「ッッ! …これで…ええい! もうどうでも良いぜッ!」 少ない人数で闘う為、敢えて水龍刀の発生させた霧に身を潜めて闘う京一は、何人敵を切り捨てたのか、数をカウントするのを放棄した。 敵戦力を約五、六〇人と読んだ京一ではあったが、どうやら向こうも援軍を呼んだらしく、周囲から感じられる殺気は一向に減じる様子がない。如月とアラン、戦闘のプロフェッショナル二人が加わってなお、圧倒的な戦力差であった。幸いだったのは、岩角には指揮能力がないのと、中忍程度では気配のみを頼りにする戦闘が行えないという点である。直接戦闘能力を持たない葵は別として、ここにいる龍麻たち四人は目隠しをしたままでも敵と闘えるだけの技量を有している。この二つだけが、圧倒的な物量差に龍麻たちが押し潰されないでいられる理由だった。しかしそれも、かなり危うい綱渡り 「龍麻君。やはりここは攻めるべきでは」 「駄目だ。数に呑まれる」 そのただ一言の意味は、如月も解っている事だ。この場で自由に動けるのは如月と京一だけである。アランも完全武装だが、やはり近接戦闘向きではないので、自由に動き回れない龍麻と葵の護衛を兼ねて、援護射撃に徹している。彼だけは赤外線ゴーグルを使っているので敵の動きも逐一把握しているが、バラバラに動いている鬼道衆忍軍の隊列をまとめて吹き飛ばすという訳には行かない。そして仮に京一と如月が打って出たとしたら、霧のカムフラージュを失った二人に一斉攻撃が加えられ、そこをアランと龍麻が支援したとしても、今度は彼らの背後がおろそかになる。現時点において打って出る事は自殺行為と同じなのだ。それを知りつつ如月が打って出る事を提案するのは、明らかに彼らの布陣が狭められているのが解るからだ。 「しかし、このままでもいずれ呑み込まれるぞ」 「大丈夫だ。その前に醍醐たちが戻ってくる。その時までは耐えろ」 これで三度目になる自動回復術を葵にかけてもらいながら、龍麻は荒い息の下でも強く言う。彼は醍醐が戻ってくる事を少しも疑っていない。――根拠はないのに、なぜか確かな予感としてそう思えるのだ。 だが、現実は過酷だ。 龍麻の脇で、ガシャリ! とM−16A2が地面に放り出された。 「アミーゴ! 実包が尽きたネ!」 そう言ってアランは霊銃――新装備のコルトSAA【ピースメーカー】を抜いた。 彼の口調からは陽気さが消えていないが、それでも気配が緊張の気を孕んでいる。京一や如月がそうであるように、アランも既に敵を何人倒したかなどとは考えていない。だが、完全装備でここに来たアランの携行弾数はM−16A2用五・五六ミリNATO弾が五マガジン一五〇発。サイドアームがウージー・ピストル二丁下げで四〇発。ベレッタM92Fが一五プラス一発に二マガジンで計四六発。それら全てを撃ち尽くして、なお敵の数が減らないのだ。 そしてなお悪い事に、薄れ始めた霧の向こうに、巨大な影が滲み出してきた。いよいよ岩角自らが出てきたのである。 「…岩角とか言ったな? こんな雑魚どもじゃ俺たちは倒せないぜ」 「ながなが…やる。仲間…一杯死んだ」 「へッ」 にやりと不敵に笑って見せる京一であったが、木刀の切っ先は既に下を向いてしまっている。龍麻、醍醐という接近戦のエキスパートを欠き、矛と盾を同時にこなさねばならぬ彼は自分で意識できる以上の疲労をつのらせていた。 「だども、息が上がっでる…」 「けッ。言ってろ」 口の中の苦い唾を吐き出し、京一は両手で木刀を握り締めた。酷く苦労しながらも、正眼に構える。 「もうすぐあいつらが戻ってくる…。それまで保たせてやるさ…!」 「そで、無駄なごど…今頃炎角が【白虎】を手に入れでる…。おでも、お前だちだおして、九角様に誉めてもらう」 まさか龍麻とアランの弾丸が尽きるのを計算していたとでもいうのか、岩角自らが闘うつもりらしい。この無数の忍群も、全て龍麻に対する捨て石だったのか!? 京一の脳裏に、龍麻の言葉が蘇る。【何者か、俺の事を知っている奴がいる】。 岩角はお世辞にも指揮官が勤まるタイプではない。しかし作戦を忠実に実行するだけならこの男でも可能だろう。この作戦を立てた奴は、龍麻の性格も戦術も読んでいるのだ。 「クソッ! あいつらが戻ってくるまで待ってるって訳にはいかねェらしいな。ひーちゃん、お前も覚悟決めろよッ」 京一にそんな事を言われるのは不本意であったが、今の龍麻には返す言葉もない。弾の尽きたスコーピオンを捨て、龍麻も前に出た。だが彼の左腕と右足はギプスで固められているのだ。 「龍麻ッ!」 思わず駆け出そうとする葵を、アランがその手を掴んで止める。 「イケナイ! 駄目ネ! アオイ!」 「でも! 龍麻が!」 その龍麻は、いきなり左腕のギプスを右足のギプスに叩き付けた。 「え…!?」 特別製だった為、ギプスを砕くには五回も叩き付けなければならなかったが、それでも龍麻は軽くなった左腕と右足を、その機動状態をチェックするように動かす。 「まだ六〇パーセントというところか。だが、構ってはいられんな」 龍麻は右掌に【気】を集中し始める。しかし使える技は極めて限られている筈だ。龍麻の古武道は腰を中心に、足の粘りがパワーの源である。【掌打】一発を取ってみても、全身では二十個所にも及ぶ間接の連動が行われるのだ。そして右拳による攻撃は右足の踏み込みが不可欠であり、龍麻は今、その右足が不完全なのだ。逆に、左足が使用可能でも左腕が不完全。つまり、基本から応用まで、全ての技が使用不能である。 しかし、龍麻は勝負を捨てていない。 「アラン! 葵を連れて後方に下がれ! 京一! 如月! 俺の左右後方に付け!」 そう言って龍麻は、地面に突き刺さったまま霧を吐き続けている水龍刀を左手に取った。 龍麻が刀を!? いぶかしむ二人を尻目に、龍麻は岩角の前に進み出る。 「お前を殲滅する前に一つ聞いておこう。俺を殺す為の作戦を立てたのは、その九角とかいう男なのか?」 「こ、九角様の悪口は許さねえど…。そンだ…佐久間を鬼に変えるのは【白虎】を味方にする為…。だどもそではお前どは関係ない…」 するとやはり、九角という鬼道衆頭目が、龍麻の事を知っているという事になる。そして龍麻は、鬼道衆頭目の事を何一つ知らない。 (これからきつくなるな) この期に及んで、まだそんな事を考えている龍麻であった。 「お前殺せば、九角様は誉めでくれる。死ねェ!」 「龍麻ッ!!」 ダンプが突進してくるような凄絶なタックルに対し、龍麻は一歩飛び下がって水龍刀を振った。吹き出した霧が岩角を押し包む。 「グガ? どご行っただ?」 周囲を霧に呑まれ、岩角は龍麻を見失った。きょろきょろと周囲を見回しても、見えるのは霧ばかりである。 声は突然響いた。 「ここだ」 「!!」 愕然と振り向く岩角! しかしその瞬間、龍麻の制服が岩角の顔面を覆った。 「如月!」 「【水裂斬】!!」 岩角の足元から吹き上がる水柱! 如月が【玄武】の力を使って水道管を破裂させたのである。【気】を孕んだ水柱は生き物のように、視覚を封じられた岩角の身体を呑み込む。間髪入れず、龍麻も技を繰り出した。 「【雪蓮掌】!」 特別な肉体的モーションを必要としない、純粋に【気】のみの照射による技、【雪蓮掌】。【気】を凍気に変え、あらゆるものを凍てつかせる技は、如月の水操術と連携し、岩角を氷の固まりの中に閉じ込めた。 「京一!」 「秘剣! 【朧残月】ッ!!」 完全に動きを封じられた岩角に向けて、京一渾身の斬撃! 実体の木刀は岩角に触れる手前を走り抜けただけだが、切っ先から迸る【気】の刃は確実に岩角を両断してのけた。 氷が砕け、鬼面の下から大量の血が吹き零れる。【殺ったか!?】。誰もが、龍麻でさえそう思った。しかし―― 「ッッ!!」 突然吹っ飛んできた岩角の手を、龍麻は避ける事ができなかった。野球のグローブよりもなお大きな手が龍麻の首を締めにかかる。とっさに【気】の防御を固めた龍麻であったが、岩角の怪力はそれを凌駕した。みるみる龍麻の顔が青紫に変色する。 「龍麻ッ!!」 「龍麻君!!」 京一の木刀が叩き付けられ、如月の忍び刀が突き立てられるが、岩角の肉体は正しく岩のようにそれを弾き返した。京一の【朧残月】によって内蔵を破壊されてなお、これほどの力を出すというのか!? 更に間の悪い事に、残っていた忍群が一斉に彼らに襲い掛かってくる。 「No――!!」 アランの霊銃が機関銃もかくやという速射を忍群に叩き付ける。だが、しのぎ切れない! 京一も如月も中忍の群れに呑み込まれ、岩角に締め上げられていた龍麻の両手がだらりと下がった。 「い、嫌ァァァァァッッ――――ッッ!!」 葵が絶叫を放った正にその瞬間、また、あの【声】が聞こえた。 ――目覚めよ―― 葵の全身が黄金の光を放つ。まったく無意識のまま、彼女は高速で呪文を紡ぎ出していた。 【神に仕える大いなる力、天界を守護する偉大なる五人の聖天使よ。魔を討ち滅ぼす力をここに示さん! ――ジハード!!】 葵を中心に、そこに恒星が出現したかのような黄金の光が炸裂した。 「何だ! あの光は!?」 その光の爆発はあまりにも強烈すぎて、醍醐たちは一瞬の停止を余儀なくされた。 「ひーちゃん達が闘っている方だよ!」 「また龍麻サンの新兵器かな!?」 「龍麻ならありうるけど…」 「解らん! とにかく急ごう!」 森の散策ルート残り二〇〇メートルほどを一気に駆け抜け、そこに醍醐たちが見たものは、まるで磨き抜かれたかのように何もない広場にたたずむ龍麻たち五人と、黒焦げとなった巨大な人体らしきもの、そしてかなり離れたところにいたらしい、恐怖の為に身動きも叶わなくなっている数人の鬼道衆忍軍であった。 「…遅い」 喉元一面を青痣で埋めた龍麻がぼそりと呟く。声が旨く出せないのだ。京一も如月も地面にへたり込んでいて、何が起こったのか解らない様子だ。同じように地面にへたり込んでいる葵をアランが呆然と見ているところを見ると、彼女が何かしたらしい。 「ボケっとするな! 戦闘中だ!」 酷いガラガラ声の、隊長殿の一喝! 一同は跳び上がらんばかりになり、慌てて戦闘隊形を取った。すると黒焦げの固まりが口を開く。 「お前は…炎角は失敗しだだか…!?」 「なッ…コイツ、生きてるの!?」 慌てて小蒔と雛乃が弓を引き絞る。雨紋や紫暮、藤咲に雪乃も、敵は鬼道忍群残党だとばかり思っていたので、血相変えて身体の向きを黒焦げの岩角に向けた。 「そうだ。炎角は俺の…俺たちの手で打ち倒した」 ずい、と前に進み出る醍醐。彼は岩角を鋭く睨み付け、一転、龍麻に穏やかな視線を向けた。 「遅くなって済まない。ここは俺たちに任せて、休んでくれ」 醍醐たちとて、鬼道五人衆の一人である炎角との戦闘直後に全力疾走してきた身だから、疲労困憊は彼らとさほど変わりない。しかし今の醍醐は内から膨れ上がる闘志に血を沸き立たせていた。 ――ここだ。この男の傍らこそ、俺のいるべき場所なのだ―― 醍醐は今、はっきりとそれを自覚した。 「お前たちはあそこの残党を頼む。一人も逃がすな。こいつは俺に任せろ」 応! と答え、慌てて戦闘体制を取ろうとする鬼道衆忍軍の残党に向かっていく雨紋、二人の紫暮、そして雪乃。彼ら以外は葵を中心に、傷付いた龍麻、京一、如月の護衛に廻る。 それを横目で確認し、醍醐は岩角に向き直った。 「行くぞ」 「お…おでは負けない…!」 ぎしぎしと岩が擦れるような音を立てて岩角が構えを取る。焼け焦げた忍び装束がボロボロと零れ落ちるのに、炭化した皮膚が混じった。それを苦痛と認識しないのは単に鈍い為か、それとも、この愚鈍な男にしてそれほどこの世に対する恨みが深いのか。多分、その両方だろう。 (…この世を怨んでいるからといって、現在を生きる者を殺して良いという理由にはならん――か。まったく、お前の言う通りだな、龍麻) そして醍醐は、雄叫びを上げた。【四神覚醒・白虎変】! 「これは…!」 さすがの龍麻も、醍醐の変身に息を呑む。驚きと同時に、納得の顔を作ったのは如月とアランだ。 「あれが醍醐クンの新しい【力】だよ」 「…うむ! 良くやったぞ、小蒔」 小蒔に力強く肯く龍麻。その一言に、小蒔はまた涙が溢れるのを感じた。 (やっぱりひーちゃんは、ちゃんと醍醐クンの事を信じていてくれたんだ…。ボクの事も…!) だが小蒔は涙をぐっと拭って、醍醐の闘いに目を移した。残党狩りの方はあっという間に決着が付き、もはや敵は岩角のみ。そして龍麻は仲間たちに、敢えて手を出すなと厳命した。 「グオオオオオオッッ!!」 「オオオオオオオオオオッッ!!」 技も何もなく、力任せに掴み掛かってきた岩角に、醍醐は真っ向から応じた。期せず手が組み合い、手四つで力比べとなる。そこは大ダメージを受けているとは言え、醍醐でさえ子供に見えるほどの身長差と体重差を誇る岩角が優勢に押し込む。 「ちょっと! あんなのと真正面からなんて、いくら醍醐でもヤバくない?」 「問題ない。醍醐を信じろ」 藤咲の焦りの声に、平然と答える龍麻。見れば男性陣は少しも慌てていない。醍醐の勝利を微塵も疑っていないのだ。 「け、けど龍麻君よ。押され気味だぜ?」 「そ、そうですわ。いくら醍醐様でも…」 雪乃も雛乃も口を揃える。京一が何か言おうとしたが、龍麻はそれを遮った。 「ここで負けるほど醍醐は弱くない。だがそれほど心配だと言うならば――雨紋、【切り札】を出せ」 「えっ!? こ、これっ!? ま、マジかよ龍麻サン!」 龍麻が雨紋から受け取ったのは、超小型のラジカセ。――小蒔に渡し忘れるという失態を犯したものの、醍醐が堕ちた時に備えていた、これが【切り札】であった。 「ちょ…と! ひーちゃん! それはまずいって!」 泡を食って止めようとする小蒔。しかし龍麻は、【再生】ボタンを押してしまった。そして流れ出す、【タイ○ーマスク】の主題歌。 「えっ!?」 「なっ!?」 「まあっ!?」 戦闘中に、あまりにも場違いと言えば場違いなアニメソング。しかしその変化は劇的ですらあった。 「ウオオオオオオオオッッ!!!」 それが耳に届いた瞬間、醍醐は凄まじい咆哮を上げ、岩角を一気に押し返した。太い木の瘤のような岩角の筋肉がプルプルと震えるが、拮抗し切れずに地面に膝まで突かされる。 「ば…ばがな…! おでが…おでが負げる…!?」 この愚鈍な男にしても、歴然とした力の差を感じたのだろう。限界を越えた岩角の肩間接がボグン! と異音を発して外れる。醍醐は両手を離し、身を捻る。後ろ廻し蹴り! ただし、ただの廻し蹴りではなかった。全身の捻りと全間接部の加速が完全に連動した、下から突き上がるような後蹴りである。二〇〇キロの巨体がしゃがんだ姿勢から直立状態になって空中に跳ね上げられ、掛け値なしに地響きを立てて地面に叩き付けられる。正しくタイガー○スクのローリングソバット――もとい【白虎】の【虎蹴】。 「――フィニッシュだ」 龍麻が呟く。 醍醐は両手を天高く掲げ、【気】を凝集させた。そして―― 「【破岩掌】ォッ!!」 これまでの醍醐では考えられない、膨大にして研ぎ澄まされた【気】が岩角の巨体に叩き付けられ、その胸骨を完全粉砕してのけた。 「な…なんだどぉぉぉ…!!」 死の痙攣に岩角の手足が跳ね上げられ、それがばったりと地面に落ちた時、岩角の身体は名前の通り、土の堆積と成り果て、ボロボロと崩れ去って行った。 ――後に、黒い珠を残して。 「…今更、どのツラ下げて戻ってきたんだよ…」 自分達の完全勝利に沸く仲間たちは、その一言にしん、と静まり返った。 「京一…!」 向かい合う京一と醍醐のただならぬ様子に小蒔が割って入ろうとするが、二人の間に張り詰めた【気】がそれを許さなかった。 「いきなり姿を晦ましたかと思えば、今度はいきなり現れやがって…」 「京一ッ、そんな言い方しなくたって良いじゃないかッ!」 他の仲間たちも賛同の声を上げかけるが、龍麻が片手を上げてそれを制する。 「いいや! 言わせてもらうぜ! こいつは前からテメェ勝手なところがあんだ。何でも自分一人で解決できるようなツラしやがって…。そんな奴が混じってたらチームワークなんざないも同然だろうが! 俺ァやだぜ。これからもそんな奴と一緒に闘うなんざ」 一同は静まり返ったまま、何も言わない。何しろ、事情を知らない者が大半である。それに京一がここまで言うとは思ってもみなかったのだ。如月だけは【四神】に目覚めるという事の重大さを知っているのでフォローを入れたかったようだが、龍麻が何も言わぬので黙っていた。 「そうだな…京一の言う通りだ…」 「……」 「俺がいれば皆に迷惑がかかる」 「……」 反応を示さない京一から視線を外し、醍醐は龍麻に顔を向けた。 「龍麻…。美里も…今までありがとう」 「…醍醐君…」 「……」 龍麻も京一と同様、何も反応しなかった。彼の場合は目元が見えないだけに、余計に表情が読みにくい。 「桜井…お前にもずいぶんと心配をかけてしまったな。ありがとう」 「そ、そんな事…そんな…事…!」 声に詰まった小蒔はその先を続ける事ができない。その分表情で訴えかけるが、醍醐の視線は無情にも通り過ぎて行く。醍醐は【まさか】という表情をしている仲間たちの顔を一つ一つ見詰め、それから京一に向き直った。 「京一…お前は俺にとって掛け替えのない友だった。お前に何と思われようと、俺はお前の事を忘れない…。もう…会う事はないだろうがな…」 すっと肩で風を切る醍醐。葵が、小蒔が息を呑む。 「…言いたい事はそれだけか?」 醍醐の背に、京一の妙に落ち着いた声が当たった。 「ん…? あ、ああ…」 「――そうかい。――良いな、龍麻?」 なぜここで龍麻が!? 仲間たち全員が龍麻を振り返る。そして彼の口から出た言葉に、誰もが耳を疑った。 「許可する。――始末しろ」 そして京一は、木刀を振り上げた。 「【秘剣・朧残月】!!」 「なッ!? 京一ィ――ッ!!」 ほとんど不意打ちに近い状態で、現時点における京一最大の奥義【朧残月】が放たれ、もうもうと土煙が上がった。いくら【白虎】に目覚めた醍醐とは言え、このタイミングでは絶対に避けられない一撃であった。小蒔を始め、女性陣が悲鳴を上げる。 しかし―― 「…死んだな。醍醐?」 「……ああ」 鋭い京一の視線を真っ向から、静謐に受け止める醍醐。京一の木刀は、その一撃を静かに待ち受けた醍醐の頭頂を捉える寸前で、正に寸止めされていたのであった。爆発を起こしたのは、木刀から吹き出した【気】が醍醐を素通りした為であったのだ。では、醍醐の言う「死んだ」とは? 「じゃあ聞くぜ。俺たちはお前の何だ?」 「…共に闘っている仲間…」 「それが本当なら、仲間を信頼できねェで、これから鬼道衆の奴らと闘って行けると思ってるか? これから、お前の大切なものを護って行けると思ってるか?」 「…俺一人では無理だ」 「俺たちは頼りにならねェか?」 「お前は、いや、お前たちは、俺の掛け替えのない仲間だ」 「……」 そこで京一は、木刀を握る手を緩めた。醍醐の頭頂部でゴツン! と硬い音がする。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」 これは本気で痛かったらしい。醍醐は頭を抱えてしゃがみこんだ。 「ケッ、もっと早く気付いてりゃ、痛い思いをしなくて済んだんだ。――なあ、ひーちゃん?」 「ご苦労、京一」 龍麻も自力で立ち上がり、醍醐の前に立った。 「弱い自分と決別できたか?」 「…ああ」 京一に斬られて、完全に、と醍醐は胸の内で付け加えた。 「良かろう。弱い醍醐雄矢はこの瞬間に死んだ。――改めて問うぞ、醍醐雄矢。我々と共に闘うか?」 「闘う」 即答した。さっきまでの気弱な態度が嘘のように力強い。 「報われぬ事を厭わず、怖れられる事を嘆かず、殺される事を怖れずに、誰が為に闘えるか?」 「闘える!」 「…良かろう。懲罰は無しにしてやる。だが皆に要らぬ心配をかけた分は目をつむる訳にはいかん。全員にラーメンを奢れ」 「なっ…!?」 龍麻の事だから叱責くらいじゃ済まないと思っていたのに、この言葉。これにはさすがに醍醐も面食らった。京一はにやにや笑っている。 「クックック…醍醐ォ、俺たちは掛け替えのない仲間だよなァ。俺は塩ラーメンスペシャルトッピングに小ライスアンドギョーザ付きな」 「京一…」 わざとらしく明るい声で言い、肩を叩いて去って行く友の姿に、醍醐は笑いが込み上げてくるのを感じた。 他の仲間たちも気付いた。京一が柄にもなく、本気で照れている事に。 「あはははははッ、京一って本当にシリアスが似合わないわねェ」 「そうそう! 【俺たちは頼りにならねェか?】だってさ! そんな事を京一がマジ顔で言ったかと思うと…ぷくくッ! あはははッ!」 「姉様…何もそんなにお笑いにならなくても…うふふッ」 「京一君と醍醐君って〜、お似合いのカップルなのね〜」 「うふふふふふふふふふ〜。京一く〜んの照れた顔〜。これだけでご飯三杯はいけるわ〜」 女性陣が京一をこき下ろすのはいつもの事だが、今回は更に不穏当な台詞まで加わり、さすがの京一も二、三本切れたらしい。 「うるせェぞテメエら! 早く来ないとテメエらの分まで俺が食っちまうぞ!」 「あ〜! それずるい〜。舞子だっておなかぺこぺこだよ〜」 「こら! 京一! そんなコトしたら鞭でしばくよッ!」 女性陣が京一を追いかけ、男連中も龍麻の口元の笑みに促され、「やれやれ」と苦笑しながらその後に続き始める。 最後まで残ったのは龍麻と、彼を支える葵、そして醍醐と小蒔である。 「龍麻。本当にありがとう」 「礼は小蒔に言え。――俺に言えるのは一つだ。手に付いた血は洗い流せるが、その胸の痛みは忘れるな。そうすればお前は鬼にはならん」 「ああ。俺はもう、迷ったりしない」 完全に険を取り去った笑顔を浮かべる醍醐に力強く肯き、龍麻も踝を返した。 「先に行く。金勘定ができたら来い」 この辺りの物言いは、実に龍麻らしい。まだ少し足取りの怪しい龍麻は、小蒔にウインクを一つ送った葵に支えられながらその場を立ち去った。 後に残されたのは、醍醐と小蒔だけである。葵の初めての攻撃術によって結界が吹き飛んでしまった後でも、外灯の点り始めた公園内には誰も来なかった。 「エヘヘッ…」 しばらく…ほんの数十秒ほど黙りこくっていた二人であったが、やがて小蒔がクスクスッと笑った。 「桜井…?」 醍醐がふと小蒔に顔を向けた時、彼女の顔はほんの三〇センチほど先のところにあった。 「お帰りッ、醍醐クン」 視界一杯に広がる満面の笑顔。醍醐はそれこそ、自分が護りたかったものだと認めた。それは彼が一番見たかったものであり、聞きたかった言葉であった。 「…ただいま」 醍醐も初めて彼女の顔を真正面から見詰めて、微笑んだ。 「行くかッ? そのまま行くかッ!?」 「だらしないわよ醍醐ッ。男だったら最後まで決めなッ!」 「さっきの迫力を出せよッ! この際狼だって平気だって!」 「姉様…醍醐様は狼ではなくて虎ですわ」 「きゃ〜っ、舞子恥ずかし〜っ」 「うふふふふふふふふふふふふふふふふ〜、【魔女結び】してあげようかな〜」 「いかん! いかんぞ醍醐! こういう時こそ平常心だッ!」 「HA−HA−HA。BGMで盛り上げましょうカ?」 木陰から醍醐と小蒔の様子を覗う、先ほどの鬼道衆のような一団。順に雨紋、藤咲、雪乃、雛乃、舞子、裏密、紫暮、アランである。 「それにしても醍醐サンがねェ…。あの人は一生硬派を貫くかと思ったんだがなァ…」 「うふふふ〜。ミサちゃんの占いでも〜醍醐く〜んが一番早く〜彼女ができるって出ていたわ〜っ」 「え!? そんなの解るの?」 「お、オレのなんかも、出るのかッ!?」 「ね、姉様…。織部の者がそのような事を気安く口にするものでは…」 「HEY! 静かにするネッ」 すっかり覗き集団と化している一同に、一人頭を抱える如月であった。 「君たち…一体何をしているんだい?」 現代に生きる忍者をしてこんな台詞を吐かせるほど、それは間抜けな光景であった。大体ついさっきまで生死を賭けた激闘を繰り広げていたというのに、なぜこの連中はこうも頭の切り替えが早いのだろう? 最近、使命というものの捉え方に柔軟さを持ち始めた如月だが、それでも【これ】を理解するにはまだ時間が不十分なようだ。 そこに、如月と同タイプの、更に過激な人生を送ってきた男が現れた。 「…お前たち、何をしているのだ?」 「みんな…そんなところに隠れて…」 木陰で息を潜めていれば、龍麻ならすわ敵か!? と考えるところである。しかし確認してみればそこにいたのはすべて彼の仲間たち。朴念仁の龍麻ではこの状況は理解できまい。 「シーッ、龍麻サン、今いいトコなんだから」 満場一致で口に人差し指を当て、「シーッ」とやる。その中に紫暮や雛乃まで加わっているのを見て、さすがの龍麻も驚いた。 「…何だと言うのだ?」 葵共々手を引っ張られ、茂みの中に引っ張り込まれる龍麻。如月はこの地を護り続けてきた忍者の勘で、この場に留まる事は自分にとって良くない事になりそうだと、ラーメンは諦めて帰宅する事にした。 「(ゴクッ…)…小蒔でもああいう顔をするんだな」 「ね、姉様! 小蒔様が醍醐様と手を繋ぎましたわ!」 「ちょっとアンタ! この程度で興奮するんじゃないよッ! 気付かれるだろッ!」 「も、申し訳ございません!」 「オッ! 醍醐サンが立ち上がったぜ!」 「OH! この身長差を埋めるのがポイントデース!」 だが、爛々と輝く好奇の視線が九対 『………………』 一時、重苦しい雰囲気に包まれる一同。真っ先に、憤然と立ち上がったのは藤咲であった。 「何よ何よ何よっ! 真神の醍醐ともあろう者が、だっらしないわねえ〜ッ!」 「俺サマも姐さんに一票」 「もう〜っ。舞子つまんない〜」 「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ〜」 「醍醐…! それでも男かッ!」 龍麻には雨紋や藤咲、高見沢がなぜ怒っているのか、裏密がなぜ笑っているのか、なぜ紫暮が拳を天に突き上げ目の幅涙を流しているのか理解できなかった。 「HAHAHA。醍醐もまだまだ子供デース。男ならキスくらいスマートにできるようになるべきデース」 「キス…?」 その光景を一緒になって見ていた葵だが、単語名を出されて、薄暗がりの中でも解るほど頬を紅潮させる。 「…あの二人なら、それは既に済ませてあるのではないか?」 『え゜!?』 恐らく二度と発音不可能な返事をする一同。それほど衝撃的な龍麻の爆弾発言であった。 「小蒔は今日、顔の痣などを消す為に化粧をしている。先程確認したのだが、醍醐の唇にも小蒔のものと同じ口紅が付着していた。つまり二人は既にキスしていたのだ」 そんな事を語る時でさえ淡々とした龍麻の口調である。しかし女性陣は「キャー!」と声を揃える。 「ふーん、へーえ、そーう。小蒔がねェ…」 「素敵ですわ…小蒔様…」 「ウフフ、なんだ、小蒔も結構やるじゃない」 しかし、華やいだ雰囲気を作ったのが龍麻なら、それをぶち壊したのも龍麻だった。 「――あの二人がキスすると、何か問題があるのか?」 朴念仁もここに極まれり。実も蓋もない龍麻の台詞である。 「た、龍麻サン…。いくらなんでもそりゃねェだろう?」 「龍麻ねェ…アンタの頭の中には戦争と落語以外の事は入ってないワケ? あの小学生レベルの二人がキスしたって事がどれほど凄い事か解ってんの?」 「キスというのは凄い事なのか? 俺はそう認識した事はないが…」 龍麻の爆弾発言第二弾! 女性陣の耳がぴくぴくっとダンボと化した。 「た、龍麻サン…。冷静に、真剣に聞きたいんだけど…龍麻サンはその…キスの経験ありか?」 「うむ。俺はあちこちの戦場で敵を倒すと共に、キスもしてきた」 「へ…?」 「兵士として当然身に付けるべき技能の一つだ。ゲリラの凶弾に倒れた青年将校。戦車砲の衝撃波で心臓麻痺を起こした老人。パニックのあまり呼吸不全を起こした少女。――年齢も人種も様々だが、人体の構造上、応急処置の手順は同じだ。怪我の程度により助かった者もいれば、死んで行った者もいる」 『…………』 久しぶりの、龍麻の壮絶な体験談。しかしそれは要するに、人工呼吸の事ではないのか? 「単なる呼吸停止だけならば特別な器材や薬品などなくとも蘇生措置は施せる。小蒔もそれを知っていたとは感心だ」 この男は〜〜〜〜ッッ! 元軍人だし、マシンソルジャーだし、落語好きの朴念仁だという事も承知している。しかし、しかしである。彼を密かに(?)狙っている女性陣としては、これほどのボケっぷりは許せない事であった。こんな事では今後どのようなモーションをかけても、このノリでかわされてしまうではないか。 しかし、真に感情を爆発させるきっかけを作ったのは、やはり龍麻の言葉だった。 「しかし不思議なものだ。呼吸不全が回復しただけにしてはやけに元気になる者が多かった。それも女性限定となると、キスには何か秘密があるのだろうか?」 「何ですって…龍麻…?」 葵のこめかみの辺りがぴくぴくっと動いたようだったが、龍麻は気付かなかった。 「うむ…カナダでの作戦ではテロリストに占拠された高校 突然龍麻の首に鞭が巻き付き、後頭部に薙刀の柄がぶち当たった。 「な、何をするのだ? 怪我人に向かって…おおッ!?」 見れば雛乃が能面のように冷たい顔で弓を引き絞り、高見沢が身をプルプルと震わせながら【危険物・取扱い注意】のラベルが貼られたビンを両手に握り、裏密が怪しい呪文を唱えている。そしてその向こうでは、葵が全身から、先程と同じ金色の光を放っていた。 「訳わかんないのは、アンタの方よ…」 「ダーリンたら〜、そんなにいっぱいの子と〜っ」 「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ〜」 「お前はバリバリの硬派だと思ってたんだけどな…」 「龍麻様…口は災いの元と申します…」 「うふふ…龍麻ったら…」 龍麻は後に述懐する。【アメリカ軍に囲まれた時より、佐久間の舎弟に特攻をかけられた時より、真剣に命の危険を感じた】と。 「わ! 花火だ!」 「おお、季節外れだが、きれいなものだな」 手を繋いでラーメン屋【王華】に向かっていた醍醐と小蒔は、新宿の高層ビル群をバックに花開く巨大な花火(?)を見て、笑顔を互いに向け合った。 その日、京一はいつまで待っても来ない仲間たちに業を煮やしてラーメンを仲間たちのツケで三杯も食って、後に仲間たちにフクロにされた。 その日以来、雨紋と紫暮、そしてアランは、やけに女性達に対して低姿勢になっていた。 そして龍麻は―― 「あ、あれは何だ!」 「人よ! 後楽園に出たスパイ○ーマンよ!」 「カメラだ! テレビ局に電話しろ!」 そんな声を聞きながら、絶妙なタイミングで怪我が完治した彼はビルの谷間の暗闇を、キレまくった仲間の女性陣とその他大勢の野次馬から一晩中逃げ回る羽目になったのであった。 「朴念仁にも困ったものだね」 とは、如月の談である。 「お前(あなた)が言うな!」 とは、女性陣全員のツッコミであった。 しかし、誰もが気付いていた。 決戦は近い。鬼道五人衆は四人までが倒れ、残るは一人。そして、鬼道衆頭目の【九角】。 龍麻も醍醐も、明らかに名指しで狙われた。これからは真に全面戦争となるだろう。今、浮かれ騒いでいるのは、【それ】ができるのは今だけだと感じていたからに違いない。 「スパイ○ーネット!」 「キャー! 龍麻ッ! ずるいわよッ!」 ――――――――――多分。 第壱拾壱話 変生(後編) 完 目次に戻る 前(変生(後編) 3)に戻る 次(魔人 1)に進む コンテンツに戻る |