第弐話閑話 旧校舎
ここに一枚の世界地図がある。 何の変哲もないこの地図に、年代を問わず、戦争が起こったとされる土地に赤い点を入れていったとする。するとどうだろう。地図は真っ赤に染まってしまった。特に、人間が人間である証、《文明》が開花したところは、もはや真っ赤に塗りつぶされているのではないか?人間の歴史は闘争の歴史。人間がいる場所では、必ず戦争が行われている。ある歴史学者によれば、人類の歴史において、戦争がまったく行われなかった期間は、僅か437年にしかならないという。文字通り、血塗られた歴史だ。 しかし、場所は日本、首都東京の一角に、明らかにそれらとは異なる戦いの歴史が刻まれようとしていた。 新宿、都立真神学園、旧校舎。そこが、闘争の舞台であった。 「・・・こんなものだな。」 真神学園三年生。正確には、先日そうなったばかりだが、時期外れの転校生、緋勇龍麻は、妖気漂う旧校舎前で装備の再点検を終えた。 これまでの人生で二回目のラーメンを食した後の事である。あの四人とはラーメン屋を出たすぐ後に別れた。しかし龍麻はその足で学校に舞い戻り、旧校舎の調査に臨んだのであった。 あの四人が一度に《覚醒》した以上、ここには何かがある。確かに常人以上の生気を宿し、素質もあったろうが、単に肉体的精神的危機に陥ったくらいでは、《力》は覚醒しない。何か、原因がある筈なのだ。 龍麻が旧校舎に興味を持ったのは、まさにその為であった。 既に《覚醒》を終えている筈の自分までが、再度《覚醒》したような気分である。細かい分析は後でするつもりであったが、今でも軽く拳に《気》を集中させると、たったそれだけで拳が淡い輝きを帯びる。―――こんな事は、これまでなかった。いつの間にか《力》が増している。それも急激に。 確かめねばなるまい。この場所が《力》を覚醒させる引き金になるのか、それとも、別の何かが原因なのか。鳴滝が敢えてこの真神学園に行けと言った理由がここにあるなら、調べられる内に調べておくべきだ。 例の《抜け道》を抜け、旧校舎の入り口に至る。既に夜の帳が下りているので、暗がりに浮かぶ旧校舎は圧倒的なまでに不気味だ。少なくとも、一般人にとっては。当然、名乗ったごとく少しも一般的ではない龍麻は、レミントン・M870ショットガンに装着したスポッター・ライトを点灯し、恐れ気もなく旧校舎内に足を踏み入れた。 暗い。ただ一言に尽きる。外が夜である以上に、旧校舎内の暗さは異常であった。まるで空気そのものに闇の成分が混入されているかのように、見通しが利かない。スポッター・ライトはせいぜい10メートルほど先で光量を失い、闇に駆逐される。ヘッドギアと一体化している二眼式の赤外線暗視装置 こうなると、自分の感覚だけが頼りだ。幸い、あの蝙蝠程度の相手ならば気配を探知できる。それに先程と違い、メインウェポンがM870だ。現時点で装填してあるのは通常散弾だが、万一に備えてOOB(ダブルオーバッグ)弾も20発用意した。ただの大蝙蝠程度ならば通常散弾一発で三匹、あの巨大蝙蝠でも、コンクリートの壁を粉砕するOOB弾ならば一発で片付く。他にもM72A1対人手榴弾、ガス弾、スタングレネードを戦闘ベストに吊るしてあるし、腰には全長40センチに及ぶククリ・ナイフも差してある。―――時には古釘一本で敵と戦わねばならぬ事もある特殊部隊員である龍麻には、完璧とは言わずとも充実した装備であると言える。 龍麻はまず、校舎中央の階段から三階へと上がった。 勘だが、何かあるとすれば地下だろう。床に漂う冷気のようなものは、二階より上には感じられない。スポッター・ライトもここではほぼ正常に機能している。したがって龍麻は三階と二階のチェックはざっと済ませ、一階を入念に調査する事にした。 ほんの小一時間ほど前に蝙蝠と戦った教室に行き着く。不意打ちを警戒しながら、龍麻は化学蛍光棒・・・サイリュームを取り出し、教室内に放った。プラスチックパイプの中に納められた液体が化学反応を起こして発光するサイリュームは、闇夜ならば2キロ先からでも視認できる。夜目の効く龍麻はその光だけで教室内の全てが見渡せた。 「・・・・・・。」 龍麻の口元が僅かに歪む。 床の焼け焦げや血の跡・・・戦闘の痕跡は残っているが、大蝙蝠やあの巨大蝙蝠の死骸がなくなっている。教室内に入り込んで巨大蝙蝠が倒れた場所を見てみるが、そこには黒い染みのような跡があるだけで、骨や牙はおろか、体毛の一本も残されていなかった。 誰かが片付けたのか?龍麻の脳裏に自分達を外へと連れ出した何者かの存在が浮かんだが、それにしても様子がおかしい。死体があった場所に残る大量の埃には乱れが余り見られない。良く観察してみると、自分達の付けた足跡はあるのに、自分達を救助した何者かの残した跡はなかった。 謎が一つ増えたが、今は考えるべき時ではない。龍麻は教室を出て、まだ足を踏み入れていない一階の奥へと歩を進めた。 「・・・・・・。」 数メートルと進まぬ内に、龍麻の背にじっとりと冷たい汗が滲んでくる。体温が下降し、気力が萎えてくるのが判る。 この先に何が待つのか?妖気が急激に密度を増している。身体は水中を進んでいるかのように重く、視界は濃霧の中を行くよりもなお狭かった。スポッター・ライトの光も1メートルほどの光の玉を作るだけで、闇の中に届いていかない。 「・・・厄介な。」 珍しく龍麻が悪態を付いた時、目の前に壁が立ちはだかった。―――廊下の突き当りである。そして妖気の発現点は、床に設置された分厚い鉄のハッチにあるようだ。取っ手には錆びが浮き、厳重に巻き付けられた太い鎖にも大きな南京錠が取り付けられている。だが、それは既に開かれていた。 「・・・・・・。」 ライトを近づけ、よく観察してみる。間違いなく妖気の発現点・・・と言うより、妖気が漏れ出してくるのはこの奥からだ。ライトを突っ込むようにして目を凝らすと、どうやら石段のようなものが設置してあると解る。 ―――地下室があるそうだ。 醍醐やアン子の会話が思い出される。しかし、このような妖気を噴き出すような地下室で一体何が行われていたと言うのだろうか? 答えは・・・行ってみるしかあるまい。龍麻は油断なくM870を構え、石段に足をかけた。 「・・・・・・!?」 石段を数歩降りた所で、すう、と妖気が遠のいた。まるで、龍麻がそこに入る事を許可したような感覚。しかし、だからこそ龍麻は鋭い視線を周囲に走らせた。誘われている可能性も充分にあるからだ。 地下室の造りそのものは、何の変哲もないものであった。打ちっぱなしのコンクリートに、天井から下がった裸電球。ただし、中央に置かれた古めかしい手術台には太い鎖の付いた手かせ足かせが錆びを浮かせており、部屋の隅には干からびた何かの標本を入れた壜の並ぶ戸棚が置かれている。そして壁には、何かを記録していたらしい小型の黒板が吊り下げられ、何かの記号が並んでいる。 安っぽいホラー映画ならばいかにもな演出だが、龍麻は恐怖など感じなかった。ラーメン屋でふと洩らした過去・・・ポル・ポト派に滅ぼされた村に駐留した時は、床一面に骸骨が積まれている民家の中で三日三晩、暗殺の標的である武器商人が現れるのを待ち続けた事がある。そこでは昼夜を問わず、風もないのに朽ちかけたドアが勝手に開閉し、骸骨がカタカタと鳴り、特に夜ともなるとウィル・オー・ウィスプ・・・日本では人魂と呼称される発光体が飛び回っていたものだ。時には、血に塗れ、手足を切り落とされた村人のゴースト・・・はっきり《幽霊》と呼称するべきものまで現れたのである。 龍麻も最初こそ警戒したものの、実害がないと解ってからは徹底的にそれらを無視した。本物の怪我人ならば治療も暗殺もできようが、実体がなくては何の処置もできず、向こうもこちらには何もできなかったのだ。それならば、単純に無視すればよい。龍麻が難儀したのは、自分の吐く二酸化炭素に引き寄せられてやって来る、マラリアなどの病原菌を媒介する蚊の方であった。 部屋の中には、他に何もない。その癖、妙な違和感を感じて、龍麻はライトを再びぐるりと周囲に向けた。すると、この古い建物とは微妙にマッチしない、アイボリー色のスイッチが目に入った。トラップの有無を確かめ、スイッチを入れてみると、驚くべき事に裸電球が頼りない光を周囲に投げかけたではないか。 ―――電源が生きている!? 話によれば、旧校舎が閉ざされたのは戦後間もなくの事で、それ以来一切利用されていなかったとの事だ。しかしスイッチも配線も、電球に至るまで、ごく最近の品である事が判明した。 これほど妖気に満ちた空間に、一体誰がどんな理由で足を踏み入れていたというのか?よくよく観察すると、足元の埃も教室にあったものほど厚くはなく、ほんの数年前までは掃除されていたものと知れる。それどころか、棚に入っていたビンは標本を入れるためのものではなく、ほんの駄菓子を入れておく容器であったり、ペットボトルのない時代のジュースの大瓶であったりした。手術台と見えたのは安っぽいスチール製のベッドであり、手械足枷は用途不明だが、皮膚に当たる部分にはウレタン製らしいクッションが備えられ、肉体を護る仕組みになっている。無理にこじつけるなら・・・肉体を鍛えるための負荷か、過剰な力を抑制するためのものではなかろうか? 進むほどに謎が出てくる旧校舎だが、とりあえずここで終点である。しかし、まだ何か隠されているような気配だ。 とりあえず、壁伝いに部屋を調べてみる龍麻。あれほどの妖気の溜まり場だったにしては、妙に生活色の強い物が残っている。何か秘密があるとすれば、この部屋そのものに隠されている筈だ。 まずは壁から・・・と、棚や机の配置されていない一角に近付くと、いきなり金的であった。 「―――ッッ!」 床の一部が変色しているのに気付き、トラップの類ではない事を確認してそこを軽くナイフでつつくと、黒板の吊られている壁の一部に亀裂が入り、音もなく内側に開いたのである。隠し扉―――それも古典的な機械式の。その癖、歯車の軋みや唸りは皆無である。 「・・・・・・。」 どうやらその中こそ、この旧校舎の秘密の核らしい。龍麻は素早くドアの脇に張り付き、中の様子を窺った。 そこにあったのも、階段であった。しかしこれはもっと古い。自然石を削って作った石段は、元は平らであったろうが、多数の人の行き来により磨耗し、中央部がへこんでいる。一体どれほど多くの人間がこのようなところを行き来したと言うのか?階段の下の方から吹いてくる風には、妖気の微粒子が大量に含まれていると言うのに。 しかし、ここまで来て調べないという法はあるまい。龍麻はベッドにナイロンテグスを結び付け、階段を下りようとした。するとふと黒板に目が止まり、文字が薄く残っている事に気が付いた。 「・・・なんだ?」 龍麻をして、首を傾げる文字の羅列。どうやら日付が書かれているようだが、その後には《緋》、《神》、《鳴》・・・残りは判別不能だ・・・という文字が入り乱れて続いている。日付によって数が異なるところを見ると、どうやら人名の簡略記号のようだ。しかし、意味が良く解らない。 黒板の謎は留保し、龍麻は石段の先を調べる事にした。一応、用心のために扉にはつっかえ棒を入れておく。こういう場所に入った時、背後で扉が閉まるのはむしろ常識だ。 しかし、そんな龍麻の用心は全て徒労に終わった。 「―――むうッ!?」 それは、龍麻が階段を降り切った所で起こった。最後の石段を降り、圧倒的な広がりを見せる空間を前にしばし絶句してから振り返ると、なんと、階段が跡形もなく消えていたのである。―――当然、ナイロンテグスは切断されて垂れ下がり、自分がどこにいるかさえ解らない。確かに壁伝いに降りていたのに、自分が立っている周囲には壁などなかったのだ。 幻覚か!?―――いや、それはない。階段を降りた瞬間、龍麻の超感覚すら欺いてどこかに運ばれてしまったのだ。瞬間移動 しかし、深く考えている余裕はなかった。周囲から、明らかに獣の唸り声らしきものが聞こえてきたのである。 「―――どうやら罠に填まったらしい。」 これだけ圧倒的な闇では、M870のライトだけでは心ともない。龍麻は照明灯に点火し、闇に放った。 ―――ゴルルルルルッッッ! いきなり弾けた光に、暗がりに慣れているらしい、犬のような狐のような獣が凄まじい唸り声を上げた。更に龍麻の周囲には、教室で戦ったものと同種の大蝙蝠。 (―――獣タイプ5、飛行タイプ7。) 瞬時にそれだけの情報を読み取り、龍麻はM870の引き金を引いた。 ―――ドウンッ・・・ッッ! 照明灯の光で、今はこの場所の全景が見て取れる。真神学園の体育館並の、かなりスケールの大きな地下洞窟・・・そんなところか。天井は7〜8メートルと高く、空気はややじめついている感があるものの、足元は乾いている。ただし、M870の銃声が思ったほどに響かなかったのは、やはりどこか異質な空気のためであろう。 それはともかく、M870から飛び出した散弾が二頭の獣を直撃した。 ―――ギャンッ!! 断末魔の泣き声を一つ上げ、吹っ飛ぶ獣。だがそこで異様な現象が起こった。確かに血煙を上げて吹っ飛んだ獣は、動かぬ躯と化したと同時に崩壊を始め、黒い染みを残して消え去ってしまったのである。 しかし、龍麻の興味は常識的にありえない現象よりも、別のところにあった。 (―――耐久力はそれほどでもないか。) ならば、無駄弾は控えるべきだ。龍麻はM870の安全装置 ―――ウオォォ―――ンッ! 蝙蝠と同じく、生物的整合性を欠く獣の牙!龍麻は飛び掛ってきた獣の顎を、手首のスナップを利かせたM870のストックで殴り飛ばし、地面に落ちたところで喉元にククリ・ナイフを打ち込んでとどめを刺した。ほとんど間を置かず、黒い染みと化す獣。―――それほど強い訳ではない。 それが解れば、龍麻の行動は早かった。獲物が思いがけず強い事を察した獣が蹈鞴を踏んだのを見逃さず、龍麻はするすると間合いを詰め、ストックで獣を殴り倒した。―――同時にもう一頭の獣にククリ・ナイフを突叩き付ける。反撃するタイミングすら掴ませぬスピードである。 ―――大蝙蝠が遅ればせながら迫る。 周りに気兼ねする必要がない分、蝙蝠の掃討はあっという間であった。群れで向かってくるとは言え、40センチ近くもある大蝙蝠である。適当に狙いを付けて振ったククリ・ナイフの一撃でたやすく撃墜できる。もともと東南アジアのグルカ族がジャングルでの生活用に、戦闘用に改良した山刀である。刀身がブーメランのように湾曲した刃は破壊力抜群で、七匹の大蝙蝠が分断されるまで1分とかからなかった。 「―――クリアー。」 呟いてから、もう一度周囲を見回してみる龍麻。照明灯のおかげでかなり明るいが、やはりどこの壁にも階段らしきものは見当たらなかった。いや、階段どころか、どこにも抜け穴の一つないのである。 自分は一体どこから入って来たというのか?さすがの龍麻も少し思案顔になった時、床の一角がかすかに光っている事に気が付いた。 「?」 興味を引かれ、近付いてみると、すうっと光が消え、そこにぽっかりと穴が開いた。しかもそこにあるのはまたしても階段である。 「・・・下向きだな。」 どこかに上に向かう階段も出ているのではないか!?そんな事を考え、周囲に視線を走らせる龍麻であったが、やはり出入りできるような場所はここしかないようだ。 ―――進むしかない。 罠への誘いにせよ、ここに留まっている訳にも行かない。周囲の壁からひしひしと伝わってくる質量感は、そこに抜け穴や通路などないことを物語っている。やはりここには一種の空間転移で運ばれて来たのだろう。 M870にショットシェルを一発再装填し、階段に向かおうとした龍麻は、ふと、足元に何か光るものを見つけた。 「これは・・・銀・・・か?」 小豆よりも小さな粒ではあるものの、それは間違いなく無垢の銀であった。 鉱脈でもあるのか?龍麻はもう一度周囲を見回してみるが、岩盤の組成を見るに、そんな可能性はない。しかしライトの光を反射した粒が他にもある事が確認できた。しかもその場所は、先ほど襲ってきた生物を仕留めた所である。 「・・・・・・?」 またしても謎の発生。どうやらここは超常現象の宝庫らしい。 とりあえず、そのままにしておくのも勿体無いので、銀の粒を集めてポケットに納める。戦場においては札束など紙屑でしかないが、金や銀、貴石や塩、オイルなどは信用できる。中東で現地武器商人と接触した時も、取引に使用したのは砂金だった。―――文明世界では現金を使う龍麻も、これまでに貯えた資金は全て金塊に換えてある。塵も積もれば山になるという言葉もあるし、放って置く手はない。 ただし、中には妙なモノもあった。古ぼけてはいるものの、充分使用に耐える木刀と、腕に付ける鎧の一部・・・手甲である。 あの、犬のような生物が持っていた!?―――ナンセンスだ。獣が木刀を持ち歩くものか。 しかし、目の前にあるのは紛れもない事実である。とりあえず、何かの役に立つかも知れないと、木刀を腰のベルトに刺し、手甲は手に填める。幸いM870は軍隊仕様、手袋をしていても引き金を引けるようになっているので、手甲を填めていても射撃には何の問題もない。 若干荷物は増えたものの、龍麻は下への階段を降り始めた。 「・・・・・・またか。」 仮に地下二階と呼称するが、そこもまた、周囲を岩盤で閉鎖された空間であった。やはり階段は消えてしまい、どこにも出口はない。そして、害意ある生物の唸り声――― 「・・・さっきと同じ奴等か。」 犬のような生物が6、大蝙蝠が9。―――数は増えているが、龍麻の敵ではない。ただ、こんな戦いをどこまで強いられるか不明のため、龍麻は銃の使用を控え、専ら、突きと蹴りで迎撃した。《敵》を全滅させるまで、3分少々。敵の気配が絶えると、また床の一角が光り、下への階段が現れる。 「・・・今度は足甲か。」 大蝙蝠は銀の粒に変わったものの、犬の中にはまたしても妙なモノを残していく奴がいた。足甲に週刊誌、袋に詰まった丸薬のようなもの・・・である。 得体の知れない物を持って荷物になるのを避けるため、足甲だけ身に付け、後は捨てる龍麻。丸薬は薬草の香から推して外傷薬と踏んだが、成分分析用に一粒だけサンプルを取る事にした。 「・・・終わりはあるのだろうな?」 呟き、更に下への階段を辿る龍麻。その時ふと、ここに下りる階段の脇にあった黒板を思い出す。日付と名前―――あれは、ここに入った日付と、人員を示すものではないだろうか? 「・・・・・・・・・。」 探検隊・・・という訳ではあるまい。確かに怪奇現象の宝庫だが、岩盤に閉ざされた空間と、妙な生物がいるだけである。生物を倒すと銀の粒や妙な道具が出てくるが、襲ってくる生物を考えると、割のいい収入とも言えまい。 だが、唐突に、こんな考えも浮かんだ。 ここは、訓練場ではなかったのか? 広さも天井の高さも適当だし、足場も滑らかな所もあれば、ごつごつした岩場もある。場所によっては妙な色の水溜り・・・pH測定によると強酸性の水が溜まっている場所もある。―――かつて龍麻が訓練を受けた設備によく似ているのだ。冷戦時代に掘られた沖縄嘉手納基地地下に広がるシェルター跡に造られた、ジャングル戦から市街戦まで再現できる訓練場と。 所詮、推測に過ぎないが、日付が何日にも渡っているとなれば、その可能性は高い。―――つまり、必ずどこかに戻る道もある筈だ。 龍麻は更に地下への道を辿った。 地下三階、四階と、特に変化はなかった。数は増えるものの出現する生物は基本的に同じであったし、龍麻の戦闘力は彼らと格段の差があった。したがって龍麻はかすり傷一つ負うことなく、ここ、地下五階まで降りてきたのである。 ただ、地下五階はこれまでと少し様子が違っていた。 閉鎖された空間である事は同じなのだが、何か、古代遺跡を思わせるような石造りの巨大な祭壇があり、その中央部に祭られている真球の岩石は白い炎のようなオーラを纏って光っていた。その為に空間そのものがかなり明るく、《敵》の配置もよく見て取れる。 そして、これまでと決定的に違うのは、獣の群れにリーダーがいた事であった。 あの四人が《覚醒》した時に襲ってきた、体長2メートルの人型大蝙蝠。そいつがギイッ!と鳴くや、獣の群れが一斉に襲い掛かってきたのである。 ―――シャキン!―――ドゴッ!ドゴッ!ドゴォンッ!! 本能とは異なる明確な殺意。それを感じた瞬間、龍麻は問答無用でM870を立て続けにぶっ放した。 龍麻が持っているM870は軍隊仕様・エクステンション・マガジンチューブタイプだ。装弾数は8プラス1発。鳥撃ち用の通常散弾とは言え、9発も撃ち込まれては、総勢20からいた大蝙蝠も、10を越える獣もあっという間に掃討されてしまった。 ―――ギイィィッッ! それが怒りの咆哮か、巨大蝙蝠が宙を駆けて襲い掛かってくる。そして、超音波攻撃! ―――ブゥンッッ!! 二度も同じ手は食わないのがレッドキャップスだ。龍麻は目には見えない指向性超音波攻撃を軽くかわし、腰の弾帯から抜いたショットシェル―――OOB弾をM870に叩き込み、フォアグリップを引いて弾丸を薬室に送り込んだ。 ―――ジャコンッ! その威力を知る者ならば震え上がらずにはおれぬ独特の音。しかし巨大とは言え所詮は蝙蝠。その危険性など知る由もなかった。超音波攻撃をかわされた事で、直接爪で引き裂こうと龍麻に接近し――― ―――ズドォンッッ!! OOB弾はアメリカの銃砲店では普通に市販されている弾丸だが、ちょっと洒落や冗談の解る店主ならば「壁でも壊すのかい?」と聞くという。12ゲージのショットシェルの中に9個のタブレット状の弾丸を詰めた散弾はそれほどの威力があるのだ。近距離もしくは狭い空間における銃撃戦では、マグナムも軍用ライフル弾も殺傷力においてショットガンには遠く及ばない。 当然、コンクリートブロックよりも遥かに脆弱な生体が、OOB弾の直撃に耐えられる筈もなく、巨大蝙蝠は胴を背中までぶち抜かれて即死し、飛び散った肉片も血飛沫も瞬時に染みを残すのみで消滅した。染み以外に残したものは、やや上等な木刀であった。 「さて、どうなる?」 誰にともなく呟いた時、《敵》を全滅させた時の変化が起こった。しかし今回生じた光は二つ。一つは今までと同じ地下への階段だが、もう一つは上に続く階段であった。 「・・・これで、戻れるか?」 上に続くと見せかけて、もっと酷い罠へと誘うトラップとも考えられる。しかしこの状況下、戻れる可能性を持つものはそれしかない。龍麻はM870に弾丸をフル装填し、上に続く階段を昇り始めた。―――階段の半ばほどで、奇妙な浮遊感覚を覚えると、そこは文明の光が投げかけられている、あの地下室であった。 これが、旧校舎の秘密か。この地下より通じる、謎の空間。そこには異形の生物―――魔物が存在する。そいつらを倒すと、銀や道具類・・・遺物を残す。 ―――ここは訓練に使える。 龍麻はそう思った。いや、まさにここの存在こそ、鳴滝がこの真神学園を指定した理由だろう。事前にここの情報を教えなかったのも、知りたい事は自分で見付けろという鳴滝の意思表示だ。闘うのも、普通の生活を送るのも、龍麻の意思一つだと。 しかし、龍麻はこの東京に戦いに来たのだ。 今後どのような敵が現れるかは判らない。だが莎草のような特殊能力者を相手にするには、通常の訓練だけでは明らかに足りない。そしてここには、異形の生物が数限りなく存在するようだ。実戦訓練には最適の環境―――。 「・・・さすがは拳武館館長。生き馬の目を抜くような真似をする。」 黒板に書かれた略号・・・《鳴》は鳴滝冬吾を現すものだろう。そして《緋》は緋勇弦麻・・・龍麻の父親を示すものと思われる。恐らく彼らもここで実戦訓練を積み、《気》の《力》を高めたのだろう。 だが、先達たちの事はいい。今は、自分の事だ。 「明日から早速、訓練を始めるとするか。」 龍麻は呟き、地下室の電気を消して旧校舎を辞した。 今日、手に入れた銀塊は、約7千円の価値があった。 第弐話幕間 旧校舎 完 目次に戻る コンテンツに戻る |