その闘いは、唐突に始まった。 闘いなんぞと言うと大げさに聞こえるかも知れないし、他人にとってはどうという事もないかも知れないのだが、私にとってそれは闘いであった。そう、ペーパードライバー歴十年以上、運転歴一年にも満たぬ私にとっての、乗用車による三浦半島釣行は。 そもそもの発端は、友人KOUの一言であった。 「釣りに行こうぜー」 我々の趣味・・・と言うより、私がKOUを釣りに引き込んだのだから、いつもならばこれは私が言い出す台詞であった。しかしここ最近色々と忙しくなり、二〇〇二年五月以来、一年三ヶ月もの間、釣りはとんとご無沙汰であったのだ。 「うーみーッ!」 「つーりーッ!」 一日千秋のごとく繰り返されるKOUの度重なる要求。KOUは二〇〇二年正月以来、竿を握っていないのである。既に彼の頭には「釣りに行く」という事が決定事項になってしまっているようなのだ。 「・・・行くか」 「行くか」 「行こう」 「行こう」 と、某安陪晴明と源博雅のごとき会話がなされ、釣行日は七月二八日出発、二九日帰宅というスケジューリングが組まれた。と、そこまでは良かったのだが・・・。 「後は任せた」 KOUはそう言ったのだ。 「……」 そうなのだ。我が友人KOUはこういう男なのである。八丈島遠征の時なども、計画の立案とチケットの用意、払込など、旅の準備はたいてい、私一人で行って来たのだ。彼とて京都方面などの一人旅なぞしたりするのだから、計画を立てられない人間なのではない。ただ、釣りとなるとどうしても《師匠》に当たる私に頼り切る傾向が見られる。一般人向けでない説明をすると、誕生日が僅か一日(どころか二時間!)違いであるため、動物占い(初期版)によると、私はコアラ(計画高く、言い訳上手)で、KOUは小鹿(甘えん坊、他人に可愛がられる)なのである。 今更それを指摘しても仕方ないので、とりあえず宿を探す私。しかし、候補に上げた三浦半島、城ヶ島はれっきとした観光地である。電車、バスを乗り継いで三時間半先にある釣り場に野宿するのは余りにもきついのだが、民宿の一泊の値段が高い事。たとえ素泊まりであってもウン千円である。(高いか安いかは見解の相違があるので値段は伏せる) いかん・・・。この金欠の折に、しかも《死のロード》と称されるこの時季に無駄な出費はぎりぎりまで押さえたい。そして出た結論は・・・ ―――車で行こう! であった。 車で行けば車中泊もできる。釣り場の移動も簡単。そりゃ、ガス代はかかるかも知れないが、ペーパードライバーからの完全脱却に向けて技能向上が図れるとなれば、屋根があるだけでウン千円払うよりは良いのではないか・・・と、極めて打算的な考えが頭を駆け巡ったのである。 KOUにそれを伝えると、 「いいよー。それで行こう」 と、実に気楽に言ってくれやがった。しかも、 「交代で運転すれば疲れないし」 これは冗談ではない。うちの車はけっこう癖があるのだ。しかも運転キャリアは彼もそれほど変わらないと来ている。そして、こう言っては何だが、彼の運転は少々怖いのだ。道路交通法が厳しくなっている昨今、できるだけリスクは少なくするに限る。 「交代なんぞしないほうが良い。俺が運転する」 久し振りの釣りではあるが、車の運転の方に重点を置こうと決めた瞬間であった。 さて、釣行日の七月二八日があっという間にやって来た。 先日、東北地方で大きい地震があったり、前日がホビーエキスポだったりと、不安要素を上げれば切りがない状況下、一一〇〇時、私は磯竿一本を基本とする釣具一式を愛車エスクードに詰め込み、出発した。・・・家族の者が何回「気を付けろ」と言ったかは覚えていない。多分、二桁は言っていたような気がする。 が、家族の不安はある意味的中し、私はのっけから躓いた。 運転そのものはそれなりに慣れて来たので問題なかったが、先ごろ引っ越したKOUのアパートが見つからないのである。目標として目星をつけていたのは釣具屋であったのだが、街道沿いにある筈のそれがどうしても見つからない。住所は大まかなところが分かっているからその周辺をぐるぐる廻ってみるのだが、路地がひしめいているので自由に動けない。こちとらペーパードライバー歴十年以上、運転歴一年未満なのだ。べらぼうめい! やっとこ、どこかの酒屋さんの前で電話を発見し、悪いとは思いつつ店先に停めさせてもらってKOUに連絡を取る。このとき既に、一二三〇時を過ぎていた。 目標としていた釣具屋は、今は潰れてしまってレストランになっていた。―――解らない筈である。とりあえずレストランの駐車スペースに車を停め、ジュース一本買って《客》の身分となり、待つ事しばし。ずっとぐずついていた天気が良くなり、強めの日差しが降り注ぐ中、長袖長ズボンに装備一式、ライフジャケットまで身に付けた、見ているだけでクソ暑いKOUが現れた。 こうして合流を果たした我々は、いざ車中の人となった。 まず目指すは三浦半島、江ノ島である。まあ、その辺りが初心運転者としては妥当だろうと思われたからだ。 ところが、二人して三浦半島まで運転した事はないのである。いつもは我が親父殿に運転を任せきりで、しかも若い頃は走り屋であったという親父殿の辿る裏道など覚えている筈もなく、馬鹿正直に環状八号線をひたすら辿る我々であった。――ここでお気づきだろうが、うちの車にはカーナビなどという文明の利器は付いていない。 交差転を曲がりそこね、渋滞に引っ掛かり、居眠りか酒酔いかというふらつく車の背後に付いたりと、ひたすらロスタイムを繰り返す我々。三浦半島ははるかに遠い。ふと気付くと、太陽は大きく西に傾き始めている。日焼け止めを塗り忘れた腕が赤味を差し、五〇〇ミリペットボトルの飲料水がなくなる頃、《江ノ島まで一〇キロ》地点にまで至った。 いやはや、ここまで来るとさすがに道も空いている。しかも、道路がやたら綺麗に整備されているではないか。私のような初心運転者にも非常に運転しやすい。思わず制限速度プラス二〇キロまで出してしまうが、それ以上は怖いので出さない。 制限速度をやや逸脱して走る我々を矢のように抜き去っていくスクーター(八〇〜九〇キロは出ている?)を横目にしながら、走ることしばし。遂に我々は、大きく開けた視界を目の当たりにした。久し振りに、釣りに来て嗅ぐ潮の香りである。 「おーおーおー。遂にここまで来たか」 割と込み合っているものの、我々は迷わず江ノ島へと車を乗り入れた。―――何度か来ている釣り場ではあるが、自分で運転してきたせいか、奇妙な感動というか、達成感がある。 とりあえず自宅に連絡し、無事を告げる。現在一七三〇時。自宅を出発して実に六時間半後の事である。 さて、やはり車でまともに来た事がないので、深く考えず県営駐車場に停車し、釣り場を偵察する事にする。 ヨットハーバーから続く大堤防は綺麗に整備され、ベンチなんぞも置かれているので、赤味を増しつつも暑い日差しの中、四〇代半ばの男性と二〇代前半の女性という訳あり風カップルが意味もなくべたべたと引っ付いて更に雰囲気をクソ暑くしてくれ、実に不快である。肌が赤くなってしまってから塗った日焼け止めクリームのよう(意味もないしべたべたしている)だ――を横目に、磯場に下りていく。 おーおーおー! いるいる! 地元の叔父サンたちが磯の先端で竿を出している。大堤防を下りてすぐの磯場はヒラッタイと呼ばれ、その名の示すように低く平らな磯場である。超大物が出る訳ではないが、子供から大人まで区別なく遊べる釣り場だ。手堅い獲物はイワシだが、時にはアジやサバ、じっくり狙えばメジナやクロダイが狙えるそうだ。 地元の叔父サンたちの狙いはイワシであった。二号の磯竿にトリックサビキ仕掛けで、竿を上げる度に二〜三尾のイワシを釣り上げている。これがちょうど食べ頃サイズの二〇センチ前後。刺身よし焼いてよし、一夜干しにしてもよし、何でもござれのイワシ君。なんでも乱獲がたたって絶対数が減っているそうだが、いるところにはいるものである。(イワシが減ったのは乱獲よりも産卵場所の減少が原因じゃないのかな? 埋め立てとか、埋め立てとか、埋め立てとか) それはさて置き、我々の装備では、はっきり言ってイワシは物足りない獲物である。―――と言うか、身のほど知らずにも八丈島でヒラマサ、シマアジを相手にしてきたタックルでイワシなんぞ釣った日には、別の意味で目立つ事この上ない。ここで夜釣り用の餌を確保しようとの考えも浮かんだが、この時間から始めるのはどうかと思うし、地元師の皆さんの間にどうもどうもと割り込んでいくのも気が引ける。そして最大の懸念は、この磯場が低すぎる事である。もともと高い足場に合わせてある我々の足回りでは、時々波が這い上がってくるこの磯場では不利なのだ。KOUはブーツだからまだ良いが、私は機動性重視のスパイクシューズである。ちゃんと磯ウェアもあるし、ライフジャケットも用意しているが、やはりできるだけ濡れるのは避けたいのが人情だ。 「どーする?ここでやる?―――低いけど」 例によって判断を私に委ねるKOU。しかし、やはりこの場所が低い事を懸念しているようだ。 「やめておこう。俺らじゃここは危ない」 何しろ久し振りの釣りなので、今が潮の上げ時なのか下げ時なのかも調べてこなかった。磯場には水がたまっているし、一〇回に一回は磯場の切れ込みからけっこうな量の波が這い上がってくる。イワシとずぶ濡れを引き換えにはできない。 地元の叔父サンたちは相変わらず好調である。一〇本ある針のうち五本くらいに型揃いのイワシがかかっている事もある。この江ノ島周辺では一投ごとにすべての針にイワシがかかってくる事などザラだ。この状態で竿を立てた時の壮観さは、まさに「洗濯日和」(やっとここでタイトル)である。 しかし、やはり我々の相手ではない。とりあえずここに来たと言う証明のために江ノ島の夕焼けと、地元師の姿を買って間もないデジカメに納め、我々は磯場を後にした。 ここで一つ、私は重要な事を一つ提言したいと思う。 ―――ライフジャケットは忘れずに! 「慣れてる」と思っている地元師の皆さん。見ているだけでも怖いから是非お願いします。(二〇〇二年正月、八丈島の藍ヶ江堤防で高波食らった経験ありの私) 第一話 サザンビーチは洗濯日和 完 目次に戻る 次(第二話)に進む コンテンツに戻る |