第十五話外伝  再会





 鬱蒼とした竹林を、さわやかな風が渡っていく。真円を描く月は天の頂点を極め、後は静かに下りてくる頃だ。しかし、相変わらず柔らかな光で【彼】の足元を照らしてくれている。

 【彼】は一人きりであった。【仲間】たちとは食事を共にし、それから別れた。【全ては明日から】という言葉と共に。

(明日…か。深く考えた事のない言葉だったな)

 そう【彼】は一人苦笑した。【彼】――緋勇龍麻の、珍しい苦笑であった。

 そして龍麻は、彼を知る者がいたら目を剥きかねないものを手にしていた。――四リットルのペットボトル入りの日本酒である。反対側の手には、コンビニの袋一杯に魚肉ソーセージやらイカの薫製やら、いわゆる酒のつまみが詰まっている。彼はれっきとした学生だが、学生服がコートに隠れてしまえば、充分に成年として通用する雰囲気を持っている。しかしこれまでの彼は、酒などに縁はなかった。それは、この先にいる【知り合い】の為のものだった。

 やがて見えてくる、竹林の中に結ばれた小さな庵。――つい先程、己の全存在を賭けて死闘を繰り広げた場所であった。闘争の気配は現場に色濃く残っているし、きな臭い匂いも鼻を衝く。ただし【陰気】は既にない。

「…失礼する」

 戸口のところで声を掛け、龍麻は新井龍山の庵に足を踏み入れた。向かうは庵の中心、居間である。本来ならそこにある気配は龍山のものが一つだけ。しかし今は、見知った二つの気配があった。

 構わず、居間へと入る龍麻。その瞬間、こめかみに当てられる冷たい鉄の感触! 

「…甘いんじゃねェか? ひーちゃん」

「…慌てるな、【天ちゃん】」

 見れば撃鉄の上がった【アナコンダ】が、龍麻のこめかみに銃を付き付けた男の腹をポイントしている。同時に撃てば、僅かでも生き延びるチャンスがあるのは龍麻の方だろう。――確実に相手を倒したい時は、頭や心臓より腹を狙え――。西部開拓時代より伝えられているガンファイトの心得は、現代でも立派に通用する。腹は、人間の身体の中でもっとも動きが鈍い。

「…参った。そんな良い酒を見せられた後で胃をぶち抜かれたら、それこそ化けて出るぜ」

「もう出ているだろう?」

「はっはっはっ、違いねェ」

 そう言って屈託なく笑ったのは、先程消滅した筈の男、九角天童であった。

 龍麻は軽く肩を竦め、「お邪魔します」と家主に告げて囲炉裏端に腰を下ろした。

「…必ず来ると思っとったよ。――酒とつまみを持参するところまでは予想外じゃったが」

「【相手の予想を常に裏切れ】――【彼】と共に学んだ事です」

 今度は九角が肩を竦める番であった。苦笑には人間らしさが溢れている。

「――ったく、少しはこう、落ち込むとか悩むとか、感傷的になりやがれ。人がせっかく感動的に消滅して見せたってのによォ」

「…そういう事をするから、簡単にバレるのだ。笑いを堪えるのにどれだけ苦労した事か」

「能面ヅラして良く言うぜ。テメエこそ歯が浮く台詞を堂々と。おまけにどこのヒーロー様かってくらい格好付けやがって。見てるこっちの目が浮いたぜ」

「…デンデン虫みたいだな」

「やめろ、気色悪ィ。大体テメエは――」

 九角の憎まれ口はそこで途切れた。龍山の杯に持参した酒を注ぎ終えた龍麻が、彼にボトルを差し出したからである。

「ケッ、この俺がヤロウのお酌で酒を飲むとはな。あの娘くらい連れて来りゃあ良かったんだ」

「嫌なら自分で注げ。それに推測だが、葵は酒を呑むと性格が変わるぞ。――寝袋に詰められたいのか?」

「なんだそりゃ!?」

 龍麻の言う最後のフレーズに本気で悩む九角。しかし龍麻が僅かに顔を顰めているのを見て、眉を八の字にした。

「…苦労してるんだな、テメエもよ」

 いかに元レッドキャップスの仲間だったとは言え、今までのいきさつを考えれば信じられない構図。九角は同情するような――半分楽しんでいるようだが――雰囲気で龍麻の肩をぽんと叩いた。そして龍麻にコップを渡し、彼が持参した酒を注ぎ込んだ。

「俺は酒は――」

「興醒めするような事を言うんじゃねェ。今日は、手向けの酒だろ?」

「手向け? 誰にだ?」

「つまらねェ過去の因縁とやらに振り回された、馬鹿な男達にさ」

 それはつまり、九角自身であり、龍麻自身の事。そして【今】の自分達は違う。九角はそう言っているのだ。

「――そうだな」

 それ以上は言わず、龍麻は九角、そして龍山とコップを打ち合わせた。そしてコップに口を付け、一気に煽った。

「――ゲホッ! ゴホッ!」

 思った通りの反応。九角も龍山も呆れたような顔になる。

「馬鹿が。初めての癖に無茶するんじゃねェ。結構強ェんだぜ。何しろ大吟醸酒だ」

 それは龍麻が知っている数少ない酒の一つ。【大吟醸・美少年】。――修学旅行先で風見拳士郎が京一や醍醐に飲ませた、アレである。

「…納得した。醍醐もこれで壊れたからな」

「ほう! 雄矢がの。あの固い男に良く飲ませたものじゃ」

「不意打ちでした。いわゆる一気飲みですね。一升瓶の中身を、半分ほど」

 その後どうなったかは、龍麻は思い出したくない。笑い上戸に泣き上戸、更に絡み上戸まで加わった醍醐と極めて低レベルな喧嘩をした挙げ句、暁弥生に電撃を食らったのだ。――嫌な記憶だ。しかし、抹消するには惜しい光景も多々ある。――男であれば大多数の同意を得られるであろう考えを、今の龍麻は自然に受け入れていた。

「高校生が無茶な呑み方するんじゃねェよ。ゆっくりれ」

「お主もれっきとした未成年だろうに…」

「固い事言いっこなしにしようぜ、ジイさん」

 歯を剥いて笑う九角。憮然とした龍麻。だが、どちらの顔にもこれまでのわだかまりは感じられない。敵として向かい合い、殺し合ったが、【今】はかつての仲間だ。腐っても対テロ特殊部隊・レッドキャップス――人類を護ってきた男たちだ。

「…仕方ないの。今晩は大目に見るとしよう」

 龍山本人にしても、決してわだかまりがない訳ではない。事情が事情であったにせよ、力なき者の犠牲を生んだのは間違いなくこの男であるし、大事な弟子の醍醐をも堕とそうとした。しかし、現在闘いの舞台に立っているのは彼ら若者たちだ。自分の舞台は十数年前に終った。今はほんの少し絡む脇役に過ぎない。

「話せるぜ、ジイさん」

 そう言って九角は、龍山の杯にも酒を注いだ。

 既に呑み慣れている九角の向こうを張るように、龍麻も初めての癖にかなりのハイペースでコップを干していく。アルコールはどんちゃん騒ぎをやりながら胃まで滑り落ちていき、彼の胸を熱く焼いた。そのまま飲み続ければ悪酔いは必至であったろうが、龍麻は元々薬物に耐性がある上、雑学の豊富な彼らしく、二日酔いになりにくくなるつまみ類…マグロの赤身やチーズ類などを用意していた。そのつまみも、二人の若者を前にみるみる減っていく。

 ややあって、九角が口を開いた。

「…何も、聞かねェんだな」

 互いに酒を注ぎ合ったのは最初の内だけで、後は三人とも自分のペースで好き勝手に呑んでいる。龍麻の持参した酒はとうになくなり、今は鬼道衆との決戦後に醍醐が置いて行ったという酒を囲んでいた。自分が敗れた時の祝い酒だと聞いて九角は苦笑したが、龍麻は仲間の無事を祝っても、闘いに勝利した事を祝う男ではない。眉一筋動かさず、落語でも有名な【灘の酒】に口を付けただけであった。

「…話す気があるなら、自分から話す。無理に聞き出すつもりはない」

「…ケッ、テメエはいつだってそうだ。【敵】だった相手を気遣うなって、俺は散々言った筈だったよな」

「…それで判断を誤った事はない」

 九角はふんと鼻を鳴らした。

「今まではそれで良かったかも知れねェ。だがこれからは、そうは行かないぜ」

「……」

 コップに半分ほど残っている酒を一気にあおり、ターン! と膳に置く九角。それを見て龍麻は何か言いかけたのだが、全力で自制した。

「今でも俺は、今までの俺のやり方が間違っていたとは思ってねェ。少なくともあの時点じゃ、最も適切だったと思っている」

「…そうかも知れんな。俺は、それが許せなかったが」

 それは一つの闘いに際しても、いくらでも見方があるという事であった。

 たとえば、ここにひとつの巨悪(個人、国家、組織は敢えて問わない)がいたとする。その巨悪が巨大な権力を振るい、一般市民に圧政を課し、強力な兵器で周辺各国に恐怖を与えていたとしよう。その存在がある限り、周辺各国は元より、世界が危機に瀕する恐れもあるとしよう。

 さて、それを解決する手段はいくつあるだろうか? 



 1:巨悪を抹殺する

 最も簡単(考え方だ。実行するのは容易ではない)で解りやすい解決法である。巨悪がいなくなれば、とりあえず脅威となるものは排除できるのだから。ただし恨みや憎しみを糧とした後継者が生まれる危険は常に付きまとう。



 2:戦争を起こして国ごと滅ぼす

 恐らく、最も愚かとされる解決法だろう。これには巨悪のみならず、その国の国民、戦争を起こす当事国全てに死傷者が出る上、無駄に浪費されるエネルギーも莫大なものになる。ただし、第二第三の巨悪の出現を抑止する事はできるかもしれない。



 3:とことん話し合う

 これで解決できるなら、地球上からはとっくに争いがなくなっている。全ての争いは人間の我が侭に端を発し、互いに譲り合う精神を持たぬ為に闘いになるのだ。そして多くの場合、相手の譲歩のみを求める為、平行線のまま話し合いは終わる。



 4:脅す

 現時点で、世界が一番多用している手段ではなかろうか? ある時は一国家の名において、またある時は国際連合(日本での呼び方だ。厳密には現在でも連合軍である)の名において、【経済制裁】という形で脅迫(言い方は悪いが)して譲歩を引き出すというものだ。【軍事的圧力】もこれに該当するだろう。



 レッドキャップスは、常に1の手段を行使する存在であった。平和主義者はそれを【悪】と断ずる。悪人であっても【人権】があるのだと。だがレッドキャップスはそのようなエセ平和主義者が好き勝手な事を言っている内に死んで行く者を減らす為(救う為ではない! それは別の者の仕事だ)に、最も汚い仕事に手を染めてきたのだ。

 これまでの闘いは、九角が強大な力を得るべく起こした【戦争】であった。裏にあったCIAの陰謀など、氷山の一角に過ぎない。【テロリストを殺せ】イコール【戦争を起こすものを殺せ】と叩き込まれているレッドキャップスに、人類の未来を管理しようなどという奢った考えを持つ者たちの走狗が勤まる筈はないのだ。それが元で、レッドキャップスは全滅させられた。

 では、九角の真の目的は何であったのか? ――国家という枠組みすら越えた軍産複合体にも対抗し得るほどの強大な【力】を得て、彼は何をする――いや、【何】と闘うつもりであったのか? 九角ほどの者が、レッドキャップス隊長たる彼が、無辜の市民の犠牲を強いてまで【力】を蓄えねばならなかったほどの【敵】とは? 

「結果的に、俺達はお前の計画を邪魔した。お前が【力】を蓄えるべく起こした事件の被害者たちを犠牲に、俺達も鍛えられた。自分たちの宿星に気付き、四神が集結し、そして――葵は【菩薩眼】に目覚めた。これらは全て、お前にとって予想外の出来事であった筈だ。だがお前の作戦は修正され、俺達と闘う事で自分たちと、俺達をも高めた。俺達か鬼道衆か――いずれか一方、残ったものが【これからの闘い】に臨めば良いという方向に持って行ったのだ。――そのように考えれば、全ての辻褄が合う。今夜の闘いに関しても」

 九角は自分のコップに酒を注いだ。並々と。溢れるほどに。

「結果論ってのは、知ったかぶりが偉ぶる時の方便だぜ」

「…そうでも言わねば、またお前を殺したくなるのでな。紗夜は元より、凶津も、佐久間も、水岐さえも、何も知らねば戦いなどする必要はなかった」

 自分のコップの中身を煽る龍麻。今度は息を付かない。

「そうかも知れねェ。だが、この戦争がなければ、【力】を持たぬままに死んでいた。お前を含めて、【神威】が強くなる事もなく、犠牲も更に多く出たろうよ」

「そんな理屈を容認できるほど、人生に慣れていないのでな」

「屁理屈だって理屈の内さ。少なくとも、何も考えてねェ、考えられねェヤツよりは正しい。もっとも、何が正しくて何が間違っているのかは、この瞬間を生きる俺達には解りゃしねェ。絶対善だの絶対悪なんてものを信じるほど、俺もお前も幼稚じゃねェしな」

 コップを干した龍麻に、酒瓶を差し出す九角。龍麻は黙ってそれを受ける。

「とにかく、俺の舞台は幕が下りた。これからはお前たちの舞台だぜ。仮に俺の出番があったって、ほんの脇役しかこなせねェ。この身体――安定するのは当分先だ。それに、【これ】しか残ってねェ」

 親指で自分の胸を示す九角。それは既に、龍麻も気付いていた事だ。九角が復活した事、そして、今ここに消滅した筈の彼がいるであろう事を見抜いたのも、彼の肉体が発する独特の雰囲気を察したからである。それはかつて品川の死蝋の研究所で、ローゼンクロイツ学院で遭遇した、肉体的には完全な人間の複製ダミー。――ガンに全身を冒された九角は、自分の複製を保存しておいた。それに【外法】を施す事で、魂(便宜上の呼び名だ。現代でも生命を定義する事はできていない)を移し替える事で、九角は蘇ったのである。そして【これ】しか残っていないというのは、CIAや影に暗躍しているものを誤魔化す為には、ぎりぎり二体の複製を作る事しかできなかったという意味だ。

「…情報を伝えるくらいならできるが?」

 九角は皮肉に笑って首を横に振る。

「無理に聞き出すつもりはねェんだろう? ジイさんに聞いても同じさ。お前はまだV−MAX…自分の真の【力】にやっと手が掛かっただけだからな」

「未熟だと言いたいのだな?」

「お主は怒るかも知れんが、その通りじゃ」

 ずっと黙って酒を呑んでいた龍山が、龍麻の視線を感じて口を開いた。

「だが、お主も感じておるじゃろう。――乱れに苦しむ大地の息遣いを。まだ事件は終らぬ。だが何が起こるか、誰にも予測できん」

「…つまり、これまで通りという事か。それならば、別に構わん」

「――ッッ!?」

 龍麻の口調に目を見張ったのは龍山のみで、九角はにやりと笑う。

「――そうとも。何も変わらねェ。いつものように速やかに、スマートに、テロリストを殲滅する。それが俺達レッドキャップスさ」

「――弱冠の修正がある。俺達【真神愚連隊ラフネックス】が、だ」

 確かに、弱冠の修正だ。元レッドキャップスが作った【鬼道衆】に、【真神愚連隊】。手段こそ真逆なれど、最終的に目指したものは、大いなる破滅の回避。その目的は、何も変わらない。

「お前の遣り残した事は俺達が引き継ぐ。お前はゆっくり身体を治せ。それと――やはり酒はあまり体に良くない。程ほどにな」

 それだけ言うと、龍麻はコップを干して立ち上がった。かなりの量を呑んだ筈なのに、ふらつきもしない。

「――行くのか?」

「今日も学校だ。酒の匂いをさせたまま登校する訳にはいかん」

「学校に銃を持ち込んでいる奴が、良く言うぜ」

 さもおかしそうにそっくり返って笑い、それから九角は、何かを龍麻に向けて飛ばした。人差し指と中指でキャッチする龍麻。

「…これは…」

「懐かしいだろ。持って行きな」

 それは、【レッドキャップス騒乱】直前、メンバー全員で撮った写真であった。――隙間は三つ。ナンバー5、6、12の分だ。

「これからの闘いにゃ直接関係はねェが、良い事を教えてやる。――俺達は最強の部隊だった。そうだな?」

「…肯定だ」

「――半分は生き残ったぜ」

「――ッッ!!」

 激しく動揺する龍麻。今この瞬間、九角が危害を加えようとしたならば、龍麻はなす術もなく命を落としていたであろう。それほど無防備に、龍麻は動揺した。不動の気迫も、冷徹な機械の意志もなかった。ただ、【仲間】が生きていた事への歓喜だけが今の彼を支配していた。

「…誰が生き残っているかなんて事は聞くな。何処にいるのかもだ。俺達ほど派手に立ち回っちゃいねェが、同じ空の下で生きている。俺たちと同様、成長してツラから何からみんな変わっているが、いつか――会う事もあるだろうよ。いや、もう逢っているかも知れねェぜ」

「…そうか」

 心当たりならば、既に何人か知っている。龍麻はふいと顔を背け、手を目元にやった。しかし九角も龍山も、それを指摘する事はなかった。

「まあ、頑張ってみる事だ。今まで以上にきつい闘いになる事は確かだからよ。――だが、お前の背後には常に俺達もいるって事を覚えておきな」

「――感謝する」

 短く告げ、敬礼する龍麻。いつものきりっとしたものではなく、隊内にのみ許された、ラフな敬礼。九角もまったく同じ敬礼を返し――

「Good Luck。戦士フェダイーンよ」

「Thanxs. Good Luck」

 そして龍麻は、龍山邸を辞した。

 月はだいぶ傾いている。だが、彼の道行きを明るく照らしていた。







 第壱拾伍話外伝 再会      完











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