第拾弐話 魔人 4





 
 龍麻は【間に合う】と言ったものの、正直な所、京一たちはその言葉に半信半疑であった。二十名以上の複製兵士と自慢のPSY・ソルジャーを倒されたジルがいつまでもここに残っているだろうか? しかしそんな疑問も、ヘリポートへと向かう階段にジェラルミンケースを抱え、マリアを連れたジルの姿を見つけるまでの事だった。戦況不利と見るやジルの本体は脱出の意を固めたが、蓄積したデータを放棄するような気はさらさらなかったのだ。マリアを連れて行ったのは、龍麻たちに追いつかれた時の保険であった。

 果たして、龍麻たちがジルに追いついたのは、屋上までほんの十数段という踊り場であった。既にヘリコプターがローターの唸りを離陸寸前まで高めている。あと二分も遅れればまずい事態になっていたが、龍麻はジルを追い詰める事に成功した。

 ジルに付き従っていた二人のダークスーツがMP40を龍麻らに向ける。しかし、龍麻の手が動いたとも見えぬ内に銃声が鳴り響き、ダークスーツの頭部は血と脳漿を吹き上げ、手すりを乗り越えて階下へと落下して行く。

「チェックメイトだ。ジル・ローゼス。先生を放せ。そうすれば即座に殺してやる」

 なぶり殺しは止めてやる、というだけの、龍麻の抹殺宣言であった。しかしそれに異を唱えたのは誰あろう、人質のマリアであった。

「あなたたちッ! 早くお逃げなさい!」

「何言ってんだよマリアセンセ一! そんな奴さくっと片付けてやるぜ!」

「そうだよッ! マリア先生を見捨てて逃げるなんて――!」

「聞きなさい! ――この建物には大量の爆薬が仕掛けられているのよ! 爆発まで後十五分もない――私の事はいいから、早く逃げて!」

 こんな時にまで自分達の事を心配するマリアに、葵達は目頭が熱くなる。しかしそれも、ジルが勝ち誇ったような言葉を継ぐまでだった。

「ハァーハッハッハ! ワシの崇高な研究を愚民どもに暴かれる訳にはいかんからな。さあ、ナンバー9! この女の命が惜しければ、銃を捨てろ!」

「……」

 マリアの後頭部にワルサーが押し付けられ、龍麻の手の中でモーゼルの銃口が揺れる。

「ヤロウ…どこまでも汚ねェ…!」

「なんとでも言うが良いわ。ワシはこんな所で捕まる訳にはいかぬ。ワシの頭脳とこの研究資料があれば受け入れてくれる国など幾らでもある。そしてわしは必ずや遂に総統フューラーが果たせなかった夢――千年王国ミレニアム・オブ・エンパイアを実現させてくれるわ」

 それは事実であろう。その妄想に至るまで。

 二度の大戦を経験してなお、納まる事のない民族対立や紛争。大規模な戦闘こそ各国の努力によってかろうじて押さえられているが、先の湾岸戦争を見るように、現在の世界情勢は正に砂上の楼閣、砂漠の朝露のごとく頼りないものだ。

 しかし、その混乱を歓迎する国家が、組織が、世界には確実に存在する。主要各国に対する莫大な負債を抱える国、経済的に豊かでありながら国際政治で発言力が弱い事に不満を持つ第三世界の国家、排他的な軍事政権もこれに含まれる。

 更に、テロ組織やあらゆる種類の犯罪組織。国家転覆を狙い、あわよくば自分達が成り代わろうとする者たち。もっと酷いのになると、ただ金の為に意図的に戦争を起こす営利団体…軍産複合体が存在する。超大国にとって、戦争は金の生る木であり、テロとの闘争は自分が絶対正義であるというアピールにも繋がる。逆に言えば、戦争反対を唱えながら、戦争を望まない国は存在しないと言っても過言ではないのだ。

 そんな国家や組織が、ジルを放っておく筈がない。たった一人の【神威】は、使いようによっては核をも凌ぐ攻撃力を生むのだ。そして既に実用レベルに達した【神威】が三人生まれた以上、データさえあれば無数の【力あるもの】を生産できる。千人からの【神威】から構成された戦闘団カンプグルツペは核の炎に拠らず世界を焼き尽くす事もできるだろう。

「その為には…美里葵。ワシと来るのだ。そうすればこの女は解放してやろう」

「なんだとッ!?」

 醍醐が吠えるが、ジルは威嚇するようにワルサーの銃口をマリアの後頭部にゴリゴリと押し付ける。マリアの顔が苦痛に歪み、それを見ていた葵は思わずジルの言葉に従いそうになる。

「駄目よ! 美里さんッ!」

「いいや、来るのだ。もう猶予はないぞ」

 葵のデータは入手したが、やはりサンプルがあるに越した事はない。葵一人いれば、他の兵士も用済みだとジルは考えていた。今は煮え湯を飲まされようとも、ナンバー9はPSY・ソルジャー完成体で始末できるとも。

 しかし、葵の前に手が差し出され、彼女を止めた。

「…ッ龍麻!?」

「貴様…ナンバー9! 邪魔をするかッ! この女がどうなっても良いと…!」

「Sirence!」
(黙れ!)

 龍麻は怒りを滲ませた声で怒鳴った。

「黙って聞いていればべらべらと。――ジル・ローゼス! 俺が何者か忘れたか? 俺は、レッドキャップス・ナンバー9! 緋勇龍麻!」

 ジャキリ! と音を立てて構えられたのは、一二三〇ミリもの全長を誇る大口径軽機関銃MG42! まさか龍麻は、マリアごと――!!? 

「き、貴様――ッッ!!」

「た、龍麻! 止め――ッッ!!」



 ――ドガガガガガガガガガガガガッッ!!!



 かつて大戦中に【電動ノコギリ】と称されたMGの咆哮! その場にいた一同はその落雷をまとめて食らったような銃声だけで叩き伏せられた。しかし弾丸はジルの傍らを通り過ぎ、その向こうで待機中のヘリに襲い掛かった。

 厚さ五ミリのジェラルミンなど、航空機をも撃墜するMGの前には紙も同然だ。たちまちヘリの後部ローターが消し飛び、次いでコクピットに大穴が空き、血飛沫が奔騰した。メインローターを駆動しているエンジンの中でも大口径弾が跳ね回り、揚力バランスを崩したヘリは大きく横滑りし、屋上のフェンスを突き破って地上に落下、航空燃料ケロシンに引火し、爆発炎上した。

「これで、貴様も逃げられん」

 弾丸の尽きたドラムマガジンを捨て、龍麻は肩にかけていた弾帯をセット、コッキング・ボルトを引く。そして今度こそMGの銃口をジルに向ける。

「ききき、貴様ァァッッ!」

 この緋勇龍麻――レッドキャップスを自分で創り出した事を、ジルは失念していたに違いない。レッドキャップスに与えられた至上命令――【人質の生死に関わらず、テロリストを完全殲滅せよ】。

 だが怒りにジルが我を忘れた時、紅蓮の炎の塊が彼を襲った。

「Fire!」

 右腕を中心に上半身にまで広がった炎に怯むジル。ワルサーが放り出され、マリアはその隙を逃がさず龍麻たちのもとに駆け寄って脱出を果たした。

 これほどまでにタイミング良く炎を放ったのは、あろう事かマリィであった。京一や醍醐さえもMGの発射音に気死してしまった中、彼女だけは冷静に状況判断していたのだ。それは皮肉にも、彼女が叩き込まれていた戦闘訓練の賜物であった。しかしマリィは殺戮機械としてではなく、一人の人間として、今の自分を受け入れた。そして、忌避していた【力】を怖れることなく放ち、このピンチを打開する事に成功したのである。

「おのれ! 【20】!」

 怒りと憎悪にたぎる視線をマリィに叩き付けるジル。しかしそれをあっさりと無視し、マリィはにっこりと龍麻に笑いかけた。龍麻も、貴重な例の笑顔でマリィに応える。

「良くやったぞ、マリィ。後は俺に任せろ。それと、一応向こうを向いているのだ」

 言われた通り、マリィはジルから顔を背ける。先ほどは怒りと戦闘機械としての闘争本能でジルの複製をミンチに変えた龍麻だが、今の彼はジルの死に様をマリィに見せてはならないと感じた。どれほど虐げられ、実験材料にされ、過酷な運命を背負わされたとしても、ジルは彼女にとって育ての親なのだ。

 つい、と上がるMGの銃口。ジルの顔が派手に引き攣った。その時――!

「…無様ですね。ジル・ローゼス」

 柔らかく落ち着いた、しかし陰惨な響きをも兼ね備える声が、階段の上から降ってきた。

 そこにいたのは、既に彼らにとって不倶戴天の敵となってしまった、鬼面の男。

「鬼道衆か」

 龍麻の低い呟きに呼応し、京一も醍醐も構えを取り直す。

はつのおつかまつる。――我が名は鬼道五人衆が一人、雷角らいかく

 今までの五人衆のように殺気や妄執に塗れていない、落ち着いた物腰で雷角は名乗った。【陰】の気は恐ろしく強いが、殺気は見事なくらい押え込まれている。体格は風角ふうかくと同程度で、余り強そうには見えない。

 しかし、こういうのが危ない。これまでの五人衆はいずれも人間離れした、正に鬼であったのだ。あの連中と肩を並べる以上、この雷角もまた超絶の【力】を有しているという事になる。

「やっぱりテメエらが裏で糸を引いてやがったか!」

 ジルは龍麻に任せ、鬼面の男に悪罵を投げ付ける京一。しかし雷角はやんわりと無視し、ジルを冷ややかに見下ろした。

「ら、雷角! 助けてくれッ! こやつは…こやつは…!」

 階段の手すりに背中を押しつけ、なおも後じさろうと足掻くジルに、雷角は肩を竦めてみせた。

「ジル…。莫大な資金を湯水のように使い、何百何千にも及ぶ子供たちを殺してきた貴方…。その結果がこれですか?」

 その言葉に嫌悪感よりも軽蔑が強かった事が、雷角が鬼である証だろう。しかし、僅かでも嫌悪感が混じるという事は、この雷角は鬼としては不完全なのか? 

「そんな事を言っている場合かッ! お前たちの兵士――忍者達もワシがこしらえたのだ! ワシを救うのは当然の事ではないか!」

 ここで見捨てられたら、確実にジルは龍麻に殺される。それだけにジルは必死だった。自分の価値を認めればこそ、鬼道衆も手を結んだのだ。その自分を、鬼道衆が切り捨てる筈はない。自分がいなくなれば、鬼道衆は手下となって働く忍者達を創る事ができなくなるのだ。それは鬼道衆の今後を左右する重大事の筈だ。

 しかし雷角は、無情にも言い放った。

「何をおっしゃる。我らには出来損ないの二級品ばかりを掴ませておいて、ご自慢の兵士はどうなさいました? そもそも、御屋形様を裏切った貴方が私に助けを求めるなど、筋違いではありませんか。私は貴方を、処分する為に来たのですよ?」

「な、何を…ッ!」

「あなたの作った兵士を使えるようにする為に、随分と予算も時間も投資しましたよ。――ですが先程全てのデータを頂きました。もはや我らにとって貴方は無価値なのです。しかしここまで来てなお生にしがみ付きたいと言うのであれば、そのための【力】を授けましょう…」

 そして雷角は、槍を天に掲げた。

「ま、まさかッ!? 雷角! 止めてくれ!!」

「その身の奥底にとぐろ巻く、怒り、恨み、憎しみ、憤りを開放なさい――変生せよ、ジル・ローゼス」

 ジルを中心に爆発的に膨れ上がる【陰】の気。

『――うじたかれこころきて、かしらには大雷おおいかずちり、胸には火雷ほのいかずち居り、腹には黒雷くろいかずち居り…』

「あ、頭が割れる…! 熱い…! 熱い!!」

 自分の首を引き抜くような勢いで頭を抱え、床に膝を付くジル。雷角の唱える呪と共に身体の深奥から込み上げる熱気を堪えきれず、彼自身のおぞましい妄執の象徴――SS軍装をかきむしる。貧相な胸板がみるみる盛り上がり、胸毛が濃くそそり立って獣毛と化す。この現象は…。

「こいつも…鬼に…!」

 醍醐は目の前の光景に佐久間の姿をダブらせ、吐き気を覚えたが、それを食い止めようという気持ちを覚える事は遂になかった。

 龍麻もまた、MGの引き金を引く事なく、ジルの変貌して行く様を見据えている。

 彼は以前、言っていた。【手段の為には目的を選ばない】という救いようのない輩が存在すると。このジルは、正にそれであった。【最後の大隊ラスト・バタリオン】、【千年王国ミレニアム・オブ・エンパイア】、【第三帝国の復活】などという幻想の為に何百何千という子供たちを殺し、一方ではレッドキャップスを創り出し、そのデータをもとに【神威】を創り出し、やがては無敵の軍隊を創り上げようとした。それは闘争の為の闘争、戦争の為の戦争だ。戦争がしたい為に強力な【力】を求め、強力な【力】を試したいが為に戦争を起こす。――人の皮を被った鬼が本来の姿に戻るだけなのに、止める理由などなかったのである。

「…良い姿ですね、ジル」

 冷ややかな声で、恐ろしくブラックな事を言う雷角。

「さて、あなた方はいかがなされます? 私の方は仲間たちを倒されてあなた方に些少ながら怨みもあります。そしてあなた方も私を前にしてこのまま帰るという選択はないかに思われますが?」

「…テロリストは殲滅する。それが俺の任務だ」

「フ…そう言うと思っていましたよ。――屋上においでなさい。このような狭い所ではあなた方も闘いにくいでしょう。お待ちしていますよ」

 そして雷角は、ふわっと姿を消した。ジルも金色の毛を逆立てながら階段をのろのろと上って行く。そこにはかつて人間であった証など何一つなかった。地獄こそ相応しい、異形のものがいるだけであった。

「…全員、準備は良いか?」

 龍麻の言葉に、全員が応ッ! と答える。

「あれが鬼道衆最後の一人だ。そして今までにないタイプだ。気を入れてかかれ。五分以内に片付けるぞ。――マリア先生。この場は我々に任せて、脱出してください」

「な、何を言うの龍麻君! 教え子のあなた達だけを危険な目に遭わせる訳には…!」

「――極めて重要なお願いがあります。マリア先生、地下の実験室から三人の子供を救出してください。先生も面識のある子供たちですが、もはや危険はありません。学院外脱出後、直ちに彼らを桜ヶ丘中央病院に搬送をお願いします。――以上!」

 龍麻は敬礼し、鋭く肩で風を切った。

「センセー、あの餓鬼どもの事、ヨロシク! なんたって、ひーちゃんの兄弟だからよッ」

「先生、俺たちは大丈夫です」

「すぐに戻るからさッ」

「先生も気を付けて…」

 口々に言って階段を上って行く教え子達に、もはや彼らを止める手だてはないと知ったか、マリアは励ましの言葉を贈った。

「いいこと! 必ず皆無事に戻るのよ!」

 全員の姿を呑み込んだ屋上の縁から、ひょいと手が突き出される。龍麻の手だ。それは、拳を握って親指を立てていた。意味は――【幸運をグッドラック

「本当に…気を付けて…!」

 そう呟き、マリアは振り返って階段を駆け降り始めた。

 爆発まで――後十分。











 MGを抱えた龍麻を先頭に、一同は屋上で雷角とジル、そして雷角配下の鬼道衆忍軍と対峙した。

 龍麻と京一、醍醐はデルタ・フォーメーション…攻性陣形のトライアングルとは逆のフォーメーションを取る。京一と醍醐を左右に突出させ、一番攻撃力のある龍麻が後衛の葵達を護る防御型陣形。普段はあまり取らないフォーメーションを組んだのは、ひとえに敵との物量差が原因であった。

 ヘリポートとして使用するだけあって、屋上はかなり広く、給水タンクやエア・コンディショナーの排気設備も縁の方にまとめられている。その、遮蔽物の一切ない開けた空間に、実に五十人近い忍群が展開しているのである。武装は雷角と同じ二間の長槍。しかも一人一人がかなりの遣い手だ。先日の中央公園に群れていた忍群とは格が違う。――元々、ジルとその兵士を始末するために送り込まれた精鋭なのだ。

「へへッ。五分じゃチイッとばかりきつくないか、ひーちゃん?」

 不敵に笑いつつも、木刀を握る手に力が込もっているのが解る京一。一般的に言う【剣道三倍段】は、素手対剣の不利を表す言葉だが、同様に剣対槍でも剣士が槍士の三倍の力量を以って対等と言われている。武器の間合いとはそれほど重要なのだ。ましてこのような地形で槍を構えた部隊の有効性は、ギリシャ・ローマ時代の重装歩兵ファランクスが証明済みだ。

 そして現実に、鬼道衆忍軍は槍を水平に前に突き出し、見事に横並びになる。かといってその間隔には偏りもなければ、攻撃を受けた際にまとめてやられてしまわないだけの余裕も持たせている。

「クッ…物量で押しつぶす気か…!」

 誰が見ても、今までにない絶体絶命状態である。目の前の忍群ばかりではない。後方には変生したジルに加え、鬼道五人衆の一人、雷角がいる。それに対してこちらは真神の五人にマリィを加えたたった六人。おまけに龍麻は敵から奪った銃しか持っておらず、弾数もたかが知れている。普段は【戦闘に銃を使うとは…】と口を酸っぱくしている醍醐も、この時ばかりは考えを改めざるを得なかった。フル装備の龍麻なら忍者が百や二百いても問題にしないからだ。

 しかも――

「さて、どうするか見せていただきましょうか」

 雷角がさっと手を振ると、鬼道衆忍軍が上忍一、中忍四の分隊で四隊、ダイヤモンド・フォーメーションを組む。開けた地形における地上戦で取られるフォーメーションの一つだ。火力があり、しかし数の少ない敵を分断、包囲して攻撃する、殲滅戦の形である。後詰めの六分隊はそのまま待機。龍麻たちの攻撃力を分析した上で、攻撃隊の陣形を抜けてきた場合を想定している。

 つまり雷角には、集団戦闘のノウハウがあるという事だ。これまでのような散発的なゲリラ戦を挑んでくるのとは訳が違う。いくら戦闘力で上回っていても、中忍以上の敵が中距離間合いで同時に襲い掛かってきては、いかに【力】を有する【神威】とてひとたまりもないであろう。

「いかがです? 今まで私の仲間を屠って来られたのは、彼らが戦術を駆使する事がなかったからです。相手の戦力を侮り、戦力を出し惜しみするなど笑止千万。しかし彼らとて私の仲間。あなたがたを送って差し上げましょう」

 ザッ、ザッ、ザッ! 一糸たりとて乱れぬ隊列で、忍者軍団が迫る。待ち受けていれば呑み込まれ、こちらから切り込んでいってもやはり呑み込まれる、完璧な布陣だった。普段は龍麻に指示を任せっぱなしの京一たちだが、この時ばかりは状況を見て歯噛みする。

「…こうなりゃ玉砕覚悟か。なあ、ひーちゃん?」

「俺も、最後まで付き合うぞ」

 悲壮な覚悟を決め、左右に分かれようとする京一と醍醐。しかし、龍麻はそんな彼らを片手を上げて押し留めた。そして自らは一歩前に出る。自らフォーメーションを崩して、気負いも何もない。

「雷角と言ったか? 貴様らのトップはどこにいる?」

「!?」

 すぐそこにまで迫った忍者軍団を前に、なぜそんな事を!? この言葉には雷角のみならず、京一たちでさえ驚いた。それは今までの――いや、さっきまでの龍麻ではない。仲間を第一に考える龍麻が、目の前の敵を無視した事など今までなかった事だ。しかし今の龍麻は既にこの戦いではなく、雷角のさらに背後、鬼道衆の頭目に目を向けている。

「この期に及んで、出る言葉がそれですか? それを知ったところで、あなたは御屋形様の所には行けないのですよ」

「それはお前の知った事ではない。お前はここで死ぬ。せめて遺言を残すがいい」

「…あなたは自信過剰が過ぎますね。自分に不可能はないと思い込んでいる。状況もわきまえない傲慢はいただけません。まあ、少なくとも権力の亡者である幕府の屑どもよりはマシですか。少なくとも、貴方は自ら戦いの場に出ているのですからね」

「鬼が説教とは笑わせる。所詮、命令がなければ動けぬ木偶人形。聞くだけ無駄だったな」

「…哀れな人です。それだけの【力】を持ちながら、人間などに味方するとは」

「貴様もな。鬼になどならなければ、俺に殲滅される事もなかった」

「…死になさい」

 ザザッ!

 舌戦は終了。忍者軍団が一斉に動いた。











「龍麻!」

 葵が悲鳴のような声を上げる。龍麻は――動かない!? いや、片手を上げて、誰一人動かぬように指示する。

 次の瞬間、屋上が爆発し、忍者が一分隊まとめて吹き飛ばされた。

「なッ――!?」



 ヒュルルルル―――――!



 曇り空を切り裂いて、何かが飛来してくる。それが屋上に触れた瞬間、閃光を発して爆発する。避ける間もなく、五体をバラバラに吹っ飛ばされる忍者たち。

「ろ、ロケット弾!? まさか、龍麻!?」

 醍醐の驚愕の顔に、龍麻は左腕を上げて見せた。各種機能を詰め込んだ多機能ウォッチ。つまり既に龍麻は、何者かと連絡を取り合っていたのだ。そして彼は空を指差した。











「YYYYEEEEEYYYAAA―――――!!」

 爆発と黒煙に包まれるローゼンクロイツ学園屋上を見ながら、アラン蔵人は心底楽しそうな声を張り上げた。

「ヘイ紫暮! じゃんじゃん持ってくるネ!」

「応ッ!」

 空になった筒を投げ捨てるアランに、紫暮は両手一杯に抱えているずんぐりした弾頭を付けたロケット弾を差し出した。

「右に二度。上方三度修正」

「OK! ヒスーイ!」

 双眼鏡を覗いている如月の指示に従い、アランはロケット弾…パンツァーファウストを発射した。細い煙を引いて飛んでいったロケット弾頭は鬼道衆の忍者軍団の真ん中で爆発、五、六人まとめて吹き飛ばした。

 彼らこそ、龍麻が言っていた【保険】であった。ローゼンクロイツ学園に銃器を持ち込む事が出来ないと判断した龍麻は、事あるを予期して如月たちに連絡を取っておいたのである。そして事前に調べておいた、ローゼンクロイツ学園に対して有効な狙撃ポイントとなるビルの屋上に彼らを待機させておいたのだ。本来は何か騒ぎになった時、ここから狙撃させて敵の混乱を誘うつもりであったのだが、ジルが脱出にヘリを使うと解った時点で直接支援の指示を与えたのである。もちろん、砲撃は龍麻の合図があってからだ。

「よし! 忍者はあらかた片付いた」

「OK! 支援サポートに行くネ!」

「こっちは準備OKだぜ! ――お先に!」

 得意の槍と胸前の手すりをまとめて握り、雨紋はビルの屋上から空中へと躍り出た。

 黒い翼が風をはらみ、雨紋を空に舞わせる。僅かに遅れて如月、アランも同形の翼を広げ、炎に包まれたローゼンクロイツ学園屋上を目指して飛んだ。

 彼らが使ったのは軍事用モーター・グライダーであった。SEALSなどが夜間の隠密作戦で敵地に空から乗り込む時に使用するもので、操縦型パラシュート、ラムエア・キャノピーよりスピードも機動性もある。漆黒の翼はレーダー波を反射するステルス素材を塗布され、闇夜で使用された場合、探知するのは非常に困難となる。唯一欠点があるとすれば、使いこなすにはかなりの訓練が必要という事だ。従って紫暮は留守番である。











「こんな…馬鹿な!」

 この東京の街中で砲撃を食らうなどと、一体誰が予測できるだろう。雷角の指揮する軍団はパンツァーファウスト七発で壊滅的打撃を蒙っていた。確かに雷角配下の鬼道衆忍軍は訓練も行き届いていたし、それなりの力量もあったろう。重傷を負いながらも五人ほど生き残っているのがその証拠だ。しかし、まともな戦力を残しているのは雷角と、変生したジルだけである。

「相手の戦力を見誤るとこういう事になる。所詮貴様は日陰者のテロリスト。俺に戦術を講釈するなど十年早い」

「…街中で砲撃しておいて、良く言いますね」

「それだけ我々も本気だという事だ。卑怯と言わば言え。これは戦争だ」



 ――ドガガガガガガガガガッッ!



 正しく容赦なし! MGが耳をつんざく咆哮を上げ、花びらのようなマズルフラッシュを閃かせる。雷角とジルは素早くその場を飛び退いたが、反応が遅れた忍群はMGの一連射で尽く胴を貫かれ、手足を吹き飛ばされ、薙ぎ倒される。

「徳川がどうとか言っていたが、歴史が勝者のものである事は真実だ。お前がどれほどこの世を怨んでいようが、現在を生きる者たちには関係ない。その一線を踏み越えた以上、どのような死に様を晒そうとも覚悟の上だろう」

 龍麻はMGを捨て、拳の骨を鳴らした。

「京一、醍醐。雷角は任せる」

「え…!?」

 一瞬、二人とも何を言われたのか理解できなかった。丁度屋上に飛来したばかりの雨紋や如月、アランにしても同様である。

「いいのか? ひーちゃん」

「…こいつも今までの五人衆と同じ外道だが、多少は求道精神を残しているらしい。――本物と紛い物の違いをお前たち全員で教えてやれ。俺は、俺の獲物を始末する」

 龍麻が顎をしゃくった先にいるのは、鬼に変生したジル。龍麻の不倶戴天の敵。

「おっし! 任せなッ!」

 木刀を一振りしてニヤリと笑い、親指を立ててみせる京一。龍麻も背を見せたままながら、親指を立ててみせた。

「さて、鬼道衆。こちらばかり人数がいて済まん気もするが、倒させてもらう」

 もう龍麻の方は見ようとせず、醍醐はずい、と雷角に詰め寄った。

「フクロってのは俺サマの趣味じゃねェんだぜ、いや、ホントに」

「邪妖滅殺…!」

 雨紋に如月も雷角の包囲に加わる。アランだけは後方に下がり、葵たちの護衛に廻る。これにはもう一つ理由があった。葵の隣にいるマリィの存在を、如月もアランも特別なものとして感知した為である。龍脈に選ばれし【神威】の中でも、更に特別な【四神】の力を受けた者たち。その二人が、マリィにも共通の【力】を感じたのである。【四神】の最後の一つ、【朱雀】の【力】を。

「ヘイ! アオーイにコマーキ。僕が来たからには安心ネ!」

「…アランクンが来る事の方が、よっぽど安心できないんだけど…」

 小蒔の呟きに、マリィが葵を庇うように立つ。

「オ兄チャン、誰? 悪イ人? アオイニ変ナコトスルト、マリィガ許サナイ!」

「HA−HA−HA。僕、悪いヒト違う。僕はミンナの仲間ネ。アミーゴの手伝いに来たけど、これじゃ僕の出番はなしネ」

 アランのラテンのノリと、更には不思議な懐かしさを覚えて警戒を解くマリィ。――彼女にも解ったのだ。アランが何者であるのか。

「オ兄チャンハ…?」

「僕はアラン蔵人いいマース。あそこのハンサムが翡翠いいマース。――解りますか、マリィ?」

 葵や小蒔には、アランの問いの意味が理解できない。なぜ如月だけ紹介したのかも。しかしマリィは如月を見て、小さく肯いた。

「ウン…解ル…。マリィト同ジ…」

 やはりこの子が…! アランは如月を振り返って肯いた。如月も小さく顎を引く。

(僕とアラン、醍醐君に、あの少女。――これで【四神】が全て揃った。やはり、龍麻君こそが…!)

「危ない! 如月!」

 とっさに振った顔の脇を、雷角の槍が鋭く掠めて行く。京一、醍醐、雨紋がいるからと、少々油断していたらしい。

「猫でも敵を前によそ見などしませんよ。甘いのではありませんか? 飛水流の方」

 雷角は優雅に槍を一振りする。

「如月サン! コイツ、俺と似たような技を使いやがる!」

 何という因縁か、雷角の使う槍術は雨紋と同じ龍蔵院流槍術りゅうぞういんりゅうそうじゅつ。奈良の宝蔵院流ほうぞういんりゅうと興りを共にする槍術は、歴史もさる事ながら、その習得の難しさから門下は少ない。そして雨紋は師匠である龍蔵院鉄州りゅうぞういんてっしゅう以外にこれほどの遣い手を知らなかった。

「手強いぞ! 気を抜けば殺られる!」

 龍麻は雷角に総がかりで当たれと言った。それは雷角がそれほどの力を有していると見抜いていた為か? 実際、京一の剣技は尽く見切られ、醍醐はカウンターを取られて浅手を負わされている。雨紋に至っては、技そのものが同じ為、攻撃が完全に見切られている。

 しかし、それだけに醍醐は闘志を燃え立たせた。それほどの強敵と見抜きながら、龍麻は自分達に【任せる】と言ったのだ。ならば、それに応えねばなるまい。

「因果は巡るとは良く言ったものです。法神流の遣い手に高野聖の子孫、飛水流忍者に龍蔵院流の遣い手まで…。しかし、あなた方はまだ未熟。緋勇龍麻の前に、あなた達を倒して差し上げましょう。――雷よ!」

 雷角が天に向かって槍を突き出す。すると晴れた空に稲妻が走り、雷角を打った。雷角の身体が帯電し、光り輝く。そして――

「【轟雷旋風輪】!!」

「ッッマジかよッ!!」

 雷角の振り回した槍によって巻き起こされる竜巻。そこに激しい電撃がスパークして一同を打った。それは最近、やっと雨紋が手をかけたばかりの奥義であった。

 旧校舎で仲間同士組み手などもやっている彼らだからこそ、京一たちは何とか雷角の技の直撃をかわす。何も知らないでいたら敏捷性にやや劣る醍醐は大ダメージを蒙っていたかもしれない。

 強い――確かに、今までの五人衆よりも練磨されている。如月と雨紋の顔に緊張が走る。

 しかし京一はニヤリと笑った。

「…燃えるよな、オイ」

「ああ。悪くない気分だ。だが時間もない事だし――」

 醍醐の顔にもどこか嬉しそうな表情が浮かんでいる。

「終らせてもらおう。――破ァァァァァッッ!!」

 醍醐の【気】が一気に高まり、巨大な獣の形を取る。【四神覚醒・白虎変】! 先日目覚めたばかりの【力】を、醍醐は既に使いこなしていた。学生服をはちきれんばかりにさせ、醍醐は猛々しい虎に変身する。

「【白虎】…!」

 知識としてはあっても、目の当たりにするとやはり違うものか、雷角も僅かに緊張の色を見せる。その僅かな動揺こそ、一同が付け入る隙であった。

「オオオオオッッ!!」

 コンクリートの床を削って醍醐が飛び出した。

「ムウッ!」

 唸り飛ぶ【虎爪】を紙一重でかわす雷角。しかし実体を備えている爪の延長線上に生じた不可視の【気】の爪が雷角の鬼面に刻みを入れる。それでダメージを蒙った訳ではないが、雷角から完全に余裕が失われた。

「こっちもいるぜ」

「!!」

 醍醐はそのまま雷角を飛び越えて槍の間合いから去る。振り向いた雷角の視界に飛び込んできたのは、木刀の切っ先を突き出すように構えた京一の姿――の筈が、満月のごとく輝く光輝の彼方に、京一の姿は埋没していた。正確には、木刀の切っ先が視界一杯に光輝を散らし、雷角の視界を遮ったのである。

 京一の気合は、その水面に揺らめく月光のごとき光輝の向こうから聞こえた。

「【秘剣・朧残月】!!」

 とっさに槍を立てて撃剣を防ごうと試みる雷角であったが、京一の木刀に生じた【気】の刃は槍もろとも雷角を両断してのけた。外見上はまったく傷付いていないにも関わらず、内蔵を切り裂かれた雷角は口から血を吐いた。

「こ、こんな筈は…!」

「――確かにテメエは強ェ。だが、自分より強い奴と闘った事もなければ、誰かを護ろうと思って闘った事もねェだろ。俺たちは未熟かも知れねェが、想いの強さじゃ負けてねェんだよッ!」

 真っ向から振り下ろされる木刀! 【諸手上段】。鬼面が叩き割られ、もとは端正であったろう顔を、焼き鏝で焼け爛れさせたような雷角の顔が露になる。

「想いの強さ…ですか? そんなもので…勝ったなどと思わないで下さい…!」

 そして雷角は、血煙を吹き上げてばったりと倒れた。

「チッ、なんだかムカつくぜ。妙に格好付けやがる」

「確かに今までの奴とは違うな。最後の一撃、わざと受けたようにさえ見えた」

「っと、ひーちゃんは!?」

 確かに強敵ではあったが、今の京一たちを相手にするにはやや力不足だった雷角をほったらかしにして、一同は龍麻を振り返った。見れば龍麻は既に一方的な戦いを演じている。

 【発剄】、【発剄】、【掌打】、【龍星脚】、【雪蓮掌】、【巫炎】、【発剄】――龍麻は銃を使う事なく、持てる技の全てをジルに叩き込んだ。

 もとより敵には容赦しない龍麻だが、今回は徹底的に完全抹殺を狙う。

 カウンターテロリズムにこんな言葉がある――【テロリストを殺す為には、その肉体のみか、精神をも殺さなければならない】――より多くの命を巻き添えに、時には自分の命さえも平気で投げ捨てるテロリストを支えるのは、その歪みきった思想そのものである。それは幼少時や訓練によって刷り込まれた忠誠心であったり、宗教的教義であったりするが、【自分】という【個】の生存本能を抹消した者ほど、恐ろしい存在はないのだ。テロリストを根絶するには、その温床となる思想そのものを破壊せねばならない。

 龍麻が行っているのは虐殺だ。どこをどう突ついても正義などというものではない。しかし、冷酷にして残虐でなければ、止められぬものもあるのだ。

 龍麻の【八雲】――超絶の連撃を浴び、その時既に原形を失っていたジルは緑色の液体に塗れた肉塊に成り果てた。だが、まだ生きている。ひゅうひゅうとか細い息遣いが聞こえる。

 もちろん、そこで止めはしない。龍麻は軽く足を引き、凄まじい勢いでジルを空中へと蹴り上げた。そして――

「【螺旋掌】!」

 真上に放つ、瀑布のごとき気の奔流! そのパワーを一身に浴びたジルは肉片一つ、血の一滴すら存在を許されず、原子レベルにまで分解された。

「すっげェ…!」

 龍麻の怒りの原因を知らぬ雨紋は素直に感嘆の声を上げる。如月は訳知りなので複雑な思いであったが、龍麻が怒りを露にしているのは、より人間らしくなっているという事なので、これは歓迎して良い事だと自分を納得させた。

「…大騒動になっちゃったけど、これで終わりだねッ」

 小蒔が声を上げ、葵とマリィが龍麻に近付く。その気配を感じて、龍麻はゆっくりと振り返る。その顔はいつもと同じ無表情であったが、左目の輝きは失せ、張り詰めた雰囲気も消えていた。一同がほっと息を付く。

 と、その時、彼らの足元がぐらぐら揺れ始めた。

「もう爆発が始まったのかッ!? 早く逃げるぞ、龍麻、美里!」

「総員撤退! 出口を目指せ!」

 マリィを抱き上げ、怒鳴る龍麻。しかし、醍醐の叫びに反応したのは彼だけではなかった。

「美里…葵…!? …そうですか…あなたが…!」

 苦しげな声を上げ、しかし醜く焼け爛れた顔で凄絶な笑みを葵に向ける雷角。葵と小蒔がひっと息を呑み、マリィが龍麻にしがみ付く。

「因果は変わらず巡っているのですね…。貴方はもはや逃げられません…我々の手からは…ゴホッ!」

 血の塊を吐き出す雷角に、もはやとどめは必要なかった。ただ、最後の台詞が葵に強いショックを与えた。

「九角様が待っていますよ…美里…葵…殿…」

 そして雷角は一度だけ大きく身体を痙攣させ、これまでの五人衆と同じく大気に散華して行った。――後に金色の珠を残して。

(私…私が…何だって言うのッ!?)

「なにやってんだ美里! 逃げるぞ!」

 珠をキャッチし、京一が怒鳴る。葵は我に返り、階段に向かって走り出した。だが、まったく突然に屋上に亀裂が開き、左右に広がって行く。葵は足を踏み外し、間一髪の所で龍麻に手を掴まれた。

「龍麻!」

「葵! 暴れるな!」

 湧き起こった轟音が龍麻の怒鳴り声をもかき消そうとする。屋上のその位置にあったのは、空母などで使用されているような大型のエレベータであった。そして轟音は、既にホバリングを開始したヘリコプターのローター音であった。

 龍麻はそのコクピットに、【敵】を見出した。

「ジル…ローゼス!!」

「あのジジイ! さっきのも偽者かよ!!」

 京一と如月が駆け付け、葵を引っ張り上げるのを手伝う。その数瞬後、ジルの操縦するヘリは大空へと舞い上がった。ヘリの外部スピーカが耳障りな笑い声を立てる。

『ハァーハッハッハ! 裏切り者の鬼道衆めを片付けてくれたとは、礼を言うぞナンバー9!』

 マリィを如月に預け、モーゼルを抜く龍麻。しかし、絶対的に火力が足りない! ジルが搭乗しているのはボーイングAH−64A【アパッチ】――アメリカ軍最強の戦闘ヘリであった。福祉施設にこんなものが――などと言うもっともなツッコミさえ馬鹿馬鹿しい非現実性だ。

『ワシは死なぬ。我が千年帝国は正にここから始まるのだ! だが貴様がそれを見る事はない! ここで死ね、ナンバー9!』

 ヘリの先端――コクピット下部に搭載された砲塔が旋回し、三〇ミリ・チェーンガンがこちらを向いた。

「ッッ逃げろ!!」

 如月が怒鳴り、京一も葵の手を引いて身を翻す。そして龍麻は、一同とは逆方向に走った。

「龍麻ァッ!!」

 次の瞬間、先ほどのMGなど比較にならぬ三〇ミリ砲の猛射が屋上のコンクリートを引き裂いた。アパッチの射撃システムは視覚誘導…パイロットの視線に合わせて射撃位置を定めるシステムだ。これに狙われては絶対に逃げられない。

 ヘリとの距離が近かった事が幸いして、龍麻は防弾コートをずたずたに引き裂かれながらも何とか三〇ミリ弾をかわし切る。しかしこれほどの砲弾となると発生する衝撃波は凄まじい。直撃しなくとも人間の脆弱な肉や骨など簡単にもぎ取るのだ。そんな衝撃波を立て続けに食らい、龍麻は足をもつれさせて床に転がる。

「龍麻!!」

「来るな! 早く行け!」

 モーゼルを両手に構え、コクピットめがけて乱射する龍麻。しかし対衝突性、防弾性を極限まで高めたアパッチには豆鉄砲ほども効かなかった。逆に龍麻はローターの巻き起こす風だけでも飛ばされそうになってしまう。

『そんなものでこのアパッチが落とせるか! ククク、あがけあがけェい! 貴様ら出来そこないは全て塵となれェい!』

「――クッ!!」

 思い切り横に転がった瞬間、たった今まで龍麻がいた所を引き裂く砲弾。――射線を見切っても衝撃波まではかわせない。龍麻は跳ね飛ばされ、壁に叩き付けられる。

『ハァーハッハッハッ! 無様なものよのォ、ナンバー9。所詮貴様など、巨大な力の前に踏み潰されるだけの虫けらよ! ククク、三〇ミリなどと言わず、貴様にはこいつをくれてやるわ! 光栄に思えィ!』

 ゴオ! と風を巻き起こして、アパッチが上昇する。直線距離にして五〇メートルほども離れてホバリングする。

 その意味を知る龍麻は、如月に向かって叫んだ。

「――脱出しろ!!」

「馬鹿野郎! テメエを置いて行けるか! ――って、如月、邪魔するな!」

「馬鹿は君だ! 戦闘ヘリが目標から距離を取るという事は――!」

 如月が怒鳴るや否や、アパッチの両翼が火を噴いた。飛んできたのは――対戦車ミサイル、AGM−114A【ヘルファイア】!

 如月はマリィをしっかりと抱いたまま葵の手を引き、京一に体当たりした。なまじ階段だったのでたまったものではない。京一も、その後ろの醍醐も、雨紋やアランに至るまでもつれ合って階段を転げ落ちる。次の瞬間、屋上が二度に渡って爆発した。

『〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!』

 鼓膜をハンマーでぶっ叩かれるような衝撃と振動! 仲間たちをクッション代わりにして奇跡的に無事だった葵とマリィに、間を置かず如月が覆い被さる。そこに砕けたコンクリートの破片がばらばらと降ってきて、彼を打ちのめした。

(僕ともあろうものが…らしくない…!)

「如月クンッ!!」

 階段落ちに巻き込まれずに済んだ小蒔が真っ先に叫んだが、まだ鼓膜の痺れている如月には聞こえない。頭の出血を手で押さえつつ、如月は頭上を振り仰いだ。アランも同じである。近くで爆発があった時は口を半開きにする――兵士の心得の一つを忠実に実行したのだ。

「龍麻!? 龍麻はッ!?」

「駄目だ美里さん! 行っちゃいけない!」

 アパッチの爆音はまだ響いている。迂闊に出て行けばいい的だ。しかし重傷を負った如月は葵を止めきれなかった。アランに支えられ、崩れかけた階段を上って後を追う。かろうじて京一や醍醐、雨紋も立ち上がり、小蒔と共に階段を駆け上がる。

 屋上は火の海と化していた。

 恐らくアパッチの格納庫にあった燃料の残りに引火したのだろう。時折起こる爆発は、弾薬が暴発しているのだ。そして、龍麻は――

『フン。骨も残さず砕け散ったか、ナンバー9よ』

 ジルはアパッチのコクピットで鼻を鳴らし、それでも確認するべく屋上に近付いていった。爆音で砂塵が更に散る。そして巻き起こす風が、一時的に黒煙を吹き払う。そこにジルは、強烈な殺気と共にこちらを睨む龍麻の姿を見出した。

『――なんという奴だ! 生きておる!』

 見れば龍麻の前方に、瓦礫が放射状に広がっている。何と龍麻は二発の【ヘルファイア】の内一発をモーゼルで撃ち落とし、もう一発の爆発を最大出力で放った【螺旋掌】で弱めたのであった。

 しかし相手は戦車を一撃で完全破壊するミサイル。龍麻の【螺旋掌】のパワーも相当なものだが、それでも衝撃波をやっと半分減じたに過ぎない。龍麻のダメージは深刻であった。片膝を付いた彼の全身に、ミサイルの弾殻がいくつも突き刺さっている。

『フン――見上げたしぶとさよな。…そうだな…! 貴様はいつもそうやってわしの思惑を踏みにじって生き延びたのであったな・・・』

 ジルの声に極めて邪悪な、黒いものが混じった。

『だがそれも今日で最後! わしの顔に泥を塗り続けた貴様だ! 骨一片、血一滴すら残さずこの世から消滅させてくれる!』

 グオオ! と、圧倒的な迫力を以って鋼鉄の猛禽が屋上上空まで接近する。さすがに一発二千万円以上するミサイルはもうないが、三〇ミリ・チェーンガンの弾は三百発以上残り、二四連装ロケット・ポッドにはロケット弾がフル装填され、龍麻を血煙に変えるには充分過ぎる。ジルの殺意の込もった視線に呼応し、三角形状にまとめられた三つの太い銃口が龍麻をポイントする。――冷ややかに。そして龍麻は、視線を上げる事しか出来なかった。

『――ようし! 冥土の土産とやらに教えてやろう!』

 満身創痍の龍麻にとどめを刺せる期待感からか、ジルの声は邪悪な歓喜に満ちていた。

『――貴様らの隊長、貴様らを【息子】と呼んだスウェイニー・ラング少佐! あの男を狂わせたのはこのわしよ!』

「――な・・・に・・・!」

 ギリリッ! と龍麻の歯が鳴った。

『貴様らレッドキャップスは元々死に行くために作られた特攻部隊よ! だが貴様らは余りにも不完全過ぎた! わしらの命令だけに従っていれば良いものを、あの海兵上がりに妙な事を吹き込まれ、貴様らは完璧なる機械であることを捨てた! そしてあろう事かあの裏切り者は、貴様らを抹殺するどころか逃がそうとした! 挙句は基地の海兵隊マリーンどもまでが貴様らの手助けをしようとはな! ――だから、狂わせてやった! 貴様らの全性能を知るあの裏切り者ならば、貴様らを始末できるからな! ククク! 正に狙い通りよ! 貴様らは全滅し、お前は自分の隊長を殺した! ハァーハッハッハッ! 何が人間らしくだ! 育ての親をも、仲間をも、二千の海兵隊員をも死地に招いたお前のどこが人間だ!』

「・・・・・・」

 全ては・・・と、龍麻は思った。

 全ては、このジルの仕業だったのだ。自分達に殺戮の技術を叩き込みながら、決して自分達をただの機械扱いしなかった【少佐】の変貌ぶり。――最後に向かい合い、相討ちとなった時の【少佐】は、ヘリの中にいた時とは別人――もとの【少佐】だった。



 ――『生き延びたきゃ、俺の屍を越えて行け! 息子よマイ・サン!』

 ――『いいんだぜ、ボウヤ。もう…殺さなくてもよォ』



「龍麻!」

 ゆら、と龍麻が立ち上がった。腰を軽く落とし、両掌を胸前でクロスさせ、呼気を絞り出す。――今まで見た事のない構え。――何をするつもりだ!? 



 ――【ノル・アドレナリン、アルファライン超過により戦闘起動許可発令】

 ――【戦闘起動状況レベルAプラス確認】

 ――【目前敵の完全沈黙まで第一、第二、第三封印暗示解除】

 ――【目標選定終了。アクセス! レッドキャップス・ナンバーナイン!】



「――オオオォォォォォォォォアアアアア――ッッ!!」

 両眼を真紅に輝かせ、龍麻は咆哮を上げた。――両腕を大きく広げ、右腕を時計廻りに、左腕を逆廻りに螺旋を描かせる。――両掌の描く軌跡が光輝となって空中に残留し、みるみる光量を増して行く。



「――お前を殺す!」

【Exterminated  ENEMY】



 初めて、緋勇龍麻と、彼の中にいるナンバー9が一つの意思の元に発動した。そして――



 ――【――No9.Loading 【V−MAX】mode】

 ――【You have control Tatuma Hiyu】



「――ッッ!!」

 突如、一同の足元を何かの波動が駆け抜けていった。

 爆発的にオーラを噴き上げた龍麻を中心に、高圧的な【気】が収束して行く。京一たちの足元を駆け抜けていくのは中心へと向かう波紋のごとく走る大地そのものの【気】であった。龍麻を包む炎のような【気】は青白い光から金色の輝きへと昇華し、更に伸びて黄金の翼と化した。その面影は――ドラゴン!?

(龍麻君が覚醒をッ!? 【四神】が揃ったためか!? ――いや、ならばなぜナンバー9が・・・それにあれは…違う!? ――まさかッ!?)

 龍ではない。その幻影はドラゴンだ。そこから導き出された自らの考えに如月が慄然とした時、ヘリの外部スピーカーが吠えた。

『ヌウウウッ…! 今更何をしようが、貴様が死ぬ事に変わりはない! 死ね! ナンバー9ッッ!!!』

 皮肉と嘲笑と憎悪と殺戮の愉悦と、様々な負の感情をいっしょくたにした笑い、そして――魂をも引き裂かんばかりの恐怖と共に、ジルはトリガーを引いた。

 火を噴くロケット・ポッド! 片側だけで二四連装、計四八発のロケット弾が一直線に龍麻に走り――

「秘拳――」

 光の二重螺旋が収束し、一つの巨大な光の渦を生む。そこから零れる無数の蛍火が舞う。その螺旋の中心に繰り出される、龍麻の両拳!

「鳳凰――ッッ!!」

 爆発にも等しい光の炸裂! ヘルメットのバイザーを通して、ジルは光り輝く巨大な鳳凰を見た。ナノセコンド後、ジルはアメリカ軍最強の戦闘ヘリごと、鳳凰に呑み込まれた。

「ウオオオオッッ!」

「キャアアアッッ!!」

 光の炸裂と爆風と、大出力の【気】の波動が京一たちを叩き伏せる。それは一瞬の事であったろうが、彼らには【気】の嵐が何時間も続いたように感じた。

 ようやく恐る恐る京一たちが目を開けた時、龍麻は超高温の為に溶け崩れたアパッチに歩み寄っていく所であった。

 龍麻が墜としたのだ。四八発ものロケット弾ごと、西側最強の戦闘ヘリを。チタン合金と高出力エンジン、有り余るほどの爪と牙を備えた最強の【戦車殺しタンク・キラー】を、素手の人間――いや、【魔人】が。

 自分達もその一員でありながら、しかし京一たちは身震いするような戦慄を抑え切れなかった。葵や小蒔など、余りに凄まじい光景を目にした為、床にへたり込んでしまっている。

(…なんという…なんという凄まじさ…! やはり、彼が…!)

 如月が他の仲間達とは異なる畏怖を向ける中、龍麻は翼の如き黄金のオーラを揺らめかせながら、醜く潰れたアパッチのコクピットを見下ろした。

「ば…バケ…モノめ…!」

「……」

 龍麻は答えない。だが、【どっちが】と言いたそうである。

 【秘拳・鳳凰】――徒手空拳【陽】中最大の攻撃力を持つ【気砲】を浴びたジルは、皮膚の所々が焼け落ち、鈍色の金属骨格を晒していた。

 人造骨格――サイボーグ。これがジルの不死身性の秘密であった。アメリカ国防総省のファイルに記載されていた事実は、全て彼の暗殺計画の果てだろう。しかしジルがサイボーグだという所までは、さすがのCIAも調査が及ばなかったのだ。

 しかし、数々の危機を回避してきた不死身の肉体――機械仕掛けも、高エネルギーの照射によって崩壊していた。ジルの口から零れたのは血ではなく、不透明なゲル状物質であった。

 しかし――

「ク…ククク…。ここでワシの手にかかっておれば良かったのにのお…ナンバー9…」

「…この期に及んで、戯れ言か?」

 龍麻の右掌が輝き始める。【螺旋掌】だ。

「ククク…殺人機械風情が人間になるだと? 戯けた事を。貴様はどうあっても闘いから逃れる事などできぬのだよ。――実験部隊レッドキャップス――本当に全滅したと思っておるのか?」

「…!」

 ビク! と龍麻の手が動揺を示して揺れる。それを満足そうに眺めるジル。

「…どういう事だ?」

 溶けた鉄でも呑み込んだような、酷く喉に絡む声。頬には一筋、緊張の汗が流れた。息が荒い。

「…貴様が生き残っておる。それこそが答えよ」

 レッドキャップス――アメリカ軍が有り余る資金を投じて創り上げた次世代型精鋭部隊。その戦闘能力と生存能力は間違いなく世界最強の部類に入る。それが答えという事は――

「…俺以外に、生き残りがいると言うのか?」

 しかし、ジルは耳障りな声でゴボゴボと笑うだけだった。

「笑うな! 質問に答えろ、ドクター・ジル!」

「…誰が答えるものか。貴様はそのまま地獄をさ迷え。血と硝煙に満ちた地獄こそ貴様の故郷、殺戮機械は殺戮の中にしか存在できんのだ。いずれ貴様の前にも、貴様が良く知る殺戮機械が立ちはだかるであろう。ククク…ハァーハッハッハ! その前に…死ね! ナンバー9!!」

 ガシャン! と音を立てて、ジルの右腕が肘から折れた。そこに仕込まれているのは二〇ミリ榴弾砲!

「【螺旋掌】!!」

 起死回生の一弾に対し、とっさに上体を傾がせて放った【螺旋掌】がジルの胸部を完全に潰す。搭載されていた超伝導バッテリーがカプセルを破壊され、液体酸素を放出。金属外郭がマイナス二三〇度の超低温でみるみる凍り付いていく。そして【螺旋掌】の衝撃で、ただでさえ屋上の縁から落ちかけていたアパッチがバランスを崩した。

「ククク…地獄で待っておるぞ、ナンバー9! ハァーハッハッハッハ…!」

 ジルの哄笑が長く尾を引く。地上に落下し、爆発炎上するアパッチ。爆風が火の粉を舞い上げ、龍麻の前髪を揺らした。

「…地獄に落ちても忘れるな。俺の名は、緋勇龍麻だ!」

 レッドキャップスの生き残りが他にもいる! ――龍麻にとって余りに衝撃的な事実は、彼をその場に釘付けにしようとした。しかし、二機のヘリの爆発とは別の、建物全体を揺るがすような爆発音が足元から響いてくる。

「ッやべえ! 今度こそ本物だぜ! 逃げるぞ、ひーちゃん!」

 仲間の声を聞き、肩で風を、過去を振り切る龍麻。

「脱出する!」

 いつものように仲間たちの殿を務めて走り出す龍麻。階段を駆け降り、建物を抜け出した所で、最初の大爆発が起こる。

 龍麻は一度だけ、爆発の炎を振り返った。その深紅の揺らめきの中に、懐かしい面影を見る。――頬に傷のある、厳つい顔立ちの男だ。いつもは醜く歪んだ顔でしか思い出せなかった【少佐】は、男らしい太い笑みを浮かべていた。

少佐メジャー…あなたこそ真の意味で――)

 左腕の刺青をぎゅっと掴む龍麻。

(俺の――俺たちの父親だった)

 同時に、マリィも龍麻に並んで学院を見上げる。

(Byebye  my home…。  Goodbye  master  Jill)
(バイバイ、私の故郷…。さよなら、ジル様…)

 そして二人は、二度と振り返ることなく学院の門を走り抜けた。











 謎の銃声にヘリの爆発、街中でロケット弾が使用され、最新鋭戦闘ヘリ、アパッチが墜落炎上、加えてローゼンクロイツ学院全体が吹き飛ぶという大惨事に、太田区内はもとより都内全域が蜂の巣を突ついたような騒ぎになった。新宿区内における銃撃事件を追っていた警察は直ちにローゼンクロイツ学院が何らかの関係ありと判断、また、機関銃のみかロケット砲まで動員されたらしいとの情報から、市ヶ谷と習志野から自衛隊が出動する騒ぎとなった。そしてアパッチが墜落したという事で在日米軍も介入、主要道路には警察と自衛隊、在日米軍の三つ巴の非常線が敷かれた。慌ただしく道路を行き交うパトカーや装甲車両、空を飛びまわるヘリコプターの騒音に大田区の住民は一晩中眠れぬ夜を過ごした。

 そして、事件の真相を知る若者達は、ローゼンクロイツ学院を見下ろす高台にいた。

 直線で一キロ以上離れているから、多分、怪しまれずに済むだろう。狙撃ポイントに残っていた紫暮とも合流を果たし、仲間たちは誰一人欠けてはいない。重傷を負った如月も、葵の治癒術で回復している。

「マリア先生…ちゃんと逃げ出せたかな? それに天野さんも…」

 極力戦闘は避け、葵とマリアの救出に専念する――最初こそそう言っていたのに、最後は学院ごと大爆発である。今までの事件のように、人目に触れない所で起こった訳ではなく、本当の大騒動だ。小蒔が心配しているのは、マリアにしろ天野にしろ、爆発から逃れても警察や自衛隊に捕まったりしていないかという事だった。

「天野殿は恐らく最初の警報で取材中止に追い込まれた筈だ。そして上からの指示に盲目的に従うだけの警備員に、我々と天野殿の因果関係を推し量る能力はあるまい。問題はマリア先生だ。爆発直前に学院の生徒を三人も連れ出したと知れたら、まず官憲の手が及ぶ。多少の情報工作はしなければなるまい。――如月、いつも済まないが…」

「解っているよ。水臭い事を言わないでくれたまえ。――それより、その子をどうするつもりだい?」

 全員の視線が、龍麻と手を繋いでいるマリィに注がれる。マリィは無意識の内に龍麻の陰に隠れた。

 妥当な、そして一番常識的な考え方としては、あの三人と共にそれなりの施設に任せるのが筋だろう。しかし四人とも、特異な環境下で育った【異質】な【力】の持ち主だ。一般常識と世間体に塗れたそこらの施設に任せられる訳がない。それ以上に、今まで辛い目を味わってきたマリィに、二度と再び寂しい思いをさせたくないと、この場の全員が思っていた。

 おもむろに、龍麻が口を開いた。

「マリィ、俺と来るか?」

「エッ?」

「もうマリィは自由だ。何処にでも行けるし、遊ぶ事も、学ぶ事もできる。だが、社会的には未熟な未成年だ。普通の人間として生きる術を身に付けなくてはならん。幸い俺は一人暮らしだ。部屋は余っている」

「デモ…」

「一人暮らし同然という意味でなら、僕もだけどね」

 如月も名乗りを上げる。彼はなんと言っても彼女と同じ【四神】の一翼を担う者だ。一人で施設に放り込むなどとは絶対に考えられない。

「エット…」

 本当は十六歳だが、こんな時は幼い外見が得をするものか。【真神愚連隊】でもトップの座を争う美形二人の申し出に、マリィは戸惑う。

「…こう見えても俺は料理が得意だ。裁縫も刺繍もできる。もちろん、十代女性の心理状態からファッションに至るまで日々研究も怠らない。お小遣いに関しても善処しよう」

 これは龍麻である。

「うちは店をやっているけど、珍しいものが一杯あるよ。閑静な住宅街で環境もいい。勉強するにも遊ぶにもいい所だ。それに龍麻君のマンションでは、猫は飼えないだろうしね」

 これは如月である。

『…………』

 二人のやり取りを黙って聞いている京一たちは、どこか釈然としないものを感じている。二人とも、本心からマリィを心配しているのは解るのだが、なんとなく変な雰囲気である。

「HA−HA−HA。それじゃこうしたらどうデスカ? 二人でマリィの手を引っ張るのデース。マリィが痛がるのを見て先に手を放した方がマコトの親心…OUCH!」

 冗談を言うにはタイミングが悪かったようだ。アランは神速の龍麻と如月の拳を頭に食らってひっくり返った。

「却下だ」

「同感だね」

 しかし、何やらただならぬ雰囲気になってきた二人におろおろするマリィに、意外な所から救いの手が伸びた。

「マリィ、私の家にいらっしゃい」

「エッ…?」

 これには当事者のマリィのみならず、龍麻と如月も、他の仲間たちも驚きの声を上げた。――名乗りを上げたのは葵だったのだ。

「私と一緒に暮らすのは嫌?」

「ウウン! ソンナ事ナイ!」

「これからは、私の家がマリィのお家になるの。ね、一緒に暮らしましょう。私がお姉さんになってあげる」

「オネエサン…?」

「そう。今日から私が、マリィのお姉さん」

 そう言って微笑む葵は、正に菩薩の滋顔。近頃ずっと出ていた【怒りマーク】も消え去っている。

「み、美里…お前、本当にいいのか?」

 いささか常識知らずな所もあるが、身軽な龍麻や如月と違って、葵はまだれっきとした扶養家族である。両親の承諾なしにそんな約束をして、もし断られでもしたら…という危惧もある。京一の疑問ももっともであった。

「マリィは今までずっと牢獄の中に閉じ込められて…同じ年頃の女の子の楽しみを何一つ知らないままに…。だけどこれからは自由だもの。オシャレだってできるし、お菓子を作ったりだってできるものね。父も母もボランティアをやっているし、マリィの事情を話せばきっと解ってもらえるわ。ううん、反対なんてする筈ない。だって、私に妹ができるんですもの」

「マリィガアオイノイモウト…? アオイガ…マリィノオネエサン…?」

 初めて使う単語を、一言一言噛み締めるように言うマリィ。マリィの心に暖かいものが広がる。今まで味わったことのない温もり。知らず、マリの両眼から涙がこぼれる。

「マリィ? どうしたの? ひょっとして、嫌なの?」

 マリィはぶんぶんと頭を振る。

「違ウノ! マリィ、胸ガ熱クテ…ヨク判ラナイ…デモ…デモ…!」

 龍麻と如月は顔を見合わせ、共に小さなため息をついた。

「マリィ。それが【嬉しい】という事だ」

「ウレシイ…?」

 マリィの頭をそっと撫で、龍麻は彼女に視線を合わせて片膝を付いた。

「マリィ。人は嬉しい時にも涙が出るのだ。――マリィは葵と一緒に暮らしたいのだな?」

「ウン…」

「そうか…。良かったな、マリィ。葵は優しい。きっとマリィの良いお姉さんになってくれるだろう」

「ウン!」

 龍麻に促され、葵に抱きつくマリィ。葵も満面に笑みを浮かべ、マリィを抱き締めた。

「良かったね、マリィ」

「ウン! マリィ、アオイモタツマモ、コマキモ、皆大好キダヨ! キョウイチモダイゴモ、アランモヒスイモ、ウモンモ…エート…」

「――紫暮だ。紫暮兵庫だよ」

「シグレモ、ミンナ、ミンナ大好キ!」

 無邪気で微笑ましいマリィの言葉に、なんだか照れ臭くなるむくつけき男たち。

 そんな雰囲気を、この男がいつまでも放っておく訳がない。

「へっへっへー。マリィは皆が大好きだってよ。フラれたな、お二人さん」

「何を言うか。我々はマリィの意思を尊重する」

「僕たちは君のように不適切な考えなど持ち合わせていないよ」

 京一の軽口を即座に切り返す龍麻と如月。

「さて、帰るとしよう。少なくとも一週間は官憲の目が厳しくなるだろうから、その間は休めるはずだ」

 そう言って皆に号令をかける龍麻。その後ろに如月が続き、次いで葵とマリィが続く。

 その後姿を追ってゆっくりと歩きながら、小蒔は醍醐に話し掛けた。

「ねえ、醍醐クン。なんだかひーちゃんと如月クン、マリィを引き取れなくて残念そうな気がしない?」

「…そう言うな、桜井。俺にも、あいつらの気持ちがなんとなく判るんだ」

「エ? 醍醐クンも?」

 驚く小蒔に、アランが珍しくそっと話し掛ける。

「コマーキ。ボクにも彼らの気持ち、判りマス。マリィを幸せにできるのはオトーサンもオカーサンもいる、温かい家庭デス。彼らもそれが判っているから、マリィを葵に任せたのデース」

 あ…と小蒔は口元に手を当てる。

 アランは両親を【盲目のもの】に殺されている。そして醍醐も、母親を早くに亡くした。如月も両親はおらず、唯一の肉親である祖父は行方不明の身だ。龍麻に至っては、天涯孤独の身の上。マシンソルジャーとして育てられたことから、【仲間】という概念はあっても【家族】という概念はない。そんな彼だからこそ、マリィ、サラ、イワン、トニーを【兄弟】と呼んだ。自らが【人間】である証として。

 彼らは【家族】の温もりを知らぬ。だからこそマリィには【家族】というものを知ってもらいたい。龍麻も如月も、決して自分達が気ままな一人暮らしだからという理由でマリィを引き取ると言ったのではない。しかしマリィが本当の【家族】を知る場があるのならば、自分達の出る幕ではない。二人ともあっさりと引き下がったのはそれが理由であった。

「ボク…また無神経なこと言っちゃったね…」

「Oh、コマーキ。そんな顔をしてはいけまセン。僕らはミンナ仲間デース。嬉しいこと、楽しいこと、ミンナで分かち合える仲間は、家族と一緒デース」

 アランの言葉に、醍醐も頷く。

「アランの言う通りだ。俺たちの出会いは宿星の導きという奴かもしれないが、現にこうして共にあるのは、俺たち自身の意思だ。辛い時、苦しい時は、俺たちが支え合えばいいんだ。そうだろ?」

「ウン…そうだよねッ」

 小蒔が相好を崩す。しかし京一が、余計な一言を、少しばかり大きな声で付け加えた。

「何だ。そういう事だったのか。俺はまたてっきりひーちゃんだけじゃなく、如月もロリコンだったのかと思っちまったぜ」

「…!」

 ピタ、と足を止める龍麻と如月。京一は気付かずに続ける。

「大体この歳にもなって女に興味がないなんてどっかおかしいからよ。この前の【無差別キス事件】で【ひーちゃん×如月】のホモ疑惑が消えたばっかりだったし」

 龍麻、如月、葵の【怒りゲージ】が急速に上昇していくのが解り、醍醐や小蒔たちはそそくさと京一から離れていく。

「アレ? オ兄チャン達、ドウシタノ?」

「HA−HA−HA。マリィ、僕たちはちょっと先に行くネ」

「そうそうッ、龍麻サン達はちょっとだけ用事があるんだ。俺サマたちは先に行ってようぜッ」

「そうだよマリィ。先に行こッ」

 不思議そうな顔をして目をぱちくりさせるマリィを速やかに安全地帯へと連れ去る小蒔たち。急に自分の周囲から人の気配が遠のいたので、京一も我に返った。

「お? お!? なんだよ。何でお前ら急に離れて――ッッ!」

 首筋に冷やりとしたものを感じて、京一はそれ以上何も言えなくなった。いつのまにか如月の忍者刀が京一の首筋すれすれに当てられていたのである。

「…蓬莱寺君。どうやら君とは一度ゆっくり話し合う必要があるようだ」

(きッ、如月!? お、オイ! ひーちゃん! 助け――ッッッ!!?)

 必死で助けを求めた視線の先に並んでいたのは確かに龍麻であった。その隣には、目映いばかりに微笑む葵菩薩。しかし龍麻と言えば【なぜか】今日初めて見せた奥義の構えを取っているし、葵の額にはさっき取れていた筈の【怒りマーク】がウル○ラ○ンのカ○―タイマーのごとくぴこーんぴこーんと光っている。

「京一…実はな、俺は今、重大な問題を抱えているのだ」

「お、オウッ…!」

 ほんのちょっぴり、如月が刃を移動したので何とか声が出せた京一。しかし龍麻と如月、葵から発している膨大な殺気が相乗効果を起こし、ひょっとしたら方陣技にまで昇華しそうな勢いで渦巻いているので、彼ほどのものでも指一本動かせない。

「先程使用した【秘拳・鳳凰】なのだが、使用する【気】の量が余りに大きく、【気】を収束するまでに五秒もかかってしまうというデメリットを持っている。これを何とかしない事には、実戦では役に立たないのだ。五秒もあれば敏捷性にやや難ありの醍醐でも容易に間合いを奪い、何発でも打ち込める」

「そ、それでッ!?」

「鬼道衆との決戦に【秘拳・鳳凰】は必要不可欠だ。しかしこのままでは実戦に使えん。【気】の収束時間を短縮せねばならん」

「だ、だから、それで!?」

 ほとんど涙目になる京一。こういう時、【背中を護る相棒】という称号を返上したくなってしまう彼だ。京一には龍麻の次の台詞が嫌すぎるほど解ってしまう。

「訓練に付き合え。お前に与えられた時間は五秒だ。五秒以内に俺をどうにかできればお前の勝ち。五秒を過ぎたら…」

「すすす…過ぎ過ぎ過ぎたららあああ…ッ!?」

「…骨も残さずこの世から消滅する。――遠慮は要らんぞ。全力で来い」

 ゴオ! と突風のような気を放出する龍麻。

「龍麻君。僕の分も残しておいてくれよ」

 一陣の風と共に、京一の背後から如月が消え去る。しかし、京一は動けない!

「うふふ…。私もまだ【ジハード】のコントロールが完全じゃないし…次は私ね」

「ククク…クハハハハハハハッ!」

「うふ…うふふ…うふふふふふふふふ」

 殺戮妖精レッドキャップスと裏密風味の葵菩薩。奇しくも最強(最凶?)タッグ結成の瞬間であった。そして、京一に与えられた時間は僅か五秒!

「マジか!? お前らマジなのかッ!!?」

「そうだ。【本気】と書いて【マジ】と読む。ちなみに強敵と書いて【とも】と読む。さあ、【強敵とも】よ。俺の【本気】を受け止めろ」

「うふふ…京一君たら…。やっと忘れかけていた事を思い出させてくれちゃった挙げ句に龍麻がホモとかロリコンとか、同人作家さんたちが喜びそうな事を…」

「じょ、冗談じゃねェよォォォッッッ!!!」

 孫子に曰く。【敵を知り、己を知れば百戦危うからず】

 知り尽くしてはいないが、龍麻の実力もキレた葵の恐ろしさも知っている京一は一目散に逃げ出した。

「二…一…【秘拳・鳳凰】――ッッ!!」

 龍麻の拳から、巨大な鳳凰が茜色に染まった空へと飛び立った。











『――の続報です。本日昼ごろ新宿区において発生した銃撃事件は犯人に付いて情報がなく、捜査は開始当初から難航を極める模様です。また、この事件と関連して発生したと思われるローゼンクロイツ学院爆発に付いては事件と事故の両面から捜査をしていた所、暖房用の灯油を保管するタンクに亀裂が見つかり、学院側の危険物管理の不手際が取り沙汰されています。なお、この爆発で二機のヘリコプターが墜落したとの発表がありましたが、これらは学院屋上のヘリポートに着陸していたもので、死傷者はいないとの事です』

『これほどの事故にもかかわらず、死傷者が一人もいないと言うのは不幸中の幸いでしたね』

『まったくです。これから寒い季節になりますが、火の元には充分気を付けて。――以上、七時のニュースでした』



 ブツン! と映像が消え、暗がりが蘇る中、一人の男の笑い声が楽しそうに響いた。

「クックック。やるじゃねェか。後始末はサービスしといてやるから、せいぜいゆっくり首を洗って待っているがいいぜ。ナンバー9、緋勇龍麻」

 ひとしきり笑い声が闇を圧し、襖を閉める音と共に静寂が降りた。








 この日、新たに加わった仲間、【四神】の一角を担う【朱雀】の少女、マリィ・クレア。葵が新たな【力】に目覚め、【四神】が全て揃う。決戦の日は近い。【龍脈】の【力】を授かりし【魔人】達は誰もがそれを肌で感じていた。

 しかし今だけは、そんな事、彼らにはどうでもいい事だったに違いない。

 新たに加わった仲間、マリィに家族ができたのだから。



「ほら、マリィ。お箸はこう持つのよ」

「コウ?」

「そう。そしてこうやって麺を挟んで…ツルツルツル!」

「チュルチュルチュル…オイシイ! マリィ、コンナニ美味シイモノ食ベタノ初メテ!」

「良かったな。マリィ。京一の奢りだ。遠慮せずに頂きなさい」

 新宿のラーメン屋【王華】に集合した【魔人】フルメンバー。新しい【仲間】が加わった時、【真神愚連隊】で行われる入隊セレモニーであった。今回戦闘に加わらなかった裏密、藤咲、高見沢、織部姉妹ら女性陣が駆けつけ、マリィの可愛さに黄色い声を上げる。それぞれ個性派揃いである女性陣だが、マリィもすぐに彼女達に懐いた。

 ワイワイガヤガヤと、騒がしくも楽しい食事。その場にいるだけで気持ちの暖かくなる空間。マリィはこここそ、自分がいるべき場所であると知り、そこに迎え入れられた事を素直に喜んでいた。そして、これからは命令だから動くのではなく、自分を護ってくれる人たち、自分が護りたい人たちの為に行動する。

「タツマ、マリィ、頑張ルヨ」

「うむ。…おおッ!?」

 龍麻に抱き付き、その頬にチュッとキスをするマリィ。これが他の女性陣だったら【王華】は未曾有の修羅場と化していたであろうが、マリィであればこそ微笑ましい光景に歓声と口笛が上がる。

「…やっぱりロリコンだ」

 ただ一人、床に直接みかん箱を置かれただけの座卓で寂しくラーメンを食べていた京一であったが、ぼそっと呟いた直後に龍麻の拳骨を食らい、葵によって唐辛子一ビン丸ごとラーメンにぶち込まれた。



 真神愚連隊VS鬼道衆…その一大決戦を控えた、しかし平和な日常のヒトコマであった。









 第拾弐話 魔人 4    完



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