第参話 妖刀 2





 
「コホン…。それでは新しい仲間、緋勇龍麻君と、この見事な桜に…」

『かんぱーい!』

 土曜日の夕方という、のんびりはできない状況下、奇跡のように空いていたスペースに陣を構え、京一の音頭で花見が始まった。葵と醍醐が飲み物を、小蒔とアン子、マリアが食べ物を持参してきた中、京一だけが手ぶらで来たというので、裸踊りか銃殺刑かという選択を迫るという場面もあったが、そのおかげで開始当初から一同はハイテンションであった。

 龍麻も、こういう雰囲気は嫌いではない。任務遂行中に、地元の友軍が制圧地区で夜毎に大騒ぎして酒を酌み交わす光景を目にしている。当時の龍麻たちにはその行為が意味あるものと認識しなかったし、彼らの指揮官もそのような席に龍麻たちを近づける事はなかったが、《普通》の兵士にはそのような行為が精神状態を調節するために必要である事は教えられた。そして実際にその場に立ち会ってみると、なるほど、気分が実に軽い。

 龍麻の雰囲気が柔らかくなっているのを知ってか、マリアが話し掛けてきた。

「犬神先生から聞いたのだけど、緋勇君、何か武道をやっているのかしら? とても強いって話だけれども」

「肯定です。しかしながら自分のそれは、《武道》という道徳に通じる正しいものではありませんが」

 《犬神から》という部分に引っ掛かりを覚えないでもなかったが、佐久間たちとの争いに付いて呼び出しを受けたりした身であるから、その辺りからの情報だろう。と、龍麻は余り深く考えず応答した。

「フフフ。それはあなた自身の心の持ちようで正しくなるのではなくて? 力が強いだけでは本当の強さとは言わないわ。人に対する優しさ、くじけない勇気。心の強さが本当の強さと言えるんじゃないかしら。もしあなたがこれから先、大切なものを守りたいと思うのならば、なおさらこの事を覚えていて欲しいの」

「サー、イエッサー…」

 マリアの言葉は訓示のようだが、今一つ意味がつかめないと、龍麻は感じていた。龍麻のいた世界では、力こそが正義であった。彼が相手にしてきたのは、有り余る資金に物を言わせて武装した麻薬王から、金持ちの邦人を誘拐し、法外な身の代金を要求しながらも、武器だけに資金をつぎ込むあまり食うや食わずの生活をしているゲリラまで多岐に渡っていたが、彼らを殲滅する時、龍麻はそこには正義も悪もなかったと感じている。殺るか殺られるか――ただ、それだけだ。そこには《強い》という概念すらない。兵士としての練度と装備だけが生死を分ける。それが戦場だ。

「フフフ。だからそんなにかしこまらないで。縁あってこの学校に来たのですもの、一年間がんばりましょうね」

「今年は高校最後の年ですものね。いろいろと良い思い出を作りましょう」

「そういう事。ホラ、もっと飲めよ」

 そう言って京一がジュースのビンを差し出してくる。龍麻は肯いて紙コップでそれを受けた。その時ひらりと、コップの中に花びらが一片舞い下りる。

「おっ、風流だねえ」

「美里ちゃんの髪にも。本当、絵になるわね〜」

「確かに、今年の桜は、いつにも増して見事だな」

 そういう事を言うにはあまり似合わない醍醐まで、桜を見上げる。

「なんだかさ…吸い込まれそうだよね」

 風流…これが風流と言うものなのか、と、龍麻は一同を不思議な面持ちで見渡した。

 彼の目には、ただ桜の花びらが大量に落ちているだけにしか見えない。従って、彼らがその光景にどんな感慨を抱いているのか理解はできなかった。犬神の言う、《人と似ている》と見る感覚も、やはり判らない。しかし、単なる自然現象をそのような目で見て、感じ入るという事こそ、《人間》である証だと、今の彼は知っている。コップの中に落ちた花びらは、単なるゴミでしかない筈だ。もしかしたら雑菌が付いているかも知れない。だが、龍麻はあえてそのままコップに口を付けた。《風流》を理解するために。

 だが、その時、龍麻の卓越した聴覚に、なにものかの悲鳴が届いた。

「――――ッッ!」

 突然すっくと立ち上がった龍麻に、京一たちが身を固くした。彼らにもなんとなく分かったのだ。今の龍麻が、戦闘用の気を纏っている事を。

「おいひーちゃん。一体どうし――」

 た、と聞くよりも早く、若い女性の悲鳴が華やいだ空気を切り裂いた。

「な、なに!? ひょっとして、犬神センセーとか、ミサちゃんが言ってた事ってこれの事!?」

 この時、龍麻の頭を過ぎったのは、裏密の予言。

 《鮮血を求める凶剣の暗示》。そして、《消えた妖刀》。

 龍麻は占いそのものは信じていないが、独特の方程式のもとに導き出される未来予測の一判断材料として見ている。決して予感がなかった訳ではない。そして、《人を操る妖刀》はナンセンスだが、それが敵に廻る可能性は捨てていなかった。

(トラブルの多い街だな。)

 《仲間》たちが自分を見ている。自分の指揮を待っている。

「状況を確認する。京一は俺と同行。後はこの場で待機。醍醐、指揮を執れ。危険を感じたら離脱しろ。市民のパニックに巻き込まれるな」

「どうして!? ボクたちも行くよ!」

 花見の席にまで部活の道具を持ち込み、京一に冷やかされていた小蒔が反論する。裏密の予言や犬神の忠告が彼女なりに気になっていたのだろう。早くも弓の弦を張り始めている。

「状況確認が先決だ。各自、臨戦態勢で待機。分かったな?」

 指揮官としての、龍麻の声。高校生ではない、本物の迫力。小蒔も自分の反論が意味あるものではないと知り、肯いた。

「あなたたちが行くなら、私も行きます!」

「否定です。危険過ぎる」

 思わぬところから上がった反論を、龍麻は一言で切り捨てた。

「だからこそです! 私はあなたたちの保護者です!」

 結局、押し問答はそこで途切れた。

「龍麻! あれを見ろ!」

 醍醐が叫び、その指差した先に、弧を描く銀光が見えたのだ。その一瞬後、魂切る悲鳴が上がり、外灯に照らされた桜吹雪の中、墨絵のようにぱっと鮮血が散った。

「ぐるるる…げひゃはははぁっ!」

 血にまみれた刀をでたらめに振り回し、狂ったような笑い声を上げるサラリーマン風の男。狂ったような、ではない。その男は本当に狂っていた。その手に握られた、血に塗れながらもなお戦慄的な美しさを誇る乱れ刃紋――村正によって。

「ありゃマジでやべえ! 目が尋常じゃねえぜ!」

「村正…まさか本当に人を操るとは…!」

 冷や汗にまみれている京一たちの声に、龍麻は一言「ナンセンスだ」と断じた。

「あの男の目は麻薬中毒患者特有のものだ。おそらく凶暴性を誘発するPCP系の麻薬を服用しているのだろう」

 この期に及んでも、龍麻は妖刀の伝説など信じていない。一同は焦った。

「龍麻! 落ち着いてないで指示をくれ! これは生死に関わる実戦だ! お前の指示が頼りだ!」

 確かに、麻薬中毒症状を起こしているものに日本刀の組み合わせは最悪と言える。一瞬で、龍麻は作戦を組み立てた。

「京一! 醍醐! 左右に散開! 葵と小蒔を守れ! 葵は防御術を各自に、小蒔は京一と醍醐を支援開始! アン子! マリア先生を連れて後方より離脱しろ!」

「左右に散開って、敵はあいつ一人じゃ…!」

 そう言いかけた京一の、そして醍醐の耳にも、狂暴な唸り声が聞こえた。村正の妖気に当てられたものか、残飯狙いに集まっていたらしい野犬の群れにいつのまにか囲まれていたのである。

「目に見えているものだけが敵と思うな。周囲全てに気を配れ! 各自、敵を掃討開始!」

「オイッ! あいつはどうするんだ! 相手は村正だぞ!」

「心配いらん。ただの刀だ。これなら一発で片付く」

 そう言って龍麻がコートの内側から取り出したのは、黒光りする鉄の棒の下に、ポンプ状のフォアグリップを取り付けた銃であった。レミントンM870・一四インチ・ピストルグリップ・ショットガンである。あらゆる犯罪者を震え上がらせるという、独特のスライド音を立てて初弾が装填されたM870を剣鬼に向けた龍麻であったが、発砲寸前に京一に頭を殴られた。

「…何をする?」

「アホかお前は! こんなところで銃なんかぶっ放すんじゃねえ!」

「しかし相手は武装している。速やかに制圧するためには銃が有効だ」

「日本じゃ銃は違法だって言ってるだろが! お前が警察に捕まっちまうぞ!」

「むう…」

 確かにそれは龍麻の本意ではない。周囲にいた花見客は皆逃げ去ってしまったが、ぐずぐずしていると物見高い野次馬が集まってくる。そうなったら乱戦になり、被害者の数も激増するだろう。

「仕方ない。銃は使わん」

 龍麻は渋々、ショットガンをコートの中に納めた。

「なにやってんだよ! 二人とも!」

 既に戦闘が始まっているのに、主力の二人が漫才じみた会話をしているのに激怒して小蒔が叫ぶ。彼女の矢は早くも二匹の野犬を仕留め…気絶させていた。小蒔に目覚めた《力》は武術的応用…弓を媒介に攻撃性を有する《気》を矢に宿らせて放つものであった。小蒔の話では、部活中に突然、背骨に沿って走った熱い塊が腕を通り、放たれた矢に乗って飛んで行ったのだという。そして矢は、練習用の的ごと、道場の壁をも貫いたのである。

「お前たちは野犬を掃討しろ。あの男は自分が制圧する」

「おい! 相手は村正だって言ってるだろ!」

「まだ言っているのか。どんな名刀か知らんが、ただの刀だ。使い方までは変わらん」

 それ以上の問答は無用と、龍麻は剣鬼に向かって走った。

「京一!」

「仕方ねえ! こっちを片付けて援護するぞ!」

 女性陣の盾となりながら、パワーを生かしたミドルキックで野犬を撃退していた醍醐に、京一が援護に加わった。醍醐は特別変わった能力こそ身に付かなかったものの、肉体的なパワーと耐久力が飛躍的に増し、京一は本来身に付けていた剣術…法神流剣術の技の切れ、パワー、間合いが異常発達したという。

「食らえ! 《剣掌ォ・発剄》ッ!」

 わざわざ必殺技名を叫ぶあたり、京一の性格が伺える。しかし一見間抜けな光景ではあるが、技の効果は本物であった。京一の《力》が乗った木刀の剣先から《気》が迸り、正面左右から迫っていた野犬二頭を同時に弾き飛ばす。本来は木刀が接触して初めて放たれる《発剄》が、龍麻の技と同じく空間を超越したのである。ギャン! と一声鳴き、野犬は昏倒した。

「《体持たぬ精霊の燃える盾よ、私たちに守護を…》」

 背後から接近していた野犬に反応の遅れた醍醐であったが、野犬が噛み付こうとする寸前に、トランス状態に入った葵の呪文の詠唱と共に防御術が完成し、彼の体は優しい緑色のオーラを纏った。野犬の牙はそのオーラにはばまれ、醍醐の肉体に届かない。怯む野犬に、醍醐のハンマーのようなパンチが飛ぶ。

「ミンナ! 耳押さえて!」

 小蒔が日本伝統の、戦闘開始の合図に使う鏑矢かぶらやを弓に番える。

「《嚆矢こうし》!」

 京一の影響か、小蒔も技の名を叫ぶ。もっとも彼女の場合は遠距離支援のため、技の特性を前線に立つ者に伝える意味もある。下手をすれば、小蒔の技に巻き込まれる危険があるからだ。

 キーン! と耳をつんざく高周波を発し、小蒔の矢が飛ぶ。人間でも耳鳴りが残るのだから、聴覚の鋭い野犬にはたまらなかった。三半規管にダメージを受け、足取りがふらつく。

「ナイス! 小蒔!」

 そこに京一と醍醐が連携して飛び掛かり、野犬の掃討は終った。

「龍麻は!?」

 京一は、たった一人で村正に立ち向かった男の姿を求めて振り返った。





(むう…!)

 龍麻は思ったより苦戦していた。

 なぜ京一たちが《村正》にこだわるのか分からなかったが、確かにその鋭い刃先は触れなくても、風圧のみで龍麻のコートを切り裂いてのけた。これに麻薬中毒患者の怪力が加われば恐るべき攻撃力を備えるのは間違いない。そして男は、息も付かせぬ連続攻撃を仕掛けてくる。軌道は単純だし、技術も何もない攻撃だが、それでも攻めに転じるタイミングがつかめない。男が疲労の兆候どころか、息継ぎをしている様子もないからであった。

 おまけに、銃を使えないときている。史上最悪の麻薬PCP…エンジェル・ダストを使用した者は頭を半分吹き飛ばされ、脳をはみ出させても暴れまわるが、M870に詰めてあるOOB…コンクリート・ブロックを粉砕するダブルオーバッグ弾を頭部に食らえば間違いなく即死する。近年、犯人逮捕の際の警官の暴力に対して訴訟が多発しているアメリカでは、非殺傷兵器ノン・リーサルウェポンの開発が盛んではあるが、同時に、人間を怪物化させるほど強力な麻薬を使用した犯人に対して、より強力なマグナム、OOB、スラッグなどの弾丸を使用する機会が増えているのも周知の事実だ。  警察が来ても、この男を制圧する事はできまい。龍麻はそう考えていた。日本の警官が使用しているニュー・ナンブ五連発は、三八スペシャルというそれなりに強力な弾丸を使用しているが、携行弾数五発に加え、《まず足を撃て》と訓練されている警官たちでは、全弾撃ち尽くした果てに殺されるのがオチだ。

 この状況を打開するには、無理矢理でも隙を作り出さなければならない。

(アレを使うか。)

 そう決めれば龍麻の行動は早い。龍麻はデトロイト・スタイルから胸前で両腕を交差させる、古武道の構えを取った。そして両掌に《炎》の気を集約する。本来はイメージだけの存在であるはずの炎は、《力》に目覚めた今、拳が本当に燃え上がっているかのようなオーラとなって視認できた。

 男が、横殴りに村正を叩き付けてきた。

「破ッ!」

 村正の間合いぎりぎりのところで、龍麻は裏拳を横薙ぎに振った。

 突然、龍麻と男の間に火柱が走った。徒手空拳、《陽》の奥義《巫炎》である。いまだにコントロールが完全ではないのであまり使わないのだが、今回は敢えて目くらましのためにこれを使う。龍麻の予想以上の威力に、男の背広が燃え上がる。

 敵に情け無用。龍麻は炎に怯んだ男に向かって蹴りを飛ばした。醍醐を沈めた、空中連続蹴りである。蹴りこんだ水月を踏み台に、男の顎に膝蹴りを叩き込む。数少ない徒手空拳《陽》の足技、その名は《龍星脚》。男は空中に跳ね上げられたが、村正を手放してはいなかった。男より早く着地した龍麻は、そのまま腰を落とし、全身に捻りを加えて掌底を繰り出す。大地から足を駆け上った《気》が螺旋を描き、掌から打ち出される。

「破ァッ!!」

 全身の瞬発力と、体内で増幅、加速された気が同調し、空間すら超越して《気》の衝撃が剣鬼を貫いた。《掌底・発剄》。男は五メートル以上吹っ飛ばされ、顔面から芝生に突っ込んだ。手からすっぽ抜けた村正は、そのまま地面に突き刺さる。

「フウゥ――――ッ」

 もはや周囲に敵の姿はない。奥義を連発した龍麻は息を吐いて気を納める。

「…終わったな」

 京一と醍醐は頷きあったが、女性陣の反応はなかった。

 何事か、と振り返った二人の視界に、頬を染めて龍麻を見つめている葵と小蒔、その向こうにアン子とマリアの姿が入ってきた。四人が四人とも食い入るように龍麻を見つめながら、表情はポケーッとしている。あえて言うならば、憧れの芸能人に出くわしたミーハー女子高生のように。

 そのくらい、今の龍麻は美しく、凛々しかった。

 凄い美形と言うほどではないが、ハンサムで、強い。そして今、村正という稀代の妖刀に一人で立ち向かい、凄まじい技の連続攻撃で制圧してのけた。基本姿勢に戻り、気を納めてもなお、その全身に殺気の残滓を漂わせる様は、危険で美しい野生の猛獣を思わせた。死線を潜り抜けてきた戦士の、本物の男の放つ雰囲気に、女性陣は完璧に魅入られてしまったのである。

「…無事か?」

 龍麻が振り返って聞いた。長髪が揺れ、それだけで絵になった。マリアはさすがに押さえたものの、葵も、小蒔も、アン子も「ほう…」とため息を付いた。

「こっちも片付いたぜ。まったく、無茶しやがって」

 女性陣の反応が面白くなくて、京一はやっかみ混じりに声を荒らげた。

 その声で、女性陣もはっと我に返る。互いに顔を見合わせ、同時に視線を外したり、何を思っているのか互いに一目瞭然という顔になる。

「お前が強いのは判っていたけどよ、もうちょっと俺たちを信頼しろよ。何しろ相手は村正だったんだからな」

 その村正は、地面に突き立っている。振るうべき者が倒れても、その刀身全体がなにやら鈍く輝き、次の犠牲者を待ち構えているような不気味な《気》を発していた。それに気付かぬ龍麻でもあるまいが、あまりにしつこいのに彼も嫌気が差したのか、

「くどいぞ、京一。どんな名刀か知らんが、刀は刀だ。人間を操るなどあってたまるものか」

 そう言うと、龍麻は無造作に村正の柄に手を伸ばした。

「馬鹿! 止めろ、龍麻ッ!!」

 血相変えて京一が叫んだが、その時既に龍麻は、村正を手にしていた。

(むう…!?)

 ただの刃物に過ぎないと断言していた村正から、異様な陰の《気》が襲いかかってくるのを感じて、龍麻は思わず唸った。京一たちがうるさいくらいに繰り返していた《妖刀》の意味。龍麻は頭の中に鳴り響く、かつての所有者たちの声を聞いた。《斬れ》、《殺せ》、《血を見せろ》という、大合唱を。

(黙れ)

 実際に口にはせず、龍麻は頭の中で念じた。それがどんな効果を生んだものか、怨念の声がぴたりと押し黙る。

(自分勝手な殺人淫楽を刀のせいにするとは性根の腐った奴らだ。さっさと消え失せるがいい)

 龍麻は村正を立て、無造作に一振りして血糊を振り捨てた。するとどうだろう。龍麻の《気》に反応したのか、村正はその刀身を目映いほどに輝かせたのである。伝説の通り、一点の曇りもなく。

 その時、龍麻はたった一つだけ、村正から語り掛けてくる声を聞いた。血に狂った怨念の発するものとは異なる声。冷たく錆びているのに、どこか懐かしさを覚える、男の声だ。

《待っていたぞ》

 村正は、その一言だけを発して沈黙した。

「……」

 龍麻には、その意味が分からない。だがその一瞬、誰かの面影が目の前をフラッシュバックした。冷たく冴えた目をした、男の面影。誰なのか、何者なのか、さっぱり分からない。

「お…おい! ひーちゃん…!?」

 その声に、龍麻も我に返った。見れば木刀を正眼に構えた京一を先頭に、醍醐、小蒔、葵までが臨戦態勢に身構えている。

「…何をしている?」

「何って…お前、本物のひーちゃんか?」

「本物とは何だ。失礼な奴だな。確かに少々変わった刀のようだが、人を操るような凶悪さはない。やはり、この刀にまつわる話から発生した自己暗示と、本人の隠れた願望が表に出ただけだろう」

 事も無げに言い放ち、龍麻はサラリーマン風の傍らに転がっていた鞘に村正を収めた。なぜか村正は、龍麻を新しい持ち主と認めたかごとく、見事に彼と調和している。龍麻自身も何か感じたのか、

「しかし、この刀は官憲の手に委ねる訳にはいかんようだ。お前たちの言葉を信じる訳ではないが、どうやらこの刀は俺に用があるらしい。凶器の隠匿は犯罪だが、しばらく自分が預かるとしよう」

「だ、大丈夫なのか?」

「危ないぞ、龍麻」

「ひーちゃんが操られたりしたら、ボクたちじゃ止めらんないよ」

「龍麻…」

 四人が口々に異を唱えるが、龍麻は首を横に振った。

「この世の全ての事象には、全て何らかの関連があるという説がある。盗まれた刀が我々の前に現れたという事も、決して偶然ではあるまい。これを犯罪と思うのならば警察に言っても構わんが、どうする?」

 この問いは、四人のみならず、マリアとアン子に向けて放たれたものでもあった。京一たちはすっかり失念していたようだが、教師であるマリアと、新聞部のアン子の前で、自分たちの異様な《力》を使ってしまったのである。

 重苦しい沈黙が降りた数瞬後、マリアが口を開いた。

「…急いでこの場を離れましょう。警察が来るわ」

「先生…」

「話は後。さっ、早く行くわよ!」

 遠くから、いかにも押っ取り刀でパトカーのサイレンが近づいてくる。花見のシーズンでパトロール強化はしていたのだろうが、日本刀を振り回す殺人鬼が現れたなどという通報をそのまま受け取ったとは思えないから、こんなものだろう。

 マリアに促されるまま、龍麻たちは走り出した。現場写真を撮って警察から金一封をせしめるというアン子を醍醐に担がせて。





「このあたりまで来れば大丈夫でしょう…」

 龍麻以下、総勢七人が足を止めたのは、中央公園から少し離れた並木道であった。幸い、中央公園の騒ぎのためもあってか、周囲に人影はない。 改めて、マリアは一同を見回した。

「恐縮ですが、申し上げます。マリア先生、この事はどうか内密に願います」

 龍麻は胸を張り、堂々と宣言した。

 犯罪の証拠物件を勝手に持ち出しながら、悪びれるでも言い訳をする訳でもなく、自分の行為を正しいものとして、しかし声高に主張する訳でもない。その態度に、マリアは微笑で応えた。

「わかっているわ。今、判断をするのは難しいかも知れないけれど、先生は、あなたたちが正しい事をしたと信じているわ。あなたたちの使った《力》がなぜ発現したのかは判らない。だけど、《力》というものはそれを使う者がいるから存在するの。そう、これだけは覚えておいて」

 もう一度マリアは、龍麻以下五人を一人一人、託宣を告げる巫女のように見ていった。

「私は、真神の生徒であるあなたたちを信じます。あなたたちは、あなたたちの信じる道を行きなさい。力に溺れず、自分を見失わなければ、きっとその《力》の正しい使い道が見える筈。その時がいつ来るかは分からないけれど、今日の事は、私も遠野さんも秘密を守る事にしましょう。良いですね、遠野さん?」

 最後のところだけ、声に力を込めてマリアは言った。しかしアン子は露骨に「ゲ」という顔をする。

「遠野、頼む」

「アン子〜ッ」

「アン子ちゃん…」

「テメエ、まさか友達売ったりしねえよな!」

 龍麻以外の四人に迫られ、さすがのアン子も怯む。しかしながら四人は、《おいしいネタを見つけた》と目を輝かせていたアン子の表情が目に焼き付いている。近い内にこのネタでアン子の《お願い(脅迫?)》を受ける日が近い事を肌で感じている四人であった。

「なっ、なによ! いくらあたしだって、そこまで薄情じゃないわよ」

 確かに凄いネタであろうが、それを発表した時に、この五人の周囲に吹き荒れる嵐を予測できないほど、アン子も世間知らずではなかった。最初こそ、《凄い人たち》ともてはやされるが、やがて《普通》の人々は、《異質》な力に対して忌避感を抱くようになる。羨望、ひがみ、排斥感。そういった諸々の《負》の感情が、彼ら五人を襲う事となるだろう。葵などは自分自身で《異質な力》に恐怖を覚えているというのに、だ。

「いいわよいいわよ。まあ、今日のところは良い絵も取れたことだし、こっちでだって充分稼げそうだから…ね」

 そう言って意味ありげに笑うアン子の視線が、龍麻と葵に向けられる。なぜか背筋に薄ら寒いものを感じた京一、醍醐、小蒔の三人は、その視線に従って龍麻と葵を見つめた。

「…何を見ている?」

「ふっふ〜ん。意外と龍麻って、大胆なトコあるわよね〜ッ」

「…何の話だ?」

 龍麻は平然と聞き返したが、その隣で葵が真っ赤になった。

「あ…アン子ちゃん? まさか…」

「ふっふっふ〜、どうしよっかな〜。かなりの売り上げが期待できると思うんだけどな〜」

 葵は絶句して何も言えなくなってしまったが、当の龍麻にはアン子が何を言っているのか分からない。

 すかさず、京一がフォローを入れた。

「アン子…悪いことは言わん。俺も良いモンを見たとは思うんだが…忘れた方が良い」

「う、うむ! そうだぞ、遠野。それがお前自身のためでもある」

「そ、そうだよアン子! 絶対に新聞なんかに載せちゃ駄目!」

 もしそんな事になれば…想像するだに恐ろしい結果になりそうだ。ちょっと葵と口を利いただけで、佐久間は絡んできたのである。佐久間ほど過激な生徒はいないかもしれないが、《学園の聖女》に対する信奉者は多い。その彼女に龍麻が及んだ行為が知られれば、龍麻を襲う連中が現われ…返り討ちに遭うだろう。

「お前たち、一体何の話をしているのだ?」

 村正を所持した殺人鬼さえ、瞬時に制圧する超危険人物が聞いた。

「それって、マジボケ? だって龍麻、待ち合わせの時間に美里ちゃんと…」

「わーッ! だまれアン子!」

 京一が慌ててアン子の口を塞いだが、既に龍麻は思考モードに入ってしまっている。

「見られたか…」

 やけに低い声で洩らしたのは、僅か数秒後のことであった。

(こちらの手の内を彼らにまで知られてしまっては、今後の作戦に支障をきたす…)

「ひ、ひーちゃん?」

 コートの中から龍麻が取り出したものを見て、全員がその場に固まった。つい今し方闘ったばかりの《村正》である。

「この刀…お前たちの言う通り、妖刀らしい」

 葵とマリアは標的に入っていないようだが、残る四人の背筋に鳥肌が立った。

「だが安心しろ。自分がお前たちを殺す訳ではない。この刀が自分に命じるのだ。《お前たちを始末しろ》と。遺憾ながら、自分は命令に逆らえん。安心して斬られろ。痛くないようにしてやる」

「うわあっ! 待て待てぃ! マジか!? マジなのかっ!?」

「ちょ、ちょっとちょっとォッ!」

「タ、タンマ! ひ―ちゃん!」

「な、なんで俺まで…!」

 異様な迫力を帯びて迫り来る龍麻から、四人が脂汗を流しながら後じさる。

『ふっふっふ。今宵の村正は血に飢えておるわ…』

「のわあっ!!」

 既に何かが入ってしまった龍麻から、四人は脱兎のごとく逃げ出した。

 後に悲鳴を聞いた住民からの通報でパトカーが急行したのだが、もちろんその時には既に刀を振り回すコート姿の少年と、半泣きになりながら逃げ惑う四人の少年少女の姿は、春霞の中に消えていた。

 その場にしばらく残っていた少女と女性教師は、こんな言葉を交わしたという。

「龍麻って…意外とノリが良いのね」

「本当に…信じて良いのかしら、あの子達…」





 第参話 妖刀 2 完



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