第六話 友 2





 
「せやっ!」

 思い切って打ち込んだ正拳が伸び切る前に、前髪で目元の見えない龍麻の顔が目の前に大映しになり、空手部員が息を呑んだ瞬間、彼の右腕はくにゃりと力を失って垂れ下がった。カウンターで放たれた龍麻の《掌打》が手刀に近い形で肩口を襲い、肩間接を外したのだ。

「ぐうっ!」

 痛みはまったくないのだが、とてつもない恐怖に屈して後方に飛ぶ空手部員。しかし龍麻は一瞬たりとも離れない。するりと伸びる二撃目の《掌打》。顎先をかすめるように打ち抜いたそれは、空手部員を心地良い眠りに誘った。

 垂直に崩れ落ち、正座するような姿勢で失神した空手部員に復息法を施し、間接を填め直して、脇に下がれと命じる龍麻。これで実に、十人の部員が倒されていた。

「遠間からの不用意な攻撃は簡単に読まれる。脇を締めて予備動作を小さく、時にはフェイントを駆使しろ。――次!」

 鋭く鞭打つような龍麻の声に、十一人目の部員がぴょんと跳ね上がるような勢いで立ち上がる。未だ誰も怪我をしていないし、龍麻が充分手加減している事も判るのだが、既に紫暮以外の部員たちは龍麻の底知れぬ強さに呑まれてしまっていた。

「あちゃあ、完全にビビッてるぜ」

「鎧扇寺学園空手部と言えば都内どころか全国でもトップクラスの実力派だぞ。決して彼らが弱い訳ではないが、格が違いすぎるな」

「ひーちゃん、すっごーい」

 今回、鬼軍曹モードの餌食にされなかった真神の四人は、道場の壁に寄りかかりながら、そんな呑気な会話をしていた。彼らが心配していたのは龍麻の怪我ではなく、相手方の怪我であったが、龍麻は宣言通りいまだ一人の怪我人も出していない。間接外しも、かつてやったような苦痛を伴う技は使っていない。そればかりか、一人一人の欠点を指摘し、改善ポイントまで示唆している。確かにこれは《試合》ではなく《指導》であった。

「せりゃあっっ!!」

 十一人目は空手部の副将であった。龍麻のこれまでの闘いから、小細工などまったく効かぬと悟った彼はフットワークを使って持てる技の限りを尽くした猛ラッシュをかけた。左右の正拳突きから下段の廻し蹴り、中段の前蹴り…。隙の大きな高い蹴りや、腕の伸び切るリードパンチは使わない。敢えて流派名を上げるとすれば剛柔流空手に属する接近戦型の組み手である。《一撃必殺》よりは《連撃必倒》を念頭に置いた攻撃である。

 しかし、あからさまな殺人術である戦場格闘技に、徒手空拳《陽》の古武術をも加えた龍麻の格闘術の前には、スポーツの世界でしか磨かれていないそれは通用しなかった。龍麻の《捌き》は相手の攻撃を受け止めたり受け流したりするのではなく、攻撃に使う筋肉の連動部分に打撃を加え、攻撃そのものを無力化してしまうものだ。腰の入った正拳突きを繰り出そうとすれば出足を払われ、蹴りを繰り出そうとすれば軸足の膝裏を蹴られる。技の不発が副将を焦らせ、呼吸が乱れた瞬間、龍麻の《掌打》が副将の胸板の中心、壇中を突く。ガハッと息を吐き出し、副将はその場に崩れ落ちた。

「なかなか良い動きだ。しかし無駄なフェイントが多すぎる。命中精度を上げる事を心掛けろ。次は――お前か」

 最後に残ったのは紫暮である。彼は山が動くかのように立ち上がった。

 向かい合うと、一八〇センチを越える龍麻でも顔を上げねば視線が合わない巨漢である。醍醐よりもわずかに上背があり、筋肉の組成は速筋の方が発達しているようだ。この巨体をして、スピードはかなりのものだろう。さすがに対紫暮戦だけは、真神の四人も目が離せない。

「…行くぞ」

 むしろ静かな紫暮の声音。しかし彼は拳を握った両腕を眼前で交差させ、体側に下ろしつつ凄まじい呼気を放った。

「コオオオオオオォォッッ……!!」

 空気がびりびりと震え、紫暮の筋肉が太く厚く盛り上がる。《息吹き》と呼ばれる空手の呼吸法であった。スポーツ生理学で言う所のバンプアップ…筋肉に流入する血液量を増やしてサイズと耐久度を上げると同時に、アドレナリンの分泌をも促す空手の奥義である。

「主将が本気になったぞ…!」

 道場の隅で正座する空手部員たちも、思わず腰を浮かせて身を乗り出す。彼らにしても、紫暮の本気を見る事は少ないのであろう。自分たちがあっさり倒されたとしても、紫暮までがそうなるとは考えていない。彼の一挙手一投足を見逃すまいと集中する。

「来い」

 短く告げた龍麻の声が合図。

「かあっ!!」

 様子見も小細工もない、真っ向正面からの正拳中段突き。技そのものは基本中の基本だが、紫暮のそれは練度において他の部員とはかけ離れていた。さすがの龍麻もカウンターが取れない。

「ぬん!」

 密着する事に失敗した龍麻に、紫暮の膝が唸り飛び、すんでの所で回避すると膝から先が跳ね上がって前蹴りになって伸びた。強靭な足腰に物を言わせ、上半身のみ大きく仰け反らせつつ、前蹴りをかわした龍麻は身体全体をねじり込むようにして紫暮に肘を打ち込もうとする。だが前蹴りをさらに高々と跳ね上げていた紫暮は足先で中空に弧を描き、踵落しに技を連動させた。龍麻は間一髪で横っ飛びし、紫暮から間合いを取った。

 おお! と感嘆の声が上がる。ほんの一瞬の間に攻撃と防御の高等テクニックが入り乱れたのである。そして互いに打たれず、打たせなかった。

「…やるな」

「見事…!」

 紫暮は拳を握らず、右手を顔前より上に、左手を腰より下に構えた。世界に門下生一〇〇万人と言われる実戦空手流派の総帥が得意とした、天地上下の構えである。およそ実戦的とは言い難い大仰な構えであるが、その実相手からは全ての攻撃部位が最も遠いという攻防一体の構えである。

「…凄いな。奴、相当やるぞ」

「ああ。あんなの、餓鬼の頃に見たっきりだぜ」

 醍醐と京一はなにやら頷き合うが、小蒔も葵もさっぱり解らない。そんな二人に、醍醐は紫暮の指を見るように言う。

「…指が全部、第一間接だけ曲がっているだろう? あれは、拳を徹底的に鍛え上げている証拠なんだ。昔のプロレスラーにザ・グレート・カブキという選手がいて、相手選手にあの構えを見せたら、すくんで動けなくなってしまったという逸話が残っている」

「そうなんだ…」

 小蒔は呟き、龍麻に視線を戻した。

 対する龍麻は、両手をだらりと下げた無構え。そして何と、彼はそのままするすると紫暮に近づいていく。

「主将相手にノーガード!?」

「そんな! いくらなんでも…!」

 これが失笑や野次でなかったのは、やはり自分たちが手玉に取られた事もあり、同時に龍麻に対する認識を改めたためであろう。しかし実直すぎるかも知れぬ彼らでも、龍麻の行為は紫暮を侮りすぎていると見えた。しかし…

(ぬうっ…! この男…!)

 実際に相対している紫暮は、龍麻のそれが見栄やハッタリだけのノーガードでない事を見抜いて戦慄した。

 無構え…。つまり、何をしてくるかまったく予測不可能なのだ。しかも正中線…身体の軸にまったくブレがなく、どんな動きにも移行できる安定を保っている。その状態から、無造作に間合いへと入ってくるのだ。

 一メートル…既に間合いだが、まだ遠い。九〇センチ…まだまだ…。八〇センチ…七五センチ…七〇センチ…これ以上は危険だ。あと…二センチ近付けば…!

「シッ!!」

 打撃系格闘技最速の、ボクシングの左ジャブにも匹敵する、右正拳構えから打ち出す左直突き! 牽制の意味もあるが、それだけでも充分必倒の一撃だ。それをかわして入り身になってくるであろう、ゼロコンマ後の龍麻の未来像に向けて必殺の右正拳を――!!

 以降は、思考の追随する闘いではなかった。

(スカされた!?)

 左直突きも右正拳も上半身のダッキングとウィービングで躱し切り、下半身は古武道の歩法で密着する龍麻。



 拳!? 肘!? 当たれば――敗北――否――死! ――間合いを!



 紫暮は大きく後方に飛び下がる。



 ――離れない!? 



 紫暮が下がった分だけ追随する龍麻。そこから攻撃を――



 前蹴り!? 右!? 左!? ――真ん中!! かわせない!! 防御を――ッ!!



 下方から水月に真っ直ぐ蹴り込んでくる龍麻の前蹴りを下段十字受けする紫暮。一〇〇キロを越える巨体がぐらつく。だが――



 ――ッ二段蹴りッ!? 



 背筋をゾクリと駆け抜ける戦慄! 受け止めた足とは逆の蹴り足が顎めがけて吹っ飛んでくるのを、紫暮は勢い良く身を仰け反らせ、その巨体でとんぼを切って辛くもかわした。



 帯を踏み台に!? ――左へ!



 正中線を龍麻に晒さぬために着地と同時に回り込もうとする紫暮。しかし龍麻もまた、右に跳んでいた。



 同時!? 偶然!? 否! なんという反応力!!



 ――足を止める!!



 紫暮の右下段回し蹴り! 龍麻は宙へと逃れた。



 ――勝機!!



「せりゃあっ!!」

 空中では防御不可能! 紫暮の左上段回し蹴りが龍麻のこめかみを――!

「ッッ!!?」

 紫暮の蹴り足が空中で龍麻の蹴り足と激突する。それも防御ではなく、攻撃の蹴り足だ。しかも蹴り足が噛み合った刹那、龍麻の膝が紫暮の脚を絡めるように挟み込み――

(しまっ…!!)

 軸足が地に接している紫暮を足場にした龍麻の二段蹴りが、紫暮の胸板に向かって吸い込まれ、巨体を大きく弾き飛ばした。そんな有り得ない方向からの攻撃に十字受けを間に合わせた紫暮を称えるべきか、空中という不安定な姿勢から強靭な十字受けごと一〇〇キロを越える巨体を弾き飛ばした龍麻を称えるべきか。

「――まだまだァッ!!」

 力に逆らわず弾け飛んだ分、立ち直るのは紫暮の方が早かった。着地したての龍麻に向かって猛然と突進し、そして――

「せりゃァァァッッ!!」

「――ッッ!!」

 この巨体をして、飛び技!? 伝統派空手の紫暮からは想像もできなかった凄絶無比な浴びせ蹴りが龍麻に襲いかかった。乾坤一擲! これを外したら後がないことを承知の上で、一撃必殺の大技を――!!

「破ァァァァァッッ!!」

 同時に龍麻も技を繰り出す。腰を落とし、左足首から始まる全身の捻りを右足の踏み込みと共に繰り出す掌に、大地から螺旋を描いて駆け上る《気》を乗せて叩き込む。

 技の交錯が轟音を呼び、龍麻は数十センチ床を滑って踏み止まり、紫暮は数メートル以上吹き飛ばされて道場の壁に叩き付けられた。

「しょ、勝負ありだ!!」

 余りに凄まじい勝負の決着に、醍醐は声を嗄らせつつ怒鳴った。





「主将!」

「主将ォ!」

「主将ォォッ!!」

 大の字で横たわる鎧扇寺学園空手部最強の男の周囲に、悲痛な面持ちの部員が集まる。彼らには紫暮が倒れている事も、彼の大技《華厳踵けごんしょう》が真っ向から跳ね返された事も信じられなかった。真神学園の緋勇龍麻。《魔人学園》の名を冠するに相応しい男であった。

「…なんだお前たち。情けない顔をするな…」

 よっと掛け声を上げて、紫暮は半身を起こした。まだ立ち上がる事はできそうもないが、意識ははっきりしているし、身体に痛みもない。

「…なるほど。あれほど凄まじい技でもちゃんと手加減されていたという事か…」

 敗北…。その二文字の意味を、紫暮はこれまで知らなかった。実家が代々続く空手道場であり、そこの三男坊として生まれた彼は、とてつもなく強い父と兄二人に徹底的にしごかれ、肉体と精神を鍛え抜く日々を送ってきた。常に切磋琢磨し、勝負とは真剣勝負を心がけている彼らには、勝負に臨む際には親子や兄弟の情を交えない。しかし勝負を離れれば、尊敬する父であり、兄たちである。兄弟の中では一番体格に恵まれた彼は、未だに父や兄たちには及ばないが、それは《敗北》を意識させるものではなかった。彼らから三本に一本は取れるようになってからは、特に《敗北》を意識しなくなった。同年代の高校生はおろか、大人たちの中でさえ、紫暮と渡り合えるほどの猛者は滅多にいなかったのである。

 しかし今、紫暮は《敗北》を知った。それは決して悪い気分ではなかった。全力を出し尽くした充実感と、兄たちが自分の道を歩み始め、己に匹敵する強敵がいないために強さに行き詰まっていた彼に、まだ強さに先がある事を教えてくれたのがこの緋勇龍麻であった。紫暮はまた、新たな目標のスタートラインに立てたのであった。

「何と言うか…凄いとしか言いようのない技だな。――はははッ、これでは無実を証明するどころではないな」

 この闘いの後でこうも笑えるとは…。真神の四人は紫暮に対する印象が《立派な武道家》にきっちりと固まった。特に醍醐などは、結果的に負けたとは言え龍麻の《龍星脚》を二発も凌ぎきり、《掌底・発剄》まで使わせた紫暮に対して感嘆を抱いた。いずれ自分も、この男と闘ってみたいと。

「無実云々は既に解決している。それよりも、盗めたか?」

「……!」

「こちらの醍醐も《掌底・発剄》を習得している。お前にも出来る筈だ。近接間合いの技に素晴らしいものがあるお前が習得するのは、空恐ろしい気もするがな」

 龍麻は剥き出しの肩を押さえたまま言った。ぎりぎりでかわしたため肉体のダメージはほとんどないものの、紫暮の《華厳踵》は龍麻の制服の肩口を衝撃波だけで吹き飛ばしてしまったのである。直撃すれば即死ものだったと、龍麻は付け加えた。

「だがお前は空手家だ。自分流のアレンジを忘れるな。おそらくお前の隠し玉にも役立つ筈だ。そうでなければ、制服一枚駄目にした甲斐がない」

 この男は気付いている! 紫暮は本日何度目かになる驚愕をした。

 今の闘いの際、使うかどうか迷ったあの《力》。この緋勇龍麻という男は、いまだ不完全な《力》の事まで見切ったというのか!? 

「ただし、武装した相手には構わんが試合や一般人相手にはなるべく使うな。では鎧扇寺空手部の諸君。さらばだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 少し慌てて紫暮は龍麻を呼び止めた。

「何だよ、もう良いだろ?」

 既に疑う余地のなくなった鎧扇寺に対して、京一はすっかり興味を無くしている。

「いや、もちろん勝負の事ではない。しかし俺にも聞きたい事が出来てしまった。少し、話を聞かせてはもらえまいか?」

 床に正座し、座礼をする紫暮。その礼儀正しさに、龍麻も足を止める。

「うむ。紫暮、あんたは立派な武道家だな。…俺たちは少々礼を欠いていたかも知れん。なあ龍麻、もう少し彼と話したいと思うのだが?」

「オタク的会話でなければ、許可する」

 既に鬼軍曹モードが解除され、龍麻はさらりと酷い事を言う。

「はははッ、確かにわざとらしく待っていて挑発したのは、真神の醍醐という男と一度手合わせしてみたいと思ったからだ。しかしまた、真神には凄い男がいたものだな。今まで噂にも聞いた事がなかったが」

「龍麻は三年になってから来た転校生だからな」

 特に注目すべき点はなさそうな何気ない言葉に、紫暮が少し眉根を寄せた。

「真神にも転校生が?」

「何だよ? 転校生なんて別に珍しくもねえだろ?」

 京一が口を挟むが、紫暮は腕組みしたまま言う。

「確かに珍しくないかも知れんが、今年に限って転校生の噂は良く耳にする。…妙な言い方だが、もしかすると、この東京で何かが変わり始めているのかも知れん。何かに…呼ばれているというような」

 そこまで言った所で、何事か決心した様子の紫暮は、他の部員たちに医務室に寄ってから帰宅するように告げる。

「そんな、主将。緋勇さんは我々に充分手加減してくれました。主将のお体こそ心配です」

 龍麻は既にさん付けである。京一がニヤニヤしながら彼を肘で小突いたが、ゴツンと一発鉄槌を食らわす龍麻であった。

「それは俺も同じだ。…俺はもう少し彼らと話がある」

 部員たちはまだ気にかかる様子であったが、紫暮の真剣な表情に何を見たのか、真神の五人に対しても空手式の礼をして道場を去っていった。

「良い部員たちだな。部と空手を心から愛している上に礼儀正しいし、精神性も高い。主将の教えが良いんだな」

「はははッ、誉めても何も出んぞ」

 そうは言いつつも、満更ではない紫暮であった。しかしひとしきり笑った彼は、居住まいを正して表情を引き締めた。この実直な男が人払いまでしたのだ。さぞ重要な事に違いないと、龍麻は例外として真神の四人も気を引き締めた。

「聞きたい事というのは他でもない。何と言うか…こういう事を聞ける人間が周囲にはいなくてな。…先ほどの闘いの中で見せてもらった緋勇の技だが…あれはいわゆる武道の技とはかけ離れたものと見たが、あれは、修行して身に付けたものだろうか?」

「…質問の意味が不明瞭だな。心配は要らん。我々は世間の常識外の所にいる。遠慮せずに言って構わん」

「そうか、ありがたい。どうも俺は口が下手でな。――つまり、お前たちにはいわゆる常人にはない気配と言うか、《力》を感じる。緋勇や醍醐、蓬莱寺などは修行の過程で身に付けた力だとも思ったのだが、そちらの女生徒は、失礼ながらそうは見えない。その《力》をお前たちはいつ、どのようにして身に付けたのだろうか?」

「それは、我々にも判らん」

 京一たちは当事者として紫暮に話して良いものか迷ったのだが、龍麻は実にあっさりと秘密を話した。

「人間という《種》全体に現れた能力ではない以上、何らかの素質か条件が重なって発現した能力と言える。その性質も様々だ」

 龍麻は報告書を読み上げるように澱みなく、4月から今日までに発生した事件と、それに関わった能力者に付いて語った。その内容には明らかに法律に触れるような事もあったのだが、ハラハラする京一たちを差し置いて、今回の事件もそのような《力あるもの》が関わっている可能性が高いと締めくくった。

 紫暮は、並の人間ならば常識を疑うばかりの話に深々と肯き、しばし考え込んだ。

「なるほど…もし鎧扇寺が襲われていれば、ウチでも真神を疑ったかも知れん。犯人としては、先に襲うのは真神でもウチでも良かったという事だな。俺たちを戦わせるためには」

「肯定だ。犯人の目的は我々もしくはお前の弱体化であろう」

 何事か納得し合っている龍麻と紫暮に、小蒔が控えめに割って入る。

「ねえ、一体何の話? ボクたちと紫暮クンを闘わせるためだったなんて、ちょっと話が飛躍しすぎてないかな?」

「小蒔の言う通りだぜ。そんなできすぎた話、犯人が思うように運ぶ訳ないじゃねえか」

 否定的な意見の小蒔と京一をちら、と見た龍麻は、ふう、と小さくため息を付いた。

「あー! なんか今、ひーちゃんってば凄くボクたちのコト馬鹿にしたでしょッ!?」

 表情の読みにくい龍麻ではあるが、彼が転校してきてからずっといる仲間である。そのくらいは小蒔にも判るようになっているのだ。

「落ち着け、桜井。確かに推理としては飛躍しているように見えるが、現に俺たちはここにいる。龍麻の推理がなければ、俺たちは紫暮を始め、ここの空手部と争いになっていただろう」

「つまりそれが、出掛けに龍麻が言っていた《躍らされる》の意味だったのね? 犯人は私たちの事を良く知っている人で、私たちがここに来る事を確信していると。それでは《証拠が道標》というのは…」

 龍麻は真神の一同を見回し、それから紫暮を見据えて言った。

「空手大会絡みならば、参加校全てが怪しい。だからこそ犯人は我々を鎧扇寺に導く必要があった。なぜここなのかも既に判った。紫暮、お前の《力》を見せてみろ」

 ええ!? と京一たちが驚く中、紫暮は重々しく肯き、立ち上がった。

「破ァァァァァッ!!」

 先程と同じ、裂帛の気合が紫暮の口から迸る。だが先程とは異なり、紫暮の身体が既に見慣れた青白い《気》…オーラに包まれる。

 次の瞬間、紫暮の肉体が二つに分裂した。

「なっ…!」

「ウソッ!」

 龍麻を除いた四人が絶句して、二人になった紫暮を凝視した。

 何も知らない者がこれを見たら、そっくりな双子かと見紛うところだ。しかし紫暮は彼らの目の前で、比喩でもなんでもなく二人になってしまったのだ。

「ほう。二重存在(ドッペルゲンガー)か」

 ただ一人、感心したように肯く龍麻。京一と小蒔が「何でそんなに落ち着いているんだよ(のさ)!」と突っ込むが、目の前で一人の人間が二人に分裂するという奇跡も、彼には別に驚くほどのものではないらしい。

「そう言うらしいな。…しかし緋勇、お前は驚いていないようだが、他にもこんな現象を見た事があるのか?」

「ゴビ砂漠奥地の遺跡でな。ナイフ使いの暗殺者アサシンだったが、そいつのために一晩で三十名の将兵が殺られた。片方だけを殺しても意味がないので始末するのは苦労したな」

 しみじみと述懐する龍麻に注がれる奇異の視線。また、やってしまった。

「…忘れてくれ。ところで、その能力が発現したのはいつ頃だ?」

「そ、そうだな…。三年に上がってすぐの頃だ。始めは眠っている内だけだったのだが、今では好きな時に出せるようになった」

「やはり…俺たちと同じ頃だな」

 醍醐の言葉に、龍麻が頷く。

「犯人も異能力者だ。そしてそいつの目的のためには、同種の《力》を持つ我々が障害となると判断したのだろう。そう考えれば一通りの辻褄が合う。但し動機も、目的も未だに不明だ。分析しようにも情報が少なすぎる」

 真神の空手部襲撃が龍麻の推理通りならば、では犯人は誰だろうか? 一同の《力》の事を知っていて、なおかつ真神の五人がどう動くか予測しうる人物。そして恐らく一同に、もしくは一同の内誰かに恨みを持つ人物…。

 龍麻と京一はそれほどでもないが、深刻に考えてしまう醍醐たちに、一人に戻った紫暮が告げた。

「もう少し良いだろうか? さっき《時間がない》と言っていたが、あれはどういう意味なのだ?」

「それは…被害に遭った人たちは石に変えられつつあるんです。病院の先生がおっしゃるには、犯人を見つけ出して《力》の使用を止めさせるしか完治する方法はないと…」

「なるほど…深刻な事態だな。それに俺も狙われたとなると、無関係を決め込む訳にはいかん。俺に出来る事があれば喜んで協力するぞ」

「それは願ってもない事だが…大会が近いのではないか?」

 醍醐が遠慮がちに言うと、紫暮は豪快に笑った。

「なあに。ライバルのいない大会なぞ張り合いがない。それに俺としても、お前たちの強さの方に興味がある。お前たちは真の意味で実戦を潜り抜けてきたのだろう。俺も武道に携わる者だ。《武》が暴力を止める力であるならば、俺もそうある事を目指す」

 紫暮の口調には真剣さが溢れ、迷いはない。京一たちは龍麻を見た。この判断は指揮官である龍麻に委ねられている。

「一つ聞いておこう。先程俺と闘った時に二重存在を使わなかったのはなぜだ?」

 それは自分たちも聞きたいと、醍醐や小蒔が口を揃える。《力》を封印した状態でも、龍麻と良い勝負をしてのけた紫暮である。そんな彼が不意打ちで二重存在を駆使すれば、龍麻とて苦戦は免れず、あるいは倒されていたかもしれない。

「うむ。我ながら情けないとは思うのだが、やはりこのような《力》を持った事に不安を覚えてな。部員たちに見られたくなかったのが一つ。そして、己の身の潔白を証明するには、正々堂々と己自身の力のみで闘わねばならんと思ったのだ。そして最後に、正直な所、実戦で使用した事はないのだ」

 その時紫暮は、龍麻の口元が薄い笑いを刻むのを見た。

 葵と小蒔がそれに気付いてぽうっと彼に見蕩れる。龍麻が極めて希に見せる、戦士の笑いだった。

「基本的に無報酬だぞ」

 と、龍麻はお決まりの台詞を口にした。

「まあ、お前はそんな事に頓着しないだろうがな。歓迎するぞ、紫暮兵庫」

「うむ。よろしく頼む」

 紫暮は正座し、座礼をする。龍麻は正座が苦手なので、立ったまま肯いた後、紫暮を立ち上がらせて、そのごつく大きな手を固く握り締めた。戦闘家であると同時に銃使いガンスリンガーである龍麻が利き手を預ける。これ以上の信頼の証はない。

「我々が和解したとなれば犯人は作戦を変えてくるかも知れん。何事か不審な点があればすぐに知らせろ。どんな僅かな手がかりでも、そこから犯人像を構築できる。では紫暮、今日の所はこれで失礼する」

 大きく肯き、紫暮は校門まで見送ると言って龍麻たちと共に歩き出した。真神の生徒が来たという事は知れ渡っているだろうから、その注意のためである。

 見れば帰るように言った筈の空手部員と、その他何人かの生徒たちが校門の所に固まっている。ライバル校の常で、一般生徒にも対抗意識が働くのだろうと思った京一たちはやや警戒したのだが、しかし龍麻にしてやられた空手部員たちはきりっと居住まいを正して整列した。

「――真神の皆さん。お気を付けて。オス!」

 ある意味、それは凄い光景であったろう。どう見てもただの他校の生徒を見送るのに、五十人ほどの鎧扇寺の生徒が校門にずらりと整列したのである。何事かと見に来た教師も、京一たちも呆気に取られたが、龍麻だけはいささかも動じず、紫暮も豪快に笑った。

「はははッ、鎧扇寺とはこういう所だ。良かったらまたいつでも来てくれ」

 このような徹底的な体育会系のノリにも、そのオリジナルである軍隊に所属していた龍麻には馴れたものであった。整列した生徒たちの間を堂々と歩み行く龍麻の後ろに、いささか居心地が悪そうな京一と醍醐が続き、やたらと会釈しながら歩く葵、右手と右足が同時に出ている小蒔が続く。

 校門を抜けた所で、龍麻は振り返り、ぴしりと敬礼した。

「盛大な見送り、感謝する。では、ごきげんよう」

 五人が立ち去ろうとしたその時であった。空手部員の一人があっと叫び、紫暮に耳打ちした。すると紫暮が何事か肯き、一同に近づいてきた。

「何かあったのか?」

「うむ。この件とは直接関係があるかどうか分からんが、近頃この辺りで見掛けられていた不審人物が、先ほども近所に現れたらしい」

「不審人物?」

「さっきまでは気にもしていなかったので忘れていたのだがな。――年齢は俺たちと同じくらい。スキンヘッドで、顔にペイントをしているらしい。そして左腕には大きな刺青があるそうだ」

 京一、葵、小蒔の視線がなんとなく龍麻の方を向く。彼の左腕にも特殊部隊レッドキャップスのエンブレムが刺青されているが…。

「左腕に…刺青…?」

「…誰か心当たりでもあるのか、醍醐?」

「い、いや…」

 相変わらず、腹芸の下手な男だ。醍醐の顔は無理に平静を取り繕うとするので、却って引き攣っているように見える。当然、心当たりがあると喧伝しているようなものだ。

 しかし、思いの外深刻な様子を見抜いた龍麻は、敢えてその事に触れなかった。





 ――あれは、いつの事だったか。

 覚えているのは、夕闇と街灯の中で白々と舞う雪。そして、酷く暗い目をした、憔悴しきった坊主頭の少年の面影。

《どうしてもやるってェのか》

《ああ、俺にはこれしか思い付かない…》

《なんでだ…? なんでなんだよっ! お前だけは解ってくれると思っていたのに…!》

 無神経にがなりたてるパトカーのサイレンと、目障りに輝く回転灯の赤。

《信じていたのに…醍醐、お前だけは…俺を裏切らないと…》

《すまない…俺は…俺は――ッ!》





 ビシイッ――!

「うおッ!?」

 突然眉間に打撃が弾け、醍醐は思わず仰け反った。

「ふん。目が覚めたか」

 思わず背筋に冷水が走り抜ける。龍麻の、不機嫌な声である。今の一撃は、彼によるデコピンであった。

「ッたく。醍醐ォ、お前さっきの話を聞いてからちょっとヘンだぜ」

「ホントだよッ。もし何か悩んでるなら、ボクたちにも相談してよ」

「そうね。何か力になれるかもしれないし」

 仲間たちに次々に言われ、たじたじとなる醍醐。どうやら彼らの話をまったく聞いていなかったらしい。

「お前には苦労性の傾向が見られる。悩みを一人で抱え込むな」

 人一倍洞察力に優れ、プロファイリングを得意とする龍麻には隠し事など一切通じないようだ。しかし醍醐は、

「…すまんな皆。心配かけて。俺なら大丈夫だ。それより帰りに桜ヶ丘に寄っていかないか?」

「……」

 龍麻以下、全員が沈黙したのを見て、醍醐は青くなった。

「…だから今、そういう話をしてたんじゃねェか…」

「どうしちゃったのさ、醍醐クン。話をぜんぜん聞いてなかったんじゃないか」

「醍醐君…」

「…ちょうど良い。そのままここに入院して精密検査を受けろ」

 彼にとって一番きつい言葉を投げかけたのは、やはり龍麻であった。しかも醍醐はここまで来てやっと気付いた。そこは既に、桜ヶ丘の正門前だったのだ。

「い、いや、龍麻、俺は…!」

 顔中に脂汗を流し、醍醐が必死の弁明をしようとした時であった。

「あっ、緋勇さん」

 可憐だが、儚げな声が醍醐の後ろから聞こえてきて、皆の注意がそちらに向いた。

「おッ、たしか、比良坂紗夜ちゃんだったね」

 呼びかけられた龍麻よりも、京一の方が反応が早い。

「あ、はい、どうもです。またお会いできて嬉しいです。お元気でしたか?」

 病院の前で、しかも産婦人科の前にぞろぞろといる高校生の男女に向かって、余り適当な質問とは言えまい。しかしとりあえず龍麻はその点に付いては触れることなく肯いた。

「肯定だ。そちらは?」

「はい。元気です」

「俺もバッチリ元気だぜ。ところで紗夜ちゃんは、またこの病院に用かい?」

 朴念仁の龍麻でさえ、敢えて触れなかった事を堂々と聞く京一。比良坂は声を小さくして「友達が…」と返事をする。その《友達》が産婦人科に用があるというのもいささか危険な話なので、やはり龍麻はその点に触れる事はなかった。

 比良坂の出現は、醍醐にとって渡りに船だったろう。葵と小蒔も一緒になってこの子誰? と聞いてきた。

「うむ。渋谷で遭遇して以来、三回目の遭遇だな。世間とは広いようで狭いものだ」

 聞きようによっては何やら不穏な響きのある言葉だが、それも龍麻らしいといえば言えるので、醍醐も小蒔も笑って自己紹介をしたのだが、葵だけは何か感じたのか、僅かに微笑が固くなった。それがなんであるのか、本人でさえも気付かなかったのだが。

「この近辺では見ない制服だが、家はこの辺りなのか?」

 お! と京一が声を上げ、全員が龍麻を見る。《あの》龍麻が女の子に住所を聞いている!? 

「いいえ。品川の方です。品川の桜塚高校の二年生なんです」

「なるほど」

 龍麻の返事には、いくつかの意味が含まれていた。一つは単純な納得。もう一つは、年下であった事の確認。そしてもう一つ、品川からわざわざ桜ヶ丘まで足を運ぶ理由。それはやはり友達が産婦人科に…以下略。

「あ、すみません。もう行かないと」

 比良坂は時計を見ると、少し焦ったようにぴょこんとお辞儀をした。

「また会えると良いですね。それでは、さようなら」

「…グッドラック」

 足早に去っていく比良坂の背を数秒見つめていた龍麻であったが、すぐに身を翻して病院のロビーに向かって歩き始めた。

「紗夜ちゃん、可愛いな〜。…けどよ、何で《グッドラック》なんだ?」

 《グッドラック》…《幸運を》という意味だ。そんじょそこらの若者が使えばただの格好付けだが、元特殊部隊隊員である龍麻が使えば、それは《生き延びろ》という意味にも通じる。いかに龍麻とは言え、一介の女子高生相手にそんな挨拶を使用する筈はないと、なかなか鋭い京一の指摘であった。

「…なんとなくだ。さ、行くぞ」

 龍麻自身、なぜか陰性の強い比良坂の存在はどこか気にかかっていたのだが、彼女と会う時はいつも多忙な時なので、今は答えをはぐらかせた。発する《気》の性質が陰性だったからといって、いちいち関わる必要もないのだ。街を歩けば確実に陰性人間の方が多いのだから。ただ、比良坂のそれは特別陰性が強いのであるが…。

「…あれえ? また誰もいないね」

 例によって…と言うか、ロビーには人っ子一人いなかった。診察時間が終了しているせいもあるだろうが、ナースステーションにまで人気が感じられない。それでもとりあえず小蒔が声をかけると、奥の廊下の方からぱたぱたと足音が響いてきた。

「良かった、誰かいて。高見沢さんかな?」

「否定だ。足音が異なる」

 すると別の看護婦か? と、京一がチェックを入れようと待ち構えている所に、その看護婦が現れた。

「いらっしゃいませ〜」

「…………」

 一同、しばし絶句。

「急患ですか〜?」

「………」

「それとも診察ですか〜?」

 最初に脱力感から回復したのは小蒔であった。

「何してるのアン――」



 ――バチン!



 小蒔の言葉が終る前に、看護婦は小蒔の頬を両手で挟むようにはたく。

「おお、アッチョンブリケ」

(しいっ、黙って!)

 思い切り期待外れだった京一が呆れたように顔を出す。

「いい加減にしろよアン――」



 ――ズパン! ドウッ! ゲシゲシッ!



 最初は京一の頬にビンタが当たった音、次が京一が倒れた音、最後が、京一に看護婦の蹴りが入った音である。

(ちょっとアンタたち! あたしが苦労して潜り込んでいるのに邪魔する気ッ!?)

 看護婦は、眼鏡を外したアン子による変装であった。彼女はロビー中央から五人を物陰に押し込む。

「ヒドイよアン子ォ…!」

 両頬ともにリンゴのホッペとなった小蒔が涙目でアン子を睨む。

「今調査中だから、邪魔されたくないのよッ」

「潜入捜査(コントロールド・デリバリー)か? ――それで、小蒔にアッチョンブリケをかまし、京一をKOするだけの情報は仕入れたのか、アン子」

 ちなみに《アッチョンブリケ》とは龍麻が最近読んでいる偉大なる漫画家手塚治虫氏の著作《ブラックジャック》の中で造られた言葉である。

「うっ、それはまだ、残念ながら…」

 首を横に振ったアン子は、未だに被害者は面会謝絶中で、見舞いに来ても会う事は不可能だとも告げた。

「とりあえず勝負は今夜よ。病室に忍び込んで情報をゲットするわ。明日を楽しみにしててね。あ、もちろん、ただじゃないわよ?」

 それだけ言うと、京一の《危ねえぜ》という忠告も無視して、アン子はそそくさと廊下の奥へと消えていった。

「アン子ちゃん、大丈夫かしら?」

「…一〇〇パーセント、勘付かれて放り出されるだろう。さて、我々も引き上げるとしよう。急がんとアン子の共犯だと思われる」

 思いがけずアン子と遭遇した事で、この時龍麻は重大なミスを犯した。醍醐の様子がおかしい事、アン子の潜入が岩山にばれた時に自分たちに降りかかる災難の事、些少ではあるが、比良坂の事。その全てが干渉した結果であったが、龍麻は迂闊にも、自分たちが自ら敵の手のひらの上に乗った事を失念してしまったのである。





 翌朝、さすがにそろそろコートはまずいだろうと仲間たちに指摘を受けていた龍麻は、装備の選定に手間取り、いつもより遅く登校した。

「おはよう、龍麻。この時間に登校なんて、珍しいわね」

 始業前の喧騒の中、さらに喧燥を煽り立てるような事を葵が言う。ほとんどトレードマークになっていたコートを着ていなかった事で、龍麻にはクラスの視線が集まっていたのである。

「京一が遅刻しなかった場合、俺が一番遅いと思ったんだがな」

 うるせェよと毒づく京一を脇に、醍醐は早朝、桜ヶ丘に寄った事を告げた。被害者はやはり面会謝絶のままで、容体も徐々に悪化しているとの事である。

「一刻も早く犯人を捕まえんとな」

「問題ない。犯人の狙いが我々である以上、次の手を打ってくるだろう。警戒を怠るな。特に醍醐、何を考え込んでいるのか知らんが、今が心理戦闘中だという事を忘れるな」

「そうだぜ醍醐。そのでかい図体でウジウジされてたんじゃ暑苦しい事この上ないぜ」

「う、うむ…」

 近頃良い所なしの総番殿を、葵がさりげなくフォローする。

「醍醐君は、皆の事を心配してくれてるのよね? でも、もし何か悩んでいるようなら、私たちにも相談してね?」

「ありがとう美里。俺は大丈夫だ」

 龍麻はそこで、醍醐のフォローをする元気な声がない事に気付いた。

「…小蒔はどうした?」

「ん…? サボリじゃねえのか?」

 まったく緊張感のない京一とは裏腹に、龍麻の頬がぴくりと跳ねた。

「今日は生徒会の用事で早くに登校したから、私も知らないの」

「美里と一緒じゃないって事は、今ごろまだ呑気に寝てるんじゃねえか?」

 クックック、と勝手な事を言って笑っていると、アン子が教室に入ってきた。ただし、彼女は腰をさすっている。

「おはよッ、皆の衆。――って、桜井ちゃんはまだ来てないの? まあいいわ。昨日の一件は昨夜の内に桜井ちゃんから聞かせてもらってるから」

「…昨日は大変だったそうだな」

 珍しく、醍醐が笑いを堪えながら言う。それでも口調に労りがあるのは、真神の総番殿の良い所だろう。

「まったくよ。院長先生に変装がバレて、窓から放り出されたんだから。その時打ったお尻がまだ痛いわ。ホント、事件記者の道程は厳しいわあ」

「…あれでバレないと思う方が問題だが…」

「ン!? 何か言った、龍麻!?」

 対テロ特殊部隊隊員として、龍麻は潜入工作や諜報活動の訓練を受けている身だ。その彼の目から見れば、病院だから看護婦に変装する――という発想は幼稚極まりないのだが、それを言うと「じゃあアンタがやってよ」と言われそうなので「別に」と首を振った。

「でもあたしは諦めないわ。今度こそ情報を掴んでやるんだから」

「ンだよ? まだ懲りてねえのか? また放り出されるだけだろうによ」

「なによッ、あたしだって同じ手を使おうなんて考えてないわ。昔からペンは剣よりも強しと言うし、いくらあの院長でも急所を刺せば…」

「…良くて殺人未遂。悪ければ殺人罪だな」

 冷静過ぎるほど冷静な龍麻のツッコミに、それもそうねとアン子はあっさりと考えを改める。

「まあねえ、多少の収穫がなかった訳じゃないのよ。今回の事件と直接関係があるのかは分からないんだけど、何でも都内の病院で死んだ患者の遺体が盗まれる事件が頻発しているらしいのよ」

「死体を? そりゃまた不気味な話だな」

 わざとらしく、醍醐を横目で見ながら言う京一だったが、それも嫌悪感を隠すためのポーズだったらしい。葵などは露骨に青ざめている。

「死体か…まさかな…」

「何よ、龍麻は何か思い当たる事でもあるの?」

「いや、今回の事件とは関わりないと思ってな」

「だから、最初にそう言ったじゃない。…おっと、もう行かないと」

 始業のチャイムが鳴り、アン子は自分の教室に戻って行った。そして小蒔は現れず、代わりに入ってきたのは担任のマリアであった。

(………)

 龍麻が久しぶりに覚える、嫌な予感。こういう時、悪い予感というものは大抵当たるものだった。





 第六話 友 2    完



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