
第拾参話 外法都市 4
「さて…こっちもおっ始めようか!」
二人の激突によって生じる爆発が遠ざかるのを見ながら、京一が水龍刀を抜き放った。妙にノっているのは、やはりバックミュージックがかかっているせいか?
「如月! 指揮を頼む!」
「そんなもの必要ないよ。僕たちは【こいつ】と思った敵を倒せばいい!」
冷静沈着な如月らしからぬ発言に、雨紋や雪乃、紫暮が吹き出した。
「そうこなくちゃな! それじゃ俺サマは…」
「雛ッ! オレ達はあのトサカ野郎を倒すぞ! 小蒔も来いよ! ほれ、ピ○チューも来なッ!」
空を飛んでいる以上、風角には長距離攻撃できる者が当たるしかない。
「誰がピカ○ューだよッ! ヒデエぜ、姐さん!」
そう言いつつも、ご指名とあらば受けぬ訳には行かぬ雨紋。インディーズとは言えミュージシャンの悲しい性か。
「岩角は俺が引き受けよう」
宣言するなり、【白虎変】を発動して変身する醍醐。立て続けに起こった怪異の中でも、神々しさをも兼ね備えた醍醐の変身に、マッキンレー以下、特殊部隊隊員たちが声を失う。
「ダイゴ、ボクが援護するネ」
醍醐と同様、【青龍変】を発動し、潜在能力を解放するアラン。【四神】を担う者は全員が【四神覚醒】を使えるように訓練を積んできたのだ。それは小さなマリィですら例外ではない。醍醐のように変身こそせぬものの、アランに巻きつくように【青竜】のオーラが発せられ、瞳孔だけが縦に長く、猫族や爬虫類のそれに変わり、金色の光を放つ。
「うふふふふ〜。ミサちゃんも〜」
【四神】が二人も向かう戦闘に興味を示したか、裏密が二人の後ろに背後霊のように付き従う。
「炎角は僕に任せろ」
「一人で大丈夫か?」
「心配要らない。それよりも、マリィを頼む」
如月もまた、【玄武変】を発動し、爆発的な加速力を得て、彼は炎を吐き散らす炎角へと向かっていった。
「応ッ! ――マリィ、俺達は水角を倒すぞ!」
「ウン! マリィ頑張るヨッ! ――ハァァッ!」
【朱雀変】を発動したマリィに、炎のようなオーラが翼のように広がる。マリィの潜在能力は【四神】中で最大の【気】を持つ。マリィの小さな身体は膨大な【気】の放射によって宙に浮き上がった。
「行くぞ!」
紫暮は【二重存在】を展開、一人はマリィの護衛に残り、もう一人は再度【不動練気法】で攻撃力を高める。そこに高見沢が、防御力アップの術をかける。
「舞子も〜頑張りま〜す。――え〜い! 京一君と亜里沙ちゃんにも〜!」
柔らかい日差しのような光に包まれ、京一と亜里沙が苦笑する。
「と、なると、雷角は俺達の獲物って事だな」
「ウフフ、頼りにしてるわよ、京一」
ピシリ! と地面を鞭で打ち鳴らす女王様。相手は雷角――猛獣。嵌まり過ぎである。
(何か…俺はいらねェんじゃねェか?)
これで亜里沙がボンテージ・スーツでも着ていたら…などと不謹慎な事を考えた瞬間、雷角が飛びかかってきた。すんでの所でかわし、逆にカウンターで切り付ける京一! しかし、まだ浅い!
「おっと! 危ねェ!」
「なんか変な事でも考えてたんでしょ! 真面目にやらないと怪我するよッ!」
亜里沙の鞭が空中で弧を描き、次の瞬間、音の壁を破って雷角に襲い掛かった。
ガッ!
コンクリートを穿つ音と抉る音が同時に響く。
「なッ――!!」
超音速の鞭がかわされたと悟った瞬間、亜里沙は地面に身を投げ出した。柔道で言うなら前回り受け身だ。一瞬前まで亜里沙の頭が占めていた空間を雷角の爪が駆け抜け、彼女の髪を数条切り飛ばす。瞬時に向きを変える雷角に、京一の【朧残月】! しかし、これはかわされた。
油断なく水龍刀を正眼に構えながら問う京一。
「大丈夫か? 藤咲――」
「コイツ! よくもあたしの髪を――!!」
彼女は腰に手をやり、もう一本の鞭を引き抜いた。
深く潜れば潜るほどに強くなる魔物の巣窟、旧校舎。そこにはありとあらゆるタイプの魔物が出現する。当然、雷角のようなスピードと耐久力に優れた魔物も存在する。そのような敵相手には、亜里沙の鞭はやや非力のそしりは免れない。それを克服する為の、二本目であった。
「熱くなるなよ。こいつはただの鬼だった時もやたら冷静な奴だった。一回使った技は二度通じると思うなよ」
「はン! 相手にとって不足なしってトコじゃない! 殺るよ! 京一!」
先端まで【気】に満ちた鞭が亜里沙の手の中から生き物のように躍り始める。鞭の長さはそのまま、彼女の制空権だ。その範囲内に入ったものは尽く、高性能レーダーで探知されるがごとく鞭によって撃墜される。
「よっしゃ! 行くぜ! 【地摺り正眼】!!」
地面を切り裂いて走る【気】の刃! 雷角はそれを真正面から受けた。いや、自身も雷撃で刃を構成し、京一の斬撃を相殺したのだ。そのまま真っ直ぐ飛びかかってくる。
「見え透いてるぜッ! 【剣掌・発剄】ッ!!」
広がり飛ぶ剣圧! この位置なら外しは――
(何ッ!?)
雷角は空中を足場に、急激に向きを変えて亜里沙に襲い掛かった。空気の圧力をも捉える圧倒的な瞬発力が生み出す奇跡! 亜里沙の鞭は下方から跳ね上がったが、僅かに遅れた。と、言うより、雷角のスピードが速すぎた。
「クッ!!」
とっさに急所を庇って身を捻った亜里沙であったが、ガードした腕が大きく切り裂かれて鮮血が飛び散った。彼ら【魔人】たちが最初に学んだ【気】によるガードも、舞子の防御術も一撃で破ったのである。
「藤咲! ――このヤロオッッ!!」
水龍刀の切っ先に【気】が収束し、そこを中心に超小型の竜巻が発生する。
「【剣掌・旋】!!」
だが、京一は不用意に過ぎた。これまでの京一の技は、全て変生する前の雷角に見切られたものばかりだったのだ。そして【剣掌・旋】は放たれてしまえば威力が大きいが、予備動作に一秒以上のロスがある。雷角相手には致命的なロスであった。
「ぐわッッ!!」
技の発動寸前、雷角の爪が京一の肩口を大きく抉った。鮮血を振りまきつつ、京一はきりきり舞いして吹っ飛ぶ。
「嘗めるんじゃないよッ!!」
二本の鞭から繰り出される超音速の連撃! 雷角のたてがみが【雷気】を帯びて身体の前面にプラズマ球を形成、シールドにして亜里沙の鞭を受け止める。だが、息も付かせぬ連打に雷角もカウンターに出られない。
「京一! 京一ッ!!」
「クッ…! 大丈夫だ…!!」
水龍刀を杖代わりにして立ち上がる京一。その肩口からはだらだらと鮮血が溢れ、決して軽傷ではない。
(油断したぜ…! これじゃあと一撃…せいぜい二撃しか保たねェ…! …どうする!?)
「キャアッ!!」
前方で悲鳴が上がる。絶え間ない連撃といっても、【力】を込め続けて打っているのだから消耗は激しい。亜里沙の呼吸が乱れ、鞭のスピードが緩んだ瞬間、雷角が電撃を放ったのだ。
かなりのダメージを蒙り、さすがに片膝を付いた亜里沙を庇うように、京一が前に出る。
「大丈夫か、藤咲?」
「ッチックショウ…! こんなライオンもどきに…!」
「…どうでも良いが、少しは格好を考えろ。見えちまうぞ」
緊急招集であった為、ほぼ全員が制服姿である。中身は防弾仕様でも、女性陣も当然、セーラー服にスカートだ。どう見ても戦争に来る格好ではない。
「ウフフ…こんな時に余裕見せちゃって。でも、ちょっと格好良いわよ」
「ケッ、格好付けるのはこれからさ。――藤咲、一瞬で構わねェ。ヤツの動きを止めてくれ。今まで使ってねェ技でだ」
京一は木刀の切っ先を真っ直ぐ雷角に向けて構える。【秘剣・朧残月】の構えだ。しかしそれは、雷角には通じない筈では?
しかし亜里沙は、京一に任せた。他の男たちも筋金入りだが、ここ一番という時に何かやらかしてくれるのは、やはりこの男なのだ。
「一瞬で良いんだね? やってやるよッ」
亜里沙は立ち上がり、京一と並んで構えた。
獣の姿を取っていても、雷角は慎重に距離を測っていた。先ほどの連撃――【トルネードウィップ】ももはや雷角には通じないだろう。
「サア、いらっしゃい。イカせてあげるわ」
現役高校生とは思えない、色気たっぷりの挑発に、雷角は乗った。全身に【雷気】を帯び、一跳躍で二人の頭上に迫る!
(かかった!)
亜里沙の親指が鞭の柄を弾く。
「【ヒュドラウィップ】!!」
亜里沙の両手から無数の鞭が飛んだ。彼女の鞭は鋼線を捩り合わせて作ってある。その編み込みが彼女の【気】に従って解け、片側八本もの鞭に分かれたのだ。彼女の鞭のリーチを完全に見切っていたつもりでいた雷角は、待ち構えている九頭竜(の顎に突っ込んでいったも同然であった。四肢と首、そして尾に鞭が食らいつき、さしもの雷角も一瞬の停滞を余儀なくされる。
「【秘拳・朧残月】ッ!!」
そこに、京一の斬撃が襲い掛かった。ただし京一の狙いは急所ではない。より確実に仕留める為、京一は雷角の足を狙った。巨大な敵を倒す時はまず足を狙う――龍麻に聞かされた戦術理論に従ったのだ。
【ギャオオオオォォッッッッ!!】
巨体を誇るとは言え、これはたまらない。四肢を尽く切断され、雷角は土煙を上げて地面に叩き付けられた。
「藤咲ィッ!!」
「任せてッ! 行くよ! 双条鞭奥義――」
亜里沙が両手を振り上げると、分かれていた鞭が生き物のように絡み合い、一本の太い鞭と変形した。
「【絡み龍(】――ッッ!!」
両手で振り下ろす鞭の威力! 極太の鞭が音速に達した事で発生したソニックブームは雷角の頭ごと、その下のアスファルトまで砕き散らし、深い地割れを刻み込んだ。
【グ…ガガアァァァッッ…!!】
頭から胸部まで、半分吹っ飛ばされながら雷角がまだ立ち上がる。足は既になく、内臓も、脳さえはみ出させながら、【雷気】を収束しようとする。
「終わりだッ! 【秘剣・朧残月】ッッ!!」
現在使用し得るありったけの【力】を水龍刀に込め、京一は止めの一撃を放った。もはや攻撃本能だけで【雷気】を収束していたに過ぎない雷角は、京一の【気】の直撃を受け、自身の【雷気】までが水龍刀の持つ【水気】に反応して誘爆、跡形もなく消し飛んだ。
「へへっ…や…ったぜ…!」
快哉を叫ぶほどの余裕もなく、がくりと両膝を地に付く京一。しかしその腕を亜里沙が支えた。
「ホラ、しっかりしな、京一。最後まで格好付けなくちゃ、アンタらしくないよッ」
「最後までって…嫌な言い方するなよ…! ちょいと疲れただけだ…」
そんな強がりを言う京一だが、もはや一人では歩けないほどのダメージを受けているので、亜里沙の肩を借りる。そして、グラマーな亜里沙と密着した事で、いつもの京一に戻ってしまった。
「藤咲…お前って本当にグラマーだな…」
「………馬鹿」
少し顔を赤くした亜里沙は、それでも傷を負っていない彼の脇腹を思い切りつねり、彼に悲鳴を上げさせた。
「【アーカーシャー】――!!」
【ギョオオオオオォォォッッ!!】
クモというか蛇と言うか、とにかくなんだか解らない怪物に成り果てた水角に、マリィの放つ火の玉が激突し、一時的に着火する。だが、水角の水の槍が直ちにそれを消火、後には水蒸気だけが立ち込める。
対水角戦は互角ながら、膠着状態に陥っていた。【朱雀変】を発動させたマリィと変生した水角の放つ技の威力が拮抗しているので、互いに決定打に欠けるのである。もちろん、紫暮が現状打破になればいいのだが、得意の二重存在を発動させて接近戦を挑んだ彼は、水角の左右合わせて十本もの刃――足に阻まれ、一度胸板をざっくりと切り払われてしまっている。マリィの護衛に一人残り、高見沢が即座に治療したおかげで生きているが、少々迂闊であった。それからはやや離れた間合いから【掌底・発剄】を撃ち込んでいるのだが、マリィの攻撃は水のシールドで阻み、紫暮の攻撃は強靭な刃で旨く弾いてしまう。怪物と化しても、自分の特性を良く心得ているのだ。
「このままでは埒が開かん! 高見沢! 俺に治癒術を掛け捲ってくれ。何とかしてあの前足二本だけでも毟り取る!」
足全てが刃と化しているとは言え、やはり主砲と副砲の差異はある。水角の場合はカマキリのような二本の前足がメインウェポンであった。これが水のシールドを張り、身体の前面に対して制空権も持っている。他の足は刃になってはいても、基本的な役割は移動の手段であり、鎧だ。そして、背後に廻ってもその能力はいかんなく発揮されている。従って、あの前足を何とかするのが攻略の鍵なのだ。
「シグレ! 駄目!」
「大丈夫だ! 高見沢もいる! ――やるぞ!」
コォォォォッッ!!
空手の息吹――【不動練気法】を再度行い、紫暮一号がダッシュしようとする。その時である。
「待って〜! 紫暮く〜ん。舞子、良いもの持ってるよ〜。――え〜い!」
気合の呑気さとは裏腹に、鋭いフォームのアンダースロー! ぽややんぱややんとしている高見沢だが、部活はソフトボール部で、なおかつピッチャーを勤めているのだ。そして飛んでいったのは、ガラスのビン――
「耳塞いで〜ッ」
高見沢と同様、慌てて両耳を塞ぎ、口を半開きにする紫暮とマリィ。爆発に対して鼓膜を護るもっとも簡単な方法だが、水角にはその意味が解らず、むしろ敵が無防備を晒したとほくそえんだ。方物円を描きつつ飛んできたビンを撃ち落とし、一番近くにいる紫暮に攻撃を掛けようと水角は両手の鎌を振り上げた。
【ギョエッッ!!?】
鎌がビンを切り裂いた瞬間――
ドゴオオオンンンッッ!!
錠剤二五〇錠入り程度の小ビンとは言え、中身は水分吸収体に染み込ませた【ニトログリセリン】である。これが【力】に関わるものであったなら、あるいは水角も警戒したかもしれなかったが、あいにく【ダゴン事件】の時に高見沢がこれを使った事を覚えていなかった水角は無警戒にビンを叩き落としてしまった。よって、至近距離での大爆発! その威力は対戦車ロケット砲の直撃に匹敵した。
「勝機ッ!!」
水角の右半身が焼け爛れ、右手の鎌が吹き飛んでいる。左手一本なら充分に見切れる!
「発剄!」
敢えて本体を狙わず、左手の付け根に発剄を撃ち込む紫暮。間接部に裂傷が刻まれたところに、充分に腰の捻りを加え、【力】でパワーを倍加させた上段廻し蹴り! 左の鎌がちぎれ飛ぶ。真っ青な血を振りまきつつ、水角が苦鳴を放った。
「マリィ! 今だ!」
「ウン! 【アグニ・サラマンデル】ッッ!!」
大気中の【火気】を四元素精霊【サラマンダー】に変えて放つマリィ。四匹のサラマンダーは水のシールドを失った水角の首筋と胴にがっぷりと食らいつき、炎を発した。ジュウジュウと蒸気を吹き上げる水角。だが、炎は消えない!
「トウッ!!」
炎の熱さに、水角は紫暮の存在を一瞬失念した。気付いた時には、空手着が宙に舞っている。
「【華厳踵】ッ!!」
一〇〇キロを越える体重での跳び技、胴廻し回転蹴り! マサカリを力いっぱい叩き付けるような踵落しが、今や醜悪としか言いようのない水角の頭部を叩き割った。血とも脳漿とも付かぬ、緑色の粘液が派手に飛び散る。
【ギイィィシャアァァァッッ!!!】
最後の執念か、断末魔の足掻きか、水角は紫暮に覆い被さるように飛びついた。
しかし、遅い! 紫暮が待ち構える時間は充分にあった。大きく腰を落し、両の拳を腰に引き、そして――
「シィィィッッ!!」
怒涛のごとき正拳の釣瓶打ち! 正中線四連突き! 蛇の胴を持つ水角にもそれは通用した。実質筋肉だけで構成されているといっても良い蛇の胴だが、今やコンクリートブロックを粉砕させずに貫く紫暮の拳には耐えられなかった。衝撃は背中側に突き抜け、異次元の血を奔騰させる。
「とどめだ! 【円空破】ッッ!!」
本来は衝撃を放射状に広げる【円空破】をゼロ距離で叩き込む。拡散前の膨大な【気】は水角を内側から爆発させた。
【ゲギョ…ギイィィィッッ…!!】
「こいつ…まだ…!」
「シグレ! マリィに任せて!」
蛇は頭を叩き潰したくらいでは簡単に死なないという。動物の中でも特に霊力の強い蛇は、念入りに殺しておかないとたやすく人間に祟るとも言う。自分の技では無意味に時間を費やすだけだと悟り、紫暮は水角から間合いを取った。
「【サバオ・フェニックス】ッッ!!」
マリィを包む【朱雀】が大きく羽ばたく。マリィのオーラから分離した炎は火の粉を撒き散らしながら飛び、水角を直撃する。それは水角の本体を瞬く間に押し包み、その呪われた肉体を原子に還元していった。待ち散らされた火の粉も水角の残骸に飛びつき、炎を吹き上げる。――原子燃焼(。水角の断末魔の絶叫と共に炎が一度だけ大きくなり、すぐに縮んで消えた時、後には何も残っていなかった。
「やったやった! マリィちゃん! すっご〜い!」
ピョンピョン飛び跳ねて喜ぶ舞子。本当に、どちらが子供か解らない。
「舞子お姉ちゃんと、シグレのお陰だヨ!」
実に素直なマリィの言葉に、紫暮は太い笑みを零す。しかし、舞子はマリィの事しか【凄い】と言わないので、ほんのちょっぴり武道家のプライドにひびが入った紫暮であった。
【オノレ…オノレェ…!】
厳密にはそう聞こえた訳ではないが、どうやらそのような事を言っているのだろうと如月は推測した。
一人で闘うと言っただけあって、如月の戦いはほぼ一方的なものであった。攻撃力と防御力にはやや不安の残る彼だが、彼にはそれを補って余りあるスピードがある。特に【玄武変】を発動した彼のスピードは、【魔人】たちの中でも尋常ではないのだ。変生した炎角は攻撃力も防御力も桁外れに上がっていたが、口から吐く炎は如月を捉える事はできず、逆に苦手な【水気】を帯びた攻撃を加えられ、ダメージが蓄積していく。たまに攻撃が成功したと思うと、それは如月の【幻水の術】が作り出した幻であり、それに引っかかった時には無防備な状態で技を浴びる。その繰り返しであった。しかも如月は地の利も計算済みで、炎角を巧みに誘導し、水道管の破裂している一角に誘い込んでしまっていた。
「確か君は、比良坂さんという少女の仇だったね」
戦闘中にそんな事を言えるほど、如月には余裕があった。もちろん、油断は一片たりともしていない。【アイスマン】というあまり有り難くない渾名が、この時ばかりは様になるほどに、彼の目は氷点下の冷たさであった。
「本来なら龍麻君にとどめを刺させたい所だが、彼は忙しい。僕が闇へと帰してあげよう」
【グオオオオォォォッッッ!!!】
今まで溜めに溜めた怒りを吐き出すかのように、炎角の口から特大の炎が吐き出された。
如月は優雅に跳躍して宙に舞う。
それを見越していた炎角の背中から、無数の刺が飛んだ。動きの速い如月を倒すにはそれしかあるまい。刺は散弾のように広がり飛び、何処へも逃れようのない如月の全身を刺し貫いた。
【――ッッ!!?】
如月が血煙を上げたと思った瞬間、彼の身体は無数の水泡と化して飛び散った。それに驚愕する間もなく、背後からの声――
「邪妖滅殺――!」
恐竜そのものの胸板を貫く水の槍、【水流尖】! 体内に【火気】をため込んでいる炎角にはそれだけで充分であった。一挙動で如月がビルの陰に身を潜めた時、膨大な【火気】と【水気】が反応して発生した水蒸気爆発が炎角を木っ端微塵に吹き飛ばした。
「龍麻君は…皆は…?」
強敵を倒したという感慨は、彼にはなかった。【仲間】の為に為すべき事を為した。ただ、それだけである。
如月は戦況を確認するべく、瓦礫の頂点目指して跳躍した。
【ブモオォォォォッッッッ!】
「フン! 発剄!」
一直線に爆進してくる岩角から身をかわし様、【掌底・発剄】を叩き込む醍醐。恐らく急所と思われる耳の後ろにヒットしたのだが、巨大な牛鬼と化した岩角の突進は止まる事を知らず、ビルに激突して、そのビルを圧倒的なパワーで倒壊させてしまった。変生する前もパワーとタフネスだけが取り柄だった岩角だが、変生してもその戦い方は相変わらずである。そして【掌底・発剄】のエネルギーを真っ向から跳ね返すほどに耐久力が上がっている。
「駄目か! なんて頑丈な奴だ!」
「HEY、ダイゴ! ボクのガンもぜんぜん効かないヨ! このままじゃまずいネ!」
珍しく、アランの声も切迫している。アランは途中でグリーンベレーの装備を失敬していたのだが、岩角はこれまでの【鬼】以上に頑強で、自動小銃はもちろん、四〇ミリグレネードの直撃ですらかすり傷一つ負わせる事もできなかったのだ。あとは【気】による攻撃あるのみだが、それとてかすり傷一つ付けられない。
「うふふふふふ〜、身体の表面に〜【気】を跳ね返すような〜仕掛けがあるわね〜。たぶん〜あの毛皮が曲者よ〜」
言われてみれば確かに、アメリカ野牛のごとき剛毛は、それ自体が衝撃を緩和するクッションの性能も秘めた鎧のようだ。その上に【気】を跳ね返すコーティングが施されているとなれば、醍醐たちでも攻略は難しい。
「ひーちゃ〜んかマリィちゃ〜んがいれば〜あの毛皮も焼けると〜思うけど〜」
「火か…。裏密! お前の術で何とかならないかッ!?」
岩角が起き上がり、再び突進してくる。馬鹿の一つ覚えも良い所だが、こちらは疲労がつのり、そろそろ動きが鈍くなり始めている。いつまでもかわせない。
「え〜、ミサちゃんがやっていいの〜?」
この瞬間、醍醐は踏んではならない地雷を踏んでしまったような気がした。
「うふふふふふふふふふふふふ〜。ミサちゃんうれし〜」
戦闘中であっても緊張感に欠ける笑いを浮かべつつ、裏密は両手を高く差し上げた。
「闇の精霊よ〜」
常人には理解不能な呪文を紡ぎ出す裏密。彼女の両手の間にぽつん、と黒い染みのようなものが浮かび、みるみる膨張していく。裏密がそれを放り投げるような仕種をすると、闇の領域はふわりと宙を飛び、岩角に覆い被さった。
【グモモッッ!!?】
視覚を封じられた岩角がうろたえて手足を振り回す。
「【魔呪の釘】〜」
続いて裏密は天空を指差す。その指先から発したレーザー・ビームのような光が黒雲に達するや、黒雲が血色の光を発し、そこから六条の光が岩角を取り囲むように落ちてきた。見れば赤く輝く杭…巨大な釘である。それらは地面に突き刺さると同時に赤い電光を発し、岩角を六芒結界に閉じ込める。岩角の巨体が電撃に打たれて跳ね、激しく痙攣した。かなり高位の魔物でも麻痺させる裏密の術だ。岩角は並外れたタフさで麻痺を免れたが、裏密は更に術を重ねる。
「眠りの精霊よ〜。目映い光の粉よ〜」
虚空から召喚された精霊ピクシーが岩角の周囲を飛びまわりながら青く光る【眠りの粉】を撒き散らす。そこに裏密が呪文を唱えながら金粉のように美しく光る粉を撒き散らす。結界に閉じ込められている岩角は夢のように美しく輝く粉の中に紛れて見えなくなった。
「アランく〜ん。撃って〜!」
「お、OK!」
訳も解らず、霊銃を発砲するアラン。彼の【気弾】が岩角の頭に吸い込まれ、やはり弾かれたその瞬間――
「ッッ!!」
ドゴオォォォォォォンンッッ!!!
【ブモオォォォォッッッ!!!】
突如として起こった爆発に、岩角が苦痛の悲鳴を放った。結界が破れて飛び出した岩角は火だるまになりながら地面を転げまわり、ビルに激突する。【気弾】が弾かれて発した火花が、結界内を埋め尽くした粉に引火し、粉塵爆発を起こしたのだ。それも魔力のこもった粉を、【気】で着火したのである。噴き上がった炎は紫色であった。
「今よ〜二人とも〜」
「お、応ッ!」
ほんの一瞬の計算で自らの術を組み合わせ、岩角の毛皮を焼き尽くす事に成功した裏密。醍醐はこれまで以上に、裏密に畏怖を覚えた。恐らく今後どのような事があろうと、彼女に慣れる事はないだろうな、などと思う。
「【虎爪】ッ!!」
毛皮のプロテクターを焼かれた岩角に、鋼鉄をも切り裂く【白虎】の爪を叩き付ける醍醐。その一撃で岩角は肩の肉を大きく切り裂かれ、青い血潮を奔騰させた。
「HEY! オージョーギワが悪いネッ! Freeze!!」
アランの【気弾】が、周囲の水蒸気を凍らせつつ岩角の足に叩き込まれる。命中と同時に岩角は足から霜に覆われて行った。続く連弾も【フリーズ・ショット】! 水銀すら凍結させるマイナス二〇〇度の弾丸は岩角を氷の彫像へと変えた。そこに醍醐の――
「【破岩掌】ッッ!!」
その一撃で、筋肉から内臓諸器官、血液に至るまで凍結した岩角の巨体は、美しいとさえ言える無数の氷塊と化して飛び散った。ただ一個所、岩角の首だけは原形を保ったまま宙に舞う。しかし――
「――Jack Pot!」
狙い済ましたアランの【気弾】が岩角の眉間を貫き、粉々に打ち砕く。愚鈍にして醜い鬼であった岩角は、最後の瞬間だけは夢のように美しく散った。
「やったネ! ミサ、ダイゴ!」
快哉を叫ぶアラン。
「う、うむ! 本当に良くやった。お陰で助かったぞ、裏密」
やはり、裏密を相手にすると醍醐の声が裏返る。しかし裏密は、更に醍醐を総毛立たせるようににや〜っと笑った。
「うふふふふふふふふふ〜、大成功〜。感謝の気持ちは〜魂で現わしてね〜」
「な、なにィ!?」
これは迂闊だった。事もあろうに、これほど素直に裏密に感謝の意思を見せてしまうとは!
龍麻は裏密の協力に際して、必ず報酬を先に払っていた。従って、彼女自身が報酬を要求した事はない。しかし、落ち着いて考えてみれば、彼女に貸しを作る事がどれほど恐ろしい事か解る筈だったのだ。
「うふふふふふふふふふふふふふふふ〜。逃がさないからね〜二人とも〜」
「ああああああああああ……!」
「Oh…JESUS…!」
たとえ苦戦しても、裏密を宛てにしない方が良かったのではないか? と、そんな事を考えても既に後の祭りである二人の背後に、いつも以上に上機嫌の裏密の笑い声が響いていた。
「畜生ォッ! 馬鹿にしやがって!」
他の仲間たちが五人衆を倒していく中、一番苦戦を強いられたのは、やはり対風角戦であった。
空を飛べるものが、わざわざ地上戦に付き合う必要はない。制空権を握っている風角は雨紋や雪乃の攻撃が届かぬ上空から、江戸川で女性の首を刈っていた恐怖の真空刃を放ってくる。今の【魔人】たちならばその攻撃を見切る事もできるのだが、時折その強烈な羽ばたきで突風を叩き付け、飛ばされまいと踏ん張った所を狙ってくるので始末が悪い。このような陰湿でねちっこい攻撃は、何より雪乃の嫌う所であった。
無論、対風角に臨む為に小蒔と雛乃がいる。しかし風角は彼女らの矢を侮らず、常に自分が矢をかわしうる距離を保ち、【力】のこもった矢を、こちらも【力】の宿った風で軌道を逸らすのである。
「小蒔様、矢は残っていますか?」
「残り二本。雛乃は?」
「私は一本だけです」
矢が尽きれば、この二人は完全に足手纏いになる。そうなる事を見越した上で、風角は決着を急ごうとはしていない。対空攻撃可能な者がいなくなれば、風角はより接近して強力な突風を、真空刃を放ってくるだろう。それが解っていながら、雨紋にも雪乃にも手立てがない。
「今度こそ…!」
これまで以上の気迫を込めて弦を引き絞る小蒔。弓矢が深紅の輝きを放つ。【火龍】だ。
しかし、雛乃がそれを制する。
「お待ちください、小蒔様。その二本は残しておいてください」
「エッ!? でも…」
突然何を言い出すのかと雛乃を見た小蒔は、あ! と小さく声を上げた。
「まさか雛乃、アレをやるのッ!? だってアレはまだ…」
「…私にお任せください。――姉様! 雨紋様! 後の事はお願いいたします!」
「ちょ、ちょっと雛乃!」
小蒔が制止するよりも早く、雛乃は風角の真下に向かって走り出した。
「雛ッ! 何をするつもりだ!」
「危ねえ! 雛乃サン!」
風角は、最もおとなしそうな少女が駆けてくるのを、薄笑いして眺めていた。
確かに風角の体を護っている竜巻は、真上と真下に小さな無風地帯がある。しかしそれとて、僅かに風向きを変えればいくらでもカバーできるのだ。そして接近すればするほど、相手はより強力な突風を叩き付けられる事になる。
雛乃は自ら、竜巻の中に飛び込んで行った。長い黒髪が、制服が切り裂かれ、鮮血が風に舞う。
「雛乃!!」
「雛ァッ!!」
しかし、その強風の中で、雛乃は真上に向けて最後の矢を番えた。ありったけの【気】を込めたために、矢自体の形が失われ、金色の光そのものとなる。
「巫女の力、今こそ見せます! 天弓(奥義――【五月雨(撃ち】!!」
【グオッ!?】
竜巻の流れに乗って回転しつつ、金色の光を放つ矢が風角に向かって飛んだ。優に風のプロテクターを打ち破る力があると見抜いた風角は己を過信せず身をかわす。惜しくも矢は風角の翼を掠めただけで、天に向かって飛んで行ってしまう。
「外したッ!?」
「雛ァッッ!!」
雨紋が唇を噛み、雪乃が絶叫した。その視界に、膝から崩れ落ちる雛乃の姿が映ったのだ。
【脅かしおって。今度こそ――ッッ!?】
その時、風角は真上から降り注ぐ金色の光に気付いた。はっとして振り返った瞬間が命取りであった。
【ギャアアアアッッ!!】
天空から降り注ぐ金色の矢の豪雨! ただ一本の矢から発生した【気】の矢であった。小蒔の矢に備えて身体の前面に竜巻を展開していた風角は、背中と翼一面を文字通りの矢襖にされ、大きくバランスを崩した。
「食らえッ! 【火龍】!!」
小蒔の矢が、勢いを失った竜巻を貫き、風角の羽を直撃、爆発炎上させる。
「もう一発ッ!!」
【火龍】の二連射! 翼を失った風角はきりもみしながら墜落し、地面に叩き付けられた。
「でェェェやァァァァッッッ!!」
「オオオオオオッッ!!!」
怒りに燃えた雪乃が、雨紋が突進した。
「【落雷閃】ッ!!」
「【雷神突き】ィッ!!」
落下の瞬間を狙われた風角は二人の攻撃をまともに浴び、胸板をざっくりと切り払われ、脇腹を背中まで貫かれた上、電撃に傷口を焼かれた。元々空を飛ぶ為に風角の肉体は軽く、防御はもっぱら風任せだった為、それだけでも致命傷となる。しかし二人とも容赦しなかった。
「オラァッ! 【雷光ブラスター】!! 【旋風輪】!! 【落雷閃】!! 【ライトニングストーム】ッッ!!」
「デヤァッッ! 【八双薙ぎ】!! 【水月突き】!! 【二段薙ぎ】!! 【三段薙ぎ】ィッッ!!」
持てる技の限りを叩き込む雨紋と雪乃。だがさすがに大技を無慮に叩き込んだ為に疲労がつのり、息を継いだ瞬間、ほとんど瀕死の風角が二人に体当たりをかけてきた。かろうじて横っ飛びしてかわした雨紋と雪乃は、即反撃ができない。風角は地面を引っかきながら、既に攻撃力をなくし、雛乃を抱えている小蒔に向かって突進して行った。一人でも多く道連れにするつもりだ!
すっと小蒔が立ち上がり、弓を構えた。しかし既に矢はない。たとえあったとしても、風角の突進を止められるとは思えなかった。しかし――!
「奥義ッ! 【疾風撃ち】ッッ!!」
確かに矢は尽きている。しかし弦を引かぬまま、弦を引いた形に構えた小蒔の指先から、金色の光を放つ【矢】が伸びていた。それが放たれた様は、風角の目にはレーザー・ビームのように映った。次の瞬間、眉間、人中、喉、壇中、水月、丹田の、正中線に位置する急所に光の矢が突き立ち、風角を跳ね飛ばした。
「このヤロウォ…! 悪足掻きしやがって…!」
「次でとどめにしてやるぜ…雷神よ――ッッ!?」
その時、雨紋と雪乃は自分たちの【気】が相乗効果を起こしているのを知った。風角を挟む、対角線上の位置。そこに、ポイントがあったのだ。【気】の相乗効果を利用した大技――【方陣技】の。
「…行くぜッ!」
「オオッ! 姐サン!」
槍と薙刀が交差し、そこを中心に光が爆発的に広がり――
【グギャアァァァァァッッッ――ッッ…!!】
後に【春雷の舞い】と呼ばれる事になる【方陣技】が直撃し、風角は原子の塵に分解された。
――光が消え去り、目が合った雨紋と雪乃ははっとした後、口元に会心の笑みを浮かべ合った。それから慌てて、小蒔に抱えられている雛乃の元に走り寄った。
「雛ッ! オイ! 雛ッ!!」
「雪乃、落ち着いて。急激に【気】を消耗して気を失っただけだよ」
そう言う小蒔も、青い顔をしている。矢が尽きた弓師は足手纏いになる――小蒔と雛乃にとって、それはどうしても避けて通れぬ懸念であった。そして辿り着いたのが、【気】を弾丸に変えるアランの技である。彼の霊銃は元々【それ】用に作られている為、アランは比較的軽く連射をこなしているが、【気】で矢を物質化させるのはさすがに骨が折れた。大出力の放出系【気】術を扱う龍麻や京一のレクチャーを受けてなお、腸(がよじれるような集中を必要とし、仮に矢を作り出せても消耗が極めて大きいのである。従ってこの技は、まだ彼女たちにとっては一発勝負の切り札であった。
「…姐サン…これ…」
雨紋はそっぽを向きつつ、脱いだ上着を雪乃に差し出した。
「…サンキュー…雷人」
少し照れたように雨紋の名を呼び、雪乃は受け取った上着をあられもない姿になった妹に着せ掛けた。
「…雪乃サンたちはここにいてくれ。俺サマはひとっ走り、皆の様子を見てくるぜ」
なぜか皆の顔を見ないようにしながら、雨紋はだっと駆け出して行った。その妙に慌てた様子に、小蒔はおやあ? …と思考を巡らせる。
「雪乃…ひょっとして――」
「ば、馬鹿! そんなんじゃねェよ!」
速効で首を振る雪乃。
「…ボク、まだ何も言ってないよ」
「え!? ああ! そうかッ、そうだなッ!」
焦りまくる雪乃に、小蒔は悪戯っぽい目を向ける。
「ふうん。雪乃がねェ…」
「な、なに言ってやがるんだ! 言っとくが、俺はそんなんじゃねェからなッ!」
「…姉様ずるいですわ。ご自分だけ…」
小蒔に抱えられながら、雛乃が羨ましそうな目を姉に向ける。
「ひ、雛ッ!? 気付いてたのか!? いつからッ!?」
「…姉様が雨紋様と顔を見合わせて、お笑いになった辺りからでしょうか…」
「だ、だったらなんで気絶したふりなんか…!」
「だって…なんだかお邪魔してしまいそうな気がして…。小蒔様も、そう思われますよね?」
姉に痛恨の一撃を加える雛乃に、小蒔も首肯して会心の一撃を加える。
「ウン…ボクたち、お邪魔虫だったみたいだね」
「お、お、お前らなァ――ッッ!」
それからの数分は、雪乃の必死の言い訳に費やされた。
五人衆の気配が五分と待たずに消えたのを感じ取り、九角が笑い声を上げた。
「フン、なかなか大した【仲間】をかき集めたじゃねェか、ひーちゃん?」
ボッ!! 問答無用で発せられる発剄を、九角は首だけ傾けて避けた。
「シッ!」
常人の耳には捉えられないほど微かな気合と共に、龍麻のいた空間を何かが切り裂く。文字通り【見えぬ】九角の居合いであった。とんぼを切って体勢を立て直した龍麻。しかし突然、胸板にぱっと鮮血が散る。浅手ではあるが、またも避けきれなかったのだ。
既に龍麻は満身創痍と言って良かった。繰り出す技は尽く避けられ、カウンターの斬撃は致命傷までは行かずとも全弾ヒットを許していた。せいぜい深さ二ミリ、今食らったばかりの傷も深さ三ミリほどの浅いものだが、それでも無数に刻まれた傷からの出血は総合すればかなりのものだ。戦いが長時間に及べば、出血多量で自滅しかねない。
(なぜかわされる?)
互いに潜在能力を解放、爆発的な運動能力を獲得している身とは言え、龍麻には自分の攻撃がここまでかわされる理由が分からなかった。今の動きをトレースしてみても、【掌底・発剄】は九角を捉えられる筈だった。そして九角の斬撃に関しても、そのスピード、タイミング、軌道その他を含めても、躱し切れる筈だったのだ。それなのに現実は発剄をかわされ、自分は浅手を負わされている。
「…不思議そうだな、ひーちゃん。いや、ナンバー9」
「…ッ!」
そう呼ばれた瞬間、龍麻は【螺旋掌】を放った。広がり飛ぶ、言わば発剄の散弾! だが、九角はむしろ緩やかに見える体捌きで、【螺旋掌】の攻撃範囲から身をかわしてみせた。
「…ッッ!」
「有り得ねェ――そんなツラだな。ふふん、俺を誰だと思っているんだ? 俺はレッドキャップス・ナンバー0。お前たちの隊長だぜ。お前の性能も戦術もすべて把握済みだ」
「黙れ!」
【掌底・発剄】を二連射! 狙う部位とタイミングをずらして発した直後、龍麻自身も間合いに飛び込む。またしても発剄を二発ともかわす九角に向けて【巫炎】を――!
「甘ェ!」
両掌の間に発生した炎を、九角の刀が一閃してかき消した。さすがに驚愕した龍麻に、狙い澄ました一撃! 十字受けしたオリハルコンの手甲が火花を発し、龍麻は弾き飛ばされて雑居ビルの壁に叩き付けられた。
「破ァッッ!!」
初めて、九角が気合を上げて刀を振り抜いた。
とっさに身体を傾がせ、斬撃の軌跡を避ける龍麻。今の一撃、避けられなければ首でも胴でも分断されていた。だが、ロングレンジの技を放った事で、初めて九角に隙が生じた。チャンス――!
瞬時に【秘拳・鳳凰】の構えを取る龍麻。しかし、直後に起こった地鳴りが、彼に頭上を振り仰がせた。
「――ッッッ!!!」
ビルが崩れる!? 九角の斬撃はコンクリートも鉄骨も分断していたのだ。雑居ビルを丸ごと一つ!
「【鳳凰】ッッ!!」
逃げるには間に合わない! 龍麻は決戦用に温存しておいた【秘拳・鳳凰】を真上に向けて放った。西側最強の戦闘ヘリ【アパッチ】をも撃墜した、龍麻最大の奥義。金色に輝く鳳凰は縦横二〇メートル以上ある雑居ビルのコンクリートも鉄骨もぶち抜き、直径一〇メートルにも及ぶ大穴を開けた。数千から数万トンに及ぶ鉄とコンクリートの固まりも原子に還元する超エネルギー波だ。しかし――
「…まだそんな奥技を隠し持ってやがったか」
薄笑いを浮かべながらも、さすがに九角の頬に一筋の汗が伝わる。アパッチを撃墜したという情報は得ていても、実際に目にするまでは信じないのが軍人の鉄則だ。これを不意に出されたら自分でも危なかったと、即座に現実を受け入れているのだ。
瓦礫の山と化したビルから飛び出してきた龍麻も、もはや不意打ちも効かぬ事を悟っていた。
レッドキャップスのメンバーは野生の獣と同じだ。一度自分が目にした武器に対してはありとあらゆる防御手段と、反撃手段を持つ。ただ一度、それだけで良いのだ。どのような兵器、どのような格闘術であろうと、一度見てしまえば、彼らの中で数万通りのシミュレーションが行われ、対抗措置を講じる。レッドキャップスを仕留める為には、まったく未経験の攻撃を仕掛けるしかないのだ。
しかし、九角は【秘拳・鳳凰】を見てしまった。それは、【秘拳・鳳凰】が既に見切られてしまった事を意味する。龍麻は切り札を失ってしまったのだった。
「大した威力だ。だが、もうネタ切れだな」
「…ッ!」
龍麻は瓦礫を蹴り、一気に九角の元まで跳躍した。
「――馬鹿が」
いかに速い動きでも、跳んでしまえばあとは落ちるだけだ。着地点を狙って斬撃を繰り出そうとして、しかし九角は瞬時に刀を掲げて後方に飛び退く。龍麻が空中でイングラムを抜いたのだ。フルオートでばらまかれる弾丸を避けて九角は三度とんぼを切る。
着地と同時に、龍麻は対人手榴弾を九角に向かって放った。
「しゃらくせェ!」
九角の斬撃が空を切り裂き、手榴弾の信管を切断する。だが同時に龍麻も手榴弾に向かって【掌底・発剄】を放った。【気】の激突によるスパークが炸薬に引火、爆発と共に撒き散らされるコイルや鉄片は発剄で弾き飛ばされ、全部九角に向かって飛んだ。
「【乱れ緋牡丹】ッ!!」
「――ッッ!!」
その光景は、龍麻でさえ俄かには信じられなかった。
対人手榴弾の中身は釘やコイル、細かい鉄屑などで、爆発そのものよりも、爆風で撒き散らされるそれらが人体を引き裂くように制作されている。龍麻は発剄を撃ち込む事でそれらの破片に方向性を与えたのだが、それぞれがどう飛ぶかは龍麻にも予測が付かない。しかし九角はイレギュラーな角度で広がり飛ぶ破片を正確に、自分に被害の及ぶ分だけを刀で打ち落としてのけたのだ。
「フン…小細工しやがって。こっちの手の内も見られちまったな」
スラリ、と抜き放たれる刀身に、龍麻の姿が映る。
あの時の刀だ。九角と二人で祖父を【始末】した時に、祖父が手にしていた品だ。それ以前にも、龍麻の左目を奪った刀。確かその名は、童子切安綱――
「――本気を出すぜ」
九角の目が、欄! と赤く輝いた。
「ッッ!!」
一瞬という表現も及ばぬ速度で、九角は龍麻の真正面に踏み込んでいた。かろうじて手甲で斬撃を受け止めたものの、それこそ奇跡だ。ファインセラミックスの三倍強の硬度を誇るオリハルコンが半ばまで斬り込まれる。――反撃の龍星脚! だが振り上がる膝を刀の柄が強打して技を不発させる。姿勢のぐらついた龍麻の顎に、ムエタイ式の肘打ちのような刀の柄の追撃! 直撃だけは外して、龍麻が後方に跳躍して距離を取ろうとした時だった。その動きにぴったりと付いてきていた九角の斬撃が閃いた。
ザンッ――!!
コートの下に着込んでいたチタン・メッシュ・コーティングの防弾ベストが装甲板ごと切り裂かれ、右袈裟懸けに走った斬線から鮮血を吹き出しつつ、龍麻は瓦礫の山から転げ落ちた。
「ガフッ…! ゴフッ…!」
瞬時に起き上がろうとする龍麻こそ怖るべし。しかし、その一撃は致命的であった。立ち上がれたのは一瞬で、急激な血液流出により、彼の身体は意思に反して地面に膝を突く。口からも鮮血が溢れたのは、傷が肺にまで達した為であった。
「ナンバー9。お前では俺には勝てん」
「……!」
龍麻の左眼は未だ爛々と輝いてはいるが、肉体の方が追い付いていない。彼の頭の中では機械的思考が肉体の損傷率を弾き出している。
――左心肺に機能不全発生
――肉体損傷率六〇パーセント、攻撃力四〇パーセントダウン
――戦闘機動停止まで一九〇秒、全機能停止まで六二〇秒
ダン! と地を踏み締め、龍麻は血を振りまきながら九角に向かって前蹴りを繰り出した。
前蹴りはあっさりと払い落とされ、逆にカウンターの蹴りで胸板の傷口を抉られる。龍麻は血泡を吐いて地面に転がった。
「殺戮機械である貴様の性能は、基本性能において俺より劣っている。従って貴様の勝利は有り得ない。貴様のパワー、スピード、戦術、全てにおいて、俺の予測範囲内だ」
「………ッ!?」
「人間は痛みを無視する事はない。むしろ痛みこそが生存本能を刺激し、肉体に秘められたリミッタを解除しうる。――機械ではあらかじめ設定された性能を九九・九九九…パーセント引き出すだけで終わりだ。その限界を越え、一〇〇パーセント以上の力を引き出せるのは、自らの限界に挑み続けてきた人間だけだ」
龍麻に反撃能力が残されていない事を確信しているのか、九角は無造作に間合いを詰めて行った。
「人間である事を切望しながら、貴様は所詮、殺戮機械のままだったか。落語もコスプレも、所詮は潜入工作用プログラムが選択した偽装に過ぎん。全てがまやかし・・・見せ掛けさ。お前はレッドキャップスの中で総合力が一番安定していた。そのため敵との間合いに応じて武器や戦闘法を最も効果的に選択し、最速にして最も有効な攻撃を相手に加え、自らの損耗は最小限に押さえ得る。しかしそれこそが、貴様の最大の欠点だ」
「――ッッ!?」
「相手の完全抹殺を選択しつつ、自己保存のプログラムにも従う為に、貴様はあと一歩が踏み込めない。その一歩を踏み込めば相手を仕留められる状況でも、自身の損傷を避ける為に踏み込めんのだ。刺し違えてでも相手を倒す必殺の意志のない甘い攻撃が俺に当たると思うか? ましてプログラム通りの攻撃法に回避法など、読むのはたやすい」
今の龍麻の思考には、その言葉は衝撃としては伝わらない。しかし、戦闘プログラムはそれを新たなデータとして認識、目前敵の完全抹殺を再計算する。そして出た結論は――勝利確率、〇パーセント! つまり――不可能!
「………ッッ!」
勝つための戦術を組み上げる事しか知らない、戦闘知性体としての彼は、絶対に勝利する事ができないとの計算結果をエラーと判断した。しかし一瞬にして数千回も繰り返された再計算の結果は全て同じ。その果てに任務達成は不可能。つまり、自らの存在意義を見失い、彼は遂に戦闘を放棄した。筋肉の緊張が解かれ、傷口からの出血が多くなる。本当に諦めたのか!?
「…それが殺戮機械の限界だ。先に向こうで待っているがいいぜ」
自分に向かって振り上げられる刀を、龍麻は他人事のように眺めていた。あれが振り下ろされる時、自分は機能停止する。闘う為だけに作られ、闘いの中で消耗する。――それが自分だ。闘いの為だけに存在する自分が、最終目的である【勝利】条件を満たせぬと知った時、【ナンバー9】という戦闘知性体が認識したのは、【彼】が未だに理解し得ぬ【安堵】という感覚であった。
(――ここまでか…)
刀が振り下ろされた正にその瞬間、絶叫が空気を切り裂いた。【仲間】の声だった。
「ひーちゃん!!」
「――ッッ!!」
それは、何万分の一秒という間に行われた戦いであった。
『――ここで終わって良いのかね?』
穏やかな声に顔を上げると、そこには振り下ろされる刀はなく、代わりに、かつて拳を交えた男が静かに立っていた。
「不破弾正…殿…?」
その口元に刻まれる微笑――かつて敵として向かい合った時とは真逆の、いや、彼が最期に見せた、温かく包容力に満ちた、武道家の笑み。
『武道家が闘いを諦めたならば、戦士が誇りを失くしたならば、それは死んだも同然よ。だがお前には、護りたいものがあったのではないか?』
「自分では…彼に及ばぬ」
『ふ…武士道とは死ぬ事と見つけたり。死を知ってこそ生の尊さを知り、死中に活を見出すは武道家の基本。いや、武道家に限らず、人間であれば誰しもが持ち合わせねばならぬ。絶望を知ってなお、一筋の希望を見出さんとする強き心を。お前はそれを、多くの者に学んできただろう?』
「――ッッ」
龍麻は眼を見張った。そこに立っているのは不破のみにあらず、HIROやK、李や渋沢翁、松田雄二郎、後野拳児、風見拳士郎に暁弥生、エトセトラ…エトセトラ…今まで自分が関わり、多くを学んだ者たちであった。
彼らは言う。
――何の因果か男に生まれたんだ。だったら息の根が止まるまで男として生きろ
――君の手は人殺しの手だ。だが今の君は、他人にはないその力、どのように使う?
――ひーちゃんは、ヒーローになるべきだと思うぜ
――今時のヒーローは、もっと欲張りでいーのよ
――男はね、自分の為じゃなく、誰かの為なら、泣いてもいいんだよ
――今は僕が、ひーちゃんの代わりに泣いてあげるから
――強いだけじゃない。優しいだけじゃない。君は、とても素敵な男の子よ
――君の修行は、君の中にいる【ヤバい奴】に勝つ為のモンだろう?
――Alive(。Life is Wonderful(
そうだった…。既に、彼らに学んでいたのだ。【人】としてあるべき姿とは何かと。真に【人】として【成る】とはどういう事かと。
龍麻の前に、無数の手が差し伸べられた。
『さあ、立ちなさい。そして今一度、挑みなさい。己の【宿】に打ち勝ちなさい。【力】は既に、お前の内にあるのだぞ』
「……ッッ」
龍麻は顔を上げ、その手を取ろうとした。しかしどの手もすっと遠のき――彼の前を指し示す。その先にあるのは――大きな男の背中。雄大で、力強く、炭火のような温かさを兼ね備えた存在感…。会った事もなければ、顔を見た事もない、そして今も、顔は見えない。それでも――判る。この男は――
(緋勇…弦麻…!?)
その男の右腕が、上がった。その先にある、立てられた親指。そして――男を貫き、近寄ってくる人影は――
(――俺!?)
龍麻がそれを認識するまでもなく、赤く光る眼こそが全てを物語っていた。龍麻のゴースト。完全戦闘知性体。レッドキャップス・ナンバー9…
その伸ばした手が、龍麻の手を取った。そして――
――【No9.Reloading 【V−MAX】mode】
――【You have control。 Tatuma Hiyu】
――【Good Luck!】
「ひーちゃん!!」
「――ッッ!!」
現実時間への回帰。真っ直ぐ振り下ろされてくる殺意の塊。龍麻の手は自然に上がり――
――バシンッッ・・・!!
「――何ッ!!」
龍麻を脳天唐竹割りにするべく振るった刀が止められ、九角が驚愕の叫びを放つ。真剣白刃取り――あくまで模範演舞の中でしか成功しないとさえ言われる技を、龍麻は九角相手に使用したのである。その目は再び、真紅の輝きを放っていた。しかし――
「――だからこそ【少佐】は【俺達】に、人として生きる事を望んだ――」
「ッ!? テメエ…ッッ!」
(再起動だとッ!? だがッ…コイツは…ッッ!)
【ナンバー9】としての能力を発揮しつつ、それは【緋勇龍麻】の言葉であった。九角は驚愕し、その現象を分析して二度驚いた。
戦闘知性体【ナンバー9】は、確かに戦いを放棄した。完全な戦闘マシンであればその時点で機能停止…すなわち死を迎えていただろう。しかし――龍麻が【ナンバー9】を頼みとしたように、【ナンバー9】もまた、機械が絶対に持ち得ない【希望】に賭けて【緋勇龍麻】の意識を覚醒し、龍麻は死に際に一生を垣間見るという【人間】の超集中力を【九角を倒す】という一点にのみ集中し、遂に九角の太刀筋を見切ったのである。既に損傷が限界に達し、戦闘機動を停止していた彼の全細胞が、龍麻の覚醒と【ナンバー9】の発現の下、咆哮を上げて戦闘続行を告げた。
「ヌウウッ!」
九角が力を込めるが、刀は万力で挟まれたかのようにびくともしない。それどころか、全身から鮮血をたぎり落しながら、龍麻はじりじりと立ち上がった。そして――
「破ァッ!!」
唸り飛ぶ【龍星脚】! 一の脚! 九角は身を捻ってそれをかわしたが、掠めただけで衝撃波が彼の学生服を引き裂き、胸板に火傷の引き攣れを刻んだ。九角は手首を返して刀を奪い返したが、龍麻は二の脚の勢いでとんぼを切り、間合いを取り戻していた。そして龍麻はコートを脱ぎ捨て、防弾ベストも銃器類も、全て打ち捨てた。真に――徒手空拳。
「龍麻…ッ!」
「…来いッ! 天童ッ!」
胸板は言うに及ばず、全身に刻まれた傷からの出血は続いている。戦闘に耐え得る時間はせいぜい一分半! それなのに龍麻の全身からは先ほどまでとは明らかに違う気迫に満ちていた。
(ここでは死ねん。仲間の為にも、俺の為にも。俺は…生きる!)
それは彼が今まで一度も感じた事のない感覚であった。
何の為に闘うのか? 何の為に死ぬのか? ――その答を、龍麻は持っていなかった。レッドキャップスとして刻み込まれたプログラムだけが、彼を闘いに誘い、それを自らの任務だと誤解させていただけだったのだ。少なくとも、この瞬間までは。
だが、今は違う。これは偽りの生、偽りの自由を捨て、己の意思で【護りたい】と始めた戦いなのだ。自分の為、仲間の為、護りたいものの為、自ら放棄するなどあり得ない戦い。この命…もはや自分一人だけのものではない! そして今の自分は――ただの機械ではない!
「…らしくなりやがったじゃねェか。――ハアッ!!」
空気を抉るような踏み込みから袈裟懸け、逆袈裟懸け! 凄まじいスピードに衰えはない。しかし――
ギンッ…!
「…ッッ!!」
手首を襲った衝撃に、何事かと眉根を寄せる九角。ナンバー9ですら見切れぬ筈の斬撃が撃ち落されたのだ。龍麻は【達人】のみが成し得る妙技――九角の所作から刀の軌道を予測し、刃に向けてフックを叩き付けたのであった。
再び、下方から薙ぎ上げる斬撃!
後方に飛び退きざま、龍麻はまたもフックで刀を弾く。
「ひーちゃん…刀を狙ってやがる!」
龍麻が戦闘放棄した時はどうなる事かと思った京一だが、今の龍麻に気遣いは無用であると彼は知った。五人衆を倒した仲間たちも次々と瓦礫を越えてきて、龍麻と九角の一騎討ちに目を向ける。――誰もが介入しない、介入などできようもない戦いを前に、彼らに出来る事は龍麻の勝利を祈り、最後まで見届ける事であった。
「――しかしあの出血だ。時間を掛ける訳にはいかんぞ!」
「ああ。九角もそのつもりだ」
龍麻が出血多量で倒れるのを、なぜか九角は待たなかった。一気に畳み掛けるべく踏み込む。同時に龍麻も、九角の懐深く飛び込んだ。
「【乱れ緋牡丹】ッッ!!」
「【八雲】ッッ!!」
この二人をして、まさか真正面から挑むとは!? 乱れ飛ぶ神速の斬撃を超スピードの拳撃が迎え撃った。爆発的に放出される【気】が二人の周囲に竜巻を起こし、弾け合う太刀風と拳圧が地面を抉り、瓦礫を切り裂く。陰と陽、二つの超エネルギーの激突は突風、振動、衝撃波、超高熱、超低温、超音波と、ありとあらゆるエネルギーに変成されて撒き散らされ、破壊の限りを尽くす。それは天地をも恐怖に震わせたか、空の暗雲は渦を巻き、凄まじい雷鳴が轟き、恐ろしげな地鳴りが響き渡った。【力】を有する魔人たちも、無防備に突っ立ってはいられない。裏密、舞子、雛乃が一斉に防御用の結界を展開し、かろうじて超エネルギーの余波をしのぐ。
「なん…て闘いだよ…!」
「信じられん…こんなレベルの闘いが存在するとは…!」
女性陣は、気の強い亜里沙や雪乃さえ歯をがちがち鳴らし、男性陣は剛胆な紫暮さえも蒼白になっている。
あんな闘い――自分たちにはできない! 自分たちごときでは九角も龍麻も、相手にしたその瞬間に切り刻まれ、骨を砕かれる。
「しかし――あのままでは龍麻君が保たない!」
既に数百にも及ぶオーダーで拳と斬撃を繰り出している二人であるが、龍麻には致命的な裂傷がいくつもある。如月が声を上げたその直後、斬撃を拳で受け止めた龍麻が力負けして弾き飛ばされた。しかし龍麻もまた、刀を振り切った九角がゼロコンマレベルで硬直した瞬間に蹴りを繰り出していた。龍麻は鮮血を振りまきながら吹っ飛び、九角は左腕を不気味な形にねじくれ曲げる。
「ケッ、やるじゃねェか」
驚くべき事に、九角は複雑に折れた左腕を見ながら平然と言う。龍麻も胸の傷に軽く触れ、指先に付着した血を嘗め、吐き捨てた。
「まったく胸糞悪ィぜ。あの頃を思い出す。ほんの餓鬼の頃――あの庭でお前と戦わされた時をなァ!」
「――あれが全ての始まりだった。だが今は、俺たち自身が幕を引く!」
「そうだな――お互い、時間がねェ!」
ダン! と地面を踏み締め、九角が宙へと飛んだ。右手一本だけとは言え、自らの体重を乗せた袈裟懸け! それを受けた龍麻の左手で、オリハルコンが砕け散る。
無理に踏みとどまらず、三才歩で九角の死角――彼の左側に廻り込む龍麻。その位置から螺旋掌を――!
「――ッッ!!」
掌を繰り出そうとする瞬間、予想だにしなかった反撃! 九角の【左】裏拳をまともにくらい、龍麻は吹っ飛んだ。
「馬鹿な! 折れてる左腕で!!」
醍醐が叫ぶが、龍麻にそれを聞いている余裕はない。九角が地面に転がった龍麻に刀を突き立てに来たのだ。地面を転がってかわす龍麻であったが、いつまでも逃げられるものではない。龍麻が跳ね起きようとする寸前、九角の刀が龍麻の左腿を捉えた。
「グアッッ!!」
初めて龍麻が苦鳴を上げる。しかしその瞬間に龍麻は【掌底・発剄】を放った。地面に転がっている姿勢の為に【気】の加速は足りなかったが、それでも九角を弾く程度の威力はあった。間合いが離れ、その隙に立ち上がる龍麻。間髪入れず再び横薙ぎに切り込んできた刀を、九角の懐深く飛び込んで受ける。しかしその途端、またしても九角の【左】拳が龍麻の顔面に叩き込まれた。
「ま、また! いくら痛みを無視するったって、無茶苦茶だぜ!」
あまりの凄惨さに堪えきれず、雛乃が雪乃に、舞子が亜里沙にすがり付く。九角の腕からは折れた骨が飛び出してさえいるのだ。そんな腕で一体どこの誰が攻撃を仕掛けようと思うものか!?
(痛みを無視している訳ではない…。痛覚を外科的に消したのか)
龍麻はそう分析したが、なぜ九角がそんな真似をしたのか、龍麻にも推理できない。彼自身、【人間】を目指した身だ。先ほども【痛み】こそ人間の証だと言っていたではないか。
考えている暇はない。九角の斬撃が襲い掛かる。それを躱し切れぬと見た龍麻は左腕一本捨てる覚悟でガードしたが、度重なるオリハルコンとの激突でさしもの名刀も刃こぼれを起こし、九角の【力】を充分に乗せる事ができず、龍麻の腕を切り落とすには至らなかった。再び離れる間合い。お互いに決定打を持たず、しかし龍麻は――全機能停止まで三二秒。
「……」
そして龍麻は、膝から地面に崩れ落ちた。
「なっ!? ひーちゃん!」
急激な出血が限界に達したのか!? いや、それも勿論だが、あろうことか龍麻はそのまま背筋を伸ばし、正座の姿勢を取った。それは――
「【結跏趺坐】!? 馬鹿な! 敵の目の前だぞ!」
いくら肉体的限界が来たとは言え、それはあまりにも無謀。よりにもよって最大の敵、九角の前で自己回復術を!? 当然、九角は足を引き摺りながらも龍麻に近付き、刀を振りかぶった。
「ひーちゃん! ――クソォッ!」
「龍麻ァッ!」
京一が、醍醐が飛び出しかけ、しかしその肩を力強く押さえる手があった。
「何だ紫暮! 邪魔するな!」
噛み付くような京一の怒声に、しかし紫暮は無反応。彼は驚愕の眼差しで龍麻を見ていた。
「龍麻――アレをやる気か…ッ!」
九角の口から裂帛の気合が迸り、童子切安綱が白く輝く。それが――振り下ろされた!
「ひーちゃ――ッッ!」
全く突然に、九角が頭から地面に突っ込んだ。その勢いの凄まじさ! 九角はダンプにでも撥ねられたかのように地面を二転三転し、やっと止まったところで激しく嘔吐した。
「な…何が――起きたんだ!?」
京一も醍醐も…恐らくは九角に至るまで同じ想いであったろう。龍麻は正座の姿勢を僅かに崩し、九角に向き直る。あくまで静謐。前髪の下を覗ければ、その目が半眼にされている事も解っただろう。
「――妙なトリックを…!」
再度、九角は突っかけた。先程の轍は踏まず、日本刀がその能力を存分に発揮する角度、袈裟懸け!
はた、と龍麻の上半身がお辞儀するように倒れた。
「ッッ!」
打点を失った刀が振り抜かれる寸前、するりと伸びた龍麻の手が九角の出足を払う。――ただそれだけで九角ほどの者があっけなく転倒し、自らの勢いもあって背中を激しく打ちつけた。肺が絞り上げられ、身体を海老のように反らせて喘鳴を放つ九角。だが――無理に起き上がり、膝立ちから倒れ込む勢いで片手突き! 龍麻は再びお辞儀をし――九角の肘が頭上に来たところで上体を起こした。すると――まるで手品! 九角がまたしても空中に吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられた。
「渋沢流…ッ!」
紫暮が驚愕の呻きを放つ。かつて体験した、座したままでも戦える【達人】渋沢剛三の【模範演舞】を、龍麻が【実戦】の場で使用しているのだ。
「グ…ハァァッ…!」
血の混じった唾を吐き、まだ立ち上がる九角。彼をして目を血走らせ、余裕など一切ない形相。確かに、追い詰められているのは彼の方であった。
「舐めるんじゃ…ねェッッ!」
【鬼道閃】! それも二連撃! 一撃目は縦に、二撃目は横薙ぎに。龍麻がどこに逃れようとも――三撃目で殺る! 九角は大きく踏み込み――
「――ッッ!!」
振りかぶられた刀が、その位置で止められる九角。――龍麻はなんと正座の姿勢から斜め前方にころりと前転して【鬼道閃】をかわし、そのまま九角の手首を掴み止めたのであった。しかもこの形は大東流合気柔術の――!
「ケェッッ!」
「ッッ!」
肘を極められ重心を奪われ――受身不能の投げを喰らう直前、呼吸法のみで重心をずらして脱出する九角。古武道の奥技を知るのは龍麻のみにあらず――しかし龍麻はあっさりと手を離し、彼から間合いを取った。
「ひーちゃんの…出血が止まったぜ…!」
「終わらせる気だ…!」
恐るべきは古流の秘伝。恐るべきは【魔人】緋勇龍麻。――最小限の力で敵を捌きつつ整えられた気息が、致命的な出血を止め、傷を薄皮で塞ぎ、その身に【力】を漲らせていく。そして龍麻が殺気も闘気もなく取った構えは――
「【三戦(】…! ここに来て…!」
それは龍麻本来の技ではない、空手道の基本の型。――レッドキャップスを倒すには初見の技、武器でただ一撃で絶命させねばならない。それを知り尽くしていればこその構えだが、付け焼刃が通用するような相手では――
「龍麻…!」
ギリ、と歯を鳴らし、踏み込む九角――【乱れ緋牡丹】! 深刻なダメージを受けているにも関わらず、そのスピードに衰えはなく、刃筋の乱れもない。
だが――当たらない! 【三戦】の構えをほとんど崩さず、むしろ緩やかに歩を運ぶ龍麻に、一撃でも必殺の威力を持つ斬撃がかすりもしない。――超が付くほど生真面目で凝り性の龍麻ならばこそ、彼の空手は付け焼刃ではなかった。
「グヌゥゥゥッッ!」
全身の気力を一点集中させ、超絶の残撃を加える【乱れ緋牡丹】。その全てがかわされ、さすがの九角も【気】を乱れさせる。その瞬間、龍麻がふっと彼の視界から消えた。
(何ッ!?)
気配は――背後! 斬撃ごと振り返った九角の視野に飛び込んだのは、斬撃を追って刀を絡め取る廻し蹴りと、それに連動して吹っ飛んできた飛び後ろ廻し蹴り! ――【龍旋脚】! 九角は側転して緊急回避し――正にその位置に、地に付く筈だった龍麻の蹴り足が――!
「ゴガァッ!」
まるで獲物の喉笛を食い破る虎の顎! 急カーブを描く後廻し蹴りと、捨て身の足尖蹴りが九角の後頭部を打ち喉を抉る。痛みは感じずとも呼吸は無視できず、血を振りまきながら苦悶に咽ぶ。彼が初めて見せた、明確な隙。こちらも背中を打ち付けながら、龍麻は歯を食いしばって立ち上がり――
「〜〜〜っっ!」
自ら喉に指を突っ込み、血塊を抉り取った九角の目に映ったのは、空手の正拳構えを取った緋勇龍麻。ただし両足のスタンスがやや広く、その右手は貫手――五指を揃えず、人差し指と小指を張り出させた、ジェット戦闘機のような印象を与える形に――
「暁の【タイガーファング】! それに風見の――【音速拳】ッッ!?」
次の瞬間、激しい炸裂音が衝撃波となって一同の目を叩いた。
音速に達した拳が音の壁をぶち破る瞬間、拳撃のみならず空気そのものが衝撃波と化す【音速拳】。その直撃を受けた九角の胸板が陥没し、その体内を駆け抜けた衝撃波が目、鼻、口、耳、そして全ての手指の爪を弾き飛ばして血を噴いた。九角は成す術もなく吹っ飛び――龍麻は【秘拳・鳳凰】の構えを――!
「ッッまだだッッ!! 龍麻ァァァッッ!!」
京一の叫びをかき消し、刀を地面に突き立てて無理矢理停止し、瞬時に斬り込む九角! 今一度袈裟懸けに斬り捨てれば、今度こそ即死だ!
しかし――
(何ッ!?)
「――【神羅覇極流奥技・餓龍獄炎吼】ォッ!!」
九角が刀を振り下ろすより早く、彼を飲み込む巨大な炎龍の顎! だがそれは一瞬硬直した九角の茶髪をなびかせたのみで駆け抜け、その時既に右手に黄金の炎を纏わせた龍麻が眼前に――!
「秘拳――」
「チィィィィッ!!」
一瞬は時間稼ぎとならず、猛然と繰り出される九角の片手突き! 二人の肉体がぶつかり合い、龍麻の背から血に染まった銀光が飛び出す。京一たちが絶叫を放ち――!!
「――クッ!!」
「――鳳凰ッッ!!」
偉大なる武道家の奥技を見せ技にして斬撃を突き技に変えさせ、なおかわされぬ為に自らの身を捨ててゼロ距離から撃ち出した龍麻最大の奥技! 龍麻自身、刀に貫かれている為に正中線を外したものの、大出力の【気】の放出は九角の左脇腹と左腕をこの世から消し飛ばす。金色の炎に包まれながら九角は吹き飛ばされ、辛うじて残っていたビルをぶち抜いた。轟音と共に倒壊するビル――。鬼道衆頭目の、それが墓標となった。
「やった!」
快哉を叫んだのはマリィ一人だけである。あとの者は全員、凄まじすぎる決着に息を呑んでいた。
【最強】の【魔人】緋勇龍麻と、その彼をして【俺より強い】と言わしめた鬼道衆頭目・九角天童との闘い。それは同時に、育ての親にも、国にも裏切られた特殊部隊員同士の闘いでもあった。そして更に二人は従兄弟同士――兄弟と呼んでも差し支えないほどの間柄であったのだ。
その闘いに勝利したのは緋勇龍麻だ。それは当然、喜ばしいものであるのに、京一たちはその勝利を素直に喜べなかった。――人が、死に過ぎたのだ。
数ヶ月に及ぶ闘いの数々が、京一たちの脳裏に去来する。桜の下で起こった【妖刀事件】。渋谷で発生した【鴉事件】。嵯峨野との闘い、凶津との闘い、そして忌まわしい品川の事件。そこから始まった【鬼道衆】との激闘。おぞましい儀式や陰謀の陰で無数に散って行った無辜の人間たち。彼らが歩んできた道には、夥しい人間たちの、そして【敵】の死体が転がっている。
それらの犠牲者を生み出してきた張本人が、今、遂に倒れたのである。普通ならば喜ぶべき事だ。しかし九角天童もまた、状況の犠牲者であった。権力の走狗として造られたレッドキャップスの隊長として闘い、最後には裏切られ、CIAの道具として利用され、最終的に選んだ道は、手段こそ違えど、【人類を護る】道であった。
龍麻は戦争を起こすものを尽く殲滅する道を選んだ。
天童は強大な【力】を得る事で、戦争を起こさせない道を選んだ。
同じ志を持ちながら、手段を違えてしまった為に決して交わらぬ道を歩む事になった龍麻と天童。この二人には、こんな結末しか残されていなかったのか? 出会いが違えば、手を取り合う事もできたのではないか? そして何より、なぜこの二人が殺し合わねばならない!? たかが一部の、金の亡者たちの為に!
しかし、数千年をかけても答の出なかった人類の命題に一同が挑んでいたのは、僅か数分にも満たぬ時間だった。戦闘時間を過ぎた龍麻が、がっくりと倒れたのである。
「ひーちゃん!」
哲学的思考などこの際どうでも良い。京一を先頭に、【魔人】たちは龍麻の元に駆け寄って行った。
改めて確認するまでもなく、龍麻の怪我は酷いものであった。醍醐の失踪事件の時、爆死しかけた時よりも酷く消耗していた。常人より耐久力のある【魔人】とは言え、失血死寸前である。しかも九角の刀は彼の脇腹から、背中まで抜けていたのだ。
「無茶しやがって…! 高見沢、頼む!」
「は、は〜い!」
他の仲間たちも五人衆相手に手酷いダメージを蒙っていたが、とにかく回復役が舞子一人しかいない事もあり、全員が自分の治療を後回しに丸薬や霊薬を龍麻に使用する。持ち主が死してなお凄まじい【陰気】を放つ刃を引き抜き、舞子が持てる最大の【力】を使い始めると、龍麻はすぐに目を覚ました。
「……全員、いるか?」
「ああ。全員無事だ。――っと、ひーちゃん! もう少し休んでろよ」
致命傷である胸と脇腹の傷がやっと止血できただけだと言うのに、龍麻はもう起き上がろうとする。
「のんびりしていられん。速やかに葵を救助後、このポイントを離れねば、次の部隊がやってくる。恐らく次は爆撃機を投入する筈だ」
「爆撃機ィ!?」
「奴らは既に第二次攻撃隊を失った。そして九角が造反し、倒れた今、日本を軍事大国化する計画は大きく後退する。しかしその前に、秘密を知る俺たちを抹殺しようとするだろう。俺たちの能力を考慮すれば、使用されるのは燃料気化爆弾か、中性子爆弾だ。急がねばならん」
一人では立っている事もやっとだろうに、龍麻は周囲を警戒させる為に仲間の肩を借りようとはしなかった。自力で立ち上がる。
「如月、トップに立て。舞子、俺はもう良い。京一と亜里沙、雛乃を頼む。醍醐と紫暮は左右を、雨紋とアランは後方を警戒。雪乃は怪我人を護衛。裏密とマリィは中央で不意の襲撃に備えろ」
龍麻の中では、まだこの戦争は終っていないのだ。九角が倒れた事で気を緩めていた魔人達は、再び気を入れ直し、隊列を組み直した。龍麻は一度だけ九角を見上げたが、彼はまったく動く気配がない。心臓こそ直撃していないが、左半身が吹き飛んだのだ。まず即死だろう。
最初に目指していた社は、これだけの破壊の中にあるというのに、奇跡のように原形を保っていた。まず如月が気配を探りながら社に侵入したが、そこには誰もいない。
「誰もいないね…」
「葵お姉ちゃん! どこッ!?」
小蒔に手を引かれているマリィが声を上げるが、社の中には人が押し込められるようなスペースはない。
「…如月、地下室を探せ。奴の事だ。核シェルターくらいは用意しているだろう」
「なるほど…これだな」
たちまち、柱の中に組み込まれたスイッチを見つけ出す如月。すると不動尊像らしき残骸の転がる床がスライドして、地下への入り口を開いた。
「如月、罠の気配はあるか?」
「…そういう感じはないな。それに、ここまで来てまで罠を仕掛けるような男ではあるまい」
「…肯定だ。――如月は周囲の警戒を指揮してくれ。葵は俺が――」
そこまで言った所で、京一と醍醐が左右から龍麻を支えた。
「美里は俺たちが連れてくるぜ」
「この場は、皆に任せる」
本当は今にも倒れそうな龍麻は、反論する事ができない。こういう時、彼を強引に扱えるのは京一や醍醐だけだ。
「ボクも行くよッ」
小蒔も同行を申し出る。
「ああ。君たちに任せるよ。皆も、それでいいね?」
如月の言葉に全員が頷く。【魔人】達の中でも、この五人は特別なのだと、誰もが分かっているのだ。その一人が欠けたなら、残りの四人が全員で迎えに行くのが相応しい。
まず京一が階段を降り、続いて醍醐と龍麻が、最後に小蒔が地下室に降りた。地下室の扉にはシャッターが下りていたが、彼らが近付くと自動的にシャッターが上がって行く。罠はどこにも仕掛けられていない。
「ッ葵!」
上が古風な社とは思えないほど近代的な設備に目を奪われたのは一瞬で、小蒔は部屋の中央に倒れている葵を見つけて駆け寄り、抱き起こした。
「葵! 葵ッ!」
涙目になりながら小蒔が呼びかけると、やがて葵はうっすらと目を開き始めた。
「…葵、大丈夫か?」
龍麻が語り掛けた時、葵の目がぱっちりと開く。その目が血まみれの龍麻の姿を焼き付けた途端、葵は小蒔の手を振り払って尻餅を付いたまま後ろに下がった。たちまち背中が壁に突き当たったが、それでも下がろうとする。
「いやっ、いやあっ!」
「葵! 落ち着いて!」
小蒔がなだめようとするのをまたしても振り払い、葵は両手で顔を覆った。
「やめて…もう止めてッ! …もう争うのは止めて…!」
「葵…?」
自分の手が二度に渡って振り払われた事が信じられず、呆然とする小蒔。龍麻は醍醐に小蒔の所へ行けと告げた。
「桜井、こっちへ。――美里、しっかりしろ」
恐らく九角から自分が【菩薩眼】である事を聞かされ、ショックを受けているのだろうと、醍醐はやや声を強めて呼びかける。だが葵は子供のように嫌々をして髪を振り乱した。
「私のせいで…私のせいでたくさんの人が死んで行く…。私の、この呪われた【力】のせいで――!」
今まで聞いた事もないような、悲痛な叫び。その響きに誰もが、龍麻さえ言葉を失った。【菩薩眼】は森羅万象全てを【視る】。龍脈はおろか、人の運命も、過去も、未来も。
「昔から【菩薩眼】を巡ってたくさんの悲劇が繰り返されてきたの…。【菩薩眼】の歴史はそのまま戦乱の歴史…。私もきっとそうなる…戦争の引き金になって、たくさんの人を、皆を傷付けてしまう…! 小蒔も、醍醐君も、京一君も…龍麻も!」
祈るように、許しを乞うように両手を組みあわせながら身を震わせる葵。しかし、誰もその悲しみを癒してやる事など出来まいかに思われた。
この春まで、一介の女子高生に過ぎなかった彼女が、戦争の引き金となり得る。――否、既に戦争は起こってしまっている。一歩外に出れば、彼女を巡って争った無数の兵隊の屍が転がっている。全て、【菩薩眼】の能力に目が眩んだ者たちの手先だ。【葵が悪い訳ではない】――そう言うのは簡単だ。しかし、そんな一言で解決できるほど事態は甘くない。
「もう…もう私の事は忘れて…! 私がいれば、また争いが起きる…。もう皆が傷付くのを見るのは嫌なの…私は…私は――!」
ピシャン! という音が、葵の悲痛な声を断ち切った。
「ひ、ひーちゃん!」
「ッッ!」
「〜〜〜〜〜〜ッッ!」
皆、一様に龍麻の行動に驚愕する。龍麻は自らの宿命に打ちひしがれている葵の頬を平手で殴ったのである。
「た、たつ…!」
彼の名を呼ぼうとした所で、もう一発、反対側の頬に平手が飛んだ。かなり手加減しているようだが、何しろ【あの】龍麻である。あっけなく葵は床に転がった。
「ひーちゃん! なんて事するのさッ!!」
猛然と食って掛かる小蒔は、醍醐によって推し留められた。醍醐にも京一にも、龍麻の行為の意味が解ったのである。
「…目が覚めたか、葵?」
「た、龍麻…!」
龍麻は彼女の傍らに片膝を付き、彼女の顔を覗き込むようにする。血がこびり付いた前髪が横に流れ、彼の澄んだ黒瞳が露になり、葵はその目を真正面から見てしまった。
「龍麻…私はもう…皆と一緒には生きて行けない…!」
「むッ!? まだ足りんか。――葵、目を覚ませ! しっかりしろ!」
「ちょ、ちょっとひーちゃん!」
思い切り手加減しているとは言え、葵の胸倉を掴んで往復ビンタをしかも連続で入れる龍麻。本人は真剣なのだがこれではちょっと…
「いたっ、いたたっ、いたっ、痛い…――痛いってばッ!」
デリカシーのかけらもないビンタの嵐に、ようやく葵は龍麻に食って掛かり、その手を払いのけた。
「おお、目が覚めたか」
「…わ、私の【菩薩眼】は、現代では兵器扱いなのよ。それも人類を死滅させかねない最終兵器…! そんな事に悪用されるくらいなら、私――」
「――まだおかしいな。――やはりこれか」
――ゴンッ!
「ッッ!」
正しく鬼軍曹。割と容赦なく葵の頭に拳骨を入れる龍麻。これはマジで痛かったので、葵は悲しみとは別の涙を溢れさせて頭を押さえた。
「今度こそ目が覚めたか? …さっきから何を訳の解らん事を。お前のメッセージはちゃんと受け取った。多少苦労はしたが、鬼道衆は壊滅したぞ。戦争は終った。我々の勝利だ」
ほとんど死に掛けておきながら、多少の苦労!!? 結果さえ良ければ、本心からそんな風に言い切ってしまえる龍麻に、一同はもはや呆れるしかない。
「さあ、帰るぞ。今回はさすがに疲れた」
「た、龍麻…ふざけないで…! 真面目に聞いて…!」
「俺はいつでも真面目だ」
龍麻は胸を張って言った。いつもより偉そうである。
「状況の変化に合わせたとは言え、単独で敵地に乗り込んだのは浅はかと言わざるを得んが、結果として敵勢力は同士討ちの果てに全滅。ベストではないが、おおむねベターな結末だ。非常に喜ばしい事に、仲間の内からは誰一人として死者を出していない」
龍麻の口調は、普段と何一つ変わっていない。そこで京一たちも理解した。鬼道衆との決戦。そして従兄弟であり、元上官であり、仲間でもあった九角天童との闘いさえ、彼にとっては【いつもと同じ】戦闘の一つでしかなかった。彼の前には【菩薩眼】の宿命も、核兵器を欲しがるテロリスト同士の抗争と同レベルのものでしかないのだ。――大局からものを見る龍麻には。
自分をこれ以上はないというほどに打ちのめした宿命を、この男はまるっきり重いものとは捉えていない。常に自分を客観視する姿勢を忘れぬ男の言葉に、葵は救われたような気分になりつつも、しかし真実はそんなに甘いものでなかったと、再び自分の殻に閉じこもる。
「わ、私だって本当は皆と一緒にいたい…。でも…でも…!」
「あーッ! もう、いい加減にしやがれッ!」
京一が頭をぼりぼり掻きながら声を荒らげる。
「美里! お前もひーちゃんと付き合って結構長いじゃねェか。この朴念仁がそんなノリを理解できねェ事くらい、まだわからねェのかよッ!? 悲劇のヒロインを気取った所でこの落語男相手じゃ漫才にしかならねェだろうが。噛み合わねェコントを見せられるこっちの身にもなってみやがれ!」
「きょ、京一君…」
「…宿命だかなんだか知らねェが、そんなモンに縛られるのはゴメンだぜ。だからこそ俺たちは、がむしゃらでも前に進んできたんだろうが。今更弱音なんて吐くんじゃねェよ。一人で大変なら、俺たちだっているだろうが」
なんだか妙な展開になって来たと、醍醐と小蒔は顔を見合わせる。龍麻に至っては、京一が何を語っているのか理解できていない有り様だ。しかし…
「葵、ボクも京一と同じだよッ。【菩薩眼】の宿命なんて関係なく、ボクたちは遠い昔から固い絆で結ばれているんだよッ。他の誰が否定しても、ボクにはそう感じるんだ」
「二人の言う通りだぞ、美里。俺も自分が【白虎】だと分かった時には随分と悩んだが、皆のお陰で俺は今でもここにいられる。俺たちは同じ道を歩む【仲間】だろう? 誰も美里を拒絶したりせんよ。さっき龍麻が言っていたのだが、もし美里の力を悪用しようというものがいるならば、それが国家であろうとテロリストであろうと立ち向かうさ。そして――勝つ。皆が一緒なら、必ずな」
単なる口先だけに留まらぬ、温かい言葉と、差し伸べられる手。信念を持ち、死線を潜り抜け、悩み、苦しみ、それでも前に進んできた者たちのみが持つ声音。京一たちの言葉と、龍麻が言ったという言葉に、葵は自分の殻がひび割れて行くのを感じた。
「………みんな…!」
仲間と共にいるという事がこれほど心地よいのに、仲間たちはこれほど強いというのに、自分はなんて傲慢な事を考えていたのだろう。自分一人がいなくなれば、誰も傷付かなくて済むだなんて――傷付く事を恐れるようなやわな仲間など、一人もいないというのに――
しかし、【菩薩眼】の持つ宿命はそんな【仲間】をも巻き込んで――
「でも…でも駄目…! 私の【力】は、この世にあっていいものじゃない…! だから…だから…」
葵の脳裏に去来するのは、【姫】の記憶。【菩薩眼】の宿命を背負った姫と共にいたのも、【力】を持った者たちであった。凄絶なる【力】を持つ者同士の戦い。複雑に絡み合う権力者達の陰謀。【力】を持っていても、避けられぬ破滅。【菩薩眼】を巡って、どれほどの血が流されたのか、葵は知ってしまったのだ。そして、一度知ってしまえば、そこから目を逸らす事はできない。
これだけ言っても…と、京一たちが難しい顔をした時であった。
「…葵」
龍麻が重々しく口を開いた。
【あの時】の声である。今なお魔人たちが何よりも恐れる、かの【鬼軍曹モード】であった。
「敗北主義に陥るなと、何度言わせる気だ? 一人敵地へと乗り込んだお前を支援するために、俺たちは命を賭けてここまで来た。その行為を無意味にするつもりか? それに随分と大きな口を叩くものだな。お前がそれほど危険な【力】を持ち、世界を危機に陥れる可能性があるならば、俺が取るべき行動は一つしかない」
龍麻の手がボキボキッと恐ろしい音を立てるのを聴いて、京一たちの顔が派手に引きつった。鬼軍曹モードを発動させている龍麻に【冗談】という言葉は存在しない。まして今の龍麻は激怒していた。【仲間の命を危険に晒す者には死を】。これは、【仲間】にも当て嵌まる、【真神愚連隊】の不文律だ。今の【仲間】を護る為に元の【仲間】を殺した彼だ。葵の死が世界の存続に必要であるともなれば、彼女をも――!
「た、龍麻! やめっ…!」
既に冗談事ではない龍麻の殺気! 京一たちも、身動きができない! 龍麻の手がぐうっと引かれ――!
「ッッ!!」
ぎゅっと目を閉じる葵。これで苦しみが止まるなら――!
――ムニュ…
予想された一瞬の痛みはなく、あらぬ所にあってはならない感触。何事かと目を開いた葵が見たのは、あっけに取られてあんぐりと口を開けた京一、醍醐、小蒔の三人であった。
「――【北○神拳奥技・女子赤面把】」
不埒な真似をしている癖にどこまでも偉そうに宣言し、むに、と手指を動かす龍麻。葵の意識はそこから達した刺激信号に再起動し――
「ッきゃあああァァッッ!!」
悲鳴の直後、バッチーン! と、物凄い音を立てて吹っ飛ぶアホが一人。そして、更に――
「――アホか! お前は!!」
「――ひーちゃん! なんてコトするのさッ!!」
「――時と状況を弁えんか!!」
これ以上はない、ひょっとしたら葵の命さえ奪いかねない緊張の中で思い切りボケ倒す龍麻に、京一たちは思わず容赦ないツッコミを入れてしまった。元々重傷だった龍麻はあっさりと全弾ヒットを許し、車に轢かれたカエルのごとく床に張り付いた。それきり――動かない!?
「やべえッ! ひーちゃん! 大丈夫かッ!?」
「あああッ! ひーちゃん!」
「た、龍麻! しっかりしろ!!」
最強の【魔人】にして、マシンソルジャー、緋勇龍麻。この男の本性とは一体なんだろう? 相手が誰であろうと完全無欠のマイペース。敵が国家であっても怯みもせず、深刻極まりない宿命も運命も、悩みもせず嘲笑いもせず、淡々と受け止められる男。一言で言うならば、【強い】。だが本当は、何も考えていないのでは…?
「た、龍麻…!」
憎からず思っているとは言え、異性に胸を揉まれるという、彼女にとって前代未聞の出来事に放心していた葵だが、龍麻が真剣に瀕死にあるという事態に、ようやく我に返る。震える手で龍麻の頬に触れると、龍麻は小さく身を震わせ、そして言った。
「…それ見た事か。…異質な【力】を持っていようとも、お前の反応は【普通】の少女となんら変わらん。お前はごく普通の、平和な家庭に育った、当たり前の少女に過ぎん…」
「龍麻…」
「…自分を過小評価するのはいかんが、あまり過大評価もするな。この情報化社会に、人間一人の力などたかが知れている。そして人類もまた、異質な【力】一つに額づくほど愚かではない。葵の自由意志は尊重するが、我々は、いや、俺はお前にいて欲しい」
「……」
【必要】ではなく、【いて欲しい】と言われた事は、葵にとって最上級の殺し文句であった。それも【我々】をわざわざ【俺】と言い直して…。
龍麻は無言で手を伸ばし、葵の手に触れる。本当は握るつもりだったろうが、彼にそんな力は残されていなかったようだ。
おずおずと手を伸ばし、葵はその手を握った。
「龍麻…ごめんなさい。…もう二度と、勝手な真似はしないから――」
その口元に笑みを刻もうとし、しかし龍麻はそのまま意識を手放した。
「龍麻ッ!」
「ひーちゃん!」
龍麻の身体はとっくに限界を越えていたのだ。それでもいつも通りに振る舞ってみせたのは、恐らく九角に何か吹き込まれているだろう葵の精神状態を慮っての事だった。そして葵が自分の殻を破って自分達の所に戻ってくると確認し、僅かに気を緩めた途端に気絶してしまったのであった。
「龍麻! 龍麻ッ!」
「慌てるな! 美里! 龍麻は大丈夫だ!」
本当は失血死していてもおかしくないほどの重傷だが、葵が取り乱さぬように強い口調で言う醍醐。葵はそれ以上無駄口を叩く事なく、自分にできる事――龍麻の頭を自分の膝に乗せ、治癒術をかけ始める。葵が現時点で操り得る最大の治癒術は、肉体の細胞分裂を促進し、現代医学がやっと指先をかけているに過ぎない再生医療レベル――欠損した肉体の一部さえ再生させる事ができる。葵の全身全霊を以ってかけた治癒術によって、深く切り込まれた内臓も元通りに活動し始め、増血作用で龍麻の頬に赤味が差す。
やがて龍麻が規則正しい呼吸を繰り返すようになり、葵は術を止めた。
改めて、京一、醍醐、小蒔を見る。血は止まり、薄い肉の膜で覆われているが、京一の肩にはかなりの深手が刻まれているし、醍醐も細かい傷が全身に走っている。小蒔は外傷こそないものの、【気】が普段とは比べ物にならぬほどに消耗している。
「皆も…怪我しているのね。…ごめんなさい。勝手な事をして…」
「もう! さっきから良いって言ってるじゃん! お帰り! 葵」
「…うふふ。ありがとう、小蒔。――サボった分、私も働かないとね」
その言葉に、今度こそ心からほっと息を付く小蒔。一時はどうなる事かと思ったが、やはり決め手は龍麻だ。殺戮機械として育てられながら、それ故に【人間】の良い所も悪い所も真っ向から見つめられる男。こういう男だからこそ、たった一人で背負うには重過ぎる宿命をも、軽くしてやる事ができるのだろう。
「サボったなどとは思っていないさ。むしろ、たった一人でここに乗り込んでくるなど凄いとしか言いようがない。だが、皆それなりに怪我をしている。よろしく頼む」
「判った。任せてね」
「ウンッ。それにしても…モウッ! まさかひーちゃんが女の子にあんなコトするなんて…!」
これで事件は解決。葵も、龍麻も無事だという安心感から、小蒔がいつものように快活な声を上げる。どうせ他意も罪の意識もないんだろうなーと思いつつも、葵の胸元に露骨に残る指の跡が見えないように、九角のものであろう長ランを差し出し、葵に羽織るように言った。
「…まったく、こういうところだけは困ったものだな」
「ああ。ひーちゃんにゃ後で感想を…じゃなくて懲罰だな。――それより、さっさとこんな辛気臭い所からはおさらばして――!」
その時、京一がさっと緊張して天井を見上げた。次いで葵も、京一の視線を追う。
そして、龍麻がかっと目を見開き、跳ね起きた。
「た、龍麻…!!」
ボウ、と輝く龍麻の左眼! なぜ!? どうしてこんな時にナンバー9が蘇る!?
しかし龍麻は、こめかみに手をやり、頭を軽く振った。
「…大丈夫だ。それより、上に戻るぞ。この【気】は――奴だ」
気配だけで龍麻の戦闘本能を刺激する【敵】。しかしその男は、ついさっき倒したばかりでは――!?
考えている暇はない。龍麻は一同を見回し、そして言った。
「行くぞ」
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