第四話 鴉 1
(一五三〇時。授業終了) 桜の季節も完全に終り、目に麗しい新緑が萌える小春日和、今日も緋勇龍麻はてきぱきと教科書類を鞄に詰め、席を立った。 部活動に所属しない彼ではあるが、このところ放課後も学園に残っている事が多い。先ごろの妖刀事件は、銃さえ使えれば瞬時に決着の付くものであったのだが、花見客でごった返している状況下、正体を隠さねばならぬ事、国家権力の介入の可能性、流れ弾の危険性などを考慮した結果、素手のみの戦闘になってしまった。それとて、《殺せれば》やはり数秒で片付いていたろうが、今の《仲間》たちはそれではいかんと言う。無論、彼らはアマチュアでしかないのだから、プロである自分がその意見を聞く必要はない。しかし後の事を考えるならば、やはりあの場は《殺さずに》制圧した事は正解であった。凶器である《村正》は、どうやら危険な道具である事がわかったので、そのまま警察の手に委ねる訳には行かず、今は龍麻のマンションに厳重に保管されている。現在、そのテの道具を処分できる専門職を検索中だ。 ただ、その戦闘の際、龍麻は徒手戦闘による《非殺傷戦闘》の重要性を認識し、徒手格闘術の技能向上を図る事にしたのであった。幸いと言うか、この真神学園には《旧校舎》なる、得体の知れない《魔物》の巣窟があり、そこが実戦訓練には実に適した環境である事が判明したので、このところ連日、放課後を実戦訓練に当てているのであった。 この訓練、発案者は京一であるのだが、今日はどうしても部活に出なければならないとかで、醍醐ともども早々に教室を出て行った。小蒔も部活、葵も生徒会である。 (やはり、厳しすぎたのだろうか? いやしかし、彼らが生き残るためだ。自分が憎まれれば憎まれるほど、彼らがは向上する) 言うまでもなく、《仲間》の中では龍麻が一番実戦経験を積んでいる。京一、醍醐、小蒔なども、それなりに武道に手を染めてきた身だが、たとえばこの三人の中でも一〇年以上のキャリアを持つ京一でさえも、素の意味で戦場を潜り抜けてきた龍麻に及ぶはずはない。従って龍麻が実戦訓練の教官となったのだが、自分が受けてきた、いわゆる《海兵隊式》の訓練を取り入れたものだから、これが地下の魔物との戦闘以上に四人を消耗させていた。それが約一週間も続く頃になって、いよいよ訓練をサボる者も出てきたのである。 いや、それは当然であるかもしれない。 ――《このクズどもめ! トロトロ走るんじゃない!》 ――《まったく情けないモンキーどもだ! 生きていて恥ずかしくないのか! 気合を入れろ!》 ――《この程度でヒイヒイ言うな! XXXX持ちのXXXXめ! XXXXがXXでXXXXXXったら、この場でXXXXXをXXXでXXXXってみろ!》 と、まあ、重い砂袋を担いで走る四人に並走しながら聞くに堪えない罵声の嵐を叩き付け、泣き言も悲鳴も無視する。砂袋の重さは醍醐が一〇〇キロ、京一で五〇キロ、葵と小蒔でさえ一五キロもある。その状態で距離にして一〇キロ、休みなしで旧校舎内を走らせるのだ。しかもこの旧校舎地下に広がる大空間は平坦な地形などなきに等しく、龍麻が設定したコースは特にアップダウンが激しい。いかに不思議な《力》を有する者でも、音を上げるのは当然と言えた。 例えば訓練開始早々、こんな事があった。 《もう駄目だ!》 砂袋を放り出し、地面に大の字にひっくり返って喘ぐ京一。 《どうした赤毛ザル。もう終りか?》 《ひい…ひい…》 《普段から節制に努めぬからそんな根性なしになるのだ。立てぬと言うならとっとと家に帰り、お前の好きな舞園さやかとやらの写真を抱いて寝るがいい》 《くっ…!》 《しかしお前のような下半身無節操男が惚れているアイドルだ。さぞかし淫乱で男に媚び諂う低脳なのだろうな》 《な、なンだとゥォッ!!》 《それとも貴様程度の連中を周囲に侍らせて女王気取りで悦に入るあばずれか。いずれにせよ、貴様にはそんな女を懸想してXXに励むのがお似合いだ》 《テメェ! 龍麻! さやかちゃんの悪口を言うなァッ!!》 舞園さやかといえば、日本芸能界に降臨した天使のごとき国民的アイドルなのだが、当然、テレビなど見ない龍麻が知っている筈もなく、大好きなアイドルをそこまでけちょんけちょんに貶された怒りで京一は涙目になりながら龍麻に殴りかかる。が、醍醐の倍…二〇〇キロの鉄の塊を背負っている龍麻はあっさりと彼を蹴り倒し、その頭をぐりぐりと踏みつける。 《何度でも言ってやる。舞園さやかは救いようのない低脳淫乱娘だ。違うと言うならガッツを見せてみろ。貴様がへばっている限り、俺の認識は変わらん。砂袋を担いであと三十周だ!》 そう言い捨て、再び醍醐たちを先導して走り出す龍麻。既に彼は醍醐たちの三倍以上の距離を走っているのだがペースがまったく落ちていない。 《畜生…畜生ォ…!》 《舞園さやかファンクラブ》二桁ナンバー会員である京一は、悔し涙にくれながらも砂袋を担いで走り出す…。 一事が万事、この調子である。いつしか彼らは陰で龍麻の事を《鬼軍曹》と呼んでいた。新兵を最初に鍛え上げるのは、どこの国でも軍曹の務めなのだ。平和ボケした日本国民である京一たちでも、それくらいの事は映画などから知っている。ある意味、非常に的を得たあだ名と言えた。 しかし、学生の本分が勉強である以上、訓練を無理強いさせる訳にも行かない。鳴滝氏は《東京に行け》とは言ったものの、そこで具体的に何かしろとは言っていない。得体の知れない手段で盗まれた妖刀が殺人に使用され、たまたまその事件現場に居合わせたが、あれは本来、自分とは無関係の事件だと考えている龍麻である。 (そもそもこれは、彼ら自身が言い出した事なのだが…) そう思いつつも、自らの技能向上のため、一人で旧校舎に向かう生真面目な龍麻であった。しかし―― 「緋勇くん、マリア先生が捜してたけど、職員室に行ったほうが良いんじゃないかしら?」 下駄箱まで到達したところで、同じクラスの女生徒にそう話し掛けられた。 (マリア先生が? あの凶器についての事後報告か。それとも旧校舎への無断侵入が発覚したのか?) 本心ではそう思ったものの、京一に言われた通り、口元に微笑を浮かべ、 「了解した。感謝する」 と、告げて敬礼すると、なぜか女生徒は顔を真っ赤にして走って行ってしまった。 (何か対応を間違えたか…? ) 実際はそんな事もなかったのだろうが、龍麻はそう考え、マリアに対する質疑応答のシミュレーションを頭に描きつつ、職員室に向かった。 「緋勇龍麻、入ります」 龍麻は例によって直立不動、判る訳はなくとも(軍隊では)非礼に当たらない上目遣いで職員室に入った。 「……」 職員室は閑散としていた。学長は部屋が別だからまあ、いいとして、それ以外の教師は洗ったように姿が消えている。口うるさいだけの書類馬鹿(龍麻主観)の教頭までがいなくなっていた。 「フフフ、緋勇くん。よく来てくれたわね」 ただ一人、金髪の美しい女性教師が龍麻を手招いた。本当に他の誰もいないせいだろう。前に来たときは他の教師たちの手前、教師と生徒の立場を遵守していた。もっとも龍麻は、今回もそのつもりでいるが。 前回と同じく、マリアと差し向かいに座る。背筋をピンと伸ばし、一分の隙もない構え。秘密を共有する者として、もう少し砕けた調子を期待していたものか、マリアはそっとため息をついた。 「緋勇くん、学校生活は楽しい?」 「肯定です」 短い返答。龍麻はまだ、マリアに対する警戒を解いていないのだ。犬神の忠告どおり、マリアには突然意味不明の発言をする癖があると。 「そう、あんな事件があったりしたから、先生、心配してたのよ。あの後、あなたは変わりない?」 「肯定です。押収した凶器に関しても、目下、保管場所の候補を発見し、交渉中であります」 「そう…」 龍麻の常と変わらぬ態度に、マリアはやや失望した様子を見せつつ、友達はたくさんできたか、勉強に問題はないか、等の当り障りない質問をした。龍麻としては何故今更そんな質問をするのか、マリアの真意を掴みかねていたが、一つ一つ慎重に答えていった。 そして最後に、また来た。 「それから…変な事を聞くようだけど、アナタ…年上の女性は好き?」 「……」 これにはさすがの龍麻も即答できなかった。質問の意味がまるで理解できなかったのである。 「質問の意味が判りかねます」 それでも数秒後にそう言ってのけたのは、龍麻ならではだ。 「フフフ…そんなに固くならなくて良いのよ。つまり、男と女の関係ってコト」 「自分は、性別、年齢で他人を判断しません」 これは本当である。冗談抜きで。例の旧校舎における《訓練》時には、ややハンデを付けたものの葵と小蒔にも呑まず食わずで二時間、ひたすら旧校舎地下一階の壁際を走らせ続けた男である。しかも軍曹が新兵教育に使う《教育上、不適切な表現》をも、やはり問答無用、言語道断とばかりに叩きつけた。さすがに京一の時ほどひどい事は言わなかったつもりだが、そこには一切の性差別はなかったと自負している龍麻であった。 「自らに挑み、自らに屈せず、自らの勝利を信じ続ける者に対して、自分は最大限の敬意を表します。それが《好き》という事であるならば、それに年齢は関係ありません」 「……」 今度はマリアが黙り込む番であった。教師という立場上、けじめは付けているものの、美人で優しく、スタイルも抜群なマリアは真神学園の男子生徒のほとんどを虜にしているといっても過言ではない。そしてマリアも時として《女の武器》を使う事を辞さない。その武器が非常に強力である事を認識しているためだ。しかしながら、その武器を全開にして挑んだのに、この骨の髄まで軍事オタク(マリア主観)の龍麻はまったく反応しなかったのだ。 それを決心させたのは、マリアの秘めている目的よりも、彼女自身のプライドがそうさせたのかもしれない。 「緋勇くん。ワタシの目を見て…」 「それは命令ですか?」 さらりと言う龍麻。彼の目がどっちを向いているかはまったくわからない。 「そう。命令よ。ワタシの目を真っ直ぐに見て、もう一度…」 そこまでマリアが言ったところで、職員室のドアが突然開かれた。 「おや、マリア先生…と、緋勇じゃないか。また、何かやったのか?」 「い、犬神先生! ど…どうしてここに…!」 マリアは酷くうろたえ、驚愕を隠そうともしない。珍しい反応だな、と、龍麻はのんびり考えた。考えてみれば、誰もいないのを良い事に、美人の女教師がハンサムな教え子に迫っていたのである。それを見られれば誰だって動揺するだろう。しかしこの戦争ボケの朴念仁にはさっぱり分からないのだ。 「いやあ、いくら僕がものぐさな教師だからって、職員室くらいには顔を出しますよ。ちょっと煙草を吸いに来ただけなんですが、お邪魔ですか?」 飄々と答える犬神に、マリアが何やら不穏な気を発したが、彼女はそれを激発させる事なく龍麻に向き直った。 「ありがとう緋勇君、もう帰っていいわ」 「了解しました。失礼します」 ぴしりと敬礼し、龍麻は職員室を辞した。 (やはり、マリア先生には何かある。俺の身辺を探っているようだ。注意せねばならんな) マリアに対する龍麻の誤解は、まだ続いているようだ。しかしそれは今回、あながち的外れでもなかったのである。 職員室から、鞄を取りに教室に戻った龍麻は、そこにいる筈のない四人の姿を見つけて微笑した。ある意味、彼らにとっては凄く恐ろしい微笑だった。 「おお、やはり訓練を優先するために戻ってきたのか。良い心がけだ」 「ひーちゃん…」 あからさまに「しまった…!」という顔をする京一。他の三人もげんなりした顔をしている。 「どうした? 覇気がないぞ。今日からは実戦訓練に移ろうと思うのだが。…あそこで手に入る物品の処分ルートが見つかったのでな」 「い、いや、龍麻…。その…なんだな…」 全員が全員、連日の《海兵隊式》訓練にへばっている今、今日こそ龍麻に上申しようと思うのだが、いざとなると言葉が出ない彼らであった。何しろ龍麻は、彼らの訓練をしている時、自らも彼らの五倍以上のカリキュラムをこなしているのだから。 しかし、今日は幸運の女神が彼らに味方したらしい。幸運の女神が彼女だと言われれば、たとえば京一は即座に《否!》と唱えるだろうが。 「オーッ! 今日はみんな揃ってるようね。ちょうど良かったわ。ちょっとあたしの話を聞いてくれない?」 これで醍醐も小蒔も、彼女を幸運の女神などとは言わないだろう。場合によっては龍麻よりアン子の方が危険人物だ。 「聞きたくない…」 小蒔がぼそっと呟く。 「あ、なによ桜井ちゃん、その態度は!」 「俺も聞きたくねえ。お前の話を聞くと、絶対ろくな事にならねえ」 「う、うむ…。ちょっと俺たち、疲れ気味でな…」 「ごめんなさい、アン子ちゃん…」 小蒔に続き、京一、醍醐はおろか、葵までが視線を外す。その返答に、アン子はすがるような視線を龍麻に向けた。 「もう! 龍麻は、あたしの話を聞いてくれるわよね?」 「…話だけなら聞いても構わんが、面倒ごとは困る」 既にアン子の持ち込む話は面倒ごとであると決め付けている龍麻であった。 この返答に、アン子も意を決したように声を張り上げた。 「あ〜っ! もう! わかったわよ。みんなにラーメン奢るから。それならいいでしょ」 「むう…」 これは不気味だ。好奇心の固まりでトラブルメーカー、ついでに守銭奴(全て龍麻主観)のアン子が、自ら交換条件を差し出すなど。しかも五人全員となると、学生にとっては結構な額である。いつも《金がない》と嘆いているアン子にしては、破格の条件である。ただ、彼女の基準でそれに見合うトラブルに巻き込まれる可能性大ではあるが… 「それならそうと早く言えよ。この蓬莱寺京一様がどーんと頼まれてやるぜ!」 「うーん、そういう事なら…」 ラーメン一杯で釣られるとは、プライドはないのかお前たち。龍麻はそう思ったが、黙っていた。 「う〜む、遠野が人にモノを奢ってまで頼みごとをするとは…。それほどの難題があるのか?」 「それもそうね」 人が良すぎる。性質の悪い詐欺に引っ掛かりやすいタイプだ。龍麻はそう思ったが、やはり黙っていた。 「じゃあ、後は龍麻だけね。龍麻も、あたしの話を聞いてくれるわよね?」 「話だけで良いのなら」 先の一件以来、用心深くなっている龍麻であった。 とりあえずラーメン屋に直行――と言う訳で、龍麻たち六人は連れ立って校門を出た。 しかし、三−Cの名物五人組と真神のトラブルメーカー、アン子の組み合わせは目立つ。校門を出たところで、偶然通りがかったらしい犬神が声をかけてきた。 「よお、お前たち。また連れ立って、どこに悪さをしに行くつもりだ」 「はっ、恐縮です。自分たちはこれより校則破りでラーメン屋に向かうところであります」 なんでバラすんだよ! と京一が後ろから小声で叫んだが、龍麻も犬神も気にしない。 「ふん…。そこまで堂々と言われると注意するのも馬鹿馬鹿しくなるな。まあ、ラーメン屋に寄るくらいなら大目に見てやらん事もない」 「はっ、ありがとうございます」 なんだよ偉そうに! と京一が小声で言うが、やっぱり龍麻と犬神は無視している。他の四人は、犬神の態度が軟化しているのを見て驚いている。 「そう言えば、さっき裏密がお前たちを探していたぞ。そうだな…未の方角に禽 「未?」 龍麻には、とっさにその意味が理解できない。 「未と言うと、南西だな」 醍醐がフォローする。何で醍醐がそんな事を知っているのか、今は誰も突っ込まない。 「意味は分からんが、それだけ伝えてくれと言っていた。それよりお前たち、ラーメン屋くらいならいいが、面倒ごとは起こしてくれるな」 それだけ言い残すと、犬神は煙草を吹かしながら校舎の方に戻っていった。 「えい! くそ! こんなところで犬神に遭うなんて幸先悪いぜ。早くラーメン屋に行こうぜ」 京一はそう言って足早にラーメン屋に向かい始めたが、龍麻は犬神の行動と言動にささやかながら疑問を持っていた。 (それだけ言うために、わざわざ俺たちを待っていたのか? 俺たちの行動に異議を唱えないのも気にかかる。…敵には廻らんようだが) 「なにやってんだよ、ひーちゃん! 早く行こうぜ!」 京一の声が届き、龍麻は思考を中断させて一同の後を追った。 「まずはこれを見てくれる」 ある程度箸が進んだところで、アン子はおもむろに今朝の朝刊を取り出した。 「ああ? なになに…《渋谷住人を脅かす謎の猟奇殺人事件、ついに九人目の犠牲者》? 《いずれの被害者にも全身の裂傷と眼球損失、内臓破裂の共通点》? って…こりゃひでえな」 「今朝のニュースでもやっていたわ。何でも…現場には必ず鴉の羽が散乱しているっていう…」 「ボクも見たよ。これって、なんだかホラー映画みたいだよね」 およそ食事時にふさわしい話題とは言えないだろうに、若い彼らには関係ないらしい。 「なあ遠野…まさかとは思うが、お前の話というのは、この犯人を捕まえようとかいうんじゃ…」 「まさか。犯人逮捕は公僕の仕事でしょ。あたしの狙いはこの事件の真相究明よ」 似たようなもんじゃねえか、と京一が突っ込むが、アン子はあえてそれを無視した。 「あたしとしては、この事件を単なる猟奇殺人だなんて片付けて欲しくないのよ。どうもこのところ、《普通》じゃない事件が多いでしょ? 現にあたしたちの周囲だけでも、旧校舎の件といい、花見の件といい…」 その時一斉に、龍麻と葵を除く四人が身を震わせたのは、多分冗談だろうとは思うのだが、村正を持った龍麻に追い掛け回された時の事を思い出したからであった。 「アン子ちゃんは、この一件も何かそういう、普通じゃない事件だと考えているのね?」 「そう! その通りよ、美里ちゃん。あたしなりに調べてみたんだけど、この事件の被害者って、ほとんどがあたしたちと同年代の若者なのよ。何かこう…意図的なものを感じない? だからこそ、あたしはこの事件の真相を暴いてやりたいのよ!」 どうやらアン子は、今回に限り好奇心よりも義憤が勝っているらしい。事件現場に残されていた共通点、鴉の羽というキーワードから、鴉が過去に起こした事件、習性、生態系ピラミッドのどこの位置にいるのかなど、やたらに詳しく調べ上げていた。そのような労力をいとわず、しかも龍麻たちの協力を仰ぐために、全員にラーメンを奢るという真似までしたのである。 「総合的に見て、犯人は――鴉よ」 「まんまじゃねえか…」 そこまで調べ上げながら、行き着いた答えがこれであった。京一と同じように、一同が脱力する。龍麻だけは例外であったが。 「おい、ひーちゃん。こんな馬鹿話、真に受けてる訳じゃねえよな?」 「さて…な」 珍しく、龍麻は言葉を濁した。 その表情に、アン子がニヤ〜っと笑う。龍麻が同じ事を考えている事に気付いたのだ。 「どうやら龍麻は、あたしの言いたい事が判っているみたいね」 龍麻は何も言わず、スープを最後まで飲み干した。 「何だよひーちゃん。勿体つけねえで教えろよ」 「あんた、京一。本当に判らないの? あたしが思うに、犯人は鴉そのものより、その背後に鴉を操っている奴がいるんじゃないかって事なのよ」 「なんだって?」 京一は《やれやれ》と肩をすくめて見せた。 「いくらなんでも、話が飛躍しすぎだぜ。大体鴉をどうやって操るってんだよ? 一羽や二羽じゃないんだぜ」 「正論だ。しかし、それもやり方次第ではないのか?」 やっと、龍麻が意見を述べた。 「アン子の言う通り、鴉の習性を考えれば、集団で特定の人間を殺すなどありえない。だが鴉にも群れのリーダーがいて、その巣を破壊した者を襲わせるという事もするらしい。たとえばそのリーダーの役を、《力》を持つ人間が担っているとしたらどうだ?」 「あっ…!」 これには、同じ推測をしていたアン子以外、全員が声を上げる。 自分たちは同時に《力》が発現したが、龍麻のように時期が早い者もいる。そして攻撃に使える者ばかりではなく、葵のように回復系の術に目覚めた者もいる。自分たち以外に、鳥獣を操る《力》に目覚めた者がいないとは言い切れないのだ。 「そうか…もしそうだとすると、警察の手に負える事件ではないか」 「そうだな。で、どうする?」 京一はいくばくかの期待を込めて聞いたのだが、龍麻は首を傾げてしまった。 「どうする…とは?」 これには、全員が揃ってコケた。 「ど、どうするもこうするも、だから調べに行くから皆に付いて来て欲しいって言ってるんじゃない!」 「却下」 アン子の必死の訴えを、龍麻は一言で断じた。 「龍麻…ひょっとして、俺たちが足手まといだからか?」 幾分、怒りを込めて京一は聞いた。龍麻は実にあっさり、 「そうだ」 と、言った。 「龍麻…!」 醍醐の身体が、怒りで倍にも膨れ上がったかのようであったが、龍麻は気にしない。 「何か勘違いをしていないか? 俺はお前たちに訓練を課したが、戦えとは言っていない。仮にこの事件が《力》ある者の仕業としよう。そいつの起こしている事件が、いつ新宿に飛び火するかも判らないとしよう。だからと言って、俺が実戦経験もろくにない新兵を戦場に送り込むと思うか?」 「ぐっ…!」 龍麻の声は静かだが、京一も醍醐も小蒔も葵も、その言葉に胸をえぐられるような思いを味わった。 この一週間、龍麻が課した訓練は地獄のようだった。きついだけでなんら身になるとも思えない、肉体を苛め抜くだけの訓練に、絶え間なく浴びせられる、人を人とも思わぬ罵声の嵐。いくら闘志を奮い立たせても、人間には限界というものがあるのだ。龍麻はその限界をまったく認めようとせず、全員が遂に指一本動かせなくなるまで訓練を続けさせたのである。 今日、各自用事があると言ったのは、あえて言うまでもなく、「もうたくさんだ」と訓練から逃げたかったからである。四人揃ってその事を相談しようと集まっていたところを、龍麻に先に見つけられてしまったのは、彼らにとって重大なミスであった。アン子の話に乗ったのも、実のところ、龍麻の訓練から何とか逃げたかったからに過ぎない。 「お前たちには見込みがある」 龍麻は言った。 「それは兵士として、という事ではない。力に溺れた殺人者に、あるいは他人に指示されて戦うだけの戦闘マシンにはならんという意味だ。俺はお前たちに、敵を殺し、攻め滅ぼす事に快感を見出すような殺戮者になって欲しくはない」 「……」 「従って、偵察には俺一人で行く。お前たちは各自の用事を済ませて、自主トレーニングをしていろ。まだ犯人が《力》ある者と決まった訳ではないし、偵察に人数は必要ない。実戦に参加したければ、少しでも下地を固めておく事だ」 「龍麻…」 龍麻がここまで自分たちの事を気にかけていたとは…!? 訓練の時の、それこそハンサムな皮をかぶった鬼のごとき所業が、全て自分たちのためだったとは…。なまじ怒鳴りつけられるより、こうして淡々と語られる方が四人にはよっぽど堪えた。実戦の恐ろしさを骨の髄にまで叩き込んでいる男に、自分たちは安易な甘えを求めていたのだ。しかもこの男ときたら、自分たちが付いた稚拙な嘘を、疑ってもいないのだ。 「アン子、お前も残れ」 「なっ、なんで!? これはあたしの追ってた事件なのよ!」 「そうかも知れんが、いきなり敵と鉢合わせたらどうする? 自分に向かってくる分は何羽いようと相手にもならないが、お前を護ってやる余裕はないぞ」 龍麻の言葉は、いちいち的を得ている。大言壮語をしない分、一層の説得力があるのだ。 「う…わかったわよ。その代わり、あたしの代わりに特ダネ掴んできてよね!」 「ラーメン一杯分に見合うほどには、努力しよう。では諸君、健闘を祈る」 そう言われるべきは、むしろ龍麻の方であろうに、彼は飄々としてラーメン屋を出て行った。 そんな事は、龍麻に限って絶対あり得ないと思いつつも、かつて初めて彼の正体を知らされた時の、旧校舎での闘いが思い出される。実戦経験のない四人を指揮し、挙句に盾となって全身を食い破られて血だらけとなった龍麻の姿。本来なら知られてはならない正体を晒し、銃を発砲せねばならなかった彼の姿が。 今の状況は、あの時と良く似ている。早急に撤退しろと言われたのに従わなかったため、彼をかえって窮地に追い込んだ。知られたくない秘密を晒さねばならなかった。彼の左目が、明らかに人間と異なるという事さえ…。花見の時もそうだ。自分たちにもっと力があったら、龍麻一人に村正の相手をさせずに済んだ。銃を使えば一発で片付くところを、人殺しの片棒を担ぐかもしれないという恐怖から止めた。そして彼は、村正に対して素手で挑まねばならなかったのだ。 自分たちの力不足を痛感し、訓練を申し出たのは自分たちからではなかったか? 龍麻は極力慰留したのだが、自分たちは押し切った。そして龍麻は一週間、彼らの訓練に時間を費やしたのである。そして今日、四人とも耐え切れず、自ら申し出たはずの訓練から逃げ出した。 そんな弱い自分たちを棚に上げて、足手まといだと言う龍麻に怒りを感じるなど…。 真っ先に立ち上がったのは京一であった。 「京一! どこ行くんだよ!」 「決まってるだろが! 龍麻を追いかけるんだよ!」 「しかし…龍麻は俺たちに実戦は早いと言っていた。悔しいが、それはたぶん真実だろう」 肩を掴んでいる醍醐の手を、京一は乱暴に払いのけた。 「だったらどうだってんだ? あいつ一人を行かせて、俺たちはのんびり待ってろって言うのかよ! もし相手がとんでもねえ野郎で、あいつがやられちまったらどうする? 俺たちにこの先なんてねえんだぞ!」 「で、でも京一君…!」 「俺は行くぜ」 京一はきっぱりと言い放った。 「俺はあいつに、背中は俺が護ってやると言った。だがあいつは一度も、俺を頼りにはしなかった。そりゃそうさ。俺が弱かったからだ。だが…だがな! だからこそここで、黙って待ってるなんてできねえんだよ!」 「待て! 京一!」 「うるせえ! 離せ醍醐!」 「そういう事なら、俺も行くぞ」 え…? と京一は醍醐を見た。 「俺も同じだ。今の龍麻は俺たちなど足元にも及ばんほどに強い。だが、そんな龍麻に、俺は、俺を認めさせたい」 醍醐は一度、《力》抜きで龍麻と戦い、敗れている。そして《力》に目覚めた今でさえ、勝てる気がしない。醍醐とて武道家たらんと思っている以上、自分を振り返るという事を忘れていないつもりだった。しかし、底知れぬ龍麻の強さに対して、どうしても拭えぬ引け目というか僻みというか、そんなものを感じていた自分に気付かなかった。今、京一の言葉を聞くまでは。 それは、この二人も同じだった。 「そうだよ…。やっぱり逃げちゃ…駄目だよね!」 「今から追えば、間に合うわ。一緒に行きましょう!」 何だ、と京一は思った。全員の気持ちは、結局一緒だったのだ。皆、緋勇龍麻という男に惹かれて集まった。とてつもなく強いからではない。元軍人の冷静さを買ったわけでもない。この場の誰もが、緋勇龍麻という《存在》に惹かれたのだ。宿命とか、運命とか、そんなややこしい理屈はいらない。自分たちは、龍麻と共に戦いたいと思ったのだ。 「よっしゃ、じゃあ、急ごうぜ!」 「賛成! じゃあアン子、また後でね!」 迷いを振り払ったらしい四人は、駆け足でラーメン屋を飛び出していった。 後に残されたアン子は唖然としながら、ふとため息をついた。 「《力》で結ばれた絆…か。なんだかちょっと羨ましいわねェ…」 そして、ちょっと寂しいな、とアン子は力なく笑った。 第四話 鴉 1 完 目次に戻る 前(妖刀 2)に戻る 次(鴉 2)に進む コンテンツに戻る |