第七話 恋唄 2





 翌日、作戦名SRT〇七は参加者全員の私用によって中止となり、龍麻もそろそろ弾丸の在庫が少なくなり始めているので都内某所に出かける予定もあり、手早く帰り支度を済ませて校舎を出た。

 校門を出ようかという時、なぜか校門のすぐ脇にいた少年…小学生くらいの男の子が声をかけてきた。

「ねえ、兄ちゃんって、緋勇龍麻って人?」

「違うよ」

 龍麻は即座に否定する。このところ異常な事件への介入が続いていることもあって、正体不明の相手に姓名確認を許すほど龍麻は甘くなくなっていた。それに、相手が名指しできた以上、どうせバレるのだ。

「ふうん。それじゃあ、これを緋勇龍麻って人に渡してくれる?」

「手紙か。誰に頼まれたのかな?」

 さりげなくカマをかけてみる。すると男の子はにやりと笑って、

「やだなあ、兄ちゃん。野暮なこと聞いちゃ駄目だよ。兄ちゃんだって格好良いんだから、判るだろ?」

 いささか生意気な口調に言葉だったが、龍麻は苦笑を洩らした。珍しい反応である。

「これは一本取られたな。君の男気に対して褒賞を与えよう」

 龍麻はポケットから百円玉を取り出し、少年に握らせた。

「えー、別に良いのに」

「その精神が大切なのだ」

「ふうん。ま、いいや、ありがと。じゃあね!」

 少年は手を振って去っていき、龍麻は封筒を開けた。

「……!」

 不意に龍麻の雰囲気が険しいものに変わる。彼は周囲を索敵し、なお監視者がいた場合を想定して建物の陰に身を潜めた。そして改めて、手紙に目を通した。





 
親愛なる緋勇龍麻くんへ。



君が転校してきてからの噂、聞いています。

渋谷の街の鴉、高い鉄塔での戦いはさぞかし大変だったと思います。

そして桜ヶ丘中央病院に、君の同級生の女の子が入院した時には、僕も心が痛みました。

非力な人の力では、どうすることもできない事件でも、君は立ち向かっていきましたね。

僕は君の《力》を羨ましく思います。是非、一度会って、話をしたいです。

たぶん、君は断るでしょう、だから、ある人に協力してもらいました。その人は君も良く知っている人です。

彼女は今、僕の手中にあります。君は、その人のために、僕と会わなければなりません。その人を護るために。

場所は別紙の地図を見てください。今は使われていない古い建物です、

必ず一人で来て下さい。誰かに話しても駄目です。君には選択の余地はありません。

では、一刻も早く会える事を祈って――



君の友 Dr Faustより





 
 新聞の切抜きを多用し、それもわざと文字の向きを多方向に捻じ曲げて貼り付けた文面で構成されたそれをいわゆる脅迫状…挑戦状の類であると龍麻は判断した。

 どれほど完璧に足跡を消しても、闇社会の情報というものは表のそれとは比較にならぬほどに緻密で、穴がない。情報という砂漠の中から砂粒一つを見つけ出す労力を惜しまぬ者たちからは、決して逃れられないのが世界の現実なのだ。

(今度はIRAかコロンビア・マフィアか…いや、やり方が杜撰すぎる。二流の奴らでもこんなサイコまがいの文面をわざわざ作る筈はない)

 狙われる心当たりなら山ほどあるが、しかし、プロがこのような手間の掛かる真似をするとは思えない。龍麻のような人種を抹殺するには、不意打ちが絶対条件だ。脅迫状や挑戦状を送り付けて正々堂々――などというのはアマチュア以下、映画を見過ぎの素人だ。

 すると、新勢力か? 実験部隊レッドキャップスは最高機密に属する部隊であるが、各地で紛争に介入し、各国特殊部隊との連携も行われていたので、その気になれば比較的たやすくその名を導き出すことができる。水面下で動く軍事関係者でレッドキャップスの名を知らぬ者など皆無と言って良い。そしてその生き残りがいると知れば、接触しようとする者も多いのだ。現に龍麻は東京に来て以来、既に二桁に届く殺し屋を《始末》している。ほぼ全員が名声目当てのフリーランサーだったので闇社会にそれ以上の情報は洩れていないが、今後似た様なケースが起こらないとは言い切れない。龍麻を保護している組織も日本国内におけるフォローは最小限しかできず、鳴滝の組織にしても護衛に人数を割く余裕はない。向かってくる敵は自分で対処せねばならぬのが龍麻の現状なのである。


 ――始末するしかない


 龍麻は地図を暗記すると、手紙を焼却した。いずれ京一たちも、自分の真の姿を知る日が来るだろうが、せめてその時までは同じ《人間》同士による殺し合いの場面を見て欲しくはない。龍麻はいつものように一人で決着を付けるべく、駅へと急いだ。








 地図が導いた先は、品川区にある廃工場の一角であった。

 操業を止めてから数年が経過しているのだろう。辛うじて残っている機械類は例外なく錆び付き、埃が厚く積もっている。裏社会の人間が戦いを仕掛けるにはまことに都合がいい場所であった。かつて活気に満ちようとも、今は落ちぶれ、裏寂れた場所。そういう場所こそ、《俺たち》には相応しい。

 だが龍麻は、その廃工場が一種独特の雰囲気に覆われていることに気がついていた。

 まず、ゴミが散乱していないのである。

 嵯峨野・藤咲と戦った廃ビル。そして凶津と戦った廃屋。そのどちらも不良どもの溜まり場と化し、ゴミを撒き散らし、不健康極まる雰囲気をかもし出していた。こことて立ち入り禁止を銘打っていても、そういう輩の出入りがあって当然なのに、ゴミどころか壁の落書きすらないのである。だからと言って健全かと言えばそうではなく、むしろ一層異様な雰囲気に包まれているのだ。

 監視者の視線は感じられない。龍麻は素早く道路を横切り、指定された建物に走り寄った。見た目の環境を良くする為に植えられた蔦植物が、もはや手入れする者とてなく壁一面を覆っている。その蔦に、学校で渡された物と同じ封筒が差し込まれていた。

「……」

 読め、という事だろう。《勘》は無害を保証しているが、それでも一応トラップの有無を確かめ、封筒を抜き取る。するとやはりサイコな文面で文字が綴ってあった。





 
親愛なる緋勇龍麻くんへ



この建物の右に五メートル歩いた所に錆びた鉄のドアがあります。

そこから入ってください。

中に入ったら、中から鍵をかけてください。

では、一刻も早く会える事を祈って――



君の友 Dr Faustより





 
 先程と同じ、しかし有無を言わせぬ文面である。どうやら相手は龍麻の事を良く知らぬようだった。明らかに罠と判る文面であり、しかし相手は龍麻がそれに正直に従うと本気で信じているのだ。龍麻の口元が微妙に引き攣ったのは、これまでの彼ならば考えられない事だが、皮肉な笑みを浮かばせたからのようだ。

 錆びた音を立てる扉を開け、窓が塗りつぶされているほの暗い空間に足を踏み入れる。生き物の気配はない。龍麻は扉を閉め、鍵をかけた。

(元は製鉄工場か。水槽にベルトコンベア。冶金炉、ボイラー…)

 無造作に歩きながら、龍麻の目は周囲にあるものの配置と足場を正確に記憶していく。戦いを仕掛けるとすればここだろうと踏んだのだ。自分ごと閉じ込め、決着がつくまで出られないようにする――プロを名乗るアマチュアがよくやる手である。

 しかし、光が洩れている窓のところに、更に一枚の封筒が貼り付けてあった。よくよくこの相手は、サイコな手紙を作るのが好きらしい。これを読んだ時の龍麻の表情を想像しながら、嬉々として新聞や雑誌を切り抜いて文面を作り上げていくサイコ犯の姿。さぞかし不気味で滑稽だろう。





 
親愛なる緋勇龍麻くんへ



ここまで来た、君の正義感・勇気に、僕は敬意を表します。素晴らしいです。

君は、そうやって、今まで君の友達と一緒に困難を克服し、切り抜けてきましたよね。

しかし、それは、あくまで人の助けを借りて馴れ合いの中ですごして来たに過ぎません。

人は常に孤独です。そして、人は、常に一人では無力な存在なのです。

君が、果たして、君個人という存在のみでその存在理由を証明できうるのか。

僕はそれを見てみたいのです。

君の《力》を僕に見せてください。君のその見せ掛けの勇気を見せてください。

では、健闘を祈っています――



君の友 Dr Faustより





 
 
「……」

 またしても、意味のない単語の羅列である。龍麻はそろそろうんざりし始めていた。

 どうやら相手は龍麻が関わってきた事件の事を知っているようだが、その現場を目にした事はない。勝手な憶測でものを言っているだけだ。《友達と一緒に》、《人の助けを借りて》…。とんだ誤解もいいところだ。彼らは龍麻にとって《仲間》ではあるが《部下》でもある。戦闘時に指揮官として最良の作戦と最良の配置を指示するのは当然であり、各自が己の任務を確実にこなし、互いの任務を助けるのも当然の事だ。《個人で存在理由を証明》、《見せ掛けの勇気》? この相手は、自分を正義の味方か何かだとでも思っているのだろうか? 

「…下らん」

 およそ自分がここまで出向いてくるだけの価値はなかったという事だ。どこの誰を人質に取ったのか知らないが、こんな間接的手段でしか脅迫できない輩など自分が相手をするまでもない。この相手は、自分も世界も侮り過ぎている。

 クシャッと手紙を握り潰し、龍麻は扉に向かって歩き始めた。

 それを合図としたかのように、ガタン、バタンと怪しい音が周囲で響く。やはり、ただで帰す気はないらしい。そして、ガラスの砕ける音――

「………」

 こうなる事は判りきっていたので、龍麻は囲まれた事に対しては特に慌てなかった。ただ、先日の一件では完全武装の傭兵崩れが突入してきたものだが、ガラスを突き破って工場内に侵入してきたのは、妙に薄汚れ、爛れた皮膚を持つ人、ただの人間たちである。飛び道具はおろか、刃物や棍棒すら持っていない。どうやら今度の《敵》は心底、龍麻の事を知らぬらしい。

 しかし、素人相手でも決して油断しない龍麻は、そいつらからまったく生き物の気配が感じられない事に気が付いた。そいつらの動きは妙にギクシャクと非人間的で、龍麻の方をまともに見ているかどうかさえ判らない。

「…どけ」

 龍麻は恐れ気もなく、静かに言った。

 それを合図に、右手の一体が急に肉食獣の勇猛さで踊りかかってきた。

「シッ!」

 相手が飛び道具を持っている訳ではないので、瞬時に掌打を放った龍麻であったが、それが相手の顔面を捉える寸前、技を寸止めして大きく後方に跳び下がった。

(こいつら――!)

 レッドキャップスでは通常の戦闘技術のみならず、真の暗闇やジャングル、あるいは密集した建物内など、あらゆる状況での戦闘に備えて精神強化処置…いわゆる《勘》の増強も施されている。龍麻が敵の所在を感知、さらには敵の武装やトラップの有無を見分けられるのもそのためであった。そして彼には《危険》の種類が《色》のイメージによって分けられて感じられるようになっている。たとえば火薬もしくは火薬使用の武器は《赤》というように。そしてこの相手の口と手からは《黄》…すなわち《毒》のイメージが感じられたのだ。

 ――触れるのは危険。触れられるのも。

 龍麻は制服の内側から目にも止まらぬ速さでウッズマンを抜き撃ちにした。



 ――TAN! TAN! TAN!



 二二口径の乾いた銃声も、閉鎖された工場内では激しく響く。相手が生きていないと知った時点で、龍麻に容赦などなかった。前に出ていた三体の額に小さな穴が空き、そして――

「…効かんか」

 額に空いた穴から緑色のドロッとした液体を流しつつ、しかしどいつも止まろうとはしなかった。龍麻は下がりながら次弾を心臓に叩き込む。先頭切って向かってくる奴の心臓の位置に三つの焼け焦げが刻まれたが、止まらない!

「チイッ!」

 急に加速した異形のものの足に向けて連射する龍麻。膝を砕かれ、異形のものは転倒する。それで死ぬ訳ではなかったが、時間稼ぎにはなる。更に二体の膝に銃弾を叩き込みながら、龍麻は水槽の際まで後退し、素早く情報分析を開始する。

 記憶に刷り込まれた《敵》のデータから目の前にいる《敵》と該当するものを検索する。屍生人ゾンビー食屍鬼グール怨霊憑きワイト眠り男ツェザーレ吸血鬼ヴァンパイア彊屍キョンシー人狼ワーウルフ…彼らレッドキャップスには古今東西の伝説に登場する妖魔、妖獣のデータが組み込まれている。なぜならば、それこそ彼らの――

 ――食屍鬼、脅威レベルC。爪と牙に麻痺毒。伝染病媒介。弱点――火。

 分析終了。薬室内に一発残し、弾倉を交換する。22LRではこの異形のものを止めるのは無理だ。かつて南米で同種の奴と戦った時にはナンバー4のナイフ、8、13の爆薬、14、15の念動力サイコキネシスで五体をバラバラにする事でしか倒せなかった。現在の彼には、この場で有功と思われる徒手空拳の奥義、《巫炎》があるが、敵は《力を見せろ》と言っている。つまりこいつらは単に龍麻の戦闘能力を測るための捨て駒だ。こんなものを繰り出してくる奴が相手である以上、なるべく手の内を見せる訳には行かない。

 異形のものが包囲を狭める。龍麻は機関銃もかくやという速射を、ただ一体の異形のものの正中線に叩き込んだ。

 緑色の汚らしい液体を撒き散らしつつ、なおも前進してくる異形のもの。しかし腹が裂け、内容物を床にぶちまけると、身体全体の重量バランスが崩れてどっと床に倒れた。

(無駄が多い。ここは? )

 再び弾倉をチェンジ。今度の奴は顔面に弾丸を集中させる。両眼から飛び込んだ弾丸が頭蓋内を跳ね回り、脳漿を飛び散らせたが、まだ止まらない。ただし視覚を失い、無闇に両手を振り回すだけになる。

 ――《無駄弾を使うな。弱点を見抜いて殺せ》

 嫌というほど叩き込まれた、《少佐》の言葉が甦ってくる。

(不死身かも知れんが、動いている以上、狙いは――!)

 かつての《経験》が龍麻の戦術を決め、彼は自ら異形のものの群れに飛び込んだ。

「ガアアッ!」

 映画のゾンビ―よろしく、両手を前に突き出し、大口を開ける異形のもの。その爪も牙も、唾液さえも毒と雑菌の塊だ。

 ――《触れさせるな。触れるんだ。それで相手はお陀仏さ》

 《少佐》の声が耳に響く。龍麻はその大口に向けてウッズマンを突き出し、発砲した。

「ムオオオォォォッッ!」

 口の中を抜けた弾丸にぼんの窪…脳と脊椎の接合部を撃ち抜かれ、異形のものはきりきり舞いした身体を立て直すことができなくなり、そのまま床に倒れ込んだ。

「…これで止まるようだな」

 この期に及んで、焦りの色もない龍麻である。――当然だ。銃で倒せる事が判ったのだから。

 次の瞬間、龍麻は矢のように動き、異形のものの手をかいくぐってその口に次々と銃弾を撃ち込んでいった。死んではいても、感覚器官は生前のものを流用しているため、神経系統を破壊されれば正常な情報伝達は望めない。都合八体の異形のものが全て動きを止めるまで、二分とかからぬ攻防であった。

(これで第一ラウンド終了。次は、どう来る? )

 建物内のどこにも監視カメラその他はないようだが、きっと相手はどこかで自分を見ている筈だ。龍麻は用心深く水槽に身を寄せ、四本目の予備弾倉をウッズマンに装填した。弾倉は残り一本。今のような連中で波状攻撃をかけられてはさすがにきつい。

 そう思った途端、来た。奇襲をかける時は敵の思わざるところに身を置けと教え込まれた龍麻だが、その彼がそんな単純な手に引っかかるとは!? 水槽の中から飛び出してきた異形のものの手から、輪になったワイヤーが飛んで龍麻の首を絡め取り、彼を空中に吊り上げた。

「ぐうっっ!」

 龍麻はとっさにワイヤーを左手で掴み、体を入れ替えて水槽の壁面に両足をかけて身体を固定、頭だけが見えている異形のものに向けて22LRを全弾叩き込んだ。異形のものの力が緩み、龍麻は落下する。空中で猫のように身を捻って足から着地した龍麻であったが、最後のスペアマガジンを抜き出した時、数トンはあろうかという水槽が彼に向けて倒れ掛かってきた。

「!!」

 辛うじて飛びのく龍麻であったが、水槽内にたまっていた水が波頭となって襲い掛かり、彼を転倒させた。その時ウッズマンが彼の手から飛び、床を滑っていく。だが龍麻はそんな事に構っていられなかった。その時龍麻は、始めから水槽に潜んでいた異形の群れに取り囲まれていたのである。

 彼を救ったのは、レッドキャップスとしての猛訓練と、身に付けた古武道であった。

「覇ッッ!!」

 一瞬の判断で繰り出したのは徒手空拳・《陽》の奥義、《円空破》。波紋状に放射された《気》の波動が周囲を埋め尽くしていた異形のものを将棋倒しに弾き飛ばす。そして次の瞬間、龍麻の両手が閃いた。左手にソードオフ、右手にコンバット・パイソン。

 轟音と雷声が工場内の空気を叩き伏せた。パイソンに詰めてあったのは夢の世界にとらわれた葵を救う際に作成したダムダム弾だ。二二口径とは桁違いの威力に胴体をぶち抜かれ、一発で異形のものは吹き飛ぶ。ソードオフの方はもっと徹底していた。ソードオフのバックショット(通常散弾)を受けた異形のものはあまりにも至近距離だったために身体の前面を消し飛ばされ、あるいは二つにちぎれて床に転がったのである。

 標的が全て倒れるのを確認するや、龍麻は素早くソードオフを放棄し、パイソンのシリンダーを振り出すスイング・アウト。銃を立てるだけで金色の薬莢が落ち、床の水でジュッと音を立てた。スピードローダーで新たな弾丸をセットするが、残弾はこれきりだ。



 パチ…パチ…パチ…



 まばらな拍手が背後で聞こえたのはその時であった。

 視覚による確認もないままにパイソンの銃口が旋回し、発砲する。異形のものを盾とした白衣と思しき影が物陰に入るのを確認した龍麻は、油断なくパイソンを両手保持した。

「――武器を捨てて投降しろ」

「ククク…まあ、落ち着きたまえよ、緋勇龍麻くん」

「貴様の発言を許した覚えはない」

 龍麻は完全に戦闘モードに入っている。相手が何を言おうと、それは単語の羅列、雑音でしかない。

「ククク…。噂通りだね、緋勇龍麻くん。ただの軍事マニアとは思えない警告に身のこなし。そして射撃の腕前。どうして高校生の君が銃を持っているかなんて事は、僕にはどうでもいい事だがね」

 やけに首筋の辺りをちりちりさせるような喋り方をする男は、あろう事か自ら機械の陰から姿を現した。

「……」

 手紙の文面からプロファイリングしていた事が、今回も的中した。龍麻と同等の長身だが、痩せ型で細面。それなりに整っているが、神経質そうな顔立ち。そして性格は…邪悪。いや、極めて邪悪。

「いや、失敬。手荒な真似をして悪かった。君の《力》を、この目で見てみたくてね」

「……」

「女の子を預かっているというのは、嘘さ」

 その言葉を聞いた直後、龍麻の反応は迅速であった。彼は容赦なくダムダム弾をその男の額に撃ち込み、その頭部を四散させた。

「…悪戯にしては悪趣味が過ぎる」

 人一人射殺してのけた後でも、龍麻の口調は変わらない。これが本当の龍麻だ。テロリストを物理的に抹消する組織の人間。たとえ組織を離れた身であっても、本質的には対テロリスト部隊、レッドキャップスのままなのだ。

 しかし――

「意外と短気だね、君は」

 龍麻のパイソンが鋭く旋回し、新たな登場人物をポイントする。しかしその男は、たった今頭を吹き飛ばした男と同じ顔を持っていた。

「それは僕の複製ダミーだよ。ちなみに、さっき君が戦った生物も、僕の研究の一環でね。病院から手に入れた死体にちょっと手を加えたものなんだ。僕はゾンビと呼んでいるがね。ククク、遺伝子工学と西インドに伝わる秘法の賜物さ」

 今殺した男が複製だというならば、目の前でしゃべっている男も複製である確率が高い。パイソンの残弾を考えると、目の前の男を射殺するメリットはなかった。このタイプの人間は己を誇示するために、比較的早く登場するものと思っていたが、なるほど、それなりに龍麻の行動パターンを分析済みらしい。気に入らないが、ここは相手の出方を見るしかないようだ。

「君は、ブードゥーという言葉を知っているかい?」

「……」

 龍麻の雑学の中には、当然それも含まれていたし、レッドキャップス時代にもレクチャーを受けたことのある龍麻だ。しかし龍麻は黙っていた。出方を見るとは言っても、話を合わせる必要などないからだ。

 龍麻が返事をしないことを、単純に知らないのだと解釈し、男はブードゥーについて語り始めた。

 ブードゥーとは、西インド諸島のハイチ島を中心に信仰されている宗教である。彼らはロアと呼ばれる精霊を崇拝し、オウンガンという祭司やゾボと呼ばれる魔術師たちは様々な術を使うといわれている。曰く――霊を呼び出す、空を飛び回る、そして、死者を甦らせる――等、など…。そしてゾンビとは元来、ブードゥーの魔術によって死者の国から呼び戻された者を指す――と。

 龍麻にしてみれば、下らない講釈であった。そして、穴だらけである。ブードゥーが精霊信仰のスタイルを取り、死者を甦らせるという伝説から邪教扱いされているが、実はブードゥーとは、アフリカから強制的に連れて来られた黒人奴隷が信仰していたアフリカの自然霊信仰とキリスト教がミックスされて生まれた、比較的新しい宗教なのである。魔術師たちの伝説は、まあ大よそ当たっているが、死者を呼び戻す術を行使するのはボコールという祭司である。そして死者の復活には二種類あり、一つは本当に死んだ人間に蛇の精霊を憑かせて、いわば擬似生命体とするもの。もう一つは、生きた人間に特殊な調合で作られる《ゾンビー・パウダー》という薬を飲ませ、一時的に仮死状態にさせ、埋葬された肉体を掘り起こした上で使役させるものがある。この薬には意思剥奪の効果があるので、最初に暗示をかけた者以外の命令を受け付けることはない。そして最大の誤解――本物のゾンビーは、単に労働力の欠如を補うために死者の肉体を利用するだけであって、その能力も基本的知識も生前より落ち、映画のように人を食い殺したりはしないのである。あえて言うなら、それは食屍鬼…グールの方なのだ。

「そう言えば、挨拶がまだだったね」

 龍麻が聞きもしないのに、男は勝手に言葉を継いだ。

「僕の名は死蝋影司しろうえいじ。品川にある高校の教師をしている。君の活躍を知り、そして君の助けを、君の《力》を必要としている者さ」

 よろしく、と笑みを浮かべる死蝋であったが、龍麻は表情一つ変えず、無視を貫いた。パイソンの銃口も死蝋の眉間に据えたまま微動だにしない。

「ククク…。そんな顔するなよ。僕と君は《仲間》なんだからさ。僕はね、君に協力しようと思っているんだよ。君の持つ超人的な《力》をもっと有効かつ合理的に使っていく方法を考えてあげようと思っているんだ」

 死蝋が自分を《仲間》と称した時、龍麻の指がぴくりと跳ね、危うく引き金を引くところであった。パイソンの撃鉄は起こしてあるから、僅か数ミリ以下の引きで撃鉄は落ちる。それを止め得たのは、ダブルアクション・ガンの引き金を確実にコントロールする訓練をみっちり積んでいるおかげだった。龍麻としては目の前の男を即座に撃ち殺したかったのだが、こいつも複製である可能性がある以上、プロとして撃てなかった。

「ほら、君はまだ、高校生だろ? 受験や将来のことが忙しくて、そんな事、考えてる暇もないだろ? だから僕の頭脳と人脈を活用して、君の未来の手助けをしてあげようと思っているのさ。どうだい、いい話だろ?」

「…下らんな」

 以前の龍麻であれば、死蝋の話など聞き流していただろう。しかし龍麻は、その提案の幼稚さに、口を開いてしまっていた。龍麻にしてみれば、それこそ諜報機関やテロリスト、あるいはフリーランスの殺し屋を相手にするつもりでここまで来たのである。それなのに、この死蝋という男は龍麻の事を何も知らないのだ。はっきり言って、相手をするのも馬鹿馬鹿しい小物であった。

「ククク…かわいいよ、君って…」

 龍麻でなければ怖気を感じるであろう言葉を、死蝋は口にした。

「僕と君は、いいパートナーになれるよ、きっと。君は考えた事があるかい? 人はどこから来て、どこへ行くのか。もしかしたら、僕たちは、もっと別の進化の道を歩む事ができたんじゃないか…ってね」

「……」

「君が協力してくれれば、僕はその謎を解き明かすことができる。君の、その――強靭な肉体と揺るぎない精神力、そして、超人的な《力》があれば。そうすれば――人は、超人――いや、魔人とも言うべき存在に進化できるのさ。わかるかい? 緋勇龍麻くん…」

 その時、龍麻の中で、何かがもごりと蠢いた。

 意識と切り離された場所で、何かが叫んでいる。この男は危険だ! 早くガンを撃て! 殺せ! と。

「その《力》があれば、犯罪や戦争をなくすことができる。君たちが苦労して護っている東京も、もうこれ以上、君たちが傷つく事はなくなる。ククク…どうだい? 僕と手を組まないか? そして人類の新たな未来を築こうじゃないか…」

 引き金を引いたのは果たして、彼自身の意志であったろうか? 銃声が轟き、死蝋の頭が吹き飛んだ。

 首なしの白衣姿が壁に叩きつけられ、ずるりと床に崩れるのを見ながら、龍麻は口の中に苦い唾を、背中に生ぬるい汗を感じていた。記憶の片隅に鎮座している、靄のかかった領域。――否、《人として》生きるべく封印した記憶。そこには、死蝋の言葉に触発される何かがあった。その発現が恐ろしく、龍麻の指は引き金を引いたのだった。

 しかし――

「無理するなよ。君たちだけでこの東京を護れると思っているのかい。自分の《力》だけで他の人間まで護れると思っているのは、君の自己満足だよ。そのエゴのために君の仲間が命を落とす事もあり得る。その時、君はその罪を購う事はできるのかい?」

「黙れ!」

 彼らしからぬ事に、龍麻は怒りと共に新たに現れた死蝋を射殺した。

「…無駄だよ。それにしても…ククク…本当にそう信じているのかい? 若いな、君は」

「貴様の戯言にいつまでも付き合っている暇はない」

 残弾はあと2発。しかし龍麻は撃鉄ハンマー起こコックし、故意に殺気を解放して死蝋を威圧した。東京に来て僅か数ヶ月。その間に起こった事件と旧校舎での実戦訓練で、彼の《力》は以前とは桁違いに強力になっている。だが強力すぎる故、あえて使わないそれを今、龍麻は解放した。

「下らん見世物はやめにして出てくるがいい、死蝋影司。今なら即座に殲滅してやる」

 龍麻の全身が青白いオーラに包まれ、空気がビリビリと振動する。どんな人間でも決して無視を貫けまい、本物の殺気。これにはさすがの死蝋も青ざめた。しかし同時に、死体を切り刻み、死者を甦らせる狂科学者の目は、初めて目の当たりにする圧倒的な《力》を前に感動に打ち震えていた。

「素晴らしい。まったくもって素晴らしい《力》だ。これほどの《力》があれば僕の研究は完全なものとなる。――感謝しているよ、紗夜」

「――ッッ!」

 機械の陰から、おずおずと姿を現したのは比良坂紗夜であった。しかし、予想できていた龍麻はそれだけでは驚かない。あの写真から、この死蝋影司が彼女の兄弟もしくは親類である事は判っていた。龍麻が動揺したのは、今の自分の姿を紗夜に見られたからであった。

「龍麻…さん…!」

 引きつった声を搾り出したのは、恐怖の相を浮かべた紗夜。そして言葉以上に雄弁にものを語るその目――。それははっきりと龍麻を《人殺し!》と称していた。――かつて、数限りなく浴びせられた視線。当時は何も影響のなかったそれが、今の龍麻には…

 戦闘中にあって、それはあまりにも致命的な隙。《勘》が《危険》を告げてから肉体が反応するまでコンマ三秒ほど遅れた。その瞬間、龍麻の全身を強烈なショックが襲った。

「ぐがっ!!」

 全身がバシン! と跳ね上がり、手から転げ落ちたパイソンが暴発する。床に水をぶちまけたのはこの為だったのか、死蝋が操作しているのは床に自然に垂れた電線に電流を流すレバーであった。電線の先端は水溜りに触れ、元は工業用の強烈な電流を龍麻に流したのだ。

「グウウウウッッッ!!」

 龍麻の両膝が床を叩き、髪の毛が逆立ってスパークした。その時紗夜の目が驚きに見開かれたのは、初めて龍麻の素顔を目にしたからであった。

「ククク…! 素晴らしい! 常人を遥かに超える耐久力だ!」

 歯を食いしばって耐える龍麻の姿に死蝋は感極まったように叫び、レバーの目盛を5万ボルトから一気に一〇万ボルトに上げた。

「ッッッッッッッッ!!!」

 落雷にも匹敵する一〇万ボルトの電撃! 龍麻の手指の爪が弾け飛び、浮き上がった血管から鮮血が吹き上がった。彼の目は反転し、口の中にさえスパークが飛び散った。

 そして、それからたっぷり十数秒後、電流が止まり、満身を朱に染めた龍麻は水溜りに長々と身体を横たえた。

「素晴らしいぞ…! 彼さえいれば、この世界を作り変えることができる! 愚かな人間どもは、僕の手で滅ぼしてやるのだ!」

 狂気に満ちた笑いが廃工場内に響き渡る。その時紗夜が小さく「ごめんなさい」と呟いたのだが、その声は当然、龍麻には届かなかった。





 第七話 恋唄 2    完



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