第拾弐話 魔人 3





 
 龍麻たちがマリィと遭遇した頃――



「実験の様子はどうだ?」

 実際はかなり広い筈なのだが、様々なコンピュータや実験器具、薬品を詰めたタンクと、それらを循環させる為のパイプやコード類の為に、息苦しさすら覚える実験室で、ジルは白衣を着た技師の一人に問い掛けた。

「はっ、サイ粒子抽出機をテレモニターに接続、被験者の念波動を原子結晶化し、抽出、培養、増幅――その後、粒子断面及び検出数値がモニター化されます」

「うむ。続けろ」

「はっ」

 技師がキーを叩くと、高さ二五〇センチほどのカプセルの表面を金属製のリングがゆっくりと降りてくる。レーザースキャナーの光の線を浴びているのは、カプセル内に満たされた生理食塩水の中を漂う全裸の葵であった。世に言う絶対均整を具現させたような美しい裸身には、しかし口に酸素マスク、こめかみと心臓、手首、足首、そしてヨガに言うチャクラ…即ち頭頂、眉間、喉、壇中、脾臓、丹田、会陰部に電極が取り付けられ、まったくの標本扱いである。それを眺めやるジルの目もまた、少女の裸身に対する感動や肉欲などかけらもない、標本を見る科学者のそれであった。

「出ました。モニターをご覧ください」

 縦四列横四列に並べられた二〇インチモニターの全てが、葵を測定したデータをグラフにして表示、あるいは高速でスクロールさせて行く。その数値の高さとデータ量の豊富さに、ジルは満足げな笑みを浮かべた。

「――素晴らしい。この【力】、まさしくワシが捜し求めていたもの。よもや、こんな島国で出会おうとは…。この【力】を解析すれば、我が帝国は更なる進化を遂げる。全世界が我が膝下に下る日も近い…」

 その時ふと、ジルは同じ研究に勤しんでいた一人の男を思い出した。東洋の劣等人種にしてはそこそこの成果を上げていたが、何やら奇妙な標本データを送ってきたのを最後に研究所の火災で死亡した。この破壊を行ったのが誰なのかついぞ解らずじまいだったが、彼の研究データは全て吸い上げてある。今更必要ない人物だ。

「ククク…シロウとやらも辺土リンボで歯噛みしておろうな。――そうとも。大いなる【力】を手に入れるのは我ら選ばれし民だけなのだ」

 熱に浮かされたように独り言を呟くジルの耳に、興奮した技師の声が飛び込んできた。

「ジル様ッ! さ、PSYサイ(超能力)レベル最高値到達、依然上昇中! メーターを振り切ります!」

 その声を合図に計測器がオーバーロードし、安全装置の起動を待たずしてモニターやメーターが次々に火花を散らし、触手のように伸びた電流を浴びた技師が悲鳴を上げた。破裂したモニターの破片が飛び、ジルの頬にも一筋の切り傷を付ける。

 血潮が垂れるのを拭おうともせず、ジルは歓喜に震えた。

「ふふふ…! 良いぞ…! これこそがワシの求めていた【力】。この【力】こそ我が第三帝国復活の狼煙のろし。全世界を席巻する大いなる【力】だ! ――見ておれよ黒蝿王ベルゼブル! 世界を制するは貴様ら地獄の【使徒】にあらず、我ら輝けるDie gewahlte Nation(選ばれし民)なのだ!」

 火災報知器が作動し、スプリンクラーが勢い良く水を振りまく中、ジルの哄笑が響き渡る。その凄まじい妄執と悪意に、度重なる薬品投与で朦朧としつつも、葵は恐怖に震えていた。

(龍麻――助けて、龍麻――)

 それは、彼女が最も信頼する者の名。殺人機械として育てられながら、運命に抗い、己の力と信念に従って生きる、最強の【魔人】。そして、彼女にとっては――

(助けて――龍麻――!)

 果たして、その祈りを聞き届けたのは神か悪魔か?

 突然、火災報知器とは違う警報が鳴り響いた。

「!? ――何事だッ!?」

「侵入者ですッ!」

 白衣姿の上げた、これ以上はないほど捻りのない返事に、ジルは憤慨しつつ傍らの少女を見やる。

「…男三名、女二名。こちらへ向かっています。到着まで、あと八秒、七秒――先日の透視に出てきた者たちです。後、三秒――」

「馬鹿めが。この学院に入り込んで生きて出られると思うか。【19】、【21】、用意しろ」

 【19】は無表情に、【21】はヒュッと口笛を吹いて扉の両脇に陣取る。ジルとしてはここを戦場にするのは本意ではないが、二人の少年兵の実力には絶対の自信がある。被害は些少なもので済むと考えていた。

 だが、【17】が呻くように口を開いた。葵の存在を透視した時の、あの声で。

「――Hell’s  gate  open…!」

 その声が終るや否や、厚さ五〇ミリの超高密度鋼の扉がぐわっと内側にたわみ、次の瞬間には大音響と共に吹き飛んだ。

「〜〜〜〜〜〜ッッ!!?」

 【19】や【21】の【力】を以ってしても容易ではない破壊劇に、ジルの顔が引き攣る。まだ感情抑制処置が完全でない【21】ははっきりと動揺し、【19】も緊張の面持ちで破壊された入り口を見やる。

「…ひーちゃん。ここのドアは押すんじゃなくて引くんだよ」

「いや、スライドさせるみたいだった」

 これだけの破壊を行いながら、どこかほのぼのとした会話と共に、見覚えのある制服がどやどやと実験室の中に入って来る。その彼らの視界に、人が決して踏み込んではならない実験の材料にされている葵の姿が映る。

「美里! ――貴様ら! その機械を止めろ!」

 醍醐の怒鳴り声は、正に猛虎の咆哮。白衣の技師達が腰を抜かし、あるいは椅子から転げ落ちる。

 しかし、ジルは一人、感心したように目を細めていた。扉の破壊には驚いたようだが、すぐに【面白いものを見つけた】と言わんばかりに。

「貴様らが【17】の透視に出てきた者たちか。なるほどのお…」

「何だァ、ジジイ。余裕ぶっこいていられんのも今の内だけだぜ」

 龍麻を先頭に、京一が右翼、醍醐が左翼に展開する。彼らが最も多用するフォーメーションだ。するとまったく同様に、ジルの前に少年たちが展開する。

「ケッ、クソみてェな実験をしていると聞いて来てみりゃあ、餓鬼が兵隊ごっこかよ。――おい、餓鬼ども。怪我したくなかったらさっさと失せな」

 京一は威嚇の意味も込め、【気】を纏わせた木刀を一振りした。脳髄に染み渡るような剣気を受け、醍醐の一喝で腰を抜かしていた技師の何人かが失神する。

「――子供と思って侮ってもらっては困る。ここにいるのは私が創り上げた革命レヴォルツォーンの為の兵士ゾルダートだ。貴様らごとき、敵ではないわ」

「――ンだとォ?」

 創り上げた兵士…。京一たちにとっては極め付けに不穏当な言葉である。知らず、木刀を握る手に力がこもる京一。全身の筋肉が怒張し、肉体が倍加する醍醐。

「ワシは長い間、我が崇高な目的の為に研究してきた。大地を流れる大いなる【力】をな。そして、創り上げたのだ。【力】を授かるに相応しい人間を。――それに引き換え、貴様らは何だ? 偶然授かったに過ぎない【力】に溺れ、我が崇高な研究の邪魔をする。貴様ら無知蒙昧な愚民になど、【力】を使う資格などない。【力】というものは、我ら選ばれし民Die gewahlte Nationのみが有する事ができるものなのだ」

「…ナチズムか。こうして改めて聞かされると反吐が出るな」

 自分の中に溜まった澱や心の傷を克服し、更に人間的成長を遂げた醍醐が、この時ばかりは嫌悪感を隠そうともしなかった。そして龍麻の方をちらりと見やる。普段の龍麻ならばこのような外道にいつまでも喋らせてはおかない筈だ。だが、龍麻は動かない。

「アオイ…!」

 代わりに、マリィがカプセルに入れられている葵を見て呆然と呟く。

「うん? 【20】! 何しに来た!」

 先ほどまでの嫌味なまでにダンディ気取りな仮面を脱ぎ捨て、本性が露呈したかのような声で怒鳴るジル。しかし、マリィはカプセル内の葵を食い入るように見詰めるだけで、いつものように脅えたり竦んだりはしなかった。

「ふん…! 出来損ないめ。――丁度いい。お前に名誉挽回のチャンスをやろう。ナンバー【20】、そいつらを殺せ」

 【ナンバー20】と呼ばれ、やっとマリィがジルに向き直る。しかしマリィはふるふるとかぶりを振った。

「アオイ…マリィニ優シクシテクレタ…。マリィノコト、友達ダッテ言ッテクレタ…」

 それは、攫われてきたばかりの葵とマリアに水を届けに行った時の事であった。その時葵は、員数外のマリアの処刑を命じられながら、それを果たせずに殴られたマリィの傷をそっと癒したのである。そして――孤独を抱えていたマリィに「友達になっても良い?」と聞いたのだ。

 その時に覚えた暖かい気持ちが、今、ここで甦ってくる。自分を優しく抱き締めてくれた葵が、かつての仲間たちのようにカプセルに入れられているのを見て。暖かい気持ちが――熱くたぎり始めている。

「友達? ――ふん。調整が足らなかったようだな。もう一度レベル2から調整をやり直さねば」

 しかしその言葉にマリィは脅えるどころか、初めてジルにきっと反抗的な視線を向ける。

「なんだその目は? ――私の兵士が持つ崇高な【力】は、至高の子供たちだけが持つ純粋なる残酷さ。成長して汚れる事もなく、いつまでも美しく輝く帝国の民。ワシの偉大なる研究をその身に受けながら、貴様は汚らわしく、俗な、甘い感情を捨て切れぬか。所詮、失敗作は失敗作だな」

 ジルの言を受け、【21】が「デキソコナーイ」とはやし立て、【19】は冷徹な声で「欠陥品メ…」と呟く。

 マリィは自分を庇う小蒔の脇を摺り抜け、龍麻の隣まで進んだ。ゆっくりではあるが、今まで決して見せた事のない、力強い意志に満ちた歩み方だ。――自分でも理解できないほどに感情が高ぶり、血が熱く沸き立つのを覚える。そして――

「アオイ…マリィハデキソコナイジャナイッテ言ッテクレタ…。マリィハ…友達ダッテ言ッテクレタ…。――許サナイッ! 友達傷付ケルヒト――! アオイハ、マリィガ護ル!」

「――ッッ!!」

 龍麻たちにとっては既に見慣れた、青白い清浄なオーラ。それがマリィの小柄な身体から爆発的に放出され、巨大な猛禽のごとき形を取る。そのオーラの触れる所、可燃物不燃物を問わず炎を発した。それは単純な【発火能力パイロキネシス】ではなかった。物質でありさえすれば極小の核融合にて燃焼させる【原子燃焼アートフラッシュ】であった。

「こ、こやつ! まさかこれほどの【力】を!? ――ナンバー20! ワシを裏切るのかッ! ワシがお前を拾ってやったのだぞ! 大体貴様のような生体兵器がこの学院以外に受け入れられると思うのかッ!」

「マリィハ兵器ジャナイ! マリィハ人間ダモン!」

 憤怒の形相を浮かべるジルの目の前に炎の柱が立ち昇った。慌てて下がるジルだが、前髪と金モールが少し焦がされる。スプリンクラーの水はまだ撒かれているが、マリィの炎を消すほどの威力はない。

「ウヌヌ…! この失敗作めが…! 構わん! 【19】、【21】! こやつら共々【20】を消去しろ!」

 ジルの命令を受け、前に進み出る【19】と【21】。二人とも、【仲間】を攻撃する躊躇いなど微塵もなく、強烈な殺気と共に【力】を解放する。妖々と燃え立つのは真紅の――【陰】のオーラ! しかし――

「…変わらんな、ドクター」

 低く錆びた声が、殺気の衝突を遮った。

「なに…?」

 口を開いたのは龍麻だった。――押さえに押さえていたかのような、その口調。マリィの頭をそっと撫で、更に一歩前に進み出る。口元には、狂暴無比な笑み。その肩が痙攣するように揺れている。

「クク…ククク…クハハハハハ…」

「ひーちゃん…?」

「た、龍麻…?」

 京一たちには、龍麻の笑いの理由が判らない。まして、彼がこんな笑い方をするところなど初めて見た。京一たちにさえ解らないのだから、ジルにはもっと解らなかった筈だ。だが、龍麻は言葉を継いだ。

「――嬉しいぞ。まさかお前のような外道が未だに生存していたとはな」

 龍麻の前髪に隠された左目が、徐々に徐々に赤く輝き始める。それに伴い、彼の肉体を高圧的な気が覆って行く。

「ネオ・ナチス…第三帝国の敗残兵。人間としての生を捨て、外道と鬼畜の道を歩むもの。――それが貴様の正体ならば、この俺が相手をしてやらねばならんのは理に適っている。今一度見た下らぬ夢共々、この俺が叩き潰してやろう。――ドクター・スカル」

「なぜ…その名を…!? お前…お前はまさか…!」

 ジルが激しく動揺する。そんな筈はない! そんな事は有り得ない! 理性はそう叫んでいるのに、目の前の現実がそれを激しく拒絶する。赤く光る目が、全てを肯定している。

「…サラ」

 龍麻が絞り出すような声で紡いだ名に、ジルの傍らで【17】がビク! と反応する。

「イワン…、トニー…」

 続いて、【19】と【21】が激しく動揺する。――それは、捨てられた名前。ただ、認識番号でのみ呼ばれる彼らにとって、失われた過去の呼び名。肩に手を置かれたマリィも、また――

「そして、マリィ。――約束を果たしに――迎えに来たぞ」

「――ッッ! お前は――あなたは…!」

 最も表情の変化に乏しかった【17】…サラが驚愕の表情を浮かべるのへ、恐怖と驚愕の入り交じった声を絞り出したのはジルであった。

「貴様――!! X〇六五五四六エックスゼロシックスファイブファイブフォーシックス! いや・・・レッドキャップス・ナンバー9ッッ!!!」

「…俺を番号で呼ぶな」

 圧倒的な恐怖に満ちた視線を一身に纏いながら、龍麻はふわっとコンピュータの上に躍り上がった。その肉体から黄金のオーラが発せられ、足元から上がったスパークが全身に駆け上がって行く。

 この現象――京一たちには記憶がある。死蝋との闘いの時に発動した戦闘マシン――龍麻のゴースト――レッドキャップス・ナンバー9。だが今の彼は、自らの意思で・・・!

「馬鹿なッ! なぜ貴様が生きているッ!? あの爆撃で生き残れる筈がない!!」

 龍麻はくい、と唇を吊り上げて笑ったのみである。だが――それはジルにとってこの上なく恐ろしい笑みだ。彼にとっての龍麻――ナンバー9は感情のないマシンソルジャーだったのだ。――笑う筈がないのだ!

「――俺は今、ここにいる」

 それだけが真実。それこそが現実。

 ジルのしわ深い顔中に脂汗が浮き出る。恐怖と共に呼び起こされた、ある記憶の為であった。南米で、中東で、東欧で、何度となくジルはこの【欠陥品】を処分しようと試みた。しかし作戦は尽く失敗し、遂には沖縄、嘉手納基地――ロボトミー・ソルジャー製造計画、通称【プロジェクト・レッドキャップス】そのものが、あの日、その全ての計画と共に消滅したのだ。

「…返してもらうぞ。葵も、兄弟達も――俺自身も」

「グヌウッッ! 殺せ!! 【19】!! 【21】!! ――何をしておる!!」

 しかし、イワンもトニーもおろおろするばかりで、ジルの命令に従わない。彼らの記憶の中でただ一つ、消去しきれなかったもの。それは自分達より先に認識ナンバーを与えられた者達の一人、標的として養成されたXナンバー部隊からただ一人、正式メンバーを倒して昇格してのけた少年との交流であった。ナンバー14以降が【PSY・ソルジャー】計画に廻される直前、正式メンバーに昇格したばかりで感情抑制処置が不完全な龍麻と、彼らは時間を共有した事があったのだ。彼らの記憶の中にあるナンバー9は冷酷無比な殺戮機械ではなく、一緒に学び、遊んだ【お兄ちゃん】であった。

「タツマガ…オ兄チャン…!?」

「否定…ナンバー9との交戦拒否…」

「アンちゃん・・・!」

「オ兄サン・・・」

 険が失われ、歳相応の子供らしい表情を浮かべる三人が呻くように呟く。絶え間ない薬物投与で成長を止められ、精神を抑圧されても、龍麻…ナンバー9と呼ばれた男との三日にも満たぬ暖かい交流は、記憶の底にしっかりと根差していたのである。――【人】として扱われなかった者ゆえに。

「我々は貴様らの駒ではない。今こそ俺は大いなる喜びを以って貴様を殺す。――Hell’s  gate  open.  Wellcome to the war」(地獄の扉が開いたぞ。戦場にようこそ)

 龍麻の左目がかっと輝き、殺気が解放された瞬間、室内にあるコンピュータのパネル、メーター、モニターに至るまで、全て火を噴いて沈黙した。葵の時の様に計測器だけが火を噴いたのではない。ありとあらゆる電子機器が過剰なエネルギー負荷に耐えられず、本体ごと吹き飛んでしまったのだ。

「おのれ…試作品風情が付け上がるでないわ! ――これを見るが良い!!」

 傍らにあったレバーを叩き付けるように倒すジル。部屋の壁際を埋め尽くしていたカプセルから急速に液体が排出され、全身をコードで繋がれた青年が姿を現わす。――どれも同じ顔――同じ体型――これは、複製人間クローンか?

 それが、一斉に目を開いた。まったく同時に首を傾け、龍麻を鋭い視線で射抜く。カプセルが開くや、青年たちはコードを引き抜きつつ床に降り立ち、カプセルと一緒に開いたロッカーから最新式の自動小銃、H&K・G36を握った。機械の精密さで弾倉を装填し、コッキング・ボルトを引き、更に銃剣とモーゼルM712を下げたベルトを腰に巻く。その数――二十名。

 ただの複製人間であるならば、龍麻の敵ではない。しかし、その赤く光る目は――!?

「ひーちゃん! まさかこいつらッ!?」

 京一たちにも、そいつらがなんであるのか解った。――龍麻を【試作品】と呼ぶ男の研究室で、まったく同じ顔と赤く光る両眼を持つ者。ギリシャ彫刻を彷彿とさせる肉体でありながら、【男性】たる部分を持たぬ無性生命体。そこから導き出される答えは――

「――ナンバー9…」

 龍麻の記憶に合致する骨相――かつての敵、レッドキャップス・【前】ナンバー9。・・・卵子の段階から【製造】された、レッドキャップス中最高性能を誇った殺戮機械。龍麻に倒され、その座を奪われたナンバー9。――その複製。そして、決定的な違いは――

「その――新型ニュータイプか」

 レッドキャップスの固定年齢は十三歳。だがここで【産まれた】者たちは二十歳前後。――子供の外見を持つゲリラ戦術タイプから一般歩兵タイプに改良されている。骨格、筋肉量の増加に伴い、戦闘能力はゲリラ戦術タイプ…かつてのレッドキャップスを確実に上回る。――まともにやり合っても、徒手のみで歩兵一個大隊を殲滅してのけるだろう。

「よもや貴様も成長していようとはな! あの小娘――【13サーティーン】もやりよる! だがこやつらこそマシンソルジャーの完成体! 筋力! 骨格強度! スピード! 全てにおいてレッドキャップスの四〇パーセント増しよ! たとえ龍脈の【力】を付与しておらずとも、貴様に勝ち目はない!」

 口から唾を飛ばして喚くジル。ナチズムという妄念、科学という信仰に取り憑かれた、醜い狂信者がそこにいた。

 だが、龍麻は――

「四〇パーセント増し? ――雑魚の群れだ」

「――殺せ!!」

 逃げようのない包囲陣。二〇からある銃口が全て火を噴く。

 G36の上げる凄まじい金切り声が、マリィたちの悲鳴をかき消す。だが――血煙を上げたのは全て【前】ナンバー9であった。

「――なっ!?」

 ――同士討ち!? かつてレッドキャップス・ナンバー11に付与された【鷹の目イーグルアイ】により、針を突くような精密射撃を行える兵士達が、狙いを外した!?

「京一、醍醐、小蒔。――兄弟達を頼む」

 声のみその場に残し、流れる影と化した龍麻の手が崩れ落ちる【前】ナンバー9の腰に伸びる。奪い取ったのはモーゼルM712。

 獲物を求めて旋回する銃口の群れ! その中で龍麻のコートが激しく旋回し、炎と轟音が閃いた。

 【それ】をなんと表現するべきか!?

 轟音と硝煙と血煙がなければ、それはまるで黒い天使の舞いを見るかのようであった。徒手空拳でも、これまで見せてきた軍隊格闘術でもない、フルオートで吠える銃声をビートに繰り出される、銃人一体の殺戮のダンス。大口径弾発射時の反動すら流れるようなステップに組み込まれ、マッハを越える弾丸に空を貫かせる優雅な転身と沈身。――龍麻の銃撃は確実に【前】ナンバー9を捉え、彼らのG36の弾丸は掠りもしない。

 ――距離が近すぎるのだ。銃は強力な武器であるが、その機能に合わせた状況でなければ無用の長物にすらなってしまう。この障害物の多い研究室内に多勢を投入したのがそもそもの作戦ミスであった。ストックを伸ばしたG36の全長を考慮しなかったのも、龍麻の戦闘能力を読み違えたのも。――彼ら【前】ナンバー9の複製体は確かに基本性能において従来のレッドキャップスを上回っていた。だが戦闘経験は――龍麻の方が遥か上を行っていた。G36の銃身を弾き、射線を逸らし、死角に回り込み――カウンターの銃撃! 一切無駄のない動きがかつて最強と言われた殺戮機械を無造作に撃ち倒す。正確無比な彼らの銃撃は、正確無比ゆえに見切られてしまったのだ。

 G36の不利を悟った【前】ナンバー9たちが小さく息を吐き、爆発的に加速して龍麻に襲い掛かった。手には大型の銃剣バヨネット――【前】ナンバー9と同じ人造兵士ナンバー4が得意とした武器だ。

 龍麻はむしろ緩やかな動きで彼らを迎え撃った。

 鋭く弧を描く銃剣をモーゼルの銃身で受け止め様、もう一人の腕の付け根…靭帯にモーゼルのグリップを打ち込む。――銃剣の切っ先は龍麻の体に食い込む前で強制的に停止し、床に落ちた。龍麻の足が床を離れ――

「破ッッ!!」

 【龍星脚】! 【前】ナンバー9の胸部に蹴り込まれた【気】が更に背後の複製兵士まで貫く。続く二の足は飛び後ろ廻し蹴りとなり、殺到していた複製兵士の顎を三人まとめて激しく蹴り抜いた。弾け飛んだ複製兵士の内二人は頚骨をへし折られて即死し、残る一人は壁に叩き付けられてこれも即死した。

「――馬鹿なッ!?」

 ここまでで実に五秒足らず! たった五秒で、かつて龍麻の属した標的部隊の七割をたった一人で殲滅せしめた最強のマシンソルジャーが一二体も破壊されるとは!? ――研究がPSYソルジャー中心になったとは言え、従来のマシンソルジャーの強化も欠かしていないジルにとっては信じがたい出来事であった。

 爪先で跳ね上げた銃剣が龍麻の手に納まる。次の瞬間、突き掛かってきた銃剣を転身で外側に捌き、そいつの脇を摺り抜けざまに銃剣を首に滑り込ませる。――喉を裂かれて絶命した複製兵士が倒れる前に彼の銃剣を奪い、龍麻はそれを両手に構えた。

 ――龍麻が双剣術を!? ――驚くには当たらない。龍麻の身体には今まで闘ってきた相手の技までが染み付いている。

 後ろから横薙ぎに襲ってきた銃剣を左手の銃剣で受け止め、右手の銃剣を正面の敵の首筋に滑らせる龍麻。頚動脈と喉を大きく切り裂かれた複製兵士は即死し、床に倒れる前に蹴り上げられて吹き飛ばされる。――と、吹っ飛ぶ肉体の軌跡を辿って走った龍麻は、その死角となる部分から左右二人の複製兵士の喉に銃剣を突き込んだ。――日本の剣術とも中国の剣術とも異なる剣技に京一が目を見張る。

 あっという間に一人になる複製兵士。しかし表情一つ、目の色一つ変えずに逆手に握った銃剣の切っ先を躍らせる。中国の剣術をベースに小太刀の切れ味を生かすようにミックスさせた、レッドキャップス用に組み立てられたナイフ術だ。

 シュッ、と【前】ナンバー9が吐息を洩らした。

 戦車のチョバム・プレートをも切り裂くパワーが一点に集中した次の瞬間、龍麻の掌底が複製兵士の壇中を捉えた。龍麻の首を切り飛ばす筈だった銃剣は加速する前に受け止められており、力なく落ちて床に突き刺さった。

 ――壊滅だ。龍麻より…レッドキャップスよりも強いと自負していたマシンソルジャー二〇体が一分と保たずに…!

「こんな筈は…! まさか以前よりパワーアップを…!」

 あの時と同じ…いや、それ以上だ――ジルは思った。この狭い実験室の中で立体的に動き回れる龍麻…ナンバー9を捉える事はできない。嘉手納基地では実に三百名にも及ぶ人員が基地内の戦闘で、それも素手のみで倒されたのだ。しかしかつてレッドキャップス最強を誇った【前】ナンバー9を更に強化した兵士を、現在のナンバー9が凌駕するとは…!

 龍麻にしてみれば、この結果は判りきっていた事だ。いかに改良が加えられたとは言え、この複製兵士達のオリジナルはあくまで【前】ナンバー9・・・一度倒した相手であり、肉体強化の根幹をなすバイオニック・セルは基本性能を統一した量産型であった。――【少佐】の指揮のもと、各国特殊部隊と行動を共にし、最前線で積み上げた戦闘経験を持つ龍麻たち――レッドキャップスはジル・ローゼスことドクター・スカル他の科学者のデータでは計れなくなっていたのだ。

 加えて龍麻の…レッドキャップスの格闘術。肉体そのものがコンピュータ化しているマシンソルジャーですら予測不可能な格闘術とは…!

「そうか…! それが【少佐】の仕込みという訳か! 忌々しい露助の技などを…!」

「――【俺達】はこう呼んでいる。――【システマGB】――【Guns&Blades】」

 ジルの頬をだらだらと汗が伝い落ちた。

 龍麻が使ったのは、品川の事件の時にその一端を見せた、レッドキャップスとしての格闘術であった。その戦闘術理コンセプトはジャングル戦において最強を誇ったオーストラリアSASのゲリラ格闘術に、ゴルバチョフ大統領の情報公開政策で初めて世に知られた、ロシアのスペツナズが体得している、勇猛果敢なコサック民族に伝えられる近接格闘術【システマ】、傭兵の間で恐怖の代名詞になっている自衛隊のゼロ式徒手格闘術などを有機的に統合した格闘術に、本家イギリスSAS、イギリスSBS(スペシャル・ボート・サービス)、SEALSなどで研究されたガン・ファイトの要素をも組み込んだものであった。――ベトナムのジャングルで徹底的に痛め付けられたアメリカ軍が三〇年かけて研究した、銃、ナイフ、素手を問わぬ近接総合戦闘術である。

 ――この戦闘術理コンセプトを知り、再現できたのは、生みの親である【少佐】とレッドキャップス隊員…その半数のみ。そして今、それを駆使する者は龍麻しかいない。――中国拳法・太極拳などで能くする【聴剄ちょうけい】を会得すれば決して習得不可能ではないのだが、本来は銃の反動リコイルを制御しきれる生体強化戦士用の、銃火に身を晒さねば体得できない格闘術なのだ。

 ――白兵戦では絶対に勝てない。嘉手納基地の悪夢は全て真実であったのだ。――実験も兼ねて投入されたサイボーグ部隊や半妖部隊が、たった十一人の少年兵に全滅させられたのも決してブラフではなかったのだ。

「――【少佐】は言った。【俺達】はただのマシンソルジャーではないと。【少佐】が、デルタが、SEALSが、SASが、スペツナズが――各国の特殊部隊員たちが鍛え上げた【俺達】を――【息子マイ・サン】だと」

「……ッッ!!」

「データとプログラムしか持たぬ木偶人形ではこの俺を殺す事はできぬ。――茶番は終わりだ、ドクター・スカル。いや、ジル・ローゼス!」

 高圧的な【気】を放ちながらジルに詰め寄って行く龍麻。ジルにはもはや逃げ道がない事を京一たちは本能的に悟った。

 このままではまずい。ジルは焦った。常に自分に有利に事を運ぶ自分がここまで追い込まれた事などなかったのだ。たった一つ、対抗する策があるとすれば――だがあれを使うと、これまでの実験成果が――

「ヌウウッ! ――覚醒せよ!! 【17】、【19】、【21】!! 敵を殺せッ!!」

 迫り来る【死】を前に、躊躇う余地などない! ジルは襟に仕込んでいた非常用通信機の、赤いボタンを押した。

「ウウッ!」

「ウワアアアアッッ!!」

「クウッ…!」

 この闘いの最中、マリィと共に京一たちに庇われていたサラ、イワン、トニーが突然、頭を押さえて苦しみ始めた。

「な、何!? どうしちゃったの!? 大丈夫!?」

「解らねェが…なんだかヤベェ! ――オイ! しっかりし――ッッ!!」

 京一がイワンの肩に手を置こうとした時、イワンの目がクワッと彼を睨み付けた。

「ッうわァァ――ッッ!!」

 突如、物凄い勢いで宙に弾け飛ぶ京一。

「京一! な、何が…ッッ!?」

 木刀を床に突き刺してブレーキを掛けた京一にほっとする間もなく、醍醐は三人の子供達から放たれた異様な殺気に声を詰まらせた。

 苦しみ、もがき、床に両膝を付く三人の身体から、血色のオーラが爆発的に膨れ上がる。三人の顔に青筋が走り、噴き出した脂汗が床に飛び散り、目が真っ赤に充血して輝いた。そして、瘧に掛かったかのように激しく身を震わせながら繰り返す言葉は――

「敵ハ…殺セ…!」

「敵ハ殺セ…!」

「敵ハ殺セ!」

「殺セ! 殺セ!! 殺セ!!!」

 三人がユラリ、と立ち上がった。

 その中の、トニーの顔が醍醐たちに向いた。

「――逃げろ! 桜井ッ!!」

 醍醐は小蒔とマリィを庇いつつ左に跳んだ。――正に一瞬前に彼らがいた所に生の【力】が弾け、クレーター状の大穴が空く。強力な思念をエネルギー塊にして叩き付ける、トニーの【PKスティング】であった。

「――な、何でボクたちを…! どうしちゃったの、あの子達!?」

 一体、彼らに何が起こった!? 京一たちを攻撃した事が決して三人の意志だけではない証拠に、サラもイワンもトニーも頭を押さえて呻いている。だが三人のオーラが一つにまとまり、周囲に破壊の【力】を撒き散らす竜巻と化すと、三人の顔はぞっとするほどの無表情になった。

「ミンナ…!」

 マリィが泣きそうな顔になる。――その手を引いて下がらせる小蒔。竜巻から飛び散るオーラは床と言わず壁と言わず蒸発させ、床に倒れていた研究員も哀れ全身の血液を沸騰させられて絶命する。――完全に見境なしだ。

「チッ! 黙ってたらこっちがやられちまう! やるぞ醍醐!」

「――やむを得ん!」

 共に構える京一と醍醐。だが――コート姿がふわりと机の上に立つと、三人の子供達の目は一斉にそちらに向いた。

「――龍麻!?」

「――お前たちは手を出すな」

 そう言うが早いか、龍麻の身体が横に流れて空側転する。彼目掛けて放たれたトニーの【PKスティング】が目標を失い、天井を打ち砕く。

「手ェ出すなっつったって、これじゃ…!」

 イワンの目が京一を捉える。その右手が上がり――グッと拳を握った!

「うおッ!?」

 強力な殺気の放射に、思いきり横っ飛びする京一。――その判断は正しかった。たった今まで彼の存在していた空間が縦横二メートルに渡って、その範囲内のコンピュータや計測機器をもこそぎ取って圧縮されてしまったのである。まるで透明な巨人に握り潰されたかのように。

「――シャレにならねェ!」

 目標と定めたものを空間ごと荷重力場で圧縮する――イワンの【ケフィウス・ブロー】だ。その力場に捕らえられたものは生物無生物を問わず、僅か一立方センチにまで圧縮されてしまう。

 そこにジルの怒声が響いた。

「【19】! そ奴らは放っておけ! ナンバー9のみを狙うのだ!」

「…敵ハ…殺セ!」

 龍麻はトニーが乱れ打つ【PKスティング】をかわし続けている。トニーの能力はアランの霊銃レイガンに似て、【点】の攻撃術だ。【気】を読む事に長けていればかわせない事はない。そしてイワンは躊躇なく、京一たちに背を向けた。始めから興味などないように。

(チャンス!)

 その瞬間、京一が滑るように動き、木刀を振り上げた。【気】の出力を押さえ、イワンを気絶させるつもりなのだ。しかし――

「Left!」

 サラが言い放つと、イワンはそちらを見ようともせず左手を振った。

「――がッ!!」

 怒涛の如き精神波サイキックウェーブが京一を跳ね飛ばす。とっさに【気】の防御を固めた京一であったが、彼を襲ったのは一〇Gを超える重力場であり、瞬間的なものだったとは言え、そのダメージは全身打撲に匹敵した。――京一の体重は七〇キロ。単純計算で七〇〇キロもの重量を叩き付けられたも同然なのだ。京一はかろうじて受け身だけは取ったものの、吐瀉物を撒き散らしながら床を転げまわった。

「京一! ――おのれ!」

 続けて醍醐が突進する。充分に【気】を練り上げ、渾身の一撃をサラに向けて放つ。【破岩掌】!

「何ッ!?」

 イワンやトニーはともかく、三人の中で一番肉弾戦向きではないサラが、放射状に広がる【破岩掌】の衝撃波をいともたやすくかわしてのけた。いや、かわしたどころではない。サラは明らかに、醍醐が技を放つ前に避けていたのだ。

「醍醐クン! 伏せて!」

 とっさに身をかがめる醍醐。その頭上を小蒔の矢が二本走り過ぎる。だがサラはそれを避けようともしなかった。二本の矢はオーラの竜巻に触れるや否や、床に叩き付けられるように落下したのである。

「なっ、なんで…ッ!?」

 今までにない現象に小蒔の目が見開かれる。矢をかわした者はこれまでにもいたが、【気】を込めた矢そのものが届かないとは…!

「敵ハ…殺セ!」

 真紅のオーラが凝縮され、正に醍醐たちに向けて放たれようとした時、風を巻いて走るコート姿がその前に立ち塞がった。

 途端に攻撃目標が最優先標的である龍麻に切り替わる。その瞬間、サラ、イワン、トニーの攻撃が一点に集中し――

「ッッ!!」

 龍麻のコートがブワッと翻るや、彼の姿が掻き消えた。――超スピードによる移動が生む消滅現象とは違う。コートが床に落ちた時、龍麻の姿は完全に消えていたのである。

「ど、どこに消えおったか! ナンバー9!!」

 身を潜めるような所は特にないが、それ故に恐ろしいほどの隠形術だ。龍麻や如月が本気で気配を断つと京一でさえ彼らを見付けられなくなる。いかに強力な念動力者も、相手が見えなくては闘いようがなかった。

 そして龍麻は、三人の頭上から逆落としに出現した。

 【レッドキャップス騒乱】時、これと同じ状況がレッドキャップス・ナンバー2の身に起こった。【敵】の支配下に置かれたナンバー15、ナンバー16と対峙する事になった彼は15の精神障壁サイコシールドに捕まり、16の精神念動力テレキネシスで四肢をねじ切られたのである。

 レッドキャップスに同じ手は通用しない。龍麻は最も危険な能力を持つイワンに発剄を放とうとして――

「Upper!」

 サラが叫び、イワンが両手を頭上に掲げた。

「――ッッ!!」

 突如として空中に固定される龍麻! イワンの操る重力の牙が彼を捉えたのだ。次の瞬間、トニーが【PKスティング】を彼に直撃させた。

「――グハァッ!!」

 鉄筋コンクリートの基礎を破壊し、高速道路をへし折るトニーの【力】! 【気】の防御も追い付かず、龍麻は血反吐を吐きつつ跳ね飛ばされた。

 足から着地できたのは正に奇跡! そのまま彼は右に跳ぶ。しかし――

「Left!」

 サラの指示に従い、トニーが【その位置】に【力】を放つ。――ギリギリで思念塊を回避する龍麻。込み上げてくる血を無理矢理飲み込み、【掌底・発剄】を――

「――ッ!」

 ガクン! と下に落ちる龍麻の腕! 肘から先がイワンの操る重力場に入っていたのだ。発剄のエネルギーは床を砕くのみに留まり、代わりにトニーの【PKスティング】がまたしても龍麻を直撃する。

「ひーちゃん!」

 悲鳴同然の金切り声を上げる小蒔。――当然だ。これまで龍麻がこうまで攻撃を見切られ、一方的に追い込まれた事はなかったのだ。

 血反吐を口から垂れ流しにしながら、龍麻は今の攻撃を反芻する。

 手品のテクニックで姿を消した事で、イワンとトニーの攻撃は回避できた筈だった。そもそも超能力というものは、対象物に対する精神集中が不可欠なのだ。

 それを破ったのが、サラであった。明らかに彼女は、龍麻がそこに来ることを【知って】いた。その先も、龍麻がどのように動くか知っていて、トニーに指示を出したのである。――仮にトニーの攻撃が直撃せずとも、龍麻の技を防げる位置に追い込む形で。

(――千里眼か)

 サラの能力――未来を予知し、遠方の出来事をも見抜く【力】――千里眼。――龍麻がどれほど速く動き、どのような攻撃を画策しようと、それを【あらかじめ知っている】彼女が指示を出しているとなると、龍麻に勝ち目はない。攻撃をトニーが、防御をイワンが、敵の行動予測をサラが引き受けた時、三人はマシンソルジャーをはるかに上回る戦闘能力を得るのであった。

 そして三人は、同時に前に進み出た。

「――ぬうッ!」

 前触れなく、龍麻の身体が床を離れる。――重力場を反重力場に切り替えたのだ! いかに龍麻でも力点が存在しなくてはその場を動く事ができない。その状態で、トニーの――【PKマグナム】!

「――ッグアァァァァッッ!!」

 【気】の防御以外、避ける事も耐える事も許されぬ半重力場の中での全方位攻撃! 龍麻の肋骨が変形し、四肢がねじれ始める。口から吐いた血が空中に渦を描き、乱れ飛ぶ衝撃波で蒸発する。

「ひーちゃん! ――クソ! このヤロォッッ!」

「オオオオォォォォッッ!!」

 京一の【地摺り青眼】と醍醐の【掌底・発剄】が同時に叩きつけられ、しかしどちらの攻撃もかすりもしない! ――未来を先読みする千里眼の能力は、ある意味無敵とも言えた。

「くっそー! 行け! 【火龍】ゥッ!!」

 小蒔の矢が空中でパッと燃え上がり、一直線に三人目掛けて飛ぶ。だがまたしても重力場に捉えられ、今度は天井へと弾け飛んだ。

 変化が起こったのはその時だ。【火龍】がそこで炸裂し、飛び散った炎が重力場の中を駆け巡ったのである。――これは予測範囲外であったのか、火の粉がサラたちに襲い掛かり、一瞬だが重力場にも精神念動波にも乱れが生じた。

(――見たか、今の!?)

(ああ――見た!)

 言葉を交わさずとも、アイコンタクトだけで互いの考えを理解する京一と醍醐。

 サラとて、全ての事象を予知できる訳ではないのだ。――未来に関わる事象を断片的な映像として捉え、そこから導き出される【可能性の高い未来】を計算しているだけだ。――今の出来事で言うならば、京一と醍醐の攻撃は、そのパワーや効果も含めて完全に見切れた。小蒔の【火龍】も同様、それが爆発し、炎が飛び散る事も解っていた。だが、飛び散る炎そのものには意識を向けなかったのだ。だから――かわせなかった。

 ならば――!

「小蒔! 連射しろ! ありったけぶちかませ!」

 攻撃を予測してかわすと言うならば、予測しきれないほどの攻撃を叩き込む! 京一らしい単純明快な、絶対的に正しい戦法であった。小蒔の【火龍】連射を皮切りに、自分たちも奥技を連発するべく【気】を高める京一と醍醐。

「うっ、ウンッ! ――いっくぞー…って、エ…!?」

 弓を引き絞り、【火龍】の【気】を迸らせながら、小蒔の手が硬直する。――彼女の目は、三人の顔を捉えたのであった。サラ、イワン、トニーの目元から血が…血の涙が流れているのを!

「どうした、桜井!」

 【破岩掌】の【気】を激発寸前まで高めた醍醐が怒鳴るが、小蒔は矢を放つのを躊躇った。

「――で、できないよォッ! だって、だってあの子達、泣いてるもの!」

 確かに、彼女の言う通りであった。

 先ほどまで完全無欠の無表情だったサラたちの顔は、今はただの泣き顔であり、血の涙は間違いなく本物の、哀しみの涙であった。

 ――彼らも戦いたくないのだ。龍麻とは――【お兄ちゃん】とは。――見よ。半重力場は途切れ途切れになり、トニーの攻撃は急所を外すようにしている。――彼らも戦っているのだ。龍麻を、大好きな【お兄ちゃん】を殺そうとしている、自分自身と!

 そして、サラが小蒔の方を向いた。

「… Kill … me …!」

「――ッッ!!」

 小蒔にも、それくらいの英語は解る。サラは「殺して」と言ったのだ!

 ぶるぶると震えながら、イワンもトニーも、それぞれ京一と醍醐を見る。

「Kill me … do it …!」

「Do it … Now!」

 凄まじい【力】と殺気を発して龍麻を殺しにかかりながら、一方で自分たちを殺してくれとせがむ子供達。龍麻の危機を目の当たりにしながら、京一も醍醐も気付いてしまった。この子供達は、無理矢理戦わされているのだ!

「――何をしておるか! さっさとナンバー9を始末せい!」

 ジルが怒鳴る。すると、サラ達の首の後ろに取り付けられている機械が赤のLEDを点灯させ、同時にサラ達が激しい呻き声を上げた。

 三人の苦しみはその機械のせいか!? トニーの【力】に乱打されながら、龍麻は過去の実験を思い出す。――脳の松果体を刺激して右脳の能力を限界まで引き出す磁界発生装置。延髄を貫いて松果体にセットされたユニットは、被験者であるナンバー16の精神念動力を飛躍的に増大させたが、その直後、肉体的にも精神的にもオーバーロードを誘発し、彼を廃人寸前まで追い込んだのだった。

 そんなものをジルはサラ達にセットしていたのだ。ドクター・スカル…ジル・ローゼスは誰も、何者をも信用しない。若き日のジルは戦争でそれを学んだ。信じられるのは科学と、計算結果のみ。――だからこそ彼は、人間を憎んだのだ。冷徹に計算し尽くされた結果を、時に覆してしまう人間を。

(やるしかねェ…やるしかねェって解ってる! ――っけどよ…!)

(こんな真似をさせようとは…!)

 血が流れるほどに歯ぎしりしながら覚悟を決めて【気】を練り上げる京一と醍醐。

(許してくれなんて言わねェぜ、龍麻!)

(恨まれようと、憎まれようと――殺されようと! 今、お前を失う訳にはいかんのだ!)

 せめて一撃! 苦しませず一瞬で殺す! 京一と醍醐の身体から膨大な【気】が迸る。それを放とうとした時――

「ヤメテェェッ! ミンナ、モウヤメテェェッ!!」

 マリィが、一触即発の闘争の場に飛び込む。サラ達の放つオーラの竜巻に打たれ、マリィのワンピースがブスブスと煙を噴いた。

「なっ――どけェッ!」

「どくんだ! ――マリィ!」

 タイミングを外された京一らが怒鳴るが、マリィは満身を攻撃的な【気】の奔流に晒されながら、一歩一歩前進して行った。そして――遂に【気】の渦に手を突き入れ、その手がたちまち火傷に包まれる。それでも、マリィは退かなかった。

「マリィ…ミンナノコト、大好キダヨ…! ダカラ…モウヤメテ…! モウ…殺シ合ワナイデ…!」

「…マリィ…!」

 ぶるぶると震えるサラの手に、マリィは精一杯手を伸ばし、二人の手が重なった。

 脳裏に去来する、かつてあった風景。マリィの中に残っている、思い出の風景。

 サラは盲目でありながら、花で王冠を作るのが上手だった。目が見えないのに、王冠には色彩が散りばめられていた。心で見えるから平気なんだよと、サラは笑った。

 トニーはいつも唇を尖らせていた。いつもポケットに手を突っ込んで、意地を張っていた。しかし「花なんてつまんないよ」と不平を言いながら、彼が一番沢山の花々を集めてきてくれた。

 イワンは、二番目に大きな【お兄ちゃん】だった。みんなの【お兄ちゃん】だったから、いつも損をしていたように見えた。チョコレートを貰った時、イワンはそれを皆にあげてしまって、自分は一番小さな欠片しか食べられなかった。そこでマリィが自分の分を差し出すと、「僕はお兄ちゃんだから」と笑って受け取らなかった。

 そして…一番大きな【お兄ちゃん】――【ナンバー9】――【緋勇龍麻】。

 一番大きい【お兄ちゃん】は、自分たち以上に何も知らなかった。言葉を知らず、遊びを知らず、スプーンやフォークの使い方さえ知らなかった。知っているのは――人の殺し方だけ。

 だから、皆で色々な事を教えた。スプーンとフォークの使い方、言葉や遊び、沢山の事を教えたのだ。彼はそれをたちまち覚え――みんなの【お兄ちゃん】になった。そして――皆が出会ってから三日目の朝、彼は正式にレッドキャップスの一員として出撃して行ったのだ。

 言葉に尽くせぬ想いを精一杯ぶつけるマリィ。サラの、イワンの、トニーの目から澄んだ輝きが零れる。――【お兄ちゃん】との最後の記憶…レッドキャップスの抹殺指令が下り、基地が大騒ぎになった時の事だ。【お兄ちゃん】が研究所に現われ、こう言ったのだ。



 ――必ず迎えに来るよ



 皆はそれを信じた。あの時残っていたのは十人。――皆心細くて泣いていたのに、【お兄ちゃん】の言葉を信じて皆泣き止んだ。

 だが――引き裂かれたのだ。皆が恐がっていた銀仮面――ドクター・スカル――ジル・ローゼスの手によって。

 基地を脱出するヘリから投げ落とされた【友達】。炎に包まれた基地。そして――光と炎の中に何もかもが呑み込まれたのを知った時、サラの、イワンの、トニーの心は死んでしまった。――殴られて気絶していたマリィだけは、何も知らないままだったのだ。

 しかし、今こそ約束の時。――【お兄ちゃん】が迎えに来たのだ!

「――キャアッ!」

 突如、マリィは弾き飛ばされた。サラが彼女を突き飛ばしたのである。

「――出来損ないめが! 戯れ言はやめろッ!!」

 ジルの怒声が子供達の精神交感エンパシーを打ち砕く。――サラ達は全身を激しく震わせ、更に膨大な【陰気】を発した。――暴走が始まったのだ。

「――クソジジイィィィッッ!!」

「こんチクショォォ――ッッ!!」

 全ての元凶はジルだ! この男が何もかも狂わせる! 京一と小蒔は届かぬのを承知で――否、届かないなどとは微塵も思わず【剣掌・旋】と【火龍】をジルに向けて放った。

「――ウオッ!」

 確かに二人の攻撃は届きはしなかったが、奥技に込められた想いがジルを怯ませ、サラ達への【指令】を瞬間的に断絶させる。

 イワンが、両手を頭上に掲げた。だが――両手は自分に――自分達に向けて!

 サラが、トニーが、にっこりと微笑んだ。――昔の――あの時のように。

 三人の身体を、イワンの【ケフィウス・ブロー】のエネルギーが取り囲み――

「――ウオオォォァァァァァァァァ――ッッ!!」



 ――死なせない! 誰一人! これ以上【仲間】を殺させはしない!



 龍麻が咆哮を上げ、二〇Gもの半重力場を跳ね除けて天井を蹴った。だがこのタイミングでは、龍麻まで――!!

「――ウワァァァァァァァァッッ!!」

 奇しくも重なる、龍麻とマリィの思い。――死なせない! もう誰一人! こんな事――許しちゃいけない!

 マリィの小柄な身体が爆発的に青い清浄なオーラを放出し、次いで真紅の、神々しい輝きに満ちたオーラへと変化した。それは輝ける翼となってマリィを包み込み、彼女の小柄な身体を宙に舞わせるほどに強大になった。

「こっ、これは――!!」

 誰もが驚嘆する中、醍醐にだけは特別な感覚があった。マリィのオーラに触れた時、彼は己の中の【白虎】が歓喜の咆哮を上げるのを感じたのである。――【仲間】を迎える歓喜だ。

 そしてマリィは、己の内なる声を聞いた。



『――我が名は【朱雀】。南方の守護者なり。――心優しき娘よ。我が力は【破壊】の力にあらず。汝に慈愛の心ありなば、我、魔を焼き払う翼とならん――』



 マリィを覆う真紅のオーラが、天駆ける鳳の姿を形作る。鳳は雄々しく翼を広げ――

「――【サバオ・フェニックス】――ッッ!!」

 天の神鳥の羽ばたきが生む炎の嵐! それはサラ、イワン、トニーを呑み込み、龍麻の全身をも炎に包んだ。炎は重力場も精神障壁も吹き飛ばし、しかし――三人の首の後ろに付けられていた機械…磁界発生装置のみを蒸発させた。

 ――不死鳥フェニックスの炎。その【力】は――【浄化】と【再生】。

「――なんだとォォォォッッ!?」

 マリィの現出させた【力】に目を剥くジル。

 ギン! と龍麻の目が輝きを放った。足が地に付くと同時に猛然とダッシュする。

 やはり、百戦錬磨の龍麻。地獄のような戦場と魂を切り刻むような闘いを経てきた男はやはり違った。絶命必至の状況で、彼はギリギリまで【力】を溜め込んでいたのだった。

「シッ!!」

 慌ててジルは指令念波を送ったが、PSYパワーの増幅器を失ったイワンの【ケフィウス・ブロー】に龍麻を捉える力はなかった。拳に宿る重力波はそのまま空中に散華する。

「ッッ!」

 ゾクリ! とイワンの背筋を駆け抜ける戦慄。今の一瞬に背後に廻り込まれたのだと知った時、イワンは絶望的な後ろ蹴りを繰り出していた。その瞬間、するりと密着した龍麻の右手がイワンの額に触れる。――なんというスピード! なんという反応力! そして――胸中に広がる安堵。

 ――ズシン!

 【剄】が確実に通った時の振動音。密着状態から炸裂させる【掌底・発剄】を受け、イワンはこの上ない安堵の笑みを浮かべて倒れ伏した。

 瞬間、龍麻は予備動作抜きで側転し、身を翻す。トニーの【PKスティング】は龍麻の残像のみ貫いた。

「ハアァッッ!!」

 磁界発生装置による増幅抜きでも、龍麻をバイクごと吹き飛ばした超念力の大瀑布、【PKマグナム】の連射! コンピュータを始めとする器材から壁、天井に至るまで、実験室の一角が広範囲に渡って完全に消滅する。だが、もうもうと上がる砂塵から一個の影が空中に躍り上がった。トニーは顔を上げ、【力】を放とうとしつつも龍麻の攻撃を待ち受けた。龍麻の【掌打】を浴び、眠るように崩れ落ちるトニー。

「敵ハ…殺セ…!」

 サラはその言葉のみを呪文のように繰り返し、【力】を解放しようとする。

 だが、彼女には解っていた。【千里眼】の能力で、自分の未来を予見していた。【力】を解放するよりも早く、龍麻のゼロ距離からの【掌底・発剄】が自分の頭を撃ち抜き、この苦しみが止まる事を。

 そしてサラも、龍麻の腕の中に崩れ落ちた。

「馬鹿な…! ワシの傑作が命令に逆らうとは…! 試作品ごときに、ワシの兵隊が倒されるとは…!」

 まだ言うか、その言葉を! 試作品。傑作――人を人扱いしない、醜い言葉。京一も醍醐も小蒔も頭に血が昇るのを押さえられなかった。

 龍麻は彼らに、自分を創ったのはアメリカ軍であるとしか伝えていない。それは彼自身、自分と【プロジェクト・レッドキャップス】に関わった研究者は全て死亡したと思い込んでいた為だ。

 しかし、この男――ジル・ローゼスこそ、龍麻たちレッドキャップスを創った張本人の一人なのだ。無垢な子供たち…虐待経験者を集めてロボトミー処理を施すという非道な実験を繰り返し、膨大な犠牲の果てに十七人のレッドキャップスを作成、死地に向かわせた。その果てに、自ら創り上げた兵士がコントロール不能になるほどに完璧であった為に、これを皆殺しにしたのも、この男なのだ。

 しかもこの男は、サラ達が倒された事を哀しんでいるのではなく、結果が自分の予測と違った事を驚いているに過ぎなかった。【革命の為の兵士】と呼んではいても、サラ達もまた、この男にとっては単なる研究成果の一部に過ぎないのだ。

「所詮は失敗作だらけだったという事か。良かろう! ワシ自ら、貴様らを取るに足らぬサンプルの一つとして列挙してくれるわ!」

 マシンガンで武装した【前】ナンバー9の複製兵士二十名をけしかけ、今また【PSY・ソルジャー】を投入し、そのどちらも倒されたというのに、ジルはまだそんな事を言って剣を抜き放つ。誰の目にも悪足掻き――年寄りの冷や水と見えたのだが――

「フン!」

 まだ数メートルの間合いを残したままジルが剣を横薙ぎに払うと、剣先から迸った【気】が刃となって走った。常人には見えない二条の刃を空側転でかわす龍麻。醍醐は小蒔とマリィを庇いつつ伏せ、京一は木刀で刃を相殺する。

「俺もやるぜ、龍麻! お前が何と言おうと、こいつにゃせめて一太刀食らわせなきゃ気が済まねェ!」

「同感だ! 今度ばかりは俺も腹に据えかねた!」

「ボクだって――許さないッ!」

 あんな子供達を実験に使い、兵士に仕立て上げ、更には【兄弟】同士で殺し合わせるという非道! 腹の底から怒りのオーラを滾らせ、京一と醍醐はそれぞれ左右に散り、ジルを攻囲する。小蒔は弓を引き絞り、【火龍】の【気】を矢に漲らせる。逃げ道はない。

 しかし、龍麻は――

「…俺の獲物だ。こいつには――死すら生温い」

 バキバキッと恐ろしい音を立てる龍麻の拳。【敵】を殲滅する時にも、深い部分ではクールであった彼の拳が殺意に彩られている。全身の傷など、問題ではない!

「――フン。良くぞ言ったものよ。欠陥品の殺戮機械風情が!」

 タン! とジルが床を蹴った。

「――ッッ!」

 思った以上に速い! 剣技そのものはフェンシングだが、そのスピードと切れはあの水岐を凌駕する。長年生体兵器の研究に勤しみ、【龍脈】の力にも目を付け、人工的な【神威】を創り出した男が、その成果を自分に施さぬなどという事があるだろうか? ジル・ローゼスは第三帝国の敗残兵ではなかった。今でも現役で闘っているネオナチの精鋭だったのだ。

 それでも、龍麻はそのような連中と闘うべく創られた戦士だ。そしてジルはスピードも膂力も常人の数倍を誇るとは言え、パワーでは醍醐に、【気】を込めた剣技は京一に、総合力では龍麻に遠く及ばなかった。

 真っ向上段からの打ち込みを、素手で握り止める龍麻。――挟み止めたのではない。片手で握り止めたのである。

「し、真剣白刃取り――」

 京一が呻く。――実戦で使用されるところなど初めて見たのだ。まして、こんな出鱈目なスタイルなど。

(う…動かん!?)

 一瞬でも剣に固執したのはジルの失策であった。否、たとえ刃を掴まれた瞬間に飛び退こうとしても、龍麻の攻撃から逃れる事はできなかったであろう。

「破ァァァッッ!!」

 龍麻のローキック一発で、ジルの右足がへし折れ、骨が肉を突き破って飛び出した。

「――ッグオオオッッ!!」

 床に倒れ込みながら、それでも腰のホルスターからワルサーP38を抜いたのはさすがと言うべきか? 

 ザン! と龍麻の拳が唸り、引き戻された拳の中から弾丸が零れ落ちた。そして、ジルの指も。――まるで手品のごとく、龍麻の手はワルサーごとジルの手をもぎ取ってしまったのだ。

「なあああッ!!?」

王手詰みチェックメイトだ、ジル・ローゼス」

 凶悪な笑いを浮かべつつ龍麻が右拳を大きく、弓を引き絞るように引く。

地獄の底で悪魔と踊れダンシン・ウィズ・デビルス・イン・ザ・ヘル!」

 パンッ! と音の壁を破る炸裂音を響かせ、龍麻の拳がジルの胸板に叩き込まれた。――音速拳。肋骨が粉砕される確かな手応え。衝撃波でジルの妄執の象徴――SS軍装が張り裂ける。

「――スコット! ウィリアムス!」

 続いて、天まで突上げるようなボディーブローを立て続けに二発。胃が裂け腸がちぎれ、粘っこい血がジルの口から吹き出す。

「アキラ! バレット! サンダース! ヘンドリック! ジョッシュ! ジム! ケイコ! ノーマン!」

 突きと蹴りの一発一発に込めたのは、失われた【仲間】への想いか。今の龍麻は【ナンバー9】としての戦闘力を引き出しながら、同時に本来の【緋勇龍麻】であり続けた。そして【緋勇龍麻】として培い、取り戻した想い全てを吐き出し、それをジルに叩き付ける。

「トニー! イワン! サラ! マリィ! ――受け取れ! レッドキャップスの分だ!」

「――ブギャアアアァァァッッ!!」

 ジルの胸板中央――壇中を捉えた龍麻の掌から膨大な気が爆発する。密着状態からの【螺旋掌】! 本来なら放射状に広がる気の衝撃波はジルの体内で爆発。ジルの肉体を爆発四散させた。

「うわッ!」

「キャアッ!」

 激しく飛び散る血と肉片を必死でかわす京一たち。しかしそれを全身で浴びた龍麻は、ぐっと拳を固めて天を仰いだ。そして束の間――立ち尽くす。

 仇を討った――そう考えているのではあるまいと、京一は思った。龍麻にとって【仲間】の死は【戦死】以外のなにものでもなく、敵に対して恨みや憎しみを育てるものでは有り得ない。

 しかし、本人がそれを意識できなくても、彼は仇を取ったのだ。ジルに抱いた強烈な殺意、ジルを殺せる事の喜び、そして、ジルを殺した今の虚無感――。龍麻がそれに答えを見出す為には、少し時間が必要だろう。

 だが今は、他にやるべき事もある。

「アオイ、アオイ――ッ!」

 人間一人をミンチに変える龍麻の凄まじさにも呑まれず、今は【力】も納めているマリィは葵が閉じ込められているカプセルの所に走り、小さな拳でガラスを力いっぱい叩いた。だが、これだけの戦闘の最中、傷一つ付かなかったカプセルである。もとよりその程度で壊れる筈も無い上、機械類も全て沈黙している。

 当初の目的を思い出したか、龍麻もカプセルに歩み寄る。左目の眼光は既に消えている。

「…相当頑丈なガラスだな。京一、お前に任せる」

「お、おうッ」

 龍麻や醍醐の打撃でもカプセルを壊す事はできようが、中の葵にまで危険が及ぶ。その点京一ならば、位置さえ注意すればガラスのみ切り裂く事が可能だ。京一は木刀を抜き打ちに構えた。危険のないように、小蒔とマリィは下がらせる。

「おい、京一。解ってるな? 中に美里がいるんだぞ」

「心配するな、醍醐。京一なら旨くやる。――失敗したら【オス○ル様】の刑だ」

「…絶対に失敗しねェ。――でやあッ!」

 気合一閃、京一の木刀が横薙ぎに走り、カプセルの底部を【気】の刃が輪切りにしてのけた。カプセル内に満たされていた生理食塩水が勢い良く吹き出し、支えを失って滑り出してくる葵を龍麻が受け止めた。慣れた手つきで葵の全身に取り付けられていたコードを外し、酸素マスクを取り除けると、葵がウウッと呻いて顔を顰める。

「葵ッ! 大丈夫!」

「アオイ! ――アオイ!!」

 小蒔とマリィが駆け寄り、葵に呼びかけると、葵はうっすらと目を開いた。そして彼女の目が最初に捉えたものは、前髪で目元が見えない、彼女が最も信頼する男の顔であった。

「…龍麻? 龍麻なの…?」

「そうだ」

 短く、簡潔なその声。夢ではない。

「龍麻…来てくれたのね…」

「肯定だ」

 まだ少し頭が朦朧としているのか、葵はうわ言のように続ける。

「私…とても恐かった…。でもきっと龍麻が…みんなが来てくれるって…」

「あまり喋るな。ゆっくり休め。――その前に、何か着ろ。風邪を引く」

「……………」

 脱ぎ捨てていたコートを葵に着せ掛ける龍麻。その行動が余りに堂々としているのと、先ほどのジルの断末魔が凄まじかったせいで一同すっかり失念していたのだが、何か実験されていた葵は今、全裸である。

 青褪めていた葵の顔が水銀柱のようにみるみる下から赤くなっていく。頭に血が昇り、顔から火が出るという古典的表現そのまま、実に分かり易い変化であった。そして急激に増した血流により、本来の性能を取り戻した葵の脳は自分の姿と龍麻を視覚に捉え、次の行動に相応しい指示を神経伝達させる。この間、実に〇・五秒。

「ッッキャアアアアッッ!!」



 バッチーン!!



 龍麻ほどの者でもかわせなかった葵の張手…もとい平手。龍麻の首が薬局にあるケロちゃんのようにカックンカックンと揺れる。京一と醍醐はあんぐりと口を開き、小蒔の目は点となった。

「……いきなり何をするのだ?」

 小蒔、再起動。

「――い、いきなりも何もないよッ! ひーちゃんもホラ! あっちに行く!」

「なぜだ?」

 頬に見事な手形を刻みつつ、いたって大真面目に聞く龍麻。改めて見ると、醍醐は顔を真っ赤にして後ろを向き、京一はだらしなく鼻の下を伸ばしているのに、龍麻の表情にまったく変化は見られない。朴念仁…どころの騒ぎではない。ここまで来るともはや壮絶ですらある。

「いいから! さっさとあっちを向く!」

「…なんだというのだ?」

 龍麻は首を傾げながら、それでも小蒔の剣幕に押されて京一たちの所まで行って葵たちに背を向けた。

「まったくひーちゃんってば…あれ? マリィ、それは…」

「これ…私の制服?」

「ウン!」

 今の一連のやり取りは解らずとも、葵が服を必要としている事は解ったのだろう。マリィは畳んで保管しておいた葵のセーラー服を差し出した。

「アリガト、マリィ。さ、早く葵も服着ちゃいなよ。あ、男ども! 絶対にこっち振り向いちゃ駄目だからね! 特に京一!」

「ンだよ…。いいじゃねェか、別に。減るもんじゃあるめェし」

 ひーちゃんはバッチリ見たじゃねェか、とブツブツ文句を垂れる京一。

「君が見たら減るんだよッ!」

「ほお――ほっほ。面白ェ。な〜にが減るのか言ってもらおうじゃねェか」

 ちゃんと見た龍麻が文句を言われていないのに、なぜ自分だけ名指しされなきゃならんのだと、京一は小蒔に絡む。

「ま、お前なんか減ろうにも減る所がねェもんな――って、痛ゥ――ッッ!!」

 猛然と襲い掛かった小蒔の鉄拳制裁と何気なく落とした醍醐の鉄槌を同時に食らい、撃沈する京一。

「――なんなんだ! その絶妙なコンビネーションはァ!」

「…斎藤清六風に言うと、なんなんなんだ」

 どうやら龍麻も完全に通常モードに戻ったらしい。京一に止めを刺す。

 しかし、クスクスッと笑い声が聞こえ、京一がはた、と動きを止めた。

「おっ!? ――へェ、おチビちゃん、スッゲェ良い顔で笑うじゃねェか」

「……」

「あーっ、あーっ! 変な意味じゃねェって」

 手を振って愛想笑いを浮かべる京一の頭を、再度小蒔がゴツンと叩く。

「アホ! そんな乱暴な言い方するからだろッ!」

 いつものようにぎゃあぎゃあ言い合いを始める二人。そのやり取りに、今度はマリィも屈託なく笑顔を見せた。

「マリィ、楽しいという事が解ったかい?」

「ウン!」

 床に膝を付き、目線を合わせて言う龍麻に元気良く肯くマリィ。先ほどまでなら信じられないほど快活である。――度重なる薬物投与でも消せなかった彼女本来の優しさが押さえていた、強大な破壊の【力】。葵が道を付け、龍麻に導かれた【人】の心のままに、護るべき闘いにそれを向けた時、マリィは自分の真の【力】に目覚めたのだ。それも【四神】の一つ――【朱雀】の【力】に。

「そうか。…サラたちにも早く教えてあげなくてはな」

「ミンナ…大丈夫ナノ?」

 龍麻の言葉に、京一、醍醐、小蒔がさっと緊張して、倒れているサラ達を見た。

 三人とも、龍麻の激しい技を食らって、てっきり死んだと思っていた。しかしどうやらあのぎりぎりの状況で、龍麻は手加減したらしい。

「…レッドキャップスの行動が軍上層部の意に沿わなくなってきた時、ナンバー14以降の完成体には反抗させぬ為のマイクロチップを視床下部に埋め込むようになった。危険な賭けではあったが、チップさえ破壊すれば、後は時間をかけて洗脳を解けば良い。殺さずに済んで良かった…」

 珍しくほっと息を付いているという事は、本心からのことだろう。

「…とんでもない事をしてのけるな、龍麻は…」

「だから俺たちにやらせなかったのか。ま、そういう事ならしゃあねェよな」

「いや、お前たちがいてくれればこそできた事だ。――ところで葵――ッッ!?」

 何気なく振り向こうとした龍麻の耳元を、小蒔の放った矢が凄い勢いで走り抜けていった。どうやら葵はまだ着替え中らしい。

「――マリア先生はどうした?」

「あ――ッ、そう言えば!」

 小蒔が声を上げ、京一も醍醐も顔を見合わせる。葵の救出はもちろんだが、担任のマリアも放っておく訳には行かないのだ。

「私が連れ出された時もマリア先生は残されたから…ひょっとするとまだ地下にいるかも…」

「地下ァ!? まだ下があるのかよ」

 ただでさえ圧迫感のある建物の地下である。このような息苦しさは京一の性格に合わないのだ。

「文句を言ってる場合か。それじゃ皆で――」

「あっ…」

 ふら、と倒れ掛かり、慌てて近くの机にもたれかかる葵。

「――という訳にはいかんな。龍麻、俺と京一が地下を見てくる」

「うむ。任せる」

 龍麻の前で、背伸びしたマリィが手を上げる。

「タツマ! マリィ案内デキルヨ!」

「そうか。気を付けていけ。京一と醍醐の傍を離れるな」

 自分達には未だ向けた事の無い龍麻の優しい口調に、葵の眉がムム、と寄る。

「…ひーちゃんって女性不感症の上に、ロリコンか?」

 ボソ、と京一が呟いた次の瞬間、龍麻の【掌底・発剄】がとっさに伏せた京一の顔面を掠めて飛んだ。

「さっさと行け…!」

 それこそ、地獄の底からでも響いてくるような龍麻の声である。京一だけでなく、なぜか隣の醍醐まで固まってしまったほどだ。【ロリコン】は彼にとって地雷なのか?

「よ、よっしゃ、おチビちゃ――じゃねェ、マリィ、案内頼むぜ」

「ウン!」

 純真なマリィには今の龍麻の迫力が分からない。龍麻の威圧感は人を選ぶのである。

 三人が出て行ってから、龍麻は葵にソファーで休むように指示し、サラ、イワン、トニーを別のソファーに横たえて応急処置を施した。急所を的確に捉えたので後遺症が出る事はなさそうだが、問題は磁界発生装置による肉体への負担と、薬物投与の悪影響だ。あとは洗脳が解けるのにどれだけ時間がかかる事か…。

「ひーちゃん…。さっきその子達のコト、兄弟だって言ってたけど…?」

「…肯定だ。見ての通り、我々はどこかから誘拐され、あるいは【造られた】者だ。しかし、兄弟と呼ぶ事に違和感はない」

 恐らく、龍麻の言う通りであろう。ある日突然、親元から引き離され、あるいは親の顔も知らぬ子供たちが誘拐されて集められ、人殺しの訓練だけをやらされる。その過程で記憶を奪われ、洗脳され、無感情な殺戮機械へと変貌させられる。――とても恐ろしい事だ。そんな状態になった事のない葵達でさえそう思うのだから、当事者となった子供たちの恐怖はいかばかりか。そのような環境下で、似たような境遇に置かれた子供たちが身を寄せ合うのは、むしろ当然であったかもしれない。ほんの僅か、心温まる時間を過ごしたというだけで、既にPSY・ソルジャーとして扱われていた彼らが龍麻と闘う事を拒否してしまうほどに。

「許せないよ…こんな小さな子達に…! マリィの言う通りだとしたらこの子達も、僕たちと二、三歳しか違わないんでしょう?」

「超大国のエゴの犠牲になるのは、いつでも力のない者だ。だが、彼らは救える。投与した薬物のデータがあれば対抗措置を取る事も可能だし、俺の体内にもナンバー13が残してくれた成長因子がある」

 実験室のコンピュータはあらかた壊れてしまったが、ここはあくまで計測器を置いてあるに過ぎない。この学園のどこかに膨大なデータを集積したメインコンピュータがある筈だと龍麻は言った。そして技師がレポート作成にでも使っていたであろう、破壊を免れたラップトップ型パソコンをケーブルに接続、メインコンピュータへのアクセスを試みる。するとメインコンピュータの機能はまだ生きているものの、やはりアクセス・コードを解析しないとデータが取り出せない事が分かった。

「物理的にデータを取り出して、後で解析するしかないな」

 そう言って龍麻がパソコンのモニターを畳もうとした時であった。

 ふらふらと立ち上がるトニーの姿がモニターに映る。

「敵ハ…殺セ!」

「危ない龍麻!」

 とっさに龍麻を庇って飛び出す葵。龍麻は反射的に【掌底・発剄】を放とうとして、途中で止めた。――トニーは自らの意思で攻撃ポイントを捻じ曲げ、そこで力尽きて今度こそ完全に昏倒したのである。

「…無事か? 葵」

「え、ええ…」

 とっさに飛び出したものの、トニーが狙いを逸らしたので、引っ込みが付かなくなってしまった葵。何しろ龍麻を思いっきり押し倒してしまい、完全に覆い被さる形になって、彼の顔はほんの数センチしか離れていないのだ。

「あ、葵! 大丈夫!? ひーちゃんも! ――コイツ! よくも…!」

「やめて小蒔! その子が悪い訳じゃないわ!」

 別に渡りに船という訳ではないだろうが、弾かれるように身を起こす葵。多少なりと【惜しい】という感情があっても、この場合は葵を責められまい。そして実際、葵も随分と傷付いていたのだ。身体よりも、心の方が。

「ごめんね…。私…また何もしてあげられない…」

 葵は苦悶の表情のまま昏倒しているトニーを抱き上げる。この子とてこんな【力】を持ちたくて持った訳ではない。それどころか、親からも家庭からも引き離され、人工的に【力】を背負わされた。葵達の【力】は【龍脈】によって選ばれた者に授けられたものであるが、彼らのような、国家のエゴや歪んだ思想の犠牲者を救う事まではできないのだ。

 しかし――

「葵、また敗北主義に陥る気か?」

「え?」

 聞きようによっては酷く冷たい言葉。しかし既に葵達は、龍麻が重要な事を言う時はこんな声を出すと知っている。

「我々は、未だ何者でもない。国や思想そのものを相手にするには、彼らをして無視できない存在になる必要がある。――立ち向かう前から諦めるな。そして今、葵はマリィを救ったではないか。今の気持ちを忘れなければ、いつか、今とは違う強い存在になり得る。今、一人を救った事を誇りに思え。それがいずれ、万人を救う力となる」

 龍麻はトニーを見、次いでサラに、イワンに視線を向ける。

「彼らも、救われない魂の持ち主だ。だが、決して弱い訳ではない。――俺はお前たちと知り合う事でここまで来た。彼らも同じだ。時間はかかっても、人間を取り戻す」

「……はい!」

 【それ】を言うがごとく行ってきた龍麻の言葉は、やはり絶大な説得力があった。心を縛られ、人工的に【力】を植え付けられたとは言え、三人とももとはれっきとした【人間】である。そしてどのような環境下で育ったにせよ、それは彼らの血となり肉となっている筈だ。後は進むべき道さえ間違わなければ、彼らは明らかに一般人よりも強く、心豊かな【人間】となるだろう。――龍麻がそうであるように。

「しかし、なぜトニーは急に動いた? チップの破壊は完全だった。後は直属の上官が命令しない限り、攻撃行動には出ない。まだ何か妙な暗示かチップを組み込まれているのだろうか…?」

 龍麻が首を捻った時、京一、醍醐、マリィが実験室に帰ってきた。

「ひーちゃん! 地下には誰もいなかったぜ!」

「自力で脱出したという雰囲気でもなかった。もしかすると、ここの誰かが連れ出したのかも知れん」

 そう言えば、と葵が言葉を継ぐ。

「私たちが攫われてきた時、マリア先生はその場で殺されそうになったの。でもそこの女の子が何か助言したら、後で研究するって…」

 それを聞いた龍麻の顔が急に険しくなった。肩で風を切り、先ほどミンチに変えたジルの残骸へと近付く。その中に、半分以上消失したジルの頭があった。どこから見ても本人だが、しかしその頭骨に納まっていたのは脳ばかりではなかった。

「…こいつ、複製ダミーだ」

「え?」

「死蝋も自分の複製ダミーを何人か用意していた。迂闊だった。この臆病者が自ら何か行動するなど有り得ない。――マリィ、ジルが逃げるとしたらどこに向かう?」

 マリィは肩のメフィスト共々ちょっと首を傾げて考える。

「ジル様ハ…出掛ケル時ハ屋上ノヘリポートヲ使ウヨ」

「ヘリポート!? ボランティアを利用して儲けた金でそんなものまで! よくよく根性の腐りきったジジイだぜ!」

 京一の悪罵を聞きながら、龍麻は倒れている複製兵士からモーゼルを奪い取り、十発入りの弾倉も取り上げてポケットに入れた。更に、この狭い空間では使われる事のなかった軽機関銃を見つけ、迷う事なく手にした。旧ドイツの工業力を具現した最強の軽機関銃MG34を更に生産性、機能性を向上させたモデル、MG(マシーネンゲベアー)42を。

「行くぞ。今ならまだ追いつく」

 五〇発入りのドラムマガジンをMG42にセットし、コッキング・ボルトを引く。今まで使用してきた自動小銃とは桁違いの迫力だ。それが龍麻に装備された時、京一たちはただでさえ大きく見える龍麻の姿が倍にも巨大化して見えた。

「マリィモ、マリィモ行ク! 一緒ニ連レテッテ!」

「うむ。しかし、危ないから俺や葵達の言う事を守るのだぞ」

「ウン!」

 龍麻に頭を撫でられ、満面の笑みを浮かべるマリィ。ちょっとばかりマリィに嫉妬してしまう葵がそこにいた。

(やれやれ、うちの女性陣にもそんな言葉くらいかけてやりゃあいいのに。――本当にロリコンか?)

 その途端、京一の頭にガン! とMGの銃身が当たった。

「いってー! 何しやがんだ、ひーちゃん!」

「…お前が何か馬鹿な事を言ったような気がしたのだ。さっさと殿しんがりに付け。小蒔は葵とマリィのサポート。醍醐、三人をガードしろ。――行くぞ」

 以前にも似たような状況で殴られた事のある京一は、恨みがましい目を彼に向けたものの、それ以上は何も言えなかったし、考えられなかった。どうやら龍麻は、自分に対する悪口に関しては心の声まで聞こえるらしい。――女性陣の魂の叫びは聞こえないくせに。

「…またなにか考えているな?」

「いや! 別に! さあ、さっさとマリア先生を助けようぜ!」

 内心ビビリまくりながら、隊列の殿に付く京一であった。









 第拾弐話 魔人 3    完



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