第参話 妖刀 1
この地球上において、最も環境適応能力に優れているのは人類である。同じ形態でありながら、極寒の地から灼熱の地、果ては陸地のみならず、海上にさえ居を構えることが可能だ。その消化器官は基本的に雑食性で、およそ口にできるものならばどのように工夫してでも食する事ができる。そして、他生物と根本的に異なる点は、肉体の維持はもちろん、精神の維持のためにも食事を重要視する。時としてそれは、肉体の維持に必要な栄養分を、あえて無視するものまである。人間を人間たらしめているのは、つまりこの不健康な事をあえて行うという事かもしれない。 「花見…とは何だ?」 緋勇龍麻は読んでいた経済新聞の株式欄から顔を上げ、なぜかいつも木刀を携帯している赤毛の男に聞き返した。 「…つまりだな、ちょうど今ごろ、中央公園の桜は満開な訳だ」 「うむ」 「美しく桜が舞い散る中、杯を傾ける。友情について語り合うもよし。恋愛談義に花を咲かすもよし。またはカラオケでドンちゃん騒ぎの無礼講ってのもよし。…これが日本の伝統、花見という訳だ」 「酒を飲んで騒ぐのに、花は関係ないと思うのだが…」 龍麻はれっきとした日本人であるが、およそ日本の伝統、風俗には疎い。まだ転校してから数日の付き合いであるが、京一はこの龍麻の人となりを知り、つまり彼をだしにして酒を飲もうという魂胆で、彼を誘っているのであった。この日本で本物のピストルを振り回す、元アメリカ軍の特殊部隊上がりというとんでもない男だが、この男は付き合ってみると実に面白いのだ。 「なあ、ひーちゃんよ」 京一がそう言うと、教室内が少しざわめく。 朝、龍麻が登校してきた時、恐らくは本気で戦ったであろう醍醐が彼を《龍麻》と呼び捨てにし、龍麻が彼を《雄ちゃん》と呼び返して拒絶された事も驚きであったが、続いて小蒔があの驚天動地のニックネーム、《ひーちゃん》を使って彼を呼び、龍麻も彼女を《小蒔》と呼び捨てにした事で、教室内は驚きのコンボ状態になった。クラス一の問題児である京一までが《ひーちゃん》と呼んだ事でコンボが連鎖し、そこに葵がとどめを刺した。学園の聖女は彼を《龍麻君》と呼び、龍麻も彼女を《葵殿》と呼んだのだ。 この事態に、黙って見ているような生徒はこのクラスにはいなかった。たちまち五人全員が質問攻めに遭い、龍麻と葵にいたってはほとんど吊るし上げに近い状態にまで陥ったのである。 しかしながら、龍麻の筋の通りまくっている態度と、葵の《聖女の微笑》攻撃の前に、男子女子ともに撤退を余儀なくされたのである。 「そういうのをゆとりって言うんだよ。お前だっていつも肩肘張って生きてる訳じゃねえだろ? 時には息抜きをして精神をリフレッシュする…それが人間には重要なんだよ」 「戦車や戦闘機、銃器類でもメンテナンスは重要だ。何も人間だけに限った事ではない」 「だーッ、だからそうじゃなくて! この季節、花見をする事は日本に生まれた者にとっての義務なんだよ、義務!」 「そ、そうなのか?」 義務、責任、任務、使命と言われると弱い龍麻である。骨の髄から刻み込まれた軍人精神だ。容易には消せない。 「もう! 京一ッたら、ひーちゃんが困ってるじゃないか!」 「そうだぞ、京一。花見というのは風流なものだが、義務とか言われるといささか興がそがれる」 チッチッチ、と京一はわざとらしく舌を鳴らした。 「その程度で興がそがれるなんて言ってちゃ日本人とは言えないぜ。徹夜してまで場所取りをやって、呑んで食って唄って騒ぐ。義務だろうとなんだろうと、これで楽しくない奴はいねェだろうが。咲き誇る桜の下で汲み交わす酒の美味さがわかったら、本物の日本人さ」 「京一…俺たちは未成年だ。酒は飲めん。酒は己の腕のみか、精神さえも鈍らせる。龍麻だって、未成年が酒なんてもってのほかだと思うだろう?」 龍麻、答えて曰く。 「アルコールは脳細胞を破壊する。少しでも長生きしたかったら、酒などには手を出さぬ事だ。アフガニスタン・ゲリラは多くが厳格なイスラム教徒だが、ある作戦の際に飲料水を紛失した男がいてな。やむなく酒に手を出したところ、酔った挙句に味方を砲撃して多数の死者を出した。その男は軍事裁判兼宗教裁判で有罪になり銃殺刑に――」 自分を見つめる奇異の視線に気付き、龍麻は慌てて口をつぐんだ。 「…忘れてくれ」 「う、うむ。しかし、花見をするというのは俺も賛成だ。あれは非常に心が和む。どうだ龍麻、花見をするならみんなで行かんか?」 「そう! そうだよね! みんなで行けば楽しいよ! ねッ、葵!」 強引に雰囲気を別の方向に持っていこうとする醍醐と小蒔であったが、話を振られた葵は上の空である。質問攻撃に疲れたせいもあろうが、原因はやはり、別の事であろう。 《力》を得るという事は、それまでの自分を否定するのと同義である。求めて得た《力》なら素直に受け止める事もできようし、それが大変な修行の果てに得たものならば、歪んだ使い方をする者も少なかろう。しかしある日突然、望みもしないのに《人ならざる》《力》を得てしまうと、まずは誰でも困惑するだろう。特に《自分だけ》がそんな《力》に目覚めたとしたら、その意味もまず自分で考えねばならない。そして多くの場合、人は異質の《力》を恐れるものだ。自分でも恐れを抱く《力》のことを他人に相談できるものなどほとんどいまい。そこで自分の《力》を無理にでも肯定するために、《自分は神に選ばれた》という歪んだ考えを持つようになる。そうなったら人間、最後である。自分が自分である事、人間である事を自ら否定し、《神の代行者》もしくは《神》そのものを名乗り、暴虐の限りを尽くす。これは何も《人ならざる力》に限った事ではなく、たとえば《軍事力》、《経済力》、《権力》を握った者に共通して現れる感情である。《力》をコントロールするだけの度量がないと、人間は簡単に《力》の奴隷と化すのだ。 初期段階とは言え、葵の悩みもおおむねこれだろう。もともと生真面目な彼女に、京一や小蒔のような《ま、いいや》という感情を持てと言う方が無理なのだ。《力》を銃やナイフと同じ《道具》程度に捉えている龍麻は、既に論外であるが。 「あ…ごめんなさい、少しボーっとしてて…。そうね。きっともう中央公園の桜も満開でしょうし、夜桜もきれいでしょうね。龍麻くんの歓迎会も兼ねて、みんなで行きましょうか」 「そう! それだよ! 歓迎会! まだやってなかったもんな」 (ぬう…歓迎会だと!?) 龍麻の脳裏によからぬ記憶がよぎる。およそ規律まみれに見える軍隊も、実はかなりフランクなところがあって、特に《新人》の歓迎会は壮絶の一言に尽きる。何しろ階級が上の者には絶対服従が条件だ。それは形だけ真似た高校や大学の体育会系ノリとはまさに一線を隔す。戦場の空気に呑まれぬ強い精神を鍛えるため、新兵は軍曹殿のありがたいしごきに堪え抜かねばならないのだが、それをクリアーしてきた兵士だからこそ、歓迎会は凄まじい。大学生などが悪乗りする《イッキ呑み》など序の口。軍隊では《呑み比べ》など初歩の初歩だ。酒に限らずとも、腕が折れるまでやるアームレスリング。度胸試しにダーツの的にされ、更にはロシアン・ルーレットが歓迎の証になる事さえあるのだ。 龍麻が引きつった顔をしているのを見て、京一はからかうように言った。 「お前、また何か勘違いしてるだろう? 日本の花見にゃ危険な事はねえぞ。せいぜい酔っ払いが暴れるくらいだ」 「そ、そうか。ならば問題ない」 何をどう誤解したのか、非常に興味深いところではあるものの、これ以上この男を突っつくとどんな言葉が飛び出すか判らない。京一でさえ、龍麻への不用意なツッコミは控えようと決めていたのである。 「――さて、それじゃあ行きましょうか」 と、突然入ってきた第六の声が促す。こういう登場をする女性は一人しかいないが、龍麻以外の四人はビクウッ! と緊張した。何やら不穏当な龍麻の体験談(?)を聞かれたかも知れないという緊張である。 「アン子か。突然現れて何仕切ってんだよ」 「なによ。緋勇君の歓迎会なら、当然あたしが参加する権利もあるでしょ。ねえ、緋勇君、いいでしょ?」 「問題ない。断る理由はない」 やりィ! と指を鳴らすアン子とは裏腹に、京一と醍醐は難しい顔をする。アン子に秘密を握られたが最後、どんな無理難題を吹っかけられるか判らない事を二人とも熟知しているためだ。仮にアン子が龍麻の秘密を握ったとしたら…どう考えても恐い事になりそうなので二人とも、考えるのを止めた。 「これで全部で六人ね」 イベントに疎い龍麻を差し置き、女の子三人の話は弾む。 「まあ、ひーちゃんはプロだ。俺たちが心配する必要なんかねェだろうよ」 「それもそうだ。だが、ならばこそ京一、絶対に酒など持ち込むなよ」 「…ンだよ、しつけえぞ、醍醐」 「お前の諦めの悪さを俺はよーっく知っているからな。ジュースに混ぜてでも持ってきかねん。もしそれがまかり間違って龍麻の口に入った場合…もし、もしもだぞ? 龍麻が酒乱であったとしたら…」 「わーッ! やめろ醍醐! それ以上言うな!」 そんな事になったら、きっと阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されるだろう。げらげらと笑いながらウッズマンを乱射する龍麻と、一発で頭を撃ち抜かれ、あるいは死ぬまで徹底的に急所を外して弾丸を撃ち込まれる自分たちの姿が想像できてしまい、京一は思わず大声を上げた。 「酒なんか持ってくるもんか! 絶対に持ってこねえ!」 これは京一の魂からの叫びであったし、醍醐もこれなら大丈夫だろうと踏んだのだが、なまじ真剣な京一の声は、返って女性陣の不信感を煽ったらしい。 「まったく京一は…あ! それならマリア先生も呼んじゃおうか」 「お、おいおい。幼稚園の遠足じゃねえんだぞ」 さすがに京一が反論する。 「酒抜きったって、仮にも花見の席だぜ。先生同伴じゃ雰囲気悪いぜ」 「あら、マリア先生ならそんなに固い事を言わないと思うわ。お酒は無理でしょうけど、きっと一緒に楽しんでくれると思うわ」 「いや、そうは言ってもよォ」 同意を求めるように龍麻や醍醐を見る京一だが、二人はそ知らぬ顔をしている。 「あーッ、もう、男の癖にウダウダ言わないの。さ、行くわよ!」 「なっ、なんだよ。後から来て仕切ンなよな」 結局、女性陣のかなり強引な意見が通り、アン子を先頭に女性陣は意気揚々と教室を出た。その後ろにまだぶつぶつ言っている京一と、苦笑している醍醐が続く。龍麻は一番最後だ。 ところが、教室を出た途端、龍麻は醍醐の広い背中に鼻先をぶつけた。醍醐が急に立ち止まったのである。 「…何をしている。止まるなら止まると言え」 とりあえず文句を言う龍麻だったが、醍醐だけが止まったのではないと知って顔を前に向けた。 「佐久間…」 醍醐が呟く。顔を強張らせた女性陣の前に立っているのは入院していた筈の佐久間であった。 「もう身体の方は良いのか? お前が復帰するのは喜ばしいが、初日からあまり飛ばしすぎるなよ。もっとも力が余っているだろうから――」 「うるせえっ!」 ただ一人、親しげに話し掛けた醍醐の言葉を、佐久間はいらただしげに遮った。そして色めき立つ醍醐、京一を睨みつけた後、龍麻に向き直る。 「オイッ、緋勇ッ! もう一度俺と闘え!」 「!? ――良かろう」 龍麻の答えは、誰にとっても予想外で、しかも早すぎた。恐らくやる気満々で来たであろう佐久間にとっても。 皆が瞬きした一瞬後、龍麻は既に右手一本で佐久間の喉を…いや、親指と人差し指のみで佐久間の頚動脈を極めていた。 「龍――!」 醍醐が何か叫ぼうとするよりも早く、佐久間は壁にもたれてズルズルと崩れ落ちた。レスリングで鍛えている佐久間の猪首を、たった指二本で極めた上、三秒とかけずに落としてしまったのである。 「終わった。行くぞ」 まるで蚊を叩いたような気安さである。そして、あまりに早すぎる決着に、あっけに取られた一同の間をすり抜け、龍麻は先頭に立って歩き出した。はっと我に返り、女性陣が後に続く。醍醐は佐久間をそのままにして置けなかったようだが、 「あんなにあっさり倒されたってのに、また向かってきたんだぜ。自業自得さ」 と、京一に背を叩かれ、後ろ髪を引かれるような思いで醍醐はその場を後にした。 土曜日の午後となれば、教師といえど職員室に残っている者はまばらだった。問題ありそうな生徒のチェック、部活動なら新入生の歓迎会、あるいは教育方針の見直しなどを図っている教師もいるだろう。しかし、全国的にこの季節、土日にまじめに仕事をしているような日本人など、ほとんどいないのではあるまいか? マリアは職員室にはいなかったものの、校内に残っているようだ。一同は職員室前で少し待つ事にした。そこで醍醐は、先ほどの行動に付いて龍麻をたしなめた。 「緋勇、今更俺の口から言うのは気が引けるが、やはりあのようなやり方は良くないと俺は思う。あれでは何の解決にもならないのではないか?」 「彼の望みは叶えたぞ」 龍麻はこともなげに言う。 「その結果が望むものと違っても、自分に非はない。彼が望むように振る舞ってやる義理はないからだ」 「いや、俺が言っているのはそういう事じゃなくて、暴力的な手段では何も解決しないのではないかと言っているんだ」 「それは自分の仕事ではない。国連の紛争調停委員会に言え。猫なで声で《止めた方が良い》と言って、彼が聞くとも思えんが」 「そ、それは…」 第三者的立場で見ても、この二人の意見はどちらも正しく、間違っていると言えた。売られた喧嘩を買い、即座に佐久間を制圧した龍麻も龍麻だが、性懲りもなくまだ龍麻に挑もうとし、周囲にまで危害を加えかねない佐久間に対して、まだ言葉による説得が通じると思っている醍醐も醍醐だ。しかし、甘えを許さぬ世界に生きてきた龍麻の方が、言葉に遥かに重みがある。 「君のように、ルールを決めて闘うと言うのであれば、それは試合となる。だが彼のそれは単なる暴力に過ぎん。どういうつもりで宣戦布告したのか知らんが、そのつもりで来ていながらあの体たらくではやる気も起きん。自分を殺したいだけなら武器を揃えて闇討ちにする事だ。その時は速やかに抹殺してやる」 「……!」 アン子だけは、それが龍麻なりの自信の現われと取ったようだが、他の四人にとってはそうでなかった。龍麻にとって命のやり取りは日常茶飯事であり、相手が誰であろうと関係ないのだ。彼にはいつでも、《殺す覚悟》ができている。 「…大層な自信だな、緋勇」 何も言えなくなってしまった一同に代わり、声をかけてきたのは、職員室から出てきたばかりの犬神であった。皆、狼狽し、京一などはげっと声を上げたが、龍麻だけは直立不動の敬礼を送る。 「しかし、過ぎる自信は命を縮めるぞ。自重する事も覚えた方が良いな」 「はっ、ご忠告、痛み入ります」 「ふん、まあ良い。ところでお前たち、何か隠し事をしていないか?」 全員が全員、思い当たる節があるのでビクッとする。龍麻だけは例外だが。 「い、いやだなあ、センセーに隠し事なんかする訳ないじゃないですか」 努めて明るく言ったつもりの小蒔であったが、むしろバレバレである。 「ほう。すると昨日の夕方、お前たちが旧校舎に入っていくのを見たのは俺の幻覚だったという事かな、緋勇?」 「否定であります。自分たちは先日一八〇〇時、立ち入り禁止区域である旧校舎内に潜入いたしました。しかしながらその行為は正式に許可を受けた美里葵、遠野杏子両名が旧校舎内に赴いた際、内部で互いの位置確認が不能となり、遠野杏子が我々四名に対して救助を要請、承諾したものであります。我々が学校側の許可なしに旧校舎内に立ち入った事は違法ではありますが、教員は全て帰宅後であり、また、時間的余裕もなかったために、現場の判断として独自に救出作戦を遂行しました。報告を怠った事に付いては、指揮を執った自分に責任があります」 あっさりと白状…どころか、すらすらと筋の通った説明をする龍麻に、皆驚き呆れてしまった。龍麻は自らの行為を違法と知りつつ、少しも恥じ入る事ではないとの自信を持っているのだ。 「ふん。あっさり認めたか。…別に俺は、お前たちを罰しようと思っている訳ではない。但しあそこには二度と近づくな。危険だからな」 《危険》…その言葉に、ジャーナリスト魂とやらを刺激されたのだろう。アン子が口を挟んできた。 「先生! 先生はまさか、あそこにある何かを知っているんですか!?」 「何か?意味が分からんぞ、遠野。俺はあの校舎が、老朽化が進んで崩れかねないから危ないと言っているんだ。高校生にもなって探検ごっこにうつつを抜かしてはいかんぞ」 ぐ…と詰まるアン子から視線を外し、犬神は一同を再度見渡した。 「マリア先生なら間もなく戻られるだろう。マリア先生は優しい先生だが、だからと言ってあまり迷惑をかけるなよ」 「私たち、マリア先生を誘って、一緒に龍…緋勇君の歓迎会を兼ねてお花見に行こうと思っているんです」 「ほう。確かに中央公園は今花盛りだからな」 「よろしければ、先生もいらっしゃいませんか?」 後の方で京一が「止めろって! 美里!」と小声で言ったのだが、犬神の方が首を横に振った。 「いや、俺は桜という奴が嫌いでな…」 「桜が嫌い〜っ!? それでも日本人かよ」 「日本人なら誰もが桜を好きという訳ではあるまい。俺が桜を好きになれないのは、桜が人に似ているからだ。どんなに美しく咲き誇ろうと、その命は短くやがては散ってしまう。人も同じだ。どれほど命を燃やそうとも、やがては去ってしまうものだ。俺には桜の花も、人間も、無駄に命を散らせているようにしか見えん」 何やら深刻で詩的な話だが、六人の内四人までは既に白旗を上げている。 「でも、先生。いつか散ってしまうと分かっていても、だからこそ桜は美しく咲くのではありませんか? いつか死ぬと分かっているからこそ、今この瞬間を一生懸命生きるからこそ、人も美しいのだと思います」 「美里、お前の言う事も判る。それが正しく、同時に間違っている事もな。《死》を認識していない内は、幾らでも人間を美化できる。つまりそれは、詭弁だよ。――ん? 何か言いたそうだな、緋勇?」 「肯定であります。犬神先生」 龍麻は肯いた。 「大凡において、自分は犬神先生と同意見です。しかしながら、それをあえて否定する必要を自分は認めません。たとえ短い命を無駄に散らそうとも、桜は見ている者に平穏と感銘を与えます。人も同じく、その者の価値は何を為したかで決まります。仮に志半ばで倒れ、誰もがそれを無駄死にと笑おうとも、同じ立場に立った事のある者はその者を決して笑わないでしょう。短い命を無駄に散らす事は愚かだと思いますが、何も為さず無駄に生き続ける事も同義と自分は考えます」 龍麻が長台詞をしゃべった事と、その内容の重さに一同は呆気に取られたが、それ以上に《あの》犬神を絶句させた事が一同を驚かせた。クールで皮肉屋で、しかしいつもやけに説得力のある言葉を吐く犬神を、正論で言い負かす事ができる生徒がいるとは…。 「…まあ良い。それより、中央公園に桜以外のモノが散らんように気を付ける事だな」 これは皮肉か、警告か。しかし犬神は言葉の裏をつかませぬまま、《羽目を外しすぎるな》と言い残して立ち去った。入れ替わりにマリアが来たので、それきり一同は、どこか警告じみた彼の言葉を忘れた。 犬神とは違い、マリアは二つ返事で参加を快諾したので、全員六時に中央公園入り口に集合を約束し、一旦解散する事にする。マリアは残りの仕事を片付けてからと言うので職員室で別れ、ぞろぞろと一同連れだって校門のところまで歩いてきた。その時ふと、遠目でも判る異様な風体の少女が彼らの前を横切った。 「あ、ミサちゃんだ。そうだ、ミサちゃんも誘おうよ」 「ば、馬鹿小蒔! なに言ってやがる!」 マリアはともかく、裏密ミサまでとなると我慢できないらしい。京一が猛然と、醍醐も巨体を震わせながら反対した。 「何でだよお。もう、ひーちゃんの歓迎会だって言うのに、呼んだって良いじゃない。もっとも、ひーちゃんが決める事だけどさ。ねえ、ひーちゃん。ミサちゃんも誘って良いでしょ?」 「俺は構わんが、その二人はなぜ俺を拝む?」 見れば京一も醍醐も、必死の形相で龍麻に手を合わせている。龍麻にはなぜこの二人が裏密をここまで避けるのか理解できなかった。確かに尋常でない雰囲気を纏っているが、ロンドンやプラハには今でも魔導士や魔女がいるので、龍麻にはごく当たり前の存在でしかないのだ。 「もう! なんだよ、二人とも。おーい! ミサちゃん!」 「うふふふふふ〜、呼んだ〜?」 独特の笑い声と共に、裏密が近づいてくる。やむを得ず覚悟を決めたようだが、京一も醍醐も龍麻の背後に隠れて出てこなかった。女性陣は普通に話しているのに、面白い反応だと龍麻は首を捻っていた。 「ボクたちねえ、ひーちゃんの歓迎会でお花見に行くんだけど、ミサちゃんも行かない?」 「お花見〜…桜〜…赤き王冠〜。…場所はどこ〜?」 「中央公園だけど…」 「西の方角ね〜。7(ザイン)に剣の象徴あり〜。う〜ん、止めた方が良いかもね〜」 「ええっ? せっかくのお花見なのに〜ッ」 いささか不吉な言葉と共に断られ、小蒔は不服そうである。 「赤き王冠に害なす剣〜…鮮血を求める凶剣の暗示だね〜。あっちは方角が悪いね〜」 「そんな〜っ。この時期だけの楽しみなのに」 「信じるか〜、信じないかは〜、みんなの〜勝手だけどね〜。とにかく〜、信じる者には〜予言者の加護があるわよ〜」 「予言者ってお前の事かよ…」 龍麻の後ろで、京一が呆れたように呟く。 「じゃあ、ミサちゃんは行けないのね?」 「そういうことで〜、悪いけど〜」 あまり悪いとは思っていないようで、裏密はニヤ〜っと笑う。化け猫にでも見据えられたように、京一と醍醐が固まった。 そこに、何事か思いついたか、アン子が口を挟んだ。 「ちょっと待って、ミサちゃん。剣って言ってたけど、まさかこの前の国立博物館から盗まれた刀が関係しているの?」 「盗まれた刀ァ!? なんだよ、それ」 ちょっとは新聞読みなさいよ! と京一の頭をどやしつけ、アン子は皆に説明した。 「ええっと、今、国立博物館で全国から集めた日本刀の展示会をやっているの。とりあえずそれは良いとして、一振りの日本刀が、そこから盗まれたのよ」 「私も新聞で見たわ。確か、盗まれた情況が異常だったって…」 「その通りよ、美里ちゃん。防犯装置も働かず、警備員も気付かない内に、今そこにあった刀が消えたって言うのよね。ショーケースの中に入っていて、基本的に誰にも触れる事のできない刀だったのに」 「……」 「それで、その刀って言うのがもう、すこぶる曰く付き! 最近になって、日光の華厳の滝近くで発掘された古刀なんだけど、これがいわゆる、徳川に仇なす妖刀なのよ」 それまでずっと後ろにいた京一が身を乗り出したので、龍麻は少し驚いた。 「まさかそれ、村正なんてんじゃねぇだろうな?」 アン子は《得たり!》という顔をした。 村正…。室町時代、伊勢地方で僅か数代続いた刀匠の名である。かの名工、正宗を師匠に仰ぎながら、《刀とは人を斬る道具》と断じてひたすら斬れ味と殺傷力のみを求め、遂には破門された村正であるが、その刀の斬れ味たるや、人を斬るは朝露を斬るがごとく、神に遭うては神を斬り、魔物に遭うては魔物を斬るとさえ言われた名刀であった。 しかし、その一方で、その斬れ味に魅せられた剣士がむやみに人を斬ろうとする事から、いつしか《人を斬りたい》という怨念に満ちた、持ち主の魂を吸い取るあやかしの刀とも噂されるようになった。その風評に拍車をかけたのが、その刀と戦国最後の覇王、徳川家の関係であった。 かの徳川家康の祖父松平清康は村正の持ち主に殺され、父広忠も村正で傷を負わされ、遂には嫡男信康が切腹に使用したのも村正だったと言われている。 当然、徳川政権下、このような曰く付きの刀の存在を許す筈もなく、元々数の少なかった村正銘の刀は大部分が処分されたが、その斬れ味を惜しむあまり、銘をごまかすなどの工夫を施して残された刀などもあり、徳川十四代慶喜の頃になると、反幕の徒が競って村正を求めたという。 「もちろん、この話に信憑性はないけどね。でも本当に村正だったとしたら、現代の江戸、東京にも祟りがあるかもよ」 「なんだか嬉しそうに言うよね、アン子って。でも村正なんて…」 一度でも日本武道に手を染めれば、村正の名を聞かない者はいまい。しかし龍麻には、なぜ皆が一振りの日本刀にそれほど大騒ぎするのか理解できなかった。 「仮にその村正が中央公園にあったとして、何か問題があるのか?」 どうしても疑問が氷解せず、龍麻は珍しく自分から聞いてみた。 すると全員、《意外!》という顔で彼を見た。 「お前…村正を知らないのか? あの妖刀を?」 「村正を持つと、無性に人を斬りたくなってしまうって聞いたよ」 「持ち主の魂を吸い取るなんて話もあったな。刀に操られてしまうというのか…」 口々に村正の伝説を語る彼らに、龍麻は一言「ナンセンスだ」と断じた。 「その村正とやらがどれほど優れた刀かは知らないが、ただそれだけで人を斬りたくなるなど論外だ。まして道具である刀に操られるなどとは、あまりにも突拍子が無さ過ぎる」 「けどよォ、その筋じゃ有名な話なんだぜ」 「俺が思うに、優れた道具を手に入れた嬉しさの余り、人を斬り殺した者がいて、その者が自分の理性が未熟なのを知られるのが嫌で付いた稚拙な嘘が、時代を追う毎に尾鰭が付いたものだろう。今、アメリカでは銃規制が叫ばれているが、彼らの言い分を分析すると、《銃がなければ犯罪は起きない》というものらしい。これもナンセンスな話だ。銃の所持を認めていないこの日本でさえ、殺人事件は起きているではないか。銃も刀も、それだけでは人を殺す事はない。人を殺すのは殺意だ。トリガーを引く意志、刀を振るう意志だ。百歩譲ってその刀の見事さにその斬れ味を試したくなったとしよう。しかし、《人では試さない》のが、人としての《理性》ではないのか? 自らの未熟な理性を棚に上げて、道具のせいにするとは、愚かと言うにもほどがある。かつて煙草を吸いすぎて健康を害した男が煙草会社を訴えた事があったが、それと同じだ。なぜ、自分の言動や行動に責任を取らないのだろうか?」 またまた、龍麻の長台詞である。しかもさっきより、さらに哲学的だ。そして、佐久間との一件があった後だけに、凄まじい説得力を持っていた。銃や刀のように固有の形こそないが、佐久間は《暴力》を信仰する者である。その《暴力》を持ちながら、それを振るわないのは《理性》だ。龍麻は《理性》の制御を受けていない佐久間の《暴力》を、《理性》で制御された《暴力》で制圧したのである。自らの責任において。 「しかし、盗まれた刀が中央公園にあるという可能性は限りなく低い。気にしても仕方なかろう」 「そ、そうだね。じゃあミサちゃん、残念だけど…」 裏密は「じゃ〜ね〜」と挨拶しつつ、校舎の方へと消えていった。こんな時間から何をするつもりだろうと小蒔が振ったが、京一も醍醐も冷や汗を流すだけで何も答えなかった。 「それじゃ、午後六時にここに集合! 遅れた人は罰ゲームね!」 「ちょっと待て」 龍麻がそろりと切り出したのだが、小蒔は聞いていない。 「それじゃ、また後でねーッ!」 「おい、京一」 「またなっ」 「醍醐…」 「じゃあな」 「アン子…」 「さて! カメラの準備しなくちゃ!」 「……」 久しぶりに長台詞を連発したものだから、戦闘時ではない龍麻の声には迫力がない。誰一人、蚊の鳴くような彼の声を聞き届けたものはいなかった。 いや、一人いた。 「葵殿!」 「え…? 龍麻…くん?」 葵は何事か考えていたらしく、他の連中と違ってすぐに追いついた。 「一つ、折り入って相談があるのだが、良いだろうか?」 「え、ええ。構わないけど…」 「うむ。自分はまだ、中央公園という場所に行った事がない。手間でなければ案内してもらいたいのだが…」 自宅を狙撃できるポイントを優先的にチェックしている龍麻は、実は近所の事に疎い。葵は《なんだ》というような顔をしたが、すぐににこりと笑って、 「ええ。私も龍麻君に相談したい事があるし…。それじゃ、集合三十分前に校門のところで待ち合わせをしましょう」 「ありがたい。助かる」 その時龍麻は、葵がふっと明るい表情をした事に気が付いた。 先ほどまでの彼女は、何か悩んでいたようだった。それが、自分と待ち合わせをすると言った途端に明るさを取り戻した。これは、なにかある。 (まさか俺は、自ら墓穴を掘ったのでは…?) 転校初日に小蒔と交わした、葵との交戦宣告(!)。あれは未だ水面下で動いていて、先制攻撃のチャンスを掴めずにいた葵が、自分の提案によってチャンスを得た、という事ではなかったのか? (いかん。これは一刻も早くセーフハウスに戻り、装備を点検せねば) 哀しいくらいに軍事オタク(本職なのだが)である緋勇龍麻は、未だに誤解が解けぬまま、悲壮な覚悟を固めつつ家路に付いた。 戦場において、確実に勝利を納めんとするならば、およそ有効と思える戦術は全て駆使せねばならない。もちろんそこには敵の志気、物量、指揮能力などを考慮し、最良な選択をせねばならないが。 とにかく、緋勇龍麻は葵との待ち合わせ時間より、さらに三十分も早く校門に着き、周囲の地形と状況のチェックに余念がなかった。今回役に立ちそうな装備はトレンチ・コートを着込み、その中に忍ばせてある。おそらく、万全な準備だ。 「龍麻君…早いのね…」 (葵殿も十五分も早い。やはり待ち伏せをかけるためか…) 事前に葵の攻撃を防ぐ事に成功したと、もはや馬鹿である龍麻はそう思った。 「うふふ…。待たせるのは嫌いだから早く来たのに…。でも、ゆっくりできるわね」 「う、うむ」 (ゆっくり料理できるという訳か。そうは行かんぞ、葵殿) 龍麻はとことんしつこい。 二人は中央公園への道行きをゆっくりと進んだ。 しばらくは黙って歩いていたのだが、やがて意を決したように、葵が話し掛けてきた。 「あの…龍麻君。私、どうしても龍麻君に相談したい事があるんだけど…迷惑じゃないかしら?」 「指揮官たるもの、部下の精神状態に関しても注意を払う余裕を持たねばならん。だが今は、同級生として聞こう」 いささか固い返事であったが、それも彼の事だからと、葵は微笑して礼を言う。 「本当に…聞いていてくれるだけでもいいのだけど…」 既に龍麻は臨戦態勢である。葵の一言一言を細大漏らさずチェックする構えだ。 「この前の旧校舎のこと、覚えてる? 私が気を失って、それで…」 (むう…記憶力のテストにしては、時間が早すぎるが…) 「あの日…あの旧校舎での出来事から、私の中で何かが変わった…。それは、私の心に呼びかけてくる暖かい気持ち…。優しさ…慈しみ…。心地よい温もり…。でも…」 (……?) 「ときどき、私が私じゃなくなっていくような気がして…、元の私が消えていくようで…別の私に変わって行ったら、どうなってしまうのか…。このまま…このまま、みんなのこと忘れていってしまうんじゃないかって…怖いの…」 さすがに事ここに至って、龍麻はどうやら葵が本気で悩んでいるらしいことに気付いた。 「どうしていいか、わからなくて…。この《力》はいったい何なのかわからなくて…龍麻くん…私…私…」 ふむ、と頷き、龍麻は葵をいきなり抱き寄せた。 「あっ…!」 いささか強引で荒っぽい抱き寄せ方に、葵が龍麻の腕の中で固まった。 「た、龍麻くん…!?」 「葵殿、自分の心臓の鼓動を感じるか?」 「え…?」 それこそトレンディードラマの白痴的主人公でもなければ口にしそうにない台詞を、龍麻は臆面もなく口にした。しかし、他の者がこれを口にしたなら葵でも笑ったろうが、冗談事ではない龍麻の様子に、葵は黙り込む。 「脈拍は正常。血圧も血糖値も正常。精神的安定も保たれている。だが、自分は本当に生きているか? ここで話しているのは、自分ではない別の何かではないか?」 「龍麻くん…? 龍麻くんは、龍麻くんでしょう…? 他の、誰でもない…」 「その通りだ。自分は緋勇龍麻だ。他の何者でもない。だが同時に、それは正しくない」 「え…?」 龍麻は少し黙り込み、やがて言った。 「自分が、緋勇龍麻という名前を取り戻したのは、ごく最近のことに過ぎない。今まで生きてきた時間の半分以上、自分は番号で呼ばれていた。一個の、戦闘マシンとして。それが、ナンバー9だ」 「……!」 「しかし、あの時、初めて命令に逆らった時、我々の中で何かが変わった。命令は《死ね》というものだった。我々は危険分子であるとしてな。我々の隊長は命令に逆らい、直属上司として我々に最後だという命令を下した。《もはや我々に命令する者はいない。自由に生きよう》と」 葵には、龍麻の話が半分も理解できない。異常なほどの戦闘力と、本物の銃を振り回す姿を見せられてもなお、龍麻を疑う気持ちが残っていたことを葵は初めて悟った。そして彼が今、真実の一端を話していると。 「結局、我々の造反は失敗に終わった。仲間たちは全滅し、自分だけが逃げ延びた。我々が望んだもの、《普通の人間》として生きるべく、情報部に渡りを付け、機密情報と引き換えに戸籍その他を偽造し、とある高校に潜伏した。しかしそこで自分は、己がいかに世界と切り離されているか認識しただけだった。《普通》の高校生は、銃やナイフを振り回すことはしないし、人を殺すための訓練をすることもない。食べたいものを食べ、呑みたいものを呑み、音楽を聞き、テレビを見、笑って、嘆いて、悲しんで、そういった無駄な行為の積み重ねこそ、《普通の人間》である証だと知った。だが自分は、それを実践した時、己が何者であるのか肯定できなくなった」 「え…?」 「《普通》の高校生たらんとする時、自分が身につけた全ての技能が障害となる。それを捨て去らねば《普通》にはなりえず、しかし全ての技能を捨て去ってしまうと、そこには《自分》が存在しなくなる。どうあっても俺は、《自分ではない自分》を肯定せざるを得ないのだ。それは、あまりにも恐ろしかった。捨て去るべき《戦闘マシン》である己を否定した時、全ての仲間の記憶さえ、捨て去るものの中に入れられてしまうのだ。決して失いたくないものであるのに、《普通》であるためには、それが邪魔なのだ。それを悟った時、自分は《普通》であることを止めた。失ってはならぬもののために」 「……」 「だがある時、二人の少年少女が俺に教えてくれた。緋勇龍麻である自分と、番号だけの自分も、等しく《自分》という存在の一部なのだと。無理に捨てるものでも、否定しなければならぬものでもないことを。葵殿。君は確かに《普通》ではない《力》を発現させたかも知れん。しかし君自身は、美里葵という存在は、決して消滅することはないのだ。ありのまま受け入れ、悩むのは後でも良い。葵殿、君は決して、一人ではないはずだ」 これだけ長く、思考力と舌を駆使したのはほとんど初めての事である。龍麻は顔面一杯に脂汗を浮かべていた。彼としては安心材料を与えたつもりであるのだが、果たしてうまく行ったのかどうか、確認する術を彼女の返事以外に持たない彼である。 「ごめんなさい…変な話をして…」 (…なぜ謝るのだ? やはり、対応を間違えたのだろうか…?) 「あっ、誰か来るわ。…あれは、京一君と醍醐君」 見れば、人ごみの中を見慣れた赤毛に木刀、それと周囲から頭一つ抜きん出た巨体が近づいてくる。すると、腕の中から葵の気配が遠のいた。 すわ! 攻撃開始か!? 龍麻が戦争馬鹿に戻った時、葵は小声でそっと言った。 「ありがとう…龍麻…」 なぜかニヤニヤしている京一と、顔を真っ赤にしている醍醐、常にもましてニコニコしている小蒔、そして何やら不穏な笑いを浮かべているアン子。並の人間なら今の一件を見られたと悟るところだが、少しも普通ではない龍麻は平然と彼らに向き合った。 「現在一七五七時。後はマリア先生が来れば全員揃うな」 「そうか? いやあ、もう少しゆっくり来れば良かったよなあ、醍醐」 「う…うむ…」 醍醐の歯切れは悪い。真神の総番長殿は色恋沙汰には中学生並みに純情なのだ。それに付いてもう少し京一がツッコミを入れようとしたところで、マリアが現れた。 「あらミンナ、もう来てたの? ひょっとして待たせちゃったかしら?」 「否定です。マリア先生は時間通りにいらっしゃいました」 「フフフ。授業中じゃないのだから、もう少しリラックスしてね。私も緋勇君を歓迎しているのだから」 「はっ、光栄であります」 そうは言っても、さすがに教師相手となると砕けられない龍麻であった。 第参話 妖刀 1 完 目次に戻る 前(怪異 2)に戻る 次(妖刀 2)に進む コンテンツに戻る |