アラスカ、極点まで二〇〇キロ地点、現地時間〇三〇〇時 ふと顔を上げれば、そこには満天の星空が広がっていた。 一度村を離れれば、二週間歩き詰めでも他人と出くわさぬ荒野。大自然の息吹が支配する、不遜なる人類の手が伸びていない土地。スモッグもなければ、人工物の光もない、隔絶された世界。空に散らばる無限数の輝きは宇宙の深遠を垣間見せている。遥かなる太古では、誰もが目にしていた星空だろう。そして、宇宙に思いを馳せる豊かな精神の持ち主には、星の瞬きが様々な物語を話して聞かせたことだろう。ここ白夜の地でも、山の稜線が太陽を隠した僅かな時間、星々は精一杯に輝くのである。 しかし、トンボを切った一瞬に、ぱっちりと開いた大きな目に宇宙の深遠を映していた少女は、猫の如き身軽さで足から氷原へと着地した。 地吹雪に翻るのは空色のプリーツ・スカート。襟元に揺れているのは赤いリボン。――夏でも零下二十度に達するこの極北の地には絶対にそぐわぬ格好・・・セーラー服であった。それを纏っているのは、降り注ぐ月光が結晶したと見紛う美少女だ。月と星のみが光源の闇の中で白々と浮かび上がる美貌には、風に舞う氷の結晶すら触れるのを憚 更に少女の背には、セーラー服にそぐわぬものが背負われていた。 玉虫色の鞘に螺鈿細工を施した――日本刀である。それもかなり特殊な形状――鞘一杯に刀身が収まっているとすれば、刃渡りは九〇センチ以上で、柄の長さも五〇センチ強。日本刀の分類で言えば【太刀】、それも戦場用の【野太刀】に相当する。少女の身長は一六五センチほどだから、かなりもてあまし気味に見える。 だが、そんな少女の違和感を全て塗りつぶすものがそこにいた。 身長はざっと三メートルほどもあろうか? 全身毛むくじゃらの、明らかな生物である。敢えて言うならば鉄で編んだ剛毛を付けたゴリラだが、二本足で直立歩行しながら、一抱えもありそうな太い腕の方が足よりも長く、上半身の方が確実に巨大であり、その癖、きちんと切り揃えた爪を持つ器用そうな六本指など、あらゆる場面で生物的整合性を欠いていた。 しかし、ただそれだけならば変わった生物というだけであったかも知れない。その生物を【怪物】と称させるものは、その身に付けたアクセサリー・・・獣の革を貼り合わせて作った鎧と、研磨した石を刃とした斧やナイフ、そして既に骨となったもの、腐りかけのもの、そして、切り落とされたばかりの人間の首で作った首飾りを下げている事であった。 こんな生命体は、少なくとも公には認められていない。練り上げた道具を使い、自分を飾る――そのような思考形態を有する野獣的外見の知的生命体など。しかし、北米大陸の伝説に登場するウェンディゴ、サスカッチ、ビッグフット・・・どれでも当て嵌まりそうだ。 少女の目が僅かに細められる。 怪物は一体きりではなかった。少女の前に立ち塞がるように、一〇体以上の怪物が唸りを上げている。真っ黒な剛毛の奥で光る赤い目には、猛々しい闘争心と食欲、そしてあろう事か欲情の光が窺えた。 「――邪魔」 金鈴を震わせるような呟きのみその場に残し、少女が氷原を蹴った。腰まで掛かる長い黒髪が地吹雪に渦巻く。 『――グオウッッ!!』 振り上がる豪腕! その懐の広さは敵対したあらゆる生物にとって致命的と言えた。しかも手にしているのは、超大型スレッジハンマーをも凌ぐ石斧! しかもその使い方と言ったら―― 氷原をしっかりと踏み締め、腰の捻りと肩の回転を充分に乗せた一撃! 氷原が陥没し、衝撃波が放射状に広がって少女の髪を吹き散らす。――攻撃の失敗を悟った瞬間、ゴリラもどきは手首を返して石斧を持ち上げ、両手で柄をしっかりと握り締めた状態で腰を低く落とした。 それは、武器術の構えだ。身長三メートル、体重四〇〇キロのゴリラもどきが、その巨体のみに頼らぬ格闘技を身に付けていると言うのか!? 『ゴルルル・・・ッ!』 常人には唸り声にしか聞こえず、しかし格闘技者ならば解る吐息。次の瞬間、ゴリラもどきは少女に突っかけた。 四〇〇キロの巨体がスムーズに氷原を駆け、下半身は見事に重心を保持しつつ豪腕が石斧を繰り出す。元々力いっぱい叩き付ける道具でありながら、ゴリラもどきはそれを横薙ぎに払い、袈裟に薙ぎ上げ、時に柄の方で殴り掛かる。――外見とは裏腹の、洗練された格闘技術であった。そして、歩幅の違いから少女があっという間にゴリラもどきの懐に捉えられた時、手首のスナップを利かせた石斧が少女の脳天目掛けて躍った。 パワーショベルの一撃を迎え撃ったのは、少女の背から迸った閃光であった。 ――キン! 氷原を陥没させる豪腕の一撃をかいくぐった少女の背で小さく響く鍔鳴り。それを合図に、怪物の両腕が肘から断たれ、紫色の血潮を奔騰させた。胸が悪くなるような――空気を腐らせる波動を伴う絶叫を放つゴリラもどき。 少女の身体が半回転する。バレエのような優美な転身。しかし―― ――ッッ! 背から抜かれ、また戻る刀身の閃きを果たして誰が捉え得たか? 少女の優美さとは裏腹に、咆哮を上げる怪物の首が音もなく宙に飛び、それが地面に転がってから胴体が噴水のごとく異次元の血を噴き上げる様は酸鼻を極めた。 仲間の死に臆する事無く――そんなやわな精神は持ち合わせていない――残りのゴリラもどきが少女に殺到した。あるものは駆け、あるものは跳ね――石斧が、槍が躍る。いかに超絶の居合と言えど、毛むくじゃらの津波の前には成す術もなかったか、少女の姿が飲み込まれる。 否、次の瞬間、少女の姿は空中にあった。氷原に突き立った槍を足場に跳んだのである。 セーラー服を纏った天使が存在するならば、今の少女が正にそれであった。獲物の消失を知った怪物が天を振り仰いで硬直したのは、ひとえにその美しさ故であったろう。だがその天使の手には必殺の凶器が握られているのだ。 空中で抜刀する少女。その斬撃は目で捉え得ず、ただ閃光のみが瞬いた。 羽毛の身軽さで地上に舞い降りる少女。その背が鍔鳴りの音を立てた時、都合九体の怪物は尽く、毛むくじゃらの肉塊と化して氷原に転がった。――明らかに刀身の間合いになかったものたちまで。 「――天魔伏滅・・・」 自らの振るった剣に絶対の自信があるのか、少女は振り返ろうともせずに呟き、駆け出した。 少女の視線の先では、もう一つの死闘が繰り広げられている。そちらは、共に人間だ。少なくとも、見た目だけは。 ――ドゴォッ! ドゴォッ! ドゴォォォンッ! 回転式拳銃 「甘いぜ、兄弟 口元に笑い――至福の笑いだ――を浮かべ、ツツツ、と舌を鳴らす男。気障ったらしいが、思わず引き込まれそうになるほど魅力的な笑み。――その眼前で、空中に停められていた弾丸が粉々に飛び散った。 飛来する弾丸が空中で静止するという現象も驚嘆すべきだが、男の格好もまた、セーラー服の少女に負けず劣らずであった。くたびれて色の抜けたテンガロンハットに赤いスカーフ。薄茶の綿シャツの上には鰐皮の袖なしベストに毛糸編みのポンチョ。乗馬ズボンに銀の拍車の付いたブーツ。そして、馬鹿長い銃身を持つ拳銃をぶち込んだガンベルト。とどめは――口に咥えたラッキーストライク。――西部劇からそのまま抜け出してきたかのような男であった。その癖、左手には唯一ミスマッチな日本刀を佩いている。 「――どうかな?」 「――おッ!?」 街を歩けば十人中十人の女性を振り返らせるであろう美形ながら、無表情な金髪の青年とは好対照に、素っ頓狂な表情を作るウエスタン男。【それ】に気付いた途端、頬が、肩口が、胸板が、小さな血の染みを浮かばせたのである。飛び散った弾丸の破片が刻んだ傷であった。そして血の色は――赤。 「――なるほど。以前の奴よりピリピリしやがる。――法儀式済み純銀弾頭の改良型か。悪くねェ威力だが、俺を殺し切るにはまだちょいと役不足だぜ。【ザ・パンサー】」 笑いを消さぬまま血を舐めるウエスタン男。対する黒衣の青年は気にした風もなく拳銃・・・コルト【アナコンダ】四四マグナムをホルスターに納め、背中から一三〇センチにも及ぶ刀身を持つバスタード・ソードを抜いた。光を吸い込む闇色の剣が、黒のロングコートをはためかせる地吹雪を切り裂く。 「お前がおとなしく死ぬ気になればいい」 「――オイオイ、こんな面白ェ世界になったってのに、それを捨てて逝けってのか? そんな勿体ねェことを言う子に育てた覚えはねェぞ、お兄ちゃんは」 「お願いすれば死んでくれるか? 元【マックス竜騎兵隊 感情が表情に出ないながら、黒衣の青年の口調には奇妙な親しみがある。――指一本動かさずに四四マグナムを停める異能力者を【兄】と呼んだのだ。 「ンン〜ッ、そうしてやっても良いんだが、やっぱり【兄貴】としては先にお前を楽にしてやらなきゃならねェしなァ」 「俺の事は気にするな」 「――そういう訳にはいかねェさ。元【マックス竜騎兵隊 「・・・どうしても、駄目か?」 「ああ、駄目だ」 次の瞬間、ウエスタン男・・・ランデベールの頭上で火花が散った。 五メートル以上の間合いをフィルムのコマ落としのごとく消滅せしめた黒衣の青年・・・【ザ・パンサー】こと響豹馬の打ち込みを、ランデベールが逆手で抜いた日本刀で受け止めたのである。どちらの技量も尋常ではない上、扱う剣も異形の業物か。闇色の刃と白刃が噛み合い、紫色の炎を噴き上げる。 「―― 一年前より腕を上げたな、パンサー」 「【お前達】を殺すためだ」 ぐい、とめくれ上がるランデベールの唇。凶暴な、それでいて心底嬉しそうな笑いの形。 「だが――甘いぜ!」 弾けるように離れる間合い。豹馬は剣を振りかぶって構え、対するランデベールは刀を納める。――彼の技も居合いであった。 居合に対する時は、先に動いた方が負ける――基本中の基本だが、まったく気にした風もなく、再度、豹馬は突っかけた。大地を轟かせる踏み込みから、膝、腰、肩、肘、手首、一〇キロはあろう剣までが完全な連動を達成した時、剣先が音速 ――キン! と光が走った。次いで、鋼が打ち合う美しい音が響く。 「――ッッ!」 豹馬の肩口が裂け、ぱっと血の粒が飛び、切り裂かれたコートの隙間に赤竜 そもそも居合とは、独自の思想と技術から練り上げられた日本刀があってこそ成り立つ技である。鞘に収まったままの刀で人は斬れぬ――子供でも解る理屈だが、鞘から抜いた刀を振って敵を斬る――これを一挙動にまとめてしまう居合という技は、それを可能としてしまったのだ。刀を抜く動作はそのまま斬る動作に繋がり、しかも足の踏み込みから腰の捻り、腕の振りを完全に一致させる事により、刀は鞘の中にある内に加速を終えているという術理。極め尽くされた居合は完璧なるカウンターとなり、相対する者は常に無謀な攻撃を強いられる事となる。 そして、特にランデベールの居合。彼の日本刀もまた、かなり異質な形状をしている。刃渡り九〇センチの刀身に対し、柄の長さが八〇センチ。一見すると短い薙刀・・・長巻のようだ。当然、一九〇センチ近いランデベールであっても、かなりバランスが悪く見える。――少女の刀と同質の形状で、しかし構えの異なる彼の技は、居合の創生期に現れた達人、片山伯耆守藤原ノ久安 しかし―― ――ドゴォォォンッ! 一発の銃声と共に、ランデベールの足元が爆発する。完璧なカウンターを取れる構えを打ち砕く【アナコンダ】の抜き撃ち! 卑怯か? ――否! 元より剣術の【試合】などではないのだ。 ランデベールが退いた瞬間を見逃さず、踏み込みと言うよりは地面と平行に飛んだと言った方が良い運足からの突きが唸り飛ぶ。豹馬の全体重が乗った突きはさすがに弾けず、テンガロンハットのみ切り裂かせて後退するランデベールに、更なる突きの連撃! 「――チイッ!」 無限の軌道から五月雨のごとく繰り出される剣撃の凄まじさ。一三〇センチもの長剣をナイフよりも軽々と操りながら、一撃一撃が牛の首でも落とせそうなほどに重く、鋭い。その無数の残像を伴う突きを受け続けるランデベールも尋常ではなかった。二人の周囲では剣が打ち合う甲高い響きと火花が無数に飛び散り、放出された【気】の波動が氷原を切り裂く。 剣の技量はほぼ互角。千日手になるかと見えた打ち合いは、攻め手の豹馬が押し込む形――有利になっていく。全身に刻まれていく浅い傷から霧のような血を噴きつつチャンスを窺っていたランデベールは、百数十合目にして豹馬の打ち込みを刀の鍔で受け流し、横一文字の抜き付けで豹馬の胴を払った。 「――ッッ!」 一蹴りで五メートル以上もジャンプする豹馬。――彼がそう動く事を読んでいたランデベールは瞬時に刀を切り返し、五メートル以上離れているのも構わず逆袈裟の一刀を放った。同時に豹馬も剣を納め、二丁の【アナコンダ】を抜き撃ちする。 真紅の火線と、きらめく円柱が交錯した。 「――グアッ!!」 「――ッッ!!」 【風】のプロテクターをぶち抜いたマグナム弾がランデベールの左腕を肘から吹き飛ばし、白く輝く円柱が豹馬の右足の膝から先を消滅させる。ランデベールはきりきり舞いして氷原に転がり、豹馬も受身すら叶わず氷原に落下した。しかし―― 「――邪ッッ!!」 跳ね起きたランデベールが刀を振り抜くや、切っ先の軌跡に沿って霧が生まれ、ダイヤモンドダストと化して豹馬を襲った。――先ほど彼の足を消滅させたのは、超高速で飛来する数百億にも達する霧氷であった。 「――豹馬君!!」 避ける態勢にない豹馬の前に飛び込む少女。その背で刀が光を放ち―― ――ザンッッ!! あらゆる物質を顆粒状に砕くダイヤモンドダストが真っ向上段から真っ二つに斬り分けられ、氷原に二筋の亀裂を走らせる。――それを行うのにどれほどの気力を必要としたか、少女は大きく肩で息を吐いた。 「――ヘェ、【村雨】の凍気を斬るとはやるじゃねェか、サムライガール。さすがは我が弟の彼女」 「――これ以上はやらせません」 【村雨】――伝奇時代小説や忍者活劇などに度々登場する、伝説の刀の名である。その刀身には常に霜が降り、一度 だが、少女はそんな妖刀にではなく、【弟の彼女】という言葉に反応して頬を染めた。抑えた口調はそれを隠そうとした努力の賜物であったらしいが、【顔見知り】には通じなかった。 「はは、良いねェ、舞ちゃん。毛むくじゃら 失われた片腕から血を吹き零れさせつつカラカラと笑うランデベール。少女・・・舞の目が鋭さを増す。――それが致命傷ではないと見抜いている為だ。 「だが今は夜――【俺たち】の時間だぜ?」 宣言と同時に、吹き零れる血がみるみる粘液質になって固まり、更に泡立って伸びていく。――三〇秒とかけずそこに出現したのは、紛れもない腕であった。 「雪と氷と冷気――全部俺の味方だ。いくら舞ちゃんでも、俺の領域 「――試してみます?」 舞は刀を背に戻し、柄に軽く触れる構えを作る。――背中から抜く居合・・・居合の先駆者、林崎甚助重信 永禄の名勝負は、十二時間に及ぶ睨み合いの末、遂に一合も刃を交わす事無く、互いに礼を交わして終わりを告げた。その故事のごとく、舞とランデベールにも膠着の時が訪れたのだが――そこで舞は奇妙な行動を取った。僅かな動きが致命的な状況下、彼女のトレードマークらしいヘアバンドに手を掛けたのである。しかも、それを見たランデベールが笑みを深くした。――期待の形に。 「――よせ」 剣を杖代わりに、ついと立ち上がる豹馬。右足を消失しているのに、その顔には苦痛の片鱗もなかった。不思議な事に、傷口は出血もしていない。 「今は夜――闇は俺の味方だ」 天を貫くかのように剣を高く掲げる豹馬。剣の柄に象嵌された宝玉が真紅に輝き、まるで生き物の心臓のように脈動する。――するとどうだ? 大気中に蒼白い霧状の光が漂い、宝玉に吸い込まれていく。その出所は・・・グノフ・ケーの死体だ。もはや肉の塊でしかないグノフ・ケーが蒸発し、霧状の光となって散華するところを、豹馬の剣に吸い取られていくのである。しかも・・・霧状の光を吸い込むほどに豹馬の右足が再生していくではないか。 ――グノフ・ケーのエネルギーを吸収・・・否、喰っているのか? 響豹馬、そしてランデベール・ロワール。この男達は何者か? 「ふん。【竜殺し 共に凄まじい再生能力を見せながら、大して驚きもしない。そんな事、始めから解りきっているのだ。だからこそ、二人とも気負いも恐れもなく、ただ戦いの歓喜のみを湛えて各々の剣を構える。 「――いいえ。二対一です」 ヘアバンドから手を放し、豹馬に寄り添うように刀を構える舞。 「卑怯とは言いませんよね? 私、そろそろ家に帰りたいんですの。――服も着替えたいし、お風呂にも入りたいし、ベッドで眠りたいし、あったかいご飯とお味噌汁が食べたいし・・・年頃の娘が二週間も無断外泊でしかも野宿なんて、お母様今頃カンカンです」 まるっきり世間話のようだが、ここは極寒の地、アラスカである。この季節、夜にはマイナス二〇〜三〇度にもなるこの土地で、それもセーラー服で二週間も野宿など絶対に不可能だ。しかも周囲には毛むくじゃら・・・魔物の群れまでいる。ところがこの三人にはごく当然の事なのか、豹馬もランデベールも肩を竦めたきりである。 いや、ランデベールだけはニヤリ、と笑った。 「・・・その分、新婚気分を満喫しただろ、舞ちゃん? アラスカの吹雪 「・・・ッッ!!」 この状況下、このような敵を前に、真っ赤に赤面する舞。グノフ・ケーを倒した時の気迫などどこかへ吹っ飛んでしまい、年相応の少女の顔が覗いた。 「・・・出歯亀は馬に蹴られて死ね」 豹馬の無表情は変わらない。ただ、舞の肩をそっと抱き寄せて下がらせる。 「――野暮な事は言いっこなし。祝福するぜ、二人とも。――俺だって別に、好き好んで出歯亀をやりに来た訳じゃねェ。ここのグノフ・ケーどもが解放された理由、知ってるかい?」 「・・・どういう事だ?」 まだ頬が紅潮している舞を差し置き、問い返す豹馬。ランデベールは真顔で続けた。 「お前らも気付いていただろう? こいつらは、世界中で暴れている【奴ら】はただの囮だ。【俺たち】やお前たち【ストライダー】を足止めするための時間稼ぎさ。――笑わせやがる。人類はどうやら、滅びたがっているらしいぜ?」 「・・・・・・」 「――二年前だよ、パンサー」 口元の笑いを消し、ランデベールは胸のつかえを吐き出すように言った。 「あのくそったれ【黒い島】作戦 「・・・それがどうした? そんな事、今に始まった訳じゃない」 「そうさ。だが、事の起こりは【黒い島】作戦じゃねェとしたら、どうする?」 「・・・何!?」 じわり、と豹馬の目が赤光を噴いたのを見て、舞が彼の手を握る。目の光は消えなかったが、それ以上の妖気が噴き出す事はなくなった。 「【奴ら】との戦いは人類の歴史が始まった時からずっと続いてきたさ。だがそこの舞ちゃんや、お前とつるんでいる連中が【神威】として目覚めたきっかけは【黒い島】作戦じゃねェ。その直前に起こったオキナワ、嘉手納基地消滅事件、【レッドキャップス争乱】こそが原因だぜ」 「・・・・・・!」 「・・・ありゃ、ただの軍事クーデターじゃなかった。元々対【奴ら】用を目指して開発されていたレッドキャップスを恐れた【奴ら】の信奉者どもが、軍上層部に働きかけて連中を始末しようとしたのが真相さ。その結果が、あの有様だ」 「・・・気化爆弾による自決・・・ではないという事か」 「ビンゴ――。並の部隊じゃレッドキャップスは始末し切れねェ。そこで軍上層部は事もあろうに、あのクソジジイ 「・・・その後、【黒い島】作戦で解放された化け物どもが【神威】を狙って動き始めた。それが昨今、世界中で発生している猟奇事件と、C 軽く頷くランデベール。――この二人は平然と話しているが、舞の方は目を丸くしている。今、二人が話しているのは、世界の命運にも関わりかねない事実だ。人類の中に突然、異能力に目覚める者が現れ、それを狙って異次元からの魔物との暗闘が始まる・・・これまでのように、【奴ら】の信奉者を始末して済むような事態ではなくなったという事ではないか!? 「【神威】って奴ァ、時代の変革時に現れる、言わば新人類 「【使徒】への変貌・・・妖魔との融合か」 「情けねェ話だよなァ。そんなの、この地上にクロマニヨンが生まれた時にネアンデルタールが出した答えだぜ。おかげで現代まで生き残ってる連中は妖怪だのなんだのと言われて、人類の天敵扱いだ。こんな毛むくじゃらどもになると解っていたら、連中はやめたかね?」 「――やめないさ。生き残りたかったのだからな」 「それだけなら許せるさ。だが現代人と来たら・・・どうせ【使徒】になるなら【神威】に負けねェ強ェバケモンと融合する――その馬鹿げた考えが行き着いた先が【黒い島】作戦って訳さ。あの時の俺達は最初から生贄として送り込まれたんだよ。もっともお前がいたおかげで奴らの思惑は全てパア――代わりに俺達の方が【使徒】になっちまったがな」 「・・・・・・」 「大した笑い話だろ? 【奴ら】がレッドキャップスを始末しようとしたら【神威】が急激に覚醒を始め、【神威】を怖れた【人類の代表】が自分から【奴ら】の手下になる事を望みやがった。――俺もお前も、【奴ら】との融合がどれだけ凄ェか見せる為の良い宣伝材料にされてたって事だよ。絶対に勝てねェ化け物と戦うより、さっさと化け物になっちまった方が楽だってな。――そこでわざと【奴ら】の眷属を解放し、お前ら【ストライダー】を引き付けた隙に権力者どもを化け物に変貌させる。――いかにもあのクソジジイ好みのやり口じゃねェか。しかも【旧人類】より確実に霊力が強い【新人類】を使えば、これまで以上に強力な【使徒】が誕生する。お前が海外を飛び回っている間に、日本じゃ【新人類】・・・【神威】の素質ありと目される女達が大量にかき集められ、【使徒】造りの母体にされちまってるぜ。しかも戦乱や動乱で脅威が増せば【神威】の能力も上がるってんで、東京じゃ妙なテロが横行している。――いくら【餌】が多いからって、こんな所で遊んでる場合じゃないぜ、パンサー」 ランデベールの微妙な言い回しに、舞の目元から険が取れる。 「・・・なぜ、そんな事を私たちに教えるんですか?」 「・・・【奴ら】の一員の言う事なんか信用できないかい?」 「そんな事・・・」 愛敬たっぷりに――それが曲者だが――笑うランデベールに、舞は言葉を濁らせる。 この戦いに身を投じて約一年になる舞だが、豹馬とランデベールが戦うところは何回も目撃している。いつも二人は本気で相手を殺しにかかり、互いの特殊能力ゆえに決着が付かない。そして――いつも思うのだ。ランデベールは一体なにものなのかと。 【奴ら】に属した人間は、少なくとも舞が見てきた限りでは人類を敵視し、【奴ら】こと【旧支配者】の復活の為に粉骨砕身、どんな邪悪な事でもやってのける連中ばかりであった。ところがランデベールは周囲の事には無頓着ではあるものの、戦う事のみを楽しんでいるような節があるのだ。 「俺は【風】の一族だ」 ランデベールは唄うように言った。 「俺たちは自由よ。【水】の奴らみてえに支配するのしないの、儀式がどうのこうの、そんな事は関係ねェ。食いたい時に食い、戦いたい時に戦う。――ただよォ、これだけ生命に溢れる惑星を【水】の奴らに独占されるのは好かねェ。ちょっと前・・・六十年ほど前にラバン何とかいう学者の一派に手ェ貸したのもそれが理由さ。――今も同じだ。人類が化け物に変わっちまったら、この惑星は滅びちまう。二万年前に火星が滅びたのを最後にXXXX・・・人類の単位で二〇万光年以内の恒星系で生物が存在しているのはこの惑星だけになっちまった。――勿体無ェだろ?」 「・・・・・・」 初めて聞く、外宇宙の妖魔の所信表明。それに、なんという事だろう。人類どころか、宇宙に現存する全生命体の天敵とも言える混沌の妖魔が、同レベルの存在の妖魔からこの地球を護っているとは? だが、豹馬の興味は別の所にあるようだ。 「【あの力】の継承者とは・・・中佐が連れ帰ったという少年だな? 確か、ナンバー9とか」 「ああ。中佐はそいつを【俺たち】の仲間に加えようとしたらしいが、いくらはみ出し部隊の俺たちでも受け入れるには厳しい奴だったようだな。結局、厳重な監視下に置きつつも並みの人間として社会に潜伏させたんだからよ」 「だが、そいつは今、【奴ら】との戦いを始めている。――なるほど、そうか。そういう事か」 ぐい、と豹馬の口の端が吊り上がり、鉄にでも食い入りそうな歯が光った。 「戦いは【神威】を爆発的に成長させる。――【あの力】・・・大地の力を統べる者が次代の棟梁。【使徒】をけしかけて【神威】の成長を促し、充分に力を付けたところで黒蝿王が総取りする寸法か。――政府筋が強気になる訳だ。自分たちが主役だと思い込み、躍らされている事に全く気付いていないのだからな」 「――まったくだ。政府だけじゃねェ。【Z−GRAT】、【シグマ】、【ネオ・ナチス】、【ハギト】・・・馬鹿どもの懇親会だな。だが、人間社会では一番力がある。連中が本気で【使徒】になる事を望めば、人類の根絶は近いぜ。既に何人か、【神威】の有資格者がクソジジイの手に落ちた。その中には【処理】を受けていない人間さえも【使徒】に変えちまうほどの能力を持っている娘がいるらしいぜ。霊力のレベルで言うなら、お前の仲間の弥生ちゃんや唯ちゃん並みだ。――俺でもてこずったぜ」 「・・・・・・」 「――日本に帰れ、パンサー。もはやお前たちの【学園】を狙っているのは【奴ら】だけじゃねェ。あの【学園】がクソジジイの手に落ちたら、俺やお前が【本気】になっても簡単には止められなくなるぜ。それに【あの力】の継承者が出現したって事は、もう一つの【力】・・・【龍眼】も顕現する筈だ。それを先に押さえられたらアトランティスやら邪馬台国の再現になっちまう。――案外、この一連の馬鹿騒ぎは、【龍眼】を目的にしているのかも知れないぜ? ――全ての糸を引いている、あの男の目的はよ」 「・・・奴か。【深紅の破壊者】、【混沌の剣士】、【修羅王】、そして【凶星の者】こと、や・・・」 次の瞬間、ランデベールは、そして舞の腰をひっさらった豹馬は一蹴りでその場を数十メートルから飛び退いた――のみならず、剣を振るって爆風を切り裂いた。――数万年来溶けた事のない分厚い氷の層を瞬時に蒸発させる程の熱量と、それが引き起こした水蒸気爆発の爆風を。 「噂をすれば影――だな」 「――そのようだ」 差し渡し五〇メートル。氷原に突如として出現したクレーターの縁で豹馬とランデベールは頷き合い、クレーターの反対側に鋭い視線を向けた。 【それ】は一体なんであるのか? まるでもう一つの太陽が出現したかのように思える、真っ赤に染まった空。ただしそれは太陽のように優しくはなく、ただただ毒々しい血の色であった。炎のように揺らめく赤い光は大気を歪ませ、天空に掛かった月を何重にもブレさせた。 その中心に、【そいつ】はいた。 「――あの人は・・・」 「――人じゃない」 真顔に戻った舞の呟きを即座に否定する豹馬。そしてランデベール。 「【俺たち】の同類さ」 真紅の人影――そうとしか見えない。堂々たる偉丈夫――そうとしか判らない。煉獄の炎の如き赤い光の揺らめきの中で、【そいつ】が口を開いた。――五〇メートル離れていても、呟きの持つ波動が届く。この次元に現出した事さえ信じがたい、圧倒的な存在感であった。 『【風に乗りて歩むもの 名を呼ばれ、ぐい、とランデベールが唇を吊り上げた。凶暴無比な笑いの形。白い歯並は全て牙と化していた。 『【触れ得ぬ天使 すう、と舞の目が細くなり、瞳の中に黄金の光点が浮いた。 『【崑崙】最後の戦士・・・【ザ・パンサー】、響豹馬・・・』 ただ一人、豹馬だけは無表情を貫いた。 『真相に一歩近付いたか。だが刻は動き始めた。そしてそこに貴様らの居場所はない』 ゴオ、と炎が伸びる。 それが、緩やかに湾曲した刀であると即座に判る者はおらぬだろう。その持つ妖気があまりにも濃い為、原形が既に失われてしまっているのだ。燃え盛る血色の妖気こそが刀身であり、刃であった。 それに呼応したか、豹馬たちの剣もカタカタと鳴り始める。 【ザ・パンサー】・・・響豹馬の魔剣【ノートウィング】に象嵌された宝玉が血色の輝きを放つ。 【触れ得ぬ天使 【風に乗りて歩むもの 「・・・それで、俺達を始末しに来たって事かい?」 最初に応じたのはランデベールだ。彼の目は瞳が縦に細長く・・・爬虫類のそれになり、頬が細かくひび割れて鱗へと変わっていく。それに連れて彼の周囲では風が渦巻き、空気分子がみるみる密度を増していく。 「――上等!!」 竜巻を足場に、ロケットのように宙へと跳ぶランデベール! 空中で【村雨】を抜き放ち、異形の気合を込めて振り下ろす一閃! 「――ッッ!!」 豹馬との一戦は手抜きを極めたものでしかなかったのか、白い円柱・・・数千兆にも及ぶダイヤモンドダストが織り成す破壊エネルギーは、紅い人影に直撃したと思しき瞬間、小型の核爆発にも等しい衝撃波を撒き散らし、天高く雪と氷のキノコ雲を立ち昇らせた。 全てが白一色に閉ざされた世界の中で、空中を漂うランデベールが凄絶な笑みを洩らす。 「――邪ッ!!」 蒼く変色し、しかし倍にも力強くなった腕で振られる【村雨】。それが受け止めたのは血色の超エネルギー体・・・固体化する寸前まで凝縮された膨大な【気】の塊であった。 「ガアァァァァッ!!」 気勢を上げて超エネルギー体の衝撃を受け止めるランデベール。しかしそれは先程、地表に直径五〇メートルものクレーターを穿ったのだ。エネルギーを拮抗し得たのは僅かに二秒。次の瞬間、ランデベールは超エネルギー体の爆発に呑み込まれた。 「――ランディーさん!」 紛れも無い【敵】ではあるが、【顔見知り】でもあるランデベールの名を叫ぶ舞。そして豹馬は――無表情。なぜならば―― 「――ッッ!」 爆風に引き続いて叩き付けられてきた突風のような妖気に、舞は片手で顔を庇った。――片手で済んだのは、豹馬の広げたコートが彼女を庇ったからである。 『――やってくれるぜェ〜〜〜ッ!』 空中を飛び交う紅い稲光・・・実体化した妖気を蹴散らして、蒼い異形の者が姿を現わした。 全体のフォルムは、人間を酷く戯画化したものだ。五体の付き方そのものは人間と変わりない。しかし顔は人間のそれに猛禽類の嘴を付けたよう。目は正規のものの他に額にも一つ光り、三つ編みの金髪は今やライオンのたてがみの如く風になびいていた。手足は鎧とも、昆虫の外骨格とも付かぬものに覆われ、太く力強い足には巨大な三本の鷲爪が伸びていた。そして最も変化が著しいのは、肩甲骨の辺りから広がった甲虫の如き翼であった。 雄々しく、力強く、しかし酷く攻撃的で禍々しい変身。風に乗り、天駆けるもの――【風に乗りて歩むもの 翼を小刻みに震わせて滞空する彼の視界遥か下に、超エネルギー体を放った紅い人影・・・頬に大きな傷のある、真紅の服に身を固めた男の姿が映る。 『――テメエが裏で糸を引いているのは判っていたぜ』 顔も口も、声帯も変形したために人間の言葉を発するのは無理かに思われたが、やや金属質ながらはっきりした日本語を口にするランデベール。 『だが、なぜ【今】なんだ? テメエの【力】をもってすれば二年前の馬鹿騒ぎ――【黒い島】作戦 ランデベールは視線を豹馬に向けた。 『他の連中ならいざ知らず、テメエだけはパンサーとは戦えねェ筈だ。いくら外道ジジイ 『・・・・・・』 真紅の男は答えず、豹馬を見やった。 「・・・・・・」 こちらも無言ながら、薄い笑みを浮かべる豹馬。その意味するところは――歓喜。この上ない獲物を前にした肉食獣の歓喜であった。僅かに覗いた白い歯並の中に、明らかに【牙】としか表現できない犬歯が伸びてきている。そして――風向きとは無関係に彼の金髪とコートがザワザワと揺れた。 「――駄目よ、豹馬君」 獲物への一歩を踏み出そうとした豹馬を遮る舞。 「彼とは戦わせません。――どうしてもと言うなら、私を殺してからにしてください」 一歩この場を離れれば、修羅場などとは無縁そうな少女の口から出る凄まじい脅し文句。しかもそれが【恋人】に対して放たれたものとは!? 豹馬はちらりと彼女を見て、ふっと【気】を納めた。 『フフフ・・・。たかが女のためにこの俺を見逃すか、【ザ・パンサー】・・・【崑崙】の生み出したる最強の戦士よ』 「――俺は構わん」 あっさりと言う豹馬。しかし――舞は目を険しくした。恐らく、ランデベールも。 ――彼の言う【構わん】は、目の前の敵を見逃す事ではなく、今すぐにでも相手をしてやるという意味であった。たとえ――舞やランデベールと敵対しても。 『フフフ・・・。そう来なくてはな。――だが、今はその時にあらず。貴様らはせいぜい、【扉】の向こうの奴らと戯れているが良い』 「――その間に、日本を貴様の望む修羅の世に変えるか? ――愚問だな」 豹馬の声は風刃のごとく鋭く真紅の男に迫った。 「貴様ほどの男がそんな下らぬものを望む筈がない。四〇〇年を生き――否、数千年を生き、現世人類の移ろいを見てきた貴様だ。今更、人類への復讐もあるまい。何が目的だ?」 『――それを知ってなんとする? 【ザ・パンサー】。貴様は俺以上に、人類に関心など持たぬもの。この俺が何をしようと、貴様には何の関係もあるまい』 「――万人が認めずとも、俺は【人】として生きている」 豹馬は、傍らで厳しい視線を向けている舞を見やった。 「【全て】を無に帰すだけならば簡単だが、【世界】を生かす為には俺と貴様は戦えない。俺を殺さないというだけで、貴様の望みが破滅でない事が解る。――世界中で【奴ら】を目覚めさせ、人類の進化を促し、人類を化け物に変え――何をするつもりだ?」 豹馬の詰問に、真紅の男は胸をそびやかせて笑った。――心底楽しそうに。 『面白い。全くもって、貴様は面白い。――だが、貴様が俺の目的を理解する事などありえぬ。なぜならば――』 意味ありげに言葉を切り、真紅の男は南の空を見上げた。 『――おっと、コイツは――』 十数キロ先まで見通すランデベールの目に映ったのは、細長い銀色の円筒と、それに付けられた小さな翼。そして、【US・NAVY】のロゴマーク。 真紅の男は続けた。 『――貴様らが護るべき人類が、このザマだからな』 「――舞!」 真紅の男の高笑いを無視し、豹馬は舞を抱きかかえて氷原を蹴った。 少女一人を抱きかかえたまま、瞬間的に時速八〇キロという驚異的な速度に達した豹馬であったが、僅か五秒後に背後で膨れ上がった巨大な光球が彼らを、空中のランデベールも、元の位置を一歩も動かなかった真紅の男を呑み込んだ。 光に呑み込まれる瞬間、豹馬のコートが魔鳥の翼のごとく広がったのだが、誰も確かめる事は叶わなかった。 ――数分後。 『ふえ〜ッ。ビックラこいたぜ』 高度七千メートル。絡まり合うキノコ雲を眼下に、ランデベールは魔物の本性を晒しながら、人間臭くしみじみとごちた。 『ヤロウ自らのお出ましとは妙だと思ったが、こういうカラクリかよ。――いや、トマホーク三発って事は、ヤロウ自身も狙われてたって事か。――にしても、人類の代表気取りって奴ァ、どこまでも馬鹿揃いだな。この地球環境をどこまで汚せば気が済むんだ』 ランデベールが右手を掲げると、そこに小さな――宇宙空間が出現し、猛烈な勢いで大気を吸い込み始めた。人類が作り出した最強にして最悪の兵器――核の炎が生み出したキノコ雲は、大量の放射性物質もろとも空に巻き上げられ、ランデベールの生み出した超空間通路にその全てが吸い込まれるまで五分と必要としなかった。――後にIFAFの調査団が現地入りしたところ、大気、土壌ともに放射性廃棄物ゼロという測定結果が出た。――【魔物】が【人間】の振り撒いた毒を浄化したのである。 『――ところでパンサーの奴、うまく逃げ切れたかな? 舞ちゃんがいたんだから【力】を出し惜しみするこたァねェと思うが・・・。――まあ良い、生きてりゃその内――また遭おうぜ 遥か地表に向けて小粋に指を振ったランデベールはパアッと広がった光に包まれ、虚空へと消え去った。 折り良く、白夜の太陽が地表を照らし出したのだが、そこには突如出現したクレーターと、無残に焼け爛れた大地があるのみで、生き物の姿は何一つなかった。その為、空一杯に広がった、人間を酷く戯画化したような影を見た者は誰もいなかった。 風だけが、酷く冷たかった。 東京、西新宿某所、一三〇〇時 「・・・まだかァ、醍醐ォ――」 「・・・もう少しだ」 「うー、もう歩きたくねェー」 「・・・うるさいなァ、京一は」 「・・・ちょっと休もうぜェ。――大体何が歩いていける距離だよッ。見渡す限り竹、タケ、たけ、TAKEッ! ここは本当に新宿なのかよッ!」 ここは西新宿。新井龍山なる人物の家路にある竹林であった。放課後すぐにこうして出向いてきた一同であったが、確かに京一の言うように、小高い丘にある竹林を、かれこれ三十分以上は歩いているのだ。 「・・・・・・・・・根性なし」 ぼそっと呟く龍麻に、昨日と同じく胸を押さえてへなへなと倒れる京一。 「ひーちゃん! とどめ刺すなよ!」 「俺は事実を、肺腑をえぐるように述べているだけだ」 「だからやめろって! 大体この竹、一体何処まで続いているんだよ! そのうち新宿を出ちまうんじゃねェのかッ!?」 「・・・それはない。先程から一〇メートルと進んではいないからな」 一瞬、龍麻の言葉の意味が判らなかった一同。最初に我に返ったのは葵だった。 「龍麻・・・それってどういう事?」 「結界の一種だろう。この竹林が我々の視覚を幻惑し、距離感を失わせる。そして我々が近付く分、目標が遠ざかれば、我々は永久に目的地に辿り付く事はできない」 まさか、それを見抜いたからでもあるまいが、前方の視界が急激に開かれ、一気にまばらになった竹林の向こうに、今時珍しい萱葺きの庵が見えてきた。周囲を小柴垣に囲まれた、小さいながらも本格的な日本家屋である。 「・・・どうやら主人の眼鏡に適ったようだな」 ここは新宿副都心。いくらなんでも三十分以上歩き詰めで、竹林しかない場所など存在しない。ここには、招かれざる客を入れぬための結界が張ってあったのだ。 「なんでェなんでェ。苦労して辿り着いたにしちゃ、えらくボロッちィ家じゃねェか、べらぼうめい!」 本来は害意ある者に対して張られた結界により、これぞ無駄な努力! の見本をやらされた京一は、なぜかべらんめい口調になってしまっている。 「まあそう言うな。これでも中は綺麗なんだぞ。――龍山先生! いらっしゃいますか!」 垣根越しに醍醐が呼びかけるが、家の中からは何の反応もない。小さな家だから、居れば必ず声は届く筈である。 「・・・留守なのではないか?」 「うむ・・・先生はお忙しい方だからな。――中で待たせてもらおう」 そう言うと、龍麻の次に礼節にうるさい筈の醍醐は、つかつかと玄関まで歩いていき、引き戸を開けた。竹林の結界があるからかも知れないが、無用心である。 「いいの? 勝手に入って・・・」 「大丈夫だ」 なるほど、勝手知ったる・・・という奴だろう。主人の居ない家の前でボーっと突っ立っているのも間抜けなので、龍麻たちは醍醐の言う通り、中で待たせてもらうことにした。 「へェー、ジジイの一人暮らしにしては綺麗に片付いてるな」 「見て見てッ、囲炉裏があるよ!」 純和風の造りは織部神社も同じであったが、こちらはもっと徹底している。葵と小蒔は目を輝かせながら物珍しげに部屋の中を見回した。 「その辺で適当に寛いでいてくれ」 醍醐は一人奥に行き、すぐに茶を携えて戻ってきた。 「・・・お前はここには長いのか?」 「ん? ああ、最近は忙しくてあまり来ないがな。――初めて先生に世話になったのは中学三年の頃だ」 そこまで聞けば、龍麻にはおおよその事情が判る。恐らく例の凶津との事があった頃だろう。京一曰く【堅すぎる】醍醐の事だから、当時も相当悩んだに違いない。そんな彼を理解し、立ち直らせるには、易という職業を通じて多くの人間を見て来た者の、ごまかしのない教えが必要だろう。たとえ醍醐がその事件を引きずっていたにせよ、ひたすら【真の強さ】を追い求める求道精神を身に付けさせたのは、間違いなくその龍山なる人物だ。 「なるほど。それで【師匠】なのだな」 僅か三ヶ月ほどの付き合いではあったが、龍麻にもそんな人物がいた。【人】として目覚めたばかりの戦闘マシンに古武術の手ほどきと共に、【人】としての在り方を説いてくれた人物――鳴滝冬吾。何しろ忙しい身の上なので、転校前日以来一度も連絡を取っていないが、龍麻には奇妙に懐かしく思い出された。 「けどよォ、お堅い醍醐の師匠だろ? 頭の天辺から爪の先までガッチガチの頑固ジジイなんだろうな」 「――こいつの頭が固いのは、わしの所に来る前からじゃ!」 突如襖が開き、一喝する老人が一人。龍麻以外は全員が思わず腰を浮かせた。 「全く・・・さっきからジジイ、ジジイと騒がしい小僧よ」 灰色の作務衣を纏った、白髪に見事な白髭をたくわえた小柄な老人がジロリ、と一同を一瞥する。かなりの高齢と見えるのに、信じられないほど鮮烈な【気】を漲らせた老人の迫力に、さすがに京一も圧倒された。 「先生・・・いらしてたなら返事くらいしてください。人が悪いですよ」 「何を言うか。しばらく顔を見せんと思っておったら、いきなりこんな大人数で押しかけおって」 「いやあ・・・申し訳ありません。ところで、手紙は読んでいただけたのでしょうか?」 「読んだ」 あっさりと頷く龍山に、醍醐は「返事がもらえなかったのですが」と言うと、 「馬鹿モン。何でわしがむさくるしい男なんぞにわざわざ文 【醍醐の師匠】から想起されるイメージとはかけ離れた龍山に、京一達は面食らう。龍麻一人だけが、なぜか一人で頷いていた。 「それで、お主らが醍醐の手紙に書いてあった者たちじゃな?」 そう言って龍山は一同に順に視線を移して行った。 「あんたが桜井小蒔さんじゃね。うむ。元気がこぼれそうなほどじゃ」 「エヘヘ・・・。ありがとうございマス」 「そしてあんたが美里葵さん。ふむ。手紙にあった通り、良い娘さんじゃ」 龍麻と京一は後回しである。龍山はおもむろに醍醐に振り返った。 「それで、どっちがお前の【コレ】なのじゃ?」 「せ、せんセェ!」 枯淡の粋に達した重厚なイメージを一瞬にしてぶち壊す、立てられた小指。醍醐は顔を真っ赤にしてうろたえた。 (なあ、本当にこのじじい、醍醐の師匠なのか?) (間違いない。笑福亭松鶴師匠もこのようなお人柄であったと伝え聞いている) 「――誰が落語家と一緒じゃ?」 どうやら龍麻と京一の内緒話が聞こえたらしい。龍山はふん、と鼻を鳴らして龍麻を見据えた。 「・・・ッッ」 瞬間、龍麻は頭の芯が痺れるような感覚を覚えた。 (なんだ? 何処かで会った事が・・・ある?) 龍麻には、幼少期の記憶がほとんどない。レッドキャップスとして実戦投入された以降の事は正確に覚えているから、少なくともそれ以降に出会った人物ではない。しかし祖父の家で座敷牢に閉じ込められていた記憶しかない龍麻だ。その頃にこのような人物と会っただろうか? 「お主が、緋勇龍麻じゃな」 言葉は一語一語区切るように、そして目は鋭く食い入るように、龍山は言った。 「緋勇龍麻であります」 初対面の、そして目上の者に対する礼儀。龍麻は立ち上がり、直立不動で敬礼した。 「・・・なるほど。礼儀は弁えておるか」 なにやら微妙に冷たい口調に、醍醐が「!?」となる。彼の知る龍山は、人に対してそのような態度を取る事はなかった筈だった。 しかし、その疑問は解消される事はなかった。龍山が醍醐に「わしにも茶を持って来い」と命じたからである。 「・・・それにしても、縁 改めて座し、一同を見回した龍山はしみじみと言った後、本題に入った。手紙を読んだというのは本当の事だったらしい。 「お主らの来訪の目的も疑問も大体分かっておるが、そうさな・・・まず風水に付いてどれほどの知識がある?」 「基本的な概念だけは」 他の者が黙っているので、龍麻が答える。実際、風水に付いて最も詳しいのは龍麻だ。そして、龍麻と織部神社で聞いたくらいしか知らないという葵の言を受け、龍山は続けた。 「では解らぬ事はその都度説明する事にして・・・まず雄矢よ。お主の手紙に書かれていた【鬼道衆】なる集団の事、知らぬ訳ではない」 「本当ですかッ、先生!」 思わず身を乗り出す醍醐であったが、とりあえず座れと諌められてしまう。 「緋勇よ。【鬼道】に付いては知識があるか?」 「・・・伝説の古代王国邪馬台国 「うむ。そこまで判っておれば話は早い」 龍山は大きく頷いた。 「神の声を聞き、超自然的な力を発揮した卑弥呼じゃが、いかに優れた術者であったとしても、人間の持つ霊力ごときでは自 少し堅い話になるが、と龍山が前置くと、京一と小蒔は逃避モードに入った。相変わらず難しい話は駄目なのだ。 「研究の末【龍脈】を利用する術、即ち【鬼道】を編み出した卑弥呼であったが、圧倒的な力を手に入れたが故の当然の反応・・・権力欲に取り憑かれてしまったのじゃ。卑弥呼は【龍脈】の力を無尽蔵に吸い上げるための装置、自分の宮殿や桜観と呼ばれる塔を建てさせた。そして【鬼道】と【龍脈】の力を得た卑弥呼の邪馬台国は未曾有の大繁栄を遂げる事になったのじゃ」 歴史的講釈はここまでにしよう、と龍山は退屈そうな様子を隠そうともしない京一と小蒔を見据えて言った。 「【鬼道】によって【龍脈】の力を得た卑弥呼にも、ただ一つ、決定的な誤算があった。本来【龍脈】の力とは地球を巡る血液のようなものじゃ。それを一箇所で吸い上げ続ければどうなるか? 例えば、これを人間に置き換えればどうなるかな?」 「人間であれば・・・身体の調子が悪くなります。病気になる事も」 葵の答えに、龍山はうむと頷く。 「それと同じ事が、【龍脈】にも当て嵌まる。大地の力を無尽蔵に使い続けたツケは、思いがけない形で現れた。それが【鬼】じゃ。大きすぎるエネルギーが周囲に及ぼす歪みが、卑弥呼やその周辺にいた者、果ては邪馬台国の人々の欲望を吸い上げ、遂に異形の誕生を招いたのじゃ」 「・・・あるいは、この地球に封印されていた、次元を異にするものを招く事になった」 龍麻の言葉に、にわかに京一も小蒔も緊張する。ダレている場合ではない。 「そうじゃ。その事に卑弥呼が気付いた時には既に遅く、倭国は再び大乱に巻き込まれた。中国の歴史書においてもこの辺りのくだりは曖昧じゃ。卑弥呼の霊力が衰えたとも、異次元の魔物が出現したからだとも言われているが、真実が明かされることはないじゃろうな。二六六年に卑弥呼の後継者となった壱与 龍麻は少し・・・三十秒ほど考え、言った。 「現代でも、邪馬台国がどこにあったのか全くわかっていない。それほどの王朝ならば、必ずどこかに片鱗が残っているものだ。それが全くないとすると、やはり、【扉】の向こう側の奴らの仕業だ。恐らく、卑弥呼は国の全存亡を賭けて【奴ら】に戦いを挑んだのだろう。そして、相討ちとなった。【奴ら】は次元の彼方に戻され、邪馬台国はその痕跡すら留めず地上から消された。アステカ、マヤ、中国【夏 いずれも有名な伝説の古代文明である。そして、そのどれもが繁栄を極めながら、突如として消え去った文明だ。 「ひーちゃん・・・話が大きすぎてよく判んないよ」 「基本知識だ」 龍麻は酷く冷たい、指揮官の口調で言う。 「表向きの考古学は、その恐ろしさのあまり多くの真実を隠している。例は様々だが、一つ手頃なものにモヘンジョ・ダロ遺跡がある。名前くらいは聞いたことがあるだろう?」 葵、醍醐は頷いたが、やはり京一と小蒔は首を捻る。 「・・・まあいい。この遺跡もまた、レイ・ラインの真上を走る都市の一つで、現代の技術と比較しても遜色ない完璧な上下水道を備え、それは見事な文化形態だったと推察される。ところがその街の遺跡からは奇妙な点・・・というより恐ろしい事実がいくつも発見されたのだ」 インド奥地にあるモヘンジョ・ダロ遺跡。モヘンジョ・ダロとは現地の言葉で【死者の丘】という意味である。そして奇妙な事にこの街の建物の窓は全て内側・・・つまり中庭に向けて造られており、外壁は硬質レンガで五〇センチ以上もの厚さで造られているのである。モヘンジョ・ダロを初めて見た学者はそれを「まるで核シェルターだ」と称したという。 「最大の疑念は、最盛期で四千人を誇った街の住民の死体が、僅か二四体しかなかったという事だ。しかもその死体はいずれも超高熱のために炭化した状態であったという。――当時、剣や弓矢くらいしかない時代に、それほどの熱量を有する兵器があったか? そして残る住人はどこへ行ったのか? これが現代まで残っているミステリーだが、俺達はこう教えられた。――【奴らに食われた】とな」 「・・・!!」 「大きなレイ・ライン・・・【龍穴】のそばには、必ずその歪みが集積する部分・・・【養屍地 話がずれすぎた、と龍麻は唇を歪めた。龍山は初めて彼に対して相好を崩した。 「お主、実に博識じゃの。本当ならもっと脱線したいところじゃが、それはまたにしよう。――さて、この日本で【鬼道】が失われてから千数百年後、ある一人の男が【鬼道】を復活させる事に成功した。その男は修験道の行者であり、修行の果てに【力】を身に付ける事に成功したのじゃ」 またしても新しい単語の出現に、一同は龍麻を見る。彼は肩をすくめ、ざっと説明する。 修験道とは、山に篭り、自然に宿る精霊・神霊に祈りを捧げ、難行苦行の末に験力という特殊な【力】を身に付けるための修行法である。これは平安時代の行者、役小角 「その男の名は、九角 「「「「九角ッ!!?」」」」 今度は全員が反応した。激闘の最中で刻み込まれた単語の一つである。忘れようとしても容易に忘れられるものではない。 「水角も風角も、最後にその名を叫んでいたな・・・!」 醍醐は拳を固める。あの時初めて【元】とは言え人を殺した。続く事件では、首だけで無理やり生かされている多くの犠牲者を見た。初めてその名を聞いたのは凶津の事件の時だったが、比良坂の事件でその実在を確認し、龍麻は紗夜を殺された。もはや鬼道衆は、彼らの不倶戴天の敵である。その頭目の名が、【九角】。 「九角鬼修は仏道に背く【外法】にも通じていた。九角は【験力】、【外法】、【鬼道】、そして【龍脈】の力を我が物にして江戸を支配しようとした。その、幕府転覆のために組織されたのが【鬼道衆】という、人ならざる【力】を持つ者たちじゃ。――恐らく、今お主らが闘っておるのも九角の血を引く者。この東京の異変は、【鬼道】によって【龍脈】が乱されたと見て良いじゃろう。ゆくゆくは、東京の壊滅を目論んでいるのじゃろうな」 龍麻を除く、一同が息を呑む。今までの戦いは、確かにこの東京を護ると大儀を掲げていたが、龍山の推測が当たっていたならば、向こうもまた、東京を滅ぼす事に執念を燃やしているという事になる。それは正に――戦争だ。 「・・・龍麻。なに考えてるの?」 一人、龍麻だけは無表情を保っている。一応、これが考え事をしている時の顔だ。それも、納得いかない問題を抱えている時の。 「・・・情報が少ない。推論を述べるにもまだ足りんな」 「ほう。慎重じゃな。・・・そう言えば雄矢よ。珠を手に入れたと言っておったが」 醍醐がはっとして龍麻を見る。今の今までそれを失念していたのだが、龍麻はちゃんと珠を持って来ていた。 「・・・これは、五色 これはさすがに龍麻の知識の範疇には入っていなかったため、龍山が簡単に説明する。 五色とは、陰陽五行における地、水、火、風、空をそれぞれ黄、白、赤、黒、青に対応させ、宇宙の構造を現すものである。そして摩尼とはサンスクリット語で宝珠を意味し、江戸の町に霊的防備を施した天海大僧正が使用したのが、この五色の摩尼であるという。 「これには興味深い逸話があってな。江戸末期、幕府転覆を企んだ九角が【鬼道】を用いて使役した五匹の鬼を封じるためにも使われ、それぞれ江戸を取り巻く不動尊に鎮守のために奉納されたのじゃ」 「エッ!? だって、鬼なんでしょ?」 小蒔には好々爺 「【毒をもって毒を制す】という考え方じゃな。鬼の持つ霊力を結界の核とする事により、更なる鬼や邪の侵入を防ぐ方陣と化す・・・極めて合理的な考え方じゃ」 「すると――」 ようやく発言するだけの考えがまとまったのか、龍麻が口を開いた。 「水角も風角も、その宝珠とやらに封じられていた鬼という事になる。だが、誰が封印を解いたのだろうか?」 この言葉に京一と小蒔がコケる。 「何だよ、ひーちゃん! そんなの決まってるだろうが」 「何が・・・だ?」 「何って・・・その・・・九角って人じゃないの?」 ふむ・・・と龍麻は頷いて顎に手をやる。 「ひーちゃん・・・そこはかとなく馬鹿にされているような気がするんだが?」 「気にするな。今回だけは別だ」 「そうか。今回だけは・・・って、【だけ】って何だァ!?」 やはりいつものように馬鹿にされているのだと知った京一が立ち上がりかけるが、醍醐に力づくで止められる。 「どういう事なの? 龍麻」 葵に諭され、龍麻はもう少し考えをまとめてから切り出した。 「今までの推察が全て当たっていると仮定した場合の話だが、まず一つ。鬼を結界に利用したという事は、当然、鬼を使役できる人間に利用されぬように何らかの対策を取った筈だ。まず九角、あるいはその血筋の者には絶対触れられないような仕掛けをだ。現代にその九角の一族が残っていたとしても、彼らだけでは封印は解けまい」 「なるほど。理屈じゃな」 「第二に、江戸――東京を壊滅させると言っている割に、やっている事が支離滅裂だ。ダゴンや【盲目のもの】を復活させれば、確かに東京は滅びるかも知れん。だが破壊は東京のみならず、世界、地球そのものにまで及ぶ。どうも奴らは、その辺りの事を正しく認識できていない。まして異世界の【神】を呼ぶのに百や二百の生贄などで済む筈がない。アステカやマヤ、古代中国では数万数十万の生贄を使ったという記録があるくらいだ。奴らはそれを知らなかったのか、それとも――知らされていなかったのか・・・」 一時、沈黙が室内を埋めた。 京一や小蒔にも、龍麻が言わんとしている事がおぼろげながら判った。 鬼道衆・・・この東京を壊滅させんと暗躍するテロリスト。しかし龍麻は、その背後にも誰か、もしくは組織がいるのではないかと示唆したのである。情報を出し惜しみし、鬼道五人衆を躍らせている、何者かが。 「しかし、当面は鬼道衆が相手だ。実行部隊を潰さねば、裏にいる奴は出てくるまい」 龍麻が宣言し、その話はここまでとなった。 「それが良かろう。そこで、まずお前達は東京各所に散らばっている不動を巡りなさい」 天海が江戸を護る結界とした五つの不動尊。そのしかるべき場所に宝珠を納めれば、再び東京を護る方陣が発動する。そしてその不動尊は江戸五色不動と呼ばれており、実はかなりメジャーな神社仏閣であるなどの情報を得た龍麻たちは、明日にでも不動巡りを始める事を合意した。 「一番近いのは・・・豊島区の目白不動ね」 「集合は〇九〇〇時。新宿駅前。――それまでは、京一。お前がこの宝珠を保管しろ」 「な、なんだって!?」 突然の事に、京一本人はおろか、醍醐も小蒔も、葵までが目を白黒させる。 「奴ら鬼道衆は間違いなく俺達をターゲットにしている。同時にこの宝珠の奪還も視野に入れている筈だ。そして奴らは、当然この俺が宝珠を持っていると思うだろう。奴らの目を欺く為には、京一が持っている方が良い」 「・・・そんなモンかな?」 「そのようなものだ。――では新井龍山殿。我々はこれで失礼します」 ピシリ、と敬礼する龍麻に、龍山はうむと頷いた。 「・・・今度来る時には、お主に話しておきたい事がある。それまでは己が信じた道を歩むが良い」 「・・・発言の意味が解りかねます。どのような意味でしょうか?」 固い態度を崩さぬ龍麻に、龍山は苦笑した。 「今はそれでも良い。いずれ・・・解る事じゃからな」 何事か、龍山が自分に付いて何か知っていると、龍麻は気付いたのだが、その事には敢えて触れずにおいた。目の前の行動の指標が定まった以上、余計な事を背負い込む事はない。龍山邸を辞した後、醍醐がその件に付いて話し掛けてきた時にも、こう言った。 「あの方が俺の事を知っていようといまいと、当面の問題とはならん」 それよりも、と京一が言葉を継いだ。 「ジジイが言うには、以前ひーちゃんが推測した通り、これと同じ珠があと三つ有るって事だよな? そして東京を護る結界を完成させる為には、あと三匹、鬼道五人衆を倒さなくちゃならねえって事か」 あと三匹・・・。水角にしろ風角にしろ、ただ一人でもあれほど強かったのだ。それを比較的こちらの被害なく倒せたのは、ひとえに龍麻の働きによるものだ。他の者たちだけだったら結果は――分からない。 「油断はできん――そういう事だな」 「そうだ。今まで以上に警戒せねばならん。幸い、こちらにも如月や織部姉妹という、結界に詳しい者たちがいる。最低でも各自の家の周囲くらいはセーフティゾーンとせねばな」 今日は遅いから、その辺りの打ち合わせも明日という事で話はまとまり、一同は解散する事になった。小蒔だけはこれから弓道部の本格的な打ち上げがあるというので家とは違う方向に向かったが、残る四人はそれぞれ道が分かれるところまで固まって移動し、それから解散となった。 目次に戻る 前(変生(前編) 2)に戻る 次(変生(前編) 4)に進む コンテンツに戻る |