一〇〇メートルを三秒で駆け抜ける程の疾走は、龍山が竹林に張り巡らせた結界を二分でクリアーさせ、小蒔は土煙を蹴立てながら龍山邸に飛び込んだ。 「おじいちゃん! いる!?」 自分の足で走った訳ではないのだが、【風火輪】による高速移動はさすがに緊張した為、小蒔は息を弾ませていた。しかし構わず声を張り上げる。すると奥の方から小蒔を呼ぶ龍山の声が聞こえた。 「嬢ちゃん、こっちじゃ」 「おじいちゃん! 醍醐クン、来ませんでしたかッ!?」 手招かれるままに奥の間へと進む小蒔。 「あの…醍醐クンは…?」 「ほっほっほ。雄矢も幸せな奴よ。こんな可愛い嬢ちゃんに心配してもらって」 「……」 一刻を争う事態だというのに冗談など飛ばしてみせる龍山を、思わずジト目で見てしまう小蒔。これには龍山もいささか冗談が過ぎたかと「くわばらくわばら」と唱える。 「雄矢なら、ほれ」 龍山の指差した先に小蒔が見たものは、憔悴し切り、その巨体も一回りしぼんだかのような醍醐であった。 「ッ醍醐クン!! ――ねえ! 醍醐クン!!」 血相変えて醍醐に飛び付き、その肩を揺する小蒔であったが、瞬きもしない虚ろな目は小蒔の姿を映しているだけで、意志の動きはまったく見られない。非力な小蒔に揺すられただけで太い首がかくかくと揺れる様は、糸の切れた操り人形を思わせた。 「一体どうしたのさ…ねえ…返事をしてよッ! 醍醐クン!!」 「むう…嬢ちゃんの呼び掛けにも応えんとは」 現在、醍醐を取り巻く仲間ならば…と思っていた龍山は、自分の考えがまだ甘かった事を知った。占い師として、醍醐を目覚めさせる事ができるのはその仲間たち以外にない事は判っている。しかしもう一つ、何か決定的な一押しが必要なのだ。その一押しが何であるのか、それは龍山の占いにさえ出なかった。それはある人物の未来と密接な関係にある為、未来を見通す事ができないのである。 つまり、醍醐を目覚めさせる事のできる人物は判るものの、醍醐が目覚めるかどうかは不明なのだ。 「おじいちゃん! 醍醐クンは一体どうしちゃったの!?」 「うむ…三日前にここの庭に倒れているのを見つけたのじゃが、その時からずっとこのままじゃ。身体に異常はないのじゃが、意識だけが戻らぬのじゃ」 「そんな…! それじゃ…!」 絶句する小蒔に、しかし龍山は優しく言った。 「雄矢にとっても、この出来事はあまりにもショックだったのじゃな。自分の急激な変化に戸惑い、恐れ、自分の殻に閉じこもってしまっておる。しかし、わしはそんな弱い弟子を持った覚えはない。そして今は、お前さんたちという強い仲間も居る。真に強い者とは自分の【力】を信じ、しかし【力】に溺れぬ者の事を言う。そして何かを護りたいと思った時は、躊躇っては駄目なのじゃ。その意味を悟った時、人は本当に強くなる。――わしはお前さんたちこそ、醍醐にそれを教えてくれると信じておる」 「おじいちゃん…!」 龍山から伝わってくるのは、諦観など微塵もない、弟子を心から信じているという想い。暖かく放射される【気】に、小蒔は不意に涙が溢れそうになる。信じる事の大切さを教えてくれたのは誰だったか? 辛い時、苦しい時に誰が励ましてくれたのか? それは―― 「…来おったか。――嬢ちゃん。雄矢と奥に下がっておれ」 竹林の結界が何者かによって強引に破られたのを龍山は知った。恐らく小蒔が通った時にできた通路を突破口にしたのだろう。もはや結界を張り直す時間はない。 そして、まったく火の気がなかった筈の囲炉裏から炎が天井近くまで膨れ上がった。 「まったく…ジジイの癖にてこずらせてくれるぜ…」 まるっきり人を馬鹿にしたような高飛車な物言い。そして炎が形を成した深紅の忍び装束に、小蒔は怒りと哀しみの入り交じった記憶の中から、決して忘れられない名を絞り出した。 「お前は…炎角!」 炎角…龍麻と、死蝋の事件の時までに集まった仲間たちに深い怒りと哀しみの楔を打ち込んだ鬼道五人衆の一人。死蝋を陰で操り、龍麻に重傷を負わせ、比良坂紗夜を殺した張本人。 「お前…比良坂さんばかりか佐久間クンまで…!」 小蒔は比良坂の事を良く知らないが、仲間の誰一人として止められなかった、戦闘マシンと化した龍麻を止めた比良坂を、炎角は容赦なく殺した。小蒔の脳裏には、龍麻が哀しみを意識できぬままに流した涙が焼き付いている。そして、佐久間。確かに佐久間は嫌な奴だったが、死んでしまえなどと思った事は一度もない。その佐久間を唆し、挙げ句に鬼へと変え、醍醐に殺させた。そのために醍醐は…! 明るい元気娘の小蒔が信じられぬほど憤るのを見て、龍山は素早く小蒔と炎角の間に割って入った。 「嬢ちゃん。ここはわしに任せて、雄矢を連れて逃げるのじゃ」 「…悪いけどおじいちゃん…ボクはひーちゃん達と約束したんだ。必ず醍醐クンを連れて戻るって…。だから今、目の前のコイツを倒して、ボクたちは前に進む!」 そう言い放った小蒔の全身から、清浄な青白い光が発せられる。その目には恐れも迷いもまったくなかった。龍麻が繰り返し言い続けていた事を、仲間を信頼する事、覚悟を決めるという事、そして、前に進むという事を、小蒔はこの瞬間に悟った。比良坂は龍麻を救う為にその身を投げ出した。水岐との戦いの時、龍麻は仲間たちに【帰れ】と言った。そして醍醐は、小蒔を救う為に佐久間を殺した。それを全て「仕方なかった」で片付けるのはたやすい。だが、それは都合の良い【逃げ】でしかない。真に大切なものを護ろうとする時、それによって発生する恨みや憎しみを一身に受けようとも、それを怖れてはならないのだ。 そんな小蒔を見て、龍山は彼女が何を言っても止まらぬのを知った。 「フン…威勢が良いこった。良かろう小娘。俺様が直々に相手をしてやるぜ」 炎角の腕から、研ぎ澄まされた刃がシュッと空気を切り裂いて伸びた。それがいざと言う時射出できるようになっている事も、反対側の腕に大砲が仕込まれている事も小蒔は覚えている。だが、ここで呑まれては闘う前に勝負が付いてしまう。 「表へ出ろ、炎角! ボクが相手になってやる!」 「フン、生意気な事を…。良かろう。来るがいい」 そう言いつつも、炎角もこの狭い空間では闘いづらいのか、縁側から庭先へと降りていく。以前、龍麻が分析したところでは、炎角は大規模破壊型の戦闘要員だ。言わば小蒔は、敵の土俵に降りる事になる。 「嬢ちゃん。これを持っていきなさい」 小蒔が不退転の意志を固めたからには、自分が手出しをするのは無粋に過ぎる。しかし手助けならば良かろうと、龍山は炎を退ける護符【火伏符】を小蒔に手渡した。小蒔は礼を言って庭へと飛び降りる。 「勝負だッ! 炎角!」 「フンッ、良かろう。――オイッ、お前たちはジジイを始末してヤロウを回収しろ。九角様のところへ連れて行くんだ」 ざっと空気を揺らし、複数の赤い忍び装束を着た下忍が出現する。龍麻たちの足止めに大量の人員を投入したとは言え、こちらにも必要最低限の人員を裂く事を厭わなかったのだ。それだけ鬼道衆は龍麻たちを脅威に感じていると言う事だろう。 「この卑怯者!」 小蒔は炎角を睨み付け、抗議の声を上げたが、炎角はさも可笑しそうに笑った。 「相手をしてやるとは言ったさ。だがジジイを見逃すとは一言も言っていない」 「クッ!」 素早く視線を左右に走らせ、下忍の数を確認すると、小蒔は部屋の中へと飛び下がった。 その途端、龍山邸に結界が張られる。小蒔が時間稼ぎをしている間に龍山が新たな結界を張り終えたのだ。急ごしらえの為、当座をしのぐ事くらいしかできない事は確かだが。 「正念場じゃの。さすがにあの数ではこの結界も幾ばくも持つまい。嬢ちゃん、ここはやはり雄矢を連れて逃げるのじゃ」 「駄目だよッ! そんな事はできないし、しない! ひーちゃんは言ってた…諦めが人を殺すんだって。前に進むのを止めた時に、人は死ぬんだって…」 小蒔は今なお意識を取り戻さぬ醍醐の肩に、そっと自分の手を置いた。 「だから醍醐クン…。諦めちゃ駄目だよ…。皆、キミのコト待ってるよ…。ボクはもう迷わない。諦めたりなんかしない。ボクは絶対キミと一緒に皆のところに帰る。ボクが、必ずキミを護る。だって…ボクは…」 その先は言葉にせず、小蒔は行動でそれを表した。そっと醍醐の頬を挟むようにして、自分の唇を醍醐の唇に重ねたのである。 ――キミのコト、好きだから―― 唇が触れ合っていた数秒にありったけの想いを込め、小蒔は立ち上がった。 「…嬢ちゃん…!?」 「おじいちゃん、醍醐クンの事、ヨロシクね!」 先ほどまでの張り詰めていた気が消え、不思議とさわやかな気が龍山に吹き付けてくる。迷いのない目はそのまま、根本的なところから人が変わったかのようだ。今の行為を見られたのを照れるように、小蒔は元気良く言い置いて庭へと再び降り立った。 「フン…一人でさっさと逃げれば良かったものを。わざわざ死にに来るとはな」 「ふっふーんだ。うるさいよ、キミ。独りじゃ何もできないえせテロリストのクセしてさッ」 およそ、悲壮な覚悟を決めてきたとは思えない小蒔の声。炎角もさすがに「!?」となった。 「なんだと? 小娘…」 「へェ、キミみたいな小悪党がずいぶん余裕じゃないか。まあ、卑怯も戦術の内だってひーちゃんも言ってるし、少しくらい調子に乗せてやっても良いか。どうせすぐに片付くし」 愛くるしく笑う小蒔であったが、それは炎角にとって凄まじい侮蔑となった。この絶体絶命の状況下、どう見てもハッタリなのに、小蒔の余裕は本物なのだ。 「小娘が…骨ごと焼かれて苦しみ抜いて死ぬが良いわ」 「――比良坂さんもそうやって殺したよね…。ひーちゃんに代わってお前はボクが…真神愚連隊 「言わせておけば!」 炎角の手の中に炎が生じ、それがみるみる膨れ上がる灼熱の玉と化す。玉からはコロナが吹き出し、まるで小さな太陽のようであった。見た目こそ小さいが、その熱量は小蒔を骨まで焼き尽くすに充分であろう。 だが、それを放とうとした瞬間、小蒔がひょいと自分の弓を炎角に投げ付けた。 (何ッ!?) 自らの最大の武器をこの局面で手放すという行為に、さすがの炎角も虚を突かれた。思わず弓を受け止めてしまう。 その瞬間、小蒔はポケットからウッズマンを抜いて両手撃ちで発砲した。 「――ガッッ!!」 鬼面に直撃弾を受け、派手に吹き飛ぶ炎角。自分達の指揮官が瞬時に倒された事で鬼道衆忍軍の動きも一瞬だが止まる。その隙を見逃さず、小蒔は彼らの足元に水神雷神の力を封じた珠を投げ付けた。 「ぐはッ!」 「ギャッ!」 炎角直属の配下として、下忍達は炎には耐性があっただろう。しかし珠の爆発が生んだのは雷と水柱であった。直撃を受けた者は瀕死の、かろうじて直撃を免れても深刻なダメージを負い、鬼道衆忍軍は正に壊滅状態に陥った。 「やった…!」 はああ…! と小蒔はため込んでいた息を大きく吐き出した。 口で言っていたほど、彼女には余裕などなかったのだ。この絶体絶命の状況を打破する為に、小蒔は極度の緊張を強いられつつ、それでも平静に振る舞ってみせたのである。いくら死線を潜り抜けてきた身とは言え、龍麻のように訓練されている訳でもない小蒔がこれほどの大勝負を賭けるのにどれほどのストレスを受けた事か。旨く行った事で、思わずクラッと飛びそうになる意識を小蒔は必死で立て直した。 「そうだ…! 醍醐クンとおじいちゃんを…!」 そう言って小蒔が振り返った時であった。 「!!」 強烈な殺気と熱気の放射に、小蒔はとっさに横に跳んだ。その直後、跳びのいた地面に火球が膨れ上がり、小蒔を爆風で吹き飛ばした。 「テメエ! 小娘ェェェッ!!」 「炎角ッ!? そんな…!」 鬼面を砕かれ、醜く焼け爛れた素顔を更に朱に染めながら、炎角が吠えた。 炎角と龍麻は一度対戦している。その時の教訓も踏まえて、炎角はより硬い鬼面を付けていたのだろう。そしてウッズマンに込められていたのは炸裂弾である。四四マグナム並みの衝撃を叩き付けはしたものの、鬼面への直撃では炎角の頭を吹き飛ばす訳には行かなかったのだ。とは言え、炎角のダメージもただで済むものではなかったのだが。 「燃え尽きろォ!! 小娘がァッッ!!」 天高く掲げられた炎角の両手の間に、巨大な炎の固まりが生じた。空気中の【火気】を集め、イメージによって爆発的な炎と変える、【念発火能力 「ガアアッッ!!」 直径二メートルにも達する灼熱の火球が迫る。小蒔は思わず目を閉じた。一瞬後に全身を熱気が覆い、しかし思ったより熱く感じない事に目を見開く。 「あ…あ…!」 目の前で火球を受け止めているのは、大きくて広い背中。仲間たちをいつもその存在感で包んでくれる男の背中。 「――醍醐クンッッ!!」 感極まって上げた小蒔の叫びに、炎角の驚愕の呻きが重なった。炎角最大の奥義を真っ向から受け止めた醍醐は、気合一閃、火球を消し飛ばしてしまったのだった。 ゆっくりと、小蒔が一番見たかった男の顔が振り返った。 「…桜井…心配かけたな。龍山先生も…」 「醍醐クン…!」 小蒔の後ろの方で、龍山が何か説教めいた事を言っていたようだが、二人の耳には届いていなかった。 「お前の声が聞こえたよ…。それが…俺を導いてくれた」 そして醍醐は肩で風を切り、炎角に向かって拳を突き出した。 「鬼道衆! 俺はもう惑わされん! 真神愚連隊 ゴオ! と叩き付けてくる突風のような闘気に、炎角はさすがにたじろいだ。 「その闘気…まさか…覚醒を終えたというのか…!? ――しゃらくさい! 貴様ら二人ごとき片付ける事など造作もないわ!」 しかし、それが明らかな虚勢である事は、炎角自身が一番良く判っていた。万が一の用心――【白虎】が目覚めた時に備えていた中忍群を呼び出す。 しかし―― 「オイオイ、頭数ばかり揃えたって役に立たねェ事くらい、まだ判らないのかよ?」 「――ッッ!?」 思わぬ方向からかけられた声に愕然とする炎角。見れば鬼道衆忍軍の包囲のさらに外側に、槍を肩に担いだ少年を筆頭に数人の少年少女達がいた。 「き…貴様らは…!」 「雨紋、藤咲、紫暮、それに…」 「ミサちゃん! 雪乃! 雛乃!」 醍醐と小蒔の声に笑顔で応え、雨紋たちは周囲の中忍など眼中にないかのように二人に歩み寄った。 「舞子も来ているけど、あの子は目を覚ましたばかりだから今は見学よ。――っにしても水臭いわねえ。そんな図体してて悩むなんて柄じゃないでしょ、あんたは!」 「姐さん、それ、きっついぜ」 「わっはっは! 無事ならそれで良いさ」 「うふふふふふふふふふふふふふふふふ〜」 「へへっ、小蒔。後はオレに任せときなッ!」 「小蒔様、間に合ってようございました」 敵を目の前にしながら、仲間たちの間にほのぼのとした空気が流れる。共に闘う仲間という絆が互いの気を共鳴させ、相乗効果を起こしている。醍醐は一人思い悩んでいた自分を恥じた。仲間と共にある事がこんなにも心地よく、暖かいものだと、今ごろになってやっと解ったのである。 いや、それだけではない。 なぜ龍麻が、これほど精神的に脆弱な自分を【軍曹】としたのか? 今、ここにその答えがあった。 龍麻の言う【戦い】は喧嘩ではない。負けてはならない【戦争】なのだ。そこに個人的感情を持ち込むことは自分のみか、仲間の命まで危険に晒す。【軍曹】に任命された瞬間から、醍醐は仲間の命をも護る【義務】と【責任】を負わされた。自分の命が、自分一人のものではなくなったのである。 ――そうする事で、龍麻は醍醐に甘さを捨てる事を示唆したのだ。自分一人の命でないならば、勝手に死ぬ事は許されない。常に仲間の事を最優先し、それを叶えるほどに強くなれ―― それが出来なかったために、小蒔を酷い目に遭わせた。佐久間を殺す羽目になった。鬼道衆の思う壺に嵌まり、危うく堕ちるところだった。 だが、小蒔が自分を導いてくれた。苦しみに満ちた闇を切り裂いた一筋の光――それが彼女だ。そして今、自分をこれほどまでに温かく迎えてくれる仲間達。――【階級】によって与えられた【義務】と【責任】を認識し、それを果たすための【覚悟】を知った今、醍醐は仲間と共にあるという幸福を深く噛み締める事が出来た。 「あ、そうだ。醍醐サン、龍麻サンから伝言があるんだ」 「龍麻から?」 雨紋が指を立てると、なぜか藤咲と紫暮が苦笑した。 「一個目は、【新しい衣装を発注したぞ】」 「なっ…!」 この期に及んであの男は…! さすがに醍醐もへなへなと脱力する。 「そして二個目は――」 不意に、雨紋の顔付きが険しくなる。藤咲も、紫暮も顔を引き締めた。 「こいつの始末は俺たちに任せるってさ。――醍醐サン、ここじゃあんたが指揮官だぜ」 「………うむ!」 そうか、と醍醐は思った。それで、この面子なのだ。 あの品川での事件。比良坂紗夜が死ぬところを見せ付けられた仲間たち。自分達の無力をどうしようもないほどに思い知らされたあの事件。そこに、この炎角がいた。あの時から自分達は、この鬼道衆と闘う事を決意したのだ。 「比良坂の仇、討たせてもらうぞ。龍麻の分も含めてな」 「そうさ! テメエに止めを刺せねェ龍麻サンと京一に代わって、俺サマの怒りを思い知ってもらうぜ!」 「龍麻を苦しませた分…あの子を苦しませた分…まだまだたくさんいるわね…簡単には殺さないわよ」 「うふふふふふふふふふふふふふふふ〜、煉獄の苦しみを上げるわ〜」 「怒りに任せて拳を振るうつもりはないが、今、この時だけは修羅となろう!」 この場で、比良坂の一件を話でしか知らぬのは雪乃と雛乃だけである。しかし彼女たちにも、この事でどれだけ龍麻が仲間たちに慕われているか再認識できた。巫女である彼女たちにとって闘うという事、殺すという事は、即ち邪、外道に堕ちるという事と同義である。しかし彼とその仲間たちはそれを怖れる事なく、また、人の道を踏み外す事もない。そして今、外道に堕ちかけていた仲間を自ら立ち直らせた。それを導いた小蒔と、仲間たち。【龍脈】に選ばれた者の義務? 使命? そんなもの、緋勇龍麻とその仲間たちには関係ない。この手で護りたい人がいて、護りたいものがある。それだけで彼らは前に進む事ができるのだ。 「こういうのって、良いよな。雛乃」 「同感ですわ。姉様」 織部姉妹が肯き合った時、醍醐が一歩前に出た。 「貴様らが欲した【力】、とくと見せてやろう! ――お前たちも見てくれ。これが、俺の【力】だ!」 醍醐の口から凄絶なハウリングが迸った。 爆発的に膨れ上がる、神々しいまでの【気】。醍醐を護るように包むそれは、明らかにある獣の形――【白虎】の形を現していた。 「【白虎】よ! 俺に力を与えろ! 破ァァァァッッ!!」 醍醐の全身がみるみる巨大化し、学生服が張り裂けんばかりになる。髪は逆立ち耳が尖り、瞳が金色に輝く。――獣人化現象 自ら【変身】する事を望んだ醍醐の精神に、威厳あるものの声が響いてくる。 『我が名は【白虎】。西方の守護者なり。――醍醐雄矢よ。我は待っていた。汝が真に他を想い、護らんとする意志を持つ事を。我、今こそ汝の力となりて現臨せん』 ゴルルルルルルルッッ!! 仲間内でも、まだ小蒔しか見た事のない醍醐の【変身】。誰もがその光景に息を呑み、しかしその神々しさに、圧倒的でありながら全身を包み込んでくれるような暖かい【気】に、全員がそれこそ彼の【力】の本質である事を理解した。【白虎】の力は大地の力。それは同時に父性を現わす。仲間たちが醍醐に寄せる信頼は、彼の中に父性を見出していたからであったのだ。 「紫暮! 一人は俺と前衛を! 雨紋、藤咲、織部雪乃はトライアングル! 桜井、裏密、織部雛乃は各自討ちもらしを掃討! ――行くぞ!」 「応ッ!」 龍麻と共に闘い、彼の盾となって早数ヶ月。醍醐にも分隊長レベルの指揮を任されている為、彼の指示は早かった。紫暮が二重存在を発動させて醍醐に続き、雨紋を頂点に中距離戦闘班がトライアングル――三角隊形を取る。そしてその背後には、長距離狙撃班の小蒔と雛乃。長距離魔法攻撃隊長こと裏密。【殲滅】型フォーメーション。 ジャキン! と【白虎変】した醍醐の手から爪が伸びる。 以前の彼とは比べ物にならぬスピードで二人の中忍の間を醍醐が駆け抜けた直後、中忍の胸板に朱色の残線が刻まれ、首と胴が永遠の別れを告げた。妖刀の切れ味に醍醐のパワーを加えた【虎爪】。その威力は鋼鉄すら紙のように切り裂くだろう。 「スゲエや醍醐サン! ほんじゃ俺サマも――本領発揮!」 中忍三人が地を蹴り、中空から飛び掛かってくる。尋常ではない身体能力は並の人間には脅威であったろうが、雨紋にしてみれば良い的であった。 「【旋風輪】ッ!」 身体ごと振り回される槍が巻き起こす竜巻の威力! 剛体と化した空気の渦に呑み込まれた中忍は瞬時に壊れた人形へと姿を変えた。直撃を受けていない中忍群も叩き付けるような突風の余波で動きを乱される。 「【掌底・発剄】ッ!」 「【ローズウィップ!】」 「【落雷閃】ッ!」 僅かでも動きのリズムを乱せば、そこに待ち受けているのは【死】だ。クローンか死体蘇生か知らないが、訓練のみの戦闘力しか持たぬ中忍が、常に実戦の場に身を置き続けてきた龍麻の仲間たちに敵う訳はなかった。一瞬の隙を見逃さず、紫暮の重い一撃が骨を砕き、藤咲の鞭が肉を弾けさせ、実戦はこれが初めてでありながら、雪乃も自分の【力】を開放して薙刀を一閃させる。 たちまち、炎角配下の中忍群は総崩れになった。 鬼と化した佐久間を軽く一蹴した醍醐の【白虎変】である。元々パワーのある醍醐にスピードが加わり、凄まじい切れ味を誇る爪が備わった時、龍麻もかくやと言うほどの戦闘力を発揮した。普段は耐久力にものを言わせて敵の攻撃を跳ね除けつつ敵を倒す醍醐が、今は敵の布陣を縦横無尽に切り裂き、徹底的に撹乱する。そこに雨紋と紫暮が飛び込んで中忍を薙ぎ倒し、それをもなんとかかわした者には藤咲の鞭、雪乃の薙刀が襲い掛かる。中忍の中には戦闘を放棄して逃げようとする者も出たが、空を切り裂いて走る矢がその背を正確無比に射抜き、撃ち倒す。竹林に飛び込んで狙撃をかわそうとした者には、更に悲惨な運命が待ち構えていた。竹が、落ち葉が作り出した薄い影の中からタールよりもなお黒い影の手が彼らの手足を掴み、影の中に引き摺り込む。その影の中で何が行われているものか、肉が裂け骨が砕かれる音に混じり、クチャクチャとなにものかの租借音まで響き、中忍は永遠にこの世から消え去った。 「おのれ…おのれェ…! こんな筈では…!」 炎角にとって醍醐の完全覚醒は予想外もいいところだった。計画では自分を見失った醍醐を速やかに拉致するつもりだったのだが、醍醐が潜伏したのが事もあろうに龍山の創り出した結界の中だったので、思念のみ送り込んで醍醐を闇に堕とすという手間をかける事になった。岩角を時間稼ぎに廻したのは、醍醐が予想以上に抵抗したからで、最後の詰めを誤らぬようにする為だ。それがどうだ? 小蒔が来た事で結界に綻びが生じた為、直接拉致に乗り込んでいけば、【白虎】が覚醒するわ、援軍が到着するわ、全ての計画が狂ってしまったのだ。 龍麻ならこう言うだろう。【予定とは未定にて、決定にあらず。作戦もまた然り】 「俺を…いや、俺たちを甘く見過ぎたようだな。この程度の戦力で俺たちを倒そうなどとは」 もはやここに残っているのは炎角一人である。戦闘指揮を出すにも、撤退命令を出すにも、醍醐たちの動きは速すぎた。基本的に大規模破壊活動を主任務とする炎角とその配下は、このような殲滅戦は不向きであったのだ。龍麻さえ押さえておけばあとは雑魚――などと考えていた炎角には、作戦ミスを悔やむ暇さえなかった。 「比良坂兄妹を唆し、佐久間を鬼へと変え、あまつさえ皆殺しにしたお前だ。覚悟はできているな?」 自分を散々迷わせてくれたのも…。この言葉は口に出さなかった。その怒りは私怨でしかない。私怨はたやすく闇へと変じる事を、嫌と言うほど噛み締めた醍醐であった。 「フクロってのは俺サマの趣味じゃねェけどよ、お前は別だぜ」 「お前の為に地獄を見た者たちの怒りと哀しみ。本当ならこんなものでは済まんのだがな」 炎角の背後でヒュッと槍が唸り、拳の骨がバキバキと鳴らされる。 「陰でコソコソされんのって、ムカ付くのよ…」 「オレも同感。手下にばかり闘わせやがって!」 「うふふふふふふふふふふふふふふふふ〜」 「織部が名に賭けて、邪を打ち払います」 中忍は全て討ち取られ、魔人達は炎角を包囲する。とは言え、中忍とはレベル的に桁違いである炎角に対して、油断している者は一人もいない。自分達の能力を最大限に発揮でき、炎角がどのような攻撃を繰り出してきてもしのぎ切るだけの間合いを保ち、それぞれの武器を構える。 「クッ…餓鬼どもが…! 図に乗りやがって…!」 カチリ! と炎角の左腕で金属音が鳴った。 「死ねェイ!!」 轟音と共に発射される炎角の仕込み大筒! しかし醍醐は上半身のみ必要な分だけ傾けてそれをかわした。彼の背後で数十本の竹がへし折れたが、それだけだった。 「…終わりだ。炎角」 「おのれェェェェッッ!!」 大気中の火気が収束され、醍醐に向かって放たれる。しかし醍醐はそれを避けようともせず、強力に練り上げた【気】を全身の捻りに乗せて打ち出した。 「【破岩掌】!!」 【白虎】に目覚めた醍醐の【破岩掌】の気は炎角の炎すら呑み込み、炎角を中心にクレーター状の窪みを大地に生じさせた。 「グオオオオッッ!!」 炎角が絶叫を血と共に吐き出す。 「まだだぜ! コイツは俺サマの分だ! 【旋風輪】ッ!!」 強烈な竜巻が炎角の肉体をグニャグニャに捻りながら宙へと巻き上げる。竜巻の中に生じた真空がその全身を切り刻み、赤い忍び装束を更に血で染め上げる。 「そしてこれが、俺の怒りだ!」 紫暮が放ったのは空手において最も基本的な正拳中段突き。だが彼のそれは正に達人のみが為し得た【真】の正拳突きに達した。ただでさえひびだらけになっていた炎角の胸骨が完全粉砕され、肺が、その他内臓が高圧力で瞬時に沸騰、爆縮する。炎角の目、鼻、耳、口と、粘い血が噴き出したのは、中国拳法八極拳の大家、李書文が突きの一撃で現出させた【七孔噴血】という現象であった。 「コラ! 男ども! アタシ達の分が残ってるのよ!」 藤咲が抗議の声を上げたその時、血だるまになった炎角を優しい光が押し包む。傷が塞がり、骨まで元通りになった事に、誰よりも炎角自身が驚いた。 「ま、舞子!? アンタ、どういうつもり!?」 中忍との戦闘には加わらなかった高見沢が竹林から出てくる。炎角に治癒術を施したのは彼女だったのだ。しかしいつも仲間たちをほんわかした気分にさせる彼女の顔は、今だけは冷たく凍った仮面を付けていた。 「舞子だって怒ってるんだからね〜」 「藤咲さ〜ん。これで〜ワタシ達〜の分よ〜」 こんな時ではあるが、醍醐を筆頭に魔人の男三人の背には氷の毛虫が這って行った。時に仲間さえも脅えさせる怪奇現象コンビ。虫の息であった炎角を癒したのは、もう一度苦痛を与え直す為だったのだ。 「あら…そういうコト…。ウフフ…本当に冗談抜きで楽には死ねないわね」 「ヒイッ!」 初めて、炎角が脅えた声を上げた。が、次の瞬間、超音速で飛来した鞭が彼の首を締め上げた。 「イかせてあげるわ…」 手首の僅かな捻り一つで炎角の肉体が地面から跳ね上がり、頭から地面に叩き落とされた。激痛に仰け反った背に、刃物のような気を纏った鞭が亜音速で叩き付けられる。わざと速度を落とした鞭は炎角の背一面をただの一撃ですだれ状にしてのけた。 「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」 声もなくのた打ちながら、性懲りもなく右手の鉤爪を御しやすそうな雛乃に向ける炎角。しかし雛乃は慌てもせず、矢を番えぬ弓の弦を鳴らした。 「【鳴弦・玄象】」 ドン! と勢い良く撃ち出された鉤爪は、しかし尽く雛乃を外し、明後日の方へと飛んでいった。 「ッ!? ッッ!? ッ!?」 突如襲いかかってきた浮遊感覚と酩酊感。天地が逆さまになり、目に映るもの全てがグニャグニャにデフォルメされる。炎角は酔っ払いのように、必死に両手を振ってバランスを取ろうとした。 「悪いな。本当は真っ向からの方がいいんだが、お前は悪党過ぎるんだよッ。――【落雷閃】!!」 受ける事もかわす事も、耐えようとする事すらできぬまま、炎角に雪乃の技が直撃した。たっぷりと電撃の洗礼を浴びた炎角の身体がブスブスと煙を吹き上げる。 「うふふふふふふふふふふ〜。次は〜ミサちゃんの番〜。闇の精霊よ〜」 「ッッ!?」 炎角の周囲の空間に、真っ黒な綿毛のようなものがいくつも出現した。それは見る間に数を増し、炎角の肉体に張り付く。するとどうだ。その部分がじりじりと消えていくではないか!? 「ヒィッ! ヒイィィィッッ!!」 後に醍醐たちは、この時の炎角の悲鳴がしばらく耳に付いて離れなかったと語る。人に恐怖と死を与える鬼が、自らが食われるという恐怖の為に上げた悲鳴であった。 まだ比較的明るい午後の光の中、ここだけは悪夢に沈んでいる。炎角の腕がボトリと地面に落ち、それさえもじりじりと消えていく。鬼面の下に隠されていた焼け爛れた顔も、もはや骸骨を覗かせるばかりだ。血の一滴さえも零れない為、恐ろしくシュールな抹殺劇である。 「…殺される人の気持ちが解った? 今までお前に殺された人たちだって恐かったんだよ。痛かったんだよ。苦しかったんだよッ。人は…虫ケラなんかじゃないんだ!」 ズドッ! ドドッ! と、三本の矢が立て続けに炎角の胸板を貫き、炎角はどっと地面に倒れた。 「そしてこれが、ひーちゃんの分…」 小蒔は龍麻のウッズマンを抜いて、炎角に狙いを定めた。が、脇から差し出された大きな手が小蒔を遮る。彼は既に【白虎変】を解き、元の姿に戻っていた。 「…桜井。それは俺にやらせてくれ。自分自身の弱さにケリを付けたい。そして二度と、龍麻の信頼を裏切らぬ為にも」 「醍醐クン…」 醍醐は小蒔の手からウッズマンを譲り受け、それをほとんど人としての形を失いつつある炎角に向けた。 「これが…本当に最後だ!」 過ぎ去った事を後悔するのも、後ろを向きっぱなしになるのも。 TAN! TAN! TAN! TAN! TAN! TAN! 万感の想いを込め、醍醐はウッズマンの残弾全てを炎角に叩き込んだ。 炸裂弾の猛射に、文字通りミンチに成り果てる炎角。しかし誰も目を逸らそうとはしなかった。自分が戦った相手の最後を見るのも、やはり自分達の使命だろう。それが明日の我が身であったとしても、闘い続ける為には必要な事であった。外道に堕ちぬ為には。 断末魔の声すら上げる事なく、肉塊となった炎角の身体は血色の霧と化して消滅し、後には鬼である事の証明、血の滴のように赤い珠が残された。 ふううっ…と長いため息を付き、醍醐は天を仰いだ。 仲間たちの胸に哀しみの楔を打ち込んだ宿敵の一人が、また一人倒れた。しかし醍醐のため息は勝利の為ではなく、安堵によるものであった。大切なものを守り切る事ができたという安堵、また、仲間と共にいられるという安堵であった。 「醍醐クン…」 弾の尽きたウッズマンを手に天を仰いだまま動かぬ醍醐に、やっと声をかけたのは小蒔であった。 醍醐は夢から覚めたかのようにはっとして小蒔を、仲間たちを振り返った。 「…心配をかけたな…桜井…」 「ホントだよッ! すごく…すっごく心配したんだからッ!」 そこまで言うと、今まで押さえに押さえていた激情が遂に限界を越えてしまい、小蒔は泣き出してしまった。 途端におろおろする醍醐。さっきはあれほど凄まじい戦いっぷりを見せていた彼なのに、やはり本質的には何も変わっていない。それを実感して他の仲間たちはほっとすると同時に、(青いなあ)とか、(ふ、どっちも子供ね)などと考えてそれぞれ視線を外してやったり、にこにこ笑ったり、ある者は興味津々で眺めていたりと、各自それぞれの顔をする。 本当に申し訳ないのと、周囲の空気が気恥ずかしいのとでほとんど平謝り状態になった醍醐に、小蒔もようやく涙を拭いつつ満面の笑みを浮かべる。 「エヘヘッ――ホントに良かった…やっぱりいつもの醍醐クンだ…」 顔を赤くした醍醐の背後で、龍山がわざとらしく咳払いをする。 「まったく未熟者が…」 「龍山先生も…ご迷惑をおかけしました」 「良い。お主が自らの成すべき事を見据えられたのならば。嬢ちゃんに感謝するが良い。もちろん、そこにおる友にも、龍麻たちにもな」 そこで、小蒔がはっとする。 「そうだ! ひーちゃん達はッ!?」 「如月とアランが付いているが、人数不足は否めない。のんびりはしていられんぞ、醍醐!」 「う、うむ! そうだな!」 醍醐は龍山に頭を下げた。 「龍山先生! お礼は日を改めて」 「礼など良いわ! さっさと行ってやらんか!」 細い体に似合わぬ大声で醍醐に喝を入れる龍山。しかし一転、龍残は優しい笑みを浮かべた。 「雄矢よ。そしてお主達も心せよ。今のお主達の想いこそが、【力】の本質なのじゃ。――さあ、行くが良い!」 それぞれ一礼し、走り出す若者達。龍山はその姿に、若き日の自分の姿を見た。かつて自分も同じように、同世代の若者達と共に巨大な敵と闘った。その闘いで得たものは嬉しい事、楽しい事、辛い事、哀しい事、本当に色々あった。そして何よりも悔やまれるのは―― 「いや、お主達はわしらとは違う道を行ける筈。龍麻よ…。雄矢を頼むぞ…」 目次に戻る 前(変生(後編) 2)に戻る 次(変生(後編) 4)に進む コンテンツに戻る |