第拾参話  外法都市 3





「――なんだってェッ!? 九角天童がお前の従兄弟ォ!? その上ナンバー0…レッドキャップスの隊長ォッ!!?」

 世田谷区に集結した総勢十三人プラス一。その内の一人がほとんど全員の気持ちを代弁して大声を上げる。

「肯定だ」

 龍麻は静かに言う。京一の叫び以外、誰一人して声も出ないほどの衝撃であった。

 ここに来るまでに、天野から九角家と徳川家の争い、そして現代までに伝えられている歴史の講釈を受け、鬼道衆の頭目の名が九角天童である事、そしてその男が、自分達と同じ高校三年生である事などに衝撃を受けていた。しかし、そんなものを吹き飛ばしてあまりある爆弾発言が、この龍麻の告白であった。本来ならば、決着が付くまで沈黙を守る筈だった秘密。

「ジル・ローゼスが言っていた、【俺が生きている事がその答】…。冷静に考えれば、俺は仲間たち全員の死を確認した訳ではない。俺が生きている以上、他に生き残りがいても何ら不自然な事ではない。――もっと早く気付くべきだった。漢字には音読みと訓読みがあり、更に特殊な読み方も存在する事に」

 新井龍山に話を聞いた時から、龍麻の脳裏にずっと引っ掛かっていた疑問が、それであった。

 龍麻が【教育】を受けたのはアメリカ軍に拾われた後の事であり、自分を座敷牢に閉じ込めた祖父の名も苗字も覚えていなかった。途切れ途切れの記憶にあるのは、こっそりと菓子を持ってきてくれた赤毛の子供・・・【天ちゃん】の事の他、【こずみ】という単語だけである。

 ――江戸時代にお家御取り潰しを受け、江戸時代末期に【鬼道衆】として幕府に反旗を翻した一族の末裔は、幕府との戦に敗れた後、沖縄から与那国、台湾まで落ち延び、その血脈を保っていたのである。その時に名乗った苗字が【こずみ】。字はそのまま、読みだけを変えたものだったのだ。

 幕府崩壊の後、九角家は【大政奉還】に陰ながら協力した事で明治政府にコネクションを持ったのだが、一族の悲願であった徳川の壊滅はうまく行かず、あまつさえ徳川が明治政府の重鎮に納まった事で、闇に潜む事を選択した。――徳川時代のように、新政府に【外法】が利用される事を忌避したのである。

 九角天童はその末裔だ。同時に、龍麻も。だが――

「――だが問題は、別の所にある」

「……!」

 自分の血筋、敵との関係などまるで無視して、龍麻は言葉を継いだ。

「これまでの事件や鬼道衆の動きを総合して考え、そのリーダーを九角天童〜ナンバー0とした場合、今更先祖の恨みを晴らすなど有り得ない。バックにいるのは恐らくCIA。軍産複合体――死の商人の手先だ。奴らは鬼道衆を使って首都東京で無差別テロを敢行、【菩薩眼】の覚醒を促す一方で、国民の危機意識を刺激して警察、自衛隊に続く第三の武装勢力を設立させるつもりだ。そしてその枠組みは着実に政界財界に根を伸ばしている」

 それが、龍麻にとって【鬼道衆】と並び立つ【敵】。【シグマ】と呼称される組織だ。――元々はこちらが当初の計画を推進する組織であり、【鬼道衆】は実質的なテロを行うサポート役であったのだ。

「【菩薩眼】の覚醒が確認された事により、【鬼道衆】サイドの計画が現実性を帯びたという事だ。後は【シグマ】を呼び水に自衛隊の増強を確約し、そこに鬼道衆忍軍を兵士として投入すれば、たちまち世界のトップレベルの軍隊が誕生する。世界各国は当然、日本の軍備増強に恐れをなして異を唱え、国連もそれを支持するだろうが、彼らをも裏で支配している者がいる以上空論に過ぎず、各国の一般市民が日本に対して抱く憎悪も計画の内だ。――最新鋭の装備を備え、無尽蔵に製造できる鬼道衆忍軍を投入した新部隊を武器に革命的政権改造を行い、日本を軍事独裁国家へと創り変える。そうなれば日本は孤立し、イ○クや北○鮮を超える一大危険国家として世界に認知される。――【菩薩眼】、【鬼道】、【外法】…それら全てが揃えば決して不可能な話ではない。そして一兵士に至るまでが【神威】であると世界に知られれば、その恐怖は世界中を席巻し、際限のない軍備拡張競争へと雪崩れ込む。そして…始まりと終わり、死者の数をも管理された戦争が起こされる」

 あまりにもスケールの大きすぎる話に、全員が――天野さえも付いて行けない。彼らが認識しているのはせいぜい、この東京の危機くらいだったのである。まさかそれが日本の――世界の危機だとは!? しかも今度の相手は怪物とか邪神という漠然としたものではなく、れっきとした人間の作り出した国際組織だとは!? 

「どうやら俺はまんまと奴らの策に嵌まり、躍らされていたらしい。奴らの思惑通り【菩薩眼】は顕現し、今は奴らの手中にある。ここで叩かねば、これからの日本を――世界を襲う災禍は東西冷戦など遥かに越える恐怖と絶望だ。そして自分が【菩薩眼】である事を知らされると同時に、その恐るべき未来を予見した葵は自ら九角のもとに向かった。その目的は敵の中枢にまで潜入し、俺たちの攻撃に呼応して内部からの破壊活動を行う事――最悪でも九角と刺し違える事だ」

 京一たち…真神の三人は顔を見合わせる。

「どうして…そこまで言い切れるの?」

 恐る恐る、小蒔が聞く。龍麻のプロファイリングには随分と助かっているが、今回は置き手紙まであったのだ。

 龍麻は、その置き手紙を改めて小蒔に見せた。

「文面の最後にある【…】は、メッセージが終っていない事を示す。このメッセージは、敵が桜ヶ丘の結界を破るほどの能力を持っている事と、自らは敵地への潜入工作インナーオペレーションを遂行するという事を伝えるものだ」

 手紙の文章をまともに捉えるならば、まるっきり正反対の事をきっぱりと言い切る龍麻。例によって信頼感抜群の響きだが、小蒔はまだ少し納得行かないようだ。最近、葵が悩んでいるのを知っていたからである。

「最近の葵は悩みを抱え込んでいたが、それは強くあらんとするが故の悩みであり、マイナス思考の産物ではない。――葵は自らの危機を最大のチャンスと捉え、敵の誘いに乗ってみせた。自ら先陣を切り、俺たちに道を示したのだ。ならばその信頼に応えねばなるまい」

 たった【…】だけ。言葉とも言えないそれに、葵はそれだけ多くのメッセージを託していたという事か。龍麻ならば見せ掛けの文面に騙される事なく、その真意を読み取れると信じて…。

 しかし龍麻には、今、この場で言う訳には行かない、葵のもう一つの事情も見抜いていた。

 原因は、自分にこそある。先日の狙撃手…九角天童と対峙した時、龍麻は動揺のあまり引き金が引けなかった。恐らく葵はあの時、動揺の原因は知らずとも龍麻の迷いを悟ったのだ。そして自分の悩み、龍麻の迷いを考えている時に、敵の方から誘いがあった。そこで葵は、自分の悩みに自ら決着を付けるべく立ち上がったのだ。

 犬神は葵に自己犠牲の性癖が見られると言ったが、龍麻の分析では、彼女のそれはかなり改善されていると見る。もはや葵は、自分で言うほど弱くない。理想を高く持ち、現実を見る目と常に自分を省みる精神を身に付けた事で、「まだまだだ」と感じているだけだ。彼女は――確実に強くなっている。

 だが――明らかに個人の手に余る現実を突き付けられた場合は…

 そして龍麻は、遂に【それ】を口にした。

「――しかしここから先、相手にするのは鬼道衆忍軍のみならず、最新鋭のハイテク兵器をも備えた本物の軍隊だ。そして俺たちに銃を向けてくるのは、何も知らされずに命令されてやって来ただけの兵士達。――これは、本物の戦争だ。よって今一度、お前たちに問う。降りるなら――」

「ストップだ、ひーちゃん」

 後に引けないのは自分一人と言わんばかりの龍麻の言葉を、京一が遮った。

「それ以上言ったら白けるぜ。――お前が何と言おうと、俺はお前に付いて行く。俺たち皆、生まれも育ちも違うけどよ、死ぬ時は一緒、同じ場所で、同じ時だって腹括ってんだぜ。今更野暮な事言うなって」

「…」

 いつもよりへの字口になっている龍麻に、にいっと笑いかける京一。

「京一の言う通りだ。――今更水臭い事を言うな、龍麻。俺はお前と共に闘える事を誇りに思う。お前と出会わなかったら、未だに何の成長もなかった事だろう。――本物の軍隊が相手とはいささかスケールがでかいが、決心は変わらんよ」

「そうだよッ。ひーちゃんがいたから、皆ここまで来られたんだからッ。…それにボク、感じるんだ。ボクたち皆、ずっと昔から不思議な繋がりがあったんじゃないかって…。今までも…これからもッ」

「良いコト言うなァ、小蒔サンは」

 雨紋が笑う。

「俺サマだって同じだぜ。相手が誰だろうと、一歩も退かねェ。龍麻サンの指揮がありゃ戦略的撤退もするけどよ、闘う前から逃げろっていうのだけは聞けないぜ」

「そーよそーよ。悲観的な見方なんて、龍麻には似合わないわよ」

「ダーリ〜ン、一人で闘うなんて言っちゃ駄目だよぉ〜。舞子だっているんだからねえ〜ッ」

「うふふふふふ〜。ミサちゃんに任せておけば〜、軍隊だってメじゃないわ〜」

「緋勇――いやさ龍麻。お前は言ったな。この【力】は人を不幸にしない為の力だと。ならば今ここで闘わずして、いつ闘えと言うのか。共に闘い、勝ち残ろう」

 仲間たちは自然に龍麻の周囲に集まる。その輪の中に、仲間になって間もない織部姉妹やマリィも加えられる。

「龍麻君よッ、オレたちだって【選ばれた】んだぜ? この時代って奴にさ。もっと自信を持って、オレ達の事も信頼してくれよッ」

「そうですわ。緋勇――龍麻様。私たちはこの地を護るもの。必ずや天も地も私たちに力を貸してくれる事でしょう」

「マリィも!」

 マリィが元気良く手を上げ、その肩の上でメフィストが跳ねた時、全員の無線機がザーッと音を立てる。 

『そうよ龍麻! アンタにはカッコ良く勝ってもらって、真神新聞のネタになってもらうんだからねッ!』

 今までの会話はすべて、アン子にまで聞かれていたのだ。しかしアン子はその衝撃を全て受け止め、敢えてこんな事まで言ってきたのである。

「龍麻君、もう良いだろう? 彼らの覚悟は本物。紛れもなく、君の仲間だよ。もちろん僕も、協力は惜しまない」

「平和を乱すのが悪者。平和を護り、目指すのが【仲間】デース」

 全員、言うべき事は言った。あとは、龍麻がどう判断を下すかである。

 珍しく、龍麻は頭を掻いた。まるで、照れたように。

「命令は一つだ」

 龍麻が口を開く。

「生き残れ。――それだけだ」

 それだけ言うと、龍麻はさっさと先頭に立って歩き出した。案内役の天野よりも先に。京一や小蒔などは手信号で【照れてる、照れてる】とこっそり茶化し、他の仲間たちもクスクスと、あるいはクックと喉の奥で笑いを噛み殺した。そして最後に、微笑を浮かべた天野が龍麻に止めを刺す。

「龍麻君。そっちじゃないわ。道はこっち」

「…………承知しました」

 そこで堪えきれなくなった仲間たちは、一斉に爆笑した。







「どうやら、ここが最後の【門】のようね」

 天野が宣言し、一同は歩みを止めた。

 そこは等々力不動の入り口、小さな鳥居の前であった。見かけこそ小さいのだが、この結界を形成している呪力ポイントであり、唯一【裏】の世田谷区に侵入できる【門】である。天野が熊野の那智大社で授けられた【指南車】――中国の始祖黄帝が使用したとされるコンパス――は、その一点を示してぴくりとも動かなくなった。

 【門】の向こうは、深い霧に閉ざされていて見えない。と、言うより、手で触れる事のできないすりガラスが門にぴったり嵌まっているような、奇妙な感じである。

「この先に【裏】の世田谷区があるのかァ…緊張するね」

「ここも既に【裏】に通じる通路だけどね。ところで龍麻君、ここから先は…」

 皆までは言わなかったが、如月の言葉の意味する所を承知している龍麻は、静かに天野を振り返った。

「情報将校殿…いえ、天野さん。ここから先は、自分達だけで行きます」

「エッ? なんでッ? せっかくここまで一緒に来たのに…」

 小蒔一人だけが声を上げたが、他の仲間たちは皆、龍麻の言葉の意味が解っているのか、黙っている。――天野自身もそれを承知しているのか、少し寂しい微笑を見せた。

「ありがとう、小蒔ちゃん。でも、私が案内できるのはここまでのようね」

「申し訳ありません」

 いつもと同じ敬礼。しかし龍麻は、それに精一杯の感謝を込めていた。自然に、京一、醍醐、雨紋たちも天野に敬礼する。

「良いのよ。皆の役に立てて嬉しいわ。――月並みなことしか言えないけど、みんな、無事に戻ってきてね。絶対よ」

 天野は一人一人の顔を目に焼き付けるように見てから、指南車を龍麻に託した。記者としてこの先にあるものを見届けたいという凄まじい欲求はあるものの、ここが現実と非現実の境界線だ。ここを越える資格は【力】を持たぬ自分にはない。

「任せとけって。エリちゃんこそ、気をつけてな」

「ありがとう、天野さん」

「ちゃんと御礼に行くからねッ」

 口々に頼もしい挨拶を送る【魔人】たちに笑顔を見せ、天野は彼らに背を向けた。――自然と溢れそうになる涙を見られる訳には行かなかったのだ。何も知らない、彼らの顔を知りもしない人々を護るために死地に赴く、十三人の戦士たちには。

(私はここまで…。でもね…)

 実はたった一つだけ、龍麻に告げていない事があったのだが、天野はそれを最後まで秘め隠した。――全てがうまく行く事を信じて。

 正しいルートを外れた途端、天野の姿が掻き消える。【表】の世田谷区へと飛ばされたのだろう。【力】を持たぬ天野ならば、安全に【表】へと抜け出せる筈だ。そして自分達は、ここまで来たら進むしかない。

「全員、準備は良いな?」

「いつでもOK!」

 いつもと同じく、頼もしい返事。龍麻も一瞬だが口元を緩める。しかし次の瞬間には口元を引き締め、宣言した。

「【真神愚連隊ラフネックス】、戦闘開始コンバットオープン。――幸運をグッドラック!」

 そして龍麻は、門に足を踏み入れた。







 空間を跳躍するという感触は実に嫌なものだ。ほんの一瞬の事とは言え天地を失い、乗り物酔いを数十倍化した不快な嘔吐感に襲われる。密度の濃い空気に全身を軽く締め付けられ、歪んだ景色が正常感覚を取り戻した時、龍麻は空一面に厚い黒雲が垂れ込め、夜のごとく暗い【裏】の世田谷区に足を踏み入れていた。

「……!」

 龍麻の顔に、険しさが走る。

「…ヒデェな」

 一瞬遅れて出現した京一が、空気分子に込められた【陰気】の濃さにまず顔をしかめ、【それ】を見るなり呻き声を上げた。他の仲間たちも次々に出現し、皆一様に「オッ!」とか「うッ!」とか声を上げ、絶句する。

 そこは、果てしなく広がるかに見える廃虚であった。

 恐らく【裏】の世田谷区も、【表】とまったく同じ様相を呈していたに違いない。たとえ人はいなくても、家並みが連なり、駅前には雑居ビルが立ち並び、デパートもあったろう。

 しかし――今は廃虚…瓦礫の山であった。しかもまだ所々で炎が上がっており、時に爆発や銃声さえ響いてくる。遠くで小さな光が瞬くや、いくつもの人影がばたばたと倒れ、別方向から銃声が響くと、そちらでも断末魔の悲鳴が上がる。

 そこは、戦場であった。

「た、龍麻…。これは一体…」

 見回せば、そこかしこに都市迷彩服姿の兵士達と、鬼道衆忍軍の死体が転がっている。鬼道衆忍軍は銃創を負っているが、兵士達は全身の皮膚を黒く染めている所からして、手裏剣に塗られた毒にられたのだろう。刀傷を負っている者も多い。――凄惨な光景に女性陣は悲痛な表情だが、険しい顔をした男性陣がなるべく彼女たちの視界を遮るようにする。

 龍麻は一人の兵士の死体に近付き、装備品をチェックした。

「…こいつら、グリーンベレーだ」

「エエッ!?」

 軍事に疎い日本人でも、恐らくその名を知らぬものはあるまい。アメリカ海兵隊の精鋭部隊の名である。

「身元を示すものは一切ないが、装備品に独特の癖がある」

「ウン。――タツマ、こっちにいるのは多分、フィリピン軍のレッドベレーだヨ」

「そしてあそこにある死体は…恐らくスペツナズ…。どうやら世界各国の特殊部隊が一斉に戦闘を開始したみたいだね。――どうする?」

 如月の言葉に、全員の視線が龍麻に集まった。

 詳しい理由は不明だが、ここには各国の特殊部隊がひしめき合い、殺し合っているらしい。そして散発的な銃声や砲撃は、戦闘がまだ続いている事を意味している。そんな中をこの目立つ格好で進むのは自殺行為である。

 しかし、龍麻は言った。

「我々の目的は葵の救出だ。投入された兵力は決して多くはなかろうし、既に大規模な戦闘も終了している。生き残りがいるとしても微々たるものだ。――全員、俺の三〇メートル後方から付いてこい」

 そう言って龍麻はグリーンベレーの遺体を探って照明弾を取り出し、空に向けて撃った。落下傘が開き、厚い雲に覆われた空に照明弾の光が眩しい。更に龍麻は発煙筒にも火を点け、わざと目立つように、比較的瓦礫の少ないメインストリートを歩き始めた。

「ひーちゃん! 何を…!」

「待て! 蓬莱寺君! 我々は三〇メートル後方だ。――龍麻君は周辺の兵士を自分一人に集めるつもりだ。とんでもない自信だが、今の彼ならやってのける」

 仲間たちに、瓦礫の陰に沿って進むように指示する如月。ツートップは彼と京一で、殿はアランだ。アランは持参したH&K・G3ライフルを背に廻し、乗り捨てられていたトラックからM241MINIMIと弾帯を調達している。彼と共に後方を護るのは、既にドッペルゲンガーを展開した紫暮だ。中国拳法に言う【硬気功】を更に【力】によって強化した【不動練気法】を用いて肉体を鋼の鎧と変え、不意の銃撃に備える。

「…【陰気】の〜中心は〜あの社みたいね〜」

 いつかも使った水晶髑髏を抱え、その目が示す方角を見定める裏密。彼女が道を示すまでもなく、龍麻の足は真っ直ぐそこに向かっていた。

「――誰か、いるぜッ!」

 京一が警告するや否や、龍麻が横っ飛びした。アスファルトを引き裂く銃撃! 左右の瓦礫の陰からだ。

「雛乃!」

「はいッ! 小蒔様!」

 瞬時に弓を引き、龍麻を援護しようとする小蒔と雛乃。しかしその目に、龍麻の手信号が映った。【手を出すな】と彼は言っている。

「龍麻…! どういうつもり!?」

「分からねェよ。龍麻クンのやる事はいちいち驚かされるぜッ」

 そんな事を言い交わす亜里沙と雪乃に、如月がもっと身を伏せるように指示する。龍麻の前方に、服装も装備もバラバラな兵士達が展開したのだ。

 龍麻はざっと彼らを見回した。ある程度予測はしていたが、やはり少し驚いた事に、どの顔にも見覚えがある。レッドキャップス時代、作戦を共にし、その技術を学んだ者たちであった。

「SAS、グリーンベレー、デルタフォース、SEALS、スペツナズに、自衛隊空挺レンジャーか。――他の連中は全滅か?」

「――遺憾ながら、な」

 頬に大きな傷のある、大尉の階級章を付けたデルタフォースの隊長が緊張の混じる声で応える。――アルバート・マッキンレー…つい先日まで、南太平洋の前線基地で司令を勤めていた男であった。

 彼を始め、どの顔も疲労と焦燥の影が濃い。およそ通常の戦争行為ならばどれほど過酷であろうとも淡々とこなしうる猛者ばかりの筈なのだが、今回の相手は勝手が違い過ぎた。ここまでの道中でも分かった事だが、【裏】の等々力不動に近付くにつれて、周囲に転がる死体の様相は酸鼻を極めるようになっている。まともな死体は一つもなく、首や手足は根元から引き抜かれ、引き裂かれた腹から内蔵がぶちまけられているもの、超重量物によってノシイカのように潰れているもの、およそまともな人間の死では有り得ないものばかりだ。

 それをやったモノの死体も、いくつか混じっている。

 そいつを仕留める為に、一体何発の銃弾を必要としただろう? 身長三メートル、ギリシャ神話のヘラクレスのように筋骨たくましい肉体に、角と牙を持つ頭部が乗っているもの――鬼だ。その死体の様相から分析するに、一体倒すのに軍用ライフル弾は五〇〜八〇発。対人手榴弾一〜二発、火炎放射器の炎を浴びせ、とどめに四〇ミリグレネードを二発は叩き込んでいる。戦車とは言わないが、装甲車並みの耐久力だ。接敵されたら重武装の兵士でも勝ち目はない。本来なら反目すべき間柄である彼らが一時的にせよ手を組んだのは、【人間】の力を結集せねば【鬼】に対抗する事ができなかったからだ。

「大尉殿。生き残りを集めて撤退しろ。貴殿らでは奴には勝てん」

「そうはいかん。任務は果たしておらんし、部下も大勢死んだ。そして今、目の前に抹殺のターゲットがいる。たとえそれが――お前であっても」

 ピ…、と、龍麻の心臓と眉間にレーザー・サイトの光点が集中した。

「…大きくなったな、坊主。姿形は変わっても、その身に染み付いた硝煙の強さがお前の正体を語っている。その目の傷は、ナンバー9だな」

「覚えていていただき、光栄の至り。だが、自分を番号で呼ばないで頂きたい」

「済まぬ。だがこれは――許しは請わぬ」

 そして大尉も、銃を構えた。

「…咎めはしない。昨日は同胞であっても、今日は敵――それが軍人の運命さだめだ」

 淡々たる声音。それが――現実なのだ。龍麻を、レッドキャップスを全滅させたのが同胞であるように。

「しかし――つまらんぞ。国の為、市民の為に戦う者が、一部権力者の利益の為に死ぬのは」

「解っている。だが――それが命令だ」

 都合十個の銃口が一斉に火を噴いた。

 今の龍麻の目には、銃口から飛び出す弾丸の影が酷くスローモーに映っていた。コートをひらめかせて弾丸の射線をかわし、最も近い位置にいたスペツナズ隊員に軽く足払い。それだけで隊員は空中で一回転する。彼が地上に落ちる前に、腕のバネを生かした裏拳を一撃。隊員は地面でバウンドして吹っ飛ぶ。

 銃口が旋回する。それがこちらに向く前に、龍麻は間合いを奪っていた。SAS隊長のFN・FALを蹴り上げ、その足を踏み込みに変えて胸板に【掌打】。一瞬で麻痺する彼の背を押して投げ倒し、その勢いを利用して後ろ廻し蹴りと廻し蹴りを連動。廻し蹴りを食らったグリーンベレーが倒れる前に彼を支点として空中に跳ぶ龍麻。後ろ廻し蹴りから――空中連続蹴り! 相手に蹴りを叩き込むと同時にそこを支点に二の蹴りに繋ぐ【龍星脚】の応用だ。四人目から八人目は、彼らを蹴ると同時に足場として利用する、一歩も地を踏まぬ龍麻によって瞬時に昏倒させられる。

「ヌウッ!!」

 マッキンレーがヴェネリM4を、イプシロンの桂木三佐が六四式小銃を発砲した瞬間、龍麻の手が掻き消えた。一瞬後、彼の身体を掠めるように、九粒の散弾とライフル弾が吹っ飛んでいく。【システマ・G】――龍麻は弾丸が銃身から飛び出す何百分の一秒の間に、銃口を自分から逸らしてしまったのだ。

 勝てない――銃ごときでは!

「――レッドキャップスの生き残りが、やがて世界を震撼させる【個人】となりうる――こうして目にするまではとても信じられなかった。この、化け物どもに関しても」

 血を吐くような声とは、こういう声だろう。それも大人の、戦場を渡り歩いてきた戦士が絞り出す声だ。

「尊敬するよ――武器を持たざるを得ない者の一人として。そして、誇りに思う。自分が育てた生徒がこれほど強くなってくれるとは。――坊主グッドボーイ

「――感謝の極み」

 ズシン! と地響きにも似た轟きと共に、アメリカ軍最強の特殊部隊デルタフォースの隊長は水月に【掌打】を受け、薄い笑みを湛えたまま昏倒した。

「…貴殿も来るか?」

 龍麻は桂木に視線を向けた。

「…参ったな」

 桂木は肩をすくめ、銃身のひん曲がった六四式小銃を肩に担いだ。

「餓鬼の頃も凄かったが、今でも桁違いだ。俺たちじゃ到底太刀打ちできねェ」

 やや投げやりな桂木の言葉は、この場にいる全員の代弁でもあった。銃器類で完全武装した各国特殊部隊の精鋭を、素手のみで昏倒させてしまったのである。マシンガンの猛射は、一発たりとも、彼に掠りもしなかった。

「――だからと言って、尻尾を巻いて逃げ出せると思うかい?」

 桂木の手が腰に伸び、特徴ある黒のブレードを持つ銃剣を引き抜く。龍麻は黙って、それが六四式に装着されるのを見守った。

「…待っててくれなくても良かったんだがな?」

「…自分としては、貴殿らにはこのまま引き揚げてもらいたい。特に貴殿は、恐ろしい」

「お世辞はいらねェよ。あのジャングルでお前ら餓鬼どもに護られて、ガタガタ震えてた腑抜け野郎だぜ」

「しかし貴殿は、戦場ここにいる」

「――ありがとよ」

 次の瞬間、顔を横に振った龍麻の髪を銃剣が切り飛ばした。

 突きの失敗を確認するまでもなく、手首の返りだけで跳ね上がる銃床! それを掻い潜って突きを放とうとする龍麻に、銃床とまったく同じ軌道を辿って銃剣が切り払いに来る。スウェイバックする龍麻。が、切り払う動作が終わる前に桂木が踏み込み、全瞬発力が集約した突きが――!



 ――ドン!



 龍麻の頭突きをカウンターで胸板に喰らい、どっと倒れる桂木。彼の顔は激痛に歪み、しかし満足げな笑いが浮かんでいた。着剣した小銃は短槍と棍棒の性質を備え、遣い手次第で長槍にも矛にもなり得る。それが全動作連動した彼の刺突を捌く為に、龍麻は両手を使うしかなかったのである。

「…さすがだ。やっぱり…敵わねェな…!」

「運が良かっただけだ。――この先に使えそうなトラックがあった。それで全員脱出しろ」

「良いのかい? 今の俺は、お前の敵だぜ」

「自分の敵は――奴だけだ」

 肩で風を切り、龍麻は瓦礫の山の頂上を振り仰いだ。

 パチ…パチ…パチ…

 静寂を取り戻した空間に、まばらな拍手が響く。――龍麻以外、誰一人その男の存在に気付かなかった。京一や如月さえも。

「…意外と遅かったな。ナンバー9」

「ナンバー0…」

 龍麻の言葉に、一同に緊張が走る。

 長い茶髪を時代劇の浪人者のように高く結び、青い長ランを纏い、朱塗りの鞘を有する日本刀を肩に掛けている男がそこにいた。ただ、そこにいるだけで空気が冷えるような威圧感、周囲の風景すら歪ませる妖気…。――この男が、レッドキャップス隊長ナンバー0こと、鬼道衆頭目、九角天童。彼らの宿敵であった。

「はっはっはっ。ここまで生き残っていた精鋭部隊を一捻りかよ。誉めてやっても良いが――相変わらずの甘ちゃんだな、お前は」

 心底そう思っているのか、彼の声は上機嫌にも聞こえた。九角の周囲では膨大な妖気が渦巻いているのに、本人には邪気も殺気もまったくない。ただし、眼光だけは刃物のように鋭く、龍麻を貫いている。他の仲間たちには目もくれない。それこそ、最初から眼中になどないのだろう。

「…お前が呼び寄せたのか?」

「まァな。ちょっと情報を流したらすぐに群がってきやがったぜ。――あの女を手に入れる為にな」

 あの女――葵の事だ! 一同に動揺が走った。この男が生きているという事は、葵は――!

 しかし龍麻は、別のことを言った。

「…また、裏切られたのか」

「今度はこっちも承知の上さ。日本を軍事大国に祭り上げつつ、肝心の【菩薩眼】は自分の手元に置いておく――奴らの考えなんざお見通しさ。おかげで見てみろ。アメリカは【菩薩眼】を手に入れる為に、他の国はアメリカの手に渡る前に【菩薩眼】を抹殺する為にこのザマだ」

「…誘発したのは、お前だ」

 クックック、と九角は喉の奥で笑った。

「そいつは違うぜ。【俺たち】だ」

 微妙なニュアンスの違いだが、龍麻の口元が僅かに引き攣った。彼の手は自然にコートの内側に伸びたが、九角は片手を上げてそれを制した。

「まあ待ちな。――お前たち、いや、俺たちの持つ【力】の謎を教えてやろう。――元々、人間の持つ潜在能力と、【龍脈】のエネルギーが何らかの因果関係を持つ事は知られていた。しかし、その能力を発揮する為には、数十年にも及ぶ修行が必要になる。密教、修験道、仙道、ヨガ、その他、色々のな」

「……」

「人間の潜在能力を司るのはヨガで言う所のチャクラだ。これは基本的には人体に七個存在すると言われているが、実際は千以上存在するらしい。これらチャクラを稼動させ、その性質の組み合わせにより、発現する能力は決まってくるって話だ。――これで合点が入ったかい? なぜ、それぞれ異なる能力に目覚めたのか」

 龍麻はどうか分からないが、一同は己の【力】に対する疑問が、一部氷解するのを感じた。

 仲間内だけでも十四人、戦った相手も含めれば二〇人以上の【神威】がいながら、同じ技を持っていても、まったく同じ能力を持つ者は一人としていない。例えば小蒔と雛乃は同じ弓士でありながら、小蒔が主に攻撃系の技に目覚めたのに対し、雛乃は巫女という特殊な環境からか、弓鳴りを利用する【術】系の技に目覚めている。また、例えば如月は【水】、マリィは【火】というように、完全に属性が定められている者もいれば、龍麻のように【気】の発剄、【風】の八雲、【火】の巫炎、【水】の雪蓮掌、【地】の龍星脚と、あらゆる属性の技を使いこなす者までいる始末だ。

 【力】がいわゆる普通の超能力と異なるのは、正にこういう差異が生じる所だ。そして、例えば小蒔や雛乃などは【力】を有してはいても、体力的には普通人とそれほど変わらない。唐栖などは【笛】を介さねば【力】を発揮する事はできなかったし、嵯峨野に至っては、相手が夢を見ていない限り何の影響も与えられないのだ。

 だが、九角の言う事が正しければ、その謎は一気に解ける。人体に無数に存在すると言うチャクラ――それがそれぞれ異なる能力を発揮するスイッチになっているとすれば、各人が入れているスイッチが異なるだけで、【力】の本質は皆一緒という事になる。

「チャクラを一つ稼動させただけでも、そいつは人間以上の能力を発揮する。古代の日本では、それを【神威かむい】と呼んだ」

「【神威】…」

「そうだ。または【八百万やおよろず】とも呼ばれる。出雲神話に登場する神の事だ。――出雲文明が滅びた後も、彼ら【神威】は為政者達にその能力を買われ、戦いを繰り広げた。当麻蹴速たいまのけはや野見宿禰のみのすくねの対決なんかはその最たる例さ。当然、反乱を起こした者もいる。平将門、源義経なんかは特に有名だ。――いずれにせよ、敵に廻せばこれほど恐ろしい奴はいないが、味方に引き入れればこれほど頼りになる奴もいない。そして、可能ならば、自ら【神威】となる――権力者の欲望はそこまで辿り着いたのさ」

「…その一例が、凶津か…」

「何ッ!?」

 思いがけない名前の登場に、醍醐が驚きと困惑の声を上げ、そして渋面に怒りをたぎらせる。

 凶津の死を、醍醐は後に知った。鬼道五人衆の一人、風角と戦って死んだと。醍醐は嘆き、苦しみ、しかしこれ以上道を誤る事はないと、その苦しみを乗り越えた。その名が今、龍麻の口から出ようとは!? 

「【外法】では、あの男程度の能力を引き出すのが関の山さ。だが、【菩薩眼】は違う。大地の気脈を視る事ができるように、【菩薩眼】は人体の気脈――チャクラの位置も性質も視る事ができる。そこに【外法】が加われば…ククク…俺の言いたい事が分かるだろう?」

「死蝋やジルのように手間を懸けずとも、いくらでも【神威】を製造できるという事か」

「ッッ!!」

 この男は、一体どこまで一同に衝撃を与えるつもりなのか? 口調には邪悪な意図がまったく感じられず、ただ事実を述べているだけに過ぎないのだが、龍麻にそっくりなその口調には並み以上の説得力があった。そして、九角は一同にとどめとも言える言葉を発した。

「これで分かったかい? お前たちはずっと【大事なもの】とやらの為に戦ってきたつもりだろうが、全てはより巨大な権力の手のひらの上で踊っていたに過ぎないのさ。俺たち鬼道衆がテロを行い、危機意識を煽る事によって軍事力を増強させ、無尽蔵に補充の利く兵士を投入する。首尾良く行けば一年以内にクーデターを起こし、俺たち鬼道衆が日本を乗っ取り、全世界を震撼させる一大軍事国家とする手筈だったんだが、お前たちが介入した事によって話がややこしくなった。個人でありながら軍隊にも匹敵する戦闘力を持つ【力】。【奴ら】はそれにも目を付けたのさ。――無尽蔵の兵力を有する日本は世界に対する脅威になる。同時に【力】はこれからの戦争において極めて有効な武器となる。――お前たちはCIAの宣伝に喜んで協力しちまったって訳さ」

 つまり、龍麻の推測はおおよそにおいて当たっていたという事か。しかも最悪の形で。【菩薩眼】と【外法】を組み合わせれば、その瞬間に国家、企業、個人を問わず、そのものは世界最強の兵力を有する事になる。未だ発現せぬチャクラの中には、例えば人類が生み出した最強の力――【核】をも無効果、あるいは凌駕しうる能力が秘められているかもしれない。そう…沖縄嘉手納基地を吹き飛ばしたような【力】が。

「さて、どうする? この連中は始末したが、相手は国家だ。次の連中が必ずやって来る。そして鬼道衆も俺以外は全滅した。俺を倒してあの女を連れ戻した所で、何も変わりはしないぜ。どう足掻いても、あの女を巡って戦争が起きる。そうだろ?」

 初めて、九角の口調に邪悪さが滲んだ。あまり似合ってはいないが。

「…何が言いたい?」

「簡単な事さ。緋勇龍麻、俺の指揮下に入れ」

「――ッッ!!」

 九角の衝撃的発言は、まだ終ってなどいなかった。むしろ、ここからが本番であった。

「あの女を護る為には、国家をも相手にしなければならない。CIAのクソどもが画策したように、この日本そのものの有り様を変え、強大な【力】を以って世界に対抗するしかねェのさ。俺は実働部隊を失ったが、日本中に張り巡らせた組織の骨子は生きている。お前らが加われば鬼道衆の再興はたやすい。これ以上の血を流さずに済む方法はこれだけだ」

「……」

「もう一つは、お前の手であの女を殺す事だな」

「なッ…!!!」

 声を上げたのは、龍麻以外、全員だ。しかし相変わらず、九角は一同を無視する。

「戦争を回避する為には必要な処置だ。――今まで俺達レッドキャップスがやってきた任務だぜ。今更お前に躊躇う理由があるか? あの女が生き続ける限り、国家が、テロリストが、果ては企業も個人も、秘密を知った奴は誰もがあの女を手に入れようと争う。お前一人でそれを止められるのか? ――考える時間はないぜ。既に賽は投げられた。あの女を生かすか、殺すか。お前はどちらを選ぶ。【ひーちゃん】?」

 思いがけず九角がそれを口にした事で驚愕する京一。彼にも、九角の言わんとしている事が嫌と言うほど解る。それはあまりにも確実に予想しうる未来だ。たった一人の少女――葵を巡って戦争が起きる。否、既に起きてしまっている。葵を助ける為には、国家に対抗しうる力を手に入れねばならず、それには九角の協力は必要不可欠。それを拒むとしたら、自分達は自分達だけで国家と戦わねばならない。そしてその勝敗は、見えているも同然だ。自分達が敗れ、葵がどこかの国に奪われたのならば、その国は世界を手に入れる為に戦争を始める。――いや、そんな単純なものでは済むまい。世界を支配するなどというのは、もはや前時代的で幼稚な考え方だ。戦争は莫大な利益を生む。【菩薩眼】によって無限の軍事力を手に入れた国は、火種の転がっている国に軍事力を提供する事で戦争を【管理】、【運営】する事だろう。人類の未来は彼ら軍産複合体――死の商人によって完全に掌握され、そのさじ加減で生死を決められてしまう人間がどれほどの数に及ぶか、日本の高校生には想像もできない。

 果たして龍麻はなんと答える? YESか、NOか? 

「変わったな――【天ちゃん】」

 ぼそり、と龍麻が呟き、九角の表情が変わった。【天ちゃん】――彼の事だろう。

「お前は昔から、人一倍正義感が強かった。お前が庇ってくれなければ、俺はこの左眼ばかりか、命も奪われていただろう。そしてレッドキャップス――俺達の任務は、主義主張にとらわれず、戦争を止める事であった筈だ。その為に、俺達はこの手を血で染めてきた。白を白と、黒を黒と言い切る我々だからこそ、殺戮妖精レッドキャップス足り得た! その隊長たる貴様が、今更戦争を起こすものを怖れるか。俺達に与えられた任務はただ一つ! 【発見し、殺せサーチ・アンド・デストロイ】! その相手がテロリストであろうと、国家であろうと関係ない! 戦争を起こさんとするもの全てが抹殺のターゲットだ!」

「…ッッ!」

「葵は連れ戻す」

 龍麻は言った。

「葵を利用し戦争を起こさんとするものは、お前も、テロリストも、国家も、この俺が殲滅する! 俺はレッドキャップス・ナンバー9! 緋勇龍麻!!」

 ボッ!! と空気が弾けた。

 超高速移動物体が空気の壁を破った音だった。まったく同時に雷のような銃声が尾を引きつつ、黒い影が九角に向かって突進する。



 ガルルッ! ガルルルッ! ガルルルルルルンッ!!



 マシン・ピストルの咆哮が幾重にも重なり、流れ弾が瓦礫を跳ね散らかす。瞬き一つする間に、黒いコートと青い長ランが違いの眉間に銃を付き付け合っていた。龍麻はグロック18Cを二丁。九角はCZ85F。――共に遊底が後退ホールド・オープンし、残弾なしを告げている。そして二人とも、弾痕をコートと長ランにのみ残し、一発も直撃弾を受けていない。二人合わせて六〇発以上撃ち合って!

 九角の口元が、ぐい、と笑いの形に吊り上る。それも龍麻とそっくりだ。

「弾切れだな。――詰め直すなら待っててやるぜ」

「無用だ」

 二人の手から銃が落ちる。

 それが地に付くより早く、龍麻の掌打が二連発で九角の顔面を襲う。九角は首のみ左右に振ってそれをかわし、逆に膝蹴りを叩き込む。九角の膝蹴りを同じく膝蹴りで受け止める龍麻は、そのままレッグホルスターに収まっているランダル・カスタムの引き金を引いた。

 ゼロ距離から発射される三〇−〇六ウィンチェスター弾! しかし九角は足首の瞬発力のみで身体を思い切り捻り、弾丸に空を貫かせた。そればかりか、肩に担いでいた日本刀の鞘が九角の転身に合わせて旋回し、龍麻の首を襲う。ただ仰け反っただけでは一撃を食らうと見た龍麻は思い切り後方にとんぼを切り、サマーソルトキックを九角の顎めがけて放つが、スウェイバックでかわされる事を見越して空中でソードオフを抜き放ち、発砲した。瞬時に跳び退く九角のいた地点で、散弾が土煙を上げる。

 二人の間合いが離れる。――仕切り直しだ。互いにフルオート・ガンをぶっ放し、攻防一体の技を繰り出しながら、どちらも相手の攻撃をぎりぎり見切った分だけかわし、致命傷は一つとて負っていない。【システマ・G】の遣い手同士の戦いではこれほどまでに銃が無効になってしまうのか!?

「人間じゃねェッ――! 二人とも――!」

 驚愕の呻きは誰のものか。

「そんな事を言ってる場合じゃない! 龍麻を援護するぞ!」

「お、応ッ!」

 今の一瞬だけで、凄まじ過ぎるレベルの差を見せ付けられ、気後れしてしまった【魔人】達も、やっとの思いで各々の武器を構えて展開しようとする。だが、そんな彼らを嘲笑うかのように、無数のヘリの爆音が響いてきた。

「フン…増援部隊のお出ましか」

 鬼道衆忍軍との戦いで第一次攻撃部隊はほとんど壊滅したと判断したか、出現したヘリ部隊は第一次攻撃部隊の約三倍…ざっと見ただけでも百機以上の大部隊であった。地上からは砂塵を上げながら軍用ジープや装甲車、軽戦車がヘリに負けぬエンジン音を響かせながら近付いてくる。しかも、あれは…。

「…オイオイ…! どういう事だよ、これは!」

 桂木が信じられないといったような声を絞り出した。やっと身を起こしたマッキンレーやユアノフも同様に呻きを噛み殺す。

 事実、それは軍人であればこそ目を疑うような光景であったろう。先頭を切っているのはボーイングAH−64【アパッチ】、ベルUH−1【ヒューイ・コブラ】だが、その編隊の一翼を担っているのはずんぐりむっくりした巨大な胴体にミサイルポッドをいくつも抱えた翼を備えたミルMi−24ハインド――ロシアの戦闘ヘリであった。更にその向こうには、どこか昆虫のトンボを思わせるボディ形状の南アフリカ製デネルCSH−2ローイファルク――アパッチよりも新型の戦闘ヘリだ。これはまさか――多国籍軍!? 

『全員、武器を捨てて投降しろ!』

 幾重にも重なるヘリの爆音に混じって、アパッチのスピーカーががなり立てた。

『ナンバー0! 貴君の反逆は既に決定的である! 速やかに武装解除し、【菩薩眼】を引き渡せ! さもなくば総攻撃に移る。』

 アパッチの三〇ミリ・チェーンガンのターレットが旋回し、九角をポイントする。見れば周囲にも完全部装の歩兵が展開しつつあった。奇妙であったのは、彼らが、味方である筈のデルタフォースやスペツナズの生き残りにまで銃を向けた事であった。

「な、何の真似だ! お前ら!」

『…デルタフォース隊長マッキンレー大尉。貴君を含め、第一次攻撃隊を処分する』

「…なんだとッ!?」

『このミッションに貴君らの存在はない。貴君らは訓練中の事故により全員死亡した。公式発表ではそうなるだろう。SEALS、スペツナズ、SASの諸君らと共に、名誉の戦死を遂げよ。――分を弁えず、この作戦に疑問を差し挟むからこうなるのだよ。兵隊には感情など要らぬのだ』

 にわかには信じがたいヘリからの言葉に呆然とするデルタフォース以下、特殊部隊の面々。推察できるのは、彼らもまた捨て石であったという事だ。そして恐らく、このミッションに付いて何らかの疑問を持っていた。だからこそ、作戦を共にした事があったとは言え、抹殺対象である筈の龍麻と言葉まで交したのである。

「おかしいと思ったぜ。前の作戦を放り出して、女子高生一人を誘拐して来いなんてなァ。――テメエら、【Z−GRAT】だな」

 桂木の言葉にはっとする特殊部隊の面々。そして、龍麻の頬がぴくりと跳ねる。――龍麻の推理が的中し、残る謎も全て氷解した。

 如月と共に挑んだ株価操作――あの時破産させた葦下兄弟は【シグマ】の構成員だった。しかし【シグマ】そのものは政界財界の著名人の寄り合い世帯のようなもので、世界的規模の株価操作を行っていたのはもっと上位の組織である。それこそが桂木の言う【Z−GRAT】…IFAFとは異なる第二の世界的組織。

「我々がここに派遣されたのは、【Z−GRAT】の露払いという訳か」

「舐めやがって…! ――ウオォォォッッ!」

 自分たちが単なる捨て石と知り、SEALS隊員が腰の銃に手をやった瞬間、無数の銃口が火を噴き、彼を血だるまに変えた。

「――ッッ!!」

 正しく容赦なし! 味方まで撃つのか、こいつらは!? 

「同胞を撃つのか! 貴様ら!」

 スペツナズ隊長が叫ぶが、ロシア兵は彼の言葉に耳を貸さない。命令に従っているだけの…否、殺戮を楽しんでいる狂気そのものがそこにいた。飛び散る血を、肉片を浴びて歓喜の咆哮を上げる。――どう聞いても人間とは思えない声を…。

「無駄な抵抗はやめた方が良いですよ、ジョンソン軍曹殿」

 一人の兵士が前に進み出、マッキンレーと並んでいた男に声をかけた。

「――!? 貴様はダグ…ダグ・スティックマイヤー二等兵か!?」

 若い兵士は敬礼〜小馬鹿にしたような崩れた敬礼をして、マスクを剥ぎ取った。まだ幼さを残す顔立ちの、ひょろっとしたイメージの濃い若い兵士だ。マッキンレーが司令を務めていたブラウニー前線基地に従軍した、典型的なFNGの一人であった。

「あれから七二時間しか経ってないとは思えませんな。酷く懐かしい気がしますよ、軍曹殿。かの大佐殿も、今や大尉に降格なさっておいでとは」

「ダグ…お前は傷病除隊した筈ではなかったのか? 手続きもしてやっただろう」

「ええ。たかが肩の負傷くらいで書類を受理していただき、感謝しております。でもね、軍曹。俺みたいな落ちこぼれの負け犬でも、こんな【力】を持つ事ができるんですよ」

「――ッッ!?」

 なんとも嫌な笑いを浮かべた若い兵士〜ダグの目が金色の光を放ち、そして変異が始まった。

「まさか…外法か!」

 如月が唸る中、ダグのみならず、居並ぶ新たな兵士達が次々に変異を始める。ダグのやや軟弱なイメージのある顔は爬虫類的な鱗に覆われ…ズボンを突き破って二本の尻尾が長くのたうった。両腕は正規の腕の他に二本づつ、計六本の無数の間接を有する鞭と変化し、その先端は目のない蛇のような口が備わっていた。人間の特徴を残し、五〇口径砲やバズーカを抱え込んだ、直立歩行するトカゲだ。

「ダグ…! 貴様…そんな化け物に…!」

『心外ですな、軍曹殿。この姿こそ、未来の新人類の姿、地上の最強生物だ! 奴らにただ食われるしかないあなた方は、もはや俺たちにとってもただの家畜なんですよ。地上の覇権は、俺たちのものだ!』

 ゲッゲッゲ…と唱和する笑い声。龍麻は何も言わず、静かに彼らを見つめる。人を捨て、自ら怪物となる事を選択した者たちを。

 そしてジョンソン軍曹はふうっと息を吐いた。

「見損なったぞ、新兵。【奴ら】を前にママに祈り、小便をちびっていても、貴様は俺の言う通りに立派に戦った。栄えあるアメリカ海兵隊の一員として、見所のある奴だと思っていたのだがな」

 いつも、頭の上を飛び交っていただみ声だ。いつもこの言葉に従い、生きてこられたのだ。いくら【怪物】と化しても、その声に怯むダグ。

『う、うるさい! もう俺はお前の部下じゃないんだ! 俺をバカにするな! さっさと銃を捨てろ!』

「……」

 もとより、それ以外の選択肢はない。マッキンレーが銃を地面に置くと、ジョンソンも、桂木たちもそれに習った。しかし――

『最終通告である! ナンバー0! ナンバー9! 貴様らも武装解除して両手を地面に付け! さもなくば部下から抹殺する!』

「…チンケな【力】を手に入れたくらいでのぼせやがって。…ったく! ――せっかくの戦争だぜ。楽しもうじゃねェか」

 吐き捨てるような口調とは裏腹に九角は歯を剥き出して笑い、鞘に収まったままの刀を一振りした。するとそれだけで周囲に漂う妖気が一層の濃さを増し、ヘリの爆音すら、水の底から伝わってくるようなくぐもった響きに変わり、【魔人】達の背筋にも薄ら寒いものが走る。知性すら堕落し、ゲッゲと笑っていた妖魔兵士達も、ただならぬ妖気に静まり返った。

 そして彼らの前に、特に龍麻たちにとって信じられないものが出現した。

「な…に…!?」

 生暖かい一陣の風が吹きぬけた後、緑色の忍び装束が現れる。

 瓦礫の隙間から、重力に逆らって流れてきた水が立ち上がり、青い忍び装束に変わる。

 地面がぼこぼこと盛り上がって小山となり、砂塵を振るい落とした後に焦げ茶の忍び装束が現れる。

 ヘリの残骸で燃えていた炎が爆発的に巨大化し、深紅の忍び装束へと変わる。

 そして、黒雲から閃く落雷。その後に、黄の忍び装束が出現する。

「鬼道…五人衆…ッ!!?」

「馬鹿な…! 封印した筈の奴らがなぜ…!!」

 これまでの激闘…死闘の末、封印した【鬼】。【魔人】たちでさえ数人がかりで対等という相手が、今、再び目の前に現れたのだ。京一や醍醐の驚愕はむしろ当然であった。

「…違うわ〜。あれは〜前に倒したのとは別〜。でも〜もっとタチが悪いわ〜」

 のほほんと――これでも緊張しているのだろう――裏密が告げる。それを、九角が補足した。

「これはこいつらの怨念よ。テメェらに復讐したいと願うこいつらの憎悪、悔恨、怨嗟の念が集い、形を取ったものよ。――テメェらには解るだろ? 死者の妄念がどれほど深く、恐ろしいものか。そして【鬼道】は、【死】をも覆す。――テメエらにも見せてやろう。近代兵器にも勝る、【本物】の【外法】って奴を――!」



 ――目覚めよ――



 九角の身体から放たれる、血色に輝くオーラが周囲に立ち込める妖気と融合し、渦巻き、五人衆へと吸い込まれていく。それを達成させてはならぬと誰もが思ったが、【魔人】達は誰一人――龍麻でさえ動けなかった。

『口惜しや…口惜しや…』

 五人衆が苦悶とも歓喜とも知れぬ痙攣を始め――

『恨めしや…恨めしや…』

 メリメリと音を立てて、【人】の形を失っていく――

『憎らしや…憎らしや…』

 膨大な妖気を吸い込み、憎悪に凝り固まり、巨大化し――

『その血肉…生命の輝き…』

 手足が大地を踏み締め、切り裂き、震わせ――

『食らい尽くさずにおくものか…!!!』

 凄絶なハウリングが、天地を圧して迸った。

 江戸時代に世を揺るがしたという五匹の【鬼】。その怨念のみが、時代を越えて大地に染み付いた死者の恨みと妄念を受け、更に流されたばかりの血と死臭、兵士達の慟哭を糧に、新たなる【鬼】として変生したのである。

「JESUS…!!」

 特殊部隊の隊長をして神の名を唱えさせるほど、その姿はおぞましく、凶悪に成り果てていた。

 水角は、青い蛇の身体に、節足動物のような足そのものが鋭利な刃と化している、クモと蛇の融合体のような姿に。

 風角は、全身を緑色の羽毛で埋めた巨大な鳥――腕と羽を一体化させた、鋭い嘴ととさかを有する巨大なハルピュイアに。

 岩角は、岩から削り出したような筋肉を全身に纏わせた、伝説のミノタウロスを彷彿とさせる、二本足のアメリカ野牛バイソンに。

 炎角は、深紅のオオトカゲ――まるでティラノサウルス・レックスに太い前足と爪、背中一面の逆刺を生やしたようなドラゴンに。

 雷角は、金色の唐獅子の胴に虎の足、炎のような舌を吐く蛇を尾とした合成獣キメラぬえに。

「これが…【外法】の力…!」

 恐らく、考えうる最大のピンチ。目の前には変生した鬼道五人衆、その向こうにはヘリ部隊を擁する妖魔との混成部隊。こんな連中相手に、どうやって戦う!? 

「イカスだろ? さあ、もっと盛り上げようぜ」

 九角の手が内ポケットに伸びるのを見て、龍麻が身構える。だが意外もここに極まれり。九角が取り出したのは何の変哲もない携帯電話であった。この状況下で取り出すべきものではない。

 しかし――

「――ッッ!」

 ヘリの爆音に負けぬ、何か大勢の人々が足を踏み鳴らす音。すわ、大部隊の出現かと思われたが、腹に応える重低音のリズム。これは、まさか――!

「【クイーン】!?」

 これはなんの冗談か!? こんな状況で、まさかロックをかけるとは。足踏みとドラムの重低音がリズムを刻むそれは、イギリスのロックバンド【クイーン】の代表曲、【Will we Rock you!】であった。格闘技好きの人間なら、K−1選手のアンディ・フグの入場曲として聞き覚えがあるだろう。だが、あまりにも場違いでは――!? 



 【Will we Rock you!】(お前たちをあっと言わせてやるぞ!)



『ナンバー0! ふざける気か!』

「ふざけてんのは――」

 ひょい、と携帯電話が投げ捨てられた。

「テメェらだろうがッ!」

 九角の腰から迸る銀光! 九角の居合いだ。しかし、何に向けて――!? 

 ギン! と硬質の音が響いた。

「ッッ!!?」

 【それ】を目撃したと、誰が信じられるだろう。上空一〇メートルでホバリングしていたアパッチが突如、正面から縦に真っ二つに断ち割られたのである。メインローターが吹っ飛び、轟音と共に地上に落下するアパッチ! パイロットもガンナーも縦に唐竹割りされていた。血も燃料も、地上に散らばってからやっと噴き出し、一〇〇〇万ドルもする鋼鉄の猛禽はただの鉄屑と化した。

地獄の扉が開いたぜヘルズ・ゲート・オープン。――行け! 五人衆よ!!」

【グエエエエエ――ッッ!!】

 胸の悪くなるような悪声を上げ、風角が空へと飛び立った。地上の人間が日本刀サムライソードで空中のヘリを叩き斬るという悪夢じみた光景に気死していたヘリのパイロット達が、慌てて操縦幹を握り直す。

「Take get you fiend!  Fuck’in monster!!」(これでも食らえ! 化け物ォ!!)

 二〇ミリ機関砲が吠え――次の瞬間、ヘリ部隊が急激に体勢を乱れさせる。

「――耳を押さえて伏せろ!」

 龍麻の叱咤が飛ぶ。

 どんな状況であっても、とっさに龍麻の指揮に従う【魔人】達。次の瞬間、猛烈な気圧変動が妖魔兵士達の鼓膜を破るや、猛烈な突風――竜巻が発生した。

 言うまでもなく、風角の作り出した【風】だ。気流に弱いヘリはなまじ編隊を組んでいたのが災いし、何百万ドルにも及ぶ武器兵器の数々を発揮する機会もないままに次々に空中衝突して爆発、炎上し、墜落した。抱え込んでいたミサイル、ロケット砲が誘爆し、不幸にして近くにいた妖魔兵士達は、その強靭な魔物の肉体でもいかんともしがたい数千度に及ぶ炎の舌にたっぷりと嘗められて即死した。

 だが、この一瞬に即死できた者はある意味幸いであったかもしれない。

【グオオオオオッッ!!!】

【シャギィィィィッッ!!!】

【ブモォォォォォォッッ!!!】

【キシャァァァァァァッッ!!!】

 もはや異形の怪物でしかない鬼道五人衆が、一斉に周囲を包囲する妖魔部隊に襲い掛かった。

「ヒイッ! ヒイイィィッッ!!」

 迫り来る五人衆に、悲鳴を上げつつ四本腕で銃を乱射し、触手を振り回す兵士達。数こそ勝り、常人相手には一騎当千の能力を誇ろうとも、九角の切り札でもあった五人衆にはまるで効き目がなかった。その巨体にして正に水蜘蛛のごとく俊敏な、全身これ刃と化した水角の足が閃くや、銃弾を弾く鱗に覆われた兵士達の手足があっさりと切り刻まれて宙に舞う。胴を輪切りにされた者はまだしも、手足を飛ばされただけでは即死する事もできず、虫のように痙攣するところを、槍のように尖った水角の足先に縫い付けられた。

「Oh my GOD――!!」

「NO! NOOOO――――!!」

 鈍重そうな外見に見合わず、岩角がかろうじて隊列を組んでいる兵士達に突進するや、数十人まとめて弾き飛ばす。その分厚い毛皮はいかなる魔力の産物か、M134が毎分六千発にも及ぶ速度で吐き出す七.六二ミリ弾やバスーカの弾頭を絡め取って無力化し、妖魔兵士たちの吐く毒液や超音波にさえ足止めすら許さなかった。激突の衝撃だけで四肢はちぎれ飛び、踏み潰された者は内臓ごと胴を踏み砕かれて悶死する。角に掛けられた者は空中高く放り上げられ、制空権を取っている風角の真空刃で縦横に分断されて血肉の雨と化した。

 やはり、殺傷力において他に勝ったのは炎角であった。米軍の火炎放射器など比較にならぬ炎を所構わず吐き散らし、妖魔兵士達を炎の海に呑み込む。全身を火だるまにされた兵士達が絶叫を放ちながら地面を転げまわる――というのは、戦争映画の戯言であった。悲鳴を上げているのは体の一部を焼かれた者たちのみで、全身を炎に包まれた者は黙々とどこかへ走って行く。吸い込む息さえ炎と化すと、悲鳴など上げられぬのだ。人間であれば幸いなる死は速やかに訪れるだろうが、なまじ強靭な肉体は苦しみを長引かせるだけであった。炎角はそれらの兵士を頭からがっぷりと咥え込み、火を噴きながら噛み砕き、強靭な尾を振るって妖魔兵士達の首をへし折る。兵士の何人かは、それでも身体をかきむしって炎を消そうとした。――死んでも熱いらしい。

 恐慌を起こした兵士達の中には、逃げる者も現れた。しかし銃も何も投げ捨てて走り出した兵士達は、数メートルも行かぬ内に全身を痙攣させて狂おしいダンスを踊り始めた。弾丸や拳銃など、金属から火花が飛び散り、目、鼻、口など、体中のありとあらゆる穴から沸騰した血液が吹き出す。猛烈な痙攣の為に裂けた皮膚からブスブスと煙が上がり、焦げた肉片を撒き散らかす。――雷角の放った電撃の仕業だった。

 これは戦争ですらない、一方的な虐殺であった。【あっと言わせてやる】どころではない。国家権力に裏打ちされた暴力の遣い手、それも怪物と化して新人類を語ったものたちの口から出たのは、人間であれば即死できた筈の激痛から来る、恐怖と断末魔の悲鳴だけであった。

「ハッハッハ! ハァーハッハッハ! 下らん命令を受けたのが運の尽きだぜ! 金と権力に目が眩んだクソ野郎ども! たっぷり苦しんで死ぬが良いぜ!!」

 第二次攻撃部隊はあっという間に壊滅の憂き目に逢い、ごく僅かに生き残った者がこけつまろびつ、【魔人】達のいる方へと逃げてくる。――その中にダグもいた。その後を、獲物を弄ぶ猫のような残酷さで鬼道五人衆が追う。そして一掻きで五人分の妖魔兵士の首をはねた水角の鎌が、返す刀でダグの背に振り上げられ――!



 ――ズドォン!



「〜〜〜〜〜〜〜っっ!?」

 スラッグ弾の直撃が甲高い金属音を立てて鎌を弾き、水角が発砲者を睨みつけた。

『ぐ、軍曹…ッッ!?』

 驚愕するダグの目に映ったのはジョンソンばかりではなかった。マッキンレーも、ユアンも、桂木も、一度は捨てた銃を取り、第二次攻撃隊よりも遥かに強い五人衆に挑んだのであった。

『な、なぜ!?』

 今にも泣き出しそうなダグを前に、ジョンソンはべっと唾を吐き捨てた。

「さっさと逃げろ新兵! 貴様のような腑抜けはお家に帰ってママのおっぱいでもしゃぶってろ!」

 例のだみ声をその場に残し、ジョンソンとマッキンレーが左右に散る。怯んだのは最初だけで、この男たちは銃撃を水角の顔面にのみ集中し、勝ち目のない敵を本気で仕留めにかかった。しかし――

『――シャァァァァァッッ!!』

 小賢しい人間どもの放つ豆鉄砲など意にも介さず、水角が突進した。唯一顔面のみ鎌でガードし、しかし残る全ての足も全て鋭利な刃で形成されている為、ただ走るだけでも恐るべき死の担い手であった。たちまち十体以上の妖魔兵士が切り刻まれ、水角の視線の先には、踏みとどまりながら銃を撃ち続けるマッキンレーの姿があった。その余りにも脆弱で、生意気な人間に向かって振り上げられる水角の足! 大尉は死を意識した。しかし、一矢報いる為の手榴弾を握り締めて――!

「ムウッ!」

 ガキン! と耳を劈く金属質の激突音。しかし痛みが襲ってこない。見ればそこで水角の足を受け止めているのは、彼の抹殺のターゲットであったレッドキャップス・ナンバー9であった。

「――何のつもりだ? そいつだって、テメェの敵だろ」

「……」

 呆れたような九角に、龍麻は答えず、ギシギシと力を込めてくる水角の足を跳ね除けるや、【掌底・発剄】を水角の顔面に叩き込んだ。巨大化した分、的は大きくなったが、耐久力も桁外れにアップした水角は、その一撃で倒せるほど甘くはない。しかし怯ませて後退させる事はできた。

「ふふん。たとえ敵でも、見殺しにはできねェか。やっぱりお前は甘ェぜ。ひーちゃん」

「ナンバー0…。お前を消去する」

 龍麻の全身が青白い清浄な輝きを放った。よほどの強敵相手以外では滅多に見られない龍麻の【気】だ。銃が利かぬ事を確認した龍麻は、古武道のみで戦う事を決意したのである。右構えに突き出した彼の拳には打撃力を増すと同時に、【気】を増幅する能力を持つ手甲が填められていた。それも、かのアトランティスで使用されていたと言われる伝説の金属、オリハルコンの手甲だ。その防御力は、人間五人をまとめて輪切りにできる水角の足刀を受け止めて傷一つ付かぬ事からも窺える。

「ひーちゃん!」

 京一が声を上げる。すると龍麻はたった一言だけ言った。

「奴らは任せる」

「――ッッ!!」

 驚いたのは、生き残りの兵士達のみ。龍麻のたった一言が、本物の戦争と大虐殺劇の恐怖に萎縮していた【魔人】達の闘志を一瞬にして奮い立たせた。

「よっしゃあァッ! 任せろ、ひーちゃん!!」

 全員の気持ちを代弁し、叫ぶ京一。その時、彼らは見た。龍麻が口元に微笑を刻むのを。激励、叱咤――幾千言を駆使しても足りぬ想いは、それ一つで全員の胸に届いた。

 次の瞬間、龍麻は宙に跳んだ。【最強】の名に恥じぬ、凄まじい脚力で水角を飛び越え、一気に九角のいる瓦礫の頂上に飛び上がる。そして――

「破ッ!!」

「フンッ!」

 龍麻の【掌底・発剄】と九角の斬撃がぶつかり、爆発する。それこそ、真の戦闘開始の合図――奇しくも大音量で鳴り響く音楽は【フラッシュ・ゴードンのテーマ】。

「オオオオオオッッ!!」

「チイィィィィッッ!!」

 こちらも身体能力を開放済みか、九角の跳躍は五メートル以上に及ぶ。空中からの斬撃! 切っ先から迸る【気】の刃が空を引き裂き、地面に斬線を刻む。しかし龍麻も同時に地を蹴っており、空中で刃と拳を噛み合わせた。【陰】と【陽】、二つの【気】が激しくぶつかり、二人とも弾け飛ぶ。しかし一瞬で体勢を立て直し、互いに攻撃間合いを保ったまま走り出す。その戦いに、他人が介入する余地などなかった。







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