第九話 鬼道 3





 
 東京、赤坂、警視庁、現地時間一五三〇時。



「君は…私を恐喝するつもりかね? 南雲警視」

 大振りなデスクに両肘を付き、制服を着た牛のような顔立ちの初老の男性は、苦虫を噛み潰したような顔と探るような目を、向かい合わせに座っている女性へと向けた。

「あら、ワタクシ、そんなつもりは毛頭ありませんですわ」

 他のどんな女性が口にしようと、嫌味以外にはなり得ないこの口調。しかしこの女性が口にすると、嫌味と共に鋭い刺までちくちくと襲ってくるような気がする。そのくせ、パリ・コレに出演しているモデルをも霞ませる程の美貌に加え、彼女の全身から発散されている並々ならぬ気品と生気が、嫌味でさえも天上の音楽にさえ聞かせかねない有り様だ。

 ただし、大輪の薔薇が刺を持っているのと同じく、その女性の美貌にも、毒付きの刺がびっしりと生えている。見事に盛り上がった空色のスーツの胸元や、同色のミニスカートから伸びる脚線美を眺めるだけで喜んでいられる輩は幸せだ。一度でもその毒針の洗礼を受ければ、その痛みたるや、自分の地位や名誉、そして未来をも引き換えにせねばならぬ事を認識させられるのだから。

「ワタクシはただ、この数ヶ月に発生した猟奇的異常犯罪の捜査をいちいち妨害する不貞の輩に付いて教えて欲しいと申し上げているだけですわ。警視総監殿?」

 初老の男性――警視総監の顔がますます苦渋に歪む。

「だから、何度も言っているじゃないか。君がこの一件に付いて首を突っ込むのは筋違いだと。そもそもどの事件にも関連性はないじゃないか。現場の刑事たちもそれぞれに捜査本部を設置して捜査しているんだ。そこに管轄違いの君が口を挟むのははっきり言って迷惑なんだよ。現場の苦労を考えたまえ」

「迷惑なのはワタクシではなくて、捜査に圧力を掛けてくる輩ですわ。――現場の苦労ですって? 総監は現場に立った事がおありですの?」

 階級から言えば、警視総監の方が絶対的に上だ。しかし女性…南雲警視の物言いには階級が上の者に対する敬意など微塵も感じられない。

「一度でも現場に立った事のある人間なら、無能なキャリアの横暴ぶりは身に沁みて知っていますわ。でも一連の事件に圧力を掛けてくる輩は、単に賄賂欲しさの御機嫌伺いとは思えませんの。渋谷の鴉事件にしろ港区の連続失踪にしろ、そして今回の江戸川の事件にしろ、これほど深刻な社会不安を引き起こす事件の捜査を妨害する事に何の意味があるのか? 金銭的な利益が望める事件ならばいつもの事で片付くでしょうけど、被害者が多すぎますわ」

「君ィ…口が過ぎるぞ」

「アラ? お気に召しませんでしたか? これは失礼しました。事態が切迫しているというのにのらりくらりと構えられるとついつい口が悪くなってしまいますわ」

「……」

 年齢も階級も下の、それも女性にここまで言われながら、腕組みをしてじっと耐えている警視総監もいっそ見事と言う他ない。牛のような顔はますます渋く歪むものの、まだ腹の中を吐露するまでには至らぬようだ。

 だが美貌の警視は、その鼻先に爆弾を突き付けた。

「ところで総監は先日、横須賀基地停泊中のイージス艦から核ミサイルが港区に向けて誤発射されかけたのをご存知ですか?」

「何? 何の話だね? 私は何も聞いておらんぞ」

「ははあ、首都の治安を預かる天下の警視庁のトップたるお人が、そんな重大事件をご存知ないとおっしゃるの? 首相以下政府首脳陣は慌てて国会議事堂地下のトンネルから冷戦時代に作った核シェルターに逃げ込んだって話でしたけど、総監は呼ばれなかったという事ですか?」

「――いい加減にしたまえ!」

 警視総監は遂に机に拳を叩き付けて怒鳴った。美貌の警視は眉一筋動かそうとしない。ただ、目の中の輝きが《面白くなってきた》と言わんばかりに増えただけである。

「先日の記者会見通り、一連の事件には何の繋がりもないし、特定の地下組織によるテロという事もない! 無闇に騒ぎ立てて事件を拡大解釈するなど、警察官にあるまじき事だぞ、南雲警視! こちらの事件は任せて、君は君の仕事に戻りたまえ!」

「――承知いたしました。要は、勝手にやって良いという事ですね?」

「な、なに!?」

「ご自分で任命なさったのに、お忘れですか? ワタクシ、先ごろ防犯週間の宣伝モデルに選ばれましたの。ワタクシとしては不本意な上につまらない役職ですけど、選ばれたからには誠心誠意お仕事させて頂こうと思っておりますわ。防犯とは、犯罪の発生を未然に防ぐ事。勿論今の一件もその仕事の一環ですわ。――ご理解いただき、感謝しております」

「ま、待て! 南雲警視!」

 警視総監の顔はそれこそ真っ赤から真っ青へ、そしてもう一度真っ赤になったが、南雲警視は少女のように愛らしい笑みと挨拶を警視総監に向け、同席していた警部補を促してさっさと警視総監室を退出してしまった。

 廊下に出た途端、南雲警視はハイヒールでコンクリートの壁を蹴った。

「南雲警視、はしたないですよ」

「だって、こうまで物分かりの悪い上司ばかりだと頭に来るじゃない」

「そうかも知れませんが、壁に罪はないでしょう」

 警視庁刑事部参事官付きの秋葉警部補は、年下で女性の上司を宥めるように言ったが、警視庁刑事部参事官の南雲警視はお気に召さなかったようだ。

「君のそういう所、可愛くないわよ。男ならもう少し甲斐性ってものがあっていいでしょ! か弱い女が物分かりの悪い上司に苛められて哀しんでいるっていうのに」

「……なにぶん不器用なもので。――それよりさっきの話は本当なんですか? 港区に核ミサイルが発射されそうになったって言うのは…」

「その間の取り方とわざとらしい話題の切り替えは気に入らないけど…、あれは冗談よ」

 それは良かった、と言うように肩を落とした警部補であったが、

「――そう言えたらどんなに良いか」

 美貌の上司の言葉は無情にも警部補のほっとした気分をぶち壊した。

「どうしてそんな事が起きるんです? ここは日本ですよ。憲法で非核三原則を掲げている国連加盟の独立国家です」

「ええ、そうよ。莫大な運営資金を絞り取られても、常任理事国入りさせて貰えなくても、発言権を持たなくても、仮想敵国だと言われていても、日本は国連加盟国家よね。でも核を《持たない、作らない、持ち込ませない》って言っているからって、撃ち込まれずに済む訳じゃないわ。――先月の港区の事件はそれだけヤバい事件だったってコト。天下のIFAFが乗り出してくるような」

「IFAF…国連直属の治安部隊ですよね? それがなんで東京に核攻撃なんてするんです?」

 そこで南雲はクスッと笑って見せた。そして白い指先で傍らの観葉植物を示す。広い葉の一枚を裏返すと、そこには…

(――盗聴機!?)

「さてねえ、落ち目のクセに威張りくさっているジャパンマネーの一掃でも狙ったのかしらね」

 冗談めかして言い、南雲はハイヒールの踵を打ち鳴らしつつ歩き出した。秋葉警部補は女王に付き従う侍従のようにその後ろに付く。

(それで、本当のところはどうなんですか?)

(あたしだって詳しく知っている訳じゃないのよ。でもあたしの掴んだ情報によるとIFAFが相手にしているモンスターは実在するようよ。港区の事件はクトゥルフ神話に登場する《深きものども》っていうモンスターが関わっていたらしいわ)

(モンスターって…あの武器密輸現場で遭遇したような?)

 記憶を探り、やや顔を顰める秋葉警部補。

(アンダーグラウンドの連中は結構遭遇しているようね。HIROやらKやらは目の前で人間が怪物に変わるのを目撃しているわ)

(あまり信用できませんね。どちらも非合法な連中ですから。――新木場の一件も、何かの見間違えかもしれないし…)

 そう言った途端、秋葉警部補の腹に肘鉄が入った。本気ではないが、お義理でゲホゲホと咽て見せる。

(無能な警察官僚のお手本みたいな返事はしないの! 君もあたしの部下なら、目の前の事実くらいありのままに受け止めてみなさい!)

「そうはおっしゃいますが、私は平凡な常識人ですので」

「あらなに? それじゃあたしが非常識だって言うの?」

 秋葉警部補は思わず肯きかけ、焦りを多大の努力で消して別の事を言った。

(それよりも、核ミサイルの事を教えてください。IFAFがその深い何とかに向けて核攻撃をしようとしたのですか?)

(《深きものども》よ。――厳密には、その上司にあたる《ダゴン》っていう奴の復活を阻止しようとしたのよ。九五年のイハウエラへの核攻撃も、それが原因だったって言われているわ)

(《第二の湾岸》…ですか。俄かには信じがたいですが、一応信じておくとして――そこまでやらなきゃいけない相手なんですか? 結局、核攻撃はなされなかった訳ですし)

 実際に東京が核攻撃を受けていたら、こんな所でのんびりなどしていられない。そして今、こうして無事に廊下を歩いていると、そんな事件があったと言われても実感が湧かないのである。

(それは、例の《ボウヤ》のおかげよ)

(《ボウヤ》? ひょっとして新宿真神の…)

 南雲警視の手がついと伸び、秋葉警部補の唇に人差し指を当てた。

(その名は言わぬが花よ。誰にどんな風に聞かれているか判りゃしないんだから。あの《ボウヤ》は見た目以上の大物よ。《ボウヤ》は常に監視されていて、IFAFもその筋から港区の事件の情報を得たのよ。そして、事態を処理する時間がないと判断。核ミサイルの使用を許可したって訳。――結局《ボウヤ》が時間切れになる前に事件を解決したおかげでミサイルが発射される事はなかったけど、情報を隠していた外務省やら防衛庁やらに脅しめいた苦情が舞い込んでいるようね。言わば核ミサイルの一件は、IFAFの日本政府に対する示威行動よ)

(情報をきちんと寄越さないと…という訳ですか。でもそれだと少しおかしくありませんか? 《ボウヤ》は港区の事件に関係していたんでしょう? まさか味方もろとも爆撃なんて事は…)

(…IFAFならやりかねないわ)

 南雲軽視はぞっとするような声で言った。

(《深きものども》やらなんやらが何を企んでいるにせよ、そいつらのやる事は何が何でも阻止しなきゃならない。そこらのケチなテロリストがつまらない自己主張をするのとは訳が違って、《奴ら》の望みは地球人類の絶滅もしくは家畜化にあるんだから。――で、実際、IFAFでは《奴ら》に汚染されたと判断された場合、味方でも撃つように厳命されているわ。文字通りの殲滅戦。そしてIFAFエージェントの中には、常に味方からも狙われている連中までいるらしいわ)

(味方って…そういうのは味方とは言わないんじゃないですか?)

(利用できる内は味方――それが過ぎれば敵よ。そして《ボウヤ》はIFAFの監視下にいるようだけど、あそこに雇われている訳ではないわ。いざとなれば見捨てられる事も充分にありえるわね)

(そんなにも酷い立場なんですか、《ボウヤ》は。――近頃珍しい、一本気のある子でしたが)

(そう。それが元で潰された特殊部隊の生き残りよ。若くても、あたし達の軽く百倍くらい苦労してる筈なの。――構いたくなるのも判るでしょ?)

秋葉警部補は渋い顔で腕組みする。

(判らなくもないですけど…だったらなおさら、事件に巻き込まないようにするべきじゃないですか。あのルポライターを通じて、江戸川の事件に関わらせるなんて)

(あたしだってそれが最良の方法だなんて思ってないわよ。でも今の警察で何か出来ると思う? 現場の優秀な刑事が次々に地方に飛ばされて、代わりを務めているのは権力馬鹿ばっかり。新木場の武器密輸事件だって、厳密には未解決のままよ。渋谷でも、杉並でも、品川でも、港区でも…。まるで…警察が無能だと宣伝するようにね)

(ひょっとして…それがあの下仁田防衛大臣の唱えている首都防衛警察隊構想に繋がるって事ですか? 確か…《シグマ》とかなんとか)

(このところ発生している凶悪犯罪に対して今の警察では無力――《シグマ》構想実現には良い口実になるわ。そして実際、AK−47とかRPGを備えた悪党が暴れだしたら、五連発のリボルバーしか持っていない機動隊はあっという間に壊滅するでしょうね。SAT(警視庁特殊急襲部隊)も規模から見ればまだこれからの組織だし…新木場の事件で彼らが投入されていたら、警視庁は懐刀を失っていたかも知れないわ)

(考え過ぎ・・・と言えないのが残念です。あの一件、私たちだけでは確実に殺されていました。《ボウヤ》他元軍人や元自衛官が十人以上混じったサバイバルゲーマーが百人…彼らがいたからこそ生き残れました)

(君も立派に戦ったじゃない。――問題は、これだけ深刻な社会不安を招く事件が連続しているのに、警察が弱体化の方向に改造されているって事なのよ。絵梨の言っていたテロリスト――《鬼道衆》とか言ったかしら? ――が本格的に動き出して、そこに消えてしまった大量の武器が備えられたらどうなると思う? 場合によってはクーデターだって可能になるかも知れないわ)

(そんな…。もしその《鬼道衆》とかいう連中が実在していたとしたら、公安が気付いていない筈はないでしょう? そんなテロリストの存在を知っていたら、若林警視が新木場の事件にあんな軽装で乗り込んでくる筈ないじゃないですか)

(ええ、そうよ。――でも、こう考えてみたらどう? 実はあの武器密輸業者と《鬼道衆》、そして公安そのものが裏で手を結んでいたとしたら? 奈菜…警視庁警備部の若林警視が事情を知らされないままに送り込まれたのは、あのクソ真面目な優等生を始末する為だとしたら?)

(……!)

(奈菜自身はただの警視だけど、父親は警視総監を勤め上げた人よ。警察官僚OBとして未だに影響力を持っているし、警察官の無制限武装化を推進する《シグマ》構想反対派の旗印でもあるわ。――警察の弱体化、社会不安の増大、テロリストの暗躍、《シグマ》構想――これらはどこかで繋がっているとは思わない? むしろ、裏で繋がっているからこそ、警察の動きがこれほど鈍いと言えるわ。今年に入ってからの殺人件数は東京だけで、全国の十年分の殺人件数を越えてしまっているのよ。そんな状況を奈菜が見逃す筈ないし、裏で暗躍している連中にとっては目ざわりこの上ない…。捜査中の殉職なら父親も文句の付けようがないし、装備が貧弱な故に起こった悲劇だとして、世間に《シグマ》構想のアピールも出来る…)

(…否定できないのが残念です。警察内部でも制式拳銃を変える方針が打ち出されましたからね)

(それでも32ACPの八連発オートよ。多少はましになるかも知れないけど、一発撃っただけで大騒ぎするこの国でどれだけ効果が上がるか…。それよりは犯罪者と《戦う》と打ち出している《シグマ》構想の方が、ヒーローっぽいっていう下らない理由で大衆に受け入れられ易いでしょうね。そして《シグマ》構想で中核を為すのは、事実上下仁田議員の私兵である不良自衛官と日本古武道振興協会の格闘オタクども。――現代の新選組なんて言ってるけど、そんなのが警察権を持ったら戦時中の特高警察よりタチが悪いわ。だけどあたしたちの動きは事実上筒抜け。どうしても尻尾を掴みきれないわ)

(それで《ボウヤ》を…)

南雲警視は中身を飲み干したコーヒーカップをクシャっと握り潰した。

(悪いとは思っているわよ。だからリスクを承知で新宿署の連中に《ボウヤ》に手出ししないよう釘を刺したんじゃない。今、頼りになるのは《ボウヤ》だけかも知れないんだから)

 話はここまで、と言うように南雲警視はサマージャケットの襟を正した。

(江戸川の事件は絵梨の情報待ち。――さあ、行くわよ、秋葉警部補!)

(行くって…どこへ?)

(いいから黙って付いてらっしゃい。いくら上の方が無能な連中に成り代わりつつあると言っても、現場の方にはまだ余裕があるわ。まずは消えた武器の手がかりを捜す。《鬼道衆》ってテロリストの件はその後よ)







 東京、江戸川区、江戸川河川敷地下、一五四〇時。



 入り口こそ狭いが、進むほどに洞窟は広くなっていた。増上寺の地下と同じく、超高熱処理で岩も土も焼き固めたものである。江戸川が近いせいかやや湿気が多く、足元は滑りやすくなっている。

「…もしこれが人工のものだとしたら凄いものね」

 天野が感想を洩らす。

「岩をガラス状に溶かすなんて、並みの熱量ではないわ。こうなった原因、推察できる?」

「…あくまで想像でしかないが、旧支配者の一つ、クトゥグアの能力だろう」

「さもなくば、その眷属か。彼らは粘土をこねるようにさまざまな古代種族を創り出したというからね」

 龍麻と共にトップを行く如月も話に参加する。この三人プラス裏密以外にはさっぱりわからない会話である。

「龍麻、その、旧支配者っていうのは前回の以外にまだいるの?」

 最初に我慢しきれなくなった葵が質問してきた。

「調べなかったのか? まあいい。クトゥルフ神話が事実を元にして書かれているなどと知ったら、眠る事もできなくなるからな。奴ら《神》もしくは《旧支配者》と呼ばれるものは四元素に大別される事は以前話したな」

 仲間の中で、葵だけが頷く。難しい話になりそうなので、京一、醍醐、小蒔は逃避モードだ。雨紋と紫暮は《敵》の事だから、殊勝にもちゃんと聞いている。

「《奴ら》の中で代表とされるのが何といってもクトゥルフだ。こいつは水の属性を持っている」

 他には風の精であるハスター(ハストゥール)を筆頭にロイガー、イタカ。

 炎の精であるクトゥグア。土と闇の精であるナイアーラトテップ。そして旧支配者中最大の力を持つ白痴の王アザトース。過去現在未来に同時に存在するヨグ・ソトース。前回水岐が呼び出そうとした父なるダゴン。それと対を成す母なるヒュドラ。血を啜るものチャウナグル・フタグン。土精神ナグ。蜘蛛の神アトラク・ナクア、蟇蛙に似たツァトゥグア、地球生命の素となるウボ・サスラ…挙げていけばきりがないほどの神々が、かつてこの宇宙に散らばり、その持つ力によって宇宙を支配していたと言われる。

「それじゃあ、もしその《旧支配者》が目覚めるような事があればどうなるの?」

「…判らん」

 珍しく、龍麻はこれをはっきりと言った。その為、逃避モード組が声を上げる。

「判らないって…どういうコト?」

「…桜井君。あくまでこれは神話の話であり、このような事態になっても、これまで人類なり、他の種族なり、《旧支配者》が目覚めようとする度に何とかこれを阻止してきたんだ。少なくともこの数十億年の間、《旧支配者》が完全に目覚めたという話はないんだよ」

「でも、確か前回のダゴンの時は東京が水没するって言ってたけど。その次は世界だって…」

「それは間違いない。だが《旧支配者》の思考は人類のそれとは著しく異なる。極端な話、宇宙そのものを滅ぼすかも知れんし、何もしないかも知れんのだ」

この言葉には、さすがに一同も面食らう。

「それじゃ、必死こいてそれを止めようとしてる俺達ってなんなんだよ?」

 京一が呆れたように言う。前回は死ぬような思いでダゴンの復活を阻止したのに、もしかしたらそれが徒労に過ぎないとは!? そんな事を言われれば誰だって呆れるだろう。

「龍麻君の言う通りなんだよ、蓬莱寺君。《旧支配者》とは本来、宇宙の構成元素であって、いわゆる《邪神》ではないんだ。確かに腐敗や汚濁という分野を司っているからよこしまなイメージが付きまとうが、キリスト教などの概念を組み入れて彼らを考察していく内に、善悪二元論に行き着いて《旧支配者》イコール悪というようになったに過ぎない。しかし彼らは純粋にして強力な意識あるエネルギー体であり、極めて稀にコンタクトを取りうるものの意思を反映して力を振るう事がある。《打てば響く》という言葉があるように、彼ら《旧支配者》もそのような存在だ。打つものの心のありようによって音色を変える鐘があるとすれば、まさにそれだろうね。心の美しいものがその鐘を打てば美しい響きが、心の邪悪なものが打てば邪悪な響きが出るんだ。そして多くの場合、彼らとのコンタクトに成功したものは邪悪な意思あるものたちだった」

「儚い希望に賭ける訳にはいかんという事だ。特に――」

 龍麻が片手を上げ、横に振った。京一達は瞬時に反応し、四方警戒の形を取る。

「――こういう奴らが《旧支配者》を呼ぼうという時にはな」

 たった今、この瞬間まで気配も感じさせず、濃緑色の忍び装束を着た鬼面の忍者たちが現れる。龍麻と如月が二人がかりでトラップをチェックしていたから、抜け道などもありえないのに、忍者は背後からも現れた。

「ケッ、大層な歓迎ぶりじゃねェか。すっかり囲まれてるぜ」

 不敵な笑いを浮かべる京一。――この現代に忍者と遭遇するなど笑い話のようだが、あの水角と《鬼道衆》なる存在に対する龍麻のプロファイリングから、そのような連中が敵に廻る事は予測できていた。後は――覚悟の問題だ。

「天野殿とアランは中央へ。醍醐、紫暮、ガードを頼む。雨紋は背後からの敵を掃討。小蒔、雨紋をサポート。葵は全員の防御を」

 敵の装備は忍び刀と手裏剣だ。前時代的だが、恐らく毒を塗ってある。そしてこの洞窟の中。油断できる相手ではない。

「こいつらは時間稼ぎだ。敵の殲滅を最優先。京一と如月は俺の撃ち洩らしを掃討しろ」

 ジャコン! とM37ショットガンのポンプが鳴った。それが戦闘開始の合図。

 次の瞬間、パン! と乾いた銃声が響いた。

「なッ…!」

 龍麻のものではない、背後からの銃声に驚く醍醐の傍らに、緑色の忍者が落ちてくる。姿を現した仲間達に注目させ、死角となる天井から襲おうとしていた奴だ。そして銃を構えているのは、アランだった。

「お、お前! 何で銃なんか!」

 京一が怒鳴るが、アランは取り合わない。

「…説明は後ネ。タツマ! 来るヨ!」

「小蒔は俺達の援護を! アランは雨紋の援護だ!」

 OK! と威勢良く答えるアラン。謎や疑問はこの際捨て置き、対風角用に弾丸を温存したい龍麻としては、非常にありがたい戦力の出現であった。

「一分で片付けるぞ。――小蒔!」

「ウン! ――行け! 《火龍》!!」

 小蒔の矢が薄暗がりをレーザー・ビームのように走るや、忍者達の中央で爆発を起こす。飛び散った炎が忍び装束に着火し、忍者達は算を乱して隊列を崩した。そこに、小蒔の矢の弾道をそのまま辿った龍麻が走り込む。



 バラララッ! パララララッ



 ヤティ・マティックから吐き出される九ミリ弾特有の軽快なリズムと共に、緑色の忍者が次々と撃ち倒される。とりあえず目に付いた忍者に適当に狙いを付けて弾丸をばら撒きつつ、龍麻は敵集団の奥深くまで切り込んでいく。

「《剣掌・発剄》ッ!!」

「《如影斬》ッ!」

 その龍麻の背後にぴったりと京一と如月が付いて走り、龍麻の撃ち洩らしを掃討する。――その切り込みの速さ! 敵主力部隊は総崩れであった。一直線に突っ込んでくる龍麻の銃撃に気を取られたところを、龍麻並の敏捷性を誇る剣士と飛水流忍者に襲いかかられては、洞窟という地の利を生かしたせっかくの待ち伏せも意味がなかった。

「妙な気配だとは思ってたが、こいつら、人間じゃねェな!」

「似て非なるものだよ。人間の抜け殻だ」

 鬼面を《諸手上段》で叩き割る京一。割れた面の下から現れた顔は、筋繊維も剥き出しの、見るもおぞましい顔であった。この緑色の忍者全員が、同じ顔、体格を持っているのである。仕掛けてくる技も没個性の塊だ。一度攻撃法を見切ってしまうと、後はどいつが来ようと同じである。旧校舎で実戦訓練をしている彼らが、そんなパターン化された攻撃などにやられる訳もなく、三十数人からいた緑色の忍者をたちまち掃討していった。龍麻たちの要である葵たちを襲おうにも、醍醐と紫暮という巨漢二人プラス一が絶大な攻撃力をも誇る壁となって立ちはだかっている。背後からの襲撃には旋風と雷撃を打ち出す槍使いが忍び刀の届く間合いを完全に封じている上、アランの正確な援護射撃がそれに拍車をかける。とても急ごしらえのコンビネーションとは思えない。

 絶望的な攻撃を仕掛けてきたものか、龍麻の真正面に、地表から飛び出した忍者が迫る。

 忍び刀が龍麻の首筋ぎりぎりを走り過ぎる。龍麻は大きく仰け反るままにトンボを切り、忍者の顎を蹴り上げる。空中に弾け跳んだ忍者の陰に新たな敵影が三つ。龍麻は着地と同時に銃を宙に跳ね上げ、右拳に《気》を集中――《螺旋掌》!! 四つの人影がまとめて吹き飛ぶ。

 自然に伸ばした龍麻の手にガンが落ちてくる。それが戦闘終了の合図だった。戦闘時間、五七秒。本当に一分以内で片付けてしまったのだ。三十人以上の忍者軍団を。

「…あなたたちの戦いを見るのは渋谷の事件以来だけど…本当に強いわね。あなたたち…」

「恐縮です。――これをどうぞ」

 妖気の為にくぐもっている銃声は一同には慣れっこだが、初体験の天野には少しきつかったようだ。龍麻は遅れ馳せながらに競泳用の耳栓を天野に渡し、ヤティ・マティックのマガジンを交換してベルトのクリップに止めた。この先で再び洞窟が狭くなっているので、ショットガンの方が有効だからだ。

「ところでアラン君、君は一体何者なの? その銃にしたって、一度も弾を込めていないのに何発も撃てるし、硝煙反応もないじゃない」

「……」

「…ノーコメントって訳? 別に無理やり聞きたい訳じゃないけど…」

「いや、今この場で明らかにしてもらおう」

 天野の言を遮り、龍麻が言った。

「ッ龍麻!」

 龍麻はショットガンを腰だめに、アランに照準を合わせている。アランの手にも銃がそのまま握られているが、彼の銃口は下向きだ。それを前に向ける間に、龍麻なら三発のダブルオーバッグを叩き込めるであろう。

「その銃…霊銃レイガンだな。使用者の生体エネルギーを弾丸に変えて撃ち出す…か。ただしその使用に際して生体エネルギーの消耗が激しく、常人では扱えぬ事から、今では一部のIFAFエージェントが使用するのみになったと聞く。――なぜお前がそのような物を所持している?」

 生体エネルギー…《気》を弾丸に変える!? 一体それはどのような技術の産物なのか!? 昨今の風水や気功ブームでポピュラーなものとなった《気》だが、現代科学は未だその謎を解き明かしていない。それなのにアランの所持する銃は、既に《気》を弾丸として使用できるレベルに達していると言うのだ。

「そもそも、ここ江戸川が地元のお前が新宿で葵たちに絡む確立は極めて低い。お前は最初から我々を目的に接触してきた筈だ。そしてお前の敬礼。あれはアメリカ海兵隊式だ。俺の目はごまかせん。――何が目的だ?」

 誰も無視できない、息が詰まるような龍麻の詰問。だがアランは神妙な顔で龍麻の顔を見返しているだけだった。かつて仲間内で龍麻に対してそのような態度を取れたものは如月一人しかいない。

 やがてアランは、小さなため息と共に口を開いた。

「――タツマ、やっぱりボクのコトは覚えていないネ」

「!?」

「でもタツマの言う事、当たってる。ボクはアメリカ海兵隊で訓練を受けたネ。――元アメリカ海兵隊第一六師団偵察第八中隊《ジェリー黒蠍隊スコーピオン》通信兵、アラン蔵人伍長でありマス」

「――やはりな」

 一同の驚愕をよそに、アランは続けて言った。

「でもタツマ。これだけは信じて欲しいネ。確かにボクはあなたのコトを知っていて接触した。でも、あなたに対して危害を加える為ではない。――会ってみたかったんだ。アメリカ軍史上最強と言われたトップシークレット部隊、伝説のレッドキャップスに」

「…なぜだ?」

 龍麻はアメリカ軍から見ればクーデターを起こした反逆者であると同時に脱走兵でもある。一応、様々な取り引きの果てに身を潜めてはいられるものの、アメリカ軍関係者からすれば不倶戴天の敵である事は否めない。それは《元》であったとしても変わらぬ筈だ。そのアランが龍麻に――レッドキャップスに会ってみたかったとは?

 やや逡巡し、アランの口が、動いた。

「――九六年三月。場所は東欧――アラメニシヤ」

「――!」

 ピク! と、龍麻の銃口が揺れた。

「ボクは…あの事件の真実が知りたい。アメリカ軍なら誰でも知っている、誰も知らない真実を」

「……」

 龍麻はしばし沈黙した。いつにも増して無表情なため、彼が何を考えているのか、京一や葵ですら想像もできない。

「…除隊した身で、それを知ってどうする? 俺を法廷にでも引きずり出すか?――二五〇〇人の一般市民を虐殺した部隊の一員として」

「なッ――!?」

 龍麻が――レッドキャップスが二五〇〇人もの一般市民を虐殺した!?

 この時、天野の脳裏に閃いたのは、九六年三月に内戦中の東欧の小国アラメニシヤで勃発した国連の紛争調停委員会調停委員の撃墜事件。当時のアメリカ国務長官に経済担当補佐官も含めた国連のVIPが、アラメニシアを舞台に勃発したナバール人とイナディール人による民族紛争の和平交渉に赴く途上で専用機を撃墜され、反政府ゲリラに拘束されたという事件だった。

 その事件の顛末はひどいものであった。ソ連崩壊に合わせて独立した東欧諸国では、ただでさえ民族紛争が多発していた折りの事である。国連から調停役を任されたアメリカとNATOの特殊部隊が合同で紛争調停委員の救出作戦を行ったのだが、その際に反政府ゲリラが拠点としていた町で激しい戦闘となり、二五〇〇人の市民が巻き添えで死亡した。紛争調停委員はその戦闘以前に射殺されており、その情報が伝わる前に独断専行した特殊部隊による攻撃は、民族弾圧の為に行われたものだとして国際世論の指弾を浴びた。結果的に紛争調停委員は誰一人救助できず、アラメニシヤはEU(ヨーロッパ連合)への参加を見送られ、なに一つ良い結果を得る事が出来なかったのである。

 その渦中にいた特殊部隊が、レッドキャップスだと言うのか!?

「…ボクたち海兵隊マリーンは――イイエ、陸軍アーミーにも空軍エアフォースにも、それを信じている者はいまセン。――レッドキャップスが功を焦って独断先行なんて、そんなの信じるのは何も知らない、何も知らされない市民だけネ。――ボクは、レッドキャップスの名誉を取り戻したい。ボクだけじゃありまセン。《黒蠍スコーピオン》、《山猫ワイルドキャット》、《灰色熊グリズリー》…彼らミンナ、レッドキャップスの無実信じてマス。ボクは――あなたを見極める為に来たのデス」

 つまりアランは、除隊した身でありながらもアメリカ軍のスパイとして接触してきたのか!? 言葉の上ではレッドキャップスを擁護する側のようだが、あれほど親しくしていたのが全て演技だったと知り、京一の手元で木刀がギュッと鳴った。雨紋も、紫暮もだ。しかしその隣で醍醐は――無反応!? 如月まで!?

 そして、龍麻は無言の内にショットガンを下ろした。

「――信用してくれましたカ?」

「俺は彼らの誰一人として信用などしていない」

 余りにもきっぱりとした言い方に、誰もが数瞬、その意味を理解できなかった。しかしその意味を理解する前に龍麻は続けた。

「俺が彼らに寄せているのは、金では買えぬ信頼だ。――少なくともお前の闘いに嘘はなかった。とりあえず信用はしよう。だが俺には、背中に目があることを忘れるな」

 それは、妙な真似をすれば殺すという意味か。いくらでもスパイをするが良い、しかし信頼する仲間に危害を加えるならば殺す――と。アランは頷き、銃をポケットにしまった。火薬を使わぬどころか、弾丸さえ必要としない霊銃レイガンに興味がなかったと言えば嘘になる。しかし龍麻はそれ以上彼を追及しなかった。

「誰も怪我はしていないな? フォーメーションそのまま。先に進むぞ」

 それきりアランを警戒する素振りもなく、龍麻は歩き始めた。――たとえ過去に何事があろうと、今の龍麻は緋勇龍麻である。その彼に付いて行くと決めた仲間達は、何も言わずにその後ろに付き従った。

 銃を背負った背中を見ながら、葵は考えてしまう。今の龍麻の言葉を。



《信用はしていない。信頼している》



 いかにも龍麻らしい言葉である。彼の中では信用と信頼は決定的に異なるものなのだろう。そして言葉の通り、龍麻は仲間達を信頼している。以前は危険な敵、危ない場面を全て自分が引き受けていた彼が、今ではより戦術範囲を広げ、最初に目標を指示した後は、各人の裁量に任せるようになった。今も、醍醐や紫暮の防御力を、雨紋の攻撃力を、小蒔の狙撃能力を信頼していたからこそ、《敵殲滅を最優先》し、《一分で殲滅》すると言ってのけたのだ。そして自ら敵陣の真っ只中に突入しつつ、背中は京一と如月に任せて…。

 龍麻は各人の戦闘力を過大評価しないが、過小評価もしない。軍隊のように各人を階級分けしたのも、その評価あってこそだ。京一などは《二等兵》とされてしまったが、それは彼が弱いという事ではなく、彼の戦闘方法がたまたま単独戦闘向きであったという事に過ぎない。京一は全体を見て行動させるより、目の前の敵にのみ集中させた方がより能力を発揮しやすいのだ。そして彼のポジションは、常に龍麻の傍らである。――信頼なくして、どうして彼に背を任せられようか?

 自分はどうだろう? 自分は龍麻に信頼されているだろうか? 前回の事件の折、同じ疑問をぶつけた時は、《葵がいてくれるから、安心して前線に赴く事ができる》と言われた。葵にとっては最上級の殺し文句である。しかしこうやって出番がまったくない上、スパイである事を認めたアランの同行を問題にしない様を見せられると、改めて思考が逆戻りする葵であった。

 そんな葵の思考を、軽やかな電子音が遮った。

「ッッ!?」

 まさか敵地の、それも地下洞窟で、そんな音がするとは思いもよらなかった一同は大いに驚く。各自の連絡用の携帯電話は集合時に電源を切ってあるので、彼らのものではない。唯一電源を切っていなかったのは、天野の携帯電話だった。

「ご、ごめんなさい!」

 これが戦闘開始前だったら大変な事になっていたと、激しく後悔する天野。しかし送られてきたメールを即座に確認してしまうのはジャーナリストの性か。そして、送られて来た内容に、天野は龍麻にちょっと待ってくれる? と声をかけた。

「先日の一件の時に取材させてもらった作家の先生から、なかなか興味深いメールが送られてきたわ。時間の余裕があるかどうか判らないけど、聞きたい?」

「道すがらお願いします」

 天野の情報網は役に立つ。天野当人には小ネタでも、龍麻にとっては戦術面に大きな変化を生むかもしれない。そして情報は、早く掴んでおくに越した事はないのだ。

「OK。手短に話すわね。――古代中国の文献に鬼歹老海(タイタイラオハイ)という言葉があるの。直訳すると《古代の邪悪な海の悪魔》という意味ね。そして中国大陸にも数多くの《鬼道門》が発見されているそうよ。つまり中国でも、クトゥルフのような神の存在は知られていた訳ね。そしてもう一つ、《鬼》という漢字の起源は、丸い頭部とそこから伸びる長い触手からきているらしいの。世界各地に伝承が残るクトゥルフを始めとする《神》が、この日本で《鬼》と呼ばれて恐れられていたとしても何の不思議もないわね」

 日本の文化は、中国のそれを受け継いだものが多い。特に呪法や武術に関してはその影響が著しい。そしてその中に、クトゥルフを始めとする《旧支配者》信仰が含まれていたとしても、何ら不思議はない。

「《鬼》か…。《鬼道衆》は《外法》を使って人を魔物…《鬼》に変える。もしかしたら東洋には、西洋以上に《旧支配者》と深いつながりを持っていたものがいたのかも知れないね。その内の一つが、《鬼道衆》」

 如月が言ったが、頷いたのは龍麻と裏密のみである。

「同様に、《奴ら》の下僕程度なら倒せる人間も多くいたという事だろう。さもなくば、日本はとっくに消滅していてもおかしくはないからな」

「その通り〜。昔話や民話には〜、真実の一端を伝えているものもあるわ〜。渡辺綱わたなべのつな〜、源頼光みなもとのらいこう〜、坂田公時さかたのきんときは有名よ〜」

「後は安倍晴明などの陰陽師や、空海を始めとする密教退魔士、忘れてならないのは俵藤太秀郷だな。表立ってはいないが、彼の命脈も現代まで受け継がれているよ」

 渡辺綱、源頼光と言えば、平安京を襲った鬼である酒呑童子と茨木童子を倒したという伝説で有名であるが、《大江山絵詞》によるとこの二人の鬼退治はもっと凄絶なものであり、大将である両鬼の首を獲る前に、巨大な土蜘蛛や身の丈十尺(約三メートル)の大女ら、次々に現れる百鬼夜行を一つ一つ退けていったと伝えられる。

「《旧支配者》そのものでない限り、倒せない相手ではないという事だ。――気を入れてかかれ」

 応ッ、と声を上げたのは雨紋と紫暮だけである。京一たちはまだ逃避モードから帰ってこない。

「今の話、ボクには難しすぎて判りまセン。デモ、ミンナ勇気あるのは判りマス。――あの時ボクにももう少し勇気があれば…」

 龍麻が何を考えているにせよ、やや疑心を集めているアランが不意にそんな事を言ったものだから、全員の視線がアランに集まる。しかし、それきりアランは口をつぐみ、代わりに別の事を言った。

「ミンナ先急ぐ。風に嫌な臭いが混じってマス」

「…そうだな」

 再び答えをはぐらかすアラン。しかし、龍麻は気にしなかった。

(…スパイは二の次か)

 それだけ判れば、龍麻には充分だったからだ。







 更に進む事数分、遂に一般人である天野にもはっきり判るほどに妖気が濃くなってきた。それに連れて空気には吐き気を催すような腐臭も混じり、龍麻を除く全員が口元を押さえる。それになにやら、韻にこもった唸り声のようなものがずっと響いていて、訳もなく背中がゾクゾクする。――ここは《人》がいるべき場所ではない。洞窟全体がそう告げているかのようだ。

 口元をマフラーで覆い、先頭を切っていた如月が突如手を上げる。全体停止の合図。

「――龍麻君。あれを見てくれ」

 如月は龍麻のみ呼び付け、曲がりくねった洞窟の奥を指差す。龍麻はそれを少し眺めてから、一同を振り返った。

「…お前達。何を見ても驚くな」

 あの冷静な龍麻の口調に僅かな嫌悪が、そして如月が険しい顔をしているのを見て全員が緊張する。

「なんだよ。いつものひーちゃんらしくな――ッッッ!!」

 真っ先にそれを目にした京一が、彼らしくもなく真っ青になって口元を押さえる。続いて雨紋が、紫暮がそれを目にして同様に硬直した。そして、醍醐も。

「なに? なんなのさ?」

「――駄目だ桜井! お前達は見ちゃいかん!」

 ここが敵地だという事すら忘れて叫ぶ醍醐。しかし、僅かに制止が遅れた。そして葵と小蒔は、二人とも《それ》をまともに目にしてしまった。

「「い、嫌ァァァッッッ!!!」」

 《そうとう酷いものを見ることになる》。事前に龍麻からそのように言われていたものの、やはり龍麻に《酷い》と言わしめるレベルまでは想像が付かなかった二人は、それこそ声も枯れよとばかりに悲鳴を上げた。

 ここが地下である事など信じられなくなるような広い空間。そこにあったものは、かつて増上寺の地下で見たものとそっくりな《鬼道門》と、その手前に描かれた魔法陣であった。しかし、前回と決定的に異なるのは、その魔法陣を形成しているものが全て若い女性の生首であるという事であった。

「こ、これが全部、奴らの被害者なのかよ…!」

「そんな…! 百人は下らないぜ…!」

 そして一同は、龍麻と如月を除き、ある事実に気付いて慄然となった。

 先ほどから聞こえる、唸り声のようなもの。その出所は、それら生首の放つ呻き声だったのだ。切断されてから日にちの経っているものは生腐り、溶けた眼球をこぼれさせているものまであるというのに、それらは確かに、まだ生きているのだった。生きて、際限のない苦痛と、自らを襲った理不尽な運命への怨嗟を訴えているのだ。

「げ、外道とかやまつるに、かかる生首の入ることにて――」

「《増鏡ますかがみ》ですね」

 今にも嘔吐しそうな天野の言葉に応えたのは如月だけだった。龍麻はショットガンをACRに持ち替え、油断なく周囲に視線を走らせている。

「そう…南北朝時代に書かれた歴史書にある外法の一文…。外法には生首が必要だという意味だけれども、まさかこんな酷い事を…!」

 その時、一陣の風が一同の間を走り抜けた。

 次の瞬間、先頭にいる龍麻に何かが飛び掛った。ACRのストックで受け止められたものを見て、遂に葵と小蒔が堪えきれずに嘔吐した。

 ACRのストックに噛み付き、ガチガチと歯を鳴らしているのは、彼らと同世代の少女の首であった。龍麻の腕にすら噛み付けなかった事に悔し泣きしながら、それでも必死に龍麻に噛み付こうとする。

 悔し泣き――!? そうではない。断じて、そうである訳がない。

 痛いのだ。苦しいのだ。文字通り死ぬほどの苦痛――否、死んで然るべき肉体を無理矢理生かしているという苦痛は果たしていかなるものか。半分以上濁った目から流れ落ちる、膿と混じって粘つく血は、際限のない苦しみに喘ぐ亡者の涙であった。

「…もういいだろう」

 冷徹な口調とは裏腹に、龍麻の手はそっと少女の首を取った。歯を噛み鳴らす少女の顔が戸惑いに揺れる。

「仇は取ってやる。もう――休むがいい」

 とても高校生とは思えない、深みのある男の声。その声に安心したかのように、少女のまぶたが落ちた。――死んだのだ。今度こそ、本当に。

 だが、次の瞬間、少女の首は龍麻の手の中で真ッ二つに裂け、血と脳漿を一同に跳ね散らした。龍麻を除く一同は悲鳴を上げて血と脳漿を拭おうとする。

「…死んでまでも、殺されなければならんのか…」

 顔に張り付いた腐った血潮を拭おうともせず龍麻が呟いた時、どこから降ってくるとも知れぬしわがれた笑い声が起こった。

「ようこその御入来じゃ。この常世の淵へ」

「鬼道衆かッ!」

 逸早く立ち直った如月が忍び刀を抜くが、彼の超感覚をもってしても声の出現点を捉えることができない。京一たちも各々武器を構えて周囲を見回すが、声はそこらじゅうから響いてくるのだった。

「この野郎! 姿を見せやがれ! 罪もねェ人間を巻き込みやがって! 許さねえ!」

 京一の啖呵が洞窟に響き渡り、しかし声の主は「青い事を」とせせら笑う。

「我らは鬼道を用いて、外道に堕ちし者。幕末の世より甦り、この地を闇に誘う者ぞ。我らが悲願の為ならば虫けらのごとき者どもの命など、何ほどのものではないわ」

「酷い…! 狂ってる…!」

「ふふん。我らにとっては誉め言葉よ。恐怖、絶望、狂気こそ我ら鬼道の根幹。ふふ、お前達は人の首が持つ意味を知っておるか?」

「……」

 挑発的な問いかけに激怒しつつ、京一は龍麻と如月に目配せする。しかし二人とも、まだ声の出現点を特定できない。超小型のスピーカーを周囲に配置するという手もあるが、この相手がそんな子供だましを使う筈もなく、それ故に恐ろしいほどの隠形術であった。

 姿なき声は続く。

「――人間がものを見るのは何処だ? 人間がものを考えるのは何処だ? 人間が痛みを感じるのは何処だ? ――人間の頭には全てが集まっておる。鋭利なる大気の刃にて切断された首は、肉塊と化した己が身体を見る。こみ上げる苦痛、絶対的な死への恐怖。切り落とされた頭一杯に詰まった恐怖と雪辱、生への執着、そして狂わんばかりに助けを求む懇願の叫び。くくく…死してなお死ねぬ苦しみは生への憎悪と変わり、生きとし生けるものを破壊するべく《門》の封印を破り、常世より混沌を呼ぶ声となるのだ」

「そんな事、絶対にさせないわ!」

 全員の気持ちを代弁して天野が叫ぶ。だが姿なき声は冷笑するばかりであった。

「もはや遅いわ。今や封印は解かれ、常世より甦りし荒ぶる神が降臨する」

 その言葉と共に、門に生じた隙間から生ぬるい風と腐臭がどっと一同に襲い掛かってきた。

 ダゴンの時と同じく、魂を鷲づかみにするかのような圧倒的な妖気。龍麻と如月は例外として、二度目である京一達は下腹に力を込めて妖気に耐えた。全員の身体から青白い清澄なオーラが放たれ、生命そのものを凍りつかせる妖気を駆逐する。



 ウオオオオォォォォォ…

 ヒヒャァァァァァァ…



 無残に殺され、無理やり生かされている首たちの声が高まる。妖気によって活性化された呪われた生と、生命の正しきあり様を示そうとする一同の陽の《気》がぶつかり、犠牲となったものたちに地獄の苦痛――そんな言葉では足りぬほどの苦しみを与えたのである。

「――出てこなければ、燻り出すまでだ」

 龍麻の手から、黒い鉄の塊がアンダースローで飛んだ。次の瞬間、それは毒々しい炎の塊となって膨れ上がり、魔法陣を形成している首も、その周囲に積み上げられた首も数千度の炎で焼き尽くさんと荒れ狂った。

「た…龍麻!」

 理性では、それしか犠牲者を救う事はできないと判っている。前回の《深きものども》もそうだった。《魔》に魅入られたものを救う道は、殺すしかないのだ。だが、それでも、一切の容赦なく焼夷手榴弾を投げ込む龍麻の神経は冷たく凍り付いて――

 突如、ゴオ! と突風が一同の面貌に叩きつけられる。

 龍麻の殺気だ。焼夷手榴弾の炎を避け、遂に姿なき声の主が姿を現したのである。

「――鬼道五人衆が一人。我が名は風角」

 予想通りの名に、しかし龍麻は反応を示さなかった。風角と共に現れた数十人に及ぶ忍者軍団も、もはや眼中にない。

「どうでもいい。貴様は、殺す!」

 龍麻の長い前髪の間から、ボウ、と漏れ出す真紅の輝き。そして口元から流れる、一筋の血潮。――幸いにも《ナンバー9》の発動ではないが、《あの》龍麻が怒りに燃えている!? いつもは冷徹に《殲滅する》と告げるのに、今回は《殺す》と言い切った。戦いに際して彼が怒りを露にするなど、これが初めてのことであった。

 そして、もう一人、いた。

「この風…匂い…。やっと…やっと見つけた…!」

「ッアラン君!?」

 天野を押しのけ、熱に浮かされたかのように前に進み出るアラン。その身体からは《力》あるものの証、青白いオーラが放たれていた。それもぼうっと輝くオーラではなく、炎のように激しく。何かの――生き物のように。

 龍麻がACRを肩付けした瞬間、《それ》が《鬼道門》から流れ出した。

「ひっ…!」

 葵、小蒔、天野が息を呑む。

 この世のありとあらゆる汚物と、現存する全ての生物の臓物をごちゃ混ぜにしたような腐汁がゲル状を維持しつつ立ち上がる。これを《生物》と呼ぶのは明らかな冒涜だ。しかしその全身は絶え間なく流動しつつも、触手とも手とも足とも付かぬものを全身に生やしては引っ込め、引っ込めては生やし、時折眼球と思しきぎらつく球体をぎょろぎょろと動かす。脈絡なく生じる裂け目や穴は《口》に相当するものか? その中にはびっしりと針のような、サメのような、時に人間そっくりな歯が蠢いていた。――その大きさ、差し渡し一五メートル!



《…我ヲ呼ブハ、誰ゾ? 我ガ目覚メルニハ、マダ星ノ位置ガ悪カロウ…》



 人とも動物とも、機械の軋みとも思えぬ《声》が洞窟内に木霊する。いや、それは幻覚で、《声》は各人の頭の中に直接響き、その意味合いをイメージから日本語に置き換えると、そういう意味になったに過ぎぬのだろう。クトゥルフを始めとする《神》や《旧支配者》はそのような精神感応や《夢》を用いて、己の存在を関知考察しうる知的生命体とコンタクトを取ってきたのだ。



《…ソモ、此度ノ眠リハ何ト短キカナ。あすてかノ王ニ見エテヨリXXXX、最後ニ贄ヲ喰ロウテカラ、マダXXXXトタタヌ。――此度ハ贄ガ揃ウテオルカ?》



「揃っているトモ!」

 力の限り叫んだのは風角にあらず、指が白くなるほど固く銃を握り締めたアランであった。

「ボクを食わなきゃ、お前は力を出せない。――この悪魔の糞袋メ! ボクを食い損ねたことを後悔するとイイネ!」

 ブワ! とアランの身体から放たれるオーラが攻撃的な《気》そのものとなって腐肉としか言いようがない怪物を打つ。苦痛を感じた訳でも、動揺した訳でもないだろうが、明らかに怪物は反応した。

「何と…貴様は…!」

 風角の驚愕の声を、龍麻が引き継いだ。

「そうか。お前はあの時の、生贄の少年か」

 ええッ!? と京一と醍醐、そして天野が声を上げる。

 龍麻の言う《あの時》とは、八年前、レッドキャップスが初めて実戦投入されたという事件。第三帝国復活を掲げる《ネオ・ナチス》によって南米の小さな村の住人全部を生贄に、《祭壇》イコール《鬼道門》より異次元の《神》が召喚されたという事件の事だ。レッドキャップスは被害拡大を阻止するため村ごと《鬼道門》を気化爆弾で吹き飛ばしたのだが、不測の事態でただ一人敵の本拠地に先行した龍麻が、一人の生存者を救出している。その生存者こそ、アランだったのだ。後に判明した事だが、彼は機密保持のために、南米を活動拠点にしていたアメリカ海兵隊武装偵察部隊FORCE・RECON所属の一部隊、《ジェリー黒蠍隊スコーピオン》に預けられて彼らと行動を共にし、後に特例措置としてアメリカ海兵隊の養成所に送り込まれたのだった。

「ソウ…アイツはボクから大切なモノを全て奪った…。ボクを愛してくれたパパ、ママ…村のトモダチ…美しい森…キレイな湖…森の動物達…ミンナ…アイツが奪っていった…。ミンナ…アイツが…アイツが――ッ!!」

 陽気なラテン気質の陰に隠れていた、魂に刻み込まれた哀しみと苦しみ。アランの叫びは彼の魂が上げた怒りと哀しみの慟哭であった。そして今こそ、彼は復讐するべき仇と向かい合ったのだ。

「ボクにこの霊銃レイガンを授けてくれたOld manが言っていた…! ボクは再びお前に会うと…! 《風》の《力》を宿すこの霊銃がボクをお前の下に導くと…! ――だからボクは…《黒蠍隊スコーピオン》のミンナに戦い方を教わった…! 子供の分際で海兵隊マリーンに入隊し、お前と戦う力を! 知識を! 霊銃の技を磨いた! ――全ては…お前を倒す為だ!!」

 アランの周囲で渦巻くオーラが、まるで巨大な蛇か龍のように彼に絡み付きつつ立ち昇る。彼のブルーの目の中で瞳が縦に細長く伸び、爬虫類のそれになる。そして口元には…あれは…牙ではないのか!?

「I never for give!  I never…in your matter…!」
 (俺は許さない! 貴様を…貴様のやった事を…!)

 ガキン! と彼の握るコルトM1911A1…に偽装した霊銃の安全装置が外され、《気》の増幅機構…スライドが引かれた。

「Go ahead make my die!」
 (貴様は俺が殺す!)

 陽気なラテン青年の面影をかなぐり捨て、正に獣のような咆哮を上げて飛び出そうとするアラン。しかし一瞬早く、その腹を龍麻の拳がえぐった。アランは腹を押さえ、その場に膝を付くが、次の瞬間には霊銃を龍麻に向けた。その時既に、龍麻のACRもアランの眉間に突き付けられている。

 ある意味、アランの哀しみと苦しみを一番理解できるであろう龍麻の蛮行に、一同のみならず風角までも唖然とする。――ただ一人、如月だけが静謐に二人を見詰める。

「…You trying to be a hero, Aran?」
(ヒーローにでもなったつもりか? アラン)

 龍麻は全身に滾らせていた怒りを消し、厳粛な声で言った。

「…Remenver. We only have one rule.――《Everyone fights. no one fight. You don’t do your job. I’ll shoot you.》――Do you get me?」
 (忘れるな。ルールは一つ。《全員で戦う。一人で闘うな。それが出来なきゃ撃ち殺す》――判ったか?)

 腹の痛みは一時的なものだったが、彼の言葉に、差し伸べられた手に、アランは強い衝撃を受けた。

 《全員が戦う》とは、海兵隊の合言葉である。龍麻の言う《全員》に自分も含まれている事。そしてこの闘いが自分だけのものではない事に気付かされたのだ。レッドキャップス――対テロを掲げつつ、その実体は人類を護る尖兵として養成された部隊。未来も、栄光も、名誉も、手柄も、報酬も与えられることなく、また、望まぬ事を強制された男と、彼に率いられ――否、彼と共にある事を望んだ者たちの部隊。自分が今、その一員として認められているという事に。

 そしてアランは、龍麻の手を取った。

「――ッッ!!」

 脳裏に閃く、過去の情景。――あの時と同じだ。恐怖と絶望が支配する闇を切り裂き、差し伸べられた手。同年代の子供の時でさえ、雄々しく、力強く、たくましく感じられた手。その手の温もりが、後のアランを支えた。彼のような《戦士》になりたいとの願いが、彼を支えたのだ。そして《ジェリー黒蠍隊》が、アランの新しき《家族》がそれに応えてくれたのだ。

 だが今は、別の事も判る。否、今だからこそ判った。

 過去においては、自分が彼を呼んだ。――幼き日に両親に言われた、《風は友達》。《風》は自分の危機に、彼を呼んでくれたのだ。

 そして今、彼は目の前にいる。そして今、倒すべき仇が目の前にいる。そして――あの時の《戦士》が、《共に戦え》と言っている。

 ここが自分の居場所だ――アランはそう感じた。理屈ではない。言葉に出来ない衝動とも言うべきものが、アランを決心させた。

「Yes…Sir. I get you sir!!」

 そう力強く応え、立ち上がった時、アランの目に濁った暗い炎はなかった。炎のように猛り狂っていたオーラも、均整の取れた円形に整えられていく。その中にはただただ神々しい神獣…龍の影が浮かんでいた。

(――《青龍》が、目覚めたか…!)

 如月が万感の想いを込めて胸中で呟く。――刻が、確実に動いている。

「総員! アタックフォーメーションD! 目標! 《盲目のもの》! 如月! 指揮を取れ!」

 如月の思考を切り裂き、龍麻の指示が飛ぶ。フォーメーションD(デストロイ)。周囲を囲んでの殲滅隊形だ。

「ひーちゃん! お前は!?」

「召喚者――風角を始末する! そうすれば《盲目のもの》とて本能で動くだけの木偶に等しい!」

 異次元に存在する《神》は、如月の説明のように、強大無比な意思持つエネルギー体だ。しかし無限を生きるものの思考は人類とは著しく異なり、その力に対して方向性を与えるのは、ひとえに召喚者にかかっている。つまりこの怪物――《盲目のもの》というらしい――の頭脳となっているのは風角であり、風角さえ倒せば明確な《破壊》の意思は失われる。しかし鬼道五人衆の一人を、たった一人で相手をするというのか!?

「蓬莱寺君! 龍麻君には策ありだ! こちらはアザトース配下の《盲目のもの》。伝説ほどの力は失っているようだが、全力を尽くさねばやられる!」

 如月の叱咤を受け、京一は木刀の切っ先を《盲目のもの》に向けた。

 龍麻は一番危ない場面を引き受ける。しかし今、全力を尽くさねばならぬ相手は《盲目のもの》だ。《木偶に等しい》と言いながら、全員で攻撃しろとも言ったのがその証拠だ。だが自分がいなくても、彼らなら《盲目のもの》に抗しうるとして、任せた。

 龍麻にしては珍しい判断だが、ならば、その信頼に応えねばならない。

「行くぞ!」

「うむ! 破ァァァァッ!!」

 紫暮二号は葵、小蒔、裏密、天野の護衛に残り、醍醐と紫暮一号が《盲目のもの》に突っかけた。

「直接打撃は駄目だ! 《気》と《術》で撹乱しつつ攻撃! 奴の攻撃を許すな!」

『了解!』

 このテの怪物には職業柄(!?)詳しい如月の指示を受け、醍醐と紫暮は中距離から《掌底・発剄》を飛ばした。しかし、おぞましい腐汁が飛んだだけで、目に見えるほどのダメージはない。

「《地摺り青眼》ッ!!」

 岩盤をも切断する京一の《気》の刃が、《盲目のもの》を真っ二つに両断する。しかし「やった!」と快哉を叫ぶより早く、切断された部位が融合してたちまちもとの形を取り戻してしまう。

「何だよコイツ! ちっとも効きゃしねえ!」

 京一の憎まれ口を証明するように、醍醐や紫暮の発剄も、小蒔の《火龍》や雨紋の雷撃さえも、物理的には流動体である《盲目のもの》にはろくなダメージを与えられない。

「《水烈斬》!」

 《盲目のもの》の直下から高水圧の水柱が上がり、腐汁を跳ね散らすが、それさえも《ちょっと効いた》という程度のものにしか過ぎなかった。しかも《盲目のもの》は「贄ヲ…贄ヲ…」と繰り返すばかりで、彼らと闘っていると意識すらしていない。

「Shit! Fuck’in!」

 立て続けに唸るアランの霊銃。輝く《気》の弾丸が《盲目のもの》の流動体を一部欠損させる。僅かなダメージなのは相変わらずだが、その持つ波動が《盲目のもの》の注意をアランに向けさせたようだ。



《贄ェ…!》



 ゴオ! と風が渦を巻いた。

「うおおッ!」

 《盲目のもの》を中心に竜巻が発生し、周囲の空気を吸い上げていく。一同は身を伏せ、あるいは鍾乳石にしがみついて耐えねばならなかった。見れば風角配下の下忍までが風に巻き上げられ、《盲目のもの》の《口》へと吸い込まれていく。《口》の奥には暗黒が詰まり、その向こうには、何と星がきらめいていた。《盲目のもの》の《口》は宇宙に繋がっているとでもいうのか!? 

 そして――

「ウワアァァッッ!」

 何をしたとも見えぬのに、アランが頭を押さえて絶叫する。霊銃を取り落とし、風に煽られるように彼はふらふらと《盲目のもの》に向かって歩き出してしまう。

「馬鹿アラン! なにやってんだ!」

「いかん! 術にかけられたんだ!」

 京一と如月が飛び出すが、無防備に前に歩み出たアランを《盲目のもの》が見逃す筈はなかった。

 アランは前回の《儀式》の時に捧げられた生贄。《盲目のもの》が求める《味》を備えている者なのだ。そして彼を取り込んだ時こそ、《盲目のもの》は――

「アランクン――ッ!!」

 彼の名を叫びながら、小蒔は矢を放った。

 次の瞬間、激しい爆発が起こった。







 第九話 鬼道 3   完



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