第拾弐話　魔人　２





　
　教師と生徒が一人づつ誘拐された事をまだ知らぬ真神学園は平和そのものに見えたが、新聞部部室ではアン子の絶叫が響いていた。

「無い無い無――いッ！　どこにも無いわッ！！」

　龍麻を送り出した後、アン子はすぐさま小蒔に連絡を取り、遅れて登校してきた京一と醍醐を捕まえ、誘拐犯の割り出しに全力を注いだのであった。カメラを壊されたとは言え、さすがジャーナリスト志望者。アン子は龍麻がベンツを追って走り出した後で、マリアが殴った黒人少年から何か光るものが飛んだのを思い出したのだ。それを探してみると、果たして、バッジのような校章のようなものが発見できたのだ。

「まるで鉤十字（ハーケンクロイツ）だな」

　とは、醍醐の意見である。そう、そのバッジにはいわゆる逆卍…ナチス・ドイツのシンボルそっくりなマークが刻まれていたのである。

　他でもない龍麻が追跡しているのだから、犯人逮捕も時間の問題――そう思った一同ではあったが、「できる事はやっておけ！」という龍麻の命令もあり、授業は全てエスケープ、このバッジの手がかりを探している。しかし新聞部の膨大な資料の中に、未だ手がかりを発見できずにいるのである。

「小、中、高、大学、企業、その他諸々！　どっこもこんなマークを使ってるところなんか無いわ！」

「…戦時中のイメージが最悪だったからな。やはりただのバッジで、手がかりと呼べるようなものではないのかも知れん」

「でも、そうだとすると手がかりが全然なくなっちゃうよ…」

　いつもは元気印の小蒔もさすがに焦りと疲労が濃い。先日の醍醐の失踪とはまた違う、親友が誘拐されたという事実。心配するなと言う方が無理だし、また、そのような不安を払拭できる指揮官は今、この場にはいない。

「ひーちゃんはできる事をやっておけって言ったんだろ？　できねェ事で頭を悩ませるなよ。とりあえず茶でも飲んで落ち着け」

「京一ィ…葵が攫われたっていうのにキミって奴は…！」

「俺たちが焦ったところで美里が見つかる訳じゃねェだろ。まずは仲間全員に連絡して、待機しているしかねェ。その内ひーちゃんから呼集がかかるさ」

　これを素直に認めるにはかなりの努力を必要としたが、確かに京一の言う通りである。京一の立場は二等兵と一番格下だが、戦闘時に龍麻が背中を預けるのもこの男である。そして京一は、自分達が慌てずとも、龍麻が葵もマリアも救助してくると信じて疑っていないのだ。

　だがそれも、時計が一〇〇〇時を廻る頃に破られた。

　新聞部部室のドアががらりと開き、ぼろぼろの制服を着た龍麻が姿を現わしたのである。

「ひーちゃん！　どうした！？　何があった？」

　幸い、と言うか、龍麻はいくつかの切り傷と擦り傷を負っただけで、深刻な怪我は一つもしていない。

「あまりに派手な連中だったので油断した。最後は何がどうなったのか解らん。突然道路に穴が空き、バイクごと吹き飛ばされて高速道路から叩き落とされた」

「なんだって！？　――良く無事だったな」

「バイクの装備を使った。これほど早く役に立つとは思わなかったが」

　龍麻のバイク後部には、電磁石を装着したワイヤーアンカーが装備されていたのだ。ワイヤーの材質は彼の当たりコスプレ【スパイ○ーマン】に使うものと同じで、より太さを増して五トン近い荷重を支え得る。龍麻は地上への激突寸前にアンカーを射出し、バイクごとぶら下がって事無きを得たのである。――さすがの龍麻もバイクの開発者――【九頭竜（ヒュドラ）】の聖須華（セスカ）に感謝したものだ。

「警察の非常線は何とかかわしたが、バイクはマークされているからしばらく使えまい。ところで何か手がかりはあったか？」

　一同ドキリとする。葵とマリアが誘拐されてから早二時間。その間、何も見つけられなかったとすると――。

「今のところぜんぜん駄目。――これが現場に落ちていたから片っ端から資料を漁ってみたんだけど…」

　例のバッジをアン子から受け取った瞬間、龍麻の顔付きが変わった。

「アン子…。これは本当に誘拐犯が所持していたものか？」

「な、何よ！　嘘なんか付かないわよ！」

　まるで戦闘中のような龍麻の険しさに圧倒されるアン子。京一たちも何事かと目を丸くした。

「ひーちゃん、どうしたんだ！？」

「…どうもこうも無い。このマークはネオナチ…それも【最後の大隊（ラストバタリオン）】だぞ。国際手配の第一級テロリストだ。そこらの資料で見つかる訳が無い」

　ええッ！？　と驚く一同。

「そ、そんな！　なんで葵がテロリストなんかに誘拐されるのさッ！？」

「解らん…。そもそも【最後の大隊】は五年前にＩＦＡＦの機動歩兵によって壊滅させられた筈だ。その生き残りがいたとしても、これほど大掛かりな事件を起こす事ができるかどうか…。――アン子、このコンピュータはネットワークに繋がっているな？　借りるぞ」

「ちょ、ちょっと！　龍麻！」

　アン子が止めるよりも早く、龍麻は机の上の雑物を払い落とし、机に向かった。そして物凄いスピードでキーを叩き始める。

「ひ、ひーちゃんってパソコンも使えるんだ…？」

　ビデオの予約録画もできない機械オンチの小蒔には、それこそ龍麻が神様にでも見えた。しかし龍麻はそんな言葉は聞いておらず、次々にネットワークを潜って行き、パスワードを打ち込み、いつのまにか画面中がすべて英語で覆われた。そして突然、振り返る。

「アン子、向こうへ行っていろ。京一、醍醐、アン子を押さえていろ」

「な、何よ突然！」

　それはあたしのモノよ！　と抗議するアン子。しかし龍麻は平然と言う。

「今からアメリカ国防総省（ペンタゴン）のマザーコンピュータをハッキングする。お前たちに侵入コードを知られる訳にはいかん。これで新しいマシンを買え」

　アメリカ国防総省に侵入！？　それを聞いてアン子の目が点になる。更に机の上にぽんと札束が置かれた事に、京一も醍醐も小蒔も唖然とした。龍麻が無造作に放り出した札束はざっと五十万円ほどもある。

　しかし、まるで一般人のような（ある意味一般人だが）反応をする一同を尻目に、龍麻はアメリカ国防総省の極秘ファイルにアクセスした。プロテクトは何百通りも存在するのだが、龍麻がレッドキャップスとして活動していた時、半ば以上偶然に、部隊を総括する将軍のアクセス・ＩＤナンバーを入手したのである。それをナンバー１３が解析し、国防総省のメインコンピュータの裏コードを発見した。龍麻が使用したのはその裏コードであった。

（重装仕様車…車種はベンツ…取引先は…）

　葵とマリアを連れ去ったベンツのデータを次々に入力して行く龍麻。あれほどの特注車両となると、政府高官か大企業の重役以上でないと使えない。それらのデータは車を制作する会社にとっても極秘扱だが、ＣＩＡや国防総省がそれらのデータを押さえていない筈が無い。

　加えて、ネオナチの一件もある。壊滅したと伝えられても、疑わしいところがある限り調査は続いている筈だ。

　果たして、データはあった。取り止めの無い膨大な報告書の中に、【要注意人物】としてマークされている人物の名が数千人単位で存在し、更に日本において活動しているものを検索すると、該当者が百人ほどまで絞り込めた。その中に、現代医学界の権威として一人の男の名が挙がっているのを龍麻は発見した。

「ジル・ローゼス…？」

　名前は挙がっているのだが、顔写真その他のデータが無い。珍しいを通り越して、有り得ない事であった。国防総省のコンピュータはＣＩＡ、ＦＢＩのそれと直結し、たとえば街の図書館でナチス・ドイツ関係の本…たとえばアドルフ・ヒットラー著【我が闘争】を借りると、自動的に借用者の個人ＩＤが保存されるようになっている程だ。個人ＩＤはおろか、社会的地位もある人間がそのデータを残されていないというのは、通常なら有り得ないのである。

　通常なら、だ。このジル・ローゼスなる人物の調査報告書には、最後に付け足しのごとく書き込みがなされていた。



【一九六三年、ベネズエラで死亡】

【一九七〇年、カナダにて旅客機墜落、生死不明】

【一九八二年、イスタンブール周遊中に行方不明】

【一九八九年、アメリカ、フロリダ州で事故死】

【一九九二年、スイスで雪崩に遭い、行方不明】



「……」

　無機質に並べ立てられる語句に、龍麻は眉をひそめる。この情報が正しいとすれば、ジル・ローゼスなる人物はこれまでに五回も死んでいる事になる。その裏に潜む意図は――

　龍麻は国防総省のネットワークを遮断し、通常のインターネットにまで情報収集レベルを落とした。するとこちらには【ジル・ローゼス】なる人物に関する情報がいくつか上がっていた。

「あれ、ジル・ローゼスって人、この新聞にも載ってるよ」

「なに！？」

　ただ一人、機械オンチ故にモニターを覗く事を許されていた小蒔が声を上げる。これも灯台下暗しというのか、小蒔が言う新聞とは、実に今朝の朝刊であった。

「ホラ、ここ。【大田区文化会館で行われた世界孤児救済バザーは盛況の内に幕を閉じ、その収益金が財団法人の理事長、ジル・ローゼスさんに手渡された。――ジルさんは長年、孤児の育成と教育に携わり、自らも今春、大田区内にローゼンクロイツ学院を創立。世界各国の恵まれない孤児達を引き取り、熱心な教育と手厚い保護の下、日々救済に励んでおられる】――だってさ」

「確か美里が行くって言ってたバザーってのが――オイッ、見ろよ。このおっさんの襟のバッジ――！」

　京一の指摘に、醍醐が声を上げる。

「同じだな…。しかし孤児を救済しているというのは…」

「記事を読む限りじゃ、この人が誘拐事件なんて起こすとも思えないけど。ねえ、ひーちゃんはどう思う――って、危なッ！」

　新聞からとっさに身を引く京一、醍醐、小蒔。その直後、ジル・ローゼスの写真に大振りのナイフが突き立つ。龍麻の仕業だった。

「な、なんだよ龍麻！　どうしたんだよ！」

　思わず名前を呼んだ辺りに、京一の動揺が現れていた。龍麻は机が抉られるほどナイフをこじり上げてジル・ローゼスの顔写真を切り刻んだ後、夢から覚めたようにはっと顔を上げた。

「…大丈夫か、龍麻？　顔色が悪いぞ」

　そう言う醍醐の方が、もっと顔色が悪い。京一も同様だ。今の龍麻の雰囲気は、以前、死蝋の研究所で戦闘マシンと化した彼のそれであった。

「…済まん（ソーリー）。…こいつの眼…妙に神経を逆撫でされる…」

　俺にも茶を、と告げ、龍麻はアン子が慌てつつ入れた茶を一息に飲み干した。かなり熱い筈なのに、彼は息も付かない。それでも高ぶった神経が静まったか、龍麻の口調が元に戻った。

「…この男はヨーロッパ人だ。あの世界大戦以降、ナチやそれに纏わるもの全てが悪とされる社会に生きる者の中で、好んでこのシンボルを使おうなどと考えるものはいない。いかにここが日本とは言え、こんなマークを使用する以上、怪しいと言わざるを得んな。ましてこの男の専攻は大脳生理学。それも十代前半の子供の脳の発達や能力に関する事ばかりだ。――目的は葵の【力】か」

「ええッ！？」

　またしても驚く一同。龍麻はため息を付く。仲間に呆れたからではない。世の中の陰を見てきた者の疲れだった。

「お前たちは自ら望んで【力】を得た訳ではない。だが時として人間という奴は、絶対無敵という状況下で弱者を攻め滅ぼしたいと思うものなのだ。かつてナチス・ドイツはその全盛期に世界中に軍隊を派遣し、呪術的遺物や呪文、魔道書、ありとあらゆる魔術具などを収集させた。【失われた聖櫃（アーク）】などは特に有名だ。それと同時に、人間を超人化する人体実験なども盛んに行われていた。今もその時の研究成果が息づいているとしてもおかしくはない。――恐らくアン子が見たという少年達。そいつらは人工的に作り出された【神威】だろう」

「……」

「…昔からあるのだ。いわゆる超能力の軍事的利用というものがな。特に葵は先日の中央公園で新たな、それも高威力の攻撃技を使用している。それを何者かが探知したのだろう。――行くぞ。大田区へ」

　龍麻は立ち上がり、突然、机上のパソコンに発剄を叩き込んで破壊した。

「キャーッ！！　なにすんのよォッッ！」

「バックアップは取ってあるのだろう？　――違法アクセスが発覚したら消されるぞ。代価がその金だ。余ったら取って置け」

「あら、いいの！？」

　一八〇度態度を変えるアン子。そこをすかさず龍麻は突く。

「あと一つ頼みたい事がある。葵とマリア先生の事を旨く誤魔化して欲しい」

「え！？　ちょっと、何よ、それ！　またあたしを置いてきぼりする気！？」

「アン子にしか頼めん任務だ」

　きっぱりと、信頼感溢れる声で言う龍麻。

「この一件が公になれば、当然我々のみか、雨紋や紫暮、我々の仲間となった者たちにも危険が及ぶ。急がねば葵は解剖され、髪の毛一筋すらあますことなくホルマリン付けの標本にされるだろう。我々もまた然り。たとえ葵の救出に成功しても、【力】の事が世間に知られれば、世界中に我々の居場所は無くなる。だからこそ、【力】の事を知りながら、我々と行動を共にできるお前に頼むのだ」

　過激な単語の羅列を訥々と語る龍麻。さすがにアン子もその危険性を知らぬ訳ではないから、遂に根負けした。

「…解ったわ。学校の方はあたしが何とかしておく。その代わり、絶対に美里ちゃんとマリア先生を助けてよねッ。それと、ネタの提供はただにしてよねッ」

「今回の分は、約束しよう」

　こういう辺り、本当にアン子はしっかりしていると思う。それを平然といなす龍麻も龍麻だ。考えてみれば自分の目の前で友人が誘拐され、それも銃を持っていたなどと来れば取り乱して当然なのに、アン子はまず龍麻に連絡を取り、さらには手がかりまで入手していた。龍麻が交渉を受け入れたのも、彼なりの感謝の表われだろう。

「各自、動ける者に呼集をかけろ。【真神愚連隊（ラフネックス）】、出撃する」

　いつものように龍麻が号令をかけ、一同は慌ただしく出撃して行ったのであった。









　【敵】と龍麻のカーチェイスおよび銃撃戦の影響で、都内全域で検問が敷かれている。これから闘いに行くという割に、【真神愚連隊】の足はやはり電車であった。平日真っ昼間に電車で移動する高校生のグループはかなり目立っていたが、幸いにも彼らを見咎める者はいなかった。山手線で品川駅へ。京浜急行で目的地に最寄りの穴守稲荷駅に到着した時、時計は一二〇〇時を廻っていた。

「うわァ…。塀高ッ。無機質でイヤな感じ…。これって本当に学校？　まるで病院か、刑務所だよ」

　まずは偵察と、目立たぬようにローゼンクロイツ学院を見て、小蒔が率直な感想を洩らす。

「桜井の言う通りだ。警備がえらく物々しい。やはりただの学園ではないな。どうしたものか…」

「なんだよ、決まってんじゃねェか。警備員を蹴散らして強行突破。それしかねェだろ」

「…京一」

　双眼鏡を覗きながら、龍麻が呟くように言う。

「ん？　何だよ、ひーちゃん」

「…お前はな」

「うん」

「……………アホだ」

　グッサー、という立体の書き文字が京一に突き刺さったのが見えたような気がして、醍醐も小蒔も目を瞬かせた。

「ひーちゃん！　だからその肺腑を抉るような言い方は止めてくれェ！」

「…そうでも言わなければ解らないだろう、お前は。あの警備員の着ている防弾チョッキはＮＡＴＯ制式のＣ�沓繊棔淵�ラススリーＡプラス）だ。七・六二ミリ軍用ライフル弾でも止められる品で、日本への輸入は認められていない。扉の厚さは二〇〇ミリ強。完全な電動式だ。警察の装甲車が突っ込んだくらいではまず破壊できまい。塀の上には監視カメラの他に、電流鉄条網。それにあの監視塔を見ろ。あのサーチライトの台座はＭＧシリーズ用の銃座だ。訪問者に対しては金属探知器と赤外線センサーによるチェックも行われている。刑務所というより軍事基地。ちょっとした要塞だな。正面突破？　一分と保たずにミンチにされるぞ」

　相変わらず見事な観察眼と言おうか。視力の良い小蒔が龍麻の指摘したポイントを確認すると、確かに監視塔のサーチライトを支えるにしてはやけにごつい鉄の台座があり、五メートル以上もある塀のさらに上に張られた鉄条網にとまろうとしたスズメが火花を散らして落下するのが見えた。

「そんな…それじゃどうすれば良いのさッ？」

「そうさな…酒屋にでも化けるか」

　作戦とも言えない龍麻の馬鹿な言葉に京一たちが腰砕けになるが、たった一つ、楽しそうな笑い声が響く。どうやら龍麻は、彼女の存在を見越して冗談を言ったらしい。

「ＨＩ。こうまで行き先が同じだと、さすがに偶然以上のものを感じるわね」

「同感です」

　もはや龍麻たちの関わる事件に、彼女が首を突っ込まない事はないのではなかろうか？　フリールポライターにして、【真神愚連隊】の情報将校（一方的）、天野絵莉であった。

「天野さん…どうしてここに？」

「【天が呼ぶ！　地が呼ぶ！　人が呼ぶ！　事件を暴けと私を呼ぶ！　さすらいのフリールポライター、天野エーリ！】――っと言ったところだろう」

「…シリアスな顔で人の登場シーンに妙な口上を付けないでくれる？　まあ、当たらずとも遠からず――って感じだけどね」

　苦笑を浮かべながら、天野はやはりここにビジネスで来たのだと一同に告げた。

「理想の福祉施設と名高いローゼンクロイツ学院の取材――とは表向きの事。その裏に潜む陰謀を暴く為に来たと言っても過言ではないわ。実際、この学院ほど叩いて埃の出るところもないでしょうしね」

「すると…やはり…」

　醍醐と小蒔が深刻な顔をする。

「やはりって…あなたたちも何かあったの？　今朝方新宿界隈で派手な撃ち合いがあったそうだけど…」

「それ、誘拐された葵を追ったひーちゃんの事です。現場にはここの校章が落ちていて…」

「――その時に、俺たちの担任も巻き添えになったらしくて」

「葵ちゃんが誘拐？　…それに担任って――マリアも？」

　一同、「！？」となる。

「エリちゃん、マリアセンセーの事知ってんのか？」

「ええ、ちょっとね。飲み友達ってトコかな」

　そんな事情なら、という事で、天野は【仲間】の一員らしく、今まで知り得た情報を龍麻たちに話し始めた。

「このローゼンクロイツ学院は孤児達を保護、育成し、その英才教育や施設などの面でも優れた評価を得ているわ。実際、ここの出身者が十歳前後の身でハーバードやケンブリッジ、ソルボンヌで活躍している。でも、その内部の実態はあまり知られていないわ。私の入手した情報では、学院長のジルはナチ戦犯の疑いがあり、孤児を引き取り養育する福祉施設の名を隠れ蓑に、身寄りの無い子供たちを使って人体実験を行っているとの噂があったわ」

「人体…実験…！」

　それも子供を使った人体実験…。京一、醍醐、小蒔は、傍らにいる龍麻を強く意識してしまった。龍麻らレッドキャップスの面々も、夥しい犠牲の果てに生み出された戦闘部隊だ。龍麻は余り話さないが、大量の薬物投与や電子パルスなどによる肉体的、精神的強化を図られている。それも言わば人体実験だった筈なのだ。

「詳しい事は解らないけれど、脳の成長が最も活発な十代前半までの子供たちの右脳を人為的に操作する――平たく言えば超能力に関わる実験ね」

「超能力ゥ？　漫画やテレビじゃあるまいし」

「そう信じる者がいる事こそ、それが昔から研究されている証拠だ」

　京一の言を、龍麻が静かに否定する。

「超大国においては、国家の研究機関が長年超能力開発に取り組んでいる。人体実験は最も手軽で効果的なのだ。超大国のエゴの陰でどれだけ多くの人命が失われているか、その当事者達でさえ知るまいよ。だが情報操作はぬかりなく、インチキ臭いスプーン曲げや透視実験をテレビや雑誌で紹介する事により、【超能力は嘘】であると視聴者に刷り込ませるのだ。公には超能力を否定しながら、裏では必死に研究に取り組む――国家というものはそういうものなのだ」

　そう言えば・・・と一同は頭を巡らせる。――口に出す愚を犯す事はなかったが、あまり良い記憶ではないので自然に表情が歪む。――夢の世界で龍麻が戦い、倒したレッドキャップス・ナンバー１４・・・彼は精神念動力（テレキネシス）の使い手であった。一同は既に、超能力というものを実体験していたのだ。

「そしてジルは、そのエゴが人の形を取ったものね。我々としては彼がヨゼフ・メンゲレの再来でない事を祈るしかないわね」

「…多分、無駄だろうがな」

　天野のため息に肯く龍麻であったが、京一たちには新たに登場した名に聞き覚えはない。天野が簡単に説明する。

「ヨゼフ・メンゲレはナチス・ドイツ時代にユダヤ人強制収容所で人体実験に興じた、【死の天使】とまで言われた狂気の医者よ」

「…人の皮でランプシェードを作り、人の脂肪で石鹸を作った連中だ。時代は変わっても、人間はなかなか変わらん」

　龍麻の口調は落ち着いたものだが、彼自身はまたもや身体の深奥で蠢く破壊衝動を覚えていた。彼のゴースト――レッドキャップス・ナンバー９が叫んでいる。【奴らは敵だ！　早く殺せ！】と。

「冗談抜きでナチ繋がりかよ…。それじゃ怪しんでくれって言ってるようなもんじゃねェか」

「それに…あまり思い出したい事ではないが、死蝋の時と似ているな…」

「肯定だ」

　その簡潔な返事に、醍醐の全身がさっと逆立つ。しかし、いつもの龍麻だった。

「確かあの時、死蝋は同様の実験を行っている同志と連絡を取っていた。死蝋の研究設備も相当の金がかかっている上、【共通のスポンサー】という言葉。――背後には鬼道衆か」

　今回の手口の荒っぽさから、鬼道衆が介入しているとは思えなかった龍麻だが、【最後の大隊】の現状から察するに、そう考える方が自然だ。そして今回の一件はジル・ローゼスのスタンド・プレーと考えられる。――元々ナチス党とは、【人類は優良種であるアーリア人の末裔であるドイツ国民によって管理されねばならない】という極右思想の党である。もしジルがその思想を受け継ぐ者であれば、鬼道衆も金を絞り取るだけの相手という事になる。果たしてどちらが利用し、利用されている事か。

「そんなッ！　それが本当なら葵も実験に使われちゃうか、鬼道衆に殺されちゃうって事ッ？」

　小蒔にも、京一や醍醐が顔を顰めている原因が分かったのだろう。品川での一件は、炎角を倒した今でも仲間たちの胸に楔を打ち込んでいる。肉体的精神的に桁外れに強い龍麻でさえあれほどの窮地に陥ったのだ。それが葵ともなれば――

「敵の目的が判った以上、悠長に構えている暇はない。行動開始だ」

「よっしゃ！　さっそく警備員をぶちのめして――！」

「…アホ」

「グッ…ひーちゃん…！」

「――間抜け！　ボケナス！　色魔！　万年金欠のマッチ棒！」

「グハァッ！」

　龍麻の悪口雑言を全弾食らってばったりと倒れる京一。よほど腹に据えかねたのか、とどめに龍麻は京一をぐりぐりと踏みにじった。

「貴様の頭はニワトリか？　ハムスターか？　この好色変態スベスベマンジュウガニ風情が！」

「…龍麻。とりあえずその辺にせんか？」

　肉体的にも精神的にもけちょんけちょんにノされた親友の姿に、さすがに哀れを催したか、醍醐が控えめに止めに入る。龍麻は珍しく肩で息をしながら、それでもやっと京一を踏むのを止めた。

「落ち着いた？　そこでちょっと提案があるのだけど。あそこに乗り込む方法に付いて」

「何か策がありますか？」

「私はルポライターよ。ここの訪問を表向き正式に許可されているわ。そこであなたたちはジャーナリスト志望の学生で、私のところに研修に来ている――こんなシナリオはどうかしら？」

「……」

　実は龍麻もそれを考えなかった訳ではないのだが、戦闘能力のない天野を巻き込むのは本意ではなかったので黙っていたのだ。

「しかし、危険ではないですか？」

　ここはやはり、一番常識的な醍醐が口を開く。すると天野は破顔した。

「あら、私は情報将校じゃなかったかしら？　あなたたちの実戦の場に立ち合った事もあるし、自分の身を護る事に関してもだいぶ認識を改めたつもりよ」

「…了解しました」

　決断を下すのは龍麻の役目である。彼は天野に敬礼した。

「学院潜入までは天野殿の指揮下に入ります。ただし、保険はかけておきます」

「それは任せるわ。ウフフ。こんな形で協力できるなら大歓迎よ。そんなに畏まらないで、適当に私に合わせてね。特に京一君」

　その京一はやっと地面から起き上がったところであった。

「クッ…テメエら、何事もなかったように話を進めやがって…！」

「文句を言うな二等兵。お前は荷物持ちだ」

　そう言って天野の持っていたカメラバッグと三脚を京一に押し付ける龍麻。彼の場合、木刀を持っている為、少しでもごまかす必要があるのだ。小蒔の弓に関しては、運を天に任せるしかない。

「それじゃ、交渉は任せてね。行きましょう」

　天野が歩き出し、龍麻がその後ろに続く。小蒔が慌ててその後を追う。そして京一と醍醐は――

「…なあ、タイショー。ひーちゃんの事、気付いたか？」

「ああ。何か…ピリピリしているな。美里が攫われたという事もあるが、どうもそれだけじゃなさそうだ」

「…俺たちがフォローしてやらなきゃな」

「うむ。俺たちも急ごう」









　五分後、龍麻たちの姿は無事にローゼンクロイツ学院内にあった。

　警備員が四角四面の人間ばかりだったのでさすがの天野も交渉に難儀したのだが、結局はマスコミにおける対外アピールと、何より学院長の名を出しての交渉（脅し）が効いた。しかしそのやり取りから察するに、やはり学院ぐるみで何やら後ろめたい事をやっているらしい。真神の制服を見て何の反応もしなかった事から、葵の誘拐は一握りの人間あるいはプロジェクトチームによる犯行と思われ、事情を知っている連中と接触するまでは平静を装えと各自に厳命する龍麻であった。

「今回は【敵】の規模が分からん。極力戦闘は避け、葵とマリア先生の救出に専念する」

　確かに仰々しい警備であるが、一応、ここは日本国内である。学院長が外人だからと言っても、治外法権区域ではない。そして今日の発砲事件を考え合わせると、僅かでも疑われぬ為に一両日中は火器を隠す筈だ。龍麻も全ての銃器類を学院外に置いて来るしかなかったので、条件的には五分と五分。双方、よほどの事が無い限り、戦闘は望ましくないのである。

「…外見もそうだったけど、冷たい感じがするね。白い壁と扉ばっかりで、気が滅入ってきちゃうよ」

　天野は指定された応接室に向かい、龍麻たちは学院長室を目指して移動する。その途中の通路は小蒔が言う通り、酷く冷たく、空虚な感じがした。四人の足音がやけに反響し、白けた空気の中に吸い込まれて行くかのようだ。

「とても学校の中とは思えねェ。ガキの声一つ聞こえねェじゃねェか」

「ああ。まるで病院…どころではないな。酷く嫌な感じだ」

「…無駄口を叩くな」

　静かだが、鋭い龍麻の声。やはり今日の龍麻はどこかおかしい。口調や挙措に、何やら緊張が張り詰めている。

「…なあ、ひーちゃん」

　黙れと言われたばかりだが、敢えて京一は口を開いた。いや、開きかけて途中で止めた。廊下の向こうから小さな靴音が聞こえ、赤い服を着た小さな女の子が現れたからであった。

「子供――だね。声をかけてみよっか？　・・・ひーちゃん？」

　直線の廊下で、隠れる場所はない。それに、誰かいたら情報収集を図る事になっていたので小蒔はそう声をかけたのだが、龍麻からの返事はなかった。

「・・・ひーちゃん？」

　京一には、醍醐には解った。龍麻の緊張感が増した事が。

　片手を上げて京一達に【待て】と告げ、龍麻は少女と鉢合わせた。少女の方はと言えば、どこか脅えているようだ。

「アナタタチ…ダレ？」

　控えめと言うよりは、周囲から押し縮められているような少女の声だった。龍麻たちを侵入者として見咎めている訳ではないが、見知らぬ他人に脅えている――そんな感じである。

「こ、こんにちはっ。え、えっと、ボクたちは怪しい者じゃなくて――」

「ば、バカヤロー、目一杯怪しいじゃねェか！　その言い方！」

　龍麻が黙っていた事で、思わず馬鹿正直な応対をしてしまう小蒔。京一も反射的に突っ込んでしまい、ここが敵地である事も忘れたか、いつものノリでぎゃあぎゃあ言い合いを始めてしまう。しかしそんな彼らを無視し、龍麻は右手を胸に当て、片足を引いて少女に優雅に礼をした。

「アレは放っておいて、はじめまして、お嬢さん。我々は泥棒です」

「！？　っ！？　ッッ！？」

　またぞろ、龍麻の早変わりである。今の龍麻の声は、既に半年近く付き合ってきた京一たちですら初めて聞くほど優しかった。京一や小蒔など、思わず耳をかっぽじってしまったほどである。しかし――いきなり【泥棒】とは！？

「ドロボウサン…？　・・・悪いヒト？」

「――いいえ。我々は良い泥棒です。強きをくじき、弱きを助ける。それが我々の使命なのです。――美しいお嬢さん。お名前を聞かせていただけますか？」

　いっそここまでなり切れれば天晴れ。確かにイメージに合わない落語好きで、筋金どころか鎧まで着ている朴念仁だが、龍麻はあらゆる状況下の戦闘に耐えうるように訓練を受けた兵士である。当然その中には敵地への単独潜入のカリキュラムも存在する。それが――コスプレの【なりきり】に繋がっているのだ。今回の出展はさしずめ――【ルパ○三世】。

　少女の警戒がやや軟化したのも、【泥棒】という単語に似合わぬ柔和な雰囲気のためであろう。

「マリィ…マリィ・クレア…」

「…マリィさんですか。美しい名だ。――こちらの猫さんはなんとおっしゃるのでしょう？」

「……ッッ！」

　くどいようだが、これが【あの】龍麻の言葉である。京一たちが我慢しているのは恐怖か笑いか？　京一は天を仰いで悶絶しているオペラ歌手のようになり、醍醐は【悩み中】のポーズのままピサの斜塔のように巨体を傾かせ、小蒔は石になっている。

「メフィスト…」

「こんにちは。メフィスト」

　龍麻が手を差し出すと、メフィストはフンフンと鼻を鳴らして彼の匂いを嗅ぎ、するすると彼の腕を登って行った。そして彼の肩の上でにゃんと鳴くと、龍麻が伸ばした反対側の腕を伝ってマリィの肩に戻る。

「うん？　私の顔に何か付いてますか？」

「ウウン。オ兄チャンノ手…アッタカイ…。アオイト同ジ…」

「葵ッ！？」

　小蒔の石化が解け、何やら怪しい蛇踊りをしていた京一や醍醐も我に返る。

「き、キミ！　葵のコト、知ってるのッ！？　お願い！　葵が何処にいるのか教えて！」

　今にも掴み掛からんばかりの小蒔にマリィが脅える。そんなマリィを龍麻はそっと庇った。

「落ち着け、小蒔。――マリィさん、あなたは葵の事をご存知なのですか？」

「…ナゼ、アオイ探スノ…？」

　マリィは自分と話す時だけ龍麻が優しい口調になる理由も分からなかったようだが、それ以上になぜ彼らが葵を知っているのか疑問に思ったようだ。

「我々が狙うのは、悪い魔法使いが連れ去った女の子。――どうかこの泥棒めに、葵の居場所を教えて下さいませ」

　どこまでも優雅に、芝居がかった台詞を繰り出す龍麻。小蒔は少し腹が立って来たが、京一も醍醐も吹き出しそうになる自分を押さえて沈黙を守る。理由は不明だが、龍麻はこの三文芝居を【本気】でやっている。

「アオイヲ…助ケニ来タノ？」

　龍麻は大きく肯いた。オペラ歌手のように。

「金庫に閉じ込められた宝石たちを救い出し、無理矢理家族から引き離された女の子は自由な世界に帰してあげる。――これはみな、泥棒の仕事なのです」

「…ナゼ、アオイヲ自由ニスルノ…？」

　とことん【なりきり】の台詞にも、マリィは呆れも怒りも、笑いもせず、まったく反応を見せなかった。しかもこの少女は、葵が自由を拘束されていると知りつつ、その事に何の疑念も抱いていない。

「なぜって…当たり前じゃないか！　葵はボクたちの大切な仲間なんだからッ！」

「桜井、気持ちは解るが落ち着け」

　醍醐が執り成し、小蒔も思わず激情を爆発させかけた自分を恥じて沈黙する。以前にも葵が、そして先日は醍醐が同じような状況にあったと言うのに、自分は同じような行動しか取れない。しかし――

「仲間ハ大切ジャナイヨ。役立タズハスグニ捨テラレルシ、イクラデモ新シイ仲間ツクレルモノ。ＤＡＴＡサエアレバ、イクラデモ増ヤセルモノ」

「き、キミ…何を言って…！」

　こんな少女が語るには凄まじすぎる言葉の羅列。唯一の救いは、マリィの声が余りに感情に乏しいという事であった。これほど幼い少女にこんな声を出させ、こんな言葉を語らせるとは、一体…！

「じゃ、じゃあキミは友達が死んじゃっても哀しくないのッ？　たとえば、その猫が死んでも哀しくないのッ？」

「メフィストガ…？」

「そうだよッ！　哀しいだろッ！」

「よせ！　桜井！」

　醍醐が止めるまでもなかった。小蒔が激しい自己嫌悪と共に口元を押さえたのは、無表情なマリィの澄んだ双眸から、大粒の涙がぽろぽろと零れたからであった。

「哀シイ・・・？　ワカラナイ・・・ワカラナイ・・・！」

　無表情のまま流す涙――まさか、この子は――！？

「マリィ――」

　龍麻がマリィの両肩に手を置く。

「それが【哀しい】という感情だ。そして、泣きたい時は声を上げて泣いて良いのだぞ」

　既に彼は他人行儀な言葉を使ってはいないが、それでも優しい声に変わりはなかった。

「駄目…泣クトジル様怒ル…。兵士ニ感情要ラナイッテ…感情アルカラ人ヲ・・・――ナイッテ・・・」

「忘れろ！　お前は――マリィは人間だ！」

「！」

　突然龍麻が大声を上げたので、マリィのみか京一たちまでビクッと震える。しかしマリィは脅えたのではなかった。自分が【人間】と呼ばれた事に驚いたのである。

「…驚かせて済まない。そういう事を言う悪いおじさんは、お兄ちゃんがお仕置きをしてあげる。だからマリィは、泣いても良いんだぞ」

　その時、京一はふと不思議な既視感を覚えた。

　目の前にいる龍麻が頬に傷のある中年男性に変わり、マリィが幼いくせに暗く冷たい目をした、片目の少年に変わる。少年の肩口に、そして中年男性の背中にナイフが突き立ち、鮮血が噴き出ていた。だが中年男性は力強く少年を抱き締めた。そして――

「ヒック…ヒック…」

　涙をぽろぽろと零しつつも、表情を変えぬまましゃくりあげるマリィの姿が、現実への回帰を促す。京一は呆然として醍醐を、小蒔を見たが、二人とも今の光景は見ていなかったらしい。

（幻覚でも見たってのか…？）

　泣いているマリィと意外な一面を見せている龍麻を交互に見ながら、京一はやや混乱した頭を掻く。だが――龍麻が決定的な言葉を継いだ。

「――良いのだ、マリィ。もう、誰も殺されない。だからもう、殺さなくても良いのだぞ」

「――！？」

　それを聞いた瞬間、京一と醍醐はある可能性が頭に閃き、自らの考えに愕然となった。

（有り得ねェ…話じゃねェよな…！）

（まさか…龍麻とこの子は…！）

　しかし、二人の思考はマリィの声に遮られた。

「マリィハ・・・マリィハ泣イテイイノ・・・？　泣イテモ…怒ラナイ？」

「怒らないとも。――哀しい涙は見たくないが、怒ったりはしない」

　マリィの顔が初めてクシャっと歪み、しかし、それ以上何も出来ない。だが龍麻が何も言わずに抱き締めると、驚いたのも束の間、堰を切ったかのように声を上げて泣き始めた。

　一同には何が起こっているのか理解できない。解るのは、龍麻とマリィの間に何か抜き差しならない事情があろうという事だけだ。そしてそこに、自分達の立ち入る余地はない――否、立ち入ってはならぬような気がする。しかしこの少女の言動は、正確には、彼女にそのような言葉を吐かせた者の存在は、一同の怒りと憐憫を誘った。

「こんな子供の感情を縛り付けるとは…。やはりここはとんでもない所らしいな。――許せん」

マリィの泣き声だけが響く沈黙を、醍醐が静かに破る。彼は慎重に言葉を選び、声も押さえた。

「ウン…許せないよ…こんな小さな子を…。――ゴメンねマリィ、馬鹿な事言って…」

　しどろもどろになりながら謝る小蒔に、マリィは涙に濡れた顔を上げて首を横に振る。恐らく人の優しさに触れるのは初めてなのだろう。そして泣く事にすら、慣れていないに違いない。

「マリィ、仲間とは、所属している組織の中にいるだけの存在を呼ぶのではない。互いの存在を認め、互いに助け合い、信頼し合える者の事を呼ぶのだ。それをもっと簡単に呼ぶと、【友達（フレンド）】という事になる」

「フレンド…？」

「そうだ。マリィはメフィストが好きだな？」

「ウン…」

「メフィストもマリィが好きなのだ。それを友達という」

　龍麻はマリィの頭をそっと撫でながら言う。その手が震えているのは、慣れていないせいか？　それとも――

「マリィ、お兄ちゃんも、マリィの友達になっても良いかな？」

「エッ――？」

「友達とは、仲間とは、力を合わせる事でより大きな力を生む事ができるのだ。一人ではできない事も、みんなと一緒ならできる。この京一も、醍醐も、小蒔もそうやってみんなで助け合っている。だからマリィとも友達になりたいな。マリィが友達になってくれれば、お兄ちゃんは空を飛ぶ事も、地球を持ち上げる事もできるんだよ」

「デ、デモ…【１７】モ、【１９】モ、【２１】モ、ミンナマリィノ事、仲間ダケド邪魔ダッテ言ッテタヨ？」

　これは聞き捨てならなかったのか、京一がずいと前に出る。少し身をかがめ、珍しく優しい口調で言った。

「なあ、おチビちゃん。そんな事を言う奴は最初（ハナ）っから仲間でもなんでもないんだぜ。友達も、仲間も自分で選ぶもんだ」

　らしくもない事を言っていると自分でも思ったのか、京一は照れ隠しにマリィの頭をくしゃっと優しく撫でる。

「そうだよマリィ。みんなは、そう言わされているだけだ。誰も心からマリィを嫌ってなどいない。――この京一も、お兄ちゃんの事を友達と呼んでくれた。だから力を合わせれば、こんな事だってできるんだよ」

「！？」

　龍麻は人差し指を立て、京一の木刀にチョンと触れた。

「おおッ！？」

　木刀にポン！　と咲く小さな花。マリィは驚いたが、京一はもっと驚いた。

「――今はこれが精一杯」

　有名な台詞と共に、京一の制服のボタンに触れる龍麻。するとそこからするすると小さな万国旗が伸びてくる。なんという事のない、初歩的な手品だが、マリィの目が輝いた。

「更にこちらの醍醐だが、たとえばこのテーマソングを聞かせると――」

「た、龍麻！　それだけはやめろ！　いや、やめてくれ！」

　未だに条件反射を克服できない醍醐は両手を合わせて必死に龍麻を拝む。

「…このように蛇踊りをするのだ」

　こんな姿の醍醐や龍麻を見たら仲間たちはどう思うか？　情けないと呆れるか、意外なものを見たと笑うか？　――そうではなかろう。きっと賞賛にするに違いない。なぜなら――

　クスクスッと笑い声が聞こえ、醍醐が真顔に戻る。京一も、小蒔もマリィを見た。

「……！」

　全員の注目が自分に向いたので、マリィの表情が元に戻る。残念ながら、彼女の笑顔を見たのは龍麻だけであった。

「良いんだよ、マリィ。機械は泣かないし、笑わない。しかしそれはどちらも、人間にとっては大切なものだ。嬉しい事、楽しい事、辛い事、苦しい事、生きていると色々な事があるが、友達と一緒だと悲しい事は半分に、嬉しい事、楽しい事は二倍にも三倍にもなるのだ」

「ウン…」

「だから、お兄ちゃん達は葵を探している。今、葵はとても恐い目に遭っている筈だ。だからお兄ちゃんたちが助けなければならない。マリィ、葵が何処にいるか、知っているなら教えてくれ」

　マリィは涙を拭き、顔を上げた。

「…アオイモマリィノ事、友達ダッテ言ッテクレタ…。デモアオイ、アソコニ連レテ行カレタ…」

「…あそことは何処だ？」

「地下室…。デモ、ジル様ガ入ッチャ駄目ダッテ…。実験中ダカラ…」

「――ッッ！！」

　京一、醍醐、小蒔が互いに顔を見合わせ、血相を変える。ここに来る前に龍麻の言っていた【解剖】やら【人の皮のランプシェード】、【人の脂肪で作った石鹸】という不穏当極まりない単語が頭の中でグルグルと明滅する。

「ひーちゃん！　こうしちゃ…！」

　だが、龍麻は片手を上げて京一を制した。

「マリィ、案内してくれるか？」

「デモ…ジル様ガ…」

「マリィはいくつだ？」

　京一たちが「！？」となる。この状況でする質問でもないだろうに。しかし――

「…十六」

「じゅっ、十六ゥッ！！？」

　龍麻を除き、一同が息を呑む。マリィの外見はどう見積もっても小学校高学年か、ぎりぎり中学生である。それなのにマリィははっきりと、自分は十六歳だと言ったのだ。

「薬ハ成長ヲ止メルカラ…」

「そうだったな…。ここに来てから長いのか？」

「前ハ別ノ所ニイタ…。デモ、基地ガ壊レチャッタカラ…」

「解った。もう聞かない」

　【別の所】と言う時に酷く辛そうな声になるマリィ。龍麻は静かに首を横に振った。

「マリィ。十六歳となれば、もう大人だ。誰かに言われて従うだけではいかん。自分の事は自分で決めて、自分で行動するのだ。マリィは、葵の事が好きか？」

「ウン…」

「お兄ちゃんたちが助けてあげないと、葵は殺されてしまう。【俺たち】の仲間がそうであったように。俺は、これ以上【仲間】を死なせたくない。教えてくれ、マリィ」

　龍麻の言葉に首を傾げたのは小蒔のみで、京一と醍醐は神妙な顔を見合わせる。先ほど頭に浮かんだ予想が、急速に現実味を増す。

（オイオイ…どうやらマジだぜ…！）

（やはり…龍麻とこの子は…！）

　しかし、そこまでは解った二人でも、なぜ龍麻が自分の正体を明かさぬのかまでは解らなかった。いや――想像はできるが、そこまでなのだ。

「マリィ…案内スル。アオイノトコ…マリィモ連レテ行ッテ！」

「…危険だぞ。それに俺は、ジルを殺すかも知れん」

　初めてマリィに聞かせた、龍麻の冷たい声。しかしマリィは怯まなかった。

「アオイ…マリィノ事、友達ダッテ言ッテクレタ…。アオイガ死ンジャッタラ悲シイ。ダカラヒユー、マリィモ連レテ行ッテ！」

　いくら頼んでも、こればかりは龍麻も譲るまい。もしマリィの言う通りに葵が何かの実験台にされていたなら、そして、もしも考え得る最悪の状況になっていたなら、自分達は何をしでかすか解らない。

　だが、龍麻は意外な事を言った。

「これからとても危ない所に行くのだ。俺の言い付けが守れるか？」

　それは龍麻が、【仲間】に対して使うべき言葉だった。未だかつてない、優しいものであったが。

「ウン！」

「…分かった。一緒に行こう」

　初めて子供らしい、屈託の無い笑みを満面に浮かべるマリィ。その手を引き、龍麻は地下に至る階段を降り始めた。

　その後に続き、小蒔が小声で言う。

「ねえ、ひーちゃんって、こんなキャラだったっけ？」

「――今更何言ってんだよ。ある時は株取引する高校生。ある時は過激な鬼軍曹改め少尉殿。ある時は絶対に受けないギャグを飛ばす噺家。またある時はスパイ○ーマン。きっとあと五つくらい正体があるぜ」

「う〜ん…言えてるかも」

　小蒔は京一の軽口を真に受けたようだ。しかし京一も醍醐も、先ほどの直感を否定できずにいた。もし、この推測が正しければ、この先にいるのは…

「ココ」

　マリィが指差し、龍麻たちは【実験室】とプレートのかかった、分厚い金属の扉の前に立った。

　そして龍麻は、扉に手を掛けた。









　第拾弐話　魔人　２　　　　完



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