
第壱拾六話 魔獣行 前編 4
「うわあ、京一、カッコ付け過ぎ。ボク、鳥肌立っちゃったよ」
「うふふ。小蒔、そんな事を言ってはいけないわ」
「彼の中でキョーチは美化二〇〇パーセント(当社比)されてマスネ。デモ、いいじゃないデスカ。僕たちは援護に徹しまショウ」
「ウンッ。そうだねッ」
大蛇には龍麻、京一、醍醐、霧島が当たる。自分たちはその闘いに茶々を入れる邪霊の始末――と、無言の内に小蒔とアランが背中合わせに各々の武器を構える。葵はさやかを招き寄せ、いつでも防御術、回復術、あるいは【ジハード】を発動させるべく【気】を練り始める。
「よ、よしッ! 俺っちたちもやるぞッ!」
「う、うむ!」
「私たちの力、今こそ見せるわッ!」
やはり、どうしても脱力を誘うコスモレンジャー三人組。葵は苦笑しつつ、彼らの為に防御術と攻撃力をアップさせる術をかけてやる。
「三人とも、無理はしないでね」
「「「イエッサーッ!!」」」
最初の物怖じも何のその、元気良く飛び出して行くコスモレンジャー。小蒔とアランは既に邪霊の掃討を開始しているが、遠距離にいる邪霊のみに的を絞り、コスモレンジャーにも出番を与える。紅井のバットが唸り、黒埼の蹴りが飛び、本郷のリボンが躍る。――とても龍麻たちと比べるべくもないが、邪霊程度なら倒せない相手ではない。
「美里さん…あの方たちは…?」
さやかにはれっきとした【神威】の力がある。しかし、それがコスモレンジャー三人組からは感じられず、さやかは少し不思議に思ったのである。今の霧島からも【力】を感じるのに、彼らからは微弱な気配すら感じられない。昨日の話では、自分たち以外にもたくさんの【神威】がいると聞いていたのに…。
「【力】にも色々あるという事よ。ほら、見て」
「――ッッ!?」
葵が指差すのを目で追ったさやかが息を呑む。
コスモレンジャー三人組は、自分たちの特性を生かし、邪霊を旨く誘導していた。紅井は超高校級のスラッガーらしくバットでふっ飛ばし、黒崎は見事なフットワークで邪霊を撹乱、本郷はリボンで邪霊を引き寄せる。そして程よく邪霊が密集したところで、彼らお得意の――
「「「【ビッグバン・アタ――ック】ッッ!!」」」
真神の【旧校舎】でしごき抜かれた末に、遂に完成した彼ら三人の方陣技が炸裂。邪霊の群れはその一撃で全て消滅してしまった。
「ふええ。完成するとこんなに威力があるんだ…」
【ビッグバン・アタック】の完成バージョンを初めて見る小蒔が、そんな感想を洩らす。
「Oh…なかなか面白そうな技ですネ。――なんだか僕も混ざれるような気がしまシタけど」
おおっと!? と引く小蒔。そう言えば、ここにもコスプレーヤーが一人いたのだった。
しかし、そんなほのぼのとすらしている空気を、大蛇の咆哮が切り裂いた。そして、霧島の悲鳴が。
「――霧島君ッッ!!」
「でりゃあァァッッ!」
京一の斬撃が大蛇の胴を捉える。【スサノオ】が言った通り、彼と大蛇自身の血を塗り付けた木刀は、確実に大蛇の鱗を切り裂いた。ただ、蛇ゆえの強靭な生命力の為、それほど大きなダメージとはならない。何より、返り血そのものが毒と来ては、あと一歩踏み込む事ができないのだ。
「クソッ! このままじゃ埒が開かねェぜ!」
「ああ! 【鬼】とはまた違った意味で厄介だ!」
【白虎変】を発動し、得意の【虎爪】を叩き付ける醍醐であるが、大蛇の血はあまりに強力な腐食毒のため、彼でも無理はできない。
「やむを得んな。弾丸を温存してこちらがやられては無意味だ」
【アナコンダ】・ストライダー・カスタムに対妖魔専用ダブルブリットを詰める龍麻。【変生】した五人衆さえも一発で倒すこの弾丸は、しかし制作費が無闇に高く、【彼】が送ってきた弾丸も五〇発のみである。如月に相談すると、一発作るのに二万ドルかかるコストには目を瞑っても、八ヶ月もの制作期間はいかんともしがたく、【現場】の【ストライダー】たちの分だけで手一杯。如月の名を出してもおいそれと仕入れることはできないのだそうだ。
しかし、京一がそれを止める。
「ひーちゃん! 我慢しろよ。この程度の相手にそいつを使ってたら、九角の言う【敵】とやらと出くわした時にやばいかも知れねェんだ。なんとか――このままやろうぜ!」
とは言え、【気】を放出する技を寄せ付けない大蛇だ。こつこつとダメージを与えていくのもいいが、龍麻たちはともかく、霧島は初めて【力】を使った実戦であるため、早くも息が上がっている。
「――唸れ、剣よッ!!」
大蛇の鱗を大きく切り裂く赤く染まった剣。大蛇と戦っている者の中では霧島がもっとも有効なダメージを与えられるのだが、いかんせん、経験不足と彼本来の攻撃力不足が徒になっている。
「――それじゃ駄目だって言ってるだろうが! もっと集中しろ!」
「は、はいッ!」
ネコっ毛の童顔…およそ武道とは無縁そうなのに、霧島の腕は相当なものである。だが、異形のものと闘うにはそれだけでは駄目なのだ。拳、または武器に【気】を完璧に乗せられなければならない。
「諸羽! ちょっと来い!」
「え!? は、はいッ!」
大蛇の注意を龍麻と醍醐に任せ、霧島を呼ぶ京一。そして彼はいきなり、霧島の腹を殴った。グエッと呻く霧島。
「きょ、京一先輩…!?」
「痛ェか? だったらその場所に思い切り力を込めろ! 【力】を使おうなんて考えるな! 下っ腹に力を込めたまま無心で剣を振れ!」
「は、はいッ!」
(素直なのは良いんだが…攻撃的じゃねェんだよな)
【さやかを護る】――その一心で【神威】に目覚めた霧島である。その想いは本物だが、大蛇が【帯脇】であるという事実を知っている為に、非情になり切れていない。それが迷いを生み、【気】の練磨を阻害しているのだ。
「悪戯に時間は掛けられん! 京一、醍醐!」
「――応ッ!」
多くを語らずとも、龍麻の望むところを理解して左右に散る京一に醍醐。方陣技、【サハスラーラ】の態勢を取る。
「霧島! ヤツが怯んだ瞬間を狙え! ――行くぞ!」
「よっしゃ!」
三人の作り出す正三角形の力場に爆発的な光が生じ――
「「「破ァァァァァァァァ――――ッッ!!」」」
自身の血を縫った武器でなければ【気】をも弾き返す大蛇も、全体表面に同時に叩き付けられる【気】の衝撃は受け止め切れなかった。もともと力場内で【気】を乱反射させ、【気】の飽和状態を作り出す【サハスラーラ】である。反射能力など持っていてはそれを増幅するようなものであった。
「今だ!! ――【螺旋突き】ィィッ!!」
【スサノオ】になっていた時と同じように大蛇の絶対的急所、口の中に剣を突き込む霧島。思惑通り、剣の切っ先が大蛇の上顎に突き立ち、外皮まで抜けた。しかし――
「うわあァァァ――――ッッ!!」
「諸羽ァッ!!」
【これ】がある為に、龍麻たちが距離を取っていたというのに! 霧島は大蛇が明確にダメージを受けた為、チャンス到来とばかりに油断してしまったのだ。返り血を浴び、霧島の左半身が焼け爛れる。とっさに京一が彼の学生服を引き剥がしたが、それでもかなりの怪我を負ってしまった。
「霧島君ッ!!」
「くっそ――ッ! 行け! 【火龍】ッ!!」
「ジャックポット!!」
小蒔とアランの援護射撃! しかし二人の武器では牽制にしかならない。動きが止まった京一と霧島に、狙い澄ました大蛇の顎が迫る!
ラ・ラ……
「――ッッ!!」
正に京一に大蛇がかぶりつこうかという瞬間、何かの衝撃が大蛇の頭を打ちのめした。
ラ・ラ……ラ・ラ……
「な、なにッ!? これ…歌!?」
瞬間、大蛇の顔前で閃光が走り、爆発する。大蛇の顔面が焼け焦げ、奇声を上げさせる。
「――さやかちゃん!?」
それが、さやかの【術】である事に、葵が真っ先に気付いた。
【術】系の技を持つ【魔人】は【力】を行使する時にトランス状態に入る。今のさやかがその状態であった。彼女の全身が奇麗な円を描く青白いオーラに包まれ、彼女の唇が紡ぎ出す、祝詞のような呪文のような不可思議な響きを持つハミングに乗って【力】が放出される。それが発揮される時の余波で、神秘学に言う【ダイレクトボイス】が生じているのだ。
ラ・ラ……ラ・ラ……ラ・ラ……
『ギシャァァ――――ッッ!!』
突如虚空に生じる、【力】の発現。大蛇は予測不能なこの攻撃をかわす事などできなかった。【気】の攻撃を寄せ付けない大蛇に、なぜさやかの【力】が効くのか? ――答は、先程の大蛇の言葉にあった。
――我より派生した、我が力の珠玉――
八俣大蛇の伝説に曰く――オロチ大蛇は自らの治める土地の娘を供物として差し出させ、力を蓄えていったとされる。そして須佐乃男命に倒された際、その身体から取り出された都牟刈の剣(一説には天業雲(とも言われる)が櫛名田比売命に受け継がれたとされる。
さやかが本当に櫛名田比売命の転生、あるいは【力】を受け継ぐ者ならば、大蛇を倒せるのも道理であった。
この勝機を見逃す筈もなく、龍麻が飛び出した。
「醍醐!」
「応ッ! 【円空破】ッッ!!」
さやかの術によって四方から乱打されている大蛇の胴に、醍醐の【円空破】がヒット! 大蛇の鎌首が大きくふらつく。そして――大胆! 不敵! 龍麻はあらゆる蛇族にとって完全なる死角、頭の上に飛び乗った。
「【地獄の扉が開いたぞ(】!」
大蛇のたてがみに掴まりながら、ハードボーラーの四五口径焼夷鉄鋼弾を連続で叩き込む龍麻。――ギリシャ神話でも【九首竜(】を倒す際、英雄ヘラクレスは首を切り落とした傷口を炎で焼き、毒の血と首の再生を防いだという。さやかの術で鱗を焼かれていた場所に叩き込まれた弾丸は呪われた肉と血を数千度の炎で焼き潰し、大蛇の頭部に大穴を開けた。そして、まだ高熱を発している傷口に拳を撃ち込む龍麻!
「【巫炎】ッッ!!」
硬い外皮を持つ生命体は、内部は脆い――この法則は伝説の大蛇にも当て嵌まった。龍麻の【巫炎】は大蛇の体内で炸裂し、闇を固めて形成された筋肉を容赦なく焼き潰す。ほとんど断末魔の狂態を見せる大蛇から華麗に飛び退いた龍麻は、【秘拳・鳳凰】の構えを取った。
「待って、龍麻!」
突如、割って入る葵の声――
「龍麻。この二人がやると言っているわ」
この二人――さやかと霧島だ。その二人の間に【気】の共鳴現象が見られる。さやかの【気】が触媒となり、霧島の【気】を増大させているのだ。今、霧島の全身を包む【力】は、あの【スサノオ】の【力】であった。
「これは――方陣技かッ!?」
二人以上の【神威】が【気】の親和性を利用して発現させる方陣技。須佐乃男命と櫛名田比売命の【力】を受け継ぐ二人が持っているのは、むしろ自然な事のように思えた。この場に最も相応しい――【力】。
「――解っているな? 我々の【力】が何であるのか」
「「――はいッ!!」」
龍麻は力強く言った。
「良かろう。帯脇を救って見せろ!」
【神威】の力は破壊し、殺す為の【力】にあらず。悪に呑まれず、正義に溺れず――彼ら【神威】が抱える最大の矛盾をさやかも霧島も理解し、その命題に立ち向かった。
「ウオオオオォォォォ――ッッ!!」
神話に伝わる【スサノオ】の姿そのままに、青い炎のオーラに包まれて突進する霧島。大蛇がその接近を察知した時、既に霧島は大蛇を間合いに捉えていた。
肉体の潜在能力を爆発的解放させた霧島の斬撃は龍麻の【八雲】か九角の【乱れ緋牡丹】もかくやというスピードで振るわれ、大蛇を縦横無尽に切り刻む。剣と肉体が正に一体化した攻撃は、荒々しさの中にも高級な【舞い】を彷彿とさせた。さやかの【力】が生むダイレクトボイスの調べがそこに華を添える。
「【ヒト】に還れ! 帯脇ィ――ッ!!」
フィニッシュは、斬り上げた剣が天空に向かって巨大化し、それを振り下ろす渾身の一撃! 【気】の刃は大蛇の胴体を正に両断し、神話の時代より継がれてきたであろう八俣大蛇の【陰気】を消し飛ばした。
『おの…れ…スサ…ノオ…! これ…は…我の求むる…体(では…なかった…か…?』
【陰気】の崩壊が、大蛇の肉体の崩壊も示す。それは龍麻たちにとって見慣れた光景である筈であったが、一つだけ大きな違いがあった。
「ウゲ…ッ! ク…クソォ…ッ!」
大蛇の身体は塵と化して消滅したのだが、その下から帯脇が現れたのだ。憑依現象と【変生】は異なるのか、ほとんど傷もない。――【救え】…さやかと霧島は見事に龍麻の期待に応えたのであった。
「俺様に憑いているのは、最強の大蛇じゃなかったのかよッ!? あのホラ吹きヤロォ…!」
【あのヤロウ】…どうやら、大蛇の力は帯脇本人が発現させたものではないらしい。
「銃、暴力、権力、八俣大蛇――所詮、全てが借り物の力であったという事か。惨めなものだな」
シャキン! と龍麻の手元でハードボーラーが金属音を立てる。新たな弾丸を飽食したのだ。それを躊躇なく帯脇に向ける龍麻。
「し、師匠! まさか本当に撃ち殺すつもりじゃあ…!?」
「無論」
たった一言で、紅井の言葉を肯定する龍麻。京一たちも【今更何を】という顔をする。
「け、けど! 既に戦意を喪失しているぞ!?」
「そうよ! 無抵抗の相手を撃ち殺すなんて!」
紅井に続き、黒埼も本郷も声を上げる。【真神愚連隊】では懲罰ものの行為だが、仲間になって日の浅い彼らには、この闘いの何たるかがまだ判っていない。先程のガンファイトを見た後でも、まだ、腹にまでは落ちていないのだ。
「【陰気】は打ち払った。だが生かしておけば、こいつはまたやる」
龍麻は冷然と言った。
「成年も未成年も問題ではない。一度殺しの味を覚えた者は、何度でも同じ事を繰り返す。しかし、現行の法律ではこいつは無罪になる。生活環境が悪かった、教師に恵まれなかった、親に愛されなかった、未成年だから更正の望みはある、死刑は国家による人殺しだ――そんな戯言の積み重ねの果てに、こいつは必ず無罪になる。こいつによって殺された者、苦しんだ者は無視され、その遺族には泣き寝入りを強要する。そして次の犠牲者が出ようとも、こいつを無罪に仕立てた連中が責任を取る事など百パーセントあり得ない。だがここで、俺自身の平穏な日常と五十円のコストを引き換えに、次の犠牲者は防げる」
「〜〜〜〜〜っっ!」
静かな、しかし凄絶な覚悟と共にある言葉にコスモレンジャーがうろたえた時、帯脇は虚ろな笑い声を上げた。
「ケケケ…その通りさァ。所詮この世は弱肉強食。強ェヤツだけが生き残るのさァ。…まったく…おめでたい連中だぜェ」
「ッテメエ!」
その声に異様な響きを捉えた京一が木刀を振り上げるが、なんと帯脇は人間の姿のまま、身体を蛇のようにくねらせて京一の斬撃をかわしてのけた。そしてそのまま、フェンス際まで移動する。
「ケケケッ。テメエら、せいぜいイイ気になってると良いぜ。もうすぐこの世は地獄になるんだとさ。だから獣になりたがっているのは、俺様だけじゃねェんだぜ」
それが何か重要な事を示唆していると感じた龍麻は、一瞬、銃口をぴくりと跳ねさせてしまった。次の瞬間――
「ああッッ!!」
「野郎! やりやがった!」
普通の人間には絶対にできない行為――帯脇はフェンスの根元にある僅か二〇センチ足らずの隙間からフェンスの外側に抜け出し、虚空へと身を躍らせたのであった。
「Shit!!」
龍麻とアランが真っ先にフェンス際に駆け寄り、銃を下に向けて構えるが、帯脇の姿はどこにもなかった。
「…結局、逃げられちまったな」
学校中の人間が何らかの動物霊に憑依されていたとは言え、夕方近い学校から銃声が響いてきたのでは、近所の人間が騒ぐ事だろう。一応、帯脇が落ちたと思しき周辺を捜索したのだが、そこには死体も血溜りもなく、かなり大きな蛇が這ったような跡だけが残っていた。その後を追って行くと、それは蓋の開いたマンホールへと続き、それ以上の追跡は不可能と龍麻が判断したのである。
「【陰気】の核は霧島と舞園が打ち払った訳だが、奴自身も相当汚染されていたんだな。そんな状態では長くは保つまい…」
醍醐が重々しく言うが、その前に最後の悪足掻きがあるかも知れない。その時犠牲者が出たとしたら…と考えて、紅井たちはシュン、とうな垂れていた。
「しばらくは身の回りを警戒するしかないね…。それよりも、なんだか謎だけが残っちゃったよ。獣になりたがっているのは自分だけじゃないって、どういう事なんだろう? この世が地獄になるとか…」
小蒔が疑問を投げかけるが、それに応えるほどの情報はまだ揃っていない。龍麻も、今はまだ推論を述べるにも足りないようだ。
「まあ、今は判らねェ事を考えても仕方ねェ。そんな事より、さやかちゃんが無事で良かったぜ」
ここは京一の本領発揮だ。やや重い一同の空気がにわかに軽くなる。
「皆さん…本当にありがとうございました…」
この短時間に色々な事があり過ぎて神経が張り詰めていたのだろう。京一のお陰で空気が軽くなり、今度こそ本当に緊張が緩んだのか、さやかはまた泣き出してしまった。
「エヘヘ…お礼なんて良いからさッ、笑ってよ、さやかちゃん」
「そうよ。私たちは、笑ってるさやかちゃんが大好きなんだから」
ここはやはり女性陣の出番であろう。龍麻は先ほど京一に不意打ちをかまされた事を思い出したのか、ちょっぴり恐い顔をしている。
「は…はい…でも…でもこれは…嬉しくて…」
泣きながらも笑顔を作るさやかを、葵と小蒔、本郷が囲んで抱き締めてやる。京一とアランは既に【萌え氏ぬ】寸前だ。
だが、京一の桃源郷状態を突き崩したのは、彼の【一番弟子】であった。
「京一先輩。ありがとうございました! それから…その…ちょっと言い難いんですが…」
「なんだよ? はっきり言え」
ちょっと不機嫌な京一に、霧島は直立不動になる。
「は、はいッ! で、では京一先輩に、緋勇先輩! 今度何かありましたら、僕も連れて行ってください! お願いします!」
龍麻に向かって最敬礼せんばかりに頭を下げる霧島。直接師事しているのは京一だが、【真神愚連隊】の隊長は龍麻なのだ。このような決定は、全て龍麻に委ねられている。
「並大抵の覚悟でできる事ではないぞ?」
「はい! 今日の事で、骨身に染みました!」
【神威】として闘う以上、堕ちた人間を殺さねばならぬ時もある。緋勇龍麻という男と行動を共にすれば、時に【普通】の人間さえも。龍麻は今日、それを見せたのだ。これは紅井たちにも共通して言える事であった。
「基本的に、報酬はゼロだ」
少し懐かしい気すらする、いつもの台詞を龍麻は口にした。
「一度踏み出せば、後戻りはできん。行き着く先は地獄かも知れん。それでも良いのだな?」
「はい!」
即答だった。いかにも霧島らしい、きっぱりとした言い方だった。桜ヶ丘で見せた危うさはどこにもなく、覚悟を決めた者のみが持つ、澄んだ双眸をしていた。
「良かろう。――歓迎するぞ。霧島諸羽」
「はい! ありがとうございます!!」
もう一度、深々と最敬礼する霧島。中々顔を上げないのは、溢れる涙を見られたくないからだと知れた。
「あ、あの…」
その、霧島の背後から、泣き止んださやかがおずおずと切り出してくる。
「私も…私も皆さんのお手伝いをさせてください」
「――駄目だ」
霧島の時とは違い、実も蓋もないほどの即答であった。さすがに絶句するさやか。
「ひーちゃん! チョッ早(でなに冷たい事言ってんだよッ!」
抗議の声は、京一よりも早く女性陣から発せられた。
「龍麻。言いたい事は判るけど冷たすぎるわ。その言い方」
「そーよ! そんなの酷いわよ!」
タイミングを見失った京一は口をぱくぱくさせているだけで、何も言えない。そのくらい、女性陣は鋭く龍麻に詰め寄って行ったのだ。
「お前たちの言わんとする事は良く判る。だが、許可できん」
出た! 龍麻の【鬼軍曹モード】! 全員にとって何が一番大切か問う時にも、彼はこんな声を出す。そして、龍麻がこんな声を出した時、彼と長く接している真神の一同は彼の考えている事が悟れてしまう。
率直に言って、さやかの【力】は今後頼りになる。【術】の発動を相手が感知できないというのは凄い事である。コスモレンジャー三人と違って【力】を認識している上、コントロールもしてみせた。霧島との方陣技も見事なものであったし、戦力としては申し分ない。
しかし――さやかは国民的アイドルである。
龍麻たちの闘いは、即、命に関わる闘いである。そして彼女には、龍麻たちのような時間的余裕はない。【真神愚連隊】は【力】を悪用するものと闘う事を目的にしているが、実質的にボランティアだ。めいめいには、まず自分の生活を大事にするように厳命してある。自分のプライベートさえ満足に持てない彼女に、命懸けの闘いを要求するのは酷というものだ。
「さやか、お前の戦場は、舞台の上だ」
龍麻は言った。
「世界に徒なす敵を殺し、殲滅する事だけが闘いではない。人々の心に安らぎと喜びを与え、人間社会をより良く変えて行く事こそ重要な闘いだ。――俺たちは裏で闘う。お前は表の世界で、お前自身の闘いをしろ。――遊びになら、いつでも来るが良い」
さやかを戦場に立たせはしないが、友人としてならばいつでも歓迎する――そう言う事で、龍麻はさやかに諦めてもらうつもりだった。実際、世の中を良くしようと思った場合、悪を叩き潰すよりも、悪を生み出す土壌を改善した方が、時間も手間にかかるにせよ、将来的には良いのである。対テロ部隊レッドキャップスとして、後から後から出て来るテロリストと際限のない戦いを繰り返していた龍麻には、自分のような人間よりも、京一たちのように他人の事を考えられる人間、さやかのように人に笑顔を与えられる人間の方がよほど重要だと感じられているのである。
しかし、さやかは龍麻が思っているよりも思慮深く、気丈であった。芸能界という、奇麗なものも汚いものもいっしょくたになった世界で生きている彼女は、そこらの大人を名乗る連中よりも、大人の考えを持っていたのだ。そして何より、そのような芸能界でトップに立っている以上、彼女には負けず嫌いなところがあった。逆境の中で絶望しない強靭な精神力、否定されればされるほどにその倍強くなろうとする向上心、そして、社会の裏側で、誰に感謝される事なくとも【誰か】の為に闘い続けている者たちの存在を知った今、そこから目を逸らさぬという高潔な精神をも持っていた。それは武道家の求道精神にも似て、ただ言葉だけで彼女を納得させる事は不可能であった。
「私が足手まといだというのは判っています。でも、今だけです! 緋勇さんは私に表の舞台で闘うようにおっしゃいますが、私の【力】は裏の舞台でも通じる筈です! 私に、皆さんのお手伝いをさせてください! 私も…護られるだけなのは嫌なんです!」
「…なんと言われても、これは譲れん」
思ったよりも真剣なさやかにやや気圧されたような雰囲気を見せる龍麻だが、彼が前言を撤回する事など滅多に有り得ない。葵や小蒔も黙ってしまったし、京一などはあからさまにがっかりしている。しかし――
「――龍麻さん。ちょっと、耳を貸していただけます?」
突然、何やら悪戯っぽい口調になるさやか。一同はてっきり彼女が落ち込むものと思っていたので戸惑うばかりである。そして、さやかはこれまた戸惑っている龍麻の耳元に口を寄せ、何事か囁いた。
「――――ッッ!!?」
何を言われたものか、龍麻が一メートルほどもズザザッ! と引いた。
「…連れて行って、くれますよね?」
思わず、二人の会話に全神経を集中する一同。龍麻の口が、動いた。
「りょ、りょ、了解した…! よろしく…頼む…!」
【あの】龍麻をここまでどもらせる人間がいたとは!? それがまさか、現役のアイドルだとは!?
「歓迎…してくれないんですか?」
潤んだ上目遣いで追い討ちをかけるさやか。龍麻は完全に気圧され、
「か、歓迎するぞ。舞園…さやか…!」
「良かったあ。皆さん! これからよろしくお願いします!」
テレビの中とは明らかに違う、心からの満面の笑みで深々と一同に頭を下げるさやかに、しかし一同は何か空恐ろしいものを感じてしまう。
「おい…ひーちゃんを言い負かしたぞ…」
「ああ…。あれほど龍麻が動揺するのも初めて見た。いや…二度目か?」
「さやかちゃん…。ひーちゃんになんて言ったのかな?」
「聞いてみたい気はするけど…」
「何か、キョーハクされたような気もしまスガ…」
これは、何か物凄い天変地異の前触れでは? 真神の一同とアランは真剣(笑)にそんな事を考えてしまった。しかし、今までの龍麻の人となりを知らぬ霧島とコスモレンジャーは、さやかと手を取り合って喜び合う。
「良かったね、さやかちゃん」
「そうとも! 皆の幸せを護る為にも、皆で力を合わせなきゃな!」
「俺も同感だ。皆で力を合わせれば、恐いものなどないさッ」
「嬉しいわ! 皆の心が一つになれるなんてッ」
そんな和気藹々とした空気と、困惑に満ちた空気の間に、一人取り残されていた龍麻に意を決したようにアランが近付いて行った。
「アミーゴ…本気なのデスカ?」
「言うな…」
龍麻は、なぜか葵に迫られている時のように顔中を脂汗で埋めていた。
そこでアランは、ある事に気付いた。
「あれ? アミーゴ、今日もどこかでコスプレしてたんデスカ?」
「何?」
「ダッテ、アミーゴの唇に色が付いてますが…って、What!?」
龍麻と、そしてさやかの顔を交互に見てその事実を知った時、アランは驚愕の表情を浮かべてよろめいた。が――次の瞬間、ハードボーラーの巨大な銃口がアランの口の中に突っ込まれた。
「アラン…雛乃が常々言っているが、口は災いの元だそうだ…」
「ホウ…ホウ、ヒヘフ…」(Oh…Oh Yes)
「…戦争を回避する為には、時に事実から目を逸らす事も必要なのだ。判るな?」
【その事実】が発覚した時に生じる事態を【戦争】と言い切る龍麻。――他の者がこれを言ったならば、言語道断な己惚れである。が、彼の口から出ると、【素】の意味で危機であった。せっかく鬼道衆の手から護り抜いたこの東京が、新たに暗躍するなにものかの手によらず、女の嫉妬(!)の前に崩壊するかも知れない。――それを回避する為にも、そして己の保身(九割方こっちが本命)の為にも、この事実は世間(笑)に公表してはならない。
アランとて自分の身は可愛い。彼はがくがくと肯いた。
「…二人とも、なにしてんの?」
そんな二人の奇妙な掛け合いに気付き、小蒔が声を掛ける。
「うむ…。帯脇を完全殲滅する為にも、これから下水に潜ろうなどとアランが言うものでな」
「エーッ!? アランクン、いくらなんでもそれは酷いよ」
(こ、コマーキ…酷いのはアミーゴね…)
遂に自らの保身の為に他人を犠牲に嘘まで付くようになってしまった龍麻。これが人間的成長と言って良い事なのか悪い事なのか、アランには到底答が出せそうになかった。当然、誰かに相談する事もできない。なまじ目端が利く為に、なかなか悲しい立場に立たされてしまったアランであった。
幸い(?)、アラン以外にその事実に気付くものはなく、真神の一同は変な反応とは言え龍麻が決めた事だからと、さやかを囲む輪の中に入る。
「さやかちゃん、これから大変だと思うけど、頑張ろうねッ」
「はい! よろしくお願いします!」
「ははは。頼もしいが、無理はしないようにな。人にはできない良い仕事をしているのだから」
「大丈夫大丈夫! この蓬莱寺京一サマがどーんと護ってやるさ!」
「うふふ。霧島君と一緒にね」
仲間たちのそんなやり取りを聞き、龍麻はやや苦笑した。そしてアランの肩に手を置く。
「彼女が加わる事で皆の士気が上がるなら、それも良かろう。これからの闘いは今まで以上に皆が一丸とならねばならん。――そんな気がするのだ」
「アミーゴ…今は何を言っても、言い訳にシカ聞こえまセンよ…」
ぐ…と詰まる龍麻。それを見てアランは、まあこのくらいで勘弁してやるか、と考えた。
それよりも、考えるべきはこれからの事だ。
帯脇の言っていた【あのヤロウ】…。姿こそ見ていないが、鳳銘高校を憑き物の群れで埋めたのもそいつの仕業だろう。
――全てはこれから――
九角が、そして帯脇が残した言葉が、龍麻の感覚に確かな脅威として形を成し始めている。――新たなる闘いの始まりであった。
「龍麻さん。私の【力】が必要な時は、いつでも呼んでくださいね」
「僕も、頑張ります!」
新たに加わった二人が、改めて龍麻の元にやってくる。後ろの方では紅井たちが「俺っちたちも!」とか叫んでいるが、とりあえず無視だ。
「命令は守れるな?」
「「はい!」」
「…良かろう。改めて歓迎するぞ、二人とも」
そう言って龍麻は相好を崩し、二人の肩に手をやった。霧島は【足手纏いは殺す】とまで言われていた自分が認められた事が嬉しくて少しばかり泣きが入ってしまい、さやかは龍麻に触られた事でぽっと頬を染めて照れてみせた。
一同にしてみれば微笑ましい光景であったが、そう思わないものがやはり、一名いた。
「ひーちゃん! テメエ、さやかちゃんに馴れ馴れしくするんじゃねェッ!!」
またしても木刀を振り上げる京一に、醍醐たちが天を仰ぐ。
「ああ…まただよ…」
「いい加減にしてくれんものかな? まったく毎度毎度…」
しかし、いつもならばここで龍麻が京一をこき下ろして終りなのだが、今日の龍麻は少しばかり違った対応をしてみせた。
「…そう言えば、忘れていたな。事もあろうに指揮官の頭に木刀を叩き付けた二等兵の懲罰を…」
そうなのだ。【神威】の一人とは言え、龍麻はさやかを【真神愚連隊】に参加させるつもりはなかった。しかし、彼の鉄の意志を捻じ曲げさせる【脅迫】のネタをさやかに与えたのは、この赤毛の木刀男なのだ。
――酷いです。私の唇奪っておいて、責任取ってくれないんですか?
これがさやかの【脅迫】であった。
勿論、【無差別キス疑惑】の頃の龍麻ならば、キスも人工呼吸も大した違いはなかった。だが改めて人間的成長を遂げた【今】の龍麻には、世の女性にとってキスがどのような意味を持つか、多少なりと理解できるようになっていたのだ。しかもさやかの言葉は、そしてシチュエーションは、彼が【研究】に使用していた美少女ゲームの中にあったイベントとそっくりだったのだ。
――男のコは遊びのつもりでも、女のコはそうは受け取らないわ。
――事故だからって言うのは下手な言い訳よ。
そんな、ゲーム中にあった台詞が龍麻の頭の中をグルグルと飛び交う。――元特殊部隊隊員、緋勇龍麻は、意外と純情な馬鹿であった。
「面白ェ…。今日こそ決着を付けてやる…」
「望むところだ。この軽薄煩悩三面記事男が」
ぐんぐんと高まって行く殺気! しかし、小蒔が「あ〜あ」と声を上げた。
「アレは放っておいて、もう行こうよ。ボク、おなかすいちゃった」
「うむ…。そうだな。そうするか」
どのような黒幕がいるか解らないが、現時点でこの事件は終了。――そう考えているだろうからこの二人も低レベルな喧嘩をしている訳で、それならわざわざ付き合ってやる事もあるまい。
「あの…止めないんですか?」
お互いの実力を知っているだけに、龍麻も京一も【本気】である。傍から見ていると、大蛇と化した帯脇と闘っている時よりも強烈な殺気を放っているように見える。この二人の関係を知らねば、それこそ親の仇同士の闘いかと思えるほど、壮絶な殺気のぶつかり合いであった。
「うふふ。喧嘩するほど仲が良いっていう見本だから、気にしなくて良いわ。さあ、お馬鹿さん達は放っておいて、私たちは先に帰りましょう」
滅多に見られぬ二大魔人の大決戦も、真神の菩薩様には微笑ましい子供の喧嘩に見えるらしい。立ち去りがたそうなさやかと霧島の背を軽く押し、歩き始める葵であった。
「よーし、それじゃいつものように、ラーメン屋にレッツゴー!」
「ははは。いつものようにな」
「HA−HA−HA。僕も賛成ですネ」
周囲から人気が絶えた事に龍麻たちが気付くのは、それから数分後の事であった。
第壱拾六話 魔獣行(前編) 完
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