第拾参話  外法都市





「なんで…なんであいつが生きてるんだよォォッ!」

「落ち着くんだ、雨紋! パニックを起こしたらられる!」

 得意の槍を構えながら、激しく取り乱す雨紋を叱責する如月も、手の中の忍者刀が酷く頼りないのを感じている。いや、この場にいて、雨紋と同じ恐怖を感じていない【魔人】達など一人もいなかった。

「有り得ん…! 半身が吹き飛んでいるのだぞ…!」

「本物の化け物だぜ…ありゃあ…!」

 紫暮は既に二重存在を展開し、【不動練気法】で防御力を上げている。雪乃も薙刀に【気】を漲らせているが、その刃はカチャカチャと震えていた。

「HEY…アリサ。マリィとマイコを連れて下がるネ…!」

「あ、あたしはやるよ! 雛乃! マリィと舞子はアンタに任せるよッ!」

 元海兵隊上がりで、如月と並んで最も龍麻に近いと言えるアランも緊張の色が濃い。亜里沙は気丈にも前に出ようとするが、如月や紫暮より前までは進めない。

「皆様…無茶ですわ…!」

「駄目だよぉ、あんなの、勝てっこないよぉ…」

「ミンナ…!」

 【魔人】達をこれほど怖れさせているものは、満身創痍と言うにも足りないほどのダメージを受けている。左半身が既に消滅し、断面は焼け焦げ、生きている事こそ異常だ。しかし【それ】は着実に、こちらに向かって歩いてくるのであった。――鬼道衆頭目・九角天童が。

「緋勇…龍麻…!」

 宿敵の名を絞り出す声は血に塗れ、しかし苦痛の片鱗も見られない。既に存在しない左腕も、脇腹も、彼にとっては身体のパーツが一部外れただけ――そんな気分にさせるほどである。そして何よりも、先ほどよりも更に濃密な妖気。九角の周囲だけ空間が歪み、彼の歩んできた所は瓦礫と言わず空気と言わず、腐り果てて崩れた。この世のありとあらゆる物質に対する反作用。【陰】の気を極めるという事は、正にこういう事なのか!? 

「…俺ならここだ」

「――ッッ!!」

 闘う前から気圧されていた【魔人】達に生気が戻る。社の中から彼らの指揮官、緋勇龍麻が仲間たちと共に現れたのだ。その中には当然のように、【菩薩眼】こと葵の姿もあった。

 自然に左右に分かれた仲間たちの間を抜け、龍麻は再び九角と対峙した。

「クク…ククク…まだ…終っちゃいないぜ…」

「…そのようだな」

 葵の救出は果たした。しかし九角が生きている限り、まだこの作戦は終らない。龍麻は躊躇う事なく構える。しかし――

「もう争うのは止めてッ。――九角さん! あなただって本当は平和を望んでいたのでしょう!? 敢えて泥を被るような真似をしてまで、この街を…この国を・・・人類を護ろうとしたのでしょう! それなのに…どうして闘うのッ!?」

 これ以上の血は見たくないと、葵は必死で叫ぶ。だが九角は皮肉な笑みを口元に刻み、龍麻はただ、能面のごとき無表情を保ち続けた。

「龍麻ッ!」

「…どけ、葵」

 既に闘う事を決意している龍麻に、後退の文字はない。葵をあっけなく押しのける。

「九角さんッ! あなただって、もう闘える体じゃないでしょう!? ――聞いて、龍麻! 九角さんは…既に全身をガンに侵されて…! もう、一ヶ月と保たない体だったのよ!」

 エエッ!? と、一同を驚愕が走り抜ける。

 【癒し】の【力】を持つ葵の言う事だから、恐らく間違いはないだろう。しかし、余命幾ばくもない男が、龍麻をあれだけ追い込んだと言うのか? 今、この瞬間とて、これほど凄まじい妖気を発している男が、実は病人とは…!

「…それがどうした」

 龍麻の声に、酷く残酷な響きが混じる。

「俺も彼も同じだ。決着は付けねばならない」

「だから…どうして!?」

 頑としてその場を譲ろうとしない葵に、九角の声が当たる。

「どきな、美里葵。お前には、まだ理解できねェよ」

 口から溢れる血をがっと吐き捨て、九角は口元を拭った。

「俺は戦場で産まれた。アフガンで爆弾テロにあった母親の死体からな。フリージャーナリストだった俺の親父もその時にくたばった。戦場は俺のゆりかごだ。俺はそこで生まれ、生き、そこで死ぬ。――レッドキャップスとして世界中を渡り歩き、何度人殺しに嫌気が差したか判らねェ。だが、そこにしか、俺の居場所はなかった。同時にそこには、俺の全てがあった。俺の居場所も、仲間も、友も…」

「……!」

「だがそこも追われた。為政者の都合で生み出され、為政者の都合で殺され、為政者の都合で生かされ…しまいにゃ感覚も奪われ、生きる実感もなく時を重ね…結局、戦いだけが、俺が生きている証だった。決して満たされる事のない、殺戮の日々だけが俺を生かしていた。お前が現れたのは、そんな時さ」

 九角の視線が鋭く龍麻を射抜く。

「今までの戦いは全て偽りだ。くだらねェ奴らの言い成りになる限り、どこまで行っても自分の戦争じゃねェ。自分の為には、戦えねェ。――お前が生きていたと知った時、俺がどれほど嬉しかったか解るか? 自分の戦いを始めているお前がどれほど羨ましかったか解るか? そして――人として生きようとしている、人として生きられる道を見つけたお前が、どれほど憎らしかったか…。そんな運命にたった一度で良いから抵抗してェのさ。俺自身の戦い――どんな結果が出ようと俺だけは納得できる…そんな戦いをな」

「…九角さん…!」

 それが――彼の望みなのか? 龍麻と…かつての仲間と戦い、果てる事が!?

「教えてくれ、ナンバー9。いや、緋勇龍麻。俺達が別れた後で、お前は何を見、何を知り、そうなる事が出来た?」

 一同、ドキリとする。それはある意味、自分達の存在にさえ関わる質問だ。龍麻にとって、自分達は何なのか。そう…願わくば、その存在を求められたい。

「…生と死だ」

 龍麻の答えはシンプルであった。

「…それだけかい?」

「それだけだ」

「そいつぁ哀しい話だ。本当にそうなら、俺より酷いぜ」

「逃げ出しただけならば、確かにそうだろうな」

 ぽつん、と独白するような言葉に、九角の目が細まった。

「どこまで逃げても、あるのは戦場だけだった。偽りの平和は、俺たちを否定するだけの地獄であり、そこで生きる俺は死者同然だった。無為に繰り返される日常、体が錆び付いていくかのような怠惰な時間の連鎖…。何も知らず、何も考えず、戦場にいられたならばどれほど良かった事か」

「……」

「だが俺はある時、死者である事をやめた。かつて俺達が護ろうとし、護ってきた人々と同じ匂いを持つ者…彼らを護ろうと、偽りの平和に戦いを挑んだのだ」

「……」

「――お前の命令だぞ、ナンバー0。【せめて、人間らしく】」

「ッッ!」

「俺もお前も、見てきたものは生と死だ。だが俺は戦いに挑んだ場から、そしてお前は――逃げ出した場からそれを見てきた。その結果、俺は多くの友を、師を、仲間を得る事ができた。何が正しく、間違っているか、己で考えようとする力を多少なりと身に付けた。――お前が俺を羨むのも、今の俺ならば解る。だが俺がこうなる切っ掛けを与えてくれたのは、少佐であり、教官たちであり、レッドキャップスの仲間であり、お前だ」

 ずい、と妖気を押しのけ、龍麻は前に出た。いつも、そうしてきたように。

「だから俺は、お前を倒す。打ち倒さねばならぬ。俺たちレッドキャップスの存在意義、俺の生きる目的、人として生きる未来、そして…俺が生きる世界に生きる者たちを護る事…それが俺と、レッドキャップス・ナンバー9の戦争だ。その前に立ち塞がるお前を、俺は打ち倒す。――お前も同じ筈だ。お前は俺を打ち倒さねばならぬ。お前の存在意義、お前の生きる目的、お前が護らんとするものの為に。レッドキャップス・ナンバー0、九角天童」

 満身創痍でも力強く、堂々たる宣言。九角はぐっと目を閉じ、龍麻の言葉を噛み締めた。

「…十年後の一億か、目の前の一人か…。いや、今のお前なら、目の前の一人も、十年後の一億人も護るって言い出しそうだな。困った事に、笑い飛ばせねェ」

 そして九角は胸を反らし、大声で笑った。血を振りまき、内臓を噴き零れさせながら、その笑いは心底楽しそうに、嬉しそうに聞こえた。

「――ならば決着だぜ、レッドキャップス・ナンバー9、緋勇龍麻! 俺かお前か、光か闇か、ここで答を出す! これは、【俺たち】の戦争だ!」

 九角が一本だけ残った右手を天に向かって掲げた。

「九角さん!」

 葵が叫び、九角が彼女を見てニヤ、と笑う。

「大人の階段ならもう登ってるぜ。――【哀しいけどこれ、戦争なのよね】」

「〜〜〜〜っっ!」

 もう止められない…! 止めようがない…! 九角もまた、龍麻と同じだったのだ。テロリストの謗りを受けようとも、十年後の日本、未来の世界を護らんが為の戦いをしてきたのだ。自らを壊滅させたCIAの飼い犬になるという屈辱にも甘んじ、いわれなき犠牲を多くの人々に強いて、今、再会した仲間と矛を交えようとも――止まれない。止まってはならない。己の目的の為に踏みにじった命、大儀の為に強いた犠牲に報いるには、その目的を完遂せねばならないのだ。

「来るがいい! この地に漂いし怨念どもよ! 無念の内に果てし兵士達よ! 俺を食らい尽くし、この世の全てを破壊しろ――!!」

 九角の叫びに呼応して激しい稲光が走り、黒雲が渦巻く。大地は震え、そこから黒いガスのようなものが大量に吹き出し、九角へと群れ集っていく。

「な、なんだこれは!?」

 ほとんど忘れられていたような特殊部隊の生き残りたちも、この現象に恐怖の呻きを発する。黒いガスの正体は、無数に散らばっている兵士達の無残な死体が変化したものであった。国の為という大義名分の元に出撃してきた果てに、非業の死を遂げた者たち。ただ一部の者たちの利益の為に、命を投げ出す事を求められた者たちだ。そんな彼らが、この世を怨んでいないなどと誰が言えるだろう。ただでさえここは、九角鬼修が果てた地と言われ、徳川に恨みを持って死んだものの怨念が渦巻いている。それら恨みの念が黒いガス状の塊として実体化し、それを九角が吸い取っているのだ。

「まさか――自分を変生させるつもりかッ!?」

「な、何だってェ!!」

 騒ぐ一同の目の前で、九角の身体は黒いガスに包まれていく。酷くおぞましい、どろどろしたイメージ。非業の死を遂げたものには、このような姿しか残されていないのか、それらは全て酷く溶け崩れた死霊であった。それは互いに溶け合い、形を変え、よりおぞましく、より凶悪に変貌していく。そして――

『ウルアァァァァァァァ――ッッッ!!!』

 天を衝く咆哮と共に黒いガスが吹き飛ばされ、そこに異形のものが出現した。

 身の丈は四メートル強。赤銅色の筋肉は鋼の強度と生ゴムの柔軟性を有し、これぞ人間の肉体美の極致とも言うべき生物的整合性を見せていた。しかし、豊かな白銀の髪の中から覗く二本の角。そして、美しいとさえ言える端正な顔でありながら、口元から覗く巨大な牙。――日本人ならば、誰が見てもその単語を思い浮かべるだろう。即ち、【鬼】と。

 ズシン! と地響きを立てて、鬼――九角が一歩踏み出した。ただ、それだけの動作で突風のような妖気が放射され、龍麻を除く仲間たちを呻かせる。

『クックック。さあ、ろうぜ! 殺戮妖精レッドキャップス!』

 ガシュウゥ…!

 膨大な妖気の為に、一気に気温が一〇度ほども下がる。全員の吐息が白く染まり、彼らの肉体からも熱が奪われ、彼らは全力で気を漲らせて抵抗せねばならなかった。

「死地にあっても未来を求めて闘ってきたか、ナンバー0、九角天童」

 突風のような妖気に満身を晒しつつ、龍麻は静かに言った。

「尊敬するぞ。やはりお前は、【俺たち】の隊長だ。――行くぞ」

 ザッ!! と土煙が上がった。

 爪先で瓦礫を蹴り上げざま、龍麻が一気に間合いを詰めた。顔面を狙った瓦礫をものともせず、九角の拳が繰り出される。鉄の塊が吹っ飛んでくるようなパンチをぎりぎりまで引き付け、上体のみ伏せて九角の懐に飛び込む龍麻!

「破ァッッ!!」

 大木の根のごとく太い膝に底足蹴り! ガン! と金属的な打撃音が響き、僅かに九角の体が傾いだところに、【掌底・発剄】!

 ギンッッ!

(何ッ!!?)

 【掌底・発剄】のエネルギー弾が九角の肉体に跳ね返された。驚く間もなく、九角のパンチが裏拳に変化して龍麻を襲う。後方にトンボを切って逃れた龍麻は、ロングレンジから【螺旋掌】を放った。――が、結果は同じだった。広がり飛ぶエネルギー波は九角の体表を流れただけで大気に散華してしまった。

「チイッ! 【地摺り青眼】ッッ!!」

「【破岩掌】ォッ!!」

「【雷光ォ・ブラスター】ァッッ!!」

 左右に散り、龍麻を援護する京一たちであったが――

『ぬん!!』

「ッッ!!」

 四メートルを越える巨体が消滅現象を起こすほどのスピードで地を蹴った。京一たちの攻撃は一顧だにせず、龍麻に向かって嵐のような突きのラッシュを繰り出す九角! 一発でも直撃を許せばガードの上からでも全身の骨をバラバラにするほどの衝撃だ。龍麻も潜在能力を発動! 驚異的なスピードでラッシュをかわすが、拳のまとう衝撃波まではかわしきれず、たちまち全身を擦過傷に包まれていく。

「【体もたぬ精霊の燃える盾よ! 私たちに守護をッ】!!」

「【鳴弦・滝口の儀】ッッ!」

 龍麻不利と見た葵と雛乃の防御術が発動するが、それさえも焼け石に水であった。

「クッ! 背面から仕掛けるぞ!」

 龍麻に代わり、醍醐の指示が飛ぶ。

「OK! 【Flash shot】!!」

「行け! 【火龍】ッッ!!」

「【デュミナス・レイ】ッ!!」

 九角の狙いが龍麻一人ならば、自分達は背後から――作戦としては常道であったが、しかし…

「――効かないッ!!?」

 一見無防備に見える九角の背面。しかし【魔人】たちの放った攻撃は、やはりその体表面で跳ね返されてしまった。

「これでどう〜、【愚者の影】〜ッ!」

 九角の足元に生じた暗黒の沼からいくつもの真っ黒な人影が手を伸ばし――九角に触れるや、瞬時に吸収同化されてしまった。

「これならどうだ! 【水流尖】ッッ!!」

 如月の操水術により、水が鋭いドリルと化して九角に激突する。高水圧を一点集中する水の槍は九角の肉体を貫くべく荒れ狂ったが、水がすべて跳ね飛ばされた後には、傷一つない九角の背中があった。

「クソ! どうなってやがるッ!?」

 【魔人】たちの総力を上げても、九角の注意を逸らすことさえできないとは!? 

「チッ! こうなりゃ直接こいつを叩き込んでやるぜ!」

「何!? やめろ京一!」

 醍醐の制止を振り切り、水龍刀を【刺突】に構えて突進する京一! その背後に雨紋と雪乃が続く。

「アンタにばかり、いいカッコはさせないぜっ!」

「お前にだけは、負けられないんだよッ!」

「ケッ! 邪魔はするなよッ! ――でりゃあああッッ!!」

 京一、雨門、雪乃の刃が同時に九角の背中に突き立ち――いや、刺さらない! 唯一京一の水龍刀のみが九角の筋肉に窪みを作ったが、その肉体を突き破れない!

 龍麻が遂にラッシュを避けきれず、浅くだが一撃を食らった。

「ッッ!!!」

 後ろも見ずに振るわれた九角の裏拳! 京一と雨紋が雪乃をかばってとっさに木刀と槍で防御を試みたが、とても勢いを殺せなかった。三人まとめてなぎ倒される。

「ミンナ! ――【アグニ・サラマンデル】ッッ!!」

 京一と雨紋にかばわれたため、すぐに起き上がった雪乃に九角の拳が振るわれる寸前、九角の顔面に炎の精霊サラマンダーが食らいつく。傷は付かないが、やはり目元を炎で炙られたのは九角の怒りを誘うに充分であった。

『小娘…二〇トゥウェンティ…!』

「――ッッ!!」

 九角の殺気に硬直するマリィ! その顔面に向かってパンチが飛び――

「ぬうッッ!!」

 血を吐き捨て、九角の腕に飛びつく龍麻! 飛び付き腕十字固め! マリィへのパンチはこれで防いだが、この密着状態では彼の方が――!

『死ね!! 緋勇龍麻!!』

「ミギャアアアオオオッッ!!」

 絶体絶命の龍麻を救ったのは、小さな黒の毛皮の塊であった。

「メフィストッ!!?」

 子供とは言え、猫族。メフィストは九角に飛びつくや、鋭い爪で顔面をかきむしった。全くの予想外! 眼の真上を引っかかれ、九角が初めて呻き声を上げる。

(メフィストの爪が効いた!? なぜ――!?)

 だが、相手は四メートルに達する【鬼】である。メフィストの爪はあまりにも小さく、九角は龍麻を地面に叩き落した。背中を打ち付け、吐血する龍麻。

「龍麻ァッッ!!」

 正しく、九角の拳が龍麻の顔面を叩き潰す寸前、ジェット機の爆音のような凄まじい銃声が響き、火線が九角に叩き込まれた。

『グオオッ!!?』

 【気】の攻撃は防げても、マッハ二以上で飛来するフルメタルジャケットを一分間に六千発。この猛打を全て跳ね除けるほどのパワーは九角にはない。筋肉を貫く事は許さずとも、後退を余儀なくされる。

「――いつまでも調子に乗るな! ナンバー0!」

 歩兵が駆使し得る最大の機関銃、M134【ミニ・ガン】を抱え、マッキンレー大尉が怒鳴った。

「貴様とて誇りある軍人として、国の為に闘ってきたのだろうが! 国民の為、市民の為に! その貴様が自らテロリストに身をおとすとは、軍人の誇りも失ったか!」

『…小うるさいカトンボが…!』

 ゴオ、と音を立てて九角の拳が振り上がった。と、次の瞬間、その首筋にショットガンの轟音が叩き付けられる。ただの散弾やダブル・オーバッグではない。道路封鎖用一二番ゲージ・一発スラッグ弾だ。身長四メートル、三〇〇キロの巨体もさすがにぐらつく。

「我らスペツナズ。雑魚扱いされるのは好かぬな」

 ジャコン! と空薬莢が排出されて瓦礫の上から落ちてくる。SPAS12オートマチック・ショットガンを構えているのはスペツナズ隊長ユアン・ミラコフ大尉と、副官のウラジミーロフ少尉だ。更に九角を取り囲むようにして、生き残りの特殊部隊員が姿を現わす。SAS、空挺レンジャー【イプシロン】、SEALS、グリーンベレー…名だたる特殊部隊の猛者たちだ。その数、一二名。

「お前の敵は、そこの餓鬼どもだけじゃないぜ」

「任務は失敗でも、けじめは付けさせてもらおう」

 ここまでの戦闘で、異形のものとの戦闘を多少なりと学んだ為、誰一人としてやわな自動小銃など持ち合わせていない。ミニ・ガンを筆頭に、アーウェン37グレネード・ランチャー、妖魔部隊の持参していたバズーカや対戦車ロケット砲。一番小さい武器となってしまったショットガンでもスラッグ弾を装備し、正しく怪物退治である。

「無駄だ…! すぐに撤退しろ…!」

「フン、いっぱしの口を聞くようになったな、坊主キッド。だが忘れるな。我々はお前たちが産まれる以前から、戦争をしていたのだぞ」

 にい、と唇を歪めて笑い、マッキンレーは九角に向き直った。

「さあ来い、ナンバー0。貴様が世界に仇なすと言うならば、我々にとっても共通の敵だ。――殲滅する!」

『この…雑魚どもがァッ!!』

 【鬼】の咆哮に、落雷よりも激しい銃声が挑む。四五口径以上の銃弾による全包囲からの一斉射撃だ。【気】の攻撃が一切効かぬ筈の九角が、【普通】の弾丸で押される。

「そこの! ナンバー9を連れて下がれ!」

「なッ…!」

 龍麻よりもなお重い、鞭打つような声音に京一も醍醐もビクッと震える。

「この場は我々が押さえる! 仲間を連れて態勢を立て直せ!」

「む、無茶言うなよ! そんな銃なんかであいつが止められる訳ねェだろッ!!」

 そう言う傍から、銃撃に耐えながら突進した九角の拳によってSEALSのブラッド中尉が胸板を潰されて即死する。だが、ただられはしない。拳を叩き込まれる寸前、手榴弾を起爆させて九角の指一本を奪う。命を賭して――指一本。しかし九角が僅かに怯み、その瞬間に襲い掛かった猛射が彼の額を爆ぜ割り、青い血を奔騰させる。

「承知の上だ! こいつは貴様らの【力】とやらでなければ倒せん! ならばこそ考えろ! 今、どうすれば奴を倒せるか!」

 視界の隅で、【イプシロン】の佐野一尉が吹っ飛ぶ。九角が蹴った瓦礫が直撃したのだ。ただ本能のみで動く怪物にあらぬ、知性あるものならではだ。 

「京一! とにかく龍麻を!」

「クッ、くそォ!」

 龍麻がこの状態では闘いようがない。京一と醍醐は彼の腕を取って仲間のもとにまで下がる。

「龍麻、大丈夫!?」

 素早く葵が治癒術を掛け始める。今日だけで二度も裂けた脇腹は、細胞自体が悲鳴を上げていそうだ。

「龍麻、俺たちで奴を殺せるか!?」

「……」

「ひーちゃん! お前だって解っているだろう!? もう勝つとか負けるとか、そんな次元の話じゃねェ! ここで殺してやらなきゃ、あいつは何もかもぶっ壊すぞ!」

 胸座を掴む京一の剣幕に、龍麻の表情が動く。もとより、承知の上だ。

「…裏密、お前の見立てではどうだ?」

「…無理よ。全身に岩角と同じコーティングがしてあるし、【気】の攻撃や【術】のエネルギーを中和する【力】を持っているわ。傷付いているように見えても、あれくらいならすぐに再生する。単純なエネルギーの爆発や照射だけでは、核でも倒せないかも知れない」

 滅多に聞かれぬどころか、奇跡にも等しい裏密のシリアスモード。しかし話の内容は絶望的であった。普段から予言や予知を行っている彼女をして、【無理】と言い切ったのだ。多くの預言者や未来予知能力者がそうであるように、裏密も、自分の未来に関わる事象は読めないのである。

 それでも…と、僅かな黙考の後、龍麻が下した命令は驚くべきものであった。

「…俺が時間を稼ぐ。全員で一点集中攻撃を仕掛けろ」

「な、何ィッ!!?」

 唐突な命令はいつもの事だが、これほどアバウトなのは初めてだ。こんな状況であっても、京一が激発する。いや、今度ばかりは仲間達全員が。

「どういう事だ、龍麻!」

「言葉通りの意味だ。尋常な手段では止められん」

 恐ろしく冷え切った、龍麻の声。彼の胸倉を掴んだ京一の全身が凍り付く。恐怖のためではない。前髪の隙間から覗いた彼の目に秘められた、凄絶な覚悟に。

「俺の全能力を開放――V−MAXを起動し、奴の腕を封じる。奴の力は強大だが、二十秒は稼げよう。お前達は奴の頭部に全方位物理的同時加重攻撃を仕掛け、突破口を開け」

「…ッッ!」

 確かに、他に方法がないならば、やれる事をやれる限りやるしかない。だが、京一が【それ】に気付く。――全方位からの一斉攻撃となれば、龍麻が巻き添えになる事は必至なのだ。

「テメエ…ここで死ぬつもりかッ!?」

「……」

「ッふざけるんじゃねェッッ!! テメエが死んでどうするんだよッ!! ――認めねェ! 俺はそんなの、認めねェぞ!!!」

 これ以上一言でも何か言ったら、相手が龍麻であろうともぶん殴る! そう考えたのは京一だけではなかった。醍醐や雨紋、紫暮や如月、アランは言うに及ばず、女性陣の裏密や高見沢、雛乃やマリィでさえも、同じことを考えていた。しかし――

「――ッッ!!!」

 ドン! と突風のような【気】の圧力を受け、彼の周囲から跳ね飛ばされる一同。龍麻の全身からは今まで見た事もない形で、黄金色のオーラが立ち昇っていた。

 見た事ない!? いや――ある…!? あれはごく最近、大田区のローゼンクロイツ学園で――

「俺はレッドキャップス――対テロ特殊部隊だ。この命を捨てても、テロには屈せぬ! だが今は――僅かでもチャンスがあるなら、この身を賭けて奴を止める!」

 そして彼の左目が赤く輝き、そこから更に金色の輝きを放った。オーラは何か神々しい生き物のような形を取り、その背から大きく光の翼が広がる。その中で、龍麻はトランス状態に入った。



【ノル・アドレナリン、アルファライン超過。戦闘機動許可発令】

【戦闘機動状況レベルG+確認】

【目前敵の完全沈黙まで全封印暗示解除】

【目標選定終了。レッドキャップス・ナンバー9、V−MAX…!】



 だが突然、待機モードにしてあった無線機が雑音をがなり立てた。

『――なに馬鹿なコト言ってんのよォッ! 龍麻! 応答して!』

「あ、アン子ォ!? 何だ、このクソ忙しい時に!」

 京一が無線機に向かって怒鳴ると、もっと凄い怒鳴り声が返ってきた。

『アンタに言ってんじゃないわよ! 聞いて! 龍麻! 今ネットで調べたんだけど、鬼は例外なくその角に神通力を宿すと言うわ! 角をへし折れば力も弱まる筈よ!』

「…ッ!」

 【V−MAX】の起動が未発に終わり、龍麻の肉体を覆っていた金色のオーラが消え去る。思わずほっとする一同。

「角が弱点!? 確かなの、アン子!?」

『そんな事解る訳ないでしょ! それとも、他に手があるってのッ!? 死ぬ為に格好付ける暇があったら、ガタガタ言わずにやってみなさい!』

 こんな状況下でありながら、アン子の剣幕に思わず顔を見合わせる【魔人】たち。口で言うのは簡単だが、ただでさえ圧倒的な攻撃力を誇る九角に対し、【気】や【術】なしで挑み、角を叩き折るなど、そして【魔人】達が【力】を抜きにそれを成し遂げる事など、事実上不可能だ。しかし――

「――あの角を何とかすりゃあいいんだな?」

 いつから話を聞いていたものか、【イプシロン】の桂木三佐が口を挟んだ。

「おい! 聞いたか! 角をへし折れってよ! そうすりゃこいつらの【力】ってのが効くかも知れねえとさ!」

「ちょ、ちょっと待てよ!」

 京一たちが止める間もなく、六四式に新たな弾倉を叩き込み、九角に向かって行く桂木三佐。彼の言葉は僅かに残った特殊部隊員に風のように伝わった。

「なるほどな。オーガならば角こそ武器であり、弱点か」

「他に手もなし。っちまいましょう」

「いやあ、あと二ヶ月で除隊だったのですがねェ」

「逃げても構わんぞ、軍曹」

「いえ、死に場所はこういう戦場が良いと思っておりました」

 軽口を叩き合う特殊部隊員。その表情は、奇妙にさわやかだった。そして、凛々しい。――覚悟を決めた人間の顔は、いつもそうなのだ。

「――大尉!」

「お前はそこにいろ、ナンバー9!」

 マッキンレーが鋭く怒鳴る。かつて聞いた――教官としての声。

「お前達が我々の切り札だ。奴も角をへし折ったくらいでへこたれるほどヤワではあるまい! ――お前たちの道は我々が開けてやる!」

「ッッ!」

「こいつは世界の為の戦いなんだろ? そんな大層な事を餓鬼だけに任せられるかよ。大人にも少しは格好付けさせろ!」

 マッキンレーが宣言し、桂木がにやりと笑う。左右にぱっと散った増永一尉と高坂一尉が六四式小銃を構え、九角の顔面に銃弾を集中させた。さすがに目だけは庇う為、九角もそれを無視できない。

「どうするんだ!? 龍麻!」

「――ッ全員、全ての薬品を使用して自己回復と自己強化を図れ」

「ひーちゃん! それじゃあの人たちが…!」

 思わず声を上げた小蒔を、京一と醍醐が押し留める。――それがどれほど苦渋の決断であったか、龍麻の口の端から血が流れ出していた。

「もう後はないんだ。全部使ってしまおう。良いな? 龍麻君!」

 龍麻が頷くと、如月は【太清神丹】を口に放り込み、【神便鬼毒酒】で胃に流し込んだ。【人魚の膏油】、【般若湯】、【蟠桃】…己の底力を養う為、普段は使用を控えてきたそれらを全て使用する。もはや京一、醍醐ら男性陣は無駄口一つ叩かずそれに続き、葵たち女性陣は悲痛な視線を交わし合い、それから自分たちも同じようにありったけの薬品を飲み、身体に浴びせ始めた。

『邪魔だ! 雑魚どもが!』

「そうだ! 怒れナンバー0! 今から貴様に、その雑魚の恐ろしさを教育してやろう!」

 急ごしらえの混成部隊とは言え、そこは百戦錬磨の特殊部隊隊員達。マッキンレーの手信号に素早く呼応し、前後左右の対角線上から同時に発砲し、九角に狙いを定めさせない。散開して距離を取りつつ、自分が狙われたと悟った瞬間に躊躇なく背を見せて逃げ、瓦礫の陰に飛び込む。と、その瞬間には別方向からの銃撃が九角を襲い、振り返った時には銃口は消えている。――無様とか卑怯という言葉はない。これが戦争だ。そしてビルの二階に身を潜めた桂木は、九角の後頭部目掛けて四〇ミリグレネードを発砲した。

『ウオオオオオオッ!!』

 咄嗟に直撃をかわしたものの、至近距離の爆発が九角の態勢を乱れさせ、すかさずユアンが瓦礫の陰から飛び出し、低いタックルを仕掛けた。九角の足は彼の胴並みに太いが、基本構造は人間と同じだ。ユアンは膝裏の神経節に拳を叩き込み、九角が思わず足を上げたところにコマンドサンボの膝十字固めとアキレス腱固めを仕掛ける。【力】を跳ね返す【鬼】が、【普通】の間接技に苦鳴を放ち、尻餅を突いた。

『グウウッ!! 貴様ァ!!』

 足に組み付くユアンに拳を叩き付けようとする九角の背後で、ピウン! と空気が鳴った。

『――ッッ!? 』

 九角の猪首に絡み付くワイヤーギャロット! 鋼鉄の皮膚を持つ九角にそれは通じぬ筈であったが、ジョンソンの狙いは別であった。ワイヤーを振りほどこうとする九角が腕を上げたところで、彼の手から伸びた黒い蛇が九角の巨体に絡み付く。

『ムウッ――!?』

 絡み付いたのは何の変哲もないロープ――が、切れない!? ロープを掴んで引いた分、ジョンソンがロープを送ったのである。剛力は不発し、ジョンソンの手からはまるで綾取りのごとくロープの輪が放たれ、九角の肉体を縛り上げていく。しかもパラシュート・コード自身の伸縮率と、わざと【遊び】を持たせた拘束が、鬼の剛力すら封じ込む。――ジョンソンの実家はテキサスのカウボーイであった。

「ナイスだ! 軍曹!」

『グヌウッ!!』

 腕が動かぬならば、身体ごと動けば――猛然と跳ね起きた九角であったが、ユアンはあっさりと技を解き、背中を見せて逃げた。その彼を追って走った九角であったが――

『ッッ!』

 突如、足の真下で起きる爆発! 地雷ッ!? そう悟った時はもう遅かった。瓦礫に紛れて設置されていたクレイモア対人地雷が同時に起爆、数百に達するベアリングが九角の巨体に叩き付けられる。ガシュウ、と【気】を吐き、直撃に耐える九角であったが、再びジョンソンの投げ縄が閃き、一瞬の停滞を逃さず、桂木三佐の放った弾丸が九角の左眼を直撃した。更に間を置かず浴びせられる銃弾の雨。踏みとどまったのも束の間、間断なき大口径弾の嵐に九角が下がり始める。

「――九角が押されてるぜ!」

「凄ェ…! このまま決まっちまうんじゃねェのか!?」

「いや、それほど甘くはない。大尉たちも承知の上だ」

 傍目には確かに九角が後退している。しかし特殊部隊隊員達もまだ誰一人として前に出ようとはしなかった。戦場で培った勘が、九角の余力を知らせているのだ。

「どうしたナンバー0! こんなものではないのだろう? お前の実力を見せてみろ!」

『ヌウッッ!』

「力を出し惜しみして死ぬというならそれも良かろう! ――やれ!」

 ユアンとウラジミーロフがRPGを、SASのマッコイとジェンセンが対戦車ロケット砲【ドラゴン】を担ぎ出す。――共に第二次攻撃隊〜妖魔部隊が抱えていた兵器だ。妖魔では使いこなせなかったそれも、彼らならば――

『チイッ!』

 戦車を破壊するロケット弾が直撃すればただでは済まない。九角の目が光り、角から飛び散った真紅の稲妻がロケット弾を打ち落とし、爆発させる。――【鬼鳴念】。近距離で爆風を浴びたユアン達が吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられる。九角は猛然と跳ね起き、先ずジョンソンを踏み潰そうと――

「――ッレンジャーッッ!!」

 腹の底から咆哮を上げ、突進する桂木と高坂、二人の自衛官。無謀か? 否! 巨体が激突する寸前で左右に横っ飛びした二人の手には、自衛隊最強の歩兵兵器、黒曜鉄の銃剣が――!

『――ッグガァァァッッ!!』

 走行中の戦車のキャタピラを破壊してのけると言う、自衛隊レンジャーの銃剣術! 両膝裏の腱と神経節を正確に貫かれ、九角が鬼としては初めて苦痛の絶叫を放った。九角は頭から地面に突っ込み、そこに一斉射撃! 体力も戦闘力も劣る人間だからこそ、その瞬間を叩き出す為に戦術を駆使する。その瞬間を待ちわびていた兵士達全員が身を乗り出して銃撃を浴びせ、絶大な硬度を誇る九角の額も遂に爆ぜ割れ、血飛沫を上げた。

『――嘗めるなァァァッ!!』

 脆弱な人間に向けて怒りと憎悪を込めて放つ全力の【鬼鳴念】! 肩に喰らった桂木三佐とジョンソンはきりきり舞いして吹っ飛び、高坂一尉とウラジミーロフは頭と腹を消し飛ばされて即死し、マッキンレーも肋骨を全壊されて血泡を吐く。竜巻のように荒れ狂った【鬼鳴念】は周囲の兵士全てを薙ぎ倒してのけた。

『梃子摺らせやがって…!』

 一気に形勢逆転した九角は全身を引き摺るかのように立ち上がり、まずは手近のマッキンレーに狙い済ました一撃を――!

「大尉!」

「オッサンッ!!」



 ――シャギィィィィィッッ!



『グガッ!!』

 突如、九角の突進が無理矢理停止させられた。その猪首に喰らい付いた、黒い蛇によって!

「――ダグ…ッッ!?」

 血と共に、彼の名を叫ぶジョンソン。それは第二次攻撃隊、妖魔部隊の生き残り、ダグ・スティックマイヤー二等兵の腕であった。とっくに逃げたと思っていた彼が、絶体絶命のマッキンレーを救ったのであった。

『か〜ッ、海兵は…ッ、海兵隊はァァ〜ッ、仲間を…ッ、見捨てないィィィッ!』

 恐怖と怯えに引き攣った顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、しかしダグは悲鳴じみた雄叫びを上げて九角に突進した。棘だらけの大蛇は九角の全身に二重三重に絡み付き、【使徒】たるものの能力! 【気】や弾丸をも弾く鬼の筋肉を引き裂き、赤くとも異形の血を噴かせる。

『貴様ァァァッ!!』

 九角が咆え、その豪腕を振るうと、ダグの腕を覆う鱗が十数個纏めて弾け飛び、裂け始めた皮膚から青い血潮が霧状に噴き出す。青の血飛沫の中でダグは絶叫を放ち、しかし全身で九角に絡み付いていった。彼もまた【使徒】。腕を引きちぎられてなお、九角に噛み付く。鬼と【使徒】の――魔戦。

『――大佐殿! 今です! コイツにッ! 止めをォォッッ!』

 ダグの腕――触手が鈴なりにしているのは無数の手榴弾にクレイモア対人地雷、そしてRPGの弾頭。――撃てと言うのか!? 自分ごと!

『早く…ッ! はやぐゥゥゥッ! もうっ…保ちません…ッッ!!』

 握り潰され、引きちぎられるダグの腕。彼は泣いていた。泣いていても、決して九角を放さない。

「ダグ…! このッ…! ヒヨっ子が…ッ!」

 どす黒い血の塊を吐き捨て、立ち上がるマッキンレー。しかし、彼にはもはや武器が――

「やめろ! オッサン!」

 京一が、雨門が叫ぶが、マッキンレーは血を振りまきながら九角に突進し、その豪腕をかいくぐって背後から九角に組み付いた。【鬼】に対して【人間】が【裸締め】を! 

『ムグウウッ…!!』

 桂木に片目を奪われ、ユアンや高坂らに膝を破壊され、ダグの大蛇に組み付かれ、そしてあろう事か、【力】を持たぬマッキンレーの間接技で、九角の顔面がみるみる紫に変色して行く。九角は残る右手でマッキンレーを振り払おうとしたが、ダグが血まみれの触手を伸ばして阻止する。

「生き物ならば…首を絞めれば死ぬ! だが貴様は…!」

 九角の首を極めたまま、マッキンレーは目の前に伸びる角を掴んだ。渾身の力を込めて引く。先に逝った仲間たちの弾丸を浴びていた為、角はたちまちメリメリと音を立て、血が流れ出した。

『グッ…ガアアァッッ!!』

 たかが【人間】に痛打を浴びる事への怒りか、九角は獣の唸りを上げ、辛うじて建っているビルの壁面に頭から突っ込んだ。

「ぐがッ!!」

「うごおッッ!!」

 極限まで鍛え上げているとは言え、所詮は人間の身体。マッキンレーにこの衝撃は強烈すぎた。ダグもまた、飛び出した鉄骨に顔面を貫かれて即死する。だが、ただでは死ななかった。死に際の全力で九角の全身を固く締め上げ、硬直させる。

 そして、マッキンレーは――

「オッサンッ!!」

 京一が、醍醐が飛び出そうとするが――

「その場を動くな! 餓鬼どもォ!!」

 折れた骨が肺にでも刺さったか、血を吐き散らしながらの叫びに、足が凍り付く【魔人】達。

「何が起ころうと、己の持ち場を離れるな! 己の任務を果たす事だけを考えろ!」

 それはかつて、龍麻にも散々言われた事だ。それを龍麻に伝えたのは、このマッキンレーであった。

「こいつに止めを刺すのはお前たちだ! こいつの角は、俺たちがへし折る!」

『グオオオッッ!!』

 激突の衝撃で自らダメージを蒙ったか、角の一本が大きく折れ曲がっている。マッキンレーは血まみれの手でそれを掴むと同時に、ダグの首にかかっていた手榴弾を握り締めた。

「一人前になったな、ダグ」

 鈴なりになった手榴弾のピンが、手品のようにすべて宙に弾け飛ぶ。【魔人】たちを振り返ったマッキンレーがにい、と太い笑みを浮かべた。

「――生き延びろよ。小僧ども!」

「――ッ大尉!」



 ZZBOOOOOOOOOONNN…!!



「ウオオッ!」

「キャアアッ!」

 爆風が一同を叩きのめし、顔を覆わせる。飛び散った砂塵がぱらぱらと音を立てて落ち、渦巻く風が爆煙を吹き払った時、そこには上半身を手酷く焼け爛れさせた九角が立っていた。そして、【魔人】の力を封じる角の一本は確実に消失している――ただの人間たちが、一度は人を裏切り、人に立ち戻った【使徒】が彼らの代わりに命を投げ出して――!! 

「――ッ全員、九角の頭部に集中攻撃! ありったけの技を叩き付けろ!!」

「ッッッヨッシャァァッッ!! 行くぜ!! 剣掌奥義――【円空旋】――ッッ!!」

 マッキンレーたちの死を無駄にしてはならない!! ぐいと涙をぬぐい捨て、高密度に練り上げた日輪のごとき京一の【気】の刃が九角を直撃! その額を大きく抉る。マッキンレーたちの執念の前に、【気】に対するプロテクターは破れていた。

 ――行ける!!

「醍醐! 如月! アラン! マリィ!」

 【四神】を担う者たちの名を叫ぶ龍麻。四人とも、その意を一瞬にして悟る。他の者たちとて、それは同じだ。龍麻がどんな作戦を立て、何を望んでいるか、叱咤一つで理解できるのだ。

「行け! 【疾風撃ち】!!」

「参ります! 【五月雨撃ち】!!」

 各国特殊部隊隊員たちが命懸けで叩き出したインターバルに回復させた【気】を全てつぎ込み、最大奥義を放つ小蒔に雛乃。無数の【気】の矢は四方八方から九角の上半身を襲い、矢襖に変える。圧倒的な耐久力を誇る九角にはそれすら致命傷足り得ないが、その巨体がぐらつき、半歩退く。

『ルオオオォッッッ!!!』

「破ァッッ!!」

 真正面から特攻する紫暮に、岩の塊のような九角のパンチが飛ぶ。紫暮はぎりぎりまでパンチを引き付け、左右に分裂した。かつて対死蝋戦で使用した戦術だが、今回は二つの身体を同時に、別々の技を発動する。

「【円空破】ッッ!!」

「【華厳踵】ッッ!!」

 一人は地を這うように、一人は宙に跳び、上と下からの同時攻撃! 円空破で重心を揺らされた所に、受身など考えぬ全力の一撃! 京一の付けた傷を更に抉り、鮮血を噴かせる。しかし九角は強引に紫暮に掴み掛かり、その胴を握り潰さんとする。

「【雷神突き】ィ!!」

「【落雷閃】ッッ!!」

 正に紫暮の胴が握り潰される寸前、雨紋の槍と雪乃の薙刀が、一抱えもある九角の二の腕を刺し貫いた。

『グオアッッ!!』

 思わず紫暮を取り落とし、小うるさい【魔人】達を振り払おうとする九角。しかし紫暮はもとより、雨紋も雪乃も己の武器に固執せずその場を飛び退く。九角は大きく空振りし、身体の前面をがら空きにさせてしまう。そこに飛び込む龍麻! だが九角には【鬼鳴念】が――

『貰ったぞ! 龍麻!!』

 だがその瞬間、九角の猪首を背後から絡み付いた鞭が締め上げた。亜里沙と高見沢が全力で鞭を引き、【鬼鳴念】は龍麻の頭上を虚しく駆け抜ける。

「【龍星脚】――!!」

 強靭極まりない九角の筋肉をぶち抜く龍麻の蹴り! 本来二段蹴りで仕留める【龍星脚】を、龍麻は蹴り込んだ部位を足場に、九角の正中線に沿って駆け上るかのように連続蹴りを放った。丹田、水月、脇陰、壇中、喉、最後に全体重を乗せたサマーソルトキックで九角の顎を蹴り上げる。正しく天空に駆け上る龍! 九角の頭は限界を越えて後ろ向きに仰け反り、大木がへし折れるような音を立てた上、初めて地面に腰を落す。

「【魔呪の釘】〜!」

 天空から地面に突き刺さる巨大な釘! 裏密は更に術を発動させる。先ほど岩角を仕留めた複合術だ。眠りの粉と光の粉が混じり合い、そして――

「え〜い!!」

 高見沢の手からビンが飛ぶ。ニトログリセリン!



 ズドオオッッッン!!



『グオオギャアアッッッ!!!』

 完璧なタイミングで叩き込まれる【魔人】達の連続攻撃に、遂に九角が悲鳴を上げた。その時、【四神】によるポジショニングが完成し、形成された四方の結界が輝きを生む。

「東に、小陽青龍!」

「南に、老陽朱雀!」

「西に、小陰白虎!」

「北に、老陰玄武!」

 青、赤、白、黒。【四神】を担うそれぞれの者たちから、対応する色のオーラが吹き上がり、伝説の霊獣を形作る。アランは風の霊獣、青龍。マリィは炎の神鳥、朱雀。醍醐は白き巨虎、白虎。如月は水の霊亀、玄武。それぞれが護るべき包囲を定めた時、そこは【四神相応の地】と呼ばれる。そして【四神】の四人が【気】を解放した時、それは万物を司る【太極】の気の奔流となって目も眩むばかりの光の爆発と化した。

「「「「陰陽五行の印もって、相応の地の理を示さん! ――四神方陣!!」」」」

『―――――――ッッ!!!』

 九角を中心に発生した超新星のごとき光の爆発! それは瞬時に黒雲すら蒸発させる天の御柱となって世界を照らし出した。天地を繋ぐ光の柱を巡りつつ【四神】が天へと昇華する。

「これで…」

「…どうだ!」

 自分達自身も消耗が激しく、使用は五日に一回が限度という【四神方陣】。だがその威力は現時点で最強の破壊力を誇る。これが効かねば、【魔人】たちには九角に対する決定打がない。

「いくらなんでも、っただろッ!?」

「――まだだ」

 龍麻の言葉を裏付けるかのように、急速に薄れていく光から突き出る二本の腕。そして、折れた角を持つ頭。

「そ、そんな…馬鹿なッ!」

「あれを食らって…まだ…!!」

 光が完全に消え失せ、【四神】の四人が覚醒状態から復帰する。しかし、九角は死んではいなかった。全身を焼け爛れさせ、乾ききった粘土がボロボロと崩れるように筋肉を崩壊させながら、それでもなお、這いずるように向かってくる。

『殺す…殺…す…殺すころすコロスころ…!』

 肉体を崩れさせながらも向かう先には、龍麻がいる。なぜ九角は、これほどまでの執念を龍麻抹殺に向けられる!? 何が彼を、これほど衝き動かす!? 

「天童…!」

 もはや瀕死といっても差し支えないにも関わらず、吹き出す妖気の凄まじさは少しも変化が――否、ますます増大していく。消耗しきった仲間たちは、傍にいるだけで吹き飛ばされてしまいそうだ。常人なら一分とたたず衰弱死し、生気の一欠けらすら残さずミイラと成り果てるだろう。

 この一撃で仕留める事ができるか!? 龍麻は気圧されながらも【秘拳・鳳凰】の構えを取り、【気】を高め始めた。彼の右腕が発光し、僅かなりと妖気を押し返すと、それまで体中を締め付けられていたかのような葵が「ああ…」と呻いて膝を付いた。

「駄目…やめて…! それ以上…この人を苦しめないで…!」

「葵! どうしたの!? 葵ッ!」

 何とか彼女を立たせようとすがる小蒔。しかし葵はガクガクと震えるばかりだ。その時、仲間たちが悲鳴じみた声を上げた。

「な、なんだあれは!?」

「嘘…! 冗談でしょ!?」

 九角の、崩れ果てた筋肉の下から、明らかに人間の顔と思しきものが浮かび上がってくる。酷く戯画化したようだが、それは紛れもなく人面であった。それも一つや二つではない。筋肉が剥がれ落ちる傍から、見るもおぞましい人面が浮き出し、九角の全身を生赤い肉面で埋めていくのである。

『いと憎き徳川の地よ――。いと恨めしき我が運命よ――。我が悲願叶わぬならば、この世を我に相応しい地獄に変えるまで――』

『畜生! 畜生ォ! なんで俺が死ななきゃならねェ!』

『痛ェよ、畜生…! この恨み…どうしてくれよォ…!』

『我らが何をしたというのだ…! 憎きは徳川!』

 良く見、良く聴けば、肉面は全て血の涙を流し、怨嗟の慟哭を放っている。これはまさか、かつてこの地で果てた者たちの、現在、この場で死に果てた者たちの怨念そのものか!? 

『グルル…!』

 【四神方陣】で破壊された肉体を、奇怪な人面で埋め尽くし、立ち上がる九角――いや、もはや鬼ですらない、怨念の集合体。

るっきゃねェだろ…! ひーちゃん…!」

「これしか救いがないならば…いや、奇麗事など言わん! 俺はやるぞ! 龍麻!」

「――俺は正面から行く。京一は右翼、醍醐は左翼に付け」

「「――応ッ!!」」

 そうだ。いかなる理由があろうとも、始まってしまった戦いから逃げてはならない。そして自分も九角も、もはや行く所まで行くしかないのだ。

 龍麻は【鬼】の真正面に走り、京一、醍醐が【鬼】を中心に正三角形を作る位置に走る。方陣技【サハスラーラ】発動!

「「「破ァァァァァァッッ!!」」」

 聖人のみが輝かせる事が可能という【サハスララ・チャクラ】を三位一体で強制発動し、高次元エネルギーをこちらの世界に呼び込む、最初に見出した方陣技。しかし【ダゴンもどき】さえ退けた高次元エネルギーの爆発を受けても、【鬼】は滅びなかった。滅び切れなかった。飛び散った肉塊にさえ、炎のごとき実体を成した邪霊が取り憑くや、またしても奇怪な泡立ちが起こり、肉面が盛り上がってくるのだ。もはや辺り一面を埋め尽くす邪霊全てが、九角の成れの果てを怨みと憎しみの掃き溜めと化している。

「駄目だ! ぜんぜん効かねェ!」

「あんなの、どうすりゃ倒せるんだよォ!」

 無手になってしまった雨紋と雪乃が絶望的な声を上げる。最強の方陣技【四神方陣】に加え、龍麻たち三人による【サハスラーラ】まで退けられては、もはや個々の【力】でどうなるものではない。

「駄目だよぉ…それじゃいけないんだよぉ…」

「…どうなされたのです、高見沢様?」

 先ほどから苦渋に満ちた顔をしていた高見沢が遂に泣き出し、しかしそれが恐怖の為ではないと悟った雛乃が聞く。それはあるいは、神に仕える巫女としての勘であったかもしれない。

「ここではたくさんの人が死んでるの〜。その人たちが皆起こされて、【鬼】の力にされてるの〜。みんな、みんな死んじゃったのに、もう一度…何度でも殺されちゃうんだよぉ〜」

「何度でも殺される…? ――そう…そうですわ!」

 雛乃は立ち上がり、力の限り叫んだ。

「龍麻様! もはやそのものにはいかなる攻撃も意味を成しません! どれだけ傷を与えても、この地にひしめく怨霊がたちどころに修復させてしまいます! 怨霊を眠らせ、あるいは成仏させぬ限り、そのものを倒す事は適いません!」

「怨霊を成仏させるって…そんなコト僕たちにはできないよッ!?」

 小蒔は葵の腕を引っ張りながら言ったが、ふと、葵が顔を上げたので、とある記憶が触発された。

 龍麻も葵も、同時に気付いた。

「【黄龍菩薩陣】…!」

 それは、龍麻と葵が二人で発動させる方陣技の名であった。比較的早い時機に発見した方陣技であったのだが、他の方陣技に比べると【極端に】と言っても過言ではないほど威力に乏しい。しかしこの技の直撃を受けると、魔物が清浄な光に包まれて浄化されていくという現象も目撃されている。魔物を殺すのではなく、浄化させる技――それが【黄龍菩薩陣】である。

「龍麻君! もはやそれに賭けるしかなさそうだ!」

 気力を振り絞り、立ち上がる如月。紫暮も荒い息を整えつつ、気を練り始める。

「俺たちが奴の隙を作り出す。龍麻! 美里! お前たちで決めろ!」

 醍醐は再び【白虎変】を発動する。一日に二度これを使うと、疲労が激し過ぎて翌日は身動き一つできなくなってしまうが、そんな事に構ってはいられない。

「――葵、やれるか?」

「でも…!」

 葵はまだ迷う。すでに【鬼】は人型すら失い、【盲目の者】のような蠢く粘塊に等しいものに変わりつつあるが、そこに貼り付いている肉面は全て無念の内に死んだ哀れな者たちだ。そしてその中には九角自身もいる。運命に翻弄され、世に仇なすことで自らの存在を証明し、世界を救おうとしていた男が。

「…俺たちは、前に進まねばならん」

 龍麻は言った。

「無念の内に散った命が、無駄にならぬ為にも、俺たちは生き続けねばならん。そして命ある限り、俺たちと彼らが望んだものを目指さねばならん。――俺は、それを見つけた。お前はどうだ、葵?」

「龍麻…!」

 彼を見上げた葵の目に映ったのは、僅かに流れた彼の前髪から覗く澄んだ黒瞳。

(私が欲しかったのは…そんな目で私を見てくれる人…。あの人も、また…)

 その男は、今、目の前にいる。そして、闘っている。自分の為に、仲間の為に、世界の為に。

「…やります! 私の【力】…あなたに預けます!」

 【鬼】は既に縦横一〇メートル以上の肉の塊と化している。後から後から怨霊を取り込み、実体化させていくので、醜く膨れ上がるばかりなのだ。

「一人では足止めにもならん! 方陣技を使え!」

「応ッ!」

 龍麻の叱咤に最後の力を奮い起こされ、気力を振り絞る【魔人】達。

「ヨッシャア! まずは俺サマ達からだ! 行くぜ、アラン!」

 失った槍の代わりに、両腕の間に電撃を発する雨紋。その、激しく飛び散るスパークの中に霊銃を突っ込み、アランは【気】を発した。二人の【気】が相乗効果を起こし、【風気】と【雷気】が融合した混合弾を作り出す。

「「【ドラゴン・プラチナス】!!」」

 【風気】の貫通力に【雷気】の破壊力が加わった混合弾が立て続けに十発打ち込まれ、【鬼】に巨大な弾痕を刻み込む。何十にも及ぶ肉面が消滅し、さすがにすぐには再生する兆候を見せない。

「まだまだネ! コマーキ! お願いしマス!」

「ウン! ボクの【火龍】の力を見せてやる!」

 雨紋が素早く引き下がり、膝立ちの射撃姿勢を取るアランの肩に小蒔が両手を置く。小蒔が彼に注ぎ込むのは【火気】。生み出すは灼熱の弾丸。その名は――

「「【フレイム・スナイパー】!!」」

 先程は【雷気】。今度は【火気】である。【ドラゴン・プラチナス】で開けた弾痕に、正確なワンホールで【火弾】が撃ち込まれ、【鬼】の身体が燃え上がった。耳を覆いたくなるような悲鳴と絶叫が響くが、もはやこれしか彼らを救う手段はない。

 続いて、マリィが両手に発した炎で空中に円を描く。

「アランお兄ちゃん! 用意はいい!?」

「OK! マリィ!」

 アランは最も方陣技の組み合わせが多い。アランは霊銃を頭上に振り上げて竜巻を起こし、それを【鬼】に向ける。

「「【アッシュ・ストーム】!!」」

 アランの【風】が狙いを定め、それに乗って走るマリィの【炎】からは絶対に逃れられない。マリィの放った炎の鳥は【風気】を受けて巨大化し、【鬼】を包む竜巻を炎の竜巻と変えた。より一層激しく燃え盛る【鬼】。

「チェッ、アランの奴、目立ちやがって!」

 京一がそうぼやいた時である。彼はその時、背筋に氷の塊が滑り降りるのを感じた。

「うふふふふふふふふふふふふふ〜。それなら〜京一君も〜目立ってみる〜?」

「う、裏密!?」

 気付いた時にはもう遅い。裏密は訳の解らない呪文を唱え始めていた。

「うふふふふふふふふふふふふふふ〜。醍醐君も〜」

「な、何ッ!?」

 奇怪な煙のようなロープに巻かれ、繋がれてしまう京一と醍醐。【鬼】の下に魔法陣が展開され、そこからチューブのような触手のようなものが伸びて京一と醍醐の頭頂部に繋がれる。

「ち、力が抜けるゥ〜〜〜〜!」

「ヒッ、ヒィィィィィ!」

 世にも情けない男二人の悲鳴に混じり、裏密の嬉しそうな笑い声が響く。

「うふふふふふふ〜、二人のプラーナが魔法陣に流れ込んでいくわ〜。――吸い取れ〜吸い取れ〜どんどん吸い取れ〜!」

「「んぎゃあぁぁぁぁぁっっ!!」」

 強制的に京一と醍醐を生け贄にした裏密の魔法陣が、二人の【陽】の気を融合させ、【陰】の気と反発、結界内に飽和状態を作り出し、爆発させる。【鬼】の【肉体】が結合を崩れさせ、激しく波打つ。

「姉様! わたくしたちも!」

「オウッ! 薙刀がなくても、やってやるぜ! 草薙の力、見せてやる!」

 雪乃は無手のまま、雛乃は矢を番えぬ弓を構えて【鬼】を挟む対角線の位置にポジションを取る。日本に伝わる三種の神器、その一つである【草薙の剣】に秘められたという破邪の力を継承する織部姉妹。その【力】が解放され、雛乃から発せられた光は【鬼】を包む結界に、雪乃から発せられた光は巨大な剣の形を取る。その剣を振り下ろす雪乃。

「「【草薙流殺陣】ッッ!!」

 光の剣に一刀両断にされる【鬼】。方陣技の連続にさしもの怨霊も修復が追い付かない。膨れ上がった部分は消し飛び、焼かれ、吹き飛ばされ、元の大きさに縮みつつある。しかし、あと一押し! あと一押しする為の方陣技の組み合わせがもうない!? 

「――醍醐! 今こそあの技を試す時だ!」

 野太い声で宣言したのは、拳を天に突き出す紫暮。

「あ、あれをやるのかッ!?」

 裏密のせいで瀕死の醍醐。しかし辛うじて動けるくらいの体力は残しておいたようだ。

「未完成とて、今使わずに、いつ使うというのだ! やるぞ! 醍醐!」

 紫暮の顔が、なぜかつやつやと輝いている。今まで以上に、生気に満ちた顔。

「う、うむ! そうだな! 今こそ、あの技を完成させる! ――唸れ、嵐の上腕筋!!」

 突然の醍醐の掛け声(?)に「!!?」となる一同。この二人の使う方陣技を、一同はまだ見た事も聞いた事もない。

「燃えろ、炎の後背筋!!」

「しなれ、疾風の大腿筋!!」

「叫べ、いかづちの三角筋!!」

「……ッッ!!?」

 訳の解からんポージングと掛け声に、一同、大混乱にして暑苦しい思いを味わう。「なんなんだ、こいつら!?」全員の思いが、龍麻でさえ一致した。

「「荒ぶる肉体に全てを賭けた、【不動ふどう――きん――仁宮にく――じん】ッッ!!」」

 その瞬間、一同は何か、見てはいけないものを見てしまった。

 醍醐と紫暮、二人の気が融合して発した光の中に、光り輝く魔神が出現したのであった。だが、そこまでは百歩譲って良しとしよう。しかし、それを目にした瞬間、

「「キャアァァァ――ッッ!! イヤアァァ――ッッ!!」」

 気の強い女性の代表格、亜里沙と雪乃が初めて【女の子】らしい悲鳴を上げた。

「「キュウゥゥゥゥゥ…!」」

 雛乃とマリィが目を廻して失神した。

「うわわわわわわわッッ!」

 小蒔が腰を抜かした。

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ〜」

「きゃああああん♪」

 なぜか嬉しそうな悲鳴(?)を上げたのは裏密に舞子である。

「な、な、なんだありゃあァッッ!!?」

 光り輝く魔神。それは筋骨たくましい――どう見ても黒縁四角眼鏡をかけた【オッサン】ボディビルダーであった。いわゆる【バーコードハゲ】ながら、おおらかさが滲み出るような顔には【微笑み】をたたえ、思い切り引き絞ったような、オイルでつやつやと光っている腰に両手を当てた【フロントラットスプレッド】ポーズ。最も理解に苦しみ、女性陣を【悩殺】(素の意味で)してのけたのは、どう見てもグ○ゼと思しき白のブリーフを穿いている事だった。

『はふ〜ん!』

 【弓引き】のポーズを決めた醍醐と紫暮を左右に従え、筋肉を目一杯誇示しつつ、掲げられていく両手。上腕筋をぴくぴくと震わせながら、どこか悩ましささえ感じさせる【フロントダブルバイセップス】ポーズから、なぜか目隠しをする。次の瞬間――!

『メ〜ンズ・フラッ――シュッ!』

 オイルで艶光る全身から発せられる金色こんじきの怪光線! 見掛けは凄く間抜けな上に気持ち悪いが、その威力は本物であった。もはや蠢く肉塊でしかない【鬼】が超(怪奇)エネルギーの照射でボロボロと焼け崩れていく。膨大な光が消え去った後には、怨霊の鎧を引き剥がされて人形ひとがたを取り戻した、焼け爛れた【鬼】だけが残っていた。

『はあ〜んっ!』

 それだけで終りなのか、【サイドチェスト】のポージングと共に昇天していく魔神。

「見たか! これぞおとこの方陣技!」

「――って、何でお前たちまで倒れているんだッ!!?」

 自分達の方陣技が【鬼】に大ダメージを与えた事を誇る醍醐に紫暮。しかし彼らには、なぜ味方にまでダメージが及んだのか理解できていない様子であった。

 やはり、逸早く立ち直ったのは龍麻であった。

「――やるぞ、葵」

「た、龍麻…!」

 【アレ】を見た事で頭の中がシャットダウンしていた葵も、龍麻の冷静な声でようやく脳が再起動した。しかしまだ腰が抜けている。

「――俺は何も見ていない。断じて、何も見ていない! ――やるぞ、葵!」

 どうやら龍麻は、今目にしたものを強制的に記憶から削除したらしい。一人だけずるいと言おうか、こればかりは戦闘マシンの利点か!? 

 まさかあんなものにこれほどのダメージを蒙るとは、九角にも予想外であったろう。【鬼】は今度こそ、分解寸前にまで陥っている。今こそチャンスであった。葵も、腰を抜かしている場合ではない。何とか立ち上がる。

 結合の緩んでいる手足で身を起こそうとする【鬼】の正面に走る龍麻。そして、【鬼】の背後に走る葵。直接戦闘能力を持たない彼女が接敵する為に、敵の体力をできる限り削っておかねばならないのも【黄龍菩薩陣】の欠点であった。しかし【魔人】達の方陣技をフルコースでぶつけられた【鬼】は、手足をばたつかせるだけで攻撃も防御も、能動的な行動はもはや不可能であった。

 そして葵には、亡者達の慟哭がはっきりと聞こえている。

【死にたくない…死にたくない!!】

【苦しい…恨めしい…!】

【殺してやる…殺してやる! 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!】

 それは数百年に渡って積み重ねられた亡者の恨み。その憤り、苦しみ、恨み、悲しみは直に葵の心を直撃した。しかし、今こそその呪縛を解き放ってやらねばならない。葵は龍麻との間に高まっていく【気】の渦を強く意識した。大地そのものの力と、大慈悲を示す菩薩の力が絡み合い、清浄な光が天に向かって伸び始める。

「「破邪顕正! 【黄龍菩薩陣】!!」」

 かつてないほどに集中した【気】が際限なしに解放された時、天に向かって黄金の龍が昇っていった。その光の軌跡は光の螺旋回廊と化し、そして――

「みんな! 見て!」

 太陽のごとく慈愛に満ちた光の中、小蒔が光の中を指差した。

「あれは…!」

「魂が…昇天していくのか!?」

 【鬼】の身体が光に溶け、無数の蛍火となって乱舞する。かつて増上寺の地下で見た、魂の回帰。それがあの時の数百倍のスケールで展開する。徳川が天下を取り、あるいはそれ以前からこの地に染み付いてきた全ての怨念が解き放たれていくのだ。幾千幾万にも及ぶ光の乱舞に、【魔人】達は深い感動と同時に、自分達自身でも意識しないまま涙を溢れさせた。

 怨念と妄念から解き放たれれば、魂はこれほどまでに美しい――【人間】を信じて闘い続けてきた彼らにはこの上なく美しい光景であったのだ。

 それは数時間にも感じられたが、実際には数分の事であったに違いない。乱舞する蛍火は全て天に帰り、光の回廊も消え去った時、あれほど立ち込めていた暗雲も全て払われ、【裏】の世田谷区には美しい青空が広がっていた。瘴気も妖気も全て浄化され、周囲には血の匂いも硝煙の香りもない。ただ、静かな廃虚が広がるばかりだった。

 しかし、【魔人】達の胸は晴れやかであった。この破壊され尽くした世界が、再生の始まりでもあると全員が理解できたからだ。――ただ一人を除いては。

「………天童…!」

 先ほどまで【鬼】のいた所に立っていたのは、元の人間の姿を留めた九角天童であった。変生する前の、腕と脇腹を失う前の、人間としての彼だ。黄泉に旅立つ前の一瞬の奇跡が、彼にも起こったのだ。しかし――

「――ッッ!」

 ゾクリ! と震える龍麻。光の粒子となって消え果る寸前、九角が、笑ったのだ。祝福でも歓喜でも、果ては侮蔑でも嘲笑でもない、挑戦的な笑み。言葉こそ聞こえなかったが、彼はこう言っていた。――『次はどうする?』

 魂の乱舞が全て昇天し、光の柱が消え去った時、龍麻は歯をギリッと鳴らした。

「――やられた…ッ!」

「ッ!? 龍麻!?」

「俺の…負けだ…ッ!」

 血を吐くような龍麻の言葉に、誰もが慄然となる。勝利の静寂は嵐の前の静けさと変化し、押さえがたい不安感に、誰もが身を寄せ合った。

「――どういう事だよッ!? ひーちゃん!?」

 真っ先に口を開けたのは、さすが相棒と言ったところか。しかしその問いに龍麻が答えるまでもなかった。廃墟と化したビル群の更に向こう、地平線にみるみる漆黒の雲が湧き上がってきたのである。

「なに…さ…アレ…ッ!」

 目の良い小蒔がその正体を悟り、ガタガタと震え出す。

「あれは…闇の者どもか…!」

 如月が呻く。地平線を黒く染め上げて行くそれは、彼らが旧校舎で目にする魔物どもであった。一体一体は彼ら【魔人】…【神威】達にとってそれほど手強い相手ではない。だが常人にとっては確実に脅威となるそれが幾千幾万…数十万からの群れとなって押し寄せてくるのであった。

「あれが、九角の真の切り札だ。恐らくここにも【旧校舎】のような異界の入り口があり、九角もそこで技を磨いたのだろう。それは同時に、奴自身が率先して行動する妨げとなっていただろうが、この決戦に臨んで、自らの死を引き金にその入り口を開放するように仕掛けを施していたのだ。――恐るべきはレッドキャップス・ナンバー0…! 誰が奴に挑もうとも、奴の勝利は確定していたのだ」

「……ッッ!」

「あれが結界の外に出れば、日本は滅ぶぞ。その後は、世界も。陰陽のバランスが乱れれば世界中で闇の者が猛威を振るい、戦う意思持たぬ者は、自らに終止符を打つ。何としてもここで止めねばならんが…」

 そう。止めねばならないが――地鳴りを引き起こす闇の者の軍勢を前に、もはや龍麻も立ち尽くすばかりだ。彼の頭には何十もの策が交錯していたが――時間稼ぎは論外、せめて仲間達を逃がす事さえままならない。



 ――武道の真髄とは、自分を殺しに来た相手と友達になる事だよ



 偉大なる武人、渋沢剛三の言葉が甦る。自分は――まだ及ばなかった。戦いそのものに後悔はない。自分も九角も、己が護ろうとしたものの為に全力を尽くしたのだから。だが――さすがは九角天童。この事態さえ、人類を存続させる一手段だ。彼が作り出すのは、世界を埋め尽くす絶望に立ち向かえる者、真に命の価値を知り、それを護る為に戦える者のみが生き残る、真の【強者】を選出する地獄だ。しかし、その地獄では力なきものは――

 その声にせぬ想いを受け止めたのは、京一であった。

「――良いじゃねェか。言っただろ? 死ぬときゃ一緒だってよ」

「悪い一生ではなかったさ。他人よりは確実に濃い人生だったと思うぞ」

 京一と醍醐が龍麻の肩に手を置き、龍麻は振り返って、吹っ切れた表情を浮かべた仲間達の顔を見回した。悔いはない…どの顔も、言葉にせずともそう語っていた。

「結界が崩壊するまで、一分でも、一秒でも長くこの場を護ろう。決して犬死ではないよ」

「魔物の流出を一匹でも少なくする事…。これが最後のお努めですわ」

 龍麻が脱出命令を出すのを先んじて制し、笑みを浮かべる如月に雛乃。人類の未来の為に知識ある者を逃がすという発想は理解できるが――その命令は聞けない。

「さあ! やろうぜ、ひーちゃん! 俺たちらしく、ど派手によォ!」

「オオよ! やってやろうぜ! 最後まで!」

 応! と一同が歓声の様な気勢を上げた時である。曇った空を切り裂いて、一機の戦闘機が一同の上空で旋回していった。すわ、止めか!? と身構えた一同であったが、戦闘機はそのままもと来た方角へと飛び去って行く。しかし…

「!? あれは…第三次攻撃隊か!?」

 遠く、ヘリコプターと車両の巻き起こす爆音が入り乱れて迫って来る。攻撃があるとすればまず爆撃機だろうと予測していたのだが、まだ通常兵器での制圧ができると思っているのだろうか。

「チッ、ここで前門の狼、後門の虎かよ。もうちょっと空気読めよなァ」

「まだ戦力を出し惜しみしていたとはな。――最後まで付き合うぞ、龍麻」

 不敵に笑って醍醐が指を鳴らしたが、しかし龍麻は首を横に振った。

「いや。まだ死ぬには早いらしい」

「ッ!? ――やるのか、ひーちゃん!?」

 京一達から悲壮感が一掃され、生気が甦る。

「この期に及んで通常部隊を投入するとは思わなかったが、俺たちにはチャンスだ。あの部隊と妖魔どもの戦闘に乗じて脱出し、結界の外で討ち洩らしを掃討――」

 そこで龍麻は言葉を切った。

 ヘリのスピーカーから、最近になって聴き慣れた歌が流れているのを聞き付けたのである。有名な【地獄の黙示録】のワンシーン、【ワルキューレの葬列】をかけたヘリ部隊の心理的威圧作戦と似て、しかしその歌と言えば――かつて社会現象を巻き起こし、今なお新シリーズが作り続けられている不朽の名作の劇場版主題歌、【哀・戦士】。

「オイオイ、これってまさか――」

「Wow…騎兵隊の到着だよ!」

 特殊作戦ならば、否、普通の軍事行動でもありえない光景。地上部隊の車両全てに翻る旗、旗、旗…【浦安レンジャース】、【下北沢ナイトウォリアー】を筆頭とするサバイバルゲーマー・チームに、空手道北辰会館に合気道【養心館】などの武術流派、挙句に【本物】の自衛隊の装甲車両、自走砲、パトカーや機動隊の装甲バン、SATの特殊車両に、なぜか消防車や救急車、タクシーまでが加わっていた。そして何より驚くべきは――

「自衛隊の攻撃ヘリ部隊に、FORCE・RECONの【ナイト・ホークス】だと…!」

 龍麻自身、関わりを持たない筈の自衛隊がいる事、そして新木場で作戦を共にしたとは言え、現時点では【敵】とも言えるアメリカ陸軍の特殊作戦群所属の特殊部隊が加わっている事に驚きを隠せない。

 その時、無線機が叫んだ。

『龍麻! どこにいるのッ!? 位置を知らせて!』

「――アン子! お前はどこにいる!?」

『先頭のヘリの中よ! 凄い数の化け物がいるけど、アンタ達こそどこにいるのよ!?』

 龍麻はアランを振り返る。心得たアランはすぐさま信号ピストルを空に向けて発砲した。

『位置がわかったわ! 皆無事よね! ねッ!?』

「全員無事だ。だが俺達以外に負傷者が多数いる」

 するとアン子に代わり、渋い男の声が響いてきた。

『オーケー、龍麻。スモーク弾はあるか?』

「――レッド、ブルー、ホワイト」

『現在位置にブルー。敵に向かってレッドだ。――通信封鎖解除! 【真神愚連隊ラフネックス】確認! 各員戦闘準備! 指示を待て!』

 なぜ? どうして? ――全ての疑問は聞くだけ無意味だ。彼らは既にここにいて、自分達は生き残れそうだ。龍麻はブルー・スモークを傍らの瓦礫に転がし、レッド・スモークを妖魔の群れに向かって放った。

『レッド・スモーク確認! アルファ、ブラボー、チャーリーは左旋回で接近! レッド・スモークに火のシャワーを見舞ってやれ!』

 一列縦隊を組んだ二〇機のヘリが龍麻達の左手前方から低空突入し、妖魔の群れに向けて猛烈な掃射を開始する。妖魔たちの中にはさすがに九角や岩角ほどの耐久力を誇るものはおらず、M134ミニ・ガンの猛射の前に尽くミンチとなる。続けて地上部隊が七〇ミリ榴弾をばら撒き、龍麻達と妖魔の群れの間に炎の壁を造り上げた。

『アルファ! ブラボー! チャーリーは上空制圧! デルタ1から6は【真神愚連隊ラフネックス】を円周防御! 化け物は一人で対処するな! 必ず三人以上で当たれ! エコー1から7は更に榴弾を半円周上に発射! 戦線を押し上げろ! ズールは【真神愚連隊ラフネックス】と合流! 負傷者を収容せよ!』

『了解! ――突入ラッシュ! 突入ラッシュ! 突入ラッシュ!』

 【本職】の自衛隊と【本職】にも劣らぬランドローバーに乗ったサバイバルゲーマーたちが入り混じり、龍麻達の周囲に陣形を組む。M16A2で統一した隊員がバラバラとトラックから降り立ち、M60E3とブローニングM2を外周に向けて設置、ヘリの機銃掃射と榴弾の洗礼を免れた魔物たちに攻撃を開始する。そして【下北沢ナイトウォリアー】の車両に仁王立ちになっていた、全身をSFチックな装甲服で固めている男が地表に降り立ち、拳を天に向かって突き上げた。

「勝利を掴んだか、緋勇君!」

 銃声に負けぬ、感極まった声を張り上げる装甲服に、しかし京一達は「!?」となる。

「強敵を打ち破り、逆境に抗し、良くぞ生き抜いた! 我ら正義成す者に天は光を与えたもう! 人類の未来は正に我々の双肩に託され、我々は強固なる信念を持って未来を切り開か――どわちゃっ!」

「浸ってるんじゃないよ、メカネ君。邪魔だってば」

 開くドアに尻を叩かれ、哀れ地面にベチャッと張り付く装甲服。ランドローバーから降り立ったのは青田建設の社長にして【射的屋のアオ】こと青田幸三と、【本物】の旧日本陸軍の軍装に身を固めた老狙撃兵、【野苺落としのジョー】こと伊藤丈之輔であった。共に今回の作戦に関して協力を取り付けていた、【下北沢ナイトウォリアー】と【浦安レンジャース】の重鎮だ。

「おお、緋勇君。無事で何よりだ」

「――ありがとうございます。しかし、なぜここに?」

 アオさんはにこりと笑って、舞い降りてきたヘリを指差した。

「龍麻! 美里ちゃん!」

 真っ先に飛び出してきたのはアン子であった。満面に笑みと、目尻に嬉し涙を浮かべて葵に抱きつく。

「アン子ちゃん! どうしてここに?」

「どうしたもこうしたもないわよ。皆が突入したすぐ後で、皆だけに戦いを押し付けられないって、こんなに集まってきたんだもの」

 そこに天野と、ヘルメットを被ったままの女性が姿を現した。傍らにもヘルメットを外さない男が三人、肩を並べている。だが、龍麻にとっては馴染みの男達だ。

「ごめんなさい、龍麻君。皆と別れた後、私が連絡したの」

「絵里を責めないでね。君ならきっとこうするだろうと思って、私が絵里に頼んでおいたのよ。若い子に命を賭けさせて、私たち大人が高みの見物だなんて許せなくってね。幕僚長と横田基地のお偉いさんをちょっと脅かして、お出まし願ったのよ。今君たちを助けないと、あなた方の好きな江戸前のお寿司も、赤提灯の女将さんの焼き鳥も食べられなくなりますよって」

 一般人と同じ服装に身をやつしながら、苦笑を浮かべた二つの顔は、親日派で知られる横田基地の総司令官や、現場第一主義者として自衛官に信頼されている幕僚総長に良く似ていた。――まったく自分は若輩だ、と龍麻は思う。――そうなのだ。いかに命の危険があるとは言え、彼らや彼女らのような者たちが、自分達が命懸けの戦いに行くのをはいそうですかと見送る筈はなかったのだ。

「いえ、お心遣い、感謝いたします。敵の作戦を見抜けず、危うく日本を壊滅させてしまうところでした。しかしこれほどの大部隊をどうやって…おおっ!?」

 敬礼する龍麻の後頭部がガン! と鳴る。それをやったのはヘルメットの男の一人で、先程の無線の声の主であった。

「痛いではないか!」

「うるせェ、クソガキ。変にヒーローぶらねェ癖に、妙な所で遠慮しやがって。俺達が来なかったらどうなってたと思うんだ」

「自分の戦いに、命をくれとは頼めん」

「そんな時、黙って付いて行くのがダチってモンだろうが。――見ろよ。この連中、お前のために仕事も学校もほっぽり出して集まったんだぜ」

 龍麻は周囲を見回す。――確かに、かつて共に戦い、見知った者たちの顔も多い。だが、これほど多くの知己は、まだ、作れていない筈だ。それなのにどの顔も、龍麻と顔を合わせると笑顔を見せる。

「君は、自分で思っている以上に、たくさんの人たちに好かれているのよ。この街やこの日本に住む人たちを救おうとした瞬間から、君は見知らぬ仲間を得ているの。そして君は、言葉だけじゃなく、行動でそれを示したわ。だから、皆も立ち上がった。平和とは誰かに与えられるものじゃなくて、自分で護っていかなくちゃいけないものだってね」

「そして、正義に国境はない。――君の言葉だったな、【兄弟ブラザー】」

 オリーブドラブの野戦服にブラックベレー…【ナイト・ホークス】の隊長、スティーブ・マクマホン中佐が龍麻の肩に手を置いた。新木場で共に戦い、果てたエルウッド・マクマホン大佐の実の息子と、大佐に鍛えられ育て上げられ、【息子】と称された龍麻だ。

「この戦いもまた、表の世界に真実が知らされる事はあるまい。だが、君の戦いも、君自身も、決して否定させはしない。大事な【友】を殺させはしない」

「法に照らせば悪と呼ぶ奴もいるだろうが、お前は大勢救ったんだ。奇麗事だけじゃ絶対にできやしねえ事だぜ、これは。もしお前を逮捕しろなんて事になったら、俺がリムジンで迎えに行ってやる」

「…はっ」

 龍麻は踵を揃えて敬礼する。中佐や御厨にだけではなく、ここに集まった全ての者に向けて。

 人は弱いものだと、誰かは言う。龍麻自身も、そう思う。だが、そんな弱い人間でも…否、己の弱さを知っている人間であればこそ、力を合わせた時の強さは…

 しかし、感傷に浸る時間はあまりなかった。

「エコー1から3より報告! 化け物が退いて行きます!」

『こちらズール! 負傷者四三名を収容! 直ちに病院に向かわせています! 他に負傷者は残っていない模様です!』

 次々と報告が寄せられ、激しかった銃火も散発的になっている。多くは一般人とは言え――やはり、異形との戦いを経験済みの者たちは違った。基本的には第一次、二次攻撃隊と変わらぬ装備でも、先頭の一体を倒し切るまで多数の銃火を一点集中させる戦法が功を奏したのだ。そして――

「アルファより入電! 空に黒い染みのようなものが見え、曳航弾が吸い込まれたそうです! レーダー反応なし! 熱感知不能! 正体不明です!」

「ッ!? …なんだ?」

 その報告と同時に、奇妙に空間が引き攣れるような感覚と、耳鳴り。次いで、空に広がっていく暗黒の染み。空間が溶け始めている!? 

「――結界が崩れ始めましたわ!」

「急いで逃げないと〜閉じ込められるわ〜」

 結界に詳しい雛乃と裏密が声を揃える。一同の目は、龍麻に向いた。そしてHIROが、彼にマイクを差し出した。

「さあ、指揮官の務めだぜ。お前が幕を引くんだ」

 龍麻はマイクを握り締め、力強く宣言した。

「――総員に告ぐ! こちらは【真神愚連隊ラフネックス】隊長、緋勇龍麻である! 本作戦は現時刻をもって完了! 総員、速やかに撤退せよ! 繰り返す! 作戦完了! 総員、速やかに撤退せよ!」

 ヘリ部隊が旋回しつつ上空制圧する中、駆け付けた数千の義勇兵達が轟音を蹴立てながら整然と撤退していく。そして【真神愚連隊】一同は、地上部隊の車両に分乗し、軍団の最後尾に付いた。いつものように、殿しんがりを守るために。

 世田谷区の【裏】と【表】を繋ぐ鳥居の前で、龍麻は銃座に身を乗り出し、崩壊しつつある世界を振り返って敬礼した。

「さらばだ、九角天童。――さらばだグッバイ隊長コマンダー…」









「――手を上げろホールドアップ!」

 それは、勝利の余韻に浸る間もない時に起こった。

「た…龍麻…!」

 鳥居を抜けたばかりの龍麻が目にしたものは、【表】の等々力不動一帯を埋め尽くす戦闘車両と、完全武装の兵士達。そして、彼らと銃口を突き付けあっている数千の【仲間】たちの姿であった。周辺地域にまで車両が溢れ、空をも埋め尽くす勢いで戦闘ヘリが飛び交っている。誰が味方で誰が敵なのかも判らず、降って湧いた大騒動に目を丸くし、騒ぎ立てる住民達も加わり、ここもさながら戦場の騒ぎである。

(七つの尾を持つ不死鳥フェニックスのマーク…IFAFか…)

 不安を通り越して、恐怖に引き攣った顔をしている仲間たちの間を抜け、龍麻は胸を張って一番前に進み出た。すると、装甲車の中から将校と思しき初老の男が姿を見せる。

 銃口に取り囲まれていながら、龍麻はその将校の前に進み出る。将校もそれが当然であるかのように、龍麻を正面に迎えた。

「…まだ何か残っているかね?」

「否定であります。大佐殿。全て、消滅いたしました」

 ビシ! と直立不動で敬礼する龍麻。【大佐殿】も敬礼を返す。

「我がIFAF第五機動海兵中隊【ケルベロス】は【菩薩眼】なる特異能力者の確保を命じられている。【菩薩眼】の娘を引き渡してもらいたい」

 周囲の銃口に構わず、京一、醍醐が葵を挟むように庇う。小蒔も、雨紋も、他の仲間たちも、全員が葵を護るように円陣を組んだ。更にその周囲を、アオさんやジョーさんら義勇兵が固める。そして最外周を受け持ったのは、【ナイト・ホークス】と自衛隊のレンジャー達であった。数百以上のセフティ解除と初弾装填音が、さながら悪魔の蹄鉄の如く響き渡る。

「――その要求は拒否します」

 正に一触即発の状況下、きっぱりと言い放つ龍麻。その額と心臓の位置にレーザー・サイトの赤点レッドポイントが集中する。そして【大佐殿】も同様に無数の赤点レッドポイントを絡み付かせながら龍麻と向かい合った。弱冠十八歳の少年と、恐らくは百戦錬磨の兵士である【大佐殿】が。

「――困った。そうなると強硬手段もやむなしとなる。世界の存続の為に」

「お言葉ですが大佐殿、それは得策ではありません」

「…!?」

 目上の者に対して常に礼儀正しい龍麻が、珍しく僅かにからかうような口調になる。

「今回の作戦にあたり、自分は世界のコンピュータネットワーク上に、あるウイルスを混入いたしました。その中には、自分がレッドキャップス所属時に入手したアメリカ国防総省の極秘ファイルが添付してあります」

「…まさか」

 つう、と一筋の汗が【大佐殿】の頬を伝う。

「御慧眼、恐れ入ります。アメリカ国防総省閲覧禁止ファイルTSF〇八一九二――通称【ファイルXYZ】であります」

「…見たのかね、あれを?」

「…ケネディ大統領暗殺事件、ロズウェル事件、アポロ計画、アウシュビッツその他、大変興味深く拝見いたしました。――全世界の人々は、この事実を受け止められるでしょうか?」

 これも一種の闘いであったろう。龍麻は静かに【大佐殿】の炎のような視線を受け止め続けた。例によって、当事者以外には全く解らない内容の会話である。だが、酷く重要な話であることは間違いない。

「…君は判っているのかね。あれが公開されれば、世界がどうなるか」

「虚構と虚栄によって築かれた平和であっても、その価値は計り知れません。その意味も弁えず、人類が自ら死を選ぶというのであれば、それもやむを得ないでしょう。しかし本日、自分は仲間達と共に、世界を死に招こうとする巨大な敵に挑みました。最初は――自分を含めて十四人。だが今は――数千の戦友と肩を並べています。世界を見渡せば、いまだ見知らぬ、誰が為に戦える友が数多く存在することでしょう。世界は――滅びません」

「……」

 次に【大佐殿】が口を開くまで、かなりの間があった。龍麻の口にした【ファイルXYZ】とは、どうやら世界にとって酷く重要で、絶対に公開されてはならぬものらしい。龍麻はそれを盾に、【大佐殿】を脅迫しているのであった。恐らく【大佐殿】のみならず、全世界の政府、軍隊を相手に。

 しかし、胃が痛くなるような緊張は、【大佐殿】が口元を緩めた事でたちどころに霧消した。

「………男の顔になったな。坊主キッド

 【大佐殿】は龍麻の肩に手を置く傍ら、片手を上げて兵士達に銃口を上げさせた。皮膚を炙っていた兵士達の殺気すら霧消した事に唖然とする【魔人】達。

「恐縮です」

 にこりともせずに言う龍麻であったが、【大佐殿】は太い笑みを浮かべた。

「少佐! 全部隊に通達! 直ちに戦闘態勢を解除! 作戦終了、帰投する!」

「ッッ!?」

 思いがけず包囲が解かれ、解放される京一たち。兵士達は銃に安全装置を掛け弾倉を抜き、銃を背に担いだ。これを見て【ナイト・ホークス】やゲーマー達も銃口を下ろす。

「龍麻…これは一体…?」

 恐らく、この部隊は龍麻に敵対する気はなくなったのだろう。しかし、その理由が分からず、葵が龍麻に尋ねた。

「…こちらはIFAF機動海兵隊総司令官、グレッグ・ローガン大佐だ」

 龍麻が【大佐殿】を仲間たちに紹介する。グレッグは葵を始め、【魔人】達を鋭い目で見回し、一転して父親のような優しい眼差しを一同に向けた。

「なるほど。皆、良い目をしている。――良い仲間を見つけたな」

「はっ、ありがとうございます」

「アメリカを始め、各国には【菩薩眼】から手を引かせた。この日本を軍事大国化する計画を立てたCIA局員も全て捕捉済みだ。間もなく逮捕、処分される事だろう。従って、諸君らの安全は保障される。――それで、良いのだな?」

「肯定であります」

 例によって例のごとく、一同には話がまったく見えない。龍麻とこの大佐は、一体何の話をしているのか? 

 龍麻がそれを口にしたのも、仲間たちが混乱の極みに達していると悟ったからであろう。

「今までずっと黙っていたが、俺の身柄を保護しているのはIFAFだ」

「え…?」

「これまでの我々の闘いは、全てIFAFも関知している。我々が消しきれなかった痕跡を消し、国家権力やジャーナリストが近付かぬように仕向けたのも彼らIFAFだ」

「…ッッ!」

 そう説明されれば、思い当たる節はいくらでもある。あの妖刀事件でも、渋谷で銃を使用した時も、墨田でビル一つ倒壊させた時も、石にされた女性達を救出した時も、その他諸々、明らかに彼らが目撃されていると思われる事件でも、彼らの名が公に知らされる事はなく、警察やジャーナリズムの捜査の手が彼らに及ぶ事もなかった。特に天野などは、上司が一人閑職へと飛ばされたと告げていた。それはつまり、一雑誌出版社にまでIFAFの圧力が及んだという事だろう。そして恐らくは、真神学園にも――

「我々IFAFもまた、人類を護る為に設立された組織だ」

 グレッグ大佐が言葉を引き継ぐ。

「もし諸君らが人類に対する脅威となるならば、我々は速やかに諸君らを処分する。しかしながら諸君らはこの元レッドキャップス隊員とともに、人類の未来を護る為に闘った。非営利組織であるIFAFは、志を同じくする者に対しては助力を惜しまない」

「そ、それなら何でもっと早く助けてくれなかったんだよッ!? 今まで何人死んだと思ってやがんだ!」

 自分達の闘いが、実はCIAだけではなく、IFAFの手のひらの上でさえも踊らされていたのだと気付き、京一が激発する。醍醐が止めにかかるが、京一はグレッグに詰め寄っていった。

「…我々とて、神ではない。この不実に満ちた世界の中で、見果てぬ希望を胸に闘うものは余りにも少ない。そして今日もまた、多くの同胞が逝った。マッキンレー、ブラッド、イワン、ウラジミーロフ、コレット…。皆、自分の国の為だけではなく、平和を望んで闘う者たちだった。――少年よ。我々には全てを救う【力】はない。そして人類は、他人から与えられた平和の価値を真に理解する事はない。しかし、この先どれほどの愚行を繰り返そうとも、いつの日か、人類が戦いを捨てる日が来る事を、我々は期待しているのだ。――今日こんにちの君達のように、自らの意思で人々を護らんとする者が、世界中に現れる事を。その時まで、あらゆる戦争行為を阻む矢面に立つのが、我々IFAFなのだ」

「……」

 この戦いを始める前の京一ならば、いや、他の仲間達にしても、大佐の話は大人が自分達の都合の良いように捏造した詭弁だと思っていた事だろう。しかし、今は違う。大佐の抱える苦悩が、今の彼らには判っていた。【金】と【権力】によって集められた【力】は、【理想】を糧につどった者をたやすく凌駕してしまうのは歴史的事実だ。

「我々は帰投します」

 龍麻の言葉が、【魔人】達の沈黙を誘った。

「この戦いにおける我々の【使命】は全て終了しました。職業軍人にあらぬ我々には休息が必要です。――解散の許可を」

「…もとより、我々には諸君らを拘束する権限はない。しかしながら、緋勇龍麻君。我々はぜひ君を指揮官として新部隊を創設したい。引き受けてはもらえまいか?」

「……」

 葵たち、【魔人】の視線が龍麻一身に集まる。

 今日の戦いで、【真神愚連隊】のメンバーは裏社会に名前が知れ渡ってしまった事だろう。隠密作戦とは言え、彼らは国家を相手にしてしまったのだ。いかにこれほどの人数が集まったとは言え、所詮は民間ボランティアレベルのグループに、最新鋭の装備を有する軍隊が敗北したと知れれば、国家の威信は失墜する。そんな事を、虚栄心に凝り固まった各国のトップが見逃す筈はない。これらの勢力から身を護る為には、このIFAFの傘下に入る事が一番なのでは――

「その要請は拒否します」

 いっそ気持ちいいくらい、龍麻はきっぱりと言った。

「我々は、我々の大切な日常の為に闘いました。何もなければ、退屈でも平和な日常の中に埋没していたであろう我々です。再び我々の【力】が必要とされる時まで、我々は日常へと帰還いたします。無論、【ファイルXYZ】を公開する気もありません。――我々に対して、国が敵対行動を取らぬ限り」

「…そうか」

 すでに予想済みの答であったものか、【大佐殿】は静かに、深く肯いた。しかし――

「戦士として生き始めると、なかなか普通の生活には馴染めぬものだ。血で血を洗う闘争の果てに求めたものは、平和な日常か。それを果たした今、戦士としての君は何を望む?」

「望み…?」

 龍麻は顔を上げた。九角を前にした時のような、厳しい顔を。

「我々の望みなど、いつの時代、どんな状況であろうと一つだけです。――今日、ここで大勢死にました。訳も解らず戦わされ、何も知らぬままに死んで行きました。為政者の都合のみで生み出され、ただ攻撃力のみを植え付けられた俺達レッドキャップスの! 【国を護る】という大義名分の元に志願し、あるいは徴兵されてきた者たちの! 今日ここで! 銃弾に腹をぶち抜かれ! 鬼どもに頭をもぎ取られて死んで行った者たちの望みは! ――俺達の流す血が、一部の下らぬ者たちの利益の為ではない、俺達が愛するもの、大切なものの為にこそなって欲しい! ――それだけが望みです!」

「……!」

「――その為ならば、何度でも戦います。血も流す。命も賭ける。――それが我々です」

 かつてマシンソルジャーであった彼からは考えられぬほどに熱く、堂々たる龍麻の宣言を、グレッグは静かで深い笑みで受けた。

 ――戦士の心を知るのは、戦士のみ。グレッグは無言の内に手を差し出し、龍麻も黙ってその手を握った。共に力強い――戦士の手だ。

「戦士達の想い、しかと受け取った。だが貴殿らの勝利を、我々にも祝わせてもらいたい。――おめでとう。諸君らこそ、英雄だ」

 グレッグの宣言に、わあっと歓声が上がった。この戦いの為に集まった、数千の義勇兵の上げる歓声が、よく晴れた世田谷の夕焼け空を震わせた。職業も立場も、国籍も人種も違う者たちが、共に喜び合う歓声であった。

 そこに、美貌の警視が進み出た。グレッグに一礼してから、彼女はマイクを手にして言った。

「この後、米軍横田基地司令官アーサー・ベルモント将軍の計らいを頂き、祝勝会の用意がしてあります。皆様お誘い合わせの上、ご参加ください。でもその前に、一つだけ、皆様にお願いがあります」

 そして南雲は、龍麻にマイクを差し出した。

「さあ、緋勇君。もう一つ、君には言いたい事が残っているでしょう?」

「!? しかし…」

「勝利に水を差すなんて思わないで。【それ】は君だけが背負うものじゃない。私たちは皆、【それ】を胸に刻んで生きていくの。いつの日か、世界中の皆が仲良くなれるまで。――皆も、待ってるわ」

 少し躊躇い、龍麻はマイクを取った。だが、なかなかスイッチが押せない。

「…龍麻」

 【仲間】達の円陣を抜け、葵が前に進み出る。

「もう良いでしょう? 今日の戦いは、あなただけのものじゃない。皆で掴み取ったものでしょう? それは決して【いつもと同じ】なんかじゃない。あなたが背負おうとしているものを、私たちにも手伝わせて」

「…そうだぜ、ひーちゃん。俺たちも少しは強くなっただろ?」

 自分を見つめる、仲間達の目、目、目…。龍麻はマイクを強く握り締めた。

「…今日、ここに集まった、全ての友人達に告げる。自分は緋勇龍麻。【真神愚連隊ラフネックス】の隊長だ」

 ざわめきがすう、と絶える。集まった人数を考えれば、それは奇跡のような光景であった。

今日こんにち、我々は強大な敵に立ち向かい、これに勝利した。この勝利を、誇りを以って諸君らと共に分かち合いたい。誰に知られずとも、この街を、日本を、世界を救ったのは我々であると、自信を以って宣言する。しかし、その前に、この作戦に散った全ての命に、一連の戦いの中で果てた全ての命に、敬礼を送らせて欲しい。――全ての命…今日、我々と矛を交え、戦った者達にも」

『…………』

「これが詭弁である事は承知している。矛盾に満ちた偽善である事も。――彼らがしてきた事は、決して許される事ではない。だからこそ我々も戦いを挑んだ。しかしこの戦いは運命ではない。宿命でもない。彼らもまた、己の信念に生きたが故に、辛く、苦しい道を辿ってきた。多くの命を踏みにじり、その身に恨みと憎しみを受け、傷付きながらも、前に進んできたのだ。我々の戦いは間違いではない。だが彼らもまた、その全てを否定されるものではない。出会いが違えば、手を取り合う事もできただろう。多くの命を貪る事もなかっただろう。そんな彼らだからこそ、彼らと戦った我々だけは、彼らに敬意を表したい。彼らと戦った事を誇りに思いたい。彼らもまた、その信念、志において、我々の【仲間】であったのだと」

 しん、と静まった空気の中、龍麻の声だけが茜色の空を渡っていく。だが、無言の内に応えがあった。京一が木刀を抱え、醍醐が、雨紋が、【真神愚連隊】の一同が踵を揃える。いや、一斉に響いた金属音は、数千に達する銃が、儀礼的に構えられた音であった。

「…感謝する。――D作戦に散った、全ての命に対して哀悼の意を表し、総員! 敬礼ッ!」

 龍麻は万感の思いを込めて宣言した。ざっと敬礼する葵たち。それに唱和し、天野や南雲、御厨や秋葉、HIROたちアンダーグラウンドに人間達、サバイバルゲーマー、アメリカ軍特殊部隊、自衛隊レンジャー、IFAFの兵士達…様々な職業、立場、人種、国籍を越えた者達が敬礼する。同じ志を持ち、同じ想いを胸に秘めた、【仲間】達だ。

 その時ふと、風がどこかから歌を運んできた。

 【それ】を奏でるべきものはどこにも存在しない。この場にいる誰かがかけたものでもない。しかし確実に、【ここ】ではないどこかから、胸に染みるようなメロディーが流れてくる。その曲名はクイーン・【伝説のチャンピオンウィー・アー・ザ・チャンピオン】。

(天童…)

 マシンソルジャー、レッドキャップスにおいてただ一人、人間的感情を残されていたナンバー0・九角天童。彼が一番好んだ曲だった。レッドキャップスが出撃する時には【Will  we  Rock  you!】。帰投する際には【We  are  the  Champion】。

(…彼らこそ、チャンピオンだ。そして、お前も…)

 龍麻は【仲間】の顔を一つ一つ、目に焼き付けるように見た。

(…心配するな。俺は大丈夫だ。俺は彼らとともに、人として生きて行く。お前が求めたものも、俺が叶えるさ。いつか…必ず)

「敬礼――やめ!」

 龍麻は宣言した。【敵】であったものにも、自分たちの想いが届いたと信じて。

「祝勝会には自分らも参加させていただく。皆も、大いに楽しんでいただきたい」

 再び上がる歓声。今度は――なかなか止まらなかった。お互いに肩を叩き合い、笑い合う。その光景に、事情を知らぬ者たちも、いつの間にか共に笑っていた。

「…へっ、最後まで格好付けきったよなァ。ひーちゃんのこったから、もしかしてどこかでボケるかと思ったんだけどな」

 すっかりいつもの調子で、京一が軽口を叩く。

「…黙れ二等兵。――【真神愚連隊ラフネックス】。任務終了一七二八時。帰投する! その後は――祝勝会だ」

『応!』

 龍麻の宣言とともに、ふわりと心地よい風が吹いた。

 【表】の世田谷区の空はどこまでも晴れ渡り、そこに【クイーン】の歌声が風に乗って流れて行った。









 エピローグ



 ――かくして、少年達は三百余年に渡る九角家の怨念が生み出した超常異生体【鬼】との闘いに終止符を打ち、軍産複合体による【日本軍事大国化計画】を未然に防ぎ、この東京を護り抜いた。

 IFAFと各国軍部との間にどのような交渉が行われたかは不明だが、IFAF機動海兵隊総司令グレッグ・ローガン大佐が明言した通り、世界大戦にも発展しかねない事件を未然に防いだ少年少女達に対する敵対行動は一切確認されていない。無論、東京都世田谷区に出撃した航空兵力を含む大部隊が消滅した事は世間に伏せられ、戦死者の名が一行たりともマスコミュニケーションに流れる事はなかった。ただし、この一件に深く関わっていたと見られる、駐日アメリカ大使に扮していたCIA局員は、チャーター機で国外脱出を図り、そのまま消息を断った。噂では【九頭竜ヒュドラ】なる組織が彼を消したと伝えられ、無人の旅客機内で彼が狂死する様が【シグマ】、【Z−GRAT】等に関連する組織、企業、団体関係者に送られたとされる。

 その場に居合わせながらも、私が知り得た事実は、ごく些細なものだ。

 家人の失踪に伴い、警察によって家宅捜索が行われた世田谷区等々力の柳生新陰流剣術道場からは、家長の変死体と、無数の白骨化した人骨が発見された。現在高校生である家長の孫は、依然行方不明である。

 江戸初期に断絶した九角家と、江戸時代初期に将軍家剣術指南役を勤めた柳生家との間にどのような繋がりがあったのかは、今もって謎である。ただ一つ言える事は、九角家の血を引く少年達は決して、祖先の怨念に縛られ、時代の流れに翻弄され、望まぬ生を歩まされた被害者だったのではないという事である。彼らは己の意思で生き、戦い、確かに、そこに存在していたのだ。

 ――今、私が願う事は、この闘いに勝ち抜き、この東京を護った若者達が平穏な生活に戻る事である。そして願わくば、この闘いに散っていった多くの者たちの魂に安らぎが訪れる事を。



         天野絵梨  未発表ファイル・1より抜粋







 第拾参話  外法都市      完





 第一部  鬼道編          完





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