地図を頼りにぶらり旅。江ノ島でのイワシ釣りをあきらめた我々は、ヨットハーバー近くのレストランで軽く飲み物を引っ掛けた後、再び車中の人となった。 日差しこそ暑いが、水温は低めのため、道路の右手に見える海には殆ど人が入っていない。砂浜をふらふら歩く若者の姿が多く見受けられるのは、やはり夏休みだからであろう。 しかし、道の込んでいる事。覚悟していたとは言え、平日でこの込みようとは。目指すは三浦半島の先端、城ヶ島――の筈なのだが、これでは辿り着いた時には真っ暗になってしまう。夜間装備は問題ないから別に構わないのだが、その前に餌屋が閉まってしまう可能性があるのだ。 地図を頼りにしても、小さな地元の釣具屋は載っていない。我々は焦った。しかし我々が焦ったところで、この渋滞が何とかなる訳ではない。 ふと海岸線に目をやると、そこに珍しい光景を見た。 七〇代くらいのお爺さんが、道路脇の塀(堤防?)に登って、コンパクトロッドで釣り糸を垂れているのである。無論、それだけなら驚くに値しないのだが、お爺さんの乗ってきたと思しき自転車には、六〇センチ枠のタモ網が立てかけられているのである。 道の反対側とは言え、大声で聞いてみたかった。一体なにを狙っているのかと。極めて失礼な話だが、三浦半島、しかも湾内で大物を釣るという発想がどうしても繋がらなかったのだ。しかし渋滞の波に乗ってノロノロと湾を半周もすると、どうやらお爺さんの足元には小磯があり、どうやら水深もそこそこありそうだという事が解った。恐らくお爺さんは黒鯛を狙っていたのだろう。堤防の縁には貝類やフジツボが付着するから、そこには当然、魚が寄って来る。しかし道路脇の塀から釣り糸を垂れるとは・・・きっとそこは地元の人しか知らない穴場なのだろう。 と、渋滞のイライラをほんの少し解消する出来事もあり、やっと主要な交差点を抜けてすいすいと走り出した我々の前に、今度は地図に乗っていない釣具の上州屋が現れた。 広い駐車場もあり、これこそ渡りに船である。早速我々は上州屋に乗り込み、餌を買い求めた。 さすが地元。オキアミブロックなどは都内に比べて割安である。アミエビブロックもかなり安い。早速オキアミ三キロブロック二個、アミエビブロックを三個買い、夜釣りと明日の釣りに備える。ついでに(ゴメンナサイ)道路の反対側にある軽食レストランで夕飯も摂る。体力充填のためにもケチってはいられない。どーんとハンバーグライス(庶民的だろう)を頼む。KOUも同じだ。 夕飯を摂りながら、我々は今後の方針を練り直した。 「通り矢岸壁で夜釣りをやろう」 まず私の口を突いたのがそれであった。これなら特別難しい仕掛けは必要ないし、針一本、錘一つで仕掛けを放り込んでおけばいい上、夜ともなれば意外な大物なども出るので、割と楽ながら楽しい釣りである。竿先に鈴を付け、待っている間は車の中で横になっていても良いのだ。 さて、ゆっくりと夕飯を食べてのんびりしていると、時計は既に二〇〇〇時を指そうとしている。なんとまあ、移動だけで九時間もかけたのか――と思っていると、なんと! 上州屋が閉まりかけているではないか! 駐車場を共同で使っている靴屋もシャッターを下ろしている。この周辺では、上州屋は二〇〇〇時で閉まってしまうのか!? あたふたとレストランを出て、隣のコンビニで夜食と朝食、栄養ドリンクを買い、再び車中の人となる我々。目的地は近い。 だが、我々には難関が待ち構えていた。 「ふわぁぁぁぁい・・・」 睡魔である。腹の皮が突っ張ると目蓋がたるんでくるのだ。城ヶ島まで二キロという看板が見える頃になると、ほんの三〇分ほど前の計画にあった「通り矢岸壁で夜釣り」は綺麗さっぱり我々の頭から抜け落ちていた。どちらからともなく、「このまま直行してさっさと寝ちまおう」という言葉が出る。計画とは、まことにいい加減なものである。 結局、通り矢周辺は見事に無視し、真っ直ぐ城ヶ島大橋を渡る我々。遠洋マグロ漁船の基地である三崎港は夜半になって曇った暗い空の中にも、見事な夜景を浮かび上がらせている。写真を撮ろうかと思った我々だが、橋の途中で停車する訳にも行かないので我慢する。 城ヶ島大橋を降り、直進する事しばし。案の定、釣具屋も土産物屋も、ありとあらゆる店が閉まっている。晧々と明かりを点すのは自動販売機だけで、城ヶ島観光ホテル下の駐車場にも、殆ど車の姿はない。 「さっさと寝ちまおう」 そうは言ったものの、まだ二〇三〇時である。眠気には誘われているから、横になればすぐに眠れるだろうと、一応、岸壁方面を偵察する事にする。ライト片手に行く事数分、平日にも関わらず、岸壁には数人の夜釣り師が竿を出していた。対岸の三崎港はマグロ漁船の光で明るいが、こちら側は常夜灯も少ないのでかなり暗く感じる。その分、夜釣りのウキは見易い。潮もかなり澄んでいるようだ。ただ、釣れていない。 こりゃ、夜釣りは完璧にダメだ。無理に竿を出しても無駄な体力の浪費である。そう考えた我々は当初の予定通り早々に寝る事にした。 しかし・・・暑い。 一晩中、エンジンをかけっぱなしにするなどという暴挙はしたくないので、クーラーなしである。だが、窓を細めに開けておいたくらいでは風は通り抜けず、蒸し風呂状態になってしまった。我慢できずドアを開けると、外気温はやや涼しいくらい。寝るにはちょうどいい気温だが、そちらで寝たらまず風邪か腸疾患は間違いないだろう。 我慢して目を閉じていると、なにやら高周波の唸り声。――奴だ! 蚊の来襲であった。 そんな事もあろうかと、私はちゃんと虫除けスプレーを用意しておいた。早速手足、首筋に塗りつけ、車中の蚊を無視して目を閉じる。 クォォォォォォォォォン・・・ プゥゥゥゥゥゥゥゥゥン・・・ ――おかしい。いつまでたっても蚊が出て行かない。と、その時、確かにスプレーした筈の手がにわかに痒くなった。 「ムッ…!」 見ればそこには、思わずバツ印を付けたくなるような蚊の吸血痕! 「なんだァ!?」 思わず口を突いて出たのはそんな間抜けな台詞である。 その時、右手後方に奴の羽音! ――パチン! 近くに自販機が数台並んでいるが、車内は薄暗い。音を頼りに振るった手は見事に空を切った。 KOUの手も動く。――空振りだ。いかん。こちらからは奴の羽音だけが聞こえ、姿を捉えることができない。 我々はリクライニングさせたシートに深く身を沈め、敵影の探知に努める。そうすれば自動販売機の明かりを僅かに反射して、奴の姿を捉えることも可能だからだ。 上方に一機! 攻撃開始! ――と、攻撃失敗!敵は闇の中に消えた。 リトアニアかどこかでステルス戦闘機を相手にした兵士も似たような心境だったのかなァ…とか、馬鹿なコトを考えてしまう今日この頃。虫除けスプレーが効かなくなっていたのは大誤算であった。製造年月日を確認すると二〇〇〇年二月とある。――効かない訳だ…と思いつつ、こういうものにも有効期限はありなのだろうか? とか考えてしまう。 もはや打つ手なし。目に付いた奴を何匹か撃墜したが、覚悟を決めて寝に入る。――が、次の脅威が爆音と共にやって来た。 走る迷惑とでも言おうか、夜の走り屋である。街灯も殆どなく、静寂こそが友の平和な夜を切り裂いて三台のバイクがけたたましい爆音とともにやって来る。ついで、馬鹿丸出しのでかい声。うるさい。 その連中を皮切りに、出るわ出るわ。 その駐車場に自動販売機があるためか、明かりを求めて群がる蛾のように、うるさい若者が入れ替わり立ち代りやって来る。近所の民宿に泊っている者もいれば、夜のドライブに来たカップル。でかい声で喚き散らす奴もいるかと思えば、携帯電話越しにべらべらと馬鹿話をしている連中もいる。――マジでうるさい。 寝に入ったのは二一〇〇時ごろの筈であったのだが、うとうととまどろんでは眠りを破られ、蚊を撃墜し、夜行性の若者の馬鹿話に顔をしかめ、あれよあれよと言う間に日付は変わり、遂に一睡もした記憶もないまま、〇四〇〇時を迎えてしまった。ちなみに〇四〇〇時は、最後のバカップルが車のエンジン音を唸らせて去って行った時間である。 そんな時間から寝入ったら、目覚まし時計があったとしてもアウトである。 我々は寝床から起き出した。 第二話 徹夜奮闘記 完 目次に戻る 次(第三話)に進む コンテンツに戻る |