいざ知らず! 今はバカンスなの! バカンスの鉄則は【暴れない!】、【愚痴らない!】、【湿らさない!】。面白おかしく過ごしてこそのバカンスに戦争行為を持ち込んじゃ駄目! ――判った!?」

「う、うむ。了解した」

「あうう…」

 ほとんど人間として最強レベルに位置している二人を頭ごなしにポンポン怒鳴りつける弥生を、小蒔などは目をうるうるさせて見つめる。

「弥生さあん…格好良い…!」

「他に言葉もないな。凄い女性だ」

 とか何とか言いつつも、矛先が自分に向かなくて良かったと真剣に思う醍醐であった。

「そう言えば、あの二人は?」

 京一は弥生のダブルハリセンを受けて吹っ飛んでいったが、拳士郎はどこに…? と、見れば倒れている京一に歩み寄って何事か話している。

「さぞ良い物を見たようだな、京一クンよ」

「ああ…素晴らしきかな人生。美里は惜しくもタイツ越しだったけど、舞ちゃんはイメージ通りの純白リボン付きで、弥生ちゃんは白とブルーのストライプ、しかもビキニ――。俺は…俺は今猛烈に感動しているッ!」

「解る! 解るぞ京一クンよ! 見せパン上等の弥生が網膜の清涼剤ならば、鋼鉄のスカートと称されるガードがメチャクチャ硬い舞ちゃんは、網膜を酔わせる至高のワイン…!」

 と、たった今繰り広げられた死闘などなんのその、なにやら意気同合したらしい馬鹿二人の間を、何かが通り過ぎた。

「…お二人とも。おふざけはそのくらいになさいません?」

 にっこりと、極上の笑みを見せる舞。しかし、そのあどけない天使が手にしているものは、美しい螺鈿細工を施した玉虫色の鞘を持つ日本刀であった。それがチン、と澄んだ鞘鳴りを立てると、二人の前髪がハラ、と落ちる。この一番おっとりしていそうな子が、抜く手も見せぬ九角並の居合で二人の前髪のみ切り落としたのであった。

「あ…あは…あは…あはは…!」

 もはや真神の面々は声もない。

「あれって、自業自得だよね」

「そうだね」

 唯と貴之ののんびりした会話が、非日常に拍車をかける。どうやら魔界は、新宿だけにあるのではないらしい。

「ところで暁さん。そろそろ許してあげないと豹馬が…」

「あっと! そうだったわね」

 豹馬の上半身が奇妙にふらつき、倒れ掛かるのを舞が抱き止める。それを見てムム、と眉を寄せる京一であった。豹馬を見る舞の目は、どう見ても恋する少女のそれである。

 ひょっとしたらこの胸のときめきは初恋か――などと一人で勝手に盛り上がっていた京一は、更にとんでもない光景を見せられることになった。豹馬をベンチに座らせた舞は自分もベンチに腰掛け、そうする事がさも当然のように豹馬に膝枕したのである。

「わ…如月さんって、意外と大胆…!」

「う…うむ…」

 ちょっと目を輝かせる小蒔の隣で、なんとなく顔を赤くする醍醐と葵。今時のカップルにはありがちな光景であろうが、この二人のそれは自分もそうしたい、されたいと思い描かせるような、実に見目麗しい光景であった。

 しかし、様子がおかしい事に変わりはない。

「…どう? 大丈夫?」

 弥生が覗き込むと、豹馬の額に手を当てていた舞はこくんと頷く。

「大丈夫。あの状態で急に強い【気】を吸収したから体内のバランスが崩れただけ。少し休めば元気になるわ」

「そう…良かった」

 良かったって…自分で殴ってなかったっけ? そう突っ込みたい京一であったが、彼女たちの表情がなにやら深刻なので黙っていた。すると龍麻が驚くべき事を口にした。

「ザ・パンサーが病気だというのは、本当の事だったのか」

「……」

 彩雲学園の面々は、特に何も答えない。

「しかし、ザ・パンサーが余命一ヶ月だと聞いたのは一年以上も前だ。こんな状態でも、快方に向かっているのか?」

「まあな。――それを知ったところで、特に何もないだろ。なっ、ひーちゃん?」

 少しだけ、口調を強めた風見であった。紹介するとは言っていたが、それより前に【本気】で戦ってしまったのだ。龍麻を親友と呼ぶ拳士郎だが、豹馬もまた、大切な友人であるのだ。

「無論、他意はない。今の闘いに関しても謝罪する。しかし病気にしては妙な症状だ。これはまさか、【気】の消費が引き起こすという衰退症か? 生体エネルギーである【気】を酷使しすぎて精神まで消耗してしまい、良くて幼児退行、悪くすれば発狂すると聞く。さすがに肉体まで幼児化するなど初見だが…」

「……」

 拳士郎は眉を八の字にして沈黙する。しかしそれが言葉よりも雄弁に肯定を示していた。

「どういう事だ、龍麻? 確かに【気】を使い過ぎると酷く疲れるが、そんな症状など聞いた事もないぞ」

 今まで鬼道衆との激戦を繰り広げてきた彼らだ。鬼道五人衆や九角天童など、肉体も精神も限界まで酷使して闘った事が何度もある。しかし、それが原因で幼児退行を起こしたり、発狂したりする者は一人もいなかった。

「俺とて詳しい事は知らん。しかし普通の気功家にとって外気照射に伴う【気】の損耗を防ぐ事は最優先課題なのだ。まして聞くところによれば、IFAFのエージェントが相手にしているのはクトゥルフやハスターを始めとする旧支配者を信奉する者や、従者そのものなのだ。時にはあの【ダゴン】や【盲目の者】レベルのものとも闘うと聞く。あるいは、【奴ら】より恐ろしいものとも」

「なんだと…!」

 あの【ダゴン】や【盲目の者】と? あれより恐ろしいものと? 

 それがどれほど恐ろしい事か、京一たちも解るつもりだ。【神威】の【力】に目覚めた【魔人】が総がかりで、【門】の向こう側に追い返すのがやっとという、異次元に存在するモンスター。一見優男風なこの男が、【あれ】と闘っているなどとは…! 

「…あなた方が闘った相手の事も聞き及んでいます」

 漠然と雰囲気の張り詰めた彩雲学園の一同の中でただ一人、尋常な気配を保っている貴之が静かに口を開いた。眼鏡のブリッジに人差し指を当てた彼お得意のポーズ。しかし口調は無感情で、抑揚がない。そう、努力しているのだと判る。

「あなた方も、常識の外に足を踏み出している身でしょうが、我々は既に向こう側の空気に染まり、夜の闇、木立の影、握った拳の中からさえも常に狙われている身です。あなた方が平和な日常を望んでいるならば、この件には触れぬが花ですよ」

「…肯定だ」

 ややあって、龍麻は肯いた。

「だがこれだけは言わせてもらおう。適切かどうかは判らぬが、貴殿らには最大級の敬意を惜しまん」

 龍麻は真摯な態度で、両足を揃えてきりっと敬礼する。真神の四人には、それだけで龍麻が豹馬に寄せた心情が理解できた。――この男は、自分と似ていると。

「ひーちゃん達だって世界を救ったクチじゃん? 進む道は同じさ。そんなに固くなるこたァないって」

「感謝する。――そろそろ我々は失礼する。宿に入る時間が決められているものでな。――幸運を」

















  目次に戻る    前に戻る    次に進む  コンテンツに戻る