第伍話 夢妖 2





 
「嫌だァ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――ッ!」

 京一の往生際の悪さは知っているつもりであった醍醐も、病院前まで来てなお電信柱にしがみついてまで中に入る事を拒否する京一に、もはや呆れ顔を通り越して驚いていた。

「一体なんなんだ」

 最初こそソードオフすら突きつけて脅した龍麻だが、事ここに至って遂に脅しにも一歩も動かなくなった京一のかたくなさに、ようやく異常事態を認識し始めた。

「こ、ここは化け物の住処なんだ! 特にひーちゃん! お前が危ねえ!」

「何? 俺を制圧できる敵がいると言うのか?」

「そうだ! 絶対お前でもかなわねえ! 悪い事は言わねえ! 絶対に入るのは止めとけ!」

「むう…!」

 龍麻はこの季節に引っ掛けてきたコートの内側からウィンチェスターM73・ランダルカスタムを抜き、通常はコートの内側に仕込んでいる弾帯を肩からたすき掛けにした。ソードオフ用のショットシェルも十発分、胸ポケットに移し変える。――いつも思うことだが、龍麻はコートの下に一体どれほどの武器を仕込んでいるのだろう? 知りたいような、知りたくないような一同である。

「たとえどのような危険があろうと、葵をこのままにはしておけん。――行くぞ」

 ほとんどヤクザの殴りこみか、決死隊のような様相であるが、龍麻は強引に京一の襟首を掴み、ズルズルと引きずって病院内に乗り込んだ。

 ロビーに足を踏み入れるや、京一を前に向かって放り出し、自身はランダルカスタムを構えて素早く柱の陰に移動する龍麻。ヤクザの殴り込みが一転、まるで対テロリスト戦である。

「もう! 大げさだよ! 京一も、ひーちゃんも!」

「いや、油断は出来ん。この病院の敷地内に入ってから、何者か巨大な力の存在を感じる。いかんな…RPGが一〇発あっても物足りない気分だ…」

 RPG…ロシア製の対戦車ロケット砲の事である。アン子は龍麻の行動がすべて冗談だと思っているようだが、死線を幾度も潜り抜けてきたであろう龍麻が、対戦車ロケット砲を装備しても不安だと言い切ったのだ。

「この病院は一体なんなんだ? 裏密はここの事を知っていたようだが…」

「判らん…が、油断するな。どこの病院でも、これほど静まり返っているなどありえない。受付にすら人がいないのは、既に敵は配置を完了しているのだ。建物内の様子が判らない以上、どこから襲われるか判らんぞ」

 しかし、アン子が突然大声を張り上げた。

「すいませーん! 誰か、いませんかー!」

「なッ…!」

 わざわざこちらから敵に居場所を教えるとは!? 既に自分が何をしに来たのか忘れている龍麻であった。言い換えれば、それほどこの病院の雰囲気が、龍麻にとって脅威だったのだろう。

「は〜い」

 しかし、一同の緊張をよそに、奥の方からパタパタと足音が近付いてくる。

「ッッ!!」

 ランダルを腰溜めに構える龍麻。しかし、現れたのはピンクの色彩を散らした、いかにもぽややんぱややんとした看護婦(?)であった。

「いらっしゃいませ〜」

「………………………」

 一同、絶句。龍麻すら、ランダルの銃口が下がる。

「わあい、お友達がいっぱ〜い。舞子嬉しい〜」

「あ、あのねえ…!」

 親友を思う気持ちから、脱力感を辛うじて押しとどめた小蒔が反論しようとする。しかし看護婦は、

「わあっ、かわいい制服〜ッ。ねえねえ、どこの高校〜っ?」

「いや、俺たちは…」

「うふふっ、ゆっくりしてってね〜」

「だ、だから…」

「そうだ〜、お茶にする〜? おいしいクッキーもあるよ〜」

 こちらは切迫しているというのに、完全無欠のマイペースを貫き通す看護婦(?)。当然、こちらの言う事など耳に届いていないようだ。

「ウオオオオ! なんなんだ、この看護婦はァ!」

 と、京一が叫んだ時、廊下の奥の方から、なにやら重量級の物体がどすんどすんと地響きを立てながら近付いてくるのが判った。

「来た…来たぞ来たぞォ…!!」

 京一がこそこそと醍醐の陰に隠れる。龍麻はランダルを右手に構えたまま、左手で手榴弾を掴み、口で安全リングを引き抜いた。そして、何か、巨大な物体が一同の前に出現した。

「うるさいよ! お前たち! 病院で騒ぐんじゃないよッ!」

「……ッッ!!」

 まさか、龍麻ほどの者が気圧されるとは!? 龍麻は手榴弾を握ったまま、硬直してしまった。対テロリスト特殊実験部隊レッドキャップス・ナンバー9を硬直させたのは、恐ろしいほどの巨体を有する、女性だったのである。

「す、凄い声…!」

 耳がキーンとしたのか、小蒔が耳を押さえて言う。

「桜井ちゃん…凄いのは声だけじゃないわよ…」

 小声でアン子と小蒔が話しているのを聞きとがめ、その女性(?)はそれこそカバか象のような唸り声を上げた。

「何ゴチャゴチャ言ってんだい! それからそこのボウズ! うちで強盗でもするつもりかい! なめるんじゃないよ!」

 四股でも踏むようにドスン! と足を踏み下ろす巨女。――掛け値なしにロビーが揺れた。その凄まじい声量のみならず、その巨体から発する鮮烈な気に圧倒され、龍麻は慌てて銃を下ろし、手榴弾のピンを戻してから、直立不動の姿勢を取って敬礼した。

「失礼しました! 自分は真神学園三年C組、緋勇龍麻であります!」

「ええい! でかい声を出すんじゃないよ!」

「はっ! 失礼しました!」

「だから! でかい声を出すんじゃないよ! ――あん? 真神だって…!?」

 その女性はふと表情を改め、一同を見回した。

「ふん、道理で見覚えのある制服だと思ったよ。――で、見ての通りうちは産婦人科だが、用があるのはどっちだ? ショートカットの娘か、眼鏡の娘か?」

「産婦人科ァッ!?」

 醍醐、小蒔、アン子の三人が声をハモらせたが、京一は醍醐の陰で震えているばかり、龍麻は気にもとめない。――病院イコール病人、怪我人を治療する所…としか頭にないからだ。当然、産婦人科というものがどのような所か、彼はまだ知らない。

「いいえ。こちらの彼女の治療をお願いいたしたく、院長にお目通りしたいのであります」

「わしが院長の岩山だが…何の治療だって?」

「本日一五五〇時、我々と歓談中に昏倒しました。診断の結果、何者かの意識が彼女の深層意識を侵食していることが判明。その際にこちらの病院を紹介された次第であります」

「ふうむ…」

 岩山はなにやら頷いた後、ふと龍麻に視線を戻し、上から下までじろじろと眺めた。

「……」

 無意識の内に、龍麻の右足が一歩下がる。戦場を駆けてきた彼が、一歩とは言え闘う前から下がったのである。

「ひひひっ、何か、武道をやってるね。服の上からでも判るよ。並大抵の鍛え方をしてないね…」

「きょ、恐縮であります!」

 さっきから《まさか》の連発だが、この龍麻がどもるとは!? 彼の右手がうずいているのが、小蒔や醍醐にも判った。龍麻は一刻も早く、この岩山を射殺したいとでも考えているらしい。いや、たぶん、本能的なものだろう。

 しかし岩山の視線は外れ、龍麻は決死の戦いを挑まずに済んだ。

「…ところで、そっちのでかいの。お前さんは?」

「ハッ、お、同じく真神の、醍醐雄矢といいます!」

 今度は醍醐が標的か。岩山はにやりと笑った。舌なめずりでないのが不思議な笑みだった。

「ヒヒヒヒ、引き締まって美味しそうな身体だねェ」

「イヤ〜ン、院長先生ってば、エッチ〜」

 新宿にその人ありと言われた醍醐は、巨体をピクッとすくませて三歩下がる。そのため、背後で息を潜めていた京一とぶつかった。

「オヤァ、そこにいるのは京一だね?」

「――ヒィィッ!」

 蛇に睨まれた蛙とは、まさにこの事か。京一は木刀を握り締めていながら、その場に接着されてしまったかのように硬直した。

「なんて声出してんだい。ホラ、隠れてないで、その愛らしい顔を良く見せておくれ」

「い、いえっ! ボクはここで結構です!」

 龍麻はもちろんだが、真神に入学して以来の付き合いである醍醐でさえ、京一のこんな声を聞いた事はなかった。醍醐は《俺を盾にする気か!?》と小声で怒鳴ったのだが、京一はこれ以上はないくらい情けない声で《ここにいさせてくれぇ》と哀願する。

「そんなつれないこと言わずに、昔のようにたか子センセーと呼んでおくれ。…まったく、お前もお前の師匠も、昔はあんなに可愛がってやったのにねえ」

「か、可愛がった…!」

 凄まじいショックを受けたような顔で、龍麻が絶句する。

「ひーちゃん! 真っ先にお前が信じるな!」

「う…うむ…」

 頷きつつも、龍麻でさえ後の言葉が続かない。そこでアン子がフォローを入れようとしたのだが…

「おだまり!」

 と、一喝されてしまった。

「ごめんね〜。院長先生、女の子にはキビシーから〜」

「そ、そうなの。…道理で、あたしたち、名前も聞かれてないもんね」

「何ゴチャゴチャ言ってんだい! 用があるのはそっちの娘だろ! こっちに運びな!」

 またしても雷のような怒声に、一同はあたふたと葵を担いで岩山と、なぜかスキップをしている看護婦の後に付き従った。

「うっふふ〜、お友達いっぱい〜。ねえねえ、この子って、あなたの彼女?」

「恋人という概念を言っているならば、否定だ」

 きっぱりと言う龍麻。葵とはいまだ戦争状態(笑?)には至っていないからだ。

「そっか〜、良かった〜。わたしはぁ、高見沢舞子って言いますぅ。よろしくね〜。今度は一人で遊びに来てね〜」

「じ、自分には訓練がある。遊んでいる暇はない」

 なぜか焦る龍麻。岩山だけではなく、この高見沢も何か彼のトラウマを刺激するものがあるらしい。

「え〜、つまんない〜」

 なぜか妙に擦り寄ってくる高見沢から逃げようとしていた龍麻は、「早くおし!」と怒鳴った岩山に、果たして感謝していいものかどうか迷った。





「ふん、厄介だね。この娘からは異様な他者のオーラが立ち上っておる」

 見た目の風貌と、治療の腕は関係ないらしく、診療室は清浄な気に包まれていた。

 裏密がここに行けと言った理由が、ここに来て初めて判った。一通りの説明は受けたが、ここは産婦人科という表看板の裏に、日本有数の霊的治療を行う病院という看板を持っていたのである。

「根本的な治療のためには、この娘に憑いている者を引き剥がす必要があるが、娘の衰弱が激しいからこれを回復する方を先決とするよ」

 そう言う岩山は、先程感じた得体の知れない迫力が消えうせ、今は圧倒的なほど清浄な気を発している。たとえばただのビタミン剤でさえ、岩山の手にかかれば凄まじい効力を持つ精力材となるだろう。

「さあ、お前たちは外に出ておいで。この治療法は数千年来の門外不出の技だ。それに、そんなところにいられちゃ邪魔だよ」

 龍麻は一応、指揮官の勤めとして診療室に残りたかったのだが、やはり岩山に脅された挙句に追い出された。やむなく一同はロビーへと移動する。

 待たされる身にとっては、五分でも長い。しばらくは京一の師匠がどうのという話のネタがあったが、やがてそれも尽きると、後はみんな黙り込んでしまう。

 やがて、沈黙に耐えかねたのか、小蒔がうつむきながらポツリと呟いた。

「ねェ…葵、どうなるのかな…もし…もしこのまま目を覚まさなかったら…」

「……」

「葵が何か悪いコトした? 何でこんな目に遭わなくちゃいけないの? …葵をこんな目に遭わせた奴は絶対に許せないよ!!」

 一度怒りが口を出ると、後はとめどなかった。親友の危機に対して何もできない自分を責め、無力感に駆られ、自暴自棄になる。そしてそれはやがて、理不尽な暴力をふるった者に対する怒りへと転化する。憎しみという感情を伴って。

「落ち着け。小蒔」

 龍麻は壁に寄りかかり、コートのポケットに両手を突っ込んでいる。まるでハードボイルド映画の探偵のようだ。もともと大人びた龍麻であるから、これでタバコでも咥えていれば随分と様になることだろう。

「ひーちゃん…どうして…どうして葵がこんな目に遭ってる時に、そんなに冷静でいられるのさ!」

「桜井!」

 醍醐は小蒔の肩を掴んだが、怒りの矛先が自分に向くのを、龍麻は咎めようとはしなかった。むしろひどく冷徹に言う。

「そうなることが必要だからだ」

「―――ッッ!」

 小蒔は思わず平手を振り上げ――しかし、そんな自分を辛うじて押しとどめた。

 龍麻は自分の知らない世界を生きてきている男だ。きっとこんな場面も、今まで何度も経験しているに違いない。自分にできないことに対して無力感に駆られるより、自分のできることに全力を尽くす。彼はそうやって生きてきたのだ。

「ひーちゃん…ゴメン…」

「謝る事はない。だがその怒りは、敵に遭う時まで取っておけ」

 龍麻は小蒔の肩に手を置き、それから壁際を離れた。

「龍麻! どこへ…?」

「…タバコを買ってくる」

 武道家がタバコなぞ…と言いかけ、醍醐は京一に止められた。もとより龍麻がタバコなど吸う筈はないのだ。

「院長が出てきたら呼びに行くぜ。いいよな、ひーちゃん」

「ああ。頼む」

 背中に注がれる四対の視線を感じながら、龍麻は足早にその場から離れた。

 本当にこの病院は閑散として、喫煙所にも誰もいなかった。そもそも産婦人科に喫煙所があること自体、おかしな事なのだが、龍麻は人さえいない場所ならばどこでも良かったので、隅のソファーを選んでそこに座った。

「ふう…」

 珍しくため息を付き、龍麻はポケットの中で握り締めていたものをテーブルに放った。

 チャリン―――ッ!

 日本人なら振り向かない者はいない音を立ててテーブルに転がったのは、半分にひしゃげた五百円玉であった。なんという精神力か、龍麻は五百円玉をひしゃげさせるほど拳を固く握り締めながら、表面上は落ち着いた雰囲気を保ち続けたのである。

 優れた士官の条件――それは、絶体絶命の状況下でなお、余裕を見せて部下たちを恐慌に陥らせないこと。

 そして龍麻は、ポケットから一丁の回転式拳銃リボルバーを取り出し、テーブルの上に置いた。そのリボルバーと対で持ってきていたスピード・ローダーも並べて置く。リボルバーはコルト社の傑作、コルト・パイソン・357マグナム。龍麻のそれはその中でも特に抜き撃ちを目的とした、銃身が三インチのモデル、コンバット・パイソンであった。

「……」

 パイソンから抜いたマグナム弾を並べると、龍麻はその弾頭に一つ一つ、ナイフで十字の刻みを入れていった。

 弾頭部に刻みを入れたその弾丸はダムダム弾と呼ばれ、ベルサイユ条約で使用を禁じられている恐怖の弾丸だ。本来、人間の体というものは意外と固く、鉛の弾丸はその形をひしゃげさせることでそのパワーを脆弱な皮膚や筋肉組織に叩きつけるものだが、シルバーチップ、ホローポイントなど、より破壊力を増すように改良された弾丸は数多い。しかしこのダムダム弾はナイフで刻みを入れるだけで作ることができるというのに、他の弾丸とは殺傷力において一線を隔す。たとえばシルバーチップ、ホローポイントなどは標的の体内突入時にマッシュルーム状に潰れてその衝撃を叩きつけるマン・ストッピング・パワーを重視しているのに対して、ダムダム弾は標的に激突した瞬間に鉛が飛び散り、広範囲の筋肉繊維をずたずたに引き裂く事を目的とした、文字通りの虐殺弾なのである。

 いくら龍麻が元特殊部隊の人間で、暗殺要員だったとは言え、元は二二口径のウッズマンを得意とする人間である。それがより強力なマグナムを、それもダムダム弾に改造するということは、彼は今度の敵を確実に殺傷する覚悟を決めたという事であった。

 一八発のマグナム弾全てに刻みを入れ、パイソンのシリンダーに詰めていく。仲間の命を奪われるということ。彼にとってもっとも…許せないことである。その怒りは腹腔を熱く煮えたぎらせながら、頭の芯だけはどんどん冷たく冴えて行く。因果な性分であった。これがある限り、自分は一生、この世界から抜けられそうもない。だが、この新しい仲間――いまだヒヨッ子ぞろいの甘ちゃんども――を傷付けようとする者がいるならば、俺が殺す――龍麻は己に誓った。

 パイソンをしまい、瞑目する事十五分ほどで、京一が呼びに来た。

「ひーちゃん…院長先生が話があるそうだぜ」

「……うむ」

 殺意も焦燥も見事なまでに消し、龍麻は立ち上がった。京一はこの男といればきっと何とかなると思わずにはいられず、同時にテーブルに放り出されていた五百円玉を見て驚愕し、彼もまた人間なのだと彼を見直した。

 京一はその五百円玉をポケットにしまい、龍麻の後を追ってロビーに戻った。





「治療は済んだ。肉体の方はとりあえず危険な状態から脱したが、意識が戻らん」

「……」

 龍麻が黙っているので、岩山は勝手に続けた。

「《気》の回復はうまくいったのだが、覚醒段階で妨害が生じた。やはり深層意識に入り込んでいる何者かが娘の意識を捉えているんだろうね。恐らく《夢魔》か、それに類するものだと思う」

「夢魔…」

 御伽噺じゃあるまいし、と言い掛け、京一は黙り込んだ。小蒔やアン子の表情を見ると、とても軽口を叩ける雰囲気ではなかったからだ。

「いずれにせよ、このままでは遠からず娘は衰弱し、そのまま死ぬ危険性がある。しかし娘の側からのアプローチは無理だ。直接、娘の意識をつなぎとめている者を探し出し、止めさせる必要がある」

「…逆探知は成功しましたか?」

 こともなげに言う龍麻に、京一たちは驚いた。既に龍麻は、岩山の底知れぬ力の一端でも見抜いているのだと知ったのだ。

 岩山は地図を持ってくるように高見沢に指示した。まるで龍麻が闘いに行く事が、ごく自然な事のように、岩山は知りえた情報を教えた。

「…ここだね」

「墨田区…白髭公園…」

「うむ。この公園を中心とした半径五百メートルの範囲までは絞り込めたのだが、それ以上は判らん」

「いえ、ご協力、感謝します」

 敬礼。そして龍麻は肩で風を切って身を翻した。

「――行くぞ」

「おう!」

「絶対許さない!」

「ああ。これが《力》ある者の仕業だというなら、絶対に許せん。しかし龍麻、この周辺について我々は土地勘がないのだが、大丈夫だろうか?」

 至極もっともな質問に、京一と小蒔があっと声を上げた。

 渋谷の事件の時には、龍麻の巧妙な作戦により、地形を生かした戦術を封じ込めたのだが、今回はそうはいかない。敵の能力も《夢》に関するものだとしか判っていないのだ。

「判っている。今回は極めて危険なミッションだ。恐らく向こうは葵を通じてこちらの情報を得ている可能性が高い。そして我々が攻撃を仕掛けることも予想済みだろう。待ち伏せをかけられたら、こちらがやられる公算も高い」

「それでは、高見沢を連れて行け」

 助け舟は、意外なところからやって来た。ピンクの色彩を伴って。

「はーい、わたしぃ、この辺りには良く遊びに行くんですぅ」

「拒否します。我々も苦戦は免れないのに、非戦闘員を連れて行く訳にはいきません」

 龍麻の言葉は、つまりアン子のことも指しているのだった。今回は何が何でも付いて行く、と決めていたアン子であったが、龍麻の冷徹極まりない声に押されて何も言えなくなってしまった。

「――まあ、聞け。高見沢はこの病院で唯一、霊的治療もこなせる看護婦だ。他にも…なんと言うか、他人とすぐに仲良くなれる一種のコミュニケーション能力を持っている。聞き込みの際には、より多くの情報源が必要だろう。連れて行け」

「……」

 龍麻は高見沢を見た。既に彼女は「お出かけ、お出かけ」と大喜びで、緊張感のかけらも見られない。いくら役に立つと言われ、霊的治療…葵と同じ回復系の術が使えると言っても、自分たちはこれから戦争に行くのだ。それも、下手をすれば血みどろの戦いになる。ただでさえ圧倒的不利なところに、更に不利な条件を加える事は、指揮官としての龍麻にはできなかった。

「お前の考えている事は判るよ。だが、覚えておきな。強大な力で叩き潰すだけが戦いじゃないってことをね。高見沢を連れて行けば、その意味が判るかもしれないよ」

「……………了解しました」

「わあい! お出かけ、お出かけっと!」

 一抹の不安を禁じえないのは他の四人も同様であったが、龍麻が最終的に下した判断だ。やはり、それに従うのがベストだろう。

「それでは我々は高見沢嬢を伴い墨田区へ移動、葵嬢の深層意識に侵入した敵を索敵、これを殲滅します。葵嬢の身体の安全をよろしくお願いします。以上!」

 龍麻はきりっと敬礼し、踝を返した。京一がその隣に付き、醍醐、小蒔と続く。その後にスキップしながら高見沢が続き、そして――

「忘れていた。アン子、お前に頼みがある」

「な、なによ?」

 あわよくばこのまま付いて行けるかもと踏んでいたアン子は、振り返った龍麻の、やや角を落とした声にうろたえた。

「葵に付いていてやって欲しい。もし苦しむような事があったら、名前を呼びかけてやってくれ。ちなみにこれは命令ではない。お願いだ」

「ぐ…弱いところを…!」

 さすがに龍麻にこう出られては、アン子も強くは出られない。

「そうだぜ、アン子。俺たちは身体を張るから、お前は頭とペンで戦ってくれ。美里のこと、頼んだぜ」

 珍しく京一が、憎まれ口なしで言う。

「判った。判ったわよ。その代わり新聞のネタ、無料で提供してよね!」

 とてつもない覚悟を固めている一行には、さすがにアン子も付いて行けない事を感じ、わざと明るくそう言った。

「すまんな、遠野。恩に着る」

「アン子、アリガト!」

 そして一行は、病院のロビーを後にした。

「わあい、みんなでお出かけ〜っ」

 ――覚悟を固めようとも、腰砕けになりそうになるのを必死で堪えながら。





「ところで〜、緋勇クンと、京一クンと、醍醐クンはわかったけど〜、そちらのあなたのお名前は〜?」

 そう言えば、小蒔とアン子の紹介はしていないのだ。何しろ岩山が男連中の名前しか聞かず、その後で龍麻さえ真剣に命の危険を感じさせる言動に及んだために。

「さ、桜井小蒔だけど…」

「キャ〜、男らしくてかっこいい〜!」

 全員(龍麻含む)、その場でコケそうになる。今回は初めて、仲間の命を救うために戦うという使命を背負っているというのに、どうしてもこの高見沢には調子を狂わされてしまう。しかも本人に悪気がまったくないとも判るので、どうにも叱れないのである。

「あのねえ、ボクにケンカ売ってんの…?」

 さすがに小蒔は、腹に据えかねたようだ。京一なら鉄拳一発で済むが、このいささか天然ボケの看護婦にはどうしてやるべきか、と考える小蒔であったが、まったく邪気のない顔でニコニコと笑いかけてくる高見沢に怒りが空回りさせられてしまう。

「なあ、ひーちゃんよ。あれ、大丈夫なのか?」

「本当に危険になったら帰らせる。しかし、見事なものだ。先ほどまで小蒔を覆っていた陰の気が払拭されている」

 そう言われて京一が、そして醍醐が小蒔を見る。なるほど、確かに小蒔の顔から殺気を貼り付けた、思い詰めたような表情が消えている。それは、いつもの小蒔だった。

「神経を張り詰めさせていては、個々の能力を最大限に発揮させる事はできん。それを知っていながら、俺では小蒔をあのような状態に戻せなかったろう。やはり、連れてきて正解かも知れん」

「そうだな…。怒りを感じるのも自然な人間の感情だ。もちろん、ああやって笑うのもな」

「桜井は大丈夫だ。俺も美里をあのようにした奴は許せんが、憎しみとか怨みとか、そういうものは感じなくなった」

 うむ、と龍麻は殊勝に頷く。

「最優先事項は葵の救出だ。それ以外のことは二の次で構わない。行こう」

 京一と醍醐が頷いた時、横合いからおずおずと声がかけられた。

「あの…失礼ですが、緋勇龍麻…さん?」

 龍麻は声の主を振り返った。そこに立っていたのは、風が吹けば消えてしまいそうなほど儚げな雰囲気を持つ少女であった。

「肯定だ。…確か君は渋谷で会った…」

「よかった…。覚えていてくれたんですね」

「記憶力は良い方だ」

 少女に対するものとしてはそっけないとも言えるが、これが龍麻流なのだから仕方ない。ついでに記憶力が抜群だというのも本当の事だ。

「ひーちゃん…知り合いか?」

 見れば世間一般の基準から言えば、間違いなく可憐な美少女である。京一は龍麻の肩をつついた。

「あ、私が勝手にそう思っているだけで…。その、この前は名前も名乗らず済みませんでした。私、比良坂紗夜って言います。品川の桜塚高校の二年です」

「丁寧な紹介、痛み入る。しかしながら自分たちは別件で急ぎの用事があるのだが」

「あ! そうなんですか!? 引き止めちゃったみたいで…ごめんなさい」

「いや…」

「私も行かなきゃならないところであるんで…これで失礼します。それじゃ龍麻さん、また会えるといいですね」

 ぴょこんとお辞儀をして、比良坂は京一たちにも頭を下げて病院のロビーへと消えていった。

「ひーちゃん、今の子、知り合い?」

「否定だ。名前も今知ったばかりだ」

「ふーん、へーえ、そーう。紗夜ちゃんか、可愛かったな〜」

 腹に一物も二物もありそうな顔で京一が言う。龍麻の手が無言のうちにコートの内側に伸びた。

「わー! 冗談だって!」

「お前はリラックスしすぎだ。緊張感を持続させるためにも時限装置をつけてやろう」

「わあっ! 止めろひーちゃん!」

「うっふふ〜。みんな仲良しで嬉しい〜」

 そうこうしている内に、やっとタクシーがやって来た。そちらに気を取られた一同は、その時なにげなく高見沢が洩らした言葉には気が付かなかった。

「あれえ? ああいう子がお見舞いに来るような人、入院してたかな〜?」





 一同が、岩山に示された墨田区、白髭公園にたどり着いた時、太陽はだいぶ西へ傾いていた。

 タイムリミットは今夜一二〇〇時くらいまで。それ以降はたとえ葵の肉体は生きていても、廃人になる恐れが高いとのことであった。

「くそ! 思ったよりてこずりそうだぜ、こりゃあ。――ン!? なんだ醍醐、寒いのか?」

「解らん。ここに入ってから妙な寒気がする。敵の気配ではないようだが」

「ねえ、これからどうすればいいのかな?」

 まだ日こそ高いものの、公園の周辺に人気はない。どうやら都市計画の影響下、周囲の住宅やビルなども空家が多いようで、既に取り壊しの始まっているところもある。聞き込みをしようにも、人そのものがいないのでは仕方がない。

「ひーちゃん、得意のプロフェッショナルで何とかならないのか?」

「プロファイリングだろう? 京一」

 醍醐のツッコミに、肘鉄で応じる京一。

「なんでもいいだろ、この際。少しでも手がかりになりそうなものを見つけなきゃよ」

「…無理だな」

 龍麻は苦い顔で言った。

「《夢》と《心》がキーワードになっている事から、相手の性格分析はある程度可能だが、居場所の特定までは叶わない。それに、共犯者がいる可能性もある」

「え…?」

 皆がまさか!? という顔をする。

「《力》あるものが一人とは限るまい。裏密の水晶に出てきた情景が敵の心理を投影しているとするならば、恐らく犯人は身長一五五〜一六〇センチ前後。痩せ型で、スポーツも勉強も不得手と思われる。それが原因で周囲から虐待を受け、抵抗する能力もないところから、痣のある顔で目鼻は小さく、伏し目がち。性格的には陰気で陰湿、自分より弱いモノ…たとえば昆虫などを虐待するサディスティックなところがある。しかし恐らく《人》を標的にしたことはなかった筈だ。この墨田の事件と同一犯だと仮定しても、こいつの《力》に気付いた別の人間にそそのかされた可能性が高い。そして恐らくそいつも《力》の持ち主だ。データが少ないから確実性は高くないが、こちらは女だ。そして…特定の個人と言うより、社会に対して強い恨みを抱えている」

 前回の事件で明らかになった龍麻の分析力。その凄まじさは判っていたつもりだが、改めて驚かされる。今回は特にデータが少ないというのに、言葉すら交わしていない相手の性格を読み、しかも共犯者の存在と性別まで当てるとは…。正確にはまだ判らないが、今回も多分、当たっているだろう。

「だからこそ厄介だ。今回の敵がその共犯者の指示で動いているならば、足取りの推察も叶わん。ここはやはり、地道に聞き込みをするしか…ウン? 高見沢は何をしているのだ?」

 見れば深刻な一同から少し離れたところで、高見沢はニコニコと笑いながら虚空に向かって話し掛けている。時々、楽しそうに笑い声を上げ、横を向いてはやはり虚空に向かって手を振る。

 ある意味不気味だ。いや、かなり。

 妙に引いている三人を尻目に、龍麻だけが高見沢に近付いて尋ねた。

「高見沢。誰と話しているのだ?」

「ウン。この辺りを漂っている、幽霊さんたちと〜」

 やはりニコニコして答える高見沢。

「ふうん、幽霊さんたちね。…って、なにィ! 幽霊――ッッ!!」

 まず京一が素っ頓狂な声を上げ、小蒔が唖然とする。そして醍醐が…固まった。

「そうだよ〜。この辺りはねえ、昔、東京大空襲の時にたくさんの人たちが死んじゃったの〜。その人たち、今でも自分が死んだ事が信じられなくて苦しんでるの〜。だからね、舞子、ここに来てみんなとお話するの〜。うん、いつも、楽しいお話だけ〜」

「ふむ。岩山先生がおっしゃっていたコミュニケーション能力とはこの事か。しかし見事なものだな、高見沢。俺は東南アジアの廃墟では彼らに何もしてやれなかったが」

 何でそんなに平然としてるんだよ! という顔をする京一と小蒔。醍醐は、突っ立ったまま魂が抜けたような顔になっている。そう言えば確かに龍麻は以前、ポル・ポト派に滅ぼされた村の廃墟で幽霊に遭ったとか遭わなかったとか言っていたような…。

「並大抵の優しさでできることではあるまい。高見沢、その行為には敬意を表するぞ」

「わ〜い、緋勇君は〜私のコト解ってくれる人〜」

 高見沢は心底嬉しそうに言い、龍麻に抱きついた。

 龍麻が高見沢にさせるがままにしていたのは、彼女の天真爛漫な明るさの陰に隠れている、辛い過去にも気付いたからだった。心底優しい人間には、大きく分けて二種類存在する。一つは、周囲のすべての人々が優しい、恵まれた環境のもとで汚れなく育った者。もう一つは、自身が辛い目に遭ったが故に、人にはそんな目に遭って欲しくないと願う者。前者は極めて稀な上、悪意にも脆いという欠点があるが、後者には、他を怨むことなく悪意を跳ね除け、無私の心で他人に優しさを運ぶという、強い心がある。言うまでもなく、高見沢は後者だ。そして、既に死に、この世に彷徨うだけになってしまったものにさえ、その優しさを向けられるのだ。

 戦闘力ならば、命を奪う技術ならば龍麻の方が上だ。しかし、人を思いやる心は…。

「え〜? ほんとにぃ〜?」

 突然、高見沢は龍麻から離れ、やはり虚空に向かって声をかける。

「緋勇く〜ん。この人たちが〜、緋勇く〜んたちが探してる人たちの所に連れてってくれるって〜」

「そうか。それは助かる」

 だからなんで平気なんだよ! と表情でツッコミを入れている三人を尻目に、龍麻は虚空に向かって敬礼した。

「醍醐クン…大丈夫? 顔色真っ青だよ…」

 その小蒔の一言で、固まっている醍醐にも魂が戻ってきたようだった。

「き、君が優しいのは良くわかった! と、とにかく先を急ごうじゃないか!」

 まるで腹話術のごとき高音でしゃべる醍醐に、小蒔は醍醐クンまでおかしくなっちゃったよと呟く。

「こっちだって〜」

 高見沢の先導で、龍麻は移動を開始した。渋々というか、恐る恐る京一と小蒔が続く。そして醍醐は…。

「済まんが…龍麻! ちょっと来てくれ!」

「うおッ! 何をする!」

 よほどうろたえていたものか、自分の手がチョークに入っている事にも気付かず龍麻を引きずって連れて行く醍醐であった。とりあえず一行には声が聞こえないところまで来た時には、さすがの龍麻も半分白目を剥いていた。

「醍醐…貴様…!」

 かなり本気で怒る龍麻に、しかし醍醐は別の事で手を合わせた。

「済まんが…龍麻。お前にだけは話しておく…。実は俺は幽霊の類が苦手というか…得意な分野ではない。肉体のない相手には何をやっても通じないからな。お前ならみんなには黙っていてくれるだろう?」

 要するに、この図体で、真神の総番と恐れられながら、《お化けが怖い》と言いたいらしい。この状況下、自分の心境を誰かに打ち明けずにはいられなかったのだろうが、性格も口も軽い京一は論外、小蒔もある理由から絶対に相談などできない。と、なれば軍人気質で口も堅い龍麻ならば相談に乗ってくれるだろう…そう考えたに違いない。

 しかし、醍醐は致命的なミスを犯した。それは、軍人気質の龍麻に相談したということであった。

「そうか。醍醐、お前の言わんとしている事が良くわかった」

「そうか! 解ってくれるか!」

「つまりお前はこう言いたいのだな。その弱点を克服するために俺に協力してくれと」

「ナヌッ…!?」

 恐らく醍醐の人生初めての、驚愕語であったろう。龍麻は続けて言う。

「自分の弱点を恥と知りつつ敢えて告白し、その克服を俺に頼むとは実に見上げた気概だぞ、醍醐。無論、俺は最大限の協力を惜しまない」

「い、いや…そういうコトではなくて…」

「このミッションを終了次第、お前の訓練に付き合うとしよう。幸い裏密のみならず、高見沢という適任もいる。この二人の協力があれば必ずやお前の弱点を克服できるであろう」

 なぜか力強く力説する龍麻。醍醐は目の前が真っ暗になり、再び魂が抜け出ていくのを感じた。そして、思い出した。この男は誤解コンボ男でもあったことを…。

 もはや否やはなく、高見沢イコール幽霊に先導されるまま、龍麻たち一行は公園を抜け、さほど離れていない廃ビルの立ち並ぶ一角にたどり着いた。

 ここの情景は、あの水晶に写った光景にどこか似ていた。空虚で、何もかも朽ち果てた、何かが終わったようなイメージばかりが強い風景。あのようなイメージを心に宿す者には、こんな場所こそふさわしいのかも知れなかった。

「うむ。ここまで来れば俺にも判る」

 龍麻の言葉に、小蒔がごくりと唾を飲み込んだ。

「ああ、俺にもなんとなく判るぜ。正面のビルから敵意がビンビン伝わってくるぜ」

 既に京一は木刀を袋から取り出していた。醍醐も事ここに至っては怖がっている暇はないと、魂を呼び戻す。

「高見沢。案内ご苦労。お前は病院に戻れ」

「ええ〜っ!?」

 案の定というか、高見沢は反抗…というか、駄々をこねた。

「せっかくお友達になれたのにィ、お別れするのは寂しいよォ〜」

 ほとんど幼稚園児のレベルである。高見沢は泣きながら、龍麻の腕にひしとしがみついた。

 そんな彼女に、龍麻は今まで聴いたことのない、優しさと厳しさが混在する、男の声を出した。

「いいか、高見沢。自分たちはこれから闘いに行くのだ。己の我を力で押し通す者と、仲間を奪い返さんとする自分たちの、これは戦争なのだ。争わずに済めばそれに越した事はないが、そうでなければ戦いになる。恐らく、血みどろの戦いになるだろう。悪くすれば、どちらかが死ぬかも知れん。自分は、死者の痛みを知るお前に、そんな戦いの場面を見て欲しくはない」

「やだったらやだったらやだったらやだっ!!」

 思わず京一も醍醐も小蒔も胸を打たれるような言葉を受けても、ほとんど幼児退行を起こした高見沢には通じない。

「ダメなんだよぉ〜。殺し合うなんて言っちゃダメだよォ〜。緋勇く〜ん、なくしたものは帰ってこないんだよォ〜。そんな風に闘いつづけてたら、片目だけじゃなくて〜、また人の心を無くしちゃうよォ〜」

「ッッ!!」

 舌っ足らずの高見沢の言葉であったが、京一たちは元より、龍麻が一番激しい衝撃を受けた。

 桜ヶ丘で、怒りのあまり自分を見失った小蒔。やり場のない怒りをたぎらせていた京一、醍醐。それぞれにショックを受けるのは当たり前の事であった。自分たちが、怒りに任せて相手を殺す可能性を無視していたことに気付いたのだ。

 そして、《仲間》を窮地に陥らせている者への殺意に燃え、敵の完全抹殺を望んでダムダム弾を造っていた龍麻。彼の記憶は一気に一年前に飛んだ。いまだ自分の手に残る、仲間の流した血の熱さ。その《仲間》たちが願い、彼に託した想い。《せめて、人間らしく》。その想いを自ら否定しようとしていたとは…!

「解った。付いて来い」

 内心の動揺さえ、見事にコントロールしてみせる龍麻はそう言った。

「ただし、命令には絶対服従しろ。どれほどの危険が待ち受けているか判らんのだ。京一、高見沢を守れ。彼女に万一のことがあれば、お前を岩山先生に差し出す」

「な、ぬわぬいィィィ――ッッ!!」

 敵地だというのに、京一の絶叫がこだまする。あるいは、そうさせるためにわざと言ったのか? 

「待てィ! ひーちゃん! それだけは嫌だ!」

「ならば死に物狂いで彼女を守れ。…戦闘開始だ」

 龍麻は顎をしゃくって真正面のビルを示した。

 これだけ騒いでいれば、誰だって気付くだろう。ぽっかりと開いた廃ビルの入り口に、高校生らしからぬ成熟した身体と、妖艶な雰囲気を漂わせる少女が現れ、こちらに嫣然と笑いかけたのであった。





 第伍話 夢妖 2    完



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